ひとこと

  •  なんかねー、最近、あれこれツイてないんです。あまりに小ネタ過ぎてブログに書くほどでもないのだけれど、なんかプチ不幸な日々が続いてます。なんかなー。

お知らせ

  • ●クラシックコンサートのお知らせをします。●10月8日(日)、茅ヶ崎市青少年会館ホールで行われます。今年のコンサートは、第1部ジュニア、第2部器楽、第3部声楽と、3部に分けて行われます。第3部の開演は15時20分となっています。●私は、第3部の10番として、トスティ作曲「Tristezza/悲しみ」とレオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」を歌い、次の11番目で、妻と一緒にレハール作曲「メリー・ウィドウ」より「A Dutiful Wife/従順な妻」の二重唱を歌います。私の登場時刻は、およそ16時30分前後になる予定ですが、あくまでも予定であって、これより早くなることもあるし、遅くなることもあります。●入場料は無料の千客万来系のコンサートです。ただし、例年までは市民文化会館で行われていましたが、今年は工事中となって、古い公民館系のホールで行われます。●会場的には、古くて小さい上に設備的にも??がつくような会場で「ここで歌うのはヤだな」という理由で、多くの方々が参加を取りやめたというほどの会場です。私も、練習で使用するならともかく、ここに人を招待して…となると、躊躇せざるをえません。なので、会場までお越しいただく事は望んでいませんが、もしよかったと、どこか遠くの空から、無事に歌えることを祈っていただくと感謝です。
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コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合は必ず“名前”の欄にハンドルネームをご記入ください。ココログ的には、コメントの際の名前の記入は任意となっていますが、このブログでは必須としますので、ご了解ください。また、その時に使用されるハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

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2014年1月の記事

2014年1月31日 (金)

栄枯盛衰もまた夢のうち[2014年1月の落ち穂拾い]

 今月はほとんど余所様のブログでコメントらしいコメントができませんでした。これじゃあ、落ち穂拾いがありません。そこで、今月は、当ブログの没ネタを拾って参りましたので、これをご笑納くださいませ(笑)。

ちょっと寂しい

 ここ数カ月、いや、ここ数年来、ブログというメディアがなんとなく寂しくなっています。以前のような活力を感じる事が難しくなりました。たぶん、この傾向は、ツィッターとかフェイスブックやライン等に人々が移動しているからでしょうね。その移動してしまった人も、若い人ってイメージがあるけれど、実は若い人に限らず、実に幅広い年齢層の方々が、ブログから去り、その他のメディアに移動してしまいました。

 ここのブログの初期の愛読者の方々も、最後の挨拶とともに、ツィッターやフェイスブックに移行してしまった方々も大勢いらっしゃいます。

 それが時代の流れなんだから仕方ないです…と言われれば、それまでなんだけれど、私のスタイルでは、ツィッターもフェイスブックもラインも合いません。合わないから、私はここに留まるしかないです。

 なんか取り残されたような気がして、ちょっと寂しいです。

スタイルの違い

 「みんな違って、みんな良い」という言葉は、私、大好きです。

 ブログもツィッターもフェイスブックもラインも、それぞれにシステムが違ってます。だから、それはそれで良いと思います。あとは、その人の個性と合うか合わないかって問題ですね。

 ツィッターって…一つの発言と言うか、つぶやきがたったの140文字だっけ? 私の正直な感想は「140文字で何が語れるの?」って感じです。実際、私は140文字で一つの記事を書き終えるのは無理。私の意見は、たいてい140文字以上使わないと表現できないから、ツィッターってのは、とても窮屈です。逆に言うと、ツィッターをメインに活動している人は、物事を実に短くコンパクトに表現できる人たちなわけで、ある意味、うらやましかったりします。私の場合、ツィッターだと、読む方はいいんだけれど、発言する方は、なかなか難しいですよ。

 フェイスブックは…本名をさらさないといけないのがバッドですね。いかにも、アメリカ文化なノリですが、日本人って、これで結構、嫉妬やらねたみやらヤッカミやらが多くて、本名でネット活動をするので、すごく遠慮やら周囲への配慮やらが必要です。だいたい、個人情報ダダ漏れだし、私的にはかなり危険な香りがするメディアです。ここでの活動って、すごく気を使います。

 ラインはやってません(笑)。ので、詳細は分からないのですが、なぜやらないのかと言うと、すぐにレスポンスを返さないとマズいという文化が、かなりイヤ。いやきちんと書けば、自分の挙動が相手に伝わっちゃうってのがイヤというのが、正直なところ。

 これって、mixiにかつてあった“足跡”と同じようなもので、私は、この手の機能がいやでいやでいやでいやでいやでいやでたまりません。ROMする自由を保障してくれないメディアって、私はいやなんです。まあ、mixiは足跡機能をなくしたので、一時期、ちょっとだけホッとしていたら“訪問者通知”なんてものが復活して、全く活動しづらくなりました。これがある以上、mixiでは開店休業状態にするしかないよなあ…。

合わないと言えばmixiも合わないんだよな

 実は、ここのブログと連動させてmixiをやっています。連動させて…と言うのは当初の目的であったわけだけれど、現実はmixiの方はほぼ放置状態です。“ほぼ放置”というのは、浮世の義理でコミュニティの副管理人を引き受けてしまったために、mixiを辞めるに辞めれない状態になってしまったからです。まあ、副管理人がイヤって事はないのですが、自分のエネルギーがブログとmixiに分散している現状がちょっとイヤなんです。

 だって、今は趣味にさける時間もエネルギーも限られているので、出来る事/好きな事に自分のブログに集中させていきたいってのが本音なんだよね。

 ま、それにしてもmixiって、私には合わないなあって思います。合わないと言うよりも、ついていけないって感じかな? 確かに以前のmixiは、SNSだったけれど、今やSNSと言うよりもゲームポータルでしょ? ゲームをしない身にとっては、実に居心地悪いし、なんか閉塞感も感じるしね。その上で、訪問者通知もあるでしょ?

 でも、mixiでないとつながれない人がいるから、やむなく細々とmixiを継続してます…って感じなんだな。

今月のお気に入り  エグゼクティブ チェア デクシア

 ここ最近のお買い物の中では、個人的にはかなりのヒットとなっております。このイス、全く良いです。実に素晴らしいです。マーベラスなんです。どこが素晴らしいのかと言うと、まるであつらえたみたいに、私のカラダにピタッとフィットするんですよ。座っていると、肘が楽だし、腰が楽なんですよ。あえて欠点を言えば、ヘッドレストが無いのが残念かな。きっとヘッドレスがあったら、私、このイスでうたた寝三昧しちゃうかも。それくらい、お気に入りなイスなんです(うふふ)。

 でも、私にぴったりという事は、私と同じような体型の人はともかく、そうでない人には、座り心地悪いんじゃないかしら?

今月のお気に入り TEXCY メンズ カジュアルブーツ

 どうやら、雪国の街歩き用の靴のようです。ま、湘南地方には雪が降らないので、この手の靴は全くオーバースペックなんですが、それでもなかなか良いです。と言うのも、この靴を履いていると、当然の事ですが、足が温かいんですよ。

 こちらの地方の人は、靴を季節で履き替えるという事はあまりしません。真夏も真冬も同じ靴を履いていたりします。本当は、夏は暑いし、冬は寒いのですが、それでもあまりきにしないんです。ま、土地柄でしょうね。

 きにしなくても、やはり冬は寒いですよ。なので、厚めの靴下を履いてみたり、靴下の二枚履きにチャレンジしてみたり、足裏にカイロを貼ってみたりと、色々やっているわけですが、真冬用の靴を履けば、それらはいらないわけです。

 もっとも、だからと言って、スノーシューズを掃くわけにはいかないしね。

 この雪国用のカジュアルブーツはいいですよ。一見、革靴っぽく見えるので、最近の私は、この靴を仕事でも遊びでもどこに行くでも履いてます。このシーズン中に履き潰すつもりで履いてます。それくらい、お気に入りってわけですね。

今月の金魚

 特に動きはありませんでした。 

今月のひとこと

 先日、安倍首相が靖国参拝を行ったそうで、それで中国と(特に)韓国が怒り沸騰しているそうだけれど、それっていくら腹に据えかねたとしても、国家がクチに出して言うべきではないんじゃないかな? 内政干渉って奴ですね。まあ、かの国が日本を属国程度にしか思っていないなら話は別ですが。また、中韓が怒り狂うのが分かっていて、このニュースを号外扱いにしてまで、大々的に発信しちゃうマスコミさんたちって、中韓のスパイなの? 普通の日本人にとって、首相が靖国参拝したなんて、どうでもいいニュースでしょ? 首相の靖国参拝なんて、中韓とそのスパイさんしか興味のないニュースじゃない(笑)。新聞の「首相の動向欄」に一行程度放りこんでおけばいい程度のニュースじゃない。(2013年12月27~29日)

 2冠を手放しました…とアップした途端、ブログ村の順位が上がりました。『大人の音楽活動』は再び第1位に戻りました。うれしいです、これで落ちかけていたモチベーションがむしろ以前よりもアップしました。懸案の『フルート』のランキングは…第1位の方が強くて、点数はアップしても、なかなか首位奪還とは参りません。まあ、三冠王なんて贅沢な事なんだろうと思います。それよりも私は、皆さんの応援がうれしいです。本当に感謝しています。これでこれからもブログ、頑張りますよ。(2013年12月29~31日)

 年賀状なら、大晦日未明にやっと仕上げた。本来、年賀状というものは元旦に書くものだそうだから、私的には一日ほどフライングをしたわけだ[…と嘯いてみる]。(2013年12月31日~2014年1月1日)

 皆さん、あけましておめでとうございます。今年も、私すとんと、老犬ブログをよろしくお願いいたします。(2014年1月1~5日)

 お正月のテレビは、昨年同様、NHKの「ニューイヤーオペラコンサート」を見ながら、“ウォーリーを探せ”ではなく“Y先生を探せ!”をやりました。今回は先生から事前に「6曲歌うよ」と聞いていたのですが、録画して何回か繰り返してみていますが、まだ全曲見つけていません。ちなみに息子君は年末のNHKの第九を見ながら「合唱団の先輩を探せ!」をやってました。彼はきちんと全員見つけたようです。年始年末、親子で似たような事をしている我が家でした。(2014年1月5~10日)

 1月も10日を過ぎ、やっと“お正月”って感じから、普通の“1月”って感じになってきました。ううむ、なんか残念。一年中、お正月でもいいんだけれどなあ(笑)。(2014年1月10~13日)

 最近の私は、ほぼピカチュー状態でございます。あっちでもこっちでも電撃を喰らわせています。放電体質なので、毎年の事とは言え、放電すると自分の指先も一緒に焼いちゃうので、この季節の私の手は、焼き肉の香りがほんのりいたします(涙)。(2014年1月13~16日)

 今年もぼちぼち花粉の季節がやってくると思うと…ああ憂鬱だよぉ~。(2014年1月16~22日)

 さすがにここ数日は、湘南地方でも、寒いなあ~と感じる気候になってきました。いや、実は『気候』ではなく『陽気』と書こうとしましたが、いくらなんでも『“陽”気』は無いだろうと思って言葉を変えたわけです。まあ、それくらい、日々、寒いなあ~って感じているわけです。ま、寒い寒いと言っても、最低気温が5度を前後であって、雪とか氷とかとは無縁な寒さなんですがね(笑)。生まれてこの方、一度も水道管が凍った事のない地域に住んでいる私でした。(2014年1月22~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年1月30日 (木)

フルートには名曲がない(涙)

 フルートのレッスンに行ってきました…それも35分遅れで(涙)。一応、遅れる連絡は入れておきましたが、遅刻はやっぱりよくないですね。

 お教室に入って、フルートを組み立てて、管に息を通して温めたら、すぐにロングトーンの練習です。当然、姉様はお帰りになっていますから、先生と二人でロングトーンです。やっぱり、ミが合いません(笑)。

 ロングトーンをやりながら感じた事は、フルートに吹き込む息を常に適量に保つことが大切なんだなって事です。ちょっとでも多くなると、すぐに音色がダメになるし、音程もうわずります。かと言って、少なすぎると、うまく鳴らなかったり、オクターブ下に音程が落ちます。常に息を適量だけ入れていれば、音程も音色も良くなり、先生のフルートともバッチリ合うんですね。

 さて、レッスンはアルテ15課10章Cis-durの4番の「Cis-durのスケールとアルペジオ」からです。こいつは合格しました。で、次の5番の「Cis-durのクロマティック」は、楽譜を見ているうちに、アレコレ錯乱してしまって、結局不合格になりました。

 「クロマチックは、完璧にしないといけないよ。どの音からでもクロマチックで吹けるようにしておかないといけないし、いつでも上にも下にも行けるようにしないといけないよ」との事で、次までにはなんとかしておきたいと思いました。

 このCis-durの5番はもちろんですが、次のais-mollの6番、7番、8番「ais-mollのスケールとアルペジオ」までが宿題となりました。うむ、ついに、アルテ1巻も最後の見開きページに取りかかります。あともうちょっと、アルテ1巻が終わる~、なんか感慨深いですよぉ~。

 さて、ガリボルディのプチ・エチュードは3番です。

 今回は自分に無理のない程度のスロー練習をやってきましたので、レッスンでもかなりユックリ目の速度で吹きました。でまあ、指の間違いは最小限になったのですが、ゆっくりやれば、指は楽になります。しかしその一方で、演奏のアラがよく見えるようになるわけです。

 まず言われた事は「リズムを感じなさい。この曲は6/8拍子ですよ」との事。まあ、全部が6/8ではなく、途中ほんの少しだけワルツになるんだけれど、そういうリズムの面白さが全く表現されていないって叱られたわけです。つまり、ベタ吹きって事ですね。なにしろ、指を追いかけるのに一生懸命で、どこに強拍があって…なんて意識してなかったもんなあ。先生曰く「カラダの揺らし方が、そもそも6/8じゃあないんだよなあ」との事。

 リズム、難しい。

 あと、以前から何度も言われていた“中音レ”の左人指し指を、また言われました。最近は、マスターしたかな?なんて思ってましたが、今回のこの曲、やたらと中音レが出るのですが、これだけ出ると、やはりボロが見えてしまいます。厳しいなあ。

 それからブレスの位置について注意を受けました。とにかく、楽譜に書いてあるブレス位置は気にしない…と言うよりも、間違っているモノがたくさんあるので、鵜呑みにするなと言われました。原則的にブレスは『フレーズの切れ目で吸うもの』であって『ブレスをする事でフレーズの切れ目を表現する』んだそうです。だから「ここにブレス記号が書いてある」から吸うのでは×なんです。「ここでフレーズが切れるなあ」と思ったら吸うんだそうです。だから(余計なところで)ブレスをすると「そこで、フレーズは切れない!」と叱られ、ブレスをせずに吹いてしまうと「そこは、ブレスでしょ!」と叱られます。ううむ…難しい。

 さて、今回の雑談。

 実は今回は私がレッスンに遅れてしまったため、私を待っている間、先生はご自分の練習をされていました。で、その練習で吹いていた曲に関して、レッスン後に質問をしたのです。

 どこかで聞いたことがある曲(私はフルートを吹くのに忙しくて、実はあまりフルート曲を知らなかったりします:ダメな奴です)だったので「あの曲はなんという曲ですか?」と質問をしたわけです。先生の答えは「フランクのフルート協奏曲だよ」との答えでした。

 で、続けて「フルートには名曲がないからね。だから、こんな曲でも吹かないと、コンサートが出来ないんだよ」とおっしゃるわけです。こちらは目をパチパチしていると「この曲は、本当はフルートの曲じゃないんだよ。これはヴァイオリンの曲。ヴァイオリンの曲だけれど、フルートには適当な曲がないから、吹かせてもらっているんだよ」との事です。

 先生のおしゃっる事の趣旨をまとめると…要は、フルートには名曲がない。いわゆるフルート曲と言うのは、フルートの音色を聞かせたり、フルートの技巧を見せつけたりするための曲ばかりで、フルートで音楽を聞かせられるような曲はない。だから、音楽を聞いてもらおうとコンサートで考えると、どうしてもヴァイオリンの曲を吹かないといけないんだ…ってわけです。

 とにかく、フルートの名曲と言うと、ドイツバロックとフランス近代曲しかなく、いわゆるクラシック音楽の華の時代であるロマン派の音楽が皆無って事になってしまうわけです。

 「シューベルトがかろうじて書いているけれど、あれだって変奏曲であって、ソナタでもなければ、コンチェルトでもないわけだからね」との事です。

 「ロマン派の時代、フルートって、よほど人気がなかったんでしょうね?」と私が質問すると「飽きられていた…んだろうね。当時はクラリネットが人気の楽器だったから(木)管楽器の曲を書こうと思ったら、フルートではなく、クラリネット。あるいは同じリード楽器のオーボエになってしまったんだと思うよ。とにかく、フルートは大昔から、この世にあった楽器だし、作曲家たちも、いいかげんに飽きていたんだと思うよ」との事です。

 「フランクのフルート協奏曲は良い曲だとは思うけれど、やっぱりこれはヴァイオリンの曲であって、この曲を吹いていても、フルートの良さはちっとも表現されないんだよ。そこが寂しいところなんだよなあ…」

 そして重ねておっしゃるに「フルートはやはりオーケストラで吹くのが一番いいね。ブラームスなんて、フルートのために、美しいシークエンスをたっぷり書いているからね。フルートを吹くなら、オーケストラに限るよ」と、元オーケストラプレイヤーであるH先生はそうおっしゃるわけです。

 ま、私にはオーケストラでフルートを吹けるチャンスなんて、絶対、ありっこないけれどね(涙)。

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2014年1月29日 (水)

禍福はあざなえる縄のごとし

 「禍福はあざなえる縄のごとし」とは、よく言ったものだと思います。

 人生長く生きていると、つらかった事もあれば、良かった事やうれしかった事もあります。

 例えば、昨年の話で言えば、妻の怪我がそうです。アキレス腱を断裂するなんて大怪我をし、未だに治っていません。怪我をしたのが10月ですから、もうなんだかんだと言って、三ヶ月以上も療養生活をしているわけですが、未だに怪我人状態のままです。おそらく、まだしばらくの間は装具をつけている事になるでしょうし、まともに歩けるようになるには、まだ数ヶ月の時間が必要となるでしょう。

 それでも、車椅子生活からは脱却し、松葉杖生活を経由して、今では装具生活になったわけです。車椅子生活と装具生活では雲泥の差があります。実に人間らしい生活を送れるようになりました。

 妻が足を怪我した事で、世間の怪我人を見つめる目であるとか、バリアフリー問題であるとか、そういう事を知ることができました。

 また、昨年から仕事が忙しくなり、趣味に時間を割く事ができなくなりました。趣味生活的には残念な事ですが、私の人生的には、良かった事なんだろうと思ってます。いい年したオッサンだからね。出世する事も必要なんだと思うし、社会に対して責任を負っていく事も、大人としての当然の在り方だものね。

 また私同様に、いやそれ以上に仕事に忙殺されるオジサンたちたちの趣味への気持ちも、よく分かるようになりました。私の場合、たまたま仕事がユルかった時期に音楽趣味を再開したわけで、仕事がユルくて時間があれば、趣味も楽しめますが、仕事がキツくて時間も体力も無い中での趣味は…ほんと、大変(汗)。だけど、人生にとって趣味ってヤツは、本当に必要なモンだなって思います。オジサンたちの趣味への情念のようなものが分かるようになっただけでも、私は一歩、大人の階段を昇ったわけです(笑)。

 趣味への情念が分かるようになった分、他人に優しくなれるんじゃないかな…な~んてね。

 趣味生活的には、ヴァイオリンを辞めてしまった事は、返す返すも残念でしたが、短期間でもヴァイオリンをマジメに学んでみて、歌やフルートだけでは分からなかった音楽の深さも感じられるようになりました。

 東日本大震災があって、福島の原発事故があって、当時のフルートの先生であった笛先生が被爆を恐れて、いきなり湘南地方から消えてしまったのは、すごいショックでした。あの頃、色々な事があって、ゴタゴタしている最中に、いきなりフルートのレッスンが無くなってしまって、正直「なんなんだよ~」と思ったものでした。

 ちょうどアルテが15課に入り、ガリボルディのミニヨン・エチュードに取りかかったところで、先生がいなくなったしまったわけです。

 あの頃は、日本全体がそうであったし、それに同調するかのように私個人も、大きな喪失感と先の見えない不安感を感じたものです。それに加えて、フルートの先生の失踪ですからね…いやあ、ショックでした。

 笛先生とお別れして、まもなく、今のフルートの先生であるH先生と出会う事ができました。たぶん、それで良かったのだと思います。笛先生はジャズフルートの人で、私にジャズでもクラシックでも通じる基礎基本と、音楽の楽しみを教えてくださいましたが、いよいよ教則本も難しくなり、私自身がクラシック志向な生徒ですからね。アルテ15課に入ったところで、ガチガチのクラシックのH先生に代わったのは、タイミング的に良かったのだと思います。

 その笛先生は、今は沖縄でジャズフルートのみならず、ジャズサックスの先生もしているそうです。うーむ、やっぱりフルーティストはサックスも吹けなきゃいけないんだな…。ちなみに、笛先生との関係は現在も良好でして、今でも普通に電子メールやリアルメールのやり取りをしていますし、こちらで演奏会をやることがあれば出かけております。

 そうそう、先生を代えたと言えば、声楽もそうです。

 以前習っていたキング先生のところでは、正直、レッスンに閉塞感を感じていました。レッスンは毎週あったし、月に1度の歌劇団の練習はあって、歌うチャンスは今よりもうんとあったし、それぞれに一生懸命取り組んでいたにも関わらず、正直、あの頃はちっとも自分が上達している感じがなく、先生の手のひらの上で、ただ遊んでいるだけって感じでした。

 いや、今思えば、個人レッスンに切り換えて1年ぐらいしたところで、私の上達は止まってしまい、後は、歌の力量は横ばい状態、無理な発声が祟って、ノドは壊れ始めていったところです。

 私は今でもそうですが、上昇志向といいますが上達志向が強い人間です。日々成長したい人ですし「昨日の自分に今日は勝つ!」と常に心に決めて生きている人間なんです。

 でもキング先生の元では「出来ない事は出来ないのだから、いいかげん、諦めよう」という気持ちになっていました。レッスンを受け続けても、全然上達を感じられないし、先生からも「すとんさんにはオペラアリアは無理。テノールも無理。これ以上、上達する事は無いです。歌を続けたいなら、バリトンになって、オペラアリアではなく、歌曲とか愛唱歌とかを、自分に無理のない範囲で歌っていればいいじゃないの?」って宣告されるし…。

 つまり、上達する事はあきらめて、現状の力量の中で遊んでいればいいじゃない? って事を言われたわけです。

 確かにあの門下の中には、そんなスタンスの人も大勢いるわけだし、若者ならともかく、こんな年になってまで、上を目指している自分って変なのかな? これって“年寄りの冷や水”って奴なのかな? …そんな事を考えるようになって、ここら辺が自分の限界で、これ以上は無理なのかもなあ…と半ば諦めてしまっていました。

 そんな中、先生と一悶着あって、門下から放りだされた形になって、一度は声楽を辞めました。

 あの頃は、捨てられた恨みと、行く先の見えなさで、グチグチしていた私だけれど、キング先生に捨てられたおかげで、今のY先生と出会えたわけだし、Y先生の元で、確実に私の歌も上達しているのだから、人生、何が幸いするか分かりません。

 今では、キング先生に(皮肉ではなく本音で)「あの時は、放り出してくれてありがとうございます」と言いたい気持ちです。…ですが、言いたい気持ちはありますが、言えません。まだ、門下を放り出された前後のトラウマが残っていて、彼の声を聞いたり、姿を見たりするだけで、呼吸が浅くなり、心臓が脈打つのが早くなってしまうんですよ。つまり、まだ感情とかカラダがキング先生を拒否しているんですね、なにしろ、ブログにはほとんど書かなかったけれど、ほんと、ひどい仕打ちを受けたもんなあ…。

 つらい経験や別れの経験は、その時はすごく心を傷つけるけれど、それがなければ、次の展開もないし、出会えない人もいるわけで、その新しい出会いが、新しい自分を作るキッカケになる事だって、しばしばあるわけだから、人生まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」とは、よく言ったものだと思います。

 昔の人の言葉は、ほんと、心にしみますね。

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2014年1月28日 (火)

声楽とフルート、どちらの方が上手?

