ひとこと

  •  ああ、腰が痛い…。またまた、ぎっくり腰をやっちまいました。今回の原因は不明。先日、何となく腰が痛いなあ…と思って、整体に行ったら「ぎっくりですね」と言われちゃいました。ぎっくりと言われる前は何となく痛かった程度だったのに、ぎっくりと言われた途端にめっちゃ腰が痛くなりました。…言霊って、すごいなあ。
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2011年3月の記事

2011年3月31日 (木)

『覚悟を決めて、その地で生きる』か『万が一を考えて、逃げ出すか』[2011年3月の落ち穂拾い]

 落ち穂拾いですが…今月は、震災の影響もあって、ネット界そのものの動きが低調でした。記事をアップされる方も減り、たまにアップされていても震災関係の記事ばかり(私もあまり他人の事をとやかくは言えませんね:汗)で、いつものような軽いノリでコメントをするという事もできませんでしたので、今月は拾うべき落ち穂が見つかりませんでした。

 一日も早い、被災地の復興をお祈りいたします。また、原発事件に関わっている現場の方々の勇気と使命感を讃えます。

 さて、関東周辺に住む人間として、震災の影響と思えるものが、いくつかあります。計画停電に関しては、すでに書きましたので、今回は、落ち穂拾いの代わりと言ってなんですが、東北地方の野菜の出荷規制等の食の問題に関しての私見を少々書いてみます。

 被災地周辺の数種類の野菜が出荷停止処分となっています。これは風評被害を防ぐための措置なんだそうですが、出荷を規制した段階で、すでに風評を広げているような気がします。とりわけ「食べても大丈夫ですが…」と言いつつの出荷規制では、国民の間に???が広がるばかりです。

 この???を解消すると言っても、理屈や説明では人々を説得できないでしょうね。それこそ、菅総理がテレビの前に出てきて“東北野菜尽くしメニュー”をバリバリ食べるのが、バカらしいけれど、一番効果があると思うのですよ。一時騒がれた、水道水だってそうよ、石原都知事が浄水場に行って、水道水を飲んでたけれど、あれだって本当は菅総理がやるべきパフォーマンスでしょう。昔はカイワレを食べた菅総理だけれど、今はほうれん草を食べ、牛乳を飲まないと、彼が総理大臣になった意味がないんじゃないかな?

 現段階で被爆し、放射線値が高い野菜と言うのは、単純に外部被爆した野菜でしょ。そんなのは、水洗いすれば問題ないんだから、出荷停止処分にする必要なんてあったのかな?

 怖いのは内部被爆した野菜ですね。とは言え、野菜って簡単に内部被爆するのかな? 植物ってのは、動物とは同化異化作用の仕組みが違って、水と光と窒素化合物さえあれば生長できるわけでしょ。

 私は理科系ではないので、ここのところがきちんと分かっていないのだけれど、要は植物が生きるために、根から水と窒素化合物と共に、放射性物質を吸収するの?って事ね。普通に考えれば、彼らだって生き物だから、自分が生きるために不要なものは、その体内に取り込む事は無いでしょう。仮に一時的に吸収したとしても、生命活動的に使い道がないわけだから、すみやかに排出するでしょ?

 それと、ほうれん草を始めとして、一部の野菜だけが取り沙汰されているけれど、野菜の被爆が問題視されているって事は、実は野菜が汚染されていると考えるよりも、大気や土壌が汚染されていると考えるべきで、そうであれば、一部の野菜だけじゃなく、すべての野菜がアウトになるんじゃないかな? なのに、これはダメだけど、アレはOKってのは、なんかヘンじゃない? さらに、土壌が汚染されていると言うことは、回りまわって地下水が汚染されているって事だから、やっぱり話は一部の野菜に限定されるべき話じゃないでしょう。

 牛乳が取り沙汰されているけれど、動物は呼吸をするわけで、そういう意味では、空気中に塵として漂っている放射性物質だって吸収しちゃうし、食事をすれば外部被爆した食料から放射性物質を吸収しちゃうわけだから、植物よりも内部被爆しやすいのは確かだし、吸収してしまった放射性物質を乳牛などは、乳として排出するのだから、牛乳の放射線値が高いのは理解できます。ま、牛は牛として、一度取り込んでしまった放射性物質を、糞や尿や汗や乳として排出する事で、我が身を守っているわけですね。

