ひとこと

  •  なんかねー、最近、あれこれツイてないんです。あまりに小ネタ過ぎてブログに書くほどでもないのだけれど、なんかプチ不幸な日々が続いてます。なんかなー。

お知らせ

  • ●クラシックコンサートのお知らせをします。●10月8日(日)、茅ヶ崎市青少年会館ホールで行われます。今年のコンサートは、第1部ジュニア、第2部器楽、第3部声楽と、3部に分けて行われます。第3部の開演は15時20分となっています。●私は、第3部の10番として、トスティ作曲「Tristezza/悲しみ」とレオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」を歌い、次の11番目で、妻と一緒にレハール作曲「メリー・ウィドウ」より「A Dutiful Wife/従順な妻」の二重唱を歌います。私の登場時刻は、およそ16時30分前後になる予定ですが、あくまでも予定であって、これより早くなることもあるし、遅くなることもあります。●入場料は無料の千客万来系のコンサートです。ただし、例年までは市民文化会館で行われていましたが、今年は工事中となって、古い公民館系のホールで行われます。●会場的には、古くて小さい上に設備的にも??がつくような会場で「ここで歌うのはヤだな」という理由で、多くの方々が参加を取りやめたというほどの会場です。私も、練習で使用するならともかく、ここに人を招待して…となると、躊躇せざるをえません。なので、会場までお越しいただく事は望んでいませんが、もしよかったと、どこか遠くの空から、無事に歌えることを祈っていただくと感謝です。
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2011年7月 8日 (金)

My音楽史[すとん編] その1

 先日マイミクさんが「My音楽史」と題して、ご自分の音楽受容遍歴を書かれていて、それがおもしろかったので、私も書いてみる事にしました(一部の友人向けの記事だったので、リンクは張らないよ:笑)。
 
 
未就学児時代

 私は音楽に縁のない家庭に生まれ育ちましたが、私自身は物心ついた時から、なぜか音楽とか楽器とかに興味津々でした。音楽に関する記憶の一番最初は、おそらく、母親に「ピアノが習いたい」と言って「ウチは貧乏だから無理」と言い渡された事かな? 次の思い出が「横笛、吹きたい」と言い出して、悲しい顔をされた事かな?

 その点、声はタダですから、暇さえあれば歌ってました。歌は大好きでしたよ。ただ、私が歌う度に「うるさい!」と怒鳴られたり、叩かれたり、殴られたりして、強制終了の憂き目に始終あってました。ウチの家族は、私以外は皆、音楽嫌いな家族だったのです。それでもめげずに歌ってたけどね。

 そんな環境だったので、私は親からは何の音楽も与えられませんでした。なので、テレビの歌番組(演歌とアイドル歌謡)とかCMソングが、私にとって、音楽のすべてでした。クラシック? ウチの親はその手の音楽が大嫌いなので、耳にする事は出来ません。

 ちなみに、その頃の私のアイドルは、いしだあゆみでした。マセガキですね(笑)。でも、昭和のあゆも、なかなか可愛かったんですよね。
 
 
小学生時代

 小学校にあがると音楽の授業があります。その音楽の授業が、すごくショックでした。と言うのも、私は音楽が大好きでしたが、何の訓練も受けていないので、全く音楽的な能力がありませんでした。そして、その事を痛感させられたのが、学校の音楽の時間で、私は音楽の授業が怖くなってしまいました。

 例えば、音楽の授業では、毎回のように(なぜか)聴音が行われました。先生が足踏みオルガン(ピアノじゃないよ:笑)で単音を弾いて「これ、何の音か分かる~?」と質問すると、クラスの子たちが一斉に「ド~」とか「レ~」とか即答していたんです。

 そして、その答えがいつも正解なんですよ。これには、大ショックでしたね。だって、私は音に、ドレミなんていう名前がある事すら知らなかったし、ましてや音の判別なんで(今でもできないけれど)できなかったので、すごく劣等感を感じました。ましてや、最初こそ、単音の聴音の練習でしたが、やがて和音の聴音まで始めたんですよ。小学一年生なのに…。

 他にもいきなり大譜表の楽譜を渡されて「今日は皆で合奏しましょう」とか言って、いきなりオルガンを弾かされたり…。オルガンなんて、触ったこともないのに弾けるはずないじゃん(涙)。でも他の子たちは弾けるんですよ(涙)。

