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  •  今時、インターネットエクスプローラーを使っているヤツが悪いんだろうけれど、今日のインターネットエクスプローラーは動きが遅いし、挙動が不審だ。でも、インターネットエクスプローラーじゃないと困る事だってあるんだよね。最新ブラウザのエッジがすべての面で、旧式のインターネットエクスプローラーよりも優れているわけじゃないしね。ああ、困った困った。
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2014年2月の記事

2014年2月28日 (金)

感謝の言葉を言える人でありたい[2014年2月の落ち穂拾い]

 この年になって言うのもアレだけれど、私は“感謝の言葉を言える人間”であり続けたいと願っています。

 感謝の言葉と言っても、そんなにおおげさな事ではありません。他人の親切や好意には、たとえ小さなモノであっても「ありがとう」と言えるような人でありたいと願っています。いや、口癖が「ありがとう」になっているくらいが、私の理想です。

 特に職業的に今のポジションになってから、自分が動く事よりも、若い人たちに指示を出して動いてもらう事が増えてきました。私の命令(時に無理難題もあるわけです)に素直に従って働いてくれても、それは職務命令なんだから当然と言えば当然なんだけれど、そこを当然とは思わずに、必ず感謝の言葉や労りの言葉をかけてあげる…という事に気をつけています。

 と言うのも、自分が若い時に、仕事で大変な思いをした時に、上司から「ありがとう」とか「よく頑張ったな」って言ってもらえると、何の実益もなくても「上司は自分の仕事をきちんと見ていてくれたんだ」と思えて、それだけでうれしくなったものです。ですから、今は私が若い人たちに、忘れずに感謝の言葉をかけてあげられるように、気を使ってます。

 ですから、逆に、他人に感謝をしない人を見ると、ムカッときます。まあ、これも私の人間が小さいせいでしょうが、たとえ相手が私でなくても、他人に施されて当然、他人が自分に仕えるのが当たり前、そんな態度の人を見ると、許せなくなります。

 もちろん、自分の部下なら、呼び出して説教です(笑)。これは部下が憎いからではなく、部下の行く末を心配しての教育的配慮って奴ですが…これがなかなか難しくて、ほんと、今どきの若者…と言うよりも、今どきの中年オヤジって、跳ねっ返りも多くて、説教も難しいですね。

 でもまあ、自分の部下なら自分の管理下にいるわけですから、愛ある説教(?)もできますが、問題は、いい年した他人様ですね。具体的に言いませんが、他人が自分の仕事を代行してくれるのが当たり前だと勘違いしている、いわゆる“先生”業の方を見かけると、その人の底の浅さを感じて、こっちまで憂鬱な気分になります。

 「先生、先生と呼ばれて、いい気になっている奴ほど、見苦しい人間はいない」

 これは私がいわゆる先生業に着く時に、当時の先輩から教えてもらったひと言です。私は、このひと言で、人生を過たずに済んだような気がします。だから、今度は私が若い人たちに、見苦しい人になって欲しくないので、色々と説教するわけです。

怒らない事は難しい?

 私は若い時に「他人に怒りの感情を持つ事をやめよう。常にその人をありのままに受け入れるようにしよう」と心に決心しました。十代の時の話です。

 それ以来、なるべく自分の怒りの感情をコントロールしてきました。それでも、世の中ってのは理不尽ですから、そんな私でも、時に怒りを感じざるを得ない事だってあったわけだけれど、それでもその怒りを自分の心から切り離して、怒りに自分の心を捕らわれないようにしてきました。

 だって、怒り狂っている人って、見ていて、カッコ悪いでしょ? それに怒ったからと言って、物事が好転することってマレで、大抵の場合、怒りにかまけた行動をしていると、ドツボにはまったり、その一時は良くても、長い目で見ると、大きな損をしていたり、他人からの信頼を失っていたり…まあ、怒りは人間の持つ感情の中でも、自分と他人を滅ぼす悪い感情だと思ってます。

 ネットでも、時折、怒りで我を忘れて、ブログを炎上させたり、糞コメントをつけたり、ストーカーまがいの事をしている人がいますが、ほんと、怒りって人の心を喰ってしまう鬼のようなものだなって思います。

 まあ、そんな事を書いている私ですが、時折は怒りの感情をうまく切り離せずに、後悔せざるをえない事がなかったわけではありません。それでもめげずに、なんとか怒りの感情に自分を支配されないように気をつけてはいます。

 でもね、私があまり怒らない人間であると周囲が知ると、私の事を軽く見る人間が出てくるんだよね。それが困った事なんです。だって、怒らない人って怖くないものね。簡単に言うと“なめられている”?

 まあ、他人になめられても、表面的には平気にふるまいますが、私だって血の通った人間ですからね、他人に軽く扱われるのはうれしくないです。「なんかなあ~」って思う事だってあります。

 「そんなイヤな思いまでして、怒りを封印しているなんて、変じゃない? 気に入らない事があるなら、我慢なんかしないで、そいつを怒鳴りつけて、どっちが上か、はっきりさせればいいじゃないか!」と言われますが、なんかねえ、そんな脅しで他人を服従させても、うれしくないので、今日も今日とて、他人にナメられっぱなしな日々を過ごしてます。

 腰抜け…なつもりはないんだけれど、そう見られているのかな?

夏目漱石

 この年になって、なんか納得する事って、今でもあります。

 最近、私が知ってビックリした事が、一つあります。

 夏目漱石の書いたジュブナイル小説の一つに「坊っちゃん」がありますが、あそこに出てくる清という下女の裏設定(?)です。清は、周囲からうとまれ嫌われて育つ主人公に対して、盲目的な愛を注ぐ人で、いつ読んでも、なんか清という人物に納得のいかない不思議なものを感じていたのですが、ある日(それも最近)、清が実は単なる下女ではなく、坊っちゃんの生みの母で、わけあって親子の名乗りをあげられず、下女として坊っちゃんに仕えていた…という設定があるんですよという話を小耳にはさみました。

 その瞬間、あの小説を読んで、今まで不思議に思っていた事のすべてに納得がいったんです。ああ、なるほど、それならば、清の不思議なやさしさや言動のすべてに納得がいく…と思ったのです。もちろん、これはあくまでも、漱石自身が書き残したものではなく、一部マニアが推察した“裏設定”もどきの話なんで、信じるも信じないもアリなんですが…。

 夏目漱石と言えば「こころ」という有名な小説がありますが、私はこれを始めて読んだ時「これ、ホモ小説じゃん」と思いました。「自覚のないホモって、本人も大変だし、巻き込まれた周囲もたまったもんじゃネーナー」という感想は今でも変わりないのですが、そんな話を他の人にすると、たいていが「えっ!」と驚きます。

 ま「こころ」と言えば、国語の教科書にも載っている名作だもんな。まさかホモ小説が教科書に載っているとは、誰も思わないんだな…。

今年のラ・フォル・ジュルネ

 うーむ、ちょっぴり残念。本来なら今年は『アメリカ音楽』の年だったはずなのに、東京では10周年記念というわけでテーマ変更。今までの復習と言うか、テーマ無しと言うか、まあ何でもありの年になりました。

 私はバーンスタインをたっぷり聞きたかったんだよなあ…。テーマ変更が残念でなりません。

 有料プログラムもすでに発表されていますが…聞きたいと思えるプログラムが無いんだよねえ…。ラ・フォル・ジュルネも年々(私にとって)魅力がなくなってきてます。最初の頃は、あれほど見たいプログラム聞きたいプログラムだらけで、どれを選択するべきか、大いに迷ったものですが、昨今は見たい聞きたいと思えるプログラムがドンドン無くなってきています。

 オケとピアノばっかり…。お目当てのアーチストも来日しないし…。

 昨年もそうだったけれど、ラ・フォル・ジュルネ本体ではなく、周辺プログラムの方が楽しみなくらいですが…周辺プログラムは喧騒の中で立ち見がほとんどで、客寄せにはなっているけれど、音楽が聞ける状態ではないんだよねえ…。今年のように怪我人と一緒だと、色々と厳しいよなあ…。

 そろそろ、ラ・フォル・ジュルネにも見切りをつけた方がいいかしら…とか悩みながらも、結局は、今年もゴールデンウィークは丸の内に出かけるんだろうなあ…。

今月のお気に入り「ヴンダーリヒ:不滅の声~オペラ・アリア集」

 ウンダーリヒと言えば、ドイツが生んだ名テノールです。すでに故人ですが、彼のファンも未だに多く、彼の録音は手を変え品を変えて、今でも再発されているくらいに、人気ものです。

 ただ、ドイツ系のテノールなので、イタリア系の音楽が好きな私には、それほど重要な位置づけの歌手ってわけではありませんでした。でも、興味がないわけではなく、彼が録音した「美しい水車小屋の娘」を始めとするシューベルト作品は聞かないわけではありませんが…イタリア音楽ほどに熱心には聞きませんでしたので、つい最近までウンダーリヒに親しみを感じることはありませんでした。

 それがつい先日、このアルバムを見つけたわけです。あのウンダーリヒがイタリア系のオペラアリアを歌っているんですよ! これは聞くしかないじゃないですか。

 で、聞きました。聞いてびっくりしました。だって、ぜんぶ、ドイツ語歌唱なんだもの。ドイツオペラがドイツ語歌唱なのは当たり前だけれど、イタリアオペラもドイツ語歌唱なんです。唯一のイタリア語歌唱(つまり原語歌唱)は「オ・ソレ・ミオ」だけでした。

 今の時代、オペラ歌手の国籍がどこであれ、オペラアリアって、原則的に原語歌唱でしょ? もちろん、実際の公演では、オペラを現地語で上演する事もあるでしょう。例えば、我が国日本では、オペラ公演は原語歌唱で行われる場合が多いですが、それでも字幕設備がない場所などでは、日本語で歌われる事も少なからずあります。しかし、オペラアリアの録音を、原語ではなく現地語でしちゃうって、少なくとも一流歌手にはありえないじゃない。そのありえない事をウンダーリヒがやっているので、すっごく、びっくりくりくりです。

 まあ、彼が活躍した1950~60年代という時代背景を無視してはいけないでしょう。おそらく、当時はこれはこれでアリだったんだと思います。なにしろ、カール・リヒターだって、ヘンデルの「メサイア」をドイツ語歌唱で録音した時代だものね。リヒターは70年代になると、原語である英語で録音しなおしてます。

 ウンダーリヒも長生きをしていれば、後年、これらのオペラアリアを原語歌唱で録音しなおしたかもしれないけれど、これはこれでアリって事にしておきましょう。

 現代人の耳で聞くと、ちょっとゲテモノっぽい雰囲気もしますが、歌唱そのものは実に立派で味わいがあって、私結構好きな音源です。

今月の金魚

2014年2月14日(土) ナゴンが星になる。
2014年2月15日(日) アズニャンが我が家にやってくる。

 今月は「ナゴン、バイバイ」「アズニャン、ラッシャイ」の月でした。

今月のひとこと

 走るためには、まずモモを高く持ち上げて、足で地面を力強く蹴り進むことが必要で、その動作を間断なく繰り返さなければいけないわけだし、そのための補助動作として左右の腕を前後に大きく振らないといけないわけだ。そんな事なんて、若い時は何も考えずに自動的に連動して行っていたのに、今や、それらの動作の一つ一つを意識して行わなきゃいけないし、ましてや連動させるために、細心の注意が必要なわけです。たかが走る事ですが、オッサン的には心身ともに、かなりのハードな動作だと判明しました。大丈夫か、私?(2014年1月29日~2月3日)

 自分が疲れているのか、眠いのか、判断がつかない…。(2014年2月3~7日)

 今日は、コビトさんが私のアタマに乗っかって、しがな一日中、カナヅチで私のアタマを叩いていたよ、痛くて痛くて、こりゃたまらんぞぉ~。(2014年2月7~8日)

 雪降ってます。湘南地方には珍しいくらいの大雪です。とりあえず、雪かきしました。だって、このまま雪が積もるのに任せていて、夜になってこれらの雪が固まってしまったら、ほんとヤバイでしょ。まだ雪が降りたてて、やわらかくて軽いうちに除雪しておかねば…と人生の経験から、そう思いました。(2014年2月8~9日)

 ふと気づいたら、いつのまにかブログの累積アクセス数が200万を越えてるじゃん。一体、いつ200万を越えたんだ! 全然、気づかなかったよ。全く、ダメだな(涙)。(2014年2月9~14日)

 またも大雪。玄関が雪で埋もれて外出不能なので、雪が降っている中、玄関の雪かきを決行。今心配なのはエアコンの室外機。とりあえず今は大丈夫だけれど、雪で埋もれたら…故障する事になるよなあ。とりあえず、室外機周りもせっせと雪かきしました。でも、町の風景が、全然湘南っぽくない(大笑)。実になんともなバレンタインデーだこと(笑)(2014年2月14~17日)

 雪がどけてある道路をチェーンをまいた車が走ると、真っ赤な火花が散ります。あっちでもこっちでも、まるで花火のようできれいです。でも道路が痛むだろうなあ…その道路の修繕費は税金なんだぜ、参ったなあ…、もう少し気を使って走ってほしいなあ。(2014年2月17~22日)

 とっても眠いのに頑張って起き続けていると、さすがに気持ち悪くなって、吐き気がするんだな。それって、もう、若くないって事なんだろうなあ…。(2014年2月22~26日)

 ああ、眠い眠い。朝も昼も夜も眠い。起きていても、寝ていても、眠い眠い眠い。こんなに眠いのは…春のせいかしら? ならいいのにねえ(笑)(2014年2月26~27日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年2月27日 (木)

フルートの構え方について

 今週もフルートのレッスンには行けませんでした。今回は私の仕事の都合ですが『仕事が忙しくてレッスンに行けなかった』->『先生の都合でレッスン中止』->『仕事の都合でレッスンに行けなかった』と、三週連続でレッスンをお休みしてしまいました。次回、レッスンに行けたとしても、中三週も開くわけで、その分、しっかりと練習しているかと言えば、実はこの三週間、ロクにフルートに触っていなかったりするわけで、何気にピンチな私でした。

 ま、それはともかく、今週もレッスンがなかったので、エッセイでお茶を濁す私でした。

 さて、今週のお題は「フルートの構え方」について、です。

 フルートの構え方と言えば、基本は“三点支持”って奴です。皆さん、三点支持って出来ますか? 実は私、この三点支持をきちんと出来るようになったのは、たぶん、最近の話です。

 ちなみに三点支持とは、アゴ・左人指し指根元・右親指の三点でフルートを支持する事です。これは実に合理的な構え方だと思います。この構えだと、演奏に必要な指で楽器を保持しないため、演奏への影響は小さいですし、この三次元空間において、事物を安定的に支持するための最少ポイントは三点ですから、それにも合致しているし、確かに万人に推奨される構え方であるわけです。

 でも、これって、案外、難しいんですよね。とりわけ、初心者の皆さんにとっては、なんか納得できない構え方ですわな。

 実は私も、三点支持をしているつもりでも、全然出来ていなくて、長い間、現実的には、三点支持ではフルートが安定せずに、結果的に四点支持をしていたのです。

 四点支持とは、上記の三点支持に、右小指を加えた押え方なんですが、これは良くないです。

 と言うのも、確かに右小指はキーを押えたままの事が多いので演奏に支障がないように見えますが、全く動かさないで済むわけではありません。いざ、この指を動かそうと思った時、この指を使って楽器を支持していると、小指を動かした途端に、楽器がコロンと手から落ちるわけです。

 また、落ちるまでいかないとしても、楽器の支持に使っていた指ですか、そう簡単に動いてくれないので、どうしても小指の動きが悪くなります。それどころか、私の場合は、あまりに力を入れて小指で押えていたため、演奏中にしばしば小指の関節が外れました。指の関節が外れるほど力を込めて楽器を支持していたなんて…実に論外な話です。

 なので、右小指で楽器を支持するなんて、ダメ、絶対にダメ、なんです。

 じゃあ、三点支持が完全無欠なフルートの構え方なのかと言うと、実は違うような気がします。と言うのも、事物を空中で支持するためには、三点で支持するのが最低限の条件なのですが、演奏中にどうしても楽譜の譜めくりをしなければならない場合、譜めくりのために、右手を楽譜に持っていこうとして、楽器から手を離した瞬間に、三点支持だと、楽器がコロンと手から落ちます。

 あちゃーです。でも、多くのプロの演奏家さんたちは、なんともない顔をしながら、右手で楽譜をめくってます。

 あれはフルートを左人指し指の根元にうまく乗せて吹いているとも考えられるけれど、それだと楽器がきちんと安定しないから、きっと、左親指を楽器安定のために使っているんだろうなあって私は思います。つまり、譜をめくっている間は、アゴ・左人指根元・右親指の三点支持から、右親指の代わりに臨時で左親指を使っていると考えられます。まあ、左親指も右小指くらいに、演奏に参加していない指だから、短時間ならなんとかなるのかもしれません。

 でも、あまり薦められる方法ではないのかもしれません。やはり理想は、オーケストラのプルトのように、二人一組になって、ページをめくる必要が生じた場合は、どちらか片方が楽器を置いて、譜をめくるというのが理想なんだろうと思います。あるいは、ソリストさんたちのように『全曲暗譜』もいいかもしれません。

 しかし、アマチュア笛吹きさんが、発表会などで演奏する場合は、自分の代わりに譜をめくってくれる人もいなければ、全曲暗譜するほどの根性もなかったりします。仕方がないから、さほど長い曲でなければ、楽譜を横に広げて演奏するわけだけれど、なんかいい方法はないものかと、思う事があります。だって、フルートに限らないけれど、譜面立てって、せいぜい3ページぐらいまでしか楽譜を広げられないじゃない? ピアノのように、5~6ページ開けられたら、だいぶ話も違うだろうけれど、そんなわけにはいかないのだから、仕方ないです。

 幸い、私は、人前でフルートを吹くというチャンスがないので、あまり困ってませんが、定期的に発表会などに出演される方にとっては、結構大きな問題だと思いますが、皆さん、どうなされてますか?

