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  •  もうすぐ選挙ですね。選挙は、それぞれがご自分の思想信条に従って投票すれば良いことですが、その際に、枝葉の小さな問題に捕らわれて、大切な事を見失わないようにしないといけません。選挙は人気投票でもなければ、誰かを懲らしめるための手段でもありません。我々の子どもたちに、日本という国を安心安全に譲り渡すために、今何をしなければいけないのか、そしてそれを目指しているのは誰なのか、そこらへんを見極めていくことが大切なのです。問題は今ではなく、未来なのです。
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2013年7月の記事

2013年7月31日 (水)

夏なので、弱ってます[2013年7月の落ち穂拾い]

 皆さん、お元気ですか? 夏ですね。夏は人も金魚も弱る季節です。本当に、暴力的な季節だと思います。だからこそ“夏休み”ってのがあるわけですが、なかなか夏休みが取れませんね。

 疲れ切って、ヘロヘロの上に、ひとことのコーナーに書きましたが、急性のシックハウス症候群にもかかっています(涙)。ああ、つらい……シンナーなめちゃいけんぜい!

 とにかく、なんとか頑張って、夏休みをサッサと確保しないと、マジ、まずいかもです
 
 
趣味の音楽団体って、どうしてドロドロしちゃうんでしょうね

 人間関係のトラブルって奴は、市民合唱団とか吹奏楽団ではよく見る風景です。どうせ対立するなら、音楽的な問題とか、活動方針でので対立とかなら、まだカッコいい(?)のですが、たいていの場合、もっとドロっとした事が原因です。

 「お前、気に入らねえー。あっち行ってくれねーかなー」とか
 「お前、生意気だー。何もしゃべんなよ」とか
 「お前、ウザい。黙って私の言う事に従ってりゃあ~いいんだあ~」とか
 「お前、臭い。ああ、臭い臭い臭い…」とかね。

 で、そう言われたり、態度で示されたりした方が「じゃ、出てってやらー」ってんで、後ろ足で砂をかけていくような事をしていったりとか…そんなんばっかり。

 ああ、ドロドロしてる。ほんと、趣味の合唱団って、音楽や歌でモメル事はほとんどなくて、大半がこの手のドロドロ系の事でトラぶります。

 で、そういう事が起こると、たいてい周囲の人たちは、みな、見て見ぬふりでしょ。メンバーだけでなく、指導者だって見て見ぬふりだものね。誰もがみんな、自分がかわいいんです。それが人間のサガなので仕方ありません。

 優等生的発言をすれば、リーダー的な地位にいる人が、トラブっている二人を仲介するべきだろうけれど、案外、そのリーダーが先頭に立って追い出し作業をしていたりするのが現実だったりします。ああ、始末におえねー。

 一種の自浄作用? まあ、団体である以上、意志的疎通ができない者を団体から排除するのは当たり前だけれど、その理由があまりに小さい事に、私はため息が出ちゃいます。

 しょせん、人間って、矮小な存在なんだよなあ。
 
 
後進を育成…ってほんと?

 私はアマチュアの発表会を見に行くのが大好きです。ある意味、プロの演奏会よりも勉強になりますからね。

 で、アマチュアの発表会に行って、プログラムをいただくわけですが、よく、そのお教室の主催者(指導者)の略歴っぽいモノが掲載されていたりするわけです。で、ふむふむと思いながら、それらを読むわけですが、時々「???」と思うことがあります。

 まあ、音楽家の略歴ですから、どこの学校を卒業したとか、どこの国に留学したとか、どんな賞をいただいたかとか、どんな人と共演した事があるとか、持ち役は何かとか…まあ、そんな事が書いてあるわけですが、中には『後進の育成に励む』とか書いてあったりするんですよ。

 …後進?

 後進って…平たく言えば後輩とか教え子とかの事でしょ? もっと狭く言うと、跡取りの事を指すのかもしれません。つまり『後進の育成に励む』ってのは『後輩や教え子の成長の手助けを熱心に行なう』とか『自分の跡取りを熱心に育てる』程度の意味なんですが、となると、プロの音楽家にとっての“後進”ってのは、やっぱり“プロの音楽家のタマゴたち”の事ですよね。

 まあ、音大受験生…とまで限定はしませんが、少なくとも子ども~青年ぐらいまでの年齢の人を育てていないと、なかなか言えない言葉だと思います。

 つまり、私が見に行く…つまり私のような趣味のオッサン(ジャンル的には“音楽愛好家”って奴です)たちの発表会を主催する、オトナの生徒を専門に教えている先生が使うべき言葉じゃないよね。せめて書くなら「音楽愛好家の方々への個人レッスンなども行なっています」でいいんじゃないの? 生涯教育に携わるのも立派な仕事でしょ?

 言葉は正しく使いましょう…って事です。
 
 
 
今月のお気に入り 『やすらぎのイタリアンソングス 君と旅立とう』

 最近、お気に入りの楽譜がこれです。実に選曲が良いのです。Y先生がおっしゃるには「テノールの人が営業の時に、必ず持ってくる楽譜」なんだそうです。確かにテノールやソプラノなどの高音歌手には魅力的な楽譜集だと思います。

 収録曲をここに転載しておきます。

アヴェ・マリア[カッチーニ作曲]
アマリリ麗し[カッチーニ作曲]
われを見捨てよ[モンテヴェルディ作曲]
ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)[ヘンデル作曲]
私を泣かせて下さい[ヘンデル作曲]
カロ・ミオ・ベン[ジョルダーニ作曲]
銀色に染める優雅な月よ[ベッリーニ作曲]
サンタ・ルチア[コットラウ作曲]
光さす窓辺[作曲者不明]
理想[トスティ作曲]
妖精の瞳[デンツァ作曲]
アヴェ・マリア~オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲から[マスカーニ作曲]
オー・ソレ・ミオ(私の太陽)[ディ・カプア作曲]
禁じられた音楽[ガスタルドン作曲]
彼女に告げて[ファルヴォ作曲]
カタリカタリ(薄情)[カルディッロ作曲]
帰れソレントへ[デ・クルティス作曲]
君を求めて(泣かないお前)[デ・クルティス作曲]
忘れな草[デ・クルティス作曲]
遥かなるサンタルチア[マリオ作曲]
私の愛する人[ドナウディ作曲]
麗しい絵姿[ドナウディ作曲]
君と旅立とう[サルトリ作曲]

 ねえ、本当にいいでしょ? ちなみに、秋のクラシックコンサートで私が歌う『忘れな草』はこの楽譜集のバージョンです。

 
今月の金魚

2013年 7月20日(土)  ハナジロ、星になる
            ホノカが我が家にやってくる
2013年 7月28日(日) シッポナ、星になる

 ホノカとシッポナの事は、また改めて。
 
 
今月のひとこと

 最近は、イタリアの歌と言っても、オペラアリアではなく、イタリア歌曲が気になります。トスティ、ベッリーニ、ドナウディ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニ…。もちろん、古典歌曲も気になりますし、イタリア民謡やカンツォーネと呼ばれる曲の中にも、テノール魂をくすぐる曲があります。ああ、歌いたい曲がたくさんあるけれど、私には時間とテクニックが無くて、歌えないのが、悲しくて寂しいです。(2013年6月29日~7月5日)

 本日だけで、カメ3匹脱走。全部、見つけたけれど、逃げるカメって、意外に足が速いのに、ビックリ。(2013年7月5~6日)

 なんでも、関東地方は梅雨が明けちゃったそうなんです。例年よりも2週間早く、昨年よりも3週間早い梅雨明けだって。ううむ、って事は、今年は空梅雨だったわけ? おぉ、水不足が懸念されるぞぉ~…って、湘南地方は水不足にならない地域だった(てへっ)。(2013年7月6~9日)

 尖閣諸島に関して「領土問題の存在は認めないが、外交問題として扱い、中国が領有権を主張することは妨げない」と日本政府が中国に申し入れたそうな。どうせ官僚の作文だろうけれど、本当に官僚ってのは度し難い人間だな。責任ある立場なのに、平気で国益を損なう行いができると言うのは信じられません。これってつまり、中国が堂々と国際社会で「尖閣は中国領土であって、日本がわが国を侵略して平然としているのだ!」と言ってもいいよって、わざわざ許可したわけでしょ? そして、中国がそう主張する事を妨げないって、お墨付きを与えたわけだ。これで「日本は中国領土である尖閣諸島を侵略し、不当に占拠している野蛮な国である」と国際的に言いふらされるわけだ。で、次は、いよいよ中国人民解放軍が尖閣諸島に上陸するってわけだね。一歩一歩、中国に詰め寄られているわけだな。河野談話並の失策だよ、これ。ちなみに、ソースは共同通信社が配信した神奈川新聞のニュースだよ。(2013年7月9~11日)

 前回の「ひと言」で触れた神奈川新聞の記事、元々は共同通信社が配信したニュースなんだけれど、どうやらこのニュース、事実とは違っていたようです。ついつい前回は官僚さんのせいにしちゃった私ですが、それは違っていたようです。官僚さん、ごめんなさい。しかし、事実とは異なることを、あたかも事実であるかのように書いて報道して、ごめんなさいのひと言も無い共同通信社って、日本を売っている会社だったようです。この共同通信社って、地方新聞にニュースを配信している、いわばニュースの問屋さんみたいな会社なんだけれど、その問屋さんから卸している商品が国益を損なうものならば、それを並べている地方新聞も、我が国の国益を損なう存在ってわけで…どうやら新聞ってモノそのものが、国益を損なうモノって事になりかねませんな。ちなみに、この記事を書いたのは、共同通信社の太田昌克氏と柿崎明二氏の両名だそうな。度し難いのは新聞記者って奴なんだな。(2013年7月11~15日)

 世間では三連休でした。私は休日出勤がありましたが、それでも連休気分になれました。海水浴にも行ったし(笑)。あと、『化物語』のアニメを本編&コメンタリーと全て見れた事が休日っぽい時間の使い方かな? それと、井村屋のあずきバーにはまって、なんだかんだ言って、この三日間で10本近く食べちゃいました。これも休日っぽい時間の使い方かな。(2013年7月15~20日)

 学生さんは夏休みってモンに突入したようです。ああ、うらやましい。私にも、そういう時期があったんだなあー。今じゃあ、夏休みも冬休みもなく、土曜も日曜も平日も休日もなく、仕事があれば出勤して仕事しています。仕事がなければ…やっぱり出勤して仕事してます。休みは、仲間と相談して決めますので、全く休めないわけじゃないのですが、電話一本で呼ばれるので、休みって感じはしません。仕事人間なら、歓喜雀躍するほどの毎日でしょうが、基本的に遊び人な私なので…ふう~、ストレスで死んでやる~!(2013年7月20~27日)

 なんか、網膜(?)が日焼けしたみたいで、目の中がかゆい。(2013年8月27~30日)


 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2013年7月30日 (火)

フルートデュオの曲を決めました

 今年も吹奏楽コンクールが(地区予選だけれど)終わり、色々と一区切りついたので、いよいよ、我々フルートデュオの、秋のデビューに向けての準備をし始める事にしました。

 まずは選曲ですね。何をやるかを決めなきゃ練習も出来ません。と言うわけで、私の手元にある唯一のデュオ譜である、アルソ出版の『やさしいフルートデュエット Vol.1 スタンダード82曲』の中から適当な曲を選ぶ事にしました。

 基本的に選曲は、お互いの話し合いで決めるわけですが、まあ色々とあって、私一曲、後輩君一曲選んでみて、それでひとまずは練習してみる事にしました。で、合わせてみて、二曲行けるようなら二曲行き、難しそうなら一曲にして頑張ってみるという方向にしてみました。

 なにしろ、後輩君は、フルート始めて、まだ三カ月ですからね。どれだけ出来るか分かりませんし、無理はさせられません(本人はやる気満々なんですが)。

 で、とりあえず決めた曲は、36番の「ロンドンデリーの歌」と66番の「メリー・ウィドウ・ワルツ」。「ロンドンデリー」は私の選曲で「メリー・ウィドウ・ワルツ」が彼の選曲です。

 私の方は、難易度的にも何とかなりそうで、音の隙間が少なくて、場合によってはアドリブもかませるかも…という視点で選曲してみました。最悪、私がメロディを吹いて、後輩君にはベース音だけを吹いてもらう…なんて事だって、この曲なら出来るでしょ?

 一方、後輩君が選曲した「メリー・ウィドウ・ワルツ」は一見簡単そうだけれど、実はどうなんだろ?って、私自身は思ってます。意外と難物なんじゃないかな…ってね。ただ、後輩君は「メリー・ウィドウなら、吹奏楽で“セレクション”を練習したので、何とかなると思います」と言ってたけれど、本当に何とかなりますか?

 まあ、とにかく、まずはお互いに譜読みをして練習しておく事になりました。後輩君は、来月早々にある吹奏楽部の合宿の時に、ガッツリ練習してくるそうです。私は…練習している時間、あるかな(汗)。

 まずはさておき、我々のフルートデュオも、また一歩前進です。一歩一歩前に進んで行きますよ。そして、九月の余興でデビューだ! それがうまくいったら、何とかこのフルートデュオを恒久的なグループにするんだ(これが私の野望です)。

 …でもできるかな? 選曲、難しくないかな? 不安、不安。何より、私がちゃんと吹けるのか? ああ、不安。

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2013年7月29日 (月)

Y先生のコンサートに行きました

 いやあ、久し振り。まだ先生に師事していなかった頃。まだ先生が活動の拠点を東京に移す前の頃。Y先生は、わが地元で地道に歌手活動をしてらっしゃいました。コンサートを開いたり、オペラ公演をプロデュースしたり…、私は地元の音楽ファンとして、それらの活動を見に行ったものです。

 そして、時が過ぎ、Y先生は活動の拠点を東京に移し、それっきり、なかなかY先生の歌を聞くチャンスが無くなりました。

 しかし、ふとした縁で、Y先生と師弟の関係になりました。元々ファンですし、今や生徒となったわけですし、当然、先生のコンサートって奴を、可能な限り、コンプリートしなけりゃなりませぬ。少なくとも、前の師匠であるキング先生の時は、ほんと、可能な限り、リサイタルやコンサートに出向いたものです。まあ、一種の“動員”ってやつです(笑)が、それが“仁義”だと思ってましたし、先生のコンサートのチケットを購入するのも、謝礼の一部と考えていました(でしょ?)。

 ですから、Y先生に師事するようになって「先生のコンサートとかあったら、教えてください。ぜひ見に行きたいのです」とお願いしました。Y先生のコンサートは、師弟の関係だから“お義理”で見に行くと言うよりも、元々師弟になる前からのファンですから、結構マジな気持ちでお願いしたのですが、そのたびに「いいですよ、無理しなくても…」とおっしゃって、決して教えてくれなかったです。「チケットは、ちゃんと売れているから、気にしないで」と言うのが、先生の常でした。

 「いやいやいや、気を使って言ってるわけじゃなく(いや、多少は気を使ってますが…)、私、あなたのファンですから…」と言っても、普段はなかなか取り合っていただけませんでした。

 それがある日、ふと「今回のコンサートは、チケットが売れてなくて困っているんだよ…」とポツリと言うじゃないですか!

 ビッグチャンス! 普段は「コンサートに行きたいです」「大丈夫です、無理しないでください」という会話だったのに、今回は遠回しにコンサートに来てもいいですよっておっしゃるわけで…。場所も横浜だし、その日は休みも取れるし…さっそくチケットを買わせていただきました(実際は「買いたいです」「無理しないでください」で一悶着あったわけですが…)。

 で、念願かなって、Y先生のコンサートに、行ったわけです。いや~、先生が活動拠点を移して以来、始めてのコンサートで、ほんと、久し振りでした。

 先生が「チケットが売れていない…」と言うから、ガラガラじゃないかと思っていたら、ウソウソ。400名弱入るホールに七割方のお客さんですよ、それも真夏の平日の昼間ですよ。全然チケットが売れなくても不思議ないのに…なんですか、この集客力! ちなみに、会場の七割方のお客さんってのは「ほぼ満席。良く見ると、チラホラと空席があるかな?」ってレベルです。いやあ、地元で活動していた頃とは雲泥の差じゃないですか? 音楽事務所に所属して、地道に活動していると、ファンも増えるものなんですね。

 まあ、やせても枯れても、プロの歌手ですからね、そのくらいの集客力がないと、演奏でメシは食えないわけで…当然と言えば当然な話です。趣味で歌っているわけじゃないのですから、七割程度の入場客では「チケットが売れなくて…」とも言いたくなるんでしょうね。コンサートも立派な仕事ですからね。

 でも、こうして、客の入りが悪くても(と言っても300名前後は入っているんだけれど)地道にキャリアを積んで、ファンを増やして、そして立派な歌手になっていくんでしょうね(って、上から目線でごめんなさい)。私は生徒だけれど、一人のオッチャンとして、応援したくなります…ってか、私は先生の以前からのファンだった(笑)。

 で、コンサートの演目は…日本歌曲(うわ、地味!)。今回のコンサートは、お一人ではなく、奥様先生(ソプラノ)との共同コンサートって奴で、Y先生ご自身のコンサートは何度か行きましたが、奥様先生の歌声を聞くのは初めてなので、それも楽しみでした。

 最初、日本歌曲のコンサートと聞いて、ちょっぴり引いた事は白状します。だって、私、日本歌曲、好きじゃないもの。だってね、日本歌曲って、どれもこれも根暗で、ウツウツとしていて、陰にこもるじゃない? そういうのって、苦手なんだよね、私。

 …と思って、覚悟を決めて言ったのですが、結構コンサートは楽しめました。たぶん、選曲がよかったんですね。もちろん、根暗でウツウツとした曲もありましたが、コミカルな曲もたくさんあって(主にY先生担当)、声をひけらかすタイプの曲もあって(主に奥様先生担当)、日本歌曲も捨てたものじゃないなと、認識を改めた私でございました。

 それにしても、初めて聞いた奥様先生は…パねえなあ。うん、実にパねえ歌声でした。あれほどパワフルなソプラノ歌手って…プロでも滅多にいないよ。あれは、ホンモノ中のホンモノって感じです。ホールがとても小さく感じました。

 無論、我がY先生も、頑張ってました。以前よりも、さらに歌に味わいを感じました。バリトンってのは、高い方でも低い方でも勝負をしない声種なんですが、じゃあどこで勝負をするのかと言うと、中音域なんですね。一番、歌でよく使う音域、その中音域をうっとりする美しい音色で歌うのがバリトンの真骨頂なわけで、以前よりも、さらに深みのある歌声になってらっしゃいました。いやあ、ちゃんと進化進歩してらっしゃいます。

 今回、Y先生が歌われた曲の中でも「落葉松」「つくだ煮の小魚」「木菟」「歌」は特によかったです。私も歌いたいかも。

 次はY先生のドイツ歌曲のコンサートに行きたいかも。あの声だもの、ドイツ歌曲はきっといいでしょうね。

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2013年7月28日 (日)

21世紀の夏は、20世紀の夏よりも暑い![2013年7月第4週・通算23週]

体重:106.4kg[-0.2kg:-5.8kg]
体脂肪率:29.6%[-0.1%:-1.4%]
BMI:33.6[+-0.0:-1.8]
体脂肪質量:31.5kg[-0.2kg:-3.3kg]
腹囲:103.0cm[+-0.0cm:-6.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 21世紀の夏は、20世紀の夏よりも暑い!…と思いませんか? オッチャンオバチャンの皆さま! 私は、ここ数年来の夏は、絶対に、自分が子どもの頃の夏よりも、暑くて熱くてアツいと思ってます。

 年を取って、堪え性がなくなり、ワガママになっただけ…かもしれないと、数年前までは思ってましたが、色々と考えてみるに、それは大きな勘違いじゃないかと思うようになりました。

 おそらく、21世紀の夏が暑くなったのは、都市部だけの現象じゃないかな?