 私は、六歳にして絶望を感じました。今思えば、その授業について来れた子なんて、クラスのほんの一握りの子だったのでしょうが、私は、その授業で蚊帳の外に放り出されたことが悲しくて仕方ありませんでした。そして音楽の勉強をさせてくれない親を恨んだものでした。

 今思えば、この先生の授業、メチャメチャだと思いますが、当時はそういうメチャメチャが通用した時代だったんですね。

 私が小学校に入った頃は、一年生は単音ハーモニカ(ハ長調しか吹けないハーモニカ)を学ぶ時代でした。二年生になると、ハ長調以外の調性の曲も勉強するので、単音から[半音の出る]複音ハーモニカに買い換えなければいけませんでしたが、ウチの親は単音と複音の区別が付かなかったため「同じものは二ついらないだろ、一年生の時に買った奴で我慢しろ」と言われて、複音ハーモニカを買ってもらえませんでした。なので、すべての曲をハ長調のハーモニカで吹いていましたので、えらく迷惑な子どもだったでしょうね。

 三年生になると、ハーモニカからソプラノリコーダーに楽器が変わります。さすがに、ハーモニカとリコーダーは似ても似つかない楽器なので買ってもらえました。が、安心してリコーダーが吹けたのは三年生の時だけでした。四年生になると、一歳年下の弟も授業でリコーダーを使うようになったので、リコーダーは弟と共用になりました。音楽の時間がダブった時は、わざと笛を忘れたふりをして、リコーダーを弟に譲って、先生に殴られていました。当時の先生は、忘れ物をした子どもを平気で殴ったモンです。当然、五年生になると、アルトリコーダーが必要になりますが、ウチの親に、ソプラノとアルトの区別がつくはずもなく、当然、買ってもらえませんでした。で、毎日のように、学校で殴られていました。

 それでも音楽や楽器は好きで、三年生の時から鼓笛隊に入ってました。楽器は学校のモノが使えました。担当は打楽器。それもスネアドラムでした。太鼓をバンバン叩いてましたよ。ただ、この鼓笛隊、常設ではなかったのが残念でした。必要な時にメンバーを集めて、1週間程度練習をして、本番というやっつけの鼓笛隊でしたけれど、楽しかったなあ。

 当時聞いていた音楽は、やはりテレビ&ラジオが中心で、低学年の時は、当時のアニソン、高学年になると、当時のアイドルものばかり聞いてました。アイドルでは、沢田研二ことジュリーが一番好きでした。当時はかっこよかったんだねえ。
 
 
中学時代

 部活動は吹奏楽部に入りたかったのですが、ウチの学校は、学校備品の楽器がなくて、原則、楽器は自分持ちっていう学校でした。当時は吹奏楽部が大人気で、たくさんの生徒が入部を希望してました。中にはフライングで、入部前に希望楽器を買ってから部活見学に行くという強者もいたほどです。でも私は、親に楽器を買ってもらないのは分かっていましたので、入りたかったけれど、吹奏楽部は諦めました。今思えば、さすがに打楽器は学校備品があったはずですし、最初から打楽器を希望すれば何とかなっていたのかもしれませんが「音楽なんて、女の腐った奴がやるものだ(こういう言い方は、今ならアウトですね)」と言うのが、ウチのオヤジの口癖だった(失礼)ので「女の腐った奴」にはなれない中学生だった私は、吹奏楽に入りたいなんて言えませんでした。

 部活には入れなかったけれど、吹奏楽部の連中とは大の仲良しで、よく一緒に遊んでいました。ギターを弾き始めたのもこの頃。少ない小遣いを貯めて、吊るしで売っている、ギターのカタチをしたオモチャを買いました。それを自分で調整して、楽器として使えるものに仕上げました(今でもまだ持ってますよ)。これが後の“ヴァイオリン自作”の布石になったのかもしれません(笑)。

 やっと自分の楽器を入手したのですから、そりゃあもう、一生懸命練習しました。でも、才能が無かったのかなあ…、それとも誰にも教わらずに独学だったせいかなあ…。練習量の割には、ギターはちっとも上達しませんでした。それに相変わらず、音楽をやると、親たちに「うるさい!」と叱られていました。

