ひとこと

  •  ああ、腰が痛い…。またまた、ぎっくり腰をやっちまいました。今回の原因は不明。先日、何となく腰が痛いなあ…と思って、整体に行ったら「ぎっくりですね」と言われちゃいました。ぎっくりと言われる前は何となく痛かった程度だったのに、ぎっくりと言われた途端にめっちゃ腰が痛くなりました。…言霊って、すごいなあ。
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2013年6月の記事

2013年6月30日 (日)

まずは自分に負けない事[2013年6月の落ち穂拾い]

 忙しいですよ、仕事も家庭生活も、そして趣味生活も(笑)。『忙しい』という字は『心が亡くなる』と書きます。だから、忙しさの中で振り回されていると、だんだん心がすり減ってしまい、心が亡くなってしまいます。

 何をどう言い繕っても“忙しい”という状況は変わりません。しかし、心の持ちようはいくらでも変えられます。まずは“忙しい”という状況に負けない事。そのためには、健康に気をつけること。カラダが元気なら、多少の忙しさは気になりません。準備やダンドリに気をつけること。忙しさとは、結局は時間の問題なんです。同じことでも、時間をうまくやり繰りしてやれるなら、忙しさが緩和します。

 そして、最後に自分に負けない事。精神的にタフでいる事。忙しくてもめげない事。

 それでなんとか、乗り切ってしまおうと思っている私です。
 
 
プロじゃないと書いちゃいけないのか?

 たまに「あなたは音楽評論家でもないのに、何をえらそうに書いているのですか!」というお叱りを受ける事があります。

 “えらそうに”しているつもりはありませんが、もしもそう取られるような態度が見え隠れしたのなら、それは申し訳ありませんし、以後、気をつけます。

 でも“音楽評論家でもないのに”という部分には異論があります。

 …ってか、だいたい、プロの音楽評論家の方々は、ブログにコンサート評なんて書きませんよ(笑)。だって、彼らはきちんと原稿料をいただけるメディアにしか寄稿しません。だって、プロだもの、一銭にもならない事をするわけないじゃないですか?

 ブログは素人だからこそ、書くもの…でしょ? もしもプロの方しかブログを書くことができないなら、誰もブログなんて書きません。だってプロはブログ書かないもん。

 つまり、逆説的に言えば、素人だから、ブログを書ける…ってわけです。

 もちろん、書いて良い事と悪い事ってのは、あります。でも、だからと言って、そこに気をつかいすぎて、萎縮しすぎるのは、どうかなって思います。だって、ブログって、電脳の私有地だよ。自分のスペースなんだから、自由に書き散らせばいいと思います。もちろん、ヘマな事を書けば、叩かれるし、炎上だってするでしょ? 

 表現をする人は、決して無傷ではいられないのです。他人を切った刀で、同時に自分も切っていくものです。そこんとこの覚悟さえ、ちゃんと出来ていれば、何を書いてもいいんだと、私は思います。

 だから、私があえて記事に書かなかった事ってのもあるんです。関係者の方々は、そこんところを察してくださると感謝です。
 
 
悪評も評判のうち

 評判って大切だと思います。

 もちろん、評判には二種類の評判があって、良い評判と悪い評判があります。良い評判が広まるのは、とてもうれしいですし、それでブログのアクセスが増えるなら、とてもとてもうれしい事です。

 でも、世の中、そうはうまく出来てません。

 ブログって宣伝が難しいんですよ。

 ネットでは「悪評も評判のうち」と言いますが、まさにそうなんです。私はそう思います。たとえ悪い評判であっても、人の口の端に昇り、認知されることが大切なんです。

 きっかけは何でもいいんです。このブログを読んで、私の事を不届きな奴だと怒り狂っていてもいいんです。とにかく、多くの人に私のブログを知っていただきたい、読んでいただきたいです。

 だから、悪い評判が広まって、「どれどれ、どんなブログなんだい?」と新しい100名の方が私のブログを訪れて、そのうちの99名は「ケッ!」と思われて通り過ぎられても、そのうちの1名でも、ブログを読み続けてくださる方がいらしたら、そりゃあもう、私は大喜びです。天にも昇る気持ちになろうというものです。

 いや、100名が100名「ケッ!」と言ってもいいのです。そして、更にあっちこっちで悪い評判をたててくださってもいいのです。そんな悪い評判を聞きつけて、このブログを訪れる方がいれば、それでいいんですよ。

 なので、私は悪口を恐れませんし、悪い評判も歓迎します。

 とにかく「悪評も評判のうち」なのです。ぜひぜひ、ここを読んだ皆さんは、良い事も悪い事もひっくるめて、このブログの宣伝をしてください、お願いします。


食事と歌

 歌はね…女性は空腹で歌っちゃいけないんですよ。女性は空腹だと、本当に歌えなくなっちゃうから。でも、男性は空腹時の方がよく歌えるし、声もよく出ます。

 なぜでしょうね?
 
 
ピアノが弾けない声楽の先生

 ピアノが弾けない声楽の先生なんて…ザラにいるよ。初心者相手の先生だと、ピアノが弾ける先生も多いけれど、中上級者の生徒を相手にする、マジな声楽の先生だと、ピアノが弾けないケースなんて、ほんと、ザラ。

 なぜなら、別にピアノが苦手でも、声楽科には入学できるし、声楽家として活躍できるから、ピアノを研鑚せずにきたわけです。むしろ、こういう人の場合、ピアノが弾けないのに、音楽家として、のし上がってきたわけだから、声なり歌なりが、並外れているケースも多いです。なので、ある一定以上のレベルの声楽の先生だと、ピアノ弾けない人も多いです。またご自身はピアノの達人であっても、あえてレッスンの時は、ピアノを弾かない主義の先生もいます(この場合は“弾けない”じゃなくて“弾かない”)。

 じゃあ、生徒はどうするのか?

 決まっているでしょ? 先生のお上手とは言えないピアノで我慢する(失礼)か、あるいは、自分でピアニストを用意するんです。ピアニスト同伴でレッスンを受けるんです。

 プロやプロの卵はもちろんだけれど、アマチュアでも、マジで声楽をやっていて、あるレベル以上の人は、自分専用のピアニストがいるものです。で、必要があれば、たとえレッスンでも、そのピアニストさん同伴でレッスンを受けるんです。これ、割と普通の話だよ。

 私の場合、外部の本番の時は、自分でピアニストさんを用意するし、そのために、先生のところにピアニスト同伴でレッスンに行きます。私レベルでもそんなものです。門下の発表会程度でも、自分専用のピアニスト同伴で本番に臨む人、いますよ。

 あと、声楽家なのにピアノ弾けないなんて…と意外に思う素人の方ってたくさんいらっしゃると思います。実は私も、ほんの少し前まではそう思ってました。「音大出てて、ピアノ弾けないなんて、ありえないだろ?」ってね。

 でも、実は、声楽科どころか、音大のピアノ科卒業しているのに、ピアノがロクに弾けない、なんて人もたまにいます。ピアノ科ではなく、他楽器を専攻していた方とか、音楽教育科の卒業であったりすると、さらにピアノ弾けない人が増えますし、地方の音大とか、教育学部の音楽科卒だと、更に更に増えます。私の感覚では、年配の音大卒業生はたいていピアノが弾けますが、若い人だと、ピアノが苦手という音大卒の方を見かけます。だから「音大卒です」と言っても、ピアノ、弾けない人もいます。

 意外でしょ? でも、ほんと、そうなんですよ。

 なので、声楽の先生がピアノ弾けない? 大いにありえる話です。

 だって、ピアノって、難しい楽器だもん。冷静に考えれば分かりますが、あんな難しい楽器、そうそう簡単には弾けませんよ。
 
 
 
今月のお気に入り スタンドミラー[幅33cm x 高さ150cm]

 スタンドミラーと言っても、かなりの大型の鏡で、いわゆる“姿見”と呼ばれるタイプの鏡です。

 この鏡、私は個人的に“姿見先生”と呼んでいます。自宅練習の際に、大いに役立っているアイテムです。購入したのは、キング先生のところを追い出される直前の事で『これからは自分一人で歌を学んでいかなければならない…』という悲愴な決意をした頃に購入しました。

 ずっと以前にご紹介したつもりでしたし、何度もブログに登場している姿見先生ですが、きちんと紹介した事はなかったみたいなので、今回、改めてご紹介します。

 これ、いいですよ。大きいけれど、邪魔になりません。大きいけれど、重くないです。鏡の部分はガラスなので自然な反射ですし、一応飛散防止加工がされているので、万が一割ってしまった時も安心らしいです(って、私、割ったことないですから)。

 歌う時、フルートを吹く時、いつも姿見先生にお世話になってます。自分では気がつきにくい、顔の表情とかフォームのちょっとした乱れとかを教えてくれます。結構、厳しい先生です。また、先生に向かって演奏すると、キレイに音が跳ね返ってくる(音の反射板としても有能です:笑)ので、自分の演奏をリアルタイムで確認する事もでき、なかなかのスグレモノなんですよ。

 あと、太った自分の姿も直視できますから、ダイエットをしようという動機付けもしてくれます(笑)。
 
 
今月の金魚

2013年6月5日(水) ハナジロに黒斑病の症状が現れる。

 
 
今月のひとこと

 だんだん、疲れが取れなくなってきています(涙)。少しずつ、ストレスがカラダを蝕んでいるのを感じます。四月の当初は、まだまだ仕事に慣れないからツラいけれど、六月ぐらいになれば、仕事にも慣れ、生活のリズムにも慣れるので、疲れ方もマシになるだろうと思っていましたが…まもなく六月になりますが、むしろ日々の疲れが増幅というか、蓄積しているような気がします。澱のように疲れがたまっていくのを感じます。ううむ、なんかヤバイなあ…。(2013年5月30日~6月5日)

 最近忙しくて(って、それこそ最近の決まり文句で申し訳ない…)、自宅でのフルートの練習では、アゲハではなく、プラ子を使ってます。だって、プラ子なら、いつも部屋に使用可能状態で置いてあるので、すぐに吹き始められるし、片づけも、ただそこに置くだけなので、とても楽。アゲハだと、練習前に組み立てないといけないし、終わったら、磨いたり拭いたりしないといけないわけで、そこに結構時間を使ってしまいます。そんなわけで、ついついプラ子で練習してしまうのですが…なんか、そんなわけで最近はアゲハに触っていないので、寂しいです。(2013年6月5~8日)

 カラスに至近距離で威嚇された。メッチャ、怖かったよ。(2013年6月8~12日)

 カラスには負けない私だが、睡魔には負けてしまう私であった。ううむ、睡魔、侮り難し。どうしたら、きゃつに勝てるのだろうか…。(2013年6月12~13日)

 2013年6月12日(水)のアクセス数が、2613ページとなり、約一カ月ぶりに、このブログの最高アクセス数が更新されました。前回の記録より80ページほど増えました。ううむ、感謝感謝です。ありがとうございました。(2013年6月13~14日)

 カラスは賢い…と思う。こっちが素手の時は、至近距離までやってきて威嚇するが、こちらが武装(ヘルメット&長棒)している時は、10m以内には絶対に近寄って来ない。武装すると言うのは必要な事なのかもしれない…対カラスにも、対某国にも。(2013年6月14~18日)

 とりあえず、月曜日は元気です。この元気が日を経るに従って、徐々に減っていき、金曜日には、ほぼ“生ける屍”になっていたりします。元気を持続できる上手いやり方って無いものかしら?(2013年6月18~20日)

 ううむ、週の後半に入ってくると、朝の目覚めが悪いし、日中も睡魔に襲われる頻度が高まる…。それでも6月になってカラダも慣れたのか、4月の頃よりは多少は気分が楽かも。人間、どんな環境にも慣れるものなんだろうし、慣れなきゃ、やってられないからね。後は、週末に向けて、どれだけのエネルギーを温存できるかだな。(2013年6月20~23日)

 ジャンル違いなので、ブログに書いてませんが、最近の私の心を捉えて離さないものは…実は音楽ではなく、美術。それも現代美術にはまってます。演奏会に行く回数と、展覧会に行く回数、今年はどうやら展覧会に行く回数の方が多くなりそうです。絵って、音楽と違って、時を越えるんですよね。(2013年6月23~24日)

 2013年6月23日(日)のアクセス数が2674ページとなりました。日曜のアップでアクセス数の更新とはうれしい限りです。このブログは平日はアクセス数が多いけれど、普段の土日は、アクセスもパッタリって感じなんですね。だから、日曜日のエッセイでアクセス数が更新できると、ほんと、うれしいです。ガンバルゾ。このブログにアクセスしてくださった、皆さんに、感謝感謝、本当に感謝でございます。(2013年6月24~28日)

 今どきの湘南では、カメの産卵の時期のようで、カメが毎日産卵しています…って書くと、ウミガメの事と誤解されるでしょうが、ウチの職場の池にいるカメの話です。カメって、普段は池にいて、池から出ることはないのですが、今どきの産卵の時期だけは、池から時々脱走して、その周辺をフラフラしてます。で、思い立ったように、バババババ~ッと穴を掘って、ポコポコ産卵して、産み終えたら、素知らぬ顔して、元の池に帰っていきます。ちなみに、そうやって産卵したタマゴから子どもが孵ったタメシはないので、あれは無精卵なのかな? ちなみに“穴堀り”“産卵”“池に戻る”の速度は、とてもカメとは思えぬほどにスピーディーに活動してます。(2013年6月28~29日)
 
 
 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2013年6月29日 (土)

自分の愛するモノのブツを眺めてみよう

 本日の記事は、ちょっとばかり尾籠な話なので、その手の話が苦手な方は、また明日お越しくださいませ、よろしくね。
 
 
 
 
 
 
 さて、尾籠な話と前置きしましたが、フンの話です。フンって言えば“糞”って奴です。はい、金魚のフンの話です。皆さん、金魚のフンって、ご存じですか? 金魚あるところ、必ずフンありってくらいの、金魚のフンでございます。

 「金魚はかわいいんだけれど、いつもフンを付けているのがなあ…たまにキズなんだよね」と言われるくらい、金魚とフンは、切っても切れない関係なのです、だから長いんです。

 まあ、私などは、金魚がかわいすぎて、フンなんて見えませんから(笑)。

 それはともかく。金魚は常にフンを垂らしながら泳いでます。フンを見ると、金魚の体調がよく分かります。

 太くて立派なフンをしている時は、元気ハツラツだし、細くて切れ切れなフンをしている時は、体調が悪そうです。フン詰まりかもしれません。また、フンがきれいに垂れずに水中に漂っている時があります。そういう時はよく見ると、糞に気泡がついています。気泡つまりオナラですね。腸内発酵をしている可能性があります。そういう時って、たいてい食べすぎて、かなり体調が悪い時なので、エサを控えめにしないといけません。

 エサを控えめ…つまりエサの量の調整ですが、これもフンを見ると、ある程度分かります。

 ウチは色揚げ用の赤いエサをあげているので、エサだけで満腹している時の金魚たちのフンの色は、実に赤いのです。そんな赤いフンをしている時は、エサの量がちょうど良いか、多少多めです。活動が活発な時なら、赤いフンでもあまり問題はありませんが、そうでない時に赤いフンをしていると、体調が悪くなるようなので、そういう時はエサの量を少しセーブした方が良いみたいです。

 フンの色が赤から多少黒ずんでいる時は、エサが少々足りなくて、水草を食べたので、赤いエサに緑の草が混ざって赤黒いフンになります。実はこれくらいがちょうど良いのだろうと思います。

 たまに真っ黒いフンをする時がありますが、そういう時は巻き貝とかエビとかを食べた時の色です。動物性タンパク質をたっぷり取ると、フンが黒ずむみたいです。

 たまに真緑のフンをする時がありますが、それはうっかりエサをやり忘れた時です。空腹で仕方がないので、水草ばかりを必死に食べてしまったため、フンが緑色になるようです。

 フンと言えば、ハナジロがフンをしなくなってから、そろそろ二カ月たちます。そうなんです、最近のハナジロはフンをしません。つまり、食べてないんですね。もちろん、エサはやってますが、クチにしません。もっとも、エサが水に溶けて、その水をクチにしていますから、まったく栄養が体内に取り込まれないってわけではなさそうですが、栄養摂取といった点では、効率は悪そうですね。

 ちなみに、サクラは元気を絵に描いたような子なので、毎日毎日、太い太いフンをダラダラダラ~と垂らして泳いでます。そんな時のサクラは、目も生き生きとしてます。元気な子は、フンも太くて長いんですよ。

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2013年6月28日 (金)

リズム音痴撃退法?

 音痴音痴と言いますが、世の中には、音程が甘い“音程音痴”と、リズムが甘い“リズム音痴”がいます。私は、リズム音痴のつもりはありませんが、それでもやはり、難しくて細かなリズムだと、迷う事があります。

 なので、時折、リズムの練習をしています。

 思い出したようにするのは、ヴァイオリンのヒイロ先生から教わった『九種類のリズム』という奴です。これについては以前『いつの間にか、ピアノも習い始めていたみたいです(汗)』という記事の中で書きましたので、興味のある方は、そちらをご覧ください。これ、いいですよ。

 リズムが苦手という人は、まずはメトロノームと仲よくなることをお薦めします。とりあえず、暇があれば、メトロノームをカチカチ鳴らす事。これは音程音痴の人が、暇さえあれば、音叉を鳴らして、その音を覚えちゃうのと同じ事です。

 まずは、速度は自分で基準となる速度を決めて、それを毎日聞けばいいかもね。たとえば、80とか、100とか? そのあたりの速度を暇がある時によく聞いて、その速さとか、時間を等分する感覚とかを、丸覚えするのはどうでしょうか?

 あと、CDなどで音楽を聞くときに、指揮マネをしてみるというのは、どうでしょうかね。指揮マネが恥ずかしかったら、手拍子や足踏みなんかもいいかもね。最初は、一定の速度でリズムが流れるポピュラー系の曲だと、やりやすいかも。

 音楽に合わせて手拍子をするって…簡単そうに見えて、案外難しいんですね。ほんの少しの間ならともかく、2~3分も音楽に合わせて手拍子するなんて、リズムに甘い人だと、途中で何度か帳尻合わせが必要かもね。

 もちろん、逆も必要かも。つまり『手拍子をしながら歌を歌う』のも大切な練習ね。実は私、これをやってます。だって、発表会で歌う「星は光りぬ」ってリズムが難しいので、無伴奏で、自分の手拍子だけで、歌ってます。手拍子を打つっのは、ビート感を養う事につながるし、ビート感があれば、合わせモノができるようになります。とても大切な練習なんです。

 メトロノームに合わせて、曲の練習をする…というのも大切な練習です。昔ながらのメトロノームだと、カチッカチッと単純なリズムしか出せませんが、電子メトロノームだと、細かなリズムも鳴らせるので、そういう機能を使うと楽に合わせられるかもしれません。

 また、昔ながらのメトロノームでも、いつもいつも四分音符のテンポで鳴らす必要はなく、曲によっては、八分音符とか十六分音符のテンポで鳴らして合わせるのもいい練習になります。慣れてきたら、わざと表拍では鳴らさずに、裏拍で鳴らして手を叩いてみるのも良い練習になりますよ。

 結局リズムって、耳だけで覚えるのではなく、全身を使って覚えちゃうのが、一番の早道だと思います。ですから、手でも足でも使ってリズムキープできる事が大切。それが出来るようになると、歌でも楽器でも、正しいリズムで演奏できるようになれると思います。

 リズム音痴の方は、まずは『九種類のリズム』とメトロノームから始めるといいですよ。これが出来るようになるだけで、相当のリズム力が付くはずですから。

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2013年6月27日 (木)

さて、次の本番の準備に取りかかろう

 実はそろそろ、発表会の次の本番について考えないといけないので、Y先生に相談してみました。“発表会の次の本番”? はい、そうです。発表会は夏ですから、秋の本番をどうするか?って事です。

 秋の本番とは…昨年も出演した地元の“クラシックコンサート”って奴です。あれに懲りずに今年も出演したいなあって事なんです。

 問題…というか、解決しておかないといけない課題は色々とあります。前回は、6月にガラコンサートをして、次のクラシックコンサートは10月でしたから、約四カ月は準備できたわけです。今年は発表会が8月で、クラシックコンサートが10月ですから、練習期間はたった二カ月しかないわけです。まあ、出演するとなると、この短期間で準備できる曲となります。

 また、エントリーするのが7月なので、まだ夏の発表会の準備期間中で、秋の準備に着手しないうちに、さっさとエントリーしないといけないというわけで、ちょっと精神的に忙しいかなって事があげられます。

 さらに言うと、今現在、私にはピアニストさんがいないという問題も抱えてます。
 
 
 一つ一つ課題を検討してみましょう。

 準備期間の短さですが…クラシックコンサートの出演持ち時間は約7分で、歌にすると、中規模の曲を二曲程度歌える時間です。昨年はトスティ作曲「セレナータ」とベッリーニ作曲「優雅な月よ」を歌いました。今年は何を歌う…ですが、新曲を二曲と言うのは、ちょっと厳しいです。そうなると、新曲は一曲にして、もう一曲は手持ちのレパートリーの中から選ぶという事になります。

 Y先生は「五年ぐらい前に歌った曲をもう一度歌ってみると、色々と変わっていて面白いですよ」とおっしゃってます。ふうむ、五年前の曲か。ふと思いつくのが、ドナウディ作曲「O del mio amato ben/ああ愛する人の」かな? あの曲を今の私がもう一度歌ってみるのも、確かにおもしろいかも。

 もしもこの曲に決めたとして、これと組み合わせる新曲は何がいいかな? やはり、声の事を考えると、トスティの歌曲がいいかも。エントリーまで、まだもう少し時間があるので、よく考えてみます。

 で、そのエントリー期間が、実はそろそろ迫っているわけで、おそらく7月の下旬まだにはエントリーしないといけません。ですから、あと一カ月ぐらい選曲の余裕はあるんですが、こういう時間って、あるようでないんですよね。

 そして最大の問題は、今現在、ピアニストさんがいないという事実。

 実は私たちのピアニストさんは、今年は海外に行っちゃって日本にいないのです。まさか、私たちの本番に合わせて帰国してもらうわけにもいかないし、かと言って、ピアニスト無しで本番をするわけにはいきません。

 その話を先生にしたところ「協力しますよ!」とのひと言をいただきました。先生なら地元のピアニストさんをたくさん知ってらっしゃいますから、こちらの希望と条件を言えば、それにふさわしい方をご紹介いただけるだろうし、いよいよとなれば、先生にピアノを頼む事も不可能ではありません。実際、私たちが出演するクラシックコンサートは、アマチュア歌手のピアノって、その指導者が担当しているケースが多いし、先生も地元の人なので、そこらへんの事情も知ってますので、他の仕事が入っていない限りは、お願いすることは不可能ではありません。

 まあ、歌手であり、指導者であるY先生にピアノを頼んじゃうというのは、ある意味、反則技でもありますが、自分の先生が伴奏者なら、ピアノ合わせとかいらないし、こちらの癖もとかもよく分かっているので、楽と言えば楽ですし、今後のレッスンにもつながるわけだしね。

 でも、先生に頼る前に、自分たちにピアニストのアテが全く無いわけじゃないので、まずはそちらを当たるのが先かな?

