ひとこと

  •  ああ、腰が痛い…。またまた、ぎっくり腰をやっちまいました。今回の原因は不明。先日、何となく腰が痛いなあ…と思って、整体に行ったら「ぎっくりですね」と言われちゃいました。ぎっくりと言われる前は何となく痛かった程度だったのに、ぎっくりと言われた途端にめっちゃ腰が痛くなりました。…言霊って、すごいなあ。
2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合は必ず“名前”の欄にハンドルネームをご記入ください。ココログ的には、コメントの際の名前の記入は任意となっていますが、このブログでは必須としますので、ご了解ください。また、その時に使用されるハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

カテゴリー

メールについて

  • 記事の訂正および削除の依頼と、部外者に見られることなく、私(すとん)と連絡を取りたい方は、メールリンク(この下にある「メール送信」)をクリックしてメールでご連絡ください。その際、どの記事でもかまいませんから、コメントに「メールを送りました」と一報いただけると幸いです。私、メールを見る習慣がないので、黙っているといつまでもメールを放置してしまいますので、よろしくお願いします。メールを送ったことをお知らせいただいたコメントは、メール確認後、すみやかに削除させていただきますので、ご安心ください。

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月の記事

2013年11月30日 (土)

ナゴンが転覆しちゃいました

 我が家で一番ブクブクに太っているナゴンが、転覆しちゃいました。いつ転覆するかとヒヤヒヤしていたので、ついに来るべき日が来たか…という感じです。

 琉金って、太ると転覆するんだよね。そして、一度転覆すると、治らないんだよね。で、ゆっくり死んでいくんだよね。

 ああ、悲しいなあ。

 さらに言うと、いつも水槽で溺れているかのような下手な泳ぎを披露してくれるホノカも、ちょっとヤバイ感じなんですよ。この子も太った琉金だからなあ。ダブルで転覆したら、本当に悲しいです。

 とりあえず、転覆は前に泳いでいるとなりません。疲れて止まると転覆するんです。なので、ナゴンだって、泳いでいれば転覆ではないんです。止まると転覆しちゃうんです。

 それにしても二尾とも琉金なんだよね。以前“琉金は転覆になりやすいから”という理由で琉金を我が家に迎え入れるのは止めたハズなのに、妻が琉金好きなもので、ついつい琉金を飼ってしまうんだよなあ。で、こうやって、ブクブクに太って転覆になってしまって、かわいそうな最期を迎えることになる…のは、見ていてつらいです。

 転覆は不治の病だけれど、奇跡的に回復すると良いのですが…。

 頑張れナゴン! 頑張れホノカ!

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月29日 (金)

フルートの買い換えについて[H門下の場合]

 フルートのレッスンに行ってきました。今回も私は遅刻をしませんでした。だって、仕事を早く終えて帰宅したんだもん…ってか、脳味噌が閉店ガラガラになってしまって、もうこれ以上仕事をしても、ミスを重ねるだけだなって思ったので、さっさと帰宅しちゃったんだもん。疲れた脳味噌で仕事して、私の判断ミスが大きな禍根を残すようではマズいからね。

 最近、どんより疲れている私です。

 さて、そんな遅刻しないでレッスンに向かった私でしたが、私の前でレッスンを受けている姉様が、遅刻をしたらしく、私が教室に到着した時は、まだレッスンを始めて間もない状態でした。なので、丸々姉様のレッスンを見学する事になりました。

 やっぱり上手い人って違うよなあ…。ただ、音階を吹いているだけなのに、なんか、すっげー聞きほれちゃうんだよ。音色がキレイだし、音の圧力が絶妙なんだよね。なんて言うのかな? ただエチュードを吹いているだけなのに、そこにみずみずしくて色気のあるナニカを感じてしまうわけですよ。

 いいなあ、こういう、テクニックではなく、音で聞かせられる人が、本当に上手い人、なんだろうなあ。

 しかし、現在の姉様レベルにまで、私が上達する事は、たぶん無いって思うと、ちょっぴり悲しいね。

 うっとり、姉様のフルートを聞きほれているうちに、レッスン終了となりましたので、三人でロングトーン練習をしました。三人で吹くと…二人で吹いている時ほどは、ビタって感じにはなりませんが、まあこれは仕方ないでしょう。三人って、合わせるのが難しいんだと思います。

 で、アルテです。15課10章es-mollの8番の「es-mollのスケールとアルペジオ」です。この一週間、割とマジメに練習してきました。だって、これしか課題がないんだもん(笑)。もう、自宅では、ボケっとしていても、絶対に間違えないレベルにまで仕上げてからレッスンに臨みました。

 …にも関わらず、なぜかレッスンでは凡ミス連発で、ちっともまともに吹けませんでした? why?

 先生もさすがに呆れてしまって「私がいいと言うまで、何度も繰り返して吹きなさい」って言われました。たぶん…20回くらい吹いたかな? 結構長い時間、ひたすら『スケールとアルペジオ』を吹いてました。で、ようやく先生から止めていいというお許しをいただき、合格にしてもらいました。有り難いことです。宿題は、Cis-durの「ロングトーン」と、1番「音階準備練習」です。

 「これは、以前やったDes-durと指遣いは同じだから、しっかり楽譜を見て、指の記憶に頼らないようにして練習してくるんだよ」と言われました。つまり、指と言うよりも、読譜の練習だね。でも、これが結構難しい。目を閉じれば吹けるのに、なまじ目を開けているから吹けないんだから、笑っちゃうよね。

 さて、プチ・エチュードです。2番です。今回の私は、前回先生からいただいたアドヴァイスに従って、頑張って練習してきました。「速いテンポよりも、ミスのない演奏を心がける事」と「短い音符はしっかり短く吹くこと」の二つを重点に置いて練習してきました。

 なので、テンポはカメさんでしたが、なんとかミスは最小限(ノーミスではやっぱり吹けませんでした:涙)でおさえました。先生からは「テンポはまだまだだけれど、前回の間違いだらけの演奏よりも、ずっといいですよ」と言われました。

 短い音符を短く吹く…ですが、短い音符を短く吹いた事は良しでしたが、先生曰く「短い音符を短く吹くんじゃなくて、短い音符は抜いて吹くんだよ」との事で、私の演奏では抜きが足りないそうです。なので、今度は、上手に抜きながら演奏することに気をつけないといけませんね。

 頑張って抜きましょう。でも、ある程度のテンポをキープしながら抜くのは、今の私には至難の業だよなあ…。

 さて、今回の雑談ですが、フルートの買い換えの話でした。

 事の発端は「宝くじが当たったら、新品のフルートを買うんだ~」という話を私がした事がキッカケです。

 先生がおっしゃるに、先生の門下では、新弟子さんたちには全員、ヤマハの一番安いフルート[YFL-221]を購入してもらう事にしているんだそうです。総洋銀でEメカ無しの奴ですね。必ずコレなんだそうです。初心者には、このフルートが一番良いのだそうです。

 「これ、Eメカとか付いてませんよ」

 「Eメカなんて、いらないでしょ?」

 「でも、Eメカ無いと、困るんじゃないんですか?」

 「あなたのフルートはEメカ付いてますか?」

 「付いてません」

 「でしょ? 呼吸がしっかりできれば、Eメカなんて不要なんですよ。だから要りません。要らないEメカに、無駄にお金を使う方がもったいないでしょ?」

 …なんだそうです。で、この“ヤマハの一番安いフルート”で、まずは最初の2~3年吹いてもらうのだそうです。

 2~3年もレッスンしていると、その人がいずれフルートを辞めてしまう人か(たとえ趣味であっても)一生フルートを吹き続ける人なのか、先生には分かるんだそうです。で、一生フルートを吹くだろうなあって思ったお弟子さんには、銀の笛(総銀フルートのことね)に買い換えるように薦めるんだそうです。

 「いきなり、総銀ですか?」

 「そうですよ。だってモッタイナイじゃないですか? 頭部官だけ銀とか、本体だけ銀とかのフルートなんて。いずれ銀のフルートに買い換えるなら、二本目から銀にするべきです」

 …なんだそうです。まあ、私も二本目は、期せずして、総銀だったけれどね。

 なので、H門下では“ヤマハの一番安いフルート”->“総銀のフルート”というのが、定番なフルートの買い換えコースのようでした。

 「三本目からは、自分の好きなフルートにすればいいんだよ」との事でした。ああ、だから、ここの門下はゴールドフルート所有率が高いんだな(笑)。

 …私もいずれゴールドに買い換えないといけないのか…ってわけ、ないか(笑)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2013年11月28日 (木)

クチビルの乾燥について

 日増しに、寒くなって参りました。関東地方では、寒くなると、空気が乾燥します。空気が乾燥すると、クチビルが乾き、その表面がバリバリになります。たまに切れて痛くなります。さらに悪化すると、クチビルが裂けて流血騒ぎを起こす事もあります。

 いやあ、まじ、そうなんですよ。

 歌おうと思って、クチを大きく開いた途端にクチビルが裂けて血が垂れた…という経験を何度もした事があります。

 クチビルが乾いたからと言って、舌でクチビルをベロベロなめると、その後、余計にクチビルが乾く事はご存じでしょうか? なので、一度舌でクチビルをなめた後は、ずっとなめ続けていないと、クチビルが乾いて切れてしまうので、これはこれで結構大変なことになります。

 一度クチビルが切れてしまったら…その痛みに我慢して、なるべくクチビルを動かさないようにし、キズの痛みもそうだけれど、クチビルが乾燥する痛みにも耐えて、クチビルのキズが治るまで、なるべくクチビルを動かさないように努力します。でないと、治りかけたキズが再び裂けちゃうからね。

 そんな事を何年もの間繰り返した結果、ようやく私は一つの解決策を見つけました。

 それは『クチビルが乾き始めたら、即座にリップクリームを塗る』という手法です。

 私はこれのおかげで、とりあえず、ここ数年間、クチビルを切って流血騒ぎを起こすことを最小限に抑えています。

 リップクリームを塗る(私の場合は、薬用のリップです)と、クチビルが切れる事を避けることができるし、真冬の乾燥中でも、大きくクチを開いて歌えるので良いのですが、リップクリームを塗っていると、なんかクチビル周辺が滑るようになるんですよ。

 リップクリームは声楽的には良いのですが、フルート的にどうなんでしょうね?

 リップクリームを塗ると、なんかフルートが滑りやすくなり、楽器の保持がちょっと大変になるような気がします。

 フルートのH先生もクチビルの乾燥に悩んでいらっしゃいますが、絶対にリップクリームは塗らないとおっしゃっています。

 これは知り合いのフルーティストさんの話ですが、その人もリップクリームは塗らない人だそうだけれど、それでもクチビルはバリバリになるそうです。で、バリバリになって、浮いてきたクチビルの皮はハサミで切ってしまうのだそうです。それもなんかワイルドな話ですね。

 冬のクチビルの乾燥、皆さんはどうやって乗り越えてますか?

蛇足 冬の乾燥って困りますね。クチビルも困りますが、楽譜をめくる時、つい指先を紙で切って、指先を流血…なんて事ないですか? ああ、リップクリームばかりでなく、ハンドクリームも常用している私でした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2013年11月27日 (水)

共感と感動

 世の中には二種類の音楽があると思います。

 一つは、さほど難しくない音楽をとても大変そうに演奏する音楽です。もう一つは、とても難しいはずなのに難しさを感じさせずにサラっと演奏してしまう音楽です。

 前者はアマチュアの演奏によく見れられるものだし、後者はプロの演奏です。

 アマチュアがダメで、プロなら良し…と単純に話は進みません。

 ネタが古くて申し訳ないけれど、なぜ長島はスーパースターと成り得たのでしょう? それは簡単なサードゴロであっても激しいアクションで拾っていたからだと言われています。“平凡なゴロをファインプレイにする男”という人もいましたし「長島ってサア~、ありゃあ本当は野球、ウマくないんだよねぇ~」とか訳知り顔に言ってたオッサンもいたようなあ…。

 そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。私などは、長島選手って人は、野球にエンタメの要素を持ち込んだ人…なんじゃないかなって、思ってます。言葉を代えて言えば“魅せる野球”ね。まあ、単にゴロを処理するだけなら、ササッと捕球して、パパッと送球すればいいだけだけれど、そこはエンタメなんだから、ギリギリのタイミングで捕球して、体勢を崩しながらも送球すれば、客は喜ぶわけよ。もちろん、走者をアウトにできれば、教科書通りのアクションであれ、ヒヤヒヤドキドキのファインプレイであれ、チーム的には関係ないわけだしね。

 要は、共感と感動、なんだよね。

 長島選手のプレイは、ある意味、演奏で言えば“さほど難しくない音楽をとても大変そうに演奏する音楽”のようなものかもしれません。プロであるにも関わらず、アマチュアのような姿勢でプレイをしていたから、長島は単なるプロではなくスーパースターに成り得たと言う人たちがいます。

 それはそうなのでしょうし、おそらく正解だろうと思います。

 プロの演奏を聞けば、その卓越した技術力と演奏力に感動します。一方、アマチュアの演奏を聞けば、そこに至るまでの努力に共感します。

 共感と感動の両立。プロであっても、アマチュアリズムは必要なのだと思います。また逆も真なりであって、アマチュアであっても、難しいはずの曲に難しさを感じさせずにサラっと演奏できるように技術向上を常に目指していないといけないと思います。

 アマチュアの熱さと、プロの安定性。それらが共感と感動を私たちに与えてくれます。
 アマチュアとプロの違い。これはスタイルの違いであって、善し悪しとは関係ない事だと思います。あえて言えば、お互いに足りない部分を補いあっていく事で、完璧を目指すべきでしょう。プロはアマチュアの持つ熱さを、アマはプロフェッショナルの持つ安定性をこそ、望むべきでしょう。

 なので、たまに見かける、プロもどきを目指すアマチュアさんってのは、、ある意味、正しい存在なのかもしれないって、今回改めて思いました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2013年11月26日 (火)

音程の取り方

 音程と言うものは、最初からきちん取れる人に取っては、やり方も何もなくて、思うだけで、正しい音程で歌えるもので、最初から正しく取れない人にとっては、誰からもそのやり方を教えてもらえず、色々と試行錯誤をした結果、音痴の烙印を押されて、自分は歌えない人間なんだと諦めてお終い…って感じなんだろうと思います。

 小さな子どもの頃から、きちんとした音楽教育を受けた人なら、ピアノも弾けるだろうし、歌だってリズムや音程を正しく歌うことは、なんでもないことでしょうし、おそらくは絶対音感だって持っているはずです。で、そういう人が、いわゆる音楽教師になるわけです。

 一方、音痴と呼ばれる人、あるいはそこまでいかなくても、音程が不安定な人と言うのは、幼少の頃に、音楽の専門教育を受けたこともなければ、音楽に親しむ生活でもなかったと思います。そういう人が、ある程度の年齢になってから、歌を歌おうと思っても、周りにはすでに上手に歌える子がたくさんいるわけで、その子たちと自分を比べて、萎縮してしまい、結局、オトナになっても正しく歌えないままだったりするわけです。

 今回、この記事で対象としているのは、そういう『歌いたいと思ったけれど、歌えないままオトナになってしまった人』が対象です。

 さて、そういう人たちが、一念発起して歌を学ぼうと思って、ヴォーカルスクールとか、カラオケ教室とか、クラシックの声楽教室に行っても、そんなに歌が上手になる事はなかったりします。何年も習っているのに、一向に音程正しく歌えなくて悩んでいる…なんてザラだったりします。

 で、音程正しく歌えない事を「私には音感がないからだ」と結論づけたりします。

 まあそういう人は、確かに絶対音感は持っていないだろうし、相対音感だって、かなり怪しいものだろうと思いますが、だからと言って、それで“音感がない”とは言い切れないと私は思います。なぜなら、そんな人だって、歌を歌おうと思った以上、音楽を楽しめる人だからです。音楽が楽しめるという事は、音楽を聞いて感じているわけで、それをうまく歌として表現できないだけで、聞く方はそれなりにちゃんとしているはずです。いや、ちゃんとしていなければ、楽しめるはず、ないんです。

 だから、音楽を楽しめる人に、本来、音痴はいないはずだし、音感が無いはずないんです。

 なので、音程が不安定な人に対して「ソルフェージュを学びなさい」と指導する指導者さんって、何も分かってないダメ教師なんだと思います。

 ソルフェージュって、本来は正しく楽譜を読み書きするための能力を育てるための勉強であって、百歩譲って音感を養う訓練だとしても、音程正しく歌えるようになるための勉強ではありません。これって「僕は足が遅いので、速く走れるようになりたいのです」という相談に対して「じゃあ、ロッククライミングをやってみると良いよ」と薦めるくらいに、頓珍漢なアドヴァイスだと思います。まあ、ロッククライミングをやっても、全身の筋肉は鍛えられますから、多少は速く走れるようになるだろうけれど、最初から短距離走の練習をする事と比べたら、なんとも遠回りのアドヴァイスだろうと思います。

 それにいくら耳を鍛えても、音程正しく歌えるわけじゃないんです。一番分かりやすい例が、楽器の名手とか、作曲家の中にも、実は音痴とか音程が不安定な歌しか歌えないという人がいるんですよ。つまり、音程に関しては、インプットの問題とアウトプットの問題を、きちんと分けて考えなければいけないってわけです。

 では、音程が不安定な人に対して、何とアドヴァイスをするべきでしょうか?

 もうここまで書けばお分かりでしょう。それは簡単です。単に「正しい発声で、丹念に音階練習をしなさい」って事に尽きるでしょ。音階練習だけじゃ物足りないなら、それにコールユーブンゲンとかコンコーネなどのエチュードを加えてもいいです。とにかく「正しい発声方法で歌を学ぶのにふさわしい歌を歌いましょう」って事です。簡単すぎて、申し訳ないほどに、簡単なアドヴァイスです。要はアウトプットの訓練をしましょう、って事です。

 でもこのアドヴァイスが、見かけほど簡単ではない事もすぐに分かると思います。

 で、話は冒頭に戻りますが、なぜ、ヴォーカルスクールとか、カラオケ教室とか、クラシックの声楽教室に行っても、歌が上達しないのかと言うと、そこでは正しい発声を学ぶ事が少ないからです。もちろん、良い教師にめぐり合えて、正しい発声を学べた人は幸せものですが、そういうところに勤務する先生たちは、先生と名乗っていても、実は皆、無資格者ですからね。玉石混淆なわけで、指導力のある人もいれば、さほど無い人もいるんです。また立派な経歴の持ち主であっても、自分の才能だけでのし上がってきた人などは、他人にモノを教える事自体が苦手だったりします。

 できる事と教える事は全くの別物なんです。名選手だから言って、名コーチになれるわけではないのです。

 だから、その手の学校に行ったとしても、なかなか上達しないのは、ある意味、当たり前だったりします。

 正しい発声法と言うのは…細かく見ていくと歌のジャンルごとに多少のメソッドの違いはあるにせよ…(一部の邦楽を除いて)決して、ノドで歌うことを良しとはしません。なぜ、ノドで歌うのを良しとしないのかと言うと、ノドで歌うと、歌い手の意図と反して、音程が下がり、音程のコントロールが難しくなるからです。

 たいていの音痴って、ノドが締めつけられたような声で歌うでしょ? つまり、そういう事なのです。正しい音程で歌いたければ、まずは、ノドを脱力しないといけないのです。で、これがまた、我々日本人には難しいのです。きちんとしたメソッドで、正しく導かれない限り、うまくできないのです。

 なぜなら、我々のDNAには「歌うときは、しっかりノドにチカラを入れて、締めつけて歌う」というやり方が刻み込まれているからです。

 詩吟とか義太夫とか、いわゆる“邦楽”はノドにチカラを入れて、しっかりと締めつけて歌うもの…と言うか、唸るものでしょ? それが私たちのDNAに刻み込まれているので、きちんと学ばない限り、なかなかノドを脱力して歌うのは難しいんです。

 良い歌の先生は、生徒にきちんとノドの脱力を教えられる人であって、ダメな先生は、生徒にノドの脱力を教えられない人です。ましてや、脱力どころか、しっかりノドを鳴らす事を教えちゃう先生は、生徒を壊してしまうダメダメ教師だと、私は思います。

 なので、まずはノドを脱力して歌えるようになる事が、正しく音程を取るための第一歩です。もちろん、これは第一歩なだけで、それだけでは、正しい音程では歌えません。だから“丹念に音階練習する”必要があるのです。

 結局、歌もスポーツと同じで、肉体を使って行う一連の作業です。正しい動きを何度も何度も行って、筋肉と神経にそれを覚え込ませて、それらが無意識でできるほどに鍛練しないと、歌はうまくなれないのだと思います。

 だから、いくらソルフェージュを学んでも、ノドの脱力ができなければ、音程正しく歌えないし、いくら歌の学校に行っても、先生に恵まれなければ、一向に歌は上達しないのです。

 その上、良い先生と出会い、正しいやり方を学んでも、それらを時間をかけて、しっかりカラダに覚え込ませなければ、音程正しく歌えるようにはならないのです。良い先生・正しい発声方法・長くかかる練習期間。この三つが歌の上達にかかせないし、そうでないと、音程正しく歌う事は難しいのです。

 私もようやく良い先生と巡り合い、正しい発声方法を学びましたが、まだたったの1年しか経っていません。どうも、1年という短い時間では、音程正しく歌えるようになるまでに、全然時間が足りていないようです。

 実際、自他とも認められるほどに、正しい音程で歌えるようになるには、あと何年必要なのか分かりません。そう言った意味では、歌はなるべく早くから、できるだけ若い時から学ぶべきだと思います。私の場合でも、最初からY先生に出会っていたら、私の趣味人生は、だいぶ変わっていただろうなあって思います。Y門下の方々って、本当に活躍している方が多いですからね。私は5年という時間を無駄に使ってしまったかも…と時々悔いる事があります。

蛇足 音程を上げるにはノドを上に引っ張り上げる感覚が、音程を下げるにはノドをしたに引っ張る感覚が必要だと思います。音程の違いを、高い低いと表現するのって、なかなか感覚的に分かりやすい表現なんだと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2013年11月25日 (月)

なぜ、洋銀の良いフルートはないのか?