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2014年2月26日 (水)

なぜそこにクレシェンドがあるのか考えてみましょう

 さて、声楽のレッスンの続きです

 先生から「Aprilを終わらせてしまいましょう」と言われた私でしたが…なんと、レッスンに「April/四月」の楽譜を忘れるというチョンボをしてしまいました。ううむ、先週は、この曲をガッツリ練習しておいただけに、すごく残念です。

 と言うわけで、レッスンは、自宅練習ではあまり力を入れなかった、トスティ作曲「Sogno/夢」をやる事になりました。

 皆さん、くれぐれも、レッスンの時に忘れ物をしてはいけませんよ。

 さて「Sogno/夢」ですが…ヒドいなあ。録音を聞いて、そう思いました。一生懸命にノドの奥を開いて歌おうとしているのは分かりますが、それと引き換えに音程がますます不安定になって、ぶら下がってます。これはさすがに他人に聞かせられる出来ではないし、たとえレッスンとは言え、先生に聞いていただけるようなレベルではありません。

 なんか凹むなあ…。

 音程と言えば、この曲での音程の取り方が、あまり良くないと注意されました。メロディの音程が上下するのに同調するように、声のポジションも合わせて上下に動いているのだそうだけれど、これはあまり良くないようです。メロディの音程が上下しても、声のポジションが変わらない方が良いわけで、そのための練習をしました。

 どんな練習かと言うと、まるでお経を唱えているかのように、一度メロディは横に置いて、同じ音程(と言ってもバックの和音が変われば、和音にはまるように音程を変えます)で歌うやり方。ま、一種のリズム唱です。これをやってから、同じようなイメージで、メロディに動きをつけて歌うというやり方です。つまり、ポジションを動かさずに歌うというやり方では、メロディの音程が変わっても、音程が変わったことを感じさせないように歌うと言うわけです。つまり、ポジションの移動ではなく、ノドの開けを変えていく事で、音程を作っていくわけです。

 あ、ここでも“ノドの開け”が問題になっているわけで…ほんと、私はノドの開けが苦手だなあ…。そして、ノドを開けるためには、しっかりと声が支えられている事が大切で、ここでも支えの弱さが問題になるわけです。

 結局、私の場合、すべての問題は“支えの弱さ”に帰結するわけです。ああ、悲しい。

 そして、ノドの奥を開けるには、支えとともに準備が必要となります。その準備もまた遅かったり、出来なかったりする私です。なぜ、その準備が遅くなったり、出来なかったりするのかと言えば、ブレスのたびにきちんとリセットしてしまうから。それはマズいわけで、本当はブレスがあっても、リセットせずに、きちんと支え続けられていたら、そんなに準備が遅くなる事もないわけですが、これは前回のブログ記事で書いたとおり、基本的な立ち方がなっちゃいないってのが大きな理由です。もっとも、別にそれだけが理由ってわけでもありません。支え続けられるほどの基本体力がない、つまり歌うカラダができていないからだとも言えます。

 1番の最初のダブルバーの後“Solo un guardo che fosse promessa”と歌う箇所があります。ブレス記号が“che”の前に入っていますので、私はここでブレスを取りますが、そうすると“che fosse”の部分がうまく歌えません。と言うのも“un guardo”はシb・ラ・ラーと歌い、ブレスを入れて“che fosse”はファ・ソ・ソーと歌うわけです。もちろん、音程は高くなっているわけです。で私は“che”の前でブレスを入れて、そこで支えを一度開放すると、次の“che”までに支えが間に合わないって事をやっちゃうわけです。

 「なぜクレシェンドが“un guardo che ”と付いているか、分かりますか?」と尋ねられました。私は別に作曲家ではありませんので、分かるわけありません。すると先生が「“che”からいきなり支えても間に合わないだろうから、作曲家が歌手がしっかりと高音が出せるように気を利かせて“un guardo”から息を支えて“che”に持っていきなさいという、善意のクレッシェンドなんですよ。だから、きちんとクレシェンドをかけて、ブレスがあっても、決してお腹を緩めない事が必要なんですよ」と言われました。確かに、そういう意図で書かれているフレーズと言われると、妙に納得します。

 「この曲は支えがよく見える曲なんですよ。なので、もっともっと支えを見せて歌うようにしてください」と言われました。

 息を流せ、ノドの奥を開けろ、しっかり支えろ、支えの準備を忘れるな…ああ、やることが多すぎます(涙)。

 レッスンの最後に、ふたたび全曲を通しました。レッスンの最初に比べると、多少はマシになった気もしますが、やはりまだまだです。なので、この曲、次回もまたやりますので、しっかり自宅で練習をしてくる事になりました。特に、支えの準備をどこからするのかをしっかりと決めて練習してきてほしいと言われました。

 以前やった曲だからと言って、簡単に上がるわけではないのです。

 今回は一曲しかレッスンしなかったので、これでお終いです。

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2014年2月25日 (火)

立ち方を見直す

 声楽のレッスンに行ってきました。

 今回のレッスンは、珍しく休日に行いましたので、私も職場から早めに帰宅し(休日でも働いているのが悲しいね)、明るいうちから、いつものタクシーではなく、久しぶりに徒歩でテクテクと先生のお宅に向かいました。いやあ、歩いてレッスンに通うってのは、いい準備運動になるわけで、良い感じです。

 最初はハミングの練習からですが、今回は特に『息を流しながら歌う』という事に重点を置きました。

 息を流しながら…の感覚は、暖かい息を吐く感じでいくと、うまくいくようです。ゆっくりと暖かい息を出しながら歌うと、うまく息を流しながら歌えるようです。私の歌い方は、省エネというか省息な歌い方で、別に声帯に息が十分に流れなくても、声帯の自律運動(これが“ノドが鳴る”という現象の正体)で声を出してしまうのだけれど、声は声帯の自律運動ではなく、息に乗せて歌う方が良いし、楽なんです。それに、その方が声の消耗を少なく押えられるし、より高い声が出せるようです。

 ハミングの練習が終わると、実声での発音練習になります。やっている事は同じで、いかに声を声帯の自律振動ではなく、息を声帯に通して、声を息に乗せて発声するやり方で行くのですが…息を声帯に通すと、声帯がかゆくてかゆくてたまりません。ついつい、むせてしまいます。ちょっと声を出しては、ゴホゴホやってます。やっている事は方向的に正しくても、咳を多発するようでは、色々と考えものです。

 実声での発声練習ともなると、クチの奥が開かないという私の欠点が露呈されるので、またもその点を重点的に練習します。

 とにかく、クチの奥を開けて発声です。一生懸命に頑張りましたよ。先生がおっしゃるには「高いソまではいい感じで歌えても、ソ#やラになると、どうしてもクチの奥が閉じてしまうんですね。できれば、クチの奥を開けたまま(高い)ドまでは発声できるようにしたいです。発声でドまで行ければ、歌ではシぐらいまで使えるようになるでしょうから…」というわけで、目下の目的が「クチの奥を開けたままでの発声」なんですね。

 シとかドとか、そんな高い音の話になると、クチの奥が開くか開かないか以前の話だと思うのだけれど、先生がおっしゃるには、クチの奥が開かないから高音が苦手なんだそうです。高い音を出そうと思うよりも、クチの奥を開こうと思った方が、より高い音が出るようになるんだそうです。

 とにもかくにも、クチの奥を開いて歌う事です。自分的な感覚では、太い声のまま、上にあがっていく感覚で練習していきたいと思ってます。

 さて、私の支えが弱いという話は何度もしていますが、その弱さの一つに、歌う時の姿勢の悪さというがあります。とは言っても、別に猫背で歌っているとか、そういうのではなく、歌う姿勢として、あまり良くないというか、普通に立ちすぎているというか、リラックスして楽に立っているだけと言うか、どっちにせよ、息を支えるには不十分な姿勢で立っているので、ダメなんです。

 私の立ち方は、いわゆる“自然体”って奴です。いわゆる“すくっと立つ”って奴で、武道とか格闘技とかの基本的な立ち方です。この立ち方をベースに、足元をしっかりと固めて踏ん張って立っているわけだけれど、これがあまりよろしくないようです。

 息を支えるために、お腹を動かすとかへこますなど、動的な支えを考えるあまり、デフォルトの形がリラックスした自然体になっている私ですが、そこがそもそもの誤りだったようです。あまりに動的な支えを重視し、静的な支えはお腹を固めるものとして避けていた私ですが、静的な支えを避けるあまり、デフォルト状態で、しばしば支えそのものが無くなってしまうという事になっていたようです。

 要のつまりは、静的な支えも考慮した上での動的な支えを重視せよって事で、お腹を固めないまでも、しっかりと支え続けた姿勢で歌わないといけないと言うのです。

 …お腹をひっこめて、内蔵脂肪を肋骨の裏側にしまうようにする…全くのオカルトですが、先生にそう言われました。実際、この姿勢で歌うと、なかなか良いようです。ただし、この姿勢を維持する事に懸命となり、動的な支えが不十分どころか、全然無くなってしまうのが欠点ですが、何事も、過渡期には欲張らない事が大切ですから、歌うときは常にこの姿勢で行きたいものです。

 年を取れば取るほど、声は重くなり、低くなっていきます。だから(すでに老人になっているとは言え)なるべく、声は軽さを求め、高いところが出せるように練習をしていかないといけないわけです。声については、軽さを諦めたり、高さを放棄したから、もうそれでジ・エンドなわけです。

 目指せ! 軽くて甲高いテノールを!

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2014年2月24日 (月)

青薔薇海賊団のコンサートを見てきました

 先日、青薔薇海賊団なる六人組のユニットのコンサートを見に行きました。

 このユニットの正体は言うと、テノール三人とバックバンドっていうクラシック系のユニットなんですね。なので、バックバンドと言っても、その構成は、ピアノ・ヴァイオリン・チェロなんですね。つまり、最小限のオーケストラって感じになります。

 で、肝心のテノール三人と言えば、スペイン音楽を得意とする井ノ上了史氏と、フランス音楽を得意とする上原正敏氏と、ドイツ音楽を得意とする片寄純也氏の三人。もちろん、イタリア音楽と日本音楽は基礎教養って事で、三人とも得意なのは大前提。得意分野がそれぞれに違うので、演奏メニューにも幅が広がるってモノです。

 さらに言えば、テノールとしての声にも違いあって、井ノ上氏が王道であるヒーロー系のテノールであれば、上原氏がHi-Dまで駆使する超高音系のテノールだし、片寄氏は泣く子も黙るヘルデン・テノールなわけです。

 こういう方々が、入れ代わり立ち代わり歌い上げていくのだから、そりゃあ実に楽しいステージです。音楽会に来たと言うよりも、声のサーカスに来たという感じです。それくらい、惜しげもなく、高音のオンパレードでした。

 曲の随所に高音を入れ、最後は高音で盛り上がって、通常の調性よりも、わざわざ高く移調して歌ってみたり…いやあ、聞いている方は楽しいのですが、歌っている方は、大変ですね。合間合間に休憩を入れながらでなければ、とても構成できない舞台であって…だから歌手が三人もいるんだなあと思うし、三人いるから、こういうケレン味のある舞台ができるんだなあって思いました。

 場所は上野の文化会館の小ホールでした。私は大ホールは何度も行った事がありますが、小ホールは今回が始めてです。座席の配置が面白くて、どの席に座っても、舞台がよく見えるし聞こえるホールで面白いなあって思いました。私は、例によって、前から五列目に座って(このくらいの距離感覚が好きなんです)、舞台を良く見て良く聞きました。

 曲目は、日本歌曲あり、オペラアリアあり、トスティあり、サルスエラやピアソラまであって、バラエティに富んだモノでしたが、私が感服したのは、マリオ・ランツァ・ファンタジーでした。20世紀の中頃に銀幕で活躍したアメリカのテノール歌手、マリオ・ランツァのレパートリーをメドレーにして歌うというコーナーです。マリオ・ランツァという歌手は、今のクラシック・クロス・オーヴァーの先駆けっぽい事をやった人で、そのレパートリーも、シナトラあたりが歌ってもよさそうな甘いポピュラーソングにクラシック歌手のテクニックが生きるスパイスをかけてみました…みたいな仕上がりの曲で、今回の青薔薇さんのコンサートを聞くまで、正直、マリオ・ランツァの事を軽く見ていた私ですが、ちょっぴりランツァと、彼が歌った曲について、見直した私です。

 ちなみに、オリジナルのマリオ・ランツァと、彼の代表曲である「Be my love」はこんな感じです。彼の歌を聞いて、パヴァロッティやカレーラスはオペラ歌手になる事を目指したという逸話もあるわけで、そういう意味では、決して軽んじてはならないテノール歌手なんだろうと思います。

 それと、コンサートの最後に歌った「アラウンド・ザ・ワールド」というメドレーはすごかったです。世界各国のクラシック系の名曲をメドレーにして、17分に渡って歌いまくり、高音を出しまくる曲構成は、本音ですっげえーと思いました。いつもコンサートの最後に歌うメドレーなんだそうですが…また次回も彼らのコンサートに行って、このメドレーを聞きたいなあって思いました。

 高音は高音で素晴らしいのですが、片寄氏が歌ったレハールの「君こそわが心のすべて」というオペレッタのアリアは、高い音が無いのに、すばらしい曲でした。この曲、以前にもY先生に薦められた曲なんだけれど、その時は食指が動かなかったのたけれど、これだけの歌唱を聞いちゃうと、自分が歌ってもいいかなあ…と思いますね。ただし、ドイツ語なんだけれど…。チャンスがあったら、この曲を歌ってみようかしら?

 おまけ。東京文化会館は上野にあります。上野って、街が古いんだよねえ…。街が古いと街に色々な澱がたまっているもので、それもまた上野の魅力だったりしますが…レストランに禁煙席がないのは、ちょっと厳しかったです。いやあ、上野って、どこでもタバコが吸える、愛煙家には夢のような街…なのかもしれません。そういう意味では、昭和テイストの街でした。

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2014年2月23日 (日)

園内リサイクル…どこが問題なの?[2014年2月第4週・通算7週]

体重:109.8kg[+0.8kg:-1.6kg]
体脂肪率:31.0%[-0.1%:-0.2%]
BMI:34.7[+0.3:-0.2]
体脂肪質量:34.0kg[+0.1kg:-0.6kg]
腹囲:106cm[+-0.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 こんなニュースがありました

 引用先が消えてしまう事もあるので、簡単にかいつまんで説明すると…横浜の野毛山動物園には『なかよし広場』という、子どもと小動物とが触れ合える施設があって、そこでは、モルモット、ハツカネズミ、ひよこなどが、年間100~数100匹飼育されていて、そこの動物たちは、ある程度成長すると、猛禽類や蛇類、中型哺乳類に餌として与えられるというのだ。それを称して“園内リサイクル”と呼ぶのだそうだ。

 同園では、もともと、モルモットやハツカネズミ、ひよこたちは、それらの動物のエサとして仕入れられ(エサとして手頃な大きさに)成長するまでの間、なかよし広場で飼育されるものという認識なんだそうな。

 それを取材者(AERAだそうな)は「動物園として異常な運用であることは明らかだ」と結論づけ、非難し、断罪しているわけです。

 私はこの記事を読んで、ちょっと違和感を感じました。果たして、異常なのは動物園なのか、それとも、それをを“異常な運用”だと断罪するマスコミなのか、分からなくなったからです。

 動物園には多数の動物たちが飼育されています。それらの動物たちは、それぞれの食性や健康を考えられて、それぞれに適切なエサを与えられているわけです。そして、動物園は、彼らに必要十分なエサを供給するために、日々、それぞれのエサを、適当な手段(専門業者から購入でしょうね)で毎日大量に仕入れているわけです。

 それら動物たちの中には、当然、肉食獣もいるわけで、彼らにもエサを与えなければいけません。

 彼らのエサはなんでしょうか? パンやおにぎりを食べる…はずはありません。だって、肉食獣ですから。だからと言って、ハンバーグやエビフライを食べるわけじゃないです。肉食獣のエサは、当たり前に、生肉です。

 もちろん、人間同様に、ウシやブタ、あるいはウマやヒツジを食べるモノもいるでしょうが、必ずしもすべての肉食獣がそうであるとは限りません。それぞれの肉食獣には、それぞれの食性があるからです。生きたエサしか食べないモノもいるでしょう。魚しか食べないモノもいるでしょう。動物を丸々食べるヤツもいれば、内蔵ばかり食べる奴もいます。大型の動物でも平気で食べるヤツもいれば、小型動物の肉しか食べれないモノもいるでしょう。

 そんな事をアレコレと、専門家である動物園職員さんたちが考えて、日々、エサをやっているわけです。

 専門家さんたちが考えた結果として、肉食獣にネズミ類(モルモットやハツカネズミ)やひよこをエサとして与える事のどこがいけないのでしょうか?

 肉食って残酷だから?

 すべての生き物は、他の生き物を食べて生きているわけです。動物の肉を食べるのは残酷だけれど、植物の実を食べるのは優しい行為だ…なんて事は、植物虐待、植物に対する偏見にしか過ぎないでしょう。植物だって、我々と同様に、地球で暮らす命ある生き物ですからね。

 かわいいモルモットやハツカネズミやひよこちゃんを食べるのは残酷だから? 食べるなら、ウシやブタにするべきだ?

 モルモットは食べてはいけないけれど、ウシは食べて良い…という理屈は私には分かりません。それって、クジラやイルカを食べてはいけないけれど、ウシやブタは食べても良いというのと、同じ屁理屈でしかないでしょう。

 ウシやブタは、食肉用として生産されたものだけれど、モルモットは愛玩動物じゃないですか? それを食べるなんて、かわいそうじゃん?