 ただ、問題は、秋は、どのピアニストさんも忙しく、結構スケジュールがいっぱいだったりするんです。自分たちのピアニストさんなら、そこらへんは分かっていて、スケジュールを開けておいたりしてくれますが、普段組まない人だと、もうすでにスケジュールが塞がっている可能性もあります。なにしろ、秋って、音楽的にはオンシーズンですからね。

 とにかく、秋のクラシックコンサートに向けて、動き出しましたって事です。

 さて、何を歌おうかな? ワクワクです。

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2013年6月26日 (水)

ゴールドフルートは、なぜ音の遠達性が良いのか?

 今週はフルートのレッスンをお休みしたので、代わりにフルートのエッセイを書いて、お茶を濁すことにします(笑)。

 ゴールドフルートは、なぜ音の遠達性が良いのでしょうか? ザックリ言えば『なぜゴールドフルートは遠鳴りするのか?』って事です。

 実験をしたわけではありませんが、私が思うに、それは『金の金属としての比重が重いから』じゃないでしょうか?

 アルミ :2.7
 亜鉛  :7.1
 鉄   :7.9
 銅   :8.9
 ニッケル:8.9
 銀   :10.5
 金   :19.3
 プラチナ:21.4

 軽い金属の代表としてアルミの比重も記してみました。確かにアルミって軽いですね。また、身近な金属の代表として鉄の比重も記してみました。鉄って、金属の中では、やや軽い部類に属するみたいです。ちなみに、水の比重が約1ですから、これらの金属はみな、水に沈むわけです。

 比重が違うと、同じ体積のものを作った時に、質量が変わります。つまり、フルートという楽器は、スペックを揃えれば、使用する金属の違いで、楽器としての重さが変わってくるわけです。洋銀は銅と亜鉛とニッケルの合金です。いずれも銀よりも比重が軽い金属ですから、洋銀でフルートを作ると、軽くなるわけです。

 洋銀と銀では、数値の違い以上に、重さの違いを大きく感じるような気がします…というか、数値の差よりも感じる重さの差の方が大きいような気がします。

 さすれば、銀と金って、実は大きな重さの差があるんでしょうね。プラチナは金よりもずっとずっと重いんですね。

 ちなみに、木管フルートは標準的なグラナディラ素材を使い、標準的な4.1mmの肉厚で作ると、銀管の1.7倍の重さになるようで、ちょうど、銀と金の中間ぐらいの重さのフルートになるそうです。

 ここまでをまとめると、洋銀よりも、銀の方が比重が重く、銀よりも金の方が比重が重い。木管フルートは木だけれど、結構重い。プラチナは重いので、良さそうだけれど、おそらく実用的ではないので、メッキどまりなのだろう。あるいは、プラチナは十分に比重が重いので、メッキ材として使用しても、それなりの効果が見込まれる…って事かもしれません。
 
 
 なぜ、重いフルートの方が音の遠達性が良いと思ったのか、そこには二つの理由が考えられます。

 同じ素材で作ったフルートの場合、薄管よりも厚管の方が音が飛ぶという事実があります。この場合、管厚以外の条件は一緒ですから、音の遠達性は専ら、管の厚み、つまり楽器の重さに依存すると考えたからです。

 もう一つの理由は…これはオーディオの世界の常識だけれど、スピーカーでは、一般的に重いスピーカーほど良いスピーカーだとされています。それは重いスピーカーはスピーカーそのものが共振しづらく、そのため、振動エネルギーを効率よく音に変換できるから…と考えられています。ですから、小型スピーカーをよりよく鳴らすためには、スピーカーをきちんと固定し、ボディを押さえつけることが大切だったりします。

 重い楽器ほど、自分自身の重量で自分を押さえているわけです。足元をしっかりと固定して押さえつけておくのは、大切な事でしょう。乾いたグランドなら高くジャンプできる人も、ぬかるんだ地面や砂場では、それほど高く跳べないのと一緒です。

 という訳で、私は、比重の重い金属ほど、音の遠達性が良い…つまり、ゴールドフルートは比重が重いから、遠達性が良いと考えたわけです。

 もちろん、ゴールドフルートが音の遠達性が良い理由は、もう一つあります。それは『高価な楽器なので、丁寧に作られているから』です。でも、これを最初に書いたら、それで議論は終わってしまうので、最後に書いてみました。

 ちゃんちゃん。

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2013年6月25日 (火)

演歌と合唱の共通点…なぜ衰退したの?

 先日、道を歩いている時に、ふと思いついた事があります。それは「演歌と合唱には、結構共通点があるなあ…」って事です。今回は、それについて、書いてみたいと思います。

 まず最初に気づいた共通点は『演歌も合唱も、今や衰退の道をたどっている音楽である』という事。ま、合唱のうち、女声コーラスに関しては、ちょっと違うかもしれないけれど、少なくとも、男声コーラスや混声合唱は、演歌と同様に衰退…と言うか、以前と比べると本当に人気が無くなりました。

 では、なぜ演歌と合唱は衰退しているのか、そこを考え出した時に、またいくつかの共通点がある事に気づきました。

 それは、演歌も合唱も『プレ団塊の世代~団塊の世代が好む音楽』だと言う事です。逆に言うと、団塊の世代よりも下の世代には、演歌も合唱もソッポを向かれた音楽だと言うわけです(もちろん、若くても演歌や合唱を好む人はいますが、それはあくまで少数派です)。つまり、演歌や合唱は、世代とか、時代とかにリンクしている音楽であると言う点が共通しているかなって思いました。

 プレ団塊の世代はともかく、団塊の世代は人数が多いですからね。この世代に愛されたモノ(音楽に限りません)は、彼らが若かった時は、本当に世の中を動かすほどの人気を誇っていましたが、彼らが老いてくるに伴って、少しずつその人気を失っていきました。たぶん、演歌や合唱の衰退も、そういう流れと一緒だと思います。

 もう一つ気づいた事は、演歌も合唱も『海外から入ってきた音楽であって、本来の日本の音楽とは違う音楽である』事です。演歌は、元々、古賀政男という大作曲家が、幼い時に耳にした朝鮮音楽を元にして作り上げた、当時の新しいサウンドであって、演歌の旋律そのものは、日本のものではなく、朝鮮のものです。合唱は…言わずと知れたヨーロッパの教会音楽であって、当然のごとく、日本の音楽ではありません。演歌にせよ、合唱にせよ、そのルーツは外国音楽であり、日本でも一時はブームになったものの、うまく日本文化の中に根付けなかった音楽…というわけです。

 元々、我々の文化にはなかった音楽である上に、ブームを作った世代が、次の世代にうまく引き渡すことができなかったために、衰退している音楽…というふうに、私は認識しました。合ってますでしょうか?

 そして、最大の共通点が…“歌”という事です。日本人は、歌そのものは嫌いではないと思います。それは現在のカラオケの流行をみても分かります。歌が嫌いなら、これほどカラオケが流行る事はありません。しかし、流行っているのはカラオケであって、そこ以外では、なかなか日本人が歌うと言う事はありません。特に、日本のオトナの男性は、まず歌いません。

 オトナの男が歌わなければ、そりゃあ衰退するしかないですよね。
 
 
 もちろん、演歌と合唱には共通点もありますが、違う部分もいくつもあります。

 たとえば、演歌はソロで歌いますが、合唱は団体でなければ歌えません。日本の歌は、ソロまたは斉唱(労働歌などは斉唱ですね)ですから、そういう点では演歌が日本に根付かなかったのは不思議です。また、日本人は集団主義であり、チーム主義であり、チームで一つの事をなし遂げることに歓びを感じる国民性を持っているのに、合唱が日本に根付かなかったのは不思議でなりません。

 日本の合唱は、教会音楽ではなく、歌声喫茶などの、共産主義運動とか社会主義運動などのセクト活動をルーツにしていると,私は考えています。良い例が、歌声喫茶などでよく歌われていた、ロシア民謡って奴でして、このロシア民謡、実はロシアの民謡ではなく、ソ連の赤軍の軍歌とか革命歌だったとか。共産主義と言うと、今ではちょっとマユをひそめる方もいらっしゃいますが、昔は若者の心をグッと捕らえた新しくてかっこいい思想だったんです。結局、日本に共産主義や社会主義は根付かなかったわけで、あの頃、歌声喫茶に通った方々も普通の社会人になってしまって、平凡な日本人になってしまったわけで、日本の社会が、日本に根付き始めた合唱のタネを飲み込んでしまったのかもしれません。

 そう考えると、女性は男性ほど社会と同一化しないので、女性の合唱は日本社会に飲み込まれることなく、独自の発展を遂げて、今に至っているのかもしれません。

 また演歌と合唱の次の違いと言うと…演歌は庶民の音楽で、演歌の隣接領域としては民謡や浪曲があったように思います。実際、元は民謡や浪曲を歌っていた人が演歌を歌うようになったと思います。一方、合唱はインテリ層の音楽で、隣接領域はクラシック音楽だと思います。

 合唱はインテリ層が好むのだから、学校教育に取り入れられたんじゃないかと邪推してます。もしも、インテリ層が演歌を好んでいたら、学校教育に演歌が取り入れられていたと思います。

 普通、新しい風俗習慣が学校教育に取り入れられたら、若い世代からそれを受け入れ、徐々に日本社会に定着するはずなんです。たとえば、日本人のパン食は給食の普及で広がったわけで…。しかし、その学校現場においても、合唱って衰退しているんですよね。どこの学校でも吹奏楽部はなんとか生き長らえていますが、合唱部は無い学校の方が多いくらいです。

 合唱は、コッペパンほどの人気を勝ち得なかった…って事になる…のかな?

 もしも、学校に導入されたのが、合唱ではなく演歌だったら、今頃、どうなっているだろうか? やはり演歌は衰退してしまったかな?、あるいは盛り上がっていたかな? それを考えると、愉快だな(笑)。

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2013年6月24日 (月)

パリオペラ座のライブビューイングで「ホフマン物語」を見てきました

 オペラのライブビューイングと言うと、日本では、ずっとメトロポリタンのモノが独占していました。他の劇場のライブビューイングと言うと、たまに、英国ロイヤルオペラが単発でやる程度…だったと思いますが、いよいよ、パリのオペラ座のライブビューイングが日本でもレギュラー化して上映される事となりました。

 パリオペラ座のライブビューイングの特徴は、メトとは違って、オペラばかりではなく、バレエの上演もあるという事。また、上映期間も通常の映画並の約2週間あり、たった1週間で上映を終えるメトよりも見やすいですし、また上映も一日に1回しか行なわないメトとは違って、一日に複数回行なうので、自分の都合に合わせて見に行ける便利さがあります。

 さっそく…と言うわけではありませんが、私も、パリオペラ座のライブビューイングを見に行ってみました。私が見に行ったのは、今期の第3作目の上映となる、オッフェンバックの「ホフマン物語」でした。

 私が出かけた劇場は、東京日比谷のみゆき座です。この劇場に行ったのは、約十年ぶりです。前に行った時は『永遠のマリア・カラス』を見に行った時です。

 日比谷に行って、劇場に着きましたが、なんか違和感があります。

 確かに、みゆき座は、東京宝塚劇場のすぐ側でしたが、こういう位置関係だっけ? あれ?と思って、チケット売り場に行くと…広くなってませんか? 確か、昔のチケット売り場って、小さくて狭いかったような。そこから劇場に下りていく階段は、逆に広くなってませんか? それと、階段の途中に自転車屋なんて、絶対無かったと思うし…。

 モギリに行ったら、さらにビックリ。スカラ座とみゆき座、モギリが一緒じゃん。ってか、同じフロアにスカラ座とみゆき座がある。私は確信しました。このみゆき座は、私が十年前に行った“みゆき座”じゃない!

 モギリのすぐそばにある大きな劇場はスカラ座で、みゆき座ではありませんでした。みゆき座は、そこからは、ちょっと分かりづらいというか、スカラ座の裏側にあります。係の女性の指示どおりに進んで劇場内に入ると、そこは、シネコンによくある小さめの会場のような場所でした。昔のみゆき座って、ちょっとした体育館並の広さがあって、劇場中心部には、貴賓席という、すごぶるデラックスなシートもあって、スクリーンもイヤになるほどデカかった記憶があります。実際『永遠のマリア・カラス』の時は、私は、その貴賓席で映画を見たんだよね。

 帰宅後にググってみたら、昔のみゆき座は、すでに無くなっていて、今のみゆき座は、名前だけ引き継いだ、全く別の映画館だという事が判明しました。

 なんでも、昔のみゆき座は、現在は隣のビル、今はシアタークリエの入っているビルが建て直す前の、東宝本社ビルの地下にあったそうです。で、東宝本社ビルを立て替える時に、昔のみゆき座は無くなってしまったそうです。今のみゆき座は、元々、隣のビルの地下にあった『スカラ座2』という、小劇場系の映画館だったそうです。旧みゆき座が無くなったのをきっかけに、その伝統的な劇場名を残そうというわけで、改名したのだそうです。

 だから、同じ“みゆき座”でも、私の記憶にあったみゆき座と、今回のみゆき座が全然別物だったわけです。うむ、納得。
 
 
 さて、現みゆき座で見た、パリオペラ座のライブビューイングは…と言うと…どうなんでしょうね? と言うのは、全然ライブ感がないんですよ。メトは、映画の上映が始まると、最後まで、スクリーン内の時間は途切れることなく、ずっと流れています。休憩時間中だって、時計はまわりっぱなしです。いわゆる『生中継を録画で見ている』わけです。まあ、本来は“生中継を生で見る”べきでしょうが、日本での上映の場合は、日本語字幕を付ける作業が加わるため、生中継を生で見れず、やむなく録画で見ているわけですが、それでも、生中継の感覚、つまりライブ感は、メトには、たっぷりあります。

 そこへ行くと、パリオペラ座のライブビューイングは、全然ライブ感がありません。と言うのも、バックヤードの風景やインタビューは、明らかに編集されていて、時間の跳躍やカットがあって、作り物感覚があるからです。また、それらの解説シーンとオペラ本番シーンも唐突につなげられており、メトのライブビューイングのような「本番がいよいよ始まる!」的なワクワク感はなく、DVDのプレイボタンを押して始まるような感覚でオペラ本編が始まります。

 まあ、これが悪いとは言いませんが、だったら“ライブビューイング”とは名乗らない方がいいんじゃないかなって思いました。実際、これ、ライブビューイングとは別モノだと思います。“ちょっと親切な劇場中継”って感じのオペラ映画なので、そういう言葉を作って宣伝すればいいんじゃないかな?

 実際、あくまでも上映の中心は、オペラ本体の上映であって、おまけとなる、解説部分は、メトと比べるとだいぶ見劣りしました。…と言うか、パリオペラ座の方の分量が適切であって、メトの方は解説部分が長すぎるのかもしれません。もっとも、メトの場合は、実際の劇場の休憩時間に合わせて、解説部分が作られているから(オペラの休憩時間って長いんですよ)、必然的に、実にたっぷりと解説部分が作られているからです。私のような、クラオタには、この解説部分がとても楽しいのですが、一般的な音楽ファンには、オペラ本編に集中できるパリオペラ座の解説の分量の方が適当だと思います。
 
 
 さて、肝心のオペラである『ホフマン物語』なんですが、これについては、あまり多くを語る必要はないかもしれません。と言うのも、既発売の、このDVDと、全く同じだったからです。

 全く同じと言っても、出演している歌手や指揮者は全然違います。そりゃあ、DVDの収録から10年経ってますからね。でも、演出や衣装・大道具&小道具は一緒で、演出も演出家も一緒で、オーケストラと合唱団も一緒。そもそも上演しているオペラ劇場が同じだし、おそらくこの10年間、ずっと同じ劇場で上演しつづけてきたわけですから、演じる人が変わっても、オペラそのものは、同じモノでありつづけてきたわけですし、実際、今回の上映とDVDは、演じている歌手が違うだけで、同じ演出で同じ芝居をしていました。

 演出家の力って、すごいなあって思ったくらいです。指揮者や歌手がオペラに与える影響よりも、演出家がオペラ上演にあたえる力の方が強いんだなあと、改めて認識しました。なので、このオペラ上演に関しては、知りたければ、既発売のDVDをご覧になれば結構だと思います。

 実際、個々の歌手も、皆置き換え可能な存在でした。

 前回見た、メトの「ジュリアス・シーザー」もDVDと全く同じ演出でしたが、こちらはDVDとは別物のオペラになっていました。「ジュリアス・シーザー」の場合は、上演劇場も違ったわけですが、それだけがこの両者の違い…というわけではないと思います。「ジュリアス・シーザー」はバロックオペラと言う事もあるかもしれないけれど、歌手が個性を発揮できる余地がたくさんあったように見えました。その点「ホフマン物語」では、演出でガチガチに固められ、歌手の個性がそれほど出せなかった…のかもしれません。

 私が、今回のライブビューイングを見に行った理由は、ホフマン役を演じる、ステファーノ・セッコが見たかったからです。私、ステファーノ・セッコというテノール歌手が好きなのですけれど、彼の歌をCDでは聞いた事があるけれど、その動く姿や演技を見たことがなかったので、今回のライブビューイングがいいチャンスだと思って出かけたわけです。

 ステファーノ・セッコは、若くて、顔だちが端正な良いテノールだと思いました。演技力もバッチリです。ただ、背が低くて、カラダが太かったです。まあ、カラダが太いと言っても、テノール歌手としては、平均的な太さですから、これは慣れれば問題ないかもしれませんが、問題は身長の方かもしれません。なにしろ、女性歌手たちとそんなに違わないのです。確かに、この身長では、実力があってCDはそこそこ発売されているのに、DVDなどが発売されないのも、納得です。ビジュアル的に、きびしい歌手でした、セッコは。最近の若いテノールには、ノッポでスマートなビジュアル系の歌手もたくさんいますからね。映像の収録なら、実力的に大きな違いがなければ、そちらのビジュアル系の歌手たちに仕事を取られてしまいます。ま、よほどの事がない限り、ステファーノ・セッコには厳しい時代かもしれません。

 ホフマンは、テノールにしては珍しく、振られ役のもてない君ですから、セッコでも良かったのかもしれません。

 ちなみに、セッコは薄毛なんだそうです。でも、舞台じゃ、いつもカツラをカブっているので、そんな事には気づきませんでした。

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2013年6月23日 (日)

チビ・デブ・ハゲ、そしてED[2013年6月第4週・通算20週]

体重:104.4kg[-0.5kg:-7.8kg]
体脂肪率:29.0%[-0.5%:-2.0%]
BMI:33.0[-0.1:-2.4]
体脂肪質量:30.4kg[-0.5kg:-4.4kg]
腹囲:101.0cm[+0.2cm:-7.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 この記事では、チビ・デブ・ハゲ・EDなどの言葉を多用していますが、そこに差別的な意味を込めていないことを、ご理解ください。また、これらの言葉を見て、不快に感じられる方は、この先の記事をご覧にならないようにしてください。よろしく、お願いします。
 
 
 
 
 
 
 
 さて、先日、この老犬ブログに、いわゆる“アラシさん”がやってきました。その方は(最後まで)名乗る事がなかったので、私の方で“匿名で言いたい放題さん”と名付けて対応しました。

 その方が暴れた記事は、昨年の2012年4月5日にアップした「某日某所で、某アマチュア歌劇団主催の某オペラを見てきて、感じた事」という記事(実に1年以上も前の記事)です。この記事のコメント欄で暴れてくれたわけです。興味関心のおありになる方は、ご覧になるのもいいかもしれません。なかなか下品な暴言をふりまいております。ただ、あまりの下品さに、気分が悪くなられるかもしれませんが…。ちなみに、アラシさんの、コメントのあまりのひどさに、私もたまらない気分になったので、現在では、その記事のコメント受付は停止しましたので、もし何かご意見がおありの方は、こちらの記事にコメントを寄せてください。
 
 
 さて、なぜ彼が私のブログで暴言を吐き続けたのか、考えてみました。

 当初は、彼の言葉どおり、私のアマチュア歌劇団に対する考え方そのものにマズイ点があって、それを批判し、問題視しているかと思っていましたが、どうも、そういう対応では、話がかみ合わない事に気づきました。

 だいたい、彼は私が批判した公演を見ている様子もなければ、あの記事の中にいくつもある、その他の批判的な箇所のほとんどをスルーして、たった一ヶ所だけに文句を言い放っている事に気づきました。その一ヶ所とは…

 『特に髪には気をつけようよ。舞台公演のために、髪を染めてくるとか、ウィッグやエクステ付けてボリュームアップをするとか、禿頭ならカツラをカブるとか…しようよ。いや、禿頭でなくても、舞台に立つなら、カツラなどのカブリモノ着用って、当然じゃないの? 少なくとも、衣装に合わせた、髪を作ってこようよ。』という箇所です。

 さらに厳密に言うなら『禿頭ならカツラをカブるとか』という部分ですね。もっと、ズバリ言うなら『禿(ハゲ)』という文字ですね。

 それも巧妙な事に、この箇所ではなく、その直前の『オペラの合唱ならば、演じる役にふさわしく、若作りや老けメイクと言うのをしないといけないと思います。』の箇所を引っぱりながら、ハゲではなく、アマチュア歌劇団の公演スタイルにフォーカスをすり替えて、難癖をつけてます。

 つまり、自分が本当に言いたいところを(当初は)ワザと避けているんです。ま、なぜ避けている事が分かったのか言うと、それは、その後に続く、彼の一連の暴言から、問題点は“アマチュア歌劇団”ではなく“ハゲ”にある事が分かったんですけれどね。

 自分が一番気になった箇所を、ずばりと言わずに相手を非難する。つまり、一番気になったところは、自分でも言葉にするのを、最初はためらったって事でしょうね。

 なぜ、ためらったのか…そこに彼の“恥ずかしい本音”があるからです。

 つまり『禿(ハゲ)』という文字を見た瞬間に、理性のリミットが吹っ飛び、そこに書かれている事が、自分の事ではないにも関わらず、自分の事のように感じられて、まるで自分が攻撃を受けたかのように錯覚して、いきり立って感情的に暴言をまき散らした…というわけです。

 ちゃんと文章を読めば、私は確かに「カツラをカブれ」とは書きましたが、別段、ハゲを侮辱したり軽蔑したりしていない事は分かるはずですが“禿(ハゲ)”という文字に感情的に反応してしまった人には、何も通じないのです。オペラを始めとする舞台演劇では、役作りのために役者がカツラをカブるのは、役者の髪が薄かろうが濃かろうが関係ないんですけれどね…。