 フルートには、楽器としてのレベルがあり、それはおおむね価格の差となって現れています。しかし、価格の差は、実は材料費の違いから生じています。なので、フルートの場合、往々にして、材料の違いが楽器としてのレベルの違いだと思われがちです。例えば、洋銀のフルートよりも銀のフルートの方が、銀のフルートよりも金のフルートの方が、より楽器としてのレベルも高いものと思われています。

 でも、それってほんとかな?

 楽器としてのレベルの差って、実はその楽器の設計方針の違いであったり、工作精度の差(職人の腕の差を内包します)であったりするだけで、本来的には材料の違いは、楽器としてのレベルには関係ないんじゃないのかな?

 なのになぜ、銀や金のフルートに比べて、洋銀製のフルートの、楽器としてのレベルが低く扱われがちなのは、単純に洋銀は金属として硬いので、銀や金ほど工作が容易ではなく、従って、工作精度も銀や金ほど精密にはなりづらく、結果として楽器としてレベルが低いものが出来やすいというだけの話です。

 また、フルート以外の金属楽器は、主に真鍮(ブラス)で作られています。その理由は、真鍮は安価で、程よい硬度で精密な工作に耐える素材だからです。なのになぜ、フルートは真鍮で作られないのかと言うと、真鍮が銅合金だからでしょう。真鍮は程よい硬さで工作精度が上げやすい反面、銅が含まれているため、錆びると緑青を発生します。この緑青が、昔は猛毒だと考えられていたので、他の楽器のようなマウスピースを使わずに、直接クチを楽器につけるフルートには適さないと考えられたのかもしれません。

 もっとも、銅合金うんぬんで言ったら、洋銀も銅合金ですから、真鍮と同じ緑青を発生させる金属なんですが、見た目が銅っぽくない事と、全面に銀メッキを施すことが多くて人間を緑青から隔離しているので、フルートの材料として活用されているのでしょう。

 真鍮は程よい硬さの工作しやすい金属ですし、洋銀はパイプオルガンのパイプに使われるほど良い音色を持つ金属です。ともに銅合金ゆえの欠点を持っていますが、メッキをする事で、それらの欠点を克服する事も可能でしょう。また洋銀の硬さも、19世紀ならともかく、21世紀の現代では、優れた工作機械を使うことで、その硬さも克服できるでしょう。

 つまり現代ならば、洋銀や真鍮を用いて、安価に安全で優れたフルートを作る事ができるのです。

 そもそも、現在のフルートが銀で作られている理由は、現代フルートを開発したテオバルト・ベーム氏が「フルートの材料は銀が良い」と決めたからそうなったわけで、19世紀ならば銀がベストチョイスだったかもしれませんが、21世紀の現在は、そのあたりを見直してもいいんじゃないかと思います。

 でも見直さない。いや、見直さないどころか、現代のフルートメーカーさんたちは、銀よりも高価な金や白金などでもフルートを作り始めています。今では、金のフルートは、銀のフルートの上位互換機という地位を確立したかのようです。

 楽器のレベルの違いが、設計方針や工作精度の違いにあるならば、材料の違いは大きな問題ではないはずですし、洋銀フルートよりも銀のフルートが、銀のフルートよりも金のフルートの方が優れているとは、単純には言えないと思います。

 しかし現在、洋銀フルートよりも銀のフルートが、銀のフルートよりも金のフルートの方が優れていると思われているのは、理屈でなんだかんだ言ったところで、事実その通りだからです。

 少なくとも、洋銀のフルートと銀や金のフルートの間に、明確な工作精度の違いがあると言わざるを得ません。つまり、A=B A=C なら B=C になるって事です。

 たとえ事実がそうであっても、ぶっちゃけた話、フルートメーカーさんたちが、洋銀や真鍮を材料とした工作精度の高い楽器を作らなかったり、銀や金を材料として工作精度の低い楽器を作らなかったりするだけの話なんだろうと思います。

 まあ、銀や金を使った工作精度の低い楽器なんて、誰も望んでいませんから作る必要はありませんが、洋銀や真鍮を材料とした、工作精度の高い楽器は、案外需要があるんじゃないかと私は思います。

 安価で良い品質の楽器は、誰もが望むものじゃないでしょうか? それに真鍮を透明皮膜で覆えば“なんちゃってゴールド”に見えるわけで、これはこれで、見栄っ張りさん相手に一定の需要があると思いますけれど…。

 ただあれこれ考えてみたところで、いくら良い品質であっても、安価で販売してしまえば、製造者にとっては利益は少ないでしょう。品物を安価で売るには、それなりに数多く販売して、利益を確保する必要があります。でも、フルートは、スーパーで大根を売るような感覚で、ポンポン売れるわけではなりません。元々フルートって、多く販売できるなんて事を期待しちゃいけない商品なんです。

 おそらく、楽器メーカーが、安価で良い品質の楽器が作れるのに作らない理由は、洋銀で工作精度の高い楽器を作っても、全然ペイしないから、手を出さない…だけなんだろうと思います。工作精度の高い楽器は、それなりに人件費等がかかりますし、この人件費って奴が実に高価なわけで、それに見合う儲けがないと商売として手が出せません。

 そのために、その儲けを確保するために、高い材料を使って、利益を確保しようとするのでしょう。なぜなら、銀や金のフルートって、銀や金の材料費を考慮に入れても、いわゆるジュエリーと比べて、かなりかなり高額に価格設定されているからです。この高めの価格設定の部分に、フルート職人さんたちとジュエリー職人さんたちの、人件費の差額が入っているんだろうと思います。

 まあ、それに、高い材料を使って、販売価格を上げて、利益を確保できるならば、時間をかけて丁寧な仕事ができるというわけで、現状のような、洋銀よりも銀が、銀よりも金の方が、楽器としてのレベルがより高いものを作れる…って事になるわけです。

 でもね、やっぱり、そういう舞台裏の事情は分かるとしても、安くて良い楽器が欲しいわけです。

 日本でフルートの多売をするなら、やっぱり学校の吹奏楽部で購入される事を前提に商品開発をしないといけないわけですが、学校の吹奏楽部は、何と言っても、ヤマハさんの独壇場ですからね。なので、色々と不満はあっても、安くて良いフルートの開発は、ヤマハさんに期待するしかないわけです。

 ある意味、ヤマハのスクールモデルのフルートたちが、現状での、世界最高の洋銀フルートって事になるんだろうなあ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2013年11月24日 (日)

1票の重さの格差について考えた[2013年11月第4週・通算30週]

体重:110.6kg[+0.2kg:-1.6kg]
体脂肪率:31.1%[-0.1%:+0.1%]
BMI:34.9[+0.1:-0.5]
体脂肪質量:34.4kg[+-0.0kg:-0.4kg]
腹囲:108.0cm[+-0.0cm:-1.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 高値安定です。日本経済とは裏腹ですよ、悲しいです。

 さて、今週のエッセイです。

 先日(2013年11月20日)最高裁判所大法廷は、2012年12月に行われた衆議院選挙を“違憲状態”だったとの判決を下しました。つまり、この前の選挙は、憲法に定めた“法の下の平等”から逸脱し、本来同じ重さを持つはずの1票が、都市部と地方では2.30倍の格差を生じ、その格差は看過し得るものではない…って判断を下し、それを“違憲状態”であると判じたわけです。もっとも、選挙は“違憲状態”で行われたけれど、選挙結果そのものは有効であるとも判断したわけです。

 まあ『法の下の平等』は私も大切だと思うし、選挙における1票の重さの格差は、そりゃあ無いに越したことはないと思います。選挙で投じた1票は、日本全国津々浦々、どこの誰であっても、同じ1票としての価値を持っている事は理想だと思います。

 おそらく、日本にいる賢い官僚さんたちが本気を出して選挙の区割りを考えれば、あっと言う間に『選挙の1票が、日本全国どこでも同じほぼ価値』になる区割りができちゃうと思います。

 まあ、それをしないのは、政治の都合であったり、選挙システムの問題であったり、政治家たちの既得権益の問題だったり、家業としての政治の側面だったり、色々とまあドロドロしているからなんでしょう。しかし私は、それとは全く別に、ちょっと思う事があるわけなんですよ。

 本当に1票の格差って、無くしちゃっていいわけ?

 もしも本当に1票の格差を無くしたら、日本の政治家の大半は、都会の人たちによって選ばれる事になります。都会に住んでいる人の声ばかりが大きくなり、都会で暮らす人々の生活ばかりに、目配りのきいた政治が行われるようになります。

 だって、日本の人口分布って、都会に集中しているんだから、そうなるしかないよね。

 都会の人々が快適に暮らせるようになるのは結構な事だけれど、でもおそらく、その分、人口が少なくて、選出できる政治家の数も少なくて、自分たちの声が通りづらくなる地方には、色々なしわ寄せが来ると思うんだよね。

 今だって、地方の声は政治に反映されづらいと思います。だから、原発は地方にしかないんでしょ? 原発で作った電気は都会で使っているのにね。

 だから、このまま本当に1票の格差を無くして、すべての1票をフラットにしたら、日本の地方は、ますますダメダメになってしまうと思うんですよ。

 もちろん、1票の格差は無くさないといけないんだけれど、ただ単に同じような平等にして格差を無くしてしまうのなら、ダメだと思うのです。何か上手いやり方を考えて、1票の格差を無くしつつも、人口の少ない(有権者の少ない)地方の声も、きちんと政治に反映できる選挙制度にしていかないと、日本という国が立ち行かなくなると…私は思うんだけれど、間違っているかな?

蛇足 そうやって衆議院の1票の格差を無くすなら、参議院改革をしないといけないんじゃないかなって思います。例えば、参議院を現在のような“ミニ衆議院”にするのではなく、別のカタチの議会にしないといけないかな? 例えば、日本の都道府県は47あって、政令指定都市は20あって、合わせて67あるわけだから、それぞれの首長と議会の議長を参議院の議員にするってのはダメかな? 議員定数134名のミニな議会になるけれど、各地方の意見を公平に取り上げる事ができるし、それぞれの議員は、各地方選挙で選ばれるわけだから、参議院選挙を行う必要がなくなる(かなり国税節約になるでしょ)し、歳費の方だって(首長とか議長とかの)本業があるわけだから、国会議員としての歳費は限りなく少なくていい(交通費と宿泊費ぐらい?)し、何より議員がミニサイズだから、色々と小回りも効いて、何事につけてもスピーディーな対応ができるだろうし…、そんなに悪いアイデアではないと思うだけれど、いかが?

蛇足2 民主党が選挙にボロ負けをして以来、選挙結果が無効であるいう裁判が頻発してますね。負けを負けとして素直に受け入れられない狭い心根がイヤだな。あと「こんな違憲状態で選ばれた議員たちからなる国会なんて、違憲も甚だしいわけで、そんな国会には憲法改正なんて、やる権利は無い!」って言い出すんだろうなあって思うと、心が重たくなります。あと、特定秘密保護法案に反対している人って「国民の知る権利が奪われる」から反対しているそうですが、そういう人たちのおっしゃる“国民”って、どこの国の国民なんでしょうね。たぶん、日本以外のお国の国民さんたちの事なんでしょうね。それにしても日本のマスコミって、金儲けしながら某国のためにスパイ活動している組織のようなものだもの。特定秘密法案うんぬんを言う前に、マスコミを取り締まる法律を作った方がいいんじゃないのかなって思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月23日 (土)

今年の冬はヒーターを入れてやるべきか、否か、ちょっと悩んでいます

 今、ちょっと金魚の事で悩んでいる事があります。それは金魚水槽にヒーターを入れるべきか、入れざるべきかという悩みです。

 ヒーターを入れる面倒がイヤと言うのもありますが、ここ数年、ヒーターを入れずにやっていますので、今年も例年通りでいいかな?とか思っていたりもします。

 でも、ヒーターを入れた方が良い事だって、当然あるわけです。それは……金魚が活発に泳ぎ回るって事です。

 なにしろ金魚は変温動物ですから、水温に活動が大きく左右される生き物です。水温が高ければ活動的になり、水温が低くなればおとなしくなります。あんまり寒ければ、ほとんど動かなくなります。鑑賞されるペットとしては、活発に活動して元気な様子を見せてくれる方が良いに決まってますが、変温動物ですから、寒くて活動がおとなしくなる事はあっても、寒さで死ぬ事はありません。まあ、水が凍れば話は別かもしれませんが、いくら寒くても水槽の水は凍る事はありませんから、水温が低くなればなったで、放置でもいいかもって思います。

 それに水温が低くなって、活動がおとなしくなれば、エサも食べなくなるし、そうすれば太らずに済むんじゃないか?

 でも逆に言えば、いくらおとなしくなったと言ってもエサを食べないわけじゃないし、エサを食べても、ほとんど動かなければ、やっぱりブクブクと太るわけで、だったら、いっぱい運動してもらってエネルギーを消費させる方が健康的かなって思うと、水温を上げた方がよいのかなとも思います。

 まあ、金魚の適温は、17度だと言われてます。適温+18度の夏の水温、35度でも耐えてきた子たちです。同じ温度幅でイケるなら、適温-18度なら、なんと-1度で水が凍っちゃう温度です。ならば、冬は、凍らない限り大丈夫じゃないかって思ったりするのは、いけない事ですか?

 メダカは凍った水(つまり氷)でも死なないそうだけれど、金魚もそんな感じでいけるのかな? まあ、だからと言って、金魚たちを凍らせるつもりはないけれどね。

 とにかく、水温計は差しっぱなしにしてあるので、水温が10度を切るまでは、様子を見る事にしましょう。

 …って去年も思って、結局10度を切らなかったんじゃなかったかな? どうだったっけっか?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月22日 (金)

フルート吹いて、筋肉痛になりました(涙)

 フルートのレッスンに行ってきました。もちろん、遅刻は無しでした。でも、姉様が先週に引き続いてお休みだったので、先生は私を待ちくたびれていた様子でした、申し訳ない。

 お教室に入って、さっそくロングトーン練習です。このロングトーン練習って、実に効果があるんだなあって思いました。というのも、今回もバッチリバリバリだったですよ。もう、最近は、以前のような汚い調和(って日本語が変ですね)で吹くこともなく、その場に二人いるのに、笛の音は一人分しか聞こえないくらいに、バッチリ音も音色も合わせて吹けるようになりました。うむうむ、ほんと、私が上達しているのを感じます。

 時々、音が濁る事がありますが、そんな時は、大抵、私の姿勢が悪いですね。なので、音に濁りを感じたら、背筋をピンとして、フルートを高々と高くかまえると…またまた先生とドンピシャな音で吹けちゃうのでした。姿勢にまで気をつけてフルートを吹ける余裕が生まれてきて、それがいい方向に回っているのがうれしいです。

 さて、アルテ15課10章es-mollです。6番と7番の課題はサクっと合格。8番の「es-mollのスケールとアルペジオ」もサクッと合格する予定だったのですが、なぜか先生の前では、アルペジオの部分が何度やってもきちんと吹けなかった私です。練習でも苦手意識を感じながら吹いていたわけだから、そりゃあ先生の前でちゃんと吹けるはずないよね。

 練習不足だな。次までにたっぷり練習をしておかないとダメなんだな。

 プチ・エチュードの2番は、しっかりテンポアップして練習してきたので、そいつでトライをしてみましたが…テンポをアップすると、それに比例して、指が暴れて、ミスブロー続発なんだな。

 で、結局先生に「いくら速く吹いても、間違いがあったら台無しです。大切な事は間違えないこと。自分が間違いなく吹ける速度で練習してきなさい。練習で間違えてはいけません。練習で間違えるというのは、その間違いを身につけるって事だからね。だから、練習では間違えないようにしてくる事が大切。それで、間違えないようにしながら、少しずつテンポアップをするんだよ」と言われました。いきなりテンポアップではなく、間違いなく吹けるようになってから、徐々にテンポアップというのが正しかったみたいです。うむ、気ばかりが急いていたようです。

 そうそう、この2番は、ノンブレスで吹かないといけない長いフレーズが2カ所あります…ってか、そもそも長めのフレーズが2つ続いているのに、先生が「そこでブレスを取るのは音楽的におかしい!」と言い出して、その長めのフレーズを連続してブレス無しで続けて吹かなければいけないハメになったので、長いフレーズをノンブレスで吹くことになったわけです。

 事件は、その長い2つのフレーズのうち、最初のフレーズを吹いている時に起こりました。その長いフレーズの箇所をなんとかやり過ごした後の話です。

 その長いフレーズを吹いていた時、やはり途中で息が足りなくなりました。それもあとちょっと…ってところの、音符で数えると、残り音符3という場面で、燃料不足となりました。もちろん、そこまでで肺の中の息はほぼ使い切っています。これが自宅練習なら躊躇なくブレスをしちゃいますが、今はレッスンなので、ちょっとは格好をつけないといけないので、禁断の『残存空気の活用』をする事にしました。

 『残存空気の活用』? 別に大したことじゃないです。人間のカラダって、息を吐ききったと思っていても、それでもまだ若干の息がカラダの中に残っているものです。だって、人間のカラダには骨があって、肋骨の内部がペシャンとつぶれるわけもなく、胸の形を維持するだけの空気は常に入っているわけです。いわば、それがゼロ水準なわけです。で、そのゼロ水準の肺に、さらに圧力をかけて、肺の中に残っている空気を無理やり吐き出して、いわば肺の中の気圧をマイナス状態にして笛を吹く…ってだけの話です。

 イメージ的には「胃袋を裏返しにする感覚で息を吐く」って状態でしょうか? フルートに限らず、声楽でも頭の中にエマージェンシーコールが鳴り響くと使う、割と陳腐なテクの一つです。

 で、今回の2番も、残り音符3つの状態で息が無くなったので、残存空気の活用をすべく、胃袋をひっくり返して息を吐いたわけですが…腹筋を体内にさらに深く絞って息を吐ききった時に…左の脇腹に激痛が走りました。ピキーッって音がしたような感じがし、一瞬感電をしたような感覚が走って、それが強い痛みに変わってジワ~と襲ってきました。あんまり、痛かったので、思わず演奏を止めて「タンマーッ!」と叫びました。

 腹筋がつった? いや、そういうわけではなく、単純に筋肉を引っ張りすぎて(筋繊維がブチブチ千切れて)痛みが生じたようです。つまりただの『筋肉痛』って奴です。ですから少し時間が過ぎると、痛みが収まりだしました。

 「鍛え方が足りないんじゃない?」と先生に言われましたが、まさにその通りですね。鍛え方が足りないんだと思います。筋肉の動かし方は知っていても、その運動量にカラダが追いつかなかったわけですから、明らかにトレーニング不足です。

 どうも、腹筋周り(ってか体幹部)は弱点だな…。

 とにかく、そんなこんなもあり、プチの2番の合格は、まだまだ先のようです。

 で、今回の雑談なんだけれど、先生がいきなり「弟子が言うには、インターネットに私の事がたくさん載っているそうだけれど、それってほんと?」と尋ねてきました。もちろん返事は「載っていないわけではないけれど、そんなに“たくさん”ってほどじゃないし、先生のプライバシーはきちんと守られているから大丈夫ですよ」と答えておきました。自分の知らないところで、自分の情報が飛び交っていると思ったらしてく、不安がっていたようなので…。

 「私は自分でネットに書き込みなんてしないよ。それなのに、私の事がネットに載っているなんて、気持ち悪いじゃない?」

 「コンサートの主催者さんとかが、宣伝として先生の事を書ていたり、ファンの方がコンサートの感想を書いてアップしていたりするんですよ。私が見たところ、悪評の類はないですよ。先生が知らないところかもしれませんが、そういう方たちが、いわばボランティアのようなカタチで、先生の宣伝をしてくださっているわけですから、ありがたいことじゃないですか」

 「でも、自分の知らないところで、知らない人に知られているなんて、ちょっと気味悪いだろう?」

 「ネットって、本来、気持ち悪いところなんですよ。それを気にしていたら、ネットなんてできませんよ」

 …と言っておきました。確かに、先生はネットを見るけれど、ネットで発信はしない人だから、自分の事がネットに掲載されているっていう状況が、不思議だし、気味悪いんでしょうね。…自分が知る人ぞ知る有名人だと言う事をすっかり忘れているのが、なんか面白かったです。

 ま、H先生は…はっきり書いちゃえば“現役バリバリ”と言うよりも“昔の名前で出ています”ってポジションの方なので、ネットでの情報は極めて少ないのですが、先生的にはそれでも“たくさん載っている”って感覚なんでしょうね。

 「コンサートの情報とかは、インターネットなんて見なくても、チラシとかチケットとかが送られてくるから、それで分かるじゃない」

 「それは先生だからです。お友達のスジとかお弟子さんの関係とかから、その手のモノがたくさん送られてくるから、そう思うだけで、我々一般人には、誰もチラシもチケットも送ってきませんよ。我々は、インターネットなどを駆使して、近隣のホールで開催されるコンサートを探しては、チマチマと出かけるんですよ」

 「そうか、なるほど…。道理で、ここ数年、見知らぬ人たちがコンサートに来るなあ…って思っていたんだよ」って…先生のコンサートって、長いこと、知り合いとファンの人(それも顔なじみのファン)だけで成り立っていたわけね。一見の客無しでも、プロの音楽家として生活できたわけで、それもすごい話だな(笑)。そんな先生のコンサートに、見知らぬ人…ってか、新たなるファンがやってくるようになったわけで、ネット様々じゃないの?