 今年で習い始めて、声楽が8年目で、フルートが1年遅れですから、今年で7年目に突入します。もっとも、フルートは最初の年から個人レッスンでしたが、声楽は最初の2年はグループレッスンでしたから、個人レッスン歴で言えば、今年で6年目になります。

 さらに言えば、その両方とも途中で先生が変わっていますが、フルートの方はスムーズに先生が代わり、レッスン内容もきちんと継続して積み重ねていますので、今年で7年目でいいと思いますが、声楽の方は、先生が代わったところで「前の先生に教えていただいた事は(極端に言っちゃえば)すべて間違い」という事で、基礎の基礎からやり直しているところで、レッスンの継続もなければ積み重ねも無いので、個人レッスン歴も6年目と言って良いのか、微妙なところです。実際のところは、声楽歴はまだ3年目…というべきかもしれません。もっとも3年目と言っても、まだ実質は1年半しか習っていないのですが(笑)。

 まあ、フルート7年目、声楽が3年目として、さて、声楽とフルート、どちらの方が上手なんでしょうか? これでも、たまに悩むんですよ。

 声楽とフルート? そんなのドングリの背比べ的な比較です。「はっきり言って、どっちもまだまだ」というのが、正しい答えだという事は分かってますが、話のネタとして、つきあってください。

 声楽は、基本的な教則本である、コンコーネ50番は10番かそこらで挫折したままですし、初級の歌唱教材と思われている「イタリア(古典)歌曲」についても、14曲しか学んでいません。(1巻)全部で36曲あるのにね。そういったカリキュラム的な側面から見ると、たいした事ないのですが、その一方で、その次の段階の教材として扱われる、イタリア系作曲家の歌曲とか、テノールのオペラアリアも、ボチボチと手を着けはじめております。

 一方フルートは、基本的な教材であるアルテの1巻をまだ学んでいる最中です。この教則本は、早い人で1年程度で終了する教材です。それを7年目に突入した今もまだ学んでいます。私よりも後からフルートを始めて、先に終えてしまった方も、ネットにたくさんいらっしゃるのに、まだ私は学んでいたりします。

 タファネル・ゴーベールの「17のメカニズム日課大練習」やモイーズの「ソノリテ」などの基本的な教材もやってないし、それどころか、私にはレパートリーと呼べる曲が、フルートでは一曲もないんですね。

 レパートリーとは…例えば、一週間後に某所でステージがあるから、そこで何曲か披露してくださいと頼まれた時(なんてあるわけないですが:笑、まあ妄想につきあってください)、ササッと準備できる曲をレパートリーと呼びたいと思います。

 声楽だったら、イタリア古典歌曲を数曲準備できると思います。トスティの歌曲も「La Serenata/セレナータ」、「L'ultima canzone/最後の歌」、「Non t'amo piu!/君なんかもう」の三曲ならいけると思います。ドナウディの「O del mio amato ben/ああ愛する人の」やチマーラの「Nostalgia/郷愁」もいけるかな? オペラアリアは難しいけれど、ミュージカルのソングなら、バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」の「Somewhere」とか、ロイドウェーバーの「オペラ座の怪人」の「The Music of the night」はいけると思います。また、イタリア民謡でも「Santa Lucia/サンタ・ルチア」、「O sole mio/オー・ソレ・ミオ」、「Non ti scordar di me/忘れな草」の3曲ならイケると思います。一週間あったら、これらの曲を人前で披露できるレベル(ただし、あくまでも、私なりのレベルですが:笑)にあると思います。

 でも、フルートだと、レパートリーって1曲もないんですよ。これって悲しいですね。

 だいたい、ドレミ楽譜出版の「フルート名曲31選」に載っているような定番曲がひとつもまともに吹けないんです。それよりも比較的簡単なポビュラーソングについても「一週間後にお願いします」と言われたら、全力でお断りするしかないレベルです。これは謙遜ではなく、昨年秋、某所で吹いた「恋するフォーチュンクッキー」の演奏結果を見ても、フルートはまだまだだなって思ってます。(このあたりの話はこちらで書いてます)

 なので「声楽とフルート、どちらの方が上手?」と尋ねられたら「ううむ、かろうじて“声楽”の方かな?」と答えるのが正直なところかな?

 妻に「私の場合、声楽とフルート、どちらの方が上手だと思う?」と尋ねてみたら「声楽は人前で披露できる曲があるけれど、フルートは人前で披露できる曲がないんでしょ? まあ、声楽は音程に難がある曲もあるけれど、披露できる曲のないフルートよりもはいいんじゃないの?」という答えでした。人前で披露できる曲の有無が、やはり決め手となるようで…まさに究極の選択への答え…のような回答でした(汗)。

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2014年1月27日 (月)

やっぱり私にはバリトンは無理っす

 先日は、私の趣味の一つである『余所の門下の発表会』って奴を、またまた見てきました。いやあ、余所の門下の発表会って、本当に勉強になります。

 今回、お邪魔したのは、若手バリトン歌手さんの門下の発表会でした。ネットでは有名な先生の門下で、私もそのブログは愛読しているほどですが、今回は記事にする許可をいただいてませんので、あえて匿名にして書きます。もしかして、この記事をご覧になってらっしゃるかもしれませんが、その時は、笑って許してください。

 場所的にはちょっと遠くて二の足を踏んでいたのだけれど、行って良かった~。あれこれとたくさん学んで帰って来れました、感謝感謝です。

 まず、その門下生の方々の共通した特徴は“自然な発声”って奴です。ボリュームたっぷりの声量なのに、ちっとも力んだ感じがしない発声がすごいなあって思いました。

 私はよくY先生に「力付くで声を出さないで、響きで歌いなさい。響きで歌った方が、絶対に声量は増します」と言われてますが、それがなかなか腑に落ちなかったのですが、今回は、こちらの発表会を聞いて、それこそ“すとん”と胸に落ちました。ああ、力付くでなく、自然な声で響きをたっぷりつけて歌えば、こんなにも声って豊かに聞こえるモノなんだなってって思った次第です。

 特に感じたのは、鼻腔周辺の響きが豊かな人が多いなあってことです。もちろん、鼻声という意味ではありません。キレイに鼻腔周辺の響きを使って、声にリンとした張りをつけて歌っている方がたくさんいらっしゃった事です。良い意味で、メタルな響きが声に乗るんですね。このメタルな感じがあるから、楽な発声なのに、力強さを感じさせるのかと…感心しながら、聞きました。いや、学べる学べる。

 しかし、このメタルな響きって、録音しちゃうと聞こえなくなってしまう要素なんだと思います。やはり、生歌を聞かないと学べない事ってたくさんあるなあ。

 あと、広い音域の曲をどう歌うかとい問いに対して、手軽な回答として、曲の中で音程が高い部分は高いポジションで歌い、音程が低い部分は低いポジションで歌うというやり方があるし、私はキング先生からこのやり方で歌えと指導されましたが、この歌い方の特徴は、確かに広い音域の曲への対応が簡単になる一方で、曲の最中で、歌い手の声の音色って奴がコロコロと変わるという欠点もあります。

 ま、多くのアマチュア歌手さんは、ポジション移動を使って、広い音域の曲に対応するケースが多いけれど、ここの門下の方々は、そのやり方は使ってませんでした。あくまでもポジション移動は一定の範囲に留め、同じポジション内で使える音域を広げていくというやり方をしているように感じました。

 その結果、いかにも高い音を出してますとか、低いフレーズを歌っていますとかいう、声の見せびらかし的なアピール度は低くなりますが、その代わり、曲全般がレガートで音楽的に聞こえるわけです。これって実はかなり難しい歌唱方法なんじゃないかなって思います。管楽器で言えば、オクターブキーを使用せずにメロディを吹くようなモンですからね。ほんと、難しい技巧だと思います。

 それと、ここの門下の方々は、それぞれが特徴的で典型的な声をしていると思いました。高声の方も良かったけれど、男女問わず、低声の方が実にすばらしいかったです。これぞメゾ、これぞバリトンという声が聞けてうれしかったです。

 あのような声での歌唱を聞くと「私/あなたは、高音が出ないからアルト/バリトンです」と言うのは、実にアルトやバリトンを侮辱した発言なんだなって思いました。

 バリトンは高い声が出ないからバリトンなのではなく、声が太くて美しいからバリトンなんですね。ほんと、そう思いました。同様に「私/あなたは、裏声で上手に歌えないからアルトです」と言うのも失礼な話だと思いました。本来は、豊かな中低音で歌えるからアルトなんですよ。

 なので、以前、キング先生から高音が出ないという理由で、バリトン転向を薦められた私ですが、それって、実はバリトンの方々を侮辱する行為だったんだなって思いました。本当は「君は高い声が出ないのだから、狭くて低い音域の曲ばかりを選んで歌う人になりなさい」と言うべきだったんだと思います。

 そうそう、こちらの門下は、若い方が大勢いらっしゃって、実にフレッシュでした。若い方々は、声が若々しいだけでも美点となります。私自身がテノールである事もありますが、出演なされた、若いテノールの方は本当に素晴らしかったと思うし、まだまだ伸び代もある方なんだろうなあって思いました。そういう優れた才能を持った若者を見つけると、オジサンは意味なく興奮してしまうのですよ。

蛇足 この発表会の後もしばらく興奮状態が残ってしまい、別の門下の発表会が近い日程で開催されたのてすが、そちらを見に行くのはパスしてしまいました。なんか、歌の印象が消失する前に上書きされるのがイヤだなって思っちゃったからなんだけれどね。

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2014年1月26日 (日)

快楽とか幸福とかについて考えた[2014年1月第4週・通算3週]

体重:109.6kg[+0.4kg:-1.8kg]
体脂肪率:30.6%[-0.2%:-0.6%]
BMI:34.6[+0.1:-0.6]
体脂肪質量:33.5kg[-0.1kg:-0.9kg]
腹囲:106.0cm[-1.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 ちょっと体重増えちゃいましたね(汗)。なかなか正月太り解消も楽じゃないです。でも、急に体重を落とすのは老体にとって良いことではないから、まあいいか,なんてちょっぴり言い訳する自分がここにいます(ダメじゃん)。

 さて、今週のエッセイです。

 かねがね考えていた事ですが、似ているようで、やっぱり違うのが“快楽”って奴と、“幸福”って奴じゃないかな?

 もちろん、違うからと言って、両者は全く関連性がないわけじゃないです。

 例えば、快楽が連続している状態、あるいは日常と化している状態を幸福と感じる人は多いでしょう。でも幸福を感じている人が常に快楽も感じているのかと言うと…そこは違うわけで、むしろ幸福な人は、快楽に関して無自覚な部分があるかもしれません。

 快楽って言うのは、恍惚感を伴う快状態の事じゃないかな?

 なので、美味しいものを食べて感動する“食の快楽”とか、美しい光景や絵や写真・カワイイ事物を見て感動する“目の快楽”もあるし、もちろん性的な快感を伴う“エロスの快楽”って奴もあるわけです。

 快楽には恍惚感が伴うモノだし、恍惚感と言えば、肉体的な恍惚感のイメージが強いけれど、小説を読んで感動したり、映画を見て感動するのも、一種の恍惚感でしょ? 精神的な悦楽だって快楽と呼んでいいんじゃないかな?

 その恍惚感が肉体的なモノ、精神的なモノ、物質的なモノ、いずれの場合であっても、恍惚感が存在する以上、快楽というものは、基本的に刹那的なものです。永続する恍惚感なんて…ありえないし、もしそうなら、その人の精神は病んでしまうでしょう。

 だから、快楽は長続きしないものです。その代わり、何度でも繰り返して味わうことが可能なんだと思います。

 一方、幸福ってのは、刹那なモノではなく状態です。快楽が悦楽ならば、幸福は安寧です。

 幸福って、現状において不足がなく、将来における不安がない状態の事じゃないかな? 幸福にとって大切な事は、継続性がある事。だから、幸福は訪れるものだけれど、すぐに立ち去ってしまう類のものではなく、しばらく継続するモノ。だから幸福と呼ぶことができる…んじゃないかな? だって、幸福がその人に訪れても、すぐに立ち去ってしまったなら、人はそれを“幸福”とは呼ばず“幸運”って呼ぶんじゃないかなって思うからです。

 例えば、宝くじが当たったとします。

 その宝くじの賞金をバンバン使って、好きなものを山のように買い込んだ時、心は言い様もない恍惚感と高揚感にあふれる事でしょう。これはいわゆる“買い物の喜び”であって、快楽の一種だと思います。

 どれだけのモノをいつまで買い続けることができるかは…賞金の額にもよりますが、いずれ賞金は底をつきます。買い物は無限にはできません。快楽には終わりがあるのです。ただ、その賞金が、実に莫大であり、そう簡単に使い切れないのならば、買い物の喜びも相当な長期間味わうことができるわけで、その間は「私って幸福だわ~」と感じるかもしれません。しかし、賞金の額がさほどでなければ「オレ、ラッキー」っで終わるかもしれません。つまり、運がよかったなって事です。

 一方、その賞金を元に、自分と自分の身の回りの人の肉体的安全と経済的安心が確保できれば、その人に幸運が訪れたって言えるかな? 具体的に言えば、当分食うに困らないだけの賞金がもらえれば幸福でしょうね。働かなくて済むようになるかもしれないし、あるいは、自分の好きな仕事だけしていれば、生活がまわっていく事になるかもしれない。住まいもちゃんとしたところにできるし、着るもの、食べるものに余計な心を使わなくて済むわけです。本当に賞金が莫大なら、銀行等に預けて、その利息で生活すれば、そんな状態が永続可能になるわけだしね。うむ、そんな生活、してみたいなあ…。

 もっとも、持ち慣れない大金を手にしてしまったために、いつもいつもビクビクしていたら、それは不幸って言えると思いますが…。

 さて結論。音楽って、たぶん、快楽を得るための道具の一つだと思います。それは演奏するにしても、演奏を聞くにしても、同じ事です。いわゆる“耳の快楽”って奴です。

 人は音楽に親しむことで、容易に快楽を得られるのです。少なくとも私の場合は、体験的に『音楽は快楽を得るために便利な道具である』と言えるでしょう。

 一方、音楽って快楽だけでなく、幸福につながってくると思います。音楽を感じる事のできる空間を想像してみてください。ほら、幸せな空間でしょ? たとえその場に音楽が流れていたとしても、幸福な状態でない時には、音楽が耳に入って来ないじゃないですか? 心は心配事に占領され、脳は音楽を味わう余裕がなくなるんです。

 だから、逆説的ですが、日々、音楽を感じていられる人生なら、その人生はかなり幸福な人生だ…って思うんですよ。

 私は快楽も求めたいし、幸福でもありたいです。音楽を人生の友とする事は、快楽と幸福の両方を同時に得ることにつながっていく…ような気がするんですよ。

 違うかな?

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2014年1月25日 (土)

なぜ金魚はペットたりうる存在なのか?

 ペットと呼ばれる愛玩動物ってのが、この世にはいます。動物種全体から見れば、この愛玩動物って奴は、ごくごくわずかしかいません。それこそ、イヌ・ネコが、その大半となるでしょう。

 その他となると、小鳥、ネズミ(ハムスターとかモルモット)、ウサギ、カメぐらいかな? イタチとかワニとか飼っている人もいないわけじゃないけれど、まあ数的には少数派でしょうね。

 そんな中、魚を愛好する人は、そこそこいるんじゃないかな? 具体的な統計を見たわけじゃないけれど、魚を愛する人は、イヌネコには及ばないだろうけれど、小鳥あたりとはタメはれる、いい線行っているんじゃないかなって思います。少なくとも、ネズミやウサギ、カメの愛好者よりは数がいるんじゃないかな?

 魚にも色々あります。趣味としての魚類なら…やはり熱帯魚でしょうね。こちらは趣味の王道というか、セレブコースですね。一方、金魚の方も熱帯魚には負けていないと思いますよ。特に夏~秋にかけて「金魚すくいの金魚を飼ってみました」という人はたくさんいらっしゃるでしょうね。

 金魚って、けっこうお手軽なペットなのかもしれません。金魚すくいはもとより、まだまだ町中には金魚専門店が残っている地域もあるし、そうでなくても、ホームセンターとかに行くと、金魚売ってますしね。金魚って、ほんと、入手が容易です。この入手の容易さで言えば、あらゆるペットの中でも、ダントツの容易さでしょうね。もしかすると、イヌネコよりも入手は容易かもしれません。

 さらに言えば、金魚は価格的にも安いですね。子どもの小遣いでも生体が買えますから(笑)。

 それに、結構ズボラに飼えます。散歩はいらないし、エサは1日に1~2回やればいいし、やり忘れても大丈夫です。2~3日エサ無しでも、どって事ないです。

 おまけに物静かだし、不必要に人間にからんでこないし。あと、臭くないです(笑)。

 あえてペットとしての金魚の弱点を言えば「直接触れる事ができない(スキンシップに大いに欠ける)」「寝食を共にするわけにはいかない(あっちこっちビショビショになってしまう)」「連れて歩けない(水槽ごと運搬するなら話は別だけれど…)」って事ぐらいかな? その辺にこだわりがなければ、金魚はペットとしてグッドです。

 それになんと言っても、金魚は美しいです。美しさにかけては、小鳥とか熱帯魚とかにも匹敵する美しさです。金魚って“泳ぐ宝石”ですからね、見ることしかできませんが、見ているだけで、うっとりしてしまう魅力があります。

 それと個体識別が容易につくのも、ペットとしての大きな魅力ですね。私はドジョウも飼ってますが、ドジョウは複数飼っていると、なかなか個体識別が難しいです。

 ほらほら、やっぱり金魚って、ペットしては優れた特性を持った生き物ですね。これだからこそ、金魚に魅せられて、金魚を飼う人は大勢いるんだと思います。

 ビバ! 金魚。 ラブ・ユー・キンギョ。

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2014年1月24日 (金)

プロとして生き残るのは、きびしい

 フルートのレッスンに行ってきました。はい、もちろん、五分遅刻しました(涙)。今週こそは、時間通りに行こうと頑張ったのですが…なかなか難しいです。今回は、五分遅刻で部屋に入ったところ、すでに姉様のレッスンは終了し、フルートも片づけ終わり、先生との楽しいおしゃべりタイムに入っていました。なので、私は急いでフルートを組み立てて、管に息を吹き込んで準備をしました。

 ICレコーダーのスイッチを入れても、すぐに切れちゃう…。あれ、まだ電池が十分なはずなのに…寒いからかな? ちゃんと電源が入らないので、今回のレッスンは録音無しです。

 とりあえず、ロングトーンは先生と二人きりでおこないました。うん、だいぶ良いよ。ただ、どの高さでもミの音が先生とは合わないな。どうも私はミが苦手みたいです。

 さて、本日の宿題は「できるところまで…」だったので、アルテ15課10章Cis-durの2番の「アルペジオ基本練習」からです。さすがにこの課題は、それなりにきちんと練習したので、一発合格でした。やったね。続く3番のトリルの課題も難なく合格。

 問題は4番の「Cis-durのスケールとアルペジオ」です。とにかく、息が続かない(笑)。ダメじゃん。これは次回に持ち越しとなりました。その次の5番の「Cis-durのクロマチック」は、楽譜を見ずにやれば、簡単にできます。だって、いつも自宅練習でやっているもの。問題は、これを楽譜を見ながらできるかって事ね。どうも楽譜を見た途端に、アタマに「???」が沸いて出てきて失敗します。ううむ、ダメだな。これも次回に持ち越しとなりました。

 で、ガリボルディのプチエチュードの3番です。今回が初回だったのですが、家ではそれなりに出来上がっているつもりで持っていったのですが、例によって、ボロボロでした。ま、それは良くあることなので、気にしませんが…。

 数カ所、臨時記号で間違っていた事と、装飾音符の吹き方が間違っていた事と、中音のレとかミbとかの左人指し指の件とか、色々とまあ注意されました。

 とにかく「演奏が速いです」と言われました。たしかに完成形は速い曲だけれど、吹けもいないうちから、完成速度で吹いちゃダメだと言われました。

 「練習の時にミスをしてはいけません」はH先生の持論です。とにかく、練習ではノーミスでないといけません。練習でミスをしてしまうと、ミスを練習する事になって、いつまでたっても吹けるようにはならないからです。

 だから、大切なことは、ミスなく吹ける速度でしっかりと練習してくる事。そのためには、しっかりと音符を読んで、次に何をするのか、考えながら吹ける速度で練習しないと、意味がないんだそうです。

 速い速度の演奏では、何も考えずに、指で覚えた記憶で笛を吹くことになるけれど「指で覚えたものは演奏とは言わない」というのもH先生の持論なんです。とにかく、指で覚えるのはダメ、何となく吹くのもだめ、きちんと楽譜を読んで、意識的に吹かないとダメなんです。

 なので、自分で楽譜を読める速度内でしかフルートを吹いてはいけないわけで…そうすると、私の場合、すごーくすごーく遅くなるけれど…それでもミスのある演奏をするよりも、ずっといいし、早く上達するんだそうです。

 とにかく、次回まで、本当にゆっくりした速度で練習してくるように心がけてきます。

 今回の雑談は“プロ奏者とは何か”って話です。

 話のきっかけは「最近、若いフルーティストがたくさん出てきたねえ…」でした。

 最近の若いフルーティストさんの特徴は、他人と合わせるのが苦手…だと先生は感じているそうです。「他人と合わせられないんじゃなくて、他人の演奏を聞いていないし、指揮も見てない。自分一人でフルートを吹いているんだよ。テクニックもあるし、上手なのかもしれないけれど、それだけじゃあ、いずれ消えちゃうね」との事です。

 実際、毎年、音楽大学を卒業して、プロの演奏家として活躍を始める人たちはたくさんいるそうですが、その人たちのほとんどは、5年後はいなくなるのが、プロの世界なんだそうです。

 先生曰く「プロになるんじゃないだよ。プロとして生き残るんだよ」なんだって。深いね。だから、プロとしての演奏が出来なくなったら、それでお終い、なんだそうです。

 「だから、我々の世界には定年はないんだよ。年をとって下手くそになったら、仕事が来なくなって、仕事を辞めるしかないんだよ。だからフルートを吹けるうちは吹き続けるんだよ。これも生き残りだね」なんだそうです。

 先生も山で滑落事故を起こして、死にかけたけれど、根性出して復活したのは「仕事が来なくなったら、仕事を辞めるしかない」プロの世界に生きているからなんだろうなあって思いました。

 しかし、先生はダメっぽい言い方をしたけれど、たとえ5年を待たずに消えたとしても、その人は、一度はプロとしてスタートを切ったわけだから、すごいよね。専門教育を受けたって、スタートを切れずに、最初から別業種で生きていかなければならない人の方がうんとうんと多いんだからね。その中から、ごく少数の選ばれたエリートたちだけが、プロとしてスタートを切れるわけなんだよ。