 エサとして納入されている、モルモットさんたちは、最初から食肉用として生産されている子たちですよ。それと仮にモルモットさんたちが元々は愛玩動物として生産されたものが食肉用に流用されていたとしても、食肉として生産された命と、愛玩動物として生まれた命には、違いはないはずです。どちらも同じくらいに尊い命だから、彼らを食べてはいけないし、同時に食べてもいいんです。

 子どもたちと触れ合った動物をエサにするなんてかわいそうだ?

 もともと、エサとして動物園に納入された動物でしょ? 大きくなるまで、暗い倉庫のようなところで飼い太らされるか、ふれあい動物で面倒みてもらながら、動物園ふれあい動物としての仕事を行うかの違いしかないわけだし、動物園からしても、ただエサをやって何もさせないよりは、短期間でもふれあい動物として世話をする事で、経済的に多少でもバックするわけじゃない? 在庫管理のやり方としては、なかなかクレバーなやり方だと思いますがいかが?

 要するに、反対しているマスコミは、感情論で反対しているわけで、事の本質を理性的に捉えているわけではないのです。単に自分たちが『かわいそう』だと思ったから、それは“異常事態だ”と判断して、声を大にして叫んでいるのです。

 私は感情論が悪いとは思いません。それはそれで立派な個人的な根拠だと思います。でも、あくまでも“個人的な根拠”であって、それで天下にもの申してはいけないと思います。

 ザックリ言えば、自分の感情を他人に押しつけてはいけないし、自分の感情で他人を断罪してはいけません。それって、独裁的な発想だし、人治主義的な考え方だよね。

 無意識のうちに、自分が世界の中心であり、自分の考える事だけが正義であり法であると思っていると、自分の考えや感情にそぐわないモノはすべて“異常なもの”として断罪されて、滅ぼされるんだよなあ。それって、ほんと、怖いです。

 だから私は、この記事を読んだ時に、なんとも言えない違和感を感じたわけです。

 自分は自分で自由に物事を考え判断し行動してよいように、他人は他人でそれぞれに自由に考えて行動してもいいのです。そして、自分と他人の自由が抵触するような場合は、法というルールに従って、事の善し悪しを決めていく…ってのが、いわゆる民主主義社会だし、法治国家に暮らす市民って奴でしょ。

 でも、マスコミって、そこからしばしば逸脱するよね。しばしば、上から目線で他人様を断罪するし、自分の意見だけが正しい意見であり、自分こそが正義の見方であるかのようなカモフラージュをするよね。

 昔は、報道をする人って理性的で、公正で、誰に対しても平等なモノだって、教わりました。だから、マスコミの言うことを我々市民(愚民?)は信じていたわけだけれど、昔のマスコミはともかく、今のマスコミって、理性的でもなければ、公正でもないし、偏向報道が得意な、平等とは遠いところにいる人なんだよなあ。

 でも、そんなマスコミでも、やっぱりいないと困るのんだから、マスコミさんたちは、しっかりして欲しいと思います。

 しかし、野毛山動物園の裏側をあばくエネルギーがあったら、マスコミさんたちは、もっと他に、切り込んで暴いていかなければいけな悪があるんじゃないかな? 街の動物園を叩いて、何か良いことでもあるのかしら?

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2014年2月22日 (土)

アズニャンがやってきました

 残念な事に、先週、ナゴンが星になってしまいました。金魚という生き物は、居住空間に余裕ができると、その余裕を埋めるように、残った子たちがそれぞれにカラダを大きくしてしまうという習性があるので、星になったナゴンの喪に、うっかり服しているわけにはいきません。そんな事をすると、ますますサクラが巨大魚になってしまいます。

 そんなわけで、さっそく、ナゴンの後釜を迎え入れることにしました。

 で、やってきたのが、アズニャン。本名をアズサ(梓)と名付け、アズニャンと呼ぶことにしました。なんか、おバカな感じがいいでしょ? ちなみに、あずにゃんは良い匂いがするそうだけれど、アズニャンは魚臭くて良い匂いとは言えません(笑)。

 一応、アズニャンは三色金魚です。東錦です。ホントの本当に東錦です。ナゴンは、どう見ても三色琉金でしたが、店のジイサンが「東錦!」と言い張っていました。でも、アズニャンは誰がどう見ても東錦で、三色琉金ではありません。

 ちなみに、東錦と三色琉金は、魚体が違う(三色琉金は琉金体型で、東錦はオランダ獅子頭体型だ)し、ウロコも違う(三色琉金は普通のウロコ、東錦は透明ウロコだ)し、頭部の肉瘤の有無(当然、東錦には肉瘤があり、三色琉金にはありません)の違いだってあるし、ほんと、分かりやすい違いなんだけれどなあ…。

 ちなみに、お値段は、三色琉金と東錦では、結構違います。ちなみに、アズニャンは、1480円でした。東錦としては、ごくごく標準的なお値段です。

 大きさは…毎度のごとく、新入り金魚は小さいですよ。サクラ、キキョウ、ホノカのいずれの頭部よりも、アズニャンの全身の方が小さいですね(笑)。

 ちなみにアズニャンは、かなりのチキンな金魚で、最初の頃は、それこそ見ているだけでかわいそうになってしまうくらいに『人間こわい』『他の金魚こわい』『ドジョウさん、こわい』って感じで物陰に隠れて、じっとしていました。なにしろ、エサをあげても、なかなか食べに来れないくらいに、ビクビクして、周囲を警戒していたくらいですからね。

 でも、さすがに、二日目には、恐々とエサを食べにくるようになり、三日目には、姿を隠さないようになりました。でも、だからと言って、水槽の中を堂々と泳いでいるかと言えば、そこまでふてぶてしくもなれず、まだ借りてきた猫のように、おとなしい感じです。

 まあ、暴れん坊よりは、ビビリの方が飼い易いので、いいのですがね。

 と、言うわけで、アズニャンです、よろしくお願いします。

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2014年2月21日 (金)

楽器を使って歌うためのメトロノーム練習について

 今週はフルートのレッスンが、先生のご都合でお休みでした。まあ、たまにはそんな事もあります。

 なので、今週もフルートエッセイでお茶を濁したいと思います(笑)。

 フルートの練習で、メトロノームを使用するのは、もう当たり前中の当たり前。カチコチ鳴り響く音に合わせて演奏できると言うのは、最低限の条件ですね。

 いつでもカチコチ、どこでもカチコチ。吹奏楽とかポピュラー系のフルートを学んでいる人にとっては、ほんと、基礎基本の練習です。

 でも、多くの人は、そこまでなんですね。カチコチ鳴るメトロノームに合わせてフルートを吹くだけ。そこから先の練習をしないんです。

 そこから先の練習とは“メトロノームを使って歌う”練習です。別に歌うと言っても、声を出して歌を歌うのではなく(これはこれでフルートにとって大切な練習です)“フルートで歌を歌う”練習です。

 私が前に師事していた笛先生は、ジャズの人でした。いわゆるポピュラー系の音楽のプロだったわけですが、この先生は、とにかくメトロノームでの練習を義務づけていました。

 この先生がよくおっしゃっていた事は…フルートを吹く上で絶対にやってはいけない事は『ミスブローをする事』でもなければ『演奏から落ちてしまう事』でもなく『音楽を止めてしまう事』だ…と何度も何度も教わりました。だから、フルートを吹いていて、例えミスをしたり、演奏から落ちてしまってもいいんです。いやいや、それどころか、場合によっては作曲しちゃってもいいんです。でも、絶対に音楽を止めてはいけないのです。

 だから、一度メトロノームを鳴らしたら、吹けようが吹けなかろうが、強制的にメトロノームのテンポに合わせて、音楽を推進していく事を徹底的に習いました。

 ちなみに、今のH先生はクラシックの人なので、ミスブローは許してくれません。ミスブローをすると、すぐに演奏を止めて、やり直しをさせられます。先生の違い、音楽ジャンルの違いで、こうも違うのは楽しいですね。

 話を戻します。

 メトロノームを使って歌う練習は、笛先生から習いました。一定テンポで吹けない人は演奏の現場では使えないそうだけれど、歌えない人も同じくらい使えないんだそうです。とにかく、フルートであっても、歌・歌・歌なんですね。

 だから、一定テンポで吹き続ける事と、フルートを歌わせる事の両立ができないとダメって事なんです。

 練習方法は色々とありますが、私がよくやったのは、例えばテンポが120の曲があったとするじゃないですか? そうしたら、メトロノームのテンポを60に設定して、2拍目と4拍目、つまり弱拍の時にメトロノームの“カチッ”が鳴るように演奏するんです。つまり、強拍の部分は自由に吹いて良しって事なんです。このやり方で練習すると、確かにフルートで歌いやすくなります。これは主に、ジャズなどのオフビート系の曲の練習の時に使います。

 ほかにもやり方は色々ありますが、私が比較的、好んだやり方は、テンポ120の曲があったら、メトロノームのテンポ30に設定して、1拍目の時に“カチッ”と鳴らすように演奏するやり方。このやり方は、ロックとかボサノヴァなどのオンビート系の曲の練習の時に使います。もっとも、笛先生ご自身は、ロックやボサノヴァでも、オフビート系の2拍4拍でメトロノームを鳴らして練習するそうだけれど。

 こういうメトロノームの使い方をしていると、次第次第に歌えるようになるそうです。
 それでもなかなか歌えない人は…やっぱり本当に自分の声で歌っちゃう事が大切なようです。それは笛先生ではなく、ヴァイオリンのヒイロ先生から習いました。

 ヒイロ先生もジャズの人でしたから「歌えないヴァイオリニストなんて、いるだけジャマ」と言い切ってましたね。ですから、レッスンの時は、楽器を持つ前に必ずこれから弾く曲を歌わされました。で、ちゃんと歌えないと楽器を持たせてくれなかったんですね。で、歌い終わると「今歌ったように弾いてみてください」って言われました。

 そう考えると、面白いのは“歌”の練習です。声楽の練習では、絶対にメトロノームは使いません。もちろん、曲のテンポを知るために、メトロノームをカチカチならしてテンポを確認する事はやりますが、実際に声を出す場面になると、メトロノームを切っちゃいます。と言うのも、歌って気持ちよく歌うと、必ずメトロノームとズレるからなんです。なので、あえてメトロノームを使いません。

 フルートでもクラシック系のフルートのH先生は、ロングトーンとかメカニカルな指の練習の時はメトロノームを使うし、私にもメトロノームを使って練習するように言いますが、ちょっとでも音楽的なフレーズを吹く場面になるとメトロノームを切ります。たぶん、これも同じ事なんだと思います。

 メトロノームに合わせて吹けるようになるのは、とても大切な事ですが、その先の練習をしないと、いつまでたっても、フルートで歌えるようにはならないと思います。

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2014年2月20日 (木)

風邪ひきとフルート練習

 皆さんは、風邪をひいた時、あるいは風邪気味の時のフルート練習はどうしてますか?
 もちろん、高熱を出したり、下痢ピーピーだったりした時は、フルート練習どころではなく、しっかり休んで、病気を治す方が先決ですが「ちょっと風邪気味」とか「ちょっと熱があるかな?」程度だと、なんかフルートを吹きたくなりませんか?

 私は、そんな風邪気味っぽい時は、歌の練習はできない(下手に歌って、声帯に損傷を与えたらオオゴトですからね)ので、その分、フルート練習を多めにやります。

 まあ、楽器が風邪菌だらけになるかもしれませんが、どうせ私しか吹かないので、衛生的には問題ないだろうし、総銀楽器なので、菌には強いだろうと勝手に思ってます。ほら、除菌には銀イオンがいいんでしょ(笑)。

 私的には、風邪も軽度なら、フルートの練習をした方が回復が早いような気がします。おそらく、フルートの練習って、呼吸を深くすることにつながるわけで、私の風邪って呼吸器にダメージが来る事が多いので、それが良い結果になるのかなって勝手に思ってます。あと、血行が良くなるのもよいのかな?

 フルートを吹くのって、かなり軽めの有酸素運動になるんじゃないかなって思ってます。この“かなり軽め”って部分が、風邪ひきさんにはちょうどよいのかなって思ってます。

 で、ガンガン、フルートを吹いたら、ぷいっと寝ちゃう。こんな感じ。

 しかし、風邪ひきさんの時のレッスンは…ちょっと遠慮しちゃうかも。もちろん、出歩くのがシンドイと感じる時は、レッスンを休むわけだけれど、自分自身は平気でも、ちょっと熱があったり、咳き込んでいたりする時は、先生に風邪をうつしてしまう事を心配します。だって、私は具合悪くなれば休めばいいけれど、先生は具合悪くなっても休めない人だからね。ちょっとは気を使ってあげてもいいかなって思ってます。

 もちろん、それ以前に、なるべく風邪をひかないように健康管理をしています。だって、風邪ひいて寝込んじゃうと、自分が大変だものね。

 と言うわけで、今回の記事は短めですが、勘弁してください(風邪気味なんすよ)。

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2014年2月19日 (水)

カデンツァは封印です

 さて、今回の記事は前回の声楽のレッスンの続きになります。

 曲の練習に入りました。最初の曲は、トスティ作曲「Sogno/夢」です。

 言われた事は『(手を)抜かない』『しっかりすべての音を歌いきる事』です。私の歌は、録音を聞けば自分でも分かるのですが、結構凸凹な感じに聞こえます。しっかりと歌えているところと、歌えずに(無意識に手を)抜いている箇所があります。

 ところどころ抜けてしまうのは、支えが緩んでしまうからです。なので、気を抜かず、手を抜かず、支えを緩めずに、しっかり歌いましょう…という練習を何度もしました。

 それがようやく出来る様になると、次は気合を入れずに歌う(根性で歌わない)練習(笑)をしました。

 この曲には何度か高いGが出てきます。私的には、Fisまでは通常音域なんですが、半音上のGからは、高音であって、通常音域の外の音という意識があります。ですから、高いGが出てくると、頭の中にはエマージェンシーコールが鳴り響き、気合を入れて歌ってしまうのですが、それではダメだと先生はおっしゃるわけです。

 「Gなんて、全然高くないですよ。高くない音で、そんなにキバってしまってはおかしいです。ここはサラっと歌う場所で、しっかりGを出す必要すらないんです。Gなんて、ちょっとペロってとナメる程度歌えればいいんです。もっと気楽に歌ってください」と言われても、人間、そう簡単にはできません。

 そこで、両手をグルグル廻しながら、当該箇所を歌うことになりました。つまり、歌いながら腕を廻すことで、発声に集中しないようにするわけですが…効果はテキメンです。

 まあ、結論から言えば、Gを声を張らずに、普通にサラッと歌えばいいんです。だって出来るんだもん。なのに、ハートがチキンだから、Gはついつい声を張ってしまうのです。

 「この曲は、どこでも声を張る必要はないですよ」との事です。そうですね。

 「息の流れはとてもよくなりました。しかし、相変わらず支えが弱いです。特にメロディが上に向かっている時の支えが弱いです」と言われました。そこで言われたのは、メロディが上向する時には、1音1音カツーンと歌う(これ、キング式発声ですね)のではなく、支えの音をしっかりと聞かせながら、なだからに歌う方が音程も良くなるし、耳障りもよくなるのだそうです。

 と言うわけで、しっかりと支えの音を聞かせながら歌う練習をしました。これ、言葉で書くと簡単そうですが、やってみると難しくて、なかなかうまくできません。はあ~。

 と言うわけで、この曲は、また今度、となりました。

 さて、次の曲、トスティ作曲「April/四月」です。

 まず注意されたのは、フェルマータの扱い。私はどうも流れで歌いたい人なので、フェルマータの箇所で飛び出してしまいがちですが、フェルマータの箇所は、しっかりと立ち止まらないといけません。特にピアノの音にフェルマータがかかっている箇所は、ピアノの音がしっかり消えるまで待たないといけません。待たずに飛び出すと…事故に遭います(笑)。こういう箇所は、カラオケで練習していると、うまく練習できないんですね。

 カラオケで練習と言えば、私、この曲の速さをメトロノームで52の速さで練習していたのですが、どうも先生のピアノが速いので、ちょっと疑問に思って譜面を見ていたら、この曲、四分音符が52ではなく符点四分音符が52でした。つまり、四分音符に換算すると、約80ぐらいになります。そりゃあ、80の曲を52で練習していれば、速く感じるよなあ…。

 で、速さとフェルマータの問題をクリアしたところで、次はリタルダンドにひっかかりました(涙)。リタルダンドはしっかりとスピードを落として徐行しないといけないんですね。ここも、勢いで歌ってはいけません。

 “e l'Aprill”の部分は、一回目は夢見る気分で歌い、二回目は現実に戻ってしっかり歌うのです。そして、二度目の“e l'Aprill”は、そのままブレス無しで“E la stagion d'amore”に続きます。ブレスコントロールがとても難しい箇所です。何度も何度も練習しました。

 そして、その先にある“su, prati'n fiore”の箇所は、しっかり支えの音を聞かせて歌い、そこから続く三度目、四度目の“e l'Aprill”は食い気味に歌うモンだそうです。食い気味に歌うのは、アクセントを付けるのではなく、時間的に前倒しにして歌うのだそうです。それも、あくまでもレガートのままで。

 このあたりはいわゆる曲のサビなんですが、私はサビになると、気合やら気持ちやらが入ってしまうタイプの人なんですが、それは演奏的にはともかく、発声的には良くないのだそうです。と言うのも、声に感情をいれると、人のノドは、その構造上、どうしても絞まるものなんだそうです。ノドが絞まって、苦しげに歌うからこそ、観客はそれに感動するものなんだそうです。

 理想は、発声は楽々とノドを開放して行い、歌う演技(顔とか態度とか)で苦しさ(ってか感情)を表現するのがよいのだそうです。コレッリはこれをやったので、客受けがよかったのだそうですし、何でも歌える歌手になったけれど、パヴァロッティはこれをやらずに発声至上主義的な歌い方をしたので(若い頃は特に)レパートリー的には制限が生まれた(だって、あの人、苦悩の人は歌えないでしょ)のだそうです。

 もちろん、一番ダメなのは、本当にノドを絞めて、発声する事なんだそうです。

 で、私はその一番ダメなやり方をやっているわけですね。反省です。

 最後は、ヴェルディ作曲「リゴレット」の「Quests o quella/あれかこれか」となりますが、私がまだ譜読みを完了していないので、今回はパスとなりました。

 で、先生から「この曲は、カデンツァがあるけれど、そのカデンツァは横に置いて、ひとまず楽譜通りに歌えるように練習してきてください」と言われました。ううむ、カデンツァ封印…すごく残念。だって、この曲は、曲本体よりもカデンツァの部分が歌いたいんだもの…(涙)。一番、歌いたい部分を封印されて、オアズケされると…残念残念残念です。

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2014年2月18日 (火)

ファルセット開眼!