 「この前、始めてのところに呼ばれて行ったら、お客が知らない人ばかりで、ビックリしちゃってね。で、コンサートが終わったら、昔の弟子がやってきてね『先生、ネットで見かけたので、やってきました』とか言うじゃない。ネットってすごいんだね」との事です。そうなんです、ネットって、すごいんです。

 で、そこから別の話に飛びました。「そう言えば、この辺にCD屋ない?」と先生が尋ねてきました。

 「以前はそこそこありましたが、今は一軒もないですよ。全部、つぶれました。今はCDが欲しかったら、アマゾンで買う時代ですよ」

 「でもさあ、そのアマゾンで買えないCDはどうしたらいい?」

 「アマゾンで買えないなんて…(あるのかな?) ところで先生は何が欲しいのですか?」

 「ベルリンフィルが100周年とかで、記念のCDボックスを出したらしいんだけれど、これが欲しいんだよ。ドイツグラモフォンで輸入盤なんだよ」

 「クラシックのボックスセットなんて、ましてや輸入盤のボックスセットでしょ? そんな売れないモノなんて、リアルな店に置いてあるわけないじゃないですか? お店に行って注文をしようにも、輸入盤なら店頭に置いてあるCDカタログに載っていないですし、それ以前に、輸入盤なら問屋が扱っていないですから、まずは注文もできませんよ。それこそ、お取り寄せしてまで欲しいのなら、さっさとネットで注文して買うのが、今の普通のやり方ですよ。それがイヤなら、今から銀座に行って、注文しますか? それならなんとか手に入ると思いますが…」

 「やっぱり、ネットで注文か…。でも、アマゾンで“ベルリンフィル”って入力しても、全然出てこないんだよ」

 「“ベルリンフィル”? “berliner philharmoniker”じゃないんですか?」

 「え?」

 「輸入盤を検索する時は、現地語か英語で入力するのが、検索の鉄則ですよ。日本語で入力しても、日本盤しかヒットしませんから、気をつけてください」

 「なるほど」ってわけで、一件落着です。

 ちなみに、先生が欲しがっていらっしゃるボックスセットって、たぶん、これ。

 しかし、CD50枚で約1万円、1枚あたり200円。いずれも歴史的名盤って奴が1枚200円。価格破壊もいいところだな。こんな値段で売っちゃっていいのだろうか? でもこれくらいの値段なら、興味がちょっとある…程度の人でも購入できるから、良い値段設定だと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2013年11月21日 (木)

グループレッスンの功罪

 世の中の習い事のカタチの一つとして、グループレッスンというのがあります。グループレッスンは、少人数のグループで同時に一人の先生に習うため、レッスン代が格安になる事と、グループで学べるので孤独を感じる事がなく、友達作りにも役立つという、一挙両得ならぬ、3得ぐらいのありがたみがあります。特に、初心者で右も左も分からない時は、グループレッスンってありがたいものだと思います。

 かく言う私も、声楽の習い始めは、グループレッスンでした。

 最初は習い事にお金を使うという事に、若干の罪悪感を持っていた(笑)ので、レッスン代が比較的安いグループレッスンは有り難かったですね。おまけに、一人ではないので、同教生(?)たちと一緒に学ぶ事で、一体感もあったし、自分のレッスンだけでなく、同級生たちのレッスンも観察でき、色々と学べる事も多かったので、決して無駄ではなかったと思います。

 でも、今思うと、グループレッスンって、良い事ばかりじゃないですね。

 結局、先生が相手にするのは、グループであって、個人個人ではありませんから、その人のニーズにあったレッスンが行われるわけではありません。常に、その場の生徒たちの最大公約数的なレッスンが展開されるわけです。まあ、グループレッスンで、特定個人に焦点を当てたレッスンをしたら、その他の生徒さんから苦情が来るのは目に見えてますから、これは当たり前の仕業です。

 さらにグループレッスンって、たいてい初心者さんたちのクラスなんですよ。つまり、言葉は悪いですが、下手くその集団のクラスなんです。まあ、自分も下手くそなんだから、周りも下手くそ集団の方が居心地が良いのは事実ですが、下手くそに囲まれていると、自分がいつまでも下手くそなままでも安心しちゃうんですよ。つまり、向上心が芽生えづらい? あるいは、下手くそでいる事に安住しちゃう? まあ、そんな感じです。

 だいたい、向上心豊かでガツガツしている人は、グループレッスンでは、浮いた存在になりがちですしね。

 初心者って、良くも悪しくも周囲の影響を受けやすいのですが、そんな時に周囲にいる人々が下手くそだと、いつまでも下手くその影響を受けたままになるので困ります。言葉悪く表現すると「互いに下手を伝染しあう」って状態になります。音楽などでは、耳が育つどころか、耳が壊れていく事すらあります。怖いですね。

 物事の習い始めの時期って、実は、ウンと伸びる時期なんですよ。ですから、そんな時期にその人に合ったレッスンが行われれば、あれよあれよと言うまに上達しちゃうのですが、グループレッスンと言うのは、かゆいところに手の届かないものなので、ウカウカしちゃうと、その伸び盛りの時期に伸びることができずに、気がつけば、伸びる時期が過ぎてしまった…なんて事すらありえます。

 欲がなければ、グループレッスンも良いものです。

 グループの構成メンバーが固定で、同じようなキャリアと腕前で、互いに同じ程度の向上心も持ち、ガツガツせず、先生も上達よりも楽しみを優先してくれるようなレッスンを展開してくださり、生徒たちもそれに満足しているなら、特に問題はないと思います。

 問題は、向上心のある人がグループレッスンに入ってしまった時ですね。ミスキャストもいいところだと思います。向上心のある人は、さっさと個人レッスンに移行するべきですね。と言うのも、結局、習い事って、個人の資質に大きく影響するんだと思います。習い事が、音楽であれ、絵画であれ、ダンスであれ、その人の得意不得意をよく観察し、その人にあったオーダーメイドなレッスンをしない限り、なかなか上達しない…って言えるんじゃないでしょうか?

 私は、声楽のグループレッスンを受けていた経験から、フルートを始める時は、最初から個人レッスンにしました。だって、フルートでグループレッスンを受けて、最初から落ちこぼれたら、目も当てられないでしょ? また、逆に、自分がすぐに上達しちゃったとしても、グループにいる落ちこぼれさんに付き合っていくのも、なんかレッスン代の無駄のような気がするんだよね。

 まあ、グループレッスンを頭から否定はしないけれど、商売抜きで考えた場合、とりわけ音楽関係の習い事の場合は、最初から個人レッスンをチョイスするのが、良いのではないかしらと、オジサンは思います。実際、私が習っていた声楽の先生は、最初はグループレッスンしかやっていなかったので、仕方なかったのですが、途中から個人レッスンを始めてくれたので、私はすぐに個人レッスンに変わりました。やはり、個人レッスンはグループレッスンとは色々と違ったものでした。

 でも、個人レッスンって、孤独だし、寂しいし、時々「自分はこれでいいのかな?」とか不安になったりするんだよね。つまり、モチベーションの維持が大変なんですね。だから、習い事の先生は、そこのところのフォローが上手な先生がいいですね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2013年11月20日 (水)

ハードディスクを飛ばした、その件について、若干の考察のようなものを

 すでに「ひと言」には書きましたが、先週、私のパソコンのハードディスクが飛びました。簡単に言うと、ハードディスクが壊れました。そういう事です。

 今月に入って、なんかイヤな予感はしていたのですが、日々の生活の忙しさにかまけて、見て見ぬふりをしていた私でした。

 私の自宅パソコンには、二つのハードディスクが内蔵されています。一つはシステムディスクとしてメインで使っている2TBのバードディスク。もう一つはデータディスクとして使っていた1TBのハードディスクです。

 このパソコンを入手した当初(今年の8月ぐらいかな?)は上記の通り、2TBのハードディスクにはシステムだけを、1TBの方にデータをまとめて入れていました。これは私の昔からの習慣で、以前のパソコンってよくシステムが壊れたので、その時にデータが巻き添えを食わないように、システムとデータを物理的に分けて使用してました。少なくともこのやり方は、XPまでは通用しました。

 それがWindows8では、このやり方だと色々とまずい事が起きるようになりました。と言うのも、Windows8は、元々の設計が1ドライブ使用が前提のようなので、システムとデータが別のドライブにあると、何かと不便があったので、仕方なく、よく使うデータをちまちまとシステムディスクの方に移動していて、データディスクに残ったデータは、普段は使う事のない、とりあえず保存しておく事に決めたデータたちだけとなりました。

 いわば“開かずの書庫”のような感じになったわけです。そこに入っているのは、該当ソフトがないために開けなくなった昔のデータや、昔のレッスン記録(音声データ)ぐらいでした。

 そういう状況だったわけです。

 パソコンを購入して、約三カ月ほどたった頃、Windows8をWindows8.1にバージョンアップしました。これと時を同じくして、なんかパソコンの動きがおかしく感じるようになりました。最初は「OSをバージョンアップしたばかりだから、色々とおかしいのだろう」と思っていました。しかし、目に見えて、パソコンが挙動不審になっていき、とうとうある日、パソコンが起動しなくなりました。つまり、システムディスクが飛んじゃったわけですね。

 ありゃありゃです? まあ、別に驚くほどの事でもなく、心の備えはできていたので、しっかり冷静に対応し、再びパソコンを起動する事ができるようになりました。もちろん、システムドライブに入っていたデータも無事でした。ハードディスクにエラーがあったのが原因だったようで、今までは新品のハードディスクを入手したら、まず最初に行うディスクの修復作業を省いたのが、今回の敗因だったようです。システムとデータの無事を確認し、ディスクの修復作業をした結果、システムディスクは、ようやく落ち着くようになりました。

 で、データディスクの調子が悪くなったのは、ちょうどその直後ぐらいでした。

 ある日、データディスクを認識するけれど、アクセスできないという状況に陥りました。原因は、システムディスク同様に、新品ハードディスクなのに、最初にディスクの修復作業をサボったツケでした。仕方ないので、こちらのディスクにも修復をかけた結果…こちらは見事にハードディスク全体が飛んじゃいました(汗)。おそらくファイルへのアクセスを管理している領域にエラーがあったのでしょうね。ですから、そこを修復した結果、ディスク全体が見えなくなった…言うわけです。はい、こちらのディスクも飛んじゃいました。

 で、その時に思った事は、まず「私のような個人の手には負えない状態」になったと言う事。つまりディスクの修復には専門業者の手を借りる必要があるだろうと考えたわけです。

 次にその専門業者に修理に出すべきか否かと考えた結果、かかる費用を考えると「そこまでの費用をかけてまで修復すべきデーターはない」という結論に至りました。だって、消えちゃったのは、おそらくもう二度と開かないデータたちです。二度と開かないなら、そこにあってもなくても関係ないジャン(笑)。

 心情的には、昔のレッスン記録がなくなってしまったのは寂しいですが、じゃあ、昔のレッスン記録を聞き直す事があるかと言うと…まず無いですね。それに、レッスン記録そのものは、実は妻も保存しているので、彼女からもらってくれば無問題なので、我が家からデータそのものが無くなったわけじゃないし、それ以外でも、発表会などの音声データはネットにアップしてあったり、CD媒体で保存していたりするので、実は大きな問題ではなかったのです。

 むしろ悔しいのは、今までならパソコンを買い換えた時に、バックアップを考慮したシステム作りをしていた私が、忙しさにかまけて、それらを後回しにした事。いや、後回しにしたのは、バックアップだけじゃなくて、色々あって、ハードディスクの修復作業だって、本来は購入直後にやるべきだったものをやらなかったから、今回、こういう目にあったわけです。

 忙しいって、あんまりうれしい事じゃないね。

 はい、さっそく、遅ればせながら、バックアップ体勢を作りました。すべてのシステムとデータをシステムディスクに集め、そのディスクの内容を自動的にこまめにデータディスク(もはや“データディスク”ではなく“バックアップディスク”と呼ぶべきでしょうね)にバックアップを取るようにしました。これでもう、ハードディスクが飛んでも、平気だな。

 備えあれば憂い無し…とはよく言ったものです。今回の私は、全く備えていなかったので、憂いが残ったわけです。まあ、世の中、そんなもんです。

 ハードディスクは飛んだけれど、実害がなかったのは、不幸中の幸いでした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月19日 (火)

香盤表を見て

 先日、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を見に行って、パンフレットを購入した私です。

 帰宅後は、ミュージカルの思い出に浸りながら、購入したパンフレットを眺めている私ですが、今回のパンフレットには、今まで私が目にしたことない記事が載っていました。それが、香盤表って奴です。

 香盤表とは、舞台演劇で使われるもので、俳優ごとに、その出演場面と役割を舞台の進行に沿って表示したモノです。これによって、一人の俳優が、どの場面で何の役をやっているかが分かるわけで、多くの登場人物を少ない俳優陣で演じ分ける時に必要となる進行表のようなものです。

 レミゼの香盤表によると、必要な俳優の数は全部で36名です。この36名が、交代交代で様々な役を演じ分ける事で、ミュージカルの舞台には、36以上の役の登場が可能となるのです。

 主役である、ジャン・バルジャンとジャベールは、最初から最後まで、その役しかやりません。また、準主役たちは、その人物が出てくるまでは、色々な小さな役をやりますが、一度準主役として舞台に出た後は、フォンティーヌ以外は、その他の小さな役を演じる事はありません。

 例えば、マリウスを演じる役者さんは、マリウスになる前に、囚人・農奴・宿屋の客・司教館の外にいる見物人・パリの貧乏人・バルジャンの工場で働く労働者・治安官・裁判官などの役を演じてから、1幕の半ばでマリウスとして登場します。コゼットも同様で、農夫の妻・宿屋の客・司教館の外にいる見物人・パリの貧乏人・バルジャンの工場で働く女工・娼婦を演じてからコゼットとして登場します。清楚なコゼットの直前に、娼婦を演じているのが面白いですね。

 逆にフォンティーヌの役者さんは、最初にフォンティーヌを演じた後は、1幕フィナーレのシーンで民衆として登場した後、第2幕ではずっと民衆の一人として演じ続けますが、劇の最後のシーンで再びフォンティーヌに戻ります。面白いですね。

 脇役の中でも目立つ存在である、バルジャンを導いた司教の役の俳優さんは、最初はずっと影コーラスとして舞台裏で歌い続けてから、司教として登場します。司教の後は、売春婦を買う客・裁判官・パリの貧乏人・学生・治安官・(再び)学生・結婚式の客を演じて、フィナーレでは司教に戻ります。

 本当の脇役である、若い娼婦という役の俳優さんは、司教館の外にいる見物人から始めて、パリの貧乏人・バルジャンの工場で働く女工・娼婦・カートクラッシュの見物人・テナルディの宿屋の“鳩”・パリの貧乏人・パリの若い娼婦・民衆・貧しい女・結婚式の客と演じて、フィナーレとカーテンコールでは民衆の一人として登場します。

 なんか、皆さん、忙しいですね。

 これだけ役の入れ代わりがあって、着替えやメイクにも時間がかかるせいでしょうか、どの場面でも、俳優さんたちは、自分の出番が終わると、舞台上を走ってハケるのが気になっていましたが、それはそういう理由だったのですね(納得)。

 オペラもミュージカルも歌芝居ですが、オペラは一人1役が原則で、一人の歌手が二つの役を演じる時は、それを台本に明記するほど珍しい事です。コーラスはいつも群れで行動しますので、1幕では舞踏会の客をやっていたコーラスが、2幕では民衆をやる…なんて事はありますが、コーラス員一人一人の動きが違うと言う事は、まずありません。

 そこへ行くと、ミュージカルは大忙しです。主役はともかく、準主役の人たちでさえ、コーラスを歌わないといけないし、複数の役をこなさいといけません。それらをカラダに入れる俳優たちも大変でしょうが、それを決める人、つまり演出家の仕事って、大変だなあって思います。

 なるべく少ない数の俳優で、舞台を成り立たせために最低限必要な役の数を揃えるために、一人で何役もやるのが必要になり、それがうまくこなせるように、香盤表って奴があるんでしょうね。

 香盤表を見ると、俳優さんたちの忙しさと、演出家さんの努力が、よく分かりますし、それを支えるために、裏方さんたちも大忙しなんだろうなあって思います。

 一つの舞台を成立させるために、多くの人が色々な工夫をして働いているって事が、分かりました。舞台俳優も、楽な仕事じゃないって事ですね(当たり前か)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2013年11月18日 (月)

デジカメを買いました

 はい、デジカメを買いました…ってか、買い換えました。

 パナソニックのDMC-FZ200という機種です。一般的にはFZ200と言った方が分かりやすいでしょうか? 公式ホームページはこちらです。

 見かけは一眼レフっぽいけれど、レンズ固定式のカメラで、ジャンル的にはコンパクトデジカメに属します。まあ、あまりコンパクトなサイズではありませんがね(笑)。

 実は、このカメラ。私にとっては、5台目の愛機になります。

 私がデジカメを買い始めたのは、割と早かったと思います。

 昔からカメラや写真に興味はあったものの、フィルムカメラだとフィルム代とか現像代、プリント代などのランニングコストがかかりすぎるので、当時の私には、ちょっと手が出せなかったんですよね。でも、写真を撮るのはキライじゃなかったので、カバンの中にカメラを入れて、月にフィルム一本分程度の写真を取っていました。何を取っていたかと言うと…なんかつまらないモノをアレコレと取っていました。で、プリントして出来上がった写真を見て「なんで、こんな写真撮ったんだっけ?」と悩んでいたりしてました。

 ところがデジカメだと、フィルムは要らないし、現像不要だし、プリントは必要なものを自宅でプリントアウトすればいいので、ランニングコストがほとんどかからないのですね。なので、デジカメが世の中に出た時には、すぐに飛びついたものです。で、つまらないモノをあれこれバシバシと攝っていたのでした。

 私の最初のデジカメは、まだまだデジカメ黎明期でしたので、リコーのカメラ(DC-3Z)でした。あの頃は、カシオとリコーがデジカメのリーディングカンパニーだったんですよ、今じゃあ信じられませんが(笑)。今のリコーは自社ブランドではなく、2011年に合併したペンタックスブランドのデジカメを発売しています。ああ、私がリコーカメラを買っていたなんて、とんだ昔話ですね。

 DC-3Zは、私にとって、始めてのカメラだったので、楽しくて楽しくて、たくさん写真撮ったなあ…。当時のカメラ雑誌にも投稿して、結構、賞をいただいたのは、懐かしい思い出です。

 2台目のカメラが、オリンパスのCAMEDIA C-2000 ZOOMでした。この頃になると、いわゆるカメラメーカーもデジカメ市場に参入してきたのですが、フィルムカメラで苦戦しているメーカーが頑張っていました。キャノンやニコンなどは、まだまだフィルムカメラで頑張っていた時代です。で、せっかく買ったこのカメラでしたが、実はあまり長い時間使っていませんでした。このカメラはすぐに妻に譲り渡し(妻はそこそこ長い期間使ってました)、私は次のカメラに乗り換えました。

 その次の3台目のカメラが、同じオリンパスのCAMEDIA C-2500Lでした。なぜカメラをすぐに乗り換えたのかと言うと…以前のカメラは、私には中途半端な大きさで使いづらかったからです。DC-3Zは、手帳サイズのカメラで、小さかったけれど、不思議に手の大きさにマッチしていて使いやすかったのですが、次のC-2000は普通のカメラサイズでしたが、なんかアレコレ小さくて使いづらかったんですよ。私の手の大きさに合わなかった…んですね。妻は不便なく使っていましたから、女性の手のサイズに合わせて設計されたカメラだったのかもしれません。カメラのデザインも曲線が多用された柔らかめのフォルムでしたしね。

 で、私はC-2500Lに買い換えました。このカメラは、直線的なデザインだし、ボディもかなり大きめで、いかにも「男のカメラ」って感じだったんですよ。実際、これは使いやすくて良かったですよ。

 ちなみに、このカメラから、レンズ固定式の(今で言う)ミラーレス一眼を使うようになった私です。このカメラも結構使いました、たぶん4~5年使ったんじゃないかな? 本当にたくさんの写真をこのカメラで撮影しました。でも、デジカメの性能アップの速度は速く、私も次第に大判写真を取る必要性に迫られるようになり、そうなるとこのカメラの画素数では足りなくなり、やがて次のカメラを購入した私でした。

 次の4台目のカメラが、パナソニックのDMC-FZ10です。このカメラは本当に長く使いました。数えてみると、約10年もの間、愛用しました。

 このカメラは、色調も素晴らしいし、暗いところにも強く、画素数も程良くて、熱い沖縄でも、寒いスキー場でも間違いなく動作した、私にはベストなカメラでした。欠点は、焦点合わせにやや時間がかかる事と、シャッターボタンを押してから実際にシャッターが降りるまでのタイムラグがそこそこあった事ぐらいかな? なので、一瞬のシャッターチャンスを狙うような撮影には向かなかったけれど、じっくりカメラを構えて撮影する分には十分だったので、10年もの間、愛用しちゃったんだと思います。

 ちょうど、このカメラが発売された頃は、パナソニックやソニーなどのカメラメーカーではない電機メーカーがデジカメ市場に入り込んだ時期でした。庶民に手の届く価格のデジタル一眼が登場する直前の時代でした。ちなみに、このカメラは、当時のパナソニックのフラッグシップモデルでした。

 あれから10年。デジカメ界も大きく変わりました。デジタル一眼レフが庶民の手の届く価格帯に降りてきて、デジカメでもレンズ交換が可能になり、多くの老舗カメラメーカーが淘汰廃合されて無くなってしまいました。

