ひとこと

  •  ああ、楽しい。楽しすぎる。8月に入って以降の私のプライベートライフが楽しすぎる。楽しすぎて楽しすぎて、ちゃんと社会生活に戻れるかどうか、とっても不安。ああ、本当に楽しすぎて、人間、ダメになりそう…。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
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2012年9月の記事

2012年9月30日 (日)

イタリア歌曲に興味がわきました[2012年9月の落ち穂拾い]

 ようやく秋風が吹いて参りました。秋になったなら、なったでいいから、暑さをぶり返さないでほしい(涙)。暑い日があったと思ったら、涼しい日が来て、それの繰り返しでは、到底カラダがもちません。暑いなら暑い、涼しいなら涼しいで、首尾一貫して欲しいです。

 そんなわけで、ちょっと、体調乱し気味な私でした。
 
 
音源って、聞く?聞かない?

 ジャズの場合、まず音源ありき、なんですね。私もジャズの勉強をしていた時は「音源は~」とか「誰の演奏で~」とか、よく言われていました。まず、コピーありきと言うか『実際の演奏のツボは、楽譜だけじゃ分からないよ』みたいなノリでした。

 一方、クラシック系の音楽の場合は、音源を聞くのも善し悪しで、先生によっては、音源など聞かずに、最初から楽譜を読んで、自分なりに演奏することを重んじていたりして…。まあ、色々です。

 私の場合、音源うんぬん以前に、その曲を知っていたりするので、そういうトラブルはあまりないです。まあ、フルート曲は知らない曲が多いけれど、フルートの場合は、楽譜読む前に、先生が模範演奏しちゃうので、音源優先派みたいな感じかな? 声楽曲は…知らない曲を歌うと言う事はあまり無いので、こちらもまた音源優先派みたいな感じになります。
 
 
録音機の選び方

 リニアPCMとは、圧縮されていない音声ファイルの事です。まあ、CD並の音声と考えると良いです。対して、mp3ってのは圧縮された音声ファイルの事です。圧縮されているからダメかと言うと、そうでもなく、DVDなどは、その圧縮された音声ファイルを使ってます。まあ、つまり、圧縮うんぬんだけでは、音質の良さは計れないって事ですが、同じ機材なら、一般的にはPCMの方が若干(特に高音の)音質が良いです。

 実は、録音機ってのは、圧縮形式ではなく、マイクの性能が一番音質を左右し、価格を左右します。ザックリ言えば、やっぱり『高い機械ほど良い音で録音できる』という事になります。いい録音機は、会場の空気まで録音しますからね(笑)。ただ、機械って奴は、なんでも良ければいいと言うものではなく、問題は、どこまでの性能を、私たちはその機械に要求するか、で決まってくると思います。

 録音機にも色々なグレードの品があります。安価なものは、会議の記録用(つまり会話が録音できれば十分程度)の録音機なので、音楽をやっている人は、そのあたりのグレードのものではなく、値段的に、やや高くなってしまいますが、音楽用の録音機の方がいいと思われます。この、会議用と音楽用の機材って、見た目じゃあんまり、その違いが分からないんですよね。

 でも、録音された音声ファイルの質はかなり違います。

 特に違うのは、録音した時の高音成分のクリアさ。音楽用の機材の方が、より高音成分が美しく録音できます。高音成分って、つまり倍音なので、倍音までしっかり録音できるのが音楽用ってわけね。あと、どれだけ大きな音でも割れずに録音できるかという点でも音楽用の方がタフみたいです。もちろん、会議用のモノでも、録音レベルを自動的に変更して音ワレを防ぐ機能が付いているものがあるけれど、音楽を録音するのに、自動録音レベル調整の機能は…ジャマだよね(笑)。だって、pもfも同じ大きさで録音されたら、そりゃあ、音楽じゃないって。

 特に、フルートやソプラノは高音楽器だから、絶対に音楽用の録音機の方が良いと思うけれど…まあ、後はお財布との相談だろうね。

 音が割れても別に平気、って人は、携帯電話やスマホの録音機能でイケちゃうでしょ。私も実はたまに、iPhoneで録音する時あります。もっとも、そんな時は、すぐに聞いて消してしまう時に限ってますが。
 
 
今月のお気に入り トルマリンシート トルエ

 これが効くんです。少なくとも、私にはバッチリなので、本当に愛用しています。アマゾンでは売ってないので、製造元?のオンラインショップ(ここ)にリンクしておきます。

 ところで“トルマリンシート”ってなんでしょうか? ザックリ言うと、粘着テープの真中に、トルマリンの顆粒がザラっと広がっていて、それを患部に貼り付けるものです。“トルマリンで作った湿布”と考えるとイメージできますでしょうか? 打ち身とか捻挫をした時に、普通は湿布を貼りますが、その湿布の代わりに、このトルマリンシートを貼ると、私の場合は、すぐに痛みが消えて、回復も速いんですよ。嘘みたいですが、本当の話です。湿布よりも即効性があるんですよ、全く不思議ですね。

 例によって、万人に効くかどうかは、分かりません。でも、効く人にはよく効きます。少なくとも、私と妻にはよく効きます。湿布と違って、一度貼ったら、一週間程度は貼りっぱなしで平気です。なので、一見高そうですが、日に何度も取り替えないといけない湿布と比べて、実は安上がりかもしれません。
 
 
今月のお気に入り 五郎部俊朗『舞踏への誘い イタリア歌曲の世界』

 五郎部俊朗氏というテノールさんは、以前から存じあげておりました。テレビでも見ましたし、ステージでも何度か拝見しました。いつも『あの高音はすごいなあ…』と思ってましたが、正直、このCDを聞くまでは“高音がウリのテノール歌手”程度にしか思っていませんでした。と言うのも、オペラアリアを歌う彼に、私の心は、なんともピンと来なかったからなんです。

 でも、このCDでの五郎部俊朗氏は素晴らしいです。

 このCD、特に期待もせずに購入したのですが、聞いた瞬間に、心が奪われました。実に素晴らしいです。私はそれまで、クラシック声楽と言うと、オペラアリアが中心で、歌曲と言うものには、さほどの興味を持っていませんでした。それに、歌曲と言うと、ドイツ歌曲(リード)でしょ、やはりイタリア近代歌曲は“コンサートの埋め草”と言うか“オペラアリアを歌えない歌手が歌う曲”などという、ヒドイ偏見を持っていました。

 でも、このCDを聞いて、一瞬で目が覚めました。

 イタリア歌曲って素晴らしい音楽じゃないの? 確かにオペラアリアのような力業やアクロバティックな歌唱技術は必要なさそうだけれど、繊細かつ叙情的で、実に耽美な音楽じゃない。美しい声を、さらに美しく聞かせるための音楽が、イタリア歌曲なんじゃないかって思いました。それに、歌だけでなく、ピアノも美しく歌っているわけで、自分の悪声を棚に上げて「ああ、イタリア歌曲をたっぷり歌ってみたい」と思わせてくれたCDです。

 以前、キング先生に「歌曲を中心に歌ってみますか?」と言われた時は、なんか馬鹿にされたような気がして不愉快になった私ですが、今はむしろ、オペラアリアを後回しにして、まずは歌曲を歌い潰してみたいと思ってます。別にオペラアリアから撤退したわけではなく、こんな素晴らしいイタリア歌曲をもっともっと知りたくなったからです。

 そこもこれも、このCDを聞いたからです。それくらい、イタリア歌曲の素晴らしさを感じさせてくれた、CDです。いいですよ、これ。
 
 
今月の金魚

2012年9月7日(金) コハク 星になる
2012年9月9日(土) ナゴンが我が家にやってくる

今月のひとこと

 日本郵政の“ゆうメール”って最高だな(涙)。今日、アマゾンでのお買い物がゆうメールで届きました。留守だったので、ポストに入れてあった。それはいいのだけれど、『折り曲げ厳禁』って大きく書いてあるのに、しっかり真ん中から二つ折りにして入れてあった。今までは、そのままでポストに入らないので、ビニル袋に入れて玄関のノブのところにぶら下げてくれたのに、今回は、どうしてもポストに入れたかったんでしょうね。さらにご丁寧な事に、郵便物の上に、しっかりと“靴で踏んづけた跡”がくっきりと残されていた。よっぽど固かったんだろうね、足で踏んで押さえつけて、二つ折りにしたみたいです。ちょうど踏んづけた所に購入したCDが入っていました。まあ、CDのプラケースは踏まれたくらいじゃ平気だったみたいで、とりあえず無傷でした。実害が無いので、郵便局にクレームをつける気はないけれど、なんか、気分は、すごぶる良くないです。私の買い物を、折るなよ、踏むなよ。お願いしますよ、郵便局さん。(2012年8月30日~9月3日)

 先日、iPodで音楽を聞いていたら、突然iPodが止まってしまいました。何かの拍子に『停止』ボタンに触れたわけでもなく、いきなり全ての操作に対して無反応になってしまいました。「電池切れ?」と思ったので、パソコンに接続したところ、パソコン側からは「iPodが見つかりません」というメッセージは出るは、iPod自身は無反応だは…。「もしかしたら故障?」とビビリながら、ひとまずしばらくパソコンに差したままにしました。3時間ほどして、パソコンから取り出して、再起動をかけたら、iPodは起動したものの、すべてのデータを失っていました。そこで再びパソコンに接続して『復元』をかけて、ようやく使用可能状態にできました。一体、私のiPodに何が起こったのでしょうか?(2012年9月3~4日)

 左欄の『参加しています』にある「音楽ブログランキング」の2012年9月4日のランキングで、老犬ブログが1位を取っていました。ポチしてくださった皆さんに、感謝です。私がチェックしたのは朝ですし、ここは一日のうちのランキングの移動が激しいので、まあ、皆さんが確認に行った頃には、下位に落ちている事でしょうが、瞬間的であれ、第1位になった事は、喜ばしい事です。なんであれ、トップは気持ちいいです。これもそれも、皆様方の応援のおかげです。ほんと、ありがとう。心からありがとう。(2012年9月4~5日)

 最近、イタリア語の歌曲にハマってます。古典歌曲はもちろん、トスティ、ベッリーニ、ドニゼッティ、ロッシーニ、ドナウディ、ヴェルディ、チマーラ、プッチーニ…。ああ、素敵すぎる…。「オペラアリアもいいけど、歌曲もネ!」って感じです。実際問題として、アマチュア歌手の伴奏はピアノがせいぜいだと考えるなら、残りの人生、アリア系よりも歌曲を中心に歌っていった方が実り多いのかな…なんて考えたりもします(2012年9月5~7日)

 先日、ブログで『キリンの“ビタミーナ”が美味しい』と書いたところ、さっそく妻がビタミーナを箱買いしてくれました、それが二箱も(笑)。48本のビタミーナだよ。ああ、しばらくは毎日ビタミーナが飲める、ちょっと幸せ。(2012年9月7~10日)

 妻からもらった腕時計が壊れたので修理に出した。電波太陽時計だし、強化ガラス&チタン合金ボディなので「メンテナンスフリーだ~」とか思っていたら、モード変換のボタンが壊れた。ううむ、そこが壊れるかーっ! 時計がないと困ると店で言ったら、代車ならぬ代時計を貸してくれた。時間しか分からないアナログ時計。あまりの潔さに、頭がクラクラしてます。(2012年9月10~14日)

 道を歩いていたら、すれ違いざまに、突然、犬に噛みつかれた。別にワンコを踏んだり蹴ったりしたわけではなく、それなりに車間距離(?)を取った上でのすれ違いで、相手の方から飛びかかって噛みついてきたわけだ。飼い主は他のワンコ(三匹同時散歩)に気を取られていたらしいが、そのワンコが私に噛みつきに来て、リードを引っ張ったので、それで気づいたらしい。「ダメよ、おイタは!」と言って、ワンコに注意はしたものの、私の方はチラって見ただけで、足早にワンコを引っ張って立ち去ってしまった…。おいおい、そりゃあ無いだろ。「すみませんでした」のひと言ぐらいあってもいいじゃん。ちなみに、私に勝負を挑んできた勇気あるワンコは、茶色のポメラニアン。ま、猫ぐらいの大きさの小型犬だね。アゴが小さすぎて、私のスネに噛みついてきたものの、ワンコの牙よりも私のスネの他が硬くて、たぶん、痛手を負ったのはワンコの方。しかし、無駄に獰猛なワンコだね、この話は小型犬だから笑い話で済むわけで、もし大型犬が同じ事をしたら、大惨事だよ。ワンコを飼っている人は、ちゃんとワンコのしつけをしましょうね。それと、散歩の時のよそ見は厳禁だよ。(2012年9月14~16日)

 金魚の図鑑を見ていました。タンチョウ(丹頂)のページを見て大笑い。だって、そこに載ってた写真って、ウチのサクラにそっくりなんだもの。あんまり似ているから、大笑いしちゃいました。(2012年9月16~18日)

 「館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」に行ってきた。東京都現代美術館で2012年10月8日までの開催(公式サイトはここ)。とにかく、愛にあふれる展示でした。展示を企画した人、展示物を作った人、それを作品にした人、この展示を見に来た人、すべての人に愛が感じられる展示会でした。とにかく“こゆい”です。混雑してます。全部見るのに約3時間かかります。でも、お薦めです。(2012年9月18~25日)

 9月も下旬となり、湘南地方にもようやく秋風が吹き始めました。まだまだ日中は暑い日もありますが、少しずつ朝夕が過ごしやすくなってきました。クーラーを入れずに過ごせる時間も増えてきました。今が一番過ごしやすい時期なのかもしれませんね。(2012年9月25~27日)

 ヒガンバナの季節になりました。ヒガンバナが咲いている姿を見ると、漢字の「華」という字を思い浮かべる私です。(2012年9月27~29日)
 
 
 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2012年9月29日 (土)

サクラの調子が悪い…

 …みたいなんですよ。最近のサクラは、濾過フィルターの吸い込み口あたりで、上を向いてポンプに吸われている事が多いです。まるで、ポンプが発射台で、その発射台に乗っかった大陸弾道弾(つまりミサイル)のような状態になっている事が多いのです。

 だいたい、金魚って、弱ってくると、濾過フィルターのポンプに吸われちゃうんですよねえ…。ようやく涼しくなってきたけれど、金魚だって、夏の疲れがたまっているわけで、毎年、この秋の入り口のあたりで星になっちゃう子がいるので、サクラもコハクに続いて…と、胸のふさがるような気持ちになりました。

 ただ、サクラはずっと、ポンプに吸われているわけではなく、エサを入れると、エサを食べに来ます。いつもどおり、元気よく(笑)。でも、エサを食べる以外は、ポンプに吸われて、上を向いている事が多くなりました。

 「上を向いているのが、最近のサクラのリラックスした状態なんじゃないの?」と妻は言います。そうならいいのですが“横になっているのが普通”であるべき金魚が、頭を上にしているって、やっぱり変でしょ。リラックス?…しているのかな? 少なくとも、頭が心臓よりも大分上に来るので、虚血状態になりやすいはずです。

 絶対に、今のサクラの状態は、健康な状態ではない…と思います。

 でも、サクラって(巨大魚だけど)可愛いんだよね。なんとか、頑張って、もちこたえてほしいなあ…と切に願ってます。

 がんばれ、サクラ。

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2012年9月28日 (金)

別に、風邪をひいていたから、嘘をついたわけじゃないです

 第九の練習に行ってきました。

 今回はお天気が悪くて、そのせいでしょうか、ちょっとばかり出席者が少なめでした。「今日は、テノールが少ないから、頑張らないとね」と近くのテノールさんに声がけをしていただきました。

 「…私は頑張らない事にしているんです」

 「なぜ?」

 「声が出すぎるタイプなので、普段から頑張らないようにしています」

 「合唱経験は?」

 「そんなに無いんですよ」

 「たまに地声の大きな人がいるし、叫び声で歌う人もいるけれど、そういうタイプの人なのかな」

 「……」 

 私、確かに地声は小さくはないですが、決して大きいわけではないし、地声で大きな声(つまり、怒鳴り声)を出すと、一発でノドが枯れるタイプの人間です。声が出すぎるのは、あくまで歌の発声の問題であって、地声の問題とは違うと思います。

 とは言え、発声方法自体は、決して良いわけではないので、おそらくはカラダが大きい事と、そのカラダを利用した発声方法が身に付いている事が、声の出すぎる原因でしょうね。“叫び声で歌う人”と言いますが、高音って、声楽的な“叫び声”ですから、叫び声で歌うのはアリでしょうね。もちろん、非声楽的な叫び声はダメですが(笑)。
 
 
 発声練習では、カラダの各所を伸ばしてみました。日頃、カラダを伸ばさないせいか、カラダを伸ばすと、あっちこっち痛いですね(汗)。ああ、カラダの節々が痛い(涙)。特に首回りが痛いです。ああ、年のせいかな? それとも運動不足のせいかな? ちょっと動いただけなのに、胸がゼイゼイする。ああ、年は取りたくないね(涙)。

 発声をする際に、カラダのどこかが痛かったり、つらかったり、ダルかったりするのは、カラダのどこかに無駄な力が入っているからで、そういう状態で出した声には、響きがないそうです。つまり、痛い思いをして出した声は痛く聞こえ、つらい思いで出した声はつらく聞こえ、ダルいなあと思いながら出した声はダルく聞こえる…って寸法です。楽しい気分でラクラク出した声が、楽しく気持ちよく聞こえるのです。響きある声を出すためには、腹筋&背筋以外は、脱力していないとダメなんだそうです。

 …私は五年間も何をやっていたんでしょうね? 私の五年間は“歌えば痛い”五年間でした。声を出すたびに、頭痛とお友達になっていたなんて、ダメダメですよ。とにかく、ノド声はダメです。楽に歌わないと…ねえ。

 なんて考えて、今回は、極力、脱力をこころがけて歌ったら…どうにも、音程がぶら下がり気味になってしまいました。私が意図した高さまで声が上がっていきません。これは、脱力が悪いのではなく、ノドから力を抜くと、発声に必要な支えが根本的に足りなくなってしまい、かえって変な感じでノドに負担がかかり、結果として、音程が下がってしまうようです。つまり『ノド声を回避しようとして、却ってノド声になっている』という最悪のパターンでした。ううむ、修行が足らなすぎます(涙)。

 Y先生に習った支え、S先生が発声練習で教えてくださる支え、実はこれ全部、立った姿勢での支えなんですよ。第九の練習は椅子に座って歌います。座った状態で、習ったことができればいいのですが…。

 座ってしまうと、骨盤がイスに固定されます。座ることで、上半身と下半身の連携は切れて、上手く下半身が使えなくなります。なんか色々と、うまく行きません。座った姿勢でも、しっかり支えられないといけないのですが、今の私は、立ち姿勢ですら、支えが危ういのに、座った状態じゃあ、まず支えられません。多少なりとも、ノドで支えないと、音程すらキープできないわけで、そんな自分が、なんとも歯がゆかったです。先週「音程バッチリ」なんてブログに書いておきながら、今週はロクに音程キープ出来なくて、なんか悔しかったです。
 
 
 さて練習は(練習記号無しの)595小節からです。3/2拍子を意識して歌うように言われました。

 音程を高めから取るにも、声に響きを与えるにも、大切なのは“懸壅垂(けんようすい)”なんだそうです。この“懸壅垂”が十分上がっていると、音程も高めに、響きも豊かになるそうです。“懸壅垂”って何? と思ってググッてみたところ、どうやら“口蓋垂(こうがいすい)”と同じモノらしいです。で“口蓋垂”って何?って言うと、いわゆる“のどちんこ”の事らしいです(笑)。口蓋垂を上げる感覚を身に付ける事が急務です。そして、歌う時は、口蓋垂を上げ続けた姿勢で歌うと、音程も響きも良い状態で歌えるのだそうです。ううむ、チャレンジしてみるか。

 初歩の人もいるので、カンニングブレスのコツについて話してくださいました。合唱では、ブレスは決められたところ以外でも必要に応じてとります。これをカンニングブレスと言いますが、そのカンニングブレスと言うのは、長い音符の途中や、タイの間に取ると良いそうです。間違っても、小節線の箇所とか、スラーとスラーの間でとってはいけないのだそうです。なるほど、そりゃあそうだねえ。

 練習記号Nに入りました。ちなみに、Nの愛称は“ナポレオン”でした。

 619小節から始まる箇所が個人的には難しかったです。まず、この小節のテノールの音は『ラ』なんですが、前の小節ではテノールはメロディを歌っていて『ミ-レ-…』と歌い、メロディそのものは619小節で『…-ド』となります。つまり『ミ-レ-ド』とメロディはつながりますが、619小節からメロディはソプラノになるので、テノールは『ミ-レ-“ラ”』と歌う事になります。メロディから急にハモリにパートが変わるわけで、これってうっかりしていると、ついつい『ラ』を歌うべきところで『ド』と歌ってしまいます。私なんかは、メロディを歌っていると良い気分になりますから、ここはついつい『ド』にしてしまいがちです。そうなると、もはや“後の祭り”状態です。

 と言うのも、619小節から先は、リズムがやや複雑になって、シンコペーションが多用されるのですが、出だしで音程間違えちゃうと、戻ろうにも、歌うべき旋律線がシンコペーションになっていて戻りづらくなっている上、テノールパート自体が(この箇所は難しいせいもあって)ややバラけているので、なんか、私も思ったように、戦線復帰が出来ません。いけませんね。おまけに、この日は、支えが根本的に足りない日だったので、せっかく戦線に復帰しても、音程が低くなってしまい、歌っているうちに「?」となってしまう事が多々ありました。

 ダメぢゃん。ダメダメ。今回の私は、あまり誉められたものではありませんでした。第九も後半になってくると、だんだん難しくなってきます。そろそろ、自宅で練習しないとダメかなあ…でも自宅練習したくないなあ(基本的に、私は練習嫌いです)。
 
 
 声を合わせるには、よく響く声が必要です。よく響く声とは、倍音がたくさん出ている声の事なんだそうです。人の声は、各人それぞれで音色が違います。音色が違う…とは、倍音構成が違うと言う事です。歌っている人それぞれの倍音構成に共通部分が少ないと、声は溶け合わず、共通部分が多いと、声は溶け合うのだそうです。つまり、倍音がたくさん出ていると、他の人との声に共通した部分が多くなり、その倍音で共通した響き同士が、声を溶かしてくれるのです。

 ですから、倍音豊かな声で歌えば、それだけ他の人の声と倍音が共通する可能性が増えるわけです。だから、いくら音程が正しくても、響きの少ない声(生声)は合唱には向かないのです。合唱は、一にも二にもハモリが大切で、そのためには、他の人の声と一緒にハモらないといけないので、だからこそ、響きのある声が必要…ってわけです。

 もちろん、響き豊かな声ってのは、独唱でも、同じくマストな要素です。

 結局、クラシック声楽の発声は、響き、響き、響き、って事なんですね。
 
 
 さて、最後に、私は告白します。実は私、休憩時間に嘘をつきました。

 見知らぬ人(と言っても第九合唱団のメンバーさんでしょう)が、いきなり詰問調で「○○さん(ここは本名が入るはずですが、なぜか違う名前で呼ばれました。たぶん、名前をちゃんとは知らないのでしょうね)、あんたブログを書いてるだろ?」と来ました。くつろいでいる所に、後ろから、いきなりの詰問調で来られたわけです。それも間違った名前で!

 『一体この人は誰で、なんの目的で、こんな事を聞いてくるのか?』

 全く分かりません。分からなかったので、とりあえず「ブログは書いてますよ、趣味のモノも仕事関係のモノも…」と投げ返してみたら「あんた、すとんという名前で、第九の事、書いているだろ!」と、これまた詰問調で責めてきました。

 別にその方は役員さんとか、そういう立場の人でも無いし、自分の事を名乗るわけでもなく、いきなり“上から目線の詰問調”だったので、私はさすがに面食らいました。『私はあなたの部下じゃないよ』って、思いました。いや、部下だとしても、そういう乱暴な言葉で来られたら、私はカチンと来るし、怒りを感じます。

 それに私、休憩時間は、ちゃんと休憩したいです。練習中は緊張しているんだから、休憩中はボケ~っとしていたいのです。そんな心のユルんだ私に、いきなり言葉で殴り掛からないで下さい。

 『この人、何? 見知らぬ他人同士なのに、ちょっと失礼じゃない?』 正直、そう思いました。『失礼な人には失礼な対応しても、バチが当たることはあるまい』と思ったので「ブログは書いてますが、第九の事は書いてません。もっぱら仕事の事を書いてます」と嘘ついちゃいました(仕事でもブログを書いているのはホント。嘘というのは、第九の事を書いてないって部分ね)。

 “えっ!”って顔をして、そばにいた人たち(その方の友人さんたちなんでしょうね)と、顔を見合わせています。

 「人違いだったよ、ごめんなさい」とか、そういう言葉があれば、その後の私の対応も違いましたが、そういう言葉もなく、ただ黙って、仲間うちでヒソヒソ何やら話すだけで、私の方には、何のアプローチもなく、それっきりになってしまったので、こちらもそれっきりにしました。

 私は嘘をついた事を、ここに告白します。だって、私は、彼に付き合う義理はないし、とにかく休憩したかったんです。

 しかし、他人にモノを尋ねる時は、例え相手が若輩者であっても、見知らぬ同士なんだから、まずは先に名乗ってから、尋ねるべきでしょう。私ならそうします。ちょっと話しかけるだけにしても、笑顔で友好的な態度って奴で話しかけて欲しいものです。それに敬語…そんな馬鹿丁寧な敬語でなく、丁寧な表現を主にした敬語…を使ってほしいと思います。少なくとも、他の団員の皆さんは、どなたも基本的にフレンドリーですし、言葉づかいも丁寧です。

 合唱をやっている方って、基本的には性格も穏やかで、上品な感じで物腰の柔らかな方が多いし、第九合唱団もその例に漏れないわけです。だからこそ、いきなり後から殴り掛かるような言葉使いで来られたので、警戒したわけです。

 まあ、私は嘘をついたわけですから、大きな事は言えませんが、本当に人違いだったら、あれだけ“上から目線の詰問調”だったのですから、お詫びのひと言やふた言があって、しかるべきだと思いますが、それもありませんでした。完全に、私は、ナメられていたようです。

 しかし、どういう意図なのは分かりませんが、いくら自分の方が年上だからと言って、いきなりの“上から目線”で詰問してくるのは、いかがでしょうか? 仮に何らかのクレームなり文句なりがあったとしても、ファーストコンタクトは、フレンドリーに行うのが、上手な交渉術というものです。だって、いきなりガガガっと来られたら、どんな人だって警戒するし、身構えるでしょ?

 その方は、ここのブログを読んでらっしゃるでしょうから書きますが、多くのブロガーさんたちは、ネットとリアルの、緩やかな“つながり”を望んでいますが、ガチで結びつけられるのは、迷惑千万だと思っている方は多いですし、私は迷惑だと感じる人間です。ネットとリアルをダイレクトにつなぎたい人は、フェイスブックなりSNSなりをやっているわけで、そちら関係の方なら、ガチで来てくださって結構ですが、ブログをやっている人は、あくまで、そこはユルフワなんです。なぜ、本名ではなく、ハンドルネームでブログをやっているのか、そこの機微が分からないようでは、ネットリテラシーに、あまりに鈍感だと言われても仕方ないです。ひと言で言えば“粋じゃない”って事ですね。

 見知らぬ人に、そんな態度で接してこられると、多くのブロガーさんは『我が家に土足でヅカヅカ入られて、大声で騒ぎ立てられたような気分』になるんじゃないかな? ザックリ言えば、不愉快な気分になります。

 まあ、仮にブログに書かれている事に、不平不満があって、文句なりクレームなりがあるのならば、直接文句を言うのではなく、まずはコメントなり、メールなりで来るのがスジってもんです。まずはそれでお願いします。きちんとスジを通してのクレームならば、きちんと読みますし、真摯に対応しますし、秘密も守ります。

 その辺のスジを吹っ飛ばして、リアルの場面で、いきなりブログに関する苦情を言われても、正直対応しかねます。スジを通さない方には、こちらも誠実な対応は難しいです。

 まあ、ネットの事はネットで解決し、リアルの事はリアルな手段でリアルに解決しましょう……って事です。

 美空ひばりさんは、あくまで、美空ひばりさんであって、加藤和枝さんとは別人でしょ? ひばりさんへのファンレターは、あくまで芸能事務所宛に送るモノであって、加藤さんのご自宅に直接送ってはいけないでしょ? たとえファンであっても、加藤さんのご自宅に「私はあなたのファンです」って電話かけたら、そりゃあマズイでしょ? それと同じような、マナーの問題だと考えると、分かりやすいかな?

 別に私は、ブログをやっている事を隠すつもりはないですし「あなたのブログを読んでますよ~」と応援してくださる方とは、親密なお付き合いをしますが、自分の事を名乗りもせずに、一方的に探りを入れてくる人には、正直、戸惑いますし、そういう無神経さに怒りを感じます。

 秘するが花…というモノだってあるわけです。そこはぜひ“オトナの対応”って、奴でお願いしたいものです。とまあ、そんな言うわけで、カチンと来たので、自己防衛も兼ねて、嘘つきました。そういうわけです。
 
 
P.S. 練習が終わって帰宅したら、なんかダルかったです。まだ、日は十分高かったけれど、寝ちゃいました。翌日は、朝から体調が悪く、仕事を休んでしまいました。どうやら風邪をひいた様です。…ん? って事は、第九の練習の時から、自覚無しだったけれど、風邪ひいていたのかな? なんかダルかったのは、気圧のせいだけではなく、体調不良だったのかもしれないし、もうすでに声帯も腫れていたのかな? いくら歌っても、音程が低かったのは、風邪のせい?

 だとしても、体調に左右されずに、いつでも正確に歌える様になりたいものです。

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2012年9月27日 (木)

ねえ、君。フルートアンサンブルに入らないかい!?