 人間も牛と同じで、動物なわけで、不要な放射性物質を吸収したところで、それらの大半は排出/排泄されちゃうわけで、多少の放射性物質には目くじらを立てなくてもいいんじゃないかと、個人的に思ってます。

 こちらのサイトの数値を信用するなら、私なんかは6000ベクレル以上の放射性物質が常時、体内にあるわけだから、それに加えて、若干の放射性物質が体内に入ったところで、大騒ぎする事でもないような気がします。

 現在の野菜の暫定規制値ってやつが、1kgあたり2000ベクレルでしょ。6000ベクレル標準装備している人間が2000ベクレルのほうれん草を食べても平気なんじゃないの? もっとも、ほうれん草だけを1kgも一度に食べることはまず無いけれど。あ、複合汚染を考慮しないといけませんね。でも、一日で1kgの野菜なんて、食べれるもんじゃないよ。まあ、2~3日かければ、たぶん食べちゃうけれど、その頃には最初に食べた野菜は排泄されちゃうしてね。そう考えると、現在のように暫定規制値をちょっとだけオーバーした程度の野菜なんて、食べたところで、別にどうって事無い様な気がしますが…。

 また自然放射線による被爆ってのもあって、つまり、ボケーと息して生きているだけでも、太陽光線を始めとした、様々な放射線に我々は曝されているわけで、その量は、こちらのサイトの数値を信用するなら、普通に生活していると1年間で2.4ミリシーベルトなんだそうです。

 ちなみに、赤道直下などの自然放射線の多い地域だと、この約4倍の10ミリシーベルトほど被爆しつづけているわけで、それでも人々は、普通に生活できているわけです。この10ミリシーベルトという数値は200枚程度のレントゲン写真撮影に匹敵するそうです。また、東京~ニューヨーク間を往復すると、0.2ミリシーベルトほど被爆するそうだから、50往復分に相当するわけです。つまり、毎週、東京~ニューヨークを往復している人は、赤道直下で暮らしている人と同じくらい被爆しているわけね。

 もっとも、上の数値は、平気の平左という方の値でして、危険な方の数値で言うと、やはり一時的に多量の放射線を浴びると、ヤバいのは確かみたいです。

 一度に0.5シーベルト(単位が変わったので注意ね。つまり500ミリシーベルトです)被爆すると、白血球が一時的に減少するそうです。これはCTスキャン検査にすると500回分なんだそうです。倍の量の1シーベルト(1000ミリシーベルト)浴びるとダルくなったり吐き気がしたりするそうです。ちなみに全身に一度に7シーベルト(つまり、7000ミリシーベルト)被爆すると、人間は死んじゃうそうです。

 ああ、ここまでで、ベクレルとかミリシーベルトとか、違う単位が出てきてややこしい。

 でも、分かる事は、人間って、かなりの量の放射線を一度に浴びたり、摂取しない限り、放射線では、なかなか具合が悪くなったり死んだりはしない、って事です。ちょっとずつの被曝(つまり火傷ね)なら、怪我した傷口が少しずつ治る様に、被爆した箇所も治っちゃうわけだから、健康な人間なら、特に気にする必要はないわけです。

 だから、今、普通に手にはいる、水とか野菜とか牛乳は食べても、もろちん大丈夫だし、出荷停止処分をくらっている食材が、間違えて流通したとしても、特に問題にするほどの事ではなさそうって事が分かります。

 とは言え、何事にも“フラシーボ効果”というものがあります。本当は大丈夫なのに「これを食べたらガンになる…」「これを食べたら、絶対に病気になる…」と思いながら食べたら、安全なものを食べていても、人間は病気になっちゃうわけで、そういう意味では、少しでも不安を感じるなら、食べるのを止めるのも一つの手です。

 安全の上にも安全を考慮して、危険が疑われるものを一切体内に入れないという事を、個人で実践するのは全然OKです。しかし、現状ではそれほどの危険性はないと考えられるわけだから、いたずらに不安をあおったり、他人に広めたり「拡散希望!」なんてやってしまっては、風評被害の片棒を担ぐことになりかねないかもしれません。