 私はカメラメーカーとしてはミノルタが好きだったのですが、ミノルタがソニーに吸収合併されてしまった時は「カメラ専業では会社としては生き残れないのだな…」と何となく思ったものでした。その頃は、次にデジカメを買うなら、ミノルタのデジタル一眼レフだと思っていたので、ミノルタが無くなってしまった今、私が買うべきデジカメは、ソニーのαシリーズだなって、なんとなく思っていました。

 …と私がグダグダ考えているうちに、時代は一眼レフではなく、ミラーレス一眼の時代になっちゃいました。始めて店頭でミラーレス一眼を手に取った時に思った事は「これ、レンズが交換できるだけで、今使っているDMC-FZ10と同じモノだな」っ事です。

 もちろん、DMC-FZ10とミラーレス一眼には、レンズ交換の可否以外にも、CCDサイズの違いや、カメラとしての基本性能の差もありますが、何と言っても一番の違いは、その価格です。ミラーレス一眼だと、レンズセットで購入しても約10万円しちゃいますが、DMC-FZ10の後継機なら、4万円あればお釣りがきます。つまり、半額以下なわけです。私はカメラ小僧ではないので、そんなに高いスペックのカメラは必要ではなく、DMC-FZ10並の性能があれば十分なので、その時、次のカメラはミラーレス一眼でなく、DMC-FZ10の後継機で良いものがあれば、そいつにそのうち買い換えようと思いました。

 ですから、毎年毎年、新型が投入されるパナソニックのDMC-FZシリーズでしたが、新型が発表されるたびに、買い換えを考えながら「まだいいかな…」と買い換えを先延ばしにしていた私でした。

 ところが今年、DMC-FZシリーズの新型であるDMC-FZ70が発表されて、危機感を覚えました。と言うのも、このカメラ、それまでのDMC-FZシリーズから、大きく方向転換したデジカメだったからです。

 と言うのも、このカメラ、今までのDMC-FZシリーズに代々引き継がれてきた、ライカレンズの搭載を止めちゃったんですよ。もちろん、DMC-FZシリーズに搭載されていたライカレンズは、本家本元のライカレンズではなく、パナソニック製造のライカブランドのレンズでした。ホンモノのライカ製造のライカレンズでは無いものの、ライカが品質保証をし、ライカブラントの使用を許可したレンズを今まで使っていたわけですが、今度の新型のDMC-FZ70のレンズは、ライカブランドではないレンズになりました。つまり、ライカが自社ブランド名をつける事を許さなかった、ライカの品質保証のないレンズに変わったのです。

 実は、今までのDMC-FZシリーズに搭載されていたレンズは、高倍率ズームであるにも関わらず、全域でF2.8を保証する明るいレンズだったのです。なにしろ、このシリーズが発売された当初はフラッグシップモデルでしたから、レンズも最高に奢っていたわけなんです。

 やがてパナソニックも一眼レフを販売するようになり、DMC-FZシリーズはフラッグシップの位置から降りることとなりましたが、それでもライカレンズ搭載の伝統は続いていたのですが、それが今年の新型からは、ライカレンズの搭載を止めたのです。

 今度の新型に搭載されているレンズは、今までのものよりも、より高倍率ズームレンズになりました。その代わりに、高倍率時には、レンズの明るさがF5.9まで暗くなってしまうという普通のズームレンズ(それでもスペック的にはかなり素晴らしい事は認めます)になってしまいました。

 レンズの明るさと倍率を天秤にかけた時、今までは明るさを優先してきたDMC-FZシリーズだったのですが、今年からは倍率を優先する事に方向転換をしたわけです。おそらく、そのために、ライカブランドの使用を取りやめる事になったのでしょう。

 これに危機感を感じた私は、急いで昨年の機種であるDMC-FZ200を購入したわけです。

 レンズ固定式のカメラにとって、レンズの性能こそが命でしょ? 一眼とは違って、レンズ交換できないのだから、よりレンズにこだわるのは当たり前じゃないですか? 高倍率? 写真さえ鮮明に取れていれば、トリミングすれば、同様の効果は得られるので、大差がなければ、高倍率など無視しても問題ないスペックです。なので、私は入手困難になる前に、ライカレンズを搭載した、最後のDMC-FZシリーズであるDMC-FZ200を購入したのです。

 このカメラは、以前のカメラの後継機とは言え、私にとって10年ぶりの新型カメラです。

 以前のカメラに大きな不満はなかった私ですが、実際に新しいカメラを手にとって撮影したところ、その違いに驚いています。やはり10年という時間は、デジカメを大きく進化させてますね。

 欠点だった、合焦時間ですが、驚くほど速くなっています。もちろん、今どきの高性能一眼レフカメラほど速くないでしょうが、私には十分な速さでピントを合わせてくれます。ズームの倍率が両方に広がっていますので、今まで以上に便利に使えますし、暗い所もさらに強くなっているし、手振れ補正もより強力になっています。起動も速いし、画像確認の液晶画面もフリーアングルで使い勝手良い(実は新型であるDMC-FZ70は液晶パネルが固定なんです)し、バッテリーの持ちもなかなか良いし、大容量SDメモリカードが使えるのがうれしいです。

 今までのDMC-FZ10には256MBのSDメモリカードを使っていたので、100枚前後攝ればカードがいっぱいになっていたのです。そのため、よく撮影しながら、データをパソコンやモバイルHDDに移さないといけなかったのですが、今度のDMC-FZ200には、32GBのカードを差してますので、10000枚程度の撮影なら十分間に合うので、事実上、どんなに撮影してもカードがいっぱいになる事がないんですね。撮影可能枚数を気にせずに写真が取れるのは、うれしいことです。

 あえて欠点を言えば、連写モードでない限り、一枚取ってから、次の写真が撮影可能になるまでの時間が、少々モッサリしている事かな? まあ、最初から短い時間感覚で写真を撮るつもりなら、連写モードを使えばいいだけの話なんだけれどね。あと、撮った写真の周辺部にゆがみが目立つのも、人によって気になるかな? まあ、ズームレンズなら、どれもこれも周辺部がゆがむものだけれど、このカメラで撮った写真のゆがみは、気になる人には結構気になるレベルのゆがみかもしれません。まあ、もっとも本体込みで3万円台のレンズだからね。一眼レフ用の交換レンズで、同じようなレンズを買い求めると、10万円前後するわけだから、そこんところは『ゆがみもこのカメラの味!』と割り切るしかないですね(笑)。

 たぶんDMC-FZ10を10年使った私ですから、今度のDMC-FZ200も10年ぐらい使うんじゃないかな? 次に私がカメラを買い換える時は、どんなカメラが流行っているんでしょうね。それもまた楽しみです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月17日 (日)

我々はデフレに対して怒りを覚えないといけないんじゃないのか![2013年11月第3週・通算29週]

体重:110.4kg[+1.0kg:-1.8kg]
体脂肪率:31.2%[+0.3%:+0.2%]
BMI:34.8[+0.3:-0.6]
体脂肪質量:34.4kg[+0.6kg:-0.4kg]
腹囲:108.0cm[+3.0cm:-1.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 最近、色々と忙しくて体重をここにアップしていませんでした。久しぶりにアップできそうなので、前回はいつアップしたんだっけと思って調べてみたら、なんと9月の4週でした。今が11月の3週ですから、7週間ぶり? いやあ、ほんと、アップしていなかったんですね。

 で、体重の方ですが、とりあえず増えてます(ダメじゃん)。実は体重をアップしていなかった10月は、一時期(忙しかったせいでしょうか)108Kg台だったのですが、まあここんとこはこんな感じです。今は食事を肉食に変えたせいもあって、どうも体重が減りません。少しは気にしていますし、体重も減らさないといけないなあと思いつつ、激務に対抗するために、思い切った事ができません。

 ダイエットも大切ですが、毎日健康で元気に働かないといけないといった事情もあります。ダイエットをきちんと始めると、体力がガクリと落ちるので、思い切った事ができないため、ズルズルと体重が増えてしまうのだなあと思ってます。一応、反省しているつもりです。

 ちょっと、色々と考えないといけないかな。

 さて、今週のエッセイです。

 先日、こんな事がありました。

 足の悪い妻は、最近、買い物をネットスーパーに大きく頼っております。

 で、毎日毎日ネットスーパーで買い物をしている妻なのですが、ある日、ネットスーパーに注文したつもりになって、でも実は、その日の注文データをうっかり送信し忘れて注文していなくて、それにやっと気づいたのが、夜の8時過ぎだったわけです。アチャー…でした。で、仕方なしに、そんな時間にも関わらず、やむなく車椅子を押して、近所のスーパーに買い物に行った私でございました。

 スーパーに行ったら、そんな時間にも関わらず、結構大勢の買い物客がいてビックリしました。だって、夜の8時過ぎだよ。ウチは来ない品物を待っていたので、まだだけれど、普通の家庭なら、とっくの昔に夕食も終わっている時間でしょ? それなのに、まだスーパーが混雑しているって、どういう事?

 聞けば、最近のスーパーって、夜の10時ぐらいまで普通に営業しているところもたくさんあるそうですね。まあ、それだけ多くの人が、そんな遅い時間に買い物をするからスーパーも開いているんだろうけれど、なんか違和感を感じます。

 だって、夜遅くの買い物なら、今の時代、コンビニがあるんだから、それでいいじゃん。何もスーパーが夜遅くまで営業している必要はない…と思う感覚が、たぶん古いんだろうなあ。

 確かに、お客的には、遅い時間にスーバーがやっていて便利って事はあるだろうし、今回の我が家のようなケースなら、実にありがたいわけだけれど、これって、働く人的にはどうなんだろ? そういう遅い時間でも、女性がレジ打ちとかしているわけだけれど、家では心配していないのだろうか? 余計なお世話だけれど、子どもやダンナさんの面倒は、どうしているんだろうか?

 そう言えば、最近は年始年末も休まない商店が増えましたね。私が子どもの頃は、12月の28日に仕事を納めたら、翌年の1月4日の仕事始めまで、近所のお店はたいていお休みでした。だから、元旦にお年玉をもらっても、使えなくって、イライラとワクワクを同時に感じていたものですが、今は12月31日も夜遅くまで営業していて、1月2日から、下手すると、元旦の午後から店を開けちゃうところも増えましたので、今の子は、お正月からしっかりと経済活動に勤しむことができるわけです。

 昔は年始年末はお店が休みだったから、一種の保存食としてお節料理を作ってたわけだけれど、今は毎日スーパーがやっているから、正月であっても、普通に買い物に行けるので、お節料理の有り難みは薄れましたね。それこそ、元旦から「○○が食べた~い」と言っても、大抵平気だもんね。いやいや、スーパーも営業しているけれど、ファミレスの類も営業しているわけだから外食だって可能だし、なんか、お正月も平日も変わらないような気がします。

 …って状況を支えているのは、スーパーやファミレスに休日出勤・正月出勤をしている方々なんだよね。そういう日に働く人にも、家族はあるだろうし、一緒にお正月を寿ぎたい人だっているだろうし、年始年末は飲んだくれたいだろうし、旅行にだって行きたいだろうに、それでも仕事に行く人がいるわけだ。

 なんかね~、申し訳ない気がするんですよ。まあ、私も日々遅くまで働いている人で、夕飯時に帰宅した試しなんて無い人だから、遅い時間にスーパーがやっていると便利な人種である事には間違いないし、休日だってカレンダー通りには休めないわけで、年始年末だからと言って、年越し準備が出来るほどの余裕のある生活をしているわけじゃないから、年始年末に商店が開いているのは、本当にありがたいんだけれど、働く人の事を考えると、ほんと、申し訳ない気がします。

 デフレで、モノの価値が下がっているから、労働力の対価も下がっていて、だから商店は営業時間を延ばし休日返上で営業をして何とか利益を確保しようとし、そのために、そんな時間まで働かなければならない人たちが大勢いるわけなんだと思います。

 そういう点で、モノの価値や労働力が、正当な評価がされないデフレって怖いなあって思います。

 先週、やたらとニュースになった、海老の偽装事件も、本来は高い値段で販売されないといけない料理を、デフレだから安くしないと売れないわけで、でも本来のエビを使ったら、そんなに安くできないから、偽装して安い海老を高級海老と偽って販売したわけだ。つまり、本来は高いモノを高い価格で販売できないから、安いモノを偽って高い価格で販売したわけで、こうなったのです。

 それもまた、モノの価値が正当に評価されない故の悲劇(ってか犯罪)なんだと思います。

 すべてデフレのせいなんだよね。デフレデフレデフレ…。なんかもう、デフレが当たり前になっていて、感覚マヒしている部分があるけれど、デフレが続く限り、誰もが不幸になるんじゃないかな?

 だってデフレって、いくら働いても、利益が消えてしまうから、デフレなんだよね。働いた分、正当に評価されて、きちんとした報酬がもらえれば、全体が豊かになるわけだから、モノの値段も自然に上がっていくわけで、だから豊かな社会の経済状況ってのは、常にインフレなんだよね。日本も景気が良かった頃は、必ずインフレでした。

 しかし、私たちが働いて稼いだ利益はどこに消えたんでしょうね……って、それはみんな中国に流れちゃったんだよね。だから、日本がここ数十年足踏みをして、その間、中国が経済的に大躍進したわけです。世界経済なんて、革命でも起こってパイの大きさが変わらないかぎり、パイの配分の取りっこであって、中国がたくさんパイを持っていけば、日本のパイの取り分が無くなるのは当然の話だね。

 問題は、日本がデフレだから中国が躍進したのか、中国が躍進したから日本がデフレになったのか…って事だけれど、まあ、そんな事を後悔するよりも、アベノミクスの成功に期待するしかないか。

 ってなわけで、モノの値段が安くなって喜んでいるのは、目先の事しか分からない人たちの話であって、モノの値段が安いのは「こいつらにはこの値段じゃないと買わない」と市場経済になめられているわけで、市場経済的には貧しくなっているわけで、貧しいから長い時間働いたり、安い時給で働かなきゃいけなかったりするわけです。

 だから、なぜモノの値段が安くなっているのか。その理由を考え、それが国際的マネーパワーの観点から見た時に、我々の国力が削がれているって事に気がつかないといけないのだと思います。

 少なくとも、若い人たちは、日本がデフレである事に、怒りを覚えないとダメなんじゃないかな?

 年末年始は誰もが休める社会に戻る事を願います。誰もが、休日出勤などしなくても、きちんと生活ができるだけの賃金を確保できる社会になる事を願います。もちろん、社会的インフラの維持に関わる人々(警官とか鉄道員とか電力会社さんとか)には、これまで通り、休日出勤をお願いしますが…。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月16日 (土)

溺れるあなたを見ていると、私は不安を感じます

 金魚って、元々、魚の癖に泳ぎがメッチャ下手くそなんです。和金タイプならともかく、琉金タイプやランチュウタイプの泳ぎは「これが魚類の泳ぎか!」と言葉を荒らげてしまうほどに、下手くそにしか泳げません。でも、その下手くそな泳ぎが、かわいいんですよ。それが金魚の魅力の一つです。

 でもね、いくら下手くでも、一応“泳いでいる”んですね。下手だけれどね…壊滅的に下手だけれどね。そりゃあ、泳ぐ速度なんて、他の魚の1/10程度しかないし、まっすぐ進んでいるつもりでも、あっちにヨロヨロ、こっちにヨロヨロですが、それでも泳いでいるわけです。

 いくら下手であっても、泳いでいるのですから、そこには動作主の意志を感じます。「ワタシはまっすぐに泳いで、あのエサがプカプカ浮かんでいる場所に行って、エサを食べるんだ!」とか…そういったものを感じるわけなんです。

 それが最近、そういう意志を感じられない動きをする奴がいるんです。

 素赤琉金のホノカです。

 まあ、琉金って種類の金魚は、金魚の中でも、特別に泳ぎが下手ですが、それにしてもホノカの下手くそさ加減には、もうビックリです。 いくら下手くそと行っても、限界があるというか、程度問題のはずですが、とにかく、最近のホノカの泳ぎの下手くそさは、金魚の下手な泳ぎを見慣れた私の目ですら、めまいを起こすほどに下手くそなんです。

 カラダを一生懸命に振っても、ちっとも前に進まないんです。運動量に対しての前進力など、ほぼ皆無と言っていいくらいにしか前進しません。前に進みたいはずなのに、なぜかその場でキリモミ運動していたりします。その上、一生懸命泳ごうとしているのに、他の子にぶつかられると、そのままぶつかった方向に飛ばされていくほどです。

 ううむ、いくらなんでも、これは泳ぎが下手すぎるだろう? いや、もはやこれは“泳ぎ”ではないでしょう、きっと彼女は“溺れている”んだと思います。魚だし、エラもあって窒息しないから、大事になってませんが、きっとホノカは溺れているんだと思います。そう思わざるを得ないほどに、毎日、意味不明な動作を繰り返しているのです。

 それにしても、なぜホノカは毎日水槽で溺れた生活をしているのか……色々と観察を重ねて考えてみました。

 太りすぎが原因? でも、もっと太っているナゴンでも、もう少し上手に泳ぐよな~。

 琉金タイプだからダメなの? 同じ琉金タイプにナゴンがいるし、それ以前に、歴代のウチにいた琉金ちゃんたちは、もっと泳ぎが上手でしたしね。水槽の中で溺れていた子なんて、一匹もいませんでした。

 尾ビレが短いとか? でももっと短かったブヨの方が泳ぎは上手だね。

 尾ビレが長すぎるとか? サクラはもっと長いけれど、あの子はむしろ、泳ぎが上手な方だしね。

 カラダの動かし方が小さい? …わけないよな。

 カラダの動かし方が大きすぎる? まあ、確かに派手で大きな動きをしているけれど、それは前進しないから、大きなアクションになっているだけで、たぶん泳ぎが下手すぎるから、カラダの動かし方が大きくなりすぎるのであって、カラダの動かし方が大きすぎるから泳ぎが下手ってわけではないと思います。

 ううむ、やっぱり分からない。分かる事は、ホノカの泳ぎがめまいするくらいに下手くそだという事実だけです。

 でも、いくら泳ぎが下手くそでも、いくら毎日水槽の中で溺れていたとしても、ペットとして生活している分には、大きな欠点にはならないから、それはそれで良しとしますか。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月15日 (金)

H先生は、実はオペラが大好きなんです

 フルートのレッスンに行ってきました。

 どうやら、本日の生徒さんは私一人だけだったそうです。なので、先生に、と~っても、歓迎されちゃいました。あ、今回も遅刻せずにレッスンに行きましたよ。

 先生と二人でロングトーンをやりました。中音のラではバッチリだったのに、低音のドが低すぎるというので、低音のドで音合わせをしました。なので、高音に行けば行くほど優しく吹いてあげないと音がハズレてしまいます。

 優しく吹いたのが良かったのでしょうね、「とっても良い音ですね」と褒められました。

 アルテ15課10章のGes-durは、前回ダメダメだった1番の音階準備練習の前にある「Ges-durのロングトーン」からですが、こんな課題なんて、目もくれずにササっと終えて、ここのところ宿題になっていた2番「アルペジオ基本練習」もチャッチャッと吹いて、さっさと合格して、5番の「Ges-durのクロマチック」なんて、これまた余裕をかまして、さっさかさっさと合格です。

 前回のテイタラクがまるで嘘のような、楽勝楽進撃勝で合格です。ま、この一週間、気合入れて練習しましたからね。次の課題はes-molですね。頑張ります。

 プチ・エチュードの2番は、最初の頃よりも、意識的にスピードを上げて練習してきました。スピードを上げているので、多少、運指に確実性が失われているキライがありますが、それでも大きなミスもせず、最後まで通しました。先生に「よく、やってきましたね。この調子ですよ、もっとスピードをあげてらっしゃい」と言われました。ううむ、これでも、まだまだテンポ的には不足なんだ~。

 「このくらいで吹きましょう」と先生がおっしゃって、一緒に2番を吹いたところ、速い速い、なんですか、この速さは! とにかく速すぎて、楽譜を目で追い続ける余裕もありません。うわー、この速さで吹けるようにするのか、頑張らないと…。

 今回の雑談は、先生の留学時代の思い出話でした。

 先生はオペラが大好きなので、ウィーンに滞在していた頃、毎日のようにシュターツオーパー(ウィーン国立歌劇場のことだ)でオペラを見て、フォルクスオーパー(第二国立歌劇場って感じの歌劇場ね)ではオペレッタを見ていたそうです。もちろん、安い安い天井桟敷席(いわゆる“学生席”)だったそうです。ちなみに、天井桟敷なら300円程度(3000円じゃなくて300円ね)でオペラが見れたのだそうです。

 シュターツオーパーと言えば、テレビやDVDなどで見ると、とても立派で大きなホールのように思えますが、実際のシュターツオーパーは、とても小さな建物なんだそうです。おまけに舞台が見づらい構造なんだそうです。先生曰く、歌劇場という場所は、メインが社交場で、おまけでオペラをやっているような場所なので、舞台は見づらくても大した問題ではないのだそうです。

 歌劇場って、お金持ちたちの社交場なので、汚い格好(貧乏留学生なので普段着でオペラハウスに出入りしていたそうです)だと、幕間になっても、休憩のために、下に降りる事ができなくて、幕間が退屈で退屈で仕方なかっそうです。

 オペラそのものを見るなら、あっちの歌劇場よりも、日本の市民会館の方がよっぽど見やすくて良いのだそうです。見やすいのは良いけれど、日本だとオペラのチケット代が高過ぎのが問題だそうです。値段を考えると、日本では馬鹿馬鹿しくオペラに行けないって愚痴ってました。なので、オペラ鑑賞はもっぱら、ご自宅に作ったパーソナル・シアター(タンノイの7chスピーカーシステムに42インチの液晶ディスプレイなんだそうです)でのDVDでの鑑賞がメインなんだそうです。

