ひとこと

  •  ポケモンGOの仕様が大きく変わって戸惑ってます。たぶん改良されたのだろうと思うのだけれど、どう楽しめば良いのか、正直戸惑っています。年寄りは変化が苦手なんだよねえ。ああ、以前のゲームシステムが懐かしい…。
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2013年2月の記事

2013年2月28日 (木)

あんまり寒いのでトイレが近いのですが、それって私だけ?[2013年2月の落ち穂拾い]

 寒いです…。本当に寒いです。そのせいでしょうか、トイレが近くなりました。それって実は…年のせい? いや、寒さのせいだよね。

 昼間、あんまり寒くて、カラダが冷えてしまっているので、夜になって入浴してカラダを温めようとしても、我が体脂肪が寒さをキープしてしまって、いくら湯船でカラダを暖めても、体脂肪がちっとも温まらない。体表ばかりが暑くなって、汗もダーとかいているのに、カラダの中がヒンヤリしたままと言うのは、なんか気持ち悪いです。とにかく、脂肪が保冷剤のようになって、私のカラダを冷やし続けるのよ(涙)。

 デブにしか分かんないんだろうなあ…。
 
 
観客とブレス

 鍵盤楽器とか弦楽器などでは、ブレスを気にせず音楽の演奏が出来る事から、あまりブレスに気を使わないで演奏している方がいらっしゃいます。特にアマチュアの方に、その傾向が強いかな?

 ブレスって、原則的にフレーズの切れ目に行うモノですね。逆に言うと、フレーズが切れたらブレスをする…ってことです。ブレスに無頓着だと、フレーズの切れ目に無頓着になりやすいですし、フレーズの切れ目を意識していると、たとえ演奏している楽器が鍵盤楽器であれ、弦楽器であれ、無意識にそこでブレスを取るようになります。

 かくも、ブレスとフレーズの関係って、深いものだと思ってます。

 で、アマチュアさんに多い、ブレスに無頓着な方の演奏ですが、こういう方の演奏を聞いていると、気分がゾワゾワして、ちょっと不快になります。音楽が、スーっとカラダに入って来ない感じがします。

 と言うのも、みんながみんな、そうというわけではないでしょうが、私の場合、音楽を聞いている時に、演奏者と同じタイミングで呼吸をしている事、多いです。いつのまにか、そんな感じになってしまいます。そして、演奏者と息が合っていると、音楽も自然とカラダの中に入ってくるような気がします。

 ブレスに無頓着なアマチュアさんの演奏では、演奏者と息をするタイミングが合う事などありませんから、音楽を聞いていても、なんか息苦しくて、息が詰まる感じがします。演奏効果として、観客を酸欠状態にする事を狙っているならともかく、そうでないなら、かなり残念な事になります。
 
 
誰に向かってブログを書いているの?

 ブロガーの皆さん、ブログを書く時、一体、誰に向けて書いているか、意識した事ありますか?

 つまり、どのような人を読者として想定しているかって事です。それで、ブログの書き方や内容、運営方針などがおのずと決まってくると思います。

 私の場合、老犬ブログは、将来の自分に向けて書いています。将来、私が間違って長生きをしてしまった場合、老いの身を抱えて、縁側でお茶飲みながら、元気だった頃の自分の姿を思い出して、一人でヘラヘラしながら、このブログの過去記事を読んで、和やかな気持ちになれたらいいかなあ…と思って書いてます。

 あの頃は、まだ元気だったんだ。あんな事があったんだ。あれはこの頃から始めたのか。…などとね。

 ですから、ブログで想定している読者が自分自身だから、ブログには正直に偽らずに書いているし、オブラートに包まなきゃならないような事も、自分にだけ分かる表現で“事実の解凍キー”を文章の中に入れています。

 あくまでも、読者は私なので、他人に媚びたり、理解してもらう必要はありません。ただただ、正直に私の目から見た事実だけを書きつらねています。仮に私のブログを読んで不快になる人がいても、それはそれで仕方ないなあって思いながら書いてます。
 
 
『イパネマの娘』日本語バージョン

 ボサ・ノヴァと聞くと、笛先生の事を思い出します。ああ、懐かしい。

 ちなみにボサ・ノヴァって、本場ブラジルでは、すでに終わった音楽なんですよ。日本で言えば『四畳半フォーク』みたいな扱いなんです。

 ちなみに、ボサ・ノヴァ特有の、あのささやくようなヴォーカルは、本気でささやいているわけで、なんでそんな歌い方をしているかと言うと、初期のボサ・ノヴァのシンガーたちは皆貧乏で、小さくて狭いアパートで暮らし、そのアパートで練習していたので、大きな音を出すと叱られるので、小さな声で歌っているうちに、それがスタイルとして定着したのだそうです。

 ボサ・ノヴァの定番曲と言うと『イパネマの娘』です。この曲は良い曲なんだけれど、ポルトガル語で歌われているのが、残念なところです。だって、ポルトガル語じゃ歌えないものね。でも、面白いものを見つけました。それは、この歌を日本語の歌詞で歌っている画像です。それも歌っているのは、なんとカバーではなく、本家本元のアストラッド・ジルベルトが歌っているんですよ。そう、彼女自身が日本語で歌ってます(笑)。

 感想ですか? ううむ、いくら本人歌唱とは言え…微妙(汗)。色々な意味で、ちょっと厳しいかな? でも、話のネタとしては、悪くないでしょ。
 
 
フルートの高音はエイヤーと出す

 私、いまだに三オクターブ目の高い方の音を出すのに、苦労しています。

 で、この前、ちょっと吹っ切れたのは、そのあたりの音になったら、優先的にお腹の深いところから、エイヤ~って感じで息を吹き出すと、なんかうまくいくみたいです。とりあえず、カラダの中の遠いところから息を送り込むようにしてみました。そんな感じで、三オクターブ目の高いところだけ、ちょっとカラダの使い方を変えてみました。背筋は下に、腹筋は体内に引っ張る感じ?

 このやり方だと、以前よりも楽に美しい音で吹けるみたいです。

 最近は、4オクターブ目の音(ひとまずDまで)が安定的に出せるのが目標な私です。頑張るよ。
 
 
今月のお気に入り SANWA SUPPLY SATA-USB3.0変換ケーブル USB-CVIDE3

 先日、職場のパソコンを買い換えてもらった私です。で、前のパソコンの処遇を聞いたら、廃棄処分なんだそうです。ま、壊れているのだから、それは仕方ないです。でも、自作パソコンユーザーとしては、なんかそれはモッタイナイ。しかし、メモリーは昔の型なので流用できないし、CDプレイヤーは余っているし、使えそうな部品は内蔵HDDぐらい。この内蔵HDDを新しいパソコンの内部に増設してやると良いかな…と思っていたら、なんと、新しいパソコンは、デスクトップパソコンなんだけれど、ミニタワーではなく、ボックス型? ほぼノートパソコンの本体のような大きさで、実に薄くて小さいのです。

 いやあ、参りました。デスクトップパソコンなのに、拡張性はゼロ。増設ボードはもちろん、HDDの増設なんて無理無理無理。せっかく、前のパソコンの内蔵HDDを確保したのに、このままでは死蔵品になってしまいそうです。あらら、それはもったいない。

 ううむと唸って思いついたのが、表題のケーブルです。そう、変換ケーブルをかまして、内蔵HDDを外付けHDDにしてしまおうというわけです。

 なので、今現在、職場のマイマシンのすぐ側の書類入れ(プラ製)に裸のままの内蔵HDDが無造作につっこんであります。そこにケーブルを差し込んで、外部HDDとして活用しています。

 使い心地ですか? 内蔵HDDと遜色なく使えてています。悪くないですよ、これ
 
 
今月のお気に入り BunBuckup

 で、増設した、元内蔵HDDである外付けHDDですが、その主な目的は…バックアップディスクです。とりあえず、今現在、使用しているデータフォルダーのバックアップを、こちらのHDDに写しとけば、何か事故がおこっても、この外付けのHDDだけを持って移動すれば、どこでも仕事の続きができるわけです。

 もちろん、この目的のためには、クラウドのドライブを使っても良いのですが、私は結構多量のデータを使った仕事をしているので、商用サーバーだと、有料のところはともかく、無料のサーバーで気軽に…というわけにはいかないでしょ? それに、情報漏洩も怖いし、現物を手元に置いておきたいということもあります。

 そこでBunBuckup。このソフト、フリーソフトなんですが、なかなかの優れものなんですよ。私は1時間ごとに、仕事のバックグラウンドでデーターのバックアップを取るように設定しています。軽いソフトなので、動作が全然気にならないし、1時間ごとに自動でバックアップを取ってくれるので、バックアップの取り忘れがないのがすばらしいです。

 こういうすばらしいソフトを無料で使用させてくださる作者さんに、感謝感謝でございます。
 
 
今月の金魚
 
 まあ、よしって感じですかね。
 
 
今月のひとこと

 息子君のクラスがインフルエンザのために学級閉鎖になりました。授業はおろか、部活の参加もダメ。それどころか、学級閉鎖中は家でじっとしていろとの事で、いわば軟禁状態に置かれている息子君です。この座敷牢状態に、たった一日で飽きた彼は、この退屈と戦うために…オペラのDVDを見まくるという暴挙に出たようです。まあ、オペラに目覚めたばかりだし、オペラのDVDなら我が家には一通り揃っているからね。まあ、端から順に見るといいと思うよ。(2013年1月31日~2月3日)

 ああ、フルートの練習が出来ない(涙)。高音(3オクターブ目のソよりも上の音あたり)を吹くと、右の耳の奥から鼻の奥にかけて、痛痒くって、たまらん(涙)。あまりの痛さ&痒さに、思わず練習中止。我慢できません。うう、練習したいよぉ、耳が痛いよぉ頭の中が痒いよぉ。フルート以外なら、何の問題もないし、生活の支障はないし、病気の自覚も無いので、通院するつもりは無いけれど、ああ、耳が痛い&痒い。しばらく練習休んでも、痛みが治まらないようだったら、耳栓購入かな(涙)。(2013年2月3~4日)

 えー「ヴァイオリンは…挫折しました」という記事をアップした日に、ヴァイオリンの初練習を(今更)しました(笑)。もう、スズキは難しいので辞めて、元の篠崎に戻しました。篠崎は120番で止まっていましたので、ひとまず、116~120番までを弾いてみました。案外、スムーズに弾ける自分にビックリ! 篠崎は一曲が短いので、独学に向いているかも(爆)。とにかく116~120番がよどみなく弾けるように回復したら、121番から先に進んでみようかな。(2013年2月4~10日)

 久しぶりに夜明け前後に出勤をしました。ちょうどその時間は、野鳥たちのゴールデンタイムと見えて、実に多くの鳥たちと遭遇しました。湘南には意外と多くの鳥たちが、色々な種類の鳥たちがいるんだなあと、ほっこり気分で休日出勤の朝を楽しみました。(2013年2月10~12日)

 うっかりしてました。実は、アクセス数の最高数が1月22日の「しっかり息を支えるためには、腹筋を鍛えないとダメですね」で更新されていた事に気付かずにいました。はは、いかに私がアクセス数とかに無頓着かって事ですね。一応、記録のために、ちゃんと書いておきますと、2013年1月22日のアクセス数が2379ページでした。それまでの記録が2012年6月18日の2362ページでしたから、半年ぶりに17ページ(!)増えたわけです。ああ、微々たるものだね。でも、うれしいです。ちなみに、訪問者数は、昨年の5月28日の1081人が未だに最高記録です。最近では700~1000人の方がこのブログを訪れてくださりますが、なかなか1000人越えは…ないですね。(2013年2月12~15日)

 出勤途中で、いわゆる“痛車”を見た! 今までテレビの中でそういう車が、この世にあるって事は知っていたけれど、実際に町中を走っている痛車の存在感はすっげ~すっげ~。いやあ、本当に見ている私の方が居たたまれなくなるほど、痛かったです。ちなみに、痛車のテーマは『ドキドキ プリキュア』でした。ああ、痛い痛い。(2013年2月15~18日)

 NHKって、公共放送であって、民法とは違って、中立公正の立場で、日本国と日本人に益する放送をする団体だと思ってました。少なくとも、準公企業であって、押売業者ではないはず。ならば、受信料の支払いを拒んでいる個人と受信料を支払わない近隣諸国の方々には、放送の視聴をご遠慮いただくようにすれば、受信料問題は解決するのでは? なに、難しい話ではないのです。放送が地デジ化されたのですから、スクランブルをかければ、それで済む話です。受信料をむりやり徴収しないと予算的に足りない? ならば、収入の範囲で番組制作をすればいいだけじゃない? 収入を得る方法は、受信料以外にもあるのだから、そこは頑張ろうよ。例えば、番組グッズを売ってみたり、過去の番組をDVD化したり、記録映像をライブラリー化したり、NHKテキストなんていい収入源でしょ? なんか、NHKを見ていると、役所じゃないはずなのに、役所っぽく感じるんだよねえ…。(2013年2月18~19日)

 わが国の学校教育では、学力を向上させる事はできるが、教養を身につける事は出来ない。そこが、日本の教育の弱点だと、私は思う。(2013年2月19~21日)

 「いい天気だなあ…」と思って、窓の外を眺めると、向こうに見える小山の付近が真っ暗! よく見ると、大雨が降ってます。ここはこんなに良い天気なのに、ほんのちょっと離れた場所で大雨とは。なんか面白いです。(2013年2月21~24日)

 男性用の公衆便所って、よく女性(たいていオバチャン)が利用している事がある、ってか、多い。色々な理由があるにせよ、オバチャンは男性用トイレを平気で使用する…って事だ。その逆で、もしもオッサンが女性用トイレを使用しようとして、そこに入ったなら、どんな事が起こるんだろうか? それを考えると、オバチャンという生き物の思考回路は、全く分かりません。世の中、なめてんの? それとも、オバチャン無双?(2013年2月24~25日)

 あれ? ブログ村のランキングで、声楽・フルート・社交ダンスのそれぞれで第1位になっているよ。三冠王じゃん…と言っても、社交ダンスは僅差だけど…。きっとすぐに転落すると思うんだ、たぶん。この『ひと言』を皆さんが見た時は…きっと落ちてる(笑)。でも、先週、久し振りにダンスの記事を書いたからなあ…、それでダンスのランキングが上がった…のかな? どんな理由であれ、三冠王はうれしいです。感謝感謝でございます。(2013年2月25~26日)

 案の定、本日の社交ダンスランキングでは第3位となってました。まあ、僅差の1位でしたから、あっと言う間にひっくり返されてしまいました。でも、ほんの一時でも三冠王でいられたのは、うれしかったです。皆さん、応援、ありがとうございました。今後もよろしくね。(2013年2月26~27日)
 
 
 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2013年2月27日 (水)

息はまっすぐに吹くこと

 フルートのレッスンに行ってきました。

 今回は姉様と一緒。なんでも、姉様は重篤なご病気とやらで大変だった様子。でも、お元気になられて良かった良かった。ロングトーンは姉様と二人でやったのだけれど、私は姿勢正しく威勢よく吹いたので、先週同様、だいたい音程的にはOKでした。途中、中音のミやファが汚かったな…。姉様はチューナーを見ながら、正しい音程で吹いてらっしゃるので、私の方がズレていたんだろうけれど、それにしても、ズレ過ぎ(笑)。

 姉様、病み上がりで音色が悪かったらしく、先生に注意されてました(先生は、私には優しいけれど、姉様には手厳しいのです。つまり、それだけ姉様には、真剣な想いで指導されているって事ね)。特にダメを出されていたのは、下の向き方。チューナーを見ながら吹いていたので、目線が下向きになってしまうのは仕方ないのだけれど、その時に、頭だけ下に下げるようなカッコになって吹いていたらしく、それにダメ出しをされていました。同じ下を向くでも、向き方があるそうで、姉様の向き方だと、食道が潰れてしまうので、音色が悪くなるんだそうです。気道はもちろん、食道もしっかり開けてフルートを吹かないといけなんだとサ。…ううむ、食道か…私は意識すらした事ないよ。

 さてアルテ15課7章H-durです。

 2番「アルペジオ基本練習」は合格でした…が「一つ一つ音を確かめながら吹かないように」と注意されました。私、アルペジオって苦手だから、一つ一つ音を確かめながら吹いてます。「ええと、シ、レ、ファ、シ、レ…」って感じね。で、それがダメって言われました。「きちんと音楽として演奏しなさい」って言われました。たとえアルペジオでも、とりあえず吹けばいい、と言うわけでなく、曲として演奏しなさいって事です。先生がお手本を見せてくれるので、すぐに合点が行きました。で、合格です。

 4番「H-durのスケールとアルペジオ」も合格。こちらは「吹きすぎ!」と怒られちゃいました。そして「息は強くてもいいんだよ。ただし、真っ直ぐな息で吹く事。あなたの息は、波うっているところがダメだよ」と言われました。「波うっている」と言われましたが、この実態は、先の「一つ一つ音を確かめながら吹いている」のスラー版ですね。それではダメで、スラー全体を一つのフレーズとして、おおらかに演奏しないといけないわけで、これも先生が実演してくださったので、すぐに合点が行きました。で、合格です。

 この4番、実はブレスの指示を受けてなかったので、自己流(ってか、苦しくなったらブレスする)でやってたら、やっぱり注意されました。「こんなモノはパターン化されているのだから、いつもと同じ位置でブレスをしなさい」だって。やっぱり? 実はそのいつもの位置だと苦しくて苦しくて…。で、つい“うっかりのふり”して、好き勝手やっちゃいました。へへへ。

 5番の「H-durのクロマティック」は不合格。あれ? クロマティックは得意のはずなんだけれど、なんか、あっちこっち、音を抜かして吹いてしまいました。先生の前で、ちょっとだけテンパったか? 「クロマティックはどの音から始めてもスラスラできるようになりなさい」って言われました。ラジャーってす。

 と言うわけで、次回までの宿題は、不合格だった5番と、gis-mollの6番、7番、8番です。
 
 
 さて、ミニヨン・エチュード19番です。こっちは、余裕で不合格(汗)でした。

 「こんな簡単な曲をいつまでやっているんですか!」と一喝されちゃいましたが、いやいやいや、私には、この曲、難しいんです。

 実にスピードに対応できないのですよ。で、ボロボロ…。それと、十六分音符に苦手意識があるので、これを見ると、なんか動揺してしまって(汗)。なので、十六分音符が出てくるところが、かなりダメなんです。

 「指なんて、さらってくるしかないからね」 よく分かってます。それにしても、中音のミレドミレミ~ってフレーズ、難しい(涙)。
 
 
 今回の雑談は「私立高校は、特進クラスの進学実績の良い学校ほど、入学者数が伸びているね」と言う、フルートとも音楽とも関係のない話でしたので、ごく簡単にサラっと書くと…。

 ウチの地域は、賢い子は公立高校に行き、ヤンチャな子は私立学校に行く…という傾向が昔からある地域です。ま、いわゆる“公立志向”の地域なんです。その傾向は、今も昔も変わっていないのだけれど、少子高齢化の影響下、高校に入学する生徒の数も、ここ20年ぐらいずっと減り続けていて、子どもの総数が減ったため、教育業界のパイの大きさが縮小し、そのあおりを受けて、経営不振に陥っている私立学校も多々あります。そのままでは学校が潰れてしまうので、どこの学校も、経営回復のための起死回生の作戦って奴を、実行しているわけなんです。

 そして、色々あって、現在、経営がダメなままな学校と、なんとかやりくりしている学校と、躍進している学校の三つに分かれたわけです。で、ここ数年躍進しているのは、どこも、元はヤンチャな子向けの学校だったのに、最近、賢い子たちを集める事に成功した学校なんです。

 ま、元々、ヤンチャな子はヤンチャな子向けの私立高校に来るんだから、ヤンチャな子は今までどおりに集めて、それプラス、今までその学校には来なかったような賢い子がやってくるようになれば、全体として生徒の入学数も増えるわけで……そんな美味い話を現実化できた学校が躍進しているわけですよ、そりゃそうだよね。

 いくら賢い子がやってくるようになったからとは言え、ヤンチャな子の中に賢い子を混ぜるわけにはいかない、って、それじゃあ賢い子たちは来ないので、ヤンチャな子のクラス(一般クラス)はそのままに、それとは別に賢い子のクラス(特別進学クラス、略して特進クラス)を作って、その特進クラスでは、徹底的にガシガシ勉強をやらせて頑張らせて、特進クラスの進学実績を作れた学校が伸びているわけなんです。

 さらに、一般クラスの子たちは、勉強はソコソコにして、代わりに部活をビシバシブンブンやらせて、運動の方でも名をあげてもらえれば、鬼に金棒ってわけなんですね。

 なので、今の私立高校は、ヤンチャな子たちの進学先という需要ばかりでなく、その学校の特進クラスの進学実績次第では、賢い子たちもわんさか集まるようになるわけで、そういう学校が、今伸びているわけなんです。

 なので、私が高校生だった頃の私立高校のイメージと、今の私立高校のイメージが、だいぶ変わってきたので、昔のイメージで今の学校の見ると、エラい失敗をしそうですねえー…という話を、先生としたわけです。

 オトナの会話だなー(笑)。

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2013年2月26日 (火)

歌でも開け!

 声楽レッスンの続きです。曲の練習に入りました。今回も“L'ultima canzone/最後の歌”を集中的にやりました。

 まず言われたのは、曲であっても、しっかりクチの奥を開いて歌う事。最低限“A”“E”“O”の母音は、しっかりと意識する事…と言われましたが、これが難しい。今、自分のクチの奥が開いているかどうかを知る感覚が欲しいです。とりあえず、身体感覚としては分からないので、声の音色で判断してますが、歌うことに一生懸命になってしまうと、それもかなり奇しいです。とにかく“不快声”じゃなく(てへっ)“深い声”で歌わないと。

 色々と注意された事を列記していきます。

 “voi l'ho ricantata”の部分は、長調なので、声の音色も長調っぽく歌う事。

 “Foglia di rosa”の部分は、夢見がちな声で歌う事。そのためには、薄く声を出すと良い。ただし、声は薄くなっても、支えはしっかりする事。意外と難しいです。

 “se ti fai spoza”の部分は長調なので、声の音色的には明るい音色で歌うのだけれど、フレーズ的には内容が暗いので、暗いニュアンスを出しながら歌う事。つまり、明るい声で暗く歌うわけです。これもまた、難しい事を要求されております。また、この箇所は、私の場合、音程を低めに取りがちなのですが、元々が#系の音階なので、むしろ音程は高めに取る事。また、ここで使われているF音は、私にとっては低い音なのだけれど、ここを鳴らしすぎているため、かえって汚い声になっているので、注意する事。もっと息を少なく吐いて楽に歌う事が大切。テノールなんだから、低い音を鳴らそうなんて、夢々考えない事。

 2番も1番同様に、気を使って歌う事(汗)。

 “Nina, rammenta”のA音は、直前の“m”の子音の音程が大切。この“m”はハミング音なので、このハミング音を、実声のAで出せないと、このフレーズは歌えないので、練習では、ハミングの時に(ファルセットでなく実声で)Aの音程で歌えるような練習をしておくと良い…のだそうです。そのためには、しっかりと息を支える事が大切です。

 歌となると、音程ばかりに気がいってしまいがちだけれど、きちんと歌詞を歌う事が大切なので、歌詞の朗読の練習をしましょう。その朗読の時から、クチの奥をよく開いて朗読するのが良いです。その際、しっかり鏡を見ながら、ひと言ひと言、しっかりクチの奥が開いているかを確認しながらやりましょう…って、これ宿題ですか?