 考える事を止めてしまった人には、言葉の説得なんて、無駄です。ですから、コメント欄を停止させてもらいました。
 
 
 しかし、ハゲという言葉って、そんなにも、人の心に痛く刺さるんですね。

 罵倒語と言うのは、多かれ少なかれ、人の心に痛く刺さるものです。ちなみに、男性を罵倒する言葉として、代表的なものとして、標題にもあげた「チビ・デブ・ハゲ」というのが、特に有名な罵倒語です。

 チビは背が低い事、デブは太っている事です。ですから、背の低い人に向かって「チビ!」と言えば、背の低い人は気分を害します。また、太っている人に向かって「デブ!」と言えば、太っている方は気分を害します。

 でも、薄毛(最近はハゲの事をこう呼ぶそうです。私のパソコンでは漢字変換できませんでした)の人に向かって「ハゲ!」と言えば、気分を害するどころではない…ってわけです。

 もちろん、今回の記事では、私はアラシさんに向かって「ハゲ!」と罵ったわけではなく、彼が勝手に自分が罵られたと思って、私に攻撃をしかけたわけですが、ここに、薄毛の人の、心の闇の深さを感じます。

 背の低い人は、思春期のあたりからチビチビと罵倒され続けていた事でしょう。ですから、うれしい事ではありませんが、子どもの頃から罵倒され続けていますので、罵倒され慣れているという側面があります(だからと言って、罵倒してよいわけではありません)。ですから、オトナになって、改めて罵倒されても、それをイナすだけの心の大きさを成長段階で獲得してきたわけです。つまり、背の低い人は、弱点を一つ持つ事で、人間的に強く大きく成長したと言えるでしょう。

 太っている人の場合、背の低い人と状況はさほど変わらないと思います。と言うのも、確かに人間は、人生における、どの段階でも太れますが、中年以降に太った人を「デブ!」と罵倒する事はないでしょう(もし罵る人がいたら、罵った人の人格が疑われます)。その多くは、背の低い人と同様に、思春期の頃に罵倒され、やはり同じように罵倒され慣れてしまっているのです。

 ただ、デブに関しては、背の低い人とは違って、その気になれば、やせる事も可能ですから、背の低い人よりも、どこか心に余裕があって、余裕があるからこそ、背の低い人ほど心は強く育っていないかもしれません。

 例えば、私は一度、老年期に差しかかってから、125kgをあった体重を、意志の力で半年ほどで80kgにまで落とした経験がありますから、他人から「デブデブ」と罵られても「その気になれば、いつでもやせられるモン(はぁと)」と過信している部分があります(笑)。そういう意味で、心の逃げ道があるので、背の低い人ほど、心の強さは獲得していないでしょう。

 でも、ハゲは事情が違うんですよ。と言うのも、思春期からハゲている人は、本当の病人であって、これを罵倒する人はいません。多くの薄毛の方は、老人になってからハゲてしまい、周囲の誰もが彼を罵倒などしないにも関わらず、自分で自分の事を「ハゲ!」と罵倒して、勝手に傷ついているのです。

 チビやデブは周囲の心ない人に罵倒され、その結果、心を強くしますが、ハゲは自分で自分を罵倒し、その結果、勝手にセンシティブになっているに過ぎません。心は強くなるどころか、むしろ弱くなっているんです。

 おまけに、チビやデブを隠すアイテムなどありませんから、チビやデブの人は、そんな自分を受け入れるしかないのですが、ハゲはカツラと言うアイテムがあり、自分を偽ることが可能です。それが故に、ハゲた自分を受け入れられないまま、自分を甘やかせてしまう事も可能です。それゆえに、心が脆弱で、今回のアラシさんのような方もいらっしゃるのも仕方ない話なのかもしれません。

 と言うことに考えが至ったきっかけは、実は、数週間前のアエラの特集記事「本当は怖いEDとハゲ」という記事を読んだからです。

 改めて認識したのは、ハゲが、チビやデブのカテゴリーではなく、EDと同じカテゴリに入れられているという事実です。

 この記事を読んだ時の私は、ちょっとしたショックでした。そして、納得しました。ハゲもEDも、男性特有の問題であり、老人になってからの問題であり、他人はその事でその人を攻撃をする事はありませんが、自分で自分を許す事ができなくなってしまい、自分で自分を責めてしまう…でしょ。このあたりの心理メカニズムが全く同じなんですよ、ハゲとEDは!

 そうか、ハゲとバレる事は、EDがバレるのと同じくらいのショックがあるんだな。ハゲと自覚する事は、EDと自覚するのと同じくらいに、つらい経験なんだな。
 
 
 私はデブですが、チビではありません。ですから、背の低い人の悩みは、よく分かりません(ごめん)。でも、髪は年を取るごとに薄くなっています。まだハゲと認識されるほどではありませんが、頭頂部は若い時よりも、確実に薄くなっています。きっと、そう遠くない将来において、私は、カッパハゲになってしまうでしょう。

 カッパハゲになった自分を想像してみましたが、ううむ、確かにキツいなあ。でも、ハゲはハゲなんです。なんら恥じる必要はないし、世間に迷惑をかけるわけでもありません。

 デブな私ですから、きっとハゲても、ハゲた自分にすぐに慣れると思います。だって、醜い自分を受け入れることは、すでにデブで経験済みだものね。デブにハゲが加わるだけですから、ハゲでもOKでしょう。
 
 
 なので、やがてハゲる私ですが、もしもハゲても、ハゲを恥じる事なく、前を向いて生活していこうと思います(これは決意です)。

 女性が更年期を迎えるように、繁殖するという役目を終えた私は、やがてEDになって生殖能力を失うでしょ。それが生命の自然の摂理だと思います。

 もしも私がEDになったら、妻には詫びて、その後の事は彼女に任せようと思います。しかし、私がEDになっからと言って、妻以外の人間に迷惑をかけるわけではないので、世間的には堂々と前を向いて生活していこうと思いました(これも決意です)。

 迫り来る、ハゲとEDの恐怖。本当に怖いです。確かに、男性として、ナーバスにならざるをえない問題です。

 それを思うと、理解はしませんし、容認もしませんが、アラシさんがなぜ“禿(ハゲ)”という字に反応してしまったか、そういう人もこの世にはいるんだなって、改めて思った次第です。

 しかし、どんなに気に入らなくても、他人のブログにコメントを寄せる時は、最低限のマナーは守ろうよ、お願いね。

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2013年6月22日 (土)

水草が植わりたがっています

 …どうやら、そうなんです。

 水草ってのは、必ずしも根が必要というわけではありません。陸上の草花なら、水分を補給するために、根か水分を吸い上げないといけませんが、水草は全身が水に漬かっているわけだから、全身から水分を補給すればいいので、根はいりません。水分だけでなく、栄養分だって、全身から吸収すればいいわけです。

 まあ、カラダを固定するために地面を根を張る…のは、水流がある場所なら、流れに逆らうために必要かもしれませんが、水たまりや池や沼、水槽などの水流がほとんどない場所に生えている水草は、カラダが流される心配もないのだから、カラダを固定するための根も必要ありません。

 実際、我が家で金魚藻用の水草として採用している、マツモ草には、根がありません。ただ、水面に浮かんでいるだけで、それだけで全然OKなんです。

 ところが、その根の無い、マツモ草の様子が変なんです。

 季節も初夏の六月になり、水槽の水温が少しずつあがってきたせいでしょうか? 金魚たちの活動が活発になり、食欲も旺盛になり、普段あげているエサだけでは、どうやら足りないようで、勝手に水草をバカバカ食べるようになりました。

 それまでは、水面にプカプカと群れをなして浮かんでいたマツモ草ですが、毎年の事ですが、金魚たちの食欲が旺盛になると同時に、水面に浮かんだカラダの一方を地面につけ始めて、あたかも植わりたがっているかのような行動を取ります。不思議でしょ、根もないのに…。

 毎年の事なんですが、ほんと、よく分かりません。なぜ、マツモ草は初夏になると、植わりたがるのでしょうか?

 別にマツモ草は花が咲いたり、実がなったりするわけでなく、ただただ、自分の枝葉を伸ばしていき、やがてそれがちぎれて、別個体になって、繁茂していくタイプの水草なので、地面に植わる必要性を全く分からないのですが…でも、なんか、植わりたがるんです。

 脳味噌すらない植物なんですが、季節が来たり、やたらと食べられたりすると、色々と考えるのでしょうか? 私には水草の気持ちなんて、ちっとも分かりません。

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2013年6月21日 (金)

レッスン室での直前練習は…効果大でした

 フルートのレッスンに行きました。はい、もちろん、遅刻をしました。でも、ちゃんと事前に「遅刻します」と電話連絡を入れた私でした(ま、当然か)。

 で、遅刻して教室に行ったら……なんと、先生がいない!
 
 
 
 一瞬「もう、帰られた?」と思いましたが…よく見ると、教室にゴールドフルートが置いたままだったので、ちょっと席を外されただけと合点しました。で、レッスンの準備をしていても…まだ先生来ません。とりあえず練習でもしているかと、元気よくやっていると…いきなり背後のドアが開きました。先生、やってきたー!と思ったら、事務の人でした。

 なんでも、先生、外に行っちゃったので、しばらくお待ちください…との事でした。うむ、外に美味しい珈琲でも飲みに行っちゃたみたいです。

 なにせ、最近、練習不足でございますから、このチャンスを大いに生かすべく、先生がいらっしゃらない間、実に集中して練習をした私でございました。

 やがて先生がお戻りになりました。さっそく、ロングトーン練習です。

 なんか、気持ち悪いぐらいに、ピタッピタッと決まっていきます。先週、あれほど気持ち悪かったロングトーン練習が、ただの一度も、音が揺れることなく、決まっていきます。まるで、レンタちゃんを吹いていた頃のような感覚です。

 どうやら、レッスン前の練習が功を奏しているようです。つまり、先週ダメダメだったのは、楽器のせいではなく、私のせい? つまりは、私の心とカラダの準備不足で、ダメだっただけ、と言う事か?

 とにかく、結果オーライなロングトーン練習でした。
 
 
 で、アルテの15課8章のb-mollです。まずは6番と7番は…これはさすがに簡単なので、サラと合格。想定の範囲内です。問題は、その次の8番『b-mollのスケールとアルペジオ』って奴。これは自宅練習で散々苦労し、一度もちゃんと吹けないままレッスンに来ちゃった課題です。

 なので、さきほどの練習で、集中的に練習したのは、実はこの課題です。「南無三!」という気分で、この課題を吹きました。吹きながら、自分でも課題に集中しているのが分かりました。ノーミスで一発合格でした。ふう、直前練習が効いたのか、集中していたから合格できたのかは分かりませんが、とりあえず、合格いただけたのは、うれしいです。
 
 
 いよいよ、次回からはアルテの15課9章に入ります。Fis-dur……#が6つ。ピアノの黒鍵[つまり半音]ってのは、5つしかないのに、臨時記号が6つ? なんか、スジが通らない調性ですね(涙)。#が6つのフルート曲なんて、この世に存在するのかしら…。

 なので先生に「#が6つですか? すごいですね」と言ったら「そりゃあ、練習だからね…」と言われました。そうか、練習なんだ。練習だから#が6つなんだ!…と自分を納得させた私です。

 とりあえず、1番の『Fis-durの音階準備練習』が宿題となりました。はあ、苦労しそう…。
 
 
 今回の雑談は「来週はレッスンをお休みします」という話から入りました。念のために書くと、レッスンを休むのは私であって、他の人のレッスンは、いつもどおりに行なわれます(笑)。

 レッスンを「休みます」と言ったら「なぜ?」と聞かれました。

 実はここの教室、遅刻OKです。(来ようと思って頑張ったけれど)結果としての欠席もOKです。しかし、事前の欠席連絡はアウトなんですね。つまり「レッスンの時間は、フルートのレッスンを最優先して、別の予定は入れないように」という考えなんです。これは入門の時に言われました。

 ですから、仕事が遅くなってもレッスンに来なさい。練習不足でも、体調が悪くても、レッスンに来なさい。ただし、先生は教室に住んでいるわけではないの、私たちは、あまりに遅くなってしまった時は、やむなく欠席でも仕方ないのです。

 ちなみにご自宅でレッスンを受けていらっしゃる方は、どんなに遅くなってもレッスンを受けないといけなくて、それでも休んじゃった場合は、かならずレッスンの振替をしないといけないのです。厳しいでしょ?

 とにかく、レッスン第一主義なんです。

 人間生きていれば色々あります。特にオトナになれば、そりゃあ色々あって当然です。だから、遅刻もOKだし、時間よりも早く来てレッスン受けるのもアリだし、色々あって、来ようと思ってたけれど来れませんでしたもOKなんだけれど、最初から別の予定を入れてレッスンに来られないのはアウトなんです。

 なので休むと言ったら「なぜ?」と聞かれるわけです。

 理由は先生に話しましたよ。同情されちゃいました(汗)。で、来週のレッスン欠席は認めてもらいました。ま、仕事がらみなんですが、なまじエラくなると、色々と大変なんです。

 先生も、現役バリバリの頃は、演奏者&大学教授をやっていたわけですから、教育業界に関する理解は深く、業界の事情にも通じているので、私の仕事に関しては、かなり理解してもらってます。ま、色々とあるんです。

 先生曰く「我々はまだいいんだよ。なにしろ、生徒はみな、やる気がある子ばかりだからね(音大にやる気のない奴は入学してきませんからね…)。でも、一般の学校は必ずしもそういうわけじゃないからね。本当に大変だと思います」と同情されちゃいました。確かに、音大は、生徒の意欲と言った面では、恵まれているよねえ。

 先生が分厚い楽譜のシートを持っていたので「それはなんですか?」と尋ねたら「明日のアンサンブルの練習で使うんだよ」との事です。アンサンブルと言うのは、H門下で作っているフルートアンサンブルの事です。

 なんでも、近々、病院コンサートを開くそうで、その時の演奏曲目を先生が用意したので、それを明日一回の練習ですべて完成させてしまうのだそうです。「ウチのアンサンブルは、たった一回の練習で、すべて完成させて、ステージにあがるんですよ」だってサ(汗)。なかなかに強者な団体です。練習が一回だけなんて(それも楽譜初見だよ)、まるでプロみたいな事、やるんですね。

 「あなたにも、そのうちに、参加してもらいますからね」とニヤリと言われました。

 ちょっと、ビビった私でした。

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2013年6月20日 (木)

以前の門下の演奏会を見に行きました

 ええと、私が前の門下の演奏会(発表会の事ですが、あそこでは発表会の事を“演奏会”と呼ぶので、そう書きます)を見に行ったからと言って、罵詈雑言の記事を期待されていたら、それは間違いですよ。私はキング先生には、確かに含むところがありますが、同時に恩だってあるんです。それに、歌っている門下の皆さんには、懐かしい気持ちしかありませんので、悪口の類は記事中にはないんです、よろしく。
 
 
 
 
 と、言うわけで、前の門下の演奏会を見に行きました。あの時、門下から追い出されなければ、私が出演していたはずの演奏会です。

 場所は、某地方都市の駅前の民間ホール。今まで利用した事のないホールです。初めての場所なので、私は少し早めに着いて、場所を確認して、開始までの時間、とりあえず昼食でも食べて、時間をつぶす事にしました。

 私は、その時、なぜかクチが中華になっていたので、どうしてもラーメンが食べたかったのです。その街は、とても小さな街なので、あたりをグルリと歩いて、ラーメン屋の存在を確認しましたが…なぜか、営業中のラーメン屋さんは一軒しかありませんでした。「まあ、小さな町だし、ラーメン屋が一軒しか営業していなくても仕方ないか…」と思って、そこに入って、ラーメンを注文しました。

 私は学びました。競争が無いところでは、大切なのは存在している事であって、質は問われないって事を。他にラーメン屋がやってないのですから、その店が、その時の、この街の、ナンバーワンのラーメン屋なんですよ、誰がなんと言っても!

 私、たぶん、生まれて初めて、ラーメンを食べ残しました。あまりのマズさに、カラダが、そのラーメンを食べる事を拒否したんです。一緒に店に入った妻も、残しました。いやあ、なんと言うか、言葉で表現するのが、難しい味をしていました。

 店を出て、すぐにコンビニに入って、口直しと空腹を満たすために、色々とたくさん買い物をした事を書き添えておきます。

 21世紀の日本で、こんなマズいラーメン屋さんと出会えるなんて…。実に貴重な経験ができました。おかげで、妻との会話がはずむはずむ(笑)。

 そんな、最近では滅多にできない経験をしてから、演奏会に臨みました。
 
 
 演奏会に行った理由…やはり、以前の門下の、かつての仲間の成長を見たかったから…です。まあ“かつて”と書いたのは、私の方はいまだに仲間意識はありますが、おそらくあちらは、そういう意識はすでに無く、私の事を悪く思っているだろうと推測できるからなのですが…。きっと、私の事は、先生から悪く吹き込まれているに違いないでしょう。私以前に先生にイビられて辞めた人の説明だって、かなり悪い説明でしたからね。きっと私も、同じように悪く言われているだろうなあって思ってます。仕方ないです、辞めた人間にはクチは無いし、生徒の立場では先生のおっしゃる事を疑うわけにはいきませんから。

 実際、会場では、ちょっとした、針のムシロ状態でした。まあ、あちらに迷惑をかけてはいけないので、私の方からは、気安く声をかけなかったのですが、あちらの大半の方々には、私は透明人間のようでした。こんなに大きなガタイをしているのに、目に入らないはずはないんです。ま、その分、私同様に、先生と一悶着あって辞めた人たちとは、色々と話はできましたが(笑)。

 ここの門下は、門下生同士の仲は良かったので、先生とは色々あっても、やはりかつての兄弟弟子たちとは、どこかでつながっていたいんですよ。
 
 
 さて、演奏会の感想ですが…新人さんが増えましたね。私の知らない人がだいぶ増えました。また、おなじみさんの顔が、幾人か消えていました。ここの門下は、演奏会には全員参加なので、出演していない人は辞めたと考えていいのですが、出演しなくなった人の事が心配です。お年寄りの方が多かったので、ほんと、色々と気になります。お元気ならば良いのですが…。

 この演奏会、私が出演していたら、中田喜直の「木兎(みみずく)」を歌う予定だったので、私の代わりに、どなたがこの曲を歌うことになったのか、興味があったのですが、結局、どなたも「木兎(みみずく)」を歌いませんでした。うむ、やっぱり私が歌わないといけないのかな…って、そんな事はないか!

 ベテランさんたちの歌は、押し並べて、昨年までとは、特に大きく変わっていなかったです。まあ、それぞれが、すでに完成形に達している…って事なんでしょうね。オトナが大きく上達すると言うのは、なかなか難しい事です。いやむしろ、昨年同様に歌えると言う事、つまり、力量を維持できている事が、オトナにとっては、何よりも大切な事なのかもしれません。

 その上で、幾人かの人は、上達していました。以前よりも、声が出るようになったり、音域が広がっていたり、舞台から発せられるオーラーが強くなったりしていました。そして、残念な事に、以前よりも、声が出なくなっていたり、音程が不安定になっていたり、明らかに力量が落ちている人もいました。どうした事でしょうか? 舞台を見ていて、私にも分かる理由で力量が落ちている人もいましたが、落ちた理由が全く分からない人もいました。たまたま、病気で、その日だけ本調子でなかったのなら、よいのですが、そうでなければ、とても心配です。

 そして、門下を離れて、改めて演奏会を聞いてみて、門下生全体に共通する、長所と欠点に気づきました。そして、Y先生が私や妻にあれこれ注意する事の、その理由がよく分かりました。Y先生は、この事を言っているのだな、あの事を言っているのだな、と演奏会を聞きながら、思わずY先生の言葉の一つ一つを、かみしめちゃいました。ほんと、いい勉強になりました。

 そして、何より、痛かったのは、演奏会を聞いていて、そこにかつての私の姿を発見した事です。なんでしょうか、鏡に映った自分の欠点を見つめなきゃいけないような、そんな気分です。ううむ、痛い痛い。無論、長所だってあるわけですが、こういう時は、長所よりも欠点が、心に刺さるものです、痛い痛い。

 門下を離れて、約一年ですが、一年という年月では、まだまだ、色々と生々しいのです。思い出にするには、時間の経過が少ないのです。まだ、私の心の中では、色々な事が継続している事を確認しました。私は、もしかすると、あの門下に戻りたいのかもしれません。もちろん、キング先生の指導は、もはや結構ですが、先生の指導は抜きで、あの門下に戻りたい…なんて、虫のいい事を望んでいるのかもしれません。

 バカですね、私はバカなんですよ。

蛇足 門下にテノールが不足しているようです。「椿姫」のアルフレード役に、Yテノールさんだけでは手が足りず、先生自らも歌ってました。私がいれば、その分を私が引き受けて…なわけないか(笑)、私がヴェルディ大好きな事を先生は知ってらっしゃるから、絶対に歌わせてくれないなあ、そういう人だもの、あの人は。ふう。

蛇足2 アルフレード、歌いたいなあ…。

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2013年6月19日 (水)

プッチーニだからと言って、重く歌っちゃダメですよ

 声楽レッスンの続きです。

 まずは、トスティ作曲『Non t'amo piu!/君なんかもう』から。この曲は、ほぼ仕上がっていて、後は、発声に気をつけながら、細かな調整と、歌い込みと、表現を煮詰めてくる事が必要な段階になりました。

 まずは、発声練習で行なった“高い音程に行く時に軟口蓋をあげて準備をする”に気をつけて歌ってみました。うむ、慣れない事をやるのは大変ですね。大変だけれど、高い音での音程の安定度がグっと増したそうです。でも、大変。早く自分の癖にしないと…。

 次に、母音“ウ”の発声を見直しました。私の“ウ”は、どうにもこうにも響きが浅いのです。この“ウ”の母音の響きを深めるために、“ウ”に“オ”を混ぜるというテクがあるわけですが、これはそろそろ止めましょうという話になりました。「“ウ”に“オ”を混ぜて発声するのは、いかにも初心者っぽいでしょ」と言うのが、その理由です。ですから、“ウ”は“ウ”のままで深い響きをつけて歌いましょうって事です。

 具体的には、もっとクチビルを上手に使って、クチを縦開きにして歌えばいいだけなんです。…いいだけなんですが、それが難しい(汗)。つまり“ウ”の母音を日本語でなく、イタリア語にしちゃえばいいんだけの話なんですよ。ああ、それが簡単にできない私は、生粋の日本人だなあって思いました(軽く言い訳:笑)。

 それと、歌の途中、ところどころ音程が不安定になるところは、腹筋が休んで、代わりにノドやアゴで歌っているところなんだそうです。なので、いついかなる時も腹筋を休ませる事なく、しっかり腹筋で息を支えて歌えば、音程が安定するので、ぜひやるようにと言われましたが…いかに私が腹筋を使わずに歌っていたかを、身にしみて分からされました。だって、腹筋腹筋腹筋…と思って歌っていると、腹筋がツルもの(爆涙)。