 フルートのレッスンに行ってきました。

 私がお教室に入ったら、今回はいつものお姉様はお休みで、先生がお一人でアルトフルートの練習をしていました。

 私はフルートは、グランドフルート(いわゆる“普通”のフルート)とバスフルートぐらいにしか興味がなく、アルトフルートは常に“興味なし”でスルーしていたので、現物をじっくり見たのは始めてかもしれません。いやあ、大きいですね。

 先生は、あまり気乗りはしないそうですが、アルトフルートをやむなく吹かなければいけなくなったそうで、それで仕方なしに練習をしていたそうなんです。で、そろそろ私が来る頃だろうからと、片づけ始めていたわけなんです。

 アルトフルートはG管だそうです。つまり、全部穴をふさぐとソの音が出ます。

 「じゃあ、譜面は一番低い音はソで書かれているんですか?」

 「いや、アルトは移調譜を使うから、一番低い音はドで書かれているよ。(普通の)フルートと、指は一緒だよ」

 「なら、指で迷うことがないから、簡単に吹けていいですね」

 「指は簡単かもしれないけれど、アルトは吹いてて違和感があるから、イヤなんだよ」

 「違和感がある? そりゃあまた、なんでですか?」

 「だって、譜面はドと書いてあって、指もドなのに、出てくる音はソなんだよ。目も指もドなのに、耳はソなんだよ。これって…ちょっと…だろ? 耳が移動ドの人はいいだろうけれど、私の耳は固定ドだから、こういう楽器は…ちょっと困るんだよ」

 先生のおっしゃる“固定ドの耳”と言うのは、おそらく絶対音感の事でしょ。“移動ドの耳”は相対音感ね。つまり、アルトフルートは移調楽器で、移調譜で演奏するので、絶対音感を持っている先生には、すごく違和感があって、それで困ってしまうようなんです。

 文句ブーブー言いながら、アルトフルートを片づけてました。文句があっても、必要なら演奏するわけです、さすがプロですね。アマ奏者だったら、イヤなら断っちゃうでしょ。でも、プロはお仕事だから断れないわけで…プロは辛いですね。

 「君はアルタスだったよね。アルトフルートが欲しかったら、アルタスのアルトフルートが余っているから、安く譲って上げるよ」と言われましたが……お断りしました。いやあ、今はまだアルトに手を伸ばす余裕はないです。まだまだ普通のフルートの練習をしないと。でも、お値段は新品の1/4ぐらいで言われたので、ちょっと心がグラっと動きました(笑)。
 
 
 さて、そんなわけでレッスンに入りました。最初は、ロングトーン練習です。先生と二人で吹くロングトーンです。もう、私は『音程命!』で、とにかく、先生のフルートに音程をバッチリ合わせて吹くことばかりに集中して吹きましたよ。まあまあ、いい感じでいけたんじゃないかな?

 アルテ15課5章のE-durのロングトーンは…誉められましたね。吹き込む息の量は、多からず少なからずで、管体を美しく鳴り響かせながら、音階を吹ききりました。

 「いいですね。美しいですよ。そんな感じで、いつも自分の音を聞きながら、最高の音で演奏できるように、気をつけるんですよ」 ちょっと鼻高々な私でした。

 その流れで、15課5章1番の『音階準備練習』をやりました。…ちょっとミスブローはありましたが、概ね良しです。うっかり間違えて指が止まっても、前回の指摘どおり、間違えたその音から吹き直しました。本当は間違えないのがベストですが、間違えても戻ることなく、音楽を(なるべく)推進させてみました。

 「家でもう少し練習してきてくださいね」と言われましたが、合格をいただきました。次回までの宿題として、2番『アルペジオ基本練習』、3番、4番『E-durのスケールとアルベジオ』、5番『E-durのクロマティック』が出されました。頑張ろう。

 ミニヨン・エチュードの15番も合格。頑張ったよ、私。まあ“poco piu”と書かれた後半が、先生の希望するまで速度が上がらなかったのですが、そこはまあ勘弁してもらいました。ふふふ…、両方とも合格なんて、気分いいなあ。

 次の16番を先生が模範演奏してくださいました。いやあ、16番って、単純に、美しい曲じゃないです。私はこういう曲、好きかもしれない。

 「ブレスの位置が色々なとこに入っているから、そこに気をつけて練習してきてくださいね」 ラジャーです。
 
 
 で、今回のレッスンが終わったのですが、先生から「そろそろ、フルートアンサンブルは入らないかい?」と誘われました。

 聞けば、H門下で作っているフルートアンサンブルの団体があって、そこはもう創立20年の老舗さんらしいのだけれど、まあ、そこへの参加許可が出たわけです。ああ、うれしいなあ。門下のフルートアンサンブルに誘っていただけたと言う事は、ご自分の生徒の一人として認めてくださったわけだし、フルートアンサンブルに入っても、邪魔にならない腕前だと認めてくれたわけですよ。ううむ、自分の先生に認められる事って…何よりもうれしいよね。

 で、そんなフルートアンサンブルに誘われた私ですが、参加の意思表明は曖昧にしておきました。と言うもの、そのアンサンブルの活動場所が、先生の地元なんですよ。先生の地元と言うと、箱根の手前の温泉地なんです。まあ、箱根の隣で“ほぼ箱根?”なんですね。一方、私は湘南の人間です。湘南から“ほぼ箱根?”って、交通の便があまりよろしくないのですよ。車があれば、そうでもないのでしょうが、私は車を利用しない人なので、アンサンブルに加わるとしたら、在来線の乗り継ぎで行くことになるので、ちょっと気が重いのです。練習は月に一度なんだそうですが、片道2時間近くかけて移動して、練習は4時間ほどで、帰りも2時間かけて帰ってくるとなると…合わせて8時間でしょ。休日丸一日をアンサンブルのために捧げるわけで、これをずっと続けるとなると…体力的に大変だなあって思うわけです。

 それにアンサンブルの加われば、アンサンブルのための練習もしないといけません。毎日を忙しく生活している私に、アンサンブルのための練習時間をひねり出せるか…すごく心配です。

 ヴァイオリンのレッスンが、やはり片道2時間のレッスン2時間の合わせて6時間で、実は、かなり大変でした。あれよりも長いわけだし、あの時よりも老いているわけだし…。そんな大変な思いまでして、フルートを吹くのは、一体どうなの?って思ってしまったのでした。それに、あの当時だって、ヴァイオリンの練習時間をひねり出すのは、大変で、日常生活に結構支障があったわけで、あの日々の事を思うと、安易にアンサンブルに加わってはいけないなあと、用心してしまうわけです。

 それにやはり、休日は休息をメインに、体力の回復を図り、次の週に備えて、気力体力を充実させるための日であって、遊びや練習を入れてもいいけれど、あくまでも次週の仕事に差し支えない程度のものにしないと、自分がツライので…。などなどを考えて、お返事を曖昧にしてしまったわけです。

 「まあ、一度、見に来なさい」ってわけで、創立20周年記念コンサートの案内状をいただきました。ううむ、やりたくないわけじゃないけれど、続けられる自信が全く無いんでよす。でもまあ、記念コンサートは同門のよしみで見に行くことにするかな?

P.S. 先生に今年の夏の合宿の写真を見せびらかされました。うわー、すっげー、合宿、楽しそう! 発表会会場のホールは、めっちゃ立派。ああ、来年こそは、ぜひ、合宿に参加したいものです。でも、きっと、来年も吹奏楽部の夏合宿と重なるんだろうなあ…、ああ、お仕事優先だから仕方ないけれど、ちょっとガッカリです。

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2012年9月26日 (水)

ピアニストさんに遠慮は無用

 声楽のレッスン記録の続きです。

 しばらくすると、ピアニストさんがやってきたので、曲の練習を始めました。

 まずは『優雅な月よ/Vaga luna, che inargenti』から。とにかく、私の場合、フレーズの歌い始めの準備が遅い、と散々言われました。フレーズの歌い始めが遅いのは、キング先生時代からも散々言われてきた事ですが、Y先生は具体的に、どこでどんな風にカラダの準備をするべきか、細かく教えてくださいましたが…教えてもらったからと言って、すぐに出来るわけじゃないのは、悲しい事です。でも、準備が遅いんです。

 準備が遅い理由は、前のフレーズの歌い終わり方が下手で、次のフレーズに行くまでの時間的な余裕が無いから、準備が遅くなってしまうのです。また、歌い始めるまでに、支えも、モード1からしっかりモード2まで持っていって、モード2の状態から歌い始めないといけないのに、いきなりモード1で歌ってしまうのでダメ、とも言われました。とりわけ、この曲は、フレーズの始めは常に上行音形なんですが、上行音形ではしっかり声を支えないといけないので、きちんと支える事。下降音形の時は、多少ゆるんでも良いのだけれど、声が落ちてしまい、音程も低く感じられるので、カラダをゆるめながらも、声は落とさずに、音程も高めで歌うようにする事。

 先生に細かく指導されながら、しっかりと準備をして歌うと、この曲もなんとか歌えるのです。高いGもしっかりはまって歌えます。準備って大切ですね。

 ピアニストさんとの関係では、歌手である私が、どうしてもピアニストさんに遠慮しながら歌ってしまいます。でもそれは逆で、歌手は(程度の差はあれ)自分勝手に歌って良いわけで、それをピアニストが追っかけてくるのが、当たり前だから、ピアニストの事などは考えないで、ドンドン自分のペースで歌うことが大切だと、先生に言われました。

 おそらくこれは、カラオケ練習の弊害じゃないかなって思います。私は普段は、手製のカラオケで、歌の練習をしているのですが、カラオケを使っていると、カラオケが私に合わせてくれるはずはなく、私がカラオケに合わせないといけないでしょ? それを繰り返しているうちに、伴奏に合わせて歌う癖が付いちゃったのかもしれません。注意しないといけません。

 もっとも、私には「歌手が勝手に歌えばいい」とおっしゃったY先生ですが、ピアニストさんには「歌手に向かって『もっと、しっかり歌いなさいよ』とハッパをかける気分でガンガン弾いちゃってください」というアドヴァイスしてました。「歌が多少遅れても、気にせず先に行っちゃうくらいの方が良いですよ」とアドヴァイスしてました。つまり、お互いに相手に遠慮しいしい演奏するのではなく、自分がやるべき事をしっかりやった上で合わせなさいって事なのかなあ…って思いました。

 とにかく『優雅な月よ』という曲は歌う方も大変ですが、ピアノも大変です。しかし、今回は、前回よりもだいぶ歌とピアノが合ってきました。と言うのも、ピアニストさんは、この曲をより良く伴奏するために、この曲を歌えるようにしてきたのだそうです。と言っても我々レベルではなく、鼻唄レベルなんですが、鼻唄レベルでこの歌を歌いながら、なおかつピアノが弾けるようにしてきたのだそうです。ま、ピアニストがそこまでやらないと、合わないのが『優雅な月よ』という曲なんですね。いやあ、ご面倒をおかけしています。

 そこに行くと『セレナータ/La Serenata』は、まだ楽です。この曲は、各フレーズの出だしを、もっとキレイに歌えれば、もうそれで良しだそうです。そして、各フレーズの出だしをもっとキレイに歌うには、しっかり声を支えていれば良いというわけで、そこだけに注意して歌いました。いやあ『優雅な月よ』があまりに難しいため『セレナータ』が、とても簡単に感じます。『セレナータ』だって、決して簡単な曲ではないはずなんですが…。

 ちなみに、これらの曲を歌う本番(クラシックコンサート)では、私以外にも、もうお一人の方が『優雅な月よ』を歌います。歌い手が変わると、同じ曲でもだいぶ印象が変わります。これって、今回のクラシックコンサートの見どころの一つだよね。ぜひ聞き比べてみてください。

 しかし、私がこれだけ苦労しているように、彼女(もう一人の方は女性です)も今頃苦労しているのでしょうか? 歌い終わったら、お互いに健闘を讃えたいと思ってます。
 
 
 妻の方は…、声を鳴らしすぎると注意されていました。ノドを鳴らすと、声が疲れてしまい、それが低音に下りた時にガリっとなってしまう原因なので、そんなに声を鳴らしてはいけないと言われました。「ソプラノなんだから、女王様気分で、らく~に、らく~に、歌ってください」って言われてました。

 それと、せっかく発声練習では出来ていたのに、歌になると、歌うのに一生懸命になりすぎて、声があっちこっちで破綻してしまっているという注意を受けていました。決して歌いすぎないように、理性をもって、声を押さえることを学びましょう。

 「お腹にハムスターを飼っているつもりで歌いましょう。そして、そのハムスターがグルグル廻す車輪のエネルギーで声が出ていると考えてください」 ちなみに、これは私も一緒だと言われました。つまり、カラダを固めるなって事かな?

 それと、妻は胸の開き方を注意されていました。妻の胸の開き方は、テノールの開き方だそうです。そんな開き方をすると、声が壊れてしまうので、ソプラノの胸の開き方というのも習っていました。具体的には、胸を開くベクトルがソプラノとテノールでは、違うようです。ソプラノとテノールは似ているようで、結構違うみたいです。ま、元々男女でカラダが違う(骨格とか筋肉の付き方とか)ので、似てるようで違うところがたくさんあるみたいです。

 妻はブレスの時に息を吸ってしまうので、それはやめた方が良いと言われていました。ブレスの時は、息を吸わずに吐きましょう。それは水泳の選手が、決してブレスで息を吸わないで、吐くように、同じで歌も、息を吸わないで吐くようにしましょう。息を吐けば、吐いた分、新鮮な空気が体内に取り込まれるので、それで歌いましょう…って事らしいです。

 たぶん、前回の第九の練習で、S先生が散々言っていた事と、同じことを注意しているのだと思います。

 そして先生に「それにしても、お二人とも、面白い具合に欠点が共通しています。やはり、今まで同じ先生に習っていたから、同じところが出来ていないようですね」って言われてました。おぉ、私だけがダメなんじゃないんだ~、なんかすごく安心しました。
 
 
 次回のレッスンの日時は未定です。先生のスケジュールがお忙しいみたい(秋は音楽のシーズンだからね)で、決まり次第連絡をくださるそうですが、次回は、おそらく本番の後になってしまいそうです。なので、次回からのレッスン曲を決めました。私は「もうしばらくベッリーニを歌いたいです」と言いましたので、次回から『Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア』を歌う事になりました。この曲は良い曲ですが、声楽をやっている方以外はご存じないでしょうから、パヴァロッティ&レヴァインの演奏を貼っておきます。

 私は高声用の楽譜(と言っても、原調です)で歌うつもりなので、この曲の最高音は、高いAとなります。高いAですよ、キング先生のところでは、プッチーニ作曲のマノン・レスコーの「美しい人の中で/Tra voi, bello, brune e bionde」をレッスンしていただいた時に、チャレンジした事がある音です。今から、約1年ほど前の話です。あの時は、全然ダメでしたし、先生も私が高いAを歌えるなんて、期待もしていなかったし、結局、高いAは出せませんでした。

 おそらく、まだキング門下にいたら、今でも高いAなんて、歌えないと思います。

 でも、不思議な事に、今は、高いAだから言って、そんなに怖くないんですよ。実際に歌えるかどうかは、これからの練習次第ですが、なんとなくいけそうな気がします。Y先生のところで発声を変えて以来、高い音が怖くないんですよ。ちゃんと練習すれば、高いAどころか、Hi-Cだって、いけそうな気がしてます。だから『マリンコニーア』もきっと歌えそうな気がします。

 なので『マリンコニーア』には、高い音があるけれど、むしろそれが楽しみなくらいです。なんか、ワクワクします。ちなみに、普通に入手できる全音のベッリーニ歌曲集の『マリンコニーア』は[中声用に]低く移調されているので、最高音はFis。ううむ、最高音がFisだと、音域が低くて、練習にもなりません。やっぱ『マリンコニーア』は(テノールなら)原調で歌わないと!

 妻の方は「イタリア古典歌曲を歌いたいです」と言いましたので、ガスパリーニ作曲の『Caro laccio/いとしい絆』になりました。お互い、頑張って練習したいです。

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2012年9月25日 (火)

ノド声をこじらせています(涙)

 声楽のレッスンに行ってきました。

 お天気があまり良くなかったし、その日は仕事が休みだった事もあったので、ひさしぶりに歩いてレッスンに向かいました。我が家から先生のお宅まで、まっすぐ歩いて、徒歩約30分。いい運動です。いい運動すぎて、レッスンに入っても、しばらく汗が止まりませんでした(笑)。

 今回もピアニストさんがやってくる事になっていましたが、レッスンの途中からやってくる約束なので、彼女が来る前に、一通りの発声練習を終えてしまいましょうというわけで、急いでレッスンに入りました。

 まずはブレスの練習から『吐く息を暖かい息にして、その暖かい息に声を載せてみましょう』ってのをやりました。これは大切な事で、暖かい息に声を載せると、声に響きが付きますが、冷たい息に声を載せると、声に響きは付きません。私の歌う声の息は、冷たいのだそうです。だから、暖かい息に声を載せましょうって事で、その練習をしました。

 次に『その暖かい息のまま、ハミングをしましょう』ってなりました。ハミングすると、口腔内がビリビリします。第九の練習で、そのビリビリを頭の中で感じるようなハミングをしていましたが、今回も同じように頭の中でビリビリするように声を持っていったところ、頭の中でビリビリしたまま、その余りでクチビルもビリビリします。つまり、暖かい息でハミングをすると、頭の中全体でビリビリします。どうやら、正しい息使いで、正しくハミングをすると、頭全体がビリビリするみたいです。第九の時に自分で気付いたハミングのやり方は間違いではないかもしれませんが、だいぶ足りないという事が分かりました。

 そうやって、ハミングで響きを確認したら、その状態のまま、クチを開いて歌うわけですが、どうしても今までの癖が抜けず、クチを開いた途端、冷たい息で歌ってしまいがちな私です。

 そこで、第九でS先生に言われた事(クチの中に指を入れる)を思い出して…とは言っても、実際に指は入れませんよ(笑)…クチの中に異物が入っているような、歌いづらい感覚を思い出して歌ってみたら、Y先生からOKが出ました。うむ、Y先生とS先生の教えたい点が共通しているのが、うれしいですね。

 ちなみに実際に指を入れるわけにはいかなかったので、異物を入れる感覚として、気分は『アツアツのおでん玉子を口に頬張った感じ』で歌ってみました。その方が結果オーライのようです。とにかく、しっかりクチの中(つまりクチの奥)を開ける事で、響きのある声が出るようです。

 で、しばらくは“アツアツおでん玉子唱法”をやってましたが、やがて、それでは、まだ足りないと言われました。え? クチの中をマックス開けているのに足りないのですか?

 はい、足りないんです。そのクチの開け方では足りないです。

 で、どこが足りないのかと言うと、アゴの開きが足りないと言われました。

 そうです、人間のアゴ関節って奴は二段階で開くのですが、普通の人は、最初の開きまでしか使いませんし、私も日頃はそこまでアゴを開くと、その先までは開かないで歌っていたのですが、それでは足りないので、しっかりとアゴを二段階目まで開いて歌うように言われました。

 …もう、アゴ、ガクガクです(笑)って。音階に「マメマメマメ…」という言葉をつけて歌うと、一回ごとに口を閉じてMの子音を発音し、さらにアゴを開けて母音を発声するので、すごく忙しいです。もう、アゴが忙しすぎて、間に合いません。でも、これが私に不足している部分なんだそうです。「アゴに痛みや違和感を感じたら、すぐに止めてくださいね。この練習をやりすぎると顎関節症になってしまいますからね」と注意されながら、頑張ってやりました。まあ、ちょっとガクガクするのと、アゴを開け慣れていないので、フラフラしてますけれど、大丈夫です。しっかりアゴを開いて歌いたいと思います。

 しかし、以前にもアゴの事は教えてもらって、自宅でしっかり練習しよう、と心に決めたのに、いつのまにか、日々のデイリートレーニングのメニューから、アゴ開きが自覚無しに落ちてしまっていました。ああ、ダメじゃん。今度こそは、毎日アゴ開きの練習をしないと。

 とりあえず、クチの中にアツアツおでん玉子を入れた感じで、アゴをガクガク言わせながら歌うと、良い響きが付いてくる…って事なんです。いや、本当はアゴをガクガク言わせなくても、しっかりアゴを二段階で開ければいいのですが…ガンバロ。
 
 
 それと、先生から一つお願いされました。それはしゃべり声について。しゃべり声のポジションを日常的に上げて欲しいと言われました。つまり、日頃からノドの奥を広げて、しゃべって欲しいって事なんです。と言うのも、私たちは歌っている時間よりも、しゃべっている時間の方が、圧倒的に人生で多いわけで、歌っている時にいくらポジションを上げていても、しゃべっている時にポジションを落としていたら、元の木阿弥って事なんです。だから、日頃からしゃべる時も、周りから奇人変人扱いされない程度に、ポジションを上げる事が大切なんだそうです。

 「ポジションを上げてしゃべると、疲れるんですよね。だから、しゃべる職業の方に“日頃からポジションを上げてしゃべってください”とお願いするのは、心苦しいのですが…」と言われながらも、やさしく命令されちゃいました。実際、ポジションを上げてしゃべると疲れます。私は一日に何時間もしゃべりますので、無意識のうちに、省エネでポジションを落としてしゃべっているのですが…やむをえません、音楽のためです、省エネは諦めます、明日より可能な範囲でポジションを上げてしゃべってみます。
 
 
 さて、先生が、みぞおちのあたりを強く押すと、妻は「アッ!」という声が出ますが、私は出ません。それどころが、みぞおちのあたりが固くて、なかなか押しても息が出ません。これは、私の方がダメな状態なんだそうです。みぞおちを押しても声が出ないのは、息と声の連携がうまく行っていない証拠なんだそうです。つまり、みぞおちと声帯までの間に、息が通るのを邪魔するモノがある証拠なのです。

 まあ、ザックリ言っちゃうと、ノド…と言うか、声帯がうまく脱力できていないのですよ。だから、息が下から押し上げられても、息がノドが詰まってしまい、声が出ないのです。つまり、声帯でノドを塞いでいるってわけです。ノドが塞がれているので、みぞおちをいくら押しても声は出ないし、みぞおちそのものが固くなるのです。

 このみぞおちの固さ(つまり声帯がノドを塞いでいる事)がノド声の原因であり結果であるようです。私は声を出す時に、無意識に声帯を固めて、そこにむりやり息を通して、その息の勢いで声を出して、ノドで歌ってしまうのです。そういう仕組みで歌っているので、みぞおちを押したくらいじゃ、声どころか息すらも出ないのです。

 全く以て、ノド声なんです。そう、私はノド声をこじらせているようなんです。

 そこで、上半身を柔らかくして、みぞおちを押したら、息や声がが簡単に出るように練習したわけですが、なかなかうまく行きません。どうしても“みぞおちを押す -> 息がノドに当たる -> ノドから声を出そうとする -> 声が出る”という流れを無意識にやっているようです。ですから、みぞおちを押しても、声が出るためにタイムラグが生まれるし、私自身もなんか上手くいきません。

 ああ、脱力って難しい。簡単に脱ノド声とはなりませんが、なんとか、脱ノド声を目指したいです。

 ちなみに、この「みぞおちを押す」と言うのは、他者が外部の力を使って行っている行為なのですが、これを自分自身で行うのが、モード2の支えなんです。だから、脱ノド声ができない限り、声もきちんと支える事ができないと言うわけなんです。

 ああ、こんな声で、今までよく歌ってきたものだと、半ば呆れると同時に、私って、よくやってきたよなあ、と誉めてあげたい気分です。

 ちなみに、妻も発声練習では、あれこれ言われていました。

 妻の場合は「息も声も上から目線で出す事」を求められていました。いつも女王様気分で歌いましょうって言われてました。でも、それくらいかな。妻の方が、レッスンでは、誉められる事が多いです。どうも、ブレスとか発声に関しては、私よりも妻の方が、ずっとずっと上手くいっているみたいです。

 まあ、焦らない。妬まない。彼女は彼女、私は私。ブレスや発声が下手くそでも、私は彼女のご亭主様である事には、カワリナシ…ですから。

 ピアニストさんが到着してからの話は、明日アップします。

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2012年9月24日 (月)

近所にある、よその声楽教室の発表会を見てきた

 最近、よその声楽教室の発表会を見に行くのを、楽しみに感じるようになってきました。やはり狭い井戸の中にいてはいけないわけで、他流試合…は武道じゃないからありえませんが、他流の方々の芸を見るのも、実によい勉強になるものだなあと、門下を変わったばかりの私は、そう感じます。なので、よその声楽教室の発表会を一生懸命探しだしては(近場に限ってですが)なるべく見に行くようにしています。

 という訳で、よその声楽教室の発表会を見に行きました。そこは、結構近所にある声楽教室で、Y先生のご自宅と同じ町内にある声楽教室です。ほんと、ごくごく、ご近所なんです。

 そこのお教室は、発表会を二日に分けて行ってました。初日は“習い事の部”とでも申しましょうか? 子供と音大生までが出演する日で、二日目は、音大(音楽専門学校を含む)卒業生だけの“勉強会の部”って感じの発表会でした。

 初日の発表会は、声楽だけでなく、ピアノの発表会も兼ねていて…というよりも、ピアノの発表会を3時間ほどやった後に“声楽の発表会を30分ほどやっちゃいました”みたいなノリの発表会でした。

 ピアノの発表会は割とよくあるタイプの、小学生を中心として、音大受験生までの学生たちによる発表会でした。上手い子は実に上手かったです。

 声楽の方は、音大生、音大受験生、趣味の方が歌っていました。私的には、趣味の方にシンパシーを感じました。技術的には受験生たちは違うけれど、歌っている楽しさというのが感じられるわけで、やはり趣味とプロ予備とは、色々な意味で質的な違いってのがあるんだなあ…とかまあ、そんなことを考えながら拝見しました。まあ、アマチュアはアマチュアとして、プロとは違う頂きをめざせばいいんだと思いました。実に、面白かったですよ。

 一方、二日目は、圧巻でした。オール声楽プログラムで、全員、音大卒でした。中にはプロでご活躍中の方もいらっしゃっていて、そういうメンバーで発表会をやっちゃうというのが、私にはよく分かりません。ま、発表会という名称ですが、その実は、いわゆる“勉強会”的なノリで、お互いの歌唱を聞きあって切磋琢磨をする会のようで「これをタダで聞いちゃっていいの?」的なほどの、満腹になってしまう発表会でした。勉強になる…と言うよりも、聞きほれてしまう発表会でした。
 
 
 町の声楽教室には、大きく分けて、3つのタイプがあるんだなあって思いました。一つは『趣味のオトナを集めて、習い事としての声楽教室』って奴です。キング先生のところが、まさにそれです。ある意味、教える方も習う方も、気楽なタイプと言えるかもしれません。

 二つ目が生涯教育的な声楽教室です。最初の習い事系に雰囲気は似てますが、最初のタイプが私塾っぽい感じなら、こちらは大手塾の雰囲気かな? 校舎や事務関係がしっかりしているところが多く、学校形態を取っている教室も少なくありません。生徒は、先生に私淑するというよりも、声楽教室に入学入会する感じなので、長年習っていると、教室の都合で先生が変わったりもします。このタイプのお教室は、音楽専修学校から大手楽器メーカーの音楽教室まで、様々な形態があります。

 三つ目が『音大受験および合格対策のための声楽教室』って奴で、今回聞きに行った声楽教室は、それだし、毎年、正月に聞きに行っている別の近所の声楽教室もそんな感じのお教室です。音大受験というゴールがあるため、生徒さんも、若い世代中心で、短期間で入れ代わり、お教室としては、エネルギーにあふれている感じがします。

 ちなみに、現在師事しているY先生のところは、元々は、受験対策メインみたいでしたが、仕事をセーブした結果、受験生たちは合格して、お教室を巣立ち、趣味のオトナたちが残り、今では、習い事メインのお教室になっているようです。

 私は今しばらくはY先生のところで学びますが、やがてはY先生のところも巣立つ日が来るでしょう。次は…希望としては、受験対策のお教室で若い世代と一緒に勉強をしたいのですが…それはムチャな野望というものでしょうね(汗)。ま、そんときは、そんときサ。

 発表会を色々見て思うのは、見ていて楽しいのは、何と言っても、習い事系のお教室の発表会です。先生の個性が、善くも悪しくも見て取れます。生涯教育的なところは、生徒数が多いので、発表会になると、そのボリュームに圧倒されます。色々な曲を聞けるので、とても勉強になります。受験対策の教室は…上手な生徒さんが多くて、テクニック的な学びができます。

 三者三様で、それぞれの発表会は、それぞれに楽しみ、学べるものです。

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2012年9月23日 (日)

今日は死ぬには、ちょうど良い日[2012年9月第4週・通算30週]

体重:108.0kg[+0.2kg:+4.9kg]
体脂肪率:32.1%[+-0.0%:+1.2%]
BMI:34.1[+0.1:+1.7]
体脂肪質量:34.7kg[+0.1kg:2.2kg]
腹囲:103.0cm[+-0.0cm:+4.5cm]
     [先週との差:2012年当初との差]

 いきなり物騒なタイトルですが、これはここ最近の私の本音であり、願望であり、口癖でもあります。不謹慎なつもりはありませんが、もしそう感じられる方がいらっしゃったら、ごめんなさい。

 私は思想信条上の制限から自殺ができない人なのですが、もしも自殺が許される身の上(本来、どんな人であれ、自殺が許される身の上なんて、ありゃしない事は重々承知の上でのレトリックね)ならば、自殺を決行しても良いかなって、時々、魔が差したように思いつきます。

 「そうだ! 死んじゃおう」

 なんて言葉が、ふと頭をよぎるんです。

 しかし、不謹慎きわまりない身勝手なセリフですね。

 自殺を考えるほど、私は不幸なのか…と言うと、そうでなく、むしろ幸せなんですよ。幸せだから、幸せなうちに、自分の人生に幕を下ろしたい…そう思ってしまうのです。だって、たぶん、今が私の人生でのピークで、山で言えば山頂にいるわけだから、残った人生は下り坂だけ。つらくて悲しい事ばかりが待ち受けているような気がするです。ならば、幸せな今のうちに、人生を勝ち逃げしたくなるんです。

 ペシミスト……そう、私は本質的に悲観主義者の根暗人間なんですよ。そんな私ですが“今の私は幸せ”なんです。

 健康だし、カラダのどこにも痛むところはありません。病気も障害もないし、五感も正常だし、なんでも美味しく食べれるし、どこにだって行ける自由があります。衣食住のすべての点において満ち足りているわけだし、仕事も嫌いじゃないし、収入だって十分すぎるほどいただいている。家庭生活は順風満帆だし、夫婦仲も良い。趣味生活は、ご存じの通り、充実し過ぎるくらいに充実しているし、平日は仕事で忙しく、休日は遊びで忙しく、暇をぼやく暇すらないわけです。

 なんか、モッタイナイくらいに人生が充実しています。

 禍福はあざなえる縄の如し…人生というものは、幸せと同じ分だけ、不幸せがあるようです。それは、偉人の伝記を読めば分かるし、有名人の人生を見てもわかるわけです。例はあげませんが、現代の有名人の人生をみても、やはり同じような事が言えると思います。

 やはり人に与えられた禍福の量というのは、最終的にはイコールになるものだろうと思います。

 ならば、私の人生のメーターが福の方に大きく振り切っている現在のうちに、人生を勝ち逃げし、カットアウトしたいと願うのは、それほど間違っているとは思いませんが、どうでしょうか?