 と言うのも、野暮用で昔ながらの集落(本当に、昔ながらの集落)に行った時に感じた暑さ。あの暑さは確かに暑かったけれど、暑い暑いと言っても、質的には“昔の夏”の暑さであって、昨今のキチガイじみた暑さとは違うと思いました。

 たしかに、地方に行ったって、日本の夏ですから、暑いですよ。温度を計れば、それなに暑いはずですよ。

 でもね。人口密度の低い、昔ながらの田園風景が残っている地方の集落は、夏が暑いと言っても、都市部ほど過ごしづらいわけじゃないのです。たとえ、気温が同じでも、都市と地方では、その体感的な暑さが違うような気がします。地方では、いくら暑いと言っても、どこかスキのある暑さなんですよ。あるいは、手加減されている暑さ? 例えば、田んぼを渡る風の涼しさとか、木陰に入った時のやさしさとか、心いやされる小川のせせらぎとか…。暑い暑いと言っても、どこかに小休止できようなラッキーポイントが用意されているような暑さを感じるんですよ。

 一方、都市部の夏で、ガチなんですね。マジなんですね。手加減一切無しで、ほんと、パねえんですよ。とにかく、都市部の暑さは狂っているとしか言えません。

 では、なぜ都市部はそんな狂おしいほどに暑いのか? それはおそらく“暑さが濃い”せいだと思います。手加減が一切ないので、同じ気温でも、人のカラダにしみ入る強さが都市部と地方では違うと思います。都市部の暑さは濃いのです。

 その理由ですが、おそらくは、ヒトとエンジンとアスファルトとクーラーのせいだろうと思います。

 ヒトって、40度近い熱を常に放出している発熱体です。40度と言うと、そんなに暑くないような気がしますが、そんなわけはなくて、たいていの気温よりも熱い温度です。確かに、ある一定の広さの空間に、ヒトが一人や二人いても、大した問題じゃないかもしれませんが、それが100人、1000人、1万人となってくると、話は別です。ほんの少しの発熱でも、その熱を発する熱源が増えれば、そりゃあもう、大変な事になります。温度的に上昇はあまりしないかもしれませんが、その分、暑さが濃くなっていくわけです。

 エンジンと言うのは、まあ、車を想定しているわけですが、車って、エンジンの中でガソリンを気化して爆発させて走っているわけですよね。で、爆発の余熱を周囲にふりまきながら走っているわけで、そんな熱源がたくさん町中を走っていたら…そりゃあ熱いですよ。

 太陽がギンギラ照りつけるのが夏です。この太陽は、都市も地方も平等ですが、都市には地方にはない、アスファルトって奴があります。このアスファルトって奴が、普通の土の地面と比べて、熱をたっぷり蓄えるンですよね。蓄えた上に放出してくれるんですよね。だから、都市の夏は、太陽が上からギラギラと輝き、アスファルトが下からムンムン熱してくれるわけです。それも常時。昼となく夜となく…ね。そりゃあ、熱いよ。両面こんがりだよ。

 それだけ暑いせいで、都市部はどこの家でも建物でも、クーラーは必需品です。クーラー、いいですよね。こいつのおかげで、室内は涼しくなります。でも、クーラーって、魔法の力で室内を涼しくしているのではなく、科学の力で熱交換をしているだけ…室内の熱を室外に吐き出して、その吐き出した熱の分だけ室内を涼しくしているだけの話です。なので、室内が涼しくなった分だけ、室外が暑くなっているわけです。つまり、あのクーラの室外機ってのは、実はストーブのようなモノなんですよ。

 そんなクーラーも1台や2台なら問題になりませんが、これが1万台、2万台…と増えてきた日には、クーラーだって、無視できないほどの熱源になるわけです。

 つまり、地方の夏は、空から照りつける太陽ぐらいしか熱源はありませんが、都市部では、太陽の他にも、ヒト、エンジン、アスファルト、クーラーと四種類もの熱源が、大量に存在しているのです。

 さらに都市部というのは、建物が林立しているわけです。大小様々なビルがあるし、住宅だって、二階建てが普通でしょ? 人の身長よりもずっと大きな建物の谷間に我々は暮らしているわけです。谷間…そう、人工的な谷間に我々は住んでいるんですよ。

 例えばビル街。ビルが林立する空間って、ビルの上の方は良いけれど、ビルの下の方って、いわば、人工的な谷間になるでしょ。谷間って、うまい具合に出来ていると、ビル風って奴がビュービュー吹き込んできて、それはそれで涼しくなるかもしれませんが、実際のビル街では、そんなにビュービュービル風が吹くわけでもなく、涼しげな風は我々の頭上を素通りし、ビルとビルの間はむしろ、ドンヨリドヨドヨと空気がよどむものです。空気がよどめば、熱もよどむわけで、そりゃあ熱いですよ。

 さらに、ヒトが活動すれば、様々な熱を発するわけです。発電所(日本の発電所の大半は火力発電です)で電気を作れば熱を放出し、工場を稼働させれば熱を放出し、パソコンを起動させればムンムン熱を放出するわけです。

 こういう暑さが、21世紀の都市部の夏なんです。気温的には地方とあまり変わらない数値であっても、その暑さの濃さが決定的に違うんです。

 ああ、20世紀の夏が恋しい。20世紀には日射病はあったけれど、熱中症なんて無かったもんなあ…。あの頃が懐かしいです。暑い暑いと言っても、ウチワと扇風機で過ごせた…と言うか、ウチワと扇風機で乗り切れた夏が懐かしいです。今の時代、下手すると、都会の真ん中でウチワと扇風機だけだと、死んじゃうかもしれないからね。

 熱中症…まさに、21世紀が生んだ、文明病だと思いますよ。

 とにかく、21世紀の都市部の夏をなめちゃいけませんぜ。

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2013年7月27日 (土)

ハナジロが星になりました

 ハナジロが星になってしまいました。2013年7月20日の昼過ぎの話です。

 ハナジロが転覆したのは、4月の下旬の話です。そこから、まもなく、マツカサ病を併発し、吐血もしました。最悪の状況になったわけです。

 しかし、治療のかいもあったのでしょう、吐血はその一回でお終いとなりましたし、マツカサ病もやがて治まりました。6月の上旬には、黒斑病になりましたが、これは病気が回復している兆候という事で、実際、二週間ほどで、その黒斑病もおさまり、実にキレイな魚体になったハナジロでした。

 しかし、転覆病だけは良くなりませんでした。逆に言うと、色々と調子の悪かったハナジロでしたが、転覆病以外の病気は良くなったわけです。ケロイド体質で、いつもカラダのどこかに大きな傷跡があったハナジロでしたが、それらの傷跡すら、入院中に治ってしまいました。

 あとは転覆病さえ治れば、万々歳というところまで来たのですが…、

 結局、転覆病以外の余病はすべて克服したハナジロでしたが、転覆病だけは克服できなかったわけです。転覆病を発病して、わずか三カ月で星になってしまいました。

 転覆病はなかなか治らない病気ではありますが、だから言って、簡単に金魚の命を奪うほどの大病でもありませんが…やはり、この暑い夏がハナジロにはこたえたのでしょうね。転覆病+夏の暑さがハナジロの命を奪ったのだと思います。

 バイバイ、ハナジロちゃん。それにしても、三カ月も闘病していたとは思えないほど、美しいカラダでした。

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2013年7月26日 (金)

フルートで演奏された声楽曲を聞くと、物足りなく感じる理由について考えてみた

 フルートで声楽曲を…と言うか、フルート用にアレンジされた声楽曲を聞くと、よほど上手にアレンジされたモノでない限り、何となく物足りなさを感じる事って、ありませんか? これって、私だけの感覚でしょうか?

 もちろん、例外もあります。たとえば、パトリック・ガロワが『タイスの瞑想曲』というアルバムで演奏している、オペラアリアの数々とかね。ここに収録されている曲のすべては、元々声楽曲ですが、フルートの名手が演奏するという前提でアレンジされた曲ばかりが収録されているので、実にフルート曲として、聞き応えがあります(実に残念な事に、ガロワのこのアルバムは、現在、国内盤・輸入盤ともに廃盤のようです:涙)。

 こういう演奏なら、私も大好きなんですが、でも、実際に私がたくさん耳にする、普通に楽器店で販売されている、アマチュア向けとおぼしきアレンジ楽譜を使用して、声楽曲を演奏されると、ほんと~~~に、物足りなさを感じる私です

 理由は、もちろん、無意識に元の声楽曲と比較してしまうからなんです。で、歌手の歌とフルートの演奏を比較して「フルートって、何か物足りない…」って思ってしまうのですよ。

 物足りなさの原因は…おそらく歌詞の有無でしょうね。歌詞…と言っても、いわゆる“意味を紡いでいる言葉”の有無ではなく(これを言いだしたら、さすがに、歌手はチートすぎるでしょう:笑)、言語の持つ音色の多様さがフルートには欠けているので、物足りなさを感じるようなのです。

 具体例をあげて説明します。例えば、ドレミ出版から出ている『フルート名曲31選』に掲載されている、25番の『ラルゴ』という曲。この曲の原曲と言うか、声楽版は『オンブラ・マイ・フ』という曲です。

 ちなみに、話は少しズレますが、フルートの譜面に限らず、楽器の譜面って、同じ曲でも奏者の腕前に応じて、演奏の難易度を変えた譜面が幾種類も出されているでしょ? 出版社が違ったり、同じ出版社でも編者が違うと、アレンジが微妙に違っていて、演奏難易度が違ってくるのが普通です。まあ、簡易版の譜面が存在すると言うのは、演奏者にとって、選択の幅が広がると言うわけで、それはそれで良いことだと思います。

 しかし、声楽の譜面って、持ち声に応じて、楽譜によって調性の高い低い(中声用とか高声用とか)はあるけれど、原則的に、アマチュアもプロも同じ譜面を使います。

 閑話休題。『ラルゴ』の話に戻ります。

 フルート版では、フルートは、曲の冒頭部で“ド~ラソファファ~”と吹きます。実はこのメロディ、声楽曲と同じです。まあ、このフレーズの直後“ファミレドド~”と、伴奏のメロディも吹くのが、フルート版の特徴でしょうが、違うのは、ここと、二番に入ったら、フルートは1オクターブ上の音域でメロディを演奏すること、この事くらいです。

 なので、フルート版も声楽版も、ほぼ同じメロディを同じように演奏していると言えます。実は、フルートで声楽曲を演奏して、物足りなさを感じるのは、ほぼ同じメロディを、ほぼ同じように演奏してしまう事なんだと思います。

 と言うのは、同じメロディを同じように演奏したら、フルートは、声楽の音色の多様さには、到底及ばないからです。

 冒頭の“ド~ラソファファ~”というフレーズ。声楽版では“Ombra mai fu”という歌詞が乗ります。つまり出だしの“ド~”の部分には“Om”が、“ラ”に“bra”が、“ソ”に“ma-”が、最初の“ファ”に“-ai”が、次の“ファ”には“fu”が乗ります。

 フルートでは冒頭の“ド~ラソファファ~”というフレーズ、音程の違いはあれど、ほぼ同じ音色で吹くことになります。

 一方、声楽版は、このフレーズに対して“オ~アアイウ~”という母音を使います。声楽における母音の違いとは、音色の違いでもあります。つまり、フルート版はほぼ一色の音色で演奏しているのに、声楽版は、アとイとウとオの四色の音色で演奏するわけです。さらに、フルートはタンギングの有無で音の立ち上がりに色を添えていますが、声楽版は“m”“br”“f”と三種類の子音を使って、音の立ち上がりや終端に色を添えています。

 フルートと声楽では、同じフレーズを同じように演奏しても、声楽の方が音色的にカラフルなんですよ。

 つまり、同じ土俵で勝負をしたら、フルートは声楽には敵わない…と、私は思います。そこは、おそらくフルート版のアレンジャーさんも分かっているのだと思います。だから『フルート31選』の編者さんは、ちょっとだけですが、伴奏のメロディもフルートに吹かせたり、後半は1オクターブ上で演奏させてみたりと工夫しているわけですが、この楽譜が対象としている演奏者層は、アマチュアさんであって、ガロワのようなフルート名手を相手にしているわけではないので、そんなに難しいメロディには変更できないわけで、やむなく(?)声楽版とほぼ同じメロディを演奏する事にしているのでしょう。

 ですから、そういう譜面を用いた演奏で聞いてしまうと「フルートの演奏で声楽曲を聞く、何となく物足りないなあ…」って思うわけです。

 まあ、そこを逆手にとって、あたかも、カラー写真に対する墨絵のように“単色ゆえの美しさ”を表現していくというやり方もないわけではありませんが、それをアマチュア向けにアレンジされた譜面に求めるのは、酷というものかもしれません。

 …フルートで演奏された声楽曲を聞くと、物足りなく感じる理由…と言うのは、私がよく耳にする演奏が、アマチュア向けの楽譜を用いた演奏だからと言ってしまえば、身も蓋もないのですが、そういう事なんです。

 「アマチュアの演奏に何を求めているんだい?」と言われそうですね。

 アマチュアフルーティストさんが、皆、プロの方々が使用している演奏が難しい譜面で演奏できれば、物足りなさなんて、感じさせることはないのでしょうが、アマチュアさんの中には、私のような低レベルの演奏者もいるわけで、私のような演奏者が、プロの方々が使用している演奏が難しい譜面での演奏なんて、無理も無理だし、となると、やはりアマチュア向けの譜面で演奏するわけだし、そういう譜面で演奏すれば、もの足りなさを感じてしまうわけだし…。

 まあ、結局は、やっぱり「アマチュアの演奏に何を求めているんだい?」って事になってしまいます。そうは言ってもやっぱり、フルートで演奏された声楽曲を聞くと、どうしても物足りなく感じてしまう私なんですね。

 これもまた、一種の無い物ねだり…って奴でしょうか?

 声楽の世界では、プロもアマも同じ譜面で演奏するわけで、そこに演奏自体の上手い下手の違いはあっても、アマチュアだから簡易にアレンジされた楽譜で演奏する…って事はないのです。『オンブラ・マイ・フ』は誰が歌っても『オンブラ・マイ・フ』なんですよ。そういう世界にも足を突っ込んでいますから、なおさら、無い物ねだりをしてしまうんでしょうね。

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2013年7月25日 (木)

狙わなければ出ませんが、狙ったら出ません

 声楽のレッスンの続きです。

 さて、プッチーニ作曲「トスカ」より「E lucevan le stelle/星は光りぬ」です。この曲の(私にとっての)最大の難所は“E non ho amato”の“to”の部分、つまり高いAの箇所です。ここがどうにもうまく出来ません。

 先生がおっしゃるには「Aを狙って歌うから出ないんだよ」だそうです。狙わなければ出ませんが、狙ったら出ません、出る時はスルッと通り抜けるように出るんです…って、禅問答ですか! 

 大切な事は、開ける声で声をドンドン開けていき、そこに息を流し込んでいく事。最高音に達するまで決して声を被せない事。

 私の歌い方では、最高音に達するかなり前から、声が被り始めている事と、Aの直前で必ず息が切れて、息を出直してからAに挑んでいる事(それが“Aを狙っている”と言われる由縁です)。とにかく、声を被せない事。息を切らずに流し続けて歌う事。この二点が肝心なんです。

 特に息を切らない事は、とても重要なんだそうです。私の場合、息を切った瞬間に、ノド声スイッチが入るのだそうです。いや、ノド声スイッチが入るから息が切れるのかもしれません。まあ、ここは鶏とタマゴの関係なのかもしれませんが、とにかく息が切れてしまうのは、絶対に回避しないといけないようなのです。

 そして、さらに残念な事に、私はAの手前で腹筋が限界を迎えてしまっているようなのです。

 支えの力でAを出すためには、もう一歩腹筋が深く体内に入らないといけないのですが、私はAbで腹筋の限界を迎えてしまうのです。つまり、まだAを出すには腹筋が弱い、Aを出せるカラダになっていないと言うわけです。

 これは鍛えるしかないわけですが、今回のレッスンに限っては、ここまで散々歌ってきて、カラダが疲れているというのもあります。まあ、疲れなければ、Aを出せるほどに腹筋が体内に入り込む事が出来るのか…と言われると微妙ですが、疲れていないと多少違うでしょう。そういう意味でも、やはり“鍛え方が足りない”と言われても仕方がありません。残念無念です。

 で、腹筋が限界なら、それでお終いかと言うと、それは違います。腹筋が限界なら、その分、背筋を使えば、高音の限界を伸ばす事ができるのだそうです…そう言えば、最近は腹筋ばかりに注目していて背筋を使うのを忘れていました。腹筋が限界を迎えても、背筋のサポートがあれば、腹筋はより深く体内に入り込めます。…ちょっと光が見えてきたような気がします。

 背筋を使うのは、キング門下にいた時に、結構練習したので、できないわけじゃないです。ただ、腹筋と背筋の連動は…難しいですね。とにかく、声はお腹から出すのです。そのためにも、腹筋&背筋の強力な協力が必要です。

 そうそう、この“E non ho amato”の箇所。私があまり上手に出来ないものだから、先生「では、1オクターブ下げて練習してみましょう」と言って、本当に1オクターブ下で歌わされました。

 いきなり、1オクターブ下の音で歌うのはムズいですね。音取りもせずに、いきなり歌うのは、おっかなびっくりだし、何よりも音が低すぎます。確かに“to”は高いAだから、1オクターブ下がっても中音のAだから平気だけれど、歌いだしの“E”は、元々中音のAですから、1オクターブ下だと、五線下の低いAになってしまいます。私にとって、そりゃあ、かなり低い音ですよ。ほぼ、使用可能音域の外でございます。

 とにかく、おっかなびっくり歌っていたら、先生から「高い音で歌う時と同じように、一生懸命に歌いなさい」と注意されました。いやいやいやいや~、確かに高い音程を歌う時は、もっとエネルギッシュだし、腹筋も使うし、口腔内だって最大容量にしますが、低い音域の時にそれと同じ事をやってしまうと、音程がどっかに飛んで行ってしまいます(涙)。とにかく、低い音程で歌う事に慣れていない私ですから、音程をキープするために、オッカナビックリなわけですし、手加減しながら歌ってたら、怒られちゃったわけです。ううむ、難しいね。低い音は発声そのものは簡単でも、コントロールがほんと、難しいです。

 さて、最後はヴェルディ作曲「椿姫」より「Libiamo,  ne'lieti calici/友よ、さあ飲みあかそう(乾杯の歌)」です。

 ロングトーンで音が下がるのは、腹筋が疲れてきて、息が足りなくなるからです。同じ音の繰り返しなのに、徐々に音程が下がるのは、声のポジションが下がってしまうからです。腹筋にカツを! 声のポジションの下がりを防ぐには、常に開ける声でポジションを上に上にと上げていく必要があります。

 この日の最後に注意された事は、「星は光りぬ」でも「乾杯」でもそうなんだけれど、どうも私の歌は、インテンポっぽいと言うか、テンポの変化が少ないと言うか、どうにも前のめりになって歌っているそうなんです。常に、前へ前へ歌っているのですが、先生から「もう少し、歌に、タメがあってもいいんじゃないの?」と言われました。

 ブレスの時は、しっかり音楽を止めて、ブレスをする必要はあるし、その音楽を止める事も、音楽表現の一つだよ…だそうです。この音楽を止めると言うのは、ブレスの場合の、無音を伸ばすもありますが、最高音に達した時のフェルマーター、つまり声を出し続けて音楽を止める事もアリなんです。音楽の流れに緩急があっても、音楽がそれを望んでいるなら、それはそれで良しなんだそうです。

 「星は光りぬ」なんて、あっちこっち、ほぼ一小節ごとにテンポが変わって、音楽が止まると言うか、ギアがガクンガクン激しく入れ代わっているような気がしますよ。

 とにかく、私は、もっとゆっくりと落ち着いて、歌う必要があるみたいです。

 それにしても、歌って、難しいね。

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2013年7月24日 (水)

開ける声、被せる声、閉じる声

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはハミングの練習から入りましたが、今回は息を噴水のように湧き出させながら発声する事を意識して行ないました。このように、息を噴水のように湧き出させながら発声すると言うのは、支えで発声する事の、具体的なイメージなんですね。

 あくまで息はお腹から上に向かって出します。ピュッピュッと出したり、ピュ~~~ッと出したり、その出し方は様々ですが、とにかく、お腹(横隔膜?)を下から上にピュッピュッと押し上げて息を出します。そのためには、ノドは開放されていないといけません。ノドで息を作ってはいけません。お腹で作った息を、ただ、ノドを始めとするカラダの中を通すだけです。

 そして最高音に至るまでの上向音形では、この噴水式で発声し、最高音を経由してからの下降音形は、噴水式で一度上にあがった息を前方に向けて方向を変えて吐き出します。今回のハミング練習は、これを徹底的にやりました。

 そして、発表会も近いと言う事で、その後の発声練習は軽く行い、すぐに曲の練習に入ったわけです。しかし、曲練習の中でも、ハミング練習でやった、噴水式の息で歌う練習は続きました。

 トスティ作曲『Non t'amo piu!/君なんかもう』は、かなり出来上がりました。しかし、歌の仕上がりって奴には「これで良し」という事はなく(特に私レベルなら)いくらでも手を加える箇所はあるわけで、今回、先生は“開(あ)ける声”“被(かぶ)せる声”“閉じる声”を私に教え『君なんかもう』の歌唱で“開ける声”と“被せる声”を上手に取り入れて歌うように指導してくれました。

 今回は、この三つの声について解説します。

 まず“開ける声”とは、扉を開けていく声です。何の扉か? もちろん、声の扉です。この声は上向音形の時に使い、高い音程へ向かって声が進んでいく時に使います。私がもっとも苦手としているのが、この“開ける声”なんだそうです。高い音程に向かって、次々と音程の扉を開けて、グイグイと声のポジションを持ち上げていく推進力のある声です。これは、噴水のように吹き上げる息に伴って発声される声で、とにかく明るくて上向きの声です。

 “被せる声”とは、上に向かって吹き上げられた息を前に飛ばす声です。クチの奥の響きをたっぷり使う声です。音色的にはやや暗く、発声している人には籠もった感じに聞こえる声で、やや陰影のある声となります。この声は最高音と下降音形の時に使います。上に引っ張る力が強くて、高い声が出しやすい(故に声がフラットしにくい)のだそうです。

 これらとは別に“閉じる声”と言うのがあります。これが私のデフォルトの声なのですが、決していい発声ではないそうです。

 “閉じる声”とは、息をあまり使わずに、声帯の自力発声に重きを置いた発声です。いわゆる“ノドを鳴らした”声で、長所は息をあまり使わないので、長いフレーズを歌うことが出来ることと、迫力のある声が出しやすい事です。ただ、息をあまり使わないため、声が前に飛びづらく、側鳴りになってしまう事も多々あるようです。また、ノドの消耗も激しく、声がドンドン目減りするのが欠点ですし、音域がどうしても狭くなりがちで、高い声も低い声も出しづらいのも欠点でしょう。

 この“閉じる声”にノド声が加わると、かなりヘタクソな発声になるわけです。

 で、私は、しばしば閉じる声(with ノド声)で歌ってしまいがち[キング式発声は、この“閉じる声”をベースにしていると思います]ですが、それを止めて、開ける声と被せる声を使って歌いましょうって事なんです。

 開ける声を使って、ドンドン声のポジションを上げていき、フレーズの頂点に来たら、声を被せて下り降り、また上向音形になったら、開ける声でドンドン昇っていき…とまあ、こんな感じです。イメージ的には、開ける声が“ア”で、被せる声が“オ”って感じです。

 とりあえず、これで私は二色の声をゲットし、一つの声を封印したわけです。

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2013年7月23日 (火)

フルート吹いていて、息が足りなくなるのは、なぜ?