 さて、声楽のレッスンに行ってきました。

 レッスンのために、先生のお宅に向かって移動していったわけですが、先生のお宅に近づいたところで、なにやら大きな歌声が聞こえてきました。もちろん、先生の歌声ですが…音楽室は防音しているはずだけれど、こんなに離れた外にいても、よく聞こえるなんて…人の歌声ってすごいですね。

 さて、先生が歌っていたのは、バリトンの曲ではなく、テノールの曲でした。プッチーニ作曲の「トゥーランドット」の中のアリアで「Nessun dorma/誰も寝てはならぬ」でした。もしかすると先生、次に私に歌わせるたいと思っている曲は、これなのかな?

 「Nessun dormaは、最後の最後にHが出てきて、大変な曲ですよね」

 「でも大変なのは、そこだけで、後は簡単でしょ?」

 と言うわけで、先生はご自身でこの曲にチャレンジしてみたそうです。でもやはり、バリトンさんには厳しかったみたいで「やっぱり、出なかった(てへっ)」って感じになりました。

 バリトンさんに簡単に歌えてしまったら、テノールの存在意義がなくなるので、なんかホッとしました(笑)。

 さて、レッスンです。

 まず最初はハミングで先生とハモる練習から始めました。ピアノが和音を弾くので、私と先生が同時に違う旋律を歌って、ハモる練習をしたわけです。いやあ、実は私、ハモリが苦手だったりするんです。

 私、これでも結構気が小さい(笑)ので、他の人と歌っていると、ついつい相手に釣られてしまい、最初は違う旋律を歌っていたはずなのに、いつのまにか相手と同じ旋律を歌ってしまうという、意志薄弱な歌しか歌えなかったんですね。もちろん、これは声楽をマジメに勉強する前の話ですが、気の弱さは歌を習ったからと言って、そう簡単に変わるわけではありません。一生懸命に先生の歌に釣られないように、気持ちをしっかり持って歌いました。気持ちをしっかり持つついでに、ついつい気張ってしまい、ノドに力が入ってしまいます。ノドに力が入ると、音程がズリ下がるので、結果的にキレイにハモれません。ああ、なんて残念な。結構頑張ったんだけれど、後で録音を聞くと、結構惜しい感じになってました。

 ハミングの後は、実声で発声練習です。「しっかりとノドを開けて!」と何度も何度も注意されて、しっかりノドを開けて歌っていると、ムショウにノドがかゆくなります。かゆくてかゆくてタマリマセン。それでも我慢してい歌っていると、やがてかゆみの頂点に達してしまって、思わずむせてしまいます。一度むせると、ノドが痛くなります。

 どんなにノドがかゆくても、やがてかゆさに慣れるのですが、その慣れるまでがつらいです。きっと、毎日の自宅練習でしっかりノドを開けて歌っていたなら、こんなにかゆさに負けることはないのでしょうが、自宅では、レッスンのように、きちんとノドを開けて歌えないのですね。ああ、残念だ。

 実声で発声練習をした後は、ファルセットで発声練習をしました。ファルセットですよ、ファ・ル・セ・ッ・ト。そう、ファルセット、つまり裏声で発声練習です。

 実は私、つい最近までファルセットで発声練習どころか、ファルセットそのものを出すことができませんでした。なぜ出せなかったのか…その理由は、今ならわかります。それは、ノドに力が入りすぎて、声帯がガチガチに固まっていたので、声帯の薄い部分を使うことができず、結果としてファルセットが出せなかったんですね。なにしろ、ファルセットは声帯の一部分しか振動させませんから、力を入れてガチガチに固めてしまうと、そんな細かいこと出来るわけないですからね。

 それがY先生に師事する様になって、約1年。ようやくノドの力みが取れ始めて、ファルセットで歌えるようになりました。実にうれしい事です。

 ファルセットを使うと、通常音域よりもだいぶ高い音で歌うことになります。男性の場合は、ほぼ女声音域で歌うことになります。しかし、音域的には女声的であっても、所詮は男声ですから、女声とはだいぶ違って“極端に高い男声”になるか“オカマ声”あるいは、ちょっと人間離れした“河童声”って奴になるのが普通です。

 いわゆるカウンターテナーやソプラニスタの声の魅力は、女声音域の声でありながらも、女声にはない力強さがある事でしょう。おそらく、今や現存しないカストラートの声は“力強い少年の声”なんだろうと思います。

 つまり本来、男声がファルセットで歌っても、あくまでも男声のままで、決して女声っぽく聞こえないのが普通です。、

 さて、私が(ほぼ始めて)ファルセットで歌ってみた感じですが、歌っている最中から、すでに「なんか、私の声って、可愛くない?」と思いながら歌っていましたが、後で録音を聞いてびっくり! 私のファルセットの声って、全然、裏声っぽくないんですよ。

 どんな声だったのかと言うと、私のファルセットは、ほぼソプラノ(笑)。

 とにかく、録音を聞いていると、全然男っぽさがなくて、普通に優しい感じの女声なんですね。力強さのかけらもなく、繊細な感じの女声に聞こえるんです。いやあ、録音を聞いて、本当にビックリしました。だって、全然、私の声じゃないんだもの。私には姉妹がいないけれど、もしもいたら、こんな歌声なのかなって、一瞬思ってしまったほどです。

 ま、私のファルセットには、力強さが大いに欠けているって事なんだと思います。

 でもね、「ファルセットの方がいいですね…」と先生に言われたのは、かなりのショックでした。

 そして「ファルセットで歌っているような感じで、実声でも歌ってください」と言われて、実声で歌うと「やっぱりファルセットの方がいいですね」って言われてしまいました。凹むなあ…。

 私のファルセットがソプラノっぽく聞こえるのは、なにしろ、ファルセット初心者ですから、ファルセットに慣れてなくて、それで実にひ弱な声で歌ってしまったからだと思います。ただ、単にひ弱な声ってわけではなく、一応、口腔の響きで拡声して歌ったわけですから、歌い慣れない女声のような声になったのだと思います。

 まあやがて、ファルセットにも慣れて、声に力強さが加われば、カウンターテナーとか、ソプラニスタにもなれるかな? もしもテノールとしてダメだとしても、カウンターテナーとしてやれるかな(笑)。

 …ってか、ファルセットありきで考えちゃダメか。まずは実声をきちんと鍛えて、ちゃんとしたテノールになる事を考える方が先決だね。

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2014年2月17日 (月)

フルートの頭部管練習って、本当に必要?

 よく吹奏楽部などでは、新入生のフルートちゃんたちに“フルートの頭部管練習”と言うのをさせますが、これって本当に必要なのかな?って、私は常々思っております。

 私が理解し、納得するのは“金管楽器のマウスピース練習”って奴です。これは分かります。学校の吹奏楽部では、楽器の数に限りがあるわけだし、すべての新入部員に楽器をあてがえるわけではありません。残念ながら、ある程度、数がしぼれるまでは楽器を使わせてあげられないという事情があります。しかし、だからと言って、新入生たちに練習させないわけにはいかないので、マウスピースでの練習をさせるわけです。

 楽器本体と違って、マウスピース(彼らはよく“マッピ”と呼んでますね)は基本的に個人持ちの学校も多いので、マウスピースなら数に不足はないわけです。

 それに金管楽器はやたらと大きな音がしますが、マウスピース練習なら、さほどの音量にもならない事も、良い点かもしれません。

 で、マウスピース練習散々させて、それでも音が出せない子(つまりラッパ適性のない子)には、違う楽器にまわってもらったり、別の部活に移動してもらって、部員の調整をするわけですから、金管楽器でのマウスピース練習の必要性は、よく分かるんです。

 でも、フルートの頭部管練習の意味は、全然分かりません。

 フルートの頭部管は、金管楽器と違って、楽器そのものであって、マウスピースとは違って、普通はそれのみでの購入はしません。少なくとも、吹奏楽部の初心者フルートちゃんたちは、頭部管だけを買うなんて事は絶対にしませんし、頭部管練習をする時は、学校(あるいは自分持ちの)楽器の頭部管を使ってやります。なので『楽器の不足をマウスピース練習で補う』って事は全くできません。

 フルートは楽器として吹いても、頭部管だけ吹いても、音量差は特にありません。

 フルートの頭部管練習で、音の出せない子は、おそらくフルート適性がない子でしょうが、それは別に頭部管練習でなくても、最初からフルートという楽器を丸ごと与えて練習しても分かることだと思います。

 フルート丸ごとだと「フォームが…」「三点支持が…」という声も聞こえそうですが、それこそ、それらも含めてのフルート適性じゃないかな?

 だいたい、頭部管だけを与えて練習させるよりも、きちんと正しく組み立てたフルートを正しいフォームに構えさせて吹かせた方が、初心者たちは楽に吹けるんじゃないかな?

 とにかく、私はフルートの頭部管練習の意味が分かりません。

 以前習っていた笛先生は「頭部管練習? やりたいですか? 練習の意味は特にありませんが…」と言って、私に頭部管練習をさせてくれませんでした。今のH先生もうかがったところ、生徒さんに頭部管練習をさせた事ないそうです。「頭部管だけ吹いていても、つまらないでしょ?」と言われました。

 世の中には色々な考えの人がいます。自分とは違っているからダメなんて事は、私は考えません。いやむしろ、自分には気づかない事に気づいている事からこそ、意見が違っているって事だってあるはずなんです。

 私はフルートの頭部管練習の意味が分かりません。ですから「フルートの頭部管練習は、絶対に必要だよ。やらないなんて理解できないね」という人がいても、全然OKだと思ってます。ただ、そうおっしゃる人なら、頭部管練習をする意味とか意義とかが、よくお分かりになっていらっしゃると思います。私はそれが知りたいのです。

 だから、今回の記事は、ケンカを売っているのではなく「無知蒙昧な私の目を開かせてください」って、ノリなんですね。

 ご意見コメント、お待ちしております。

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2014年2月16日 (日)

なぜ入試は二月なのか?

 えーと、今週はとても忙しくて、体重を計測する暇がなかったので、体重報告は無しです。私はストレスで太る人間なので、こんなに忙しいと体重が増えていそうで、とてもイヤです。

 さて今週のエッセイです。

 ただ今、二月です。入試シーズン真っ盛りで、色々な学校で入学試験を行っております。

 毎年、この入試シーズンになると思う事が「なぜ、入試を二月に行わなければならないのか?」って事です。

 だって、二月って、冬じゃん。寒いよね。寒くて雪が降るじゃない、どうして雪の中、大変な思いをして入試をしないといけないんだろ? まあ、北国の方にとっては、雪は日常だから、大変と言ってもなんとかなるのかもしれませんが、首都圏のように雪に慣れない地方は、雪が降ると、ほんと大事です。特に今年は2月8日と14日を中心に二度も大雪が降り、多くの学校で入試の開始時間を遅らせる(遅刻対策ですね)とかをしていました。

 なぜ、そんな大変な目にあいながらも、毎年、二月に入試をやるのでしょうか?

 さらに言えば、二月と言えば、寒くて病気にもなりやすい時期です。今年は、インフルエンザーとノロウィルスが猛威を振るっていました。一年間、一所懸命にがんばって努力して勉強してきたのに、入試当日にインフルエンザやノロウィルス、いや、そんなにおおげさな病気でなくてもいいのです。単なる風邪での発熱であったり、雪道で転んで大怪我をして、そのために、せっかくの入試を棒に振ってしまう受験生だって、毎年、相当な数いるはずです。

 なのに、なぜ二月に入学試験を行うのでしょうね。

 …それは学校の入学式を四月に行うからです。

 ではなぜ学校の入学式を四月に行うのかと言えば…『桜の季節に入学式を行いたいから』でしょう。もう一つの理由を付け加えるなら『学校の年度の開始が四月だから』でしょうね。そこから逆算して、入試の時期を決めると…二月のとても厳しい時期になってしまうのでしょう。

 四月に入学式を行うのは、世界的に見れば、珍しい事で、実に多くの国で、入学式は9月とか10月とかの秋に行うようです。どこの国の学校でも、夏には長い夏休みというものがあるので、その夏休みの前に学年を終え、ヴァカンスを楽しみ、夏休み後に心機一転、新しい学年に入るという、なんとも当たり前の学校生活のスケジュールが組まれているため、入学も秋になるのだそうです。

 これって、極めて、当たり前のスタイルのような気がするし、実際日本でも、明治の最初の頃は、この流れだったはずです。しかし、やがて、日本では、入学式を秋から春に変更していくことになりました。まあ、そこにはひと言では書けないほどの色々な理由があることは分かりますが、だからと言って、入試を二月にやる必要はない…と私は思います。

 入学式は四月のままだとしても、入試はもっと良い季節にやっても、いいじゃん。

 例えば、入試を秋にやるんじゃダメ? もちろん、日本には台風がやってくるので、夏に近い秋ではダメですが、冬に近い秋なら、季節的にも落ち着くだろうし、寒さもまだまだ余裕があるので、雪が本格的に降る前に入試をしちゃえばいいじゃない?

 あるいは、真夏にやっちゃダメ? いくら真夏は暑いとは言え、今の日本にはエアコンという便利なものがあるので、室内は快適でしょ? 夏の暑さは入試の敵にはならないと思うし、いっそ、夏に試験をやるのもいいんじゃないの?

 いやいや、季節の事を考えるなら、いっそ春に入試をやるのが良いのでは?

 …結局、冬以外なら、どの季節に入試をやっても、良いのです。裏を返して言えば、冬に入試をやる事自体が、過酷すぎるんですよ。

 …入試があんまり早いと、入試後に、学生たちが勉強をしなくて困ります。入学式を春の桜のシーズンに行う以上、入試はせいぜい、その1~3カ月前の範囲で行ってもらわないと困るのです…って声が聞こえてきそうです。そんな事を言っている限り、永遠に入試は二月に行い続けることになりそうです。

 やっぱり、学校の入学式を、世界標準の夏休み明け、つまり九月に設定し直さない限り、日本の青年たちは、過酷な二月に入試を受け続けなければいけないのかな? なんか、おかしいような気がするし、受験生という弱い立場の人間に色々なしわ寄せが行っているような気がします。

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2014年2月15日 (土)

ナゴンが星になりました

 いやあ、ついさっきまで元気に転覆泳ぎをしていたと思ったら、突然、電池が切れるかのように動きが止まってしまって、星になってしまいました。ナゴンは、最後の最後まで、転覆こそしてましたが、元気でした。ある意味、ピンピンコロリでした。

 ナゴンが我が家にやってきたのは、一昨年(2012年)の9月。そして、ナゴンが転覆したのは、去年(2013年)の11月でした。我が家にやってきて、約1年元気で暮らし、三ヶ月ほど病んで星になりました。

 物静かで、賢い子でした。転覆しても、チャンスさえあれば、正常位を取ろう努力し知恵を使っていました。そういう意味では、生きることに貪欲だった子だったのかもしれません。

 湘南地方が大雪になった日、2014年2月14日のバレンタインデーに、雪をかきわけて埋葬しました。

 バイバイ、ナゴン。

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2014年2月14日 (金)

ウチには体温計が無い!

 フルートのレッスンに行ってきました…小1時間ほどの遅刻で。それも先週レッスンを休んだので、二週間ぶりのレッスンだし、その間、ほとんど練習らしい練習もしないままの状態でレッスンに臨みました。ほんと、ダメな生徒だな。

 とにかく、お教室に入った段階で、まるで悪霊にでも取りつかれているかのようなダルダル感でした。今、自分が病気になっているのか、それも単純に寝不足なだけなのか、それとも疲れ切っているのかの判断が全くつきません。ただ、ただ、ダルくて眠いのです。

 そんな状態でのレッスンでした。さすがに、家を出る時、妻にはレッスンを休むように言われたけれど(たぶん)病気でもないのにレッスンを休むわけにはいかないじゃないですか。こういう時に、マジメな性格の自分が恨めしいです。

 お教室に入ると、先生はゆっくりとコーヒーを飲んでらっしゃいました。こういう時って、たいてい、すでにご自分の練習を終え、持ってきた本も読み終わり、近所の店での買い物も終え、事務局の人たちとのおしゃべりにも一段落した頃なんですよね、つまり、とってもとっても、先生をお待たせしてしまったというわけです。

 私がお教室に入って、フルートを組み立てるやいなや「さあ、すぐに始めよう」と言って、私がフルートを温める時間すらくださいませんでした(驚)。

 ヒャッコいフルートは、なかなか気持ち良いです。どんよりした気分もちょっとだけスカッとします。ロングトーンはいつものように、バッチグーな感じでした。

 さて、アルテの15課は、最終章である10章です。Cis-durの5番「Cis-durのクロマチック」が宿題として課せられていました。これ、楽譜を見ずに吹けば楽勝なんですが、なまじ楽譜を見てしまうと、頭の中がグシャグシャになり、指がもつれてしまうので、ついに今回は、楽譜を“見ているふり”をして、楽譜を見ないで、耳と指の勘だけで吹いてしまいました。そりゃあ、見事なモンですよ。もちろん、合格しました。

 で、次のセクションであるais-mollに入りました。6番と7番は合格。自分的にも上出来だったと思ってます。8番の「ais-mollのスケールとアルペジオ」はちょっぴり指が戸惑いました。2~3度やり直して、フラフラの状態で、やっと吹き切りました。実は、この課題に取り組んでいた時、私のカラダから、半分ほどタマシイが抜けていたんですよね。そのタマシイが半分しかない状態なのに、よく頑張ったと、自分では思ってますが、結果はあまり良くなかったです。

 当然、不合格で、次回の宿題になるかな…って思っていたら、先生、合格をくださいました。さすがに「いいんですか?」と尋ねちゃいましたよ、私(笑)。そうしたら「この課題だけで、一週間を過ごすなんて、モッタイないから、これはこれで合格。さっさと次の調に入りなさい」というわけで、宿題として出されたのは、Ces-durです。Ces-durのロングトーンと、1番の「音階準備練習」が宿題として出されました。Ces-dur…bが七つだよ(笑)。一体、何をどうせいと言うのでしょうね。こんな調、フルートで吹いても、ちっとも美しくない…って思うんだよなあ、私。でしょ?