 今が幸せな分、これから不幸がドド~ンと待っているような気がするんです。

 ああ、不幸はイヤだな。幸せなまま、人生を終わりにしたいです。

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2012年9月22日 (土)

サクラとハナジロ

 先日、キャリココンビのニシキとナゴンについて書きましたので、今回は、残りの二匹について書いてみたいと思います。

 まず、ウチの巨大魚、サクラ。サクラはタンチョウ(丹頂)という種類の金魚です。基本ベースはオランダ獅子頭ですが、全身が真っ白で、頭頂部に大きな赤くて丸い模様があります。全身が白いのに、頭のテッペンだけが赤いので、丹頂鶴のようだからタンチョウと呼ばれているのでしょうが、その頭のテッペンの赤がそれはそれは見事なので、うちでは時折“ヒノマル!”と呼ばれています。だって、サクラって、上から見ると、泳ぐ“日の丸”なんだもの。

 で、健康状態なのですが、概ね健康なのですが、左の尾びれがちょっとちぎれてしまいました。で、そのちぎれた箇所が、細長くたなびていています。魚には痛覚がないといいますし、尾びれは血液も通っていないくらいですから、本魚的には、なんともないのかもしれないのですが、なんか、見ていて、痛々しいです。また、それと関係するかどうかは分かりませんが、尾びれの先端部がやや充血して赤みを帯びています。最近、忙しくて、金魚の水替えの間隔がちょっと開き気味なのが原因かな? もっとコマメに水を交換してやりたいです。

 次はハナジロです。そうそう、実はハナジロのハナが白くなくなってしまったんですよ。

 最初はトレードマークだった、鼻の頭の白い部分が、日を追うごとに薄く、なんとなく赤く(体色)なってきてしまいました。今は、うっすらと白っぽいラインが残っているぐらいです。色が消えてしまうなんて…模様ではなかったようです。…とすると、カビ?  カビならば、カビが治ったわけで、そりゃあメデタイわけですが、ちょっぴり残念です。だってハナジロは、鼻が白かったから良かったのに、これで鼻が普通に赤くなってしまったら、ただのつまらない平凡な金魚になってしまいます。実際、今じゃ、平凡でつまらない、まるで金魚すくいの金魚のような魚体の金魚になってしまいました。ああ、そこそこのお値段の金魚だったはずなのに…残念です。

 まあ、一応、オランダ獅子頭っぽく、体に厚みはあるし、尾も蝶尾なんですが、明らかに横長体型だし、尾もすごぶる短いので、やっばり“ちょっと太った和金”ぐらいにしか見えません。ああ、残念だ。

 緋ドジョウの話をすると、シッポナの体色がかなり白くなってきました。健康状態がかなり悪いみたいです。油断がなりません。チビは一時期、かなり体調が悪かったのですが、最近はどうやら持ち直してきたみたいです。夏の暑さに参っていたようです。

 こんな感じの金魚たちでした。

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2012年9月21日 (金)

ファルセットをあえて使わないで歌ってみたら、失笑されました

 第九の練習に行ってきました。今回は合唱正指揮者のS先生のご指導でした…ので、練習場が、ちょっと混雑していました。さすが、S先生、大人気です。私も大好きです。

 そのS先生なのですが、今年は、すごくイメチェンして来られました。なにしろ、髪を短くして、ヒゲを蓄えてきました。おまけにダイエットをして、昨年よりも10Kgもおヤセになられたそうです。なんか、すごく、精悍なイメージになりました。女性陣からは、小さな声で「うわー…」って声が聞こえました。女性には、概ね、好評のようです。

 
 まずは発声練習からですが、最初に確認したのは、呼吸です。S先生の指導は、Y先生とおっしゃる事が同じなので、練習をしていても楽です。ってか、大抵の先生は、先生ごとに、その表現こそ違え、同じ内容で指導されますから、キング先生のご指導が個性的なだけだったのです。ですから、キング先生に師事していた時は、キング先生とS先生ではおっしゃる事が違ったし、指導している内容もその方向性が違っていたので、私は師事していたキング先生を尊重して、S先生のおっしゃる事をスルーしていたのですが、今は素直にS先生のおっしゃるとおりに出来るので、ちょっと、うれしいです。

 「息は吸わないでください。息は吐いた分だけ、カラダに入ってきますから、それで十分です。吸おうと思って、たくさん吸うと、カラダが硬くなるし、息を吸おうとすると、胸で吸ってしまう人もいるので、息は吸わないでください」

 「まず息を吐いてください、限界まで吐いてください。吐いて吐いて吐いたら、カラダをユルめてください。そうすると息が自然と入ってきます。入ってたら、それ以上吸わないでください。そこから息を吐き始めてください」

 「息が入ってたら、それを腰の筋肉で支えてください。支えるとは、息が一度に出て行かないようにする事です。ただし、ノドは絞めてはいけませんよ。そこから息を吐いてください。息を出し始めて、最初の10秒はお腹がへこまないように。次の10秒で少しずつお腹をへこまして、次の10秒で息を出し切る感じにググってとお腹をへこませてください」

 こんな感じで指導されていました。私はこれらの動作を、だいたい出来るのですが、あくまで“だいたい”なんだよねえ…。実はちゃんと出来ない事があって、それは“息を吐ききってユルめた時、息が腰に入らないで、下腹に入ってしまう事”。それは見事に、下腹にポッコリ入ってしまいます。

 なんでこんな事になるのかと言うと…これは、私がお腹を十分に後に引けていないから(涙)なんです。ちゃんと、お腹を後に引き続けていれば、息を吐いてユルめた時に、息が腰に入ってくるんだけど、お腹の引き足りていないので、息が腰ではなく、ユルミのあるお腹に入ってしまうのです。…まだまだ“支え”が足りないと自覚させられた私です。
 
 
 発声練習の最初に、S先生、恒例の初心者確認をしたところ、そこそこの人数がいる事を確認して、おっしゃいました。

 「第九って…これは合唱曲ではありません。この曲は交響曲であり、オーケストラの曲です。合唱も歌ではなく、オーケストラの一部として歌います。だから、歌うのが難しいのです」

 ああ、確かにそうかもね。そして…

 「第九は合唱曲ではないし、ドイツ語だし、高い音ばかりだし、本当に難しい曲です。この曲を初心者に歌わせるのは、日本だけです。しかし、この曲が歌えるようになったら、どんな曲も歌えますから、頑張っていきましょう」

 …って、励ましているんだか、引導を渡しているんだか分からない事をおっしゃってました。
 
 
 発声練習は、ハミングから始まりました。ハミングで大切なのは、響きをつかむ事なんだそうです。声はクチから出るとは考えずに“顔の骨に響かせて出す”というつもりで発声する事。その顔の骨に声を響かせるのを、つかむのがハミングなんだそうです。だから、ハミングでいい感じになったら、その調子で自然にクチを開けて歌うと響きをつかみやすいのです。

 響きを豊かにするには、ノドを広げる(ノドボトケを下げる)のが決め手です。これはいわゆる“あくびのクチ”です。ちなみに逆に響きを悪くするには、ノドを狭める(ノドボトケを上げる)のですが、これは“唾液を飲み込む動作”をすると、簡単にクチの中が狭くなるそうです。…って事は、歌っている最中に、あふれる唾液を飲み込むのは禁忌?
 
 
 曲の練習は、結局、一番最初からの復習という事になりました。音取りの確認はもちろんですが、ドイツ語の発音、意味、訳、イントネーションなど、副指揮の先生がやり残した事を確認しながらの復習でした。

 音の切り方(歌い方)の一つのテクニックとして『小節内切り』と言うのがあります。これは[四拍子なら]四拍のうちに、最後の音符の母音と子音を歌い終えてしまうという歌い方で、次の小節の頭に、前の音の子音を残さない、という歌い方です。通常は、音価一杯に母音を歌いますので、子音は次の小節にはみ出してもOKという歌い方をするのが多いのですが、小節内切りは、その小節内で音楽的なモノすべてを終了させるわけで、音楽の切れ目の箇所でよく使われます。この小節内切りをする箇所としない箇所を確認し、する箇所では、きちんと小節内切りができるように何度も練習しました。

 練習記号Gの八分音符の箇所は、各音符がスラーでつながっているけれど、慣習上、ここはスラーではなく、マルカートで歌うので、一つ一つの音にしっかりと腹筋でアタックをかけて歌う練習をしました。またテノールはこの箇所で何度も高いGが出てきますが、それらの高音は、すべて弱拍なので、そこにアクセントを置かないで歌うように注意されました。

 またこの箇所の後半に現れる、スタッカーティッシモが付いた二分音符の歌い方について、S先生はこんな事をおっしゃってました。

 「通常、スタッカートは、その音を短く発声すると考えられているし、スタッカーティッシモなら、さらに短く発声するように考えられています。しかし、それならどうして、二分音符のような長い音符にスタッカーティッシモが付いているのか? 単純に短く切るだけなら、この箇所を二分音符にせず、八分音符なり十六分音符なりで記載すればいいのに、なぜベートーヴェンは、それをわざわざ二分音符にしてスタッカーティッシモをつけたのか? これに対してカラヤンは『この箇所は、奈良のお寺の鐘の音のように歌ってください』と指示を出しました。つまり、たとえスタッカーティッシモであっても、二分音符は二分音符として、しっかり歌えと言う事なのです。スタッカートを、その音を短くして発声するというのは、我々日本人が誤解している事なのかしれません」

 ちなみに、S先生は、学生時代に、合唱団の一員として、カラヤンの棒で第九を歌った事があるそうです。これはその時の話だそうです。

 副指揮の先生が教えてくださった箇所は、練習の前半でザッと復習して、後半は、新しい箇所(練習記号は無し、595小節から)に入りました。まずは言葉を付けずに「ら、ら、ら…」でメロディーを歌って音取りをし、歌詞を朗読し、訳を確認し、リズム読みをし、最後に歌ってみるという手順でやりました。この箇所は3/2拍子という事もあって[特に男声が]リズムを正しく把握する事ができずに、途中総崩れになってしまいました。何度も本番で歌っているはずなんだけれど、どうも難しいようです。私は最初、きちんと歌っていたはずですが、あまりに周りが崩壊してしまうので、途中で歌うのを止めました。だって、いくら正しく歌っても、一人だけ周りと違って歌っていたのでは、変、でしょ? やはり二分音符を一拍としてカウントするのは、なかなか難しいみたいです。彼ら的には、3/2ではなく、3/4で書かれている方が、基準となる音符が四分音符になるので、分かりやすいのでしょうが、3/4ではワルツになってしまいますからね。この箇所は三拍子だけれど、ワルツじゃないわけで、だからベートーヴェンは3/2という表記にしたのだと思います。

 結局、難しい3/2は、何度も何度も丁寧に指導されて出来る様になりましたが、たぶん一週間もすると、また元に戻ってしまいそうな気がします。それくらい、難関な箇所…のようです。リズムって…やっかいですよね。

 で、練習の最後の最後は、またまた女性の方々には、先にお帰りいただき、男声合唱の復習をしました。

 425小節(一度合唱が切れて、再び入り直した“freudig, freudig,~”の箇所)の第一テノールは、高いGを連発して歌いますが、ここで『合唱の和を乱す奴がいる!』というので、S先生による犯人探しが始まりました。S先生は甘い事はなさらない人なので、第一テノール全員に、この箇所を、端から順番に一人ずつ歌わせて、注意しはじめました。

 いやあ、色々な人がいました。ある意味、全員が程度の差こそあれ、合唱の和を乱す犯人…だったのかもしれません。とにかく、皆さん、音程がフリーダム(泣笑)。ほとんどの人が音に届いていないので、先生が一人一人に正しい音程を口移しに教えて、矯正していきます。まあ、高いGって市民合唱団のテノールにとって、かなり高い音になります。邦人作曲家の合唱曲だと、この高いGがテノールのほぼ最高音になりますから、多くのテノールさんにとって、高いGは鬼門だし、出せない人も大勢いるわけです。…ちなみに、第九には、高いGどころか、高いAも出てきます。それも、後半になると、イヤになるくらい、たくさん出てきます(ボソっ)。

 で、私の番になりました。私が当該箇所を歌った時、周囲(主にバス)の方から、何人もの方が失笑されていました。いやあ、五十歳を過ぎて、他人に失笑されると言うのは、かなりヘコみますよ。

 そこで先生が間髪入れずに「あなたの音程はとても正しいです」と言ってくださいました。ちなみに私の前に歌った人で音程を誉められた人はいないんですよ(えっへん)。しかし「でも…」が続きました。

 「あなたの音程はとても正しいです。でも、その声では周りと合いません」

 ま、そりゃ、そうだよね。だから失笑されたんだよね。私以外のテノールさんは、高いGを皆さんファルセットで歌いました。でも、私はGをファルセットではなく、アクートで歌います。たぶん(バカにしているわけでないので、誤解して欲しくないけれど)、市民合唱団のテノールさんだと、アクートの発声が出来る人って、ほとんどいないと思います(アクートで歌うのは、とても難しい事です)。アクートで歌えないので、高い音は皆ファルセットで歌って逃げるわけで、だから、市民合唱団に属している人は、テノールの高い音はファルセットでしか聞いた事がなかったりするんじゃないかな? そこへ私がアクートでGを歌ったから「こいつ、なんか、変な声で歌っている!」あるいは「何、ソリスト気分で歌ってやがるんだ!」って事で、失笑されてしまったんだと思います。

 ……ちなみに、私はソリスト気分ではなく、歌い方の基本がソリスト仕様なんです、と言うのも、ソリストはどんな高音でも、例外を除いて、ファルセットは使わずアクートで歌いますから。もっとも、本来は合唱団のテノールだって、ファルセットじゃなく、アクートで歌うべきだと、私は思ってます……。

 それに、S先生ご自身は練習の時に、よくこう言います。「たとえ合唱であっても、テノールが高い音をファルセットで歌ったら“負け”だよね」 そう、S先生御自身は、テノールがファルセットを使って歌う事を良しとはされていません。ただし、次のように言葉が続きます。「テノールが高い音をファルセットで歌ったら“負け”だよね。だけど、アクートにこだわって、音が届かないのは、もっとマズイね。音が届かないぐらいなら、ファルセットを使って正しい音程で歌った方がマシというものだよ」 つまり、S先生はファルセット容認派でありますが、ベストな歌い方はアクートだと信じている方です。

 ちなみに、S先生ご自身はテノールですし、現役テノール歌手として、今もあちらこちらで歌われていらっしゃる方です。頭声は使われますが、いわゆるファルセットは使いません。

 だから、私がアクートでGを歌う事は否定しません。でも、あまりに周りと声が合わないのは、合唱指揮者として容認できないわけで、指導が入りました。アクートで歌いながら、ファルセット軍団と音色でケンカをしない方法を教えてくれたわけです。

 まず姿勢を注意されました。アゴを引き過ぎと言われて直されました。私はジラーレをするために、アゴをノド側に引き、額を前方に傾ける様にして歌っていましたが、顔は正面向きにし、アゴは下方向に落とす様に言われました。そして、ノドの奥を今以上に大きく開ける様に言われました。「今以上に…?」という感じで悩んでいたら「伸ばした人指し指を、クチの中に入れてごらん。その時に、指がクチの中で何も当たらないように、ノドを広げて……そうそう、かなり歌いづらいだろうけれど、そんな感じで歌ってみてください」と教えてもらいました。指がクチの中の何にも触れないほどに広げるとは、口の中をウルトラマックスに開かないと出来ません。

 ちょっと、練習が必要な歌い方だけれど、アクートのまま、合唱で歌うコツのようなものを教わりました。口を最大限に開く事で響きを増やし、ジラーレをあまりさせずに、明るい音色を保って、ファルセット軍団と折り合いをつけて歌う…という手口ですね。うん、今回の練習に出て、良かったです。

 この話を帰宅してから妻にしたら「S先生は歌手の味方だからねえ…、普通の合唱指揮者だったら、アクートで歌うテノールなんて、追い出すんじゃないの?」 …でしょうね、だから今までも追い出されてきたのかもしれない(汗)。でもでもね、DVDとかTV放送とか見ると、合唱団のテノールって、皆さん、アクートで歌っておりますよ。ファルセットで歌っておりませんって。だから、私は、テノールの歌唱として正解なのは、やっぱりファルセットじゃなくて、アクートだと思うんですよ。でも、音楽は生ものだし、周囲のテノールがファルセットで歌うのなら、ファルセットも正解なのかもしれませんが、やっぱり私は、高い音をファルセットで歌うのはイヤだな。アクートで歌えるのに、ファルセットを使うのは、とてもイヤだな。だって、それって“負け”じゃん(笑)。
 
 
 しかし、今回、一人一人が歌っているのを聞いて、本当に皆さん、高音は、ファルセットで歌っているだねえ…。合唱と独唱では、発声方法に違いはない…けれど、その運用方法には、もしかして、大きな違いがあるのかな? そして、私は合唱好きだけれど、かなり、声にしても、歌い方にしても、独唱寄りになってしまったのだろうなあ。私がもっともっと歌が上達すれば、合唱の声と独唱の声の使い分けが出来るようになって、合唱も独唱も可能になってくるのだろうけれど、今はそこまで余裕がないので、合唱で歌うと、色々とぶつかるんだと思う。

 まあ、頑張っていきましょう。

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2012年9月20日 (木)

AKB48の曲を歌ってみたので、それをきっかけに、アイドル歌謡について、とりとめもなく考えてみた

 最初に書いておくと、今回の記事には大した内容はありません(笑)ので、期待しないでくださいね。

 実は先日、職場の同僚と宴会の余興のような感じで「バンドをやりましょう」という話になりました。それもマジメな音楽活動ってわけじゃなく、あくまでも余興感覚で「笑っていただいてナンボ」っていう感じのノリの、ワンステージ限りのバンドです。

 で、私は最初はギターをやる事になっていたのですが、バックバンドになると、当日までに数回の合同練習に参加しないといけなかったので、練習嫌いな私は「練習したくない!」とワガママをぶちかましたおかげで、ギターから見事に降板し、結局、コーラスオヤジになったのでありんす。なにしろ、コーラス隊なら、前日のリハーサルと当日のステージだけに参加すればOKという約束だったし、メインヴォーカル担当だと、歌詞を暗記しないといけないけれど、コーラス隊は歌詞カードを持ってステージに上がってもOKだから、そりゃあ練習をしたくない私は、当然、コーラスをやるよね。

 今回のバンドのリードヴォーカル君は、バリトン系の低音ヴォイスの子なのに、なぜか選曲は、AKB48(爆)。ま、受け狙いな選曲なんで、わざとミスマッチを狙ったようです(笑)。ちなみに曲目は「Give me FIVE!」です。私同様「何? それ? 美味しいの?」と言う方のためにビデオを貼っておきます。

 そんなわけで、今回の記事は「Give me FIVE!」を歌ってみた感想記事です。タイトルに仰々しく「アイドル歌謡」って書いてますが「Give me FIVE!」という曲の事です。何しろ、最近のアイドル歌謡って全然知らないんですよ、勘弁してください。

 だいたい、私の場合「AKB48って、今どきのアイドルなんですよね?」という確認から入ったくらいですから(爆)。いや、一応、AKB48という名称のタレントさんのグループがいるっては知ってました。たぶん、アイドル歌手グループなんだよなあ…というニュアンスで把握してました。ジャンケンとか選挙とかでセンターを決めているという事も知ってますが、それくらいしか知りません。メンバーの名前とか顔とか、ちょっとしか知りません。たぶん、名前と顔が一致するのは、前田敦子ちゃんと大島優子ちゃんの二人ぐらいかな…? あ、ごめんなさい、石投げないで!

 だってさ~、私はオジサンなんですよ。若くないんですよ。…ってか老人なんですよ~。アイドルってのは、若者のための存在であって、私のようなオッチャンにはアイドルなんぞは不要でございます。なので、もう最近のアイドル事情には全然詳しくない私です。こんな私が、顔と名前がきちんと一致するアイドルと言うのは、女性は全盛期のモーニング娘まで、男性はSMAPまでです。最近のアイドル、嵐とかAKB48は、グループ名ぐらいまでは知ってますが、個々のメンバーに至っては、名前も顔も知りませんし、一致もしません。ごめんなさい、そんな程度です。

 だいたい「Give me FIVE!」という曲も、演奏することが決まってから、iTUNESでダウンロードして、始めて耳にしたくらいです。それくらい、最近のアイドル事情に疎いので、この曲を歌ってみて、すごく新鮮な感じがしました。
 
 
 さて本題。「Give me FIVE!」を歌ってみた感想です。

 まず、歌詞ですが…悪くないですね。卒業ソングって奴ですが、別れのせつなさを元気を出して乗り越えていこうという、応援ソングです。若い世代が共感しやすい歌詞です。しかし、これを書いているのが、私よりもオッチャンな秋元康氏とは驚きです。ううむ、才能あるんだなあ…。ちなみに、タイトルにある「Five」って言うのは“片手”って意味だから。「Give me FIVE!」ってのは『ハイタッチしよう!』って事なんでしょうね。

 音楽について語ると…音域が狭くて低い…です(涙)。具体的に書くと、五線の下のラから五線の中のラまでの、たったの1オクターブで、メロディーもコーラスも成り立ってます。リズムも四分音符中心に、音階を順に上下しているだけのようなシンプルなメロディです。私的には、狭すぎて低すぎて歌いづらいし、リズムも単調だし、音階を順に歌っているだけのメロディですから、歌うのが楽すぎて、つい余計な事をしたくなりますが、普通の方には、これくらいの音程音域リズムから出来ているメロディの方が、カラオケなどで歌うには、ちょうど良いのかもしれません。

 昔から、アイドル歌謡は、音域が低くて狭いモノですが、しかし、この曲の低さにはビックリです。昔のアイドルは、もう少し高い音域で歌っていたと思います。

 最近の小学校あたりから聞こえる声として、子どもの音域がどんどん低くなって、昔ながらの童謡などが音域が高すぎて歌えないという声を耳にしますが、ああなるほど、と思いました。現実はこんな感じになっているんですね。

 もっとも、この曲を歌っているAKB48本人たちは、プロのアイドル歌手ですから、もう少し手応えのある曲でも歌えるのでしょうが、彼女たちはクラシックの歌手のように歌うだけではダメで、歌いながらダンスをしたり、楽器を演奏したり(この曲は、本人たちが楽器演奏もしているようです)しているので、この程度の難易度の曲の方が色々と都合良いのでしょう。実際、演奏した感じでは、楽器初心者でも手に負えそうな感じの曲でした。

 それと、やはりアイドル歌謡はカラオケで歌われてナンボって部分はあるし、女性歌手の場合、ファンは男性ですから(当人たちも歌いやすく)男性ファンでも歌いやすい音域ってなると、このあたりに落ちつくのでしょうね。

 歌に関して言うと、メロディが歌いやすいのは書きましたが、コーラスも楽でしたよ。基本的にハモリパート以外は、メインメロディを歌っていればいいし、そのハモリパート(基本的にはサビ部分がハモリパート)もメロディの三度下を歌えばいいだけの、お手軽なコーラスです。

 演奏も取っつき易い事は書きましたが、ほぼすべての楽器(歌も同様なんだけれど)最初から最後まで、ガンガンに弾きまくるタイプの曲でした。“スキマなく音が詰まっている感じ”です。最近耳にする、平成時代の歌謡曲って、こんな感じで、スキマなく音が並んでいるタイプの曲が多いような気がします。

 昭和時代の曲は、音楽も8ビート中心で、たまに16ビートの曲もありましたが、ビート数的にはそんなものだし、そのリズムも割と単調なものが多かったと思います。

 そこに行くと、平成の歌謡曲は、もっともっとビートが細かくなって、その結果、スキマの無い音楽作りがされるようになったのかなって思います。おまけにリズムも複雑になり、複合リズムの曲も増えてきたし…それにしてもベースギター奏者は忙しそうです。

 思えば、昭和歌謡は、曲のアッチコッチにスキマがあったよね。人間が演奏するのが前提で曲が作られていたのだと思います。だからどこか、ルーズでゆらいでいました。平成時代の曲は、曲作成がコンピュータ化された事もあるのでしょうが、カチっとしたサウンド作りをされているし、人が演奏できないようなフレーズだってシーケンサーにやらせればいいわけだから、どんなスキマにも音を入れる事ができるわけだし、入れられるのに入れないのは不安なのでしょうか? 本当にちょっとしたスキマにも音を詰めてきますよね。

 そういうテクノロジーの違いが、音楽作りの違いに現れているのかもしれません。

 この「Give me FIVE!」という曲は、人手で演奏されているとは言え、平成時代の曲ですから、カチっとしたスキマの無いサウンドに仕上がってます。だから、この曲をバンド演奏で、歌っていると、まるで後ろから音の壁が迫ってくるような感じがします。

 歌だって、メロディを数人で歌うわけで、聞いている客からすれば、ヴォーカルだって壁のようなサウンドになっていると思います。それこと、音の壁が、まるで津波のように、こちらにグイグイ迫ってくる感じです。今の曲って、こういう感じなんですね。最初から最後まで全編がサビのような作りになっています。

 なんか、クチの中に食べ物を無理やり詰め込まれているような気がします。せっかくの美味しいご馳走なら、もっとゆっくり味わって食べたいのですが、そんな余裕はなさそうです。
 
 
 私たちの曲の仕上がりですか? お笑い狙いのバンドですから、ここにアップするようなデキではありません。でも、面白かったよ。それに歌うのは、とても簡単な曲なので、練習などせずとも、バッチリ歌えました(ただし、歌詞カードはガンミですが:笑)。やっぱりバンドは楽しくていいね。次のチャンスがあれば、今度は練習をイヤがらずに、ちゃんとマジメに取り組んで、今度こそギターでも弾きますか。
 
 
 AKB48と言うと「Give me FIVE!」でもセンターを取っていた、前田敦子さんが、AKB48を卒業後すぐに、酒&男でスキャンダルを起こしちゃいましたね。健君にヤラれて捨てられたと言うのがネットの評判ですが、事の真相はともかく、前々からの“あっちゃん推し”のファンの方々には大ショックでしょうね。私がファンなら、しばらくは立ち直れない程のショックだろうと思います。

 これって、あっちゃんの卒業と同時に、AKB48からも卒業して、あっちゃんについて行こうとしていたファンの皆様に『君たちが推していた“あっちゃん”って、実はこんな子だったんだよ。だから“あっちゃん”にくっついて行っても、君たちファンには、つらい事ばかりが待っているんだよ。“あっちゃん”はいずれ、君たちの“あっちゃん”から、誰か別の男の女になってしまうんだよ。だったら、君たちまでも“あっちゃん”と一緒にAKB48から離れてしまうのは残念じゃないかな? だってAKB48には、“あっちゃん”以外にも、キレイでカワイイ子は、まだまだたくさんいるんだよ。“あっちゃん”の次の推しメンを決めて応援した方が、きっと楽しいよ』

 …なんて事、どっかの誰が考えて仕組んだんじゃないの? 少なくとも、私がプロデューサーだったら、これくらいの事は、簡単に思いつくし、それが出来て、始めて「AKBの世代交代」って奴が進むんじゃないのかな? 実際、あっちゃんの報道の約一週間後ぐらいに、ジャンケン大会があって(臨時だろうけれど)新センターが決まったようだし…。今までのファンを抱え込みながら、新規のファン開拓…ってのが、商売としては常套手段なので、それに則っただけの話じゃないかなって思います。

 アイドル稼業は夢を売る稼業…とはよく言ったものです。本格女優はアイドルでは無いから、夢を売ることを止めてみた…まさかね? とにかく、夢を売らなくなったら、アイドルではないですね。でも、それは長い間応援してくれたファンには、あまりに唐突すぎた事じゃなかったのかな? オジサンは外野で見ていて「ちょっとなあ~、早くねえか?」って思いました。

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2012年9月19日 (水)

フルートを良い音で鳴らすには、どうしたらいいのだろうか?

 フルートのレッスンを休んでしまいました。仕事が忙しかったと言う事もあるけれど、左手が痛かったんです(マジ)。練習もロクに出来なかったし、(先生には内緒だけれど)レッスンに行くのも痛くて気が乗らなかったのです。傷は小さいのに、結構深いみたいで、左の親指と人指し指に圧力がかかるのがイヤなんです。それと、痛みが移ったのか、最近は左手首もちょっと痛くて、フルートを構えるのも気が重いです。パソコンのキーを叩くくらいなら、平気なんだけれど、フルートは…総銀はちょっとイヤだな。プラ管の方が楽です。でも、プラ管だと、p-fの音量差が少なくて、表現力に乏しいというのもあって、プラ管のフルートを持ってレッスンに行く勇気はないです。まあ、もうしばらく辛抱していたら、傷も治ると思うのですが…。

 そこで、今週は、フルートエッセイでお茶を濁します(笑)。

 フルートを良い音で鳴らすには、どうしたらよいのだろうか?…なんていう、普遍的な問題について考えてみました。ま、素人のオッサンの戯れ言ですから、まあ、話半分で聞いてくれると感謝です。

 まず、良い音の定義から。それは“悪い音でない事”かな? まずは、これが第一条件でしょう。では“悪い音”って、どんな音の事でしょうか? それは「耳障りな音」の事でしょ。例えば“音程が不安定でグラグラしている音”“うるさい音”“かすれた音”“一本調子な音”…こんなところかな?