 …と思った事、ありませんか? 私はただいま練習中のガリボルディのミニヨン・エチュードの20番を吹いていて、時々そう思います。当然足りなくなったら、そのまま音が貧相になってしまうか、途中で吸い直してしまうわけですが、どちらをやっても、先生に叱られるわけです。

 それで、いい加減同じ失敗を繰り返して、先生に叱られ続けるのもオトナとしてどうなの?と思ったので、きちんと息を足らしてフルートを吹きましょうと、心に決めました。そのためには、まず、何故、息が足りなくなるのかを考えてみました。原因が分かれば、対処法も自ずと分かるというものです。
 
 
ブレスがいい加減 その1

 まず最初に頭に思い浮かんだのが、これ。具体的に書けば「楽譜にきちんと指定されたブレスの箇所を守ってブレスをしていない」って奴です。実は私、これがたまにあります。

 もちろん、ブレス記号のない箇所でブレスはなるべく取らないようにしています(取ると、先生に叱られます)。ですから、私の場合、本来ブレスをしないといけないところで、ブレスを省く…という事が“いい加減”な事ってわけです。なにしろ、ブレスをしてはいけないところでブレスをすると、先生は叱りますが、ブレスをするべき場所でブレスを省いても、先生は叱りませんからね。ただし、心の中では「おや、ブレスを飛ばしましたね。その息でどこまで持つんでしょうね…」と思っているそうで、結果、私の息が足りなくなると「ほう、やはり息が足りなくなりましたね」と哀れんでくださいます(涙)。

 なので、ブレス記号を見かけたら「まだ息を吸う必要がないかも…」と思っても、とりあえず、律儀にブレスをしましょう。楽譜校訂者も考え無しにブレスを書き込んでいるわけではないはずだし、必要だから、そこにブレス記号が書かれている…わけですから、ブレス記号を見かけたら、まずは律儀にブレスですよ。
 
 
ブレスがいい加減 その2

 ブレスを省略する以外にも、私はいい加減なブレスをしている事があります。それは「テンポに追われて、いい加減なブレスをしてしまう」という状態です。分かりやすく書くと「せっかくのプレスポイントだけれど、そこでじっくりとブレスをしている暇がないので、いい加減にブレスしちゃう」という事ですね。

 これは曲のテンポが速い時に、たまに見られます。「このテンポでは速すぎて、息を吸う暇がありません」とグチった事がありますが、そう言ったら先生「だって、あなたは、ブレスの前の音符の拍が長すぎるんですよ。そんなに長く吹いたら、誰だってブレスできません。音符はきちんと指定された長さだけ吹けばいいんですよ」と注意されました。

 つまり、私の場合、楽譜を見て、どのタイミングで音を吹き始めるかには注意していても、楽譜を見て、どのタイミングで音を吹き終えるかには注意していなくて、そのあたりがいい加減すぎるので、ブレスのタイミングを逃している…って事ですね。はい、きちんと音符は指定された長さだけ吹くようにします(涙)。
 
 
呼吸が浅い

 これは上の問題とも関係しますが、呼吸が浅くて息が十分に吸えないために、ブレスが足りないというケースもありそうです。まあ、私は声楽をやっているので、呼吸が浅いという事自体は、まず無いのですが。
 
 
腹筋が弱く、息がダダ漏れ

 腹筋とか腹式呼吸とか言うと「いかに呼吸を吸うべきか」と考えるわけですが、実は腹式呼吸の要諦は「吸った息をいかにキープし、一定の速度強さで吐き続けられるか」なんですね。だから、腹筋が弱いと、せっかく吸った息が、あっと言う間にダダ漏れなんですね。私がしばしばオーバーブローを注意されるのは、この“息ダダ漏れ”が原因です。私の場合は、絶対的な肺活量が多いので、息がダダ漏れ状態でも、それなりの時間はフルート吹けますが、肺活量が標準量しかない人だと、息ダダ漏れでは、あっと言う間に息が足りなくなってしまいますね。

 腹筋が弱く、息がダダ漏れの人は、地道に腹式呼吸の練習をするしかないです。私も、もっともっと呼吸の練習に精進しないといけないようです。

 腹筋が弱くて、息がダダ漏れだと、“息が足りなくなる”以外にも、合併症として、アンブシュアに気持ちが行ってしまうと言うのがあります。

 アンブシュアなんて、作るものではなく、出来るものなんです。理想のアンブシュアってのはありますが、それはあくまでも目指して作るものではなく、きちんと吹いていれば勝手に出来るものなんですね。

 なので、アンブシュアを意識しちゃダメなんです。と言うのも、アンブシュアって奴は、意識するとダメになるからです。クチビルは常に脱力気味で柔らかくしていないといけません。そのためには、クチビルを意識から外しておく事が必要です。

 アンブシュアを意識して、アンブシュアを固めるのは良くないです…が、腹筋が弱くて、息がダダ漏れだと、アンブシュアが最後の砦になるので、そこに意識を集中しせざるをえないのも分かります。そして、アンブシュアを固めて、音色が汚くなって…ね、ロクな事にはならないのです。

 でも、初心者ほどアンブシュアを意識して、あれこれしたくなるモノです。でも、大切なのは、実はそこじゃないんですね。

 笛吹きは、キャリアを重ねるほど、アンブシュアを意識しなくなるようです。フルートを持ったら、いきなりクチビルに当てて吹き始める…そんなもんでしょ。アンブシュアなんぞに注意を払っている暇もありませんが、それでいいんです。腹式呼吸がしっかりしていれば、クチビルなどは、ただの息の通り道でしかないのですから、意識せずとも良いのです。
 
 
必要以上の音量を期待している

 フルートと言うのは、元来、小音量楽器です。室内のサロンで吹かれる楽器です。もちろん現代フルートはベームの改良により、それなりの音量も出るようになったと言うものの、元々野外での演奏で活躍していた金管楽器類とは、出自が違うのです。あんな音量、出るわけないんです。

 それを忘れて、金管に追いつけ追い越せと、息をたくさん楽器に吹き込んでも、音量なんて増えるわけないのですが…それでもついつい息をフルートに必要以上に吹き込んでしまうわけですね。で、結果として、息が足りなくなるわけです。

 フルートって、大音量では勝負するのでなく、繊細な音で勝負する楽器でしょ? そこはかとなく、かそけき音が、真骨頂って奴ですし、そういう方向で勝負していれば、息が足りなくなる事はないんです。

 楽器の特性に応じた、効果的な演奏を心がけたいものです。
 
 
ミスブローが多くて、吹き直しが多くて、結果的に息が足りなくなる

 はい、これ、ずばり、私の事です(笑)。

 ミスブローをして、やり直す時に、うっかりブレスをせずに吹き直せば…そりゃあ息も足りなくなるよね(大笑)。一番良い解決方法は、ミスらない事だけれど、ミスをして吹き直さなければいけないなら、しっかりブレスを取り直すようにしましょうね。
 
 
奏者が鼻声

 これ、どうやら日本人に多いパターンのようです。

 日本人…と言うよりも、日本語の特徴らしいのですが、普段から鼻声、あるいは鼻にかかった声で話す人が多いんですね。日本語は口腔内の響きをあまり利用しない言語なんですよ。でも、全く響きのない声は美しくないので、足りない響きを補うために、鼻声にして声を柔らかくして話す…らしいのです。

 ま、声のプロやしゃべる事を職業としている人、私のように歌う人は、鼻声を矯正しているので、そういう事はありませんが、ごく普通の日本人だと、程度の差はあれ、ほぼ鼻声がデフォルトと思っても良いそうです。

 で、鼻声がデフォルトだと、フルート演奏に支障があります。と言うのも、鼻声がデフォルトだと、息が鼻から抜けてしまうのも日常茶飯事なので、フルートを吹きながら、息が同時に鼻からも漏れてしまうわけです。そりゃあ、フルートを吹いていて、息が足りなくなるのも道理です。

 さらに言うと、鼻声の人って、つまり鼻の共鳴が使えていないんですね。

 たとえば声の話をすると、鼻声ではない人は、鼻に声を響かせられるので、その声は倍音豊かで美しい声になります。鼻声の人は鼻から息が抜けてしまうので、声に響きがなく、どこか詰まった感じの声になります。声がそうなら、フルートでも同じことで、フルートの音を美しくしたいと願うなら、鼻の響きを利用すべきなのですが、鼻声の人は、鼻の響きを利用できませんから、音がいま一つ、フニャとしているんですね。

 もっとも、日本人に鼻声の人が多い理由は、実は、日本人が元来、鼻声が好きって事実のに起因しています。皆さん、猫なで声って…お好きでしょ? なので、フルートを鼻声っぽい音色で吹いても、案外「いい音だなあ…」と感じている人、大勢いらっしゃるような気がします。ま、ご本人がそれで良いなら、私ふぜいが言うべきことではないのですが。

 ちなみに、私がフルートを吹いていて、音色を誉められる事が多いのは(ってか、音色以外を誉められた事はありません:キッパリ!)、声楽をやっていて、口腔内のデフォルトの響きが、常人よりも豊かだからでしょうね。
 
 
 
 と、まあ、息が足りなくなる理由をつらつらと書き並べてみました。ま、解決のためには、その原因を突き詰めることって大切でしょ。原因が分かれば、問題は解決したも同然です。あとは、その原因を取り除けるように頑張るだけです。

 時折、ブレスが足りないからと言って、循環呼吸の練習に励む人がいらっしゃいます。循環呼吸は現代奏法の一つなので、ぜひ習得したい技術ですが、それはあくまでも、呼吸を無視したフレーズ(作曲家が特殊効果を狙って、そういう曲を書く事があります:主に現代音楽で使用されています)を吹くためには必要ですが、通常の曲を演奏するには、循環呼吸は不要です。

 と言うのも、演奏を聞いているお客さんって、奏者と一緒に呼吸をしているんだよね。なので、奏者が循環呼吸などを利用して、息をするタイミングをお客さんに与えないと、お客さんは息苦しくなってしまうし、演奏者とお客で息のタイミングが違うと、お客さんは音楽にのめりこめなくなるしね。循環呼吸はあくまでも特殊奏法なので、普段は使わない方が良いと思います。

 ってか、循環呼吸を練習する暇があったら、普通にブレスの練習をしましょうよって話です。

 ちゃんちゃん。

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2013年7月22日 (月)

たまには告知をしよう!

 …と言うわけで、告知をします。何の告知? そりゃあもう、私の声楽の発表会の告知でございます。お近くの方で、お時間があって、歌が好きで、なおかつ、怖いものが見たい方は、ぜひぜひお越しください、無料ですよォ~。

 日程:2013年8月11日(日)
 時間:14時開演(13時30分開場)
 会場:フォーラムホール(交通案内などは、こちら

 ちなみに会場の“フォーラムホール”とは“男女共同参画センター横浜”にあるホールの名称です。東京国際フォーラムのホールじゃないので、ご注意を(笑)。

 ま、歌うホールは、380席ある、いわゆる典型的な“小ホール”です。キング門下では、定員100名前後のミニホールばかり使っていたので、こんな大きなホールでの発表会は、ほんと、久し振りです。ちょっぴり楽しみですが、会場のフォーラムホールは、多目的ホールなので、音響的にはあまり期待できません。ま、それもまた良しです。

 ホールの客席は、後方は階段固定席ですが、前方…いわゆる平土間は、可動式の席だそうです…って、つまり、普通のイス席ってこと? ほんと、多目的ホールの多目的感バリバリだね。ちなみに、舞台も稼働式なので、舞台と平土間の両方を同じ高さにして、広い広い舞台を作る事も可能なんです。その際は、客席は階段固定席だけになるのですが…ううむ、ほんと、多目的ホールだな。

 会場は横浜の戸塚駅の近くで、徒歩約5分だそうです。ちなみに、会場に駐車場はないそうですから、車で来られる方は、適当に駐車場を探してくださいね。

 さて、発表会そのものの説明をしますと…今回は、我がY門下と奥様先生の門下の2門下合同の発表会でございます。出演者は…なんと13名! これでも“大勢参加してくれて、うれしいです(Y先生談)”ですからネ。ううむ、先日、見に行ったキング門下の発表会の出演者は40~50名程度でしたから、発表会と言っても、規模がだいぶ違います。

 出演者は少ないですが、皆さん、大きめの曲を3曲程度歌います。なので、キング門下的に考えると“発表会”ではなく“ガラコンサート”のスケールとなります。でもやっぱり、出演者が少ないので、全体で2時間教で終わるそうです(先生談)。キング門下的に考えると、短いね。

 今回の発表会のタイトルは『Voval Concert in midsummer(真夏のヴォーカルコンサート)』となってますが、内容は、モロに発表会です。実は私も、昨年、ここの門下の発表会を見に行ってますが、ここは、いわゆる世間一般の“声楽発表会”とは、だいぶ趣が違いますよ。なので、心してくださいね。

 まず『楽譜をガン見して歌うのOK』です。舞台に譜面台が用意されていますので、皆さん、当然のように譜面台を使用して歌います。「声楽は暗譜で歌うもの」という常識から自由な門下なんですね。

 出演者のドレスコードは『Gパン・Tシャツ不可』です。つまり、何を着て舞台に上がってもOKなんです。実際に、ビジネススーツで歌う人、多いと思いますよ。女性も、訪問着程度のオシャレで臨む人もいます。ま、“ピアノの発表会レベルの装い”と言うのが、一番事実に近いかも。『声楽の発表会なんだから、男性はタキシードかモーニング。女性はフリフリの舞台ドレス』と思ったらアカンのです。ここの門下は、ドレスコードからも自由なんです。

 もちろん、お客さんのドレスコードも、とても自由ですよ。Gパン・TシャツでもOKですから。

 それと会場アナウンスは最低限しかありません。出演者の名前が呼ばれる事や、歌う曲の解説はもちろん曲名のアナウンスもありません。なので、途中から会場入りしたお客さんは、自分で今何を歌っているのかを同定しないといけません。そういう意味では、お客さんには優しくない発表会なので、覚悟してくださいね。

 あと、講師歌唱はありません。奥様先生は、生徒さんと3曲ほどデュエットをしますが、Y先生は全く歌いません。奥様先生もソロは歌いませんので、先生方の歌は、先生方のコンサートや出演オペラで聞いてください…って事らしいです。なので、講師歌唱を期待していると、肩すかしを喰らいますよ。

 プログラムは…番号で言うと、22番まで。曲数で言うと、32曲あります。11番までが前半で、休憩を入れて、後半は12番から始まります。

 私の出番は、7番で、トスティ作曲の「Non t'amo piu!/君なんかもう」と、プッチーニ作曲の「トスカ」のテノールアリア「E lucevan le stelle/星は光りぬ」を歌い、12番で、ヴェルディ作曲の「椿姫」の二重唱「Libiamo,  ne'lieti calici/友よ、さあ飲みあかそう(乾杯の歌)」を歌います。

 つまり出番は二回あって、最初の出番が第1部の真ん中あたりで、二度目の出番が第2部の冒頭って事になってます。第1部しか出演されない方が1名いるのですが、その方以外の出演者の方々は、第1部と第2部の両方に出ますので、私は、門下中、2番目に早く終了するってわけです。つまり、現門下での私の立ち位置というのは、そのあたりと言うわけで、これはなかなか楽な立ち位置だと思うし、先々が楽しみな立ち位置でもあります。

 それに自分の出番が早く終わると、ゆっくり他の人の歌が聞けるので、出番が早く終わるのはうれしいです。まあ、何はさておき、私にトリをやらしちゃいけませんよ、トリは(笑)。

 さて、肝心の曲の仕上がり具合ですが、「Non t'amo piu!/君なんかもう」は、いい感じです。表現とか声の使い分けとかに注意を払って練習している段階です。

 「E lucevan le stelle/星は光りぬ」は苦労しています。まだ曲の暗譜はほぼ終えましたが、歌唱面で一ヶ所、不安なところが残っています。二度目に出てくる高いAの箇所なんですが(笑)。その一ヶ所を除けば…まあなんとか…って程度ですね。これからの練習で、もっともっときちんと仕上げに向けて、高いAの克服を頑張っていきたいです。

 「Libiamo,  ne'lieti calici/友よ、さあ飲みあかそう(乾杯の歌)」は…こちらは暗譜がまだ不安です。練習を始めたのが一番遅かったので、まだ定着していないんですね。でも、発表会までにはなんとか定着しているでしょうから、暗譜の面では心配していません。

 それよりも、一度、キング門下で歌っているとは言え、あの時よりも、今の方が、この曲に対して、難しさを感じています。そっちの方が厄介かな? とにかく、その難しさを意識してしまうと、失敗をしてしまうかもしれませんので、その難しさを難しく感じなくなるように、練習していくしかないですね。「練習は嘘をつかない」ってわけです。頑張りますよ。

 ちなみに他の出演者の事に、ちょっとだけ触れると、13名の出演者の男女の比率は、ほぼ1:2です。1/3が男声なんて、男声率、多いでしょ? ちなみに、女声は全員ソプラノですが、軽いソプラノから重めのソプラノまでいらっしゃいます。男声はテノールとバリトンが半々ですね。合唱団作るとなると、重めのソプラノの方がアルトパートを歌えばいいので、人数は少ないけれど、合唱も出来そうな門下です。

 歌う曲目は、オペラアリアが大半です。また全33曲中5曲がオペラ系の二重唱です。そういう意味では聞き応えアリかも。なので、お近くにお住まいで、お時間があって、歌が好きな人は、ぜひぜひいらしゃってください。

 私個人的には、かつての仲間であるキング門下の皆さんに来ていただきたいです。門下を離れても、頑張っている私を見てほしいです。ほんと、この一年、頑張ったんだから、私。それを、昔を知っている人々に見てもらいたいです。

 もう一つ、告知。秋に地元で行なわれるクラシック・コンサートにエントリーして参りました。具体的な事は決まり次第、またブログで告知したいと思いますが、歌う曲目を先生&ピアニストさんと相談して、決定しました。それは

  チマーラ作曲「Nostalgia/郷愁」
  デ・クルティス作曲「Non ti scordar di me/忘れな草」

 です。具体的な練習は、発表会が終わってから取り組むつもりですが、そちらはそちらで頑張っていきたいと思ってます。

 あとは、年末恒例の第九だね。そろそろエントリーの時期だけれど、これはどうしようかしら?

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2013年7月21日 (日)

映画館の話[2013年7月第3週・通算22週]

体重:106.6kg[+2.0kg:-5.6kg]
体脂肪率:29.7%[+0.5%:-1.3%]
BMI:33.6[+0.6:-1.8]
体脂肪質量:31.7kg[+1.2kg:-3.1kg]
腹囲:103.0cm[+2.0cm:-6.0cm]
     [前回との差:2013年当初との差]

 いかんなあ…ストレスで太る体質の私だから、この二週間で、いかにストレスが我が身にに降りかかっていたかが、よく分かる数字だなあ(涙)。とりあえず、もうじき、一山越しそうだから、そうしたら…落ち着くかな。

 以前なら「夏だ!、散歩だ!、ダイエットだ!」と叫んで、日々ダイエットに励み、実際、ガッツリ体重を落としていた私ですが、今年の夏は、ほぼ休みがありません…ってか、休みはあるにはあるのですが、休日出勤てんこ盛りだし、休暇返上でご出勤しないといけないので、まあ、ほぼ毎日、涼しいクーラーの聞いた部屋で、四六時中パソコンに向かっている…という、デブまっしぐらな日々が待っているわけで…いかん、いかん、これじゃあ、マイ・ボディに申し訳がたたない。

 ほんと、なんとかしないといけませんね。さて、今週のエッセイです。
 
 
 昔…と言っても、昭和の頃の話です。私が子どもだった昭和の映画館は、今の映画館とは、かなり違っていました。

 まず、入替制ではなかったので、いつでもフラっと入場できました。その代わり、いつでも映画そのものは、途中からしか見る事ができなかったんです。途中から見て、結末を知って、それから冒頭に戻って事件の発端を確認して、途中まで見たところで「このシーン、さっき見たよなあ…」と確認して、映画館を出る。今思えば、なんとも、変な映画の楽しみ方をしていたわけだけれど、周りがそんな感じだったので、映画ってそんなモノだと思っていました。

 推理モノとかで結末を知りたくない映画などは、とりあえず館内に入って、下を向いて、耳を塞いで結末を見ないように…無駄な努力をしたものです。ほんと、子どもって無駄な事するよね。あんなに大音響の中、耳を塞いだって、ストーリーはガンガン聞こえてくるって(笑)。

 そうそう、昔の映画館って、基本、立ち見だよね。なにしろ、指定席なんてのは、一部のセレブ向けの映画館ぐらいにしかなくて、普通に町中にある映画館は全席自由ってのが現実。映画の最中に人の出入りがあるのは当たり前で、映画の最中に人が立ったら、すかさず席をゲットするのも当たり前。でも、実際はなかなか席を確保するのは難しいし、今と違って、昔は映画って人気があって、映画館って、どこもにぎわっていたから、映画は立ち見が基本。子どもなどは通路などにベタ~って座って見たり、父親に肩車してもらいながら見るのが、当たり前と言っちゃあ当たり前。

 上映マナーと言うか、お行儀も良くなかったかも…。映画の最中に、画面に向かって罵声を浴びせるオトナって、たくさんいたような気が…。子どもも、上映の最中に、結構走り回っていたし、主題歌なんかだと、場内で合唱していたような気が…。映画を見ている最中に、売り子さんがアイスクリームやおせんべいやビールを売りに来ていたのも懐かしい。今じゃあ、そんな事したら、顰蹙ものだろうね。

 映画が始まる前に…今じゃ近日上映作品の宣伝するのが当たり前だけれど、昔は必ず、ニュース映画をやっていたよね。映画館でニュースなんて、当然、最新ニュースじゃなかったし、大半はどうでもいいニュースだったけれど、でも必ず、ニュース映画をやってました。そして、誰もそれを不思議に思わなかったんだね。ほんと、のんびりした時代でした。

 映画そのものの宣伝は、テレビCMの他に、新聞広告なんかでもよく見かけたけど、そこに書いてある公開日に映画を見れたタメシって、地方に住んでいる私の場合、まず無かったです。

 昔は今と違って、全国一斉に同じ映画が見られるって事は、まず無くて、映画は東京などの大都会で最初に上映されて、一カ月ぐらいしてから、地方の映画館で上映されるのが当たり前でした。つまり、同じ映画でも、都会と地方では、上映開始時期が違っていたわけだ。

 その地方の映画館でも、やっぱり早い遅いはあって、話題の映画を早く上映する映画館と、かなり遅くなってから上映する映画館がありました。当時は、そういうのを、二番館とか三番館とか呼んでましたね。で、私の町の映画館はいわゆる三番館だったので、話題の映画を見たい時は、隣町にあった二番館に出かけるか、いっそ頑張って、東京や横浜にあるロードショー館(なぜか一番館とは言わないのです)に出かけました。

 また映画館の中には、そういう新作映画ではなく、名画の旧作ばかりを上映する映画館もありました。そういう映画館は名画座と呼ばれていましたね。そうそう、大学生の頃は、毎週のように名画座に通ってました。名画座は安い料金で、たいていは三本立て(三つの映画を連続で見れる)ので、お金のない学生にはとても良い暇つぶしでした。

 また、どの町にも、ピンク映画と呼ばれる、今で言うAV関係のエロ方面の専門映画館がありました。この手の映画館って、昼過ぎに上映を始めて翌朝まで営業するというスタイル(オールナイト上映と呼んでいました)を取っていたので、真夜中でも上映していたわけです。今だと、マンガ喫茶で一夜を過ごす人がいますが、当時はオールナイトに入って、そこで一夜を過ごすというやり方があったそうです。格安で夜を過ごせたそうですが…ピンク映画を見ながら眠れるものなんでしょうか?