 とにかく、この日のレッスンは、最初から最後まで「クチの奥をしっかり開く事」となりました。ううむ、如何に自分のクチが全然開いていないかを自覚させられました。

 と言うわけで、ダメ出しばっかり受けていた私ですが、レッスンの最後で、一つだけ誉められました。それは…私はドラマを作りながら歌うのが上手…なんだって。特に劇的に歌うのが上手だと誉められました。へへ。

 でも、歌を劇的に歌うなんて、テノールなら誰でもやる事ってか、やっちゃう事だから、誉められたと言うよりも「君はやっぱりテノールだね」って確認された…んじゃないかなって思います。

 だいたいテノールって、あんまりモノを考えずに、声を張り上げて、歌い上げちゃう人種だしね(汗)。劇的っちゃあ、劇的だよね。

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2013年2月25日 (月)

とにかく開け!

 声楽のレッスンに行ってきました。

 今回のレッスンでは、ひたすら“クチの奥を開く”ための練習ばかりをしました。

 今回のポイントは“クチの奥を開く”のであって“クチを開く”のではありません。もちろん“クチを開く”ことは大切です。なにしろ、キング先生のところいた頃は、ロクにクチすら開かずに歌っていましたから(笑)。クチが開かないと、声はこもるし、音量も稼げません。アゴを柔らかくして、大きくクチをガバーと開いて歌うのが肝心です。

 今現在の私は、色々な欠点を基本に逆上って、Y先生に色々と直してもらっている最中ですが、ようやく“クチを大きく開く”は“良しっ!”て事になりました。ただし、私が開いているのは、クチの前面ばかりで奥の方がまだ不十分なので、次はクチの奥を意識して、そこを大きく開くという段階に入りました。

 ちなみに“クチの奥を開く”が出来るようになったら“クチの中を広く開く”をやり、そして“声の響きが良くなるカタチに開く”というプロセスを踏んでいくそうです……ああ、先は長いね。

 とにかく「クチの奥を開きなさい」と注意されても、私自身にクチの奥を開く感覚がないので、よく分かりません。そこで、鏡の前に立って、一音一音、クチの中を確認しながら、発声練習をしました。

 私の場合、クチの奥を開くには、二つのポイントがありそうです。その一つは“アゴの開き方”であり、もう一つは“舌根を下げる”です。

 まずは“アゴの開き方”ですが、まだまだギコチナイです。とにかく、口先を大きく開けられるようになりましたが、開けられるだけで、まだ素早く開け閉めする事は出来ません。なので、ちょっと速いフレーズだと、アゴが開けきらないうちに発声してしまう事になるので、結果、クチの開きが小さいままになってしまいます。もっともっと素早くアゴを開け閉めできるようにならないと…。それとまだ、動きもスムーズではありません。もっと、アゴを開く練習をしないとね。

 “舌根を下げる”ですが、せっかくアゴを大きく開いても、口の中で舌が盛り上がっているのが私です。せっかくアゴを下げても、アゴと一緒に舌も下がってくれないと、口腔内の容量が増えません。そこで、積極的に舌根を下げる事になりましたが…これが結構難しいのです。とにかく、一音一音確認しながら練習して、クチの奥が開いている感覚をつかまねば…。

 先生は「嘔吐のクチ」と言いますが、私の肉体的な感覚では、まだクチの奥が開いているかどうか、よく分かりません。そこで、耳を済ませて、ノドを開いた時の声を覚えて、その音色の声になるようにクチの中を調整すると良いみたいです。

 それにしても難しいです。とりあえず「ア」は注意深くやれば、どうにかできるかな? でも、「エ」や「オ」はかなり意識をして“やっと”って感じ。「イ」や「ウ」は全然ダメです。「“ア”はもろろん、せめて“エ”や“オ”も、口蓋垂がよく見えるように開きましょう」と言われました。…難しいです。

 とにかく、色々な音形を色々な母音や子音で歌ってみました。今は、クチの奥の開きを注意すると、お腹の支えがいい加減になります。本当は両方ちゃんとするのがスジなのですが、今はクチの奥の開きに集中するため、音域的にはチェンジの手前の音までの練習にして、お腹の支えが弱くても平気な箇所で練習しています。

 私の悪い癖として、音程が高くなるほど、クチの奥の開き方が狭くなるのだそうです。これはまさに理想とは逆の動きをしているわけです。理想では、音程が高くなるほど、クチの奥の開き方が大きくならないとダメなんだそうです。

 そうそう、音程によって、使う息の量をコントロールしないといけません、と言われたよ。高い音で息が不足しがちな事は散々注意されていますが、今回は低い音の時に息が余っていて、声帯を痛めそうな声で歌っているので、低い音の時は、しっかり息のコントロールをしないといけません。

 最後に先生がおっしゃってましたね。「Gisまでは安定して出せているけれど、Aはまだ不安定だね。テナーは最低でもAが出ないとダメだよ」 そうなんですね、後、半音なんですが、その半音が遠くて、手が届かないのです。

 発声、頑張らないと、ファイト>自分。

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2013年2月24日 (日)

ワープロ専用機! 親指シフト![2013年2月第4週・通算7週]

体重:109.2kg[+0.5kg:-3.0kg]
体脂肪率:30.7%[+0.2%:-0.3%]
BMI:34.5[+0.2:-0.9]
体脂肪質量:33.5kg[+0.3kg:-1.3kg]
腹囲:103.0cm[+-0.0cm:-5.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 皆さんはワープロ専用機って、ご存じですか? 使った事、ありますか?

 私はもちろん、知ってますし、使ってました。だって、昭和の人だもん(笑)。

 ワープロ専用機を知らない、平成の人のために説明をしますと…パソコンみたいな機械で、パソコンに似ているんだけれど、パソコンとは違う機械で、特定のワープロソフトしか使えない機械です。つまり『専門ソフトに特化した単機能パソコン』って感じかな? 本体・キーボード・画面・プリンタが一体化していて、文書作成をするなら、なまじのパソコンなんかよりも、ずっと便利で機能的でした。なにしろ、スイッチを入れたら、すぐに起動して作業が開始できるんだよ。当時のパソコンは、スイッチいれてから使用可能になるまで、下手すると10分ぐらいかかったからねえ…。

 なので、私はWindows95が世に出るまでは、専ら、ワープロ専用機の人でした。最初は、東芝のRupoを、やがて富士通のOASYSを使いました。

 ワープロ専用機と言っても、その実態は、機能制限されたパソコン(機能制限されている分、安価です)なので、機種によっては、実はワープロ以外のソフトを使用する事もできました。私が愛用していたOASYSはMS-DOS(Windowsの前に広く普及していたOS)が使えたので、OASYSでネットをやっていました(笑)。もちろん、インターネットではなく、パソコン通信と呼ばれていた時代の話です。

 あの頃は、仕事の文書も、プライベートな文章も、ワープロ専用機を使って作っていました。使い心地は…実は今とあまり変わらない(笑)。当時はパソコンの性能が非力だった事もあって、パソコンを使って文書作成をするよりも、ワープロ専用機の方が便利だったんです。

 やがて、DOS/Vパソコンが登場してメーカーの壁(当時はメーカーごとにパソコンの仕様が違っていたので、メーカーごとに使用できるソフトが違いました)がなくなり、パソコンそのものの性能も上がり、それに伴って、パソコンやソフトの価格も下がり、パソコンの方がワープロ専用機よりも、安価で性能が良くなってしまいました。なにしろ、パソコンは外国で生産してますから、いくらでも安くなりますが、ワープロ専用機の方は日本人が開発して、日本人が製作している、純国産品ですからね。そんなに安くはならないのです。

 やがて、パソコンがワープロ専用機を駆逐して、21世紀になりました。

 でもほんと、当時のワープロ専用機は、なかなか優秀でしたよ。今のパソコンと比べても、大きく負けていません。負けているとすると…印刷能力かな? さすがに今の方が、印刷は圧倒的に速くて美しいかな? なにしろ、当時はプリンタの性能がだいぶ低くて、込み入った文書だとB4一枚を印刷するのに約1時間かかること、ありました。なにしろ、風呂に入って、食事をしても、まだ印刷中なんて事は、しょっちゅうでした(笑)。今じゃ、一瞬でプリントアウト出来ちゃう程度の文書なんですが…。

 私はOASYSユーザーだったので、文字入力の方法は親指シフトでした。いや、実は今でも、親指シフトで入力しています。

 ところで、皆さん“親指シフト”って知ってますか?

 親指シフトって、ローマ字入力ではなく、かな入力の一種なんだけれど、シフトの切り替えを(通常のかな入力だと小指で行いますが、それを)親指でやります。そのため、専用のキーボードが必要となります。そして、専用のキーボードを使っていたため、キーの配列も独特で、よく使う字を打ちやすいところにまとめていたので、入力が楽だし、入力速度も速いのが特徴です。もちろん、日本の技術で出来上がっています。

 親指シフトは、一時期、ユーザーもたくさんいたのだけれど、なんかいつのまにか、ユーザーの数も減り、今じゃあ、かなりの少数派になってしまいました。

 私は現在も親指シフトユーザーなのですが、親指シフト入力をパソコンでするために“Japanist2003”というソフトを使ってます。ご覧のとおり、2003年版のソフトです、もう10年前のソフトだよ。別にケチって古いソフトを使っているんじゃなくて、これが最新版なんです。なので“2003”と名乗ってますが、バージョンアップをする事で、Windows7(64bit)までは対応しています。Windows8には未対応ですが、たぶん32bit版なら普通に使えるんじゃないかな? 64bit版では一部に不都合があるみたいだけれど…。

 ちなみに、市販ソフトで親指シフト入力を可能にしてくれるのは、このソフトだけです。お店で見つけるのは大変みたいですが、注文して購入するか、ネット通販なら入手可能なようです。とは言え、安いソフトではないので、今から親指シフトを始めようなんて人(は、いないだろうけれど)は市販ソフトではなく、フリーソフトで親指シフトを学んでもいいかもしれません。

 とにかく、親指シフトについて、色々と知りたい方は、こちらへどうぞ。いやあ、それにしても、ほんと、絶滅寸前なんですよ、親指シフトって。でも、ワープロ専用機とは違って、まだ現役です。まだ無くなったわけじゃないです。ちなみに、ウィキペディアによれば、ワープロ専用機は2001年に生産中止になってしまったそうですが…。

 たまにこんな感じで、昭和な話とか、前世紀の話を書くと、楽しくてしょうがありません。これも、一種の懐古趣味? それとも自虐趣味? ま、年寄りの戯れ言である事には変わりないけれど(爆)。

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2013年2月23日 (土)

見つめ合って、目と目が合ったなら…

 エサ、くれ~~~! です(笑)。

 最近、気づいたのですが、人間が水槽の方を見ていなくても、エサ場にいる時のサクラは、常に上目づかいで人間の方を見ています。その時、うっかり水槽を見てしまい、サクラと目が合うと…途端に、サクラにスイッチが入って、水槽の水をバシャバシャして“エサくれアピール”を始めます。そのまま、目をそらさずに見つめていると「なんで! なんで! エサ、くれないの!」と叫んでいるかのごとく、実に激しく、水をバシャバシャします。

 ちなみに、目と目がうっかり合って、サクラが騒ぎだした途端、さっさと目をそらして、とぼけていると、サクラは騒ぐのを止めますが、そのままエサ場で、ジトーッとこっちをにらんでいます。「なんで、こっちを向いてくれないのよぉ~」とブツブツ言っているような感じです。

 エサは時間どおりにあげているわけで、サクラの希望通りにやるわけにはいかないのですが…どうも、サクラは女王様というよりも、お姫様っぽいので、そういう理屈が通じないみたいなんですよね。

 ちなみに、サクラは、自分が一番先にエサを食べないと、すごく不機嫌になります(笑)。

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2013年2月22日 (金)

孤独と孤立

 私は、孤独と孤立は違うモノだと思ってます。そして、たとえアマチュアであっても、音楽に取り組む者は、孤独を愛し、孤立を避けなければいけないと考えてます。

 孤独とは、一人でいる事。または一人でいる事を好む事です。一方、孤立とは、他人との関わりを持たない事です。

 音楽家は、孤独を愛せる人でないといけないと思います。一人でいる時間を大切にし、自分の内面を見つめる事ができる人でないといけません。現実的な話をすれば、音楽には練習や勉強と言うものが欠かせないのですが、実に人生のうちの、かなりの時間をそれら練習や勉強に捧げないといけません。そして、それらの時間は、自分と音楽が真剣に向き合っている時間であって、他者の存在を許さない、孤独で厳しい時間であります。この孤独で厳しい時間を、積極的に楽しんでいける人でないと、音楽はできません。

 だから、常に周囲に他人がいないと心の平安が保てないというタイプの人には、音楽趣味は、本来、合わないのかもしれません。
 
 
 音楽家は孤独を愛せないといけませんが、孤立は避けなければいけません。常に他人との関係を重視し、人と人との縁を大切にしていける人でないといけません。協調性や思いやりの心は必要でしょう、外面が良く、ある意味、八方美人でないといけないのかもしれません。

 と言うのも、音楽って、基本的にアンサンブルでしょ? 自分一人で音楽を形作ることはできないわけで、いつでもどこでも、常に誰かと一緒に音楽を作っていくのが、音楽家なのです。

 おそらく、たった一人で音楽を作れるのは、ピアニストとオルガニストだけでしょう。その他の楽器や歌では、いくら“ソロ演奏”と言っても、必ず伴奏という形で、他の人との共演が必要不可欠ですし、ましては合唱合奏ならば、大勢の人間との共同作業になります。

 …いや、ソロのピアニストやオルガニストだって、孤立はいけません。自分一人で音楽を消費してはいけません。なぜなら、音楽は、作り出す人と、それを受け取る人が、同じ場所で同じ時をすごさなければならない“時間芸術”だからです。

 ですから、演奏家のエゴだけで、観客を無視した音楽演奏は、演奏としては成り立っていないのかもしれません。

 音楽って、聴く人がいて、始めて命がふきこまれるもの…じゃないかな? もちろん、孤独になって練習に励むのは大切だけれど、それはあくまでも“生みの苦しみ”であって、まだ未完成。いずれは音楽を形にして世に送りださなきゃいけません。その時に、音楽家が孤立したままで、誰にも聞かれないままの音楽では、ある意味、死産と同じです。せっかく音楽として作曲家に作り出されたのですから、演奏家としては、その音楽に肉体を与えて、この世に生み出してあげなきゃ、ダメじゃん。

 なので、音楽家は変人じゃダメなんです。だって変人って孤立しがちでしょ。

 音楽家は、常に周囲の人と仲良くでき、時間に厳しく、社交的でなければいけません。つまり、マトモな社会人であり、良き市民であり、明るい常識人でなければいけないのです。本来、コミ障や人嫌い、心を病んでいる人には、音楽は無理なのかもしれません。いくら豊かな才能を持っていても、共演者に嫌われていたり、音楽を観客と分かち合うことができなければ、ちょっと音楽は厳しいのです。きっとそういう人には、音楽以外に、ふさわしい自己表現方法があるに違いないので、無理して音楽をやる事はないかな…だって本人も楽しくないでしょ? 

 とまあ、こんな事を、私は考えてます。

蛇足  プロの音楽家でも、成功されていらっしゃる方は、たいてい、円満な性格の方です。たまに変人さんもいますが、そういう方は、その変人の面倒をしっかり見てくれるマネージャーさんがいるものです。つまり、いくら才能と実力に恵まれていてプロの音楽家のタマゴになったとしても、変人なら、優秀なマネージャーさんがいない限り、成功することはないのです…って考えると、マネージャーさん次第で、音楽家として成功するかしないかか分かれるわけ? でも、確かに、マネージャー無しで活動していた人が、優秀なマネージャーさんを雇った途端に大成功している例をいくつか見ています。もしかすると、プロの音楽家には、音楽の実力以上に、マネージャーさんの力の方が大切だったりして!

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2013年2月21日 (木)

そんなに音楽をやる事って、恥ずかしいのですか?

 洋の東西を問わず、外国では日常生活の中に、音楽があふれているそうですね。別に確かめたわけでもなんでもないけれど、そんな話をよく聞きます。

 例えば、夕食後の一家団欒の時間に、家族で合唱したり合奏したり…。宴会やパーティーでは、気の合った者同士で歌ったり踊ったり…。寺院や教会にいけば、礼拝の合間に合唱をしたり…。割と気軽に、生活の中で音楽を楽しんでいるみたいです。

 そこへ行くと、我々[普通の]日本人だと…夕食後の一家団欒の時間に家族で合唱合奏を楽しむ事は…まずありません。宴会やパーティーで気の合った者同士が…歌う? ありえないねえ。せいぜいが一緒に飲み食いをして、しゃべって騒ぐくらいでしょ? お寺に行っても、響きわたるのは、お坊さんのお経の声だし…。

 日本人にとって“歌って楽しむ”っのは、せいぜいが、宴会の二次会などでカラオケに行くくらいが、関の山でしょ。そのカラオケだって、ホールでお客全員が楽しむというスタイルではなく、グループごとに個室に入って楽しむのが普通だし、それどころか最近では、お一人様用のカラオケ店すらあるそうですね。カラオケで歌うにしても、なるべく小さな団体になってから歌うみたいで、とても『みんなで歌う』ってところからは、遠いところにいます。

 じゃあ、我々日本人は音楽が嫌いなのかって言うと、それはたぶん違うと思います。むしろ、日本人は音楽が好きな民族なんじゃないかなって思います。

 テレビを見れば、歌番組は毎日やっているし、たいていの番組に主題歌はあるし、ラジオなんかだと、いつもいつも音楽流しているし、お店にいけば有線放送の音楽を流しているし「趣味は音楽鑑賞です」という人は大勢いるでしょ?

 そう、我々日本人が好きなのは“音楽鑑賞”なんですよ。“音楽の演奏”じゃないんです。

 おそらく、多くの日本人は、音楽を聴くのは好きだけれど、音楽を演奏するのは好きじゃないんです。それは我々の身の回りの人々を見ても分かる事です。音楽を聴くのが好きな人はたくさんいるけれど、歌うのが好きな人は、それほど多くはないでしょ? カラオケでマイクを渡しても「いやいやいや~」と逃げちゃう人、多いですね。ましてや、楽器を日常的に演奏して楽しんでいる人となると、カラオケ愛好者よりも減ってしまいます。

 なぜ、日本人は音楽が好きなのに、音楽の演奏は嫌いなのか…ちょっと考えました。そして得られた結論は…

 ……日本人にとって、音楽を演奏する事って、恥ずかしい事……なんじゃないですか?

 名誉を重んじ、恥を嫌う日本人にとって、音楽を演奏して、他人の注目を浴びる事は、耐えられないほどの精神的な苦痛であり、できれば避けて通りたいモノ、なんじゃないかな?

 大げさですか? でも、それに近いものがあるんじゃないでしょうか?

 カラオケでマイクを渡すと逃げ回る人に「なぜ歌わないの?」と尋ねると「歌が下手だから」という答えが一番多いでしょう、で、次に多いのは「恥ずかしいから」でしょ? 「なぜ恥ずかしいの?」と尋ねれば「だって、歌、下手だもの」って答えるでしょうから、結局、この二つの答えは同じ事なんですよ。

 つまり、日本人にとって、音楽を演奏する事は“恥”であり、なぜ恥ずかしいと感じるのかと言うと“下手”だからであり、下手だから、音楽を演奏することを“恥”だと感じるわけです。

 …堂々巡りじゃん。

 じゃあ、普通の日本人の演奏(ってか歌)が本当に下手なのか?って話だけれど、私は、少なくとも私の周囲の人たちは『そんなに問題にするほど下手じゃないよな~』って思ってます。だけど、本人たちは下手だと思い込んで、恥ずかしがっているわけです。

 話を英会話に切り換えます。

 “Can you speak English ?”と尋ねられたら、なんて答えますか? たぶん多くの日本人は“I can't speak English !”って答えるかな? 相手の英語をきちんと聞いて理解して、それに対して英語で返事をしているのに“I can't speak English !”ですよ。これが日本人。

 一方、観光旅行か何かで日本に遊びに来ている外国人の方々に“Can you speak Japanese ?”と尋ねると“Yes, of course....Ohayohgozaimas, Konichiwa, Sayonara ! ”って答えてくれたりします。『それって、挨拶語を言ってるだけだから! それもナマっているし! そんなの、日本語、話せるうちに入らないから!』って多くの日本人がツッコミを入れるでしょうが、そんなもんです。

 何が言いたいのかと言うと、日本人は“高い完成度を常に求めていて、そこに到達していないと恥ずかしいと感じる”人々なんだって事です。“Can you speak English ?”に対して“I can't speak English !”って答えたら、それはもう十分話せているわけだから“Can you speak English ?”と話しかけてきた人に不思議な顔をされてしまうわけのですが、そこに気づかないのが、日本人なんです。

 音楽だって同じ事。多くの日本人は、プロ並みに歌えたり、演奏できなければ、ダメだと思っているんじゃないかな? そして、そこに到達していないと、それを恥ずかしいと感じてしまうんじゃないかな?