 つまり、良い音ってのは“音程的にはバッチリで、吹き始めも吹き終わりも同じ音程を保っていて、うるさくもなく、かすれてもいなくて、演奏者のニュアンスに応える事のできる、耳に優しい音”の事。これが前提ですね。これに付加条件をいくつか加えると、良い音のイメージがつかめるのではないでしょうか? 付加条件とは「それがなくても困らないけれど、あると、とてもうれしい、オマケの条件」って奴です。

 私が考える、良いフルートの付加条件とは「フルートらしい音」です。例えば、あるフルート奏者の奏でる音がとても美しくても、その音がまるでファゴットのような音色だったら、それはフルートとして美しいとは認知されません。やはり、フルートらしい音で、なおかつ良い音でならないとダメですね。

 フルートらしい音…誰が聞いても「あ、それ、フルートだね」と思わせるような音色の事です。いわば、人の心の中にあるフルートの音色と合致した音の事です。言葉にすると難しいけれど、イメージはどなたでも持っていると思います。

 それと「遠鳴りのする音」です。近くで聞いてもうるさくなく、離れて聞いても、不足を感じさせない音の事です。これは単純に“音量が大きい”と言うのとは違います。むしろ、さほど大きくも感じない音なのに、遠くまでよく“響く音”の事かな? 

 と言うわけで、良い音とは“フルートらしい音色”で“遠鳴りのする音”で“音程的にはバッチリで、吹き始めも吹き終わりも同じ音程を保っていて、うるさくもなく、かすれてもいなくて、演奏者のニュアンスに応える事のできる、耳に優しい音”と言う事にします。
 
 
 では、フルートを良い音で鳴らすにはどうしたら良いでしょうか? 

 まず“音程的にはバッチリ”の部分は、楽器に依存しますね。まあ、国産フルートを使っている限りは問題ないでしょう。外国製のものにはヒドイ音痴な楽器もあるそうですが…そういう楽器を不幸にして所有している場合は、正しい音程で演奏できるように作られているフルートに買い換える事をお薦めします。

 さて“吹き始めも吹き終わりも同じ音程を保つ”は専ら奏者の側の問題であって、これって、ソノリテを繰り返し行う事で鍛えられるモノでしょうね。つまり、息を一定の速度で吹き続けられる事ですね。だから、この部分に関して言えば、奏者の努力次第で、いくらでも良い音に近づけると言えるでしょう。

 “うるさくもなく”は『オーバーブローをしない』って事じゃないでしょうか? つまり『息を吹き込み過ぎない』って事です。息を吹き込みすぎて、オーバーブローになってしまうと、耳障りでうるさい感じの音にどうしてもなってしまうからです。

 “かすれてもいなくて”は、アンブシュアの問題かな? フルートのポイントを外しがちだと音がかすれてしまうと思うし、出す息が太すぎるとやはりかすれ気味の音になってしまうと思います。適切なアンブシュアで吹き込むから、ピントのあったクリアな音が出るんだと思います。

 “演奏者のニュアンスに応える事のできる音”…楽器の性能による部分が無いとは言えないけれど、まずは奏者自らが自分の技量を高める事が大切ですね。で、上達して「この楽器では自分の思い通りに吹くには力不足だ」と思ったら、そこで楽器を買い換える事になるでしょうが、まずは奏者が自分を鍛える事が大切です。

 “耳に優しい音”…これは音の立ち上がりに関する事かな? テクニックで言うと、タンギングに関係するかなって思います。下手くそで雑音交じりのタンギングで吹かれたフルートなんて、聞きたくないですよね。

 そして“フルートらしい音色”ですが、フルートを吹いているのだから、フルートが十分に鳴りきれば、自然とフルートらしい音色になるんじゃないかと思います。フルートが十分に鳴りきる…つまり、管体自らが振動をして、いい感じに音が出る事だと思います。

 “遠鳴りのする音”とは、上記の“フルートらしい音色”が遠くまで届く事なのではないかと思われます。それは音量を増やすのではなく、音の遠達力を増やす方向であって、オーディオなどでは、スピーカーを固定したり、重い材質でスピーカーを作る事で得られるものです。もしかすると、フルーティストが上達するにつれ、洋銀から総銀へ、総銀からゴールドへと、重い材質のフルートへ、どんどんシフトしていく事と関係あるかもしれません。しかし、重い材質のフルートって…高価ですよね。
 
 結局、フルートを良い音で鳴らすには『良い楽器を所有し、良いテクニックを持っている事』という、ごく当たり前の結論になってしまいました。
 
 
 良いテクニックは、良い教師の指導の元、日々の努力と練習によって得られるでしょう。地道に練習を重ね、自分を向上させていくことで、必ず手に入れる事ができます。

 良い楽器の入手は…実に簡単な話で、経済力があれば、いくらでも良い楽器を入手できます。もちろん、フルートの目利きも、ある程度できないといけませんが、フルートをそこそこ吹いていれば、自然と目利きが出来るようになるでしょうから、こちらは問題ありません。問題なのは、経済力ですね。

 経済力に関しては…私がつべこべ言うことではないですね。皆さん、それぞれの才覚でお金を集めてみてください。

 それにしても、フルートって、高いですね。庶民の生活感覚からは、考えられないほど高価な楽器だし、ゴールドフルートなんて、ありえないくらいの高値ですよね。でも、いくら高いと言っても、せいぜい、車1台分のお値段です。なんとかなると言えば、なんとかなるお値段です。

 ヴァイオリンを始めとする弦楽器では、千万円単位、億円単位の値段の楽器だって、ゴロゴロしてます。アマチュアが普通に使っている楽器だって、百万円単位の楽器なんてザラです。それと比べたら、フルートなんて、安いものです。

 いやいや、お金で良い楽器が買えるだけ、ありがたいとも言えます。声楽なんて、お金じゃダメなんです。声は持って生まれたものしか使えません。どんなに良い声が欲しいと思っても、取り替える事はできないし、買う事もできません。どんなに素晴らしいテクニックを持ち、日々の努力を惜しまなくても、声がダメなら、アマチュアとしての活動すらおぼつきません。声楽では、声こそがすべてであって、才能や努力や経済力の前に、声の有無が問われる分野です。そこへ行くと、フルートは、誰であれ、お金さえ出せば楽器が手に入るんですから、本当にありがたいものです。

 ん? 話がちょっと変な方向に言ったかな? まあ、いいや(笑)。とにかく、良い楽器を所有し、日々の訓練を欠かさずにいられたら、やがて良い音でフルートは鳴り始める…って事です。

 だから「私の音はあんまり美しくない…」とお悩みのフルート初心者の皆さんに言いたい事は「まずは、焦らない事。日々練習しているうちに、必ず音色は良くなっていきます。そのうち自分の楽器に飽き足らなくなってきますから、そうしたら、もっと良いグレードの楽器に買い換えてください。そうすると、もっともっと良い音でフルートを鳴らせるようになりますよ」っ事です。

 ありきたりの結論で、ごめんなさいです。

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2012年9月18日 (火)

歌曲は、作曲者が作曲した原調で歌うべきか、それとも声に合わせて移調して歌うべきか

 今回の記事には結論はありません。私にも結論は分かりませんので、思っている事をダラダラと書いてみます。結論を持っている方がいらっしゃったら、ぜひ教えてください。

 元々の悩みは、ベッリーニの『優雅な月よ/Vaga luna, che inargenti』を歌いたいと思った時に生まれました。

 この曲は昔から大好きな曲で、20年ほど前に習ったT先生ところの発表会(思えば、この発表会が私のアマチュア歌手としてのデビューステージだったわけです)のために練習し、見事に本番で撃沈した曲なんです。好きな曲なのに撃沈って悲しいですね。なので、多少なりとも歌えるようになった今、ぜひ、いつかどこかでリベンジしておきたい曲とカネガネ思っていた曲なんです。

 元々はベッリーニの『三つのアリエッタ』という歌曲集の中の一曲で、本来はメゾソプラノのために作曲されたと聞いてます。なので、声楽初心者で、声もロクに出せなかった昔の私ならともかく、今の私の声(テノール)には、音域的にちょっと低く、合わないと言えば、確かに合わないです。

 その上、日本の楽器屋さんで普通に買える『ベッリーニ歌曲集』は中声用(と言っても、この曲に関しては原調です)なんです。私はテノールなので、高声用の楽譜があれば、欲しかったのですが、見つかりませんでした。ま、探しても見つからないはずです。日本では『ベッリーニ歌曲集』の高声用の楽譜はありませんから。

 なので『優雅な月よ』を歌うこと自体を諦めるか、あるいは自分の声に合わないと重々承知の上で、合わないまま歌ってしまうか…そんな選択肢しかありませんでした。

 当時、私が師事していたキング先生は、歌曲を移調して歌う事に反対していました。と言うのも、先生の言い分は『作曲家は調性にまで神経を使いながら作曲している。それを歌手の勝手な都合で変えてはいけない』というものでした。確かに、それはその通りだと思います。楽譜至上主義…クラシック音楽にはそういう側面があります。作曲家が心血注いで作曲した作品を、演奏者の都合で変更してはならない…まさに、ザ・クラシックな発想です。これはこれで、正解だと思います。

 しかし、一方で、歌は歌手の声に合わせて歌うべきだという考え方もあります。現に、イタリア古典歌曲やシューベルトの声楽作品は、楽器屋にいけば、普通に「中声用」「高声用」「低声用」と声種別に移調済みの楽譜が販売されています。シューベルトが三つの声のために、三パターンの作曲をした…とは考えづらいので、やはり原調のものが一つあって、それを高く移調したり低く移調したりして、音楽出版社が三つの声のために、わざわざ楽譜を作ったと考えられます。

 実際、シューベルトを歌う方は、シューベルトが書いた原調ではなく、自分の声に合わせた楽譜を使用して歌っている方がプロアマともに大勢いらっしゃいます。自分の声に合わせて歌う…もはやそれも“アリ”なんだと思います。(ちなみに、シューベルトでも原調にこだわるなら、どの声の楽譜を選ぶべきなんでしょうか?)。

 いやいや、そもそも、音楽の教科書である「コンコーネ50番」が声種別になっていて、自分の声に合わせた教科書で学んでいるんだし、歌手の立場から考えれば、可能ならば、自分の声にあった調で歌った方が、より歌唱が効果的になるのは、間違いないです。

 まあ、イタリア古典歌曲やシューベルトならばともかく、ベッリーニやトスティなどのイタリア系の作曲家別の楽譜になると、日本では声種別の楽譜は、特に無く、これらの曲は出版社が編集した調(原調の場合もあれば、中声用に移調したもの)しかないので、これらの楽譜で歌うべきものだと思ってました。

 まあ、ある作家の作品は、原調で出版されているのに、別のある作家の作品は、中声用に移調されているモノしか無いというのも、ちょっと割り切れませんが、おそらくは、それらの楽譜が出版された時代の事情を反映しての事だろうと思います。

 ところが最近では、外国の輸入楽譜も、容易にかつ安価に、入手が可能になってきました。

 例えば、ベッリーニの歌曲集は、日本だと中声用または原調版しかありません。なので、日本では『優雅な月よ』は、いずれにせよ、私の声には合わないのです。しかし、輸入楽譜に目を向けてみる…イタリアのリコルディ社から出ているベッリーニの歌曲集は、声種別に販売されているんですよ。当然、テノール/ソプラノ向けの高声版の楽譜もあります。

 なので、さっそく高声版の楽譜を入手したところ『優雅な月よ』は、テノールの私にとって、とても魅力的な音域に移調されていました。元々、リベンジしたかった曲が、チャレンジしがいのある調性に移調していたので、とても歌いたくなりました。だってこの曲、中声用にしても原調版にしても、私には低すぎますからね。私の気持ち…分かっていただけますよね。

 なので…今度、その移調された高声版の楽譜で歌うわけなんです。
 
 
 作曲家の意図はとても大切だと思います。アンサンブルだからという理由もありますが、オペラアリアはまず移調はしませんし、男性のアリアを女性が歌ったり、女性の曲を男性が歌うことはまずありません。それくらい、声種性別にシバリがあるのが、オペラアリアです。もちろん、例外はあるわけで、ソプラノのデセイは、某歌劇場での「ホフマン物語」の第二幕に出演する自分のために、そのオペラを“長二度”高く移調して上演させた…という話を聞いたことがあります。本当の話かどうか私には分かりません(長二度高くした公演は、DVDで発売されているそうです)が、もし本当なら、オペラのディーヴァって、やりたい放題なんだな…って思いました。

 一方、歌曲は、声種別の楽譜が販売されているところからも、声種性別にシバリは薄いのかもしれません。歌い手と歌の主人公の性が違っていても全然かまわないようです。男性目線の歌曲を女性歌手が歌ったり、女性目線の歌曲を男性歌手が歌ったりもします。…そういうところは、演歌に通じるところがありますね(笑)。

 でも、クラシック音楽における、作曲家の作家性を重んじたら、そう簡単に移調するのも、どうかとはばかられるものがあります。

 だいたい、ポピュラー音楽の世界では、歌手の音域に合わせて移調するのが当たり前ですから、原調(つまり作曲家の意図)にこだわるのが、クラシック音楽の特徴なのかもしれません。

 歌いたい歌があるのに、音域が合わないから諦める…と言うのは、なんか残念です。たとえクラシック音楽であっても、ポピュラー音楽のように、実際に歌う歌手の音域に合わせて歌うと言うのも、現実問題としてはアリでしょ?

 ああ、難しい。歌曲は、作曲者が作曲した原調で歌うべきか、それとも声に合わせて移調して歌うべきか…、どちらの言い分(?)も分かります。ほんと、どうしたらいいのでしょうね。

 ま、ひとまず『優雅な月よ』は、高声版で歌ってきます。

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2012年9月17日 (月)

千秋楽が近いらしいので、劇団四季の「Cats/キャッツ」を、また見てきた

 キャッツを再び見てきました。前回見たのは、2010年の11月だったから、約2年ぶり。その時に書いた記事はこちらです。

 2年前にキャッツを見て以来、ぜひもう一度見たいと願ってました。で、どうやら横浜でのキャッツの公演は、今年の11月をもって千秋楽という事だし、公演が終われば、劇場も潰してしまうそうなので、今を逃したら、生きているうちに、キャッツをご近所で見られる保証はないので、だったら、横浜でやっているうちに、もう一回見に行っちゃえ!ってわけで、行っちゃいました(笑)。

 ちなみに、横浜公演の千秋楽は、2012年11月11日だそうです。次は公演地はどこでしょうね。

 実は前回は、座席に恵まれていませんでした。劇場のかなり端っこの席でした。あそこは円形劇場なので、端っこだと、ほぼ裏側から舞台を見る形になります。それはそれでおもしろいのですが、やはりネコたちのダンスを正面から見たいじゃないですか? だから、今回は頑張って、正面の席をゲットしましたよ。それも前から5列目、ほぼベストポジションです。

 よかったよぉ~。ダンスとマイムが多いミュージカルなので、裏側から見るよりも、正面から見た方が、やっぱり分かりやすいです。それと、ネコたちはしばしば舞台から降りてきますが、私たちの席だと、本当にすぐそばまでネコたちがやってきますし、絡んできます。ちなみに、息子君にネコさんが絡んできましたが、息子君はネコさんから目をそらして、知らん顔をしてました。ああ、もったいない。

 しかし「Cats/キャッツ」って、実にミュージカルらしいミュージカルだと思いました。歌だけではない、ダンスだけではない、もちろん芝居だけでもない。歌とダンスと芝居の三つがしっかりタッグを組んだパフォーマンスであって、決してミュージカルが、オペラもどきでは無いという証明に、ふさわしい作品だと思いました。

 だいたい、男性も女性もネコになると、カラダの線が丸分かりになります。歌って踊れて演技できて、さらにボディラインまで美しくないとキャッツの舞台には立てないわけだ。実にハードルが高く、キビしいミュージカルです。大半のオペラ歌手はボディラインに難がありますから、オペラ歌手ではキャッツは歌えない…って事になります(笑)。

 それにしても、劇団四季のメンバーってすごいね。例によって、出かける前に、ロンドンチームのDVDで復習してから行ったのだけれど、劇団四季は、全然ロンドンに負けてないね。むしろ、ロンドンよりも良い部分だってあります。ミストフェリーズなんて、ロンドンよりも四季の方が激しく踊っていると思うよ。なにしろ、彼のシーンでは、25回もクルクル回ったよ。素晴らしいダンサーだよ。

 人生、二度目の「Cats/キャッツ」だけど、三度目が見たくなりました。だって、このミュージカルの感激って、CDとかDVDとかじゃ決して分からないもの、これは劇場に行かないと、その素晴らしさが分からないし、行けば必ず感激するミュージカルだもの。ああ、死ぬ前に、もう一度「Cats/キャッツ」が見たい(笑)。

 しかし、節電って、厳しいね。劇場の中がとても熱かったです。座席に座っているだけで、汗ドロドロ。妻に言わせると、私のカラダから湯気が立っていたそうだ。私が肥満体だからというせいもあるけれど、別に私だけが肥満体ってわけじゃないからね。それくらい暑い劇場でした、とにかく、サウナのようでしたよ。でも、ネコさんたちが歌い踊っている時は、その暑さも全然気にならないんです。それくらい舞台に心を奪われているわけです。でも、休憩になったり、舞台がハネた後、いきなり汗が全身から噴き出します。舞台って、照明がたくさんあるわけだし、あれだけ大きくネコさんたちが歌い踊るわけだから、室温が上がって当たり前なんだから、もうちょっと強めに空調を入れてほしかったです。幕間の休憩時間、私同様、少し太めのお父さんたちは、みな、動物園のカバさんのようになってました…。

 舞台が終わると、ネコさんたちのご挨拶がありますが、今回は、私、オールドデュトロノミーと握手をしました。へへ、オールドデュトロノミーだぜっ! やったね。

 ちなみに「Cats/キャッツ」は今年の秋で終わりだけれど、秋になると、劇団四季で「ウェスト・サイド・ストーリー」を上演する事(再演らしいけど…)が決まったらしいです。場所は…秋劇場らしいです。ああ、見に行きたいけれど、その時期はちょうど忙しい時期で行けない。ああ、悔しい。「ウェスト~」は大好きなミュージカルだし、劇団四季でやるなら、ぜひ見に行きたいんだけどなあ…。

 そうそう、やっぱり、グロールタイガーのシーンは、感動的ですし、大好きだなあ。どうしてこんなに気持ちが揺さぶられるのだろうかと、見ながら思っていたのですが、このシーンって、実に歌にあふれていたシーンなんですね。「Cats/キャッツ」って、ダンスとマイムが中心なミュージカルだから、唯一と言って良い、独立したソングである「メモリー」が大ヒットしたわけだけれど、グロールタイガーのシーンって、実は結構歌があるし、最後の最後でグロールタイガーが発する高音は、オペラ的な快楽もあります。何だかんだ言っても、私はやっぱり、歌が好きなんだな(笑)。

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2012年9月16日 (日)

領有権と所有権と軍事力…沖縄県の尖閣諸島問題について、ちょっと考えてみた[2012年9月第3週・通算29週]

体重:107.8kg[-0.9kg:+4.7kg]
体脂肪率:32.1%[+0.1%:+1.2%]
BMI:34.0[-0.3:+1.6]
体脂肪質量:34.6kg[+0.2kg:+2.1kg]
腹囲:103.0cm[-1.0cm:+4.5cm]
     [先週との差:2012年当初との差]

 今日の記事は、もちろん私の私感ですが、勉強不足の部分もあるので、間違いがあったら、ご遠慮なくご指摘お願いします。

 さて、長らく、個人所有だった沖縄県の尖閣諸島が、このたび、個人地主さんから、日本国に売却されたそうです。お値段は20億3000千万円だそうです。この額が高いか安いかは分かりませんが、全額税金から支払われた事を考えると、かなりの高額ですね。東京都は、15億円の寄付金を元に多少の上乗せを検討して購入交渉をしていたわけですから『志があって日本国に売った』のではなく『高く買ってくれる方に売った』と言われても仕方のない状況です。

 まあ、領土問題になっている島が、個人所有の私有地ってのも変な話なので、とりあえずは、公的な存在である日本国の所有物になった事(つまり“国有地”になった事)は、一歩前進かな? 次のステップは、地元の漁師さんたちが望んでいる、船溜まりや電波塔、給水施設を作り、海上保安庁なり自衛隊なりの駐屯基地を作る事が急務なんだけれど、その前に近隣を中国の海洋監視船が過去最大規模でうろついているそうだから、それらを排除するところから始めないといけませんが、今の売国民主党政権がそんな事をやるはずもないですね(はぁ…)。早く政権交代をして、次の政権に期待するしかないです。

 それにしても、政権交代まで、あと約1年でしょ、それまでに、どこまでこの国は壊されてしまうのか、我々の経済力はどこまで奪われるのか、私たちの生活はどこまで苦しくなるのか…ああ、不安だ不安だ。先の総選挙で民主党に投票した人たちを恨みますよ…。
 
 
 さて、尖閣諸島の売買が契機となって、また中国国内で色々な動きがあるようです。“反日デモ”と言う名の官製テロは、いつもの事ですが、マラソン開催やら、航空機就航やら、日本人歌手の公演やら、日中国交正常化40周年に向けた各種イベントなど、この手の民間交流を中国側から一方的に断ってきたそうです。

 尖閣諸島近海の東シナ海では、戦闘機による軍事訓練をさっそく行ったそう(一種の威嚇行為)ですし、中国政府は中国国内の旅行会社に圧力をかけて、中国人の日本への観光旅行を禁止させたそうです。日本の観光業者にとっては頭の痛い話です。

 中国各地で、在留邦人がメガネを奪われたり、ラーメンをぶっかけられたり、ペットボトルを投げつけられたり、いきなり殴られたり蹴られたりの暴行を受けるなど、小学生のイジメよりも幼稚なイヤガラセを受けているという報道もあります。怪我人も出ているそうです。そんな話を聞くと、中国国内の在留邦人の身の安全は、しっかり確保されているのか、心配になります。

 と言うのも、中国では、『愛国無罪』という事で、日本および日本人に対するイヤガラセや暴行や犯罪は、当局によって、禁止されるどころか、奨励されているそうで、先日は、政府高官が日本製品の不買活動を容認する発言をしたそうで、中国各地のスーパーの棚から日本製品が消えたそうです。

 西宮中国大使が路上で急に倒れた件だって、すれちがいざまにスパイにやられた…という可能性は否定できないでしょ。なにしろ、我が国には、かの国のスパイさんが、たくさんいらっしゃるそうだし…。それどころか、中国には『国防動員法』って奴があって、日本国内に70万人近くいらっしゃる在日中国人の皆さんは、中国共産党の号令一つで、全員、工作員とか戦闘員とかになって、敵国(今回は日本)を中から攻撃しないといけないそうだから「スパイがたくさんいる」どころの話じゃなくて、すでに敵軍の進入を許してしまっている状態とも言えます。

 今はまだ民間レベルのイヤガラセが主ですが、尖閣諸島沖で領海侵犯をした漁船をだ捕して、無罪放免で送り返した時は、国家レベルのイヤガラセをしてきた国が中国です。あの時は、ビジネスで中国を訪れていた日本人を捕虜にして、その生命を危険にさらし、レアアースの日本向けの輸出を止めました。今度は、国家として公式に、どんな無法なイヤガラセをしてくるのでしょうか?

 これら一連の動きを見ていると、失礼ながら、中国人って、精神が幼いのかな…って思わざるを得ません。やっている事って、まるで駄々っ子じゃん。とても、良識のある大人の行動とは思えません。斜め上すぎます。

 『中国人は教養にあふれ、礼節を重んじ、友人をもてなす、心の暖かい国民である』って、私は子どもの頃に学校で習ったけれど、ありゃあ、ウソだったんだな。共産党と日教組のプロパガンダだったわけだ。

 まあ、現在の中国は、国家としては、共産党による独裁国家であって、1949年の建国以来、ようやく60年を越えたばかりの若い国だから、ガキくさい部分があっても仕方がないと言えば、仕方がないです。正確な建国の年月日が分からないくらい昔から国家として存在している日本とは、とてもとても比較にはならない程に、若くて未熟な国なんです。

 ちなみに、韓国も北朝鮮も、戦後に出来た国です。ロシアなんて、戦後どころか、つい最近出来たばかりの国でしょ。日本の周囲にあるのは、本当に若くて未熟な国々ばかりです。そんな若くて未熟な国に周りを囲まれている日本は…不良学生に囲まれたセレブのオバチャン、のようなもの? ああ、色々と面倒くさい。建国してたった200年しか経っていないアメリカが立派な紳士に見えるほどに、中国・韓国・北朝鮮・ロシアは、国家としても、国民としても、未成熟だと思います。
 
 
 今回の尖閣諸島の売買で、尖閣諸島の所有権が、埼玉在住の一個人から日本国の所有物になりました。でも、これは所有権の問題であって、領有権の話ではありません。

 私は日本人だし、尖閣諸島は日本固有の領土だと信じています。

 今回、尖閣諸島の所有者が、たまたま日本国になりましたが、これがたとえ、中国政府や中国富裕層の人が購入し、彼らの所有物となったとしても、それでも尖閣諸島は日本の固有の領土です。と言うのも、所有権と領有権は違うからです。

 所有権とは、対象物を全面的に支配して自由に使える権利、つまり「自由に使用してもいいよ」という権利です。一方、領有権とは、国家が持っている権利であり、その土地を「自国の領土である」とする固有の権利の事ね。

 例を挙げて話をすると、現在私が住んでいる我が家は、私の所有物であり、私が所有権を持っています。我が家は日本国内にあるので、我が家は、日本国の領地の一部であり、日本国が領有権を持っています。仮に、私がアメリカのロスアンゼルスに大邸宅を建てたとしましょう。その邸宅は私の所有物であり、私が所有権を持っています。しかし、その大邸宅はロスアンゼルス、つまりアメリカ国内にあるので、我が家の領有権は、所有者が日本人の私であっても、アメリカ合衆国が持っています。

 所有権と領有権は全く別の次元の問題です。でなければ、どこの国でも、外国人相手に不動産の売買なんて出来なくなってしまいます。

 例えば、中華街の不動産をすべて中国系の人たちが買い占めたとしても、中華街が中国の領有する中国固有の領土になるわけではなく、あくまで中国人たちが所有する日本の国土の一地域でしかないのと同じです。

 もしも『所有権=領有権』ならば、外国人が他国の不動産売買を行う事は、他国に対する侵略行為と等しくなり、どこの国も外国人の不動産売買を禁止するしかありません。そうなると、外国人たちは、万年ホテル住まいを余儀なくされ、とても他国に安心して寄留し、働いたり学んだりできなくなってしまいます。日本でも、移民さんたちや在日さんたちは、日本で暮らせなくなってしまいます。

 このように、所有権と領有権って、全然別のモノなんです。…が、どうも、中国の方は、ここらへんを(わざと)ゴッチャに考えているようですね。

 当然の事ながら、今回、売買されたのは所有権であって、領有権ではありません。中国が大人ならば、今回の尖閣諸島の売買に関しては、静観を決め込むはずです。だって、中国の主張どおり、尖閣諸島が中国の領土ならば、個人であれ、国家であれ、誰が尖閣諸島を所有しようとも、その領有権は中国にあるわけですからね。それを、ガタガタ騒ぐのは、自分たちの良識の無さを国際社会にさらすだけで、実にみっともない事です。

 ま、中国政府のトップたちがそんなに馬鹿とは思えません。ガタガタ騒がざるを得ない事情が中国国内にある…と理解するべきなんでしょうね。

 例えば、最近、あちらの新聞記事は、反日関係の記事ばかりだそうですし、テレビのニュースも連日、反日関係のニュースばかりだそうです。一方、ほんの二週間程前まで、連日報道していた、次期国家主席に内定している習近平氏に関する報道が、一切無くなったそうです。さて、一体、何が起こっているのでしょうか?
 