 あっちの公演では、エロい演出もたくさんあって、普段は後ろから売れる劇場の席が前から売れる日は、たいていエロい演出の日なんだそうです。ちなみに“エロい演出”ってのは、全裸のバレリーナーとか、全裸の若いソプラノ歌手とかが出てくる演出で、歌手やダンサーが全裸で歌い踊るんだそうです。で、それが珍しいのかと言うと、割とよくあるそうなんです(ほんと?)。ちなみに、外人さんの全裸は、毛が金髪なので、遠目で見ると、全然イヤラシイ感じはしないそうです(って、ほんと?)。ちなみに「全裸のテノールとか出てましたか?」と尋ねたら「誰が男のハダカなんて見たいと思う?」と逆に尋ねられちゃいました。ってことは、ウィーンの皆さん、女性の裸体を見にオペラをに出かけているわけだな(うっしっしっし)。

 あっちのオペラ歌手って、驚くほど声が小さいんだそうです。と言うのも、劇場がびっくりするほど小さいので、大きな声が必要ないんだそうです。シュターツオーパーですら、こっちの小ホール程度の大きさ(ほんと?)しかないそうです。その上、響きは良いので、本当に小さな声でもオペラを歌えるんだそうです(ほんと?)。

 あと、ボックス席は、実は実は奥行きが結構あって、座席は四列もあるので、最前列はともかく、後ろの席では舞台がほとんど見えない上に、ボックス席には、それぞれのボックスごとに扉がついていて、扉ごとにドアマンがいて、出入りのたびにドアマンにチップを渡さないとドアを開けてもらえない仕組みなんだそうです(ほんと?)。

 そうそう、オペラの幕間は、オペラ本体よりも長いそうです(…分かる気がする)。なので、幕間に散歩も出来れば、食事もしちゃうのが、あっち流なんだそうです。というのも、歌劇場ってのは社交場なので、本来はオペラを見るのが目的ではなく、社交をするのが第一目的で、その社交の間にオペラを見るのが本当なんだそうです(ほんと?)。

 聞いてみないと分からないことばかりだけれど、なんか今回、私、微妙にだまされているような気もします(笑)。

 でも、H先生が筋金入りのペラゴロだと知って、ちょっぴりうれしい私でした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2013年11月14日 (木)

帝国劇場で「レ・ミゼラブル」を見てきました

 標題の通り、今流行りのレミゼの舞台版を見てきました。

 今回、帝国劇場で上演されているのは『新演出版』というモノで、1985年から使われていた旧来の演出版ではなく、2010年から世界各地で使われている新しい演出によるレミゼでした。…とは言っても、私は旧演出版は知らないので、今回の新演出版が私にとっての、舞台版レミゼであって、比較してしまうのは、映画版のレミゼだったりします。

 帝劇の舞台版…となると、私はあらかじめハードルを下げて見に行くことにしていますが、今回のレミゼは、先月見た『エニシング・ゴーズ』ほどの手放しでの称賛は出来ないまでも、水準以上のなかなかに素晴らしい公演でした。つまり、良かったと思います。

 考えてみると、私が辛い評価をしてしまった『エリザベート』にしても『モーツァルト!』にしても、ドイツミュージカルであって、リーヴァイの作品なんですよね。もしかすると、リーヴァイ作品って歌うのが難しくて、日本人キャストではまだまだ手に負えないとか? なんとなく、そんな感じがしてしまう…なんて書くと『レディ・ベス』の公演に水を差しかねませんが、そんなつもりはありません。ぜひ近作の『レディ・ベス』では、客席をうならせるような上演を期待してます。ちなみに『レディ・ベス』は来年の4~5月に上演予定で、ベスってのは…エリザベス1世の事です。まあ『レディ・ベス』も良いけれど、私は来年の7~8月にやる新演出版の『ミス・サイゴン』の方が楽しみかな?

 閑話休題。例によって、妻の車椅子を押しながら帝国劇場に向かいました。先月は最寄りの有楽町駅まで電車で行きましたが、乗り換えにかかる時間(車椅子だと、たかが乗り換えでも、通常の何倍もの時間を使ってしまいます)を考えて、東京駅から直接、帝国劇場を目指したところ、約15分ほどで到着しました。経路は、丸の内南口から地下に入って、KITTEを通り抜けて、地下道経由で国際フォーラムに入って、フォーラム内を横断して、地下鉄有楽町駅の改札側に出て、そこから帝国劇場に地下道経由で入りました。地下道なので、信号もないし、サクサクと進みました。まあ、数カ所でエレベーターやらリフトやらを利用せざるをえなかったのですが、それはまあ良しとしましょう。これくらいの距離なら、電車に乗らない方が楽で早いというわけですね。

 今回の座席は、正面のブロックだったのですが、舞台からはかなりの距離がある席だったので、オペラグラスを持参しました。10倍程度の倍率のモノでしたが、これが結構便利でした。私の席からでは、舞台全体は見えるけれど、役者の細かな芝居は見えないし、顔の判別なんて無理でしたが、オペラグラスを使えば、かなりのアップで見れるので、役者の表情まで見れて、グッドでした。オペラグラスの有無は、観劇の感動と直結するかもね。

 私は映画版でレミゼに親しんだ人なので、どうしても映画版との比較をしてしまいますが、映画と舞台との表現方法の違いこそあれ、どちらもそれぞれに長所があって、捨てがたいのですが、私の個人の趣味で言えば、舞台版の方が好きかな? と言うのも、舞台版の方が、歌がしっかり歌われているんですね。映画版では、歌はあくまでもセリフの延長でしかなかったのですが、舞台はむしろ歌が中心で、セリフはあくまでも歌の延長としての扱いでした。歌好きな私にすれば、舞台版の方が良いのは、当然とも言えますね。

 ただ、ストーリーの説明などは、舞台版はやや舌足らずな感じは否めません。あらかじめ映画版を見て、ストーリーを熟知していた私は、あれだけのスピーディーな舞台展開に付いていけましたが、予備知識無しで舞台を見た人は、あのめくるめく展開に、果たしついていけるか、ちょっと心配になりました。その点、映画版は、ストーリー描写が丁寧で分かりやすいのが良いですね。

 歌がしっかり歌われている…と私は書きましたが、あえて苦言を言うと、バルジャンが歌う「彼を帰して(Bring him home)」、この曲はこのミュージカルを代表する名曲の一つなんですが、これに関しては映画版の方が良かったです。私が見た日がたまたまだったのか、舞台版の演出ではそう決まっているのか、あるいは私が見た日の役者さんはそうだけれど、他の日の人は違うのかもしれないけれど…とにかく「彼を帰して」をファルセットを多用して歌ったのには、とても残念な気がしました。それも、それまでのバルジャンの力強い歌声とは全く違った、いかにもファルセットでございますという弱々しくて女々しい声で歌われてガッカリしました。映画版では、ミュージカル俳優でもないヒュー・ジャックマンですら、頑張って歌った曲なのに、これはあんまりだなって思いました。

 この曲は有名な曲なので、自宅に戻ってから、色々な歌手たちが歌っているバージョンを漁ってみましたが、やはりファルセットで歌っている人はいませんでした。この曲は、しっかり魂を声に入れて歌うべき曲…ではないでしょうか? たまたまなら私の不幸ですが、もしも演出の都合で歌手にこの曲をファルセットで歌わせているのだとしたら、それは残念だと思うし、この曲に最初に触れるのが、舞台版なら、悲しい事だなって思いました。

 でも、この1曲ぐらいかな? 私が残念に思ったのは。

 実は、配役表を見て、テレビタレントさんや有名芸能人の方々がたくさん出演されていたので、あまり期待しないで見たのてすが、テレビタレントさんたちも、きちんとそれぞれの役としてきちんと演じられていたので、良かったです。

 そうそう、コンピューター制御の“動く書き割り”はなかなか良かったと思います(正式名称は何と言うのでしょ?)。バルジャンが下水道を彷徨うシーンとか、シャベールの投身自殺のシーンでは、その劇的効果に思わず唸っちゃいました。

 役の性格づけが映画版とはかなり違っていました。映画版では頼りなかったコゼットとマリウスが舞台ではきちんとした存在感を示していました。逆に、フォンティーヌの落ちっぷりは映画版の方がエグいかな? エポニーヌは表現方法は違いましたが、どちらも悲劇のヒロインとして美味しい役ですね。バリケードのシーンは…舞台も迫力はあるけれど、やはり映画の方がすごいかも…。

 まあ、なんだかんだ言っても、舞台版のレミゼは、良いミュージカルだと思います。残念なのは、帝国劇場ってロングラン公演をしないんですよね。泣いても笑っても、帝劇のレミゼは11月でお終い。劇団四季のように、当たった作品はロングランをしてくれると、見る方も安心して何度も見に行けるんですがね。ちょっと残念です。

蛇足 帝劇の売店で『エリザベート』のテアター・アン・デア・ウィーン公演のDVDを買いました。これ、たぶん、すでに日本盤は廃盤になっている奴ですね。現物限り関係部署にて販売…って奴かもしれません。なかなか時間がないので、見れないのですが、お正月休みにでもなったら、じっくり腰を据えて見たいと思ってます。ああ、楽しみ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2013年11月13日 (水)

声域と声帯の話

 発声のレッスンがひとまず終わったので、曲の練習に入りました。あ、前回の声楽のレッスン記事の続きです。

 まずは、ガスパリーニ作曲「Caro laccio/いとしい絆よ」です。この曲は、ハミングの練習でやった、アゴをハズして歌う事と、声を被せずに歌う事の二つに、十分注意するように言われました。それぞれ一つずつでも難しいのに、二つ同時に注意するとは、結構難しい課題となりました。

 とりわけ、母音が「オ」の時や、谷形の音形では、アゴのハズレが元に戻って閉じてしまい、クチの奥が狭くなりがちです。クワバラクワバラです。

 この曲は、歌曲として真剣に歌うなら、随所で声を被せていかないといけないのですが、今は練習なので、どこも被せないままで歌ってみましょう…と言うので、意識的に声を被せないで歌ってみました。これが難しい。つまり、私は、無意識で、あっちこっちで声を被せて歌っていたというわけです。

 先生がおっしゃるには、今は練習だから、不自然な歌い方になってしまうけれど、声を被せずに歌ってもらっています。本来なら、適度に声を被せて歌うべきだけれど、今日はあくまでも発声の違いを意識をして、ここは被せる、ここは被せない、と区別して歌うべきであって、私のように無意識で声を被せたり被せなかったりするのは、やはりダメなんだそうです。

 つまり、何をやるにせよ、意識を持って、テクニックは使うべきだいうわけです。

 そして、無意識に声を被せてしまう原因の一つは、息の支えが弱いからだろうとの指摘でした。息の支えが弱くなると、声を被せずに高音を歌うのは難しくなります。難しくなるから、声を被せて、いわば逃げて発声するわけです。実際、声は被せた方が、息自体が弱くても発声しやすいからです。

 とにかく、息を弱めない事。支え続ける事。そして流し続ける事です。それが出来ないから、ノドで歌ってしまう…というのが先生の見解です。たぶん正解でしょう。なので、ノドを鳴らして歌うなんて、愚の愚なんです。

 …と言われても、ノドを鳴らして歌うのは、生理的に気持ちいいんですよね(汗)。

 ノドを鳴らさずに、しっかり息を支えて歌うために、息を支えるエネルギー配分のようなものを指定されました。ここは1のエネルギーで歌い、ここは5のエネルギーで歌う…みたいな感じです。大雑把に言えば、高い音程は高いエネルギーで、低い音程の時は省エネで、上昇フレーズはエネルギーを増していく方向で、下降フレーズはエネルギーを維持しながら歌っていく方向で…みたいな感じです。で、ブレスのたびに、エネルギー関係はリセットしていくのですが、フレーズによっては、リセットせずに、前フレーズのエネルギーを維持したまま歌い続けていく箇所もあり…って感じで、ああ、こうやって計画的に歌って歌うものなんだなって思いました。

 とにかく「いとしい絆よ」は、もう一回、歌ってくる事になりました。…って事は、そろそろ次の曲がいただけるのかな? ちょっぴりワクワクです。

 さて、次はグルック作曲「O del mio dolce ardor/ああ私のやさしい熱情が」です。

 この「ああ私のやさしい熱情が」は曲として難しいですね。この曲も、あえて、どこも被せずに歌ってみました。「いとしい絆よ」よりも、ずっと難しいですね。

 この曲はABA形式の、いわゆるダカーポアリアですが、二度目のAに戻る直前のフレーズに後打音がありますので、この後打音の歌い方を習いました。

 声楽では前打音はよく登場します。この曲にも何度か登場します。いわゆる、コブシとかシャクリアゲとか言われるテクニックです。一方、後打音と言うのは、バロックアリアにしか登場しないテクニックなんだそうです。難しさ的には、前打音とあまり変わりませんが、あまり登場しないので、使い方には慣れません。一番簡単なのは、後打音を歌ったあとにブレスを入れて、一度フレーズを切って、歌い直すやり方。これは簡単。しかし、音楽的な美しさを考慮にいれると、ブレスはいれずにフレーズをつなげたまま歌う方が良いのだそうです。幸い、この箇所は、後打音は「ア」で、次のフレーズは「オ」で始まりますので、母音を切り換えることで、なんとかフレーズを切り換えるようにしています。もしも、同じ母音でつながっていたら…私の手には負えなかったでしょう。

 この曲のエネルギー配分と、どこで声を被せてどこは被せないという計画は、宿題になりました。自分でよくよく考えて、どんなエネルギー配分で歌い、声もどこは被せて、どこは被せないで歌うかを考えてくるように言われました。…まあ、それ以前に、全く被せずにこの曲を歌い終えられるようにするのが、先決かな。

 さて、今回はレッスンの合間に、声の被せる被せないの話から、声域の話になりました。低音歌手は割と早い段階で声を被せ始めて、高音歌手は限界まで声を被せずに歌えるようにしないといけないってところから話は始まりました。

 その人の声が、高音向きなのか、低音向きなのか、どうやって判定するんですか?って言う質問をしてみました。合唱団などでは、パート決めの時に、その人をピアノに合わせて歌わせて、出せる音域からパート決めをするわけだけれど、Y先生は入門時に私の声を聞いて、即座に「テノールですね」と決め打ちしたわけで、ピアノに合わせてうんぬんは得になかったと思うので、その理由を教えてほしい…みたいな事も絡めて質問したわけです。

 先生がおっしゃるには、合唱団などでは、現時点での音域を知りたいから、ピアノに合わせて歌ってもらって調べるのだけれど、個人レッスンなどでは、現時点の音域ではなく、その人が持っている声帯にとって、自然な音域に沿ってレッスンをしていくから、やり方が違ってくるのでしょう…との事です。

 合唱団は即戦力が欲しいのだから、現時点での声域を知りたいのでしょう。だから、ピアノに合わせて調べるのは分かります。では、その人が持っている声帯にとっての自然の音域って、どうやって調べるのですか?…と尋ねると、調べるのではなく、分かるのだそうです。

 「???」と思っていると、声の音色で分かるんだそうです。

 声楽教師ともなると、その人の(しゃべり声や歌声の)音色で、その人の声帯の特徴、長い声帯なのか短い声帯なのか、厚い声帯なのか薄い声帯なのかが、分かるそうです。で、私の声だと“短い声帯で、厚さは中庸”って音色なんだそうです。

 声帯が長いと低音向けで、短いと高音向き。声帯が厚いと重厚な声が出て、薄いと軽快な運動性を持つんだそうです。だから、声帯が短いと、テノールやソプラノとなり、長いとバリトンやメゾになるんだそうで。で、長い声帯で厚い声帯だと、そこに深みが加わってバスやアルトになるそうです。

 では、短くて厚い声帯だと? と尋ねると、その場合は、ドラマティコやヘルデンになるそうです。いわゆる、ヒーロー声って奴ですね。また短くて薄いと、コロラトォーラのようなコロコロ回る声になるんだそうです。

 私の場合“短い声帯で、厚さは中庸”なので、割と普通にいるテノールって事らしいです。特に特徴は…無いそうです。まあ、重い声は出ないし、軽々とは歌えないし、運動性もよくないし…たしかに中庸って言えばいい感じだけれど、取り柄無しとも言えるわけで、ちょっぴり寂しい感じがします。

 で、そんな普通のテノール声の私が目指すべき歌手は誰でしょうか? と尋ねてみたら「発声だけを考えるなら、やはりパヴァロッティでしょう」と即答してくださいました。やっぱりパヴァロッティか…。

 ただし、パヴァロッティは発声は素晴らしいけれど、歌手…と言うか、歌を表現する人としては、好き好きがあるし、必ずしも上手い歌手ではない(!)ので、パヴァロッティから見習うのは、まずは発声であって、表現者としては、また別の歌手を探すのも良いでしょうとの事です。確かに、私もパヴァロッティは素晴らしい歌手だなあとは思うけれど、すごい歌手だなあとは思えないからなあ。やはり表現に凄味を感じられないと、すごいと思えないわけで、パヴァロッティの歌い方って、凄味とは無縁だもんなあ。

 コレッリという歌手は、本当は高音なんか楽々と出せる人だったけれど、彼は高音を歌う時は、わざと顔をゆがめて大変そうなフリをして歌っていたんですよ…と教えてくれました。これも観客に受ける表現形式の一つ…って事なんでしょうね。

 まあ、表現も大切だけれど、学ぶ時は、表現を横において、まずは発声優先で学ぶべきかなって、今の私は考えます。で、発声がある程度身についたところで、表現に着手で遅くないと思いますが…いかがなもんでしょうね。

 さて、次の声楽発表会は、来年の4月にやるらしいです。年内に選曲して、年明けから本格的に練習開始しないと間に合わないなあ。つい先日、クラシックコンサートが終わったばかりなのに、なんやかんやと忙しい趣味生活です。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2013年11月12日 (火)

無自覚だけれど、胸声でBまで出た(らしい)よ

 声楽のレッスンに行ってきました。

 前回のレッスンの時に、クラシックコンサートでの私の歌の入ったCDを渡したのですが、その歌を聞いての先生の感想から、今回のレッスンは始まりました。

 「ヒドい歌だったでしょう、ごめんなさい」と、まずは(先生の顔にドロを塗ってしまった事を)謝りましたが、先生は「え? そんなにヒドくなかったですよ。むしろ、私が思っていた以上に、よく歌えていて感心しました」との事です。「???」と思っていたら、どうやら先生は、この1年間の私の上達ぶりが、うれしかったようなのです。

 昨年の歌(これもCDにして先生に渡しています)と聞き比べたそうですが、昨年よりも数段良くなっていると褒められちゃいました。いやあ、思わぬ褒められ方をして、照れちゃいました。

 昨年は、ちょっと崩れると、そこからボロボロに歌が壊れていき、壊れたまま崩壊してしまったそうですが、今年はちょっと崩れても、すぐに立ち直り、最後まで歌えていたのが良かったそうです。

 「正しい発声が少しずつ身につき始めた証拠ですね」と先生はおっしゃいます。

 歌を歌っている時は、発声ばかりに気を使うわけにはいきません。しかし、発声がしっかりしていないと、歌は歌えません。昨年までの私の発声方法は全然ダメな発声だったので、歌が崩れると立ち直る事ができなかったのですが、今年は歌が崩れても、無意識のうちにカラダが動いて、発声が直されて、歌が回復して続けられるようになってきたのだそうです。それが大きな進歩なんだそうです。

 これからのレッスンでは、そもそも歌が崩れなくなるように、しっかりとした発声方法を身につけていくようにしましょうって言われました。ま、そりゃそうだね。

 ふう~ん、あんな歌でも、先生の立場ともなると、見る点や評価する点が違うんだね。ありがたい事です。

 さて、レッスンは発声練習からですが、今回もハミングから始めました。

 今回は、アゴ関節をハズさないハミングと、ハズして行うハミングの二つのハミングを使い分ける練習から始めました。『アゴ関節をハズす』と言っても、脱臼するわけではなく、アゴ関節って、二段階で動くでしょう。その二段階目まで動かすことを『アゴ関節をハズす』と表現しているだけです。もちろん、アゴをハズそうが、ハズさなかろうが、クチは閉じたままなんですよ(笑)。

 アゴがきちんとハズれているかどうかは、自分ではよく分からないので、指を耳の下に当てます。ここは普通にアゴを開いても、びくともしませんが、アゴがハズれると、途端に窪みができます。なので、耳の下に窪みを作って行うハミング、窪みを作らないで行うハミングの二つを練習した…とも言えますね。

 これが実に難しいのです。まずアゴをしっかりハズして歌うのが難しい。その上、アゴをハズして行うハミングは声が引っ込みがちになるので、声を前に出すために、しっかり腹筋を使って息を支えないといけないのです。難しい上に、しんどいです。

 ハミング練習の次は、普通に発声をします。

 まずはアゴやクチビルの柔軟性を訓練するような発声から始め、息を流す事に重点をおいた発声へと変わります。

 で、先生が「すとんさんは、声を被せるタイミングが少し早すぎると思います」とおっしゃいました。

 声を被せる…いわゆる“デッキング”って言われるテクニックの事だろうと思います。そのデッキング…声を被せていくタイミングが早い…つまり低い音程の時から被せ始めますね…という注意なんです。

 私は無意識に行っていたので「???」って感じだったのですが、先生に“被せた声”と“被せない声”の二つを実演してもらって合点しました。確かに私は高音に行くと、声を被せていますね。

 「低い音程でも声を被せて歌うのは、大切なテクニックの一つだけれど、それを発声練習で、それもこんなに低い音程でやってはいけません」との事です。

 先生がおっしゃるに、私はEやF(ドイツ音名での表記です)あたりから被せた声で歌っているのだそうですが、どんな人でも、一度声を被せてしまうと、そこからせいぜい全音がもう半音上ぐらいまでの高さの音しか出せなくなってしまうのだそうです。なので、私の場合、Eから被せ始めるので、どんなに頑張ってもGを出すのが精一杯で、それ以上高い音は出せるはずがないのだそうです。