 とは言え、放射性物質の拡散に関しては、原発の事故現場の状況を鑑みるにつけ、日を追う事に汚染地域が広がり、空気中の放射性物質の濃度が(微々たるとは言え)高まっていると考えるのは、常識的な判断です。なので、現在は安全と考えられる事も、何かのきっかけで、安全ではないと判断するべき日がやってくるかもしれません。(念のため)

 なので、被災地生産の食材に関しては、それぞれが自分の頭で考えて判断する事が大切であって、うっかり他人の言う事を鵜呑みにしない事が大切でしょうね(このブログの記事も含めてネ)。現在の私は、スーパーで被災地生産の食材が出回ったら、率先して購入して食べるつもりです。だって、それだって被災地援助につながるわけじゃない。でも、何か突発的な事が起こったら、そんな私でも、被災地生産の食材に手を出せなくなるかもしれません。

 結局ね、「東電が~」とか「原発が~」とか言っても、人はそれぞれの居住地で住み着きながら生活するしかないわけで、水も空気もあるものを使うしかないわけだし、食材だって流通してくるのを食べるしかないわけでしょ。そのあるものを、覚悟を決めて食べるしかないわけですよ。その覚悟ができずに、日々をおびえて暮らすくらいなら、逃げるしかないでしょう。だって、おびえているだけで、人間は病気になるんだよ。

 つまり、現在の我々のライフスタイルとしては『覚悟を決めて、その地で生きる』か『万が一を考えて、逃げ出すか』の二者択一しかないと思います。

 原発周辺にお住まいの方は、現状を考えるならば(たとえ一時的であっても)避難のために現地を離れた方が賢明だと(すとんが個人的に思っている事は)念のために書き添えておきます。…とは言え、畜産などに従事している方は、避難したくてもできませんよねえ…。そこはつらいところです。

 首都圏に住んでいる私自身に関して言えば、今のところ、逃げ出すつもりはありません。もっとも『覚悟を決めて、その地で生きる』と、かっこよい決意表明をしている、と言うよりも「引っ越すの面倒だし、どんな土地に行っても、その土地なりの苦労はあるわけだし、やっぱ首都圏便利だし、湘南地方の気候は私の健康にもいいし、いろんなことを心配するのも疲れるし…ま、いいか」という程度の決意なんですけれどね(笑)。なので、市川海老蔵さんのように、一目散に逃げ出せる人って、ある意味、すごい人だなって思ってます。…そのまま、関西に永住しちゃえ!

 最後はグダグタな結論で、申し訳ない。
 
 
今月のお気に入り 21灯LEDヘッドライト

 いわゆる、頭に装着するタイプの懐中電灯、つまり“ヘッドランプ”って奴です。これ、便利ですよ。なにしろ、計画停電の時でも、これさえあれば、フルートが吹けますし、ヴァイオリンも弾けます。ハンズフリーだから、いつも自分の視線の先は明るいんですよ。グッドクッドです。

 装着感もいいですし、光の角度調整もバッチリです。停電の時でも行動が制約されないのが良しです。これで千円前後ですからね、同じようなものが普通は4~5000円するわけだから、お買い得ですよ。停電は、これから先もまだまだ続くでしょうから、あると便利ですし、ほんと、お気に入りです。

 使用電池が単四三本なので、店に行っても電池を入手できる確率が、単三などと比べても、うんと高いです。もちろん、電池長持ちですよ。

 しかし、懐中電灯をお気に入りとして紹介する日が来るとは思いませんでした。
 
 
今月の金魚

 2011年3月6日(日) 名無しの緋ドジョウが一匹、星になりました。
    3月18日(金) この日の停電で金魚フィルターのポンプが止まり、金魚たち全部が危うく星になりかけてしまいました。また、この日からサクラの転覆が始まりました。
 
 
今月のひとこと

 花粉の季節がやってきて、マスク人が増えてきたような気がします。皆さん、マスクを着用する時は、きちんとハナとクチの両方を覆ってますか? 先日、電車に乗った時に、何気にチェックしてみたら、意外と多くの人がクチだけ覆って、ハナを丸出しにしてマスクを着用していました。あれじゃあ、花粉を始め、何でもかんでもハナから入っちゃうよ。いいの? それで? たぶん、息苦しいからハナをマスクから出しているんだろうけれど、だったらマスク着用の意味が無いような気がします…が、それって私だけの思い込み?(2011年2月27日~3月2日)