 
 しかし、反日デモを始めとする、各種反日行動を、単なる中国国内のガス抜き活動だと思って、軽く考えてはいけないと思います。

 元々、興味も関心も無かった尖閣諸島を、近年になって中国が領有権を主張し始めた理由の一つは、その近隣にある豊かな海洋資源と地下資源が目当てだと言われています。

 実は全く同じ事が、南シナ海で行われている事はご存じでしょうか? それは南沙諸島問題って奴です。

 そちらでの中国の相手は、日本ではなくベトナムなんですが、中国が、やはり尖閣諸島同様に、豊かな海洋資源と地下資源がある南沙諸島が欲しくなり、ベトナムが領有していた南沙諸島に対して、色々とチョッカイを出した挙句、1974年と1988年の二度に渡り、ベトナムに対して武力で圧力をかけ、ドンパチやって勝利し、南沙諸島の一部を領有することに成功しています。尖閣諸島問題は、南沙諸島問題ほど、駒が進んでいませんが、今のところ、全く同じような道筋を辿っているようです。

 21世紀の現在においても、中国という国は、19世紀的な発想で、領土拡大に邁進している国家のようです。

 それを考えると、日本人として安心は出来ません。日本とベトナムでは色々と違いがあるとは言え、現実に中国は領有問題がある場所に関しては、具体的な軍事行動(つまり、戦争)を起こして、その地を武力で自分の領土にしているという実績がある国なんです。

 つまり、現実の国際社会においては、所有権の移動は、金銭売買によってなされますが、領有権の移動は、戦争によってなされるってのが、まだまだ実情なんです。

 尖閣諸島は、現在は日本の領土であり、その領有権は日本国が持っていますが、中国は尖閣諸島を自国の領土だと言い張り、その領有権を主張しています。領有権は(例外を除き)金銭売買ではなく、戦争によって移動するものですから、尖閣諸島に対して、実質的な領有権を確保するために、南沙諸島同様に、中国が日本に戦争を仕掛けてこないとは言い切れません。むしろ、機会を待って、虎視眈々と開戦の火蓋を切る頃合いを、見定めていると考えるのが普通でしょう。

 南沙諸島だけではありません。チベットしかり、ウイグルしかりです。中国は、いざとなれば、簡単に軍を侵攻させる好戦的で野蛮な国家なんです。それを忘れてはいけません。こちらが平和主義であろうが、敵意が無かろうが、そんな事は彼らには関係ないのです。欲しいものは、軍を動かしてでも、奪いにくるのが中国という国なんです。

 その時、ロクな軍事力を持たない日本はどうすればいいのでしょうか? 中国軍に攻め込まれて、財産は略奪され、若い娘はレイプされて中国人の子を生まされて、男と年配女性は殺され、子どもは奴隷として売られてしまうのかい? それじゃあ、まるで1948年から始まったチベット侵攻と同じだね。中国は20世紀にチベットに対して行った事と同じ事を、21世紀の日本にやらないとは、誰も言えませんね。チベットも日本同様に、平和主義でロクな軍事力を持っていなかった国でしょ。

 日本には、チベットと違って、アメリカ軍が駐留しているから安全? まさか、そんな事はないでしょ? 日本とアメリカは、軍事同盟を結んでいるとは言え、アメリカが自国の利益に反する恐れのある紛争に、簡単に首を突っ込むとは考えられません。

 アメリカにとって、日本との関係と同様、あるいはそれ以上に中国との関係は大切です。なにしろ中国はアメリカ国債の約1/4を保有しています。中国は経済的にアメリカを潰す手段を持っているわけですから、いくら同盟国である日本と、中国の関係が悪化したからと言って、アメリカは中国には、簡単には手出しできません。

 なので、アメリカ軍は、よほどの事が無い限り(例えば、日本国内の米軍基地が攻撃されるとか、中国の核弾頭を積んだ東風ミサイルが日本に向かって発射されるとか)、日本と中国との紛争には、手を貸してくれる事はないでしょう。

 と言うわけで、中国相手では、アメリカの軍事力は、アテにはできません。

 …でもね、アメリカもアフガニスタン紛争から約10年たったわけで、そろそろ武器商人たちの倉庫に在庫があふれている頃でしょうから、それをどうやって使うか…色々と考えているとは思います。『日本国内にある米軍基地を守る』ために、日本の国土で、中国軍とアメリカ軍の直接対決…ありえない話じゃないから、怖いです。
  
 
 島根県の竹島は、日本国の領土ですが、現在、韓国が支配し、実質的には韓国の領土になっています。日本は「返してくれ」と言いますが、韓国は返す気はありません。なぜなら、日本には軍事力が無いので、韓国は自国の領有権を犯される心配がなく、安心して占領しつづけられるからです。

 北方領土だって同じ事です。ロシアのメドベージェフ前大統領が「北方領土を返してほしいなら、ミサイルでも打ってこい!」と言ったとか言わなかったとかいう話がありますが、事の真相は別として、確かにロシア相手に戦争を仕掛けて勝利しない限り、北方領土は日本人の手に帰って来ないでしょう。旧島民の方々が、先祖伝来の土地に戻れる日は二度と無いのです。

 国土を取り返したければ、戦って奪い返すしかないのが、国際社会の常識のようです。

 「そうは言っても、アメリカは小笠原も沖縄も返還してくれたじゃないの? ロシアや中国や韓国にだって、丁寧にお願いしていれば、きっと返してくれるよ」……寝言ですか?

 アメリカは我が国の軍事同盟国だから、小笠原も沖縄も返還してくれたのです。中国もロシアも韓国も北朝鮮も、我が国の軍事同盟国ではありません。それどころか、これら四か国とも、日本を仮想敵国としている国です。つまり、日本とは軍事的には敵対関係にあるわけで『いつでも我が国は日本と戦争をする用意があるぜ!』って言ってる国々なんです。もちろん日本だって、明言はしてませんが、これらの国、少なくともロシアと中国は、仮想敵国扱いをし、各種軍事配備を行っています。

 日本を敵勢国家として見なしている、そんな国々が、日本から奪った領土をやすやすと返還してくれるはずはないでしょう。むしろ、今は日本の領土であっても、切り取り可能と思えば、これからだって、遠慮なく我々の土地を奪っていくでしょう。沖縄とか対馬とか根室とか新潟とかが狙われているようだし…。

 そういう意味では、我が国には軍事力が必要です。軍事力がなければ、日本国の領土、つまり、私たちの先祖伝来の土地を、守ることは出来ません。
 
 
 軍事力と言っても、別に戦争をしたいわけじゃないです。私だって、戦争は避けたいです。

 番犬を飼う人は、別に道行く人々をかみ殺すために番犬を飼っているわけではないでしょ。あくまでも防犯のために犬を飼っているわけです。軍隊だって同じことです。周囲の若くて未熟な国の暴行から身を守るために、防犯のための軍事力は、早急に必要でしょう。きちんとした軍事力を保有し、それを背景にして、各国に我が国固有の領土の返還を迫らなければ…。軍事力がない現状では、交渉のテーブルにすら、ついてもらえません。

 そのためには、憲法改正が必要だろうね。日本は60年以上も憲法を改正してません。これって、法治国家としては、きわめて珍しい事なんですよ。どこの国でも、憲法というのは、その時代に合わせて、毎年のように、少しずつ修正改正していくものです。日本はそれを60年間サボってきたわけです。ここらで、ババンと憲法改正しないと、現行憲法を守るあまりに、我々の子どもたちの未来を失いかねません。

 軍事関係ばかりじゃないです。移民関係も、スパイ防止も、情報規制に関する事も、憲法に盛り込まないと、21世紀仕様の憲法とは言えません。

 私は願います。子どもたちには、豊かで安心できる生活を残してやりたいです。そのためには、まずは日本が安泰であり、平和であって、他国の脅威に怯えずに暮らせる事が大切です。それを守るための軍事力が必要だし、そのための憲法改正が必要だと、今回の尖閣諸島問題を通して、私は感じました。

 核弾頭付きのミサイルが打ち込まれてからでは、遅いんです。
 
 
P.S. 北朝鮮に拉致された日本人を、未だに帰国させられないのだって、日本に軍事力がないから…だと私は思います。はっきり言って、日本は北朝鮮にナメられているのです。かように軍事力を保有していない事は、国際的に無力であるって事です。

P.S.2 私は災害と言うものは、偶然に起こるものではなく、神様の怒りだと信じています。2009年9月に民主党が政権を握り、2011年3月に東日本大震災が起こりました。その間、約18カ月。現在は、あの大震災から18カ月たちました。民主党政権は、あとまだ1年ほど続く予定です。ああ、大きな災害が起こらなければ良いなあと祈る日々です。

P.S.3 地震と津波は天災です。しかし、原発事故は人災です、いや、時の権力者たちによる、日本国民に対するテロ行為だと、私は考えています。

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2012年9月15日 (土)

ナゴンがやってきた

 急逝してしまったコハクの代わりの金魚を連れてきました。なにしろ、水槽の金魚の数を少なくしたままだと、どこかの紅白金魚がブクブク大きくなってしまうので、なるべく間髪入れずに、次の子を用意しないといけません。

 そこで、近所の金魚屋に行きました。行ったところ、妙に店内が片づき、金魚水槽にも金魚がほとんどいませんでした。そう言えば、ここ数年、近隣の金魚屋がドンドン廃業しています。ここも近いうちにお店を畳むのかな? そんな雰囲気でした。

 とにかく金魚がいません。選択の余地はありません。

 コハクの次の子ですから、アメ色、または茶色や黒の、体色が濃い色の子が欲しかったのですが、そんな子はどこにもいません。いるのは、カラダの大きな子ばかりでした。ウチには巨大魚がいますので、カラダの大きな子はいりません。そんな大きな新入りを水槽に入れたら、サクラと水槽の覇権争いを始めて、大変な事になります。だから、欲しいのは、小さな子です。

 ザッと見渡したところ、元気が良さそうな、小さなキャリコ琉金(体色が三色の琉金)を一匹見つけましたで、その子に決めました。それがナゴンです。怪獣みたいな名前でしょ(笑)。一応、漢字表記は“納言”なんですけれどね。命名の由来は…たまたま小豆が食べたくて(笑)。でも、“アズキ”って名前もストレートすぎるから“ダイナゴン”。でも“ダイナゴン”だと何だかエラそうなので“ダイ”を取って“ナゴン”にしました。

 ウルトラマンに“ラゴン”っていう怪獣がいますが、無関係です(爆)。

 で、お値段ですが…3780円でした。高いねえ…もはや、金魚の値段ではないです。もちろん、ホームセンターにいるような子とは違うので、ある程度高くても仕方ないのですが、このクラスの子なら、今までなら1500円前後の値段だったと思います。やっぱり、最後に稼げるだけ稼いで、お店を畳んじゃうつもりなのかな? 新しいお店を開拓しておかないと…。

 ウチの水槽には、すでに三色金魚の先輩として、ニシキがいますが、ニシキは東錦(三色のオランダ獅子頭)で、ナゴンはキャリコ琉金なので、全然形が違うので、迷うことはありません。それに三色金魚って、模様が一匹一匹違うので、何匹いても、簡単に個体識別ができるのが特徴です。

 しかし、三色の金魚って長生きしないんだよね。琉金って長生きしないんだよね。その二つの特徴を持ったナゴンですが、長生きして欲しいなあ。しかし、私、キャリコ琉金を飼うのは、始めてかもしれない。

 ひとまず、ナゴンです。よろしくお願いします。

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2012年9月14日 (金)

合唱の練習って、実に面白くて退屈です

 第九の練習に参加しました。

 練習開始時に、役員の方から『パート練習をしている時は、他のパートの人は、声を出してはいけません』というお達しが出ました。やはり苦情があったんでしょうね。

 あと、ビラ配りのルール説明がありました。ビラ配り…合唱団に属していると、演奏会を開く度にチケットノルマがあるわけで、そのチケットを売りさばくために、まずはビラ配りから始めて「ところでチケット、買ってくださらない?」って感じで話を持っていくわけです。第九の練習会場って200名の合唱人がいるので、入れ食いの釣り堀のような場所なんですよ。だから皆さん、精力的にビラを配布し、チケットを売りさばくわけです。それくらい皆さん、真剣だし、演奏会を開くのって、色々と大変なんですよ。だからと言って、これを野放図にしておくと、とんでもない程の混乱になりそうだと役員サイドは判断したんでしょうね。なので、ビラ配りに一定のルールを設けました。

 まあ『アマチュアの演奏会なんだから無料で開放すればいいのに…』って、個人的には思います。その方が、事務的にも色々と楽だし簡単じゃない? でも、それぞれの団体には、それぞれの事情と、色々な思いがあって、チケットを販売しているわけで、合唱人同士、その辺をくみ取って、お互いにチケットを買い支えているわけなんですよ。どうしたもんでしょうね。

 なんて、エラそうな事を書きながら、私が現在参加している第九演奏会も、アマチュアオケ&アマチュア合唱団の演奏なのに、入場料をいただきますよ。まあ、ソリストさんたちはプロ歌手なんですけれどね…。なんか、料金をいただくのって、申し訳ないような気分になります。
 
 
 さて、練習は、発声練習から始まりました。時間にして、約30分。人間でギッチリの部屋で、そこそこマジメに歌うと…汗だくになります。汗が止まらないですよ。

 今回もハミングは注意深く行いました。上の方に響きを持っていこうとすると、最初はすべての声が鼻腔に響いてしまい、気持ち悪かったです。声が鼻腔で響くと言うのは、つまり“鼻声”なわけで、鼻声とハミングは違うので、それではアウトなわけです。ですから、意識して、声を少し後ろに引っ張ったところ、響きが副鼻腔に入りました。副鼻腔で行うハミングは、結構快適なんですよ。

 今回の練習も副指揮者さんでした。合唱の練習は…練習記号Mからです。Mの愛称は、特にありませんでした。残念。私ならMだから…「マリア」だな(笑)。

 今回、習った事で、目ウロコだった事、それは“O”のウムラウトの発音。これってクチビルは「オ」で舌は「イー」で発音するんだそうです。ん? やってみると、確かにそんな感じだね。今まではそんな事も考えずに、何となく発音していました(爆)。

 今回の練習では…私は、疲れていたせいか、他のパートの練習の時は、ひたすら寝ていました。とにかく、なんか、お疲れモードだったんですよ。なので、自分のパート練習の時だけ、寝起きで歌っていたので、音程的には上も下も出ませんでしたが、合唱だし練習だし、まあいいかと呑気な気分でやりすごしました。

 そうそう、上(高い音域)が出なかったんですよ。で、以前なら、そんな時は、明らかにぶら下がった届かない声になってしまったのですが、今回は、自然とファルセットに切り替わって、とりあえず音程的にOK(声的にはアウト)な声でで歌ってしまいました。明らかに今までとは、ノドの状態とか発声の仕組みが変わっている事が分かります。ファルセットで歌う事は、明らかに“負け”なんだけれど、合唱的には“アリ”なので、まあ良しとしましょう。でも、次回からは、しっかり実声で音程バッチリに軽く歌えるようにしたいです。

 例によって、テノールは、結構集中的に練習したわけだけれど、今回、ついに“1オクターブ下で歌う方”が、副指揮者さんに個人的に注意されました。おそらく、今まで全体に向かって注意することで、直してもらう事を期待していたのでしょうが、一向に改まらなかったので、ついに個人注意となったのだと思います。しかしテノールパートを1オクターブ下で歌えるって…、スゴいなあ、スゴすぎます。

 1オクターブ下で歌っちゃった人は、当然、初心者に毛の生えたレベルの方でしょう。面白すぎます。でも、気持ちは分かるかな? 私、フルートで、時々、1オクターブ間違えて演奏しちゃう時がある(涙)ので、それと同じような感覚なんでしょうね。これはオクターブの違いがよく分かってないからやっちゃうんですが、ま、経験を重ねていくと、1オクターブの間違いなんてしなくなりますけれど。

 それにしても、合唱の人って、ご自分の声種について、無頓着な方が大勢いらっしゃるので、きっとその方もそういう感じなんでしょうね。テノールの1オクターブ下が歌えるなら、そりゃあ、バリトンどころかバス、それもローバスだと思います。

 そこまで低い音で歌えるなら、話し声だって低音系だろうし、ご自分でも低音系だという自覚があっても不思議ないのに…それなのにテノールの席に座っちゃうって、自覚無さ過ぎ(笑)です。次回からは、バスの席に座らないと、キツいですよぉ。

 しかし、パート別練習の時に、色々うまくいかない事があって、その犯人探しのために、パートを半分に分けて歌わせる事が(テノールパートだけですが)あります。その際、歌わずにクチパクにして音的に消えてしまう人がいるので、人数半分になったのに、音量は明らかに半分以下になってしまいます。さすがにそこまで音量が少なくなると『今回は音量を減らさないぞ』と決めている私も、音量を減らさざるをえません。だって、パート練習がソロ練習のようになっては、いけないでしょ? それくらい急激に音量が減ります。で、そんな感じで無理に音量を下げると、ノドが絞まってノド声になるのが悩ましいです。もっと上手に音量を絞れるようになりたいです。
 
 
 さて、今回も一番後ろの座席をゲットしました。ただし、前回は一番後ろの席と言っても、ソプラノ側に座れたけれど、今回は反対のバス側の席になりました。で、私のすぐ横にいるバスさんが、声が飛びだすタイプの方だったので、全体で合わせて歌う時は、私には、そのバスさんの歌声しか聞こえませんでした。いくら大声でも、同じパートの人なら、その人の声に乗っかって歌えばいいのだから、楽だけれど、違うパートの人なので、その声に乗るわけにはいかず、その上、私って割と釣られやすいタイプの人なので(そういう点も合唱に不向きなんです)、釣られないように気を入れて歌っていると、思わず無意識で声を張り上げて歌ってしまいそうになります。それに、隣の人の方が声が大きいと、なんか負けたような気がしませんか? ついつい張り合いたくなりませんか? 私だって、ちょっと頑張れば、隣のバスさんを駆逐するような声で歌えるモン!

 でも、そこはきちんと自制して、おとなしくしていました。

 だって、私が本気出して歌うと…いや、本気じゃなくても、ちょっぴり気合を入れて歌うだけで、合唱をぶちこわしちゃう事は、何度も経験しています。だから、おとなしくしていないと…。それに、張り合って大声で歌うと…どうしてもノド声になってしまいます。ノド声になると、音程が下がるんだよね。音程が下がるのは…合唱では禁忌ですからね。気をつけていかないと…。

 かと言って、自分を押さえて歌っていると、周りがうるさくて、全然自分の声が聞こえません。いくら歌っても自分の声が聞こえないのは、寂しいです。でも、自分の声が聞こえないと言うのは、とりあえず、周囲の声にハマっているから聞こえないわけで、声を出していないわけではないので、聞こえなくても良しとしないといけません。自分の声が聞こえないと、音程修正などのフィードバックが出来ませんが、音程は耳で聞いて修正するのではなく、発声の際のカラダの感覚を信じて歌うしかありません。

 声を張り上げないのと同様に、なるべく声を楽に出そうと心掛けています。しかし、軽く出した声って、実に細くて頼りなげな声に感じます。でも、この声が自分の声なんだし、自分で感じている声と他人が聞く声は、また別モノなんだし、あんまりガッカリせずに、細くて頼りなげに感じる声を受け入れるところから、発声をやり直したいと思ってます。

 でもでも、本当に声が細くて頼りないのよ。隣のバスさんと比べると、ほんと、私の声って、弱々しいんだよね。

 キング先生に習っていた時は、作り声で歌っていたわけ(そういう指導だったんです)で、あれはパワフルで良い声だったのかもしれないけれど、私の声じゃないし、発声の際には、無理が色々あって、歌っていると、辛かったし、痛かったし、苦しかった。でも今は、自分の声で歌っているので、楽だし楽しい。ただ、まだ下手くそだし(音量はあるけれど)響きが足りなくて、生声っぽい事は認めます。ノドを開ける癖を早く身に付けないと…。でも、音色は確実にテノールだし、それもかなり軽い声のようなので、いつも明るい音色で歌いたいです。…ってか、暗い声で歌おうとすると、ピッチが下がる傾向があるので、常に明るい声で歌うように心掛けたいです。

 しかし、パート練習をしていて感じる事。ここのテノールさんたちの特徴は…

 1)臨時記号(半音)が苦手…ああ、私も苦手だ。

 2)練習記号の最初から歌う分には元気に歌えるけれど、途中から歌うのは苦手…これは、曲をカラダで覚えていて、楽譜を読んでいない(読めない)から、途中から歌いだすのが難しいのでしょう。なんとなく分かります。私もキング先生に習っていた時、曲の途中から歌えと言われて、よく戸惑っていましたもの(遠い思い出です)。今はそれで鍛えられたので、途中からでも歌えるようになりました。

 3)音が高くなると走る…気持ちは分かります。高い音を出すのって、シンドイものねえ…。

 4)テノールにしては音色が暗い…テノールパートなのに、バリトンのような音色で歌っております。ってか、隣のバスと音色の差があまりありません。日本男子の大半はバリトンだそうですから、テノールの音色がバリトンっぽくなるのも、初心者大歓迎の合唱団の場合、ある程度は仕方ないのかもしれません。

 だいたい市民合唱団には、元々声質がバリトンであっても、色々な都合でテノールパートを歌っている方が少なからずいらっしゃいます。そういう方の数が増えれば、ここのテノールパートもバリトンっぽい音色にならざるを得ません。でも私は、彼らに釣られて、バリトンっぽい低いポジションで歌ってしまわないようにしないと。私がバリトンっぽい声で歌うと、ノド声になってしまうので、注意注意。

 5)人数が少ない割には音量は大きめ…まあ、少なからず叫んでいるし、ほとんど胴間声で歌っている人もいる(私も少し前までは同類でした:笑)のですが、それはご愛嬌。なにしろ、200名近い合唱団のうち、テノールはたった20人しかいないわけですからね、頑張らないといけません。ま、私は頑張りませんが(笑)。
 
 
 しかし、合唱の練習って、実に面白くて退屈。だって、待ち時間だらけなんだもん。歌い足りないと言えば、全然足りない。でもまあ、そんなモンだよね。だから練習中に寝てしまうわけなんです。ふわぁ~~~…。

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2012年9月13日 (木)

月謝の払いがまだ足りませんね(笑)

 フルートのレッスンに行ってきました。

 実はレッスンに行く、ほんの4時間前に、ウィットナーに左の手のひらを噛まれて、怪我をして、流血事件を起こしてしまいました。

 その日は、中学生相手に音楽の授業をしたのですが、授業で生徒たちにウィットナーの楽譜台を使わせるんですよ。で、このウィットナーの組み立てが、ちょっとした知恵の輪で、多くの生徒たちが毎回「???」になり、上手く組み立てられない、上手く片づけられないが続出し、結局、私のところに持ってきて、どうにかしてくれって泣きつくわけです。

 で、中には、散々力業でどうにかしようとして、どうにもならなくて、あっちこっちひん曲がってしまったウィットナーを持ってくる生徒がいるんです。今回も、そういう生徒がいたと思ってください。

 本来なら、スーっと入るものが、ひっかかってうまく入らない。曲がっているところは直してみるのですが、入りそうでうまく入らない。そんな時は、仕方がないので、正しい方向に「エイヤっ」て感じで気合と共に入れちゃうのですが、今回はその時に、私の左手が尊い犠牲になりました。

 いやあ、手のひらって、傷口が小さい(幅5mmぐらいだよ)のに、血って出るもんだねえ…。ダラダラ出てたよ(笑)。まあ、脈打つような感じで出血していたわけじゃないし、血の色もかなりダークなレッドだったので「まあ、そのうち止まるだろう」とタカをくくって、傷口をベロベロとナメ廻し、したたり落ちる血をすすっていたのですが(だって、唾液って、一番お手軽な消毒液でしょ?)、なかなか出血が止まらない。時計を眺めていたのですが、1分2分しても止まらない。なんか、左手が結構痛い…。そのうち、血の味に飽きてくるんだけれど、止まらないから、ナメるのやめられなくて…やがて、少しずつ出血量が減っていき、10分を過ぎたあたりで、ナメ続けなくて良い感じになり、15分ぐらいで、ようやく出血が止まりました。いやあ、長かった。年を取ると、血も止まらなくなるんだね。

 ちなみに、時間はかかったけれど、出血量そのものは、大したことはなかったと思います。

 血さえ止まればこっちのものです。一時は、このまま救急車に乗って、傷口を縫わないといけないかなって思いましたが…結局、バンソコウを一枚貼ってお終い。

 その後も、数日は、左手を使うと、血がジワジワとにじみ出すので、適当なところでバンソコウを取り替えなければならなかったけれど、やがて血は完全に止まり、とりあえず様子見状態になりました。おそらく、完全に治るまで数週間かかりそう。傷も残るだろうなあ…。

 で、当日の話に戻ると、ひとまず出血が収まったものの、手のひらが、結構痛い。左の親指&人指し指を使うと、ジワジワと痛みます。手が痛いので、フルートのレッスンを休んでしまおうかとヒヨったくらい、痛かったのですが、結局、勇気を出して、レッスンに行きました。

 しかし、楽譜台にかまれて流血騒ぎを起こすとは、夢にも思っていませんでした。おそるべきは、ドイツの楽譜台、ウィットナー。人間様よりも堅牢にできていやがる。いやあ、ドイツ魂を見せてもらいました。
 
 
 肝心のレッスンですが、結論を先に書くと、アルテもミニヨン・エチュードも両方とも不合格でした。元々まだ完成度が低かった上に、左手の痛みに気を取られて、あっちこっち演奏が止まってしまったので、まあ、今週は仕方無しです。

 アルテ15課5章1番の『音階準備練習』なんて、まだ間違えるわけです。そうすると、先生は、私が間違えた、その音からやり直せって言います。私は間違えた時は、間違えた事は分かりますが、色々と余裕がないので、どこで間違えたのか、それはどのターン(どこの音から始まってどこの音で終わるのか)なのか、上昇音形の時なのか下降音形の時なのか、一度目なのか二度目の繰り返しで間違えたのか、間違えた途端に、パ~っと頭の中が白くなって分からなくなってしまうのですが、それじゃあダメだと言われました。ちゃんと頭の中で、どこを吹いているのか、何の音を吹いているのか、しっかり意識して、たとえ間違えたとしても、いつでも、その間違えた箇所から始められるようにしなさいって言われました。ううむ、今度から自宅で練習する時も、そのあたりの事を意識しながら練習してみましょう。

 ミニヨン・エチュードの15番は、前半はまあまあですが、後半がボロボロになります。これは一人で吹いていると、はっきり分かりませんが、先生と二人で吹いていると、前半はいい調子で吹けますが、後半は私の指が先生の演奏にまったく追いついていないので、すぐに「あ、後半がダメなんだな」って分かります。先生には「まずはゆっくりでいいから、しっかり吹いて来ること。スピードをあげるのは、そのあとでいいよ」と慰められました。

 今回もまた「吹きすぎ!」って注意されました。いやあ、私自身、かなり気をつけているつもりですが、やはり吹きすぎてしまいます。

 「君は頭部管を抜きすぎなんだよ」と言われました。「君は頭部管を多めに抜いて、フルート全体の調子を低めにして、そこへ息をたくさん入れて吹き上げて、音程を合わせている。それじゃあ、美しくないよ」なんだそうです。「まず、頭部管はあまり抜かない事。フルートには軽く息を入れること。その状態でチューナーを見て、音程を確認してごらん」

 なるほど、私は、フルートの音程を低めに設定して、それを息の力で音を高くして音程を合わせていたのか…なんか納得してしまいました。

 フルートの初心者の頃、もちろん、ブレスコントロールがちゃんとできなくて、それでチューニングすると、かなり頭部管を抜かないと合わないわけで、その頃の癖がまだ抜けていない…んでしょう。

 「初心者の時は、頭部管を抜きすぎてしまうのも仕方ないですが、もう、そういう段階ではないのだから、頭部管はあまり抜かず、息をはあまり入れず、優しくフルートを吹いてください」 ラジャーです。

 「フルートの音量は、息の量で決めるんじゃないですよ、それではうるさい音色になってしまいます。フルートの音量は、クチの中の広さで決まります。クチの中を広くして吹くと、大きな音になりますよ」とおっしゃって、先生、やおらフルートを取り出して、吹き始めました。

 モーツァルトのフルートコンチェルト、ベートーベンの第九、ブラームスの1番…これらの曲のフルートパートを、良い吹き方、悪い吹き方の色々なスタイルを交えて、吹いてくれました。特に、理想的な吹き方の方では、結構たっぷりと生演奏を聞かせてくれました。

 どうやら先生は、ただうるさいだけのフルートの音と、オーケストラでも通用する優しくて良く響く音の両方を実演してくださったようです。それにしても、美しい音色に、ほれぼれしちゃいます。

 「分かりましたか」

 「よく分かりました。分かりましたが、なかなかできません」

 「分かったからと言って、簡単にできるわけはありません。もっともっと精進してください。そうすると出来る様になりますよ。つまり『月謝の払いがまだ足りない』って事です。ウチの生徒さんは、みんな長いんですよ。10年20年習っている人もザラです。これくらいの事は、毎週レッスンに通っていると、やがて出来る様になりますからね」って言われました。まあ、そうでしょうね。出来る様になるまで、せっせと月謝を支払わせていただきます(爆)。

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2012年9月12日 (水)

国立競技場に行ってきたよ

 先日、女子サッカーU-20のワールドカップとやらを見に、国立競技場に行きました。一応、決勝戦と三位決定戦って奴ね。日本は三位決定戦の方に出てました。で、今回の記事は、サッカー観戦記…ではなく、国立競技場に行った感想(笑)です。いやいや、国立競技場と言うところは、なかなかに面白いところだったので、また行く時のために、色々と書いておこうと思いました。いわば、自分用の覚書です。

 まず、国立競技場の安い席には、基本的に日影はありません。熱いです。日焼け対策は万全にしておかないと後悔します。どうしても日影が欲しい人は、お高い席へどうぞ。ちなみに今回の私は“カテゴリー3”というお安い席(自由席だよ)でしたので、日影はありませんでしたが、移動の自由はありました(笑)。

 運動系の施設ではお決まりの、手荷物検査って奴が、入場の際にあります。ま、これは国立競技場に限った話じゃないけれど、どうして、運動系の施設って、必ず客の荷物を調べるのかね? なんか信用されていない気がして、ちょっと不機嫌な気分になります。例によって、お飲み物は、徹底的した取り締まりを受けるわけです。

 今まで私が行ったところだと、運動系の施設はどこも、飲料の持ち込みは不可です。なので、自分で用意した飲料を持ち込む際には、ビン・缶・ペットボトル・紙パックなどの容器は廃棄し、中味は入り口に用意してある紙コップに移しかえて持ち込む事…って所が大半。ただし、場内で販売されている飲料に関しては、特におとがめ無しって感じで、普通に普通のモノが、ちょっとお高い値段で販売されています。

 ところが、国立競技場はちょっと違ってました。飲料に関しては、ビン・缶は持ち込み不可です。他の施設同様に、紙コップに移しかえます。しかし、ペットボトルの持ち込みは可です。ただし、ラベルを剥がし、キャップを外すし、ラベルとキャップを廃棄すればOKです。しかし、コカコーラ製品だけは、ラベルを剥がさずに、キャップを外して廃棄すだけでOKです。

 ちなみに、場内で販売されている飲料は、ソフトドリンクはコカコーラ社のモノだけで、こちらは販売される際にキャップを開けられて没収されてから手渡されます。ビールはキリン社だけで、こちらは紙コップに入れ換えて販売されていました。まあ、もっともビールに関しては、大半が生ビールだったし、サーバーから入れてたので、紙コップってのは理解できますが、缶ビールも紙コップに入れて渡すんだよね。ちなみに、紙パックに入った飲み物の持ち込みは、スルー。何のお咎めもありません。うむ、なんか色々とよく分かりません。

 で、キャップのない、クチのあいたままのペットポトルって、なんかなあ…って思いました。だって、クチが開いたままだと、コーラなどの炭酸系は気が抜けちゃうでしょ? その他のモノでも、ペットボトルって、倒れやすい形しているじゃない? なので、あっちでもこっちでも、ペットボトルを倒して、中味がジョワジョワジョワ~って光景を見ました。かく言う私も、買ったばかりのお茶を妻に倒されてジョワジョワジョワ~~で、一瞬にして無くなってしまいました(涙)。まあ、飲み物を床や座席に置く方が悪いと言えば悪いのだけれど、だから言って、ずっと手に持っているわけにもいかないじゃない? 実にキャップのないペットボトルって、悲しい存在です。

 結論。国立競技場に行く時は、水筒を持ち込みましょう。で、買った飲み物は、その場で水筒に移しかえる事。それが吉です。
 
 
 交通の便だけれど、車の人は勝手に行ってください(笑)。電車をご利用の方は、最寄り駅は千駄ヶ谷って事になってますが、千駄ヶ谷から行って良いのは、指定席の方ですね。自由席の方は千駄ヶ谷から行くと、たくさん歩いてしまいます。自由席の人は信濃町から行って、青山門から入場した方が良いです。

 ちなみに、千駄ヶ谷にしても、信濃町にしても、売店の類は駅周辺にしか無いので、必要なら駅で買い物をして持ち込む事。競技場周辺には売店はありません。

 で、場内での食べ物は…こういう施設の常で、市価よりかなりお高くなってます。まあ、商慣行って奴ですね。競技場には一度入ったら、再入場はできない事になっているので、仕方ないです。場内でしか、買い物はできないので、多少お高くても、目をつぶって買うしかないのです。

 どの売店も同じものが同じ値段で売っているように見えますが、よくよく見ると、微妙に違いますので、ちょっと注意が必要です。同じ品目でも、高い店ともっと高い店、同じ値段でも、容量の少ない店と普通の店があります。まあ、ご自分の足で確認してみてください(笑)。

 私が歩いた範囲では、幕の内弁当とかおにぎりとかの食事系のメニューはなく、サンドウィッチや焼きそばなどの軽食系のメニューばかりが目立ちました。私的には、サンドウィッチや焼きそばって、食事じゃなくて、おやつなんだよね。競技場で、昼食と夕食を食べざるを得ないのに、そんなメニューばかりだったので、悲しかったです。ま、色々と歩き回って、やっとカレーライスを見つけた時は、砂漠でオアシスを見つけた気分でした。…次に行く時は、コンビニでお弁当を買って、持ち込むんだ!