 「Eから被せるのは、バリトンの場合です。テノールなら、Gまでは被せずに歌えないといけません」と言うので、Gまで声を被せずに歌う練習をしてみました。大変だけれど、先生の助けがあれば、なんとかGまで声を被せずに歌えました。

 声を被せる理由にはいくつかあるそうです。例えば、音色の問題(適度に被せた声は良い響きを持っています)だったり、音程の問題(高い音は被せた方が出しやすい)とか、チェンジの問題(チェンジを乗り越えるには、声を被せて越えるのが、一般的なやり方だそうです)とかです。

 バリトン相手なら、Eぐらいの音から声を被せるように指導するので、私の場合、私の持ち声を聞かれないまま、グループレッスンなどでバリトン相手の指導法を受けたのか、指導する人が間違ったやり方で指導したか…との事ですが、どっちでしょう? このやり方は、合唱団のヴォイトレで身につけたような気がするので、そういう意味では前者でしょうが、だったらキング先生が気がついて直してくれたはずなのに、今に至っているとは…まあ、色々と指導者に恵まれなかったんだろうなあ、私は。

 とにかく、被せた声と被せない声の歌いわけを何度もし、被せないままでドンドン高い音を歌う練習をし、先生の合図で声を被せたり被せなかったりとやっていたところ、なんと高いB(ドイツ音名です。英語音名ならBbです)まで、意識せずに楽に発声していたそうです。「さすがにGisから被せても、Hだと、ちょっと届かない感じですね」との事です。ううむ、つまり私の場合、Gis付近にチェンジがあって、そこから被せていけば、Gis-A-Bと半音3つ分は発声できるので、私のポテンシャル的にはBまで発声可能って事だね。

 「プロのテノールでも高い音はBまでという方は大勢いますから、Bまで出れば、テノールとしては十分です。Bより高いHとかCを出すには、元々の才能も必要だし、テクニック的にもBまでとは違ったテクニックが必要です。今はBまで確実に発声できるようにしましょう」と言われました。

 と言うわけで、当面の目標は『最低でもGまでは声を被せずに、まっすぐなままで発声できるようにする事』と言いました。つまりは、チェンジを恐れずに歌いましょうって事だし、実際私のチェンジの箇所はGよりも上にある(私自身はFisにあると思ってましたが)ので、恐れる事など、全く必要ないのだそうです。

 そして、Gまでまっすぐな声で歌うためには、息を支える事がとても大切なんだそうです。息の支え、苦手だもんなあ。

 とにかく、今回は始めて、楽々と胸の声で高いBを出したそうなのです。マグレかもしれないし、先生が一緒じゃないと出来ないことだし、自覚もないけれど、事実だとしたら、とてもうれしいです。頑張っていきたいです。そして、一日も速く、歌の中でそんな高音が使えるようになりたいです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2013年11月11日 (月)

人前で演奏する事と、その人の人間性の関連について

 人前で演奏する事、特に良い演奏をするためには、その演奏者の人間性が深く問われると、私は思っています。

 よく言われる「演奏には、演奏者の人柄が反映する」と言うのも事実でしょうが、それ以前に、そもそも人前で演奏するために必要な人間性、備えていなければいけない人間的な資質というものがある、と私は思います。

 例えば、音楽を習っているにも関わらず、発表会出演を強く拒む人っているじゃないですか? まあ、子どもだと、まだ自我意識が十分に育っていないので、そもそもイヤだなと思わないのかもしれないし、少し成長してきて自我が芽生え始めて「発表会、イヤだな」と思っても、クチに出せずに我慢して出演しちゃうのかもしれません。しかし相手がオトナだと、嫌ならテコでも出演しません。前もって「私は発表会に絶対に出ません」と予防線を張る人もいれば、発表会前にお教室をやめちゃう人もいるでしょ? せっかく音楽を学んでいるのに、それを披露する場を拒むなんて…と私は思いますが、嫌なモノはイヤなんでしょうね。

 また、一人で演奏するなんて考えられないけれど、みんなと一緒ならやってもいいかなって考える人もいます。そういう方は、合唱団などに多くいらっしゃいますね。

 プロであれ、アマチュアであれ、演奏活動って、なんだかんだ言っても、自己表現だし、音楽を通して、自分という人間を表現するわけで、やはり自己顕示欲が強くないとできないかなって思います。ある意味、恥知らず…は言い過ぎにせよ、恥をかくことを何とも思わないほどのタフな精神が必要でしょう。多くの人々の視線の前に、我が身をさらさなければいけないわけですからね。

 それに、観客のみんながみんな優しいわけじゃないです。厳しい事も言うだろうし、ケチョンケチョンにしてくれる事もある。(たとえ事実だとしても)心ない事を言われちゃう事だってあるわけです。いや、観客以前に、自分自身で自分を厳しく裁いてしまう事だってあるでしょう。

 以前は、そういうつらい目にあうのは、専らプロの方々ばかりでしたが、最近ではネットが普及したせいで、アマチュアさんですら、厳しい洗礼を受ける事があります。

 また私もそうですが、演奏音源をネットにアップする方がいらっしゃいますが、あれだって、みんながみんな優しいわけじゃないです。まあ、たいていの方は、アップする前に自分でフィルターをかけて、不出来な演奏はアップしないように心がけていると思います。私のように、失敗した演奏でもアップしちゃう人なんては、珍しい存在なんでしょうね(爆)。

 厳しい事を言われて、凹んだり、心が折れたりするようでは、人前で演奏する事はできないし、音源もネットにアップできません。そういう意味では、演奏家に必要なのは、音楽的な技量ばかりではないのかもしれません。強くてタフな心も必要なんだと思います。

 とは言え、アマチュアはどんなに悪評を食らっても失うものなど無いので気楽ですが、プロの場合は、悪評は、即、おまんまの食い上げにつながるわけで、強くてタフなだけではやっていけないと思います。

 やっぱり、プロはすごいね。

 と言う訳で、人前で演奏するには、高い音楽性はもちろんあった方がいいけれど、それよりも強くてタフな心を持っている事の方が重要だし、プロとして生きていくなら、それに+αがないと、やっていけないのではないかと、僣越ながら、私はそう思う訳です。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2013年11月10日 (日)

足を怪我して思うこと

 今週はきちんと体重測定をしたのですが、この記事を書いている現在、そのデータがちょっと見当たらなくて…それで今週もきちんとした体重報告はパスさせてください。ちなみに、体重は…うろ覚えですが…108kg前後だったかな? 高値安定だったと思います。申し訳ないです(って、誰に謝っている?)。

 と言うわけで、さっそく今週のエッセイに入ります。

 今現在、妻がアキレス腱を断裂して、車椅子生活を余儀なくされております。不肖、私めも車椅子を押す人間エンジンとして、日々生活をしております。また、私自身も階段で転倒して、右膝をぶっ壊している最中でもあります。

 とにかく、夫婦して、足を怪我しているわけです。

 足を怪我して思う事。まず「痛みは外からじゃ分からない」って事です。いくら当人が痛くて困っていても、我慢しちゃえば他人には伝わらないし、我慢せずに泣き叫んだとしても、結局他人には、痛みの程度も、困っている程度も、正しく伝わらないって事です。

 私は骨折した事もなければ、アキレス腱に限らず腱を切った事はありません。なので、妻が足の痛みを訴えても、それに対してカタチだけしか同情できません。親身には…到底なれません。だって、どんな痛みなのか、想像もできないからです。

 でも今、私は足を怪我しています。妻と比べれば、たぶん比較するのも失礼なほどの痛みだろうけれど、これはこれで結構つらいものがあります。

 足が痛いと、それだけで気分がめげます。やる気が出ませんし、疲れます。そう、痛みって人を疲労させるんですよ。また痛みに気を取られていると、集中できませんから、色々と失敗も多いです。また、カラダが痛むと、理由もなく不機嫌になります。

 ほんと、痛みがある状況って、人にとってあまり良い状況ではありません。

 また、妻は怪我をして治療のためにギプスをしました。足を怪我してギプスになれば、当然手術が必要となるだろうし、手術すれば入院生活を余儀なくされるだろうと思っていたら、最新の治療方法では、手術ではなく温存療法がメインであり、手術しないのだから入院もないわけで……自分の持っている(古い)知識が、必ずしも通用するわけでないのだなって思いました。

 私も半世紀以上も生きているわけですから、若い時に学んだ事や、経験した事が、すでに時代遅れになっていたとしても、当然の事です。そういう意味では、自分の経験から導き出す答えが、必ずしも正解ではないと言う事を思い知ったわけです。

 人生、常に学び続けなければいけないし、知識は常に最新のものに上書きしていかないといけないし、常に『自分は古くて間違った知識で動いていないだろうか?』と注意し続けていなければいけないって事です。つまり、年寄りとしての自覚が必要って事ですな。

 怪我した状態は不自由ですし、治療のためにギプス着用の状態も不自由です。その不自由さを軽減するための道具というモノが世の中にはたくさんあります。一つは松葉杖であり、一つは車椅子であり、また装具というのもあります。松葉杖と車椅子までは、私の古い知識の中にもありましたが、装具というのは、今回始めて知り得たモノです。この装具という器具、高価な器具なのですが、これが有ると無いとでは、生活の質が大きく変わります。また、費用的に高価なんですが、どうやら保険も効くみたいです。

 松葉杖や車椅子も、買わなければいけないのかと思っていたら、どちらもレンタルできるんですね。これも怪我するまで知りませんでした。松葉杖は病院から有償で、車椅子は自治体から無償でレンタルできます。どちらも買えば、お財布直撃で「治療費だけでも大変なのに、その上、松葉杖?車椅子? 冗談じゃないよ~」って騒ぎになっちゃいますので、レンタルできるのはうれしい話です。

 松葉杖は短距離の移動で、車椅子は中距離以上の移動で使います。遠出をする時は、車椅子なんですが、世の中、私が思っていた以上に車椅子での移動が考慮されていますし、また私が思っていた以上に、車椅子での移動が困難な社会なんだなって思いました。

 バリアフリーという言葉を耳にするようになって久しいです。公共の場とか、公共施設では、だいぶバリアフリーが行き届き、車椅子での利用も不便を感じづらくなっているのは事実です。でも、全部が全部、そうなっているわけじゃないです。

 例えば、道は平気で傾斜してますし、穴も空いてますし、モノも置かれています。大抵の道は車椅子では通りづらいです。また、車道と歩道が分けられていない道では、車椅子での移動って、徒歩での移動よりも、ずっとずっと恐怖を感じますよ。とにかく、車が怖いし、自転車はもっと怖いし、道を歩く子どもって、本当に危険な存在だなって思います。

 マンホールって滑るんですよね。側溝のフタって車椅子の車輪が挟まりやすいんですよね。踏み切りを渡る時、線路の溝に落ちたら、車椅子ではどうにもなりません。エレベーターだって、車椅子と介護者が乗ったら、それだけでいっぱいいっぱいになってしまうエレベーターもあって、そういうエレベーターしかないと、一般の方々に譲ってもらって乗るわけだけれど、ほんと、申し訳なくていたたまれません。

 外見のおっかないアンチャンたちが優しかったり、立派な老紳士なのに気が利かなかったり、普段は気づかないのだけれど、あっちこっちで階段があったり、車椅子でも利用できる障害者用トイレがなかなか見つからなかったり、その障害者用トイレが倉庫がわりに利用されていて、トイレとして使うのに、はばかれるような場所もありました。まあ、学ぶ事が多いです。

 今の時代、御用聞きというのが無くなって久しいです。妻が足を怪我した時に、真っ先に困ったのが買い物です。「御用聞きがくれば、買い物も頼めるのにねえ…」なんて話していたのですが、今の時代、御用聞きがいなくても、ネットスーパーというのがあって、ネットで日用品や食料品の買い物ができるんですよ。便利ですね。朝、注文すると、昼過ぎに届けてくれるわけです。ま、配達料はかかりますが、便利は便利です。あんまり便利なので、お米の配達とか、ケーキやお寿司などの型崩れしやすいものは、元気になってもネットスーパーにお願いしようかなって言っているくらいに便利です。

 足を怪我した事は不幸だけれど、治らないわけではないし、怪我をした事で、知った事や、見る事ができた世界もあります。ある意味、人間として視野が広くなったかなって気もします。まあ、転んでもタダでは起きないって事が大切でしょうね。

 妻もだんだん怪我が良くなってきました。まだ松葉杖+車椅子生活には間違いないですが、装具にもなれ、最近は両松葉ではなく片松葉になりました。そこで携帯用の折り畳みの杖を購入しました。脇ではなく、手のひらで体重を支えるタイプですね。片松葉なら有効に使えそうですし、怪我が治っても、そろそろ日常的な歩行で杖が必要なお年頃ですから、年齢的には多少早めですが、思い切って購入しました。

 とにかく、足って大切ですね。手だって目だって耳だって、カラダはどこが壊れても大変ですが、足はとりわけ大変かなって思います。なぜなら、足が壊れて、人間、歩けなくなったら、その困り具合は半端じゃないでしょ? やはり、死ぬまで足は元気じゃないと、ほんとうに困ります。年を取るにつれ、足の大切さを日々感じております。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月 9日 (土)

ナゴンの様子がちょっとおかしい

 最近のナゴンさんの泳ぎ方がおかしいのです。

 ヘコヘコした泳ぎなのは、いつもどおりなんですが、最近はお尻がちょっと持ち上がった状態で泳いでいる事が多いし、キリモミしながら泳いでいる時もあります。

 皮膚病?とも疑いましたが、カラダをどこかにこすりつけている様子はありません。いつもいつも不安定な泳ぎをしているのかと言うと、決してそうでもなく、どうやら眠気が襲ってくると、変な泳ぎ方になっているみたいなんです。

 もしかすると…近日中に転覆してしまう?

 なにしろ、ナゴンは(買ったお店では東錦と言われましたが)実に見事な三色琉金なわけで、琉金って奴は、立派な体型になればなるほど、転覆しやすい体型になるわけで、むしろナゴンの体型からすれば、とっくの昔に転覆していても不思議ではないくらいに立派な体型なのに、よくぞ今日の今日まで転覆せずに頑張った言ってやりたいくらいです。

 しかし、転覆病になると、治った例はなく、遅かれ早かれ死んでしまうんですよ。なので、ナゴンの様子がおかしいの事実としても、転覆にだけはなって欲しくないというのが、飼い主である私の、ささやかな希望でございます。

 とりあえず、毎日、変な泳ぎ方をしているナゴンさんでした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月 8日 (金)

フルートはネジ式の方が良い

 久しぶりに、遅刻せずに、フルートのレッスンに行ってきました。

 実は仕事が忙しすぎて、疲れすぎてしまい、とても仕事ができる状態ではなかったので、普段よりもかなり早めに帰宅(それでも定時はとっくに過ぎている:涙)したので、レッスン時間に間に合ったわけです。

 レッスンに行ったら、姉様がいてレッスンしてました。やあ、お久しぶり。それにしても、実に難しい曲をレッスンしてます。なんでも、来週から海外旅行に行っちゃうので、レッスンをしばらくお休みするんだって。ちょびっとうらやましいです。

 さて、そんなわけで、先生と姉様と私との三人でロングトーン練習です。うむ、実によかったですよ。先生からは「二人とも、音がとてもキレイになりましたね」とほめていただきました。うむうむ。

 さて、アルテ15課10章のGes-durです。まず最初は、1番の音階準備練習の前にある「Ges-durのロングトーン」から。いわば、指慣らしの課題からです。

 いつもは、これくらい、ササっとやって、すぐに宿題の課題に入るのに、今回はこれが全然できない。ただのスケールだよ。それもかなりゆっくりな奴。それなのに、あっちこっち間違える。

 何度繰り返しても、失敗ばかりでうまくいきませんでした。

 なんか、フルートを操作する指が私の指じゃないみたい。なんか「動け~」と念じても、なんかうまくいかないんだよね。で、意図しない動きを勝手にして、それで失敗てします。なんか変です。

 変というと、なんか私、ここにいるはずなのに、まるでいないような気がします。あれ? どうしたんだろ?

 宿題の2番「アルペジオ基本練習」なんて、いきなり最初の音から間違えている(汗)。ってか、このまま吹いたら、絶対に失敗すると思いながら、なぜか、そっちに舵を切っている私がそこにいました。どうした? 私??

 何度繰り返しても、失敗ばかりでうまくいきませんでした。

 5番の「Ges-durのクロマチック」は、なんか五線の上で、音符が踊ってます。いや、比喩で書いたのではなく、リアルに跳ね回っているように見えて、なんか音符が読めません。あれあれ、まるでアニメーションを見ているみたい。逃げ回る音符を追いかけていれば、そりゃ、うまく吹けるわけないよな。

 一体、私に何が起こったのでしょうか? あんまり、忙しすぎて、神経やられたかな(笑)。でも、なんか面白いので、それはそれで、この感覚を楽しむことにしました。

 そう思うと、なんか楽しいです。

 で、ついに、フルートを吹いているのに、指が動かなくなり、息も止まっちゃいました。はは、やっちゃったね。演奏中に金縛りだ~。

 さすがに先生もビックリして「どうした?」とか声をかけてくれて、それで我に返りました。

 どうやら、半分寝ていたようです(驚)。あくまでも“半分”ね。だって、一応、意識はあったからね。でも、半分寝ながらフルートを吹いていたなんて、久しぶりにやっちまったなーって感じです。

 そう言えば、以前、まだフルートを笛先生に習っていた時、フルートを吹きながら寝てしまった事があります。あの時は、完全に意識を喪失していました。意識はないのに、カラダは起きていて、勝手に(でたらめに)フルートを吹いていたそうで、後で笛先生から「なんか、変でしたよ」って言われました。そりゃ変だよね。意識無いんだもん。それと比べると今回は方向は逆で、意識はあるのにカラダが寝ちゃうというパターンでした。

 と言う状態だったので、アルテは何も合格せず、プチ・エチュードになりました。

 プチ・エチュード、ページが重いです。半分寝から目覚めたら、急にカラダが重くなりました。すっごい眠いです。立っているのもシンドイですが、頑張ってフルートを吹きます。さすがのさすがに、まぶたも重ければ、腕も指も重くて、立っているのもやっとでした。それでも演奏は……やっぱり思いっきりグチャグチャになりました。

 グチャグチャになりながらもレッスンは進行します。

 今回はタンギングを注意されました。乱暴すぎる…って言われました。はっきりしているけれど、美しくないとも言われました。ガサツなタンギングってわけです。タンギングはやればいいのではなく、美しくやらないとダメなのね。だから、常に気を使って、タンギングが美しくなるように心がけながら演奏しないといけないわけで、それが癖になるまで練習しないとダメなんです。

 美しいタンギングは難しいですが、美しいタンギングをするには、奏者の心がけだけではなく、楽器の性能も要求されます。…楽器自体が楽に音がでないと、タンギングは美しくなりません。発音するのに、力が必要な楽器はダメなんですね。

 まあ、そんなこんなで今回のレッスンは終了。先生からも「今日は、全くダメだね」と言われちゃいました。とにかく、疲れちゃって眠くなっちゃうと、まともにフルートが吹けない事が分かりました。ああ、しんどい。

 で、先生、今回の私の演奏している様子をご覧になって、腑に落ちないところがあったのでしょうね。「ちょっとフルートを見せてごらん」というので、アゲハを手渡したら「これはヒドい。あっちこっち、キーが開いているね。これ、オーバーホールしてから調整している?」と尋ねられたので「すでに一回しています。実は先月、二度目のオーバーホールを予約入れていたのですが、急な発熱(過労が原因)でパスしてしまったので、前の調整から少し時間が立っている(って、それでも約三カ月ぐらいかな?)んですよ」とグチりました。

 ちゃちゃと何やらいじって「だいたい直しておいたけれど、Aの音だけは、職人に頼まないと直せないよ」言われました。まあ、先生はフルート奏者であって、フルート職人ではないのですから、そこまでは求めてません。

 「君たちは、私たちのように、フルートを軽くしか押さえないって事はなくて、しっかり力を入れキーを押さえるだろうから、あまり支障はないかもしれないけれど、このフルート、だいぶ浮いているよ。これじゃあ、音が出しづらいし、力も入らざるを得ないわけだ。(忙しいだろうから)急ぐことはないけれど、時間があったら、調整に出しなさい」って言われました。へへ、やっぱり調整をサボっちゃダメだね。

 「本当は、フルートはネジ式がいいんだよね。手軽に調整できるし、実に正確に調整できるからね。ムラマツは元々、紙式の調整だったのだけれど、ゴールウェイが文句を言って、ネジ式に変わったんだよね」との事です。ううむ、私のアゲハ(アルタス製)は紙式です。

 「紙式はデジタルみたいなものだからね、紙の厚さよりも丁寧な調整はできないから」 言われてみれば、確かにその通りです。でも、たとえネジ式であっても、私自身は調整できないのだから、ネジ式であっても紙式であっても、関係ないか(笑)。

 とにかく、時間を作って、適当なところで、フルートを調整に出さないとダメだな。

 それにしても眠かった。レッスンが終わって、フルートを磨いてケースに入れたはずなのに、ふと気がつくと、そのケースからフルートを取り出して、またまた磨いてる自分を発見。うむ、十分、挙動不審だ。

 人間って、どうやら眠くなりすぎると、奇行をするようです。そして、そんな自分を、何となく面白がっている私が、ここにいます。

 そんなに疲れているのに、迷わずに、きちんと家に帰れるんだから、人間の帰巣本能って奴は偉大だな(爆)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2013年11月 7日 (木)