 「歌っている時には、どこもつらくならないように歌ってください」とは、先生の口癖ですが、さすがに今回は「歌っていると、カラダがつらいです」と弱音を吐きました。「どこが、おつらいですか?」「背筋と腹筋です」「よろしい、そこはもっともっとつらくなる様に歌ってください」だってサ…。ううむ。

 同じ音程の音が続く時は、しっかりその都度ごとに、お腹を入れ直して歌います。とにかく、歌は腹筋です。とは言え、腹筋に力をいれて固めるのではなく、腹筋を体内にえぐり込む様に「引くべし引くべし」です。うう、つらい。

 また音をすっと消える様に歌い終える時は、全体のボリュームを下げるのではなく、低い倍音成分を減らし、高い音の成分は残したまま、ボリュームを下げるのが正しいやり方なんだそうです。ま、ザックリ言うと、ボリュームを下げる時でも、声のポジションは絶対に落とすなって事です。

 この日は、発声練習もたっぷりやって、声が良い状態なので、あえてプッチーニ作曲『E lucevan le stelle/星は光りぬ』はやらない事にしました。『星は光りぬ』は次回のレッスンでたっぷりやりましょうって事です。

 と言うのは、プッチーニやヴェルディを歌うと(未熟な人は)声のポジションが下がってしまい、せっかく作った良い声をダメにしてしまうからなんだそうです。

 先生がおっしゃるには……『星は光りぬ』などは、ついつい『エ・ルーチェ・バンレ・ステッレ~』と重い声で歌いたくなりますが、実はこの曲、そんな重い声で歌っては、後半、必ず失敗します。必ず軽い声で歌いだす様に、練習しておいてください。CDなどで、重く歌っているように聞こえても、それはその人の声が、元々重いからそう聞こえるだけで、その人だって、その人なりに軽く歌っているのです。……だそうです。

 ううむ、確かにヴェルディとかプッチーニとか得意レパートリーにしている人は、元々重めの声のテノールさんが多いですね。彼らは元々の声が重いので、軽く歌っても、重く聞こえるのかもしれません。

 それなのに、そんな事を知らない、素人のテノールは、その手の歌を歌う時は、無意識に『この曲は、そんな重い声で歌わないといけないんじゃないか…』と擦り込まれ、ついつい重く歌ってしまいがちなんでしょう。

 で、声がさほど重くもない人が、ムリヤリ重く歌ってしまって、その結果、失敗したとしても、悪いのは、歌手本人であって、それをヴェルディやプッチーニのせいにしたら、かわいそうな気がします。

 まあ、私はお世辞にも声は重くないので、軽く軽く『星は光りぬ』は歌っていきたいと思います。
 
 
 で、妻のレッスンを挟んで、いよいよヴェルディ作曲『Libiamo,  ne'lieti calici/友よ、さあ飲みあかそう(乾杯の歌)』です。

 この曲は、キング先生の時に一度サラっているので、だいたい歌えますが、その時は団体で歌ったので、二重唱ともなると、あっちこっちにアラが見つかります。とりわけダメなのは、数ヶ所、間違ったままの歌詞やメロディーが私のカラダに入っている事です。なので、そういうところは一つ一つ取り出して、きちんと修正して、正しいものを入れないといけません。全くの新曲をカラダ入れるよりも大変かもしれません(ふう~)。やはり、最初に譜読みをした時に、きちんとしたモノを入れることって大切だね。

 「Libiamo~」の“mo”のように、メロディーの中で、ポツンポツンと低い音程に落ちる音をしっかり歌ってはいけなく、響きを高く持ったまま、軽く歌う事が大切です。そう言えば、キング先生も「低いところは捨てる」とよく言ってましたね。また“bia”の部分を“ビア”と2音節に分けて歌うのは、いかにも素人くさい(笑)ので止めて、しっかり“ビャ”と1音節で歌うようにしましょうとも言われました。「ん?」と思って、後でプロの方々の歌を聞いてみたら、確かにおっしゃるとおり「リビアーモ」ではなく「リビャーモ」と歌ってますね(汗)。はい、以後気をつけます。

 またこの曲には、いわゆる“コブシ”がたくさんありますが、それらのコブシはしっかりと回す事。回さずに歌うのもアリだけれど、やっぱりしっかり回して歌いましょう。また、いくらコブシを回して歌ったからと言って、そのコブシの後の着地点を間違えない様に、しっかりと腹筋を使って歌うこと。

 いくらイタリア語は日本語の響きと似ているからと言って、カタカナで歌ってはいけません。例えば“scopra”を『スコープラ』と4音節で歌ってはいけません。これは「スコー・プラ』と2音節で歌うべきものだし“s”や“p”に母音をつけてはいけません…って、つけているつもりはないけれど、無意識についているとしたら…やっぱりイタリア語ではなく、カタカナで歌っているというわけで…落ち込むなあ…。

 最後の最後にある“si”の音程が低すぎる…のは、そこを腹筋でなく、アゴの力で歌っているからです。曲の最後だから、力む気持ちは分かるけれど、そこはあえて軽く軽く歌わないと…。音程的にはFで、テノールにはやっかいな音程だからこそ、軽く軽く歌わないとぶら下がってしまいます。そのためにも、Fの音は、しっかり上から取るつもりで歌いましょう。

 リズムは母音で取るもので、子音は母音の前にはみ出して歌うもの。一人でソロで歌っている時なら、さほど気にしなくてもいいけれど、デュエットの時は、子音をどれだけはみ出させて歌うか、二人で合わせないといけません。

 ふう、やることはたくさんあるね。この曲を以前仕上げたことがあるなんて、自分でも信じられません。

 そうそう、この曲は、イントロと間奏がやたらと長いので、舞台の上でただボーっと突っ立ているだけじゃつまらないので、何か小芝居でもやりなさいと言われました。うむ、では、何をしましょうか? ちょっと考えないといけませんね。

 でも、小芝居の前に、ちゃんと歌えるように、歌を仕上げる事が先決ですね。

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2013年6月18日 (火)

ご飯の大盛りは歓迎だけれど、タクシー料金の大盛りはご遠慮願いたい

 声楽のレッスンに行きました。

 この日は、仕事が一段落着いたのが、いつもの時刻よりも少々早かったのですが、そこで誠実に時間一杯までいると、次の事件が勃発するのが常なので、区切りの良い事を幸いに職場を飛び出してしまいました。さっさとタクシーを呼んで、早めにレッスンに向かう事にしましょう。

 今日のタクシーの運転手さんは若い男性でした。「お客さん、お好きな道とかありますか?」と何やら意味不明な質問をしてきました。道に好き嫌いとかある人がいるんだろうか? 少々不思議に思ったものの、「特に道に好き嫌いはありません」と答えたら「では、私の方で道を選んで参ります」とか言うわけです。一体、何なんだろうと思っちゃいました。

 で、タクシーは発進して、順調に進み、いつもの曲がり道を曲がらずに直進していきます。「ん?」と思っていると、その次も曲がりません。どの道も曲がらずにドンドン直進していきます。で、ドンドン目的地である先生のお宅から離れていきます。で、かなり行き過ぎた所で、ようやく曲がりました。メーターを見たら、すでにだいぶな金額になってます。なのに、目的地に着くどころか、むしろ遠ざかっている状態…。

 「だいぶ、遠回りしているんですね…」とボソっと言ってみました。「今日は天気も悪いので、こっちの道の方が…」と運転手さんが返事をしてきたので「この道を通っているって事は、次は○○の道に入って、そこから△△をグルッとまわっていくおつもりですか?」と尋ねてみました。

 運転手さん、返事をしませんでした。

 「思いっきり、逆方向に走って、それから戻っていくわけですね。これだと、いつもの道の倍以上の距離になるし、時間的にもかなりロスしますね…」と言い、重ねて「私は毎週のように、あなたの会社のタクシーを利用させてもらっていますが、他の運転手さんはいつも最短ルートで、ササっと目的地まで到着してくれてます。だから、今のメーターの値段と同じか安いくらいで到着してますが、今ここは、まだ道の半分も来てませんよね。いったい、いつになったら到着するんでしょうね」と、これまたボソと言ってみたら、運転手さん「メーター、切ります!」と言って、メーター止めちゃって“回送”にして走り出しました。

 こいつ、私を見て、土地勘のないオッサンと判断して、遠回りして、タクシー料金を盛るつもりだったな~。

 メーター切ってから、運転手さん、自分はいかに誠実な運転手であって、いつもお客さん優先の運転をしているかなどと、なにやら弁解めいた話をしはじめました。まるで、私が会社にチクるのを阻止しようとしているかのようでした。…別に、途中でメーター切ってくれたおかげで、タクシー代金的には、いつもとあまり変わらない額だし、今日は時間的に、少々の余裕もあるので、遠回りも気分的にはそんなに負担じゃないし。だから、君の事を会社にチクるつもりはないけれど、その態度では、最初から盛る気まんまんだったと言っているようなモノじゃないか。

 人をだますつもりなら、もっと老獪に、だまされた人も良い気分になるように、だまさないとね。まだまだ、だましのプロとして、半人前だな。

 とりあえず、そんな感じで、長距離(笑)ドライブを楽しんで、定刻の少し前に、先生のお宅に到着しました。

 私がレッスン室に入った頃は、妻はまだいなくて、前のレッスンの方がいらっしゃいました。確かこの方は…門下にもう一人いらっしゃるテノールの方? 残念な事に、レッスンは終了していたらしく、すでに雑談タイムに入っていらっしゃったので、歌声は聞けませんでしたが、どうやら、メンデルスゾーンの『エリア』の中の曲を練習していたようです。テノールでエリアのソロとなると…39番『その時、正しい者は御父の御国で』って奴ですかね? キング門下じゃ、絶対に聞けない曲です。門下が違うと、選曲も違うわけですね。この方が、今度の発表会に出演されてるかどうかはまでは、私、知りませんが、きっと、なかなか面白い発表会になるんじゃないかな?

 妻はまだ到着していませんでしたが、時間もモッタイナイという事で、私のレッスンから始める事にしました。

 最初はハミングのロングトーン練習から。ただし、普通にハミングのロングトーンをするのではなく、私がハミングで「ん~」と言っている間に、先生がバックのピアノの和音を次々と変えていくので、どんな和音の時でも、ハミングをきれいに和音の上に乗せるという練習をしました。難しくはないけれど、ちょっとでも音程が揺れると、すぐに汚い和音になるので、ちょっと集中力が必要な練習でした。単音に合わせて歌うのではなく、和音に合わせて歌う練習の第一段階のような練習でした。

 この練習をしている最中に妻が到着しました。

 ここから先は実際に声を出して行ないました。声を鼻腔に集めて顔面に響かせる練習をしたり、力まずに歌う練習や、なるべくノドを鳴らさずに歌う練習など、私が苦手とするモノを、ことさらに選んでの発声練習です。Y先生の発声練習は、声出しではなく、ヴォイス・クリニックのような練習なので、発声練習をしていても、楽しいし、色々と自分の声の事が分かって、楽しいです。

 先生がおっしゃるには、人間は同時にいくつものを行なう事はできないのだから、一つ一つをきちんと瞬時に連続して行なう事が大切で、そこにかかる時間が短ければ、他の人から見て、同時にいくつもの事をしているように見えるそうですが、実際は、ちゃんとしたダンドリのモトで、決められた手順を手早く行なっているだけなんだそうです。

 つまり、高い音程を歌う時も、いきなり目的とする音を出しているわけでなく、まず、腹筋で息を支える、ノドをことさら脱力する、下アゴを落とす、軟口蓋を上げる、目を見開く、などの行為をしてから、ノドに息を送り込んで発声をしているわけで、いきなり高い音を出しているわけじゃない…って事なんだそうです。

 で、私は言うと、これらの事を(不十分ながら)同時にしようとして、うまくできずに、それで高い音の発声に失敗したり、音程が不安定になったりしているというのが、先生の分析です。

 なので、これらの手順を一つ一つゆっくりと順を追ってやってみました。すべてに不器用なのはともかくとして、ことさらダメなのが“軟口蓋を上げる”という部分。実は音程の作り方にも色々とあるのだけれど、クラシック声楽の場合、軟口蓋を上げ下げして音程を作るのが一般的なやり方なんだそうです。だから、高音を歌う時は、軟口蓋をきちんと上げるというのが、肝になるわけだけれど、私はこれが遅くて不十分なので、高音が上手くないんです。

 では、軟口蓋を上げるのが、同時ではダメなら、いつの段階で上げるかですが、実はこれ、前の音を歌っている最中に上げてしまうのだそうです。無論、前の音を歌っている最中に軟口蓋をあげても、音程を変えてはいけないのです。ただ、音色が変わるのはやむを得ないというか、高音に行く前に、高音の準備のために音色が変わってしまうのは、普通の事なんだそうです(上手な歌手は、軟口蓋をあげて、次の音の準備をしても、音色の変化を客に気取られないように歌うわけだけれど、それはまた、次の段階の話だそうです)。

 と言う訳で、前の音を歌っている時に、次の音のために軟口蓋を上げながら歌う練習をしました。これ、結構面白い練習でした。

 前の音を歌っている時に、軟口蓋をあげて音色を変えていくのですが、音程が高くなってくると、軟口蓋をあげても音色の変化が少なくなっていきます。音色の変化が無くなったところが、その人の高音の限界なんだそうです。つまり、もうそれ以上は軟口蓋があがりませんって事なんです。具体的にどうなるのかという見本を先生がやってみせてくださいました。ふむふむ、そうなるわけですね。で、だから、先生はバリトンであって、軟口蓋をロクに上げずに、GとかAbとか出しちゃう私は(まだまだ軟口蓋を上にあげる余地が十分にあるので)テノールってわけなんですね。そうやって、その人のハードウェア的な声域の限界を調べていくわけだ。なかなか面白いです。

 で、次は、妻がよくやっている「きらきら星」を、私も歌ってみました。一回歌っては、転調して半音あげて、また歌っては転調しての繰り返しで、どんどんキーが高くなっても、声の調子は変えずに、音程だけを変えて歌っていく練習です。高いところになると、ついつい力みたくなる私ですが、低いキーを歌っていた時と同じ調子で歌うわけです。ま、それが上手くできない自分が、悩ましいです。

 特に最高音がAになると、その直前の最高音がAbまでとは、明らかにカラダの使い方が変わる事が自分でもよく分かりました。まだまだAは、アゴの力で歌ってますね。そして、Aだけでなく、その下のGあたりの発声もアゴに頼るようになります。最高音がAbの時は、そんな事なんて無いのに、最高音が半音高くなるだけで、ガラっと発声が変わってしまうのは、良くないことだけれど、面白いなあと思いました。まあ、面白がっていないで、ちゃんとできるようにしないといけないのですが…。

 つまり、まだまだAは出せても、ホンモノじゃないって事です。ホンモノでない以上、安心はできないし、音色も美しくないって事です。

 先生がおっしゃるには、テノールである以上、Aまでは、その下の音と同じテクニックで発声して欲しいし、Aまでは楽々と発声して欲しいのだそうです。まあ、私も同じ意見ですが(笑)。Bから上は、発声テクニックが変わってくるし、出ないテノールも大勢いるので、できなくても仕方ないのだそうですが、Aが使えないテノールは、歌う曲に大きく制限が加わるのだそうです(厳しい…)。頑張りますよ。

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2013年6月17日 (月)

忙しすぎて、歌とフルートを辞めたい…

 …と、ちょっとだけ思っちゃいました。
 
 
 
 
 まあ、冷静になって、改めて考えると、やっぱり、まだ辞めたくないのですが、でも、仕事が忙しすぎるのはホント。

 今年度になって以来、仕事は、かなり忙しいです。ほぼ毎日、朝一番で出勤してます。私が職場の鍵を開ける事もよくあります。なにしろ、朝早く出勤して、同僚たちの遅刻や欠席の連絡を受ける仕事も、私の仕事ですからね。

 レッスンのある日や通院する日は、周囲に事情を話して、少し早め(と言っても、世間的には十分遅い)に職場を離れますが、そうでない日は、やっぱり遅い時間まで職場に残っています。何かあった時の責任を取るために残っているわけなんだけれど、そうでなくても、自分の仕事がやりきれないので、遅くまで残らざるを得ないといった部分もあります。毎日、会議の連チャンだし、色々なことに気を配って指示を出していかないといけないし、自分の権限や仕事内容だって、理解しきれているわけじゃないので、毎日がテンヤワンヤだし…。去年までの研究生活が、実に懐かしいです(涙)。

 何が言いたいのかと言うと、毎日忙しくて、精神的にも肉体的にボロボロですって事です。ああ、休息が欲しい。休憩が欲しい。空白の時間があったら、とりあえず眠りたい。そんな感じで生きてます。

 趣味的なモノを全部放り出して、職場と家の往復だけをして、家に帰ったら、休息に徹すれば、たぶん、なんとか人生乗り切れます。家に帰って来たら、ブログして、音楽の練習して、たまにレッスンに行って…という生活が、私を疲れさせている原因の一つである事は、否めません。
 
 
 でも、趣味って、止められないよね。

 ブログは、今のところ、大した負担になってません。エネルギーもさほど使ってませんし、時間もあんまりかけてません。アラシさんさえ出没しなければ、全然OKです。

 問題は音楽の方。こっちは、かなりのエネルギーを割かないとできないし、時間だって可能な限り融通して、練習時間にまわしていかないと、上達どころか、現在の力量を維持することすらできません。それになんと言っても、レッスンに通うのって、仕事で疲れたカラダにムチ打っていくわけで、肉体的にはかなりの負担になります。実はかなりシンドイんです。

 幸いにも、声楽のレッスンはタクシーで通っているので、なんとかなりますし、フルートは徒歩10分の近場だし、時間のシバリがユルイので、今のところ、頑張ってレッスンに行けてます。

 ヴァイオリンは辞めて正解だったと思うし、キング先生から離れたのも正解だったなあと思います。そして、ダンスも習っているのが妻で良かったと思いました。

 ヴァイオリンは、レッスンに通うだけで半日つぶれていました。あの頃は、余裕のある生活をしていましたが、それでも隔週で半日がつぶれたのはシンドかったですね。今やったら、絶対にカラダ壊します。それに、先生を変えて、近場でレッスンを受けられるようにしたとしても、声楽やフルートに加えてのヴァイオリンですからね。当時から練習時間が取れなくて悩んでいたんですから、今なんて、絶対に無理です。ほんと、辞めて正解でした。

 キング先生から離れたのも正解です。彼とのレッスンは、精神的にキツかったからね。おまけにレッスンは毎週あったし…。仕事でのストレスをたくさん抱えているのに、この上、レッスンに行ってイヤな思いばかりしていたら、私、鬱になっちゃうかもね。いつも、ニコニコと笑顔でレッスンを受けられるY先生に変わって、本当に良かったです。

 ダンスは…私がいつも半死半生(笑)なので、レッスン自体が中座しています。私に体力が残っている時にまた、練習再開しましょう…と言う事になってます。

 妻が先生なので、止めるも再開するも自由自在なのが、よかったです。先生が余所の人なら、私の体力次第でやったり止めたりはできないし、無理してレッスンに通ってカラダを壊すのも良くないし、かと言って、レッスンを完全に止めてしまうと、再開するのが困難になるわけだし、ホント痛し痒しです。先生が妻だから、こういう中途半端な事ができるんだと思ってます。

 仕事が忙しいのは、仕方ないでしょう。今は私の人生で、仕事に集中するべき時期なのかもしれません。男にはそういう時期が、人生では何度か訪れるものです。ですから、仕事の忙しさに文句はありません。それに仕事と趣味とでは、仕事を優先するのは、オトナとして当然の判断ですし…。

 ただ、私が欲張りなのは、いくら仕事が忙しいからと言って、趣味をすべて投げ出してしまうのは、イヤだと思っている事です。趣味を辞めて、仕事だけをしていれば、こんなに大変なはずはないんです。でも、いくら忙しくても、趣味はやり続けたい。たとえ、細々であっても、継続していきたいんです。

 でも、たまに、心が折れて、グチっぽくなる時はあります。声楽やフルートなど、全部全部辞めちゃえば、ずいぶんカラダも楽になる…と思う事だってあります。

 でもね、それでも、歌は好きだし、音楽も好き。聞くのも好きだけれど、自分で演奏するのも好き。そして、音楽の練習をする事が、仕事のストレスを和らげている事も事実。

 趣味って、仕事とは無関係だから、癒されるし、頑張れるんだと思います。それに、趣味のない生活も味気ないでしょ。だから、疲れたカラダに今日もムチ打って、頑張って遊ぶわけです。

 歌と笛が私の人生の支えになっている…部分はありますからね。だから、忙しくても、辞めたくないんです。

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2013年6月16日 (日)

“あがる”とは?[2013年6月第3週・通算19週]

体重:104.9kg[-0.3kg:-7.3kg]
体脂肪率:29.5%[+0.3%:-1.5%]
BMI:33.1[-0.1:-2.3]
体脂肪質量:30.9kg[+0.2kg:-3.9kg]
腹囲:100.8cm[-1.2cm:-7.2cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 
 よく、舞台で演奏する時に“あがってしまって困る”というような事を耳にします。実際、どんな人でも、人前に立って何かをするとなると、多かれ少なかれ、あがるものです。今回の記事は、そんな“あがる”って事について考えてみました。

 世の中には、あがる人とあがらない人がいます。ま、実際はあがらない人なんていなくて、その大半は「多少はあがるけれど、別に気にするほど自分が変わるわけではない」という人の事を“あがらない人”と呼びます。まあ“あがらない人”と言うのは、あがっても困らない人って事ですね。

 ちなみに私は“あがらない人”です(笑)。

 “あがる”と言うのは、簡単に言うと、緊張しすぎた状態になる事です。緊張して興奮して、ちょっとばかり自分を見失ってしまう事を“あがる”って言います。

 私は医者でも医療関係者でもないので、ここからは素人の推察って奴になりますが、おそらく、人前に出るという事を意識しすぎて、カラダが一種の防御反応として、アドレナリンを大量に放出するのが“あがる”という状態ではないでしょうか? アドレナリンを放出するので、心臓がドキドキバクバクするわけだし、時間の進み方がゆっくりに感じられたり、感覚がいつもよりも鋭敏になったり、気分が悪くなったりするわけです。で、そんな自分を感じ取って、ますますワケが分からなくなって、軽いパニック状態になり、そのパニックが次のパニックを呼んで…とまあ、そうなって、なんか、ワヤワヤになってしまうわけです。これが“あがる”の正体です。

 “あがる”ってのも、そう考えると、人体における一種の防衛反応って奴になるわけで、なかなか厄介な現象ですね。

 本来、人前に出る時に、軽く興奮状態になる事は、悪い事ではありません。軽い興奮状態になることで、時間の流れを遅く感じられるようになれば、その分、色々な事に注意を払えるようになるし、準備だってできるようになる。軽い興奮状態なら、いつもは出来ない事だって、エイヤと勢いでこなせちゃったりするわけです。いわゆる『本番に強い人』と言うのは、あがった自分を良い方向に仕向けることのできる人で、決してあがらないわけじゃないんだと思います。

 そう言えば、私はあがらない人なので、前の師匠からは、その件でダメをよく出されていました。「少しはあがれ! あがらない人間は、絶対に大きな失敗をする!」ってね。

 まあ、それは普段はあがらない人間でも、ちょっとした失敗をしたら、そこであがってしまって、大きな失敗をしてしまう…という意味でおっしゃったのだと思います。一般論としては正解ですね。でも、私は、歌では、舞台の上で失敗しても、結構冷静だし、平常心のままなんですね。いや、歌に限りません。人生のあらゆる場面で、まあ、ほとんど上がりませんし、失敗しても平常心な奴なんです。

 つまらない人間ですね。でも、オッサンなんて、そんなモンでしょ。かわいげ無いんです。

 でも実は、フルートだと全然違います。フルートでは、前の歌の師匠が心配した通り、何もなければ平気ですが、ちょっとした事でつまづくと、そこから一挙にパニックになって、ワケが分からなくなってしまいます。

 フルートを吹いている時だけ、限定的に“あがる”人なんです、私って。

 歌はもちろん、歌以外でも、まず平常心を見失うことのない私なのに、フルートの時だけあがってしまう…これはなぜなんでしょうか?