 座った座席だけれど、最初は何も考えずに「日本サイド」と言う入り口から入って座ったら、スッゴ~~~~ク混んでた。それこそ“立錐の余地もない”程。実に息苦しい環境でした。で、冷静になって、周り(と言っても、遠くの周囲ね)を見ると、ガラガラ。んん?と思ったところ、どうやら私は、ゴール裏のサポーター席に座ってしまったようなんです。ううむ、別に日本を応援することはヤブサカではないが、サポーターという程熱心ではないし、何より混雑は大の苦手なので、さっそくバックスタンド側に移動。そこは実に広々として、スカスカ。おまけに試合はもちろん、競技場全体がよく見えるし、まあまあな席でした。

 ちなみに座席には屋根はありません。当日はカンカン照りだったので、座席に座っていると焼かれる気分です。なので、試合を見ていない時は、座席裏の通路(売店などがあるエリア。ここはたいてい日影)に避難してました(笑)。

 応援と言うと、結構日の丸を見かけましたね。で、日の丸を振って応援している人がたくさんいました。微笑ましいです。その中に、日の丸ではなく、旭日旗を振って応援している人たちがいました。係員がやってきて、すぐに注意されていました。「日の丸はOKなのに、旭日旗はアウトかい!」とちょっと憤慨した私ですが、どうやら問題は旭日旗だけでなく、着ていたTシャツも合わせて注意されていたようです。と言うのも、そのTシャツには「竹島は日本固有の領土」って書かれていたんですね。当たり前の事が当たり前に書かれていただけだし、バックスタンドに座っている人のTシャツなんて、テレビカメラで狙わない限り、誰も気づかないよ。問題にする事でもないような気がするんだけどなあ…。ダメかな?

 各国のサポーターさんたちの応援の仕方は、日本は太鼓と声援で、なんか一丸となって応援している感じがして良かったです。ナイジェリアはブラスバンドが出動して、いわゆる野球スタイルで応援していました。ブラスバンドを使った応援だと、一部の人が熱心に応援しているような印象になるなあ…、太鼓と声援の方が私は好きだな。ドイツとアメリカは、鳴り物無しで、声援だけで応援してました。ドイツはサポーター席にも、そこそこ人が座っていて、頑張って応援していました…が、アメリカは、本当にサポーターが少なくて、ちょっと可哀相でした。東京には、アメリカ人がたくさんいるはずなんだけれど、アメリカ人って、サッカーに興味がないのかしらねえ?

 試合が始まる前に国歌斉唱のコーナーがあったので、久し振りに、思いっきり『君が代』を歌ってきたよ。国歌だけれど、普段は歌う機会がないので、こういう時じゃないと歌えないから、思いっきり歌ってきたよ。日本人サポーターも頑張って『君が代』を歌ってましたね。やっぱり、国際試合になると、国旗国歌が大活躍だ!

 試合結果は、三位決定戦の方は、ご存じのとおり、日本が勝って、第三位の銅メダルになったわけだけれど、もしも私がナイジェリア人だったら、きっとイライラしたと思う。と言うのも、明らかに日本チームの方が色々な面で劣っているんだもん。カラダも小さいし、足も遅いし、ボールはたいていナイジェリアチームがキープしているし、攻めているのもナイジェリアばかりだし…なのに、試合が終わると勝ったのは日本でしょ。サッカーって、強そうなチームだからと言って、簡単に勝てるほど、単純なゲームじゃないって事だね。

 しかし、私はサッカーに詳しくないせいもあるけれど、試合会場で見るサッカーって、あまり面白くないです。どこを見るべきなのか分からないし、どこを見たら良いのか分からない。私のようなシロートは、テレビでサッカーを見た方が楽しめるという事を学びました。野球は球場で見ても面白いけれど、サッカーは…まるでチンプンカンプンでした。

 実は決勝戦を最後まで見ずに、決勝戦の前半まで見て帰りました。理由ですか? いくらスカスカとは言え、一応、国立競技場には2万2千人の観客がいたそうです。その集団に交じって、電車に乗って帰る? それも最後の表彰式まで見ちゃうと、確実に競技場を出るのが、夜の10時過ぎるし…。ちょっとそれは勘弁って事で、混雑を避ける意味で、早めに帰りました。これで、悠々と電車に乗って帰れる…と思ったら、水道橋から、妙齢の女子集団が電車に乗ってきて、ギューギュー詰めになって、エラいことになってしまいました。調べてみたら、この人たち、タキツバ(タッキー&翼)の10周年記念ライブのお帰りだったみたいです。道理で、エラク着飾っていらっしゃるわけだ。結局、地元まで、タキツバファンの方々に囲まれて帰りました。せっかく、早く国立競技場を出てきたのに、混雑に巻き込まれるとは…残念! でも、妙齢の女性たちに囲まれての帰宅は、悪い気はしませんでした(爆)。

 ところで、ドイツとアメリカは、どっちが勝ったの?

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2012年9月11日 (火)

テノールだからと言って自爆しちゃダメですが、ましてやソプラノなら…

 昨日の記事の続きで、声楽のレッスンの後半の様子です。
 
 『セレナータ/La Serenata』は、まあまあ良しだそうです。曲自体が簡単って事もあって、ピアニストさんとの合わせも、大きな問題はありません。楽譜だけを見ると、こっちの方がウンと難しそうに見えますが、実際に合わせてみると『優雅な月よ/Vaga luna, che inargenti』の方が、全然難易度が上です。楽譜の黒さに、だまされちゃいけませんね。

 なんでも『優雅な月よ』は見た目が簡単に見えるので、音大生あたりが試験の曲などに選んでしまって、大変な目に合う曲なんだそうです。実際、この曲は、コンクールなどで頻繁に歌われるほど、難しく、歌手の力量が丸見えになってしまう曲なんだそうです。…そんな曲を、知らなかったとは言え、選んじゃった私は、大馬鹿ものです。ピアニストさんも「この曲ヤだ」って本音で言っちゃうくらい、色々と面倒くさい曲なんですよ。

 その点、楽譜が黒い『セレナータ』の方が、要所要所がカチっとしているので、指は大変でしょうが、合わせてみると、なんとなく合ってしまうものです。とは言え、やはり部分部分では、シンクロ率の低い部分もありますから、要練習である事は事実です。

 この曲の聞かせ所は、実は二カ所あります。「ア~ア~~ララララ~」と歌手が自由なテンポで歌える箇所と、ppの箇所です。このppの箇所は、その前のフレーズのリフレインですから、私的には“こだま”か何かのように解釈していました。でも、その歌い方では美しくないと言われてしまいました。私はこだまのつもりで歌っていましたが、端から聞くと「何やら声がこもっているだけ」なんだそうです(残念)。

 「ppは音量的には確かに小さな音だけれど、エネルギーをたくさん使って、しっかり歌ってください」というわけで、小さいけれど、しっかりと歌うことになりました。

 しゃべるところと歌うところを分けるのは『優雅な月よ』と同じですが、この曲では、歌う部分は、もっともっと声に推進力をつけて、前へ前へと歌っていく事が大切。「止まったら死んでしまう」というぐらいの気持ちで歌うように言われました。
 
 
 さて、妻の方ですが、妻は私以上にマジメに歌う人なので「止まったら死んでしまう」という注意を、私同様に受けてましたが、私の場合は「そういう気持ちで歌う」でいいのですが、妻は実際に、動きながら歌わされていました。そう、妻は踊りながら歌っていたわけです。とにかく、止まったまま歌ったら(声もカラダも固まって)死んでしまうわけですから(笑)。

 妻の悪い癖の一つは“低い音を頑張って歌ってしまう”という事です。彼女は、本来は高いソプラノ(らしい)のですが、合唱や歌劇団ではメゾとかアルトを歌っていたわけで、そのために、どうしても低い音を見ると、気合をいれて無理して歌ってしまって、その結果、発声がダメになってしまうのです。なので「低い音は捨てる」ように注意されていました。そして、高い音は気楽に発声する事、声は前へ出していく事、息は大きな円を描くように吐いていく事、などを注意されていました。

 ちなみに、私は高い声を気合を入れて歌って撃沈するのが欠点ですが、妻は低い声を気合を入れて歌って発声を壊すのが欠点なんだそうです。まあ、夫婦ですから、高い声低い声の違いはあっても、やっている事は似たようなモンなんです。

 そうそう、妻は「目(頬骨)で声を支えなさい」って言われてました。彼女は、気を許すと胸で声を支えがちなので、しっかり目で声を支えるように注意されていました。ちなみに私は「目で声を支える気持ちを忘れずに…」ぐらいの言い方で、妻ほどはしっかり目で声を支える必要はないみたいです。目で声を支える…声の響きを副鼻腔に集める…程度の意味だと思いますが。

 彼女は『O mio babbino caro/私のお父さん』というオペラアリアを歌います。オペラアリアというと、劇的に盛り上げないといけないという思い込みがありますが、それは歌える人がやれば良いのであって、そこまでの力がないのに、無理やり曲を盛り上げてしまうと、最後まで歌えなくなるので、自分ができる範囲の盛り上げ方で済ませないといけないのだそうです(ある意味、当たり前)。

 自分の限度を越えて歌おうとする…のは、テノール歌手の特徴なんだそうです(笑)が、妻はまるでテノール歌手のようなスタイルで歌ってしまうのだと先生に言われてました。ソプラノってのは、もっと素っ気なく、冒険を避けて歌うもの…らしいのです。だから、徹底的にあっさりと、だけど最低限の箇所では、可能な範囲で盛り上げて歌っていくように言われていました。

 全身全霊で自分の限界を越えて歌う…そういう自爆型の歌い方は、テノールであっても誉められたものではないけれど、ソプラノなら、なおさら、絶対にしてはいけない歌い方なんだそうです。

 ソプラノは、常に軽く軽く、ふわっとした気分で歌うのだそうです。ソプラノなら、、決して、歌って消耗して(見えるようで)はいけないのです。常に歌い終わった後も、余力を感じさせるくらいじゃないとダメなんだそうです。そして、そこを目指さないといけないわけで、歌い終わった時に「私、まだ、いけますよ」って顔をしてないといけないそうです。「もう、ダメ。今の歌で全力使い果たした~。もう歌えない」なんて状態になってはいけないのだそうです(それが許されるのは、テノールだけ:笑)。

 つまり「バカをやっても許されるのは、テノールだけ。ソプラノは、絶対にテノールのマネはしちゃダメ」って事です。

 まあ、いつも、私が隣で自爆していますから、それが知らず知らずのうちに、妻に伝染ったのかもしれません(笑)。

 まあ、そんなこんなで妻も頑張ってますよ。
 
 
 本番が近づいてます。後、だいたい一カ月ぐらいでしょうか? なので、今はレッスンで、本番に向けての曲を練習しているわけだけれど、本番が終わって、純粋にレッスンのためのレッスンを始めるようになった時に、レッスンで歌う曲の選択は、どうなっているのでしょうか?と尋ねてみました。

 やはり、思った通り、生徒さんが自由に自分の好きな曲を持ってきて、それをレッスンするのだそうです。もちろん、実力からあまりにかけ離れた曲を持ってきた時は不可ですが、基本は“自分が歌いたい曲を練習する”というスタイルのレッスンをしていくそうです。まあ、発表会が“自分が歌いたい曲で発表会に出演する”というスタイルだったから、レッスンもそうじゃないかなって思ったましたが、やはり同様のスタイルでした。

 もちろん“先生におまかせ”というコースもありますが、やはり基本は『自分で曲を持ってくる』なんだそうです。と言うのも「自分が歌いたい曲なら、一生懸命練習するでしょ」と言うのが先生の言い分だけれど、私たち大人の生徒の場合、常に問題になるのが『あと何回、歌えるのか?』と言った時間制限の事。人生の残り時間の事もそうだけれど、日々忙しいからね。いつ何どき、歌から離れなければならなくなるような生活環境になるかもしれないわけです。歌える環境にある今のうちに、歌いたい曲を片っ端から歌っていくのも…アリと言えばアリです。

 確かに私なんかは、歌いたい歌は、たくさんあります。どれを選んだらいいのか困っちゃうくらい、アレもコレも歌いたいので、好きな曲を持っていけるシステムはうれしいのですが、困った事だってあります。

 それは、自分の事は案外自分じゃ分からない、って事です。今、自分はどんな不足点があって、それを克服するためには、今、何をを学ばないといけないのか。そのためには、どういうタイプの曲を練習のために歌ったらいいのか。全然わかりません。あと、オペラや声楽が好き…とは言っても、しょせんは、素人のオッチャンの趣味です。専門教育を受けた人やプロ歌手とは、知っている曲の数が違うし、ジャンルだって偏っているでしょう。

 それと、自分で選曲すると言う事は、既知の曲の中から選んでいくわけで、そうなると“まだ知らぬ名曲との出会い”って奴はなくなってしまうわけです。ああ、悩ましいなあ。

 まあ、なんであれかんであれ、そろそろ次のレッスン曲の候補を決めて、先生のところに持っていかないといけないわけで、ボチボチと次のレッスン曲の選定作業に入った方が良いねえ…。何を歌おうかな?
 
 
 Y門下の発表会の出演者さんたちの衣装が実にバラエティに富んでいたので、先生に発表会のドレスコードの事を尋ねたら、やっぱり、ドレスコードは無いそうです。唯一のドレスコードは「TシャツにGパンは不可」という事だけだそうです。その理由は…やはり発表会の参加のための敷居を下げるためだそうです。発表会のために、衣装を用意するなどの経済的な負担をかけてしまうと、発表会に出演しづらくなるだろうから、それを避けるために、日常生活でのオシャレ着の範囲でOKにしているのだそうです。もちろん、お金をかけて着飾りたい人は、思いっきり着飾るのもOKだそうです。

 確かに、発表会での衣装ってのは、経済的なネックとしては大きいよね。私も最初の発表会の時に、タキシードを作ったけれど、まあ色々と大変だったもんなあ。経済的な負担が少な目の方がうれしいのは本音です。あと、オペラアリアを歌うなら、役にふさわしい服装というのもあるわけだから、なんでもかんでも着飾ればいいってモンじゃないのも確かです。

 ま、ドレスコードがどうであれ、きっと私は、タキシードを来て発表会に出演するんだろうな。だって、ビジネススーツなんて日常的に着ている服でステージに上がったら、気分が日常生活のまんまになっちゃいそう。やっぱり、戦場に行くなら、戦闘服を着ないとね。私にとって、歌のステージでの戦闘服は…タキシードだよね。ま、経済的な余裕が出来たら、燕尾服も作ってみたいと思ってますが(笑)。

 ちなみに、妻はもう本番曲の暗譜を終えたそうです。私は…まだまだだよ。ああ、ちょっと焦ります。

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2012年9月10日 (月)

高音はテクニックで歌いなさい

 声楽のレッスンに行ってきました。

 ピアニストさんと、我が家の前で待ち合わせをして、三人で彼女の車に乗り込んでレッスンに行きました。つまり、ピアニスト持ち込みのレッスンをしたわけです。

 せっかく、ピアニストさんがいるので、いつもの発声練習はそこそこにして、すぐに曲の練習に取りかかりました。

 それにしても、ピアニストさんがいると、先生はピアノを弾かずに済むわけで、その分、レッスンに集中できるので、ピアニストさん持ち込みのレッスンは、先生にとっても、うれしいんだそうです。なにしろ、私たちのレッスンは、夜の遅い時間にやってますが、先生自体は、朝も早くからレッスンをやってらっしゃるようなんですよ。

 生徒さんを減らす予定のY先生でしたが、どうやら、先日亡くなられたK先生のお弟子さんたちを引き受けたよう(一時的か、永続的かは知りませんが)で、なんかとてもレッスンがお忙しくなってしまったようなんです。ま、オペラ歌手なんて自営業ですから、忙しいうちが華ですね。先生、がんばれ~。

 普段は、ピアノ弾きながら、しゃべりでレッスンを進行しているY先生ですが、ピアノ伴奏から解放されたら、もう、ボディランゲージ出しまくりで、踊るは跳ねるは手振り身振り付きで一生懸命レッスンされていました。まるで、指揮台にいるバーンスタインみたい(笑)。こういうレッスンも面白いですね。

 レッスンは、本番に向けてのレッスンなので、先生はピアニストさんにも、色々とアドヴァイスをされていました。演奏の難しい箇所は、先生が実際にピアノを弾いて、お手本を示すなどをしてくださったので、ピアニストさんも勉強になったようです。

 しかし、ウチのピアニストさんも、なかなかの凄腕だけど、やはりピアニストとして主役でピアノを弾くのと、伴奏者として歌手に寄り添ってピアノを弾くのは、だいぶ違うみたいです。そのあたりの事を中心に、Y先生はご指導されていました。

 それにしても、Y先生も、かなりのピアノの達人じゃないかな? さすがはピアノ教室でピアノ教師をやっていたという経歴もある人です。“声楽家が弾くピアノ”のレベルは越えているんじゃないのかな? これだけ弾けるなら、歌手じゃなく、伴奏ピアニストとしても、プロとしてやれるんじゃないの? いや、マジで。

 ですから『優雅な月よ/Vaga luna, che inargenti』のような、合わせの難しい曲も、歌手としてやるべき事を私に、ピアニストとしてやるべき事をピアニストさんに、それぞれにアドヴァイスをしてくださいました。例えば、ブレスがあるためにうまく合わないところは、待っている時のピアノの弾き方とか、具体的にどこの音符で止まって、どこで合わせていくかをピアニストさんに指示し、ブレス前の音符の処理の仕方や休符でのカラダの使い方などを私に指示して下さいました。

 私とピアニストさんだけで合わせていると、どうしてもうまく行かない部分があったのですが、そういう所も、先生のそれぞれに下さるアドヴァイスで、なんか段々と上手く、歌とピアノがかみ合う様になってきました。やっぱりピアノ合わせは、二人でやるより、三人で力合わせてやった方が、何倍もスムーズにいきます。

 それと、先生のピアニストさんへの指導を見ていると、ピアニストさんには、こういう言い方で話をすると通じやすいのか…などと言った感じで、勉強になります。
 
 
 さて、私の歌に関する、レッスンの様子を書いていきます。

 まずは『優雅な月よ/Vaga luna, che inargenti』。この曲の聞かせ所には、高いGがあります。この音を歌うのは、私にとっては博打で、成功する時もあれば、失敗して撃沈してしまう時もあります。ま、以前から高音は博打だったので、私的には気合を入れて、その箇所を乗り切るしかないだろうと思ってましたが、Y先生的には、それではダメって事なんです。

 高い音は、気合ではなく、テクニックを使って確実に歌いなさい…そう言う事なんだそうです。でもね、問題は、高い音を出すテクニックって奴を、私は知らないんですよ(涙)。

 先生も、私があまりに無防備に高音に突入していくので、それをとても不安に感じていた様です。私の歌は、あまりに無手勝流で、その結果、思いっきりノド声となって、撃沈していく、典型的な悪いテノールの歌なんだそうです。

 しっかり息を支えて歌う事。クチ大きく開いて、ノドを下げる事。これらは当然の事だけれど、高音発声では、それらに加えて、胸筋を上手に使っていかないとダメだと言われました。ま、当然ですが、私は胸筋などを意識して使って歌った事ないので、そりゃあ、無手勝流になるよね。

 と言うわけで、しばしの間、胸筋の使い方の練習をしました。肩を引いてみたり、腕をネジってみたり、手のひらを開いてみたり、肩甲骨を上げたり寄せたり…ひと言で「胸筋を開く」と言っても、色々なやり方と、どこまで開けるのかと言った事もあって、たかが胸筋ですが、どうにも奥深そうです。

 「Gの前に、しっかり息を支え、クチと胸筋を大きく開いておき、それで歌いだすなら、高い音も、博打にならずに、必ずうまく歌える」と先生はおっしゃいます。確かにそうなんですが、問題は、そこまでの準備を発声前にしっかりできるか…だね。そこに行くまでにバテバテになっている事だってあるわけだよ。難しい問題だね。
 
 
 歌うところと、しゃべるところは、しっかりと分けて、しゃべるところは、しっかりしゃべらないとダメなんだそうです。と言うのも、しゃべりの箇所は、ノドを休めている箇所だから、しゃべりのところでノドを休めて、歌うところで思いっきり歌うようにする。だいたい、曲そのものが、そのように出来ているので、そう歌いましょうと言われました。

 どうも、テノールという人種は、どこもかしこも歌いたがって、その結果、歌いすぎて、撃沈する…という過ちを何度も繰り返す(笑)人種のようなので「とにかく、休めるところは休む。楽をしながら歌う」という事を常に念頭に置いて歌うように言われました。

 高い音が続く箇所は「うわ~、高い音が続くよ。大変だなあ」という気持ちで歌ってはいけないそうです。それは撃沈の原因になります。「高い音が続いているね。それがなにか?」というような、上から目線のタカビーな態度で歌う事が大切なんだそうです。また、高い音の連続の中に、たまに低い音が交じっているようなフレーズの時、その低い音は、土下座している人間を上から見下すような態度で歌うのがgoodだそうです。…なんか、人間が悪くなりそう(笑)。

 ザックリ言えば「高い音なんか楽に出る」「低い音なんて捨ててやる」って態度が大切って事です。…そんなキャラ、私の中にはないよ(笑)。

 先生がおっしゃるには、私はかなり高い音まで出るタイプの声(ホントかな?)のようです。ただ、あまりにテクニックが無さ過ぎて、持って生まれた高音をうまく発声できずに、それで撃沈しているようなんです。

 だから、私の場合“高い音を出す練習”は、あまり意味のない事なんだそうです。だって、放っておいても高い音は出るから…だそうです。むしろ、足りないテクニックをきちんと磨いて、中音域をしっかりと楽に歌えるようになれば、高い音で撃沈する事は…少なくなるそうです。

 少なくなる…まあ、テノールってのは、その日の体調次第で、プロでも撃沈するので、撃沈自体は、どうやっても避けられないようです(笑)。

 とりあえず、高い音をしっかり確実に出すには、1)体調管理をしっかりする。2)高い音以外を楽に楽に歌う。3)高い音はテクニックで出す。 これら3点をしっかり守ることが大切です。

 あ、本番の前日は運動会じゃん。私、疲れ切っているかもしれない(涙)。

 「どうやら本番は、高声用でいけそうだね」と先生からOKが出ました。この曲、どうしても歌えなければ、中声用の楽譜に切り換えて本番ステージに上がるという選択肢もあったわけです。だって、いくら難しい曲とは言え、中声用の楽譜なら、テノールの私には楽勝な話ですからね。でも、これで本番は高声用の楽譜で歌いますよ。ただ、その日の体調次第で撃沈もあるかもという事も折り込み済みですが(笑)。

 なにしろ「テノール」と書いて「げきちん」って読む…わけですからね。
 
 
 記事もだいぶ長くなってきたので、残りはまた明日アップします。

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2012年9月 9日 (日)

最近見かけなくなったモノ[2012年9月第2週・通算28週]

体重:108.7kg[-0.9kg:+5.6kg]
体脂肪率:32.0%[+-0.3%:+1.1%]
BMI:34.3[-0.3:+1.9]
体脂肪質量:34.8kg[+0.1kg:+1.9kg]
腹囲:104.0cm[+-0.0cm:+5.5cm]
     [先週との差:2012年当初との差]

 人生を半世紀以上も生きていると、世の中、色々と変わるものです。どこにでも有ったモノがなくなり、無かったモノが生活必需品になっている…とか。

 そこで今回は、私が子供の頃に、たくさんあったのに、今ではめっきり見られなくなってしまったモノについて書いて、色々と懐かしんでみたいと思います。

 
オモチャ屋
 昔はデパートの中でも大きな面積を占めていたのが、オモチャ屋です。町のあっちこっちにオモチャ屋があって、いつも子供たちの声が聞こえて、それはそれは元気で勢いがありました。昔のオモチャ屋には、色々なオモチャがありました。ボールやメンコ、ベーゴマやビー玉、お人形とおままごとセット、ボードゲームにプラモにぬいぐるみ、駄菓子を売っている店もありましたね。

 そして、学校近くにあったお店の多くが文房具店を兼ねていたか、あるいは文房具屋なのにオモチャを置いていた…ような気がします。当時のオモチャ屋って、子どもの必要(欲望)を満たすものが、ゴチャゴチャと置いてあったと思います。

 それにしても、昔のオモチャなんて、一つ一つがさほど高価でなく、いや、むしろ、チープだったような気がします。今でもオモチャ屋そのものはありますが、数が減ってしまった上に、扱っているモノが高価になってしまったような気がします。それこそ、昔は子どもが小遣い握りしめて買い物をしていた店がオモチャ屋だったのに、今では大きなお友達たちが、ドドンと大人買いをしているのがオモチャ屋…でしょ。様変わりしたものです。
 
 
本屋とレコード屋
 ネット通販が始まって、最初に餌食になったのが、本屋とレコード屋だったと思います。

 少年時代、私は休みになると、本屋に行って、端から端まで本棚を眺めて、毎週のように本を買っていました。当時の私は、まさに活字中毒者で、今では考えられないくらいのハイペースで日々、読書に勤しんでいました。レコード屋も然りです。やはりお休みごとにレコード屋に行っては、新譜をチェックし、欲しいモノを見つけると、買おうか買うまいか、ウンウンと悩んでいましたね。当時のレコードは、まだ輸入盤が珍しく、基本的に高価な国内盤しかなく、若くて経済力があまりなかった私は、本を買うほど気軽にはレコードは買えませんでした。今のCDとは違って、レコードって、ちょっと贅沢品の香りがしてましたね。その点、気になる音楽はYouTubeでチェックできる今の若者は、恵まれていると思います。

 今はもう、あの頃にお世話になった、本屋もレコード屋も、ほとんど消えてなくなってしまいました。残っている店は、規模をうんと縮小して、細々と営業しています。ネット通販のおかげで、きれいな新品を安い値段で入手できるようなり、洋書も輸入盤も手軽に入手できるようになると…リアルな本屋やレコード屋(今風に言えば、CDショップ)は太刀打ちできなくなります。

 通販は便利だけれど、やっぱり買い物は、直接手にとって品選びをしたいと思う、昭和生まれのオジサンでした。
 
 
小川と沼
 昔は、あっちこっちに小川が流れていました。子どもの頃は、そんな小川でメダカを取ったり、笹舟を流して遊んでいました。沼もあっちこっちにありました。ザリガニを釣ったり、カメを追いかけてみたり、発泡スチロールで作った舟を浮かべて水遊びをしていました。

 かつて小川だったところは、今では蓋をされて道路になり、沼だったところは埋め立てられて、宅地になっています。残念です。

 昔の小学生たちにとっては、小川だとか沼なんてモノは、夏の社交場だったと思います。小川や沼には柵なんてもモノはなく、みんな水に入って遊んでいたけれど、不思議と水難事故なんて無かったものです。今の子は、水泳と釣りしか知らないし、普段の生活の中で水辺に近寄る事もないので、水辺の楽しみ方を知らないんでしょうね。だから、ちょっとした油断で、水難事故にあう…のかもしれないと思いました。
 
 
デパートの大食堂
 かつてのデパートには、たいてい最上階に大食堂がありました。入り口に料理の模型がズラズラズラ~と並べてあって、それを眺めて品定めをしたものです。メニューも豊富で、和洋中華、なんでもそろっていました。当時のデパートと言うのは、オシャレをしてお出かけする場所だったので、大食堂での食事にもハレの気分が満ち溢れていました。

 子どもにとって、デパートの大食堂って言うと、お子さまランチですね。お子さまランチこそが、憧れでした。ランチプレートに、当時の子どものあこがれの料理の数々…ハンバーグやエビフライ、チキンライスにプリンにナポリタン…が乗っていました。昭和の子どもにとって、これがどれだけのご馳走だったか…平成の子たちには分からないだろうなあ…。当時子どもだった私たちは、お子さまランチを見ているだけで、気分がウキウキワクワクしたものでした。まだまだ洋食が憧れだった時代でしたからね。

 デパートの大食堂と今のファミレスは似ていますが、でもなんか違う。ファミレスは日常生活の延長なんだけれど、デパートの大食堂って、特別な場所だし、家族で外食をするってのが、一大イベントだったんだよね。
 
 
電車の切符と駅員さん
 昔は電車に乗るために、必ず切符を買ってました。窓口に行って「○○行き、オトナ一枚」とか言って、一枚一枚買ってました。それを駅の改札口で駅員さんに渡して入鉄してもらって、電車に乗ったわけです。目的の駅に着けば、降りる駅の改札口の駅員さんに切符を手渡して駅を出る。それが当たり前の日常の風景でした。

 窓口の駅員さんは「○○行き」と聞いただけで、壁に用意されている何十種類の切符の中から、当該の切符をササっと取り出して「△△円」って答えてくれました。すごい暗記力ですね。

 さらに、改札の駅員さんはすごいね。押し寄せてくるお客さんたちが手渡す切符を一つ一つを瞬時に確認していたのです。と言うのも、キセル客(料金をごまかしている客)を捕まえるのも彼らの仕事でしたからね。よく駅でキセル客が捕まっているのを見かけました。

 切符だけでも大変なのに、乗り換え切符や定期券など、色々な種類の乗車券の類を、一日に何百人、大きな駅だと何万人もチェックしていたわけだから、まさに改札口の駅員さんって超人だと思います。

 自動改札になって、そういう駅員さんたちの超人的な働きを見る事がなくなりました。

 そうそう、駅での超人的な働きと言うと、キオスクのオバチャンたちのお釣り計算能力もすごかったですね。そこへ行くと、駅併設のコンビニさんの店員さんは…(申し訳ないけれど)まだまだだね。
 
 
健康優良児
 今では学校における肥満児は、下手をするとイジメの対象ですが、昔は肥満児、それも大柄で背の高い肥満児は“健康優良児”と呼ばれて、学校の朝礼などで、表彰されていたんですよ。ああ、なんて良い世の中だったんだ。大きい事は良いことだ。お相撲さんが庶民の憧れだった時代ですよ。そんな時代が日本にもあったのです。

 いつからデブが罵倒される時代になったのでしょうか? 昔は太っていたら、誉められたのに…ねえ。
 
 
銭湯
 無くなったねえ…。まあ、ウチ風呂が普及しきったので、その役割を終えた…から、町中から銭湯が消えてしまっても仕方ないとは言え、ちょっぴり残念です。私も子どもの頃は、銭湯に通ってました。大きなお風呂、入浴剤入りで、好きだったな。今は、近所の温泉に行って、当時の銭湯気分を思い出しています。

 ちなみに、銭湯に通っていた当時は、まだ幼い子どもだったので、女湯に入ってました(笑)。

 しかし、当時は銭湯だった事もあるけれど、お風呂って、毎日入らなくても平気だったし、周りの人々も1日おきとか2日おきに入浴するのが普通だった。昔の人は、汗まみれの埃まみれでも結構平気だったわけです。それがいつから日本人は清潔を気にするようになり、毎日入浴するという習慣になったんだろ? 子どもの頃なんて、夏でも、風呂にも入らず、汗だらけのまま、暑い部屋で寝てたわけで…今から思うと、信じられない事していたんだなあ…。
 
 
舗装されていない道路
 少なくとも湘南地方では、道というのモノは、たいてい舗装済みです。でも、私が子どもの頃は、いわゆる路地と呼ばれる生活道路は、どこも未舗装でした。雨が降れば、いい感じで水たまりが出来たり、ぬかるみが出来たりしてました。

 でも、地面って適度な保湿&保温をしてくれるモノじゃないかな? 今の真夏の舗装道路って、メッチャ熱いし、真冬の舗装道路は凍りつくように冷たいです。ところが、地面ならば、そこまで極端な事にはならないでしょ。道路が舗装されて、道を歩いていて足が汚れることはなくなったけれど、その代わりに、夏は熱源の上を、冬は保冷剤の上を歩くはめになったものです。たまんねえなあ…。

 人は靴を履いているから、まだいいよね。舗装された道を散歩している、ワンコたちは、どういった気分なんだろ?
 