 名画座はたいてい三本立てでしたが、実はロードショーなどでも、映画は二本立てが普通でした。たとえば、寅さん映画だと、必ずクレイジーキャッツやドリフターズの映画が付いて来るって感じね。今の映画って、一本ずつ上映しては、入替でしょ? なんか昔の方が、映画って格安なレジャーだったのかもね。なので、一本ずつの上映になって入替制になった時は『最初から座って映画を見られる』という安心感と『一本しか見れない』という損したような気分になりました。

 それと当時は、映画館そのものは、今よりもたくさんあったと思うけれど、どの映画館もスクリーンが一つしかなかったので、スクリーン数という意味では、今ほどたくさんの映画が上映されていたわけじゃないです。ですから、見たい映画が近所でやっていないなんて事も、しばしばありました。

 とにかく、人々は“あの映画がみたい”から映画に出かけるのではなく、近所のオラガマチの映画館に新作がかかれば、それを見に行くって感覚だったような気がします。あと、人気があれば、いつまでも上映していたような気がします。プチ・ロングランみたいな感じ。その代わり不人気な映画はあっと言う間に止めちゃっていたような気もします。今のように二週間が基本的な上映期間…ってわけじゃなかったです。だいたい、映画の告知も、道に映画のポスターを貼っている映画館の掲示板があって、それを見て「次は、これをやるんだな」って知ったものですしね。そのあたりは、結構、自由自在だったのかもしれません。

 そうそう、名画座やピンク映画専門館は、ビデオの普及とともに廃れてなくなってしまいました。それと時を同じくして、二番館や三番館と呼ばれていた映画館もなくなってしまいました。なので、ウチの近所でも、一時期は映画館そのものがドンドンつぶれて無くなってしまったほどです。映画館は、とりわけ地方の映画館は、一度、テレビやビデオに負けてつぶされてしまったというわけです。

 それが復活したのは、現在普及しているマルチスクリーン方式のシネコンの台頭からです。今では、映画館と言えば、シネコンスタイルの方が当たり前ですしね。ちなみにシネコンスタイルって、1990年あたりを境に普及してきたそうで、いわば平成の映画館って感じだな。もはや、昭和も遠くになりにけり…って感じでしょうか。

 映画そのものを楽しむなら、今のシネコンスタイルの方が良いと思います。映画を最初からきちんと見れるし、席もゆったりしているし…ね。昔の映画館って、なぜかトイレの消臭剤の匂いがするところが多かった(笑)し、席も狭かったし、立ち見が多かったし…。

 やっぱり、今の人って、恵まれているなあ…って思いますよ。

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2013年7月20日 (土)

近所の金魚屋さんが心配

 以前にも書いたかもしれませんが、ウチの近所にある金魚屋さんが、心配で心配でたまりません。

 そこの店は、老夫婦でやってらっしゃる店なのですが、その老夫婦、本当に老夫婦でして、老人初心者の私の父母よりも明らかに年配な老夫婦なんですよ。つまり、いつ店が畳まれても不思議じゃないって感じがプンプンするんですね。実際、しばらくご主人を見ない時期があったのですが、それって入院していたらしいのです。

 ご主人が入院していても、店には金魚、つまり生き物がいますから、奥さんは、入院しているご主人の面倒を見ながらも、金魚の面倒も見て、ついでに(?)店番までしていたわけで、それって、かなり大変な状況です。

 今はご主人も退院されて、事なきを得ておりますが、お店の状況を見るにつれて、やっぱり心配になってきてます。

 店の中の掃除が行き届かず、あっちこっち埃まみれなのは、もう慣れました。高い位置にある棚が崩れて、品物が低い棚に乱雑に置かれているのにも慣れました。営業時間が日によってマチマチなのも仕方ないと思います。でも、あと何年、お元気で店を続けていられるでしょうか?

 その金魚屋のすぐ側には、以前は小鳥屋がありました。その小鳥屋も老夫婦がやってましたが、いつのまにか小鳥屋は店を畳み、建物は壊されて、今では更地になっております。それを見るにつけても、金魚屋には頑張ってほしいなあって思います。

 ウチの金魚の大半は、その店で購入した金魚なんです。もしも、その金魚屋さんが無くなってしまったら、ウチでは新しい金魚を入れることが難しくなります。もしもそうなったら、どうしましょう? ほんと、金魚専門店って、今ではなかなか見つけられなくなりましたからね、貴重な存在の店なんです。

 なので、なるべく金魚関係の小物なども、その店で購入するようにしています。せめてもの応援のつもりなんですよ。だから、一日も長くお元気で、いつまでも金魚屋さんを続けて欲しいなあって思ってます。

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2013年7月19日 (金)

Fis-durって、汚い調?

 フルートのレッスンに行って…来れませんでした! せっかく先生に「練習不足でもレッスンに通いなさい」と言われていたにも関わらず、お教室の灯火が消える時間になっても職場にいたら、そりゃあレッスンに行けません(涙)。残念ですが、仕方ないです。

 と言うわけで今回のブログは、レッスン記事の代わりに、フルートエッセイでお茶を濁します。

 現在、私はアルテの15課9章でFis-durと戦っていますが、このFis-durが曲者なんです。何が曲者なのかと言うと『臨時記号が多すぎて、変化音が多すぎて、指が大変!』なのは、当然の事なので、そこはスルーとして(だって、練習すれば克服できる問題でしょ:笑)。それよりも問題なのは、何をどう吹いても、Fis-durって、汚い調にしか聞こえないって事なんです。

 いやあ、私個人の問題かもしれないのですが、私が演奏するFis-durって、たかが音階を順番に吹くだけでも、実に汚いんです。なんか、音に落ち着きが無いと言うか「これじゃ無い感」がムンムンとするんですね。ありゃ、一体、何なんでしょうね?

 気のせいにするに、私のFis-durって、あまりに汚い過ぎるんですよ。いやあ、悩みましたよ。私の吹き方が悪いんじゃないかってね。まあ、確かに上手に吹けないのは事実だけれど、でも、明らかに、C-durはもちろん、F-durやG-durと比べても、汚い。どう考えても、Fis-durは汚いんですよ。

 で、色々とググってみましたところ、一つ分かった事があります。それはFis-durって、C-durから一番遠くにある調だと言う事です。

 音楽の調性の関係に、五度圏と言うがあります。それは任意の音から、五度ずつ音程を上昇または下降させていくと、12音すべてを網羅して、最初の音に戻るという音の関係の話です。まるで山手線のような関係ね。具体的に言えば、C-durを五度ずつ上昇していけば#の調になっていくわけで“C-dur -> G-dur -> D-dur~B-dur -> F-dur -> C-dur”って感じになるし、同じように五度ずつ下降していけばb系の調になり“C-dur -> F-dur -> B-dur~D-dur -> G-dur -> C-dur”ってなります。で、そういう円循環的な関係の中で、C-durから一番遠くにいる調がFis-durなんだそうです。

 で、フルートって、ピアノと違って、平均律の楽器ではありません。もちろん、現代フルートは様々な調を演奏しないといけないので、純正律でもなく“平均律の要素を取り入れたC管の楽器”って感じなんだろうと思います。

 “平均律の要素を取り入れたC管の楽器”…つまり“基本の音階がC-durで出来ているけれど、その他の調でも演奏しても大きな違和感を感じないように作られている楽器”って事でしょ。まあ、他調にも対応したC-durの楽器って事になるわけだけど、そうであっても、やはり一番基本になる調はC管である以上、C-durであるのは当たり前、そのC-durの楽器で、一番遠いFis-durを吹けば、そりゃあ一番無理が生じるわけだね。その無理が「なんか音が汚い…」って感じるんだろうと思います。

 何をどう吹いても、Fis-durって、汚い調にしか聞こえない…という私の感覚は、まんざら間違っているわけでもないって事です。

 ちなみに、ピアノのように平均律な楽器だと、当然の話ですが、Fis-durだから言って、汚い調に聞こえる…ってわけではないそうです。だって「ネコふんじゃった」って…別に汚いわけでもないでしょ? ピアノだとFis-durとかGb-dur(この二つは表記が違うだけで、音的には全く同じ調です)でも、美しい名曲は山のようにあるそうです。まあ、フルートは平均律でもなく、純正律でもなく、その折衷型の楽器だからね。両方のいい所を取り入れた便利な楽器って言えるかな?

 ちなみに、以前、純正律(ハ長調)で調律したチェンバロを弾いた事、あります。黒鍵だけを弾いている時(チェンバロは白鍵黒鍵の関係がピアノとは逆です)は、実に美しかったのですが、そこに白鍵をまぜて弾くと、とたんに違和感バリバリになります。b一つのF-durでも「あれ?」って感じがしますが、b二つのB-durになると「これはナシだな」という気分になります。Fis-durは弾きませんでしたが、きっとすごく音痴に聞こえるんだろうなあ…。

 と言うわけで、私がFis-durをフルートで吹くと、とても汚く聞こえるんです。その汚い音階を毎日毎日吹いていて、なんかテンションがむやみに下がるんですよね。それが言いたかった事です。

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2013年7月18日 (木)

早くバリノールから脱出したい

 バリノールと言うのは、バリトンとテノールの間の声種を指します。もちろん、俗語であって、正式な用語ではありません。同様な言葉にテノリトンと言うのもあります(笑)。

 バリノールにせよ、テノリトンにせよ、実際は中間の声種と言うよりも“テノールなのに、バリトンと同じ音域しかない”というイメージですね。もちろん、蔑称なので、見知らぬ人に「君ってバリノールだね」なんて使っちゃいけません。

 バリノールとは、高音がウリのテノールのはずなのに、その肝心な高音が出せないテノールの事を言うものだ…と解釈してくれれば、ほぼ正解ですね。でもそれって、鈍足の1番打者とか、打率の低い4番打者みたいなもので、テノールとしての存在価値って奴が、ほぼ無いわけです。

 存在価値がほぼ無いので、バリノールの方は、合唱団等では、本当はテノールなのに、バリトンでの歌唱が余儀なくされます。だって、テノールとしての存在価値がほぼ無いんですから、仕方ないです。

 私はテノールの声を持っていますが、誠に残念な事に高音が足りないので、バリノール…って奴でしょうね(涙)。少なくとも、テノールだと胸を張るためには、高いAが楽々と実声で歌えない…と個人的には思ってます。裏声とかファルセットではダメです。裏声やファルセットでAを歌っちゃう人は、私同様にバリノール…でしょうね。私だって、ファルセットを使えば、Hi-Cだってラクラクよ(笑)。

 「実声ではAは無理でも、Gまでなら出せれば、テノールとしては十分!」とか言い張る人、いるかもしれません。事実、合唱曲だとテノールパートであっても、G止まりの曲は多いですからね。

 でも、実声でGまで出せても、それだけではテノールではありません。ってか、それではまだまだバリトンだよねえ…って私は思うのですよ。だって、バリトンのアリアにはGがよく出るそうだし…。むしろ「Gぐらい出せないと、バリトンじゃないよ」って感じかな? まあ、合唱とソロでは求められるものが違うとは言え、私の基準では、Gまではバリトンの音域であって、テノールなら、それ以上が楽々出せないと胸が張れません。

 なので、私、胸が張れないんですよ(涙)。

 私の声は、本来的には高いテノールの声です。レッジェーロからリリコの声なので、本当は高音が大得意になっていないといけない声なのですが、現実はほぼバリノールです。

 キング先生のところで学んだ5年間では、高音で歌うのは無理でした。楽に出せる音は一つもなく、いつも必死な思いで気合を入れて歌って、やっとFisまでが実用音域でした。それもかなり厳しかったですよ。Gは出ないでもなかったですが、かなり博打で、実際には使い物になりませんでした。なので、5年間でFisまでしか使えるようにならなかったのです。

 ですから、キング先生から、バリトンへの転向を命じられたくらいです。たしかに音域だけを考えれば、そのとおりなんですが、私のような細くて甲高い声でバリトンですよ? 音楽的には考えられないですね。

 Y先生のところに移って、約1年です。とりあえず、楽に出せる音はAsまでです。1年で半音二つ広がりました。でも、音域的には半音二つですが、ここまでの発音は別に“必死”でもなければ“気合を入れる”必要もなく、楽にふぅ~と出せるようになったところが、質的には大きく違います。

 いや、むしろ、キング先生のところで学んでいた時のように、必死に気合を入れて発声すると、あっと言う間に、高音に制限がかかってGですら危なくなるので、私個人の本質的な部分はまったく変わっていないと思います。なので、私が上達したというよりも、Y先生が教えてくれる発声方法が、単純に上手いやり方なんだろうと思います。

 それでも、使えるのはAsまで。Aには届きません。ホンモノのテノールになるには、まだ半音足りない私です。

 今現在、なんとかAが出せるように練習している私です。八月の門下発表会で歌うプッチーニの「星は光りぬ」にはAが二回でてきます。この二回とも、きれいに発声できたら、Aに対する自信が生まれるんでしょうが、今のところ、練習でも歌えません。練習で歌えないものは、本番で歌えるわけないですから、やっぱり私はバリノールなんですね。

 ああ、早く人間になりたい…じゃなくて、早くテノールになりたい、です。とりあえずはAだね。もちろん、Aだけでは、テノールのアリアの半分も歌えませんから、そこら先の、BもHもCも出せるようになりたいけれど、ひとまずはAだね。ひとまずは「星は光りぬ」だね。この曲をなんとか、譜面どおりに歌ってみたいです。

 発表会まで、あと約一カ月。頑張りますよ。

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2013年7月17日 (水)

フルート音楽の題名について…ちょっと乱暴じゃないの?

 今回の記事は、完全に私の愚痴&暴論ですので、そこの所をご理解の上、ご拝読くださいませ。そういう記事は許せない!って方は、また明日お越し下さい。

 では行きますよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 まずは、フルート音楽のうち、アレンジもののタイトルって、一体、どうなっているのって思いませんか?

 例えば、「トゥーランドット」という曲名で演奏される曲(ちなみに「トゥーランドット」と言うのは、オペラ全曲としての名称であって「トゥーランドット」という曲はありません)って…フィギュアスケートで荒川静香さんが使用した“あの曲”ですね。あの曲の本当の[日本における]曲名は「誰も寝てはならぬ」であって、テノールの超有名なアリアです。まあ、この曲は「トゥーランドット」の中のキラー・チューンなので「誰も寝てはならぬ」=「トゥーランドット」でも、まあ許せます。

 でも曲名が「カルメン」で、そのメロディーが「カルメン」の中の有名なメロディー、例えば「ハバネラ」とか「闘牛士の歌」とか「ジプシーの踊り」とか「花の歌」とかじゃなくて、「密輸入者の行進」(「第三幕への前奏曲」とも言う)を指すのは、慣習とは言え、オペラファンからすれば「なぜ、そのメロディ?」って気持ちがするし、はなはだ疑問だけど、これは慣習なんだから、まあ仕方ない。

 「ラルゴ」と言って「オンブラ・マイ・フ」を指すのは、まあ良し。実際、当時の慣習として、歌詞無しの曲は、その冒頭に書かれている音楽記号で呼んだりするわけだから、あの曲を器楽演奏するなら「ラルゴ」でも間違いではないです。でもね、確かに楽譜の冒頭には「ロマンス」と書かれているけれど、「人知れぬ涙」を「ロマンス」と呼ぶのは、ちょっといただけない気がします。

 「フィガロの結婚」と言えば「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」とか「恋とはどんなものかしら」を指すなら我慢できるけれど「序曲」を指していたりすると、ガックリ来ます。特に古典派のオペラにとって、序曲なんて、音楽のイントロのようなもので「そろそろオペラを始めますから、ロビーにいる人たちは、早く自分の席に入ってくださいね~」と促すための音楽で、いわば“客のための入場曲”だったりするわけで、オペラファンにとっての序曲って、その程度の軽い扱いの曲(ロマン派オペラ、それも後期になると、また事情が違いますが…)。なので「フィガロの結婚」という名称で序曲のメロディだと、かなり拍子抜けするわけです。

 メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」と言うと、やっぱり「結婚行進曲」じゃないかと思うけれど、そこで「スケルッツォ」あたりが出てくると脱力しちゃいます。

 「G線上のアリア」というタイトルで「管弦楽組曲第三番」の「エア」を演奏しちゃうのは、慣習上は受け入れているけれど、違和感はいつまでたっても抜けません。だって、二つの意味でおかしいモノ。まず、フルートにはG線、ないじゃん(笑)。さらに言うと「G線上のアリア」はハ長調のピアノ伴奏のヴァイオリン曲だけど「エア」はニ長調のオーケストラ曲でしょ。なので、ニ長調のピアノ伴奏で演奏するフルート版って、一体どっちの曲なの?とか思います(クラオタって厄介でしょ?:笑)。

 「歌の翼に」というタイトルなのに、実はメンデルスゾーンのオリジナルの「歌の翼に」ではなく「“歌の翼に”の主題による幻想曲」だったりするは、腰砕けものだよね。私、某コンサートで、実際にこういう経験があります。本当にガッカリするものだよ。
 
 
 ヴァイオリン協奏曲をフルートで演奏しちゃうのは、クラヲタ的にはゲテモノ音楽ですが、珍味として楽しむ事ができます。なので、実は歓迎です。

 でもね、タイトルは考えてほしいよ。例えば、「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲」をフルートで演奏したからと言って「メンデルスゾーンのフルート協奏曲」と言うのは止めてほしい。こう聞くと「え? メンデルスゾーンってフルート協奏曲を書いていたっけ?」と思って「まだ、世に出ぬ名曲の発掘か!」とクラヲタ的にワクワクしちゃいます。それと比べればまだマシだけれど、単に「協奏曲」って書くのもねえ…。「ピアノ? それともヴァイオリン?」とは思うけれど、まさかフルートとは思わないものねえ…。聞いてみて、ヴァイオリン協奏曲をフルートで演奏していたりすると、すっごくガッカリします。表記的には「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(フルート演奏版)」って書いてほしいです。
 
 
 まあ、フルートのために書かれた名曲と言うのは少ないので、他の楽器用に書かれた曲をフルート用にアレンジして演奏するのは、やむを得ない事だと理解しているけれど、やはりフルーティストの立場を離れて、一人のクラヲタとして言わせてもらうと、オリジナル楽器での演奏のイメージが強い曲をフルートで演奏するのは、ちょっとどうなの…って思います。

 例えば、ショパンの「幻想即興曲」「小犬のワルツ」。例えばサン・サーンスの「白鳥」。例えば、クライスラーの「愛の喜び」「美しきロスマリン」。例えば、シューマンの「トロイメライ」。これらの曲は、オリジナル楽器のイメージが強すぎるし、またオリジナルの楽器の特性を生かし、その魅力を引き出すのに成功した曲だけに、フルートで演奏すると、面白みが半減するんだよね。

 で、つまり、何が言いたいのかと言うと、作曲家の皆さん、どうか、フルートのための、フルートの特性を生かし、その魅力を引き出す、すばらしい曲をバンバン書いて下さいって事です。フルートオリジナル名曲が増えれば「アレンジものも、また楽しいよね」と気軽な気持ちで楽しめるようになると思うんですよ。ちょっとヘンなところも、サラっと流せるようになるんですね。

 なので、ほんと、オリジナルなフルート名曲を、お願いしますよ。

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2013年7月16日 (火)

ノドが腫れなくなって、うれしい!