 そうしてスタートを切ったエリートさんたちも、その大半が5年で消えてしまうとは…ほんと、プロの世界って厳しいね。もちろん、H先生のおっしゃる“プロ”と言うのは、レッスンプロでなく、演奏で主たる生業をたてる人の事なんだろうけれど、それでもやっぱり厳しい世界なんだな…と思いました。

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2014年1月23日 (木)

夢について思う事

 夢と言っても、一般的な「私の夢について」の“夢”ではなく、今回取り上げるのは、トスティ作曲「Sogno/夢」という歌曲についてです。

 この曲は、以前、キング先生の元で学んだことがあります。2010年夏の話です。あの時は、ひどかったなあ…。正直、非は私にあったわけだけれど、今でもトラウマになってます。

 あの頃の話を簡単にすると、2010年の夏頃、レッスンの課題に、トスティ作曲の「Sogno/夢」が出され、一生懸命、自宅練習を重ねて、レッスンに臨みました。自宅では楽に歌えるのに、レッスンでは全く歌えないわけで、あんまりそれが悔しいので、自宅で歌った音源を「ほら、自宅では歌えるのに、レッスンでは歌えないんだよ」とネットにアップしたところ、その音源を先生が聞いて、怒ったわけです。

 何を怒ったのかと言うと、自宅ではレッスンよりも全音低く歌っていた、という事と、全音低く歌っていた事に気づかなかったという事。この二点を、本当にこっぴどく叱られたのです。それもレッスンの時間を丸々使って、たっぷりコッテリと…ね。いい年した立派なオッサンが、先生とは言えど、他人に一方的に延々と30分も罵声を浴びせられ続けられると…心、折れるよ。トラウマになるよ。私は今でも、あの時の、キング先生の怒りに沸騰した様子をまざまざと覚えているもの…。

 ブログの記事的には…

なぜ、自宅練習のように歌えない!(涙)[音源付き]

声楽を辞めてしまおう

 …のあたりに、当時の事が書かれています。当時は、叱られた事に萎縮してしまったし、非は全面的にこちら側にあって、何を言っても言い訳にしかならないので、なぜ失敗してしまったのかを考えることすら放棄していました。ブログには、先生の体面を考えた表現で書かれていますが、実際のところは、曲の事だけでなく、普段の生活態度や音楽観、人格までも合わせて否定されたわけで、私も言い返したい気持ちは山のようにあったのですが、それらを堪えて何も言わずに飲み込んだものです。

 一応、私も体育会系の人間ですからね。

 でも、その時にきちんと気持ちを吐き出さなかったので、今でも心の底流でグチグチしているんだろうと思います。

 どちらにせよ、先生の指示通りに練習してこなかった私が悪いんです。

 さて、なぜ私は先生の指示された音(つまり調性)で練習してこなかったのかと言うと…もちろん、ワザとではなく、気がつかなかっただけなんだけれど…市販のカラオケを使って練習したからです。

 私はピアノが弾けません。せいぜい、メロディの音取り程度しか弾けません。自分の歌の伴奏を弾く事は全然できません。おまけに、音程やら音感やらに難がありますから、無伴奏で練習をするわけにもいきません。それでも和声感だけは人並みにありますから、カラオケを使って練習(それもガイドメロディがあれば最高)すれば、そんなに大きくハズすこともなく、歌の出来の善し悪しもよく分かるようになり、練習もはかどるというものです。

 当時、私が使ったカラオケは、音楽之友社から発売されている「独習と受験のためのイタリア歌曲集(2)」です。

 このカラオケは「独習と受験のため~」と銘打たれているように、声楽初心者を対象とした、練習&学習用のカラオケで、うまく使えば、百人力となる便利なカラオケです。で、このカラオケに収録されている「Sogno/夢」はAs-durです。楽譜も付いてますから、それをみれば、この曲の調性は一目瞭然です。

 対して、キング先生が指定したのが、全音楽譜出版社の「トスティ歌曲集1」に収録されているバージョンで、こちらの調性は、実はB-dur。つまり、カラオケ(音楽之友社)はAs-durで、先生が指定した楽譜(全音)はB-dur。ちょうど全音(カラオケのキーで言えば2つ)カラオケの方が低いわけです。

 最高音で言えば、カラオケはFですが、先生指定の楽譜ではGとなります。そりゃあ、最高音がFとGでは、その難易度も雲泥の差です。特に、その当時の私はGが出なくて悩んでいた頃ですから、自宅では最高音がFですから、楽々歌えても、レッスンでは最高音がGになり、ボロボロになって全然歌えないのも、道理なんですよ。

 当時の私は「音感なんてないし…」とぼやいてますが、音感どころか、付属している楽譜をちょっとでも見れば、その違いに気がつくはずなのに、そこに気が回らなかった当時の私が、スカタン過ぎるわけです。ほんと、言い訳なんて、カケラも出来ない状態なんですよ。

 まあ、その一件以来、カラオケの調性にシビアになった私は、それ以降、市販のカラオケを使う時は、その調性を必ず確かめるようになりましたけれど…ね。

 まあ「Sogno/夢」は歌曲ですから、「歌曲は作曲家が指定した調性で歌わないといけない。移調という作業は作曲家と作品への冒涜でしかない」というポリシーの持ち主ならともかく(ちなみにキング先生はそういうポリシーの方です)、その歌手の音域に合わせた調性に移調して歌えばいいじゃんというポリシーの方もいらっしゃるわけだから、トスティの「Sogno/夢」だって、出版社によって、様々な調性のバージョンがあっていいわけです。

 当時の私は、音楽之友社のカラオケは、声楽初心者向けのカラオケだから、全音低い調性で収録されているだ…なんて、勝手に考えて,自分を納得させていました。

 あれから月日もたち、私も色々な事が分かるようになりました。

 別に音楽之友社のカラオケは、声楽初心者向けのカラオケだから全音低く収録していたわけではなく、音楽之友社から出版されている「トスティ歌曲集」の「Sogno/夢」もAs-durですから、カラオケの方も、あえてAs-durで収録されていたに過ぎないのです。

 もうちょっと調べてみると、河合楽器から出版されている「トスティ歌曲集」の「Sogno/夢」はAs-durだし、イタリアのリコルディ社から出ている「Sogno/夢」もAs-durなんです。でも、全音出版社から出ている「Sogno/夢」はB-durなんです。

 たぶん、トスティ自身は「Sogno/夢」をAs-durで書いたんじゃないかな? だから、大半の楽譜出版社では「Sogno/夢」はAs-durなんじゃないかな? 特に、オリジナル楽譜を出版しているリコルディ社の「Sogno/夢」がAs-durだしね。

 どうやら、全音出版社の「Sogno/夢」が、何らかの理由を持って、全音高く移調されているんじゃないかしら? そう考えるのが、普通ですよね。

 「Sogno/夢」という曲を考えると、その曲調からして、音域はあまり高く設定しない方が良いんじゃないかな? この曲は夢の曲で、まどろみの中で歌われている曲なんだから、うつろな感じが欲しいわけだし、そういう意味では全体のキーは低い方が良いだろうし、歌手にも無理をさせずに楽に歌わせた方が効果的だし、そう考えると、B-durよりもAs-durの方が適切なんじゃないかな?

 それなのに、なぜ全音楽譜出版社は全音高く移調したバージョンの「Sogno/夢」を採用したのか? 全音楽譜出版社は、もしかすると、高音志向なのかもしれません。私が先日歌ったデ・クルティス作曲の「Non ti scordar di me/忘れな草」も、私が使用した音楽之友社の楽譜ではg-mollでしたが 全音出版社版では半音高いgis-mollでしたからね。

 またはピアノニストの事を考えたかも(笑)。だって、As-durはbが4つだけど、B-durならbが2つだものね、黒鍵4つよりも黒鍵2つの方が弾きやすいでしょうしね。

 でも、本当のところはよく分かりません。知っている方がいらしたら、ぜひ教えてほしいです。

 で、キング先生の時は、全音版の「Sogno/夢」で散々な目にあった私でしたが、今回、Y先生と改めて「Sogno/夢」に取り組むわけですが、この楽譜問題もあるので、先生にはあらかじめ「全音版で行きますか? それともリコルディ版で行きますか? 全音はB-durで、リコルディはAs-durです」とお伝えしたところ「全音版でやります」とのお返事をいただきました。世界的にはどうであれ、日本では全音版で歌うのが主流、なんだそうです。そう言われれば「トスティ歌曲集大成」を録音した松本美和子氏も、全音版の楽譜を使って録音されているものね。

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2014年1月22日 (水)

息を止めるな、吐き続けろ!

 今回も声楽レッスン記事の続きです。声楽のレッスン記事ばかり、三日も続けてごめんなさい。声楽ファン以外の方には退屈だろうけれど勘弁してください。それくらいY先生のレッスンは濃いめのレッスンだった…って事だと解釈してください。

 さて、グルック作曲「O del mio dolce ardor/ああ私のやさしい熱情が」が終わりになったので、それでは、次からは新しい曲にしましょうって事になりました。もちろん“Questa o quella”じゃありません(笑)。

 「久しぶりにトスティ行きますか?」
 「いいですね」と言うわけで、先生、トスティ歌曲集の楽譜をめくり始めました。

 「歌いたい曲はありますか?」
 「“理想”を歌いたいです」
 「あれは、リズムが難しいから、ダメ」
 「あれあれ…」
 「Sognoはどうですか?」
 「いいですね。前の先生のところでやりましたが、その時は、きちんと仕上げられなかったので、リベンジしたいです」

 と言うわけで、次の曲は、トスティ作曲「Sogno/夢」となりました。

 「前の先生のところでやった曲なら、譜読みに時間がかからないだろうから、もう一曲準備しておいてもらおうかな…」と言って、さらに楽譜をめくっていきます。で、もう一曲準備しておく事になりました。それは「April/四月」です。おぉ、この曲も私が歌いたいと切望している曲の一つですが、なにしろ季節ものの曲ですから、なかなか学べるチャンスがなくて残念だなあって思っていました。

 なにしろ、発表会とかコンサートとかって、たいてい夏~秋にかけて行うわけで、そこで四月の歌は…歌えないよね(笑)。白けちゃうよ。なので、歌いたいと思いながらも、学ぶチャンスもないままに、きっと歌わないまま終わってしまう曲になるんだろうなあって思ってましたので、今回レッスンとは言え、取り上げてもらえて、学べるなんて、うれしいです。

 で、次の曲も決まったので、本日最後の曲、プッチーニの「Recondita armonia/妙なる調和」のレッスンに取りかかりました。

 通して歌ってみました。だいたい、いい線なんですが、色々とダメな点があります。

 まずは、フレーズの切り方がダメだと言われました。もっとスパッとフレーズを切って歌えるようにしないと、休みが取れないし、結局歌い疲れてしまうと注意されました。

 私のフレーズの終わりの声の処理が下手くそってわけなんです。今は、水道の蛇口をひねって水を止めるように、声も蛇口をひねるようにグイっと量を減らして、声を止めています。このやり方では、蛇口をひねる時間分だけ、声がダダ漏れになるわけで、声がスパッと切れるわけではないんです。

 私が普段、歌う場所は、当然ですが、響きがあまりない普通の部屋です。響きがない分、その響きっぽいものを自分で作り出そうと無意識にしているんだろうと思います。だから、音のキレが悪いんです。これは私のフルートでのフレーズの切り方と共通しているので、Y先生に注意を受けた時には「ああ、H先生に注意されたアレの事か!」とピンときたものです。

 やり方は、声楽もフルートも同じ。スパッと音を切ればいいんです。つまり、声楽なら声を止めて息だけを吐き出せばいいわけだし、フルートなら、鳴りのポイントをハズして、息だけを吐き出せばいいんです。そうすれば、音はスパっと切れるし、息を吐き出してしまえば、次の瞬間に次のフレーズに必要な息がスッとカラダの中に入ってくるわけです。

 でも、それがなかなか難しいのです。

 あと、歌う箇所としゃべる箇所を考えて歌うように言われました。アリアだからと言って、全部を歌っていたら疲れてしまうので、きちんと歌うところと、しゃべるところを、楽譜を見て、しっかり把握をしないといけないのです。

 中間部の“L'arte nel suo mistero~”の箇所は当然しゃべる箇所ですから、しっかりしゃべってノドを休めないといけません。意外なのは、最高音を含むフレーズの直前のフレーズである“ah! il sol pensier sei tu!”の部分は、ついつい歌いたくなりますが、ここは歌うよりも、むしろしゃべっておいて、エネルギー取って置き、次の“Tosca, sei tu!”という最高音を含むフレーズをたっぷり歌った方が効果的だと言われました。ううむ、ついつい高いAをフレーズに含むところから、“ah! il sol pensier sei tu!”の部分も歌いあげたくなりますが、プロの方々の録音を聞いてみると、確かにこの部分、歌っている少ないかも…。音程は守りながらもしゃべっている人の方が多いかも。ここは省エネでやり過ごして、次でドカーンとやる…のがプロの手口ってわけですか。分かりました。

 で、分かったところで、その最後の“Tosca, sei tu!”が歌えるかというと、話は全く別です。なにしろ、最後の決めのBは、今回、面白いぐらいにダメでした。

 あんまりBがダメなので、そこだけ取り出して練習してみましたが、やっぱりダメなものばダメでした。

 「Bが出ないのは、すとんさんが、Bの直前で声の出し方を変えるからです。そこまでの声の出し方と変えずに行けば、Bを出せるはずなんですよ」と言われました。別に意識的に発声を変えているつもりはないのですが「次は高い音だな」と思うと、無意識に身構えてしまうだけの話です。

 そこで意図的に発声を変えずに歌ってみたところ……やっぱり失速しちゃいます。

 「Bの直前で、息が止まるんですよ。それで、声が後ろに引っ込むんですね。それではダメです。息は流しつづけるんです。音が高くなるほど、むしろ息をたくさん吐いて、声を前に飛ばすんですよ」

 うむ、息を止めてしまうのも無意識でしたから、今度は意識的に息を止めずに、むしろ息を前に飛ばすようにして歌ってみたら、今度はすんなりBが歌えました。あれ? 簡単すぎませんか?

 そこで、曲に戻って、再チャレンジをすると…やっぱりダメです。

 「単独で出せば出せても、歌の中では、まだまだ難しいですね。前回までのレッスンでは、Bもイケると思ったけれど、今回の様子ではまだ難しそうですね。とにかく、お腹をしっかり動かして、息を飛ばさないと、この曲は歌えません。まあ、しばらく、この曲は横に置いておく事にしましょう。また、調子が出てきたら、歌うことにしましょう」というわけで「妙なる調和」は、しばらく塩漬けする事になりました。

 ま、それもしょうがない事です。なにしろ、最後のB以外はまあまあ歌えるようになったわけだし、最後のBは、今回の学習目標には入っていなかったわけだから、これができなくても、この曲のエチュードとしての役割は果たしたって事で、今回の課題的にはクリアです。ただ、最後のBが歌えなければ、曲として仕上がった事にはならないので、塩漬けになったわけです。

 でも、声の出し方をAまでと変えずに、さらに息を多く流していく事で、簡単にBが発音できる事は分かったので、今度はそれを確実にできるように練習しておくぞ。Bが出れば、次はHで、その次がCだよ、Hi-Cだよ。なんか、それも私の努力次第で手に届きそうな気がしてきました。ううむ、なんか新年早々、幸先がいい感じです。

 でも、焦っちゃダメだ、まずはGやAを安定的に出せるようにする事が先決だな。

 これで今回のレッスンはすべて終了。最後の最後に雑談をしました。話題は先日NHKで放送された『ニュー・イヤー・オペラ・コンサート』の楽屋裏での話。ううむ、ファンの夢と希望を打ち砕くような楽屋話を山のように聞いてきちゃいました。ああ、ネットにアップしたい…でも、それは止めておかないと(笑)。

 番組の舞台裏は、我々が思っている以上に色々なことが起こっているんですよ。やっぱりNHKはプロ集団なんだなって事です(なんのこっちゃ)。

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2014年1月21日 (火)

先生、それは無理ってモンです

 声楽のレッスンの続きです。曲のレッスンです。

 年始年末でレッスンの間隔がだいぶ開いてしまいました。私が悪い癖を忘れてしまうほど、長くレッスンに来なかったせいでしょうか、先生も私が何を歌っていたのか、どうやら忘れてしまったようでした。

 「さて、ノスタルジー行こうか!」
 「それ、終わりました(笑)」
 「カロ・ラッチョ、だっけ?」
 「それも終わりました(笑)」
 「じゃあ、クエスタ・オ・クエッラかな?」
 「いいえ、違います。もしも、クエスタ・オ・クエッラをいただいたら、うれしくて、はしゃいでしまいます」と答えました。

 クエスタ・オ・クエッラとは“Questa o quella”の事で、ヴェルディ作曲のオペラ「リゴレット」のマントヴァ公爵のアリアです。邦題は「あれかこれか」と言って、実に有名なアリアです。テノールにとっては、まさにキラーチューン的存在の曲です。私もいずれは歌ってみたいと切望している曲ですが、それを先生は私に宿題として出したと勘違いをしているんです。しかし、まだ出していないと知ったので、おもろむに楽譜を開いて、メロディを弾き始めました。改めて、私に与えるべき課題かどうか、再検討を始めたようです。

 ちなみに、この曲の楽譜上の最高音はAbです。Abなら、今の私に出せない音ではありません。この曲では、このAbをロングトーンで歌う曲ですから、Abの練習にはとても良い曲と思ったのかもしれません。メロディーをフムフムとピアノを弾いていた先生が、曲の終盤で手が止まりました。

 「楽譜ではAbとなっているけれど、ここ、ちょっと違うなあ…」

 あー、先生も気づいたようですね。マントヴァ公爵の“Questa o quella”って、世間のテノールたちは、決して楽譜通りには歌わないんですね。必ず楽譜にはない音を付け加えて歌うんですよ。もちろん、私が歌っても、必ず、楽譜にない音を付け加えます。だって、そうやって歌うのがテノールってモンだからね。で、その音とは“B”です。この曲では、最後の最後の最後のAbのロングトーンの箇所で、ダメ押し的にBのロングトーンを入れて歌うんですよ。

 Bのロングトーンを入れて歌うと言う事に気づいた先生は、“Questa o quella”を引っ込める事にしたようです。その判断は賢明だと私も思います。だって、私には、その曲は、まだまだ無理ですって。

 とにかく、テノールっていう人種は、楽譜通りに歌わない人種だし、テノールのアリアって、楽譜にない曲を加えて歌うのが普通だから、テノールに曲を与える時は、よくよく考えて与えないと、やつら、勝手に高音を付け加えちゃうので、要注意なんですね。前の先生のキング先生は、ご自身がテノールだから、その点は抜かりないですが、Y先生はバリトンさんなので、そこが甘いんですよ。

 とにかく、そんな事もあって、やっと私の課題曲を思い出しくださいました。

 私が今、取り組んでいるのは、グルック作曲「O del mio dolce ardor/ああ私のやさしい熱情が」なんですね。

 いつものように、最初に通しで歌った時に、いや、歌っている最中に、大きな違和感を感じました。それは「なんか、声が低い」って事です。いや、音程的にぶら下がっているわけでなく、声質的に低く感じました。声が太い…と言うのも違っていて、高音成分がかなり少ない声になっている…って感じたわけです。

 私的には、普段の自宅練習と同じように歌っているつもりなのに、自宅での私の声と、先生のお宅での私の声の響きが全く違いました。「え?え?」と思いながら、軌道修正をかけていきましたが、全然、軌道修正できないまま、歌い終えてしまいました。

 「あちゃー、やっちまったよ~」と心の中で思っていると、先生が「いやー、よかったですよ。特に歌い出しの部分はゾクゾクしましたよ」と誉めて下さいました。あれ? 「最初はよかったのですが、段々、声が浅くなっていきましたね。最後の方は、もう疲れ切っていたんでしょうね」とのお言葉をいただきました。

 うーん、自分の感覚とだいぶ違う。

 私の感覚では、“あれ、声がいつもよりも低い” -> “なんとか声を戻さないと…ポジションをもっともっと上にあげて…” -> “何もできないままに歌が終わっちゃったよ” …なんですが、先生的には“おぉ、今日は調子が良さそうだぞ” -> “おや、だんだんダメになっていくじゃないか” -> “うむ、どうやら疲れてしまったようだなあ” …と感じたようです。

 つまり、最初に感じた「今日は声が低い!」が正解だったと言うか、最初に出した声が正解だったようです。

 おそらく、私自身はいつもと同じ声を出していたのかもしれません。同じように歌っていたのかもしれません。ただ、部屋が違うので、声に付く響きが違っていて、それで聞いた印象が違ってしまった…のかもしれません。なにしろ、先生のお宅では、先生自身もそうだし、生徒さんたちも、圧倒的にバリトンさんばかりだからね。低声がよく響く部屋になっているのかもしれません…ってか、高音があまり響かない部屋になっているんじゃないかしら。つまり、バリトン部屋? んな事は無いか!