 
空き地
 私が幼い時は、子どもの遊び場というのは、空き地だったね。そこで、野球したり、なわとびしたり、鬼ごっこしたり、木登りしたり、落とし穴を掘ってみたり、秘密基地を作ってみたり…とにかく、毎日、わけもなく大声出して走り回って……楽しかったなあ。

 今でも、廃屋を潰して更地にした空き地と言うのを、たまにみかけるけれど、ドラえもんのマンガに出てくるような、土管の置いてある広々とした空き地って、都市部じゃ無くなっちゃったね。昔は空き地も土管も,どこにでもあったのにね。

 空き地とはちょっと違うけれど、里山もなくなったね。都市部じゃ、かつての里山の多くは、宅地造成されて住宅地になっちゃった。子どもの頃、セミやかぶと虫を取りに行った山に、余所から見知らぬ人々が引っ越してきて住んじゃっているのを見ると…やっぱり寂しいなあって思います。自分がセミやかぶと虫を捕まえるのに夢中になっていたように、息子にもセミやかぶと虫を捕まえさせてやりたかったなあって思います。
 
 
二宮金次郎の像
 昔の小学校は、たいてい、正門入った脇に、二宮金次郎の像があったものです。薪を背負って働きながらも、本を読んで、片時も学ぶことを止めない少年の像があったものです。私の母校にもありましたよ。働きながら学ぶ、その姿に、私は(性根がひねくれていたせいか)努力よりも、貧しさと悲しさを感じて、気持ちが重くなったものです。

 そんな二宮金次郎さんの像がない小学校ってのが、増えたようですね。もちろん、新設校だと最初から無いのですが、古い学校も銅像を撤去しちゃったとか? かく言う、私の母校も二宮金次郎さんの銅像が無くなってました。

 ノスタルジーだと言われれば、その通りだけど、子どもの頃、毎日見上げた金次郎さんがもういないと思うと、やっぱり悲しいです。
 
 
明るい未来
 私も含めて、最近の方の思い描く未来像って、暗いですよねえ…。

 私が子どもだった頃は、誰もが未来を信じていたと思います。頑張って働いて、みんなドンドン豊かになって、科学は進歩して、私たちの生活は限りなく便利になって、国家が無くなって、世界は一つの国になって、戦争も飢餓もない、幸せな生活がやがてやってくる。それが人類の進歩というものだ…と、程度の差こそあれ、みんなそう思ってました。

 明日は必ず、今日よりも幸せな日である…そう信じてきたから、日本人は、身を粉にして頑張ってこれたんだと思います。

 そうやって、頑張って得た結果が、1980年代のバブル期だったのだと思います。“バブル”という言葉には、後世の人の恨みつらみ妬み嫉みが入っていると思います。あの時代は、あれはあれで、みんな幸せだったんです。

 ただ、その幸せは、長く続かなかった。上がりきってしまえば、後は落ちるだけ。そういう事だったのだと思います。

 今の私たちは、科学の進歩が、必ずしも人間を幸せにしてくれるわけじゃない事を知ってしまったし、金融中心主義の経済体制では、一生懸命働いて、会社が豊かになったからと言って、必ずしもその利益が労働者に還元されるわけでもない事を知っています。

 昔は、会社というモノは、成長して規模が大きくなるものでした。だから、人々は良い学歴を手に入れて大企業に就職しようとしていたんです。そして会社は社員を大切にしてきました。終身雇用もあったし、福利厚生は充実し、給料は上がる一方で、下がる事はなかったんです。失業する? ありえない話でした。それどころか、退職後の生活一切だって、会社が面倒みてくれる…なんて事も珍しくなかったんです。

 でも、今は違う。世界的な大企業に勤めていたって、いつ解雇されるか分からない。福利厚生もどんどん削られている。給料が上がらないどころか、下がることだってある。いや、会社そのものの継続すら確かではない時代です。

 安い時給で働かざるを得ないワーキングプアの方も大勢いらっしゃいます。働いたからと言って、幸せにもなれなきゃ、豊かな生活ができるわけじゃない。学校を卒業したけれど、定職につけず、結婚出産はおろか、恋愛すらできない若者たちがウヨウヨしています。

 これじゃあ、誰も、明るい未来なんて、想像できません。

 平成時代は、昭和時代よりも不幸な時代だ…とは言いたくないです。でも、敗戦で一度日本が無くなって、占領地となり、やがて昭和27年(1952年)4月28日の日本独立(サンフランシスコ条約)からは、右肩上がりで成長してきた昭和時代と、バブル経済で絶頂の頃から始まって、金融ビッグバンのおかげで日本の富が、金融機関を経由して、ドンドン外国(ってかアメリカ)に流出するようになってからは、坂を転がるように経済力が落ち続け、リーマンショックで決定的な打撃を受けた平成時代とでは、比較しちゃいけないのかもしれません。

 だから、平成に生きる人々が、明るい未来を描けないのも、仕方のないことなのかもしれません。
 
 
 しまった。なんか、最後が暗い話になってしまった(汗)。まあ、確かに我々が“明るい未来”を思い描くのは難しいのかもしれない。しかし、まだまだ世界規模で見た場合、私たち日本人ほど豊かで幸せな生活をおくっている国民は、他に数えるほどしかないだろう。そういう意味では、私たち日本人は、まだまだ幸せだし、まだ大丈夫。少なくとも、私が生きている間は、頑張ってほしい…とエゴイスティックに願っています。

 昭和時代は、科学の発展が、人々の心に光明をもたらした時代だと思う。一方、平成時代は、経済の発展こそが、我々の生活を支えるものだと知らしめた時代なんだと思う。で、肝心の経済が…ダメなんだよねえ。もう、個人レベルでどうにかできるモノではないのだから、ここは一発、日銀さんがババンとお札を刷り増しして、市場に出回るお金の量を増やして、マイルドなインフレを起こして、ササっと経済回復してくれれば、すべては丸く収まるはずなんだが…なんで、日本国は、お札を刷らないんだい。一番簡単で有効な景気回復術なのに、なぜやんないだ! ああ、わけ、分かんない。

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2012年9月 8日 (土)

コハクが星になり、ニシキもかなりヤバイです

 2012年9月7日、仕事から帰って来て、水槽を見たら、コハクが腹を上にして浮かんでいました。すでに固くなっていますので、だいぶ前に逝ってしまったようです。朝のうちは、全然元気だったのに…。

 コハクのカラダには、どこも傷はなく、特に変わった様子もなく、きれいなものでした。病気でも怪我でもなく、ただの突然死だったようです。

 最近のコハクって、いい感じに大きくなってきていたんですよ。大きさ的には、先輩格であるニシキを抜いて、サクラの次に大きな金魚になっていました。それも中味が充実した感じで、いい具合に成長していて、先々がとても楽しみだったんです。それが…。

 夏の終わりだからなあ…。毎年、夏の終わりに金魚たちが星になってしまいます。どうも、夏の暑さをうまく越えられないようなんです。今年も暑かったからねえ…。

 今年、すでにトートが星になってますが、コハクも星になってしまいました。急な事だったので、まだ少し動揺しています。

 実は、私的には「ああ、ニシキがヤバいかも…」とは思い、コハクではなく、2週間位前から、ニシキに注意していました。

 ニシキは、いつもテッポウウオのような怪しい動きをしている三色金魚なんですが、この子が、最近、とみに挙動が怪しいです。

 怪しい…確かに以前から怪しかったですが、最近はその怪しさに拍車がかかっているようです。なんと言うのかな、泳ぐときは、トルネード泳法と言いますか、いつもキリモミ状態になって泳いでいます。それも金魚とは思えないほど、激しく機敏な動きです。

 運動量がとても多いので、最近は、めっきり激ヤセしてしまいました。頭のサイズは以前と同じですが、カラダはとても細くなってしまいました。大きな頭に細くなってしまったカラダがついてます。まるで、マッチ棒のようです。これはこれで、痛々しいです。

 泳いでいない時は…金魚って、そういう時は、なんとなく水中に漂っているものなんですが、ニシキはべったり地面にしゃがみ込んでいる事が多いです。それもまるで、濡れ雑巾が床に落ちているかのように、ベターと沈んでいます。なんかなあ…。

 やはり神経系の病気があるのかな? こういうタイプの子は初めてなので、心配でたまりません。水槽に沈んでいる姿を見ると、まもなく星になってしまいそうな予感がします。

 なんか、イヤだな。

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2012年9月 7日 (金)

犯人探しをすれば、おさまるものですね

 第九の練習に行ってきました。

 前回は、パートの真ん中に着席して、散々な目にあったので、今回は少し早めに会場入りをして、最後尾の端の座席をゲットしました。一列は三人並びなんだけれど、そのうちの一つの座席をソプラノのオバチャンに持って行かれたので、結果として二人並びの席になって、左右と後ろに空間的な余裕が出来て、うれしかったな。

 ちなみに、一番後の座席だと、ピアノと自分の間に合唱団がドド~ンといるので、演奏中のピアノの音が聞こえない事は、前回と同じ。その代わり、一番後なので、他の人の声が聞こえないので、自分のペースで歌えるのが便利かな?

 発声練習の中でハミングをしました。私はハミングがあまり得意ではありません。なぜなら、ハミングをすると、クチの中が振動でかゆくなるでしょ? 私はあれがイヤなんです。

 今回も「イヤだなあ…」と思いながら、ハミングをしていたのですが、上行音階の途中で、ふいに響きが口腔から頭蓋の中に移動しました。振動でクチの中が、かゆかったのが、急にそれが無くなりました。頭蓋の中で声は響いているけれど、別にかゆいとかそういう事はありません。これが正解…かどうかは、私には分かりませんが、今までにない感覚でハミングが出来た事は事実です。たぶん…これって…正解…だよね…。これからは、頭蓋の中で響くハミングを目指してやっていこうっと。

 それにしても、合唱って、部屋の中にムリムリ人間を押し込めるわけで、空間的には色々と窮屈、とりわけ私のような全方向に太っている人間にとっては、本当に狭い。エコノミー症候群で死んじゃうかもしれないって思っちゃうくらいです。ですから、練習中に、楽譜をよく見ようとして(老眼なので)ちょっと楽譜を遠ざけると、前の人の背中にぶつかっちゃいます。ありゃ、ちょっと困った…だけど、一番後の席なので、自分自身が少し後に下がって、問題解決しました(笑)。やっぱ、この席、いいわ。
 
 
 さて、今回の練習は、練習記号Gからでした。今回も副指揮さんの指導だったけれど、練習記号Gの愛称は特に言ってませんでした、残念。ちなみに私だったら、Gなら“ジョージア”って言っちゃうかな?

 今回の練習は、前回ほどのスピード感はなく、丁寧に言葉を読んだり、音を取ったりしていました(でも訳はやらなかった)。多少は初心者の方々に配慮したのかな? もっとも、それでも初心者さんは戸惑っていた様子だったけれど。

 例によって歌詞のリズム読みをしました。最初は私も皆と同じようにやっていたのだけれど、ふと「これではマズイ」と気づきました。何がマズイのかと言うと、リズム読みをしている声が、胸に落ちているからです。周囲の人々は、皆、胸に落とした声でリズム読みをしていたので、つられて声を胸に落として読んでいたけれど、それはマズイ事なので、すぐに声をあげて、胸に落とさないように読み始めたら……声が目立つなあ。声を切り換えた途端に、数名がこっちに振り返ったもんなあ…。声を落としてのリズム読みは良くないけれど、声をあげて目立つのも良くないです。どっちも良くないけれど、今後はどっちで行くべきか、ちょっと悩みますね。

 今回も、前回私の隣に座っていた方(他のパート練習の時に、自分流に大声で歌っちゃう人)がまたも大活躍しちゃいました。しかし練習記号Gのソプラノパートは、とても音域的に高いので、1オクターブ下げところで男声が歌える高さではないし、そこをムリムリに大きな声で調子っぱずれで歌ったため、合唱団の(男性)団員数名が、ソプラノの練習中にも関わらず、立ち上がって犯人探しをしたため、バツが悪くなったせいでしょうか、静かになりました。

 犯人探しをすれば、止むんですね…。

 練習と言えば…例によってテノールは集中攻撃をされました。特に半音階を使用したフレーズの箇所は、音が取れていない人が多かったせいもあって、少ないテノールを半分ずつ起立させて歌わせて、それぞれの音程の確認をしたほどです。指導者的には、あんまり音程が合わないから、少人数で歌わせることで、自覚を持ってもらおう、または、犯人探しをして集中的に指導しよう、などと色々と考えた上で立たせて歌わせるのだろうけれど、こんな具合に立たせて目立たせて歌わせると、音程に自信の無い人は小声になったり、クチパクをしてしまうので、立たせて歌わせても、あまり意味はない(笑)んですよね。やるなら、一人一人立たせて歌わせるのでしょうが、常設の合唱団ならともかく、第九合唱団のような初心者歓迎の季節合唱団だと、なかなかそれも難しいですね。指導者的には、色々と厳しいのだと思います(心中、お察しします)。また、半音階だけでなく、リズムも裏拍が取れない人が多く、テノールだけは裏拍を感じながら歌う練習をしました。

 こんな感じで、テノールのパート練習に関しては、実に丁寧にやってくれるので、事前の予習がいらないほどです。

 それにしても練習記号Gの箇所は、テノールパートに高いGが続出します。今の私は、高いGも使用可能音なので、多少続いても問題ないけれど、前回(3年前)はF#でアップアップしていたはずなので、ここをどうやって歌っていたのか、我ながら疑問です。

 ちなみに第九は先に進んでいくと、テノールの場合、高いAまで使うことになります。それも白玉音符で歌うんですね。今の私は、当てるだけならBbまで、二分音符ぐらいまでならAも可能なんですが、第九のAのロングトーンは…さすがに厳しいよね。頑張って歌ってみるか、またはクチパクにするか。…考えておこうっと。

 休憩時間に妻に「無理して軽く歌おうとしてノド声になっているよ」と指摘されました。確かになるべく目立たないように、声を絞って歌っているうちに、ノドが絞まってノド声になっていたかも…。ノド声になると、音程がb気味になるから、気をつけないといけません。しかし、座って歌うと、カラダも気分もリラックスしてしまい、うっかり支えがいい加減になる傾向があります。本当は、立ったまま歌いたいなあ…。

 休憩後は、ダイアモンドとイングランドの復習です。特にイングランドは丁寧に復習しました。

 で、最後に女声には早退してもらって、男声合唱(練習記号Iの箇所です)の練習をしました。

 パート分けは、バスの人はそのままバスを歌い、テノール1とテノール2を、テノールの人を二つに分けることで対応しました。ちなみに、誕生月が偶数の人がテノール1、奇数の人が2という事になりました。とりあえず、このパート分けは、今回限りの仮のモノらしいです。そんな仮のパートで音取りしていいのかな?

 とりあえず私は、今回テノール1になったけれど、もしもテノール2になったら、どうすればよかったのだろうか? テノール2を歌う気などサラサラない私は、しらばっくれてテノール1を歌っちゃうべきでしょうか? それとも、イスを蹴って部屋から出て行くべきだろうか? ううむ、悩む悩む。

 それにしても、一番人数の少ないテノールを二つに分けるなんて、あまりにボリューム不足になってしまうような気がします。この際、男声全体を三つに分けるくらいの気持ちでいかないと…ソリストに負けるよ。

 ってなわけで、今回の第九の練習は終了。前回は、練習会場から人があふれる程、メンバーも集まりましたが、今回は、欠席者もソコソコ多くて、練習環境としては、まあまあかな? 今のような音取り主体の練習をしていると、ベテランさんたちは欠席しがちです。ならば、新人さん対象に丁寧な指導をしてあげればいいのにねえ…なんて、余計な事を考えちゃいました。

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2012年9月 6日 (木)

時間は逆さまには流れません

 フルートのレッスンに行ってきました。

 結果だけ言えば、全部、不合格でした。ま、努力はしたんだけれどね。やっぱり、#が四つも付くとなかなか手強いですよ。たかが『E-durのロングトーン』ですが、でも、難しいですよ。個人的に、レを見てミbを吹くのは、かなりの難義です(頭、固いんです)。

 それでも、多少は上達していると思いますよ。1番の『音階準備練習』だって、今回はメトロノームに合わせてやったんだよ。第3オクターブだって、しっかり音を出したんだからね。問題は「ええと…次の音に#は付いたんだっけ?」とか「おぉ、#が付くよ、運指は…どうだっけ?」とか、頭の中の処理に時間がかかってしまって、しばしば指が止まっちゃう事かな? 練習を重ねて、カラダで覚えるしかない…のかもしれないけれど、カラダで覚えるのは不可って先生が言っているので、いちいちその場で脳内変換をしながら吹かないといけないので…頑張るしかないよね。

 ミニヨン・エチュードも、まだまだ指がこなれていません。あっちこっち、しばしば行方不明になってます。もっともっと吹き込まないとね。

 それにしても、音色には気をつかっているつもりだけれど、まだ「うるさい!」って言われちゃいました。もっともっと、支えをしっかりとして、優しい音色で吹かなきゃダメダね。

 H先生の教え方で良いのは、一緒に吹いてくれる事。言葉での説明も分かりやすいけれど、言葉だけじゃ分からない部分ってなるんだけれど、そういう時は模範演奏もそうだけれど、一緒に息を合わせて吹いてくれるわけよ。これをやると、自分と先生の違いがすごくよく分かるんだよねえ。ちょっとした、タイミングの取り方とか、微妙なテンポ変化とかも一緒に吹くとよく分かる。クチ移しのような教え方かもしれないけれど、私のようなボケナスには結構有効な教え方だと思います。とにかく、次回まで、練習をしっかりやってこよう。

 まあ、今回は全部不合格だったわけだけれど、H先生は「それでも上達してますよ」と優しく慰めてくれます。でもね、私の上達の速度なんて、アリさんだよね。

 日頃、見ている吹奏楽部の若者たちの上達速度は、私と比べると、それこそ『アリと音速ジェット』ぐらいの違いがある。石ノ森キャラで言うと『ロボコンと009』ほどの違いがあるわけ。もっとも、ロボコンは脚をしまって車輪を出せば、そこそこ速いけれど、私は脚をしまえなければ、車輪も出ないので、いつまでたっても、遅いまんまです(涙)。

 「結局、運動神経だからね。若者にはかなわないよ」とは先生の弁です。

 「そうですね。すでに若者じゃないし、若返りも無理だから、今のままで頑張るしかないですね」

「私もね、今の経験と技術を持ったまま、若くなれたら、最高だと思うよ。若い時は、今よりも、ずっと指が回ったから、何も考えずにピーヒャラピーヒャラ吹いてただけで、全然ダメだったと思うよ」

 「私は、今の経験と技術と、ついでに今の知識と財力も持って、10代に戻れたら、最高だと思いますよ」

 そうですね。若い時は、若さと体力と時間を持っていたけれど、知恵も知識も財力も無かったわけ。老人になった今は、それなりの知恵も身につき、知識も蓄え、財力だってそこそこある。だけど、若さはとっくの昔に無くなっているし、体力もヘトヘトだし、時間も人生のロスタイムに入っているようなもん。『あちらを立てれば、こちらは立たず』じゃないけれど、若さと体力と時間を持っている時は、知恵と知識と財力が不足し、どうにか知恵と知識と財力を持てるようになった時には、若さと体力と時間が無い。私の人生には、常に“欠け”があったわけだ。藤原道真には、程遠いね。

 まあ、老いを嘆いても始まりません。少なくとも、今日の私は、明日の私よりも、確実に、若いんです。たった1日かもしれないけれど…。老いを嘆く暇があったら、今の時間を大切にして、やりたい事とやるべき事をさっさと始めないとね。もしもダメでも、やるだけやった結果なら、それはそれでいいじゃない。少なくとも、やらないままで出来ないままで後悔するよりも、やってやって、結局モノにならなくて後悔した方がいいね。モノにならなくても、やっている最中は、確実に幸せだったんだからね。

 だから、私は結果だけを望まずに、その過程(つまり練習だ)を楽しんでいこうと思ってます。

 まあ、旅行に例えれば、若い人生は、ジェットを飛ばして、ビュンビュン目的地に行くようなもの。老いの人生は、各駅停車の鈍行列車に乗って、残りの旅路を惜しみながらの旅行のようなもの。ならば、終点までの車窓を思いっきり楽しむ事にしましょ。

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2012年9月 5日 (水)

正しく立つとは、程良くユルむ事

 私が住んでいる湘南地方は、土地柄、サーフィン関係者がウヨウヨしている地域でございまして、日頃から、サーフィン関係者によるイベントなども、多々開催されております。そこで、先日、プロサーファー氏によるワークショップって奴を受講してまいりました。お題は「正しい姿勢」。姿勢と言っても、サーフィンですから“立ち姿”の話です。なにしろ、サーフィンってスポーツは、要は“板の上に上手に立つスポーツ”なわけで、正しく立てないと、上手な波乗りは出来ないってわけで、まずは立ち方って奴を見直してみましょうよ、という感じのワークショップだったわけです。

 ちなみに、正しい立ち方とは、アウターマッスルではなく、インナーマッスルを正しく使った、どんな動きにも対応できる、楽な立ち姿勢の事なんだそうです。
 
 
 都会人は、普段は運動らしい運動もせず、たまに動いても、それはスポーツだったりするのです。スポーツで使う筋肉は、主にアウターマッスルと呼ばれる、私たちのカラダの外側に付いていて、外部に働きかける時に使う筋肉であって、いわゆるパワーを生み出す筋肉たちです。ボディービルで鍛えるのが、このアウターマッスルで、これを鍛えると、筋肉ムキムキになるわけです。

 一方、筋肉には、インナーマッスルと呼ばれる筋肉があります。こちらは、私たちのカラダの内側で働く筋肉で、私たちのカラダを支えるために使われる筋肉だそうです。つまり、立ったり、座ったり、息したり、寝ころんだり、と言った基本動作をするために使われる筋肉であって、およそパワーとは無縁な、日頃はその存在を意識すらしない筋肉たちの事です。

 このアウターマッスルとインナーマッスルの一番の違いは、使うと疲れるのがアウターマッスルであって、使っているという自覚のないのがインナーマッスルなんだそうです。

 さて、正しく立つとは、カラダの軸を真っ直ぐにして、楽に立つ事なんだそうです。

 しかし、いくら“カラダの軸を真っ直ぐに”と言っても、これをいわゆる“気をつけ”の姿勢でやってしまうと、それはマチガイなんだそうです。いわゆる“気をつけ”はアウターマッスルを緊張させて、真っ直ぐに立っている姿であって、あの姿勢では疲れてしまう…というわけです。だって、アウターマッスルは、使えば使うほど、疲れてしまう筋肉だからです。

 では、楽に立つにはどうするか言うと…なるべくアウターマッスルは使わずに、インナーマッスルを使って立つわけです。

 インナーマッスルを使って、楽に立ってみると、その立ち姿は“気をつけ”の姿勢とはだいぶ違うことに気づきます。

 …ヒザをゆるめ、腰を(へっぴり腰気味に)後ろに出して、腹を引っ込めて、みぞおちのあたりがやや前に出るような感じで、しかし肩は軽く後ろに引いて、頭はその上に自然と乗せる…という姿勢であって、これって、さっきまでヨツバイで歩いていたサルが、スクっと立ち上がった姿…そう、まるでサルの立ち姿のようです(笑)。

 こんなサルっぽい感じで、ポカーンって感じで立つと、アウターマッスルの力が程良く抜けて、インナーマッスルを使って、バランス良く立っている感じになります。これが楽な立ち方で、無理のない立ち方なんです。で、実際、この姿勢って、確かに楽なんです。

 ヨツバイから立ち上がったサルの姿…などと失礼な書き方をしてますが、でも、実際にやってみると、そんな感じになります。サルに限らず、動物って奴は、小細工をしないので、彼らの所作って、たいてい無駄のない合理的なモノが多いのですが、この立ち方だって、実はそんなモノなんだと思います。

 ですから、インナーマッスルを使った、バランスの良い理想的な立ち方が、まるでサルの立ち姿のようになってしまうのも、ある意味、当然なのかもしれません。そして、このサル姿が、ある意味、人間を含めた哺乳類にとって、自然な二足歩行に適した立ち方なのかもしれません

 あと、私が思うに、サル姿で立つと、背骨のS字カーブに無理のない姿勢で立つ事になるんじゃないかしら。

 しかし、この無理の無い楽な立ち方ですが、受講生の皆さんには、なかなか難しかったようです。やはり脱力して立つってのは、難しいんですね。

 でも、このサル姿で立っていると、実にバランスが良いのです。それが分かるのは、この姿勢で立っている時に、仙骨(腰骨)あたりを他人に軽く押されると、不思議と、スーって感じでカラダが前に出て、歩きだしてしまうって事です。それも“歩いている”と言うよりも“自然にカラダが前に進んでしまう”って感じになります。軽い力で働きかけるだけで、歩ける…どころでなく、これをやられて「誰か、止めて!」と叫んじゃった人がいるくらい、楽々と速歩で歩けてしまうようです。カラダの各部位のバランスが良いから、このような事になるんだと思います。

 このサル姿でちゃんと立っているかどうかを確認するために、まるでシーソーのような感じになった、台座の上に載せた、不安定なサーフボードの上に立ってみました。ボードの上に立って、サーフボードを揺らされると、サル姿できちんと立てているかどうかが、よく分かります。

 見かけ上はサル姿であっても、インナーマッスルではなく、アウターマッスルを使って立っている人は、ボードを揺らされると、思わずカラダに力が入り、バランスを崩して、あっと言う間にボードから落ちます。ところが、ちゃんとインナーマッスルを使って立っている人は、どんなに激しくボードが揺れても、まるでカラダがボードに貼りついたかのように感じられて、絶対に落ちることはありません。足元が激しく動いても、頭の空間的な位置は微動だにしません。なぜなら、サル姿で立っていると、実にカラダのあっちこっちのバランスがいいので、無理なくユレに対応できるからです。

 私もサーフボードの上に立ってみました。もちろん、カラダはボードに貼り付いて、どんなにボードを揺らされても、落ちる事はありませんでした。

 ボードを揺らされながら思った事は…このサル姿の立ち方、どこかでやった事があるなあ…と思いました。まず最初に思いついたのが“乗馬”。乗馬では、馬がどんなに激しく動いても、騎手はその動きに逆らわずに、馬をちゃんと乗りこなさなければいけないわけです。そんな騎手の動きと、このサル姿は共通点があるなあって思いました。

 さらに思った事は、これってワルツやタンゴの立ち姿にも似ているんじゃないのって、思いました。どんなにカラダは激しく踊っても、頭の空間的な高さは変えないじゃないですか? あれと通じるものがあるなあって思いました。私と一緒に受講していた人は「相撲の動きに近いなあ」と感想を述べていました。確かに、腰を落として、頭の高さを変えずに一直線に動く姿など、通じるものがあるかもしれません。私はそれを聞いて、柔道の自然体も、どこか通じる部分があるかもしれないって思いました。陸上経験者の方は、古式走法に似ていると言ってました。

 そして、このサル姿の立ち方、Y先生が推奨する声楽の立ち方にも、かなり近いです。声楽バージョンでは、おサルさんよりも、多少進化して(笑)、もう少し背筋が伸びますが、これはかなり近いです。

 サーフィン、乗馬、社交ダンス、相撲、柔道、古式走法、声楽…これらの基本フォームに、サル姿、つまりインナーマッスルを使って、バランスよく立つ事が共通しています。これらに共通するのは、事あらば、瞬時にカラダの筋肉(アウターマッスル)を動かさないといけないモノばかりです。瞬時にカラダを動かすために、基本フォームは脱力しているのです。

 つまり、脱力とは、本当に力が抜けているのではなく『インターマッスルでバランスの良いフォームを作り、いつでもアウターマッスルを動かして、必要な動作をするための準備ができている事』を言うのだと理解しました。これはダンスでも声楽でも、おそらくフルートでも同じ事です。

 私も、ちょっと、サルを意識して、歌ってみたり、踊ってみたりしようかな? 『声楽における理想的な立ち方とは…』などと悩みながら歌うよりも『サルになって歌おう』ってイメージした方が簡単だし(笑)。それにサル姿の方がお腹もたくさん後ろに引けるし、腹筋もたやすくグルンと引っ張れる。問題があるとすると、サル姿だと、美しくない事と、全般的に重力に負け気味な事があるかな。そのために、多少なりとも、カラダを上に引っ張り上げる意識が必要かもしれません。

 ちなみに、腰痛って、脱力せずに、カラダのバランスが悪いまま行動した結果、なってしまう怪我なんだそうです。怪我をしたくなければ、脱力をして、バランス良くカラダを動かせばいいわけで…ならば、私もバランスに気をつけて、ぎっくり腰にならないように気をつけないとね。

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2012年9月 4日 (火)

ダンスと声楽、カラダの使い方に共通点あり

 ダンスのレッスンに行ってきました。ダンスのレッスンの時に、BGMは必須なんですが、そのために、毎回、何枚ものCDを持っていくのは、ちょっと面倒でした(が、仕方ありません)。で、最近、頻繁に使っている練習場のラジカセを見てみてると、なんと、iPod接続用のコードが付いているじゃありませんか? ほ?? だったら、何枚もCDを持ち歩かずに、iPodをそこに接続すればいいだけじゃん。さっそく、ダンス系のプレイリストを作成するか!