 我が家には『響声破笛丸(きょうせいはてきがん)』という漢方薬が買いだめされております。なぜ買いだめされているのか…そりゃあ、始終飲んでいたので、すぐに無くなってしまうからです。実際に、一時期は、毎日のように飲んでいました。

 私はエスエス製薬の『響声破笛丸』を愛飲していたので、そのページを貼っておきます。詳しいことは、そちらをご覧ください。

 で、その『響声破笛丸』とは、どんな時に飲む薬かと言うと…

 …私の場合、歌いすぎて、出なくなった高音を出さなきゃいけなくなった時に飲む薬です。はい、歌関係の漢方薬です(笑)。

 具体的に言うと、本番やレッスンの前の晩の段階で、高い声…と言ってもそんなに高い声ではないです。五線の上の方のミとかファ、つまりチェンジギリギリの声ね…が、ノドが腫れて出づらくなった時に飲みます。そのあたりの声とか、そこよりも上の声(と言っても、ファ#まで(笑)。当時はソは博打で、まず使えませんでしたから)は、発声すると必ずノドを腫らしてしまっていました。いわば、身を切りながら歌っていた私です。

 まあ、ノドを腫らしてしまうと言っても、2~3日歌わずに十分に休めば、腫れもひくので何とかなってましたが、二日連続で歌わないといけない時は、その腫れもひかず、ノドが腫れたままの声枯れ状態だったので、高い声はもちろん、中音域の声もロクに出せませんでした。なので、ノドが腫れて、声枯れっぽくなった時に『響声破笛丸』を飲んでいたわけです。

 結構、効果はあったと思います。ノドの腫れや声枯れって、一晩寝たくらいじゃ治らないんですよ。なので、うっかりこいつを飲み忘れて、ノドが腫れたまま歌い始めて「???」となった時、しばし思い出すと「ああ、『響声破笛丸』を飲み忘れていた!」って事、多いです。逆に『響声破笛丸』を飲んでおくと、ノドの腫れが驚異的な速度で回復するんです(笑)。

 そんなわけで、愛飲していた『響声破笛丸』ですが、ふと考えてみると、ここ最近、しばらく飲んでいない事を思い出しました。たぶん、一年ぐらい飲んでいないと思います。つまり、そういう必要を最近は感じなくなったんですよ。あんなに頼りきっていた『響声破笛丸』なのに、今の私にはもはや不要なモノになった…らしいです。つまり、ノドが腫れる事がなくなり、声枯れもなくなった…という事なんですね。

 同じように愛用していたのに、ここ一年ぐらい、めっきり使用頻度が下がったモノに、のど飴があります。特にお気に入りだったのど飴として「ボイスケアのど飴」があります。これ、なかなかいいですよ。ノドが腫れて痛む時など、こいつをナメると痛みがやわらぎます。また、唾液がよく出るようになるので、そこらのドリンクなんかよりも、ずっとノドの渇きを防いでくれます。まあ、一応、アマゾンのリンクを貼りましたけれど、送料が高いので、できれば地元のスーパーとかで見つけられるといいですね。でも、なかなか見つけられません。我が家では、箱買いしましたが、昨年まではバカバカ消費してましたが、昨今は減らない減らない(笑)。

 ドリンクと言うと、最近はあまりドリンクに気を使わなくなりました。

 以前はキング先生から「お茶はダメ」と言われてました。なんでもお茶には殺菌力があって、ノドを消毒する働きがあるので、ノドを痛めるおそれがあるから、お茶ではなくスポーツ飲料を飲みなさいと指導されていました。

 キング先生のレッスンでは、レッスン中にドリンクを飲むのはOKだったのですが、確かにレッスン中にお茶を飲むと、ノドが痛む時ありました。スポーツ飲料なら平気でしたので、先生の指導もまんざら間違いってわけじゃなかったです。

 でも、お茶、とりわけ、濃いめのお茶が大好きな私としては、これは結構厳しい言いつけでした。レッスン中およびレッスン後はお茶が飲めなくても、一晩すれば平気になる事も多かったので、日常生活ではお茶は結構飲んでました。でも、自宅練習の時もお茶はノドにしみましたねえ…。好きなものを飲むとノドが痛いというのは、それなりにつらいものでした。

 そんな私が、最近では、いつでもどこでも、お茶をガブガブ飲んでます。ノドが痛くないからですが、痛くないって、いいです。

 痛くないと言えば、以前は、発声練習をするだけで、頭痛がしていました。それもかなりヒドイ頭痛でした。自宅練習でも痛かったですが、レッスンで先生にOKをもらえるように頑張ると、さらに激しい頭痛がしたものです。「歌って、痛みをこらえて歌うもの」と当時は真剣に考えていました。

 それと、レッスンでは頭痛だけでなく、よくノドが腫れて、口内に血の匂いが充満している事もよくありました。

 今はもちろん、頭痛はしませんし、ノドも腫れませんし、血の匂いもしません。痛みや不快感無しで歌が歌えるようになるなんて、想像した事なかったですが、実際に、痛みや不快感がないと、実に楽だし、楽しいですね。

 キング先生と別れて、ようやく一年です。この一年、長いようで短かった一年ですが、この一年で、私の声楽環境はガラっと変わりました。全般的に良い方向に変わったと思います。

 まずは健康になったし、痛みや不快感がなくなったし、何より歌うことが楽しくなりました。レッスンは回数が少なくなり、時間もトータルでは短くなりましたが、内容的に濃くなり、学んだことを消化するのが大変になりました(これはうれしい事です)。あと、ピアニストさんと知り合えたので、ピアニストさん同伴の外部の本番などにも気軽に参加できるようになった事…かな。

 マイナスの方向に変わった事は、レッスン代がかかるようになった事。特にタクシーでレッスンに通うようになったのは、経済的なポイント高いですね。あと、門下の人たちと出会うことがないので、人間関係が作れないってのは…マイナスかな? 新しい門下でも、アマチュア歌劇団を再び立ち上げようと目論んでいましたが、なかなか実現できませんってか、それ以前の話ですね。代わりに、声楽ではありませんが、フルートデュオを組みましたので、それで吉としましょう(笑)。

 色々ありましたが、全ては、結果オーライです。もしもあのままキング先生の元で声楽を学び続けていたら、たぶん今頃は、ノドを壊して、声を失っていたと思います。つまり、大好きな歌が歌えなくなっていた…んだろうなあって思います。キング先生との別れはつらく悲しかったですが、音楽の神様が私を守ってくれたのだなあって、最近はつくづく思うようになりました。

 そんな一年でした。

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2013年7月15日 (月)

昨日は、今年初めての海水浴に行ってきました!

 標題のとおりです。いやあ、うれしかったです。湘南の海のほとりに住んでいるので、なるべく毎年複数回、海水浴に行こうと心がけているのですが、毎年毎年、なかなか時間が取れなくて、結局、海水浴に出かけるのが八月も中旬になってから…なんて事ばかりやってましたが、今年はまだ七月も中旬なのに、もう海水浴に行ってきました。例年よりも一カ月も前倒し! いやあ、うれしかったです、楽しかったです。

 海水浴。いいですよ、私、毎年行ってます。海水浴に行ける回数が多い年は、経験的に冬に風邪を引く頻度が下がります。逆に、夏に海水浴に行けないと、冬は風邪引きさんになってしまう私です。ですから、海水浴は、冬の健康をキープするために、ぜひとも行かねばなりません。

 まあ、半日、プカプカ、潮水に浸かっているわけですからね。金魚が具合が悪くなって、塩水に入れられてしまうのと、同じかもしれません。きっと、何らかの治療的な効果があるに違いありません。それに、海水浴って、今でこそ、夏のレジャーですが、これ、元々は湯治と同じで、医療行為として明治20年前後に広まったって事はご存じですか? ちなみに、海水浴の効能は『慢性皮膚病、神経病、消化不良、慢性胃炎、肝臓障害、肥満などの回復』だそうです。…海水に浸かって痩せられたら、幸せですね。

 それはともかく、海水浴に行ってきました。海水浴は、プールと違って、いいですよ。熱い砂、刺すように熱い太陽、冷たい海水、寄せては返す波、頭上にはウミネコ、浜ではどこぞのロックバンドの生演奏…。日焼け止めクリームを塗りたくっても文句を言われる事ないし、どこで飲食してもOKだし、何と言ってもプールよりも解放感がある!

 確かに人込みはすごいけれど、海も浜もプールなんかよりも全然広いわけで、砂浜に大の字になって寝られるくらいのスペースはあるし、海で目一杯はしゃいでも周囲の人に迷惑をかけずに住む程度の広さだってある。ヒトアタリをする体質の私にとっては、プールよりも、断然、海の方が居心地良いわけです。

 それに海は目の保養にもなるしね。ビキニ姿の女性なら、プールでも拝見できますが、刺青の方はプールではなかなか見れないでしょ? でも、海に行くと、893っぽい刺青(ってか、たぶん893屋さんだね)もいらっしゃれば、かなりアーティスティクな刺青(文化系っぽい人に多いです)も見れるし、ワンポイント的刺青を入れた女性の姿も見れる。それに、結構、刺青入りの外人さんが多いことにも「ほぉ~」と言ってみたり…。とにかく、刺青いれた人はプールお断りだったりするから、そういう人って海にやってくるわけで、それを見れるのも、海水浴の楽しみだったりします。もちろん、刺青の人だからと言って、迷惑行為とかはしないし、怖い事もしないので、一緒にいても、全然平気ですよ。

 とにかく、たっぷり寝て、目覚めたらよい天気だったので「海、行こうか」と言って、妻と海に行きました。気軽に海水浴に行けるのは、海の近所に住んでいる人間の特権です。

 海まで徒歩でも行けるけれど、さっさと行きたかったから、自転車に乗って、シャーっと言ってきました。持ち物は…テントとタオルと文庫本とお財布ぐらいかな? で、浜に着いたらテントを作って荷物を置いて、ザブンと海に入って、たまに浜に上がって休憩して、また海に入ってを繰り返して、満足したら、海の家に行って、遅めの昼食を食べて、帰りがけに近所のコンビニでアイスキャンディー買って帰宅します。

 そうそう、実は浮輪も荷物に入れて持って行ったのだけれど、一年ぶりの浮輪は…穴が開いていて使えませんでした(涙)。海の家でも浮輪は借りれる(500円/日かな?)けれど、別に浮輪が無くても、海は楽しめるので無問題です。立ち泳ぎメインで波とたっぷり戯れて参りました(笑)。ああ、疲れた。

 それにしても、海、混んでたな。毎年行ってる、海の家が、昨日は貸し切りで使えませんでした。それどころか、その他のオシャレ系の海の家も軒並み貸し切りになっていたので、昼食は伝統的な海の家で、ラーメンとカレーライスを食べたくらいです。いつもは、ロコモコとかタコライスとか食べて買えるのにね。とにかく、海の家が繁盛しているって事は、地元が潤っているってわけですから、私もうれしいです。アベノミクス万歳…です。

 とにかく海水浴、楽しかったです。皆さんにも、ぜひお薦めしたいくらいです。
 
 
 そうそう、海水浴と言えば、最近は若者を中心に不人気なんですってね。不人気なのは仕方ないとしても「海って汚いじゃん、特に湘南の海って汚いじゃん」とか、ネット等でも湘南の海をディスる記事を時折見かけますが、それについて、ちょっと言い訳させてください。

 湘南の海、別に汚くないですよ。

 本当に湘南の海が汚かったら、魚なんていませんよ。でも、湘南の海には魚がたくさんいます。漁港はたくさんあるし、釣り舟でちょっと沖に出れば、アジもカツオもサバもイワシもタイもヒラメもイカもタコも、およそ魚屋の店頭に並ぶような魚はウヨウヨいて、釣り放題です。ダイビングポイントだって数ヶ所あって、ダイビングだって楽しめる。そんな海が汚いわけ、無いでしょ?

 ただ、海が黒っぽいのは認めます。沖縄を始めとする南の島の海は、確かに透き通った青です。見た目はあっちの方がきれいで、湘南の海は汚らしく見えます。でもね、あれって旅行会社の印象操作であって、別に湘南の海が汚いわけじゃなくて、単純に浜の砂の違いなんだよね。

 南の島の砂って、サンゴ由来の白くて大きくて重い砂でしょ? 湘南の海の砂は、火山由来の黒くて細かい砂が中心。砂が黒いから、水も黒く見えるし、砂が細かいから、特に浅瀬では砂が海中で舞い上がって、透明度は下がります。別に汚れているから不透明ではなく、砂が黒くて細かいから不透明なんだよ。だから、湘南の海だって、沖に行くと、黒さが薄まり、かなりディープなブルーになります。だから、汚く見えるけれど、本当に汚いわけじゃない。

 それに海水浴場って、海開きをするためには、役所の水質検査をバスしないといけないわけで、本当に汚かったら、海開きできませんから(笑)。もちろん、私を含めた地元の人たちは、海を愛しているから、ボランティアでゴミ拾いに行ったりもするので、浜だって、ちゃんとしているよ。騒ぐほど海も浜も汚いわけじゃないんです。

 「でも、海水って、ベタベタして汚いじゃん」…って、そりゃあベタベタしますよ、海だもん。それは湘南も南の島も同じこと。海水って、ナトリウムを始めとして、ミネラル豊富だもの、そりゃあ、海から上がれば、肌はべたつきますよ。そこは温泉と一緒です。あのべたつきは薬効成分なんですよ、毒じゃないです。だから、べたつくのさえ気にしなければ、別に問題無いです。現に私なんか、海からあがったら、軽くタオルで水気を拭いたら、そのままTシャツとか着て、普通に活動してます。多少生乾きでも、風に吹かれていれば、やがて乾きます。

 まあ、電車に乗って帰る人だと、そうもいかないでしょうけど、そのために海の家があるわけだから、シャワーを浴びて、きちんと着替えて帰れば無問題でしょ?

 まあ、もっとも「海の匂いがイヤ」「砂にまみれるのがイヤ」とか言われたら、ごめんなさいと謝るしかないです。海って、独得の潮の香りがするでしょ? 私はアレが大好きだけれど、アレが嫌いな人もいるものね。砂には…本当にまみれるんだよね。ただ、砂は海や浜にいなくても、家の近所にいても、風に乗った砂で色々とまみれるので、地元の人間は全然平気なんだけれど、ヨソから来た人だと、嫌気がさしてしまうかもね…。だから、ごめんなさい。

 でもね、そう言ったモロモロを差っ引いても、海水浴って、楽しいと思うよ。私も、夏の間に、もう2~3回行くつもりだから、皆さんもぜひ海水浴に出かけてみてください。ほんと、楽しいよ。

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2013年7月14日 (日)

ワーク・ライフ・バランスとは?

 あー、今週は一度も体重計らなかったよ(涙)。それくらい忙しくて、デタラメな生活を送っていたと、お察しください。食べる方も、結構デタラメだったし、ストレス解消を音楽とオヤツで解消する私ですから…たぶん、太っただろうなあ。来週が怖いです。

 なので、今週は、エッセイだけでお茶を濁します(爆)。
 
 
 さて、皆さんは、ワーク・ライフ・バランスという言葉をご存じでしょうか? 私は最近まで耳にした事、ありませんでした。なんでも「仕事と生活の調和」という意味で、日本は諸外国と比べて、有意にこのバランスが悪いんだそうです。

 もちろん日本人は概ね、仕事偏重であって、長時間労働であって、ワーカホリックなんだそうです。

 まあ、今までも何度も「日本人、働きすぎ」という話は耳にしました。たぶん、欧米諸国と比べると、統計的に働きすぎなんでしょうね。2004年度のOECDの報告によると、日本は世界第5位の働きすぎ国民なんだそうです。ちなみに、第1位は韓国で、2位がポーランド、3位がメキシコ、4位がチェコなんだって。ちなみにアメリカは7位です。イギリスは14位なんだけれど、1位の韓国の2/3程度の労働時間なんです。

 それにしても、メキシコ人の方が日本人よりも勤勉だったとは…意外な統計。

 確かに働きすぎだと、うつ病になったり、過労死したりするわけで、労働時間は少ないに越したことはないけれど、少ない労働では、生活するのに十分な賃金が確保できなかったりするわけで、忙しいけれど経済的に豊かな生活を目指すか、楽だけれど貧乏な生活に耐えるかって話なんじゃないかなって思います。

 無論、程度の問題なんだけれど、日本人は、高度成長期以来、経済的に豊かになることをめざしてきたわけだから「忙しいけれど経済的に豊か」になれて、幸せなんじゃないかなって思います。

 「労働時間を今の半分にするから、お給料も今の半分ね」と言われて、喜ぶ日本人って、どれぐらいいるんだろ? ちなみに私は、お給料を今の半分にされたら困るので、反対します。もちろん「労働時間を今の1.5倍にするけど、お給料も1.5倍ね」と言われたら…若くて体力が余っていた時なら喜んだかもしれないけれど、今の私では、それを受け入れたら、死ぬかウツになるかどっちかだろうから、それも困ります。

 私的には「労働時間を今の8割にするから、お給料も8割程度ね」ぐらいが、ちょうど良いのかも。いや、一番良いのは「労働時間を減らして、お給料を増やして…」ですが、それは一応ナシの方向で(笑)。

 結局、生活レベルを下げるのは容易な事ではないし、これでも妻子を養っているという自覚もある(笑)ので、カラダに鞭打って、今のお給料をキープすべく、頑張るのが私なんだよね。

 それはさておき、確かに、ワーク・ライフ・バランスを整えるのは、大切だと思います。働きすぎは色々と良くないです。ウツ病や過労死だけでなく、少子化だって、ワーク・ライフ・バランスが良くないからだろうし、結局、お金があっても幸せでないなら、残念だものね。

 だいたい日本人が働きすぎなのは、働くのが好きって事もあるけれど、その性質につけこんで、人件費を節約して結果的に長時間労働にならざるをえない事とか、サービス残業が横行している事とか、そういう現状があるからだよね。つまり、日本人って、人がいいトコロに、つけこまれているって寸法なわけだ。
 
 
 そうそう幸せと言えば、健康・富・教育の三要素から、国際的な幸福度を作って、それをマッピングした、世界幸福地図ってのがあります。ご存じですか?

 それによると、2006年の調査では、日本は世界で90番目に幸せな国なんだって。世界には約200の国があるので、日本は、ちょうど真ん中程度の“とりわけ幸せでも不幸せでもない国”ってのになるらしい。なんか、不思議。私は、もっと幸せな国なんじゃないかなって思ってました。

 ちなみに、その地図によると、幸せな国の世界ランキングは以下の通り。

 第1位 デンマーク
 第2位 スイス
 第3位 オーストリア
 第4位 アイスランド
 第5位 バハマ
 第6位 フィンランド
 第7位 スウェーデン
 第8位 ブータン
 第9位 ブルネイ
 第10位 カナダ

 ちなみに、アメリカは23位、台湾は68位、中国は82位、韓国は102位だそうです。つまり、日本よりも中国の方が幸せなんですって? ふーん、そうなんだ(棒読み)。

 まあ、幸せな国(笑)に住むと言うのも大切な事だけれど、肝心なのは、私個人が幸せか不幸せかって事だろうと思ってます。

 私個人のワーク・ライフ・バランスは…今年はちょいとワークに傾きすぎているような気がします。昨年まではなかなか良いバランスだっただけに、ちょいと残念でございます。でも、バランスは少々悪くなったけれど、幸せは幸せだと思ってます。うん、私は幸せだよ。サービス残業は山のようにやっているけれど、趣味生活もそれなりに充実していて、決して仕事オンリーな生き方しているわけじゃないしね。

 後はこれで、労働時間と仕事の責任が少なくなって、お給料が増えたら、もっとうれしいけれどね(大笑)。

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2013年7月13日 (土)

ラズは正真正銘の緋ドジョウです

 我が家には緋ドジョウが4本おります(笑)。一番太くて長いのがチビ。次に長いのがラズ。同じぐらいの長さだけれど、少々細いのがガリ。小さくて細いのがシッポナです。

 緋ドジョウの体調の善し悪しは、体色で分かります。赤みが強いほど元気で、青白くなればなるほど、体調不良なんです。

 現在、体調が絶不調なのは、シッポナです。本当に体色が青白いんですね。ほとんど動きませんし、ちょっと見ると「もしかして、死んでる?」とか勘違いするほどです。で、死んでしまったのなら、水槽から取り出さないといけないなあ…とピンセットでつまむと、捨てられてはたまらないとばかりに、逃げ出すので、ああ生きていたんだなって分かります。

 チビとガリは、人の肌色(それも色白の人)程度の色合いをしています。まあ、緋ドジョウとしては、まあまあの体色なんだろうと思います。

 それに比べると、ラズは実に体色が濃いですよ。深みのあるオレンジ色をしています。緋ドジョウ界に健康優良児表彰制度があったら、エントリーしたいぐらいに、良い色をしています。

 ただいま、ラズ君、絶好調、なんですね。ペットが元気なのは、何よりです。もしかすると、この子は、夏男?

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2013年7月12日 (金)

練習不足でも、レッスンには休まずに通いましょう

 頑張ってフルートのレッスンに行ってきました。今回は時間どおりに行ける!と思ったものの、ちょっとばかり遅刻してしまいました。先生は、教室のロビーで事務員の方々と、ゆっくりと珈琲を飲みながら、くつろいで待っていてくださいました。ああ、申し訳ないです。

 で、さっそく教室に入って、フルートを組み立てていると、やおら先生が入室してきて、すぐさまロングトーンの練習です。今回も、前回同様に、ピリピリした雰囲気の中でロングトーンの練習です。

 とにかく、フルートは姿勢が大切です。アルタスの田中会長が言ってた「ヘタクソなフルーティストってのは、たいてい下向いて吹いているだな」という言葉を思い出して、とにかく、背筋をピンと伸ばして、正面からやや上を向いてフルートを吹いてみました。もちろん、しっかり腹筋で息を支えて、クチビルは脱力をキープして…です。

 先生の音を聞きながら、少しでも音が濁るようだと…すぐに微調整をしながら、引き続けました。とにかく、オーバーブローにならない事。音量よりも響きを優先して吹く事。これらに気をつけながら吹いてみましたところ…今回は前回とは違って、先生からにらまれる事なく、ロングトーン練習を終えました。

 「なかなか良い音で吹いていましたよ」と誉められました。やったね。

 さて、アルテ15課9章です。最初は『Fis-durのロングトーン』です。吹き始めて、いきなり、変化音の運指を間違えました。「気を抜かずに、次の事を考えながら…、最初っからやり直し!」と言われてしまいました。そして、やり直して、次の音の事を考えながら、吹いていたにも関わらず、一瞬、気が緩んだところで、またまた運指を間違えてしまい、再び最初っから。練習不足すぎて、指が自動運転で行けないので、1音1音考えながら吹いているのですが、どうも気が散りやすくていけません。

 三度目は、本当に気を散らさずに吹いたので、なんとか無事終了。「頭の中をカラッポにして、吹いてはいけません。常に、次の音、次のフレーズ、その先の展開の事を考えながら、目は楽譜を先読みして吹かないといけません」と言われました。そうなんですね、先生のおっしゃる通りです。

 次は1番の「音階準備練習」ですが、先生に「まだ(メトロノームと一緒に)吹けないの?」と尋ねられましたが、まだまだ無理なんです。練習時間が不足していて、一定テンポで音階を吹けないんですね。

 で、メトロノームは勘弁してもらいましたが、やはり、あっちこっちで演奏がつっかかるし、止まってしまいます。黄色いアルテの92ページを見ながら吹いているのですが、頭の中で「ドレミファ~」とか楽譜を音読しながら吹いているのですが、変化音が多すぎて“ミ”と言いながら“ファ”の運指をするなどに苦戦しております。困っちゃうのが、一端演奏が止まって、やり直す時。「次は“ラ”からだけど“ラ”だから“ラ#”? “ラ#”って???」ってなるんですね。で、“ラ#”が“シb”だと気づくまで、ちょっと空白の時間があったりします。

 それに、音を見失った箇所が、すでに第三オクターブの領域に入っていると、自分の演奏すべき箇所と、92ページの楽譜の箇所が、簡単に一致しません。つまり、あまりの高音域の箇所の楽譜は読めません~っていう私の弱点が露呈されるわけです。で、演奏しながら「今の最低音は“レ”だったから…」とか思いながら、最低音が“レ”になっている箇所を探しながら吹いています。もう、心臓バクバクなんですよ。

 ああ、こんな音階練習なんて、さっさと合格してしまいたいものです。でも、それすらできない私が、ここにいます(涙)。

 もう一つ、ダメな事を書くと……ミニオン・エチュードの20番をまだやっている私がここにいます。4月から吹いていますので、すでにこの曲だけで、三カ月? 1/4年もやっているんだねえ、ずいぶん長いこと関わっています(涙)。

 先生曰く「音はだいぶ良くなりました。でも、指がダメだね。指ばかりは、練習するしか手がないからね。とにかく、練習をしてらっしゃい」って言われました。そうなんですよね、練習不足なんですよ。

 この4月以来、徹底的に練習不足な私です。

 声楽も練習不足ですが、声楽は通勤の時間(私は徒歩通勤です)を利用しながら、音源を聞いて、歌詞を覚えたり、メロディーを耳で覚えたり、カラオケを聞きながら、心の中で歌ってみたりとか、それなりに練習のやりようがあります。しかし、楽譜も楽器もない状態では、なかなかフルートの練習はきびしいですね。特に、指の練習は、実際に楽器を構えないとできないので、どうしても練習不足に陥ってしまいます。