 さて、ガリボルディは、プチ・エチュードです。3番です。ひとまず通して吹いてみましたが「実にガタガタな演奏だね」と言われちゃいました(汗)。ま、練習不足の吹き込み不足って事ですね。

 例によって「中音のレをいいかげんにマスターしなさい」と言われ「楽譜を鵜呑みにせず、自分のアタマで考えながら曲を吹きなさい」とムチャな事を言われ、楽譜には何も記号は書いてないけれど「そこは当然、テヌートでしょ。そっちはスタッカートで吹きなさい。それくらい、分かるでしょ」と言われ、ブレスをしちゃいけないところでした(ブレス記号、書いてあるよぉ~:涙)と言って叱られ、そこは当然ブレスでしょと、何も書いてないところでブレスをするように怒られ…ああ、叱られている内容の半分も理解できません。なので、このブログに具体的に書くことすら出来やしない…。

 とにかく、そんな感じでダメオヤジっぽりを発揮してきました。

 ウチに帰ったら、オリンピックでも見ようかな(遠い目…)。

 さて、今週の雑談です。

 なんで、先週休んだの?って聞かれましたが、単純に仕事が忙しくて、レッスンの時間になっても、職場にいたのでレッスンに行かれませんでしたと答えました。実際、ここ数週間ばかり、私は殺人的に忙しいスケジュールをこなしております。あんまり忙しすぎて、インフルエンザにもノロウィルスにも嫌われているようです。常時、発熱し頭痛に悩まされておりますが、これは過労による知恵熱の発熱と頭痛ですから、実に元気元気な私だったりします。

 でも、ほんと、疲れているんだよね。時折、恋をしているわけでもないのに、胸が苦しかったりするので、ちょっとマズいかもって思う時、あります。

 「仕事、休んだりするの?」と尋ねられましたが、私、全然休んでいないんですよね。年が明けてしばらくしたあたりから、ほぼ毎日出勤しています。どんなに具合が悪くても、一度出勤して、職場であれこれ指示を出して、ハンコついて、ダンドリを決めて、それから家に帰って休んだり、休日だったら、遊びに行ったりしています。いやあ、実に働き者だ、コストパフォーマンスがかなり良いゾォ。その代わり、カラダはガタガタだゾォ~。

 そんな話をしていたら、H先生「私なんて、ここんとこずっと、正月休んでいないよぉ」と対抗してきました。なんでも、年末の第九コンサートから、大晦日のジルべスターコンサート、1月も2日になればニューイヤーコンサートって奴があって、本当に忙しくって、お酒を飲む暇もなければ、病気になる余裕もないとおっしゃっていました。

 特に病気はなれないし、仮になっても、仕事に穴を開けるわけにはいかないので、どんなに熱があっても、根性で仕事に行っちゃうんだそうです。

 なので、H先生のお宅には体温計というものが無いのだそうです。だって必要ないんだもの。

 なにしろ、H先生のお宅では、ご自分の体温を計る理由がないんだそうです…例えば、具合が悪いような気がして、体温を計っても、熱なければ仕事に行くわけだけれど、たとえ熱があっても、やっぱり仕事には行くわけだから、体温なんかで熱を計って、もしも本当に熱があったら「ああ、自分は病気になってしまって、具合が悪いんだなあ…」と思いながら仕事に行くわけで、それはなんかイヤなので、どんなに具合が悪いような気がしても、体温を計らず「熱があるような気がするけれど、それは絶対に気のせい」だと思って仕事に向かうのだそうです。

 私もいいかげん忙しくって大変だなあって思ってましたが、H先生の大変さには敵いませんよ。やはり、そこは、たかがサラリーマンである私と、音楽家(自営業にして自由業ですね)であるH先生との違いです。極端な話、私は熱を出してぶっ倒れていても、きちんとお給料はもらえるわけですが、H先生は仕事に行かなければ、ギャラもらえないし、仕事に穴を開けると信頼を失って、ひいては仕事を失うわけですからね。

 ほんと、サラリーマンってのは、気楽な稼業だよなあ…って思っちゃうわけです。
 

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2014年2月13日 (木)

Eメカって必要でしょうか?

 ある意味、今日の記事は、昨日の続きだったりします(笑)。

 フルート初心者さんの悩みで、アンブシュア関係の次に多いのが、Eメカ系の悩みです。これって、要するに…

 …フルートにはEメカが付いている楽器と付いていない楽器があって、Eメカが付いている楽器の方が、同じモデルでも高いよね。フルートは元々高価な楽器だし、予算には限りがあるし、できれば少しでもお手軽な価格で購入したいし…。それに、Eメカを付けなければ、もうワンランク上の楽器だって買える訳だし…。もしもフルートのEメカなんて、そんなに必要ないモノなら、Eメカ無しの楽器を買いたいけれど、もしもEメカがなくて困るようなことがあって後悔するくらいなら、だったら、最初からEメカ付きの楽器を買った方がいいし…。さあ、どうしたらよいのかなあ…

 …というわけですね。

 もしもEメカ付きでも付かなくても、お値段が同じなら、たぶん誰も悩まずにEメカ付きの楽器にするでしょうね。問題はEメカ付けちゃうとお値段が上がっちゃう事。それもそんなに安くないお値段なんです。そのお値段の差額分だけの価値がEメカにはあるのか、ないのか、そこが知りたい…って事なんだと思います。

 結論を書きます。

 あなたがフルート初心者で、大人から始めたレイトスターターで、練習時間もたっぷりあるわけでないなら、Eメカがあった方が楽です。

 というのも、やはり誰しも初心者の頃は、高いEには苦労させられるものだからです。

 あなたが学生であるとか、大人であっても練習時間がたっぷりある人なら、たとえ楽器にEメカがなくても、高いEの壁も楽々越えられるでしょうが、そうでないなら、高いEの壁は、そそりたつように高く感じるかもしれません。

 要は、大人なら、努力をお金で解決したっていいじゃんって事です。

 実際、Eメカがあると、高いEはかなり楽ですよ。これは事実です。でも、あくまでも初心の頃に限定した話です。

 実は私も、初心の頃は、高いEに苦労しました。なにしろ、私の楽器にはEメカは付いてませんからね。ほんと、最初の頃は、高いEに散々苦労して、グチったり悩んだり、本当に大変でした。それで色々と努力をし、練習を重ねた結果、やがて、なんとか高いEが出せるようになりましたが、それでもなかなか安定的に出せるようには、簡単にはなれませんでした。

 それである日、私の使っているフルートメーカーの社長さんに「この楽器、高いEがなかなか出ないよ」と直接、クレーム(笑)をつけたところ、その社長さん、即座に反応してくれて、私の楽器に簡易Eメカモドキを付けてくれました。その内容は…Aisのトーンホールをコルクで1/3程塞ぐというやり方で、サンキョウの“ニューEメカ”と原理は一緒です。で、これをしてもらったら、ほんと、高いEが楽になりました。こんな小細工一つでも、高いEの出しやすさはグッと増したのを実感しました。

 で、ある日、ホンモノのEメカ付きの楽器を吹いてみたら、私の簡易Eメカモドキどころの騒ぎではなく、本当の本当に高いEが楽で、こんなに楽なんて、ズルイとすら思ったものです。

 なので、初心者にはEメカは無いよりもあったほうが、絶対に良いと思います。

 そんな逸話を持っている私ですが、やがて時もたち、今では私、全然高いEに苦労しなくなりました。

 ある日、ふと思って、自分の楽器を確認したところ、社長さんにつけてもらった簡易Eメカモドキは、すでにありませんでした。おそらく、オーバーホールに出した時にハズされちゃったのでしょう。でも、そんな事に全然気がつかなかったくらいに、高いEには苦労がなくなっていた私です。

 ちなみに私はフルートを全部で三本持っていますが、どのフルートにもEメカは付いてませんが、どれもこれも高いEで困ることはありません。…ってか、困らないようになりました。

 なので、Eメカが必要か不必要かという問いに対する答えは「あなたが初心者なら、あった方が楽だと思います。でも経験者なら、不要です」って感じかな?

 たぶん、Eメカって、自転車の補助輪のようなモノなんだと思います。だから、初心者にはあった方が楽だけれど、無くても問題ないし、経験者ともなれば、あってもなくても関係ないし、むしろあるとジャマ(いくつかの替え指が使えなくなるそうです)なモンだろうと思ってます。

 ま、こんな感じです。

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2014年2月12日 (水)

正しいアンブシュアの作り方を知りたいです

 ネットを見ていると、フルートのアンブシュアの作り方で悩んでいる方が大勢いらっしゃるようです。その多くは、いわゆる“初心者の皆さん”なわけです。まあ、フルートという楽器は、おそらく楽器の中では比較的簡単な部類に属する楽器だろうと思うけれど、簡単な割には、入門期のハードルがやや高いという困った特徴があると思います。

 特に難問なのが『どうやって音を出したら良いのか、分からない』とか『こんなに頑張っているに、うまく音が出ない』とか『きれいな音が出ません』とか『息もればかりで音にならずに困ってます』とか、その手の悩みがあるようです。

 で、それらのお悩みの行き着く先は「正しいアンブシュアの作り方を知りたいです」という質問であり、今の自分のアンブシュアには、なんらかの欠点なり改良点があるはずだから、そこを解決すれば絶対に良くなるって思ってらっしゃるわけです。

 それは、当たりといえるし、見当違いですとも言えます。

 だいたい、アンブシュアの作り方に、正しいとか正しくないとか、あるのかな? いや、おそらく“正しくないアンブシュア”ってやつはするだろうけれど“正しいアンブシュア”ってやつは存在しないような気がします。

 と言うのも、アンブシュアってやつは、実はどうやって作るかが問題ではなくて、結果として不都合が無ければ、それがあなたにとっての“正しいアンブシュア”だからです。
 あ、ここまで何の説明も無しに書いてきたけれど、アンブシュアってのは、管楽器を吹く時の、クチの構えというか、クチビルの使い方の事をいいます。ヴァイオリンで言えば、弓の持ち方…に相当するようなモノかな?

 さて、話を戻します。ちょっと考えてみましょう。まず、アンブシュアって、何のために必要なんですか?

 それはフルートを吹くための息をまとめるために必要です。そして、それらのまとまった息の方向をコントロールするためにも必要です。

 だったら、どんなやり方であっても、息がまとまっていて、自由にコントロールできるなら、それでいいじゃない?

 絵に描いたように、クチビルを薄くしてクチの中央部からまっすぐに息を出してもいいけれど、クチビルが分厚いままでフルートを吹いてもバチは当たらないし、別にクチの中央部からでなく、クチビルの横から息を斜めに出してもいいんです。全然かまいません。何はともあれ、それでちゃんとフルート吹ければいいんですよ。

 というのも、実は、アンブシュアって奴には、正しい作り方ってモノがそもそも無いんだと思うよ。

 というのも、アンブシュアの作り方なんて、ある門下では正しいとされているやり方で、一門の方が皆そのやり方でアンブシュアを作っていたとしても、別の門下ではその方法が全くのデタラメとされて、全然別の作り方が人気だったりすくわけです。

 実際、先生を変えると、アンブシュアの作り方から直される…なんて話、結構聞きますよ。

 なので、先生について習っている人は、まずはその先生にアンブシュアの作り方を習って、それに従ってください。

 独学だとか、部活とかでやっている人は…とりあえず試行錯誤かな? 大切な事は、クチビルに無駄な力を入れない事、出てくる息をしっかりまとめる事、できれば最初のうちは息が細くまとまっているとGOODです。イメージとしては、ツマヨウジをくわえている感じです。もちろん、実際はツマヨウジではなく、息の線なんですけれどね。具体的な方法、ググればいくらでも見つかります。

 実際問題として、アンブシュアの作り方なんて、大した問題じゃないんですよ。

 私レベルであっても、フルートを吹く時には、すでにアンブシュアなんて全く気にしてませんもの。とりあえず、フルートを手にしたら、サッと口元に当てて、プーと息を吹き込めば、それでOKだもの。アンブシュアがどーのこーのなんて、もはや全く考えません。つまり、アンブシュアなんて、その程度の事なんですよ。枝葉末節の問題なんです。

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2014年2月11日 (火)

Please Mr. Postman って曲が、大好きです

 皆さんは“Please Mr. Postman/プリーズ・ミスター・ポストマン”と言う曲をご存じでしょうか? 私は、この曲が大好きです。

 元々のオリジナルは、1960年代のモータウンサウンドって奴で、マーヴェレッツという女性ヴォーカルグループが歌っていた曲です。なんでも、モータウンレコード社にとって最初のナンバーワンヒット曲であり、マーヴェレッツというグループのデビュー曲でもあったそうです。会社やアーティストがまだまだ駆け出しであっても、曲自体に音楽的な魅力があれば、売れるという見本のような曲です。

 ちなみに、オリジナルはこんな感じです。

 この曲は、これだけの名曲なので、当然カバーもたくさんされています。代表的なのは、ビートルズによるカバーとカーペンターズによるカバーです。

 ビートルズによるカバーだと、こんな感じになります。

 口パク…ですね。音源はレコードの音源のようで、それに合わせての口パク演奏のようですが…動くビートルズってなかなか見るチャンスがないので、なんか、演奏シーンを見ているだけで、得した感じがします。

 こうして並べて聞いてみると、ビートルズのバージョンって、オリジナルのモータウンサウンドから、そんなに離れていない事が分かります。ビートルズってロックバンドですから、さぞかしロックロックしたアレンジにしているのかな?と思うと、案外、そんな事はなさそうです。それと、メインヴォーカルを、軟弱な曲を専門に歌うポールではなく、硬派な曲を歌うジョンが担当しているのも、なんか不思議な感じがします。

 女性の曲を男性が歌うという事で、歌詞の一部を変更して、男性から女性へのラブソングという形になってます。あちらの歌手って、こういう事を結構やりますね。日本の歌だと、芸術家曲はもちろん、流行歌でも、歌手と歌の主人公の性が違っているなんてのは、よくある話ですが、あちらでは、そういうのはタブーなのかしらね?

 さて、私が一番好きなのは、実はカーペンターズによるカバーだったりします。

 いいでしょ、この曲。このバージョンもオリジナル同様に、全米1位を獲得しています。サウンドの方は…オリジナルよりも、もっともっとモータウンっぽいサウンドになってます。それにも関わらず、きちんとカーペンターズらしさもあって、アレンジをしたリチャードの天才性がうかがわれる曲です。

 それにしても、YouTubeを漁っていると、これらの有名アーティスト以外のカバー曲も見つけたりします。

 これはニコル・テリオというタイの歌手によるカバーですが…オリジナルのカバーと言うよりも、カーペンターズのカバーのカバーって感じに仕上がってますね。それにしても、タイの人って、同じ東洋人とは言え、日本人となんとなく雰囲気が似ていますね。こんな感じの日本の女の子って、ゴロゴロいるでしょ? なんかタイには近しい感じを受けますね。

 こちらはカナダのフォー・クォーターズという女性四人によるアカペラーグループです。もっとも、この曲に関しては、ベースに男性が一人加わっているので、普段とは編成が違うようですが…。カバーをやるなら、これくらいオリジナルから離れてみるのも良いですね。

 これは映画「バック・ビート」のサウンドオリジナルなんだそうです。「バック・ビート」という映画は、ビートルズ誕生秘話を映画化したもので、この曲は当然、初期のビートルズが演奏したという事になってます(実際は、別の人が演奏しているわけです)が、本物のビートルズよりも、よっぽどロックした演奏になってますね(笑)。

 最後はこの人、マリア・フェルナンダ。最初聞いた時は“歌ってみた”の歌い手さんかかな?って思っちゃいましたが、どうやらプロフェッショナルな歌手の方のようですが…なんか素性がよく分かりません。ま、これが今どきの歌手の姿なのかもしれませんね。おそらく、たぶん、きっと…ネット系の歌手さんなんじゃないかな?