 思うに…キャリアの差と言うか、経験の差って奴かもしれません。

 オッサンですから、人前に出るなんて事は、日常茶飯事だし、人前で茶番を演じるのも日常茶飯事です。歌は、私にとって茶番の一種ですし、歌ったり、踊ったり、演じたりなんて、なんでもない事なんです。

 でも、フルートは違う。これは私の日常茶飯事ではないんです。特別な行為なんです。いや、特別な行為だと信じているんです。ですから、フルートを持った途端に、私はオッサンから、経験不足の新兵になってしまうわけで、だからあがるし、パニックにもなるんです。

 って事は、フルートであがらないようになるには…経験を積む事が一番の対策…って事になるかな? 歌同様に、人前でバンバン演奏して経験を積めば、やがてフルートでも、あがらなくなるんでしょうね。

 そう言えば、笛先生に習っていた時は、発表会にも参加していたし、ライブにも出演していて、少しずつでも人前演奏の経験を積んでいたっけ。懐かしいなあ…。H先生に代わってからは、そういう機会は全く無くなってしまい、なんか寂しいです。なにしろ、H門下には発表会って無いから(笑)。その代わりに、合宿ってのがあるのだけれど、合宿にはなかなか参加できないんだよね。
 
 
 という事で、まとめます。

 あがらないための対策。それは特にありません。あがりながらも、本番経験をたくさんして、舞台慣れをするのが、対策と言えば対策です。また、あがってしまっても、パニックにならずに、興奮状態を上手に利用できるようになりましょう。そうすると、あがる事が良い結果を導いてくれる事になるでしょう。

 本番経験をたくさんするためには、練習をきちんとしていく事も大切ですね。練習ができない人には本番のチャンスもありませんから。

 とにかく、あがってもパニックにならない事。これさえわきまえていたら、後はどうにかなるでしょう。

 頑張っていきましょう。あがっているのは、あなただけじゃないんです。 

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2013年6月15日 (土)

カラスのヒナが、巣から落ちた!

 …んですよ。全くもう…、先週の話ですが。

 休日出勤って奴をして、ウダウダと仕事をこなして「さあ、帰る時間だ!」と思って、腰を上げた途端に、第一報が入ってきました。

 「カラスが生徒を襲撃しています!」

 すぐさま、怪我人の有無を確認して、取るものもとりあえず現場に急行しました。

 現場はグラウンドの端近く。木がたくさん生えていて、ちょっとした林状態になっている箇所。確かにカラスが2羽います。我々から少し離れたところから、人間様の事を明らかに威嚇して、激しい声でカーカー鳴いてます。もうそれだけで、女性陣たちは腰がひけてビビってます。確かにカラスの真剣な威嚇は迫力あります。

 それらの威嚇にめげずに、なぜカラスが人間を威嚇しているのか、理由を探ろうとさらに近づくと、なにやら上からカツカツと音がしてます。カラスがクチバシをそこらにぶつけて音をたてています。まるで人間が、コブシを叩くかのように「脅して分からなけりゃ、カラダで分からせてやる!」とでも言いたげです。

 いくら脅されても、なぜカラスたちが人間を威嚇しているのか、その原因が分からないと、こちらも対応できませんから、ちょっとだけ(笑)ビビりながらも、さらに近づくと…カラスが私に向かって飛んできます。慌てずに、飛んでくるカラスに目を合わせると、カラスが私の頭上をスーと通りすぎました。通りすぎましたが、実は、かなり近くまで接近してきました。どれくらいの距離かと言うと…こっちの手が届かないギリギリのところを飛んでました。だいたい1mぐらい上空でしょうか? 手は確かに届かないけれど、かなりの至近距離です。それでも態度を変えずに堂々と現場に踏み込んで行った私です。カラスは果敢に、何度も私に向かって襲う真似をしてきます。その度ににらみかえしてやります。もう、ハートはドキドキですが、こっちがビビっている事をカラスに気取られないように「来るなら、来い!」という態度をとりました。

 さらに奥に進むと……なぜか地面に九官鳥がいました。 はあ?って感じです。なぜ、ここに、九官鳥が?

 そして私が、その九官鳥に近づけば近づくほど、カラスの威嚇行動が激しくなってきました。今はまだカラスも威嚇だけで、直接的な打撃攻撃などはしてきませんが、とりあえず、カラスが九官鳥を守っている事は分かりましたので、これ以上近づくと、さすがに一線を越えそうな雰囲気もするので、その場を引き上げる事にしました。

 引き上げて、ざっくりネットをググったところ、九官鳥に見えた鳥は、どうやらカラスのヒナのようです。カラスのヒナが巣から落ちて、まだロクに飛べないので、そこらにいる…とまあ、そんな感じです。で、地面にいるヒナを心配して、親鳥がそれを見守っているわけで、そこに人間が近づいてきたものだから、人間を威嚇している…とまあ、そんな事らしいという事が分かりました。

 しかし、場所が悪い。ヒナが歩いてるのは、生徒たちの自転車置き場。休日の部活を終えて、生徒たちが帰宅しようとして、自転車置き場に自転車を取りに行くと…カラスに威嚇されますね。場合によっては攻撃を受けるかも。

 このままでは、誰も自転車置き場に近づけません。

 とりあえず、この場をどうにか収めないといけません。私だけじゃ、うまく対応できません。助けを求めないと…。

 そこで思いついたのが、市役所。野良犬の徘徊とか、スズメバチの巣とか、その手の危険なモノに対する対応は、市役所の仕事じゃなかったかな?と思ったので、さっそく市役所に電話をしてみました。

 で、電話で…カラスに困ってます…と相談したら「今日は休日で、警備の者しかいないので対応できません。週が明けたら、またご連絡ください」だってサ。今、困っているんだけどねえ。

 市役所に断られたので、う~んと考えて、市民が困っている時に助けてくれるのは…お巡りさんかな? という事で、警察に電話してみました。

 で、電話で…カラスに困ってます…と相談したら「カラスが相手ではねえ…。野生の動物は警察では相手できないんですよ」だってサ。ま、確かにカラスが人間を威嚇しても犯罪じゃないしね。

 市役所や警察には助けてもらえないと分かり、仕方がないので、巣から落ちたヒナを守ろうとする親カラスへの対応をネットであれこれ調べてみました。どれもこれも「手の打ちようはありません」「あきらめてください」「近づかない事が一番」とか、そんな答えしかヒットしません。

 そんなわけには、いかなねーんだよー。生徒が自転車で帰れる様にしないといけないじゃないか!

 次に思いついたのが、消防です。レスキューの人なら、助けてくれるかもしれません。溺れるものはワラをも掴むです。とりあえず、電話をかけてみることにしました。

 で、電話で…カラスに困ってます…と相談したら「分かりました。では、検討させてください」という返事をいただきました。おお、市役所や警察とは反応が違う。もしかしたら助けてくれるかもしれない。

 しばらく待ちました。助けてくれるかもしれない。もしも、消防にも断られたら、次は陸上自衛隊に電話をするかな…と決心した時「では、そちらにうかがいます」という返事をいただきました。やったー!

 真っ赤な消防車に乗って、消防のレスキューの人たちがやってきました。

 で「カラスが駐輪場にいて困ってます」と言うと「カラスを駆除する事はできません」と来ました。なんでも、下手にヒナを駆除してしまうと、それをカラスが恨みに思って、生徒たちを襲う様になるかもしれないと言うのです。それは確かにヤバイです。

 じゃあどうするのかと…消防さんが取った方法は、

 1)人海戦術で大勢の人間(生徒たち)を使って、自転車置き場にある自転車を一時的に別の場所に移す。こちらが少人数だとカラスが襲ってくるかもしれないけれど、こちらが大勢だと、カラスは近寄ってこないはずなので、人数にモノを言わせて、まずは現場から自転車を退かしてしまいます。

 2)何もなくなって、カラスのヒナしかいなくなった駐輪場にバリケードを設置して、人が近寄れなくします。まあ、一種の鳥獣保護区を作るわけです。

 3)そのまま放置。夜の間に、ヒナがネコやヘビにでも襲われてくれれば、親鳥も諦めるはずなので、それを待ちましょう。

 …という方法です。とりあえず、その方法で週をまたいだわけです。

 翌週の月曜日、私は誰よりも早く出勤して、現場を確認しました。とりあえず“鳥獣保護区”にはカラスはいません。良かった良かったと思って、バリケードを撤去したところ、カラスのヒナはグラウンドの全然別のところにいました。

 アチャーです。

 どうやら、ネコにもヘビにも襲われず、無事に週末を過ごした様です。

 とりあえず、親鳥が激しく威嚇するので、カラスのいる方のグラウンドは、使用禁止にしました。まったくもう…。

 カラスのヒナも多少は成長したようで、少しは…と言っても、ジャンプに毛が生えた程度に飛べる様になったようで、それで多少は移動できる様になったみたいです。で、グラウンドのあっちこっちを移動するんですよ。その度に親鳥も移動するので、こちらもカラスの移動に合わせて、警戒区域をアレコレと移動しているうちに、その日の午後には、カラスがやっと余所に行ってくれました。やったね。まあ、平日の学校ってのは、人がたくさんいて、居心地が悪かったんだろうね。

 そうやって、週の中日を過ごしていたら、金曜日の放課後になって、またカラスのヒナがやってきました。まるでこれから人気が少なくなることを知ってか知らずか、例の駐輪場にやってきました。で、親鳥は我々を威嚇してます。でも、まだまだ自転車はあるんだよねえ…。これじゃあ、一週間前の再現です。

 今さら市役所や消防や、ましてや陸上自衛隊の世話にはなれません。どうしたものかと思い、とりあえず、武装してみました。武装と言ってもヘルメットをかぶり、手には3m程度の長い棒を持ってみました。カラスとの直接対決も覚悟の上です。

 カラスのヒナに近づいていくと、親鳥が威嚇を始めます。なので「こっちも武器を持っているんだぞ、やるなら、やったるぞ!」と、こっちも威嚇します。カラスもカーカー激しく鳴きますが、こちらに近づいてきません。クチバシをカツカツ鳴らしますが、こちらに近づいてきません。もっとも、こちらも『先週のように飛んできて至近距離まで近づいたら、棒でたたき落としてやる!』というオーラを全開にしてます。私と親鳥でバチバチの威嚇合戦(と言っても、私は物静かにオーラ攻撃ですが…)をしながらも、私は少しずつヒナに近づきます。で、ヒナを見つけたので、にらみつけてやったら、急にヒナが飛び立って、スーと現場から離れていきました。あわてて、親鳥はヒナのあとを追いかけます。

 ふふ、とりあえず、こっちの勝ちだな。まだまだ眼力じゃあ、カラスには負けないぜ!
 という、一週間を過ごした私でした。

 今週は、金魚ネタでなく、カラスネタでごめん。おまけに、話もうまくまとまってません。ははは。でも、カラスの事、書きたかったんだよ。勘弁してください。

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2013年6月14日 (金)

アルテ×、アルテス○、でも私は“アルテ”と呼び続けます(笑)

 実は、今回の記事は、昨日アップしたレッスン記事の続きだったりします(テヘっ!)。レッスン記事が長くなってしまったので、雑談部分だけを取り出してみました。
 
 
 ってわけで、一通りレッスンが終わったあと、先生に質問してみました。

 「このフルート教本、『アルテ』となってますが、よくネットなどでは『アルテス』と呼びますが、一体、どっちの名称が正しいのですか?」と尋ねてみました。

 答えは即座に「『アルテス』でしょ? みんな、そう言っているでしょ? 『アルテ』なんて言っている人、いないよ(ここにいますよ、目の前にいますよ)」

 (アルテの前書きの部分を開いて)「ここに『アルテ教則本』と書いてあるし、編著者自らが、確かにフランスでは『アルテス』だけれど、日本では『アルテ』と呼ぶから、本書を『アルテ』とします…って書いてますが…」

 「一体、いつの話だい?」

 「…(昭和35年?)…」とボソと言ってみました。ちなみに、昭和35年というのは、編著者である比田井さんが『アルテ』の前書きを書いた年ね。

 「安いから使っているけれど、この『アルテ』はホンモノとはだいぶ違うんだよ(だから、名称もいい加減なんでしょう)」

 「へえ~。ホンモノは巻末にガリボルディが載っていないというのは知ってますが…」

 「あっちこっち違うのだけれど、一番大きな違いは、2巻になると、先生のパートが載っていないんだよ、デュエットの教本なのに、そのデュエットの一方のパートが載っていないって、ありえないでしょ? その載せなかった理由が『2巻になると、先生のパートが難しくなり、演奏に集中すると、生徒のミスを聞き逃す恐れがあるので、先生のパートは省略されました』って書いてあるわけだ。だけど、あの程度の楽譜が難しい? 生徒のミスを聞き逃す? そんな事、あるわけ無いでしょ?」と一喝されてました。

 確かに、姉様のレッスンを見ていると、先生と姉様の二重奏では、先生もやたらと難しそうなフレーズをヒャラヒャラヒャラ~と吹いてますが、吹きながらも、しっかり姉様の指導をしてますからね。H先生的には、中級者用フルート教本であるアルテ2巻程度で“難しすぎて演奏しながらでは、生徒の指導が出来ない”なんて事は、ありえないでしょう。

 「だから、以前は、安いから生徒にはこいつ(黄色いアルテ)の2巻を買わせてたけれど、それには先生のパートが載っていないから、こっちはフランスの原著を買って、それで先生のパートを見て、合わせてレッスンしていたんだよ。フランスの原著っのが、すごく高くてね。高い上に、作りが粗雑だから、すぐに壊れてしまうんだよ。だから何冊も買い直したものだよ。その点、今はいいね。シンフォニアから、正しい『アルテス』が発売されているから、今は、フランスの原著ではなく、シンフォニア版を使ってレッスンをするんだよ」

 「へえ、じゃあ、私もアルテスの2巻はシンフォニアですか?」

 「まだまだ、だいぶ先の話だけれどね。そうそう、シンフォニアは、中味は良いのだけれど、版が小さくて見づらいのが欠点ですね」との事です。

 話はそこから更に脱線して、いかにフランスの楽譜が高いのかという話になりました(確かに、ソノリテとか見ると、無駄に高価ですね…)。おまけに、高いだけでなく、中味もヒドイというのです。なにしろ、最初から、あっちこっちミスだらけ(校訂がちゃんとしていない)だし、そのミスを全然直さないそうです。先生曰く、同じ輸入楽譜でも、アメリカのモノは安くて良いそうです。だから、彼らだってやればできるけれど、フランス人はそれをやらないだけ。それがフランス人の国民性ってやつかもしれない…との事でした。

 で、結局、一番いいのは、やっぱり日本の出版社から出されている楽譜なんだそうです。安いし、紙も製本もしっかりしているし、見やすいし、間違いもすぐに直してくれるし、校訂もしっかりしている(ただし、黄色いアルテは、フランスの楽譜並にダメなんだそうです)ので、日本製の楽譜が使っていて、一番安心できるんだそうです。

 …どうも、話を聞いていると、日本における、フルート関係の楽譜と、声楽関係の楽譜って、全然違うみたいですね。声楽関係だと、日本の楽譜は間違いだらけだし、その間違いを全然直してくれないし、そりゃあヒドイものです。私は、日本の楽譜の間違いを確認するためだけに、イタリアの楽譜を手元に置いてますからねえ。でも、日本の楽譜は、中身は間違いだらけでも、製本はいいし、紙もいいし、見やすいし、安いし、歌詞の訳や語注も付いているし、至れり尽くせりなので、使うわけなんだけれど、これで間違いがなければ、本当に最高だと思いますよ。

 そんな日本の楽譜会社でも、フルート関係だと、間違いを訂正するんだ…なんか、意外。それだけ、声楽よりもフルートの方が手間隙かけられる? つまり、フルートの方が声楽よりも楽譜が売れている? って事なのかな???

 閑話休題。とにかく『アルテ』って、正しくは『アルテス』と言うそうです。『アルテス』が正しい呼称ですが、このブログでは、これからも、あの黄色いフルート教本の事は『アルテ』と呼んでいきます。だって、あの本の編著者みずからが、この本は『アルテ教則本』と呼んでくれと、はっきり書いてありますからね。ですから、ジョセフ=アンリ・アルテスが書いたフルート教本を『アルテス』と呼んでも、日本の黄色い表紙のフルート教本は、あくまで『アルテ』なんです。そういう事なんです。いいじゃん、それで(笑)。

 それに『アルテス』と『アルテ』は、中身が結構違うそうだし(爆)。なら、名称が違っていても、かまわないでしょ(笑)。

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2013年6月13日 (木)

下手すぎて、チューニングすらマトモにできない(涙)

 ふん、ふん、ふん。時刻通りに、フルートのレッスンに行ってきましたよ。どうだ、参ったか(勝ち誇り!)。

 いつも通りの時間に行けたので、これまたいつも通り、姉様のレッスンの最後の方に教室に滑り込んで、私がフルートを組み立てたら、すぐにロングトーン練習って感じで…ううむ、実になかなか良い流れです。

 でも、肝心のレッスンの方は「…今日はなんかなあ…」って感じでした。と言うのも、なんか、フルートの調子(ってか、フルートを吹く私の調子)が今一つで、だいぶ、フルートの頭部管を抜かないと音が合わない状態だったんですよ。こんなに抜いていいの?って感じにスパ~~っと抜きました。いやあ、実に大胆不敵。どうも、フルートを磨いて、フルートを新品同様にしたせいか、新品だった頃のように、頭部管もたくさん抜かないと音が合わない様になっちゃいました。

 …って、わけないよね。単純に、私がアゲハの吹き方を忘れちゃっただけだね。とにかく、レンタちゃんでだいぶ楽をした上に、忙しさにかまけて、アゲハをロクに吹いてませんからね。アゲハの吹き方を忘れちゃったのも仕方のない事です。

 もちろん、フルートそのものは、吹いてますよ。でも最近は、アゲハを吹くよりも、圧倒的にプラ子を吹いている時間の方が長いです。だって、プラ子はプラ管フルートなので、いつも部屋に出しっぱなしだし、吹き終わったら、メンテはしないで、そこらに置いておくだけでOKという、完全メンテフリーなので、時間がない時や、隙間の時間にフルートを吹くのにサイコーなんですよ。というわけで、時間に余裕があれば、アゲハを組み立てて練習をするのですが、最近は何かと時間がなくて、ついついプラ子で練習しちゃう事が多くて、ほとんどアゲハの面倒をみて挙げられないので、アゲハがすねているのかもしれません。

 しかし、これってあまり良い状態ではないですね。

 なにしろ、頭部管をたくさん抜かないといけないって事は、音程を高く吹きすぎてしまうというわけで、その高すぎる音を低くするために頭部管をたくさん抜いて調整するわけです(つまり、チューニングだ)。でも、そうやって音程を低くしたフルートを吹く時は、普通に構えて吹くと、今度は音が低くなりすぎるので、管体を思いっきり外に回して、音程を高めにして吹かないと、音が合わないわけで、だから、思いっきり管体を外に回して、上を向いてフルート吹きます。つまり、そこまで音を曲げないと音が合わないって事は、つまり、チューニングしたフルートの音が低すぎるってわけです。

 元々の音が高すぎるから頭部管を抜いて、低めにチューニングすれば、今度は低くなりすぎて、管体を外に回して高めな音程を狙って吹いてます。だったら、最初から頭部管を抜かなきゃいいわけだし、少し前まではそうして吹いていたのに、今じゃ、頭部管をある程度抜かないと音が合わないし、音を合わせたフルートで演奏すると、段々音が低くなってしまうわけで、演奏途中で音曲げをして、帳尻を合わせているわけで…まあ、色々と苦労しています。

 ふう。つまり、私って、ヘタクソなんだよね。もう、五年もフルートをやっているのに、まだこんな状態なんです(ナサケナイ…)。

 とりあえずアルテです。はい、Des-dur、苦労してます(涙)。アルテの15課8章の4番『Des-durのスケールとアルペジオ』は、ちょっと吹くと、すぐにミスブローします。ミスったところで「はい、最初から(やり直し)!」と言われるので、そこで止めて、最初から吹き直します。そうやって、ミスるたんびに最初に戻って、いい加減戻るにも飽きたなあ…って頃、ようやく、最後まで通りました。ああ、大変。

 先生曰く「吹く前に、次の指の事を考える事!」「集中力が足りない!」

 まあ、おっしゃるとおりですね(涙)。たしかに、集中力が足りないと言うか、集中してませんね…。別に他のモノに気を取られているわけではなく、単純に疲労困憊で、意識を音楽に集中できないだけです…ってよりも、睡魔に襲われて、寝てしまわない様に頑張っているだけの話です。だって、私、フルート吹きながら寝ちゃうという特技がありますからね、うっかりしていると、レッスン中に寝ちゃうわけで、それはとても失礼な話なので、頑張って起きていようと、頑張って頑張って頑張っているだけなんです。

 でも、ほんと、疲れていると、集中力には、大いに欠けちゃいます。集中力に欠けながらも、何とかおまけで、合格となりました。

 5番の『Des-durのクロマティック』はサラッと合格。なぜ、前回はあんなに苦労したのが思い出せません。これでDes-durは、やっと終わり。ご苦労さま。次はb-mollです。Des-durの並行調ですから、bが5つでございます。まだまだ、私の苦労は続くわけです。
 
 
 で、ミニヨン・エチュードは、ボロボロでございました。やっぱり20番は難しいね。

 今回も、あっちこっち指がダメだったのですが、特にダメなのが、中音レ-ミ-レの装飾音符。中音レ-ミ-レと言うのが、難しいね。ゆっくりならともかく、素早く、何気に、“レ-ミ-レ”ですからね、ああ、難しい。

 それと、音価を正しく守る…とりわけ休符の音価をしっかり守る事を言われました。四分休符は、しっかりと四分音符と同じ時間だけ無音にしなきゃいけないし、八分休符は八分音符と同じ時間だけ無音状態を作ります。そのあたりが、私、デタラメでした。ああ、気をつけていかないと。ついつい、休符を短めにして(って事は、直前の音が長いんで、帳尻合わせで休符が短めになる?)しまうので、いけません。

 それに、何度も注意されているけれど、スラーとそうでないところを明確に! 何度注意されても、同じ失敗をしてしまいます。ほんとに、ダメだな。

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2013年6月12日 (水)

音痴なので音感を鍛えようと思ってますが…どうしたら良いでしょうか?