 ちょっと前まで、毎日二時間近くもフルートを吹いていた私ですからね。それが今では、30分の練習時間を確保するのがやっとだし、それも毎日は無理なので、どうしても練習時間が少なくなっているんです。ほんと、きびしいですね。

 ですから、練習終わっての、雑談タイムでも、先生が「どう? そろそろ、仕事も落ち着いたでしょう?」とかいたわってくれますが、そう尋ねられると、その日の私が、早朝からエマージェンシーコールがあって、いつもよりも90分も早く出勤せざるをえなかった話とか、忙しくて朝食を食べ損ない、おまけに昼食を午後3時前まで食べれなかった話とか、ああでもないとか、こうでもないとかの、仕事のグチ話になってしまうわけです。

 H先生も、長い事、音大の教授をやられていた方ですから、私の仕事の大変さや忙しさを肌で分かってくれます。私が愚痴るたびに、ウンウンと、うなづいてくれます。だから、先生は私の練習不足を、絶対に攻めません。今は仕方がないと思ってらっしゃるようです。むしろ、遅刻しながらも、頑張ってレッスンに来ている事を誉めてくれますよ。

 「どんなに忙しくても、遅刻してでもいいから、必ずレッスンに来なさい。練習不足なら、レッスンの時間に練習すればいいのだから、必ずレッスンに来なさい」と言ってくれます。私も、なるべくそうしたいと思います。

 現役社会人が趣味を継続するのって、ほんと、大変なんだなあと思うし、去年までの生活が実に懐かしい今日この頃です。人間を管理する仕事よりも、孤独に研究している方が、私の性に合っていると思うんですよねえ…。

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2013年7月11日 (木)

要するに、支えが足りないんだな

 声楽のレッスンの続きです

 曲は、トスティ作曲「Non t'amo piu!/君なんかもう」に代わりました。

 先生からは、しきりに声を支えなさいと言われ続けました。いくら楽な音域だからと言って、声の支えは不可欠。支えのない声では面白くない。特に音程が動く時には、実際の声の前に、支えがグっと入る声が必要との事。

 音程が動く時に、声が動く前に、支えがグっと入るのが声に現れて聞いていて分かるのが、支えで歌った声で、ノド声だと、音程の移動と支えの移動が同時になるので、聞いていて、ノドで歌っているのか、支えで歌っているのか、すぐに分かるのだそうです。

 レッスンの後に、色々な音源を聞いてみたのですが、今まで気にしていなかったのですが、確かに先生がおっしゃる通り、大半のプロの方の歌では、音程が動く前に、支えがグイッグイッと入っているのが声に現れていました。ううむ、気づかなかったなあ…。

 このグイッと支えが入るのは、音程が変わった先の音ではなく、音程が変わる前の音で支えが切り替わるから、グイッと入るのが分かるのだそうです。つまりこれが“準備”と呼ばれる現象なんですね。

 これが顕著に分かるのが、冒頭の“Ricordi ancora”の部分。“Ricordi”の“-di”と“ancora”の“an-”が同じ音符の中に収まって、次の“-co-”に向かって音程がド-ミと上がるのですが、同じドである“-di an-”の“-di”の部分は楽に歌っても“an-”を発声する時に、グイッと支えを入れてから“-cora”と歌うわけですし、楽譜の上でも、それをトスティは要求しているわけです。実に音楽的にも歌唱的にもイタリア語的にも、自然に書かれているのです。…トスティって、やっぱ、天才なんだな。

 とにかく、支えはそこだけではなく、常に入れっぱなしにして歌うのです。常に入れっぱなしにして、要所要所でグイッグイッと更に入れて歌うのです。

 先生曰く「私も若い時は、加減が分からずに、一曲歌うたびにお腹が攣ったものです。やがてカラダが加減を覚えてくるので、攣る事は無くなりましたが、それまではお腹が攣るくらいで、ちょうどよいのです」なんだそうです。まあ、私の場合、加齢と訓練不足で一曲歌いきれるほどに、支えを入れっぱなしに出来ないのが悲しいです。

 「支えが無くなると、ノドで歌い始めるので、途端に音程が悪くなります。音程良く歌うためにも、ノドで歌わずに、支えで歌ってください」なんだそうです。とにかく、支えですよ、大切なのは!

 しかし、レッスンの録音を聞いていると見事に、支えで歌っている時と、ノドで歌っている時と、声がまるで違っていて、自分の事ながら面白かったです。それくらい、支えの声と、ノド声って違うんですね。

 「支えで歌うのは難しいですね。特に支えと声をつなげて歌うのが難しいです」と言ったところ「すとんさんは、速く歌いすぎるんですよ」と言われました。もっとゆっくり歌った方が良いとの事です。これはテンポをゆっくりにしなさいと言うのではなく、メトロノーム的な等間隔のテンポではなく、必要に応じて、時間をかけるべきところでは、うんと時間をかけて歌った方が良いというのです。つまり、機械的に正確なリズムを目指すよりも、多少テンポが揺れてもレガートに歌う事を目指すべきだとおっしゃるわけです。

 さらに、大きな声で歌うのも止めた方が良いと言われました。どうしても大音量を目指すとノド声にならざるを得ないのだそうです。そうすると、支えと声のつながりが悪くなります。なので、声は中音量で良いので、その分、響きを豊かにした方が良いでしょうとの事です。支えと声がつながってくれば、声の響きも豊かになり、声の響きが豊かになれば、それほど大音量でなくても、ホールでは声が隅々まで届くようになります。だから、そっちの方向で歌えるようになりましょうって事です。
 
 
 さて、プッチーニ作曲「トスカ」より「E lucevan le stelle/星は光りぬ」の後半部のレッスンです。

 まずは、脱力して歌い始める練習をしました。私の歌声は“最初から最後までクライマックス!”という歌い方なので、そういう歌い方をしていると、どうしても曲の途中で力尽きて失速せざるをないので、最初はそろりそろりと歌いだして、途中もフワ~ッと歌って、決めるべき箇所だけ、ググっと気合をいれて歌いましょう、それも軽い軽い声で! と言われました。

 さて、問題は、高いAです。この曲では、この高いAが2回出てきます。現在の私にとって、チェンジ後の音は、Gがとにかく完璧ではないけれど、なんとか使える音になりつつありますが、Gisはまだまだ博打で、上手くいったりいかなかったり、Aになると、たまに上手く行くこともあるけれど、まずは上手くいかない音なんですね。Bはまだまだ論外って感じです。で、まず上手くいかないAを上手く出さないといけないのです。

 そのためには、絶対にノドで歌わない事。支えで歌う事。例えば“E non ho amato”はラミファソラという音形なので、ミファの部分でしっかり支えて、ソラの部分はそこで支えたまま、流れで歌う事。特に、ファには“ho amato”の“ho a-”が入っているので“ a-”の部分で、しっかりと支えを入れ直す事が大切なんです。さらに、ミファソラはどれも高い音なので、すべての音で支えつづけるという意識が大切なんです。

 つまり、高音は楽に歌えるはずがないので、覚悟して歌うこと。そのために、そこに至るまでの部分では体力温存で歌わないとダメだよってことなんです。

 先生がおっしゃるには、私の声は、とても軽いので、これくらいのフレーズなら、発声がきちんとすれば、むしろ楽で歌いやすいくらいに感じるはず、なんだそうです。なのに、そうはいかないのは、ノド声であること、支えが足りないことの二点が原因なんだそうです。
 
 
 最後はヴェルディ作曲「椿姫」より「Libiamo,  ne'lieti calici/友よ、さあ飲みあかそう(乾杯の歌)」のレッスンです。

 この曲は、全体的にメロディーが高値安定なんですが、時折、低くメロディーが落ちます。この低い部分をどう歌うかが問題で、ここをしっかり歌ってしまうとポジションまで落ちてしまうので、ここを捨てて歌うという歌い方があります。私も今まではそういう歌い方で歌ってみましたが、今回はむしろ逆で、この低くなった箇所をしっかり歌い、そこからポンと高く上がって歌うという歌い方でやってみました。準備さえしっかり出来ていれば、低いところをきちんと歌った方が結果オーライのようです。

 準備が間に合わないなら、低いところは捨てた方がよいけれど、準備が間に合うなら、低いところはしっかり歌った方が結果が良いのです。どちらが正解なのかと言えば、そりゃあ、低いところをしっかり歌う方が正解です。だって、ヴェルディはそうやって書いているんだもの。

 中間部の“E il mio~”のところは、事前にノドを開けておいて“E”を歌いだす方が良いとのことです。せっかく、子音がないのだから、息を送るだけの状態にして歌った方が良いでしょうとのことです。

 さて、今回のレッスンは諸般の事情で、実は一人で90分近く歌い続けたのですが、なんとかレッスンを終えました。なるべく支えメインで歌おうとしましたが、どうしても悪い癖があるので、部分的にノドで歌ってしまいました。なので、レッスンが終わって、先生に「さすがに今回のレッスンは長かったので、ノドが少々、枯れました」と言ったら、先生が「普通は、あんな歌い方をしていたら、ノドが枯れるぐらいでは済まないです。すとんさんは、本当にノドが強い…言うか、前の先生のところで、ノドを鍛えられたんですね」と誉められました(誉められたんだよね?)

 でも、そのノドの中途半端な強さが、私の上達を阻んでいるんだよなあ…。

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2013年7月10日 (水)

とにかく、軟口蓋が鬼門だな…

 さて、声楽のレッスンの話に入りましょう。まずは、前回の続き、軟口蓋を上げる練習です。

 音域的には難しくない部分で、散々軟口蓋を上げる練習をしました。いやあ、難しいです。とにかく、私自身の軟口蓋を上げるという感覚があやふやですから、上手くいかないんですね…。これは、軟口蓋を上げる感覚がシャープになるのと、きちんと上げられるようになるのは、たぶん同時に達成する話だから、感覚があやふやなうちは、うまくいかないし、きちんと上げられないうちは、感覚もあやふやなままで…となるんでしょうね。

 ううむ、まるで“鶏とタマゴの関係”のようで、難しいですね。とにかく、先生からは「声を前に出さずに、回して出しなさい」と何度も注意されました。

 声を回して出す…感覚的には、声帯からの声を直接吐き出すのではなく、口腔内できちんと響かせてから出しなさい…って事ですが、これは軟口蓋を上げて歌いなさいと、おそらく同義の事だと思います。

 軟口蓋を上げる練習から、そのまま高音を発声する練習になりました。つまり、軟口蓋を上げる事と、高音発声はダイレクトにつながったテクニックって事ですね。

 軟口蓋を上げて、腹圧で息を送って歌う…と言うのは、ノド声とは全く違ったストラテジィによる発声方法です。「ノドで声を支えても、きちんと歌えるなら、それはそれで問題ありません。しかし、ノドで声を支えるためには、かなりノドが強くないといけないですが、すとんさんは、そこで歌い続けられるほど、ノドが強いわけではなさそうなので、、ノドではなく、支えで歌うことをお薦めします」ってわけで、発声のストラテジィを変更している最中なんですね。

 ノド声は、よく諸悪の根源のように言われますが、実はそうでなく、多くの人がノドだけでは歌い切れないだけで、選ばれた一部の人たちは、ノドだけで十分歌えるので、そういう才能の持ち主ならば、ノド声による発声でも全然問題ないのだそうです。

 私は、一般的なアマチュア歌手の中では、かなりノドが強い部類に入るのですが、だからと言って、ノド声で歌いきれるほどのタフなノドを持っているわけではないのです。つまり、中途半端なんですね。なのでY先生は、私のノド声を封印して、通常の発声で歌わせようとしているのだけれど、すっかり染み込んだノド声発声が、それを邪魔しているというのが現状なのです。

 ノド声の良くない点は…ノドが力んでしまう事です。ノドが力むと、声帯も力むので、声帯が萎縮したり硬化したりするわけです。声帯が萎縮してしまうと、音程がぶら下がってしまうわけだし、硬化してしまうと、出るはずの高音が出なくなるのです。十分に強力なノドなら、声帯をさほど萎縮させずに歌えるので、フラットせずに歌えるわけだし、声帯だって硬化しなければ、楽々と高音も発声できるわけです。でも、強くないノドだと、どうしても声帯に力が入ってしまい、萎縮もすれば硬化もするわけなんです。

 今まで(そして今でもまだ)私がフラット気味で高音に制限のある発声をしていたのは、すべてノド声発声によるものだったのです。そこから脱却するために、今まで使っていなかった、軟口蓋と腹筋をきちんと使って歌いましょうって事です。

 いやあ、難しいです。
 
 
 歌のレッスンに入りました。最初は、プッチーニ作曲「トスカ」より「E lucevan le stelle/星は光りぬ」の前半部だけを練習しました。…アリアは一曲通してレッスンすると疲れるので、二回に分けてレッスンなんです(笑)。

 で「星は光りぬ」の前半分を歌いました。やっぱり難しいのは、リズムです。特に困難を感じているのが、六連符のある“Entrava ella, fragrante”の入りの部分。その前の“e un passo sfiorava la rena”の入りと全く同じで、前のフレーズの終わりから5カウント数えて入ればいいだけなのに、なんかピアノ伴奏を聞いてしまって、ヘマるんですよ。と言うのも、この間、ピアノはずっと裏拍で弾いているので、ピアノの音を表拍と感じてしまうと、入りに失敗してしまうわけです。この曲、3/4の表記になっているけれど、だから言ってワルツのリズムじゃないよね…。むしろ、6/8と感じて、二拍子系のビートの方がしっくり来るような気がするんですが…、それも三連符による二拍子系のビートという解釈の方が良いような気がしますが……間違ってますか?……って、厳密にはやっぱり違うんだろうなあ。ああ、リズムが難しい。

 あと、ノドを縦に開けて歌おう歌おうしているせいか、声がすごく重くなってしまってます。「バリトンの私よりも重い声で歌っちゃダメです」と先生からダメが出されました。そうなんですよね、ノドを開くと、ついついポジションが下がってしまって、重い声になってしまうんですよ。これはノドを開く時に、舌根は下がるけれど、軟口蓋がうまく上がらないために、ノドの奥を開けば開くほど、全体的に下に声が広がって、重くなってしまうわけです。

 これなども、軽い声で歌おう、という意識があれば、自然と軟口蓋が上がって歌えるんじゃないかって思います。

 とにかく、軟口蓋が鬼門だな…。

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2013年7月 9日 (火)

選曲は…楽しいなあ その2

 声楽のレッスンに行ってきました。今回は、先生のお仕事の都合で、前回とは一週間しか時間が空いてません。普段は隔週ペースなのですが、こうやって毎週ペースの練習って、なんかいいですね。先生がお暇なら、毎週ペースのレッスンをお願いしたいのですが…本業がお忙しいようなので、それはなかなか頼めません(てへっ)。

 例によって、タクシーでレッスンに向かいました。いつものように、タクシー会社に車を回してくださいと頼んだのですが、そこに出たオペレーターの人が…どうも不慣れな方のようで、私の名前を尋ねてきました。ん? 私の名前と電話番号は、そっちの会社のコンピューターに登録してあるはずなんですが? おまけに、そのオペレーターの方とは、なかなか話が通じません。いつもは、すぐに分かってくれる待ち合わせ場所も、なかなか分からなかったらしく、あれこれ調べていました(土地勘のない新人さんだったのかもしれません)。そこで時間を使ってしまった上に「では、お車は…20分後になります」とか言われてしまいました。

 うへっ? 20分後??

 実はこのタクシー会社、一見さんとご贔屓さんとを区別している会社で、私はご贔屓さん専用番号から電話をかけているわけなのです。だから、かなり忙しい時間帯でも、タクシーを5分と待たされた事はなく、だからこそ、安心して、その会社のタクシーを指名し続け来たわけなんですよ。なのに、20分後? それじゃあ、一見さん扱いじゃない?

 私はY先生のお教室に行く時だけでなく、日常生活の中でも、割と頻繁にタクシーを利用する人です。だって、自家用車、持ってないモン。私は、自分では車を所持せず、必要な時にタクシーを利用するというライフスタイルの人です。だって、その方が何かと経済的でしょ? と言うわけで、私は、本当に、そのタクシー会社にとっては、ご贔屓さんなんですよ。なのに、一見扱いとは…なかなか愉快じゃないですか。

 まあ、一見さん扱いに文句は言わずに、道に出て、その時ちょうど、いつもは無視する他社のタクシーが流して来たので、それを止めて、さっさと乗っちゃいました。もちろん、仁義として、予約を入れたタクシー会社には「今さっき予約を入れた者ですが、20分と言われたので、他社のタクシーに乗りました。なので、さきほど予約を入れたタクシーはキャンセルという事で…」と断りのお電話を入れました。無論、私が名乗らなくても、あちらには私の名前も何もかもご存じなので、ただただ平謝りをしてくれました(そこまでしなくてもいいよって感じで、むしろ申し訳なく感じてしまいました。もちろん、最初に電話をとった推定新人さんのオペレーターとは別の方です)。

 ちなみに、この日は、帰りもタクシーで帰宅したのですが、その時は速攻で車を回してくれたし、翌朝も別件でタクシーを利用したのですが、その時は、こちらが要件を言う前に「ただ今、お車を手配しております」と行って、車を探しながら、私の要件を尋ねてました。ううむ、予約キャンセルのおかげて、私は要注意人物になっちゃったのかもしれない(汗)。

 それはさておき、そんなこんなで、レッスンの開始時刻よりも、たいぶ前にお教室に到着した私です。そこで、前回行なった選曲の続きをする事にしました。

 「前回、先生からお薦めいただいた2曲のうち、チマーラの方を歌いたいと思います」と言いました。

 「チマーラだと、持ち時間の7分には遠く及びませんね。もう一曲はどうしますか?」

 「ドナウディかトスティかと悩みました。どちらにした方が良いでしょうね」と尋ねてみました。先生がおっしゃるには、チマーラとトスティは、あまり相性が良くないのだそうです。チマーラと組み合わせるなら、ドナウディの方が良いでしょうとの事です。

 で…実は、ドナウディと言われて、ちょっと日和ってしまいました。と言うのも、ドナウディ作曲「O del mio amato ben/ああ愛する人の」って曲、私、4年前の2009年の発表会の時に歌っている(音源をネットにもアップしています)のですが、今の私では、あの時の歌唱を越えられる自信が…実はありません。四年前の私が、実は歌手としてのピークだったみたいで、あれから経験を積み重ねてきましたが、年を経るごとに、歌が下手になっていった事は認めざるを得ません。昨年が、そのどん底で、今はそのどん底状態から脱出するべく、日々研鑚と努力を少しずつ(笑)積み重ねている状態なのですが、まだ四年前の歌唱レベルに戻っている自信がありません。

 もし、今の段階でドナウディを歌ってみて、四年前よりもまだヘタクソだったら…それこそ、失われた数年間を嘆き、立ち直れないかもしれません。なので、自分から、候補曲としてドナウディを上げておきながら、実はちょっと日和ってしまったのです。

 先生がおっしゃるには、チマーラは組み合わせが色々と難しい曲で、手頃なのがドナウディなんだそうです。でも「O del mio amato ben/ああ愛する人の」を避けて、今から新曲をさらう事にしても…今の私に合いそうな曲は無いそうなんです。かと言って(キング先生のところで学んだ)私のレパートリーの中から、チマーラと合う曲はないので、結局は、新曲をさらうか、「O del mio amato ben/ああ愛する人の」を歌うかという選択になりました。

 そこで、ああでもない、こうでもないと、先生と色々話した結果、以下の三段階で曲を決める事にしました。

 まず、先生のお薦めとしては、レスピーギの「Invito alla danza/舞踏への誘い」を第一候補とします。ただし、この曲には、高いAsが複数回登場します。ここを自信を持って歌えるなら、この曲にしましょうとの事です。

 そうなんです、この曲、なかなか素晴らしい曲なんですが、Asがあるんですね。私の場合、Asは必ずしも出せない音ではないけれど、それも条件次第で、うまく行かない事もあって、あまり安心して使える音ではないのです。これが、身内の発表会ならともかく、アウェーの外部の演奏会で、安心して使えない音を使用するのはどうだろうか…という話なんです。おまけに、この曲は音楽的にも難しいので、準備期間の短さを考えると、さらに条件的に厳しくなります。

 どんな曲かご紹介するために、ひとまず、レスピーギの「Invito alla danza/舞踏への誘い」の音源を貼っておきます。

 曲はいい感じでしょ、おまけに割といい感じの歌唱だと思います。まあ、私が歌うなら、もう少し男性らしく、しかし、軽めな感じで歌いたいと思ってます。

 先生の二番目の提案は、デ・クルティスの「Non ti scordar di me/忘れな草」です。この曲は、往年の名テノール、タリアヴィーニが歌って有名になった曲なんだそうです。作曲家のデ・クルティスは「帰れソレントへ」などが有名な、ジャンル的にはナポリ民謡の作曲家です。もっとも、この「忘れな草」は、あまり民謡調ではなくクラシカルな曲調で、最近ではイタリア歌曲扱いを受ける事も多い曲なんだそうで、チマーラの「郷愁」と組み合わせも悪くはないでしょうとの事です。

 ちなみに、日本では、この曲の楽譜には二種類あって、Am(イ短調)の全音系の楽譜と、Gm(ト短調)の音友系の楽譜があります。先生が薦めるのは、低い音友系の楽譜での歌唱です。と言うのも、全音系だと最高音は高いAだけれど、音友系だと最高音は高いGとなります。私にとって、Gは割と安全圏の音なんです。まだ百発百中とは行きませんが、よほどキツイ跳躍でない限りは、たぶん(笑)なんとかなります。なので、先生的には「レスピーギがきびしいようなら、デ・クルティスでどうだろうか?」というお話なんです。この曲はレスピーギほど、音楽的に難しくないのも、お薦めなんです。

 なので、デ・クルティスの「Non ti scordar di me/忘れな草」を貼っておきます。ある意味、オリジナル歌手である、タリアヴィーニの歌唱を見つけましたので、それを貼ります。最初は「帰れ、ソレントへ」を歌ってますので「忘れな草」は1:18あたりからとなります。いやあ、こんなふうに歌えたら、最高ですねえ…。

 これらの二曲とも、私にとっては新曲になるわけです。とりあえず、チマーラと、この二曲のうちどちらかで、クラシックコンサートにはエントリーしておいて、練習はチマーラ中心で行なって、もう一曲は余力で準備し、もしも当日までに、もう一曲の方が完成しなかったら、その時は当日、ドナウディに変更して臨むと言うのではどうだろうか?と言う事です。ま、ドナウディだったら、すぐにでも歌えますからね。それも方法としてはアリかな?

