ひとこと

  •  ああ、腰が痛い…。またまた、ぎっくり腰をやっちまいました。今回の原因は不明。先日、何となく腰が痛いなあ…と思って、整体に行ったら「ぎっくりですね」と言われちゃいました。ぎっくりと言われる前は何となく痛かった程度だったのに、ぎっくりと言われた途端にめっちゃ腰が痛くなりました。…言霊って、すごいなあ。
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2012年8月17日 (金)

老犬ブログ前史 その3 最初の先生、T先生

 Nさんに紹介していただいた先生は…T先生と呼びましょう。T先生はメゾソプラノで、隣町に住んでいらっしゃいました。

 最初の面接の時に、色々と話をして、軽くレッスンもしていただきました。私の声を始めて聞いた先生は『声楽のキャリアも長く、色々とやっているうちに袋小路に入ってしまわれた方』と思ったそうです。実際の私は、合唱の経験がちょっとあるだけで、ほとんど素人同然だと話したところ、かなり意外に思われたようです。

 まだ若く仕事も忙しかった私ですが、可能な限り熱心にレッスンに通いました。

 合唱団で習った事は、ここではほとんど通用しませんでした。私はT先生の元で、発声の基礎の基本からやり直しました。立ち方、呼吸の仕方、声の出し方、音程の取り方、楽譜の読み方…本当に、ゼロからやりなおしました。

 合唱をやっていた頃は、自分の事を上手な歌手だとは思っていませんでしたが、それでもなんとか歌えていると思っていましたが、それはすべて錯覚だったと思い知りました。私は、歌える人に囲まれて、彼らの中で遊んでいただけで、自分で楽譜が読めるわけでもないし、ロクに発声できるわけじゃないし、音程だって、周りの声に合わせていただけで、自立的に音程が取れていたわけじゃないんです。

 声楽の個人レッスンを受けてみて、一人ッきりで歌ってみて、裸の自分の実力を思い知ったわけです。

 声は全然出ないし、音程も全然ダメ。音程と音色の違いもよく分からず、まずは、ピアノの音から自分の歌うべき音程を拾う事すら、まともに出来なかったのです。そんなレベルからレッスンを開始しました。

 レッスンは…今思えば、ほとんど進みませんでした。1回1時間の個人レッスンでしたが、最初の30分は発声練習、次の15分がコンコーネ50番。最後の15分が曲練習って感じでしたが…コンコーネは1年かけて、たぶん5~6番までしか進まなかったし、曲はイタリア古典歌曲をやっていたけれど、こっちは2カ月程度で1曲をやっと仕上げる程度の速度でした。

 建築に例えるならば、雑草を抜いて、石をどかして、地ならしをしていた…程度のレベルです。とても建物の建築まで手がまわらない…って感じでした。
 
 
 T先生はよく私にこう言ってました。「私は女声なので、男声の事はよく分かりません。だから、あなたに声楽の基礎的な事だけを教えます。歌の基礎が出来たら、テノールの先生を紹介しますから、安心してください。テノールの先生のところで数年学んだら、養成所を受けて、さらに勉強すると良いですよ」ってね。

 当時はまだ若かったので、プロ歌手への道が開かれていたので、そういう言い方をされたのかもしれません。現状はまだまだだと思っていましたが、頑張れば、そういう道も開けるんだなって思ってました。
 
 
 T先生の元で、1年ちょっと学んだところで、発表会がやってきました。生まれて始めての発表会で歌った曲は、スカルラッティの「陽はすでにガンジス川から」とベッリーニの「優雅な月よ」です。今も歌っている、この二曲が私の最初の発表会の曲目でした。もちろん、当時は中声用の楽譜でトライしていました。特に「ガンジス川~」はオペラアリアだと教えてもらっていたので、歌うのが、うれしくてたまりませんでした。よく知らないオペラだったけれど、オペラアリアを歌うために声楽のレッスンを始めたのだから、オペラアリアが歌えることに、それはもう、天にも登る気持ちでした。

 …でも、実は最初の発表会の事はあまり覚えてません。音源も無いし(笑)。人は、うれしすぎると、脳が全力で楽しんでしまって、その事自体を、ちゃんと記憶できないみたいですね(汗)。