 …と言うような悩みを、ネットのあっちこっちでよく見かけます。確かに『歌が上手く歌えない』状態を“音痴”と呼称し、その音痴から脱却すべき方法を考え、あちこちに相談した結果「あなたは“音感”がないから“音痴”なのだ。だから、まずは音感を鍛えるべきであり、音感を鍛えれば、音痴は治ります」とアドヴァイスされたり、自分でそのような結論を出し、その結果、音感トレーニングを始めたり、音感の先生(ソルフェージュの先生)について耳を鍛えたりします。

 で、結果として、一向に音痴から脱却できずに、人生の貴重な日々を無為に過ごしてしまうのです。ああ、残念無念。

 なんで、こんな事を書いているかと言うと、私にも似たような経験があるからです。
 
 
 ここのブログを愛読している方なら、百も承知でしょうが、私の歌声は、実に音程が甘いんです。そんな自分を“音痴”と呼称してもいいのですが、そうすると、本当の音痴の方に失礼なので、あえて、そうは言いませんが、でもやはり、私は音程がかなり甘い人間である事は認めざるを得ません。

 音程が甘い生徒であった私に対して、かつての師匠は「あなたは音感が無いから、音程が甘い」と言い、ソルフェージュの教室を探して、さっそく音感トレーニングを受けてきなさいと厳命したものです。それも、ソルフェージュだけを教えて、歌は教えない教室を探しなさいとも言われました。これは、ソルフェージュを学ぶ過程で、発声を変えられることを、声楽の教師として杞憂したからでしょう。

 とにかく、私は、かつての師匠の元、音痴判定をくらい、ソルフェージュの先生を探して、修行してきなさいって言われたわけです。

 で、当時の私は、先生の指示には素直な生徒で、たいていの指示には、それがかなり無茶な指示であっても、黙って従ってきたわけですが、この指示に対しては、本能的に「いや、それ、先生、違うから…」と思ったので、ソルフェージュの先生の元に行きませんでした。

 ちなみに、私には音楽家の友人がそこそこいますので、ソルフェージュの先生を探すのは、そんなに大変なことではありません。友人の一人に「誰か、いい先生知らない?」って言えば、すぐに紹介してもらえます…って、そういえば、かつての師匠は、私にソルフェージュを習いに行けとは言ったけれど、○○先生のところに行けとは指示しなかったなあ。知り合いに、良いソルフェージュの先生は居なかったのか、それも、別の目的があって、私にそんな事を言ったのか、今となっては、分かりません。

 閑話休題。なぜ私は、かつての師匠のアドヴァイスを無視したのか? それは、インプットの問題とアウトプットの問題を分けて考えるべきだと思ったからです。

 音感が無い、または、音感が悪いと言うのは、あくまでもインプットの問題です。ある音(仮にミとしておきます)を聞いた時に、その音がミであると分からないのは、その音と、ミという音の脳内の印象を一致させる事ができないだけの話であって、それはあくまでもインプットの問題であり、多くは意識的にインプットした経験が少ない事から、耳にした音と、脳内の音程のイメージが一致させられないだけです。

 だから、何度も何度も、インプットを繰り返して、音程の印象をきちんと脳に刻み込み、脳がその音程の印象を覚えてしまう事…これを音感があるという状態なんだと思います。そして、その音程の印象を、なんの手がかりも無しでイメージし同定できる人を『絶対音感の持ち主』と呼び、何らかの手がかりから音程のイメージを同定できる人を『相対音感の持ち主』と呼ぶのだと思います。

 音感なんてものは、インプットの精度の問題ですから、いくら音感があっても、音痴は治りません。

 と言うのも、音痴はアウトプットの問題であるからです。

 音痴とは、自分の脳内にある音程の印象と一致する音程の歌声を発声しようとしているにも関わらず、実際に出てくる歌声が、脳内のある音程の印象とは、違った音程の音で歌ってしまうのが、音痴だからです。

 はっきり言っちゃえば、音痴って、歌的に“不器用な人”の事を言います。決して、音感がないわけじゃないんです。

 その証拠に、楽器の達人であっても、歌は歌えませんって人がいますが、楽器の達人に音感の悪い人なんているわけないでしょ。ただ、楽器しかやっていない人にとって、音楽的なアウトプットは楽器演奏であって、歌ではないので、いくら音楽的に優れていても、歌わせると音痴だったりするのは、そういうわけです。

 だいたい、ピアノが弾けるのに音痴って場合、耳が悪いわけでもなければ、楽譜が読めないわけでもなく、ただ単純に歌った経験の少なさからくる音痴だって事は、私が説明せずとも、イメージできるでしょ?

 つまり、音痴って奴は、脳内に音程の印象が無いわけではなく、脳内の音程の印象と一致した歌声を出すのに、苦労しているだけの話なので、脳内の音程の印象と一致した歌声が出せるように訓練すれば、音痴は治るんです。

 ソルフェージュ、とりわけ音感トレーニングの類のモノは、あくまでも脳内に音程のイメージを刻み込むためのモノであって、インプット関係の学習です。音痴はアウトプットの問題なので、自分の脳内にある音程のイメージ通りに発声できるように、肉体的なトレーニングが必要なんです。

 つまり、音痴を直すには、ソルフェージュではなく、肉体的なトレーニングの方がいいんです。

 で、その“肉体的トレーニング”とは何かと言うと、ずばり“発声練習”です。つまり、ヴォイトレね。ちゃんしたトレーナーの元で、発声練習をしていれば、音痴なんて、治ってしまうって寸法なわけだ。

 だいたい、音痴で悩む人って、元々、音楽好きでしょ? 音楽を聴いて楽しめる人でしょ? 音楽を聞いて楽しめる人なんだから、脳内に音程のイメージを持っている人なんですよ。ただ、その人が持っている音程のイメージ通りに、歌が歌えないだけなんです。で、自分のイメージ通りに歌えなくて悩むから音痴であって、って事は、自分の中のイメージはちゃんとしているわけなんです。ほら、インプットの問題じゃないでしょ?

 聞けば、どんな曲でも曲名を当てられるけれど、歌ってしまうと、なかなか曲を他人に伝えることができない…これが音痴の悩みなわけで、つまりインプット系には問題がなくて、単純にアウトプット系に問題を抱えているわけです。

 だから、音痴の人が、ソルフェージュとか、音感トレーニングとか学んでも、音痴はちっとも解消されません。私はそう思ったので、私はかつての師匠のアドヴァイスを無視したわけです。

 もちろん、この事はそれとなく、師匠には伝えましたが、理解してもらえませんでした。

 ただし、かつての師匠の音程関係のアドヴァイスの中で「音叉の音を覚えてしまう」はなかなか有益なアドヴァイスだったと思います。音叉の音(ラ)を覚えてしまえば、その音を基準にして、比較的正しい音程で曲を歌えるようになります。これは私の中に、緩いけれど、相対音感があったからで、相対音感があったからこそ、基準音さえあれば、さほど大きく狂わずに歌えるようになったわけです。

 ちなみに、なぜ発声練習をすると、音痴が解消されるのか?

 それは、発声が悪いと音痴になるかです。まあ、説明的には堂々巡りになってますが、我慢してください(汗)。

 発声が悪い人って、まず、歌うカラダが出来てない人なんです。例えば、腹筋による声の支えが弱いために、歌っている途中で、声を支えきれずに、音程がフラットしたり、揺れたりするわけです。また、無用な場所に力みがあるために、筋肉が過緊張を起こして、声帯やノドなどの、本来伸びるべき部分が伸びずに、そのために、意図した音程よりも低い音程で歌ってしまうなどします。

 ですから、正しい発声方法を学べば、自分の中にある音程のイメージ通りの音程で歌えるようになるわけです。

 ソルフェージュを学んで、耳を鍛えるなら、その後の話です。音痴を脱出して、ある程度は音程正しく歌えるようになったけれど、合唱などで歌うほどには精密な音程では歌えないと言う人には、ソルフェージュや音感トレーニングは必要な事だと思います。と言うのも、発声に問題がなければ、インプットを鍛えて、脳内の音程イメージの精度をあげるとことで、アウトプットの精度も上げることができるからです。

 つまり、歌える人が、より精密で正確に歌うために、ソルフェージュを学ぶなら、とても有意義だけれど、音痴がソルフェージュを習っても、ムダムダムダってことです。

 人が技術を習得するためには、必要なテクニックを、必要な時期に、適切な順番で学ぶことが、大切ってことです。これが教育カリキュラムの基本であり、有益で有効なカリキュラムを組める教師が、良い教師ってわけですね。

 たとえ方法論が正しくても、その提示順番が間違っていたら、何の意味もないどころか、時には逆効果にもなるのです。これ、教育の基本テクね。

 音痴で悩んでいる人は、きちんとヴォイス・トレーニングを受けて、発声方法を見直せば、たちどころに音痴脱出できますよ。頑張ってゆきましょう。

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2013年6月11日 (火)

後輩君が某大手楽器店系のフルート教室に通い始めました

 私の後任として、新しく吹奏楽部の顧問に就任した、後輩君の話の続きです。

 前回の記事では、私が『なるべく早い段階で、しっかりしたプロの指導者の個人レッスンを受ける事』というアドヴァイスをしたところで話が終わっていました。

 さて、あれから数日が過ぎ、私が近所の楽器に楽譜を買いに行ったところ、彼が店の奥から出てきて、バッタリと顔を合わせてしまいました。どうしたのか?と尋ねたところ、この店でやっているフルート教室に通い始めたのだそうです。

 ほほ~、さっそく、優しい先輩のアドヴァイスに従って、ちゃんとした先生にフルートを習いだしたわけだね、感心感心。芸事の上達には、彼のような、従順な心というのは不可欠です。彼は、まだ若いし、きっと、あっと言う間にフルート、上達するんだろうなあ。

 後生畏るべし…とはこのことだね。

 彼が、某大手楽器店系のフルート教室で学び始めたので、ちょっとググってみました。いやあ、フランチャイズって、レッスン代、高いね。私のH先生よりも高いね、びっくり。もっとも、H先生のレッスンは、ワンレッスン10分前後という短いレッスンだから、通常の個人レッスンの時間(30分とか60分)にしたら、H先生方がグンと高くなるんだけれどね(笑)。まあ、H先生は時間単価が高い先生だから比較しちゃいけないのだけれど、前に習っていた笛先生よりも、お高いですね。

 どうしても某大手楽器店系のレッスンだと、フランチャイズ元にフランチャイズ代を支払わないといけないから、普通の個人教室よりも、お高くなってしまうのは仕方ないか? その代わり、楽器店に音楽教室が付属しているわけだから、先生探すのが楽でいいけれどね。

 それにしても、ここのフルート教室は、営業時間内なら、いつも開講しているってのは、すごいなあ。フルートの先生がお店に常駐している?って事なのかな? それとも先生が店のすぐそばに住んでいて、どの曜日時間帯でもヒョイヒョイ来てくださるのかな? そのあたりのシステムはよく分からないけれど、オトナ相手の音楽教室で、時間の自由がきくと言うのは、うらやましいです。仕事で忙しい時など、時間変更とか可能なんだろうなあ…ああ、本当にうらやましい。

 それはともかく(笑)。

 某大手楽器店系のオトナの音楽教室が悪いとは、これっぽっちも思わないけれど、お月謝が高いのが玉にきずだよね。お金って大切でしょ? ましてや就職したばかりで懐具合だって豊か…とは言えないわけだし、私に相談してくれれば(H先生は高いし、初心者の面倒は見ない人なので、紹介できないけれど)初心者向けの内容で、リーズナブルなレッスン代で面倒みてくれる、腕っこきの先生を紹介できたのにねえ。年寄りって、無駄に人脈があったりするんだから、そういう時は相談して欲しかったな。

 さて、その某大手楽器店系のフルート教室のリンク先を見て、ちょっと驚いた。さすがに今どきだねえ…、学ぶ曲がクラシックばかりでなく、ほどよくポピュラーも学ぶんだ。これはいいね。私はジャズから入ったから、クラシックもポピュラーもいけるけれど、普通に個人教室でフルートを学んじゃうと、クラシックオンリーになってしまうからね(特にH先生のところは、ガチガチのクラシックだし:笑)。さらにカリキュラムがうまく出来ていて、学び始めて1年後の演奏って奴は…私、負けちゃうかも(汗)。

 いやあ、やっぱり、後生畏るべし、だな。

 そこで、さっそく私は後輩君に相談を持ちかけました。学校ってところは、秋には文化祭って奴があるわけです。当然、吹奏楽部も出演するわけだけれど、その秋の文化祭に、二人でフルートデュエットで出演しないかいって、持ちかけてみました。

 後輩君はフルートを始めたばかり、今はまだヨチヨチ歩きですが、秋の文化祭まで半年あります。私の時を思い出しても、最初の半年から一年って、劇的に上達するわけで、その成長分も見越して、デュエットを申し込んでみました。もちろん、ダメもとでお願いしたわけです。そうしたら、前向きに検討したいって言うじゃない。

 よしよし。

 さっそく、アルソ出版の『やさしいフルートデュエット Vol.1 スタンダード82曲』という曲集を貸して「なんか吹けそうな曲があったら、練習してみないか」と持ちかけてみました。もちろん、彼は前向きで「少し練習してきます」と言って、楽譜を借りていきました。

 よしよし。

 いやあ、楽しみだなあ。最初は、本当の本当に簡単な曲でいいんです。とにかく、合奏をしてみたいです。なにしろ、リアルな知り合い(フルートの先生やその生徒さんを除く)の中に、笛吹きを見つけたのは、たぶん、これが初めてだもの。なんか、気持ちが舞い上がるよね。ゆくゆくは、デュエットチームを作れたらいいなあって思います。

 ああ、楽しみ楽しみ。

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2013年6月10日 (月)

2013年6月現在の私の歌声[音源付き]

 声楽の先生をキング先生からY先生に変えて、約1年になりました。発表会の準備も着々と進んでいますので、今回は勇気を以て、現在の発表会準備途中である現在の歌声をアップしてみる事にしました。ま、一種のメモリアル・アップです(笑)。

 曲目は、トスティ作曲の『Non t'amo piu!/君なんかもう』。記事のタイトルは「2013年6月現在」となってますが、実際に歌ったのは、5月29日です。まあ、細かいことは気にしない(笑)。

 自分的には、ますますキング式の発声方法が抜けて、少しずつY先生の教えてくれる標準的な発声方法に変わっているように感じています。とは言え、さすがに五年間、毎日毎日練習してきたわけで、まだまだキング式発声が抜けきれていない事も事実です。感覚的には、五対五ないしは、六対四ぐらいの割合かな? もちろん、数の多い方がキング式ね。

 キング式の発声方法は、選ばれた人間のための発声法…と私は勝手に思ってます。選ばれた人たちが、キング先生の元で学ぶと、本当に劇的に変わります。でも、選ばれていない人で、力の無い人は、壁にぶちあたったまま悪い癖をこじらせて停滞するし、中途半端に素質があると、声を壊します。残念ながら、私は選ばれていない人間だったみたいです。あのままキング先生の元で学び続けていたら、確実に声を壊していたと思います。なにしろ、私は、中途半端な人間ですから(笑)。まあ、だから、音楽の神様が、中途半端な私にも対応できる、オーソドックスな先生に変えてくださったのだと思ってます。

 さて、アップした歌は、他人が聞いたらどう聞こえるかは別として、私自身の感覚では、以前とはかなり違っているんですよ。

 まず、一番の違いは、声が楽に出て、歌っている事が、とても楽しいんですよ。

 歌は昔から好きでしたが(ブログには何度も書いてますが、入門当初から)キング式の発声では、苦しいし、痛いんですよ。なにしろ、ラクに発声するとダメが出ます。先生がOKをくれる声は、苦しいし、痛いんです。苦しいのは酸欠でクラクラするから。痛いのは、ノドの奥やコメカミの上、頭頂部、うなじのちょっと内部。それと歌うと、ノドから血の匂いが漂います。

 そんなに苦しくて痛いなら、歌なんて辞めればいいのにと思われるでしょうが、私は、歌が大大大好きだから、声を出すのがつらくても我慢してきました。たまにつらすぎて、その事を先生に伝えると「我々だってつらいんだ」と言われると、そうかプロでもオペラチックな発声って、つらくて大変なんだ。だったら、私の痛みぐらい、我慢しないとね…なんて思ったものです。実際、先生を信頼していたから、先生の指導方針に従って我慢してきました。

 まあ、私はキング式発声方法に耐えられるほど、カラダもノドも強くなかったんだと思います。だから、つらくて痛かったんだと思います。

 でもね、やっぱり、人間、痛くない方がいいし、つらくない方がいいです。特に、趣味なんだから、ツライより楽しい方がいいよね。

 Y先生のところに入門して、最初に言われたのが、これ。声を聞いて、いかにも、つらそうな声だと言われました。いや、実際は、つらそうではなく、つらかったのですけどね。

 だから、最初にやったのは、楽に発声すること。楽に楽しく発声すること中心に、この一年間は声楽を学びました。まあ、だいぶ楽に感じられるようになったもの、時折、昔の悪い癖が出て、自分を追い詰めて発声してしまいます。で、Y先生からダメをもらいます。この録音でも、部分的に自分を追い詰めて発声しています。まだまだ、楽々とは発声できない私です。五年かけて身に付けた癖は、五年かもっと長い時間をかけないと、カラダから抜けないものなんでしょうね。

 実は私の声は、以前よりも出なくなったと思います。音量は減り、遠達性もダメになったと思います。以前は、大ホールでも朗々と歌えましたが、今はおそらく無理でしょう。なにしろ、声そのものが、だいぶスケールダウンしてしまったわけですから。

 その代わり、自分の身の丈に合った、無理の無い声で歌えるようになりつつあります。

 今は歌っていても、どこも痛くないし、つらくもありません。『君なんかもう』のように長い曲は、以前だと、1番を歌っているうちに声を使い切ってしまい、とても2番を歌うことはできませんでした。今は、1番2番を通したフルコーラスを歌うことはもちろん、そのフルコーラスを5回連続して歌っても、たぶん大丈夫。余裕で歌いきれると思います。それくらい、発声が楽だし、声が余ってます。ほんと、人間、変われば変わるものです。

 変わったのは、痛みの有無だけではありません。声質も変わったかな? 録音で聞くと、あまり変わっていないように聞こえますが、私自身の感覚では、私の声質は大変化を遂げています。以前は、自分の歌声は『明るいテノール声』だと思ってました。今は『地を這うように低くて太い声』だと思っています。きっと録音機がなければ、私は自分の事を、バスバリトンか、あるいはバスになってしまったと悲しむところかもしれません。

 しかし、声って、自分で感じているモノと、録音したモノ(つまり他人が聞いている声)って、全然違うんですね。しかし、今の私の歌声ほど、自分の感覚と、録音音源で聞ける声が、全く違うのも珍しいです。

 だって、自分自身は、まるでバスバリトンかバスになってしまったかのように感じながら歌っているにも関わらず、録音で聞こえる歌声は、正真正銘のテノール声なんですよね。これはショックです。こんなにも、自分で感じている声と、他人に聞こえる声が違うなんて、驚きモモの木山椒の木です。ほんと、ショックショックです。

 あと、音程の甘さは相変わらずですが、でも今の方が、かなりマシに歌っていると思います(でしょ?)。

 声の響きですが、これに関しては、今はまだ落ち着きがありません。いい響きで歌えているところもありますが、うっかりして、響きを逃がしたり、落としたりしています。そういう意味では、発声方法がまだまだ固まっていないのでしょう。以前は、今ほど良い声ではありませんでしたが、ダメはダメなりに安値安定していました。

 そうそう、自分なりに、少しずつだけれど“良い声”って奴が、感覚的に分かってきたような気がします。そして、今まで考えていた“良い声”ってのが、少々的外れだったように思い始めました。そして、プロ歌手の歌を聞くと、以前よりも強く激しく「ああ、上手だなあ」と感じるようになりました。これは生はもちろん、録音でもそうです。なんか、CDを聞いていると、時折、あまりの上手な歌声に涙ぐんだりします。それくらい、発声の上手さを感じられるようになってきたかもしれません。

 とまあ、声の事を中心に書きましたが…それは、歌の方は、ちょっとねえ、マダマダでしょ? 歌詞もクチがまわらずにきちんと言えていない箇所がたくさんあるし、表現と言った面では、まだまだ棒歌いだし、人間性なんてものが、何も表現されていません。失恋の歌なのに、ちっとも悲しく聞こえないでしょ? ま、このあたりについては、発表会に向けて、もっと歌い込んで、自分なりの歌に仕上げられたらなあって思います。

 最後にちょっと言い訳を(笑)。ピアノを弾いているのはY先生ですが、先生はバリトン歌手ですし、お弟子さんもバリトンさんばかりなので、この曲を普段はバリトン用の低い調性で弾いていて、指が低声用で覚えているので、私の伴奏をしていても、ついつい指が落ち着きません。同じ高声の生徒さんであっても、ソプラノだとレパートリーがバリトンと被らないので問題ありませんが、なまじ男性同士のテノールとバリトンだと、レパートリーが被るんですね。でも、声が違うから、調性が違うわけで、そんなわけで、Y先生的には、私の伴奏って、やりづらくて厄介なんだろうと思います。…ご迷惑おかけしてます。

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2013年6月 9日 (日)

だから格闘技をやりましょう[2013年6月第2週・通算18週]

体重:105.2kg[-0.2kg:-7.0kg]
体脂肪率:29.2%[-0.3%:-1.8%]
BMI:33.2[-0.1:-2.2]
体脂肪質量:30.7kg[-0.4kg:-4.1kg]
腹囲:102.0cm[+-0.0cm:-6.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

  「格闘技をやりましょう」って、若い人に言いたいです。まあ、本当は若くない人にも言いたいのですが、若くない人が、いきなり格闘技をやると、カラダを壊してしまうので、ひとまず、若い人たちに向かって言っておきます。