 高みを目指して努力する事は大切だけれど、高見に到達していないとダメって事、ないと思うよ。だってさ~、別にプロ並みじゃなくていいじゃん。だって、プロじゃないんだもん。アマチュアなんだもん、素人なんだもん、下手で当たり前。下手でも、最善最高を尽くして、楽しんじゃえばいいんだよ……たぶん、これがグローバル・スタンダードな考え方って奴ね。でも、日本人は違うんだね。

 歌う事、演奏する事。これらを、楽しいと感じる前に、自分の未熟さを恥じ、他人の目を気にして、恥ずかしくて居たたまれなくなってしまうのが、我々日本人なんです。

 だから…ではありませんが、日本人の中でも希有な種族となる、音楽の演奏大好き人間たちだって、その活躍の場は、合唱や合奏がメインであって、独唱独奏は少ないです。合唱や合奏なら、仲間と一緒に演奏できるし、その中に埋没する事ができ、決して個が露わになる事はなく、自分の未熟さを人々の前で披露せずに、恥ずかしい思いなどはせずに済むので、安心して音楽演奏を楽しめるからです。

 でしょ?

 一人で歌いなさい、一人で演奏しなさい、一人でステージに立ちなさい…と言われればイヤだけれど、仲間と一緒に歌ったり演奏したりステージに出る事なら、なんとかなるでしょ?

 “恥じる心”が我々を束縛しているんだな。

 ああ、厄介だね、でも私は、日本人の恥の感覚って、好きですし、大切にしたいなあって思ってます。だって、そこが日本人の良さでもあるんだし(笑)。でもね、音楽の時は、話は別。音楽は人前で演奏する事で完結する“時間芸術”なんだから、音楽に興じている時は、恥ずる気持ちは横において、もっと素直に楽しもうよ。
 
 
蛇足  自分の未熟さを恥じるのは仕方ないにせよ、他人の未熟さを、指摘したり笑ったり蔑んだりする人がたまにいますが、そういう日本人にはゲンナリします。あんた、一体、ナニサマなんだよ!って思います。ま、そういう人って、たいてい、オッサンなんだけどね。そういう人って、高いところから、親切にもアドヴァイスをくれたりするんだけれど、そのアドヴァイスが間違ったアドヴァイスだったりするんだな、実に迷惑。

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2013年2月20日 (水)

ダンスの腕は…明らかに下落しております

 実に久し振りに、ダンスの練習をしました。なんかもう、ダンスの練習は、月に一回あればいい方? これもヴァイオリン同様、ほとんど挫折状態です。私はなんとしても、週一回程度やりたいのですが、なかなかそうもいかず、こんなテイタラクです。ああ、グダグタだなあ…。

 とにかく、今回は(も?)久し振りだったので、練習会場に着いて、色々とビックリした事がありました。まずは、練習会場から見える風景がガラっと変わっていました。前回までは隣の敷地は空き地で、地面には大きな水たまりがあったりし、遠くの景色がよく見えたのですが、約一ヶ月ぶりに行ったら、でかいマンションを建てている最中でした。いや、すでに建物は立っていて、これから外装内装の工事をするところでした。ビルなんて、あっと言う間に立っちゃうんだね。

 それにしても、なんかなーって思ったのは、練習会場に入ったら、床にコンパネが敷きっぱなし…。コンパネってのは、かなり厚めのベニヤ板で、だいたいタタミ一畳程度の大きさの板です。工事現場でコンクリートを流し込む時の壁として使用する板なんだけれど、これが床に敷きっぱなしだったわけです。なんでも、前の団体がフラメンコの団体さんで、フラメントは床を痛めるので、練習の前に、コンパネを敷きつめて、その上で踊る事になっているそうなんだけれど…片づけ忘れ?なんでしょうね。 はい、私が全部片づけましたよ。昔、バイトで工事現場で土方仕事をした経験があるので、コンパネの扱いには慣れてますんで…。ついでに、ラジカセも電源入れっぱなし、ドリンクも一本忘れられていたし、ICレコーダーも忘れられていた。更衣室には、靴下が一足忘れられていた。たぶん、掃除もしていない。使い終わったら、使用した団体が床掃除をする事になっているのに…。

 お互い気持ちよく使うために、使用上のルールは守ろうよ!

 ブツブツ文句を言いながら、準備体操をしました。ああ、カラダが硬い(涙)。

 まずはブルースから。カラダがだいたい覚えているので、なにげに踊れたけれど、ナチュラル・ピポット・ターンは、すっかり忘れていました。まあ、そんなモンですね。

 ジルバは、ほぼ忘れてた。前回よりも忘れている度合いがひどくなっているような気がします。ステップは、ほぼ壊滅状態で、思い出す以前に踏めなくなっていました。毎週練習をしていた頃からジルバは苦手だったので、まるっきりできなくなるのも、そう遠くない話です。とにかく、ほぼ、ステップ関係はデタラメ。リズムに合わせて動く…そんなのは無理状態でした。結局、棒立ちになって、妻をクルクル回すので精一杯。ほぼハマジル状態。ジルバを踊るのは、もう無理かも。

 ワルツは…とりあえず、カラダは覚えているようです。だから、音楽に合わせて動き出すと、なんとか踊れちゃいます。ただ、なんとか踊れているけれど、頭はワルツを忘れているので、自分で自分が何をやっているのかが分からないまま、なんか取り残されているような気分でワルツを踊りました。とにかく、勝手にカラダが動いてダンスしてます。これって良いことなのかな?

 ただ、それっぽいダンスはしているけれど、決して美しくないし、それっぽいだけで、決してワルツっぽくは踊れていないようで、そこらへんをさんざん注意されました。とにかく、ワルツでは「2」では前進せず、ひたすら上に伸びる事を求められました。なので「2」の時の歩幅は、かなり狭くなるはずなのに、私は歩きすぎなんだそうです。

 ワルツは、新しいステップ、ウィーブを習いました。これで、内側に切り込んで踊る事ができるようになれたそうです。ウィーブに関しては、YouTUBE画像をご覧になって納得してください。

 それにしても、久しぶりの社交ダンスは、冬だと言うのに、汗をかいてしまうほど、カラダへの負担は大きいのでした。なので、おやつはやっぱり、ドーナツなんだな。しかし、ドーナツって、小麦と油と砂糖の妙なるハーモニーで出来ているよねえ。エルビスはドーナツの食べ過ぎで死んじゃったという都市伝説があるけれど…確かにこればっかり食べてたら死んじゃうかもしれない(笑)。それにしても、ドーナツには濃いお茶が似合うねえ。

 休憩後はルンバです。ルンバは…全部はとても思い出せない(涙)。前回はどうにかなったはずのステップを、ほぼ忘れていた。やりながら思い出そうとするけれど、リズムも忘れているので、ついつい「1」で動いてしまいます。ルンバは「1」では動かないダンスなんだけれど「1」でついつい動いてしまうので、当然、リズムが逆になってしまいます。まるで、全然ダンスが踊れないオジサンのようになってしまいました。ワルツは踊れるレベルまでおぼろげに覚えていたけれど、ルンバは踊れないレベルにしかおぼろげに覚えていないようです。カラダがなんとか動こうとするのだけれど、それが全然駄目になっていて、ほぼルンバ全滅。

 とにかく、一つ一つ覚え直すと、カラダが少し思い出してくれるのだけれど、ナチュラル・トップは、頭は覚えていたにも関わらず、カラダが忘れてしまったようで、全然動けなくなっていました。なので、今回はこれを重点的に覚え直しました。

 で、最後はタンゴ。一通り…も、やれなかった。キレイに忘れていた。ほぼ、手つかず。またまたまた、ウォークからやり直し。習った覚えはあるし、練習もたくさんした覚えがあるけれど、全然出来ない。つまり、アタマもカラダもきれいに忘れ去った様子なんだね。なので、振り出しに戻って、ウォークから練習したけれど、ウォークをやっているうちに、時間切れで、今回の練習は終了。今回の練習は時間にして、約2時間。

 妻に「ダンスのレッスンって、普通はどれくらい」と尋ねると「30分。または1時間かな」との事。一回30分のレッスンを毎週やっている人、月に一回を2時間やっている私では、レッスン時間は同じだけれど、一回30分のレッスンの人の方が絶対に上達するね。やはり、レッスンは時間の長さではなく、レッスンの回数とか頻度とかが重要なファクターだと思います。私だって、毎週練習をしていた時は、それなりに上達していたもの。今のように、ほとんど練習をしなくなったら、途端に忘れだして、退歩とか下落とかしだしたものなあ…。

 やばり、毎週、コンスタントにやんなきゃダメだな。ほんと、ダメだな。月一の練習では、前進どころか、ドンドン後退し、退歩してしまう。ヤバイヤバイ。だけど、次回の練習は全く未定。なんか、イライラするわけです。

 前の団体がちゃんと片づけをしてくれなくてイライラしたので、私は次の団体のために、きちんと片づけをしたよ。で、ラジカセも電源を切ろうと思ったのに、offにならない。どうやら、電源スイッチが壊れているみたい。やむなく、電源コード抜きました(笑)。

 ダンスを学んでいる目標の一つが、ダンスパーティーに参加する事なのに、その目標の達成がドンドン遠ざかっていくのを、肌で感じます。あああ~。

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2013年2月19日 (火)

姿勢が良いと音程も良いのです

 ああ、寒い寒い。身も心もブルブルふるえながら、フルートのレッスンに行ってきました。今回も姉様はお休みだったので、先生と二人きりでロングトーンの練習をしました。

 キンキンに冷えたフルートを組み立てて、急いで息を入れて管を温めて、始めます。

 で、例によって、ちょっとズレてしまう音程を、音を曲げて調整しながら吹いていたのですが、その時になぜか、アルタスの田中会長に言われた言葉が、ふと心に浮かんだのです。……下手なフルーティストは、たいてい下を向いて吹く……、私、この時、明らかに下を向いていました。いや、視線を下に落としていました。私は背が高いので、譜面台に譜面を載せると、あきらかに低いので、どうしても楽譜を読むために、目線を下に落とすわけで、その姿勢が癖になっていたようです。

 声楽の時は、ちゃんと正面を向いて歌えるのに、なぜかフルートでは、いつも下を向いちゃうんだな…

 …あ、私。今、下手なフルーティストかもしれない…

 そこで、声楽の時のように、背を伸ばして、気道をまっすぐにし、正面やや上向きの姿勢でフルートをやや高く掲げて吹いてみました。

 音程、バッチリ。嘘みたい(笑)。

 ふと見ると、目の前でロングトーンしているH先生も背を伸ばして、スクッとしたフォームでフルートを吹いているじゃないですか? ああ、今まで、なんか音程が微妙に違っていたのは、私の演奏姿勢が良くなかったせい…かな? 背を伸ばして、スクッと立って演奏すると、本当に音程を合わせるのが楽になりました。ああ、いつもこの姿勢で演奏できると良いのですね。

 でも、この姿勢では、絶対に楽譜が見れない(だって、私の身長にピッタリな譜面台なんて無いもの)ので、残念ながら、ロングトーン練習以外では、下を向かざるを得ないかな…(涙)。
 
 
 さて、アルテ15課7章H-durです。合格したのは、3番だけ。2番「アルペジオ基本練習」と4番「H-durのスケールとアルベジオ」、5番「H-durのクロマティック」は不合格でした。残念。

 不合格になったものは、H先生曰く「間違いなく、ちゃんとは出来ているんだけれど、しかし、それにしても間違いが多い(間違える前に止まってしまったり、吹き直しをしてしまったり…とかね)。これでは合格を上げるわけにはいかないので、次回、もう一度だね」 はい、全体的に吹き込みが足りないのは自覚しています。もっと練習して、吹き込んでおきます。

 先生がおっしゃるには「早く仕上がらなくてもいいですよ。それよりも、一つ一つの課題を確実に身に付けるようにしてください」との事です。ラジャーです。
 
 
 ミニオン・エチュードは19番です。不合格でした(笑)。前回注意されたテンポを直したところ……指が追いつかない追いつかない(涙)。それで、部分的に崩壊している箇所があって、そういう意味では、まだまだ練習が足りていないわけです。

 それと、細かく見ていくと、何ヶ所でリズム的に崩壊しているところ(表拍が裏に入ったり、逆に裏拍が表に来ちゃってたり)がありました。しっかりメトロノームを入れて練習をする必要がありそうです。

 ただのスタッカートとスラーでつながれたスタッカートの違いを表現する事。スラーの最後の音は、書いてなくても、ほぼスタッカートで演奏すること。ritenの箇所がまだまだ、あざとすぎる事なども、注意されました。

 寒くて、思わず力が入ってしまったのかもしれませんが、久し振りに「吹きすぎ!」と注意されました。フルートは鳴らす楽器ではなく、鳴る楽器、なんですね。はい、ちょっと気合が入りすぎていたようです、反省です。
 
 
 さて、今回の雑談は、演奏家の副業と学校の話。

 ザックリ言えば、演奏の仕事だけで食える演奏家は少ないので、生活のために、どうしても副業的なことをやらざるをえないのだそうです。そういう副業的な仕事の中で、非常勤教師として学校で働く(授業をしたり、部活のコーチをしたり)というのは、安定した収入を得るという点では、なかなか良い仕事なんだそうです。だから学校で働きたいという演奏家は、少なくないのだそうです。

 ま、学校の先生は(それも非常勤ならなおさら)昼間数時間働くだけだし、時間はきちんと決まっているので、色々と予定はたてやすいし、土日は基本的に休みなので、演奏活動への支障は少ないわけだし…。確かに、副業としては悪くないでしょうね。いや、副業どころか、そのまま正式に学校教員になっちゃっても、悪くはないでしょ?

 私が授業をやらせてもらっている学校の音楽の先生たちは、どなたも生粋の学校の先生ではなく、みな若い時は演奏の仕事で食べていた人たちばかりです。演奏の仕事だけでは色々と厳しくなり、非常勤教師として学校で教えているうちに、エラい人の目にとまって、そのまま教員として正式に採用された人たちばかり。そういう人を見ていると、H先生のおっしゃることも、なんか分かる気がします。

 演奏の仕事が少なくても、若い時なら、なんとか頑張れるけれど、ある程度年齢がいったにも関わらず、いつまでも仕事が少ないままで、副業に頼りっぱなし生活では…人生設計にも支障が生じるわけで、ついつい安定を求めたくなる気持ちも分からないではありません。そこに、学校の先生のクチがかかれば…そりゃあ、演奏家を止めて、教育の道に行きたくなりますよね。

 「H先生は学校の先生になろうとは思わなかったのですか?」と尋ねてみました。案の定、若い時は、あちらこちらの中学校高校から、非常勤講師や部活顧問の依頼があったそうです。でも、先生は演奏の仕事だけで十分食べていけた事と、学校で教えること自体が好きではないので、断り続けたそうです。

 「学校で教えるのはイヤですか?」……イヤなんだそうです(笑)。なんでも、やる気のない人間に教えるのは“無理!”なんだそうです。なので、普通の中学高校の音楽の先生なんて“絶対に無理!”なんだそうです。ま、確かに、普通の学校の音楽の授業となれば、音楽大嫌いな生徒も大勢いますからね。

 それに、フルートを教えるならともかく、音楽そのものを教えるのは面倒くさい(笑)んだそうです。

 H先生が音大で教えていた時、自分の学生の教育実習を見に、中学高校に行った時に、そこの生徒たちに話を聞いてみたら、その実習生の授業で、音楽が余計に嫌いになったと答える生徒がたくさんいた事に驚いたそうです。

 実習生なんて、みんな若くて情熱があるわけだし、教育実習ならなおさら、一生懸命教えたんだろうけれど、音楽って、教える方だけが熱くなっても、教わる方がその気でなければ、決してうまくいくものじゃないから、先生の熱意が空回りをして、熱すぎて、生徒たちに拒否反応が生まれてしまった…んでしょうね。

 容易に想像がつきます。元々、音楽大嫌いな生徒に、音楽しか知らない若い教師が熱い熱い指導をしたら……そりゃあ、生徒に拒否られて当然、余計音楽嫌いになるだけだね。

 音楽を好きになってもらいたくて、熱心に指導をしたにも関わらず、余計に音楽嫌いをこじらせたら、そりゃあ悲しいなあ。

 やる気のない人間を指導すると言うのは、どんな教科でも難しいけれど、音楽みたいな教科は、本当に難しいね。私は今年から、音楽のセンセもやっているけれど、たしかに音楽嫌いな子の指導って(私のようなベテランセンセでも)難しいものね。ましてや、教育実習生とか、演奏家上がりの先生(音楽はプロだけど教師としては新米)には、荷が重いことは確かだね。

 だから教えるなら、音大生・音大受験生・趣味人など、前向きな人たちばかりを教えたいというH先生の気持ちは、よくよく分かりますよ。私だって、生徒を選べるなら選びたいもの。ま、生徒の方だって、センセを選びたいだろうけれど(笑)。

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2013年2月18日 (月)

女性の歌声にも色々あるものですね

 私が愛読しているブログの一つに、ヴェルヴェッティーノさんの『ヴェルヴェッティーノのBAROQUE紀行』というブログがあります。そのブログで、先日、女性テノールに関する記事がアップされまして、それを読んで以来、私も女性テノールについて、あれこれ考えてみました。

 まずは四の五の言う前に、ヴェルヴェッティーノさんも取り上げた、女性テノールのルビー・ヘルダー(Ruby Helder)の歌声を聞いてみましょう。曲は"Songs of Araby"です。

 私がこの歌声を始めて聞いた時に思ったのは『まるで男声。いや、この人、実は男性なんじゃないの?』と言う事です。

 不思議に思ったので、ルビー・ヘルダーについて、ちょっとググちゃいました。どうやら、一応、普通の女性のようです。1890年3月3日の生まれですから、カルーソーの約一回り下で、ジーリと同じ年(ってか、彼女の方が二週間ばかりお姉さんみたいですね)と言うと、どの時代の人が分かりますね。身長は約160cmですから、白人女性としては平均的な身長でしょう。イギリス生まれで、18歳でテナーとしてデビューして、23歳で渡米し、アメリカで活躍し、30歳で結婚し、45歳で引退、48歳でアルコール依存症で亡くなっています。

 女性として生まれたけれど、ホルモン疾患とかがあって、こんな声なのかな? って最初は思いました。

 と言うのも、このヘルダーの声は、私が知っている女性テノールの声とはあまりに違っていたからです。

 合唱をやっていた頃、たまに女性テノールの方々とお会いしました。おそらく、元々はアルトパートを歌っていた方なんでしょうが、加齢によって声域が下がり(女性は加齢と共に声域が全体的に下がる傾向があります。男性の場合は、逆に声域が上がっていくのか普通です)、アルトではすでに高くて歌いづらくなったので、テノールに“下りて”くるというパターンです。

 ですから、声域的にはテノールなんですが、声質的には、全く女声です。なので、一緒に歌っていて、実はイヤでした。だって、異質なんだもの。妖しいでしょ? 女性はいくら声域が下がっても、やっぱり女声であって男声とは違うんだなって思ったものです。

 また、流行歌手に和田アキ子さんがいらっしゃいますが、彼女の声域は、ほぼバリトンなんです(だから、和田アキ子のモノマネは、男性のモノマネ師がやるんですね)。あるテレビ番組の企画で、彼女が「カルメン」の「闘牛士の歌」を歌っているのを聞いたことがありますが、実に見事に格好良く歌われていましたが、やはり女声の歌にしか聴こえませんでした。ここでも、やはり、声域が同じでも、男女では声の質が大きく異なるものだなあって思ったものです。

 それに逆のパターンで考えても、やっぱり変でしょ? この世には、男性だけど女声並の高音で歌う歌手がいます。さすがにカストラートは今の時代にはいませんが、メールアルトとかカウンターテナーとかソプラニスタなどと言われる人がいて、活躍しています。彼らは、声域こそ女声並ですが、声質は明らかに女声とは異なっているじゃないですか?

 それどころか、たとえ子どもでも、男の子と女の子の歌声は、全然違います。やはり、男女の声質の違いと言うのは、歴然として存在している…と私は思ってました。

 ですから、ルビー・ヘルダーの歌声を聞いた時には、すごい違和感を感じたのでした。「この人、本当に女性なの? 声はまるっきり男声でしょ。性を偽っているんじゃないの?」

Rubyhelder  でも、彼女の経歴を見たり、写真を見たりしていると、ごく普通の女性に見えますよね。ホルモン疾患があるような外見ではありませんし、実際、結婚をされているのですから、少なくとも、肉体的にはホンモノの女性だったはずです。

 普通の女性に、こんな声が出せるの? 高音は訓練次第でいくらでも出せると、よく聞くけれど、低音は声帯の物理的な性能の限界があって、いくら頑張っても、そんなに低いところまでは出せないはずだし、女性でも大柄な人なら低音で歌うことも可能だろうけれど、ルビー・ヘルダーは低音をバリバリ出せるほど大柄な女性ではありません。(ちなみに、和田アキ子さんの身長は174cmだそうです。男性並の身長があるわけですから、当然、声帯も男性並の大きさであっても不思議ないので、あの低音で歌えるのでしょう。)

 なんか、納得できません。

 そんなモヤモヤした気持ちを持ったまま、ある日、YouTUBEで興味深い画像を見つけてしまいました。それは女性テノールならぬ“女性バリトン”の歌声です。これも、四の五の言っても仕方ないので、聞いてみてください。

 コメディー番組からの画像のようで、あっちこっちに笑いが入ってますが、歌っている本人は超マジメに歌ってます。

 この人はアイスランドの人で、Hallbjorg Bjarnadottirと言うそうです(なんて読むのでしょうね?)。実に見事なバリトンボイスで、声だけ聞くと、全然女声的ではなく、男声のようですが……この人の話し声は、ちょっとだけ聞けますが、ごく普通の女声の話し声ですよね。この人、バリトンも歌いますが、テノールやアルトはもちろん、ソプラノ歌手として、コロラトゥーラまで歌いこなしていたそうなんです。つまり、半端なく広い音域を誇る歌手だったそうです。

 信じられませんが、こんな方もいるんですね。そう考えると、実はルビー・ヘルダーも、歌声はともかく、話し声は、ごく普通のかわいい女声だったのかもしれませんね。

 なんかもう、私、分からなくなりました。女声にも、色々あるんだなあって思いました。常識に捕らわれて、モノを考えてはいけないんだなって思いました。

 いやはや、なんとも、不思議不思議です。

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2013年2月17日 (日)

漢方、始めました[2013年2月第3週・通算6週]

体重:108.7kg[-0.6kg:-3.5kg]
体脂肪率:30.5%[-0.1%:-0.5%]
BMI:34.3[-0.1:-1.1]
体脂肪質量:33.2kg[-0.2kg:-1.6kg]
腹囲:103.0cm[-3.0cm:-5.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 記録のために書きます。私、最近、漢方薬を飲み始めました。

 事のきっかけは「花粉症、始まりましたね(涙)」の記事に書いたとおり、私、花粉症がひどいタイプの人なので、これをどうにかしたいと常々思っておりまして、今年は近代西洋医学にプラスして東洋漢方の力も借りて、この春を乗り切りたいと願ったわけです。

 で、かかりつけのお医者様に相談したところ、無辺なく断られてしまって、しょんぼりしていたわけですが『捨てる医者あれば拾う医者あり』でして、知り合いのドクターが「だったら、ウチで出してあげるよ~」ってな事を申し出てくださったので、渡りに舟、とばかりにお願いしました。

 一応、顔色とか体型とか最近の体調とか血液データなどもチェックしてもらった上で、処方箋を書いてもらいました。

 大柴胡湯(だいさいことう)と小青竜湯(しょうせいりゅうとう)をいただきました。

 大柴胡湯は、ガタイがガッチリしていて便秘気味の人のための薬なんですって。え、私、便秘じゃないけど…。

 効能は、胃炎・便秘・高血圧・肥満・肩こり・頭痛・胆石・喘息・じんましん・湿疹・円形脱毛症・肝炎・脳出血・胃ガン・肝臓ガン・腹膜炎…などなどなんですって。ん? つまり、何にでも効く?