 レッスンの録音を聞き返してみると、私の声は細くて響きが薄く、先生の声は太くて響きが豊かです。先生は低声歌手だけれど、私よりも高音成分を多く含んだ声で歌われます。だから、この部屋では高音が響かないってわけではなく、レッスンで先生の声と自分の声を交互に聞いていると、ついつい私自身の声の貧弱さに気づいてしまうって事だと思います。なにしろ、自宅練習の時は、自分の声しか聞きませんからね。「オレ様、サイコー」とか思って聞いていたりするわけだけれど、レッスンではそうはいきません。厳しい現実と向かい合っていかないといけないわけです。

 なので、最初に感じた「今日は声が低い!」は、実は「先生と比べると、圧倒的に声に高音成分が少なくても、響きの薄い声になっている」が正しい表現なんですね。

 とにかく、自分の感覚は信じちゃいけないって事です。

 さて、一通り歌ってみて、先生からいただいたダメは「とにかく“エ”の声がダメ」って事です。エの声ってのは、エとかケとかセとかテとかの、エ段の声って事です。このエの声がすべて“浅くて平べったい”って言われました。つまり、日本語のエであって、イタリア語のエじゃないんだな。なので、一生懸命歌っていても、エが浅くて平べったいので、そこで白けてしまうと言われました。

 エの声を深くするには…クチビルをいくら縦開きにして、そんなにエの声は深くなりませんでした。いや、クチビルを縦開きにすれば、多少は声も深くなるのですが…そんな小手先の技では、エの声が十分に深くはなりませんでした。で、何をやったのかと言うと…クチビルはそのままで、舌をUの字にくぼめてみました。はい、エの口でウを発音してみましたところ「それは、やりすぎ。でも方向は合っている」と言われたので、舌を浅めのUにしたところ、バッチグーとなりました。

 イタリア語と日本語、使う音韻の響きは似ていても、クチビルや舌の使い方が微妙に違うようです。

 さて、その次のダメは「音程が動くところは、声も合わせて動かす事」 もちろん、すべての箇所での話ではなく、音程が印象的に動いていくところで動かす。この曲で言えば「ア~ア~ア~ア~」などと、ヴォカリーゼのような動きをするところは、音程が動くたびに、声もグルングルンと動かして歌う方が良いのです声を動かして、クチをバンバン開いていくわけです。なので、その練習をしてみました。

 声を動かすとか廻すとか、実は今だによく分かってませんが、なんとなく、声を動かすって、こういう事かなって少しずつ理解しつつある私でございました。

 ひとまず、グルック作曲「O del mio dolce ardor/ああ私のやさしい熱情が」は、今回で終了という事になりました。ご苦労さまでした。

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2014年1月20日 (月)

鼻声と鼻腔の響きのある声の出し方は、実は紙一重の違いです

 今年始めての声楽のレッスンに行ってきました。

 いつもの事ですが、簡単な挨拶をすると、すぐにレッスンです。時は金なり…って事で、Y先生とのレッスンでは、世間話も無駄話も一切なく、すぐにピアノの前に立って、ハミングから発声練習が始まります。

 今回は最初から、声がとてもいい場所から出ていたようです。ノドが絞まることなく、楽に良い響きのところで出ていたようです。なので先生から「年始年末は、ほとんど歌わなかったでしょ?」と聞かれました。ええ、色々と忙しくって、普段のようには練習できませんでしたと白状したところ「歌わなかった事が良い方向に出ましたね」と言われました。『ノドに力を入れて、無理やりノドを鳴らして歌う』という悪い癖が、すっかり抜けているそうです。

 練習を重ねると言うのは、諸刃の剣でして、良い行いを、練習を重ねる事で定着させる事もできますが、うっかりすると、悪い行いや癖なども、練習を繰り返す事で定着しちゃうわけです。練習さえしなければ、人間は忘却の生き物ですから、アレコレと忘れてしまうのですが、そこで熱心に練習してしまう事で、いつまでも悪い癖から逃れられない…ってわけです。今回の私は、年始年末、練習をさぼっていたおかけで、それが良い方向に転がって、悪い癖のいくつかカラダから抜けたようです。

 せっかく抜けた悪い癖ですから、それを再び思い出さないようにしないとね(笑)。

 その先生から褒められた、良い場所で歌い続けていると…やがて、ノドに違和感を感じて歌えなくなってしまいました。ノドに違和感? あまり良くない兆候だなって思ったので、先生に「ノドに違和感を感じます」と告げたら「それでいいんです」という返事をいただきました。と言うのも、その違和感と言うのは“今まで間違った声帯の使い方をしていたのに、急に正しい声帯の使い方をしたので、まだ正しい使い方に声帯が慣れなくて、違和感を感じているんでしょう”との事です。

 「そのノドの違和感ってのは、痛いとか苦しいとかではないでしょ? むしろ“かゆい”って感じじゃないですか?」 そうです、ビンゴです。ノドの中がかゆいんです。かゆくって歌えなくなるんです。「今まで使っていなかった声帯の部分がよく振動しているので、かゆさを感じるんです。慣れれば、平気になりますから、無理をしない程度に頑張っていきましょう」との事です。つまり、かゆい方向でノドを使っていけば良いのだそうです。

 で、年始年末のお休みのおかげで“ノドの使い方”は良くなったそうですが、その一方で“お腹の使い方”はむしろダメになったそうです。昨年は少しずつ時間をかけて、お腹が使えるようになってきたのに、年始年末のお休みをはさんで、お腹がまたまた動かなくなってしまったようです。

 練習をしなければ、悪い癖は抜けますが、せっかく身につけかかった良い行為は、スタートに戻ってしまう…って事です(涙)。

 で、また先生に「お腹!」とか叱咤激励を受けながらの発声練習となりました。で、一通り注意を受けながら発声していたから「すとんさんのお腹の使い方は、場所的に、だいぶ上ですねえ…」と言われました。確かに今の感覚では“胃袋をひっくり返す”ような感覚でお腹を動かしています。これは声の支えの“モード2”を意識しているからなんですが、どうも私のやり方では、ちょっと場所が上過ぎるようです。今はみぞおちのあたりをメインに動かしているけれど、それをもっと下にして、おへそ周辺とかもっと下のあたりから動かしていくのが良いそうです。

 つまり下っ腹と言うか、丹田のあたりから息を支えなさいって事でしょうね。丹田か…そんなところ、動かしたことないから、動かないよ(涙)。とりあえずは、できないからと言って諦めるのではなく、できなくても気にせず、やり続ける事かな? 今はできなくても、やっているうちにできるようになるかもしれないからね。

 とにかく、せっかく声がノドのいいところで出せるようになったのだから、今度はその声をしっかり出すためにも、お腹がきちんと使えないといけませんねって事です。

 その先生に褒められた声の出し方ですが、覚書として書いておくと、実は今まで怖くて当てられなかった場所に息を当てて出しています。その“怖くて当てられなかった場所”とは、鼻です。

 私の声は元々が鼻声がかった声だったようです。ですから、キング先生のところで歌を習い始めて、真っ先に注意されたのが、鼻声でして、声は鼻に入れないようにするのが、私の声楽修行の始めだったわけです。それ以降も「声を鼻に入れない」という事を常に気をつけながら歌っていたわけです。

 それでも発声にアレコレ苦労して試行錯誤すると、うっかり声が鼻に入ってしまう事もありました。特に高音に苦労していていた時は、声を鼻に入れた方が高音を出しやすいので、ついつい声を鼻に入れていたわけですが、その都度、キング先生からダメを出されて直されていたわけです。

 それを今回のレッスンでは、その事をすっかり忘れて、ついつい声を鼻に入れて、昔の鼻声がかった声と同じような気分で歌ってしまったわけです。しかしそれが正解だったので「あれれ?」という感じになり、ちょっと複雑な気分です。

 前の先生ではダメなのに、今の先生ではむしろグッド。そんな事は、先生が代われば良くある事とは聞きますが、そういう事が多すぎるのが声楽みたいです。

 とは言え、その責任を先生ばかりには押しつけられません。と言うのも、キング先生に習っていたころの私と、今の私では、色々とだいぶ違うわけです。違うから、同じことをやっても、結果が違う、そんな事だってあるわけです。

 キング先生に習っていた頃の私だと、声を鼻に入れてしまうと、確かに鼻声になっていました。だから先生にダメをもらっていたわけですが、今の私の場合、声を鼻に入れても、全然鼻声にはなりません。そこが違うんです。だから、この違いは、先生うんぬんの違いではなく、私自身の成長度合いの違いによる違いなんじゃないかなって思います。

 つまり、今の私なら、声を鼻に入れても、鼻声にはなりません。むしろ、鼻や副鼻腔などの鼻とその周辺の共鳴が活用できて、良い感じになるんです。もちろん、これはY先生の指導のおかげなんですけれどね。

 同じ場所に声を入れても、鼻声になったりならなかったりの違いはどこにあるのかと言うと…ノドの奥の開き具合で、その違いが生じます。その違いは、ほんのちょっとの違いなんです。

 ノドの奥が十分開いていて、息が鼻にもクチにも通じている状態で声を鼻に入れても、声は決して鼻声になりません。しかし、ノドの奥が狭くなっていて、息が鼻ばかりに通じている時に、声を鼻に入れてしまうと、しっかり鼻声になります。だから、声を鼻に入れたから鼻声になるわけではなく、たとえ声を鼻に入れても、しっかりクチの奥が開いていれば、鼻声にならなかったわけです。

 ノドの奥を開くという指導はされなかったキング先生に習っていた時の私は、鼻声を防止するために、声をあてる場所を鼻ではなく、鼻から遠ざけてノドからの発声にしていたわけです。もちろん、しっかりノドを鳴らすという、キング先生のやり方とも合致していたやり方だったわけですから、それはそれで良かったわけです。ただ、元々、声を鼻に入れる人だった私の場合、今から思えば、声の当てる場所を変えるのではなく、むしろ声をあてる場所は元々の鼻のままでも良くて、ただしクチの奥をきちんと開いて、鼻声ではない声で歌うように、指導されるべきだった…と思います。

 まあ、すべては“あとの祭り”って事です。キング先生のご指導で結果を出されている門下生もいますから、キング先生のやり方がダメとは思いませんが、私の場合は、あのやり方が合わなかったと言うか、あのやり方ではダメとされていたやり方から発展させていった方が、たぶん正解だったのです。

 それが分かっただけでも、先生を変えた意味はあったかなって思います。

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2014年1月19日 (日)

装具生活になって感じた事[2014年1月第3週・通算2週]

体重:109.2kg[-1.2kg]
体脂肪率:30.8%[-0.3%]
BMI:34.5[-0.3]
体脂肪質量:33.6kg[-0.8kg]
腹囲:107.0cm[-1.0cm]
     [先週との差]

 お正月太りから少しずつ回復している私です。

 さて、妻の怪我がだいぶ良くなって、車椅子生活から杖生活に変わって、今では装具生活となりました。装具生活とは、杖もつかずに足に装具(金属製の着脱式ギプスのようなもの)だけを身につけて生活する事です。

 車椅子どころか、杖すらついていないので、足さえ見なければ、立っている姿はまるで健常者のようですが、歩き始めると、ビッコひきひき、チンタラチンタラ歩いておりますので、やはり健常者とは、ほど遠い生活態度です。。

 車椅子時代や杖時代と比べて、移動する速度は確実に遅くなりましたし、何より、移動可能距離が短くなりました。少し長めに歩くと、足に負担がかかって患部が腫れてしまうようです。なので、怪我の状況としては良くなったわけだし、立ったまま両手が使えるので、生活上はかなり便利になりましたが“移動する”という観点で見ると、少々後退したような気がします。

 遊びに出かける事を考えると、車椅子時代の方が、チャッチャッと移動できて便利だったかもしれません。

 それはともかく、装具生活になると、車椅子や杖の時とは、感じる不便がだいぶ違います。

 例えば、長い距離(バス1区間程度の距離でも十分長いのです)は歩けないので、常に目的地までの距離を考えるようになりました。距離的に無理なら、他の移動方法を考えないといけません。それこそバス移動です。

 ウチの場合、今までの移動手段は、基本的に徒歩メインで、遠方に行く時は電車利用。電車の駅から離れていて、歩けないほど遠くの場合はタクシーを利用する…というスタンスで生活してきたので、バスを利用するという事はまずありませんでした。

 今までバスを利用しなかった理由は…バスは時刻表通りに走らない、気まぐれな乗り物だからというイメージが強かったからですね。とにかく、バス停でバスを待っていても、時刻通りにはまずやって来ない、下手すると、乗りたかったバスは結局来なくて、その次のバスがやってきてしまう事だって度々あって、つまり勝手に運休されちゃうので、ほんと、バスって当てにならないって思ってました。おまけに、道路はたいてい渋滞しているので、バスに乗っている時間も長くて、実はバスって、徒歩よりも目的地に着くのに時間がかかったりするんですよ。

 いつやってくるか、まったく当てにならないし、乗っても、道路は混雑していて全然進まないし、歩くより遅いし、それなのにバス料金はしっかり取るわけで…それでバスを利用するのを止めました。たぶん、バスを利用していたのは、小学生までで、中学生になる頃は、料金が子ども料金でなくなる事も合わせて(つまり一挙に倍額になるわけでしょ?)、ほんと、バスを利用しなくなりました。

 だから、バスを本格的に利用するのは、本当に久しぶりです。

 話は横道にそれますが、今のバスって、昔とは大違いですね。乗りたい路線のバスが今どこを走っているかが、iPhoneを使ってリアルタイムに分かるので、自分が利用するバス停にあとどれくらいでバスが到着するかが分かるので、昔みたいに「遅い!」とか「まだ来ない!」とか「次のバスが来ちゃったよ」とかが無いです。むしろ時間が読める分、当てにできるし、便利に活用できます。また、それにSuicaが使えるので、小銭いらずもうれしいです。あと、ウチの場合、バス停が近くに四カ所もある上、ターミナルに近いので、色々な路線のバスが走っていて、ほんと便利なんです。

 でもね、車掌さんがいないのは寂しいね。私の子どもの頃は、バスには必ず車掌さんがいたものです。バスの車掌さんって、たいてい若い女性だったわけです。バスの車掌さんに限らず、昔はエレベーターにもエレベーターガールという若い女性がいたわけだけれど、今はいません。なんか、寂しいね。

 話を戻します。妻が装具生活をするようになったおかげで、バスに乗るようになりました。バスは使いようでは、結構便利です。確かに利用者は、老人と子どもばかりで、若者や壮年層の人はなかなか利用しないけれど、地域を細かく網羅しながら走っているわけで、それこそバスって、地味に地域の足となっているって事を、改めて知りました。

 装具をつけていると、階段は上りは割と平気みたいですが、下りはとても大変なようです。ですが、駅でもどこでもエスカレーターは上りはあっても、下りはなかったりします。下りエスカレーターがなければ、エレベーターを探してウロウロする事になります。また、下り階段はダメでも、下りのスロープは平気なので、結局、見た目は健常でも、エスカレーターやスロープの世話になる事が多いので、車椅子時代と同じような事をしていたりします。

 また上り階段は平気と書きましたが、それでも手すりは必要なんです。世の中には、結構、手すりのない階段って多いんですよね。私などは、階段で手すりを使わないので、今まで気にもしてきませんでしたが、今回、装具の妻と行動をともにして、手すりのない階段がいかに多いのかに驚きました。

 それと、見た目が健常なので、電車に乗っても、席を譲ってもらえる事は無くなりました。装具をつければ立っていられると言っても、それは揺るぎない大地の上での話で、電車のように、常に足元が動いているところでは、装具で立ちっぱなしというのは、だいぶつらいようです。

 杖時代と比べて、装具時代のアドヴァンテージは、自転車に乗れる事…みたいです。杖の時代は、まだ自転車に乗れなかった妻ですが、装具になってからは、結構気楽に自転車に乗れるようになりました。

 装具では遠出は不便ですが、近場は確実に便利になりました。近場は便利…というのは、生活は楽になりましたって事です。

 生活は便利になりましたが、結局、移動を伴う行動は控えるようになり、車椅子時代よりも、出無精になってしまいました。遊び的には不便になったかも。これで、もう少し怪我が良くなって、装具も外れてしまうと、ますます移動可能距離が短くなって、当分の間、外出ができなくなってしまいます。これもまた、不思議な話です。

 ま、不便不便と書きましたか、ほんの少し前までなら、入院したり、石膏のギプスを着用していたわけですから、不便とは言え、実はかなり便利なんですよね。そこを忘れて、感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。これも自戒すべき事の一つです。

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2014年1月18日 (土)

金魚は、すぐ寝ます

 少なくともウチの金魚たちはすぐに寝ます。

 どういう時に寝ているかと言うと、

1)夜
2)部屋に人がいない時
3)水槽の電灯を消された時

 まあ、1)の「夜」は分かります。生き物だし、ペットだもの、人間の生活に合わせて、夜ぐらい寝るよね。まあ、分かる。

 2)の「部屋に人がいない時」って「…どうなのかな?」って思います。ちょっと家を留守にして戻ってみると、たいてい、金魚たちが眠りこけています。主人がいないからといって、全員で寝ていたら、全く番犬の奴にたたないじゃない?…って、金魚に番犬は無理か(笑)。でも、ほんと、人が家にいないと、たいてい寝ているみたいなんですよ。

 そして笑っちゃうのが、3)の「水槽の電灯を消された時」。例えば、夕方、「お腹減ったよぉ~、エサおくれよ~」と騒いでいたとします。そんな時に、うっかり水槽の電灯を消しちゃうと、あれほど大騒ぎしていたのが嘘のようになって、いきなりエサ場から解散して、10分もすると、それぞれ寝始めちゃうんですよ。ええ、あれほど「エサくれよ~」ってやっていたのは、なんだったの?といいたくなるくらいの、手のひら返しだったりします。

 それにしても、本当に、彼女たちの入眠時間の速さにはびっくりします。

 ちなみに、金魚が寝たかどうかの確認は

1)カラダ動かなくなる
2)目が動かなくなる
3)背びれを畳み、尾びれがダラッとする

 そんな感じかな? マブタが無いので、人間と違って、ばっと見では寝ているかどうかの判断はつきかねますが、私程度の飼い主になると、バっと見ただけで「こいつ、今、居眠りしてたな…」と分かるようになります。

 金魚が寝ているか起きているかが瞬時に分かる才能って…何の役にもたたない才能だな(涙)。

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2014年1月17日 (金)

丁寧な仕事が好きなんです

 2014年最初のフルートのレッスンに行ってきました。遅刻は…たった5分しかしなかったよ(笑)。

 私の前のレッスンがちょっと険悪な雰囲気でした。どうも、先生、最初のレッスンから飛ばしているようで、姉様相手にイカヅチが炸裂しておりました、おぉ、怖っ! 電撃を食らっている姉様が全然ダメかと言うと、そういうわけではなく、どうも私からすれば、天上世界でのダメ出しだった模様です。電撃を食らうのはイヤだけれど、あのレベルで叱られるのは、すっげ~、うらやましいです。

 さてそんなわけで、新年最初のロングトーンの練習は、姉様と二人で行いました。先生は…興奮を覚ますためでしょうか、ちょっと退室しました(いやあ、叱る時は本当に真剣なんですよぉ)。

 それにしても、姉様とのロングトーンは、なんかビタっとは合わない。かなり高めにしないと合わないけれど、音曲げをするにしても限界はあるもんなあ。かと言って、頭部管を入れちゃうと、音そのものが合わなくなっちゃうわけで…色々と難しいです。

 さて、先生が戻ってきて、レッスン開始です。宿題は、昨年から継続中のアルテ15課10章Cis-durの1番の「音階準備練習」でした。さすがに年始年末で忙しいとは言え、昨年最後のレッスン以来、約一ヶ月という練習時間があったので、練習してきましたよ。で、合格です。ふふ、練習さえできれば、私だって合格するのサ。

 次回の宿題は…その先をできるところまでやってくる…です。ガッツ出して頑張ってきます。

 プチ・エチュードの方だって頑張りましたよ。苦労していた2番でしたが、こちらも合格をいただきました。先生曰く「まあ、もう少し速い方がいいけれど、丁寧に吹いているので、良い事にしましょ」と甘々の合格となりました。で、次回からは3番です。こちらも頑張ります。

 さて、新年一発目の雑談は、食の楽しみについて。

 私も先生も、別段“食通”という事ではないのですが、食べる事は大好きです。私は家で妻の手料理を食べるのが好きですが、先生は仕事がら外食も多いので、どこで食べるかには、結構こだわりがあるようです。

 もちろん、美味しくない店はパスなのは当然ですが、いくら美味しいという評判のレストランであっても、それだけでは、先生の食指は動かないのだそうです。と言うのも、そういう店は混雑していてザワザワしている事が多いし、値段も高いし、何よりも“美味しいだけの料理”なんて食べたくもないのだそうです。

 先生にとって、料理の“美味しさ”は、一番優先する事項ではないようです。

 実は先生のこだわりポイントは、シェフの仕事っぷりなんだそうです。シェフの腕前が発揮された、手の込んだ、丁寧に調理された料理がお好きなんだそうです。

 もちろん、料理が美味しいに越した事はないけれど、味うんぬんよりも、シェフがプロの技術をもって丁寧に調理してくれた料理を食べるのが、何よりの贅沢…だと感じるのだそうです。そして、丁寧に調理された料理を見ると、食べる前から、うれしくなってしまうのだそうです。

 つまり、舌の前に、目で味わえる料理を好む…ってわけなんでしょうね。

 で、先生曰く「やはり、日本のシェフは仕事が丁寧だよ。特にホテルのレストランは、高いけれど、丁寧な料理が多いよ」との事です。なので、食品偽装問題で話題になっていた時も、先生は全然気にしていなかったようです。先生にとっては“何を材料に使っているのか”よりも“丁寧に調理されているかどうか”の方が優先事項が高いので…丁寧に調理されていれば、伊勢海老がロブスターであっても、平気…なのかな? どうなんだろ?

 ちなみに先生はお酒も大好きなんだけれど、外で飲むのはキライなんだそうです。家飲みが大好きなんだそうです。と言うのも、バーであれなんであれ、外で飲む酒って、酒屋で売っている酒と同じモノに、店の利益を乗せて、客に提供しているだけであって、料理とは違って、シェフの工夫もなければ知恵もないので、キライなんだそうです。だったら、同じ酒を酒屋で買って、自宅で飲む方が好きなんだそうです。

 お酒が大好きなのに、外で飲むのはキライって、なんか不思議な人です。

 食事はホテルが好きだけれど、酒は家飲みが好きなら…外では酒は飲まないのですか? と尋ねたら「もちろん、飲むよ」と即答してくださいました。あ、やっぱり、キライキライと言っても、酒は好きだから飲むんだ(笑)。

 愉快な人だな。

 ちなみに私の場合。やはり年を取るにつれ、美味しいものへのこだわりは少なくなってきました。いや、正直に書きます。元々、私は美味しいものへのこだわりはあまりありませんでした。それよりも“大盛りの美学”って奴を追求していました。

 でも、年を取ると、だんだん大盛りを食べきれなくなってきてねえ…。若い時はいくらでも食べられたのに、最近は、たくさん食べると満腹してしまうんです。

 満腹って悲しいね。だって、もうこれ以上、お腹に何も入らないんだよ、なんかとても切なくなってしまいます。

 なので、最近は食事の量は多少少なめでもいいかなって思うようになりました。その代わり、私がこだわるのは、食事の品目かな? 食事の量ではなく、品数たくさん食べたいと思うようになりました。色々なモノを食べたい。あと、今まで食べたことないモノを食べたいって事も思うようになりました。

 これも面白いでしょ?

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2014年1月16日 (木)

生ピアノと電子ピアノ、どっちがお好き?