 本当に全然歌えないところから始めて、発表会も経験し、私は1年で見違えるほどに上達していました。相変わらず音程は甘かったのですが、ピアノから自分が歌う音程を拾うことができるようになったし、ピアノの伴奏の上に歌を載せて歌うことができるようになっていました。発声もだいぶ良くなり、音色も深くなり、カラダに響かせて歌えるようになってきました。時折、ピアノとのハーモニーで、天使の声も聞こえるようになってきました。コンコーネもイタリア歌曲も、合格をいただくまでの時間が少しずつ短くなっていきました。

 ようやく、声楽学習のイロハが終わり、なんとなく自分のペースがつかめるようになってきました。声楽がすごく楽しくなってきました。
 
 
 そんなある日、私はT先生からいきなり破門されました。理由は…よく分かりませんでした。たぶん「あんた、生意気」とか、理不尽な事を急に言われて、破門されたんです。声楽が楽しくて楽しくてたまらなかった私にとって、破門は寝耳に水の驚きでした。

 私が破門されたと言うニュースは門下を駆けめぐり(と言っても、たった5~6人しかいなかったんですが:笑)、私は姉弟子たちに喫茶店に呼び出されて、詰問されました。『あなた一体何をしでかしたのよ!』とか『すぐに先生に詫びを入れなさい』とか『アタシも一緒に謝りに行ってあげるからとか、元気出して!』とか…。姉さんたちは、結構優しかったです。

 でも、かなり真剣に歌に取り組んでいた当時の私は、破門された事がショックでショックで、ちゃんとした返事ができなかったような気がします。

 やがて、それから一カ月するかしないかのうちに、姉さんたちも全員、破門されちゃいました(笑)。

 後で知ったのですが、どうやらT先生、ヨーロッパの歌劇場のオーディションに合格して、あっちの国に引っ越して、向こうで歌手をする事になったらしく、日本の生徒さんたちを片っ端から破門にして、整理しただけのようです。

 ま、そんな事ってあるんですね。

 破門されちゃいましたが、姉さんたちはタフでした。姉さんたちは、すぐにそれぞれに新しい先生を見つけて、T門下はバラバラになってしまいました。Nさんは、自分で見つけた新しい先生のところに、私を誘ってくれました。でも私は…生涯始めての破門に心が乱されていて、そのお誘いは断り、音楽に関する心を閉ざして、歌から遠ざかる事にしました。声楽を辞めたのはもちろん、合唱にも戻らず、それどころか、当初はカラオケにもいきませんでした。確実に、音楽から距離を取るようになりました。

 で、音楽から遠ざかった代わりに、コンピューター関係の勉強を始めて、こっちはこっちで、今の仕事につながっていくわけです。

 私が再び音楽の趣味生活に戻るには、それから約20年弱の時間が必要でした。

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コメント

T先生という方、不思議な方ですね。ヨーロッパの本場でご活躍の場が開けたのはお弟子さんたちにもうれしいことでしょうに、そんな誇らしいご自分の進路が決まったのならきちんと事情を説明して、お弟子さんたちを新しい先生に紹介するなりされるのがスジでしょうにね・・・。なんでその方法が考えられなかったのでしょうね。芸術家さんは概して意識の向きが一方向だけなので、人のつながりマネジメントは苦手科目らしいですね、自分のことでせいいっぱい、目の前のお弟子さんをなんとかしなくちゃ、=切り捨て、となってしまったのでしょうかね。

お弟子さんの今後とかまで意識が回らなかったのかしら。

だりあさん

 不思議でしょ? でも、先生はちょっと孤高なタイプの方だったかな? 門下生同士の仲はすごく良かったのですが、先生が生徒さんと仲良し…ってわけじゃなかったです。一応、先生と生徒の間で“線”を引いているタイプの方だったと思います。でも、指導もちゃんとしていたし、決していいかげんな人ではなかったのです。

 だりあさんのおっしゃるとおり“意識の向きが一方向”なタイプだったんでしょう。今なら、それも理解できますが、当時の私は、そこまで人間受容力があったわけではありませんでした。

>お弟子さんの今後とかまで意識が回らなかったのかしら。

 たぶん、ご自分の事だけで、手一杯の精一杯だったんだと思いますよ。どうも、急に話しが決まったらしいですしね…。

 とにかく、行ったきりで戻ってきてませんので、おそらく、あちらでそれなりのポジションを獲得されたんだろうと思います。でも、ちゃんと話してくれれば、壮行会でも何でもしてあげられたのになあ…って思いますよ。いやあ、残念です。

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