合唱の声、独唱の声

 先日、ちょっとした合唱の講習会に出席してきました。

 きちんと下準備をしてから臨めば、それなりに学べた講習会だったと思いますが、なにしろ、日々の仕事と生活に追われて、ほぼ「何も手つかず」状態で参加した講習会でしたので、なかなかヒドい受講生になってしまいました。いやあ、申し訳ない。

 で、その講習会で感じた事を今回は書いてみます。

 まず私の立ち位置と言うか、どういう経歴の持ち主なのかを、あまりご存じない方もいらっしゃるでしょうから、そのあたりを明確にしておきましょう。

 私は、歌が好きで、合唱が好きで、二十年ほど前は、あっちこっちの合唱団に参加して、結構ブイブイ言わせていました。いわゆる「オトナになってから合唱を始めた人」であって、学生時代に合唱部とかに所属していたわけではないので、テクニック的には、当時からダメダメでしたが、若くで元気で金払いが良くて肉体作業も厭わない、ある意味、とても使い勝手の良い青年でしたので、歌以外の面で大切にされて、重宝されていました。

 歌そのものは、今思うに、とってもヒドイ状況だったと思います。リズムも音程もダメでしたが、声が未熟な上に、発声がヒドかったので、合唱団的には、大きな実害はなかったのだと思います。だって、私の歌声なんて、客席に聞こえませんからね。ま、どんなにヒドい歌でも客に聞こえなければ、無問題ってわけです。

 で、仕事が忙しくなって、自然と合唱からフェードアウトして、しばらく音楽とは無縁の生活を送り、今から約7年ほど前に、わけあって音楽と言うか、歌を再開し、現在に至ります。

 歌を再開した頃は、年齢も重ね、ジジイになり、声は成熟していましたが、発声はヒドいままだし、テクニック的にはむしろ退化していたので、リズムも音程も合唱に耐えられるものではなかったのでしょう。どこの合唱団でもお断り状況になりました。

 若くて未熟な声だった頃ならともかく、今の私は、なまじ声が成熟してしまったので、無駄に声が良いのですよ。目立つ声だし、通る声だし、栄える声なんですよ。以前なら、どんなにデタラメを歌っていても、実害などありませんでしたが、その頃の私は、私がちょっとでも間違えただけで、合唱団全体が間違えてしまったという印象を与えるほどの影響力のある声となっていて、団に核爆弾級の損害を与える存在だと、ある信頼している指揮者さんに、直接面と向かって言われちゃいました。つまり、他の人たちは(言葉は悪いけれど)適当に歌っていてもいいのだけれど、私は完璧に歌えないとダメなんだそうです。

 で、完璧…とまではいかなくても、皆さんの足を引っ張らない程度に歌えないとダメだろうと言うわけで、前の声楽の先生であるキング先生の門を叩いて、ヴォイストレーニングを始めたわけです。

 キング先生の元で五年ほど発声を習っていましたが、結論からすると、声は良くなった部分も多少あったけれど、ダメになった面も多々あり、とても合唱に使えるような声にはなりませんでした。先生のご指導が私の声には合っていなかったのが、その原因です。

 で、先生を変えたのが、約1年前です。ようやく、ぼちぼちと発声が改善され、どうにか本来の私の声の姿が見え始めてきたと言うのが、今の私の現状でございます。

 そういう状態の私なので、まだまだ合唱も独唱も満足に出来ない状況だけれど、それなりの期間学んでいるので、その両方の事は、とりあえず分かりますよって程度の人です。

 で、今回の合唱の講習会に出て思った事がいくつかあるので、それらを順番に書いていきたいと思います。

 まず、合唱で見事な声で歌っている人がソロを歌を歌うと、なんか物足りなく感じ、ソロで見事に歌える人が合唱に入ると、実にウザい声に聞こえるって事です。これは私の事ではなく、私よりも数段歌える人たちの歌声を聞いた感想です。

 もちろん、合唱も独唱も、発声の基本の基礎の部分は同じだろうと思います。で、合唱の人は、その基礎部分だけを学び、そこに留まっているような気がするんです。

 これは批判しているのではなく、合唱団で学ぶヴォイトレって奴が、発声の基礎しか教えられないモノであって、そこで教えられた事を忠実に守って歌っているのが、合唱の人たちの歌い方…じゃないかなって思ったわけです。これは、私の経験から言っても、そう大きく間違っていないと思うし、グループレッスンと言うか、先生一人が複数の人の発声の練習を見ると、どうしても最大公約数的な注意しかできないので、そうならざるを得ないのでは…って事なんです。

 たとえ技術的に基礎レベルで留まってるとしても、皆が同じレベルの歌声ならば、それは合唱としては、何ら悪いわけでなく、それはそれで良しなんです。でも、そこから取り出して、独唱で歌うと、基礎しか学んでいない歌声では、色々と物足りないものを聞いていて感じるわけです。

 独唱を歌う人は、もちろん上手い下手はありますが、合唱しかやらない人よりも、発声やテクニックは数段上のモノを持っていますし、たいていの場合、持ち声にも恵まれています。で、こういう人が合唱に入ると、違和感があるんですよね。で「ウザい声だな」って思うわけです。テクニック的にも違和感があるし、なにより声の響きが全然違うのです。

 合唱では、数名の上手な歌手がいても、それがその他の人たちとのバランスを欠いているようでは全然ダメで、それならばむしろ、技術的に基礎レベルであっても、平均化された歌声で歌う団が方が、合唱音楽として成り立っているし、結果が良いのだなって思いました。

 次。当たり前の事だけれど、合唱では自分が音楽に合わせていくのであって、独唱のように自分で音楽を作るような歌い方をしてはダメなんですね。

 具体的に言えば、指揮者をよく見て歌うのが合唱。自分の歌にピアニストさんが付いてきてくれるのが独唱。まあ、細かく言い始めると違うのですが、大雑把には、そんな感じで間違いないです。

 だから、合唱では、指揮者をよく見て、きちんきちんとその要求に応えるように歌っていかなければいけません。…それが結構、私には窮屈でね(笑)。最近、合唱をやっていなかったせいもあるけれど「もう少し自由に歌わせてくれてもいいんじゃない?」って自分勝手な事を思ってしまいました(ごめんなさい)。

 指揮者の指示通りに歌えると、たぶん、それはそれで気持ちいいんだと思います。でも、今の私は、指揮者の指示通りに歌える技量がない上に、そこに無理やりはめられるような気がして、窮屈に感じるのだと思います。

 合唱は“自分のレベルなりの歌う”ではダメで、その団が求めるレベルで歌えないと、本人も、その団も不幸になる…って感じかな? ま、とにかく、指揮者の指示や要求レベルに応えられない時は、実に惨めな気分で歌わないいけないのが、合唱って奴なのかもしれません。

 もう一つ、私個人が感じた事。

 もちろん、合唱ですから、全体の迷惑にならないように、抑えて歌いました。

 抑えて歌うと…ノドに来ますね。声が出ないように、腹圧を抑えて歌うと、その分、ノドに力が入るみたいです。また、音程重視で歌うと、やはりノドに来ますね。だって、ノドで音程を取った方が楽だし、正確なので、ついついノドで歌ってしまいがちです。

 また声を抑えようととして、響きの薄い、平べったい声になってしまいます。これは個人的にはアウトですが、合唱的には、周囲の方々もまた、響きの薄い平べったい声で歌っているので、必ずしもダメってわけではないと思います。ただ、突出してはいけないので、あくまで小声で歌い続ける事が大切です。私の声はよく通るので、隣の人に聞こえない程度の声で歌って、ちょうど良い感じで響くようです。車で言うなら「ギアは常にローのままで」って事ですね。

 今回の講習会で感じた事は、こんなところかな? まあ、今の私は、独唱も合唱もロクに歌えないレベルの人なので、ダメダメ感漂う記事でごめんなさい。もっと技巧的に上達すれば、独唱だろうと合唱だろうと、オチャノコサイサイになるのかもしれませんが、今の私は、こんな感じなんです。

 声楽を習い始めた人に、先生が「合唱をやっちゃダメだよ。もしも合唱をやってるなら、今すぐに止めなさい」とおっしゃるケースが多々ありますが、その先生の気持ちがちょっぴり分かるような感じがする私です。もちろん、生徒さんが器用な人なら問題ないのかもしれませんが、私のように不器用な人だと、声楽的な発声と合唱的な発声がこんがらがって、上達が遅れてしまうのだと思います。

 これはセミリンガルとバイリンガルの問題にも通じる問題だと思います。人によって、二つの言語を同時に学んでも、全然平気な人もいれば、同時に学ぶ事で、結局二つともどっちつかずになってしまう人もいるってわけです。

 たぶん、私は不器用だから、どっちつかずになるのかもしれません。そういう意味で(講習会は受けちゃったけれど)、今年は合唱をお休みしていて、正解だったのかもしれません。

 自分の不足を改めて認識する…と言うのは、大切な事ですね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2013年11月 6日 (水)

結局、フルートは音色が命なんだな

 先日、フルートのコンサートに行ってきました。セミプロ(?)の方のコンサートなので、お名前は伏せさせていただきます。

 で、そのコンサートはしゃべり半分、演奏半分で、なかなか面白かったのですが、その中でも、おもしろい事をなさってました。

 それは、同じ曲を、フルート一本での演奏、フルート二本(つまりフルートデュエット)での演奏、それにピアノと歌を加えた演奏の、三パターンで演奏されました。

 で、その中でどれが一番良かったのかと言うと、個人的には、フルートのソロの演奏でした。フルート一本での演奏を「家で練習していると、こんな感じですね…」なんて、卑下していましたが、いやいやどうして、なかなかに素晴らしかったです。

 使用フルートは、木管と見間違えるばかりに真っ黒になった銀管フルートでしたが、その音色が実に甘美で甘美で甘美で…。実にうっとりな感じでした。

 フルートデュエットでは、相方の方のフルートの音が少々硬めだったので、ソロよりも残念な感じがしましたし、ピアノや歌が入ってしまうと、いくらフルートが美しく吹いても、主役は彼らに持って行かれてしまいます。どんな音色でどんなに美しく吹いていても、それは特に問題にはなりません。

 なんか、フルートという楽器の特徴が、ちょっぴり見えたような気がしました。

 フルートって、音域的にソプラノ歌手と同じですから、メロディを演奏するのに適した楽器だと思われがちですが、音色が優しいので、他の楽器と共演すると、影が薄くなってしまいます。

 まあ、相手が歌手やピアノなら仕方ないと言えるかもしれませんが、もしも相手がヴァイオリンやトランペットやエレキギターでも、やはり仕方ないって事になるのかな? サックスだったらどうだろ? クラリネットやオーボエでは? なんて、色々な楽器との共演を脳内でシュミレートしてみると、いずれの組み合わせでも、フルートって食われてしまいそう…。どうもフルートって、そんなに押しの強い楽器ではなさそうだなあ…って思いました。

 フルートデュオを始めとする、フルートアンサンブルではどうかな? ヴァイオリンはソロでもいけるし、弦楽合奏もなかなかいけます。フルートの場合、ヴァイオリンにとっての弦楽合奏のようなフルートアンサンブルという形態があるにはありますが、弦楽合奏がやがてオーケストラという形態に発展していったのと比べ、フルートアンサンブルって、笛系の人以外には「???」って演奏形態なんですよね。クラオタですら「フルートアンサンブル? なんすか、それ?」ってのが現状。つまり、それくらいに、フルートアンサンブルって、マイナーな存在なんです。無論、フルートアンサンブルがマイナーな存在であるには、それなりの理由があるわけで、その理由を掘り下げるほど、私はヤボではありません。

 フルートアンサンブルは、悪くはないけれど、メジャーじゃない、って事です。つまり、フルートって『一人孤高に吹いた時が一番美しい』のかもしれません。

 それって、もしかするとフルートに限らず、笛全般の性格かもしれませんね。日本の古典文学を見ても、笛って、ソロで活躍しているシーンがたくさんありますから。

 一人孤高に吹くならば、そこに一番求められるモノは、心にしみる音、つまり“美しい音色”ではないでしょうか? その美しい音色を求めるために、笛吹きはフルートの音づくりにエネルギーを注ぐ…って事なのかなって思いました。

 実際、先のコンサートでの、フルートのソロ演奏って、フルートしか鳴っていないのに、音楽的には不足を感じませんでした。なんででしょ? 音さえ美しければ、それでもう満腹って感じがするんです。少なくともフルートの場合は。

 声楽だと、そうはいかないですね。やはり、伴奏は無いよりもあった方がいいです。でも、フルートの場合、必ずしも伴奏は必要ない…ケースだってあります。

 今回は、そんな事を考えちゃいました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2013年11月 5日 (火)

メトのライブビューイングで「エフゲニー・オネーギン」を見てきました

 車椅子同伴で、横浜まで出かけて行ったのですが、いやあ、大変でした。なにが大変って、移動が大変でした。JRにしても、みなとみらい線にしても、職員の方々は親切で丁寧なんですが、だから楽に移動できると言ったら、それは嘘になりますね。

 とにかく、エレベーターに乗るのが大変でした。すぐそばに階段とかエスカレーターとかがあっても、そちらを利用せずに、エレベーターを利用される一般の方が多くて、なかなか車椅子の我々まで順番が回ってきませんでした。これって東京や地元では見られない現象なので戸惑いました。横浜の人って、本当にエレベーターが好きなんだなって思いました。

 まあ、たしかに駅に設置されているエレベーターは、障害者や怪我人、老人やベビーカーの人のためだけにあるわけではなく、大きな荷物を持っている人や、コロコロの付いたスーツケースの利用者や、外見からは分からない怪我を負って徒歩に困難をかかえた人や、階段を降りるにも支障があるほどに疲れ切った方や、大きな理由はないけれどとにかくエレベーターが好きな方が利用しても、一向にかまわないはずです。

 でも、問題は状況の問題であり、程度の問題でしょ?

 すぐそばの階段やエスカレーターを使えば、15秒かそこらで行ける場所に、数分待ってもエレベーターを使おうとする行動原理が、私には分かりません。それも、自分の後ろに老人や数台の車椅子やベビーカーの人たちが並んでいるにも関わらず、その列の中に(少なからずの人数の若くて健康そうな方々が)混じっているんです。

 別にエレベーターを利用するなと言っているのではありません。こういう混んだ状況の中では、若くて健康な方は、すぐ側のエレベーターや階段を利用すれば、本人も速く移動できるし、他の人も速く移動できるわけでしょ。こういうターミナルでは速く移動したい人だらけのはずです。なのに、ほんのちょっとの手間を惜しんで、時間をたっぷり使う事で、そのエレベーターを利用するしか選択肢のない人たちの時間が浪費されるのが、ちょっと納得いかないです。

 それが一度ならずも二度三度となると、さすがにブログでグチもこぼしたくなります。

 横浜駅の改札を出るまでは、比較的快適に移動できましたが、横浜駅の東西自由通路からみなとみらい線の改札のあるフロアに移動するまで十数分かかり、改札からホームまでのエレベーターで五分近く待ち、ホームで電車を2本見送って(相手駅の準備が間に合わないからという理由で待ちます)、電車に乗って降りて、今度はホームから改札のエレベーターまで十数分(…もっと待ったかも)待ち、改札から地上までのエレベーターでも十数分待ち、結局、横浜から映画館最寄りの駅まで小一時間かかりました。歩けば(いつもは歩いているんです)10分程度の距離なのですが…。

 ほんと、車椅子だと、移動に時間がかかります。電車に乗っている時間は少なくとも、移動に本当に時間がかかります。時間がかかると、単純に疲れます。

 ちなみに、帰りは、エレベーターでの待ち時間を回避するために、いつも徒歩で来る道を、車椅子を押して帰りました。さすがに徒歩同様に約10分で移動…ってわけにはいかず、15分程度はかかってしまいましたが、それでも電車に乗るよりも、楽に早く移動できました。

 しかし、車椅子を15分も押して移動するのって、結構な運動量なんですよ。薄ら寒い日なのに、額に玉の汗をかいてしまうくらいの運動量です。もう、秋も深いのに汗まみれで、ちょっとみっともないくらいです。

 何をするにも、健康第一だと思いました。

 さて、肝心のライブビューイングの感想に移りましょう。

 今回の演目は、チャイコフスキー作曲の「エフゲニー・オネーギン」でした。いわゆるロシアオペラって奴です。

指揮:ワレリー・ゲルギエフ
演出:デボラ・ワーナー

タチヤナ(ソプラノ):アンナ・ネトレプコ
エフゲニー・オネーギン(バリトン):マリウシュ・クヴィエチェン
レンスキー(テノール):ピョートル・ベチャワ
オリガ(メゾソプラノ)オクサナ・ヴォルコヴァ

 ロシアオペラって、イタリアオペラと比べると、ストーリーがちゃんとしているものが多く、芝居としてもきちんと成立しているものが多いのが特徴です。その反面、アリアにイタリアオペラのアリアのようなカタルシスを求めていると肩すかしを食らいます。

 「エフゲニー・オネーギン」はチャイコフスキーの作品だけあって、どこを切っても、メロディーが美しいですね。合唱もあっちこっちで活躍する場があり、舞曲も見事でオーケストラの見せ場もたくさんあります。低音歌手たちの活躍の場も多く、そういう意味では、実に音楽的なバランスの良いオペラだと思います。

 今回のメトの「エフゲニー・オネーギン」ですが、まず、演出が良かったと思います。最近のメトは、ヨーロッパの歌劇場の影響を受けてでしょうか、新演出版となると、奇抜なモノが増えていましたが、今回のものは、新演出版に関わらず、実にオーソドックスな演出で、見ていて素直に物語に入り込めました。やはり、演出が奇抜だと、物語に入り込むのが難しくなるので、こういうオーソドックスな演出は大歓迎です。

 オケはいいですね。ゲルギエフが指揮をしている事が関係しているかどうかは分かりませんが、メトのオケがいつになく、粘る音で演奏してます。この粘り具合が、なかなか良い感じです。イタリアオペラ向きの音ではないのですが、こういうストーリー重視のロシアオペラには似合う音なのかもしれません。

 さて、歌手の話をします。

 まず、声を大にして言うべきは、ネトレプコの素晴らしさです。

 実は私、アンナ・ネトレプコという歌手をきちんと評価していませんでした。美しいだけで、歌はまあまあの張りぼて系の人気先行方の歌手としか思っていませんでした。それは、たまたまだったのかもしれませんが、私が見てきたネトレプコ主演のオペラが立て続けに残念だったからかもしれません。

 今回のネトレプコは、まあまあどころの騒ぎではありません。実に素晴らしかったです。ネトレプコには、このタチヤナ役は、はまり役ではないかと思われるほどに素晴らしかったです。第1幕の手紙のアリアなんて、鳥肌モノでしたからね。うん、実にネトレプコは良かったです。第3幕のタチアナなんて、ネトレプコ以上にできる歌手は、そうそういないと思います。それくらい、見事でした。

 まあ、そんなネトレプコですが、文句がないわけじゃないです。

 宣伝に使われている彼女の写真と、メトのライブビューイングで見る動画の彼女。ほぼ、別人です(笑)。

 写真は、特別に美しく見えるものばかりをセレクトしているからでしょうし、モノによってはフォトショだって使っているのでしょうが、それにしても動く彼女との違いには、ほんと、ビックリです。ネトレプコも40歳を過ぎたロシア女性ですからね、ビア樽体型になっても不思議じゃないのに、むしろあの程度で収まっている事の方がビックリなのかもしれません。

 そろそろ、回りのスタッフも彼女の美しさをウリにするのは止めた方がいいんじゃないかな? むしろ、貫祿のあるセクシー系の歌手として売った方がいいんじゃないかな? 実際、ネトレプコも40過ぎて若い娘役もキツいし(実際、第1幕のタチアナは、歌はともかく、ビジュアルは相当にキツかったです)、成熟した女性役の方がいいんじゃないかな? 美しさよりも、色気だと思うよ、今のネトレプコのウリは。

 オネーギン役のクヴィエチェンの悪役っぷりはなかなかでした。インタビューでは「今回の演出では、オネーギンのダメ人間ぷりは抑えて演技してます」って言ってましたが、どうしてどうして、オネーギンのダメっぷりに、私は感動しました。そうそう、オネーギンって、これくらいに心が冷たくて、変人で、自分勝手な奴なんですよね。若いタチアナの心を折り、レンスキーをからかったあげくに殺してしまうほどにね。

 オネーギンがダメな人間であるほど、第三幕でタチアナに振られるのがカタルシスになるわけです。なので、オネーギンは、もっともっとダメ人間でも良かったくらいです。

 一方、レンスキー役のピョートル・ベチャワも良かったですね。テノールって、たいていのオペラでは主役クラスで色々と大変で、でもその見返りとしてアリアも大きなアリアが与えられるのですが、このオペラでのテノールは脇役なのに、あんなに甘美なアリアが与えられるなんて…いい感じですね。こういうオペラが他にもたくさんあると、いいのにね(笑)。

 このオペラは三幕モノなのですが、場が変わるたびに緞帳が降りて、時間をかけて場面転換をしているので、実質上は七幕モノって感じです。しかし、どうして、このオペラでは、場面転換にあんなに時間をかけるのかしら? メトって場面転換に時間をかけないでスムーズに劇を進行できる歌劇場でしょ? 通常の作品の場面転換なら、舞台を回転させたり、大道具が左右から出入りして、あっと言う間なのに、この作品に関しては、ほんと、時間をかけて場面転換してました。

 何か演出上の理由があったのだと思いますが、待っている側としては、もっとオペラをサクサクと進めてもらいたいかなって思いました。

 とにかく、今回のメトの「エフゲニー・オネーギン」は、ネトレプコを見るための公演だと私は思います。ネトレプコファンも、かつての私のようなアンチの人も、このオペラは一見の価値があると思いますよ。これを見なけりゃ、ネトレプコというソプラノに関して、きちんとした評価は下せないと思います。それくらいに、ネトレプコの良いところがたくさん出ている演奏だと思います。

 それにしても、今シーズンのメトのライブビューイングは全部で10作品。ざっと見ると、かかっている演目が、ちょっとマニアックな感じがするのは、私の気のせい?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2013年11月 4日 (月)

ネットで嫌われる人 その2

 さて、昨日の続きです。

6)嘘をつく人・ごまかす人

 大っキライです。

 特にキライなのは、保身のために事実をねじまげるタイプの嘘つきです。

 そういう人って、ネットにはたくさんいますね。根拠なく、自分の意見を、あたかも世界の代表意見であるかのように吹聴する人。まあ“言ったモン勝ちの精神”なのかもしれませんし「嘘も百ぺん言い続ければ真実になる」と思っている人なのかもしれません。

 そんな嘘八百を、事の真偽を知らない人たちが真に受ける事で、真実にしてはいけません。私はそう思います。だから私は、嘘をつく人やごまかす人が大っキライです。そういう輩がごまかしてついた嘘は、ひとつひとつ訂正しなければいけないと思ってます。なぜなら、嘘は一人歩きをして、大きな禍根を残すからです。

 大げさではなく、ネット社会において『嘘つきは国をほろぼしかねない存在である』と私は思ってます。

 トラスト・ミー(笑)。

7)ハンドルをコロコロ変える人

 昔からある“なりすまし”の一種ですね。本人的にはバレていないつもりなんでしょうが、見る人が見ると、丸分かりだし、ブログ主さんには当然バレバレなんですけれどね。

 リアルな人格とネット人格を使い分けている人がいます。私は、それはそれでOKだと思います。人は場に応じた行動を取るものです。だから、それはOKです。

 問題は、一人で複数のネット人格を使い分けている(つもりの)人の存在です。

 もちろん、複数のハンドルを使っていても、人格が統一していて「Aさんは、ここでAと名乗っているけれど、別の場所ではBと名乗っている」という事が明白な場合は、この限りではないと思います。問題は、同じ人物なのに、同じ場で、別人格として活動するために、ハンドルをコロコロ変える人です。

 そういう人を見ると、不祥事を起こすたびに、名前(ハンドルとか通称とか)を変える人たちみたいで、不愉快です。どんなにヒドイ事をしても、名前さえ変えれば、今までの所業は無かった事になってしまう…と考えている連中を好きになれる人なんているのかな?