 今週は、ピアノネタ、3連発です(笑)。

 私は、やっぱり生ピアノが好きです。聞く分にはアップライトでもグランドでも、それほどこだわらないけれど、自分で弾くなら(って、ほとんど弾けないけれどね)やっぱりグランド。実は、電子ピアノは聞くのも弾くのも、好きではありません。

 やっぱり、私はクラシック音楽が好きだからね。ポピュラー音楽も楽しむ人だけれど、やっぱりクラシックの方が好き。クラシックのピアノを聞くなら、生ピアノだよね。

 生ピアノの良さは、何と言っても弦の鳴りですよ。ハンマーで叩いた弦が鳴るのはもちろんだけれど、その弦の鳴りに応えて他の弦もうねり始め、やがて鳴り出すでしょ。これが弦を持つ楽器の良さだよね。最初の弦の音に加えて、後からうねりだした弦の音も載るわけでしょ。さらに、最初の弦の音だって、よく聞くと、時間とともにその色合いが変わるわけで…もうたまらないよね。

 その点、電子ピアノには弦が無いので、そういったうねりとか弦の音の色合いの変化とは無いわけです。そこが実に残念です。

 でもね、生ピアノには生ピアノの良さがあり、電子ピアノには電子ピアノの良さがあるわけです。

 電子ピアノはサンプリングされた音を元に様々な計算を加えてシュミレートした音で鳴ります。私が弾いても、プロのピアニストが弾いても、ネコが鍵盤の上を歩いても、同じ音が鳴ります。

 実際、私の場合、電子ピアノだと、とても美しい音色で弾けます。キレイな音で滑らかにピアノが弾けます。なにしろ、私がグランドピアノを弾けば、実にデコボコな音しか出ないし、ピアノもキレイに鳴ってくれません。つまり、グランドピアノよりも、電子ピアノの方がよっぽどキレイな音で弾けるんです。

 グランドでぎこちない音で弾くよりも、電子ピアノで美しく弾きたいと思うし、個人的には電子ピアノで弾いている方が幸せな気分に浸れます。

 それに、電子ピアノは弦から発音しないでしょ? 音はデジタル的に作られ、スピーカーから鳴ります。しかし、グランドピアノは、楽器そのものが鳴ってしまいます。だからどうやったって、部屋中にピアノの音が鳴り響くし、場合によって、壁を伝わって隣近所にまで音が聞こえてしまいます。ところが、電子ピアノはヘッドフォンをしてしまえば、奏者の頭の中だけでしか音は鳴りません。

 さらに電子ピアノって奴は、セッティング次第では、様々なタイプのピアノの音で弾けるし、響きの深さも変えられるし、ピアノ以外の楽器(によく似た)音でも弾けます。ピアノやオルガンの音だけでなく、オーケストラの音だって出せるんですよ。すごいよね。

 電子ピアノって、一つの音色を微細にコントロールする点に関しては、全く生楽器にかないませんが、その代わり、多種多様な音色を駆使して演奏する事ができます。また、演奏だって奏者の肉体を使わずに、パソコン直結でパソコンに演奏させる事だってできます。つまり、電子ピアノとグランドピアノでは、表現力の方向が全然違うって事です。

 グランドピアノは生楽器です。電子ピアノは電子楽器です。生楽器には生楽器の、電子楽器には電子楽器の表現方法があります。どちらが優れていて、どちらが劣っているかという事はないと思います。ただ、表現方法が違うのです。

 それに電子ピアノって、弾いていて楽しいじゃん。

 ……なんて、屁理屈をこねました。でも、これってやっぱり屁理屈なんだよね。この屁理屈だけを読んでいると、いかにも電子ピアノの方が素晴らしく思えるかもしれませんが、実際のところ、やっぱり私はグランドピアノの方が好き。生楽器の方を好みます。

 “美”って奴は理屈じゃないんだよね。それに、生ピアノの音は生きていると思います。

 私が今まで生きてきた中で、本当に残念に思って悔いている事は、ピアノが弾けない事なんです。ほんと、子どもの頃から、ピアノを習いたかったなあ。小学校に入るか入らないかの頃から、散々親には直訴してきたけれど、ウチは貧しかったからね、男の子がピアノを習うなんていう選択肢はなかったんだよ。

 大学生になって、多少の経済力も身についたので、ピアノを始めたけれど、その時は、先生に習うという発想がなく、独学で毎日何時間も何時間も、大学のピアノ室にこもってピアノを弾いたけれど、結局、全然上達しなくて、三ヶ月ほどで挫折。

 で、今に至るわけだ。おそらく、今の年齢でピアノ教室の門を叩いても、絶対にピアノが弾けるようにはならないでしょ。少なくとも、私が望むレベルの演奏力は確実に身につかないでしょう。それでもピアノを始めれば、私の残りの人生がピアノの練習に食いつぶされてしまうわけで、それを考えると、やはりピアノは習えないし学べない。つまり、もう私は一生ピアノが弾けるようにはならない…というのが現実なんです。

 ああ、幼い時にピアノを習いたかったなあ…。才能がなくて、ピアノを挫折した結果になったとしても、今のように「ピアノを弾けると良いのに…」と思う切望感を味あわずに済むだけ幸せだったろうなあと思います。

 せめて、妻がピアノが弾けたらなあ…。ああ、残念。

 若い時は、ピアニストさんともお付き合いしたけれど、結局彼女たちって、練習ばかりして、マジメに恋愛に向き合わないんだよなあ…って、当時は思ってました。ま、たぶん、私が音楽よりも魅力がなかったので、彼女たちを振り向かせられなかっただけなんだろう…って、今は思えますけどね。

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2014年1月15日 (水)

親の立場から…なぜ電子ピアノはじゃダメなの?

 さて、話は昨日の続きだったりします(笑)。

 ピアノの先生の中には、かたくなに「ホンモノのピアノでないとダメです」という人がいらっしゃいます。この“ホンモノのピアノ”というのは、生楽器である、グランドピアノとアップライトピアノの事を指す事は、昨日確認しました。つまり、ピアノの先生は、生楽器である、これらの楽器を購入しなさいと薦めるわけです。

 で、親としては考えるわけです。…どうして電子ピアノじゃダメなの? これだってピアノの一種でしょ? 安いし、調律などのメンテも不要だし、ヘッドフォンを使えば好きな時に好きなだけ練習できるし、ご近所に気を使いながら時間を気にして練習させなくてもいいし…。それに親だって働いているわけだから、どうしても仕事から帰ってから娘のピアノの練習につきあうわけだけれど、そんな時間にピアノなんて弾かせられないし…。それにだいたい、ウチの子、今はピアノ習いたいって言っているけれど、いつまで続くか分からないし、なのに、そんなモノに高いお金は出せないよ。

 …なんてね。

 ムチャというか、ワガママと言うか、親である自分たちの都合しか考えていない言い分だけれど、全く無視していい事ではないと思います。なにしろ、誰にだって生活はあるわけだからね。

 多くの親にとって、我が娘はかわいいモノです。昭和の親たちのように、娘にお金をかけてあげたいのはヤマヤマなんです。しかし、平成の若い親たちは、昭和の親たちほどお金を持っているわけじゃありません。自分たちの親たちから引き継いだモノがあるので、物質的には豊かな生活が送れますが、収入的には結構厳しいのが実情です。

 狭い住居、厳しい生活費。それに今どきの子どもの習い事って、一つとは限りません。学校が終わった後、スイミングに行かせたり、書道やお花を習わせたり、塾にだって行かせないといけない。その上でピアノです。

 さらに親の本音として、娘にピアノを習わせるのは良いとしても、別にプロのピアニストにするつもりなんて、サラサラありません。そこは昭和の親たちとは違うのです。

 昭和の親たちは「あわよくば、我が娘がプロのピアニストになって…」と夢見たものですが、平成の親たちは現実を知ってます。音大に進学するのに、どれぐらいの費用がかかるのかとか、音大を出たところでプロの演奏家になれるのは、ほんの一握りの人だけだとか、プロの演奏家になったところで、金銭的に恵まれるのは、さらにもっと一握りの人しかいないとか…。つまり、音大出たって、それだけじゃ食えないって知っているんです。せいぜいが頑張ったところで、街のピアノの先生に成れれば、上出来なくらいです。でも、それだって少子高齢化の現在、職業としては、先細りは必定です。

 そういう現状を踏まえれば「ウチは娘をピアニストにするほど裕福じゃないよ」と言うのが、親の本音でしょ。「プロにするつもりがないんだから、あんまり本格的にするのもどうなんでしょ…?」という思いが心をよぎるのも事実です。

 だから娘にピアノを習わせるとしても、別にピアノという楽器を習わせるのではなく、幼児期から音楽に親しませるのが目的だったりします。結果としてピアノが弾けなくても、実は全然かまわないのです。ただ、ピアノを学ぶ事で、将来、音楽に親しみ、歌でもギターでもキーボードでも弾ければ、それで良し。いや、カラオケでちゃんと歌える程度でも、御の字だったりするんです。

 なにしろ、学校の音楽の授業だけでは、不十分ですからね。歌ひとつ満足に歌えるようにはならないのが、学校の授業だって事、親たちは知ってますからね。

 大半の子はプロにならない。習わせる親だって、自分の子をプロにしたいなんて思っているわけじゃない。でも、わが子に教養としての音楽は学ばせたい。そのためにピアノ教室に通わせるんです。

 その程度の意識の親だから、先生に「ホンモノのピアノを購入してくださいね」と言われても、ついつい「電子ピアノじゃダメ?」って思っちゃうわけだし、わざとうっかりしたふりをして、電子ピアノを購入しちゃったりするんです。

 だってね、いくら愛する我が娘のためとは言え、アップライトピアノを購入できるほど、家計に余裕はない(涙)…そんな事が頭をよぎるのです。なにしろ、ローンを組んでピアノを買ったとしても、その三カ月後には娘がピアノに飽きて辞めてしまうかもしれないじゃないですか? 弾かなくなったピアノのローンを払い続ける事になるかもしれない…そんな想像だって、今の親はするんです。

 だから最初は電子ピアノで…、もしも娘が喜んでピアノを学び続けてくれれば、その段階で、電子ピアノからアップライトピアノやグランドピアノに買い換えてもいいんじゃない? …なんて事を、今の親は考えるんです。

 それじゃあ、ダメなんですか?

 もっとも、娘が喜んでピアノを学び続け、やがて小学校も高学年になって「私、将来、音大に行って、もっともっとピアノの勉強がしたい」と言い出したとして、親はそこで生ピアノを娘に買い与えるかと言うと…そういう親もいれば、そうでない親もいます。

 おそらく、娘さんが普通に勉強ができる子なら「あなたもそろそろ中学生になるんだから、ピアノばかり弾いてないで、塾に行って、もっと勉強に励みなさい」って言うんですよ。で、ピアノを買い換えるどころか、ピアノを辞めさせたりします。それが普通の親だったりするんです。

 ただ、ピアノは得意だけれど、勉強の方はカラッキシと言う子もいます。

 この場合、これは失礼な話で申し訳ないけれど、学校現場ではよくある話なんです。そういう勉強が苦手な子の場合、ぶっちゃけ、親としては、いわゆる馬鹿学校に行かせるくらいなら、音大に行かせてもいいかなって考えるものです。つまり、進路の保険としてのピアノだね。こういう場合、娘のピアノ学習の応援はするし、生ピアノだって買い与えるだろうし、音大受験まではOKだけれど、それでもやっぱり、プロになって欲しいわけじゃないんです。あくまでも、娘に美しい学歴を与えたいという親心なんだね。

 てなわけで……そんな事情を踏まえて、親の立場から話をすれば、鍵盤の数の足りないキーボードは、まあ論外としても、最初は電子ピアノでピアノを学んでもいいんじゃないの? って言いたくなりますよね。

 お屋敷とか御殿とか宮殿に住んでいるならともかく、日本の(特に都会の)住宅環境を考えれば、電子ピアノでも可にしておかないと、日本のピアノ業界そのものがダメになってしまうよ。

 「すべてのジャンルはマニアが潰すと思っている」とは、新日本プロレスの新社長の木谷高明社長の名言です。新日本プロレスは一時期、斜陽も著しかったけれど、会社の身売り、社長の交代で、ここ数年、グングン成長を遂げているのです。この社長さん「コアなユーザーがライトなユーザーを拒絶していたがために、プロレスが衰退していった面もありました」と述べてます。

 ピアノの世界も「ホンモノのピアノでないとダメです」と言い続けていると、やがては日本のピアノ音楽そのものが衰退しちゃうかもしれませんよ。先生として、こだわる気持ちは、痛いほど分かるけれど、親として、そこまではこだわれないという気持ちも分かります。

 ちなみに我が家の場合。娘ではなく息子なんだけれど、ピアノ習わせてます。いわゆる“ピアノ男子”です。高校受験だけれど、今でもレッスンに通わせています。なぜなら、勉強が全然得意ではないからです(涙)。まあ、そのピアノも上手とは言えないので、ピアノ科で音大は無理だろうけれど、歌だけはそこそこ歌えるので、万が一の切り札として「音大進学」というカードだけは持たせてやりたいと思ってます。これも親心なんだよ。

 でも、やっぱり、息子がプロの音楽家になる事は、大反対なんだけれどね。

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2014年1月14日 (火)

“ホンモノのピアノ”って、何ですか?

 子どもにピアノを習わせようと考える若い親の前にはだかるのが、この『ホンモノのピアノ』問題だと思います。

 それぞれの家庭にはそれぞれの事情があります。すでにグランドピアノやアップライトピアノを所有している家庭もあるでしょう。ピアノはないけれど、古い電子オルガンならあるという家庭もあるかもしれません。いわゆるキーボードと呼ばれる4オクターブ程度の鍵盤楽器を所有している家庭もあるでしょう。または、楽器なんて全然なくて、レッスンに行って、先生のお宅でピアノを弾くしかない家庭もあるかもしれません。

 いずれにせよ、家庭にグランドピアノとかアップライトピアノとかがあるわけでもなければ、やがて先生に「お子さんのために、ホンモノのピアノを購入してください」とお願いされるわけです。

 で、楽器店に行って、ピアノ売り場を見ると、グランドピアノやアップライトピアノに混じって、電子ピアノが売られているわけです。見れば、価格的に手頃だし、ちょっと触った感じ、グランドピアノやアップライトピアノとの違いなんて、一般人である普通の親には分かりません。

 安さは正義ですから、いきおい電子ピアノを購入したくなるわけです。

 この場合の“電子ピアノ”と言うのは、ヤマハのクラビノーバに代表されるような、最近のデジタル技術によって作られたピアノに模した電子楽器の事です。

 そこで思い出すのが、先生がおっしゃった「ホンモノのピアノを購入してください」というセリフです。ホンモノ…そりゃあまあ、ニセモノよりもホンモノの方がいいに決まってます。で、電子ピアノって、ホンモノのピアノなの? ニセモノのピアノなの?

 普通の人なら、そこで悩むわけですよ。“電子ピアノ”って“ピアノ”と名乗っているんだから、これだってホンモノのピアノの一種だよね? それとも、わざわざ“電子”と枕詞を付けているんだから、これはピアノによく似たニセモノ商品?

 そこで私は皆さんに問いたいです。“ホンモノのピアノ”って何ですか? グランドピアノとアップライトピアノと電子ピアノ。この中のどれが“ホンモノ”であって、どれが“ニセモノ”なんですか?

 おそらく“ホンモノのピアノ”と言うのは、グランドピアノとアップライトピアノの事だと思う人が大半なのではないでしょうか? それにおそらく「ホンモノのピアノをください」と言われれば、楽器店では、アップライトピアノかグランドピアノを薦める事でしょう。

 でも、アップライトピアノって“ホンモノのピアノ”ですか?

 申し訳ないけれど、私、これまでの人生の中で、それなりの回数、ピアノのコンサートとか、ピアノの加わったアンサンブルのコンサート等に行きましたが、そこで使われているピアノは、いつもいつも、グランドピアノでした。一度たりともアップライトピアノでのコンサートってのに遭遇した記憶がないんですよ。

 それにだいたい、アップライトピアノとグランドピアノ……全然違うじゃないですか?

 見かけや価格が全く違うのはもちろん、それ以前に、まず音が違うでしょ? 音色が結構違います。音色には好き好きがあるから、どっちが良いとは言いませんが、それでもグランドピアノとアップライトピアノでは、音色が結構違います。

 音の飛び方が違います。場を包むように鳴るのがグランドピアノだけれど、アップライトピアノは楽器の側でしか音の圧力を感じません。

 タッチも全然違います。たぶん、私のようなシロウトが目隠ししてキーボードにタッチしても分かるくらい、アップライトピアノとグランドピアノのタッチって違うじゃないですか?

 別に私はアップライトピアノをディスるつもりはありませんが、これだけ楽器として違っていて、コンサートなどではまず使われないアップライトピアノを、グランドピアノと同じ“ホンモノのピアノ”として扱うのって、どうなんだろ?…って、シロウトのオッサンは、なんか割り切れない気持ちになったりします。

 やっぱり、ピアノってのは、グランドピアノこそがピアノであり、アップライトピアノは、あくまでも簡易版のピアノであり、省スペース型のピアノ…なんじゃないかな? あくまでも、家庭用&練習用のピアノ状の楽器がアップライトピアノって位置づけじゃないの? アップライトピアノで日頃の練習をして、本番は会場のグランドピアノで演奏する。これがジャパニーズ・スタイルなんじゃないの?

 異論をお持ちの方も大勢いらっしゃるでしょうが、私はそう考えます。

 話は少し横道に入ります。

 日本にピアノが普及したのは、高度成長期だと思います。確かにあの頃、女の子のいる家ではピアノを購入するのが、ちょっとした流行りだったと思うし、あの頃の女の子たちは、親に「ピアノ買って~」とか「ピアノ習いたい~」とかよく言ってたと思います。

 そこで昭和の親たちは、楽器店に行って、愛する娘のために頑張ってピアノを買ったわけです。もちろんグランドピアノだって、お店にはあったろうけれど、グランドピアノとアップライトピアノでは、まず値段が全然違うのです。安さは正義ですからね、さらにグランドピアノは、とにかくデカイ。これだけで四畳半がふさがります。一方アップライトピアノは畳一畳分の広さがあれば、何とかなります。省スペースは狭い日本の家庭には大切な事です。

 そんなわけで、あっと言う間に日本の家庭にアップライトピアノが普及したわけです。あくまでも、経済的事情と住環境の必要から、グランドピアノではなくアップライトピアノが選ばれたわけです。それにその頃のピアノの先生たちは「ピアノはホンモノでなければいけません」なんて事は、ひと言も言わなかったから、親たちは何のためらいもなく、堂々と、アップライトピアノを購入しました。

 昭和も、もはや遠くなりました。

 あの頃よりも、私たち日本人の生活は豊かになりました。住んでいる家も西洋の先進国の方々と同じ程度の広さの家に住めるようになったでしょうか? いえいえ、住んでいる家の大きさは、昭和の頃と大きく変わってません。それどころか、狭くなっているかもしれません。なにしろ集合住宅に住む人が増えました。戸建てにしても、昔の一軒家を二つ三つに分割して、それぞれに家を建てて住むようになりました。それに昭和の人よりも、現代の人の方が家財道具をたくさん持っています。家の中のスペースは、さらに狭くなったと言えるのではないでしょうか?

 1974年にはピアノ殺人事件も起こっています。それ以来、我々日本人は周囲に対する音環境にシビアになりました。夕食後、娘が弾いてくれるピアノの音に耳を傾けながら、豊かな夕べを過ごす? そんな光景は、もはやありえない話です。日が暮れてから、ピアノをガンガン弾けば、隣近所から苦情がやってくる事は明々白々となりました。

 昭和の高度成長時代、すでに日本の家庭にはグランドピアノは大きすぎ、アップライトピアノが選ばれていたわけですが、その高度成長時代の終わるころ、私たち日本人は、そのアップライトピアノですら、自分たちの住環境には大きすぎることに気づいたのです。

 ピアノメーカーは、アップライトピアノよりも小型で小音量のピアノの開発を目指しました。

 その結果の一つが、現在の電子ピアノだと思います。

 電子ピアノは、当然“ホンモノのピアノ”ではないでしょう。アップライトピアノよりも、ホンモノから遠ざかった楽器かもしれません。なにしろ、弦すら使っていないのです。でも、グランドピアノよりも、アップライトピアノよりも、安いし小さいのです。かつての昭和の親たちが、経済的事情と住環境の必要から、グランドピアノではなくアップライトピアノを選択したのなら、今の平成の親たちが、同じく経済的事情と住環境の必要から、電子ピアノを選びたくなるのは、今という時代を考えれば、当然の事なんだろうと思います。

 話を戻します。

 “ホンモノのピアノ”と言うのは、やはりグランドピアノの事だと思います。しかし“生楽器としてのピアノ”という意味では、グランドピアノとアップライトピアノがそれに当たります。電子ピアノはあくまでも“電子楽器”あるいは“デジタル楽器”と呼ばれるジャンルの楽器です。

 「ホンモノのピアノを購入してください」というピアノの先生の言葉を訳すと「アップライトピアノを購入してください。可能ならグランドピアノでもいいですね。でも電子ピアノは購入しないでくださいね」という事だろうと、私は思います。

 ではなぜ、ピアノの先生は“生”楽器のピアノを薦めるのか…それは「ピアノ音楽」=「クラシック音楽」だからなんです。クラシック音楽で電子楽器を使うなんて、ありえませんものね。だから、ピアノの先生は、電子ピアノを毛嫌いするわけです。

 ま、それは当然の話です。クラシック音楽をやる以上、生楽器にこだわるのは当然です。ベートーヴェンやショパンの時代に、電子ピアノなんて無かったのですからね。当然のように生楽器にこだわるわけだし、そのこだわりは正しいこだわりだと思います。

 でもね、ただ、生楽器を“ホンモノ”と称するのは、ちょっとばかりの偏見が入っているような気がするので、そういう言い方は避けてほしいなあ、なんて思ったりします。

 「クラシックギターだけがホンモノのギターであって、エレキギターはギターじゃないよ」なんて言う人がいたら「はあ~?」って思われちゃうでしょ? クラシックギターもエレキギターも、それぞれに立派なホンモノの楽器です。ただ、演奏される音楽ジャンルが違うだけで、どちらがホンモノで、どちらがニセモノって事はないと思います。

 でも、クラシックギターのレッスンに、ギブソンのレスポールを持って行ったら「はあ?」って思われるでしょうし、楽器を買い換えるように言われるかもしれません。

 ピアノだって、同じような事なんじゃないかな?

 ま、そんなこんなで、平成の親たちは、先生の言葉に従って、せいぜい、アップライト型のサイレントピアノを購入する…とまあ、そんな事になるわけです。ただね、それでも、やっぱり、ある一定数の親は、電子ピアノをを購入しちゃうんだけどね。

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2014年1月13日 (月)

メトのライブビューイングで「ファルスタッフ」を見てきた

 今年一発目のライブビューイングとして、メトロポリタン歌劇場の「ファルスタッフ」を見てきました。昨年は、パリオペラ座のライブビューイングの「ファルスタッフ」を見たので、ここんとこ、ちょっとばかり「ファルスタッフ」づいている私です。

 ちなみに、パリとメト、主役のファルスタッフ役と、テノールのフェントン役は同じ歌手でした。ファルスタッフがアンブロージョ・マエストリで、フェントンがパオロ・ファナーレです。どうも最近では、このマエストリがファルスタッフを得意としているらしく、どこの歌劇場でも「ファルスタッフ」を上演する時は、彼が主役をやるみたいです。たぶん、今はそういう時代なんだと思います。

 参考までに配役を列記しておくと…

 ファルスタッフ…アンブロージョ・エマストリ(バス)
 アリーチェ(フォード夫人)…アンジェラ・ミード(ソプラノ)
 クイックリー夫人…ステファニー・プライズ(メゾソプラノ)
 メグ…ヴェニファー・ジェンソン・キャーノ(メゾソプラノ)
 ナンネッタ…リゼット・オロペーサ(ソプラノ)
 フェントン…パオロ・ファナーレ(テノール)
 フォード…フランコ・ヴァッサッロ(バリトン)

 指揮…ジェイムズ・レヴァイン
 演出…ロバート・カーセン

 そうですよ、久しぶりのレヴァインです。ライブビューイング的にはこのオペラで復帰という事になりますね。やっぱり、メトと言えばレヴァインですからね。なにしろ、1973年にメトの芸術監督に就任したそうだから、もうなんだかんだ言って、40年間メトで振ってきたわけですから、メトとレヴァインは切っても切れないってイメージです。

 しかし、久しぶりに見るレヴァインは、電動車椅子に乗っての登場でした。ググってみたところ、彼はパーキンソン病なんだそうです。それに、太りすぎが原因で腰痛持ちで座骨神経症を患っているそうだし、年齢もいつのまにか70歳を超えたそうだし…レヴァインの指揮姿を、今のうちにしっかりと目に焼き付けておかないといけない雰囲気でした。

 さて今回の「ファルスタッフ」ですが、歌芝居としての評価は…やっぱりいいですね。歌は、どの歌手も素晴らしく、不安な点はありませんでした。まあ、このオペラはアンサンブルオペラなので、歌手の力が揃っていないとダメなんですが、今回は高い水準で揃っているようで、良かったですよ。特に、若者役である、フェントンやナンネッタのアリアや二重唱は良いですねえ。この二人の二重唱は、ほんと良いですよ。

 芝居の方も、メトに出る歌手はみな芝居も上手なので、安心して見ていられます。

 それにしても、メトはキャスティングが上手だと思います。

 メト以外の歌劇場では、声的には分かるけれど、容姿や年齢的に「???」というキャスティングが組まれることが普通ですが、メトの場合は、容姿がその役にふさわしい歌手(または、ふさわしく見える歌手)を選ぶので、見ていて分かりやすいです。

 今回の場合、アリーチェとナンネッタがしっかり親子に見えましたもの。アリーチェはオバサンで、ナンネッタは若い娘に見えましたが……実はこの二人を演じる歌手さんたちは、最近デビューしたばかりの若手さんで、年齢もほぼ同じくらいなのに、まるで親子のように見えるんだから、面白いねえ。ま、化粧とか衣装とか芝居とかで、年齢を表現しているのだろうけれど、見た目と役柄の年齢が一致していると良いです。

 なにしろアリーチェを始め、三人のオバサン役は太めの歌手を起用し、娘役のナンネッタは細身の歌手を起用するとか、第三幕でナンネッタと入れ代わる赤鼻のバルドルフォには、本当に小柄で女性と入れ代わっても違和感のない程度の身長の歌手を起用するとか、そういう配役がいいですよ。

 さて、今回の演出は新演出という触れ込みですが、実はこの演出、イギリスのロイヤルオペラとイタリアのミラノスカラ座の共同制作だったようで、そこにメトも一枚噛んできた…って事のようです。

 まあ、オペラの製作って金がかかるからね。複数の歌劇場による共同制作も仕方ないと思います。

 で、今回のカーセンの演出は、時代設定をヴェルディのオリジナル(14世紀)とは大きく変えて、1950年代に設定したそうです。1950年代なんて、つい最近じゃん(笑)。なので、なんか見慣れた風景というか、子どもの頃よく見た、アメリカのシットコムっぽい感じでした。「ルーシー・ショー」とか「奥様は魔女」とかね。ああいう感じ。

 なので、私はオペラの時代設定を変更する演出は、キライだし、違和感と言うか無理やり感を感じる人なんですが、この「ファルスタッフ」の時代変更は、すんなり受け入れられました。

 今やオペラは、作品や歌手の魅力で見るものではなく(作品や歌手は一級品であるのが前提って意味ね)、演出で見るというか見せるモノになったのかもしれません。

 こういう風潮は、私の記憶だと1990年代のヨーロッパで起こったモノだと思うけれど、今はこれが当たり前なんでしょうね。メトも20世紀までは、オリジナル通りに上演するものが多かったけれど、21世紀になってからは、どんどん演出を変え、時代設定を読み替えたモノで上演するようになってきました。心情的には寂しいですが、これもオペラが現代に生きるための術なのかもしれません。演出を変える事で、古典作品が現代にも通用するエンタメとなるのなら、これも歓迎すべき事なのかな?