 スポーツもいいけれど、格闘技を是非やってみましょう。

 格闘技とは何か。種類別に言えば、柔道とか剣道とか空手とか合気道とか。ボクシングやムエタイもそうだし、もしかするとアーチェリーとか弓道とか射撃も、広義の格闘技として、この中に入れてもいいかもしれません。

 つまり、どういう事が言うと『若いうちに、格闘技を学び、暴力を身に付け、同時に、暴力を制御する事を覚えましょう』って事です。

 ああ、こんな事を書くと、また、左翼な方々に叱られそう。でもね、私は、人間は、どんな人であれ“力”を身に付ける事は、必要な事だと思ってます。

 “力”とは、体力だけではありません。知力とか記憶力とか行動力とか忍耐力とか意思力とかも必要。女性なら女子力も必要でしょう。また、直接“力”とは言われなくても、健康である事とか理性的である事なども“力”の一種でしょう。そして、それらの“力”の中に“暴力”も必要だと私は思うのです。

 “暴力”とは『物理的な力を以て、他者を制圧する力』です。この“暴力”が、兵器によって伸展すると“武力”と呼ばれるものになります。だから、道具を使う剣道も格闘技に入るし、弓や銃を剣同様に考えるなら、アーチェリーや弓道や射撃も格闘技のうちに入ると思います。また、物理的な力ではないけれど、言葉の力が伸展した力を“言葉の暴力”と言うのは、これらの考え方から来るのだと思います。

 “暴力”であれ“武力”であれ、大切な事は、それらを野放図に用いるのではなく、きちんと抑制し、理性的に運用していく事です。ですから“暴力”そのものと、そのコントロール方法を同時に学ぶ……そのために格闘技をしっかり学ぶ必要がある…と私は思うのです。

 格闘技を学び、自分の暴力をコントロールできる人間には、色々な強みが生まれてきます。

 格闘技は肉体を鍛えて暴力に猛るだけでなく、その暴力をコントロールする事を学ぶ過程で、心を強く育てます。そのため、格闘技を学んだものは、精神的にも大きく成長できます。胆力が身に付き、窮地に陥ってもパニックにならずに済みます。

 格闘技を学んだ人間は、暴力による脅しには容易に屈しません。暴力的な局面にあっても自尊し、自律的な行動が取れます。また、自分が暴力を振るう側にも、振るわれる側にも立てる人間である事を自覚する事で、無駄に暴力を振るう人間に対して強くふるまえるし、また無力な人間に対しては優しくなれますし、時には保護することもできます。

 と言うのも、格闘技では、その練習の中に、どんな格闘技であれ“痛みに耐えて我が身を呈する”という事が日常的に行なわれます。具体的に言えば、ボクシングなどで言えば、毎日他人にイヤになるほど殴られ続ける経験をするって事です。人間、痛みを繰り返す事で、感覚的な耐性が生まれます。毎日毎日(意識的に)殴られ続けていれば、感覚がタフになるだけでなく、肉体的にもタフになってきます。肉体がタフになってくると、精神もタフになってきます。精神がタフになってくると、心に余裕が生まれるようになり、自分一人だけでなく、他人も守ろうという気概が生まれてくるものです。

 自分の“暴力”によって、自分と他人を守れますから、大胆な発想と積極的行動を取ることが可能でしょう。これは暴力行使の最中にあっても同様で、格闘技を学ぶ事で、我が身と相手の身を思いやる事ができます。格闘技を学んでいれば、適度な攻撃というものが感覚的に分かるようになりますから、相手に致命傷を与えずに事を収める事も可能となります。

 とにかく、格闘技を学ぶ事で得られるものは数多く、失うモノは何もないのですから、ぜひ若者たちには積極的に格闘技を学んでほしいと思います。

 まあ、私ごときが四の五の屁理屈を言ったところで、状況は変わらないかもしれません。でも、私は、これからの時代、若者たちが、しっかりと格闘技を学び“暴力”を身に付け、その“暴力”をコントロールする強い力を身に付けていく事が、これからの日本にとって、とても大切な事だろうと思います。

 今の日本の世の中は、あまりにキレイゴトばかりか横行していると思います。まあ、これをひと言で言うなら“平和ボケ”とも言うのかもしれません。キレイゴトって、結局、自分の手を汚したくない弱虫の逃げ口上なんだと思います。

 昔の日本人は立派だった…と言う事をよく聞きます。事の真偽はともかくとして、もしもそう考えられるのだとすれば、昔の日本人は皆、若い時に武芸に親しんでいたからではないかと思われます。武芸、つまり、現在の格闘技って奴ですね。

 格闘技って、キレイゴトの無い世界なんですよ。殴られれば痛いし、殴ったコブシだって痛い。勝つにせよ負けるにせよ、常に痛みや苦しみが伴う世界なんです。でも、そんな痛みや苦しみを抱えながらも、なぜ格闘技を学ぶのかと言うと、自分を強くするため、成長するため、そして自分と自分の周りの人々を守るために学ぶんです。格闘技を学べば、キレイゴトが如何に嘘っぱちなのか、理屈ではなく、カラダで知る事ができます。どんな勝ち方であっても、そこに痛みが存在することを無意識に分かるようになるからです。

 だから格闘技をやりましょう。

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2013年6月 8日 (土)

ハナジロがハナグロになってしまいました

 まあ、標題のとおりなんですが…。

 黒くなったのは、鼻だけでなく、ほぼ全身、まだらに黒くなりました。ちょうど、三色琉金に黒の差し色が入るような感じで黒くなりました…って書くと、なんかいい感じに思えます(実際、見た目はいい感じにキレイになってます)が、今まで赤かった金魚が、突然、赤と黒の二色になったら…病状悪化、こりゃヤバイ…って思いますよね。

 さっそく、ググってみたら、やっぱり『黒斑病』という病気のようです。

 あちゃ~っと思ったら、この黒斑病という病気、病気という名称がついてますが、実は細菌系の病気から治りかけた時に、一時的に出る症状のようなものらしいです。なので、特に治療の必要もない……ん? って事は、ハナジロは回復傾向にあるわけ?

 まあ、予断は許さないし、本当に黒斑病だかは知れたものではないけれど、回復しているかもしれない…って思えるだけでも、うれしいね。

 とりあえず、ハナジロは、今日も転覆したまま頑張って生きてます。

 …しかし、黒斑病が治っても、転覆が治らない限りは、ハナジロは、メイン水槽には戻れないのだけれどね。

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2013年6月 7日 (金)

世の中は助け合いなんだよ

 フルートのレッスンに行ってきました。

 なんかもう、最近は、時間通りにレッスンに行けないのが、普通の状態になりつつあります。今回だって、レッスンに間に合うように職場を出ようとしたら、某後輩君が、その直前に「ちょっと聞いてほしい事があるんだけれど…」って来たものだ。もちろん「イヤだ!」と断れればいいんだけれど…立場上、そういうわけにはいかず、やむなく、話を聞いて、対処法をアドヴァイスしてあげれば、もうレッスンには間に合いません。仕方がないので、お教室に連絡して、レッスンに遅刻する事を伝えます。

 なんか、最近、そんな事ばっかりしてます。

 で、いつも通り、遅刻して(笑)レッスン会場に到着したところ、すでに姉様のレッスンは終え、先生はご自分の練習も終え、読書タイムに突入していました。あちゃー、これはどうやら、先生を長時間待たせてしまったみたいだ…も、申し訳ない(涙)。

 先生はニコニコと「では始めましょうか」とおっしゃってくれたけれど、先生を待たせるなんて、決して良いことではないわけで…すごくすごく申し訳ないぞぉ~。

 ロングトーン練習は先生と二人きりでしたが、なんか、すごくアゲハの音が出にくい(涙)。もちろん、オーバーホールから上がってきて、だいたい一カ月ですから、そろそろ調整が必要になってきた事もあるでしょうが、実は私、レッスン日の前日に過労でダウンして寝込んでしまい、この日もまだ病み上がりでフラフラだったんです。やっぱり、体調が悪いと、フルートは音が出ませんなあ…。

 さらに体調が悪いと、息の支えが不十分になりますから、必然的に、音痴になりますね(しみじみ…)。

 そんなわけで、アルテの15課8章の『Des-durのロングトーン』ですら、苦戦する私(苦笑)。スピ~ッとか、プス~ッとか、なんか普段の私なら、絶対に出さないような無様な音を連発しました。ああ、穴があったら入りたい…。

 4番『Des-durのスケールとアルペジオ』は、息が全然続きませんし、指がボロボロなので、当然不合格。5番の『Des-durのクロマティック』は、アタマが真っ白になって、次にどんな運指にすべきかも分からなくなって、何度も立ち往生してしまったので、これまた不合格。しゃーないですが、先週よりも確実にヘタになっている私です(涙)。

 ミニオン・エチュードの20番は……いや~、指が動かない動かない。まあ、ロクに練習していないのだから、指が動かなくても不思議はないのだけれど、それでもやっぱり、指が動きません。

 先生からは「指が動かないのは、練習不足だから仕方ないにせよ、スラーとスラーでないところは、しっかりと吹きわけないとね…。このあたりがいい加減というのは、楽譜をちゃんと見ていないという事です」と言われました。たしかにそのとおりですね。

 あと、スタッカートの吹き方に注意が入りました。私のスタッカートは強調しすぎて、なんか音楽がつまづいているように聞こえるのだそうです。だから、スタッカートは“しっかりタンギングする”と言う程度で良いのじゃないかと言われました。とにかく、スタッカートがあっても、やはりフレーズはなめらかに演奏しないと音楽的ではないのです。

 それと「もっと考えて、批判的に吹きなさい」と言われました。どういう事かと言うと…このアルテについているミニヨン・エチュードは、オリジナルのものとは違って、編集者によって、結構改変されているのだそうです。なので、それらの改変箇所を無意識に受け入れてはいけないって言われました。

 …そんな事を言われても、どこがオリジナルで、どこが編集されて変更された箇所なのか分からないです…って言えば、音楽的でないところは、たいてい、変えられた箇所です…とのお答え。まあ、そんなモンなんでしょうね。なので、ブレスの位置やら、スラーのつながりやら、表情記号の一つ一つ、これでいいのか、これなら音楽的なのかと考えて演奏するのが大切なんだそうです。

 ああ、でもやっぱり、そんな事を私に求められても、手に余りますって…。
 
 
 今回の雑談は…なぜロマン派の作曲家たちはフルート曲をかかなかったのかって話。これは時代の影響があるんだそうです。

 実はロマン派の時代って、パガニーニやリストに代表されるように、ヴィルトゥオーソの時代だったそうで、フルートも、ヴァイオリンやピアノに負けず、名人芸を披露するような技巧的な曲ばかりが作曲されたのだそうです。で、技巧をひけらかすような曲はつまらないので、後世に残らなかったのだそうです。

 ん? つまり、フルートのヴィルトゥオーソたちは、ヴァイオリンやピアノのそれと違って、演奏能力には長けていたけれど、作曲能力には欠けていたって事かな?

 先生曰く「ブラームスがフルート曲を書いてくれたら…」だそうです。私もそう思います。

 ロマン派のフルートは、ソロ曲には恵まれていないけれど、オーケストラの中では、なかなか良いパッセージが与えられているので、ロマン派のフルートを楽しむなら、オーケストラを聞くのが一番良いのだそうです。まあ、たしかにそうかも。

 それともう一つ、雑談話がありました。それは演奏におけるチケットノルマの話。21世紀の今でも、やっぱりあるんですね。プロなのに、自分でチケットを売らないとギャラが出ないと言うのも…なんか悲しい話ですね。で、先生は、そんな売れないチケットを抱えちゃった後輩ちゃん(当然プロ)のために、今回、たくさんのチケットを買い取ってあげたのだそうです。

 「世の中、助け合いだからね。彼女とは、共演した事もあるし、苦しい時はお互いさまだからね」なんだそうです。だったら、今回、後輩ちゃんと共演するビッグネームな方々がチケットを売ればいいじゃん…みたいな事を私が言ったら「ああいう人は、チケットは売らないんだよ。フラッとやってきて、マネジャーがギャラを受け取って、サッサと帰るんだよ」なんだそうです。

 なんか分からないけれど、プロの世界には、そういうシキタリと言うか、ある種の仁義のようなものがあるみたいです。ううむ、門外漢には分からないし、分かりたくない世界だぞぉ。

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2013年6月 6日 (木)

私ってミーハーなんですよ

 さて、今回も声楽のレッスンの続きです。とにかく、レッスンの内容が濃いので、記事も数回に分けざるを得ません。うれしい悲鳴です。

 『君なんかもう』を終えたので、再び『星は光りぬ』のレッスンに戻りました。さっきは、音程は横に置いてリズムの練習をしましたが、今回はリズムを横に置いて音程の確認をしたわけです。

 ひとまず通して歌ってみました。この曲での懸案事項は『二度出てくる高いAをどうやって乗り切るか』です。もちろん、今まで、高いAを人前で歌った事はありません。半音低いAsですら、一昨年の発表会では見事に撃沈、昨年のガラコンサートでもかなり怪しく(ほとんどアウト)かったのに、今年はそこから半音上げて、前人未到(は、おおげさか)のAに挑戦ですからね。まあ、心配は心配です。

 Y先生的には、私にAが出ないわけはない…と信じているようです。いや、Aどころか、BやHまでは簡単に出ると思っているようです(さすがに「Hi-Cから上は、大変かもね…」と言ってますが:笑)。つまり、声のポテンシャル的には問題なく出るはずだけれど、発声方法が悪いので、出せていない、って先生は言いたいわけです。

 とりあえず通して歌ってみました。

 …しっかし、ピアノと合わない合わない…(汗)。まあ、リズム的な事には目をつぶって、レッスンは進めました。

 最初のAは難なく通りすぎましたが、二度目のAは、ちょっとフラットしちゃいました。届いていない…なあ…。

 先生曰く「テヌートに支配されすぎ。もっと、軽く音をすべらせながら、つないでいければ、いい感じに歌えるはずです」 私、Aに至るまでの一音一音に気を使いすぎて、気持ちが萎縮して歌えていないようです。その証拠に、最初のAは、Aが目的音ではなく、Aの次のGとその装飾音符が目的音なので、その途中経過音として、高いAを無事に通りすぎているわけだけれど、後のAはA自身が目的音だし「Aだよ、高いなあ…」と思う気持ちがあって、そこに至るまでに、カラダのアッチコッチが意識して萎縮してしまうんです。後のAをうまく歌うには、前のAを歌ったのと同じような感じ、つまり“目的音ではなく経過音”だと自分を騙して歌ってみたらどうかと言われました。Aを目的ではなく、Aを通りすぎる感じで歌えって事ね。

 これがなかなか難しい。でも、なんか出来そう。頑張るしかないね。

 しかし『星は光りぬ』は、リズムといい、高音といい、たしかに難しいですよ。
 
 
 で、今回から二重唱の練習も始めてみました。二重唱は、ヴェルディ作曲の『椿姫』の『Libiamo,  ne'lieti calici/友よ、さあ飲みあかそう(乾杯の歌)』です。

 しかし、私が今回の発表会で歌う曲は、トスティとヴェルディとプッチーニを一曲ずつだよ。ううむ、実にミーハーなチョイスだな。キング先生のところにいたら、絶対に歌わせてもらえない組み合わせだな(笑)。私の本質はミーハーなんだけれど、そういうミーハーな部分がキング先生には嫌われていたからね。でも、私のミーハーは、モノを知らないミーハーではなく、色々と知った上で、ぐるりと一周したミーハーだからね、同じミーハーでも、そこらのミーハーとは、ミーハーのミーハーたる基盤って奴が違うのだよ…なんてな(笑)。

 とにかくヴェルディの中でも、超ミーハーな『乾杯の歌』です。たぶん、この曲、あらゆるオペラ関係の曲の中で、一番有名なんじゃないかしら? そんな超有名曲に改めてチャレンジできるのは、とってもうれしい事です。

 とりあえず通して歌ってみました。この曲は、キング門下の時に、歌劇団のみんなと分け合って歌った経験があるので、初めてではありませんし、私は、練習の時に、自分が歌わない部分も練習していたので、なんとか通せました。妻は、自分が歌った部分以外は、今回初めてですが、まあまあ歌っていました。

 先生曰く「まあまあ、なんとかなりそうですね」との事ですが…これ、なんとかなるのかな? 結構、バラバラのグチャグチャですが(汗)。もっとも『愛の妙薬』の方がこんな状態だったら、絶対に間に合いません(きっぱり)ので、これくらい出来ていたら、まあ良しなのかな?

 細かい注意はたくさんありましたが、一番気にしないといけないのは、この曲には高いFが多用されているわけで、このFと言う音は、テノールにとっては歌いづらい音(ほんと、そーなんですよ)なので、Fが出るたびに、しっかり意識して、常に高め高めに歌っていく事が大切だと言われました。まあ私は、Fの半音上のFisがチェンジ箇所ですから、F攻めはたしかにツライんですね。なんか、ヴェルディに苛められているような気がしないでもないです…が、このツライ音を多用することに、たぶん意味があるんだろうなあ…って思います。
 
 
 これで今回のレッスンは(やっと)終わり。発表会まで、後、やっと二カ月って感じになりました。プログラムを作成するので、そろそろ曲を本決めにしたいとの事ですが、私はこの三曲でOKです。この三曲で、発表会に臨みます。

 ちなみに、先生に、発表会に参加する人はどれぐらいですか?と尋ねてみました。まだ、悩んでいる人が数人いるそうですが、二つの門下を合わせて、たぶん10名ぐらいになるでしょうと言われました。

 昨年よりも減ってない? もっとも、昨年は3門下合同発表会だったのが、昨年K先生が亡くなられたので、今年からは2門下合同になって、参加生徒数が減ったのは分かるけれど、それにしても少なくない?

 もちろん、門下にいるけれど、発表会には出ません/出れませんという方もいるので(発表会は自由参加です)、門下全員で発表会に取り組むというわけではないのですし、春先の年度替わりのところで、数名の生徒さんが辞めてしまったので、こんなモンなんだそうです。ちなみに、先生は、生徒さんが辞められても、その代わりの人を募集するつもりはないのだそうです。門下生は、少ないままでOKって事みたいです。まあ、教える方が主体ではないとは言え、あんまり門下が寂しいと、そのうち発表会が無くなっちゃうじゃないの?と心配したら「それは絶対に無いです」と先生、断言されていました。なんでも、一年に一回、人前で歌うことは絶対に必要なので、なんとかして、その場はキープしていくそうです。

 でもまあ、発表会に参加する人数が減ると、出演生徒の出演料がお高くなるのが、悩みです。今年はすでに、キング門下時代の倍以上になってますし(汗)。

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2013年6月 5日 (水)

美輪明宏さんのような声で歌ってはいけない

 …って、別に美輪さんをディスっているわけではありません。でも、美輪さんのような声は、クラシック声楽では使わないので、こういう声で歌ってはいけないって事です。

 では、美輪さんのような声とは、どんな声か言うと…はい、思い出しましたね(笑)。ああいう声です。地声と裏声がほどよく混じった感じの声で、ポピュラー系のヴォイトレでは、ミックス・ヴォイスと言われる声です。アレです、アレの事です。

 ですから、ポピュラー系のヴォイトレの掲示板などで「ミックス・ヴォイスがうまく使えません(涙)」なんて悩みが書かれていたりしますが、それに対するアドヴァイスの一つとして「美輪さんのモノマネして歌ってみたらいかが?」って言えるかもしれません。

 それはさておき、あの美輪さんのような、ミックス・ヴォイスはポピュラー系では有効でも、クラシック系では御法度です。クラシックでは、原則として、男声は胸声(地声のような声)で、女声は頭声(裏声みたいな声)で通して歌いきらないといけません。男声であれ、女声であれ、地声に裏声を混ぜたような声は、特殊の場合を除いて使わないのです…って、なんでそんな話になったのかと言うと、妻が低音を歌う時に、無意識にこのミックス・ヴォイスを使ってしまうので、先生がそれを指摘して、先生自身もミックス・ヴォイスで歌って見せたからです。「先生、器用だな~」って思いました。ま、プロの方に器用も何もないのですが(笑)。

 おそらく私は、声に関しては、不器用なんだと思います。ミックス・ヴォイスはもちろん、テノールの声ですら、まともに出せやしませんからね。まあ、それ以前にモノマネが苦手という段階で、相当不器用なんだと思います。
 
 
 さて、声楽のレッスンの続きを書きます。発声練習が終わったので、いよいよ歌のレッスンに入りました。あ、もちろん、服は着ましたよ(笑)。

 プッチーニ作曲の歌劇『トスカ』の『E lucevan le stelle/星は光りぬ』ですが、まずは、前回宿題に出された“手拍子を打ちながらインテンポで歌ってみる”の確認からです。

 “歌ってみる”のですが、とりあえず、音程はデタラメでも可で、手拍子で“とりあえず、インテンポでしゃべってみる”って感じでやってみましょうって事になりました(だって、音程は音程で、難しいんだもの…)。

 宿題の確認をされるとは思ってなかったので、ちょっと焦りました。インテンポで歌う練習は、メトロノームとか、カラオケをインテンポに設定して練習していたので、インテンポで歌うこと自体は出来るようになっていましたが、手拍子を打ちながら…は、正直、練習不足だったので、ちょっと戸惑いましたが、なんとかやりとげました。まあ、歌があるところは、手拍子をつけても平気ですが、休符のところは、気を抜いてしまうと、わけ分からなくなってしまうので、本当に注意です。

 とにかく、ビート感覚をしっかり持って歌いましょうって事です。

 次に手拍子を入れながら、自分の好きなテンポ(って事は、フリーテンポ)で歌ってみましょうとなりました。

 これ、難しいです。プッチーニは1小節ごとにテンポが変わると言われるそうですが、まあ、そこまで極端ではないにせよ、実際、この曲は、テンポが実にコロコロよく変わります。なので、自分の歌に合わせて手拍子を打って、辻褄を合わせてみたのですが…先生、苦笑。歌に手拍子を合わせるのではなく、自分の歌いたいテンポに手拍子を打って、その手拍子に合わせて歌って欲しかったのだそうです。歌に手拍子を合わせてしまうと、手拍子同士のつながりが無くなってしまうので、それでは非音楽的なんだそうです。そうではなく、テンポが徐々速くなったり遅くなったりするのに合わせて、手拍子もその流れの中で音楽の流れに合わせて、速くなったり遅くなったりして、そのテンポに合わせて歌を歌えるのが正しいのだそうです。

 書いている事、分かりますか?