 ドクターの説明では、私の場合は、病気治療ではなく、体質調整目的での服用なんだそうです。つまりは、ボディーパワーのベースアップ? アレルギーはカラダの色々なバランスが崩れているとなりやすいものらしいので、そういうモノを調整するのが目的なんだそうです。とにかく、未病の状態を健康な状態に引き上げるために服用するんだそうです。ふーん。だから直接花粉症に効く薬と言うわけではないけれど、体調を調整することで、アレルギー(花粉症含む)になりづらくしてくれる薬ってなわけだ。

 どうも、漢方の世界は分かりません。

 小青竜湯の方は、花粉症・気管支炎・気管支喘息・アレルギー性鼻炎・感冒などに効果のある薬なんだそうで、私の悩みは花粉症ですから、花粉症の症状が出てきてから、この薬を飲めばよろしいとの事です。ただし、この薬は症状を抑える薬なので、症状がなければ、逆に飲む必要はないんだそうです。

 なので、薬をいただいた当初(シーズン当初ですね)は、花粉症の症状がバッチリ出ていたので小青竜湯を飲んだのですが、飲み始めて1~2日で症状が収まってしまったので、今は飲んでません。ってか、飲み始めた時は、美味しい薬だなって思ったのですが、すぐにゲロマズになってしまい、やがて飲むと吐き気すら覚えるようになったので、飲むのを止めました。

 シーズン当初の花粉症には、小青竜湯が効いた事は否定しませんが、むしろそれよりも大柴胡湯がよく効いたので、小青竜湯が不要になったのかな?って思ってます。つまり、大柴胡湯が体調を整えてくれたおかげで、微量の花粉に負けなくなったんだと思います。

 もちろん、花粉が本格的になって、多量の花粉の攻撃にさらされたら、大柴胡湯だけでは足りなくなって、花粉症の症状が出る事でしょうから、そうしたら、大柴胡湯に小青竜湯をプラスして飲めばよさそうです。もちろん、かかりつけの医者からもらった、抗アレルギー剤も続けて服用しています。

 とにかく、二月も半ばだと言うのに、私は快適に生活しています。例年の二月中旬と言えば、ちゃんとお医者様からいただいた薬を飲んでいても、だいぶ花粉にやられて、ブチブチ文句を言い出している頃なんですが…ねえ。とりあえず、快適なんです。
 
 
 まあ、それもこれも私の場合、大柴胡湯がとても良く効いているんだろうと思います。なので、カラダに合っている漢方薬ならば、行け行けドンドン~って事で、次回からは、同じ大柴胡湯でも薬が変わって、今度は保険薬ではなく、自由診療用の薬を服用する事になりました。

 私は知らなかった(もちろん、今だって詳しくない)のですが、薬って、漢方薬に限らず、実は色々な種類と言うか、区別があるようなんです。(間違えてたら、優しく教えてくださいね)

 …と言うのも、薬は薬なんですが、同時に薬は、一歩間違えると、毒にもなるわけです。その薬の成分がカラダに有効的に働けば“薬”となり、薬の成分がカラダに悪さをすれば、それは“毒”になるわけでしょ? だからでしょうか、薬は、その取り扱いの違いから、色々な種類(?)があるようなんです。

 例えば薬局の市販薬。薬剤師のアドヴァイスがあると言え、基本的には素人の見立てで選ばれ、素人の管理の元で服用される薬です。間違えて服用される可能性が無いとは言い切れない種類の薬です。うっかり間違えて、飲んだ人の健康や命を損ねてはいけません。ですから、一般的に薬局で購入できる市販薬は、うっかり間違って飲んでも、命に別状がない程度の薬効成分しか入っていないのだそうです。ザックリ言えば“効き目が優しい”薬なんです。

 そこへ行くと、お医者さんが出してくれる薬は、お医者さんの管理下にあるわけですから、素人が薬局で自由に買える薬とはわけが違います。ちゃんと効くだけの分量の成分が入っているのだそうです。

 それでも、医者の完全管理下にある、病院で行われる点滴&注射とか、入院時にもらえる薬とは違って、処方箋を書いてもらって、近所の薬局で買って帰る薬(いわゆる“医者の薬”)は、お医者様にもよるのかもしれないけれど、多少成分が優しめなのだそうです。

 さらに、薬効成分がたっぷり入っている、入院薬や処方箋薬であっても、これは一定の条件の元で認可された、医療保険の適用内の薬なのです。実は世の中には、保険の審査を(まだ)通っていない薬もあります。それらの薬は、もちろん、医師の管理下の元での服用は可能なんだけれど、保険適用外(つまり、自由診療)になります。保険適用外ならば、かなり自由に、もっと薬効成分の濃い薬も、使えるのだそうです。

 で、私が次回から飲むのが、その保険適用外の濃いめの大柴胡湯なんだそうです。なんでも、小さな薬局が丁寧に作っている薬なので、大量に安定に供給するのが難しいので、あえて保健適用外のまま販売されている薬なんだそうです。ふーん、そうなんだ。

 なんて書くと、いかにもセレブっぽい感じがしますが、実はこの薬、お値段的には、ババ~ンと大量一括購入すると値引きされて、保険適用薬と価格的に変わらなくなるので、今回は、ババ~ンと大量一括購入をしました。なんと、漢方薬の箱買いだよ(笑)。もう、売るほど、我が家にあります。これで当分、大柴胡湯には不自由しません(爆)。

 ま、実を申しますと、私、カラダが大きいものですから、保険適用の量では、ちいと足りないのだそうです(笑)。そこで価格的に差がないので、自由診療での服用を薦められたというわけです。
 
 
 それにしても漢方薬って、色々と難しいですね。同じ症状でも、飲む人の体格体質性別などが違うと、飲む薬の種類が違うし、量も違うのだそうです。妻も花粉症対策で同じドクターから漢方薬を処方してもらっているけれど、飲んでいる薬は、私とは全然違うんです。西洋薬なら、患者さんが誰であれ「○○の症状があるから★★を飲む」と言う感じだけれど、漢方薬は薬をチョイスするにあたって、症状よりも飲む人を見て判断するようです。ああ、難しい。
 
 
 でもまあ、日本人でよかったなあ…と思うのは、私が飲んでいる漢方薬は、エキスを顆粒にしたタイプの薬なんですよ。ですから、この顆粒の薬をお湯に溶かして飲めばOKなわけです。

 本場中国の漢方薬は、もちろん顆粒タイプもあるそうですが、葉っぱの形で処方される事が、まだまだ多いそうです。で、その葉っぱを本当に煎じ詰めて飲むんだとサ。嘘のようだけれど、本当の話のようです。葉っぱから煎じ詰めて煮出す薬の方が、昔ながらなので人気があるんだってサ。

 葉っぱから薬を煎じ詰めて飲め…と言われたら、私はたぶん飲まない。拒否します。少なくとも、自分で煎じ詰めるなんて作業は、絶対にしないよ、だって面倒だもん。今の顆粒状の薬だって、いい加減、面倒だもん。錠剤、あるいはカプセル剤にしてくれると、もっといいのになあ…。でも、まあ、自分の健康の事なので、顆粒までは譲歩しています。

 ま、そんな感じでドクターの管理下の元、漢方薬を飲み始めた私です。しかし、毎日漢方を飲んでいるなんて、やっぱ、ジジイだな(笑)。

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2013年2月16日 (土)

キキョウさん、オス疑惑がございます

 鉄魚のキキョウさんが、もしかすると男の子かもしれません。

1)顔つきが野蛮
2)行動がワイルド
3)カラダがチビっこいし、なんとなくスマート
4)他の子の総合排出孔(当然女性器あり)を激しくタッチタッチ
5)人間に対して威嚇的
6)糞が細い

 …ねえ。いかにも男の子の特徴が揃っているでしょ? 鉄魚とは言え、金魚の仲間ですから、春になって追星(エラのふたに現れるボツボツ)が現れて、放精して水槽が濁れば、男の子確定です。

 ただ、まれにメスしかいない環境だと、オス的な行動をとって、群れのリーダーになりたがるボーイッシュな子もいるので、そういう系の女の子である可能性もまだ捨てられません。

 まあ、魚類なので、百合さんの可能性はたぶんありません(笑)。

 ですから、あと2~3カ月のうちにははっきりするでしょうが、キキョウさんが男の子の可能性、大なんです。最近、ハナジロが背中に原因不明の大怪我をしたのですが、あれがキキョウさんのナンパならば(金魚のナンパは、かなり激しいんです)なら納得です。金魚のオスって、メスが死ぬまで、気に入った子を追いかけるからねえ…。かわいい見かけのくせにして、やる事は、結構激しいんですよ。

 キキョウさんはキキョウ君なのかな? できれば、全員女の子だと、争いもなく、平和な水槽でいられるんだけれどなあ…。なかなか、うまくはいかないもんだからなあ…。

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2013年2月15日 (金)

人はどこで挫折するか?

 先日、ヴァイオリンを挫折した私です(笑)。まあ“挫折”と言うほど、ヴァイオリンに命をかけていたわけではないので、正確に言えば“辞めた”“続かなかった”“ほぉ~それ見たことか!”と言うのがふさわしいのですが、ここは一つ、カッコつけさせて“挫折”ということにしてやってください(願)。

 ヴァイオリンを挫折した今の気持ちは…ああ、すっきりした…です。

 ヴァイオリンは好きだし、実は本音で言えば、継続して学び続けたかったのですが、諸般の事情で…ってか、時間がないので、続けられなくなり、続けられないのに『ヴァイオリンやってます』という看板を出していることに、すごく後ろめたく感じていました。それを『挫折しました!』と言う事で、ヴァイオリンをやっているという看板を下ろせて、すごくホッとして、すっきりしたわけです。

 そんな、ヴァイオリンを挫折して、すっきりしちゃった今の私から見て、自分の経験も踏まえて、「人はどこで挫折するか?」について考えてみました。案外、挫折のきっかけって、たくさんあるみたいですよ。
 
 
練習時間がない  私がこれなんですが、ほんと、練習時間の工面がつかなくて挫折してしまいました。私は、声楽とフルートも学んでいます。余暇の時間は、どうしても、そっちに時間が取られてしまいます。いや、声楽とフルート以外にも、家族との団欒ってやつもあれば、妻とのコミニュケーションとか、テレビを見たり映画を見たり観劇したりコンサートに行ったり…それなりに遊ぶのに忙しかったりします。もち、ブログは毎日書いているわけだし…なかなかヴァイオリンに時間が割けなかったんですね。

 でも、私なんぞは、それでもまだ恵まれている方だと思います。一般の社会人なら、仕事と家庭だけで手一杯で、趣味に使える時間なんて無いの当たり前ですからね。「ヴァイオリンを挫折した!」と言うよりも、声楽やフルートを学び続けられていることに、感謝をしないといけませんです、はい。

他に興味深いものを見つけてしまった  例えば恋愛、例えば仕事、例えば勉強、もうちょっと言えば、他の楽器や他の趣味? とにかく、今取り組んでいるモノとは別のモノに心を奪われる事…ありますよね。私も人生振り返ってみると“挫折”と言うよりも、他のモノに心を奪われて“中座”してしまったモノ、あります。一日は24時間だし、カラダは一つだし、優先順位をつけていけば、フェードアウトせざるをない事だってあるわけで、これまた仕方ないですね。

 私の場合、パソコン&ネット関係がそうかな? ネットの黎明期は、本当にパソコン&ネットに没頭したものです。それもあって、そっちに時間とエネルギーを費やしてしまったため、私の音楽趣味歴には20年近い空白の時間があるんですね(汗)。でもそこで、それだけパソコン&ネットに没頭したので、趣味がやがて仕事になったわけで、今じゃ、そっち関係で食べていたりするわけだから、音楽趣味が滞ってしまったのは、人生的には大正解なわけです。

 逆パターンも当然あるわけで、私が音楽趣味に復帰する前に夢中だったのがトレーニング(笑)。ほんと、毎日、カラダ鍛えてました。でも音楽趣味を始めたため、それまで毎日やっていたトレーニングがいつのまにかフェードアウトしてしまいました。当然、通っていたジムだって辞めちゃったしね(爆)。

 実は私、音楽を始める前は、今よりも30Kgも体重が軽かったし、見るからに肉体派なムッチムッチなボディをしていたんですよ。それが今じゃあ…もう、見る影もありません(爆)。あの頃は、毎日、エアロバイクを漕いで、ダンベルを上げ下げして、腹筋背筋運動やら柔軟体操やらに邁進していたんです。なんか、自分の肉体をいじめるのが楽しくて楽しくて…ああ、今では、あの頃の自分に憧れます(笑)。
 
 
経済的に続けられない  私は幸いにも、そういう経験はありませんが、この話はよく見聞きします。習い事を始めてみたものの、思ったよりもお金がかかって、お小遣いや家計を圧迫しはじめたので続けられなくなってしまったとか、失業してしまったので辞めざるを得なくなりました…とかね。

 習い事って、なんであれかんであれ、出費がかさむものです。例えば、お教室までの交通費、かかるでしょ? もしかすると習い事の日は、外食をしないといけなくなるかもしれません。楽器などの道具だって、最初は初心者用の安価なモノを使っていても、やがては本格的なもの(これが結構高価)を買う事になるでしょう。メンテナンス代だって馬鹿になりません。

 それに、月々の御月謝だけならまだしも、先生とのおつきあいってのがあるでしょ? 事あるごとにお祝い金を包んで渡すわけだし、発表会とパーティーとかにかかる経費も馬鹿にならないわけだし、先生経由でやってくる習い事関連のチケット代(買わないわけにはいかないでしょ?)だって、案外馬鹿にならないわけです。

 もちろん、上達するには、練習さえしていればいいってわけにはいかないでしょ? 参考音源は購入しないといけないし、プロの演奏会があれば聞きに行かないといけないし、ほんと、何だかんだと言って、習い事ってお金がかかるものです。

 私が思うに、習い事はバクチと一緒です。生活に余裕のある人が、その余裕の範囲で行うものです。決して、生活に必要な時間やお金を、そこに投入してはいけません。そんな事をするのは、不幸の始まりです。

 なので、当初の目論見より、経済的な負担が大きいと分かったら、そこは“勇気ある撤退”をするのが、賢い人間の選択と言うモノです。なあに、趣味の一つや二つ、いつ始めてもいいんです。余裕が生まれた時に、余裕を持って、やればそれでいいんです。色々厳しかったら、先送り先送り(笑)。
 
 
体力的に続けられない  時間もある。お金もある。でも体力がない、疲れてしまって続けられない…たまに聞きます。仕方ないですね、私たちは肉体というウツワを使ってしか活動できないわけですから、その肉体が疲れてしまって活動不可なら、どうにもなりません。趣味より健康の方が大切です。挫折もやむを得ない事でしょう。
 
 
面倒だと感じてしまった/飽きた  ザックリ言えば『興味を失った』ってわけですね。これはもう、仕方のない事です。人間ですから、色々ありますよね。一度下がってモチベーションを上げるのは、容易なことではありません。離れてしまった心を呼び戻すのは至難の業です。
 
 
理想と実力の乖離を感じてしまった  私はそういう事ないのですが、たまにこのタイプの人がいます。『自分はもう少し“出来る子”なはずなのに、なんでこんなに出来ないの(涙)』と思い、描いていた理想と自分の実力の差に絶望して、辞めると言うか、逃げ出してしまうのです。逃げちゃえば、出来ない自分の姿を見ずに済みますからね。こういう人は、きっと、何事もなし遂げる事が出来ないのだろうなあ…。

 最初は誰でも初心者、出来なくて当たり前…でしょ? 出来ないから学んでいるわけで、最初から出来るんなら、何も学ぶ必要はないのですが、その辺の理屈が分かっていないのか、そういう出来ない自分を受け入れられるほどの心の余裕がないのか。小さなプライドが、大きな成長を阻害してしまうわけです。残念ですね。
 
 
いくら練習しても上達した気分になれない  特に他人と比較して「あの人はもうあそこまで出来るようになったのに、自分は全然ダメじゃん」と思って、落ち込んで、やる気をなくして辞めてしまう…というパターンですね。分からないでもありません。私もそんな気分になる時、ありますもの。

 ただ、人間には才能の差と言うのが歴然としてあるわけだし、器用不器用の違いもあります。相性問題だってあるかもしれません。だから、ある人はスタートダッシュよろしく、グイグイと成長するだろうし、ある人はいつまでたっても“下手の横好き”で、ちっとも上達しないかもしれません。

 私が思うに、比較対象を他人にしてしまうと、大抵の場合、不幸になります。比較対象を過去の自分にして、以前の自分と比べて、今の自分はどうなのかと、考えていけばいいんじゃないかと思ってます。

 大抵の場合は、上達していなように思えても、半年前、一年前の自分と比べてみると、出来なかった事が出来るようになっているものです。ですから、それを確認して、後は忍耐強く努力を続けるだけです。好きな事なら、忍耐強くなれるでしょ?

 そのためのコツは、こまめに記録する事です。発表会をこまめにやってくれる教室なら、発表会記録を聞き返すだけでも自分の上達が分かります。あるいは、私のように(ブログなどで)文章に書き残しておくのもいいです。また、レッスンの様子を録音して、それを保存しておくのも記録としてはいいですね。とにかく、こまめに記録をしておけば、振り返りも楽です。

 そういう過去の自分と今の自分を比べた場合、半年前、一年前の自分と比べて、ちっとも上達していないと思ったなら、それは学習環境を考え直す必要があります。練習方法の見直しが必要でしょう。努力の方向は正しいでしょうか? 場合によっては、先生を変える事も選択肢の中に入れてもいいかもしれません。まあ、大抵の場合、自分の練習不足な日々を思い知って「今日から真面目に頑張ろう」って決意する事で解決する事、多いですよ(笑)。
 
 
 
 こんなところでしょうか? 挫折…イヤな言葉ですね。好きで始めたのなら、モノになるまでは、ちゃんと学び続けていたいですよね。でも、人生は色々です。やむなく、挫折してしまう事だってあります。

 でも、人生は長いのです。一度、挫折したかのように思える事も、年をとってから再開する事だって可能なんです。ですから、一度出来なかったからと言って、あきらめるのではなく、次のチャンスを虎視眈々と狙っていきましょう。

 無論、私、ピアノもヴァイオリンも、またチャンスがあれば、取り組んでみたいと思ってますよ。へへへ。

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2013年2月14日 (木)

フルートはもう買わない

 …つもりです、たぶん(笑)。と言うのも、新しいフルートを買う理由が思いつかないのですよ。

 新しいフルートを買う理由……って、人それぞれに色々あると思いますが、私の場合、今使っているフルートとは別の音色のフルートが欲しいなあって思ってました。そして、曲によって、フルートを使い分けられたら、カッコいいなあって思ってました。

 だってね、フルートって、各メーカーから、それぞれ個性豊かなフルートが発売されているわけじゃないですか? それらのフルートは、メーカーによって、音程のとり方も違えば、音色も違うし、音の飛び方も違います。その違いを楽しむためにも、フルートは複数持っていてもいいかもって、割と最近まで思っていました。いや、むしろ、フルートは複数持っていてこそ、一人前(笑)のフルーティストだ!とすら思ってました。

 でも、先日の「フルートにチューニングって、必要なのかな?」にいただいた河童さんのコメントで私は、目が開かされたのです。フルートって、音程を自分で調整して作りながら演奏する楽器なのですが、実は音色もそうで、音色も自分である程度調整して作り出しながら演奏する楽器…のようなのです。

 確かに、フルートが上手な方々のブログなどを拝見しておりますと、曲に合わせて楽器を変えるのではなく、吹き方を変えて、その音色を変えて、演奏している事が分かります。曲に合わせた音色を自分でチョイスしながら演奏するわけです。腕前さえ上がれば、そんな事ができてしまうならば、色々な音色のフルートを手元に揃えておく必要はなく、一本の、手に馴染んだ笛があれば、それで曲ごとに必要な音色を作り出して演奏していけばいいわけじゃない?