 少なくとも、今回のメトの「ファルスタッフ」は良かったと思います。

 蛇足  今までメトのライブビューイングでインタービューを受けていた歌手は、みんな当然のように英語がペラペラでしたが、今回ファルスタッフを演じたマエストリは通訳を通してのインタービューでした。そして、その通訳って、どうやら彼のリアルな奥様さんのようでした。ううむ、妻が専属通訳なら、言葉を覚えなくても困らないのか…もしれませんな。それにしても、英語が話せないオペラ歌手っているんだ(驚)。

 蛇足2  パリオペラ座のライブビューイング(東宝系)の上映期間が2週間なのに対して、メトのライブビューイング(松竹系)は1週間の上映なので、もう少し長い期間上映してくれると、もっとたくさんの作品を見に行けるのになあ…とグチった事がありますが、実はメトだって1週間もやってくれるので有り難いという事が判明しました。と言うのも、ロイヤルオペラのライブビューイングってのも、実は日本でやっている(イオンシネマ系)のですが、こっちの上映期間は、たった1回なんですよ。ロンドンで上演したものに字幕をつけて、翌日の夜に一回上映するだけ。たいていは平日の夜なので、私、見に行けません。せめて、メト並の1週間やってくれたら、ロイヤルオペラも見に行くのに。

 蛇足3  パリオペラ座のライブビューイングは、今年もやるそうです。うふふ、ちょっと楽しみだな。

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2014年1月12日 (日)

私は犬肉を食べない[2014年1月第2週・通算1週]

体重:110.4kg
体脂肪率:31.2%
BMI:34.8
体脂肪質量:34.4kg
腹囲:108.0cm

 さて、2014年ダイエット記事を始めます。今年の初期値は以上です。

 ううむ、やっぱりお正月太りしているなあ…。

 昨年の6月あたりの体重は104Kgぐらいでしたが、その後、夏~秋~冬と時間の経過とともに、ズンズン太ってしまいました。それで年末は108.6Kgになってしまいましたが、そこからお正月を越え、さらに2Kgほど太り、今はこの有り様です。

 まあ、それでも去年のお正月は、112.2Kgでしたから、1年というスパンで考えると、それでも2Kgはやせている勘定になります(笑)。

 さて、今週のエッセイをさっそく始めます。

 標題のとおり、私は犬肉を食べません。

 なぜなら…食べたくないから(笑)。もっとも“キライだから”食べたくないというわけではなく(だいたい食べた事ないので好きでもキライでもないわけで)“なんとなく”食べたくないから食べないのである。もちろん、日本に住んでいると、犬肉を食するチャンスそのものがないので、それで必然的に食べずに済んでいるわけだけれど、ならば食べるチャンスがあれば食べるのかと言えば…やっぱり食べたくないです。

 知らずに料理として出されて「お召し上がりください」と言われれば、食べてしまう可能性はあるけれど、ひと言「これは犬肉の料理です」と言われたら…たぶん食べないと思う。

 過去には、熊肉も食べたこともあるし、鹿肉も食べたこともあるし、スズメもカエルも食べたことがあるので、牛豚鶏以外を食さないという“こだわり”があるわけではないのだけれど、それでもやっぱり犬肉は食べたくないです。

 やっぱり、私は犬が、ワンちゃんが好きだからね。

 今は犬を飼っているわけではないけれど、以前はワンコと一緒に暮らしていた事もあるので、なんか犬肉を食べるなんて、ちょっとパスなんですよ。

 「でも、今は金魚を飼っているんだろ? でも、魚は平気で食べるんだろ? まさか、金魚は魚じゃない、なんて言わないよな」

 言いません。金魚は魚類です。そして私は平気で魚を食べますよ。少なくとも、ドジョウは飼ってますが、料理として出されれば、普通に食べます。もっとも、金魚は…食用ではないですから、食べませんが、きちんと料理されて出てきたら…食べないかもしれないけれど、食べちゃうかもしれません。ちょっと自信無いです。

 でも、犬はダメだな。料理として出されても、まず食べないよ。

 もちろん、海外には、犬肉を食べる文化がある事は知っていますし、今でも、韓国や中国やベトナムでは普通に犬肉を食べているらしいです。「あの国ではワンコは食べられちゃうんだなあ…、かわいそうだなあ」とは思います(だって私、ワンコ大好きだもん)が、だからと言って、彼らを非難するつもりはありません。だって、犬肉料理は、彼らの嗜好だし、文化だし、生活だからね。

 少なくとも、クモとかムシとかを食べる人たちよりは、犬肉を食べる方が理解できます。だって、犬肉はたぶん美味しいだろうからね。少なくとも、クモやムシよりは美味しいと思うよ。そしてたぶん、カタツムリやハトよりも美味しいだろうし、ヒツジやウマぐらいには美味しいと思うからね。だから、私は肉の味で食べないのではなく、あくまでも、心の問題、文化や習慣の問題として、犬肉を食べません。

 いいじゃない? 犬肉を食べない自由があっても。そして、犬肉を食べる文化があっても。

 だから、私は犬肉を食べないけれど、犬肉を食べる人を否定しません。私の目の前で堂々と犬肉料理を食べられると…多少は不快に感じるだろうけれど、それを言葉や態度に表わす事はしないだろうし、もちろん、食べる事も止めないよ。だけど、私は犬肉料理を食べないので無理強いをするのだけは止めてほしいと思います。

 これはある意味、タバコと同じ。私は喫煙者の嗜好も自由も人権も認めるけれど、私自身はタバコは吸わないし、受動喫煙もイヤ。だから、私のそばで煙モクモクはご遠慮願いたいけれど、私から離れてくれて、ニオイも煙もこちらに来ないのなら、私の見えるところでタバコを吸ってくれても全然かまわないです。

 「喫煙は害悪だ」とか「健康に良くないから禁煙しろ」とか、そんなお節介な事も言うつもりはないです。ただ、あなたたちの自由を認めるけれど、同時に、私の平和も守ってほしいと願うだけです。

 これが自立した心を持った、大人の態度だと思う。

 つまり、何が言いたいのかと言うと、納豆を食べる文化が日本に、特に東日本にはあるのだから「そんな臭いモノを食べるなんて信じられない」とか「腐ったモノを食うなんて、ヒトとは思わない」とか言ってほしくないのだよ、納豆を食する習慣のない友人たちよ。

 私は好きで納豆を食べるし、最近は妻のマイブームらしく、頻繁に納豆そばを食する私だけれど、そうやって納豆を食べる事は、私の生まれ育った文化の一部であり、生活習慣であり、もちろん、納豆が好きだから食べているわけです。

 つまり、納豆は、私のソウルフードの一つなのかもしれない。だから、納豆ぐらい、気持ちよく食べさせてほしいって事です。

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2014年1月11日 (土)

やっぱりホノカも転覆した?

 そうなんですよ、ついにホノカも転覆しちゃいました。

 時は、正月明け最初の水替えの時です。水替えを終えて、ほっとして水槽の中をのぞいてみると、それまで元気に泳いでいたホノカがピクリとも動かなくなり、腹を上にして水面にプカリプカリしていました。

 あちゃー、確かにナゴンが転覆する以前、一番ヤバそうだったのはホノカだった。でもでも、ナゴンが転覆して以来、気をしっかり持つようにしたのか、それなりにきちんとしていたホノカだったけれど、ついにこの子まで転覆に…。

 なんか、胸がふさがれるような気分になりました。

 これは何かの間違いであって欲しいと願いましたが、何度見直しても、ホノカは転覆したままでした……が、3時間ほどしたら、元に戻っていました。

 どうやら、水替えのショックで、しばらく転覆していたようです。

 まあ、水替えで転覆してしまうのですから、ホノカも体調が優れないのは事実だと思いますが、一度に2尾の転覆金魚を抱えてしまうのは、いかにもキツいです。とりあえず、転覆はナゴンだけで、ホノカは普通に戻れた事は、うれしいかったです。

 で、ナゴンですが、今でも戻ろうと言うか、治ろうと言うか、今でも正常位になろうなろうと日々努力しております。ほんと、そういう点では、意志が強いというか、しっかりした子です。でもまあ、現状としては、相変わらず転覆していますが、転覆している自分に安住していないところが、ナゴンの素晴らしいところだと思います。

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2014年1月10日 (金)

最近、発声について思うこと[2014年1月現在]

 そう言えば、以前はよく自分の発声の事とか、どこまで高音が出るようになったとか、アップしていましたが、最近はレッスンの様子こそはアップするものの、私の現状とか、歌や発声に関する今の考え方とかをアップする機会がなかったので、今回は久しぶりに、その手の事について書いてみたいと思います。

 最近、発声について考える事で、一番強く思うのは『私は自分の声に振り回されているなあ…』って事です。

 私は声について“持っている/持っていない”で言えば“持っている”側の人間になるようです。これは私が勝手に妄想しているのではなく、今までの指導者の方々や声楽関係の友人たちからもよく言われる事なので、たぶん持っているんだと思います。そして、私は声を持っているので、何もせずとも、昔から何となく歌えちゃったんだと思います。

 問題は“何もせず”とか“何となく”とかの部分です。それが今の私を苦しめているんだと思います。

 “何もせず”に歌えちゃったので、基本的な発声技術がなかなか身につかないわけだし、“何となく”歌えちゃったので、今でもきちんとは歌えないのだと思います。それどころか、歌の練習をすればするほど“何もせずに何となく”歌えちゃって、決してきちんと正しく美しく歌えない、自分の声に振り回されていたりします。

 室内でかわいいワンちゃんを飼いたいなあ…なんて思った飼い主初心者が、気がつけば、全く予想外の土佐犬のオーナーになっちゃったような気分です。

 まあ、土佐犬ですからね、トラやライオンじゃないだけマシって思ってますが、やはり室内飼いなら、チワワとかテリアあたりですね。土佐犬を室内飼いって、まず無理です。やはり屋外で飼う事になるし、犬小屋だけでなく、犬の運動スペースも専用に必要だろうし、犬の学校に通わせないと飼育も難しいかもしれません。とても、シロウトの飼い主の手に負えるよう犬じゃないですが、それでも手元に土佐犬の赤ちゃんが来たら、そんな事、言っていられませんよね。

 私の気分は、そんな感じなんです。

 声を持っていて、ノドが丈夫だから、どんなデタラメをやっても大丈夫だし、そんなデタラメが、結局、遠回りをしている事だと気がつかなかったりしてます。

 たぶん私、声に恵まれていないけれど、マジメに真剣に歌の勉強をしてきた人に、全く敵わないと思います。才能だけじゃ、歌って歌えないもの。

 最近思うのは「大きな声で歌う必要って無いなあ」って事。小ホールももちろん、中ホール程度でも、普通に…と言うか、mp程度の声で歌っても、十分会場の隅々まで声が届く私なんです。ほんと、何をどうやっても、私の声って、よく通るからねえ(笑)。よく通る声ってのは、遠鳴りをする楽器のようなモノなんだよ。これって実に恵まれている事だけれど、その恵まれている事の自覚が足りなかったなあって思ってます。

 まあ、大ホールでオーケストラや大合唱団をバックに歌うなら、大きな声も必要かもしれないけれど、私にはそんなチャンスはないのだから、一生大きな声で歌う必要はないのです。

 つまり、大きな声で歌う事や強い声で歌う事は、私には全く不要なんです。だって、そんな事をしなくても、元々の声からして、十分に大きいし、強いのです。なので、力んで歌う事なんて、全くもって不要なんです。

 もっと、気楽に、お手軽に、カジュアルに、楽しんで発声すれば良いのだなって思うようになりました。そして私が目指すべきは、大きな声や強い声ではなく、美しい声なんだなって思います。なにしろ、今の私の歌声は、粗削りすぎて、ちっとも美しくないもの。もっと豊かな響きを持った、美しい歌声で歌わねば!

 それにしても、ノドが痛くなっても、頭痛に悩まされても、大きな声を出そうとしていたあの日々は、なんと愚かな事をしていたのかと思います。もしもタイムマシーンがあるなら、あの頃の私に「そんな事はしなくてもいいんだよ」と教えてやりたくなります(でもきっと、聞かないだろうなあ:笑)。

 もちろん、楽しんで発音すれば良いのですが、だからと言って、楽をすればいいってもんじゃないのです。今の私に欠けているモノ、それは声の支えです。それと滑らかな息の流れ。声がきちんと支えられていれば、息は滑らかに流れていきます。息が滑らかに流れていくなら、それはしっかり声が支えられているからなんです。

 とにかく、私に声の支えは必要なんです。

 私は声に支えがなくても、そこそこ歌えちゃえますし、今までは、声をロクに支えないまま歌ってきました。息なんて、流れていようが流れていなかろうが、関係なく歌っちゃいました。でも、それじゃあ、いつまでたっても“そこそこ”のままです。それじゃあダメだよね。

 声をロクに支えないまま、不安定な声で歌ってきたので、音程も甘くなっていたのだと今は分かります。確かに音感は良くないけれど、音楽は楽しめていたのですから、音感の不足が音程の不安定につながっていたと言うよりも、誤った発声方法が音程を甘くしていたのだと、これも今なら分かります。

 ならば、しっかりと声を支えるようにしましょう…と思っても、ついうっかりして、声を支えるのを忘れてしまうので、なかなか上達しません。なにしろ、声を支えなくても、そこそこ歌えちゃうからです。ああ、ダメなんだな。

 それと、高音発声だってそうです。

 高音発声って、テノールなら、誰でも憧れますし、目標としますよね。

 今まではかなりデタラメな方法で高音発声をしてきました。前の先生が具体的な高音発声のテクニックを教えてくださらなかったという事もあるけれど、ほんと、力任せに高音を出していたと思います。ほぼ、叫び声? いや、怒鳴り声かな?

 さすがに「怒鳴り声じゃあダメだ」と言われて、前の先生には、レッスンで悲鳴の練習をさせられ、悲鳴から高音を導き出す訓練を受けてました。私は悲鳴なんてあげない人なので、あの悲鳴のレッスンは、本当にイヤでイヤでたまりませんでした…が先生がやれと言うので、やってました。今にして思えば、私が嫌がるので、無理やりやらせていたのかもしれません。

 だって悲鳴って、究極のノド声じゃん(笑)。これがいいはずないじゃん。悲鳴って、ノドを始めとして、全身を緊張させて膠着させて、その上で力任せに息を声帯にあてて発声するわけで、これ、普通の人がやったら、すぐにノドを壊すよ。実際、このやり方で、妻のノドはすぐに壊れちゃったけれど、私は丈夫なノドを持っていたので、こんなやり方をしても、簡単には壊れなかったんだよね。

 壊れなかったから良しではなく、やはり間違ったやり方では上達はしないものだと、今は思います。

 結局、高音発声は、脱力と支えなんです、。大きな声はいらないし、力一杯に歌う事も不要なんです。しかし、しっかりと声は支えないといけないし、力みは不要だけれど、息のスピードは必要だし、息もしっかり流さないといけません。そして何より、高音発声のためのポジションというか口形は必要です。

 最近、なんとなく、そのあたりの事が腑に落ちたような気がするんです。まあ、理解したからと言って、すぐにできるわけでもありません。まずはカラダ作り。それと必要な筋肉を動かすための訓練は欠かせません。

 発声だからって、実は特別な事はないんだと思います。声も楽器。ならば、高音発声もフルートで考えれば、分かりやすいと思います。

 フルートで高音を出すには、息のスピード、それも息の初速が必要ですが、そのためには息をしっかり支える事が必要です。たくさん息を送る必要は全くないし、力んでクチビルをガチガチに固めてもダメです。しなやかなクチビルから少量の初速の速い息で吹ければ、高音発声はできます。それと、運指だって、目的とする音の運指をしないとダメです。でしょ? 声楽の発声だって、同じ事なんですよ。

 しっかり声を支える事。楽器となる上半身はしなやかに保ち、決して力まない。運指の代わりとなる声のポジションは、しっかりと高音のソレにする事。そして、そこに適切な息を滑らかに流し込む事。

 力んで力任せに発声するくらいなら、そのパワーを声の支えとポジション維持に使いたいと思います。

 今のところ、高音発声は、Y先生とのレッスンでは、Bまでは確実に出ているそうです。Hには、まだちょっと足りないようですが、先生がおっしゃるには、Hi-Cは楽に出るようになりますとの話です。音形やリラックス具合にもよるけれど、それは私も感じます。

 問題は、単に高音が出るかどうかではなく、美しい響きで楽に出せるかどうかだと思います。これからのレッスンでは、どこまで高音が出せるようになるかではなく、どこまで美しい声で歌えるかが、重要になってくるのではないかと思ってます。

 高音は、出しゃあいいってモンじゃないんだよ。

 で、それは高音だけでなく、中低音にも同じ事が言えます。

 中低音は、私にとって楽な音域なんですが、ここも発声できればいいのではなく、美しい声で、しっかりとした音程で歌える事が大切なんです。そのためには…やはりしっかりした声の支えが必要ですね。

 結局のところ、いくら声を持っていても、その声をちゃんと使いこなせないと(つまり、しっかり支えられないと)宝の持ち腐れとなってしまうという、生きた見本が私なんです。

 だから、今年、2014年は、声の支えをきちんとする事を、発声の第一目標にしたいと思います。おそらく、声をしっかり支えられるようになれば、大半の問題は解決できるんではないかと思います。

 がんばるぞ。

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2014年1月 9日 (木)

ミステリーツアーに行ってきた

 今年のお正月は、妻の足が不自由なので、移動が楽なバス旅行に行ってきました。それも、いわゆる“ミステリーツアー”って奴です。今回は音楽とは関係ないけれど、私が書きたいので、このミステリーツアーについて書いちゃいます。

 ミステリーツアーとは、どこに行って何をするのか、全く知らされずに参加するパック旅行の事です。で、今回は我が家の近所が集合場所となっているツアーに参加しました。

 ミステリーツアーの楽しみは、どこに行くのか知らないので、それを予想していく事です。東に行くのか、西に行くのか、北に行くのか、まずはそこから予想します。ちなみに、我が家から南に行くと、太平洋に突入しちゃいます(笑)ので、南行きはありません。

 時期的な事を考えると…西に向かうかな? と思っていたら、やっぱり西でした。東名高速に乗って、西へ西へと向かいました…が、東名に乗って、しばらくしたら、大渋滞に巻き込まれてしまいました。まあ、バス旅行に限らず、車で移動となると、どうしても渋滞って奴は避けられないね~。

 で、最初の休憩地ってところには、出発60分後に到着する予定(トイレの都合もあるからね)と知らされていましたが、そこは満員で入れず、その次の休憩地に向かう事になりましたが、そこは最初の休憩地から、さらに60分ほどで到着するはず(つまり合計2時間で到着の予定)でしたが、結局、東名の渋滞のおかげで、出発地より4時間後に到着しちゃいました。つまり、最初の段階で2時間遅れ(笑)。いやあ、ほんと、ミステリーだなあ。

 着いたところは、沼津のぐるめ街道にある、お土産屋さんでした。まあ、お土産屋さんと言っても、日帰り温泉屋さん(?)でしたけれど。

 この手のバスツアーと言うのは、あっちこっちのお土産屋さんで休憩して、お土産を買ってもらうのも、目的の一つなんです。まあ、私は基本的にお土産などは買わない人だけれど、それでも各地のお土産とか物産とかを見るのは好きなので、お土産屋さんに立ち寄るのは大歓迎です。

 ここの土産屋には、鯵の素揚げとか金目鯛の素揚げとかが売っていて…ああ、食べたかったなあ(涙)。この直後に、昼食と聞いていたので、泣く泣く諦めましたが、今思えば、次の昼食を減らしても、鯵の素揚げは食べておくべきだった!

 …と未練を残しながらも、最初の目的地&昼食会場である、伊豆の国パノラマパークに着きました。いやあ、こういう場所は、ミステリーツアーじゃないと行かないよね。普通の旅なら、わざわざ目的地としてはチョイスしないので、これはこれで良い経験でした。

 ここは何かと言うと、ロープウェイの地上駅です。ここからロープウェイに乗って、葛城山の頂上にある空中公園に行き、そこで景色を楽しんだり、足湯を楽しんだり、アスレチックをしたりと…まあ、とりあえず上に行かないと面白くないって場所なんです。だって、地上駅側には、食堂とお土産屋さんしかないんだもん。

 到着時刻はすでにお昼を十分まわっていたので、さっそく昼食です。食堂に入って、ズンズンと奥に案内されて…どうやら、バックヤードに案内されたようです。一応、目隠ししてあるけれど、普段は余分なテーブルやイスの置き場で、食材の入ったダンボール箱なんかも一緒に収納されている場所なんでしょうね。隣の食堂と比べると、実にあっさりとした部屋に、ギッシギッシに無理やりテーブルとイスが並べてあります。

 たぶん、当初の予定では、我々は(本来の)食堂で食事の予定だったのでしょうが、2時間遅れで到着したので、すでに我々の場所はなく、その場所には、時間通りに到着した次の団体が入っていたので、我々は急遽バックヤードに会場を急ごしらえしてもらって、そこで食事をする事になったんだろうなあ…って推測します。

 まあ、こんな殺風景な場所で食事をするのも、ミステリーツアーならではって…ことにしておきましょう。

 入った食堂は…寿司のバイキングの店です。つまり、寿司の食べ放題って事ですね。とりあえず、寿司のバイキングは堪能させていただきました。私は寿司も食べましたが、御飯無しのマグロの切り落としもあったので、そちらもメインに食べさせていただきました。しかし、マグロの切り落としばかり食べていると…やっぱり飽きるね(笑)。

 もちろん、食事会場から出る時、本来の食堂を通過したので、そこに出されていたネタの数と、私たちに用意されていたネタの数をしっかりと数えましたとも。で、私たちの方が、ネタの数が少ないことも確認しています。ああ、時間通りに到着すれば、あのネタもこのネタも食べられたのか!と思うと、ちょっと悔しいですが、悔しさを楽しむのも、ミステリーツアーならではの趣向って奴か!