8)嫌われる話題をわざわざ持ち出す人

 心が病んでいる…でしょうね。

 他人のブログにやってきて、わざと嫌われるような話題を出して騒動を起こすなんて…よっぽど私にかまってほしいのでしょうか?

 あるいは、日頃の鬱憤とか不満とかを、他者(この場合はブログ主とか特定の人)を攻撃することで解消しているのかもしれません。老犬ブログは、あなたのサンドバッグじゃないんだけれど…ねえ。

 弱い犬ほどよく吠える…なのかもしれません。

 「自説の披露は、ぜひご自分のメディア(ブログとかツイッターとか)をご利用ください」って言いたいですね。そんな汚いモノを、ここに置いていくなよ~って言いたいです。

 こういう形でしか他人と関われない人って、たとえ心が病んでいたとしても、迷惑千万です。

9)空気の読めない人

 悪気はないんだろうなあ~って思うものの、なんか場違いな発言ばかりをする人っていますよね。コミュニケーションが苦手なんだろうなあって思って、同情はしますが、正直、どう取り扱っていいのか、判断に迷う事があります。だって、痛いんだもの。

 まあ「空気の読めない人」は嫌われるというよりも、取り扱いに困る人って感じかな。取り扱いに困るのでイヤ…って言えるかも。だって、面倒くさいんだもの。

 私、面倒くさいのは苦手です。

10)謝る事のできない人

 『実るほど垂れる頭かな』って私は思います。

 なので、私は若い時から、頻繁に謝るし、頭も下げてきました。もちろん、謝ったくらいじゃダメな時もあるわけだから、謝ると同時に善後策を練って、真摯にリカバーに励むというのもやります。

 私は外見的に、傲慢で他人に頭を下げない人と思われがち(いや実際、見た目どおりなんだけれど:笑)なので、そんな私が謝るのは、それなりの効果効用があるみたいなんです。

 とまあ、私は謝罪って、円滑な人間社会を形成するための、基本的なスキルの一つだと考えています。

 ところが世の中には、リアルやネットを問わず“謝れない人”っていますね。

 私とは関係ない場面では「なんて不器用な生き方なんだろ(カワイソウに…)」って思って冷やかに眺めてます。私の関係する場面で、そういう人が相手側にいたら、その瞬間にその人とその人が属する組織を見限りますね。そして、その相手とは、なるべく早めに手を切れるように動き出します。そういう人物が自分サイドにいたら…ボコボコにして再教育ですね(きっぱり)。

 謝らない人の中には「言葉に出して謝っていなくても、悪いと思っているんだから、許してくれよ」と傲慢な事を言い出す人がいます。つまり、自分の事を大目に見て、特別扱いをしてくれって事なんです。なんてまあ、思考回路がお姫様なんでしょ?

 まあ、謝らない人って、基本的に傲慢な人が多いのです(笑)が“言葉に出していない”という自覚があるなら“言葉に出す”だけなのに、それができないわけで…、

 …なんて、心が弱い人なんだろ…

 …って思います。謝ったら、人格が崩壊しちゃうのかな? 自分を見失ってしまうのかな? パニックになってしまうのかな? まさかまさか、生きていられなくなってしまう、とか?

 んなわけ、ないじゃん(笑)。自分の非を認めるというのも、人間としての強さだと私は思うよ。

 あと、謝る代わりに「もう来ません」って捨てぜりふを吐き捨てて逃げ出す人も、同類なんだろうね。

 別にこちらからは「是非来てください」と一度たりともお願いした事ないんです。勝手にやってきて、居心地が悪くなったから「もう来ません」と宣言されても…ねえ。「先生に言いつけてやる!」と泣いて逃げ帰る子どものような行動だなあと、呆れちゃいながら眺めるしかないです。

 とまあ、こんな感じの方が、老犬ブログでは評判悪いです。まあ、こうやって列記してみると、ネットで嫌われるどころか、リアルな世界でも絶対嫌われるような事ばかり書いてありますね。結局、ネットであれ、リアルであれ『ヤな奴はヤな奴』って事なのかもしれません。

 こういう人って、ひと言で言うと「他人の話を聞かない人」とも言えますね。あるいは「自分の事しか考えられない人」でもありますね。

 私自身がこういう人間にならないように、日々、自分自身を戒めていきたいと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月 3日 (日)

ネットで嫌われる人 その1

 今回の記事、と言うか、エッセイは、書き始めたら、すごく長くなってしまいました。仕方がないので、二分割してアップいたしますので、よろしくお願いいたします。

 まず今回は『その1』って事で、次回は…いくら“エッセイは週に1回の掲載だから”と言って「また来週~」ってわけには…いかないでしょうね。なので、今回は特別に、続きを明日アップしますので、よろしくお願いします。

 と言うわけで、今回は体重報告の方はパスします(一応、計測しましたが、自慢できる数字じゃなかった事は、正直に報告いたします:涙)ので、よろしくね。

 さて、今週のエッセイです。

 ネットを見ていると、一つの定番テーマとして「こんな人がネットでは嫌われる」というのがあります。面白そうなので、私もちょっと書いてみました。まあ、私の場合、活躍(って程じゃないけど)の場がブログだし、ブログは個人の趣味の発露と思っているので、他人様のブログに関して、どーこー言うつもりは全くありません。

 老犬ブログにコメントしてくださる方は大勢いらっしゃいますが、その中には好感のもてる方もいらっしゃれば、その人が発言すると、私自身がゲンナリしたり、抗議のメールがやってくる(つまり評判が悪いコメント者って事ですね)人もいます。

 このブログもそこそこ長くなってきたので、今まで現れた、その手の悪評高い方々のパターンを書いてまとめてみたいと思いました。題して、すとん版「ネットで嫌われる人」でございます。

 項目は全部で10あります。ヒア・ウィー・ゴー(笑)。

1)意見が上から目線の人

 たまにいるでしょ? 上から目線な人。それでもまだ『モノを教えて差し上げましょう』という方は、私的にはOKなんです(それでもネットの評判悪いんですがね:汗)。私がヤだなって思うのは、ダメ出しから入る人です。

 コメントが、いきなりダメ出しから入る人を見ると「あなたは一体何様のおつもり?」って思うわけなんです。よほど、ご自分を偉そうに見せたい人なのかなって思います。

 ダメを出すって事は、本当はとても責任重大な作業であって、出したダメに対して、どんな原因が背景にあって、それを解決するために、どう指導し、どう改善させるのか、そこまで考えた上でダメを出すものでしょう。それが指導者って奴だし、そこが指導者の腕ってモンだと思います。

 他人をクサすだけなら、誰でもできます。とてもたやすい事です。

 指導する気もなく、ただの無責任で、言いっぱなしの“ダメ出し”は、単なる難癖と一緒です。たとえ、それが事実に基づいたダメ出しであっても、その人にダメを出す事で、自分(の中での自分)の地位を向上させて、溜飲を下げるだけの、自慰的な行為だと思います。

 だから、多くの読者の方々が“意見が上から目線の人”を極端に嫌うわけなんです。

 親切な人は、アドヴァイスを下さるにしても、こちらに気を使いながらしてくださるものです。「こんな私に無用な気遣いを…」と感謝してしまいます。

 文章って、その人の根底にある感情が、言葉の端々に表れるモノなんですよね。

2)マイルールな人

 『私の常識が世界の常識』って考えている人です。『私がルールブック』であり『私がダメだと思ったものは、間違っている』と思い込んでいる人です。結構、ネットには多いタイプの人ですね。

 基本的にはコミュ障の一種なんだと思います。世界は多様な意見で成り立っていて、人が違えば意見が異なり、意見が異なれば、正義も変わってくる、って事が分からないのです。

 一元的で薄っぺらな世界の中でしか生きてこなかった人なんだろうなあって思います。年配者だと“元会社人間”、若い人だと“ヒッキー”とか…ね。

 世界は広く、自分の正義が他者から見れば“トンデモ意見”かもしれないって事を、ほんのちょっとでもいいから、考えてみれば、とてもマイルールを他人に押しつけるなんて、失礼な事はできないと思うんだけれどね。結局、マイルールな人って、想像力に欠けているんだと思います。

 例えば「ステージ活動とは、常に観客のためにある」と考えている人。興行としてのステージ活動は、まさにその通りなんだけれど、世の中には興行とは縁のないステージ活動だってたくさんあるのに、そういうモノに対しても、マイルール(笑)で「ステージ活動とは、常に観客のためにある」という自分の価値観を他人に押しつけてくるわけです。それで一刀両断にしたつもりだから、始末におえないです。

 別にステージ活動って、観客のためだけにやっているわけじゃないし(真の意味での)観客不在のステージだってあるわけです。『客席にいるのは、出演者の家族と知人だけ』なんてステージは、日本中で何百何千と行われているだろうにね。いやいや『観客はいない。客席にいるのは、その日の出演者だけ』というステージだって、数えきれないほどたくさん行われています。そういうステージって、第一義的に出演者のために行われているわけで、そんなステージなのに「観客の事を考えろ」と言われても、ドッチラケでしょ? マイルールにしても、ちょっとひどすぎるでしょ?

 で、たいがい、マイルールを押しつけてくる人は、負けず嫌いだったり、自分が負かされる事を想定していない(そりゃあマイルールの中では、自分は無敵でしょうからね)ので、粘着にからんできたりするんです。と言うわけで、次の項目に続きます(笑)。

 

3)粘着にからんでくる人

 楽しく意見交換をしてスレが伸びてしまうのは、うれしい事です。でもね、世の中には、すぐにコブシを振り上げて、そのくせ、そのコブシを下ろす事ができないために、延々とブログ主にからんでくるって人がいます。そういう人って、本当に、面倒くさいです。

 おそらく、その人の口癖は「でもね」とか「だって」とかの逆接の接続詞だろうし、その人の人生は、常にゴネてゴネてゴネまくって「あいつ、本当に面倒くさい。面倒くさいから、あいつの言うとおりにしてやれ(そうすれば静かになるだろ)」という扱いを受けてきた人なんだと思います。

 まるで日本に対する某国みたい(笑)。

 私は“理の人”なので、そういう“ゴネ得な生き方”って認めたくないです。また、多くの人は、そういう粘着な人のコメントって見たくないので嫌がりますね。だって、そのコメントは、ゴネるためのコメントであって、内容なんてカラッキシなんだもの。

 また、そういう人って、暇人なんでしょうね。ほんと、マメでしつこいんです。まさに「小人閑居して不善をなす」を、見える形で教えてくださる方々です。

 まあ、そういう人の活動エネルギーって、多くの場合“恨”なんだと思います。ブログの発言の中に、自分の劣等感を刺激させるモノがあったので、ついつい我を忘れるほどに興奮して、からんでくるんだよね。そういう意味では、恨みのパワーって馬鹿にしちゃいけないのだけれど、どこでそういう人にからまれるかは、全く分からないので、予防のしようもありゃしない…っのが本音です。

 ある意味、粘着な人にからまれるのは、交通事故にあうようなモノなのかもしれないです。

4)自慢話ばかりする人

 “身辺雑事の報告”は微笑ましくて好感が持てます。でもね、それも度を越すと、嫌われます。

 「私、この前のコンクールで優勝したんです~」と言う発言は、その記事の文脈に沿っているならOKですし、多少文脈からズレていたとしても、単発で短いものなら、誰も目くじらたてません。ところが、他人のブログのコメント欄で、連載を始めてしまうと…、コメント主さんのところに抗議メールが殺到するんです(涙)。

 私個人は自慢話はキライじゃないですし、それもネットでの大切なテーマの一つだと思います。ただ、ちょっと発言する場所が違うかなって思います。

 自慢話がしたければ、自分のブログを立ち上げるとか、ツイッターでつぶやくとか、そういう手段を取るべきだ思います。

 自宅の浴場なら全裸でも当たり前だけれど、他人の家の客間で全裸になったら……単なる変質者でしょ? 他の人に嫌われちゃうでしょ? そういう事です。

 そういう人には「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を送りたいと思います。

5)差別的な発言をする人

 まあ、さすがに意図的に差別発言をする人はいないですね。もしいたら、それはとっても心の強い、信念の人だと思いますし、その人の主義主張にもよりますが、私はその人に傾倒してしまうかもしれません。

 私がヤだなって思うのは、無意識に差別的な発言をする人です。

 結局、人って、自分の中にあるモノしか表現できないんですよ。差別的な発言をする人は、心のうちで差別をしている人なんです。無意識に差別的な発言をしてしまう人は、無意識に差別をしている人です。

 だから、無意識に差別発言をする人のコメントって、たいがい黒いんですよ。心の中の汚いモノを隠せない人だから、言葉の端々が汚くて黒いんです。

 たいていの人は、汚いものはキライなんです、もちろ私もキライです。だから、ヤだなって思います。

 きっと、そういう人って、リアルな世界でも、失言が多いんだろうなあって、余計な心配をします。私なんかも、結構、心の中はどす黒いのですが、そういうどす黒い気持ちは、自宅の居間に置きっぱなしにしているので、仕事中とか、ネットでは、基本的に穏やかでしょ(爆)。まあ、たまに黒い感情を置き忘れてしまう事もありますが…そういう時は、薄目で見ないフリして勘弁してやってください(笑)。

 と言うわけで、続きはまた明日。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月 2日 (土)

最近の金魚は節食中?

 なんかね、金魚は強制ダイエットをさせられているみたいなんですよ。

 まあ、金魚がみんな、大きくなりすぎた…というのもあるし、エサの食べ過ぎは良くないから…って事もあるし、単純にエサやり係の妻がエサを上げないから(金魚水槽の近くに行くのが大変だからって理由)って事もあって、金魚さんたちは、現在、強制ダイエットをさせられています。

 まあ、私が気がつけば、エサをあげているけれど、私はそんなに金魚水槽の前にいるわけじゃないからね。

 なので、金魚たちのエサの回数は、実に激変しております。

 そのせいか、金魚たち、私の顔を見ると、もう必死です。以前から、エサねだり行動は激しかったですが、最近は、必死さすら感じます。金魚には空腹感ってのは無いそうですが、それでも何かを感じるのでしょうか? 鬼気せまるものがあります。

 そして、エサをあげた途端、手のひらを返したように、人間への興味を失う金魚たち。その素晴らしく現金な態度は、ある意味、純真さを感じますね。うむ、すがすがしい(笑)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2013年11月 1日 (金)

フルートを学び続ける楽しみ

 今週もリアルな生活が忙しくって、レッスンに行けませんでした。最近はレッスンを休む事が多くなったし、行けても遅刻ばかりで、本当に先生に申し訳ないし、なんか自分自身、不甲斐なく感じております。こういう中途半端な感じって嫌いなんだよね。やるなら、きちんとやる。きちんと出来ないなら、すっぱり辞める…って価値観の人なんですよ、私は。だから、こういう状況って、とても居心地悪くてたまりません。

 だからと言って、趣味生活と生業を秤にかけるまでもなく、大切なのは生業であって、優先すべきなのは生業なので、生業が忙しくなれば、当然、趣味生活なんてシワ寄せしか来ないわけです。

 以前、遅刻が続いてばかりで申し訳ないですねえ~なんて、H先生に話した時に、こんな話をしてくれました。

 その話の主人公の方(仮にAさんとお呼びします)は、五十代に入ってからフルートを始めたのだそうです。もちろん、ズブの素人さんから始めた(H先生は、他の先生に習っていて悪い癖のついた人は生徒にしない人なので、先生の生徒さんは、小さな子どもの時から習っている人と、ズブの素人さんから始めた人の二通りの人ばかりいます…ので、私のような人は珍しいんですね)ので、最初はかなり下手だったそうです。かと言って、まだ五十代でしたから、お仕事の方も忙しくて、なかなか練習も出来ず、上達速度もかなりゆっくりしたものだったそうです。

 ですから、その人は何かあるたびに「現役を引退して、時間がたっぷり使えるようになったら、フルートを真剣にやりますから、それまで待っていてください」って、よく言っていたそうなんです。

 月日も流れ、やがてAさんが定年を迎える年となりました。そこでおとなしく現役引退をするかと思いきや、Aさん、実は大企業のエラいさんだったので、本社を定年した後は、子会社の社長さんのイスが待っていたのだそうです。色々あって断る事ができず、定年を越えたにも関わらず、現役続行となり、フルートは後回しにされたのだそうです。

 やがて、その子会社でも定年となり、やれやれと思ったところ、今度は複数の関連会社の方から、顧問やら相談役やらの役職要請があったそうです。いずれも名誉職とは言え、それなりに出勤はしないといけませんし、出勤したらしたで仕事はあるし、それが複数となると、全然のんびりなんてしていないわけです。

 現在では80歳を越えてしまったそうですが、まだまだ現役で頑張っているそうです。そして、フルートも辞めることなく、だからと言って、きちんと練習してくるでもなく、細々と続いているのだそうです。

 「趣味なんだから、上達することだけが目的じゃないんだよ」とH先生はおっしゃいました。なんか分かるような気がします。

 Aさんのリアルライフは本当にお忙しい生活だったのだと思います。おそらくは、私などと比べ物にならないくらいのハードワーカーだったのだろうと思います。

 それが五十を過ぎて、フルートと出会い、少しずつでもフルートに親しみ、すでに30年近いフルートのキャリアを積み上げてきたわけで、そこには「フルートを上達したい」という目的はもちろんあっただろうけれど、それだけが目的だったならば、とっくの昔に挫折しているはずなのに、今でも細々と続いているわけだから、上達以外の目的と言うか楽しみがそこにあったのだろうと思われます。

 私が思うに、Aさんの30年のフルートライフにあったもの、それは“なぐさめ”だったのではないかと思います。毎日の忙しいビジネスライフに対する“なぐさめ”であり、日々老いていく自分に対する“なぐさめ”であり、つらい浮世を忘れさせてくれる“なぐさめ”だったんじゃないでしょうか? よく「アマチュアにとって、練習も楽しみの一つ」と言う言い方がありますが、Aさんにとっては、練習こそが楽しみであったのではないでしょうか? だから、上達速度は遅々たるものであり、練習だって十分にはできなかったろうけれど、フルートを吹き続ける事ができ、振り返れば30年近いキャリアを積み上げていた…って事なんだろうと思います。

 ならば、私などは、フルートを始めて、まだ5年かそこらです。Aさんと比べれば、まだまだって奴です。私も生業が忙しくても、ちっとも上達しなくても、フルートをあきらめる必要なんて、ちっとも無いわけです。

 仕事が忙しくて、レッスン休みがちだけれど、行っても遅刻ばかりしているけれど、そんな事に負い目を感じちゃいけませんよ…とH先生は私に言ってくださているのだと思います。ならば、そんな先生の心意気に応えて、頑張ってフルートを学び続けていきたいって思いました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

フォト

↓参加しています

アマゾンでどうぞ

アマゾンで検索

トラックバックについて

  • 2011年12月1日以降の記事において、トラックバックの受付を止める事にしました。それ以前の記事に関しましては、トラックバックの受付自体は継続いたしますが、承認公開制にさせていただく事にしました。また今までトップページに表示していました「最近のトラックバック」という項目の表示も止めました。よろしくお願いいたします。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

このブログは2007年8月14日から始めました

  • Copyright(C) 2007-2017 すとん