 たしかにテンポチェンジは激しいけれど、そのテンポの変化には流れがあって、その流れを他人に感じさせるようでないとダメって事で、これはつまり、ピアニストさんにテンポチェンジが分かるように伝えながら歌うって事になります。歌だけが、本当に自分勝手でテンポの流れやつながりを無視して歌ってしまっては、ピアニストさんがいくら凄腕でも合わせる事はできませんよって事なんですね。

 いや~、難しい。ほんと、これは難しい。何度やっても、歌に手拍子を合わせてしまう私でした。結局、これは宿題になってしまいました。
 
 
 と言うわけで、次の曲は、トスティ作曲の『Non t'amo piu!/君なんかもう』です。まずは一通り通して歌ってみました。

 先生からの注意は「低音をアゴで支えて歌っているのは、良くない。低音を無理に出そうとするのがいけない」との事。まあ(テノールである)私が低音が苦手なのは仕方ないし、低音が中音や高音ほどには出ないのも仕方ないけれど、出ないからと言って、そこで無理をしてはいけないのです。出なければ、出ないなりの声で歌えばいいじゃないの…って事なんですね。

 低音をしっかり歌おうとして、響きを落としてはダメなんです。「高音は地面から拾い、低音は宙に浮いているモノをつかむ」気持ちが必要なんです。なので、低音は、音程は下がるけれど、響きは落とさないこと。響きを落とさないために、無理に歌うのは回避すること。ただし、軽く歌おうとするあまり、支えを失っては元も子もないので、そこのバランスに気をつける事、です。

 また、歌詞の中に何度も“non”という否定語があるけれど、この歌詞は否定語が大切なので、どの“non”も、きっちりと発音する事が大切です。

 ここで、先日、地元で見た『椿姫』の話をしました。先生も当地でのオペラ公演には興味シンシンで、出演者の話をすれば、皆、顔見知りの歌手さんばかり(と言っても、先生から見れば後輩になるわけですが)だったりします。

 やはり、ハイライト上演ってのは、歌手にとっては、実に酷な演奏形式なんだそうです。先生ご自身も以前、一回だけハイライト上演を引き受けた事があるそうですが、その時に痛い目にあわれたそうで、もう二度とハイライト上演は引き受けない事にしたそうです(それくらい、ツライんだそうです)。

 で『椿姫』と言うと、バリトン役はジェルモンだけれど、先生ご自身は、ジェルモンはまだまだ歌いたくないんだそうです。なぜですか?と尋ねたところ、今の年齢でジェルモンを歌ってしまったら、50歳になった時に歌える役が無くなってしまうから…なんだそうです。

 まあ、声の年齢と役の年齢の話なんですね。

 実はY先生は、まだお若い方です。たぶん、キング先生と変わらないか、もしかすると、もっとお若い方です。現在、野心に燃えて、キャリアを積み重ねている最中の歌手なんですね。だから、教える事よりも、自分が演奏して、仕事の実績を積み上げていく事を優先にしているわけなんです。

 まあ、それはともかく。ジェルモンという役は、二十歳前後の青年の父親役ですから、50歳前後の年齢設定なわけで、声にしろ、風貌や雰囲気にもそれらしさが望まれます。まだ若いY先生が、ジェルモンを歌うために、一度に声を老けさせてしまえば、今の年齢でもジェルモンは歌えるのでしょうが、一度老けさせてしまった声は、なかなか簡単には若返りませんから、若いうちから老人役を歌ってしまうと、本当の老人になった時に、歌える役がなくなってしまうって事らしいです。

 まあ、声には声の年齢があるわけで、声の年齢と役の年齢が一致している事がオペラアリアでは大切な事なんです。声さえ役にふさわしいければ、歌手の実年齢と役の年齢は…一致していなくてもかまいません。そう考えると、テノールはいつまでも若々しい声をキープしないといけないし、バリトンはいつまでも中年のダンディな声をキープしていないといけないわけで、それはそれで、大変な事だなあって思いました。

 私の声は、若いのかな? いや、たぶん、おそらく、そうではないなあ…。

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2013年6月 4日 (火)

裸になってレッスンを受けた(ちょっとおおげさ:笑)

 声楽のレッスンに行ってきました。

 今回はお日柄も良く…じゃなかった、お仕事の都合が良くて、とても早く帰宅でき、久し振りに妻と一緒に徒歩でテクテクとレッスンに行きました。いつもは遅刻して焦りながらタクシーを飛ばしてレッスンに行っているので、精神的に全然違います。なんか、のんびりと余裕をもってレッスンに臨めるのって、いいですね。

 レッスン室に入ると、なにやら、モノが増えてます。「アレ?」と思って、先生に尋ねると、なんと先生、ご自宅を新築されるそうで、家具やら荷物やらを、あちらこちらに分散して預けているのだそうです。で、このレッスン室には、音楽関係のものをゴッソリ運んできたのだそうです。ついでに、自宅が完成されるの半年間、こちらで寝泊まりもしているのだそうです。

 …というので、レッスン前に自宅新築の話をひとくさり。私がレッスンを受けている、こちらの教室は、先生のご実家にあるレッスン室で、先生が独身だった頃、メインで使用されていた場所ですが、ご結婚後は仕事を積極的に入れるため、横浜の一等地(交通の便がすごく良い)に引越しされたのですが、そこは家自体が少々古いものだったので、今回、建て直してしまおうという事になったのだそうです。なんでも、横浜の新しいご自宅には、とても広いレッスン室を作る予定なんだそうです。こちらのレッスン室もかなり広いのですが、ここの1.5倍程度の広さにするんだそうです。…それだけ広ければ、ちょっとした合唱団の練習もできますなあ…、って先生、合唱団でも作る気かしら?

 さて、レッスンです。

 まずはハミング練習から。今回、注意を受けたのは、息の流し方。息をいきなり前にではなく、一度後に回してから前に流すように言われました。言葉で書くと「???」ですが、実演してもらうと、違いがよく分かります。

 なぜハミングの練習をするのか? 別にハミングそのものは歌では使いませんから、ハミングなんて出来なくてもいいじゃないか?って思いますが、ハミングは、息の通し方の確認をするために行なう練習なのだそうです。ハミングをする事で、今日の自分は、きちんと息を流しているだろうか? 息の量は、速さは大丈夫だろうか? 変な箇所に入り込んでいたり、違った道を通っていないだろうかと確認するための練習なんだそうです。ですから、ハミングをする事で、それらをチェックチェックしていくわけです。

 だから、ハミングをする事が、ハミング練習の目的ではないわけです。

 そう言えば、大昔、合唱団にいた頃、毎回、ハミング練習をしていたけれど、あの頃は、ハミングをするのに一生懸命で、より響くハミング音を出す事を頑張っていたけれど、あれって無意味というか、全く間違った練習だったんだなあ。ああ、あの頃の私に「オマエ、違っているよ」と教えてやりたい気分です。

 発声練習に入りました。「カラダがよく見えないです」と先生に言われたので、チャッチャッと脱衣して、シャツ一枚になりました。ま、素っ裸になってもよかったのですが、着ていたシャツがピッチピッチタイプのシャツ(発汗蒸発作用の強いタイプのシャツなので、カラダにピッタリしているわけで、いわば“ボディコン”なシャツ)だったので、シャツ止まりにしておきました。これで、カラダの動きが、先生からよく見えるわけです。

 男同士だから、こんな事も可能です。先生と生徒で性が違えば、ちょっと出来ませんね。…では、女性同士のレッスンだと、裸になってレッスンをしたりするのかしら?(まさかね:笑)。

 で、ほぼ裸になって何をチェックしたのかというと、私の腹筋の動かし方をチェックしたわけです。

 私は腹筋を下部を中心にマルカートに動かしているのだそうですが(分かる?)、こういう腹筋の使い方だと、たしかに楽に声は出るし、自分にとって難しい音域(とりわけ高音域)も出しやすくなるので、間違った使い方とは言えないけれど、この使い方では、とても疲れてしまい、オペラなど長時間の歌唱には向かない使い方なんだそうです。「アリア一曲しか歌わないなら、これでもいいけれどねえ…」と言う事だそうです。なので、声を出すのは、少々シンドクある代わりに、疲れにくく長時間歌える腹筋の使い方に変えていきましょうと言う事になりました。

 で、その腹筋の使い方と言うのは、下部から始まって上部に至るまでをゆっくりとレガートに動かして使っていくというやり方で、1フレーズで一回腹筋を動かすというやり方です。感覚的には、腹筋を下から徐々に絞って歌っていく感じです。これだと、息の勢いと言うものが、格段に弱くなるので、息の勢いで歌声を作っていくのは難しくなります。まあ、声と言うのは、声帯の自律振動でも作れるので、必ずしも息の勢いが必要と言うわけではありませんが、息の勢いがあった方が、そりゃあ楽に発声できるので、この絞り上げる腹筋の使い方になると、たしかに声を出すのが、少々シンドクなります。

 このやり方では、その場の発声はシンドクなりますが、疲れが溜まらないので、長い時間歌えるのだそうです。

 というわけで、しばらく腹筋の使い方の練習をしました。

 また合わせて「軟口蓋の上がり方が少ない」という注意も受けましたが、軟口蓋に関しては、上がりの多少が自覚できていないので、これは後々の課題となりました。また「鼻腔が上手く使えていない」という指摘も受けました。鼻腔に関しては…怖いんですよね。私は元々(日本人に多い)鼻声なので(せっかく矯正したのに)鼻腔にうっかり入れると、また鼻声に戻ってしまうのではないかと恐れています。鼻声にせずに、鼻に響かせて歌わないといけないので、これは次の課題かな?って勝手に考えてます。

 まあ、当たり前ですが、発声に関して、まだまだたくさんの課題を抱えている私でした。

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2013年6月 3日 (月)

アマチュアフルーティストに、ゴールドフルートは必要か?

 必要か不必要かを問うならば、どんな場面で、ゴールドフルートが他の素材のフルートよりも優れていて、それがアマチュアフルーティストにとって、より良い方向に向かうならば、アマチュアフルーティストにとって、ゴールドフルートは必要でしょうが、もし、そうではないならば、つまり、どんな場面においても、ゴールドフルートを凌駕するフルートがあるならば、アマチュアフルーティストに、ゴールドフルートは必要ないという結果になります。

 では、参ります。

 まず、ゴールドフルートが、他の素材のフルートよりも優れている点、その1。それは「遠鳴りがする」という点です。

 もちろん、奏者の腕前も必要でしょうが、同じ腕前の奏者ならば、シルバーよりもゴールドの方が、遠鳴りがするし、より広い会場での演奏に有利なんだそうです[H先生談]。オーケストラのプロフルーティストさんがゴールドを多用するのは、そういう理由からだそうです。

 ただし、これはゴールドという素材のおかげと言うよりも、単純にゴールドが金属として比重が高いため、同じ厚みで楽器を作成すれば、他の素材よりも重くなるからというのが理由のようです。なので、シルバーであっても、厚管の楽器は遠鳴りするし、ゴールドであっても、薄管では期待ほど遠鳴りするわけではないみたいです。

 となると、18K厚管フルートを使っているH先生最強!って事になりますが、先生ご自身、18Kのフルートの音色が気に入っているわけではなく「音色的にはシルバーが最高だけれど、オーケストラと一緒にホール演奏するためには仕方ないのだよ」という、やむをえない事情でのゴールド使用なんだそうです。

 どちらにせよ、遠鳴りを必要とする場面では、一般的に、ゴールドフルートは有効とは言えますね。例えアマチュアであっても、オーケストラで活躍している人には、ゴールドフルートは必須なのかもしれません。
 
 
 ゴールドフルートが、他の素材のフルートよりも優れている点、その2。それは「錆びない(錆びずらい)」という点です。

 “錆びない”というのは、お手入れが簡単とも言えますし、いつもピカピカなら、見栄えも良いわけです。プロならば、演奏だけでなく、プロモーション活動もするわけですから、その際に、サビサビの楽器を持っているよりも、ピカピカの楽器を手にしている方が絵になるわけで、そういう意味では、プロ奏者がゴールドフルート(や、プラチナメッキフルート)を持つのは分かります。

 ただし、アマチュアフルーティストが割と多く所有している9Kのフルートは、ゴールドフルートではあるけれど、ゴールドの含有率が低く、シルバーやカッパー、ニッケルなどの錆びる金属の含有率の方が高いので、9Kのフルートはゴールドフルートでありながら錆びてしまうので、この“錆びない”という利点は無いようです。

 まあ、お手入れが簡単というのは、プロアマ問わず、大切な要素ですね。経済的に許されるなら、この理由だけでも、アマチュアフルーティストがゴールドフルートを所有する理由付けになるかもしれません。
 
 
 ゴールドフルートが、他の素材のフルートよりも優れている点、その3。それは「ゴールドフルートならではの高貴な音色が楽しめる」という点です。

 ゴールドフルートには、やはりゴールドフルート特有の音色の癖があります。音色なんて、好き嫌いがあるわけで、ゴールドの音色を好まぬ人もいる一方、ゴールドの音色を好む人もいます。最近のように、プロ奏者の多くがゴールドフルートを吹くご時世では、ゴールドの音色こそが、フルートの音色であって、アマチュアフルーティストが目指すべき音色であると考える人がいます。そういう方にとっては、アマチュアフルーティストがゴールドフルートを所有することは、是であるわけです。
 
 
 ゴールドフルートが、他の素材のフルートよりも優れている点、その4。それは「所有しているだけで、いかにも凄腕であるかのように、ハッタリがかませる(笑)」という点です。

 ザックリ言えば、ゴールドを使っているだけで「上級者」に見えるって事です。
 
 
 どうでしょうか? もちろん、ゴールドフルートを持っている事のマイナス点というのもあるわけです。それらを簡単に列記すれば…

 効果的に演奏するためには、より強い腹圧が必要……フルート演奏のためのカラダができていないと、ゴールドフルートの場合、演奏そのものが難しいって事です。初心者やそれに毛の生えた程度の人の場合、ゴールドフルートでは、まともな演奏はできないって事です。ただし、9Kあたりだと、話は逆で、シルバーのフルートよりも楽に演奏できるそうです。

 経済的に余裕がないと厳しい……これは楽器本体が高価という事もあるけれど、ゴールドという柔らかい素材で楽器ができているため、メンテの回数が増えるし、また費用もそれなりにかかってしまうからです。つまり、維持費がシルバーの楽器よりもかかるって事です。

 盗難の危険性が高い……まあ、ゴールドフルートは、金製品ですからね。これは仕方ないです。それだけ、持ち運びの際には、神経を使うことになりますが、これは大変であると同時に、オーナーとしての喜び的な側面もあります。ですから、この件は、必ずしもマイナス点とは言えないかもしれませんね。

 ゴールドフルートを持っている事のマイナス点、こんなものでしょうか? こうして列記してみると、大したマイナス点はないみたいです。
 
 
 さて、最初の『アマチュアフルーティストに、ゴールドフルートは必要か?』という問いに関する、私なりの答えですが…必要か、不必要かで答えるなら…ううむ、やっぱり、不必要かな? この程度の理由ならば、何もゴールドでなければならないとは言えなさそうです。少なくとも、シルバーで十分でしょう。

 ただし、これは『(すべての)アマチュアフルーティストに~』という問いに対する答えであったり、私個人に対する問いかけに対する答えであって、限定された、ある種のアマチュアフルーティストさんたちにとっては、ゴールドフルートは必要かもしれません。

 例えば“オーケストラで活躍している、アマチュアフルーティストさん”とか“フルートは、常にピカピカでなければ恥ずかしいと考えるアマチュアフルーティストさん”とか“ゴールドの音色が好きで好きでたまらないアマチュアフルーティストさん”とか“他の人が持っていない楽器を持っている事で誇らしくありたいアマチュアフルーティストさん”とかね。そういう人には、ゴールドフルートは必要でしょうね。

 まあ、フルートは楽器であって、道具であるわけで、道具である以上、必要ならば使えばいいし、不必要と思えば、他の道具を使えばいいだけの話なんだし、実は、それぞれの奏者が自分のニーズと照らし合わして、必要不必要を判断すればいいだけの話なんです。

 …って、最後は結論を投げちゃったけれど、まあ、今回の解答は、そんなところでしょうか?

 皆さんは、どうお考えになりますか?

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2013年6月 2日 (日)

アクセサリーデザイナーでございます[2013年6月第1週・通算17週]

体重:105.4kg[-2.0kg:-6.8kg]
体脂肪率:29.5%[-0.5%:-1.5%]
BMI:33.3[-0.6:-2.1]
体脂肪質量:31.1kg[-1.1kg:-3.3kg]
腹囲:102.0cm[-1.0cm:-6.0cm]
     [前回との差:2013年当初との差]

 先日、妻から某所でのバザーに手芸品を出品しないといけない事になったので、チャチャっと天然石ブレスレットを作ってくれないかという依頼がありました。どんなモノを作るかは私に任せるというので、女性用のブレスレットを三つほど作ってみました。

20130526  写真上のものは、珊瑚とガラス・パールと水晶を組み合わせたブレスレットです。オレンジ色に見えるのが、天然のホワイト・サンゴを染めたもので、これにガラスで作ったフェイクのパールと、本物の中玉水晶を一つ組み合わせて作ってみました。主材料が珊瑚とガラスですから、いわゆる天然石としてのパワーはあまり無く(水晶を一つ入れてみましたので、全く無力とは言えませんが…まあ気休め程度でしょう)、ファッション性優先で作ってみました。優しく上品な感じに仕上がりました。ちなみに、天然の珊瑚をふんだんに使ってますので、お値段の方は、それなりになっております。

 左のブレスレットは、ピンク・カルセドニーとカット・クリスタルのアンサンブルになってます。カルセドニーはメノウの一種です。宝石というか貴石としては、ごく一般的なもので、いわゆる碧玉の一つです。それに要所要所にシルバーリング(極小)を挟んでみました。ピンク・カルセドニーの方は、パワーストーン的には気休め程度のものですが、カット・クリスタル(つまり水晶)も使っていますし、リングはシルバーですから、ブレスレットのストーンパワー的には穏やかな効目のモノになっていると思います。パワーストーン初心者とかその手のエネルギーに敏感な方にふさわしいと思われます。

 右はブルー・メノウとカット・クリスタルのアンサンブルで、左のピンク・カルセドニーをブルー・メノウで置き換えたものです。シルバーリングには金メッキを施してあります。まあ、効能的には、左のブレスレットとほぼ同じです。

 左右の二つのものは、ファッションとパワーの両立を目指した、初級者向け(って、何が初級者?)のアイテムに仕上げてみました。

 どうですか? なかなか、良いでしょ? 実物は写真よりも、もっともっといい感じなんですね。

 で、バザーに出品して売れたようですが…一体いくらで売れたのかしら? まあ、購入された方が満足して使用してくれれば、製作者としては満足でございます。

 私が妻の目の前でブレスレットをチャチャと作ったのを見て、妻自身もアクセサリづくりに興味が沸いたようです。最近はチマチマとビーズ・クロッシェでネックレスを作っているようです。ビーズ・クロッシェとは、手芸糸にゴマのように小さなビーズを何百も通して作ったビーズ糸を使って編んで作っていく…手間がやたらとかかる手芸です。なにしろ、糸にビーズを通すところから始めているので、手間がかかっているし、見た目もゴージャスなので、なかなか良い感じのアクセサリーなんです。ま、あんなに細かいものをチマチマ作るなんて、私の性分には合わないので、ビーズ・クロッシェは妻に任せることにしています(笑)。

 手芸って、楽しいよね。これを女性だけの趣味にしておくのは、モッタイナイと思いました。オッサンたちも、もっと手芸に親しむと良いと思います。私、定年になって時間ができたら、手芸でも始めようかな?

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2013年6月 1日 (土)

妻が目を合わせてくれません(涙)

 我が家では、毎日のように…

 「エサ、ちょーだい!」
 「まだ早い![or さっき食べたでしょ!]」”

 …の争いを繰り返していました。無論、攻めはサクラで、守りは妻です。

 サクラは負けてませんよ。毎日、毎日、それどころか、妻と目が合いさえすれば、時間を問わず「エサ、ちょーだい!」攻撃をしかけてきます。「エサ、ちょーだい!」「エサ、ちょーだい!」「エサ、ちょーだい!」「エサ、ちょーだい!」…ってな具合です。

 「エサ、ちょーだい!」…その具体的なやり方と言うのは、じっと妻を見つめながら、水槽のエサ場にスーッと行って、エサの投入口の真下で、全身で水をはねさせます。バチャバチャバチャバチャうるさいのと、辺りに水がベチャベチャ飛び散るので、実は結構ウザイです(笑)。

 こんな攻防を、我が家では、毎日毎日繰り返していたわけです。

 サクラはいいですよ。だって、暇だもん。一日中、エサをねだっていたっていいわけだから。でも、妻は色々とやるべき事があって、そんな中、四六時中、金魚にエサをねだられていたら、うんざりしてしまうのも仕方ないわけです。なにしろ、金魚って奴には満腹感って奴がないし、記憶力って奴が皆無に等しいわけだし、なので、こっちはさっきエサをあげたにも関わらず、まるで丸一日食べていないかのように、エサねだるんですよ…。

 思えば、きちんと時間の概念があって、しっかりしていたカエデって、金魚界の天才児だったんだろうなあ…。ほんと、あの子ほど賢かった金魚はいません。そこに行くとサクラは…全くの凡才なんだよねえ。

 閑話休題。そこで、ある日、妻はある事に気づきました。

 それは、サクラは、妻の姿が見えているからエサをねだるわけではなく、妻と目が合うとエサをねだる…という習性がある事に気づいたわけです。

 それ以来、妻はエサの時間以外は、なるべく水槽の方を見ないように、つまり、サクラと目を合わせないように心がけてきました。確かにサクラと目さえ合わせなければ、我が家は平和そのものなんです。でも、それでもやっばり、うっかり妻が水槽の方を見ちゃって、一度サクラと目が合うと、やっぱり「エサ、ちょーだい!」攻撃が始まるわけです。

 どうにも、じゅうたん爆撃のようなサクラの「エサ、ちょーだい!」攻撃に対抗するには、単に“水槽の方を見ない”だけでは不十分だという事に気づきました。

 で、何をしたのかと言うと…水槽のキッチンに面したガラス面のすぐ前に、いわゆるバリケードを作ってみました。ま、目隠しですね。バリケードと言っても、ちょっとした遮蔽物(具体的には、のど飴の袋なんだけれど)を置いただけなんです。

 でも、これで、うっかりサクラと妻が、目を合わせる事がなくなりました。そして、サクラの「エサ、ちょーだい!」攻撃が、収まったのです。やったね。

 ようやく、我が家に平穏な時間が戻ってきました。

 最近は、サクラの「エサ、ちょーだい!」攻撃がなくなったので、人間のペースでエサをあげられるようになりました。だいたいは時間通りにエサをあげていますが、たまにうっかりエサをやり忘れてしまうことがありますが、金魚には満腹感が無いのと同時に、空腹感もないので、エサをやり忘れても、もらい忘れたことに気づかない事も多々あるので、まあ、それはそれで良し、なんて思ってます。

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