 食事を終えて、いよいよロープウェイに乗って…なんて思ったら、ロープウェイの待ちの列がすごい事になってました。他にも団体客がいて、当初の計画通りだと、それらの団体が、うまくかち合わないように少しずつズラして予定が組まれていたようだろうけれど、私たちが大きく遅刻したので、どうもトンでもない事になってしまったようです。

 食事を終えて、バスの集合時間まで1時間ほどあったのですが、列に30分並んでも、まだロープウェイの乗車口にまでたどり着けない状態だったので、仕方なく、ロープウェイはキャンセルする事にしました。空いていれば、さほど待たずにロープウェイに乗って、10分弱で山頂に到着できるので、食後1時間もあれば、ここは十分楽しめるはずでしたが、30分並んでもロープウェイに乗れないのでは、先々が心配になります。

 だって、無理やりロープウェイに乗って、山頂に行っても、また向こうで下山の列に並ぶわけでしょ? 時間に間に合わなかったら、団体パック旅行なんだから、他の方々に迷惑かけちゃうわけで…ありえないよね。

 しかし、ロープウェイをキャンセルして、土産物屋で30分過ごすのも、結構つらかったですよ。だって、店内なんて10分もあれば、一通り見終えちゃうものね(涙)。それに、ロープウェイなんて、飽きるほど乗っている私だけれど、いざ乗れなかったとなると、すごくすごく心残りが生じるものです(涙)。

 で、ロープウェイの駅を後にして行ったのは、お土産屋兼わさび工場でした。もちろん、わさび工場の方はお休みでした。平日に行けば、活動しているわさび工場が見学できて、その上、出来立てのわさびなんかが購入できたりするんでしょうが…まあ、これもミステリーツアーならではの趣向でしょう(微笑)。

 で、その次に行ったのは、なんと、三島大社でした。ああ、良かった。実はわさび工場を出る時「次はお参りをします」とか添乗員さんが言っていたので、場所的には、三島大社か、熱海の来宮神社のどちらかだろうと予想しちゃいました。で、もしも来宮神社だったら、そこでバスから降りて家に帰ってしまおうと妻と相談してました。だって、熱海だったら、今現在、両親が住んでいるので、来宮神社なんて、来ようと思えばいつでも来れるし、ここまで来たなら、親の顔を見るのも孝行ってもんでしょ(笑)。それに、熱海に来るなら、バス旅行している意味もないじゃん。

 …なんて思っていたので、三島大社でよかったよかった。

 三島神社は、昔ながらの香具師さんたちが出店していて、なんかワクワクしました。私、こういう猥雑な雰囲気って大好きなんだよね。

 この神社では、神社の名物である「福太郎餅」と、宝物殿のギャラリーでなぜか売っていた「ひもくるりん」を購入しました。

 この「ひもくるりん」、いわゆる便利グッズなんですが、これを巫女さん(!)が実演販売(笑)してくれたので、その心意気と商品の面白さで購入しちゃいました。で、何がどう面白いかは、次の動画を見てください。

 これね、実際に目の前で見ると、感動するよ。なんか、魔法でもかけられたような気分になります。だって、ただのビニール紐なのに、クルクル廻すだけで縛れちゃうんだよ。ほんと、感激ものです。

 あ、福太郎餅も美味しかったですよ。しかし、私が思うに、ある一定以上の大きさの神社には、決まってアンコのお餅と写真館が付き物ですね。まあ、写真館は七五三とか結婚式とかの需要があるからって分かるけれど、アンコのお餅は、なぜどこでも売っているのかしら? 神社組合とかで「神社に来たら餅を買ってもらおう!」とか決めているかな? それはともかく、福太郎餅は上品な味のお餅でしたよ。

 三島神社の後は、柿田川湧水公園に行きました。ここは富士山の湧き水が出ている場所で、ここからわき出た水が柿田川の水源になっているという場所ですが…すでに到着したときには日が暮れていましたし、街灯も特になく、長めの下り階段だったので、松葉杖人間である妻には道行が厳しかったのでパスしました。ま、パスせずに降りても、真っ暗で何も見えなかったそうですが…。ううむ、これもミステリーツアーならではの趣向……って奴ですかね。

 最後に、再び沼津のぐるめ街道にある別の土産物屋さんに入りました。そこも大混雑していました…が、熱海で買えるものばかり売っていたので、特に買うものもありませんでした。

 そうそう、そのお土産物屋さんの中に、パワーストーン系のアクセサリーを売っている店があって、そこはなかなか繁盛していました。オバチャンたちがクチグチに「ここは安いねえ~」なんて言って買い物してましたが……そのストーンたちの原価を知っている私には、とても安い買い物とは思えませんでした(でも、その事はクチにしませんでした。商売のジャマをするつもりはないからね)。

 帰りも東名で帰る予定だったそうですが、東名で45Kmの渋滞が発生しているとかで、東名を使わずに、箱根の山を越えて帰りました。なので、18時に到着予定だったのに、21時ちょっと前に出発地に到着できました。ううむ、たったの3時間遅れ(笑)。朝の段階で2時間も遅れたのに、帰りはたったの1時間しか遅れなかったよ。東名を回避して正解でしたね。

 今回のミステリーツアーは、なかなか面白かったです。特に「ひもくるりん」には感動しました。この年になると、なかなか感動できるものって無いんだけれど、久しぶりに感動しちゃいました。それにしても、こんなツマラナイモノ(失礼)に思わず感動しちゃう私も私だなって思いました。

 色々とトラブルめいた事もあったのかもしれませんが、すべてはミステリーという事で、私の中では解決しております。ああ、それなりに楽しかった。

 翌日は疲れ切って、ほとんど活動できなかった事を最後に申し添えておきます。でも、またバス旅行に行きたいなあ(笑)。

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2014年1月 8日 (水)

フルートメーカーについて語る(笑)その7 サンキョウ・アルタス編

 さて、連載の最後は、サンキョウとアルタスについて語ってみたいと思います。

 まずはサンキョウフルートさんです。本来なら、ムラマツフルートさんの次あたりに語ってもよかったのに、何故ここまで登場を延ばしたのかと言うと…どうも私とサンキョウさんは、縁が薄いというか、相性が合わないというか、正直に書こうとすればするほど、なんか悪口っぽくなってしまうので、後回しにしてしまいました。

 別に私はサンキョウさんに恨みがあるわけではないし、悪意もないのです。でも、なんか合わないのです。だから、私の素直な感想を書いちゃうと、どうしても良くない表現になってしまうので、ためらっていたわけです。

 サンキョウフルートは日本の老舗フルートメーカーであり、トップメーカーの一つであります。愛用者もたくさんいるし、プロ奏者もたくさんいる(ウィーンフィルのトップ奏者はサンキョウを使っていたと思います)ほどの大フルートメーカーさんです。

 だから間違いなく良いフルートを作っているのですが…どうも私とは合わないんですよ。サンキョウフルートを吹くと、まるで自分が昨日フルートを始めたばかりの初心者になったような気分になるんです。ほんと、全然ダメになるんです。

 サンキョウフルートは、相性がキツいとネットでよく書かれています。とても美しい音色で鳴らす人がいる一方で、全く音に出来ない人もいるそうです。私の場合は、全く音にならない…とまではいきませんが、吹いていて、ちっとも楽しくないんです。

 だから女性にたとえると…他のグループの人気者、って感じかな? 客観的に見るというか、遠巻きにして見ている分は、いい人だなと思うし、他の人たちが彼女に惹かれるのも分かるのだけれど、そばにいるとなんか違和感を感じるし、一緒に仕事をしようものなら、ソリが合わなく、すぐにケンカになってしまう…そんな感じの人です。いわば、自分とは別の世界に生きている人、って感じです。

 ほら、悪意はないのに、悪口っぽくなっちゃったよ、ごめんなさい>サンキョウさん。

 なぜ、わざわざサンキョウの話から始めたのかというと、私の愛笛であるアゲハのフルートメーカーさんのアルタスフルートについても、似たような印象をもたれやすいからです。

 このメーカーは、ネットを見ていると毀誉褒貶の激しいメーカーのようです。私のようにアルタスラブの人も大勢いますが、逆にアルタスはダメだと言い切る人も少なからずいます。そういう点ではサンキョウさんと同じ。でもサンキョウさんは老舗だし信用があるけれど、アルタスさんは、フルート界では割と新参者ですから、サンキョウさんよりも叩かれる事は多いようです。

 実際、サンキョウを手にして私がガッカリしたように、アルタスを手にとってガッカリした人も大勢いるんだろうと思います。サンキョウもユーザーを選ぶフルートメーカーですが、アルタスも同様にユーザーを選ぶメーカーなんだと思います。

 アルタスフルートの特徴は、他のメーカーのフルートよりも、どうもツンデレ度が高い事だと思います。そして、基本的にはツンなフルートなんです。

 はっきり言って、アルタスフルートは、他のフルートメーカーのフルートよりも、鳴らすのが難しいフルートだと思うし、また、吹き方のスタイルも、ちょっと違うと思います。ですから、そのあたりを理解し、その性格を熟知してあげれば、デレてくれますが、そうでないと、いつまでも気分が悪いままなんです。ちなみに、この場合のデレるとは、極めて美しい音色で鳴ってくれる事を言います。

 私がアルタスフルートのどこに惚れたのかと言うと、やはり、その音色です。試奏した時に、一瞬見せてくれた、そのデレ姿に参ってしまったのです。一目惚れですね。

 でも、基本的にツンデレですから、購入当初は厳しかったですよ(涙)。いくら吹いても、きれいに鳴ってくれず、で、いいかげん嫌になったあたりで美しい音色で鳴ったりします。なので、たまに鳴ったその美しい音色を求めて、また練習をしていくのです。

 購入当初は、なかなかキレイに鳴らせなかったのですが、練習を重ね、今ではかなりの高頻度で美しい音色で鳴らせるようになりました。レッスンではH先生に「すとんさんは音色が良いですね(でも指遣いが残念だ)」とはよく言われますが、その良い音色の大半は私の力量ではなく、アルタスフルートが最初から持っている音色の良さですし、アゲハは先生の前だと割とデレてくれるだけの話です。

 でも、本当に美しい音で鳴ってくれるんですよ。レッスンでは集中しすぎて音色を楽しむ余裕がない私ですが、自宅練習では、自分の音色の良さに、時々酔ってしまうほどです(馬鹿ですね)。いや、ほんと、今でもそうなんですよ。

 これはプラ管フルートのブラ子や、中国1万円フルートであるチャイナ娘を吹いている時には絶対に感じない感覚なんです。それくらいにアルタスフルートの、アゲハの音色は、私好みで、ほんともうワクワクなんです。

 でも、この感覚は、アルタスフルートと相性が良い人にしか感じられないようです。相性の悪い人には、音色が美しくないとか、音量が小さいとか、ちゃんと鳴らないとか、ほんと、メタメタに言われちゃうフルートですから(涙)。

 またアルタスさんの特徴は、音色の美しさだけではありません。総銀のラインナップも特徴にあげられるでしょう。もちろん、アルタスでも、洋銀系のフルートもゴールドのフルートも作ってはいます。しかし、ここはシルバーにはちょっとうるさいメーカーなんですね。

 スターリングシルバー製のフルート、ブルタニアンシルバー製のフルート、メタライズドシルバー製のフルート、アルタスシルバー製のフルート、また、それらを組み合わせて作ったフルート。無垢の銀もあれば、銀メッキや金メッキ、プラチナメッキを施したものもある。銀管から作ったフルートもあれば、銀板を丸めて作ったフルートもある。とにかく、銀のフルートに関しては、結構バラエティがあります。総銀フルートが好きな人なら、ここは興味深いフルートメーカーのはずです。

 正直に告白すれば、アルタスフルートは私にとっても、決して楽なフルートではありません。少なくとも、ミヤザワフルートのギブーの方が、アルタスの1307よりもうんと楽に吹けました。そして演奏に集中できるのは、アルタス1307よりもギブーの方だった事を告白します。

 でもね、本当にダメなフルートだったら、世界のトップフルーティストたちが、アルタスフルートを使うことなんてないはずでしょ? アルタスも他の日本のフルートメーカー同様に、結構な数のプロフルーティストさんたちが愛用しています。だから、アルタスフルートがダメなのではなく、ちゃんと演奏できる人が吹けば、とても素晴らしいフルートになるって事です。

 実際、私もアルタスフルートを演奏するのは、たやすくないけれど、それでもここのフルートには、私の心を惹きつけるモノがあるんだから、吹くしかないんです。仕方ないじゃん。愛って、言葉や理屈じゃないんだよ。

 そうそう、そんなアルタスフルートですが、少し前まではパールフルートと同様に、コストパフォーマンスの良さをウリにしていたメーカーさんでしたが、近年、アルタスフルートは値上げ値上げとやって、今や価格的にはムラマツさんやサンキョウさんに近い価格帯で商売をやってます。あれあれ、大丈夫なのかな? なんだかんだ言っても、フルートって安いモデルの方が売れるし、コストパフォーマンスは大切だよね…なんて思っていたら、アルタスさん、アズミフルートという別ブランドを立ち上げたようです。

 アズミフルートの価格帯を見ると、ヤマハのYFL211や311とガチ勝負しています。うむ、いよいよアルタスも、吹奏楽部のフルートにもチカラを入れていくおつもりのようです。ただ、ヤマハが売れるのは、安くて品が良いだけではないんです。日本全国に販売特約店があって、入手が容易で、アフターサービスが万全なのがウリなんです。アズミフルートは(ネットを使わないと)都会でしか入手できないし、アフターサービスの件だって、どうなんだろ? そこの部分を、どうやってアルタスがカバーしていくかが、今後、アズミフルートが伸びるかどうかの分かれ目だろうと思います。

 でもこれで、廉価でハイコストパフォーマンスなフルートが、ヤマハだけでなく、アズミという選択肢もできた事は良いことだと思います。私は、チャンスに恵まれず、まだアズミフルートを試奏した事がありません。ううむ、アズミフルート、試奏してみたいぞ。でも、試奏して出来が良かったら、衝動買いしそうで怖くて、手が出ません。だって、衝動買いできちゃうお値段なんだもの。

 さて、アルタスフルートを女性にたとえるなら、ちょっと身持ちの固いお嬢さんって感じかな? もちろん、ツンデレですよぉ。こちらに容易に心を開いてくれません。しかし、一度心を開けば、とことん尽くしてくれるタイプですが…ちょっとでも邪険に扱うと、また簡単にへそを曲げてしまう人でもあります。そういう意味では、ちょっとばかりウザいタイプかも(笑)。でも、扱い方さえ、こちらがわきまえていれば、最高のパートナーになってくれると思います。

 …と言うわけで、明日から平常運転に戻ります。よろしくね。

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2014年1月 7日 (火)

フルートメーカーについて語る(笑)その6 ナガハラ・パウエル・ブランネン編

 今回は数ある海外メーカーの中から、気になる3社のフルートについて語ってみたいと思います。

 まずナガハラフルート。社名だけを聞くと、ムラマツ・ミヤザワ・ナガハラと並べても違和感がないほどに社名が日本っぽいのですが、実はここ、アメリカのメーカーさんです。それも本場、ボストンの会社です。

 とは言え、ビビる事はありません。ナガハラフルートは、山野楽器で普通に扱っているメーカーです。ただし、お値段は半端ないですよ。現在のゴールウェイの愛笛を作っているメーカーという事で、世界的に注目をあびているフルートメーカーさんです。

 ここのフルートは、本当にプロ奏者を対象として作られていると思います。私のようなユルいアマチュアさんが手にするようなフルートではないかなって思います。吹いてみて感じる事。とにかく、抵抗感はかなりあります。その代わり、いくらでも息を飲みますし、大きくて美しい音色で鳴ります。

 確か、ゴールウェイだったと思いますが「ムラマツはトヨタ、ナガハラはフェラーリ」とか言ったとか言わなかったとか…。まあ、それくらい、顧客のターゲットが違うメーカーなんでしょうね。…もっとも、私にとっては、そんなムラマツだって、大衆車じゃなくて高級車なんだけれどなあ。

 ナガハラフルートを女性に例えるなら、大企業にお勤めの社長秘書さんって感じです。仕事はバリバリできるだろうし、美人だし、でも私の手にはとても負えないだろうなあって感じ。ひと言で言うと、高嶺の花って感じです。

 一方、パウエルさんは、なかなかのモノです。ソナーレとかシグネチャーは、ちょっと横に置いて(ごめんなさい)、それ以上のランクのフルートは、購入時にソロイスト・フィルハーモニー・ヴェンティ・フィジョーネの四種類の頭部管から好みの頭部管を自由に選べるのが楽しいです。で、それらの頭部管は、それぞれに美しい音を鳴る割には、抵抗感もほどほどのモノが多く、私レベルの笛吹きでもそれなりに楽しめるのが良いです。もちろん、プロ奏者も大勢使っています。そういう意味では、海外の高級フルートメーカーだけれど、日本人にも親しみやすいモデルを作っているメーカーって言えるかもしれません。

 ちなみに、私は、これらの頭部管のうち、自分で買うなら、ソロイストかフィルハーモニーが合いそうです。ただ、輸入物という事もあり、値段が時期で違うし、お店における品揃えも国内メーカーほど充実しているわけではないのが欠点かな? まあ、国内メーカーでも注文すれば製作するのに時間がかかるわけだから、購入するときにアメリカから運んでもらうのも、時間がかかるという点では同じと思えば、それも気にはならないか。

 女性に例えると、その音色の柔らかさと繊細さから、とても落ち着いた女性的な女性(って日本語が変だな)を想像します。ガーリッシュと言うよりも、フィーメルな感じの人って言えば分かるかな?

 最後にブランネンですが、私の印象では、ナガハラと通じる感じがします。同じように、高嶺の花タイプのフルートです。違いは音色かな? 私はナガハラの音よりもブランネンの音の方が、ほんの少しだけフワっとした感じがして好きなんですよ。なので、女性にたとえると、やっぱり大企業にお勤めの社長秘書さんです。私には無理なタイプの女性なんだけれど、容姿や雰囲気がバッチリ私好みなので、叶わないとは分かっていても、気になって目が離せない、憧れの女性って感じです。

 ほんと、お金があったら、ブランネンのフルートが欲しいですよ。ぜひ、欲しいのですよ。

 海外、特にアメリカには数多くのフルートメーカーがあるそうです。そこは日本以上に競争社会ですから、フルートメーカーさんたちも、それぞれに腕を磨き、個性的な楽器を製作しているそうです。日本に住んでいる、それも地方在住だと、なかなかそういう海外の個性的な楽器に触れる機会は少ないのですが、昨今はネットによる情報も充実してきました。ネットを見ると「へえ~」とか「ほぉ~」とか感心してしまう楽器もたくさんあります。

 フルートを見ているだけでも、世界って広いのだなって思います。

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2014年1月 6日 (月)

フルートメーカーについて語る(笑)その5 マテキ・アキヤマ・サクライ編

 今回は、私が気になった工房系のフルートメーカーについて語る事にしましょう。今回取り上げるフルートメーカーは、どこも小さな会社です。試奏はもちろん、地方に住んでいると、見ることすら難しいかもしれませんが、ネットでは時折話題となるフルートメーカーさんたちです。

 まずはマテキフルートです。実は私、ここのフルート大好きです…とは言っても、厳密には、私が知っているマテキさんは、東京で言えば、ラモサウンドさんが取り扱っていた頃のマテキフルートさんです。現在、マテキフルートは、ラモサウンドさんから山野楽器さんへと取り扱い店が変わりました。それに伴い、会社名も変わりました。おそらく、厳密に言えば、今のマテキさんと、昔のマテキさんは、別の会社なんだと思います。とは言え、ホームページ等を見ている限り、今のマテキは、以前のマテキを引き継いでいるように見えますので、両社のフルートは同じモノと思って、たぶん、間違いないと思います。でもでも、厳密に言えば、私がこれから語るのは、今のマテキ(フルート工房マテキ)ではなく、昔のマテキ(マテキフルート)の話です。念のため。

 それにしても、何か、御家騒動的な事でもあったのかしら?

 それはさておき(通称)マテキフルートです。

 以前は、名前は有名だけれど、なかなか現物にはお目にかかれないフルートとして有名でした。実際、ラモサウンドさんに行っても、現物はなくて、買おうと思っても注文製作となっていたくらいですからね。なにしろ試奏をするにも、事前予約が必要なくらいでしたから。

 しかし、今は山野で普通に取り扱っているし、在庫もあるので、いつでも買えるし、試奏もできます。そういう意味では、割と普通のフルートメーカーさんになっちゃいました。

 マテキフルートを吹いて思った事は「アルタスフルートとそっくり!」って事です。少なくとも私の中では、この両者はほぼ一緒でした。おそらく、それぞれの会社が理想とするフルートの姿が共通なんでしょうね。同じものを目指しているので、結果として似通ってしまった…って感じなのかもしれません。

 なので、私にとっては、なんか懐かしくて近しい感じのするフルートです。さらに言えば、アルタスよりも会社が小さな分、注文をするなら、色々とワガママも聞いてくれそうなので“次にフルートを購入するなら、ぜひここにしよう”と思っていたほどです。

 もっとも、私自身、次のフルートを購入する予定も立たないうちに、会社が様変わりしてしまったので、次のフルートをここにお願いするかは、ちょっと微妙な感じです。

 女性に例えるなら、自分の妻によく似た美人な他人…って感じかな? 容姿も似ていれば、雰囲気も似ていて、ついうっかり、妻のつもりで話しかけちゃいそうになるけれど、でも別人なんだよなあ…と思って、身を引いてしまう感じです。

 アキヤマフルートは、触った事はありますが、自分ではほんのちょっとだけしか吹いた事がありません。それでもまあ、他の人が吹いているのは聞いたことはあるし、ネット経由で情報はそれなりに入ってきてますが、自分の感覚では語れません。ネット経由の情報だと、色々とこだわりの強い、趣味人にとっては、とても楽しいフルートメーカーさんのようです。

 サクライフルートは、吹いたこともなければ、触ったこともありません。ただ、友人がここのフルートのユーザーですので、その人の演奏を通して、その音を聞くくらいです。

 その友人は、オーダーして入手したのですが、楽器をオーダーするのって、こちら側のイメージがしっかりしていて、それを的確に伝えることができないと、結構難しいものだなあと思いました。これは悪い意味ではありません。小さな工房系のメーカーだからこそ、オーダーの自由度も高いのです。ただ、オーダーの自由度が高いというのは、それだけ、こちらのイメージをきちんと職人さんに伝えきれないとマズいって事です。こちらのイメージと職人さんのイメージをどれだけ合致させるかが、良い注文フルート作りの基本なんだと思いますが…人間同士のコミュニケーションって、実に難しいって事です。なまじオーダーの自由度が高いと、ほんと難しいと思います。

 どちらにせよ、アキヤマ・サクライの2社のフルートは、フルート界での名前は有名ですが、なかなか現物に会えない、希少なフルートたちなんです。そして、それぞれに熱狂的なファンがいることも知っています。なので、女性に例えると、アイドル歌手? それもご当地アイドルとか、地下アイドルのように、こちらからわざわざ出向かないと会えない、しかし出向けば必ず会えるアイドル、のような存在です。で、今のところ、チャンスがないので、私は出会えないわけなんですね(汗)。

 その他にも、アイハラフルートさんとか、ヤナギサワフルートさんとか、ネットで有名なフルートメーカーがまだまだ日本にはありますが、さすがに、見た事も聞いた事も触った事もないメーカーについて語るのは、次の機会にしたいと思います。

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2014年1月 5日 (日)

フルートメーカーについて語る(笑)その4 ミヤザワ編

 ミヤザワフルートは、以前の私にとっては、アウト・オブ・ガンチューなフルートメーカーでした。試奏をしても、ピンと来ず、イメージも“吹奏楽のフルート”でした。

 なにしろ、ここのメーカーのウリは“ブローガー・システム”と“リップが9K金製のモデルも普通にあります”…ですからね。私程度の腕前だと、ブローガー・システムの良さなんて分からないし、リッププレートが9K金製であるために、強い息に対する耐性が強まっても関係のない事でしたからね。

 ただ、タフなメカニズムと強い息に対する耐性を持っているために、ミヤザワフルートは、吹奏楽関係者には愛されていました。でもそれだけでは、私の興味関心をひけなかったのです。

 ミヤザワフルートに対する印象が一変したのは、アゲハ(アルタス1307)をオーバーホールに出した時です。我が愛器がオーバーホールでお里帰りをしている間、代車ならぬ代笛として楽器店からレンタルされたのが、ミヤザワのギブーでした。

 ミヤザワのギブーは、すでに廃番となったモデルですが、当時は名器としての評判の高かったフルートだそうです。おそらく、ギブーはブローガーシステムを搭載する前のミヤザワのフルートなんだろうと思います。このギブーが私の手元にやってきて、私のミヤザワに対する印象をガラリと変えてくれました。

 ミヤザワのギブーは、本当に良いフルートだと思います。

 まず、音程がとても取りやすいフルートでした。それまで使っていた自分のフルートでは、ドンピシャな音程で吹くことに、実は困難を感じていました(アルタスフルートは色々な意味で気難しいフルートだと思います)。そのために、常に音曲げの必要を感じていたわけですが、それがギブーでは、そういう苦労をせずとも、ドンピシャな音程でフルートが吹けたのです。そして、ギブーでいつもいつもドンピシャな音程で吹いていたら、アゲハが戻ってきた時も、アケトでもドンピシャな音程で吹けるようになっていました。

 楽器は奏者にとって、道具であると同時にコーチでもあります。私はギブーから「フルートの音程の取り方ってのは、こうやるのよ」と教えられたわけです。

 さらに教わったのは音程の取り方だけではありません。息の適切な入れ方も教わりました。アゲハがややピーキーでツンデレな性格だとしたら、ギブーは温和で親切な感じでした。私はギブーを吹くことで、アゲハからは学べなかった、色々な事を教えてもらった気分です。なので、アゲハが帰って来た時、ギブーをお店に返すのを、ちょっとためらってしまったくらいです。それくらい、ギブーを気に入った私でした。

 ギブーを通して、ミヤザワフルートが、なぜ吹奏楽で愛されているのかが分かる気がしました。ミヤザワフルートの魅力は、ブローガー・システムと9K金製のリッププレートだけじゃないです。それ以前に、初心者に優しい、良いコーチとなるフルートなんだと思います。

 ミヤザワフルートを女性にたとえるなら…どうしても私のところにやってきたギブーのイメージが強くなってしまうのですが…小学校の先生のようなイメージになります。優しく面倒見が良くて親切で忍耐強い、そんな女性のイメージになります。

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2014年1月 4日 (土)

フルートメーカーについて語る(笑)その3 パール編

 パールと言うと…私にとっては、ドラムスのメーカーです!