 5月21日より、ピンクレディーの全国ツアーが始まるだと~! うううううう~む、見て~! ピンクレディーは若い時よりも、オバサン(失礼)になってからの方が、百倍パワーアップしているんだよね。ある意味、モンスターな人です。やっぱり、時代のテッペン取った人って、違うんだよなあ…。(2011年3月2~7日)

 全国のワーナーマイカル系映画館で、英国ロイヤルオペラの「カルメン」が、なんと3D上映の予定。2010年6月に劇場公演されたものを5台のカメラで収録し映像化したそうな。フランチェスカ・ザンべロ演出、ジュリアン・ネイピア監督だそうな。カルメンはクリスティーン・ライス、ホセはブライアン・ハイメル。4月9日(土)より一週間の限定上演だぁ~。近所のワーナーマイカルの映画館を、チェケラッチョだぜ! …ちなみに、メトのライブビューイングの「ランメルモールのルチア」の上映期間と被っているぜい!(どっちを見れば、いいんだあ~)(2011年3月7~9日)

 地デジ対応薄型テレビって奴を買ったよ。37型と19型の二台です。一台はリビング用に、もう一台は寝室用に。一応、今までもハイヴィジョン対応のブラウン管テレビって奴で地デジを見ていたけれど、ブラウン管から液晶に画面が変わっただけなのに、画面がとってもシャープに見える。パナソニック製なのに(笑)。(2011年3月9~11日)

 業務連絡。私は元気です。私の家族もみな無事です。ご心配おかけしました。(2011年3月11~13日)

 近所のスーパーに行った。不謹慎だけど、笑っちゃうくらい、棚がスカスカ。物流がストップしているんだろうなあ…。まあ、食べるものが一週間かそこら無くても、私の場合は、やせるだけなので、無問題。でも、スーパーの建物の壁が割れていたりして、地震の爪痕を感じます。近所で話を聞くと、戸建てに住んでいる人は概ね被害無しだけれど、高層住宅(マンションとか団地とかね)に住んでいる人は、色々と被害があったようです。地べたに根を生やして生活する事って大切なんだね。…あ、津波が来たら、戸建ては全滅。高層住宅の住民だけが生き残るのか…。ううむ。(2011年3月13~14日)

 計画停電ですね。計画停電そのものはやむを得ないとしても、それを昨夜遅い時間に決定し、翌日早朝から実行ですか? 準備もなければシミュレーションも無しですか? 死人が出なければいいですね。人工呼吸器の方、人工透析をしている方、大丈夫ですかね? 慢性病で薬をもらいにいかないといけない人の足は確保されているんでしょうか? 知らずに出勤し、また帰宅難民になってしまう人はどれくらいいるのでしょうか? 今回の原発の爆発だって、どこかの国の総理大臣の視察がうんぬんとか? 国のリーダーが思慮の浅い人間だと、余計な人災が起こる起こる…。先の衆議院選挙で民主党に投票した方々、これがあなたがたが望んだ日本ですか? あ、それはともかく、今日はホワイトデーじゃん。こんな時だからこそ、ちゃんとチョコのお返しはしようね>全国の男子諸君。とにかく、力強く、普段の生活を普通通りに送っていこう!(2011年3月14~15日)

 とりあえず、電車が動き出したようです。とは言え、通常運転ではなく、8~2割の運転だそうですし、地方の支線はまだ運休しているところもあるそうですが、ひとまず人々が通勤通学できそうなので一安心です。今の日本に大切な事は、救助&復興作業もそうですが、何よりも通常の経済活動を行う事です。とにかく、物と金を動かす事です。生産する事、生産したものを運ぶ事、運んだものを購入する事。それが実は遠回りのようだけれど、被災地の復興にも役立っている事を自覚しないと。経済活動が萎縮したら、日本は崩壊するよ。それと、こんな時世だから、国境の守りはきちんと固めないと…。あ、それに不要不急の電気は節電する事かな。でも、必要なところはバンバン使わないとね。萎縮するのではなく、拡大をしていく事が大切だよ。(2011年3月15~17日)