 無論、プロだって、複数の笛を使い分けている方もいらっしゃる事は知ってます。でも、一つのフルートで、どんな曲も吹ききってしまう方もいらっしゃいます。私はどっちのタイプが好みかと言うと…一つのフルートで、どんな曲も吹ききってしまうタイプの演奏者かな? ですから、可能なら、私自身も、一つのフルートで、どんな曲も吹ききれるようになりたいと思います。

 ジェフ・ベックと言えば、フェンダーのストラト。ブライアン・メイと言えば、レッド・スペシャル。ジョン・レノンと言えば、黒いリッケンバッカー325。でしょ、でしょ?やっぱり、このミュージャンなら、この楽器ってイメージは強いじゃないですか? 実際には、これらのミュージシャンだって、別の楽器を使うことはあるけれど、でもでも、やっぱりイメージはこれなんだな。

 …という思い込みを持っている私は、やはり楽器を取っかえ引っかえするよりも、一つの楽器を使い倒して音楽をやりたい…とまあ、思ってしまうわけですし、それが可能なら、なるべくそうしたいんです。

 なので、一本のフルートから多彩な音色が出せるなら、それはそれでいいじゃん、クチは一つしかないわけだし、フルートを二本も三本も持っていても、吹ききれないしねえ…。

 それに、フルートって、腕が上がってくると、どんなフルートを吹いても、自分の音色になっちゃうらしいです。どれを吹いても自分の音しか出ないなら、新しいフルートを買う理由が更に無いじゃないですか? 慣れ親しんだ自分の笛の方が、慣れぬ楽器で苦労するよりも、ずっといいじゃん…とまあ、そんなふうに考えちゃうわけです。

 まあ、フルートをたくさん所有するコレクターの方々を否定するつもりは、毛頭ございません。モノ集めは、とても楽しい趣味だと言うことは知っています。フルートをたくさん所有することに喜びを感じる人がいる事も理解しています。ただ、私は、そういうタイプの人間じゃないってだけです。それだけの話です。

 私には、コレクター気質は…たぶんありません。モノを集めるのは、それほど好きでもないし、得意でもありません。だってモノに囲まれると、散らかって散らかって、どうにもならなくなっちゃうもの。なので、なるべくモノは入手したくない人なんです。

 それもあってか、私は、おそらく、人見知りならぬ、モノ見知りな人間なんだと思います。だから、たくさんのモノを所有して使い分けるのではなく、一つのものをアレにもコレにも使って、使って、使い倒したいんです。

 モッタイナイの思想? エコの発想? いいえ違います。片づけが苦手なんです。整理整頓も苦手です。それに不器用なので、一つの道具しか愛せないんです。

 それだけです。なので、フルートはもう買いません…たぶん(笑)。まあ、来週あたり、私の気持ちが変わって、新しいフルートを買ってしまっている可能性はゼロではありませんが(笑)。

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2013年2月13日 (水)

歌の場合、どうやって音程を取っていったらいいの?

 これ、案外、根深い問題じゃないかなって思います。

 音感があって、子どもの頃から音楽に親しんでいる人には「何をいまさら…」とか「どうにもこうにもって、とにかく歌えばいいんじゃないの?」って言われてしまいますが、音感がなくて、大人になってから音楽に親しみだした人だと、どうしても音程が甘い人もいます。音程が甘い人に言わせれば「どうすれば、ビシッと正しい音程で歌えるんだい!」って叫びたくなります。

 楽器なら“音程正しい”は比較的簡単です。ピアノなどの鍵盤楽器なら、当該のキーを叩けばいいわけだし、管楽器なら、規定の運指がありますので、その通りの指遣いで吹けばOKです。弦楽器なら、所定のポジションってものがありますから、その決まった場所に指を置いて弾けばOKです。でも、歌の場合、キーもなければ、運指も無くて、弦のような所定のポジションもありません。雲をつかむような気持ちで、声を出してみても、それが合っているかどうかは、実は難しいのです。

 まず最初に確認することは、音楽を聞いて、頭の中で正しい音程でメロディーが鳴り響くかどうかです。つまり、音のイメージを持てるかどうかですが…頭の中に音のイメージを持てない人(たまにいるようです)が、音楽を趣味にしてたり、ましてや歌いたいとは思わないでしょうから、たぶんここで引っかかる人はほとんどいないでしょう。

 となると、次に確認することは、歌の経験値です。女性の場合は幼少の頃からどれだけ歌っているか、男性の場合は、変声期以降どれくらい歌っているか、その経験値が、音程正しく歌うためには、かなりモノを言うようです。

 例えば、頭の中に“ド”の音のイメージがあっても、そのイメージ通りの声が出せるかどうかは、実はひたすら歌の経験によるわけです。経験豊富ならば、苦もなくできるでしょうが、経験が少なければ“ド”を出そうと思っても、なかなかうまく行きません。なぜなら、カラダがどうやって“ド”の音を出していいのかを知らないからです。

 ですから、そのためには、たくさん歌う経験をして、それぞれの音の出し方をカラダで確認する事が必要ですし、音感の有無以外にも、器用不器用も関係します。必要とあらば、訓練する必要だってあります。

 訓練のやり方は…それを書き始めると、連載になってしまうので、今回は割愛しますが、ザックリ書くと、最初は鍵盤楽器とお友達になる必要があります。鍵盤楽器を叩いて、それと同じ音が出せるかどうかの訓練から始めないといけません。同じ音かどうかの判定が自分自身では難しいならば、友人の助けが必要かもしれません。あるいは、チューナーを使って確認するのも手です。いっその事、ソルフェージュを習いに行ってもいいかもしれません。

 そのような訓練を終え、個々の音が取れる様になったところで、それらの音をつないでメロディーを音程正しく歌えるようにするのですが…これって難しいですよね。一体、どうしたらよいでしょうか?

 これも結局、訓練になるのですが、このあたりになってもまだ、音程のとり方とか、音の高低って何?って悩むんですよね……私がかつてそうでしたもの。

 鍵盤楽器に合わせて“ド”が歌えて“ミ”が歌えても、自分で“ド~ミ~”って歌うのは難しいですね。最初の“ド”は鍵盤楽器に合わせて確認したとしても、次の“ミ”は実力で探して歌わないといけないわけです。『合わせて確認』ではなく、自分で音程を作って歌わないといけないのです。これ、音感と経験の無い人間には難しい事ですし、経験不足ならば、どうしても、なんとなく甘くなってしまうわけです。いや、最初の“ド~ミ~”が上手くいっても、大抵のメロディーはもっとたくさんの音符で出来ていますから、それらの音符をつなげていくうちに、少しずつ少しずつズレが生じてしまうことだってあります。これを克服するには、相対音感というモノを身に付けなければいけません。でも…。

 ドンマイ! 歌はスポーツと一緒です。歌うという事は、運動の一種ですから、きちんと訓練をした上で経験を積んでいかないと、実はなかなか上手にはなれません。だから、たとえ時間がかかっても、出来ない事は、出来るようになるまで繰り返して練習です。音感と言うものは、オトナになってしまうと、絶対音感の獲得はなかなか難しいですが、相対音感の獲得は…はっきり言ってしまえば、これは単純に記憶の問題なので…時間がかかるかもしれませんが、頑張っていけばなんとかなるものです。

 しかし、頭の中にあるメロディーのイメージ通りに、音程正しく歌うのって難しいですね。勘でだいたい歌えても、精密に歌うには、たとえ相対音感を持っていても、きちんと一音一音、音取りをして音程を確認しながら歌わないといけません(この作業はプロの歌手でも同じなんだそうです)。ましてや音程甘々人間ならば、音が高いとか低いとか言われても、目で見て確認できるわけでもないし、一体どれくらい高く歌えばいいのか、低く歌えばいいのか、よく分からないから困ってしまうわけです。ほんと、努力あるのみです。

 キング先生に歌を習っていた頃は、よく音程で注意されました。歌うたびに、もっと高くとか、もっと低くとか注意されました。ま、音程が甘々だったのですから、仕方のないことです。でも、いくら先生に、高いとか低いとか注意されても、その高い低いが、よく分からないから困っていたのに、質問や相談をしても、そこに関してはスルーでした。あげくの果てに、ソルフェージュの先生のところに行って習ってこい、とまで言われました。まあ、キング先生は、そういう指導は苦手だったんだろうなあって思います。あるいは“面倒くさい奴!”と思われたか(笑)。まあ、先生にも得手不得手があるので、音程が甘い生徒の指導に手を焼かれたとしても、それは仕方ないと思います。先生は先生なりに苦労して指導されていたんだろうなあ…とは思いますよ。ただ、息子君がピアノの先生のところでソルフェージュの勉強もしていたのに、私は歌の先生のところで音程のとり方一つ教えてもらえない事には、当時はちょっと解せない気持ちでいっぱいでした。

 とりあえず、キング先生時代は、低い音の時はノドをゆるめ、高い音の時はノドをギュッと絞めつけて歌っておりました。音程の高低は喉の絞めつけ具合で作っていたわけです。これはレッスン中のキング先生がおっしゃっていた「私は音程をノドで作っているよ」という発言を誤解して実行していたわけなんです。今なら、誤解していると分かりますが、当時は分からなかったんですね。先生からもチェックが入らなかったので、それで正しいと思い込んでいたわけです。

 ノドを絞めつけるにも限界があるから、ある程度高い声を出そうとすると、たいていの人はそこで声が引っくり返ってしまうわけだけれど、私はノドの力が強かったので、引っくり返らずに、息がノドを通らなくなるほど、ギュッとノドを絞めてしまって、ムリヤリ息を通そうとしたけれど通らなくて、それで高い声が出なかった…と今なら分かります。あと、ノドを絞めようと思ってノドに力をこめると、声帯の活動が鈍り、音程が下がってしまいます。キング先生によく「音がぶら下がっている!」と注意されましたが、あれはノドが硬く絞まっていたからなんですね。キング先生は音程のぶら下がりは注意されますが、その直し方は教えてくれなかったので、いつまでも音程のぶら下がり自体が治らなかった私です。

 ノドを絞めつけて歌うやり方は、クラシカルな歌い方ではないです。下手くそなロック系歌手の歌い方です。そんな歌い方で五年間も声楽をやっていたわけですから、自分でも呆れてしまいます。まあ、この時の音程の高い低いの感覚は、高いが“痛い”で、低いは“楽”って感じでした。なにしろ、魂をすり減らして根性で歌っていたわけですからね、ロックでしょ、ソウルでしょ(笑)。
 
 
 今はY先生に変わったので“痛い”は無しになりました。「歌はいつでも楽に歌わないといけない」と言うのが、Y先生の方針ですから、痛みを感じながら歌うのはNGなんです。

 と言うわけで“痛い”を封じられた私は、高音が全く出せなくなったのかと言うと、決してそうではありませんでした。いや、封じられた直後は全く高音は出せませんでした…か、今では先生のご指導で、ノドを痛くしないで高音を出せるようになりつつあります。
 
 まあ、その話は横に置きます。

 さて、よく「その音は高い」とか「低い」とか言いますが、私、最近『実にその通りだなあ』って思うようになりました。

 最近の私にとって、音程の高い低いは、音の柱の高い低いのようなものだなあって感じるようになりました。

 ここからは、ちょっとオカルトが入りますが、勘弁してください。

 実は最近の私の歌う時の音程イメージは、まるで自分が一本の柱になっているような感覚なんですよ。それも古代ローマの宮殿にありそうな、デ~ンとしたコリント式の柱ね。あれです。

 柱である私の、低い場所の壁がパカッと開いて、そこから声が出ると、それは低い音になり、高い場所から声が出ると、高い音になります。つまり、柱の壁の開く高さと、音の高さが比例関係にあるように感じています。

 もちろん、リアルな話をすれば、私は柱ではないし、声が出るのはクチだけなので、本来は声の出る場所に、高いも低いもないのです、ですから、あくまでも自分の中のイメージの問題なんです。低いところから声を出せば音程が低く、高いところから声を出せば音程が高くなります。

 私は柱ですから、その長さには限界があります。柱の高さよりも高い音は、どんなに頑張っても出せません。逆に低い音は、当然、足元よりも低い音は出せるはずありません。でも(地声や裏声も含めて)柱の長さの範囲におさまる声なら、やり方さえ間違えなければ、必ず声楽的な声で出せるはずです。

 私のこのイメージは、Y先生とのレッスンの中で獲得しました。私が歌っていて、音が低めの時は、先生は、息をたくさん流すか、ノドをさらに上に奥に広げる事を要求しますが、低い声を出す時は、ノドを下に前に広げるように要求するわけです。ノドに力が入るのはNGです。そんな感じで先生の指導に従って声を出していくと、やがて正しいところにすんなりと声が納まるわけです。それを繰り返しているうちに、なぜ音高を高いとか低いとか表現するのかが、私なりに納得できるようになりました。音程と身体感覚が、少しずつ、つながり始めたような気がします。

 私は、ズデーンとした柱です。その柱の下の方から声を出せば低い音が、高いところから声を出せば、高い音になります。ポジションもへったくれもありません。そのためにも、まずは柱の中を、息がスムーズに流れ、声になれば、それでいいんです。

 ちなみに、この柱、声そのものの発声装置は、柱の台座の部分にあって、そこで声の大元が作られます。台座で作られた声が、柱の中を伝わって、パカッと壁が開いたら、そこから外部に声が流れるんです。ですから高い声は柱の高い部分まで届くように、台座から勢い良く出て行くし、低い声は、低い場所でちょうど良くなるようにジリジリと力強く出て行きます。

 とまあ、私はこんな風に考えてます。これが皆さんのご参考になるかどうかは、微妙ですが、2013年2月現在の私の考えでは、こんな感じです。

 イメージとしての音程の取り方は、何となくこんな感じなんですが、では現在、音程バッチリの声で歌えるかと言うと、結局、この感じ方に到達したのが最近ですから、まだまだ声そのもののコントロールは、不十分です。これから、このイメージを大切にしながら、カラダで音程コントロールを覚えていくしかありません。でも、このやり方だと、楽に発声する事しかできないし、出せる声の限界も何となく分かりますから、頑張りますよ。声のコントロールは決して簡単じゃなさそう…。でもまあ、前向きに、レッツトライ、です。

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2013年2月12日 (火)

“耳抜き”も一つの方法

 久し振りに、フルートのレッスンに行ってきました。三週間ぶりです。いやあ~、レッスンに飢えておりました。思わず「おひさし!ぶりです」って先生に挨拶をしてしまいました。

 姉様はお休みでしたので、さっそく先生とロングトーンの練習です。このロングトーンの練習は、必ず複数の人間が吹くフルート同士で行います。これをする事で、音色を整えるのみならず、音程を整える耳と、そのテクニックも育てているんだろうなあ…って思いました。だって、違う音程で吹くと、気持ち悪いもの。今は割と意識的に音程調整をしていますが、これがそのうち、無意識で調整できるようになれば、ホンモノってわけですね。

 アルテは15課7章のH-durです。まずは「H-durのロングトーン」で指慣らしをして、1番の「音階準備練習」をしました。なにしろレッスンは三週間ぶりですからね、みっちり練習してきたわけで、準備万端でしたが、なにせチキンハートなもので、あっちでポロリ、こっちでストップとなってしまいました。でもまあ、なんとか最後まで通った(汗)ので、甘々で合格をいただきました。ふう。

 次回の宿題は…そう言えば、特に言われていませんが、たぶんH-durの残り全部じゃないかな? 頑張って練習してきましょう。

 宿題をするにあたって、二つ、注意をいただきました。

 一つ目は、2番の「アルペジオ基本練習」で、第三オクターブのFis-H-Fisの運指について。第三オクターブのFisとHの運指はとても良く似ています。違いは、右薬指が、Dキーを押さえればFis、D#トリルキーを押さえればHとなります。なので、Fis-Hと続く音形の場合、右薬指をDキーからD#トリルキーへと動かすと、FisとHの間に、一瞬Gのような音が入ってしまい、ちょっとマズい事になります。そこで、Fis-Hと続く音形の場合、Dキーは通常の右薬指で押さえ、D#トリルキーを右中指で押さえるという、ちょっと変則的な運指を使うと、FisとHの間に変な音を入れずに済むので、そうするように注意されました。

 二つ目の注意は、第三オクターブのAisとHは、右小指をD#レバーから離すのが正式な運指だけど、私はよくこの右小指を離し忘れる(ってか、離すと楽器グラグラになるので、無意識で離さないみたい…)ので、なるべく離して演奏するように注意されました。気をつけます。

 で、ミニヨン・エチュードです、19番です。三週間も練習する時間があったので、こっちも頑張ってきました。先生曰く「うん、よく練習しているね、来週、合格できるといいね」との事でした(涙)。実は密かに一発合格を狙っていたわけなんですが…。

 まず、私の演奏自体が重すぎると言われました。「いくらa-mollとは言え、もう少し軽快に朗らかに演奏しなさい」との事です。そのためには、若干音色を明るくする事と、テンポを多少アップテンポにするように言われました。いやあ、ゆっくり吹いているのは、これ以上速いテンポで吹くと、十六分音符の箇所で指が転んでしまうので、そのギリギリのスピードだったのですが…指の都合を優先させてはいけないのたそうです(笑)。次回までに、多少速いテンポでも指が転ばないように努力してきます。

 それと、この曲では、一ヶ所ritenがかかっている箇所があるのですが、そこの演奏が「あざとすぎ」と言われました。もう少し、サラッと演奏した方が良いのだそうです。つまり“情念こもりすぎ”なんだそうです(汗)。さらに、スタッカートとマルカートの演奏が、ちょっといいかげんすぎ。スタッカートはもっとスタッカートらしく歯切れ良く、マルカートはマルカートらしく穏やかにアクセントをつけるように言われました。つまり、もっとアーティキュレーションについて考えろって事ですね。

 そこらを修正して、ぜひ来週は合格できるように頑張りまーす。

 今回の雑談…と言うか、悩み事相談をしてきました。それはこのブログの「ひとこと」にも書きましたが、フルートの第三オクターブを吹いていると、たまに右耳の奥に何やら痛みを感じて、フルートの練習を止めざるを得ない事があるので、どうしましょうか?って相談です。

 「それって、最近の話だよね。私も、実はそうなんだよ。右耳の奥が、何か共鳴するように振動をして、痛むんだよねえ」

 あら、時期も症状もほぼ一緒じゃないですか?

 先生曰く、おそらくは体調のせいだろうとの事です。風邪でもひいているんじゃないかって事ですが、ただ、風邪だけではなく、冬の気圧も関係しているんじゃないかとの事です。

 ちなみに、対処方法は“耳抜き”だそうです。耳の奥が共鳴(共振?)するような感じの時は、耳抜きをする事で治まる事が多いので、そうなったら耳抜きをすると良いと言われました。ほぉ、耳抜きですか、それは思いもつきませんでした。

 でも、体調が関係していそうですから、まずは耳が痛くならないように、休養を取らないといけませんね。まずは…睡眠時間の確保からだな(笑)。

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2013年2月11日 (月)

音楽が料理なら、プロの演奏は店屋物、アマチュアの演奏は家庭料理だね

 …でしょ? まあ、古今東西、音楽はよく料理に例えられるし、音楽も料理も同じく人生の嗜好品だしね。ロッシーニみたいに、作曲家から料理研究家に転身しちゃった人もいるわけだし、まあ音楽の話を料理に例えてするのも、あながち間違いではないでしょ、ってなわけで考えていきますと…。

 プロの演奏って店屋物…でしょ? お代をお支払いしないと手に入れられないし、常にある程度以上の出来(つまり、いつも間違いなく美味しいって事)だし、ね。

 それ以外の特徴として、お店によって出来る出来ないのメニューがあるわけで、ラーメン屋でビーフストロガノフを注文するのはバカな話だし、イタメシ屋で刺身の舟盛りも無理。少なくとも「それは出来ません」って断られて当然。いや、そこまで極端でなくても、ラーメン屋でチンジャオロースーを頼んだとして、喜んで出してくれるところもあれば、「メニューにありません」って断られちゃう店もあります。いや、チンジャオロースーどころか、チャーハンですら「メニューにありません」なんていう頑固な店だってあるわけです。

 けれどまあ、普通のラーメン屋なら、ラーメンもチャーハンも出してくれる店が多いとは思うけれど、ラーメンもチャーハンも美味しいお店もある一方、ラーメンはすっご~~く美味しいけれど、チャーハンはまあまあって店もあれば、その逆もあるし、両方ともマズいという店もあったりします(なぜ営業し続けているのか、非常に疑問だけれど…)。

 またラーメン屋のラーメンとは言え、最近は細分化されていて、湘南地方では、ラーメン屋のラーメンと言えば、以前は中華街系の比較的さっぱりしたラーメンばかりだったけれど、私が子どもの頃はブームだったと言う事もあって、今ではあまり見かけない、味噌ラーメンを主力メニューに据えた北海道ラーメンの店がたくさんありました。最近ではそれらに代わって、家系ラーメンとか呼ばれる脂ギッタギッタのラーメン屋をたくさん見かけるようになったし、細めんで替え玉ができる九州ラーメンの店もポツリポツリと見かけるようになりました。

 音楽家も色々とジャンルがあるわけで、クラシック系の人もいれば、ジャズやポップス系の人もいるし、流行歌やアイドル系の人もいます。最近では、アニソン系の人もブイブイ言わせているよね。また、昔ながらの邦楽をやっている人もいれば、余所の国の民俗音楽で頑張っているプロもいます。クラシック系の人にロックの演奏をお願いしても、大抵の場合は断られるし、ジャズの人にアニソンをお願いすると、やってくれても奇妙なモノに仕上がっちゃって、アニオタは納得できないだろうし…。

 また同じクラシック系の音楽家と言っても、ソリストと呼ばれる独奏専門でやっている人もいれば、アンサンブルの一員で頑張っている人もいるし、アンサンブルと言っても、オーケストラのような大きなアンサンブルをメインにやっている人もいれば、グループを作って室内楽ばかりをやっている人もいるわけです。

 クラシック系の歌手の世界になれば、もっと細分化が激しくて、オペラと歌曲の両方をやる人が多いとは言え、オペラ中心にやっている人もいれば、歌曲中心でオペラは一切歌わないって人もいるわけです。また言語による縛りもあって、ドイツ語の歌を中心に歌う人、イタリアものばかりやる人、フランス語の歌が得意な人、ロシアものならまかせて!という人がいます。日本人歌手なら日本歌曲ぐらい誰でも歌えるだろうと思ったら、実は大間違いだったりもするし、これはこれで結構大変なようです。

 でも言えることは、プロですから、自分の得意メニューならば、まず外すことはないですし、少なくともチケット代以上の満足はお客に提供するものです。
 
 
 一方、アマチュアの演奏って、家庭料理だなあって思います。

 家庭料理って…なんでも作るじゃないですか? ご家庭の夕食のメインメニューを見ても、焼き魚の日もあれば、鍋の日もあるし、カレーライスの時もあれば、麻婆豆腐だったりグラタンだったり野菜炒めや刺身の盛り合わせの日だってあるわけです。それこそ、和洋中華なんでもありだし、時にはエスニック料理やオリジナル料理の日だってあるわけです。

 また、下ごしらえから自分で行う料理もあれば、半調理品を購入して作る時もあるし、冷凍食品やレトルト食品で間に合わせしまう日もあり、お惣菜コーナーで買ってきたものを、皿に盛りつけるだけの日だってあります。いや、コンビニ弁当で済ませちゃう時だってあるかな?