 中学時代の良い思い出は、三年生の時の担任の先生が音楽の先生(&吹奏楽部の顧問)で、この先生にかわいがってもらった事です。音楽の基本の基本は、この先生に習いました。楽譜の読み方とか楽典とかも教わったし、お琴とピアノのさわりを習いましたし、吹奏楽部の助っ人として呼ばれて、何度かステージでパーカッションをやらせてもらいました。

 そうそう、修学旅行になぜかリコーダーを持っていき、行きの新幹線の中も、京都の町中でも、バスに乗っても、宿についても、帰りの新幹線の中も、ずーーーっとリコーダーばかり吹いてました。ただただ、ずっとリコーダーを吹いてました。だから、中学校の修学旅行って、すごく楽しかったですよ。ただし、どこで何を見たのかは、全く覚えてませんが(笑)。きっと、周りにはすごい迷惑な事だったんだろうと思います。

 やがて受験期になり、吹奏楽部の友人たちも部活を引退したので、勉強もせずに、バンドを組んで遊んじゃいました。バンドは鳴かず飛ばずだったし、友人たちは軒並み高校受験に失敗しました(汗)。

 私の中学時代は、テレビで歌番組をやらなくなった時代でした。もっとも私も中学生になって「今更歌謡曲じゃないだろ」って年頃になったので、テレビで歌謡曲ではなく、ラジオや友達の家のオーディオで、洋楽を聞くようになりました。ギターを弾いて、バンドをやっていたくせに、一番好きだったのが、カーペンターズでした。なんか、おかしいでしょ。
 
 
 あれあれ、ついうっかり長くなってしまいました。仕方がない、今日はここまで。続きは、また明日。

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音楽一般」カテゴリの記事

コメント

ストンさんは、記事から察するに、私より、だいたい5歳前後お若い世代のようですね。

ご家庭の音楽的環境が、私とよく似ているなって思いました。
私は小学一年生の時,音の高低という概念を知りませんでした。クラスに数人そう言う生徒がいましたが、私もそのマイノリティーの一人だったのです。

ストンさんにょうに、拳による迫害こそありませんでしたが、
音楽,スポーツ,芸能等に対する蔑視のようなムードが支配していました。
女の○ったのとか、河原○○とかの言葉の裏側に潜む差別的意識ですね。
知的、意思的なものこそ優位で、身体的、感性的なものは下等なものだということみたいです。
ただ、演者になることは歓迎しないが、鑑賞者でいることは知的教養としてOKという不文律みたいなものがあった思います。

極端に非音楽的な家庭環境で育った者どうしが、今こうしてキング先生と出会い、テノールとして声楽を習っている。

不思議なご縁ですね〜♪

>Yテノールさん

>音楽,スポーツ,芸能等に対する蔑視のようなムードが支配していました。

>ただ、演者になることは歓迎しないが、鑑賞者でいることは知的教養としてOKという不文律みたいなものがあった思います。


 おぉ、まさにその通り、そうでした。私の父は、巨人&長島大好き人間で、野球選手としての長島を信仰していましたが、その癖同時に、彼を人として見下していました。もちろん、現役時代の長島さんをですよ。「河原○○」という言葉もよく使ってましたね。

 子どもたちにも、スポーツをやってカラダを鍛える事は奨励していましたが、あくまでも趣味の範囲でのスポーツを奨励していまして、スポーツを職業にする事は反対でしたね。

 芸事とかお稽古事とかは、女子ども(これも失礼な表現で申し訳ない)がやるものであって、一人前の男がやるものではない。女子どもは遊んでいてもいいが、男たるものは額に汗して家族のために働くものだ……これが我が家の不文律だったと思います。当時はそういう家庭は多かったと思うし、今でもそういう傾向はあるのかもなあ…って思います。

 娘にはピアノやバレエや英会話をやらせて、息子には塾通いメインで、余暇の時間に水泳やサッカーをやらせて…。そういう家庭は多いと思いますが、それも根っこにある思想は同じようなものかもしれませんね。

 結局私は、親たちのそういう方針に負けて(?)知識・教養系の職業を選択してしまいました。Yテノールさんは芸術の世界に進み、それを生業とされたのですから、私なんかよりも、才能&意思の力が強かったのだろうなあって思います。

 それはさておき、ひとまず今は、ともにテノールとして声楽を習っているわけです。ほんと、不思議なご縁ですね。これからもよろしくお願いします。

ふふっ、面白い!これ!
さすがすとんさん、読んでて楽しめますね♪

「女の腐ったヤツ」←これね、私の父親と同じ口癖ですw
父は今でもよく言いますよ、これ。
(もしかして、似たもの同士的な父親!?)