 ラ・フォル・ジュルネのフレンズ先行予約は、1勝3敗(涙)。昨年は、3勝1敗だったので、ちょうど裏目に出ました。でも一番聞きたかった演目のチケットがゲットできたんだから良しとするか。…次は一般先行予約か…勝てる気がしない(涙)。(2011年3月17日)

 ラ・フォル・ジュルネのフレンズ先行予約(抽選)でいい結果を得られなかった私は、翌日から始まる、フレンズ先行予約に出陣し…1公演をゲット(涙)。なんか、今年は幸先が全然良くないのですが、たぶんこれは音楽の神様が「今年はこんなもんにしとき」と言っているような気がするし、ブラームスはそんなに好きじゃない(私はワーグナー派よ)ので、今年はこれで有料公演は打ち止めにする事にしました。一般先行予約…そんな激戦地で戦う勇気は私にはないのです。まあ、後は無料公演をハシゴして楽しめば、それでいいかって感じになってます。(2011年3月17~19日)

 極左勢力が日本の政権を握った時は、決まって天災が起こります。猛暑(昔なら飢饉となります)しかり、疫病しかり、大地震&津波しかり…。このまま政権交代が行われなかったら…次は火山爆発だな。富士山が危ないような気がするが…それはちょっと止めてほしいと真剣に願います。私はマジです。(2011年3月19~23日)

 そう言えば、どうして首都圏のテレビ局は節電に協力しないんだろ? 鉄道会社だって、生産工場だって、ちょっとした企業は、営業時間を短縮したりして節電に協力しているのに、テレビ局は地震前と放送時間が変わらないね。日替わりにお休みにしたり、10時とか3時とか深夜の放送を自粛して停波にするとだいぶ節電になるでしょ。いや、そんな時間に停波にしても効果がないって言うなら、交代でゴールデンタイムを停波にしたらどうだろ? 受信する側は他のチャンネルを見るから効果ないだろうけれど、東京タワーから一つでも飛ばす電波を減らせば、かなり違うと私は思うんだよね。どうでしょ? どうしてテレビ局は節電に協力しないの?(2011年3月23~28日)

 計画停電のために、該当地域では、商店などはその時間を閉店したり、会社などは遅く始業したり早く終業したりしていますが、そのための経済的な損失はどのように補われるのでしょうか? さらに、そこで働く人々、とりわけ時給労働者は、大きく収入が減る事になりますが、彼らの収入はどのような形で償われるのでしょうか? 単純に考えると、きちんと送電できない東電の責任とも思えるし、東電に計画停電の許可を与えた現政権の責任とも言えますが…結局は関東周辺部に住む人間が泣き寝入りをしてお終い?って事になるのでしょうか? これ、生活がかかった大問題だよ。会社によっては倒産しかねないよ。誰か、きちんと答えられる人はいますか?(2011年3月28~30日)
 
 
 今月は以上です。よろしくお願いします。

2011年3月30日 (水)

ヴァイオリンのレッスンが…ありませんでした

 現在、フルートのレッスンも無いのですが、ヴァイオリンのレッスンも、実は諸事情のため、ありません。ううむ、実に寂しいです。ヴァイオリンは不定期レッスンなので、今のところ、次回のレッスンの予定も立っていません。

 さて、ヴァイオリンもレッスンがなくなって、フルート同様に、私のやる気とか、ヴァイオリンの練習時間が激減しているかと言うと…意外とそうではないんです。これには私自身もビックリです。

 やる気と言うか、ヴァイオリン熱は…声楽やフルートと比べると、最初から、この二つほど熱心には取り組んでいなかった(ごめんなさい)ので、今更レッスンがあろうがなかろうが、ヴァイオリンに対する気持ちは、表面的には、あんまり変わらないのです。

 練習時間は…元々少ない(一日10分程度)ので、これもそんなに変わりません。むしろ、停電の時など、フルートに飽きるとヴァイオリンを弾いてますので、練習時間は増えているかもしれません。