 今回は、スポーツ飲料の代わりに、キリンの“ビタミーナ”を飲んでみましたが、これって、運動の合間に飲むと、すっごく美味しい事を発見。まあ、興味のある方は、ご近所のコンビニあたりでお買い求めください。と言うのも、ひとまず、アマゾンリンクを貼っておきますが、これ、24本入りで発売なんですよ。24本入りって事は、いわゆる“ケース売り”って奴だよね。アマゾンだと、ソフトドリンクは“ケース売り”なんだね。すっごいなあ。まあ、単価が安いし、送料もかかるわけだから、ケース売りぐらいにしておかないと、業者も客も、割あわないしね。
 
 
 さて、ダンスのレッスンそのものが、本当の本当に久し振りでございました。いやあ、本当に夏の間は、アレコレありすぎて、忙しかったんですよ。で、どれくらい久し振りなのかと言うと、実に約一ヶ月ぶり。なので、今回は、忘れてしまっただろう事を思い出しましょう、という内容のレッスンでございました。
 
 
 最初はブルース。意外な事に、ステップは忘れていませんでした。でも、カラダの動かし方(基本だねえ…)を忘れてしまったようで、前進の時にカラダではなく、足優先で動いてしまいました。足優先で動くと、パートナーをリードする事ができず、踊りながら、あっちこっち交通事故を起こしてしまいます。前進する時はカラダから動き、後退する時は足から動くのが、鉄則です。はい、思い出しました。

 次はジルバ。一応、思い出したけれど…どうもしっくり来ない。ジルバって、左足ばかり動かすわけだし、男性はほとんど“その場で足踏み”ばかりなので、実につまらないダンスです。これなら別に思い出さなくても良かったかも。いや、世の中からジルバというダンスが無くなっても、私的には何の問題もありません。いやあ、どうも、ジルバは好きになれません。このダンスを、社交ダンスの正式種目に加えなかった英国紳士に、拍手ですよ。なのに、どうして、日本人はジルバを踊るかね? 全く、もう…。

 で、ワルツです。割と現状維持をしていた…と、自分的には思ったけれど、妻先生に言わせると「全然、動けなくなっている」のだそうです。たぶん、足ばかりで踊っていて、カラダが踊っていなかったんだろうなあ…。オーバーターンド・ターニング・ロックは「今日は、カラダが動いていないから」という理由でパスになりました。また次回、時間をかけて復習しましょう。

 ワルツの時に、妻先生に散々言われたのは「ダンスのカラダの使い方は、声楽と同じ。Y先生に習った事を思い出して!」という言葉です。

 確かに、ダンスのレッスンの時に、妻先生に注意される事と、声楽のレッスンでY先生に習った、声楽での姿勢やインナーマッスルの動かし方には、どこか共通点があります。例えば、背中の使い方や脇腹の使い方、筋肉を動かす方向など、言われれば言われるほど、Y先生と妻先生の言う事は一致してます。ううむ、相当部分が共通しています。

 つまり、Y先生に習ったとおりにカラダを使えば、声楽もダンスも両方同時に上達できるってわけですね。うむ、マスターさえすれば、一挙両得だな。

 そこで私が妻先生に「キング先生に声楽を習っている時は、そんな事言わなかったじゃん」

 「だって、キング先生が教えてくださるカラダの使い方と、ダンスのそれとは、ほとんど共通点なかったもの。」

 まあ、それは分かる。確かに筋肉の使い方は、キング先生とY先生では、全くと言っていいほど違うもんな。

 キング先生流だと、痛くてツラいばかりだったけれど、Y先生流は(私に筋力が無いので)確かに今はツラいけれど、別に痛くないし、練習を重ねていけば、やがてツラいのも無くなるのは分かります。で、その上、ダンスの上達にもつながるなら、すごくお得だね。後は、声楽が上達すれば、万々歳だ(笑)。

 さて、ルンバです。ルンバは、結構、たくさんのステップを習っていた事に気づきました。いやあ~復習して思い出すのも大変だった(でも全部思い出したよ)。で、復習ついでに、今回は“アレマーナ~ショルダー・トゥー・ショルダー~スパイラル”という一連の動きを、時間をかけて練習しました。

 ちなみに、ここまでやって、疲れたので、タンゴは丸ごと割愛。タンゴの復習は、また次回のお楽しみに取っておきましょう。

 妻先生とは、ダンスを踊りながら、あれこれ雑談するわけだけれど、今回は妻先生がおもしろい事を言ってました。それは、ダンスの先生に関する“プロとアマ”の違い。

 社交ダンスって、色々な場で、色々な人々によって教えられているわけです。だから、先生をやっている人も、プロダンサーの経験がある人もいれば、無い人もいるし、教師の資格(社交ダンスの先生の認定資格[民間資格だけどネ]ってのがあるんだそうです)を持っている人もいれば、持っていない人もいるわけだし、資格を持っている人も、社交ダンスの教師の資格にも、色々な種類の資格があるそうで、持っている資格によって『どこまで教えていいのか』という条件が決まっているそうです。もちろん(民間資格なので)資格を持っているに越した事はないけれど、持っていないまま、教師(のような事)をしている人もたくさんいるそうです。

 まあ、ピンキリを言い出せば、一流の現役競技ダンサーを指導する先生もいれば、素人が初心者を集めて教えているケースもあるわけです。まあ、色々あるわけだ。

 妻先生曰く「先生をやるなら、きちんと勉強しておかないとねえ…」と言う事です。“きちんと勉強”と言うのは、ダンスの理論をしっかり学び、男女両方のステップを熟知し踊れるって事で、それがあって、始めて、生徒一人一人に対して、オーダーメイドのレッスンをしてあげられる…のだそうです。

 ダンスのレッスンは、生徒さんの希望と実情に合わせたオーダーメイドのレッスンが基本なんだそうです。だから、どんなにダンスが上手な人でも(個人レッスンであれ、サークルでのグループレッスンであれ)自分が習った事しか教えられない人が先生をやると、ロクな事はないそうです。

 というわけで、一番いけないのは“教えたがりのオジサン”という種族なんだそうです。で、また、ダンス界には、この“教えたがりのオジサン”が闊歩しているわけなんです。

 ま、人にモノを教えるのって、実はかなり深く知らないと教えられないわけだよね。『できる事と、教える事は違う』ってわけだ。あるいは『名選手、必ずしも名コーチならずとも言えるかな。

 まあ、ダンスに限らず、自分がプロである領域以外では、人に教えるなどと言った、おこがましい事をしないように、心がけないとね。なにしろ、私も、オジサン族の人間だからね(笑)。気をつけないと…ネ。

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2012年9月 3日 (月)

なるべくノドは鳴らさない

 先週アップした声楽のレッスンの記事の続きです。今回は、曲の練習の話と、妻のレッスンの話を、手短にまとめて、アップしちゃいます(二回に分けてアップできないほど、日常趣味生活が忙しいんです:嬉涙)。

 まずは曲の練習の話から、『優雅な月よ/Vaga luna, che inargenti』です。

 「最初の“Vaga luna, che inargenti”のフレーズさえ、しっかり歌えたら、すべての問題は解決すると思うのです」と先生がおっしゃいました。そこで、この最初のフレーズを徹底的に練習しました。練習と言うのは…どうカラダを使って歌っていくかという練習です。

 1フレーズは(開始から終了までを1つと勘定して)一つの支えで歌います。フレーズはちょうど山形なので、山の頂点に支えの頂点が来るように、息を支えていきます。頂点を過ぎても、カラダを緩めずに、カラダを絞ったまま、支えのスタートにカラダを戻していきます。これの連続で歌っていきます。

 すんご~~~く、シンドイです。汗がいっきに噴き出します。でも、シンドイのは筋力が無いからで、こんなものは、筋力さえつけば、楽勝なんだそうです。そして、これが楽に歌えないと、この曲を最後まで歌いきることはできないのだそうです。実際、今の私では、この曲を最後まで歌いきるのは、ちょっと難しいですもの。

 「良い声を出そうとして、ノドを鳴らしすぎです」と注意されました。

 「単音で良い声を出すなら、ノドをしっかり鳴らす事も必要だけれど、そんなにノドばかり鳴らしていては、疲れるので、歌う時は、なるべくノドを鳴らさずに、単音ではあまり良い声ではないかもしれなけれど、持続性のある声で歌うようにしてください」と言われました。具体的には、もっと声を上から出す事が必要だそうです。

 どうも、前回、ノドを開く事を言われたので、ノドを開く事に集中すると、声が胸に落ちてしまうようです。

 ノドに力が入り、声帯の振動音が声に混じっているため「(声帯の振動音を声に混ぜないように)楽に歌ってください」と言われました。とにかく“楽”に歌おうと思ったので、クチを開き、ノドを下げる事を気にせずに、軽く歌ってみました。

 基本的な発声としては、息に声が乗っていて、それはそれで良いのだけれど、それではまだまだノド声なんだそうです。私はノドで歌うのが、癖になっているようですし、短時間なら一番楽に歌えるみたいです。

 でも、結局、ノドで歌っていると、声が一曲分もちません。息の支え(特にモード2)で上に引っ張りながら、ノドは下に引っ張る。この上への引っ張りと、下への引っ張りの二つの力が強くなればなるほど、ノドは楽に歌えるのだそうです。今は、その上や下への引っ張りが弱いので、ノドで歌っているというわけなんです。

 なので、私が今、注意しないといけないのは、1)支え(モード2)をしっかりやる。 2)クチをしっかり開ける(ノドがきちんと下がっていないとクチは開けない)。この二点だそうです。

 結局、歌をしっかり歌うためには、歌の練習をするのではなく、筋トレをするのが一番の近道だという結論が出ました。それに筋トレなら、声を出さずに練習ができるので、しっかり筋トレをしましょうって言われました。

 Y先生、何気に体育会系です(涙)。
 
 
 次は『セレナータ/La Serenata』です。

 とりあえず歌ってみたところ、散々『Vaga luna』でしごかれて、カラダにスイッチが入っている状態だったので、歌もなかなか良いですという事です。問題は、いつでも、簡単にスイッチを入れて、歌える事…です。自宅練習では、そのスイッチを入れる練習をしましょうと言われました。

 この曲のフレーズは、山形ですが、前半部がありません。フレーズの開始が頂点で、そこからゆっくりと降りて来るカタチになってます。ですから、歌いだす前に、息の支えが頂点に来ていないといけません。支えの頂点から歌いだして、ゆっくりとカラダを戻しながら歌っていかないといけません。

 結局、歌をどう歌うべきかという問題は、カラダをどう使っていくべきかという問題と、今の私の段階では、同じことです。

 そして私が今気をつけないといけないのは、いかにノドを鳴らさずに、響きを利用して歌っていくことです。声は小さくていいんです。その小さな声を響かせて大きく聞こえさせてやれば良いのです。対して、今の私は、しっかりノドを鳴らして、大きな声で歌おうとしているわけで、そういう歌い方は、歌っていて充実感はあるでしょうが、決してチャンとは歌えるようにならないのだそうです。

 なまじノドが強いために、その分、正解から遠いところにいるわけです。

 しかし、ノドを下げて歌うと、あっと言う間にブレスが無くなります。ブレスが無くなってしまうのは、支えが弱いからなんだけれど、こんなに簡単に息が続かなくなるとは…。ほんと、今まで私は何をやっていたんだ!と、後悔ばかりが先立ちます。ああ、こんな調子で、10月の本番を迎えられるのでしょうか?

 ああ、ちょっと不安です。
 
 
 さて、妻のレッスンです。まずは、発声練習ですが、妻は、頭声だけで歌う練習をいっぱいしました。彼女の弱点は“胸声”が強い事なんだそうです。なので、すぐに声を胸で支えてしまうのです。それはもちろんダメな発声なんです。

 妻は腹式呼吸が苦手らしく、ついつい胸式呼吸をメインに発声しているのですが、腹式が苦手なために、声を腹筋で支えるのが弱く、ついつい胸で支えてしまうのです。で、声を胸で支えるので、使う声も、胸声が中心になってしまい、高い声も胸声をメインにして歌ってしまうわけです。

 まあ、はっきり言っちゃえば、クラシック系の歌手の発声と言うよりも、ポピュラー系のそれに近い感じです。

 クラシック系の歌手は、女声は胸声ではなく、頭声で歌うものです。頭声をメインにして、頭声で歌えるようになってから、その声に胸声を混ぜていくのが順番であって、最初から胸声で歌ってはいけないのだそうです。ですから、彼女の場合、まずは頭声だけで歌えるようにする必要があります。

 と言うのも、胸声で歌うと、劇的な表現力がつく代わりに、高い音が出なくなってしまうのだそうです。人間はイヤでも年を取ると、音域が狭まり、高い声は出なくなるのです。出なくなったからと言って、高い声を諦めてしまったら、そこでその人の歌手としての成長は終わってしまうそうです(なんとなく分かります)。だから、今はとにかく、音域を広げる事を第一にするべきだし、高い声の獲得を目指すべきなんだそうです。

 なので、胸声の使用は、ひとまず横に置いて、苦手な(笑)頭声の練習からです。

 一生懸命、頭声メインで歌ってました。確かに妻が頭声メインで声を出すと、その声は私にとって、聞き慣れない声でした。いやあ、彼女は本当に今まで、頭声をさほど使わずに歌っていたんだねえ…。しかし、胸声メインでソプラノをやっていたとは、驚き桃の木です。

 「あなたはソプラノなのに、胸声ばかりを使っていると、メゾとかアルトとかと誤解されてしまいますよ」と先生がおっしゃってました。確かに、彼女は過去に何度も、メゾとかアルトとか誤解されていましたが、そういう理由で誤解されていたのですね。しかし、妻が頭声で歌う声は、新鮮でした。そして、間違いなくソプラノでした。いやいや。

 歌の練習では、音が跳躍してしまうと、音色が変わってしまう事で苦労していました。これに対しては、発声する時に、下からしゃくりあげるように音程を取らずに、上から投げ下ろすような感じで音程を取る事で、ある程度、音色を変えずに歌えたようです。

 さらに、音色を変えずに、音程を跳躍するために、…なんと、ヒンズースクワットをしながら歌うというのをやってました。つまり、なぜ音程が跳躍すると音色が変わるか、それは、そこまではなんとか頭声メインで歌っているにも関わらず、高い音程になると、声を一生懸命出そうとして、使い慣れた胸で声を支えてしまうからです。だから、声を胸でなく、しっかり腹筋背筋で支えるために、ヒンズークスワットをしながら発声してみようというわけです。つまり「胸を使うな、足腰で歌え」ってわけですね。

 ヒンズースクワットは、ただすればいいってわけじゃなさそうです。高い音を出す、その瞬間に、立ち上がりながら歌うのです。足腰はシンドイでしょうが、声は楽に音色を変えずに出せていました。

 妻は、ダンサーですから、こともなげにヒンズースクワットをやってましたが、もしも私がヒンズースクワットをやりながら歌うとなると…きっと、フラフラのヘラヘラになって、歌どころの騒ぎじゃなくなってしまいそうです。
 
 
 …やっぱり、記事が長くなってしまったな。反省。本当は、この後の雑談で、なかなか興味深い話をしたのだけれど、それは、ひとまず、お蔵に入れて、ネタ切れの時にお蔵から出すことにします(笑)。

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2012年9月 2日 (日)

ヘマタイトの顛末[2012年9月第1週・通算27週]

体重:109.6kg[+3.8kg:+6.5kg]
体脂肪率:31.7%[+1.3%:+0.8%]
BMI:34.6[+1.2:+2.2]
体脂肪質量:34.7kg[+2.5kg:+1.8kg]
腹囲:104.0cm[+2.0cm:+5.5cm]
     [先週との差:2012年当初との差]

 いやあ、ヤバイヤバイと思ってましたが、久し振りに体重を計測してビックリですよ。だって、こんな数値になっているんだもん。

 まあ、夏の間は、三食しっかり食べてたし“暑気払い”と称しての宴会も結構あったし、お出かけついでの外食もたくさんあったし、実家に帰れば、酒池肉林だし(って、ちょっと意味が違うか:笑)。とにかく、たくさん食べているって自覚がありましたから、多少は体重が増えているんじゃないかと思ってましたが、多少じゃなかったですね(薄笑)。まあ、これから秋ですからね。食欲の秋ですが、ちょっと体重を戻さないといけないかなって感じてます。

 とりあえず、暮れまでに、-10.0Kgを目指すかね…。ちょっと頑張りますか。

 さて、今週のエッセイと言うか、日記ですが、先月の“ひと言”で、ちょこちょこ書いてたヘマタイト事件の顛末を、ここにまとめて書き記しておきます(笑)。

 最近の私は、実にパワーストーンと言いますか、天然石系のアクセサリーにハマっています。主に、魔除け目的でネックレスを、健康増進目的でブレスレットをしています。魔除けとか健康増進とか、実に目的がオカルトでジジイ臭いのですが、誰に迷惑をかけるわけではないし、それで私自身が幸せを感じるわけだし、投資額もさほどではないので、実にお手軽な趣味となりつつあります。

 先日の、魔除けネックレスの修理のあたり(記事的にはこちら)から、単に既製品を購入するだけでなく、自作(笑)に凝りだした私です。

 材料の入手は比較的簡単で、手芸店のビーズのコーナーに行けば、基本的なものは揃います。ただ、手芸店と言うのは『女性向けのDIYショップ』って感じですから、オッサンが一人で行くには心理的な壁のあるお店です。だから私は、基本的に妻と一緒に行きます。そして「妻の買い物に付き合って、やむなく手芸店に来ているんであって、こんなチマチマしたモノや、キラキラしたモノには、興味なんて、ぜ~んぜん無いんだよぉ~」という演技をしております(爆)。

 恥ずかしくて、どうしても手芸店にはいけないって人や、近所に手芸店が無いとか、近所の手芸店では材料が足りないって人は、割高になりますが、楽天やアマゾンの通販でも材料入手は可能です。

 必要なものも、ごくわずかで、ごく簡単なものなら、当該の天然石のビーズと、テグス(伸びるもの、または、伸びないもの)と、ハサミと、自分の両手があれば、とりあえずOKです。実に簡単なんで、ぶきっちょさんでも、作れますよ。
 
 
 さて、ここから本題に入ります。

 魔除けネックレスの修理を貫徹した私は、次はブレスレットを作ってみたいと思うようになりました。ネックレスは魔除け目的ですが、ブレスレットは健康増進が目的なので、健康増進系の石が欲しいなあ…なんて思っていたところ、思えば願いはかなうもので、ヒョンな事から、実に安価に、磁気ヘマタイト(磁気を帯びた鉄鉱石。ザックリ書けば、磁石)のブレスレットを入手しました。で、その入手したブレスレットは、そのままでは私には小さいため、使えないのですが、そのブレスレットを入手すると同時に、同じタイプの磁気ヘマタイトのビーズを少々余分に入手でき、まさに「このブレスレットをバラして、自分用に作り替えなさい」と神様がおっしゃっているような状況になりました。

 ええ、さっそく手芸店に行って、伸びるテグス(要するに“丈夫なゴム糸”です)を購入して、私サイズのブレスレットを作ってみました。10mmタイプの磁気ヘマタイトが20個ありましたが、私の手首周りは約21cmなので、テグスと一緒に10mmタイプの人工パールを購入しました。パールは私の誕生石ですが、本物は買えないから、プラスチックのフェイクで代用です。魔除け目的じゃないから、フェイクでもOKです。これで私の腕にジャストサイズとなります。

 20個のヘマタイトと1個のプラ玉で作ったブレスレットを左腕に付けたところ、最初からなんか違和感を感じ、半日も身に付けていたら、嘔吐してしまいました。

 ヘマタイトの磁気に負けました。磁気酔いです。

 既製品なら、クーリングオフでしょうが、そこは自作ですから、一工夫して作り直しです。要するに、ヘマタイトの磁気が強くて負けたのだから、ヘマタイトの数を減らして、ブレスレットを作り直せば、何の問題もないわけです。

 どれだけ減らせば適正量になるのか、分からないですし、あまり減らしすぎると効果もなくなるでしょうから、20個のヘマタイトを、2個と6個と12個に分けて、三つのブレスレットを作って試す事にしました。

 まずはヘマタイト6個タイプのブレスレットを作って試してみて、その結果を踏まえてから、2個または12個タイプのモノを作ればいいじゃんって考えました。

 …となると、ヘマタイト以外の石が足りません(笑)。なので、石を買ってきましたよ。たまたま、都会に出るチャンスがあったので、石は手芸店ではなく、天然石ビーズの専門店で購入しました。いやあ、専門店の方が、石の種類も豊富だし、何よりも安いし(笑)。ただし、手芸店以上にガーリッシュなので、あくまでも妻の買い物に付き添っているという演技を力一杯した上での話です(笑)。

 誕生石とは言え、フェイクのプラ玉である人工パールには、今回は外れてもらって、せっかくなので、本物の石で揃えてられるように、購入してきました。新たに購入したのは、煙水晶と赤虎目です。

 煙水晶は、黒くて透明な水晶です。カタカナでは『スモーキー・クリスタル』というそうですが、水晶に不純物としてアルミニウムが混入し、そのアルミニウムが酸化すると、煙水晶になるそうです。まあ、どこにでもある、雑石です。

 対して、赤虎目(レッド・タイガー・アイ)は、天然にはあまり存在しない珍しい石なんだそうです。通常の虎目石を加熱して、強制的に酸化させて、虎目の黄色い部分を茶色に加工した石だそうです。まあ、フェイクと言うよりも、加工処理石って感じでしょうか。そんな、加工石なんて…と思いますが、別に魔除け目的じゃなければ、加熱してあっても良しだろうと判断で購入しました。

 だって、煙水晶も赤虎目も、なかなかかっこ良い石です。それにヘマタイト(鉄色)と煙水晶(半透明の濃茶)と赤虎目(濃海老茶~えんじ色の縞模様)のブレスレットですよぉ~。渋くて、カッコいいんだもん。

 とりあえず、ヘマタイト6個タイプをサクっと作成してみました。ヘマタイト6個、赤虎目6個、煙水晶9個の組み合わせです。身に付けたところ、ちょっとモア~ンとした感じがありましたが、丸1日つけても問題無しです。これならイケるかも。

 石は数珠状になっているもので購入したので、まだいくつか石が残っています。残りの石を勘定したら、なんかイケそうな気がしたので、ヘマタイト12個タイプのブレスレットをサクッと作ってみました。赤虎目4個、煙水晶5個、ヘマタイト12個って組み合わせです。こちらは6個タイプ以上に、身につけるとモア~ンとした感じがします。なんか違和感を感じるし、長時間つけていると疲れます。なので、丸1日つける勇気はありませんが、少なくとも半日程度の使用なら問題なさそうです。

 石が無くなってしまったので、作ってませんが、ヘマタイト2個タイプのものなら、なんの違和感もなく、トルマリンのブレスレットと同様に、常用できるんじゃないかって思いました。

 仕事中はブレスレットはしないので、とりあえず半日着用を前提として、今は12個タイプをメインに、違和感を感じる時は、6個タイプやトルマリンに切り換えるなどして、利用しています。休日は一日中身につけている事も多いので、6個タイプか、トルマリンのプレスレットを身につけるようにしています。

 そういう使い方なので、2個タイプは…当面作る必要がないかな? なんかキレイな石を入手したら、その中に混ぜて、新しいブレスレットを作ってみたいと思います。

 それにしても、そんなにたくさんブレスレットを作って、どうするつもりなんでしょうね。いくら健康増進が目的だから言って、腕の数より多く、ブレスレットを作っても意味ないのにね。バカなオッサンだな。

 まあ、とりあえず、私の今年の夏の自由研究は“パワーストーンのブレスレットを作る”でございました。なるほど、なるほど。

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2012年9月 1日 (土)

タニシをゲットしました

 少し前の記事で、タニシがいないとぼやきましたが、その後、日を改めて、ふたたびタニシ採取に出かけました。実は前回の時は、天候はザーザー降りの大雨の日で、私は傘もささずに、ずぶ濡れになりながらタニシ採取をしたわけですが、もしかすると、雨の中での採取だったので、タニシがどこかに行ってしまったのかもしれない…なんて思ったからです。

 今度は、ピーカンのよく晴れた日に田んぼに行きました。田んぼの水も実にきれいで、田んぼの中までよく見えます。これなら、タニシなんて、一網打尽さ!

 で、いつもの田んぼに行ったところ、タニシは……いました。それもウジャウジャ。ただし、ほぼ全部、稚貝でした。直径は、せいぜい2mmg前後のゴミのような連中ばかりで、親貝たちがなぜか見当たりませんでした。タニシは別に散乱すると死滅してしまう種類の生き物ではないので、親たちだってたくさんいて良いのに、親貝たちの姿は全然見えません。

 タニシと言うのは、用水路が田んぼに勢い良く流れ込むあたりにたくさんいるものなんですが、そこにもいません。それでも熱心に探すと、わずかな数ですが、泥の中にいたり、稲の茎に昇っていたりするタニシを約20匹程度見つけました。本当は100匹程度採取したかったのですが、前回の5匹と今回の20匹の合計25匹で手を打つことにしました。

 いないモノは仕方ないですね。無い袖は振れないのですよ。ま、25匹でもいないより、ずっとマシです。それにしても、今度の25匹はオトナシイ子が多いので、ちょっと心配です。

一応、念のため、隣の田んぼなども漁ってみたのですが、どこも状況は同じでした。ううむ、一体、何が起こったのだろう…。

 田んぼを離れて、テクテクと帰宅している時、全然別の田んぼで見知らぬお百姓さんが、田んぼの草取りをしていました。いつもの田んぼとは、距離もあって、使っている用水路こそ同じだけれど、田んぼそのものは隔絶されているので、もしかしたらと…と思って、お百姓さんに声をかけて、田んぼを見させてもらいました。

 いたいたいた~~~! それこそ、何万匹ものタニシたちが、あっちにもこっちにも、ウジャウジャいました。それも、みんな、元気バリバリの子たちです。

 はい、さっそく、許可をもらって、タニシを80匹ほど採取させていただきました。タニシって、いる田んぼにはいるんですねえ…。

 今度のタニシは、出身田んぼが違うせいか、貝の色が今までの子と違って、黒っぽいのが多いです(いままでの子はどっちかと言うと、茶系です)。

 水槽に入れる前に、病院水槽で検疫&消毒をしたのですが、一日あると、水槽になぜか稚貝がいます。タニシは卵生なので、おそらく貝殻に卵が付着していたのかもしれませんが、それにしてもお盛んですね。まあ、タニシの稚貝は金魚たちの貴重なカルシウム源になるので、大歓迎です。

 まあ、何だかんだ言って、目的のタニシ100匹ゲットできたので、うれしいです。

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