 うまく作れる日もあれば、焦がしたり、煮過ぎちゃったり、味付けに失敗しちゃった日だってあるわけです。また、スープは家で作るけれど、パンは店で買ってきましたなんて時もあるわけです。

 アマチュアの演奏会に行くと、何でもアリってところ、多いですね。とりわけ、地域の音楽祭のような催し物だと、クラシック系の団体の演奏のあとに、ジャズのグループが演奏して、吹奏楽や合唱団がその後を引き受け、トリはハーモニカの演奏グループで愛唱歌演奏とか…、よく聞く話です。いや、同じ演奏家でも…例えばあるフルートさんの場合…アマオケと吹奏楽の両方を楽しみながら、友人のジャズバンドのセッションにもたまに顔を出したり、レッスンに行ってる教室の発表会にも年1回程度は出演するとか、結構、色々と手広く楽しくやっている人もいるじゃないですか?

 アマオケや吹奏楽の場合、演奏会を自分たちメンバーだけで行う団体も入れば、プロのエキストラをたくさん入れるところもあります。団体によっては、メンバーよりもエキストラの方が人数的に多かったりなんてところだって珍しくありません。また、アマチュア団体の常として、出来にムラがあるわけで、よく演奏できた日もあれば、なんかコケまくる日もあって、ちょっぴり残念な日だってあります。

 総じて、コンサートや演奏会は無料のケースが多いです。チケット代を取るにしても、とても安価(せいぜいワンコイン)程度のところも多いです。身近な存在として親しみがわいていいですね。まあ、中にはプロ並のチケット代を堂々と取っているところもありますが、そういう団体は「我々はアマチュアだけれど、演奏技術はプロ並だから、チケット代もプロ並にいただきます」って考えていたりします。その上、集客力はプロ以上だったりすると、プロってなんなの?って思う一方、演奏さえミスらなければプロ並って思えるのって、幸せだなとかも思います。

 アマチュア音楽は、大義名分はともかく、そのほとんどは演奏者の精神衛生のために行っているわけで、家族の健康のために日々作られている家庭料理と、その目的はほぼ同じです。最低限、演奏する本人とその家族が幸せになれれば、それで十分なくらいです。予算も儲けも度外視できます。

 一方、プロの音楽は厳しいですね、なにしろ商売ですから。自分が演奏したい音楽ではなく、客が望む音楽を演奏しなければいけません。ラーメン屋のオヤジが「もう、俺はラーメンを作るのは飽きた。明日からはフレンチで行く」と願っても、客がタンメンとギョーザを注文すれば、心を無にして、タンメンとギョーザを作らないといけません。それも美味しいタンメンとギョーザをね。それが毎日毎日の話です。たとえ、上手に鮭のムニエルが作れても、客が望む以上、鮭のムニエルではなく、タンメンとギョーザを、毎日毎日作り続けないといけないわけです。

 仕事って、趣味と違って、義務とか責任ってものがありますからね。厳しいです。楽しいばかりじゃないですからね。お客に喜んでもらえてナンボのものです。自分じゃあ飽き飽きしたような曲でも、客が望む限りは毎日でも歌うんです。

 料理が上手なら客も増えて、お店も拡大できるでしょう。でも、上手じゃないと客は一向に増えません。いつまでも小さなお店で細々とやっていければいい方で、やがては副業に手を出したり、それでもうまく行かなければ廃業せざるを得ないわけです。音楽家も同様で、なかなか厳しいですよね。

 音楽家と料理家の唯一の違いは、音楽家は、無許可無審査無資格でもプロを名乗れますが、料理家は、最低限、調理師免許が必要ですね。調理師免許無しで、他人のクチに入るモノを作って供してはいけません。そこだけは、さすがに違います。

 むむ、今日は特に文章のキレが悪い…けれど、まあ、そんな日もあるって事で、ご勘弁を(ペコリ)。

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2013年2月10日 (日)

ドラえもんは生き物ではありません[2013年2月第2週・通算5週]

体重:109.3kg[+0.3kg:-2.9kg]
体脂肪率:30.6%[-0.4%:-0.4%]
BMI:34.4[+-0.0:-1.0]
体脂肪質量:33.4kg[-0.4kg:-1.4kg]
腹囲:106.0cm[+1.5cm:-2.0cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 今年度の麻布中学の入試問題が、ツイッターで大きな話題となっていたようです。2013年2月1日に行われた入試の理科で出された問題に、以下の問題があったそうです。

…『ドラえもん』がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。

 ちなみにこの問題の某大手中学予備校による模範解答では「自分が成長したり、子を作ったりするという特徴がないから」なんだそうである。

 おもしろそうなので、私も解いてみました。

解1:未来永劫、活動を続ける事が可能だから

 ざっくり言っちゃえば「死なないから」です。生物の特徴の一つが「死ぬ事」でしょ? 死なないモノは生きてないわけで、そんなモノは生き物じゃないからです。

 もちろん、活動をしていれば、ボディは傷むでしょう。でも、そんなものは定期的にメンテナンスをすれば問題ではありません。事故などでボディが大破してしまう事だってあるでしょう。そんな場合でも、全く新しいボディに、バックアップしておいたデータをインストールすれば、あっと言う間にドラえもん復活です。ほらね、彼は“未来永劫、活動を続ける事が可能”でしょ? それでは生き物とは言えません。
 
 
解2:生殖能力を持たないから

 すべての生き物の個体は、必ず死にます。しかし、死ぬ一方で、繁殖をし、自らの子孫を生みます。個体としては死んでも、生殖し繁殖し子孫を生む事で、種としては継続していきます。それが命のリレーであり、生き物の営みです。しかし、ドラえもんは生殖能力を持ちません。自分の命を子孫につないでいく事などありえません。ゆえに彼は生き物とは言えないでしょう。

 ドラえもんの場合、工場で同型モデルが大量生産される事はあるだろうけれど、それは生産であって、繁殖とは呼べないでしょう。やはりドラえもんは生き物ではないのです。
 
 
解3:生き物とは、神が作った被造物の一つであり、人が作ったモノは、作品とか製品とか道具とかと呼ばれるから。

 いくら科学が進歩しても、今だ人間は命を作り出す事に成功していません。少なくとも、現時点においては、すべての生き物は神によって作られた被造物しか存在しません。ドラえもんは人間が作り出したものです。いくら精巧に作ってあったとしても、それは生き物ではなく、ましてや工場で大量生産されたものであるがゆえに“製品”と呼ばれるのにふさわしい存在であるから、生き物ではありません。
 
 
 どうでしょうか? 私は、ひとまず、三つ、解答を作ってみました。これで麻布中学を三回合格する事ができるかな?

蛇足  実は他にも『生に関する悩みを持たないから』とか『ダイエットの必要がないから』とか『健康に関する不安がないから』などの解答を考えたのですが…これらは、たぶん誤答…だよね(笑)。あ、そうそう、ドラえもんって、生意気に“恋に関する悩み”は持っていたりするんだよねえ…あれも不思議な話だね。言葉もしゃべれないメスネコのどこがいいんだろうねえ?

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2013年2月 9日 (土)

金魚を飼い始める時に必要なもの

 「金魚を飼ってみたい」と思った時に、何が必要か、分かりますか? 何も分からずに、あれこれ迷ってしまって、結局金魚をあきらめてしまわないように、ちょっとしたアドヴァイスをここに書いておきたいと思います。

 では金魚を飼い始める時に必要なの…最小限必要なものだけを書けば…

 水槽
 水
 濾過装置

 って事になるでしょうか? いわば、この三つが金魚を飼う為の三種の神器かもしれません。

水槽  大きめの水槽に少なめの金魚を飼うのが上手な飼い方です。金魚水槽の標準は、いわゆる“60cm水槽”ですが、これはかなり大きな水槽なので、最初はおすすめしません。最初はプラ製の小さめの水槽でもかまわないと思います。

  実はこれが一番の難敵かもしれません。水道の水は…原則的に不可です。水道水には塩素が入っているので、金魚には厳しいんですね。

 一番いいのは、友人の金魚水槽の水を分けてもらうことです。特に数年に渡って金魚を飼い続けている人の水槽の水なら完璧です。それが叶わない場合、近所にある実際に魚が棲んでいる池や川の水が良いでしょう。それらの水を濾過して汚れや色々な不純物を除けば、十分実用の範囲になります。

 井戸水や浄水器を通した水は、次善の策となるでしょう。これらの水は、清潔すぎて、必要なモノが足りませんが、余計なモノが入っていない分、金魚には優しいと思います。できれば、これらの水を、汲み立てホヤホヤではなく、陽ざらしにして、日なた水にしてから使うと良いでしょう。

 最低でも、水道水に規定量のカルキ(塩素を中和する薬剤)を入れた水を用意したいものです。

濾過装置  いわゆるポンプです。ただし、ポンプとブクブクだけじゃもの足りません。ちゃんとフィルターが付いている濾過装置にしましょう。

 この濾過装置、忘れられやすいけれど、結構大切です。水槽の中に入れるタイプとか、水槽の底に沈めるタイプとか、水槽の淵に引っかけるタイプとか、水槽の上に載せるタイプとか水槽の下にしまっておくタイプとか…そりゃあ、もう色々なタイプの濾過装置がありますが、自分の水槽のサイズに応じたものを購入すれば、それで良いと思います。

 濾過装置の働きは、以下の通り。

 1)水を動かす
 2)空気を供給する
 3)バクテリアを繁殖させる

 水槽の水が常時動いている事は大切な事です。中にいる魚がそれなりの大きさがあれば水も動くので問題ないですが、魚が小さくて、水がちゃんと動かないと、水、痛むし、最悪、腐るからね。

 空気を供給することは大切です。金魚が水面でパクパクしていたら、そりゃあ空気不足です。

 バクテリアは…目に見えないので、後回しにされてしまいますが、これはとても大切です。金魚が糞をし、それを濾過装置のフィルタに付着させて、フィルタ上で、その糞をエサにバクテリアが発生するわけです。「水清ければ魚棲まず」です。バクテリアがたっぷりいない水は、金魚にはキツイんですよ。

 最低限は、これくらいかな? これだけあれば、とりあえず金魚が飼えます。

 これにプラスするなら、水槽の砂利と水草だね。砂利は濾過装置のフィルタ同様に、バクテリアの棲み家になります。水草は…水中の窒素(糞の主成分)を吸収してくれるので、水の汚れを抑える事ができます。

 おっと忘れちゃいけないのが、金魚のエサだ(笑)。しかし、金魚の死因の多くは「エサのやりすぎ」だから、エサはあんまりあげちゃいけませんよ。金魚と言う魚は、胃袋がなくて満腹感を感じない生き物だから、欲しがるだけエサをあげたら、食べすぎて死んでしまいます。エサは一日1~2回程度。それも3~5分程度で食べきれる量だけあげたら、それで十分です。それでも、勝手に色々なモノを食べて、成長しちゃうのが金魚だからね。

 ここまで書かなかったけれど、当然、金魚そのものも必要だよ(笑)。金魚の入手方法は、金魚すくいでもOKだし、ホームセンターやペットショップ、金魚専門店など、どこでもいいです。健康でかわいい子なら、なんでもOKですよ。飼い慣れていないうちは、和金系の子が、カラダが丈夫で飼いやすいよ。

 金魚を飼うのは、実は案外難しいかもしれませんね。なにしろ、魚類の気持ちなんか、私たちには分かりませんから。でも、飼い始めると、なかなかかわいいんですよ、金魚って。

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2013年2月 8日 (金)

あなたは何を目指して音楽をしていますか?

 …って尋ねられたら、なんて答えますか?

 若くて、前途洋々で、才能あふれる人なら「プロを目指してます」とか「ライブハウス出演目指して頑張ってます」とか「メジャーデビュー狙ってます」とか…ね。もっともっと若い人なら「音大目指してます」とか「留学をしようと頑張ってます」とか答えるかな? 趣味で頑張っているような人でも「音楽で人々を幸せにできたらいいなあと思ってます」とか答えてくれるかもしれません。まあ、皆さん、前向きですばらしいじゃありませんか。

 私のようなオッサンで、明るい未来もなく、才能も特に無くて、エゴイストで、正式な音楽教育を受けたわけでもなく、ただただ月に2~4回程度のレッスンを受けているだけ人だと、そんなに立派で前向きな事は、クチが裂けても言えません。

 じゃあ、何も目指していないのか? って言われれば、それはちょっと違います。一応、モチベーションみたいなものはあります。でなきゃ、音楽を趣味にしてません。ただ…他人から見れば「へ?」って思っちゃうような低レベルの目標なんで、ちょっと声に出して言うのが憚られるだけなんです。

 でも、勇気を出して、言ってみるかな?

 私、声楽を真面目に始めて、今年でもう7年目になります。長いねえ…。中1スタートなら、今や大学1年生だよ。それを考えると、ずいぶん長いことやっている事になります。さらに言えば、声楽を真面目に始める前だって、合唱をやっていたり、バンドやら聖歌隊やらで歌ってたり、カラオケにはまっていたり、結構ユルユルと音楽趣味活動をしていたわけで、ほんと、歌の趣味って、結構続いているなあって思います。

 下手の横好きだけれど(涙)。ああ、悲しい。


 そんな私の目指すところ、つまり“目標”は、音楽の形態やジャンルが違っていても、、常に同じでした。それは「人並みに歌えるようになりたい」です。それが私の唯一で強い願いです。ですから私の場合、そんな大それた野望や計画があるわけじゃないんです。ただ「人並みになりたい」っという、極めて控えめな目標なんです。

 「歌なんて…人並みって…簡単ジャン(呆)」って言われる事は分かっちゃいますが、そこは才能と教育の差って奴で、才能が豊かだったり、育った環境が恵まれていたり。幼少の頃からきちんと音楽教育を受けていた人にとっては、目標以前の基礎能力っぽい事柄であっても、才能皆無で、音楽からは縁遠い家庭環境に生まれ育ち「音楽教育、なにそれ、美味しいの?」って状況で大人になっちまった私には、音楽への欲求ばかりがあっても、それを実際に歌ったり演奏したりする能力に大きく欠けているわけで、その“欠け”を補いたいというのが、音楽をやっている目標だったりします。

 ちなみに“人並み”の基準ですが、それは『(私の身の回りにいる)人並み』です。案外、矮小な“人並み”でごめんなさい。
 
 
 最初にそう望んだのは、私が覚えている範囲では、子どもの頃…小学校低学年ぐらいの時だったかな? 私は(今もそうだけれど)子どもの頃は歌がかなり下手で、自分が歌が下手だという自覚はあったけれど、それをどうしたら良いか分からなかったんですよ。

 歌が好きで、家で思わず歌を口ずさむと「うるさい」って言われて、よく親に殴る蹴るをされていました。ちゃんとした音楽を聞く経験もなく、もちろん楽器なども習えず、学校の音楽の授業だけが頼りだったけれど…私の時代の小学校の音楽の授業って…教えるのが担任教師って事もあって、ロクに授業として成立していなくって、周りで得意気に楽器を演奏したり、歌を上手に歌っていたクラスメートたちがうらやましくってねえ。

 その時に強く思ったのが『この子たちと同じくらいに上手に歌が歌えるといいなあ』なんです。楽器は…お金がかかるから、憧れはあったけれど、やろうなんて考えもしなかったです。なにしろ、我が家は生きていくだけで精一杯な生活苦な家でしたからね。楽器を学びたいって気はなかったけれど、歌はとても歌いたかったんですよ。でも、何の道しるべもなく、ただ、行き止まりの壁を見つめて、ため息をついているような感じでした。頼れるものは学校教育しかないのに、その学校がカリキュラム通りの教育をしてくれなかったんですね…。小学校ってのは、担任天国だから仕方ないのだけど…。

 少し光が射してきたのは、中学校に入ってからかな? 中学になると、それぞれの授業を専門の先生が教えるようになるわけで、音楽の授業も音楽の先生が担当するようになるわけです。ようやく、ちゃんとした音楽の授業をしてもらえるようになり、私は音楽の授業が大好きになりました。私の音楽の勉強は、中学の音楽の授業から始まったんです。

 楽典やリコーダー演奏はすぐにマスターしました。やがて吹奏楽部のエキストラも出来るようになりました。でも、歌は難しかったなあ…。中学まで、何もやっていなかったツケが大きかったです。頭の中にはカッコいい音楽が流れているのに、それを歌って表現する事ができなかったわけです。

 不器用…あまりに不器用だったわけです。

 でもね、頑張って、努力して、高校生になる頃には、ロックバンドでコーラスが取れるくらいにはなってました。本音ではリードヴォーカルがやりたかったけれど、音程も然る事ながら、声に魅力がなくてね。早々に断念せざるをえませんでした。悔しかったなあ…。

 オトナになって、合唱団に入った時も、最初は、全然合唱が歌えませんでした。だって、それまで他人とハモるって経験がなかったんだもの。楽譜はロクに読めないし、音感はないし、声は人の数倍も響くし…それで、とりあえず耳についたメロディーをついつい元気一杯に歌っちゃうわけで、それじゃあ合唱にはならないわけです(涙)。

 もちろん、それじゃダメじゃんって、すぐに気づきました。そして『周りの合唱の先輩たちと同じくらいに歌えるようになりたい』と強く思ったものです。頑張ろうと思いました。

 最初のうちは、一人で試行錯誤して練習していました。今思うと、実に涙ぐましい努力をしていました。合唱団の下手っぴ同士で声を掛け合って自主練習をしたり、ほんと、頑張っていたと思いますよ。

 でもやがて『周りの合唱の先輩たちと同じくらいに歌えるように』なるためには、独学での練習や、合唱団のボイトレ程度の練習では全然ダメで、きちんと個人レッスンを受けて、基礎の基礎から歌の勉強をしないと無理だなって思うようになりました。で、色々とあって、声楽のレッスンを受けるようになりました。

 最初はグループレッスンでした。やがて個人レッスンに変わりました。いつしか合唱からは離れてしまいました。『合唱の先輩たちと同じくらいに歌いたい』が、やがて『声楽門下の他の兄弟弟子たちと同じくらいに歌えるようになりたい』に目標が変わりました。

 やがて妻も声楽を始めるようになり、一緒にデュエットをするようになりました。今じゃあ『妻と釣り合いがとれる程度には、歌えるようになりたい』って感じですかね。なにしろ、妻と二重唱を歌っても、私の歌が下手すぎて、彼女とのバランスが取れていませんから、せめて、彼女と一緒に歌っても、下手さが目立たない程度にはうまくなりたいですよ。

 それが私の現在の“人並みに歌えるようになりたい”の内容です。大した目標じゃない事は分かってますが、まずはそのレベルをクリアしたいのですが、まだまだ、道は長くて険しいです。
 
 
 一方、声楽と比べると、フルートの方は、実はこれと言った目標が無いんです。困ったもんです。

 元々、フルートは、私が始めたくて始めたわけでなく、ある日、楽器屋をフラフラ歩いていたら、展示してあったフルートに「私を買ってください」と頼まれて(笑)、フルートを衝動買いをしたのが、きっかけだったんです。で、フルートを買ったら、すぐに先生が見つかっちゃいました(大笑)。

 最初はジャズフルートだったんですよ。私はそれまでジャズのジャの字も知らなかったのに(笑)。「でもまあいいか…」って感じで習い始めました。いかに私が状況に流されているかって事ですね。でも、楽しかったですよ。

 ですから、私自身、フルートには特に目標もなければ、思い入れもなく、フルートを手にした時から、運命に導かれるままに、順調にレッスンを重ね、途中で先生の先生の交代があったものの、それすらスムーズで、今に至るって感じなんです。

 笛先生とレッスンしていた時、アルテ(教則本)が終わったら、私は何をしたら良いのでしょうか? と相談した事があります。その時は先生に「一緒にボサノヴァをやりましょう!」とおっしゃってくれて、私もその気になったものです。

 今のフルートの先生のH先生は、バロック音楽がご専門な方ですが、私は、ジャズ以上にバロック音楽の事を知りませんよ(汗)。「一緒にバロック音楽をやりましょう」って言われたら、どうしたらいいんだろ?

 そこで、ある日先生に「アルテが終わったら、どうしますか」と尋ねた事かあります。「2巻に行く前に別の本(教則本)を2冊やってから2巻に入ります」って言ってました。ほぉ、アルテ1巻が終わったからと言って、教則本が終了って事にはならないんだな。教則本を使って学ぶべきことは、まだまだあるって事でしょうね。アルテ1巻だけで、なんだかんだ言って5年ほどかかっているわけで、そこから別の教則本を二つ終えて、アルテ2巻に入ったら、私が生きているうちに、アルテなんて終わらないなあ。

 でもね、アルテに限らず教則本って、フルートが上手くなるための手段であって、フルート音楽の目的じゃないですよね。

 一体、私はフルートを持って、どこに行くんでしょうね?

 きっと、フルートの神様が、いいところに連れて行ってくれるんじゃないかと思ってます。なにしろ、私の場合、やりたい気持ちじゃ、フルートよりも、ピアノやヴァイオリンの方が上なんですが、なぜかピアノやヴァイオリンには愛されていない私です。フルートも、決して嫌いじゃないけれど、ピアノやヴァイオリンほどの情熱があるわけじゃないのに、不思議と続いてます。もう5年目に突入していますよ。長いなあ~。これは絶対に、フルートの神様に導かれているとしか思えません。

 こんな感じの私です。

 で、最後に、音楽自体は、何のためにやっているのか……と言うと、私自身が精神的に幸せになるため、です。だって、音楽をやっている時、歌っている時とか、笛を吹いている時の私って、確実に幸せだもの。間違いなく幸せだもの。幸せはいいよね。だから、幸せになるために音楽をやっていきます、これからも、たぶんずっと。

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2013年2月 7日 (木)

フルートにチューニングって、必要なのかな?

 今週も先週に引き続き、レッスンに行けませんでした。仕事が忙しいのは結構な事だけれど、仕事と趣味が両立できるのが理想だな…。

 てなわけで、今回もレッスンに行けなかったので、フルートエッセイでお茶を濁す事にします(笑)。

 で、お題は「フルートにチューニングって、必要なのかな?」って事です。

 吹奏楽部などでは、合奏前にチューニングをします。個々にチューナーを使って事前にチューニングしておいた楽器を、合奏直前に、もう一度、ハーモニーディレクターという名の電子キーボードが出すBb(なぜかAじゃないんだよねえ~)を聞きながら合わせてみるというやり方が一般的なのかな? まあ、合奏ですから、ピッチが合っていた方が気持ちいいのは間違いないので、念入りにチューニングをする意味は分かるのですが…。

 でも、フルートには、そこまでのチューニングって必要なのかな?