 それとヴァイオリンは、日頃からほんのちょっとのスキマの時間で練習できるように、楽器をスタンドに出しっぱなしにしていますので、ちょっとの時間でギココココ~って弾けるんですよ。それが練習時間の確保という点でいいのかもしれません。

 と言うわけで、ヴァイオリンに関しては、レッスンはありませんが、表面的には、以前と変わりなくやってます。でも、やはり、心の中をのぞくと、やっぱり気の入り方が違うかもしれません。レッスンが無いと思うと、やっぱりどこか気持ちがダラダラしちゃいます。

 ヴァイオリンに関しては“一本立ち”と言うと言葉が立派すぎますが、声楽やフルートと違って、まだ先生から乳離れができていませんので、自分で正しく練習していくと言うのが、できません。それこそ、練習すればするほど、悪い癖を積み重ねていってダメにしてしまう…そんな状況です。

 今の私の注意事項は「美しい音で常に弾く」です。なんか、気を抜くと、すぐにギコギコしちゃうんですよ。なので、気を抜かずにキレイに弾けるように、常に気を入れて練習するように心掛けています。で、キレイな音を出していると…ついつい弓使いが変なことになっているんですよ。どうも、やはり、私には独学は無理みたいです。

 正直、フルートは、たとえ、半年、一年、レッスンが無くても、たぶん独学である程度の技量の維持はできるような気がするけれど、ヴァイオリンに関しては、早急にレッスンを再開しないと、技量的にゼロ、あるいはマイナスになって(つまり悪い癖がついて、真っ白な素人よりも悪い状態に陥る)、弾けなくなるような気がします。

 私自身は“サバイバル・ギルティ”のつもりはないのですが、声楽やってフルートやってヴァイオリンをやってと言うのが、正直、ちょっと負担に感じてきました。これって、フルートやヴァイオリンのレッスンが無くなって、ちょっとばかり“楽”をしちゃったので、歌と同時並行で、二つの楽器を同時に学ぶ大変さに、気付いちゃっただけなのかもしれません。冷静に考えれば、いい年した、まだ現役バリバリのオッサンが、趣味で学ぶには、ちょっと手を広げすぎたのかもしれませんネ。ある意味、正気の沙汰じゃなかったかも…。

 潮時?

 ちょっと冷静になって我が身を振り返ったら、なんかそんな気がしてきた…けど、とりあえず、毎日ギコギコとヴァイオリンを弾いてます。やっぱり、私はヴァイオリンと言う楽器が、結構好きみたいです。

2011年3月29日 (火)

合唱の声、ドイツの声、イタリアの声、ラテン語の声

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは発声練習。とにかく「美しい声」と「正しい音程」をキープし続けること。(言葉の)発音よりも(美しい)発声を優先すること。特に高音になったら、言葉が曖昧になっても良いから、すべての音を「ア」で歌う気持ちで臨むべし。いや、気持ちだけでなく、実際に「ア」で歌っても良しです。

 実際、たいていのオペラ歌手は高音を歌う時は、言葉をある程度犠牲にしても、口を縦開きにして「ア」で歌うものです。声楽、とりわけイタリアオペラ系では、まずは発声(美声)、次は音程。この二つを死守しないといけません。この二つを死守するために、他の要素は、場合によっては、捨てる覚悟も必要ってわけだし、実際に捨てちゃう事もしばしばなんだそうです。

 でも、これはクラシカルな歌全般に通じる発想でもテクニックでもないので、要注意とも言われました。

 例えば、合唱。合唱もクラシック系の歌ですが、発声に関する優先順位は独唱とは違い、合唱の場合、まず大切にするものが(言葉の)発音であり、次が音程。この二つを死守しないといけないのです。とにかく、言葉を明瞭に発声する事。正しい音程できれいにハモること。これが合唱の要であり、そのためには、声の美しさや響きを犠牲にする事も厭わないわけです。

 無論、合唱でも美しい声で歌う方が良いのだけれど、声の美しさを求めて、言葉が不明瞭になっては本末転倒ってわけです。そういう観点で考えると、合唱ではもちろん“歌う”のだけれど、歌いながら“語る”という意識か大切なのかもしれない。