 ちなみに、ドナウディ作曲「O del mio amato ben/ああ愛する人の」の音源も貼っておきますが、これは私が4年前に歌ったものです。

 しかし、この音源、今聞き返しても(あれこれとアラはあるモノの)なかなか良いでしょ。今の私が、この曲をこれほどに歌えるかどうか、とても心配です。ここまできちんと歌えないかもしれません。私は他人に負けるのは、割と平気な人なのですが、昔の自分に負けるのは、とてもイヤな人なんです。

 でも、この音源を聞くたびに「ああ、私は本当に歌が下手になってしまったなあ…」と悲しくなるんです。私はこの四年間、いったい何をやっていたんでしょうね(涙)。

 と言うわけで、選曲としては、ひとまず、レスピーギの「Invito alla danza/舞踏への誘い」か、デ・クルティスの「Non Ti Scordar Di Me/忘れな草」かで、悩む事にしました。

 あ、そうそう、クラシックコンサートの選曲もいいけれど、八月の発表会の準備も着々と進めないとね。まずは三曲、しっかりと暗譜しなきゃ。

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2013年7月 8日 (月)

フルートの音の吹き分けについて、考えてみました

 この場合の“音の吹き分け”と言うのは、音程に関する吹き分けの事です。音色とか、その他の事は、また改めてという事で勘弁してください。

 まず私が最初に「音を吹き分けるのって難しいなあ…」って思ったのは、音が1オクターブ違うのに、同じ運指で吹くという、フルート独得の運指システムの事です。

 低音域と中音域のラの運指って同じでしょ? これ、初心者の頃、散々に悩み、困り、そしてヘマッたところです。低音域のラを吹きたいのに、うっかり中音域のラを出してみたり、その逆をやっちゃったりとかね。

 いえいえ、オクターブ関係にある音ならいいのですよ。やがて、腕が多少とも上達してくると、五度上の音がそこに絡んできます。つまり「中音域のラを吹こうとして、うっかり高音域のミを吹いてしまう」って事が生じるようになります。もちろん、運指はラのままですよ。

 これは中音域のラと高音域のミが、それぞれ、低音域のラの第2倍音と第3倍音の関係にあるので、同じラの運指のままで、中音域のラと高音域のミの両方を鳴らす事が可能だからです。

 これらの諸問題を解決するには…逆説的かもしれませんが、徹底的に倍音の練習をすると良いのだと思います。一つの運指で、基音である第1倍音や、その1オクターブ上の第2倍音はもちろん、第3倍音や、可能なら第4倍音、第5倍音まで、意識的に吹けるように訓練しちゃうのです。

 具体的に言えば、ラの運指の場合、低音域のラが第1倍音(基音)で、中音域のラが第2倍音、高音域のミが第3倍音で、高音域のラが第4倍音、4オクターブ目のド#が第5倍音になります。そこまで意識的に吹き分けられるようになれば、鬼に金棒ですね。

 このように、フルートの音の吹き分けは、倍音の練習をする事で、コントロール可能になるわけですが、この倍音の練習ってのは、とどのつまり、ブレスコントロールの練習であるわけです。と言うのも、どの倍音を意識的に鳴らすかは、自分の意識と腹圧の掛け具合で変わるからです。

 これがさらに進むと、運指と意識(with 腹圧)がズレてしまうと、音が鳴らなくなるって状態に陥ります。特に、第3オクターブとか、第1オクターブの低い方の音はは、きちんと意識的しないとなりません。

 初心者のうちは、高音域のミの発音に苦労する人が大勢いますが、これは運指と意識がしっかり結びついていないから発声に苦労するのだと私は思います。

 私もだいぶフルートに慣れて、高音ミの発声で苦労する事はなくなりましたが、それでも意識していないと、高音ミの発声で失敗することがあります。同様に、低音のド~レも、しっかり意識していないと、きちんと鳴りませんし、高音域のシbよりも高い音も意識していないと、きちんと鳴りません。それほど、意識的にフルートを吹く、と言うのは、大切な事のように思われます。

 おそらく、すべての音に固有の運指が振り分けられていたなら、フルートも、音の吹き分けなどせずに、もっと楽に演奏できるようになったのだと思います。しかし、複数の音が同じ運指で発声できるからこそ、フルートは演奏が容易になっている部分もあるのだろうと思います。

 ううむ、フルートって、奥深いなあ。

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2013年7月 7日 (日)

人生で「ああ、年を取ってしまったなあ…」と感じた瞬間[2013年7月第1週・通算21週]

体重:104.6kg[+0.2kg:-7.6kg]
体脂肪率:29.2%[+0.2%:-1.8%]
BMI:33.0[+-0.0:-2.4]
体脂肪質量:30.5kg[+0.1kg:-4.3kg]
腹囲:100.0cm[-1.0cm:-8.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 一年一年、人は年を取ります。塵も積もればなんとやら、私もいつのまにか、たっぷり年を取っています。この年まで元気に生きてこられた事に感謝しています。しかし、年齢は重ねつつも、感覚はいつまでも昔のままだったりして、ふとある時「自分は年を取ってしまっていたのだ…」と自覚する事があります。そんな瞬間の“ベスト5”について、書いてみたいと思いました。
 
 
 さて、ベスト5ですが…

5)高校球児が自分よりも年下になってしまった時

 これ、たぶん、大学生の頃の話だと思います。

 私自身は野球には興味も関心もない人間ですが、私の父が野球大好きで、実家で暮らしていた頃は、テレビのチャンネル権は父が持っていたので、来る日も来る日も野球ばかり見せつけられていました。当然、高校甲子園野球もたっぷりと見せつけられていました。

 小学生や中学生だった頃の私にとって、高校球児たちって“年上のカッコいい兄ちゃんたち”だったわけですよ。そんな彼らの姿を横目で見るのが、幼い私の日常風景だったわけです。

 で、いつもいつも“年上のカッコいい兄ちゃんたち”と思っていた高校球児たちを、ふと「そう言えば、この兄ちゃんたち…私よりも年下なんだよ」と思ったのが、たぶん大学生の頃、なんか、急に自分が年をとってしまった事に気づき、寂しくなった事を覚えています。

 そして、同じ頃、アイドル系の女性歌手もまた“キレイなお姉さん”だったはずなのに、いつのまにか年下になってしまった事にも気がつきました。そしたら、急に、アイドルに興味を持てなくなりました。アイドルって“年上の手の届かないお姉様”だからいいんだよね。年下のかわいい女の子だったら、身近にいるガールフレンドたちでいいじゃん…って思うようになったわけです。
 
 
4)テレビで「このオバチャン、いつまで若いつもりでいるの?」と思って見た時、自分よりも年下だった時

 これは、人生をなめきっていた三十代の頃のお話です。あの頃って「女なんてクリスマスケーキみたいなもの。せいぜい、二十代前半までで、二十代も後半になれば、ただのババア」なんて、ヒドい事を本気で思っていた時代が、私にもありました(今は決してそんな事、思ってませんよ:念のため)。

 だから、今で言うアラサーの女性タレントさんが、テレビではしゃいでいるのを見ると、なんか見苦しいものを見てしまったような気がして、意味なく不愉快に感じていたんですよ。

 で、ある日、テレビを見ていると、やはりアラサーの女性タレントがはしゃいでいるのを見て「このオバチャン、いつまで若いつもりでいるの?」って思ったわけですが、そしてすぐ「…この娘(ついちょっと前に“オバチャン”呼ばわりした女性タレントの事ね)、もしかして、私よりも…年下? いや、確実に年下じゃん!」と思って…ヘコみました。

 “オバチャン”とか呼んで馬鹿にしていたタレントさんよりも、自分の方が年上だって事に気づいた時は…ほんと、凹んだものです。そして「ああ、私も年を取ってしまったんだなあ」と思ったものです。

 ちなみに、今では、アラサーどころか、アラフォーの女性タレントも、かわいく見られるようになりました。心、ときめいちゃいますよ(爆)。それどころか、二十代のタレントさんなんて、娘みたいなものなので、もう直視できませんよ(笑)。
 
 
3)テレビで「このオッサン、かっちょわり~」と思って見た時、自分よりも年下だった時

 テレビのニュースワイドショー的な番組で、新橋あたりの、夜のサラリーマンにインタビューするってのを、時々やっているじゃないですか? ああいうところに出てくるサラリーマンって、普通の(エリート)サラリーマンなわけです。

 テレビには、私よりも年配のサラリーマンも出てきますし、同年配や若いサラリーマンも出てきます。若い人は若くてさわやかだし、年配者は年配者で貫祿があって格好良いのです。で、たまに、見るからに(外見的に)ダメダメなサラリーマンが出てきて、いわば刺身のツマてきな扱いを受けていたりするんですよ。

 で、ある日、見るからにダメダメな、オッサンくさいサラリーマンさんが出てきて、インタビューを受けているのを見たんです。「ああ、かっちょわり~オッサンだなあ」と思って見ていたら、その人の年齢が出てきて……私よりも年下。ゲゲっと思って、しばらく見続けていると、次から次へと出てくる、かっちょわり~オッサンサラリーマンが、ことごとく、私よりも年下。

 私よりも年下なのに、もうこんなに、オッサンなの? こんなに老醜の固まりになっているわけ? この時は、まるで、懲役勧告をくらったような、もう這い上がれないような気持ちになりました。ほんと、ガックリですよ。年下なのに、この老醜なんて…。じゃあ、いったい、私はどうなのよって…まるで懲役勧告ですよ、ほんともう…。
 
 
2)初めて老眼鏡を買いに行った時

 ある時期を境に、目がカスミ、本が読めなくなってしまいました。私は元々、視力だけは良い方で、目で不自由を感じたことはなかった人だったので、この現象にうろたえ、眼科に行ったところ、あっさり「病気ではありません。老眼です。老眼鏡をかけてください」と言われて、その足で、メガネ屋に行って、老眼鏡を買いました。まだ、三十代も後半だった頃の話です。

 40手前なのに、もう老眼? ほんと、あの時ほど“老い”に直面した事はありませんでした。もう、自分は若くないし、若者でもないんだなあ…といまさらに思った次第です。
 
 
1)同年配の友人がガンで亡くなった時

 小児ガンとか、そういう一部のガンを除いて、私はガンという病気は、基本的に老人性の病気だと思ってます。

 少なくとも、体細胞が分裂可能な回数を越えて分裂をした結果、分裂の仕方を、うっかり間違えちゃてできたのがガン細胞だと思ってます。だから、老人性の病気。そう私は信じてます。

 だから、若者は基本的にガンにはならない。ガンになるのは、老人たちだけ…なんて思っているわけです。

 だから、自分と同年配の友人たちが、次々とガンで亡くなっていくのを見ると、次は自分? なんて思ったりします。老人性の病気が他人事ではなくなったわけです。

 葬式帰りが、そのまま同窓会になったりして…。そういうのって、テレビのドラマの世界の話かと思ってましたが、現実に、そういう世界があるわけですし、私もそっちの世界の人間になってきたわけです。

 ああ、ほんと、私も年を取ったものです。それにしても、友人の死は、けっこう、堪えます。

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2013年7月 6日 (土)

オーバーブローしちゃうのは、結局、鍛え方が足りない…って事かな?

 フルートのレッスンに行ってきました。

 ええと、いつもの土曜日なら、金魚の記事をアップするはずですが、今週は何かと忙しくて、書くべきことが沢山あって、平日の分からはみ出してしまったので、金魚の記事は一回お休みして、今回はフルートのレッスン記事をアップします。ご了解ください。

 ええと、フルートのレッスンに遅刻して行きました。お教室に近づいたら、何やら力強いフルートの音が聞こえてきました。先生が自分の練習をしながら私を待っていてくれました。それにしても、先生が本気でフルートを吹くと、全然音の勢いが違います。「こんな音、聞いたことない!」って感じです。ここまでのパワーがあるから、ステージでも演奏が出来るんだなって思いました。プロはやっぱり全然違うのです。

 さて、ロングトーン練習です。今回は先生と二人きりでしたので…色々と厳しかったです。まず、ほんのちょっとでも音程が乱れると、先生が演奏の手を止めて、黙って私を睨みつけます。…これ、結構怖いですよ。そんな感じでのロングトーン練習は…生きた心地がしませんでした。

 今回から始まる、アルテ15課9章のFis-durは『Fis-durのロングトーン』からですが、これは割とすんなり行きました。やはりbよりも#の方が感覚的に、私には受け入れやすいみたいです。とは言え、ミの時にファの運指をしたり、レの時にミbだとか、ラの時にシbとかは、慣れません。やはり私は頭が硬いのかもしれません。

 で、その手の変化音が受け入れられないまま、1番の「音階準備練習」をしても、スラスラとはできるはずもなく、今回は不合格です。まあ、想定の範囲内の出来事だね。

 ミニオン・エチュードの20番は…難しいね。それでも、自分でも、リズムが正確になって、色々とメロディーが揺れても、音楽そのものは、要所要所がうまくツボにハマるのが分かるようになりました。

 「ますます良くなってきてますね。あともう少しで合格かな? だから、もっと練習してきてください」と先生に言われました。毎回、毎回、少しずつ前に進んでいるような感じなんです。
 
 
 さて、今回の雑談は「ゴールドフルートやプラチナフルートにすると、オーバーブローをしづらくなると聞きましたが、それは本当ですか?」と先生にダイレクトに説明してみました。

 「ああ、そういう事を言う人がいるけれど、それは素人さんだね」とバッサリでした。そして、おもむろにご自分のゴールドフルート(14K厚管ゴールド)を取り出して、オーバーブローの音と、ちゃんとした音の二種類の音を出してくれました。つまり、ゴールドフルートでも、ヘタクソに吹けば、きちんとオーバーブローするって事です。

 「フルートには鳴らすポイントと言うのがあって、そこにだけ、適切な量の息を、程良い速さで当てると、きちんと鳴るのです。ポイントをはみ出して息を当てたり、多すぎる息とか、強すぎる息とかを当ててしまうのが、オーバーブローの正体なんです。つまり、場所的、量的、パワー的に、過剰な息だと、オーバーブローになってしまうのです」との事です。

 オーバーブローしたくなければ、まずは息のコントロールがうまく出来る様に、自分を鍛える事なんだそうです。常に適切な量の息を適切な速度で出し続ける事が出来る事。また、息の大きさ(断面積)をフルートのポイントよりも大きくも小さくもない(息の)サイズで出せる事。このように、息の量と速度、拡散しない息でポイントだけを過不足なく命中させて上手に当てる事が大切なんです。

 ちなみに、パワー的な問題は、息の支えが問題であって、往々にして、腹筋が弱いと、息のコントロールがうまくできずに、吹きすぎるのだそうです(私はこのパターン?)。

 オーバーブローと言うのは、文字通り「吹きすぎ」なわけで、過剰な息でフルートを吹いているために、ポイントから外れた息がムリヤリな汚い音になってしまい、それがオーバーブロー特有の音色となるのだそうです。

 大切な事は、その楽器に合わせた息で吹ける事のようです。

 私が思うに、先生は否定されましたが、ゴールドフルートやプラチナフルートでオーバーブローをしづらくなるのは、アマチュアに限っては、本当の話だと思います。

 その原因は、主にフルートの材質の比重の重さの違いから来るモノで、私のように、ブレスコントロールが下手で、ついつい息を吐き過ぎてしまうアマチュアにとっては、吐き過ぎた息を受け止める度量のあるゴールドやプラチナの方が、オーバーブローしづらくなると感じるのです。つまり「演奏者の技術不足を、楽器の性能で補う」ってパターンです。

 そういう意味で『ゴールドやプラチナだとオーバーブローしづらくなる』と感じる方がいらっしゃるわけです。で、H先生のようなブレスコントロールが完璧な人だと、演奏者の技術と楽器の性能が釣り合っていたりするので、そのあたりは問題ではなくなるので、材質によって、オーバーブローしづらくなるとかならなくなるとは、無いのだと思います。

 ま、私の場合、息をポイントには当てているけれど、息の大きさが無頓着で、ポイントよりも広い息で、それも強めに吹いているので、オーバーフローを起こしております。

 自分で分かっているのだけれど、それをどうしようもできないのが、歯がゆいですね。
 そうそう、フルートの材質の違いは、オーバーブローうんぬんと言うよりも、単純に受け入れられるパワーの違いなんだそうです。

 ちなみに先生が分かりやすく、フルートを車にたとえて説明してくれました。

 先生がおっしゃるには、洋銀のフルートは「大衆車のフルート」なんだそうです。いわばブルーバード(例えが古い:汗)のような感じなんだそうです。実用車としては十分なわけで、手軽に町中をスイスイ走れるための車なんです。だから普通のアマチュアなら、洋銀のフルートで十分なんだそうです。

 総銀フルートは「高級乗用車」でクラウンのようなものだそうです。あくまでも乗用車なんだけれど、大衆車などとは作りが違うので、乗り心地が良かったりするモノ、といった感じ。プロアマ問わずに、普通に気持ちよく使える楽器が総銀フルートなんだそうです。

 9kあたりのゴールドフルートは『スポーツ車』で、いわばポルシェのようなもの。クラウンなどよりも、楽に走れるし加速なども良いけれど、快適さでは、クラウンには劣るって感じだそうです。そして、ここまでは、一般道で走っても良い車で、楽器としても、アマチュアが使用しても大丈夫なモノだそうです。

 一方、14k以上のゴールドフルートは、サーキットで走るレーシングカーのようなもので、とてもとてもアマチュアでは使いこなせない楽器なんだそうです。14Kあたりは、本当に楽器を鳴らすのが大変で、音大生や若手プロあたりだと、吹きこなせていない人も大勢いるとか。

 また、ゴールドフルートになると、メーカーごとの差もかなり大きくて、ムラマツは比較的吹いていても楽なんだけれど、アメリカ系のフルートは、とてつもなく体力を必要とするんだそうです。先生でも「パウエルなんかは、一時間も吹いていると、イヤになるくらい、重いフルート」なんだそうです。

 楽器は、見栄を張っても仕方ないので、自分に合った楽器を使うのが一番なんだそうです。

 ふーんって感じですね。って事は、先生は私にしきりに9Kを薦めるけれど、これって「お前には総銀は荷が重いんだよねえ」って事なのかしら? うううむ、怖くて、尋ねられないです。

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2013年7月 5日 (金)

声をしっかり閉じましょう

 声楽のレッスンの続きです。

 一通り、発声練習が終わったので、歌の練習に入りました。曲は、前回のレッスンでは十分にできなかった、プッチーニ作曲「トスカ」より「E lucevan le stelle/星は光りぬ」です。

 まずはピアノと歌が(リズム的に)合う事。この曲は合わせが難しいのだそうです。特に曲の前半の合わせが難しい。もちろん、発表会のピアニストさんはプロなので、私がどう歌っても合わせてくれるだろうけれど、ピアニストさんが合わせてくれる事に甘えずに、ピアニストさんが楽に合わせられるように、こちらもきちんと歌わないとダメって事なんです。ま、発表会に向けて、ただ歌えればいいのではなく、そこに至る過程で、色々と学びましょうって事です。

 とにかく、テンポは揺れ続けるし、耳で聞いていると、リズムの表裏が錯綜してしまいがちだけれど、ビート感はしっかりと保ち、大きなリズムの流れから外れないように歌うのが肝心です。

 しかし、レッスンってのは、怖いですね。家ではできているつもりの事でも、レッスンに行くと、全然できていなかったり、全く違った事をしちゃったりするんですね。ありゃ、なんででしょうね?