 弦楽器は厳密なチューニングが必要なのは分かります。開放弦の音程が違っていたら、すべてがぶち壊しだものね。ティンパニーやハープなどは、ある意味、すべての音が弦楽器における開放弦のようなものだから、チューニングに神経を使うのは分かります。オーボエはチューニングが大変な楽器として有名ですよね。ピアノなんて、チューニングが大変すぎるから、調律師というチューニングをしてくれるプロの方がいらっしゃるくらいだし。

 そこへ行くと、フルートなんて、どんなに厳密にチューニングしたところで、楽器の持ち方一つで音程なんて簡単に変わっちゃう楽器でしょ? それこそ、基準の音に対して、高い方にも低い方にも、運指を変えずに、半音ぐらいなら、楽器の傾きを変えるだけで変えられちゃうわけでしょ。そんな、ちょっとした構え方の違いで、音程なんて簡単に変わっちゃうような不安定な楽器相手にチューニングをしても、意味ないんじゃないかなあ…なんて思ってます。

 さらに言えば、演奏前にバシッとチューニングして音程を合わせたとしても、演奏が始まって、管が温まってくると、音程なんてみるみるうちに上がっちゃうし…。冬場の寒い時なんて、ちょっと休憩しているだけで、音が下がっちゃうし…。

 これくらいフルートって、音程に関して不安定な楽器なんだから、なまじ厳密なチューニングをしても、チューニングで合わせたそばから音程が狂ってくるわけで、チューニングなんて、本当に意味のない行動なんじゃないかな?

 本当の話をしちゃえば、他の楽器がチューニングしている手前、フルートだけボーとしていたら申し訳ないので、チューニングの真似をして、周りに合わせてみる…ってところなんじゃないの?

 フルートの組み立て方とか吹き方の癖とかがあるから、一概には言えないのかもしれないけれど、普通のフルートは、頭部管を5mm程度抜いた状態で、すべての音のピッチバランスが良くなるように設計されているはずです。だから、チューニングせずとも、頭部管を5mmほど抜いた状態で組み立てたら、それでOKなんじゃないの? 後は、十分に管を暖めてから吹く事と、周りの音をよく聞いて、そこに合わせて演奏していく事が大切なんじゃないかって思います。つまり、チューニングうんぬんではなく、演奏しながら「…音が高いな」と思ったら、低く吹けばいいし、「…低いなあ」と思ったら高めに吹けばいいだけの話です。それくらい、音程が自由自在に変えられるのが、フルートの良さじゃないかな。

 頭部管を5mm程度抜いて、管を暖めたにも関わらず、正しい音で吹けないなら、それはチューニングではなく、他に問題があるから音程が合わないんじゃないかな? 例えば…フルートの構え方がおかしいとか、息が強すぎる/弱すぎるとか、アンブシュアの形が変だとか、ね。それなのに、その帳尻合わせを頭部管の抜き差しで決着つけちゃったら、A(またはBb)しか合っていない音痴なフルートの出来上がりってわけでしょ?

 まあ、まれに頭部管の反射板の位置が違っているために、音が狂っている、というケースもあるみたいだけれど、その場合は反射板の位置を直せば良いだけの話なので、ここでは論じないよ。

 思い返せば、私もかつては「頭部管を1cm近く抜かないと、正しい音程にならない~(涙)」と叫んでいたような気がしますが、あれは今だから言えますが、あの時の私は、目も当てられないくらいに下手ッぴだったわけで、オーバーブローにも程があるって感じで、フルートの音程がウワズリまくっていたので、頭部管を余計に抜かなければいけなかったんだと思います。

 と言うわけで、フルートには、いわゆるチューニング作業は不要だと思います。ただ、演奏中に大きく音程を合わせていくと言うのは色々と面倒でしょうから、演奏前に、ニュートラルな状態で、AならAがきちんと出るように、確認しておく事は大切です。う? それがチューニングだって? まあ、そう言えなくもないけれど、でもそれって、他の楽器のチューニングってのとは、やっぱり意味が違うような気がします。

 皆さんは、どう思われますか?

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2013年2月 6日 (水)

テノールだから、ついつい楽譜に無い音を歌ってしまいます

 声楽のレッスンの続きです。

 歌のレッスンに入りました。今回は“L'ultima canzone/最後の歌”を集中的にやりました。

 まずは通して歌ってみました。で、その歌い方なんだけれど、楽譜どおりではなく“テノールの歌い方”で歌ってみました。

 テノールの歌い方? そうなんです、実はこの世には、他の声種の方々と違って、テノール独自の歌い方って奴があります。と言うのも、世の多くのテノールたちは、多くの曲で作曲家の意向を軽く無視して、いかにもテノールっぽく歌ってしまう伝統芸がありまして、私もヘッポコながら、その伝統の上にしっかりと立って『最後の歌』を歌ってみたって事です。

 簡単に言っちゃえば、楽譜通りではなく、テノール歌手たちが共通して歌っている別メロディーの方で歌ってみた…って事です。

 その別メロディーですが、本当のメロディーとの違いは、細かい点まで数え上げると、実は色々とありますが、一番大きな違いは、1番、2番ともに、曲の終わりにある、最高音の白玉音符の歌い方です。

 具体的に言えば…楽譜上、この曲の最高音は高いF(五線の一番上の線上にある“ファ”)ですが、作曲者であるトスティは、Fが最高音では歌えない人も続出するかもと思ったのでしょうか、作曲者自身が、そのFの場所にA(五線の真ん中付近にある“ラ”)も書き加えています。「Fが高くて歌いづらかったら、こっちのA」で歌ってもいいよってで、書き加えたようです。

 まあ「高音歌手であるテノールさんはFで、低音歌手であるバリトンさんやバスさんはAで歌ってね」って事だろうと思います。これが作曲家の意向ですね。実際、テノール同様、高音歌手であるソプラノさんの録音を聞くと、たいていはFで歌っています。

 ところが、テノールという人種は、頭の中に○○が涌いている人種なので「ん? この音は、FじゃなくてAで歌ってもいいの? んじゃあ、Aで歌っちゃうよ」と言って、五線を上に超えた高いAで、その箇所を歌っちゃうんです……そんな事は、楽譜のどこにも書いていないのに(笑)。「××と煙とテノールは、高いところに昇る」のですから、仕方ないです(爆)。

 なので、私も先輩方に従って、最後の最高音を高いAで歌ってみました。もちろん、微妙な感じになりましたとも(うん!)。

 先生は私の歌を聞いて、苦笑しながら「そう来ましたか!」とおっしゃいました。先生的に「そう来ると思っていたけれど、やっぱりそう来たか。で、コケたか!」って感じだったんでしょうね。先生自身はバリトンさんですが、テノールの性質をよく理解しておられ、テノールの愚行には理解がありますので、私が高いところに行って、すっころんでも、それはそれで受け入れてくれるわけです。

 「発声練習ではAは出ていますから、この曲のAは必ず出るでしょう。力まず、乱暴にならず、丁寧に歌っていけば歌えるはずですよ」とおっしゃってくれました。まあ『マリンコニア』はドからラへの6度の跳躍で難しいですが、こっちはミからラへの4度の跳躍で、難易度はグッと下がっているので、頑張りましょうって事です。「子音のうちにエネルギーを貯めて、一気に歌い上げるのです」と言われましたが…まあ、頑張ってみますよ。

 このAの箇所については、思い切りよく歌ってみて、結果として、音程がぶら下がってしまっても…ドンマイ!…って感じで歌っちゃっていいそうです。まあ、音程がビシっと決まっている方が絶対にいいのだけれど、中途半端に歌うよりは、失敗してもピャ~~って歌った方が良いって事ですね。結果を畏れずに、思い切りよく歌うってのが肝心だそうです。よしよし、やってみるよぉ。

 本来の最高音であるFに関しては「どのフレーズでも、とてもきれいに出てますよ」と誉めてくれました。私の声の中でも、Fはかなり良い音なんだそうです。へえ、意外。ただ、私自身は意識していませんでしたが、高いFになると、どのフレーズでも、少し長めに歌ってしまっているそうなんです。「いくら自分が得意な音だからと言って、無駄に長く歌わずに、しっかりリズム通りに歌いなさい」とも言われました。いや~、たとえそうであっても、それ、無意識だから。無意識で、ちょっぴり長く歌っているだけだから…勘弁して…もらえませんか? もらえないよ…ねえ(汗)。

 一方、同じFでも、五線の中のFと、それより下の音は、あまり美しくないそうです。なので、このあたりの音で出来ているフレーズを一生懸命歌おうとしても、あまりいい感じにはならないのだそうです。「低いところは、いっその事、歌わずに、しゃべってしまいましょう」ってアドヴァイスをいただきました。その方が結果が良さそうです。

 つまり、私の現在の歌における勝負音域はF~Fの1オクターブって事? ううむ、これって広いんだか狭いんだか分からないけれど、上にも下にも勝負音域を広げていかないと、歌える曲がなくなっちゃうのは分かりました。日々、丁寧に発声練習をして使える音域を広げていかないとダメだな。

 その他、歌詞を良く読んで、イタリア語として相応しい抑揚とかリズムで歌うように注意されました。単に音符通りに歌っても、それじゃあダメで、きちんとイタリア語として歌ってほしいと言われました。具体的には、しっかり発音する単語(意味のある語)と流して歌う単語(文法的につないでいる語)を分けて歌う事なんだそうです。…気をつけます。

 変記号(#やbね)がついている箇所の音程が甘いと言われました。変記号がついている箇所は、和声的に面白い箇所なので、歌もビシっと正しい音程で歌わないと、せっかくの和声的な面白さが薄くなってしまうので、しっかり変記号を強調するように歌うようにと言われました。ラジャーです。

 それと、1番でちゃんと出来ていた事が、2番になると、グダグダになって、何もかも出来なくなっているので、そこはきちんと意識して、2番になってもグダグダにならないように歌いなさいと言われましたが…そのためにはまず「カラダを鍛える事」なんだそうです。つまり、歌っているうちに疲れてしまうので、2番がグダグダになってしまうって事です。具体的には「腹筋、鍛えなさい」って事なんです(涙)。はい、頑張りますよ。

 これで今回のレッスンは終了です。次回は……先生のお仕事の都合で一カ月後です。うわ~、ずいぶん間が開いてしまいます……が、仕方ないです。なんでも、地方巡業に出かけちゃうそうで、これから一カ月ばかり、当地に帰って来ないんだそうです。それじゃあ、レッスンが無くても、仕方ないよねえ。ちょっぴり残念。
 
 
 雑談代わりに、発表会の事を尋ねてみました。「今年も昨年同様にお盆のあたりでやるのですか?」と尋ねたところ、別にそういうわけではないそうです。去年はたまたまお盆の時期にホールが取れたので、お盆にやっただけの話なんだそうで、ここの教室の発表会は、ホールの予約が取れ次第で、ホールの予約が取れたら、その日にやるって方針なんだそうです。ちなみに、今年はこれまで、ずっとホールの予約(抽選制なんです)に負けっぱなしで、まだホールの予約が取れないのだそうです。

 「ホールの予約が取れたら、知らせるからね」とおっしゃってました。

 ちなみに、先生はホールには結構こだわりがあって、どこのホールでもいいとは思っていらっしゃらないご様子で、そのため、競争率の高いホールばかりに果敢に挑戦しているので、負け続けてしまうわけです。確かに、響きが良くて、交通の便が良くて、適度な広さのホールって事になると…限られるよねえ。

 「毎回毎回抽選に負け続けて、ホールの予約が取れなかったら…どうしますか?」と尋ねたら、実は過去に、そんな年もあったのだそうです。その時は、いさぎよく発表会を中止(!)し、どこかのレストランを予約して、発表会の代わりに忘年会を開くことにしているんだそうです。で、そこで門下生だけが集まって、食事しながら、レストランのステージで数曲歌ってお終いにしちゃうんだそうです。

 うわー、それってなんなの? それは大変だ。なんとか、ホールの予約を取っていただかないと! レストランのステージって、ジャズじゃないんだから、勘弁だよぉ~(涙)。

 ちなみに、発表会の準備はホールが取れてから始めるそうで、だいたい半年前に予約が取れたら、出演者の希望を取って、それから選曲を始めて練習して…で、だいたい4~5カ月レッスンして舞台に上がるんだそうです。え、それって短くない? だってレッスンの回数にしたら、8回前後だよ。おまけに私、4カ月かそこらで暗譜する自信ないですよ…って言ったら「ウチは暗譜しなくていいから…。楽譜を持って歌ってOKですよ」ときました。いやいやいや、たとえ他の人がそうであっても、私は暗譜して歌いたいですから。

 発表会の費用の方は…ホールの予約が取れて、参加者が決まったら、実費を頭割りするんだそうです。持ち時間(舞台で歌う時間)も、参加者が決まったら、借りている時間から準備の時間を引いた残りの時間を、頭割りして決めるんだそうです。つまり、参加者が少なければ、参加費が高くなるけれど、たくさん歌える。参加者が多いと、参加費が安くなるけれど、ちょっとしか歌えない…んだそうです。…って事は、発表会は自由参加?

 ちなみに、ドレスコードは無いそうで、歌う曲にふさわしければ何でも良いそうです。もちろん、GパンにTシャツだって、曲次第ではOKみたいです。いやはや…。

 いやあ、キング門下とは、発表会のやり方やら何やらが、全然違うので、面食らうことばかりです。ははは、この門下のやり方に、早くなれないといけませんね。…ところで、実費を頭割りしたら、先生の儲けが無いじゃん、それでいいのかな? それとも先生、発表会で儲ける気はサラサラ無いのか?

 今年は、奥方の門下と[だけの]合同発表会のようなので、昨年までよりも参加人数が減りそうなので、高負担多歌唱になりそうです。多歌唱なら、それなりに準備期間が必要なんだけどな…。

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2013年2月 5日 (火)

とにかくクチの奥を開こう

 ふと気付いたのですが、本日のこの記事、我が老犬ブログ、2000記事目の記事でした。うむ、2000だね。めでたいね。

 さて、本日の記事です。
 
 

 声楽のレッスンに行ってきました。

 「最近どうですか?」と先生に尋ねられたので「最近は歌うとお腹が痛みます…。お腹が疲れます…。一曲もちません。長い曲になると、後半はお腹を手で押さえながら歌ってます」と答えると「それは良い傾向ですね。やがて、腹直筋がツるようになれば本物です」と言われました。「たまに肩や胸の筋肉がツります」と答えたら「それは間違いだから、そうならないようにしてください」とも言われました。色々と過渡期な私です。

 ハミング練習をしました。ハミングは、その日の調子(お腹の支え具合、ノドやクチの奥の開き具合、声の響き具合など)をチェックして調整するためにするんだそうです。そこで修正可能なものは修正し、修正できない事(人間なんだから日々色々な事があって当たり前)が見つかったら、それをきちんと把握して、それに対応しながら歌うんだそうです。そういう意味で、ハミングから練習を始めるのは大切な事らしいです。

 発声練習に入りました。Y先生のレッスンを受け始めた当初と比べて、だいぶお腹の支えで発声出来るようになってきたと言われました。

 入門当初は、一生懸命お腹を使おうと努力をしているのは分かったそうですが、使い方が間違っていた上に、ノド声で声帯を使って声を支えていたため、声帯がお腹の支えをシャットアウトし、お腹と声がつながっていなかったのだけれど、ここのところ、少しずつノドが開き、ノド声が解消されつつあり、なおかつ、お腹の使い方もだいぶ分かってきたので、少しずつお腹で支えた声で歌えるようになってきたのだそうです。

 進歩している事を確認していただきました。ほんと、Y先生には感謝です。

 結論から言えば、お腹の支えも、ノドの開き具合も、まだまだだけれど、少しずつでもバランスよく上達していけば、それで良いでしょうとの事です。ちなみに、今は少しバランスが悪く、お腹の支えが少し強くなっているにも関わらず、ノドの開き具合があまりに不十分なため、息がたくさんノドに当たり、ノドを痛める可能性があるそうです。きちんとノドを開くようにしないと、声そのものがダメになってしまうので、今の段階では、お腹も大切だけれど、ノドに集中して練習をする事か必要なんだそうです。

 と言うわけで、散々、ノドの奥を開く練習をしました。

 色々な事を教わりました。アゴの動きは最小限におさえ(つまり、アゴは下げっぱなしが理想)、ノドの奥は開きっぱなしにした上で、言葉は口先(舌とクチビルを使って)で発音するそうです。これは日本語の話し方とは違うので、かなり難しいですね。

 また、音程が高くなるほど、クチの奥は広く広く開けないといけないのだそうです。と言うのも、口の奥を広く開ければ開けるほど、ノドが下がり、声帯の張りが良くなって、高音が発音しやすくなるからだそうです。

 また、同時に音程が高くなるほど、息をたくさん送るモノなんだそうです。と言うのも、息をたくさん送るにはノドが開いていないといけないのです。ノドは開けば開くほど、ノドが下がり、声帯の張りが良くなるので、高音の発声が楽になるからなんだそうです。

 つまり、良い声で歌うためだけでなく、高音を楽に歌うためにも、ノドの奥を広げて、たくさんの息を使って歌うことが大切って事です。

 …それにしても、クチの奥を開くなんて…難しい(涙)。いや、一瞬開くだけなら、なんとかなります。問題は“開き続ける”事なんですね。これが難しいのです。ま、これは、感覚の問題と筋力の問題と、二つの問題が微妙にからんできますから、時間をかけてゆっくりと解決するしかないと思ってます。

 それにしても、Y先生の発声練習は、本当に“発声の練習”であって、声出しではないので、結構シンドイです。
 
 
 …あ、そう言えば、これを書きながら、今気づいたけれど、Y先生のとこに移って以来“声出し”をしていません。先生とのレッスンではもちろんだけれど、自宅練習でも、ロクに声出しをせずとも、すぐに練習に入れるようになりました。キング先生のところにいた時はもちろん、合唱団で歌っていた時だって、必ず練習前には『発声練習』という名の声出し練習があって、それをする事で、出づらい声を出しやすくしたり、高い声や低い声を出るようにしたり、まあ運動で言うところの“準備体操”のような感覚でやってましたが、Y先生とレッスンをするようになってから、その手の声出し練習の必要を強く感じなくなりました。

 とりあえず、歌おうと思って、歌い始めれば、最初からまあまあ何とかなるって感じかな? 厳密に言えば、まだ最初のひと声ふた声は不安定だけれど、みつ声ぐらいになれば、風邪でもひいていなければ、だいたい安定します。ううむ、これって何故なんだろう?

 一つには…全力で歌うのを止めたから、声がすぐに安定するようになった? 先生からは「80%の声で歌えば十分」と言われ、入門当初は散々「もっと小さな声で、もっと楽な声で」と言われ続け、最近では80%どころかもっと軽い声で歌っています(それでもたまに全力近くで歌ってしまって、注意を受けたりしますが:笑)ので、それが良いのかもしれません。普段の生活で歌うことはあまりありませんが、しゃべる方はかなり頻繁にしていますし、そのしゃべり声と同程度の声ならば、普段の生活がそのまま声出しになっているわけだから、特別な準備が必要なくなる…のかもしれません。

 もう一つには、小さくて楽な声で歌わないと…うるさいから(笑)。どうも、最近の私は、声量がグングンと増えているみたいなんですよ。元々、大音量な私ですが、最近では、その大音量に拍車がかかっているような気がします。いや、正しく言うと、音量が増しているのではなく、むしろ基本の音量は下がっていると思うのですが、声に含まれる倍音が明らかに増えてきて、基本の音量は下がっていても、倍音が増えた分だけ、音量が増しているように感じるわけなんです。

 特に、自分に感じる音としては(自分に感じる音と、他人に聞こえる音は違うのですが)声自体は太くなり低音の成分が増えているなあと思いつつ、その一方で金属的な響きの成分が増え、より甲高い声にもなっているので、上にも下にも倍音が増えているのだと思います。なので、必然的に押さえ気味に歌わないと、自分の耳がつらいんですよ。問題は、今出ている倍音が美しい倍音なら良いのですが、汚い響きの倍音なら、ゆくゆくは淘汰しないといけないのですが…。

 それに最近、歌っていて、よく耳の関節のあたりがカパッと開いて、すごく良く周囲の物音が聞こえるようになりました。また、目と鼻の間がジンジンするような感じもあります。少しずつ、頭蓋の空間も使えるようになってきたのかなって思います。

 良い感じで上達しているんだろうなあ、うれしいなあ、うれしいなあ。

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2013年2月 4日 (月)

ヴァイオリンは…挫折しました!

 ヴァイオリンは、もうずいぶんと練習をしていません。「お正月休みは時間があるだろうから、久しぶりにヴァイオリンの練習をしようかな」なんて思っていたのに、お正月休みの間、指一本、触れることすらありませんでした。時間があるのに練習しなかったなんて…もはや、私の心がヴァイオリンには無い事の証拠です。

 ああ、ヴァイオリン、決して嫌いじゃないんだけれどなあ…。技術的にも壁にぶち当たったわけじゃないから、まだまだ練習すれば上達するんだけれどなあ…。なのに、でも、練習しないんですよ。

 一応、ヴァイオリンの練習時間は、毎日の朝の出勤前の約10分間と設定してあるんだけれど、なんかバタバタしているうちに、その10分間が無くなってしまう事が続きました。やらない事が続くと、それが日常になって、やれなくなります。

 だったら休みの日にやればいいのに…と思っていても、そんな休みの日に限って、ヴァイオリンの練習に思い至りません。ちょっとした空いた時間があれば、発声練習をしたり、フルートの練習をしたり、ブログをしたり……結局、空いた時間ができても、別のことをしてしまうので、ヴァイオリンの練習をしないんです。練習しなければ、上達しません。下手くそのままです。

 そうです、私、ヴァイオリンに挫折しました。もう、認めます(涙)。

 これでヴァイオリンも「私が学び始めたけれど、マスターできなかった楽器」の一つに加わります。ちなみに、このリストには、クロマチックハーモニカ、ピアノ、ドラムなどが入っています。ちなみに、今、暇があるとプープー吹いているティン・ホイッスルも、やがてここに加わる予定です(笑)。

 ヴァイオリンの挫折は、やむなく認めましたが、それでも今しばらくは、ヴァイオリンは部屋に出しっぱなしにして、気が向いたらスケールの練習ぐらいはできるようにしたいと思います。つまり、挫折の宣言はしましたが、ヴァイオリンとのつきあい方は今までどおりで変わりませんって事です。

 だって『…ヴァイオリンを挫折してしまいました。楽器をケースに入れて、納戸にしまっておきましょう…』ってのは、ヤなんです。だって、ヴァイオリンには、ちょっとだけど、お金がかかっているもの(ケチなんです)。それなのにみすみす納戸にしまっちゃうのはイヤなんです。ま、ヴァイオリン本体にはそれほどお金がかかってませんが、弓は15万円もしたんだよ。これをしまっちゃうのはもったいないでしょ?