音楽にまったく理解のない父だったので、私も家で歌を歌うと
物凄い勢いで怒られましたね。
母も音楽好きな人だったのですが、父がそういう人なので、
歌なんぞ歌ったら即、鉄拳が飛んでくる!という環境でした。
なんていうか、巨人の星のちゃぶ台ガシャーン!的な父ですね。

(色々と共感してしまう、私www)

>エーダさん

 …女の腐った奴……昭和の罵倒語ですが、これは男の子に使うから効果的なんじゃないの? ってか“対男子用精神打撃用語”でしょ。男同士で「女の腐った奴」って罵倒するから効果的なんじゃないかな?

 だって当時の「女の腐った奴」という言葉の意味って「腐女子」という21世紀的な意味ではなくて「“女”のようだけれど女じゃなくて、むしろその女が“腐った”ような奴」って事で……ごめんなさい……今の言葉で言えば「オカマ野郎」って意味でしょ。昭和の男の子にとって「オカマ野郎」は厳しいですね、厳しすぎます。

 女の子であるエーダさんに向かって「オカマ野郎」って意味の言葉は罵倒語になるのかしら。男の子の私に「オカマ野郎」はキツい言葉ですが「オナベちゃん!」(失礼、ごめんなさい)って言われても「はぁ? あんた、何言っている??」って感じで、罵倒語にならないと思うのですよ。

 女の子に向かって「女の」という部分は罵倒語にならないけれど、もしかすると「腐った奴」って部分が罵倒の意味合いになっていたのかな? ……やっぱ、エーダさんの父君の罵倒語の使い方、間違っているような気がします(嘆)。

 女の子に対する罵倒語ってのは、やっぱり今も昔も、容姿とかスタイルとかファッションに関連する罵倒語でしょう。例えば………止めときます(汗)。

>巨人の星のちゃぶ台ガシャーン!的な父ですね。

 昔は結構な家庭で“ちゃぶ台返し”はあったようですし、ウチでもありましたよ(微笑)。今の日本の家庭では、すっかりちゃぶ台は少数派になり、今では多くの家庭は“テーブルにイス”のようですから“ちゃぶ台返し”も見られなくなりました。テーブル返し…って、そりゃあ無理だよね(笑)。

 我が家のテーブルには金魚水槽が載っていますので、もしも“テーブル返し”をしたら…大変な事になります(涙)。

「女の腐ったヤツ」

これは、私に対する罵倒語ではないです~w
食事中の話題に例えば「乙メン」のような話を持ち出すと、
「そんなヤツは男じゃない!男が料理!?女の腐ったヤツがやるもんだ!」なぁんて感じでよく出てましたね。

ちゃぶ台は今でこそありませんが、昔はごく当たり前に
各家庭にありましたよね。
懐かしいなあ・・・畳にちゃぶ台で正座してご飯。
我が家では今でもコタツテーブルに正座ですよw

>エーダさん

>これは、私に対する罵倒語ではないです~w

 …だよね~だよね~、ああ、よかった(何が?)。

 確かに「乙メン」は、昭和の感覚なら「女の腐った奴」と言われても仕方ないなあ…。ただ、私のオヤジは自分が元料理人だから「料理は男が作った方が上手いんだ」と言ってました。実際、オヤジの料理は半端なく上手かったです(オフクロが無類の料理下手という事もあるんだけれど…)。

>我が家では今でもコタツテーブルに正座ですよw

 私も子どもの頃は、ごく普通に正座して食事してましたが、今はもうできないかも…。膝関節が固くなって、まるで「外人さんの正座(って分かる?)」みたいになって、膝が痛くなるンだよね。だから、今、一番苦手なのは…法事。法事ってお寺で正座でしょ。そうすると、膝が割ける様に痛むのよ~。前もって分かっていると、一カ月前から柔軟体操を始めて、膝関節を柔らかくしておくんだけれど、急なご不幸なんかでお寺に行くと…あっちの世界が見えちゃう時があります。

 なんとも、有難い話ですね(苦笑)。

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