 少なくとも、声楽でいう意味での“歌”は、合唱では重んじられないわけです。

 「すとんさんが合唱に行ってもいい顔されないのは、すぐに“歌う”から。“声”を出したがるから。“歌う前に、声を出す前に、やる事があるだろ?”って思われるんだよ」…図星をつかれました(汗笑)。

 歌唱の中で“語る”と言う側面に留意し続けるという点では、声楽の世界では、ドイツリートがまさにそう。リートはきちんと“言葉”を、そして“世界”を伝えないといけませんからね。だからでしょうか、ドイツリートはあまり高音がなく(高音になると言葉を捨てざるを得ないわけで、高音と言葉の両立を目指す曲は“難曲”という事になるのでしょうね)、むしろ言葉重視で歌っていくわけです。その点は、同じ声楽と言っても、オペラ中心のイタリア系の声楽とは、ちょっとばかり違うのかもしれません。

 と言うわけで、最初に戻りますが、イタリア系の歌は、言葉よりも声中心に行くわけです。しかし、イタリア系の声と言っても、世俗の歌と教会の歌の二種類の音楽があるわけです。この二つ、根っこは同じだけれど、歌う場所(劇場と教会)が違うので、似ている部分もあるけれど、おのずと違ってくる部分もあります。

 まず、使用する言語が違います。世俗音楽はイタリア語で歌いますが、教会音楽はラテン語で歌うわけです。そして、ラテン語の曲は教会のミサでで歌われる事が多いのです。

 ヨーロッパの教会…石造りで天井がいやに高くて、響きすぎるほど響き渡る場所です。そんなところで、響きのよく乗った声で歌うと…うわんうわんになってしまいます。そのせいでしょうか、教会音楽を歌う歌手の声は、割と細めで倍音も少なめで直進性の強い声のような気がします。おそらく、人のカラダから出る声はそんなもので良いのでしょう。響きなどは教会という場が付けてくれます。人の声に教会という建物が色付けをしてくれて、それが至福の音色になるわけです。

 一方、世俗の音楽は、劇場にせよ、レストランやバーにせよ、どこもそんなに響きが良いわけではありません。歌手みずからが、自分の声にたっぷりと倍音を乗せて、響きを豊かに歌わないと、美しい声にはなりません。だから、イタリア語の歌は…美声をひけらかす? って方向になりやすいのでしょう。ま、あれもこれも、とにかく、声を十分に響かせて歌うわけからなのですが…。

 …やっぱり、私はイタリア語の世俗曲しか、歌えないな(爆)。声をひけらかしたいもん(笑)。

 さて、話はレッスンに戻します。コンコーネは16番。ポジションキープが肝でした。どうも私は“ポジションキープ”と言うのが苦手で、高い音程の時は細めの声で、低い音程の時は太めの声で歌ってしまいがちです。つまり、音程で音色が激変するって奴ですが、それは少なくともクラシック的な歌い方ではありません。

 私はテノールなんだから、あんまり太い声はいらないわけで、いつでもどんな音程でも、軽めの細めの声で歌わないといけないわけです。それを、細めの声で歌ったり、太めの声で歌ったりするから、あまりよくないのです。

 特に太めの重い声で歌うと、音程が下り気味になります。これはこの重い声が、本来の私の声ではないから、そのために音程コントロールが甘くなるのだと思います。

 高音対策のためにも、そしてバッチリと正しい音程で歌っていくためにも、声は軽く軽く発声していかないといけません。それをメロディが低いからと言って、重めの太い声で歌うから、メロディが下がるにつれポジションも下がっていって、色々とダメになるわけだ。

 とにかく、下降メロディは危険です、ある意味、罠のようなものです。先生からは、三度以上音程が下がる時は、ポジションに気をつける事。とにかく、軽い声でポジションをキープする事ばかりを考えていれば良し…と言われました。うむ、ここがポイントですね。

 ちなみに16番は、たいていの人にとっては簡単な曲なんだそうですが、私のようにポジションキープができない人には、とても難しい曲となるそうです。はい、とても難しいですよ(涙)。