 色々な歌手にカバーされ続けていくのは、名曲の条件ですね。しかし、これだけ多種多様なタイプの歌手にカバーされ続けていくんだから、“Please Mr. Postman/プリーズ・ミスター・ポストマン”ってのは、よっぽどの名曲なんだと思います。

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2014年2月10日 (月)

ゴーストライター事件について、思った事

 なにやら世間では、佐村河内守氏の事で大騒ぎしていますので、私、基本的にはこの問題には興味も関心もないのですが、そうは言っても、色々な情報やら言説やらが私の耳にも飛び込んできますし、今までの記事のコメント欄にも、若干の意見を書かせてもらった経緯もあるので、ここらで、それらをまとめる意味もあって、本文記事にしてみました。今までのコメントと内容が重複する部分があるけれど(同じ人が書いているんだから、当たり前)、そこはご勘弁ください。

 まずは事件の経緯を私なりにまとめてみました。

 佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏という全聾の作曲家と言われる人がいて、以前からクラシック音楽の現代音楽分野においては、それなりに活躍していた(と言っても、業界内では有名でも、世間的には全く無名な方)のだけれど、昨年(2013年)の春ごろにNHKスペシャルで、彼のドキュメンタリーが取り上げられた事がきっかけで、世間にも認知されて、クラヲタはもちろん、一般の音楽好きな方にも知られるようになり、クラシック音楽界的にブレイクをしたわけです。

 なぜ彼はテレビで取り上げられ、世間の人気者になったのかと言えば、彼には、人々が心魅かれるような物語があり、その物語はウケると判断したNHKが、ドキュメンタリーとして取材して放送し、そのNHKの番組を見た人々は、彼の物語に感動して、それで有名になったのです。

、なので、彼が作曲していた曲がとりわけ素晴らしいモノだった…から有名になったわけではありません。あくまでも、彼の物語をまとめたテレビ番組が世間にウケただけの話なんです。

 実際、彼程度、いや、彼以上の才能を持ちながら、でも世間的に無名な作曲家(しかし業界的には有能な職業作曲家)なんて、この日本には掃いて捨てるほどにいます。ただ、彼らには世間を唸らせるだけの物語を持っていないので、世間に広く認知される事がないだけなんです。

 では、佐村河内守氏の物語とは何だったのか? それは…

 1)『全聾の作曲家』である事。

 2)『身体に障害』を持っている事。

 3)『被爆二世』である事。

 4)さらに、彼の世捨て人的な風貌と、変人奇人的言説も合わせて、大作曲家であるベートーヴェンを想起させる部分があったので『現代のベートーベン』なんていうキャッチフレーズまで付けられた事。

 以上が、彼が持っている物語です。ついでに言えば、彼の芸名である『佐村河内』が『佐村』でも『河内』でもなく『佐村河内』であったり、その読み方が『さむらかわち』でもなく『さむらこうち』でもなく『さむらごうち』であったりするのも、彼の奇妙な風貌とともに、彼の物語の有効な小道具の一つだったのだと、私は思います。

 そんな彼が(たとえ難聴であったとしても)全聾という程でもなく(多少手足が不自由であったとしても)障害があると言う程でもなく、おまけに(曲のすべてではないにせよ)作曲も自分一人で行ったわけではなく、他の人間にかなりの部分、代行をお願いしていた事がバレてしまい、彼の物語が虚偽に満ちたものであり、彼の物語に心酔した多くの人々の幻想を裏切った…というが、今回のスキャンダルの内容です。

 事がバレた経緯も、彼の協力スタッフであった新垣隆氏の告白文が週刊文春に掲載される事を知った佐村河内氏が、雑誌の発売前に代理人を通して、自ら先手を売って謝罪(ってか言い訳)をしたのが、事の発端で、その後、文春が発売されて、新垣氏が記者会見をし…で、今に至っているわけです。と言うわけで、佐村河内氏からの直接の説明は、まだ無い状態です。

 で、それら一連の報道を聞いて、クラヲタを中心とする若干の人々が、これはスキャンダルだと騒ぎ始めたわけです。今まで佐村河内氏の作曲物だと思って聞いていたモノが、実は他人の創作物だったとは…我々をだましていたのか!ってなもんです。

 私がこれらの一連の騒動を聞いて思った事は「これって“チーム佐村河内”の内紛でしょ? 別に事件としてドウコウする程の問題じゃないよなあ」って程度です。

 と言うのも、現代という時代において、ジャンルを問わず、創作活動というのは、多かれ少なかれ複数の人間による合作で行われるのが主流でしょ? その時に、従となる人をゴーストライターという名称で呼ぶか、仕事のパートナーとかスタッフとか呼ぶか、それとも弟子と呼ぶのか、はたまた編集者とかプロデューサーとか呼ぶのか、そこは発注者と受注者の関係で変わるのかもしれないけれど、音楽であれ、文章であれ、イラストや絵画やマンガであれ、創作活動のジャンルを問わず、複数の人数が協力して作り上げるから、一定レベルの作品をコンスタントに生み出すことができて、商業的に成り立っていくんじゃないの?

 そして、そこで作られた創作物を、複数の人間の連名で発表するか、チーム名で発表するかは、チームそれぞれで考えれば良いことだし、チーム名で発表すると決めた場合でも、チームに属する成員を明らかにするか、それともチームの一体性を強調して、個々のメンバーに関しては、覆面にするかは、それぞれのチーム次第です。

 だいたい、名前が常に特定個人と1対1で対応するなんて考えは、現代社会において、それこそ“幻想”です。実際の世の中では、1人で複数の名前(戸籍名とか通称とか芸名とか)を名乗ったり、複数の名前で1つの名前(合作ペンネームとかチーム名とかグループ名とか代表者名とか)を名乗ったりは、よくある事です。とりわけ、創作の世界では、それって別に珍しい事でもなんでもないです。

 今回の件だって、作曲家チーム“佐村河内守”に属する、佐村河内守氏と新垣隆氏の間のトラブルですよ。ゴーストライターなんて言葉を使うから、事がおおげさになる訳で、単純にチーム“佐村河内守”のスタッフ同士がモメて、そのうちの一人が暴走しただけの話でしょ。

 それにだいたい、チーム“佐村河内守”のメンバーが彼ら二人っきりて、誰が決めたの? それに、あのチームに作曲家が二人しかいないなんて、どうして分かるの? まだまだ報道されない事がたくさんあるはずだけれど、そんな事、どーでもいー事でしょ?

 彼らは、チーム“佐村河内守”だったから、ここまでやってこれたわけでしょ? もしもチームの名称が“新垣隆”だったら、残念だけれど、今ほど売れていなかったでしょうね。少なくとも、新垣隆氏に佐村河内氏を越えるような物語がない限り、それはありえない事です(でしょ?)。

 彼らがチームである事など、隠していた訳ではなく、狭い業界なんだから、関係者は誰もが知っていたんだと思いますよ。ただ、今まで、世間的には無名の存在だったために、話題にならなかっただけの話でしょ。つまりは、そういう事だと私は思ってます。

 むしろ私は、こんな、世間的にはドーデモいいような事を、テレビが大々的に報道する時って、裏で何かが動いていると思ってます。ちょうど、この事件って、東京都知事選と被っているんですよね。勘繰れば、テレビで報道してもらいたくない事がある方(誰とは申しませんが…あの方ですよ)が、手を廻して…なんて事だって、全くないって言えないでしょ? そうでなくても、オリンピックが始まって、世間一般のニュースが報道されにくくなる時期ですから、報道してもらいたくない案件を抱えている人たちが、影とか裏とかで暗躍しはじめる時期になったのです。いつも以上に、世界の動きに注意しなければ…。

 さて、事の真相を白状した新垣氏の記者会見を見て思いました。

 内紛の原因は金銭トラブルかと思っていた私ですが、どうやら、それだけではなさそうですね。どうも、藤子不二雄がFとAに分かれたようなものが原因なのかもしれないなあ…って思いました。つまり「作曲家って業が深いなあ…もっとビジネスライクにはできなかったのかな?」って事です。

 おそらく、二人の間を取り持っていた、マネージャー氏、あるいはマネージメントを司るパートがヘマったんでしょうね。

 私、本当にこの件には、大した興味ないんですよ。それにだいたい、新垣氏がすべてを語っているとは限らないし、新垣氏が語っている事が真実とも限らないし、佐村河内氏が何も語らないのも気になるし、彼らを守ってきたスタッフたちが、今どう動いているのかも分からないし…、そんな分からない事だらけの中で、一方の言い分だけを聞いて、物事を見極め、判断するのって、無理でしょ?

 それにね、この作曲家チームの方々って、いわゆる“障害者ビジネス”として音楽をやっていたわけでしょ? まあ、この人たちに限らず、昔から障害者ビジネスとして音楽をやる人はたくさんいたわけだけれど、そういう人たちって、ほんの一部(例えば、アメリカのスティーヴィー・ワンダーとか)を除いて、音楽の良さで商売をするのではなく、お涙頂戴の見せ物的なノリで商売しているわけで、私はそういうスタイルが個人的に好きじゃないんです。

 平たく言えば、私は、佐村河内氏のような物語には、全く心が魅かれないって事です。

 だから、お涙頂戴音楽が、真作であったとしても、贋作だったとしても、大した違いではないと、個人的には思ってます。その音楽が気に入ったなら、今までどおり聞けばいいし、気に入らないのなら、最初から聞かなければいいだけの話です。

 彼の物語に魅かれて、曲の善し悪しなど全然わからないままに「これはあの“佐村河内”さんが作曲された曲だから、きっと素晴らしいに違いない」と信じて聞いていた人たちが、彼の物語がフィクションだったからと言って「私たちが信じていたモノを返してください」って言っているのかなって思ってます。

 別にいいじゃん、チームで作曲したって。

 有名どころで言えば、私はチーム“モーツァルト”が作曲した「レクイエム」は好きだし、チーム“プッチーニ”が作曲した「トゥーランドット」も大好きです。

 音楽ファンなら、大切なのは、曲の善し悪しであって、作家の物語ではないと私は思います。それにだいたい、作家の物語を重要視するなら、モーツァルトなんて、ほんと“クソくらえ”な奴だし、シューマンは寝取られ男だし、チャイコフスキーなんてオネエだよ。そんな彼らの人生にも関わらず、彼らの作品は素晴らしいし、今も愛されているわけでしょ。

 作家ではなく、作品だけを見て、音楽を楽しみたいし、今後もそうありたいと、私は思ってます。

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2014年2月 9日 (日)

口笛吹けない(涙)[2014年2月第2週・通算5週]

体重:109.0kg[-0.6kg:-2.4kg]
体脂肪率:31.1%[-0.5%:-0.1%]
BMI:34.4[-0.3:-0.5]
体脂肪質量:33.9kg[-0.7kg:-0.7kg]
腹囲:106.0cm[+-0.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 先日、ネットをウロウロしていたら、こんなニュースに遭遇しました。

 これによると、日本には口笛の吹けない人が36%もいるのだそうです。

 リンク先が削除されてしまう可能性もあるので、そこに掲載されていたアンケート部分を引用すると…。

Q.あなたは「口笛」を吹くことはできますか?

子供のころからできない……236人(31.2%)
子供のころからできる……441人(58.3%)
大人になってできなくなった……36人(4.8%)
大人になってできるようになった……43人(5.7%)

Q.あなたは「スキップ」できますか?

子供のころからできない……29人(3.8%)
子供のころからできる……694人(91.8%)
大人になってできなくなった……24人(3.2%)
大人になってできるようになった……9人(1.2%)

Q.あなたは「ウインク」できますか?

子供のころからできない……156人(20.6%)
子供のころからできる……541人(71.6%)
大人になってできなくなった……27人(3.6%)
大人になってできるようになった……32人(4.2%)

Q.巻き舌で「トゥルルルル……」と音を出すことはできますか?

子供のころからできない……302人(40.0%)
子供のころからできる……381人(50.4%)
大人になってできなくなった……47人(6.2%)
大人になってできるようになった……26人(3.4%)

 …なんだそうです。まあ『出来ない』と言うのを『今現在できない』とするなら、は『子供のころからできない』と「大人になってできなくなった』を合わせれば良いので、口笛なら36%の人が、スキップなら7%の人が、ウインクなら24.2%の人が、巻き舌なら46.2%の人が出来ないと言えます。

 ザックリ言えば、日本人なら、たいていの人がスキップが出来るけれど、ウインクは4人に1人の人が出来なくて、口笛は3人に1人が出来なくて、巻き舌に至っては半数近くの人が出来ない…ってことになります。

 口笛と巻き舌って、結構難易度高いんだなあ。

 実は私、口笛吹けません。子どもの頃から吹けず、結構な劣等感となっていました。なにしろ、周りの友人たちは、たいてい口笛が吹けたモノですからね。私だけ吹けなかったわけだし、吹けない事で蔑まれていたりしていました(子どもの世界って残酷なんです)。それで、口笛の吹ける友人に頼んで特訓してもらった事もありますが、結局、口笛が吹けるようにはなりませんでした。

 もちろん、今でも口笛は吹けません。でも、今では『フルート吹けるから、いいじゃん』と思ってます。それに、真偽の程は分かりませんが「口笛の吹ける人はフルートが吹けない」という都市伝説もあるので、だったら私は口笛吹けなくてもいいやと思ってます。

 一方、巻き舌は、私、得意ですよ。なので、巻き舌が出来ないという人を見ると「なんで???」と思います。巻き舌なんて、こんなにも簡単な事なのにね…。

 そう言えば、キング門下には巻き舌が出来ない人がそれなりにいました。やはり日本人の中には、巻き舌が苦手な人がいらっしゃるわけで、その理由は、おそらく、日本語に巻き舌子音がないからなんだろうなあって思います。

 もちろん、日本語でも巻き舌を使わないのは、標準語(共通語)であって、方言になると、その限りじゃないです。

 私は江戸弁話者です。つまり方言としての江戸弁を話す人なんですが、江戸弁では普通に巻き舌子音を使うので、私は巻き舌が得意なんでしょうね。

 例えば『コンニャロー(この野郎)』の“ロ”とか『コチトラ、カンダン ウマレディー(此方人等、神田の生まれだ)』の“ラ”とか“レ”とかね。割とふんだんに巻き舌子音を使います。なので、意識せずに巻き舌子音を使ってますので、改めて「巻き舌して」と言われると、ちょっと面食らうくらいです(笑)。

 でも巻き舌って、クラシック声楽を学んでいると、必ずマスターしないといけない項目の一つなんです。なにしろ、ラテン語でもイタリア語でもドイツ語もフランス語でも、それぞれやり方は少しずつ違うようですが、巻き舌子音がありますから…。これらの言語の歌を避けて、日本歌曲だけを学ぶというやり方もありますが、それではかなり寂しい事になってしまいます。だって、クラシック名曲って、たいていがこの四つの言葉で作曲されているので、これらの言語の歌を歌わないという事になれば、世界の名曲のほとんどが歌えなくなってしまう事になります。

 「だったら翻訳した歌詞で歌えばいいじゃん」 …ま、そりゃあそのとおりなんだけこれど、なんかクラシック声楽って、言語にこだわったりするんですね。

 なので、はっきり意識したことはなかったけれど、巻き舌が得意というのは、クラシック声楽を学ぶ上で、ちょっとしたアドヴァンテージになっているわけで、その点で私は得をしているんだなーって思いました。もっとも、巻き舌が得意でも、その他に苦手な事がたくさんあるので、巻き舌で得をした分、その他の部分で一生懸命学ばなければならないので、トータルで見ると、決して得した事にはなりそうもありません。

 不思議と納得(笑)。

P.S.  実はこの記事を書いている時、ほぼ書き終えた段階で、いきなりの停電となり、今まで書いた文章がすべて飛びました(涙)。泣くに泣けないとは、まさにこの事ですね。涙こらえて、もう一度文章を書いてみたら、最初の文章よりもだいぶコンパクトになってしまいました。「短くまとめて書きました」と言えば聞こえはいいけれど「ココロが折れて、自分の中で文章を書くエネルギーがなくなってしまった」と言うと、かなり残念な感じがします。ごめんなさい。

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2014年2月 8日 (土)

クララが立った! …じゃなくて(笑)

 ナゴンが直立していました!

 いやあ、ビックリしました。ある日、ふと水槽を見ると、なんと、ここしばらく転覆に悩まされていたナゴンが、普通に直立して姿勢で水槽にいるではありませんか?

 ナゴンは泳いでいる時は、慣性があるためでしょうか、なんとか直立した姿で泳ぐことができますが、すこしスピードが緩むと、あっと言う間に転覆してしまいます。そんな程度の子です。ですから、水槽の中を漂っているような時は、たいてい転覆しているわけです。

 ところが、その日は水槽に漂っていたにも関わらず、転覆姿勢ではなく、正常位である直立した姿で水槽に漂っていたのです。

 下手に声をかけて、ビックリさせて、また転覆させても悪いだろうと思って、しばらく暖かい目でナゴンの事を眺めていました。

 …すると、ナゴンがちょっとばかりズルしている事に気づきました。実はナゴン、直立とは言っても、完全に直立しているわけではなく、ちょっとだけ斜めなんですが、その斜めの理由は…水面近くでただよっいる水草のカタマリを背にして、こいつらに寄り掛かって、転覆しないようにしていただけなんです。

 なので、水草で辛うじて姿勢を保っていたナゴンは、何にも考えていないサクラがそばを通って、うっかり水草にぶつかってしまって、水草を動かされてしまうと…あらあら、ナゴンちゃん、コロンと転覆してしまいました。ううむ、残念。

 それにしても、ナゴンはなんとか頑張って、直立しようと努力をしています。その努力は実に涙ぐましいものがあります。

 金魚にとっても、転覆した姿勢ってつらいのかな? 今まで転覆してしまった子は、一度転覆してしまったら、そこから戻ろうとか絶対にしなかったものなあ。そこへ行くと、ナゴンはなんとかして戻ろうと、あれこれしています。実にしつこいです。でも、このしつこさと言うか、しぶとさがこの子の個性なんでしょうね。

 とにかく、頑張れ、ナゴン。

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2014年2月 7日 (金)

私はタンギングが下手

 今週は、遅刻どころか、レッスンを欠席しました。いやあ~生業が忙しくてレッスンに行く暇がなかったからなんですが、実は忙しくて練習もロクにできなかったので、レッスンに行けなくて、ちょっぴりホッとしてます。ああ、ダメな生徒だ。

 それはさておき、そんなわけでレッスンを休んでしまったので、今週はフルートエッセイでブログの方はお茶を濁すことにします。

 標題のとおり、私はタンギングが下手です、と言うよりも、フルート始めて6年になりますが、きちんとしたタンギングのやり方を知らないし、タンギングの練習をした事すらないです。なので、どうも、タンギングという奴が下手と言うか、苦手と言うか、「タンギング? 何それ? 美味しいの?」状態です。

 タンギングってどうやるんでしょうね?

 tonguing…“tongue + ing”だから、舌が関係するんだろうなあって思うわけですが、では実際、自分がフルートを吹いている時の事を観察すると、舌の動きって、全然考えてないなあ…って思うわけです。