 本当はせっかく始めたんだし、可能ならヴァイオリンもやり続けたいんですよ。

 今回の挫折の原因を鑑みるに…やっぱり独学のせい? 定期的に先生のところにレッスンに行ってたら、きっと挫折せずに続いていたと思います。でもね、声楽とフルートの二つもレッスンに通っているわけで、これにヴァイオリンのレッスンを入れるのは…本当に時間的につらかったですよ。まあ、社会人として、現役の間は、習い事(ただし、短期は除く)をこれ以上増やすのは、無理なんだろうと思います。私の器量では、声楽とフルートで精一杯、って事がよく分かりました。

 なにしろ、ヴァイオリンもそうだけれど、ダンスだって、ロクに続いていないじゃない? ああ、ダンスも挫折…ってのは、イヤだなあ。

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2013年2月 3日 (日)

私のパソコン史?[2013年2月第1週・通算4週]

体重:109.0kg[-0.2kg:-3.2kg]
体脂肪率:31.0%[-0.2%:+-0.0%]
BMI:34.4[-0.1:-1.0]
体脂肪質量:33.8kg[-0.3kg:-1.0kg]
腹囲:104.5cm[-4.5cm:-3.5cm]
     [先週との差:2013年当初との差]

 私は大学に入ってから、コンピューターを道具として使い始めるようになりました。まだパソコンなどと言うものが、この世になかった時代で、今で言うメインフレームのマシンがブイブイ言わせていた時代で、ようやくマイコンが出始めた頃の時代です。何しろ、私の一年上の先輩たちは、まだ手回し計算機を使っていた世代ですし、同級生たちの多くは、手回し計算機に熟知していましたし、実際に自分たちの研究に手回し計算機を使っていた人がいたくらいですからね。

 ちなみに私は最初からコンピューターを使ってしまったので、手回し計算機の使い方は知りません(笑)。なので、友人たちが手回し計算機で計算している姿を見ると、なんか手品でも見ているような気分になりました。
 
 
 私が最初に使ったマシンは…大きかったなあ。パナファコム社製のコンピューターで、本体は冷蔵庫よりも大きく、衣裳ダンスほどありました。いわゆるキーボードは机でした(笑)。机にキーボードとディスプレイ(グリーン・ディスプレイね)が組み込まれていたタイプでした。いかにもメカメカしていました。データは、パンチカードやアタッシュケース型のディスクではなく、8インチのフロッピーディスクに保存していました。

 カセットテープにデータをセーブするタイプの個人用のマイコンも、ボチボチと出始めていましたが、なにしろ貧乏学生には、買えない値段でした。

 当時は光速のスピードでコンピューター関連の技術が進歩していた時代でした。

 私がどうにかこうにか、パナファコムのでっかいマシンが使えるようになった頃、私が所属していた研究室では、パナファコムからNECのPC-9801シリーズへコンピューターのリプレースが進みました。パナファコムは1台しかなかったので、使用するのにも予約が必要でしたが、9801は複数台あったので、使っていないマシンがあれば、いつでも使用可だったので、とても助かりました。

 9801では、最初はN88-BASICを使っていました。これは、言語とOSの区別のないものだったし、ファイルもプログラムとデータの区別の無い、今の視点で考えると「???」なマシンでした。フロッピーは8インチから5インチの小さな奴に変わって便利になりました。なにしろ8インチでは持ち運びは無理ですが、5インチならケースに入れて運べますからね。

 でもN88-BASICを使っていた時代は、とても短かったです。すぐにMS-DOSが導入されて、市販のアプリが使えるようになり、自分でプログラムを書かなくても済むようになりました。その頃の私は「松」「新一太郎」「Multiplan」「d-BASE」などをメインに使っていました。

 大学院を卒業して、就職すると、職場のパソコン環境は富士通で統一されていたので、親指シフトと「OASYS」を覚えました。さすがに、職場のパソコンを独占するわけには行かなかったので、自分用のマシンを買って、仕事に使うようになりました。そうそう、フロッピーディスクは3.5インチにシフトしていました。

 最初に購入したのは、ワープロ専用機です。東芝のRupoでした。ディスプレイが液晶白黒ディスプレイで5行しか表示できなかったタイプでしたが、当時はこれを本当に酷使しました(笑)。

 次に購入したのが、職場と自宅の環境を揃える事もあってOASYS-301にしました。このOASYS-301は、文章ディスクが自宅と職場のパソコンで共有できた事(職場のパソコンソフトが「OASYS」だったため)と、OASYS-301自体はワープロ専用機でしたが、このマシンは差し込むフロッピィを変える事で、MS-DOSが使えたのがうれしかったです。ですから、ワープロのみならず、パソコン的な使い方もたくさんしました。この頃から、パソコン通信と、まだ商用化されていなかったインターネットを使い始めました。

 ネットの友人も増え、外でオフ会をするようになると、出先でもパソコン通信をするようになります。そこで、OASYS-POCKETという、モバイルタイプのMS-DOSの使えるワープロ専用機を持ち歩き、公衆電話(笑)に回線をつないで、ネットをしていました。携帯電話なんて無かった時代です。

 MS-DOSを使っていると、ワープロ専用機ではもの足りなさを感じるようになります。やがて私は、FM-TOWNSを自宅で使うようになりました。アップルのMacintoshのコピーのようなパソコンで、なかなかおもしろかったですよ。仕事は相変わらず、OASYS-301でやっていたので、通信とゲーム(と言っても「プリンセス・メーカー」しかやってない:笑)を、このFM-TOWNSでやってました。

 やがて、Windows 95が発売されました。職場のパソコンも、FM-16BからFM-Vに代わり、Windowsの環境になりました。パソコンソフトも「OASYS」から「WORD」に変わりました。なので、私も、ワープロ専用機を止めて、Windows 95搭載のFM-Vを購入し、ここから本格的にパソコンに復帰しました。

 当時のFM-VやWindows 95には、通信機能がついていませんでした。ネットをするためには、拡張ボードやモデムを購入したり、通信ソフト(私はインターネットはNetscapを、パソコン通信ではAutoComを使いました)を用意したりと、結構大変だったような気がします。

 Windows 98が出た時は、すぐにバージョンアップをしたものです。あの頃は、パソコン関係の技術の進歩にはわくわくしていたし、私も惜しげもなく散財したものです。当時のネットは電話回線を使用していましたし、従量制課金制度で青天井でしたから、その頃の私は、月に3~5万円もNTTに支払っていました。今じゃあ考えられない金額ですね。

 そして、当時のものすごい速度で進化していくパソコン事情に追いついていくため、使用していたパソコンも、メーカー製であるFM-Vをやめ、ショップブランドのBTOマシンにしました。そして、時代の変化に合わせて、パーツ単位でマシンの改造&グレードアップを図るようになりました。少しずつパーツを交換しているうちに、数年で全く別のマシンになってしまうような事態が続き、余ったパーツを組み合わせると、別のマシンが出来上がってしまうと言うような笑い話のような事になりました(こうして出来上がったマシンが、しばらく妻のメインマシンになってました)。そんな、パーツの交換に交換を重ねて、もはや立派な自作パソコンへと進化したマシンが、今現在、私が自宅で使っているマシン(驚)でございます。

 OSの方も、どんどん買い換えていきました。Windows 98SEが出た時は、発売されてすぐに購入したものです。Windows meとWindows 2000がほぼ同時期に出た時は、迷うことなくNT系の2000をチョイスしました。そして、9X系とNT系が統合されたWindows XPが出た時は、迷うことなくバージョンアップしました。

 一般アプリの方は、Microsoft社の「Office」と、Adobe社の各種グラフィック関係のソフト、親指シフト環境を作るための富士通の「Japanist」、これに数種類のフリーソフトをインストールして、自分なりのパソコン環境を作ったら、なんか落ち着いてしまいました。

 なので、パソコン関係に散財したのは、ここまでかな? 私の中では、XPベースで環境を作ってしまったら、それで満足してしまいました。Windows Vistaが出た時も「XPで十分だから…」「使えなくなるソフトがあるとイヤだから」って思って、バージョンアップをしませんでした。それはWindows 7やWindows 8が出た時も同じです。

 実際、今でも自宅ではXPを使ってますが、特に不便は感じませんもの。
 
 
 私が自宅でXPを使い続けているうちに、職場のパソコンを取り巻く環境も大きく変わりました。以前は、使用する人間が少なかったという事もあり、1台のパソコンを職場全体で使っていたのですが、やがて仕事でパソコンを使用する人間が増え、職場の共有パソコンだけでは仕事が進まなくなりました。

 私は職場では職場の共有パソコンを、持ち帰り仕事は自宅のパソコンでやってましたが、私は当時からすでに、かなりの仕事をパソコンで行う、ヘビーユーザーになっていましたので、職場の共有パソコンが、使用する人間が増えて、使いたい時に使えないのは、かなり困るようになりました。

 そこで、仕方なしに職場でも自由にパソコンを使うために、自分専用のパソコンを自腹を切って購入して、職場に置きました。私はデスクトップのマシンが好きなんですが、職場では省スペースが大切ですから、ノートパソコンを買いました。IBMのThinkPadです。購入した当時はXPの時代でしたが、98搭載マシンを買ってXPにバージョンアップしました。このマシンも、ずいぶんと使い倒したものです。

 やがて、このノートパソコンでは非力を感じるようになって、ノートパソコンの買い換えを検討していた時に、配置転換の話が舞い込み、現在の部署に転属になりました。今の部署では、パソコンは支給される(ヒューレット・パッカード社の法人向けマシン)ので、わがままを言って、私好みのパソコンを支給してもらいました。

 その当時の最新WindowsはVistaでしたが、仕事では枯れた技術の方が良いので、わざとXPにダウングレードさせて使っていました。まあ、私がXP大好きで、使い慣れているからと言うのも、大きな理由の一つでしたが(笑)。

 そのマシンが使い倒した結果、最近、おシャカになりました。色々と検討した結果、修理よりも買い換えの方が安上がりということで、職場のパソコンがニューマシンになりましたが……さすがにもうXPってわけにはいきませんでした。

 なにしろ、XPは、2014年4月8日…つまりあと1年ほどで延長サポート終了、つまり製品としての寿命が終わる事になってます。今買うおニューのマシンには、あと1年で終わるOSは、さすがに入れられません。そこで、職場のパソコンには、最新型のWindows 8ではなく、枯れたWindows 7[32ビット]を入れる事にしました。Windows 7の延長サポートは、2020年1月14日まで続きます。つまり、あと7年ほど使えます。それだけ使えたら大丈夫でしょう(笑)。
 
 
 これが現在の私のパソコン状況です。おそらく、これから一年以内に、自宅のパソコンも、いくつかのパーツを取り替えて、XPから7へOSを変える事になるでしょう。今後の私のパソコン環境は、Windows 7の時代が長く続くんじゃないかな?

 それにしても、パソコンがおニューになっても、全然わくわくしません。むしろ「ああ、環境作るの、面倒くさい…」とか思ってしまいます。自宅のパソコンのOSバージョンアップだって、乗り気じゃありません。だって、面倒くさいんじゃない?

 むしろ今、欲しいのはPADに変形する超薄型のノートパソコンかな? 今、出先ではパソコンでなく、iPhoneを使っているのですが、さすがにこの画面の小ささでは、老眼な私には色々と厳しいです。もっと画面が大きなモノ、つまりiPadが欲しいです。でも、私は文章をたくさん打つ人なので、キーボードはバーチャルではなく、リアルじゃないとダメですから、iPadを含めた普通のPADではちょっと物足りないのです。だから、PADとキーボードが一体化しているマシンが欲しいなあ…。できれば、電話の機能もついていると、どこでも通信ができて良いですね。そうなると、当然、iPadではなくなります。アンドロイドのPad? それともWindows8のPad? さて自分が欲しいのは、どっちだろう? どっちにしても、まずは調べてみないと始まりません

 結局、私は、年をとっても物欲まみれじゃないの?

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2013年2月 2日 (土)

金魚と一緒に水も飼っているという発想

 私が金魚を飼い始めて、どれくらい経つだろうか? 子どもの頃にも飼っていたし、職場で飼っていた事もあるけれど、それらはさておき、今の子たちにつながる飼育歴は…ブログを始める前からだから、何だかんだ言って、もうすでに10年近くになるだろうか?

 これまで、金魚や亀や熱帯魚などを飼った事があったので、今度は別のものにしようと思って、最初はメダカにしたんだけれど、やがてメダカでは飽き足らず(何しろ、個体識別が難しい)、なんとなく金魚になってしまいました。

 飼い始めたあの頃と今では、水槽環境も一変しています。飼っている子も違えば、水草も違うし、濾過装置も違う。だいたい、水槽そのものが全然違います。

 そんな中、一貫して変わらないのは、水槽の砂利と水。これだけは、最初にメダカを飼い始めた時から、ずっと変わらず同じものを使い続けています。

 もちろん、全く同じ…というわけではありません。老舗のうなぎ屋が、江戸時代から続く“秘伝のタレ”を継ぎ足し継ぎ足ししながら、延々と同じタレを使い続けているように、我が家の水槽の砂利は水槽の大きさが大きくなると、元の砂利に新しい砂利を加えて使用し続けていますし、水は毎週の水替えの時に、必ず全体の1/2~1/3の水を残して、そこに新しい水を継ぎ足して使ってます。

 そのせいでしょうか、ウチの水槽の水も、よく練れた水になってきました。

 水槽を立ち上げたばかりの頃は、金魚たちも色々な病気になりやすかったですし、金魚もなかなか大きく育ちませんでした。今は、夏の暑さは今だに克服しきれませんが、変な病気が出る事もめっきりなくなり、金魚たちも少し目を離すと、あっという間に巨大化するほどになりました。おそらく、今の水槽の水は、金魚にとって、そこそこ優しくて暮らしやすい水なんだろうね。

 何しろ、私、これでも結構、気を使って、水を飼ってきたもの。

 金魚を飼う時は、一緒に水を飼っている気持ちになりなさい…これは私のリアルな知り合いの金魚ヲタクさんから教えてもらった事です。金魚は金魚だけでなく、その水槽の水まで含んで“金魚”なんですよ。だから、金魚と一緒に、水も飼っているんだという気持ちが大切ですよ…ってね。

 その言葉を忘れずに、金魚を飼ってきました。水槽の水も、私のかわいいペットの一員なんです。

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2013年2月 1日 (金)

フルート、アンブシュアの作り方 [私の場合]

 フルート初心者の方は、色々な悩みを抱えながら、練習に励むものです。初心者の多くが共通して抱えている問題は「フルートの音が出ない/出しづらい」あたりでしょうね。あるいは「音色が安定しない」とか? そこで、その原因をアンブシュア(クチビルの形)に求め、アンブシュアさえ良くなれば、それらの問題が解決すると考えるわけです。そして曰く「どうすれば、良いアンブシュアになるのでしょうか?」と悩むわけです。

 私も、それで悩んだ覚えがあります。

 先生に指導を受けている方は、先生に直接尋ねれば、良いやり方を教えてくれるでしょう。先生に指導を受けていない独学の方や、合奏でフルートを勉強している人は、いったん悩みの迷路に入ってしまうと、なかなか抜け出せないかもしれません。

 そこで、私なりに、良いアンブシュアの作り方について、考えてみました。
 
 
 まず、良くないアンブシュアの条件を考えてみましょう。

 1)硬くなったクチビル
 2)大きすぎるアパチュア(クチビルのすき間)
 3)円形(楕円形含む)にならないアパチュア

 まず、クチビルの硬化を防ぐには、クチビルをリラックスさせて脱力させるのが良いでしょう。また、外気に触れている部分は、硬いわけではなくても、ガサガサに荒れていたりするので、クチビルのちょっと内側の、なめらかな部分を使うのが良いでしょう。

 さらに、アパチュアの大きさや形も適切なモノにしないといけません。アパチュアの大きさは息のスピードに関係するし、形は息の出し方、つまり、一つにまとまった息が出せるか、息が分散してしまうかを決めるでしょう。となると、なるべく小さくて円形あるいは楕円形のアパチュアが望ましいことになります。

 と言うわけで『クチビルはリラックスさせ、小さくて円形(楕円形含む)のアパチュアを作る』事が出来れば、それが良いアンブシュアという事になります。

 目指すモノは見えました。次はそれをどう作るか、ですね。具体的な話になると、大きな問題点が浮上します。それは、クチビルの形が、人それぞれで違うって事です。

 クチビルの形が人それぞれで違うと言う事は、スタート地点が人それぞれで違うって事を意味します。

 ある人は、何もせずとも、すでにクチビルの形が理想的なアンプシュアになっている人もいるでしょう。またある人は、かなり苦労しないと良いアンブシュアを作れないかもしれません。

 本来、アンブシュアは、その人のクチビルの形に合わせて作る、オーダーメイドなオートクチュールのようなものです。ですから、これと言った定番なやり方がなく、フルート初心者の方々は、それで悩んでしまうのだろうと思います。

 もちろん、このブログでも、バシっとした決定的で画期的な事など、何一つ言えませんが、それでも、割と汎用性の高いやり方を考えてみたいと思います。

 まず、クチビルはリラックスさせないといけません。そこで、クチビル自身に力を入れて形を作るのを止めましょう。クチビルを尖らせたりしちゃいけません。

 あくまでもクチビルは“ただそこにあるだけの状態”にし、もしクチビルを変形させる(例えば口角を上げるとか)にしても、それは外部の力(例えば頬の筋肉の力)を利用することにして、クチビル自身の力は最小限にしか使わないことにします。そうすると、クチビルの脱力は守れると思います。

 なので、クチビルは、ひとまず普通に軽くむすんでおきましょう。ポイントは「軽くむすぶ」です。決して、クチビルをかみしめたり、リード楽器を吹く時のように、巻き込んだりしてはいけません。そうする事で、クチビルのちょっと内側の柔らかい部分を使って演奏できると思います。

 で、次はアパチュアの作り方なんだけれど、これは本当にクチビルの形によるのですが……ひとまずアパチュアを意識的に作るのは止めてみましょう。

 そして、上クチビルのくちばし(中央部分のちょっと尖った部分)をうまく使える人は、そこに向かって息を吐く様に、軽くむすんだクチビルの真ん中から、まるで口の中から糸をたぐりよせる様に、息を通してみましょう。クチビルがうまく脱力していれば、息の量に応じた自然なアパチュアがクチビルにできているはずです。

 アパチュアを作って、そこに息を通すのではなく、息を通せば、その通った部分が自然とアパチュアになる…ってわけです。これで、小さくて円形に近いアパチュアが作れると思います。

 クチビルのくちばしがうまく使えない人は、むしろそこは避けて、クチビルの左側(右側でも良し)を使って、そこに息を集めて、小さくて丸いアパチュアを作るといいでしょう。

 肝心なのは、軽く閉じたクチビルに、均一な量とスピードで、息を押し出し続ける事です。この、息を押し出し続けるエネルギーは、お腹を使って作ります。これをクチビルとか頬とかノドや胸の筋肉を使ってしまうと、クチビルが硬くなってしまいますので、注意です。あくまでも息は腹圧を使って出します。その出す際に、うまくクチビルの先端のクチバシのところに導いてやれると、閉じたクチバシのすき間から息が出て行きます。息の分量やスピードでアバチュアの形は変わるでしょう。アパチュアがあまり大きくならないように、腹筋で腹圧の調整をしましょう。

 さて、次はフルートをクチビルにどう当てていくが問題となるでしょう。これも初心の頃は大いに悩むものです。

 色々なやり方があると思いますが、私のやり方は簡単です。軽く口をむすんだら、フルートの歌口が真上を向く様にして、そのまま下クチビルにあてがうだけです。フルートと接するのは、下クチビルの下半分ぐらいのところです。そして、その構えで、息を出すだけでフルートを吹いてます。

 もちろん私も当初は色々と悩んで、色々な事をやりましたが、結局、この一番何もしないやり方に落ち着きました。慣れれば、この程度のアンブシュアで十分みたいです。肝心な事は、フルートをどうクチビルに当てるかとか、クチビルの形がどうなっているかではなく、クチビルから小さくて細い糸のような息が出せて、それがフルートの歌口のスイートスポットにジャストミートする事です。それだけです。

 で、歌口のスイートスポットに息を当てるために、息を出す方向は…と言うと、私の場合、低音の時は下向き、音程が上がるにつけて、前向きにしていきます。これはアゴを前後運動させる事で可能になります。このやり方は音を出しやすい反面、高い音はより高く、低い音はより低くなるので、音程的に考えた場合は、別のやり方の方が良いかもしれません。

 あと、私はクチビルのくちばしを案外うまく使えていますので、これで息の方向性などをコントロールしていますし、息の通り道もクチビルの内側を使えています。くちばしをうまく使えない人は、多少クチビルを外側にめくる事で、くちばしの代用となります。やり方としては、フルートを任意の角度(たとえば90度ほど)内側に向けて、その形でクチビルに当てて、それからフルートを元の向きに戻してあげて、クチビルを引っ張りだします。

 あるいは、フルートの向きは通常のままにして、クチビルにあて、あてたらそのままフルートを下に向かって1cm弱引っ張って吹くというやり方もあります。

 どちらのやり方も、クチビルはフルートで動かすわけで、自分自らクチビルの形を変えるわけでありません。

 アンブシュアの試行錯誤は、ある程度必要でしょうか、私が思うに、あまり意識せずに楽なやり方で自然にやっているのが、一番正しいのではないでしょうか? 作為的なやり方は、つらいですし長続きしませんし、いずれ無理が来ます。
 
 
 とりあえず、私の場合は、こんな感じです。百点満点ではありませんが、ひとまず、これで用が足りています。みなさんは、どうされていらっしゃいますか?

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