 中間部以降の合わせは、きちんとブレスをピアニストさんに見せて歌えば、ピアニストさんが合わせてくれるので、しっかりとブレスをピアニストさんに見せる事が大切なんだそうです。だから、ちょっとばかり大袈裟なブレスがいいわけですね。

 そのためには、たっぷり休んで、たっぷり息を吸って、悠々とフレーズに入る事が大切です。決して、焦っちゃいけないわけです。いつでも、男と言うものは、イキ急いではいけないのです(笑)。

 そういう意味では、一定の間隔でビートが刻まれるポピュラー音楽とは全然違うわけで、ビートはあるけれど、その間隔は決して一定ではないのです。ほんと、ビートをしっかり取るためにも、実際の演奏の際には、指揮者がいて、ビートやらテンポやらを視覚化してくれる人がいると、とてもうれしい曲です。実際(オペラの舞台での)プロの演奏では、必ず指揮者がいて、歌手は指揮者とコンタクトを取りながら歌うのがこの曲です。しかし、今回のように、アリアだけ取り出して歌う時は、歌手自身が指揮者となって、ビートやらテンポやらをオーケストラと言うか、ピアノに伝えるのですから、ある意味、オペラの舞台で歌うよりも、難しい事をしているのかもしれません。

 また、曲の随所にあるppに気をつけるように、とも言われました。ppの箇所は、本当にppで歌う事。しっかり声を腹筋で支えていれば、ppの声であっても、お客にはしっかり聞こえるので、恐れずにppで歌うのです。しっかり支えて軽く歌う…これを学ばないとダメなんです。

 ppで歌うと声が引っくり返る事もあるけれど、その時はその時と割り切る事も必要。声の引っくり返りは、ノド声の反対の声なんだそうです。ノド声から脱却するためには、声が引っくり返る事も恐れずに、声が引っくり返る方向にわざとハンドルを切っていく覚悟が必要なのです。

 確かに、私の場合、声の引っくり返りを無意識に避け、そのためにノド声になっている部分は…あるなあ(笑)。そういう意味では、覚悟が足りないのです。

 曲の後半にある最大の聞かせ所である“E non ho amato”の箇所は、階名で書くと、ラミファソラと上昇音形であって、私的には“ソラ”の部分が音程的にギリギリなんですね。だから、ついつい“ソラ”のところで力んでしまうわけですが、そこで力んでも、実は後の祭りなんです。大切なのは、実は“ラミ”の“ミ”の時に、声を閉じる事が肝心なんだそうです。

 私の声は、基本的に開いている声(アペルト)で、その声のままでも中間音域なら歌えるのだけれど、高音に行くためには、どこかで声を閉じないといけないのです。そうしないと、上手くジラーレできないのです。

 私のチェンジの箇所はファ#なので、その手前でしっかり声を閉じて、閉じた声でチェンジ箇所を通りすぎてジラーレに持っていけば、後はうまく行くはずなので、チェンジに入る前に声を閉じる練習をしました。

 声を閉じる…と言いますが、具体的に、よりノドの奥を縦開きにする事なんです。ノドを縦開きにする事で、声は閉じていくわけで、私のように、ノドの奥が横に開いていると、声が開いてしまうのです。

 で、練習をしていますと、私の場合、声が閉じると同時にポジションが下がるのです。大笑いですね。それじゃあ、ダメなんですよ。声が開くとポジションがあがり、声が閉じるとポジションが下がる。それじゃあ、本当にダメダメなわけで、だからうまく高音が歌えないのです。まずは、ポジションの高低と、声の開閉を切り離すところから始めないといけないという事になりました。いやあ、難しい。キング先生からは「もう、あなたには教える事はありません」と言われましたが、いやいやまだまだ、学ばないといけない事だらけな私でした。

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2013年7月 4日 (木)

良い発声とは、他人をぶん殴るようなもの

 さて、選曲はさておき、肝心のレッスンの話に移ります。

 まずはポジションを上に保ったまま歌う練習をしました。最初に高い音を発声して、そのまま低い音を歌うのですが、これが難しいです。私は、最初こそ、高いポジションで高い音を歌えますが、音程が低い音になると、そのままポジションも一緒に下がってしまい、そこからポジションを下に置いたままで、高い音程の音を発声しようとするので、色々と支障が生じるわけで、それを防ぐためには、どんな音程の音であっても、高いポジションで歌う必要があるわけです。

 でも、高いポジションのままで低い音程の音を歌おうとすると、全く声に響きがなくなり、声帯もロクに振動せず、なんか歌った気がしません。だから、無意識にポジションを下げてしまうのでしょうが、それではいけないのです。いくら歌った気がしなくても、気にしてはいけません。いわば「低い音は捨てる」覚悟で歌っていかないと、高いポジションのままでは歌えません。

 理屈は分かりますが、なかなかできません(涙)。

 先生がおっしゃるには、人は低いポジションのまま歌うのが、本来の姿だし、そっちの方が楽なんだそうです。なので、私のやり方は、実に“素人臭い”やり方なわけです。なぜなら、高いポジションで歌うには、ちょっとばかりの気合と準備が必要(つまり、この辺りがプロっぽい?)なんです。

 私が「???」となっていると、先生は、楽にボーと立った姿勢のまま、いきなりアッパーで殴ってきました。ビックリです。「下から殴るなら、何の準備もいらないんだよ」とおっしゃいました。このように、自然体の姿勢のまま、アッパーで殴りかかるなら、確かに何の準備もいらず、ノーアクションのまま、ブランとぶら下がった腕から、簡単に殴り掛かれます。

 しかし、ジャブやストレートで他人を殴ろうと思ったなら、一度、腕を持ち上げないといけません。ましてや、上から振りかぶるように殴るなら、こぶしを一番高いところまで持ち上げないといけません。

 「歌も同じ事なんですよ」

 人の声は、普通は低いポジションで発声されるんだそうです。その方が楽だからね。この低いポジションのまま歌うなら、何の準備もなく、発声できます。でも元々が低いポジションだから、大した高さまで歌えず、結果として音域は狭いままだし、ルーズな声となります。

 しかし、高いポジションで歌おうとするなら、上から腕を振りかぶって殴り掛かるようなもので、一度、腕ならぬ声のポジションを思いっきり上に持っていかないといけないわけで、そのためには、声のポジションを上にあげる気合とかエネルギーって奴が必要だし、何よりこぶしならぬポジションを、その位置まで持っていく時間も必要です。その代わり、かなり高いところまで声で出るわけで、広い音域と、張りのある声がえられます。

 いやあ、発声の説明をするのに、他人をぶん殴る例えをするとは……さすがに男の会話ですな。よく分かりました。他人を殴るためには、殴る前に、タメの予備動作が必要なわけで…先生も、よく他人をぶん殴っていたのかな? ちなみに私は格闘技経験者だから、他人を殴るとか殴られるとかは、日常茶飯にやっていました(笑)。

 ちなみに鼻を殴られると、イオウの匂いがするんだね。つまり“痛み”って、イオウの香りなんだよ、知ってた?

 次に行なったのは、響きを伴った声を前に飛ばす練習です。意識的に、声を前に前に出していく練習です。大切なのは、音量は増さず、ノドは脱力したまま、声だけ前に飛ばすのです。ノドの力に頼らずに、音量に頼らずに、軽く遠くまで届く声で歌えるようになるための練習です。ま、簡単にはできませんね。

 ノドの奥を縦開きにして歌う練習もしました。最近は、Y先生のご指導のおかげもあり、クチの先の方は、だいぶ縦開きで歌えるようになりましたが、まだまだ縦開きなのは、口先だけで、クチの奥は相変わらず横開きのままなんだそうです。それを駆逐するためには、まず口蓋錘を意識的に上げていく事が大切なのですが、口蓋錘を意識的に上げるのが私には難しいです。…ってか、口蓋錘、意識的に上げられません。神経が口蓋錘まできちんと到達していません。

 「これは練習して、なんとか口蓋錘を自分の意識下においてください」と言われました。その通りですよね。自分の口蓋錘ぐらい自分の意識下に置きたいものです。しかし、口蓋錘って、自分には見えない場所にあって、本当に上がっているかどうか、自分だけでは分かりづらいんですよね。いつもいつも鏡を持って歩いているわけにはいきませんからね。

 と言ったところ「ならば、ノドボトケで確認をすればいいのです」とおっしゃいました。なんでも、口蓋錘とノドボトケは連動しているので、ノドボトケが下がっている時は、口蓋錘は上がっているので、それで確認できるそうです……が、問題は、私、ノドボトケが見えないんだよねえ(笑)。私に限らず、テノールって人種には、ノドボトケって(見え)ないモノなんです。そこは女性と同じで、触ってみて初めてその存在が確認できるって奴でして、そういう意味では、ノドボトケを見て確認できるバリトンやバスがうらやましいです。

 ひとまず、ノドに手を当てながら、練習するようにしましょう。

 この口蓋錘を上げるという事は、とても大切なそうで、テノールの声帯を持っている人が口蓋錘を上げると、高いAまでの音が発声できるようになるのだそうです。逆に言うと、私がうまくAを歌えないのは、口蓋錘がきちんと上がっていないからなんだそうです。なので、口蓋錘をきちんと上げられるようになる事が、目下の急務って奴です。

 この口蓋錘を上げると言う事も、実は間接的な運動で、本当の目的は、声帯をピンと張る事なんだそうです。つまり、人間は自分にとって楽な音域を歌うときは、声帯が多少弛んでいてもOKなんですが、自分にとってシンドイ音を歌うときは、かなりきちんと声帯を張らないと難しいのだそうです。だから、テノールは高い音の時に、口蓋錘を上げて歌うけれど、バリトンやバスは、低い音の時に口蓋錘を上げて歌うんだそです。へえー、面白い。メカニズム的には違うのかもしれないけれど、操作的には、高い音と低い音は、同じ操作で出すわけですね。

 いやいや、発声も奥深いものです。

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2013年7月 3日 (水)

選曲は…楽しいなあ

 声楽のレッスンに行ってきました。今回も雨降りでして、前回のレッスンの時、雨降りだったのに、私一人がタクシーに乗っていき、妻は先生のお宅まで歩いて行った事に不満があったようなので、今回は、私がタクシーで先生宅に向かう途中で、妻を拾っていきました。一人で行っても、二人で行っても、タクシー代って同じですから、だったら途中で妻を拾っていっても経済的な負担は変わらず、妻の不満は軽減するわけで…ああ、良かったなあって思いました。

 これからも毎回、妻を拾って…とも思いましたが、私がレッスンに行ける時間が毎回まちまちで、遅刻をしないといけない時もあるので、必ず妻を拾って行くわけにはいかないのが、難しいところです。まあとりあえず、先生のお宅に早く行けそうな時は、妻を拾って行くことにしましょう。

 先生のお宅に到着して、まず、真っ先に行なったのは…10月のクラシックコンサートに向けての選曲です。今回は私の曲を選んでみました。とにかく、引越し準備のために、先生の手持ちの楽譜は、現在のところ全て、この教室のある、実家の練習室にあるので、曲なんて、ほんと、選び放題なんです。

 まずは、どんな方針で曲を選択しましょうかという話になりました。とにかく、今回は準備期間が短い(8月中旬の発表会の後、10月上旬のクラシックコンサートの準備を始めるので、練習期間は、たぶん一カ月半…でも直前はピアノ合わせになるから、実質一カ月。レッスンの回数にすると、たぶん2~3回くらい)ので、その短い時間で人前で歌える歌を準備する必要がある事を考えると、与えられた持ち時間(7分あります)で大きな曲を一曲歌うのは、ちょっと怖いです。中規模の曲を2曲選んで、一曲は自分のレパートリーの中から選んで(つまり“保険”です)、もう一曲だけを新曲にしましょうという事にしました。

 保険? そうなんですよ。なにしろ、クラシックコンサートはアウェーの発表会ですし、Y先生的には知り合いが主催しているコンサートなので、そこに自分の生徒を送り込むという事は…失敗されたら、アレコレ言われてイヤなので(Y先生は、地元じゃ顔役な先生だから、そりゃあそうだよね)ひとまず無難にステージをこなして欲しい…と願っているわけです。…だからと言って、私たちにクラシックコンサートに出ちゃいけないとかではなく、せっかくのチャンスなんだから、頑張って来いっておっしゃってますんです(笑)。

 で、保険としての、レパートリーからの候補曲は、トスティ作曲「L'ultima canzone/最後の歌」か、ドナウディ作曲「O del mio amato ben/ああ愛する人の」あたりがいいかなって思ってます。一応、イタリア近代歌曲からの選曲です。

 なので、もう一曲の新曲の方も、イタリア近代歌曲から選曲するのがいいんじゃないかと言ったら、先生が提示してきたのが、團伊玖磨作曲「夕鶴」より「つうと与ひょうの二重唱」でした。おっと、いきなり日本語のオペラですか? それも二重唱。

 「これ、良い曲なんですよ~」と先生がお薦めするわけです。でも、日本語ですか? いきなり日本語は難しいし、短い準備期間では仕上げまでいけるかどうか…とグチグチ言ってたら、先生ピアノを弾きながら「これ、やっぱり音楽的に難しいなあ…」とひと言。これで却下になりました。日本歌曲などの勉強をしてから、いずれは「夕鶴」には取り組みたいものの、今はまだ無理でしょう。

 それからも、先生は、あれやこれやとピアノを弾きながら歌い飛ばして、色々と提案してくれました。中には、とても良い曲があったのですが…タイトルや作曲家を思い出せずに、曲が特定できなかったものもありました。ううむ、時間とココロの余裕があったら、それらを特定したかったなあ…。それにしても、選曲の方向性がキング先生とは全然違うので、改めて、門下を移ったんだなあ…って思いました。

 色々と先生が提案してくださった中から、最終的に二曲が残りました。その二曲を私が家に持ち帰って、どちらにするのか、じっくりと考えてくる事になりました。

 その二曲とは、チマーラ作曲の「Nostalgia/郷愁」と、ファルヴォ作曲の「Dicitencello vuie/彼女に告げて」です。どちらの曲も「バリトンが歌っても、面白くないけれど、テノールが歌うと、素晴らしい曲」なんだそうです。つまりテノール向きの曲ってわけです。ちなみに、チマーラはいわゆる“イタリア近代歌曲”って奴ですね。ファルヴォの方は…ナポリ民謡と言うか、カンツォーネって奴です。お二人とも、20世紀の前半に活躍した作曲家なので、いわゆるクラシック系の曲としては、かなりこっち側の曲ですね。

 ひとまず、チマーラの「郷愁」の音源を貼っておきます。しかし、チマーラの「郷愁」ってマイナーな曲なんですね。この曲のテノールの歌唱がYouTUBEには無いばかりか、一曲だけでアップされている音源もなく、今回アップした音源も、3曲連続の2曲目になってます。だいたい2分50秒から始まっている曲です。それにしても、見事な歌唱です。こういう静的な曲って、歌うの、難しいんですよね(汗)。でも、確かに、声の軽いテノールが歌ったら、なかなかいい感じになりそうな曲ですね。

 ついでですか、もう一曲、ファルヴォ作曲の「Dicitencello vuie/彼女に告げて」の音源も貼っておきます。この曲の音源は(カンツッーネですから:笑)YouTUBEには実にたくさんありましたけれど、やはりテノールの歌唱がいいでしょうって事で、三大テノールの奴を貼っておきます(笑)。

 いや、ほんと。どちらの曲を歌いましょうか? また、組み合わせるとしたら「ああ、愛する人の」かな、それとも「最後の歌」かな? それとも、全然別の曲の方がいいかな? ああ、悩む悩む。

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2013年7月 2日 (火)

後輩君とのデュエットの行方は…

 私も後輩君も仕事が忙しいので、実はデュエットの計画は、あまり進んでいませんが、それでも一応、なんやかんやと動いていますので、中間報告的なことをしておきます。

 実は、9月中旬に行なわれる、某イベントの余興として出演するつもりで、事を進めております。そのため、そのイベントへのエントリーと、その際の登録グループ名を後輩君にお願いしました。「ぜひ、ファンキーなコンビ名をよろしく!」と言っておきました。さて、どんなグループ名になるやら。

 一応、コスプレをして演奏することまでは決定(なにしろ“余興”だから:笑)。どんなコスプレがいいのかな? …って、一応、今のところ、ラテンっぽいコスプレ(ソンブレロを被って、チョビヒゲつけて…)がいいんじゃないかと後輩君は言ってますが、たぶん、それは面倒くさそうだから却下だな(笑)。

 問題となる選曲ですが…後輩君のフルートの腕前的に、選べる曲がなくて困っております。簡単なフルートデュエットの譜面を渡していますが、それでも難しいみたいです。そこで、彼がレッスンでサラった練習曲でもいいんじゃないかという話になりました。練習曲と言えども、二重唱曲ですからね。私はその曲をちゃんと見てませんが(後輩君はアルテを使用しているわけじゃないんですね)、1コーラス目は彼が上で私が下を楽譜どおりに吹いて、2コーラス目で、彼が下を吹いている時に、私が暴れて(笑)、で、3コーラスで1コーラス同様にすれば、簡単な練習曲でも、聞かせられる演奏になるのではないかと思ってます。…要は、私が2コーラス目でどれだけ、自由に吹けるかが、演奏のカギになるのかなって思ってます。まあ、なんとかなるでしょ。

 いっそ、そのために、夏に沖縄に行って、笛先生のレッスンを受けてきちゃおうかな。

 それはともかく、そんな感じに考えていて、ちっとも準備なんてしていない私たちでした。でも、そろそろ、やるなら、色々なことをきちんと決めないといけないし、それぞれに練習に入らないといけないよね…って、まだ早いか? 歌だったら、最低三カ月準備したいところだけれど、フルートだと、どれくらいの準備期間が必要なのかな? 歌と違って、暗譜をするつもりはないから、一カ月も準備期間があれば十分なら、まだまだ余裕なんだけれどな。

 あとやっぱり、コスプレなんだから、額に“肉”とか、書くべきだろうか?

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2013年7月 1日 (月)

パリオペラ座ライブビューイングで「ファルスタッフ」を見てきました

 はい、またも行ってきました、東京日比谷のみゆき座! 先週にひきつづき、二週連続で、お出かけでした。は~、疲れた疲れた。

 今回の演目は、ヴェルディ作曲の「ファルスタッフ」です。ヴェルディ最後のオペラですが、主役はバリトンですし、これと言った有名なアリアもないし、面白いオペラだとは思うものの、地味なオペラです。だいたい、テノールの活躍する場がないんだもの(笑)、ライブビューイングでもないと、なかなか見ないタイプのオペラなので、こういう演目を取り上げてくれるのは、うれしいですね。

 とりあえず、このパリオペラ座のライブビューイングなんですが、今回もあまりライブ感はありませんでした。それどころか、よくできた舞台中継だなあって思いました。まるで、NHKで作った番組みたい。もしかすると、このパリオペラ座のライブビューイングって、本当はライブビューイングじゃなくて、テレビ番組なんじゃないの? って思うほど、NHKの舞台中継と同じような感じを受けました。

 まあ、確かにライブ感覚はないのですが、舞台中継としては、よくできていたと思います。

 それにしても、公用語がフランス語と言うのは、厳しくないですか? この映画の中では、舞台のオペラ上演以外の場面で使われている言語はフランス語なんですが、歌手たちは、フランス語がさほど得意ではないようなんですね。フランス人歌手(ページ夫人こと、メグを歌っていた人が唯一のフランス人歌手だったそうです)は、いいのですが、そうでない歌手は、インタビューアーとのやりとりにとても苦労していて、フランス語が全く分からない私が見ても「ああ、この人のフランス語は、実にたどたどしいなあ…」と思えるほどに、見ていて厳しいものを感じました。

 どうしても、ライブビューイングという事で、メトと比べてしまいますが、メトの公用語は英語で、どこの国の歌手たちも、英語はペラペラなので、インタビューには困りませんが、こちらの公用語はフランス語で、フランス語に堪能な歌手は少ないので、ほんと、インタビューは苦労しているみたいです。

 だいたい、主役たちにインタビュー無し…って、どうかと思うよ、きっと、彼らはフランス語が話せないんだろうと思うけれど。

 さて、オペラそのものなんですが、とても良い公演だったと思います。ファルスタッフとクイックリー夫人は、声的にも立派だし、二人ともデブだけれど、実にかわいげのあるデブを演じていました。ウインザーの女性たちも、若くて美人で、声も歌も素晴らしかったです。難を言うと、アリーチェとナンネッタは親子のはずですが、どう見ても、同年配にしか見えないのは、演劇的にどうかと思いました。もちろん、恋の主役はアリーチェですから、こちらを若々しく見せないといけませんが、娘のナンネッタだって、もう一組の若いカップルを演じるわけだから、子ども子どもしていてはいけません。アリーチェもナンネッタも若々しく、しかしナンネッタが子どもに見えてはダメだし、アリーチェがオバサンオバサンしていてもダメで、そこら辺の演出が難しく、この公演は、ビジュアル的に良すぎて、そこは上手くいっていないなあって思いました。

 そうそう、この公演では、時代と場所がオリジナルから変更されているように思えました。時代は…約百年前? いわゆるクラシックカーが現役で、蓄音機がまだゼンマイ式だった頃の時代です。場所は…アメリカかな? 昔のシカゴとかデトロイトとか、そのあたりが舞台になっているような気がしました。オリジナルとはだいぶ違ってましたが、これはこれで分かりやすくなっていて、私はOKです。だって、オリジナルは、16世紀のイギリスでしょ。現代に生きる日本人には、あまりに無縁な時代と場所だから、だったら100年前のアメリカの方が親しみやすいってもんです。

 ちなみに、ファルスタッフの原作は、シェークスピアの戯曲「ウィンザーの陽気な女房たち」です。なので、英語原作の戯曲をイタリア語に訳してオペラ台本にしたものを、現代のフランス人たちが楽しむ…ってわけで、我々東洋の片隅で暮らしている日本人にとっては、ヨーロッパ生まれのオペラをヨーロッパ人たちが楽しんでいると思いがちですが、実はそんなに単純な話でもないみたいですね。いくらヨーロッパであっても、やはり言語の壁ってのは(我々ほどには高くないにせよ)きちんと存在しているようですからね。

 それにしても、ファルスタッフというオペラ、あつかましいデブの老人をからかう喜劇なんですが、そもそも、なぜこのデブ老人があつかましいのかと言うと、このオペラの女性たちが尻軽だからでしょ? デブ老人のくせに、人妻といい仲になれると思って行動するのだけれど、女性からみれば、それがすごくあつかましいわけで、だから、からかわれるわけです。おそらくファルスタッフがデブ老人でなく、若いイケメンのアンチャンなら、女たちも受け入れていたんでしょうね。

 と言うのも、このオペラでは、山羊やら鹿やらがの角の生えた動物たちが、象徴的に出てくるけれど、これら角の生えた動物って(ヨーロッパでは)寝取られ男の象徴なんだって。

 フォードが怒り狂うのだって、自分が寝取られ男になりそうだから、怒り狂うわけだし。夫が目を離した隙に、妻たちが男をつまみ食いする…なんかそういう、女性のビッチぶりが見え隠れして、私には理解できません。…ってか、ファルスタッフに限らず、ヨーロッパの貴族ものの映画やら小説やらを見ていると、ほんと、あっちの当時の女性って、結婚までは身持ちが堅いのに、結婚した途端、恋愛に自由になるわけで、結婚を境にガラっと変わるのが、私には分かりません。結婚前は、何人の男性と遊ぼうとも、結婚後は貞淑であるべき…と考える私は、オペラの世界の人々と、価値観が違いすぎるみたいです。

 で、さっきから、オペラの話をしているにも関わらず、役名で話していて、歌手の名前が出て来ない事に気づかれましたでしょうか? そうなんです、実は誰がどの役をやっている歌手で、なんという名前なのかが、私にはちっとも分からないので、役名で書いているわけなんです。

 つまり、いわゆる(私にとって)有名なスター歌手はこのオペラ公演には出演していないため、顔をみても名前が思いつかないし、メトのように、ホームページ上に必要な情報がアップされていたり、劇場で(ペら紙一枚だけれど)上映や出演者の情報の書かれたものを配布するとかしないので、一応、映画の中でキャストロールは流れるけれど、それをメモするわけにはいかないし、私のボケた頭では記憶も難しいので、、このブログでは歌手名が出て来ないのです。

 公式ブログに残されたわずかな情報を私がググった結果、今回の出演者は、おそらく…

 ファルスタッフ(バリトン):アンブロージョ・マエストリ
 フォード(バリトン):アルトゥール・ルチンスキ
 フェントン(テノール):パオロ・ファナーレ

 だと思います。あと、ラウール・ヒメネス(テノール)も出演しているはずですが、どの役をやっていたのか…分かりません。残ったテノールの役は、カイウス医師と赤鼻のバルドルフォですが、どちらも風貌が違いすぎるような…。ヒメネスはどっちの役をやっていたのでしょうか? あと、女性陣の名前が全然分かりません。ああ、公式ホームページは情報不足だあ~。

 そうそう、劇場はガラガラでした。上演回数が多いから、ガラガラなんでしょうが、パリオペラ座のライブビューイング、来年もやっていただけるのかしら? 来年もやっていただくために、私ももう一回ぐらいは見に行って、このライブビューイングの応援したいと思ってます。

 パリオペラ座が終わると、次はメトライブビューイングのアンコール公演だね。今年は何を見ようかな。

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