 私は、フルートを吹いている時、口腔内の容量を稼ぐため、アゴを落として舌を平らにして軟口蓋を上げています。これが基本形。クチの中をこのような状態にしてから、息を通してフルートを吹くわけです。

 スラーの時は、このまま小細工無しでいきます。スラーでない時は、息を一度ためてから、勢いよく出します。問題はその息のため方。息の出口に栓をするわけだけれど、問題は、何を使ってどう息の栓をするかって事ですね。

 で、自分のやり方をよくよく観察してみると、実に様々なやり方をしています。でもいくつかのパターンには分かれますね。

 1)舌先をクチビルの息の出口に内部から当てて、それで息の栓をする。

 2)舌の真ん中付近を上顎の前歯の付け根あたりに当てて、それで息の栓をする。

 3)舌の根元付近を声道の背面部に当てて、それで息の栓をする。

 4)舌は全く動かさずに、横隔膜を緊張させたり弛緩させたりして、息そのものの動きを止める。

 5)声帯を開け閉めして、息の出入りをコントロールする。

 6)なんだか分からないけれど、とにかく、息を止めたり出したりしている(笑)。

 これらの六種類を、決まった規則性もなしに、その日の気分とかで無意識に使い分けてフルートを吹いております。なので、同じ曲でも、その日の気分とか体調とかで、息の栓の仕方が違ってます。

 どれが標準的なやり方なんだろ? ってか、どれが本来のタンギングなんでしょう(後半の三つは明らかに違うだろうなあ:汗)

 たぶん、私の事だから「これが正しいタンギングのやり方です」と教えてもらって、練習をすれば、一生懸命にそれを学んで身につける事だろうって思うのですが「これがタンギングのやり方ですよ」とは習った覚えないし、今のやり方でも、特に先生からは注意されないし、まあいいのかな?なんて思って、モヤモヤしたまま、今日に至っております。

 たぶん、タンギングって、アンブシュアとかアパチュアなどと一緒で、門下とか流派とかで、そのやり方が微妙に(あるいは大きく)違うような気がするんだよなあ。だから、ネットでググっても、今一つ得心しないんですよ。

 タンギングのやり方が固定化されず、その日の気分で…と言うことは、テクニック的にフワフワしたまま練習をしていますので、上手になれない…んだろうなあって思ってます。今の状態が良い状態であるとは思ってません。なんかモヤモヤしているくせに、積極的に直そうという気持ちには、正直、なりません。なんだろうなあ…「たぶん間違っているんだけれど、あんまり困ってないから、まあいいか」って気分です。

 と言うわけで、今度忘れなかったら、先生に「タンギングってどうやるんですか?」って尋ねてみようかしら。あまりに基本的なテクニックについて今更尋ねたら、目を丸くして驚くかもね(笑)。

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2014年2月 6日 (木)

リコーダーの話

 先日、ちょっとしたチャンスがあって、リコーダーを吹いてみました。私が吹いたのは、ソプラノとテナー。ま、C管って奴ですね。年を取ってアタマが固くなってしまったので、F管であるアルトなんぞは、吹くことができないんですわ(大笑)。

 それにしても、リコーダーっていいね。笛っていいね。特にテナーリコーダーにはゾッコンですよ。

 フルートと比べると、音域が狭い(1.5オクターブぐらいしか使えない)し、強弱の幅も全然ないけれど、素朴で優しい音色はココロにしみます。ソプラノだと、音が甲高くて、正直、アタマにキンキンするけれど、テナーだとそんな事もなくて…私、やっぱりテナーリコーダーが好きかもしれません。

 借り物のリコーダーで遊んだのだけれど、結構気に入ったので、いっそ購入してしまおうかと思っちゃいました。

 で、値段を調べたら…フルートと比べると、テナーリコーダーなんて、タダみたいに安いけれど、それでも遊びで吹くには、ちょっとばかりお値段が張りますね。ま、安めのプラ管リコーダーで、だいたい六千円から一万円程度の価格帯のようです。木管リコーダーだとゼロが一つ増えて、六万円から十万円するようです。そもそもリコーダーと言えば、プラ管のソプラノでしょ? こいつが一本千円前後だから、千円と一万円を比べてしまうと…テナーリコーダーって高いんじゃないの?って思うわけです。

 ヌーボのプラ管フルートが約一万五千円である事を考えれば、プラ管のテナーリコーダーなんて、やっぱり良心的な価格だと思うけれどサ。

 それよりも、プラ管フルートは、これでも結構活用していて、ちょっとしたフルートの練習などに大活躍しているわけだけれど、テナーリコーダーは遊び吹きが楽しいとは言え、真剣に練習できるほど、時間に余裕があるわけじゃないんだよ、私。

 それにリコーダーって言うと、小学校や中学校の教材楽器だし『子どもでも吹ける簡単な楽器』ってイメージがあるけれど、実は吹いてみると、イメージほどは、そんなに簡単な楽器じゃないな~って思いました。

 確かに音は簡単に出るけれど、音が簡単に出るって点で言えば、ピアノだって簡単に音が出ます。ピアノなんて、ネコが鍵盤の上を歩いたって音が出るんだよ。ネコはリコーダー吹けないから、ピアノの方がリコーダーよりも簡単な楽器…って言えないのと同じ事で、リコーダーは見かけ以上と言うか、案外と言うか、結構難しい楽器だなあって思いました。

 まずは音程。ただ、息を無造作に吹き込んだだけでは、リコーダーって、かなり音痴になります。結局、音程の修正をしながら吹かないといけないわけだけれど、それって息圧でコントロールなんですね。適切な量の息を吹き込んで、適当な音程にしていかないといけないんですよ。フルートのように、音を曲げて演奏できたら楽なんだけれど、リコーダーって、なかなか音を曲げられなくてね…。

 トーンホールが小さい上に、ホールとホールの間が広くて、慣れるまで押えるのに苦労しました。これ、手の小さい人だと、演奏無理かも…。ソプラノリコーダーの時は、右小指でトーンホールを押えるのに苦労した私ですが(皆さんは苦労知らずでしたか?)、テナーリコーダーだと、右小指はホールじゃなくてレバーになっているので、ここの運指は簡単です。そこはちょっとテナーの魅力かな?

 あと、運指のシステムがテナーだとバロック式しかありません。学校教育では、リコーダーの運指はジャーマン式なので、学校で習ったリコーダーの運指でテナーリコーダーを吹くと、時折「???」っとなります。ま、バロック式もジャーマン式もほとんど一緒なので、極端に困る事はありませんが、それでも時折「???」となります。

 ちょっとググったところ、リコーダーの運指はバロック式が標準運指で、学校でならったジャーマン式の方が邪道?っぽいですね。とは言え、ハ長調の曲を吹くなら、ジャーマン式の方が多少楽なので、リコーダーを学校教育に取り入れる際に、そのあたりを考慮したんでしょうね。

 …余計な事をしたもんだよ(笑)。小中学生の時に、なまじ“笛吹小僧”として頑張った私にとっては、ジャーマン式が身に染みついているもんなあ。ジャーマン式からバロック式に運指を変えるのは…結構大変かも。

 ってなわけで、マジメにやると、リコーダーは大変そうな感じがするので、やはりまだ、こいつには近づかない事にします。うっかりリコーダーにはまって、フルートを放り出したらマズいものね(爆)。

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2014年2月 5日 (水)

ハイバリトンから始めれば、よかったのに…

 レッスンの続きです。曲のレッスンに入りました。最初はトスティ作曲の「Sogno/夢」です。以前…と言え、すでに4年前になりますが、キング先生のところで習った曲です。あの時の事は…ココロの傷になって今も疼いております。結局、ちゃんと歌えないまま、店晒しにした曲でございます。

 それを4年経って、先生を変えてのリベンジとなりました。さあ、今度は歌えるようになるかしら(笑)。

 しっかし、レッスンの録音を聞いてみると…全然歌えてない(笑)。先生曰く「高い音にばかり意識が行って、ちゃんと声が出ていない」のだそうです。ザックリ言えば「支えが足りない」のだそうです。

 それと、ところどころ譜面を読み間違っています…汗…あれあれ?? 音取りと譜読みに関しては、4年前にきちんとやったはずだよ? …って事は、当時からすでに楽譜を読み間違えて、音を間違えて覚えていた…って事になります。ううむ、音を間違って覚えたまま、4年という歳月を無為に過ごしてしまったってわけです。

 なので、結局“以前学んだ曲”というアドヴァンテージはなく、最初からサラの曲を学ぶのと同じような感じになってしまいました。

 さて、レッスンは、1から10まで「支えて!」となりました。そして「“支える”は“開ける”と同じだと思ってください」ってわけで、支えとノドの開きの練習です。

 支えが足りないから、ノドで歌ってしまうのか、ノドで歌えてしまうから、支えがいつまでも足りないままなのか…自分でも分かりませんが、最初は支えているつもりでも、いつのまにか支えが無くなって、ノド声で歌っている悲しい私がいます。

 そこで先生から「支えの音を聞かせながら歌ってください」と言われました。支えの音とは…目的とする音の前の音を二つに割って、前は本来の発声で、後ろはノドをより開いて次の目的とする音のノドの状態にして歌う…というわけです。ちょっと聞きた感じでは、メロディに対して、先行してずり上げて歌っているようにも聞こえます…ってか、明らかに音程を低い方からずり上げて歌っていると思うんだよねえ(笑)。ポルタメントを掛けているような感じ??

 でも、このずり上げのテクニックで高音を発声するって、ナタリー・デセイもよく使っているよなあ(笑)。

 あんまりに歌えないので(先生お得意の)“1オクターブ下で歌う”練習をしました。

 この“1オクターブ下で歌う”練習でしたが、以前にもY先生に要求されましたが、その時、1オクターブ下で同じメロディーを歌うなんて、ちっともできなかった私ですが(だって、1オクターブ下になれば、色々と状態が変わるわけで、改めて音を取り直さなきゃ歌えるわけないじゃん…って以前は思ってました)、今は少しは成長したのかな? 最初こそ、ちょっと迷いましたが、すぐに1オクターブ下での歌唱に対応できました。

 で、「1オクターブ下でも案外良いじゃないですか? これならハイバリトンでもいけるんじゃないですか?」と言われました。バリトン歌手さんに「(ハイ)バリトンでもいけるんじゃないですか?」と言われると、ちょっとうれしいです。

 「(私は合唱もやりたい人なので)それなら、この声で、合唱のバリトンパートは歌えますかね」

 「いや、バリトンだと、ちょっと厳しいかな? あくまでもハイバリトンだよね…」

 どうやら、Y先生の中では、ハイバリトンとバリトンは違う声種のようです(汗)。

 そう言えば、どこかで読んだ事があるけれど(出典は残念ながら忘れましたが…)、フランスにはハイバリトンが多く、イタリアにはテノールが多いそうです。その理由は、話す時の使う息圧の違いで、イタリア語はフランス語よりも息の圧力が必要な言語(らしく)イタリア人はフランス人よりも一般的に息圧が高いそうです。なので、イタリア語は声を息にのせてよく通ることを騒ぐのに適し、フランス人は仲間うちでボソボソと語るのに適しているのだそうです。ま、音楽的には、カンツォーネとシャンソンのイメージだよね。…という言語特性があるので、イタリアにはテノールが多く、フランスにはハイバリトンが多いのだそうです。

 本当かな? 間違ってたら、ごめんね。

 そういうふうに言語特性から考えるなら、日本語は“大声で騒ぐ言語”と言うよりも“ひそひそ密談する言語”だよね。昔っから、狭い家で大勢の家族が集団生活をし『沈黙は金なり』なんて言いながら、息をひそめて生活するというパターンだもの。日本語って、イタリア語よりもフランス語に近い感じなのかしら?

 …だとすると、私の息圧が弱いのは日本語を話しているせい? そんな息圧の弱い私は、テノールと言うよりも、ハイバリトン? テノールにも、バリトンにもなれない、合唱だと全く出番のないハイバリトン? それはとっても悲しいよぉ。

 自分の息圧の弱さを日本語のせいにするなんて…やつあたりですね。申し訳ない。

 「私って、ハイバリトンですか?」

 「いやいや、そうじゃないよ。テノールだよ。でも、歌を習い始めの最初の段階からテノールとして高い音を出す方向のレッスンを受けて来たようだけれど、そうじゃなくて、まずはハイバリトンとして勉強をして、中低音できちんと歌えるようにしておけば、高音なんて特に苦労する必要もないわけだし、今よりもずっと楽に歌えるようになっていただろうに…という事ですよ」だって。

 いやあ、そんな事を今更言われても、時間は逆上らないから…悲しくなるような事を言わないでください。

 とにかく、初心者の頃にしっかり学べなかった事を、今更改めて学び直す必要があるって事です。最初にY先生に歌を聞いてもらった時「ずいぶんと、デコボコした感じですね」と言われましたが、その時に先生が感じた、ボコの部分を一生懸命に叩いて修正するって感じなんでしょうね。

 とにかく「Sogno/夢」は、ひたすら支えの練習でした。

 次は同じくトスティ作曲の「April/四月」です。

 こちらの曲は全くの新曲ですから「Sogno/夢」以上に、譜読みが追いついておらず、ボロボロでした。でも、こっちの曲の方が歌いやすいかも。

 「フェルマータをたっぷり使って歌ってください」と言われました。音符の上にも、休符の上にもフェルマータがあったりするのですが、あせらずに、しっかりフェルマータの上で立ち止まって、体勢を立て直しながら歌うのです。

 一方、休符ごとに休憩を入れながら歌うのは良くない…のだそうです。

 歌では、あまり小刻みに休憩を入れて歌ってしまうと、返って疲れてしまうので、なるべく休憩を入れずに一気に歌い、休むときはしっかり休むと良いのだそうです。

 つまり「八分休符や四分休符なら休まない」ってくらいの覚悟が必要だって事です。

 100Kgの荷物を60秒持ち続けるのは確かに大変です。でも、100Kgの荷物を10秒ごとに放り出して、下ろしたらすぐさま持ち上げて、また10秒たったら放り出して、すぐさま持ち上げ…の繰り返しの方が、うんと大変でしょ? 100Kgの荷物を、放り出しては持ち上げるを60秒間に6回繰り返すよりも、60秒間荷物を持ち続けている方が簡単…そりゃあそうでしょう。それに、10秒ごとに重い荷物の上げ下げをしたら、腰壊しちゃうしね。

 でも、すぐに休憩を入れながら歌うってのは、こういう事なんだそうです。

 とにかく、休憩入れずに歌うことです。

 それと「四月の訪れを喜びながら歌ってください」って言われました。「表情が怖いんですよ」だって、はははは、真剣な顔って怖く見えるものね。

 この曲も「Sogno/夢」同様に、支えの声を聞かせるようにして歌うように言われました。

 「あとまだ、前回ペンディングにした、プッチーニの「トスカ」の“Recondita armonia/妙なる調和”がありますよ」と言ったところ…

 「あ、その曲は、しばらくペンディングにしておいてください」との事です。どうやら、しばらくは歌うのも禁止のようです。しばらくタナザラシにして、悪い癖でも抜くのかしら? その代わりに、ヴェルディ作曲「リゴレット」の「Quests o quella/あれかこれか」の譜読みをしておくように言われました。

 これって前回、あれこれと先生が悩んだ曲でしたが、結局やるのかな?

 「ひとまず譜読みをして自宅で練習してもらって『これはイケる』と思ったら、声を掛けてください。レッスンしましょう。それまではトスティの二曲でレッスンをしていきますよ」との事です。ううむ、それでは自宅練習で『これはイケる』と思わなかったら、ずっとウチで練習しつづけなきゃいけないのかな?(笑) まあ、それはそれでいいかもね。

 ちなみに、この曲は楽譜にはBの音は書かれていませんが、当然、Bの音をメロディーに入れて歌うように練習してくるわけです。どこでBの音を入れるのかは…リッチの薄い本[Variazioni-Cadenze-Tradizioni per canto]で確認しようっと。

 それにしても、ヴェルディのオペラアリアだよ(笑)。ぐふぐふ…なんかうれしいです。

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2014年2月 4日 (火)

声帯が鳴りすぎてはいけない

 声楽のレッスンに行ってきました。

 今回の私のコンディションは、先生がおっしゃるには「とてもよく声帯が鳴っています。いや、むしろ声帯が鳴りすぎって感じかな? 今日は一日たっぷりと話してきて、声帯が十二分に温まっていますってところだね。でも、その一方でお腹は全然動かない。ああ、今日は一日、疲れた疲れた…って感じかな?」だそうです。うむ、当たらずとも遠からずかな。確かにその日の私は、そんな感じだったのかもしれません。

 とにかく、声帯が鳴りすぎているので、声帯の鳴りに頼らずに、今まで以上に、響きで楽に歌うように注意されました。そうは言われても、別に声帯を鳴らそうなんて、私、ちっとも思ってないわけで、この日の私は「声帯が勝手に鳴っているんです(涙)」状態だったんです…。

 とにかく、ハミングであれ、なんであれ、声帯が過剰に鳴っているんだそうです。別に声帯がよく鳴る事自体は悪い事ではないそうだけれど、声帯の鳴りにふさわしいくらい息が吐けないと、ただの側鳴りヴォイスになってしまうのだそうです。

 …つまり、今の私は、側鳴りヴォイスって事?