 なにしろ、パールという会社は、日本の名だたるドラマーたちに愛されているドラムスを作っているメーカーです。なので、パールという会社のイメージは、あのズンドコズンドコ鳴っているドラムの音だし、バスドラに書かれている、あのロゴのイメージなんですよ。

 そのパールがフルートも作っていると知って「へ?」って思ったものです。ドラムスのメーカーなのに、フルートも作っている? ドラムスとフルート? どこでどうつながるの???

 正直、そう思いました。世界の一流ドラムスメーカーの余技ですか?ってね。

 まあ、今では、パールがフルートも作っているメーカーだと知ってますが、やはり世間的(世界的)には、やはりパールはドラムスのメーカーだと思います。

 そんなドラムスの会社が作っているフルートですから、いかにもパーカッシブでパワフルなフルートを作っているのか思いきや、全然違うんですね。それがなんとも、ごくごく普通のフルートなんですよ、世界の各種コンクールなどで入選するクラシック系の若手フルーティストたちも愛用するほどの、きちんとしたフルートを作っているメーカーさんなんです。

 ある意味、驚きだよね。あんまり違うから、同じ名前の別の会社じゃないかと疑ったくらいです。その疑問が解消しても、ドラムスのイメージから、たとえパールがフルートを作っていても「ドラムスの隣で売る、ポピュラー向けの廉価なフルートでしょ」と思っていたら、クラシック向けの高級フルートも作っているわけだから、本当に驚きです。

 でも、この私の驚きって、クラシック音楽や吹奏楽しかやらない人には、到底、伝わらない驚きだろうなあ…。でも、ロック野郎やポピュラー音楽畑にいる人間にとって、パールというメーカーは、ドラムスメーカーなんですよ。

 それはさておき、フルートメーカーとしてのパールについて語ります。

 まず、パールの特徴は、その圧倒的なコストパフォーマンスにあります。ザックリ言えば、安いんです。

 総銀の一番安いモデルであるカンタービレが、メーカー標準価格で約40万円ですからね。ヤマハのYFL-717やアルタスのTS、サンキョウのアーティスト、ミヤザワのアトリエ3が約50万円。ムラマツのDSが約60万円。これらの日本の他のフルートメーカーと比べても、パールは安いんです。

 安さは正義ですからね。おまけに、決して“安かろう悪かろう”ではなく、ちゃんとした品質のまま安いのですから、そりゃあうれしい話です。まあ、パールがなぜ安いのかについては、ちゃんとした理由があって、決してデタラメな事をしているわけではありません。パールにはパールなりの理由と戦略があって、安いんです。

 これも立派な企業戦略だなって思います。

 さらにパールには、価格以外にも、魅力があります。それは多様な頭部管です。今もやっているかどうかは定かではありませんが、以前のパールフルートでは、フルートを購入するときに、頭部管の選択ができました。これって魅力ですよね。

 安くて、プロ奏者も愛用していて、頭部管の選択ができる。これって、これからフルートを購入しようかと考えているアマチュアフルーティストの心をグワングワンに揺さぶりますね。

 また、パールフルートは、その音色も良いのです。なんともクリーミーなんですね。日本の多数派を占めるムラマツフルートとは、明らかに音色の方向が違ってます。とてもドラムスメーカーが作っているフルートとは思えない(笑)。ま、それを言い出したら、ヤマハだって、本来はピアノメーカーなんですけれど…。

 私はアルタスフルートを使ってますが、これを購入する時は、最後までアルタスとパールで悩んだくらいです。趣味の笛吹きには、とても魅力的で良心的なフルートメーカーだと思います。

 女性にたとえるなら…うーむ、バリバリのロックンロール野郎を兄に持つ妹さんって感じかな? 兄さんの破天荒さとの比較でお上品に見られる事も多いけれど、実際は見かけよりもずっと気さくで親しみやすい女の子って感じかな? ま、妹キャラだな、パールフルートは。

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2014年1月 3日 (金)

フルートメーカーについて語る(笑)その2 ヤマハ編

 ムラマツフルートの次は…当然、日本を代表する楽器メーカーのヤマハさんの出番でしょうね。

 ヤマハフルートには、二つの顔があると思います。一つは“吹奏楽部のフルート”のヤマハ、もう一つは“高級フルート”のヤマハです。もちろん、この二つの顔をつなぐモデルもあるわけだけれど…最近登場したフィネスがそうでしょう。まあ、ひとまずそのフィネスは横に置いて、ヤマハの場合は“吹奏楽部のフルート”のヤマハと、“高級フルート”のヤマハの二つのフルートメーカーとして、分けて考えた方が良いんじゃないかなって思ってます。

 まず最初は“吹奏楽部のフルート”を作る楽器メーカー、ヤマハに関する感想です。

 なんでも、世界で一番売れているフルートは、ヤマハのYFL-211だそうです。まあ、都市伝説の一つかもしれませんが、なんか納得のいく話です。お値段が8万円台で、日本フルートにしちゃあ破格に安い値段のくせに、品質はきちんとしていて、十分楽器として実用レベルに達している、驚きのハイ・コスト・パフォーマンスな楽器ですからね。

 学校の吹奏楽部なら、このYFL-211か、あるいはもう一つグレードの高いYFL-311がたくさんあるでしょうし、学校予算で買うなら、この二つのうちのどちらかでしょう。それくらい学校吹奏楽部には、なじみ深い楽器です。

 YFL-211にしても、YFL-311にしても、実に良い楽器だと思います。鳴りやすいし、扱いやすいです。その上、タフです。ちょっとやそっと、ぶつけたり落としたりしたくらいじゃ壊れないし、調子もなかなか狂わないので、調整の間隔が多少あいても平気です。それにだいたい、ネジ式ですから、手慣れた人だと自分で調整しちゃったりもできます。

 ヤマハのお店は日本国中どこにでもありますから、入手もしやすければ、アフターサービスだって気軽に頼めます。

 吹奏楽部のフルートさんに限らず、趣味のフルート初心者さんにも安心して薦められる楽器です。すごいよね。ある意味、日本フルート界のアイドルですよ。

 一方、ヤマハには高級フルートメーカーとしての顔もあります。

 まずは“高級フルート”というジャンルの説明をしないといけないかも…ですね。

 日本のフルートメーカーは、廉価モデルも販売しているけれど、基本的には高級フルートを製作するメーカーばかりです。だから、フルートって、こういうモノだと思ってしまいがちだけれど、実は世界に目を向けると、フルートって、もっと廉価で親しみやすい楽器だったりします。

 高級フルートって、本気のクラシック音楽演奏で使うための楽器で、あくまでもホール演奏を前提とした、職人さんの手作りで気合を込めて作った繊細でガチな楽器なんだと思います。

 例えば、ムラマツフルートで一番お手軽価格なフルートはEXモデルだけれど、これだって約20万でしょ? 世界の人々の平均月収が2万円程度という事実を踏まえると、ほぼ年収分の価格だったりするわけで、我々はついついEXを“安いフルート”と勘違いしてしまいがちだけれど、世界レベルで言えば、EXでもすでに高級フルートだったりするんです。
 ましてや総銀フルートなんて、高級フルートどころか、超高級品だったりします。

 この話は、ギターとかベースとか電子キーボードとか、ポピュラー音楽で使う楽器との値段と比べてみれば、日本のフルートの超高級さがよく分かると思います。

 実際、ジャズ系の楽器店で手に入る名もないフルートメーカーのフルートって、十分実用範囲なのに、驚くほど安いでしょ? この手のフルートがなぜ日本の普通の楽器店の店頭に並ばないのかは…私には分かりませんが、日本だと、このジャンルの楽器って、ヤマハの“吹奏楽のフルート”ぐらいですね。いや実際、日本のフルートメーカーで、この分野にチカラを入れているのは、ほぼヤマハだけで、ヤマハは企業規模が大きいから、廉価なモデルも、高級フルートも、どちらにもチカラを注げるわけです。

 さて、話はヤマハの高級フルートに戻ります。

 木管。ビジュー。メルヴェイユ。イデアル。これらのモデルは、それぞれに特徴的だし、それぞれに素晴らしい楽器だと思います。また私は試奏した事ないけれど、ジュリアス・ベーカーモデルやジャーマンモデルなどもあります。一つのメーカーに、これだけの多様な高級フルートのラインナップがあるなんて、ヤマハの楽器メーカーとしての大きさを感じさせられます。

 どうも、ヤマハと言うと、吹奏楽部向け楽器メーカーとしてのイメージが強いせいか、これらの高級フルートが軽く見られる傾向があるような気がしますが、実際、これらのフルートを手にとってみると、その素晴らしさに驚きます。

 私は、個人的な好みもあって、この三つの中では音色の柔らかなメルヴェイユが一番しっくりきます。ビジューは、なかなかリンギングが豊富な音色のためか、プロの方々にも愛用されています。イデアルは…まだまだ新製品だし、ヤマハの一押しフルートですから、これからユーザーが増えていくでしょう。

 おおよそ楽器メーカーとしてのスキがほとんど無いヤマハです。それがワザワイしているのかもしれません。私が何となくムラマツをスルーしてしまうように、ヤマハをスルーしてしまう方が多いのかもしれません。強すぎる横綱って、ファンも多いけれどアンチも多いんですよ。そこがヤマハのつらいところかもしれません。

 でもね、ヤマハ、いいよね。特にメルヴァイユは本当に良いフルートだと思います。

 ヤマハフルートは、女性にたとえると…難しいですね。決して一人ではないと思います。たぶん、ヤマハフルート家があって、そこにたくさんの姉妹たちが暮らしているんですよ。若くて元気なYFL-211やYFL-311(女子高生さんですね)もいれば、すでに妙齢に達しているビジューやメルヴェイユ、イデアルのような姉妹たちもいるわけです。ビジューはバリバリのキャリアウーマン、メルヴェイユは保育士さん、イデアルは若いデビューしたてのOLさん…ってイメージかな? 割と普通にいるタイプの人たちじゃないかな、って思ってます。でも、この世界、長くつきあうなら、普通にいるタイプの人たちがいいのかもね。

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2014年1月 2日 (木)

フルートメーカーについて語る(笑)その1 ムラマツ編

 さて、今年も年の始めは、連載企画です。今年の企画は、ずばり「フルートメーカーについて語る(笑)」です。

 私もブログの記事の中で、あれこれとフルートメーカーについて断片的に語っておりますが、それぞれのメーカーについて、まとめて書いた事は、たぶん、なかったと思いますので、ここらで一度、それぞれのフルートメーカーについて思うことや感想などを無責任に書いてみても良いかな…なんて思いました。思ったら、即、実行です。へへへ。

 で、第一回は、やはり、ムラマツさんからでしょう…って事で、ムラマツフルートについて語りたいと思います。

 フルートメーカーのムラマツ。私にとっては“ザ・フルート”って感じです。実際、日本のプロのほとんどの方は、ムラマツのフルートを使っているし、アマチュアやセミプロの方々も、やはり同様にムラマツフルートを使っているわけで、いかにも「フルート上級者たるもの、ムラマツを使うのが当たり前」みたいな感じすらします。

 それくらい、フルート業界では当たり前の存在だと認識しております。ま、業界のデファクト・スタンダードって奴ですね。

 H先生はムラマツの特注品を使ってらっしゃるし、笛先生も頭部管こそはパウエルだけれどボディはムラマツを愛用してらっしゃいました。ムラマツフルートって言うと、先生方の使われるフルートってイメージもあります。

 実際にムラマツフルートを試奏してみると、いかにも標準的な楽器という感じがします。癖がないと言うか、本当は癖はあるんだろうけれど、あたかも癖すら標準仕様のような感じがします。

 吹きやすいし、鳴らしやすいし、操作しやすい。道具としては、良く出来ていて、むしろつまらないくらいです。でも、道具として扱いやすいと言うのは、本来大切な事で、道具が扱いやすければ、奏者はその分、注意力を音楽そのものに向けることができるわけで、そういう意味では、とてもすぐれた楽器を生産するフルートメーカーなんだろうと思います。

 でもね、あんまり、普通すぎて、趣味っぽくないんだよね。

 ムラマツフルートって、お仕事でフルートを演奏される人向けの楽器を作るメーカーさんって、私は思ってます。『確実だけれど、遊びがない』って感じ、遊びがない分、信頼性は高まるんだけれど、でもなんか物足りないんです。もう少し、遊び心があってもいいんじゃないの? って私は思います。

 まあ、私の偏見ですね。

 誰もが使っているので、面白くない…とも言えます。きちんとしすぎて、つまらない…とも言えます。欠点がなさすぎて八方美人のような感じも受けます。プロの方々や上級者たちが使っているので、なんか気後れがします。だからかな、ムラマツフルートを手にすると、なんか居心地悪い感じがします。

 まあ、自分自身に個性がないので、せめて使用楽器に個性を求めたい私には、食指が動かないフルートメーカーでもあります。

 でも、ムラマツ9Kは本当に素晴らしいフルートだと思います。私自身も欲しいと思う楽器だし、H先生からも「次に買うなら9Kにしなさい」と言われているくらいです。

 フルートを購入した頃は「ムラマツなんて…」と良い意味でも悪い意味でも敬遠していた私でしたが、今の私なら、ムラマツも場合によってはアリかな?程度の気持ちになってきました。やはり、楽器は道具ですから、道具として信頼できる楽器が良いですよね。

 まあ、女性にたとえるなら、名家のお嬢さんって感じかな? 正直、その良さは認めるけれど、お育ちの悪い私にとっては、なんか近寄りがたいンですよ。気が引けちゃうってのかな? 実際、フルートフェアなどに行っても、ムラマツのブースは、なんとなくスルーしちゃう私です(笑)。

蛇足 これからもフルートを女性にたとえていきますが、別に女性差別とかそんなつもりはないですし、そういう記述もしないつもりです。でも、「女性を楽器にたとえるなんて、不謹慎な~!」と感じられる方は、この連載が終わってから、このブログにお越しくださいな、よろしくね。

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2014年1月 1日 (水)

さあ、今年[2014年]の抱負だよ

 新年の御挨拶を申し上げます。今年も、私ならびに、この「老犬ブログ」をよろしくお願いいたします。

 さて、今年も「新年の抱負」からブログを始めましょう。まずは例年どおりに、昨年の抱負を検証するところから始めましょうか。ちなみに昨年の元記事はこちらです。

去年の抱負 1)高いBbまでを常用音域にしたい

 ×でした。

 昨年のこの記事で『仕事環境の激変でも無い限り』と書きましたが、その激変がやってきてしまいましたので、昨年は趣味に時間を割くことがとても難しい状況になってしまいました。

 ほんと、一昨年並の時間の余裕があれば、この抱負も達成できたかもしれませんが、今は練習時間を見つけるのに四苦八苦している状況なので、とても「高いBbまでを常用音域」には無理でした。なにしろ、まだ私は高いAと戦っているからです。しかし、高いBbも発声練習では出せるようになりましたので、全く前進していないわけでもないのです。

 ゆっくりでも着実に前進していきたいです。

去年の抱負 2)アルテ1巻を今年こそは終えたい

 ×でした。

 しかし…と言ってはなんですが、ガリボルディのミニヨン・エチュードは終わらせましたよ(エッヘン)。

 でもまあ、通常は1年程度で終わるアルテ1巻ですからね。さすがにそろそろお終いにしたいと思ってます。なにしろ、今年でフルート始めて7年目に突入するんですよ。それなのにまだアルテ1巻ですからね、さすがの私も、もう呆れちゃってます。

去年の抱負 3)ヴァイオリンを続けていきたい

 ×でした。

 続けるどころか辞めちゃいましたからね。これに関しては、言い訳もできません。

去年の抱負 4)ダンスパーティーで見知らぬ女性と踊りたい

 ×でした。

 見知らぬ女性と踊るどころか、4月以降、全く踊れていない現状を、まずはどうにかしないといけません。

去年の抱負 5)金魚たちの誰もが死ぬことなく、元気な毎日を過ごさせたい

 △かな。

 4尾いる金魚ですが、ハナジロ -> ホノカの交代はありましたが、その他の3尾はなんとか越年させられました。いやあ、良かった良かった。来年こそは、今の4尾のまま、メンバー交代無しでお正月を迎えたいです。そのために、まずはナゴンの転覆をどうにかしないといけませんね。

去年の抱負 6)まずは100kgを切りたい

 ×でした。

 体重の話です。100Kgを切りたいのは本音です。しかしその一方で、激しいダイエットをしたくないという思いもありますし、今は友人の医者の薦めもあって、炭水化物ダイエットのような事をしています。なんとか、成果を出したいですね。

去年の抱負 7)ブログを続けていきたい

 ◎です。

 毎日ブログをアップし続けるって、実は結構大変なんですよ。

 昨年は4月以降、私を取り囲む仕事の状況が激変しました。なので、3月の落ち穂拾いで…

>今までよりも、コメント返しが遅くなったとしても、勘弁してください。

>これからは、記事がアップされない日があるかもしれません。

 と書いた私です。実際、コメント返しはだいぶ遅くなる事が増えました(ごめんね)。でも、なんとかかんとか、記事の方は毎日アップし続けております。記事の長さも、たまに短い日もありますが、大半は今までのようなボリュームの記事をアップし続けることができています。

 自分で言うのもなんですが、今年のブログは、ほんと、大変でした。

 でも、大変だからこそ、頑張れるという側面もあるんです。

去年の抱負 8)家内安全、家族が健康で安心して暮らしていく

 △かな?

 年末に向かって、妻が大怪我をしてしまい、ちょっと家庭内が色々と大変でした。やはり家庭内における妻の存在は大きいですね。

 と言うわけで、去年の抱負は、1勝5敗2分けとなりました。どうも、抱負通りに動けなかった1年という事になります。ま、人生、そういう事もあるよね。、

 さて、気分を新たに、今年の抱負を書きますね。

1)Aまでの曲なら自信を持って歌えるようになりたい

 どこまで高音が出せるようになるかも、大切っちゃあ大切だけれど、それよりも、どこまでなら自信を持って歌えるようになるかが、テノールとしての課題かなって思ってます。とりあえず『Aまで』と言うのは、そこがテノールとしての最低条件だと思っているから。もちろん、これくらいは完成されたテノールなら、当然だろうけれど、こちとらまだまだ未完成の修行中の身ですからね、ひとまずその“最低条件”ってところをクリアしたいと願っているわけです。

 頑張りますよ。

2)今年こそアルテ1巻を終了したい

 もう、ここ何年も書いてますが、本当に今年こそアルテ1巻を終わらせたいです。なにしろ、あと4ページだからね。でも、その4ページが長いんだよ(涙)。

3)社交ダンスを再開したい

 ほんと、再開したいです。そのためには、妻の怪我が回復する事と、私が仕事の合間にダンスができる時間を見つける事…が先決だね。来年も今と同じポジションにいるとは限らないし、同じポジションだったとしても、来年は来年で今年以上に仕事が増えることは必死だから、冷静に考えると、踊る時間をひねり出すのは、相当難義な事だけれど、諦めたら何も出来やしないんだから、まずは決意だけでも固めておかないと…ね。

4)金魚たちの誰もが死ぬことなく、元気な毎日を過ごさせたい

 転覆金魚のナゴンが心配だけれど、ナゴンは今までの転覆金魚たちとは違って、回復したいという意志が感じられる子なんです。転覆しているにも関わらず、あの手この手で正常な姿勢を取ろうとしています。まだ本人(本魚)は諦めてないわけです。ならば、飼い主としては応援するしかないでしょう。

 それに今の子たちと来年もお正月を迎えたい…ってマジに思っているしね。

5)まずは100kgを切りたい

 ほんと、100Kgは切りたいです。健康もそうだし、年を取って体重が多いのは、たぶん厳しいからね。なんとかして100Kgは切りたいです。

6)ブログを続けていきたい

 ま、これこそ例年通りですが、続けていきたいですよ、これからも。

7)家内安全、家族が健康で安心して暮らしていく

 これまた例年通りですが、本音で『家内安全』と『健康』ですよ。
 
 まあ、例年通り、前年と同じような抱負になりました。まあ、オッサンの人生と言うのは、よくも悪しくも安定しているわけだから、毎年の抱負だって似たような感じになるわけだ。とまあ、今年も最初からこんな調子なんですが、これに懲りずに、今年も「老犬ブログ」をごひいきにお願いします。

 あけましておめでとうございます。

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