 声帯がよく振動して、声がたくさん作られているのだけれど、それを飛ばすだけの息がないので、辺り一面そこらじゅうに声が散らばっている…って事らしいです。で、それだけたくさんの声を飛ばすために、必要なだけの息を吐くとしたら…実にかなり強めの支えが必要なんだけれど、その支えのための筋肉があんまり動いていないのだそうです。

 うん、そりゃあ、残念だ。

 なので、その声帯の鳴りにふさわしいだけの支えを今すぐ手に入れるか、さもなければ、今の支えにふさわしい程度にまで、声帯の鳴りを抑えるかのどちからをしないと、実にバランスの悪い発声になってしまうのだそうです。

 う~ん、声帯は意図的に鳴らしているわけではありません。支えだって、わざと力を抜いているわけじゃないです。

 先生…しばし熟考した結果「響きで歌って!」になりました。

 これは『貧弱な支えに合わせて、声帯の鳴りを抑えて歌いなさい』って事と同義です。たぶん、本当は「軽く歌って、なるべく声帯を鳴らさないようにしなさい」と言いたいのだろうけれど、ただでさえ貧弱な支えなのに、そこに「軽く歌って」と指示すれば、弱く歌うために、ますます支えが無くなってしまうのは明らかなので「軽く歌って」ではなく「響きで歌って」という指示を出したのだと思います。

 とにかく、声帯を過剰に鳴らさないためにも、響きで歌わないとダメなんです。

 響きで歌うとは、口腔内の容量を増やして歌うことでもあります。そしてそれは、クチの内部を縦に開いて歌う事であります。

 ではなぜクチを縦に開くのか? それは『横に広くて天井の低いホールよりも、幅が狭くても天井の高いホールの方が、よく響く』のと同じ理由なんだそうです。だから、クチは絶対に縦開きじゃないとダメなんですね。

 そして、響きで歌うためには、息を常に流し続けることが必要です。息の供給が途切れてしまうと、声帯は息無しでも勝手に鳴り始めて、声がそこらに散らばってしまいますからね。用心の上にも用心を重ねて、しっかりと息を声帯に流し続けましょう。そのためにも支えが必要なんです。

 支えとは、横隔膜をしっかりと張る事です。だからと言って、ググっと力をいれてお腹を固めてしまってはダメなんだそうです。そのためには、横隔膜って奴をトランポリンのようなものだと思う事が大切なんだそうです。横隔膜がトランポリンなら、張り過ぎてしまえば、弾力がなくなって役に立たなくなってしまうし、張らなさ過ぎると弾力性が発揮できず、これまた役に立ちません。適度な張りがあるから、トランポリンに適度な弾力が生まれるわけです。

 足りないのはダメだけれど、過剰なのもダメなんです。

 そして、側鳴りを回避するためにも、声は息に乗せて遠くに飛ばします。また、鼻腔を広げて、鼻の響きも付加すると良いでしょう。

 響きで歌えば、声は頭の中でぐるりと回転しているように感じられます。ゴジラが放射線を吐き出すように、クチからまっすぐに声が飛び出す事はありません。もし、ゴジラスタイルで声が出ているなら、そりゃあ側鳴りって奴です。

 それと、実は高い声は、響きでなく、声帯を鳴らして出した方が簡単に出せるんだそうです。ただし、声帯を鳴らして高音を出すと、高音一発で声帯がへたってしまい、それ以上は歌い続けることが難しくなるので、その先も歌い続けたいなら、ぜひ高音は響きで歌う必要があるんだそうです。

 ああ、難しいね。

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2014年2月 3日 (月)

懐かしいSPレコード

 私はエンリコ・カルーソーという歌手が結構好きで、彼が残した録音をよく聞きます。彼の全盛期は20世紀初頭であって、ちょうどSPレコードが発明された頃の人です。世界初のミリオンセラーは、カルーソーが歌った歌劇『道化師』の中のアリア「衣装を着けろ」であって、まあ、カルーソーは20世紀初頭の大スター歌手だったわけです。

 その歌唱は、今聞いても実に素晴らしいです。ちなみにYouTUBEにも音源がアップされています。

 しかし残念なのは、YouTUBE画像を見ても/聞いても分かるとおり、録音が古いことです。とにかく約百年前の録音ですからね。元々が電気を使わない(もちろん、コンピューターだって使わない)機械式録音だったりするわけですからね。

 私が普段聞くのは、当然、復刻盤CDによる音源です。SPレコードもそのプレイヤーも持っていませんから、当たり前と言えば当たり前の話です。

 復刻盤CDにも、実は色々なモノがあります。レコードプレイヤーで再生した音をそのまま素直に録音したもの(当然、ノイズがブチブチのってます)や、レコード盤に刻まれた音を光学的に読み取って再生した音源(針の代わりにレーザー光線を使って再生するんだそうです。このやり方だとブチブチノイズは発生しないそうです)や、それらの音源をコンピューターによって修正したもの(コンピューターの内部で、音源からノイズを取り除き、欠けた音波を本来の形に直すなどの化粧を施して、本来の音に近づけるのだそうです)とか、色々なタイプの復刻盤CDがあるのですが、結局、何をどうやっても、やはり録音が古すぎるので、出来ることには限界があります。まあ、昔の音源は、しょせん昔の音源です。

 それら数ある復刻盤の中で、とりわけ私がお気に入りなのは「カルーソー2000」のシリーズの復刻盤です。これらは復刻盤と言うよりも、新録音と言うべき音源で、当時のカルーソーの音源から、彼自身の声以外の音を消去し、もちろん、彼の声はコンピューターで修正し、そうやってよみがえった彼の歌声に、新しく現代のオーケストラが伴奏をつけて、それをデジタル録音しちゃうというやり方で、新しいカルーソーの音源を作っちゃうのです。つまり、100年前の歌に今のオーケストラで伴奏をつけてみました…って企画盤なんです。

 これが結構良いんですよ。オーケストラの音だけが現代の録音水準で、カルーソーの声そのものは、当然100年前のモノなのに、それまでの復刻版とは比べ物にならないくらいに素晴らしい演奏に聞こえます。

 オーケストラの音さえなんとかなれば、声って、100年前の録音でも、それなりに聞けてるってわけです。まあ、100年前の技術では、歌手の歌声の録音はなんとかなっても、オーケストラのような音量の幅もあって、音色も多彩な楽器の録音なんて、全然不可能だったんでしょうね。実際、オーケストラの録音は、機械式ではなく、電気式の録音技術になってから、盛んに行われるようになったそうです。

 というわけで、カルーソーを聞くときは、この「カルーソー2000」シリーズの復刻盤(?)で聞く私だったりします。

 で、この「カルーソー2000」の復刻盤ですが、たしかによく出来ている音源だとは思うものの、私の記憶の中では、もっと昔に、もっと素晴らしい音で、カルーソーの録音を聞いた覚えがあるんです。

 それは何かと言うと、復刻盤ではなく、オリジナルのSPレコード(それもカルーソーは機械式吹き込み時代の歌手です)を、当時のレコードプレイヤー(当然、機械式の手回しのゼンマイを使ったプレイヤーです)で聞いた時の音です。それも、よく資料映像とかで見る、卓上型のラッパ管式のプレイヤーではなく、床に直置きの家具型のプレイヤーで聞いた時の音です。

 家具型のプレイヤー。そうです、ちょうど大きさはタンスぐらいで、もちろん木製でプレイヤー本体と(スピーカーではなく木製)ホーンが一体化しているモノです。大きさは…結構大きいですよ。このプレイヤーの中にゼンマイ式のプレイヤーが組み込まれていて、針は一回ずつ使い捨てにする鉄針(贅沢ですね)を使用して、その鉄針で拾った音は、タンス型の木製ボディの中で自然に増幅されて鳴らされます。その増幅方法は、ピアノやヴァイオリンなどと同じ、空気と反響板を使った増幅方法だったりします。

 このタンス型プレイヤーで鳴らされたSPレコードの音が、とても良いのですよ。もちろん、その音を音響科学的に分析したら、大したことないかもしれませんが、ヒトの耳で聞くと、極めてやさしくのびやかに聞こえるのです。復刻盤CDだと、ノイズまみれで鼻づまりのような音で聞こえるカルーソーの声が、豊かに美しく聞こえるんですね。

 私が聞いたタンス型プレイヤーは、当時のハイエンドマシンだったそうで、とても高価なプレイヤーで、日本にはごく数台しか入ってこなかったのだそうです。

 私がなぜ、そんな貴重なプレイヤーでSPレコードを聞くことが出来たのかと言うと…当時、私、SPレコード愛好会に入っていたからです。無論、私自身はSPレコードも、プレイヤーも持っていませんでした。だって、ただの“音楽好きな貧乏な若者”でしたからね。

 なので、お金持ちの会員の皆さんのお宅にお邪魔させていただいて、貴重なコレクションを貴重なプレイヤーで聞かせていただくという小判鮫的な至福の時を過ごさせていただきました。

 それにしても、一体、アレはなんだったのでしょうか? 当時のSPレコード再生システムは、今のオーディオとは全く異質のものだったと思います。おそらく、家具型のプレイヤーは、今の視点から見れば、オーディオシステムと言うよりも、楽器だったんだと思います。つまり、大きな木製楽器。ピアノのアクションと弦の代わりに、SPレコードとそのプレイヤーを組み込んだ楽器…だったんだと思います。

 そんな、楽器っぽいプレイヤーだったからこそ、そこに吹き込まれた録音が、音楽的に聞こえたのかもしれません。

 当時の録音は、電気を全く使わなかったそうです。ラッパ管に向かって歌手が歌い、そのラッパ管の先に針がつながっていて、その針で、グルグル回るレコード盤に直接溝を刻み込むわけです。そうやって作ったレコードを再生するときは、その行程を全く逆にするかのように、グルグル回るレコード盤に針を下ろし、その針の振動をラッパ管などで空気的に増幅するわけです。

 ああ、懐かしいなあ。

 当時、そのタンス型プレイヤーで聞かせてもらった数々の音源(ほとんどが歌手たちの歌唱でした)は、今でも私の心に強い印象を残しています。

 不思議なことに、直接、タンス型プレイヤーで聞いた音は素晴らしいのに、その音をカセットテープ(当時の家庭用録音機はカセットテープだったんです)に録音して聞くと、とても聞けたものじゃなかったですね。ノイズのりまくりだし、音そのものも貧弱極まりなかったです。

 実に不思議な思い出です。

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2014年2月 2日 (日)

気になる日本語[2014年2月第1週・通算4週]

体重:109.6kg[+-0.0kg:-1.8kg]
体脂肪率:31.6%[+0.1%:+0.4%]
BMI:34.7[+0.1:-0.5]
体脂肪質量:34.6kg[+0.9kg:+-0.0kg]
腹囲:106.0cm[+-0.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 ううむ、メタボリック! 間違いなく、メタボリック! メタでボリックな私です。言い訳しません。正月太りから戻るどころか、正月太った状態が定着しつつある私です。ああ、こんなにラーメン食べたいのに我慢に我慢をしているのに、体重さんがお正月水準に戻りつつあるよォ。すっげー、悲しい。

 さて、今週のエッセイです。

 はっきり言ってしまえば、私が日常的に用いている日本語はかなり変です。それはここのブログを読んで下さっている方なら、すでにご承知の事でしょう。

 「全然OKっす」とか「そいつは全く無問題」とか書いているぐらいに、グシャグシャの日本語の使い手である私ですが、そんな私でも、思わず「それ、変だろ?」って思う日本語と出会う事があります。今回の記事は、最近、私が耳にした「それ、変だろ?」って思う日本語を書いてみます。

 「お前が言うな!」と言われそうですが、自分の事ならOKでも、他人の事となると、結構気になるのですよ(笑)。

駐車券、大丈夫ですか?

 スーパーのレジで言われました。もちろん、耳で聞いたのですから「チューシャケン、大丈夫ですか?」ってなもんですよ。思わずココロの中で「What's チューシャケン?」って思ったものです。この「チューシャケン」が「駐車券」の事だと気づくまでに数秒かかりました。

 そして、それが「駐車券」だと分かっても「駐車券が大丈夫? え? 何が大丈夫だって?」と頭の中で???が三周ぐらいまわって、ようやく「駐車券は必要ですか」という意味だったんだな~って察しました。

 だったら、最初から「駐車券をご利用されますか?」とか「お車でお越しですか?」とか尋ねりゃあいいのに…って、たかがスーパーだから、そこまでシャチホコバル事もないのか? それにしても「駐車券、大丈夫ですか?」なんて…まるで駐車券が怪我して心配してもらっているみたいじゃん。

 「ええ、ウチのチューシャケンと来たら、元気すぎちゃって、この前、学校帰りに転んじゃって、膝をすりむいたんですけど、男の子ですから、それくらい大丈夫ですよぉ~」って返事したくなっちゃいます(笑)。

千円から、いただきます

 これもスーパーのレジで聞いた言葉。仮に880円の買い物をして、千円札を出した時に、店員さんがそのお金を受け取って「千円から、いただきます」って言ったと想像してください。

 私は一瞬「え? 千円からじゃなきゃ受け取ってくれないの? 小銭で900円とかで支払っちゃダメなの? ああよかった、千円札を持っていて…」とは、さすがに思わなかったけれど(笑)、「千円から~」という表現は、なんか変じゃないの? 「~から」って表現は、物事に制限や条件を付ける時に使う言葉であって、買い物の支払いに、そんな制限や条件はいらないよねえ。

 それと「~いただきます」ってのも、どうかな? 私は買い物の支払いとして千円を出したわけで、あなたに千円あげたわけじゃないんだよ…なんて思ってみたりして。

 普通に「千円、お預かりします」と言ってみるとか、いやいや、別に、レジでの買い物なんて、変な日本語をやり取りするくらいなら、客と店員が無言のやり取りをしても、全然問題ないと思うけど、どうすっかね?

120円になります

 880円の買い物に千円を出せば、そりゃあお釣りは120円だけれど、そこで120円に成っちゃダメでしょ? あなたはあなたのまま、今しばらくはスーパーのレジ打ち店員としていてください。120円なんて、そんな安っぽい存在になってはいけません。

御注文のお品は、これでよろしかっでしょうか?

 今度はファミレスです。注文した料理を運んで来た時に若い店員さんが、こう言ったんですよ。

 自信がないなら、しっかり伝票を確認して持ってこい、料理の確認を客にさせるなよ…と言うのは野暮なんだろうなあ。

カツカレーの方をお持ちしました

 と言いながら、持ってきた料理は、まさしく“カツカレー”だったりします。決して“カツカレーの方”なんて言うアバウトな存在ではなく、リアルに“カツカレー”だったりします。

 たぶん、本人は「~方」という表現を、婉曲的表現のつもりで使っているのかもしれないけれど、それ、ちっとも婉曲表現になってませんから。残念。

こちら、カツカレーになります

 そうだね、それは見れば分かるよ。まさにカツカレーだよ。きちんとカレーの上にカツが乗っているよ。うん、分かったよ。間違いなく、カツカレーだね……って、わけないだろ? どうして普通に「カツカレーです」とか「カツカレーをお持ちいたしました」とか言えないかな?

喜んで!

 これは某居酒屋さんで注文すると、こんなお返事が返ってきます。返事の口調そのものは気持ち良いのだけれど…

 「ええと、生ビールと、小エビの唐揚げと、あぶったエイヒレを持ってきてよ」
 「喜んで!」

 …なんか、居心地悪いです。私のようなつまらないオッサンの、やっすい注文に、そんなに嬉々として応じないでください。とっても居心地悪く感じます。「ああ、注文が少なかったかな?」とか「もっとお高い料理を注文してあげればよかったかな?」とか、一人で今日の注文について反省会を始めたくなります。

 さすがに私だって街のチェーンの飲食店の多くがブラック企業である事は知ってます。そこで無心で働いている若者に、マニュアルに書いてあるとおりの、心にもない薄っぺらな言葉を言われても、オジサン、なんか悲しくなるんですよ。ああ、もっと注文してあげないといけないのかな?ってね。

 人間って、年を取ると、妙に偏屈になってダメですね。

 しかし、言葉を拾ってきたところが、スーパーにファミレスに居酒屋だって(笑)。私って、つくづく庶民だなー。

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2014年2月 1日 (土)

金魚はなぜ金魚と呼ばれているのか?

 金魚はなぜ金魚と呼ばれているのか?…つらつらと考えてしまった事があります。

 金魚は英語ではGoldfishと言うそうです。おそらく“金魚”からの直訳なんでしょうね。そして金魚は元々、中国原産で日本には室町時代あたりに入ってきたそうだから“金魚”という言葉は日本語と言うよりも、中国語なんだと思います。

 “金魚”という言葉が元々中国語なら“金魚”の“金”は、銭の事でしょうね。つまり“金魚”は“銭魚”です。ただし、昔の中国では、銭は金(ゴールド)であったわけですから、“金魚”の金は、金銀銅の金でも良いはずです。

 だから英語ではGoldfishなんだな。

 では、一体、金魚のどこが、ゴールドなんだろ?

 金魚の体色には色々あります。一般的なのは、赤や朱ですが、白もいれば、黒もいます。単色のものもいれば、二色三色、いやもっと多色の子もいます。しかし、金色の金魚っては、さすがにいません。

 なぜ金魚なんだろう? …と我が家の水槽をじっくり眺めてみましたが、やっぱり分かりません。

 それがなんとなく納得できたのは、ある夏の日の縁日の事です。そうです、金魚すくいの金魚を見ていた時です。ライトの加減もあったのかもしれませんし、あそこにいる子たちは、通称“ハネモノ”と呼ばれる、素赤和金でも色の薄い(値段的に)安い子たちばかりだったからかもしれませんが、その時の金魚すくいの金魚たちは、ほんのり赤味がかった金色に見えたんですよ。ああ、なるほど、これなら、金魚も金色だ。

 もしかすると、昔の金魚ってのは、今の金魚よりも色が薄かったのかもしれません。また、飼っていた環境だって、今のように光があふれる環境ではなく、薄暗かったり、光に色がついていたような環境だったのかもしれません。そういう環境では、金魚の赤い体色が金色に見えることだってあったわけです。

 だから、金魚は金魚って呼ばれるようになったのかもしれないなあって思いました。もちろん、単純に中国人はお金が大好きだから、オカネサカナ -> 金魚、だったのかもしれませんが(笑)。

 と考えて、疲れたので、我が家の水槽を見たら…あれ? 金色の金魚が泳いでいるじゃない? それこそ、光の加減でしょうが、フナ色のキキョウが、ちょっと渋めなゴールドに輝いていました。

 でも、こいつ、金魚じゃなくて鉄魚だったはず(笑)。

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