 今回のレッスンの最後は、二重唱の合わせでした。注意された事は『歌に余裕を持とう』と言う事。具体的に言えば、間(ま)を大切にしましょうって事ネ。急がず、慌てずに歌うこと。この二重唱のシーンは、別に言い争いをしているわけではないのだから。しっかりと間合いを取らないとね。休符はたっぷりと休んで、合いの手で入るピアノの響きをきちんと聞いて歌う事が大切です。

 二重唱でも、声が重いと注意されました。もっと軽く歌う事です。特に、時代様式を考えた場合、ドニゼッティのオペラには、そんな重い声はいらないって事です。それに、声が重いから、音程が上に上がりきらなくて、ブラ下り気味になってしまうわけです。はい、その点については、自覚あります。

 コンコーネもそうだけれと、声が重くなってしまうと、ポジションが下り気味になります。ああ、それを避けるためにも、意識的に声を軽く軽くしていく事が大切なんだよなあ~。

 軽い声で歌えないと、先々で必ず壁にぶち当たるので、今から軽く歌えるようにしなければ!

 この声の軽さ/重さですが、頭声とか胸声とか言う言葉で考えるなら、私の場合、まだまだ胸声が多いって事だね。もっと頭声を鍛えないと。

 いよいよピアノ合わせは来月となりました。二重唱に関しては、もうレッスンがありません(残りのレッスンではアリアを徹底的にみてもらうつもり)ので、今日の注意をしっかり胸に刻んで、ピアノ合わせに臨まないと。

 ピアノ合わせで大切な事は色々ありますが、まずは、ピアニストさんにしっかりと伝えるべき事が伝えられるように、自分の中で整理してまとめておく事です。どんなテンポで歌いたいのか、どこでどの程度のルバートをかけるか。助けてほしいところはどこか、そして何より、どんな風に歌いたいのか、きちんと自分でピアニストさんに伝えないとね。

 いよいよ発表会に向けてのカウントダウンが始まったような気がします。

2011年3月28日 (月)

フルートのレッスンが…今週もありませんでした(涙)

 はい、標題の通りです。今週のみならず、とりあえず諸事情によって、三月いっぱいはレッスンがないんです…。四月になったらレッスン再開するかな?

 人間って不思議なもので、当面の目標がなくなると、急に“やる気”というのが失せますね。「今週もレッスンがないんだあ…」と思うと、不思議とフルートを手にする意欲というものが減退しちゃいます。本来なら、難しくて難しくて手こずっている15課を頑張らないといけないのに…なんかモチベーションって奴が、ダダ下がりです。

 レッスンに定期的に通っている、先生の前で練習成果を披露する、と言うのが、私のフルート練習の原動力だったんだなあと、今更ながら思います。一人でコツコツ…と言うのが、どうにも苦手な私のようです。ああ、だから、何事も、独学じゃなかなか身に付かなかったわけだ(納得)。

 フルート熱がものすごい勢いで冷めているからと言って、全くフルートの練習をしなくなったわけではありません。

 アルテとかジャズとかの練習は、すっかり棚上げ状態になっちゃいましたが、キング先生から言いつけられた「狼のアリア」の後半のインスト部分の練習はやってます。こっちはやっておかないと…大変なことになりますからね。課題があるって、目標があるって、うれしい事です。とにかく、次の歌劇団の練習までに、一通り吹けるようにしておかないと…。

 「狼のアリア」を言いつけられた時は、大変な事になった…と思ったものですが、でもコレのおかげで、フルートから離れずに済んでます。ほんと、偶然ですが、有難いことです。おそらく、キング先生に「狼のアリア」の練習を命じられなかったら、フルートの自宅練習は限りなくゼロになってしまい、楽器をケースから出すことすらしなくなっていたかもしれません。

 しかし「狼のアリア」は例によって、アーティキュレーションに苦労してます。スラーが変な感じで付いているので、難しいです。簡単な曲ではない、と言うのは譜面を見た瞬間に分かりきっていた事です。今はひたすら“習うより慣れろ”でガンガン吹いてカラダで覚えることにしています。

 「狼のアリア」の練習ついでに、最近はボチボチと遊び吹きをしています。

 ここのところ、アルテに追われて、全然遊び吹きをしていなかったのですが、今はアルテを放り出しているので、気持ちに余裕が生まれたのでしょうか、以前、吹いていた「トロイメライ」とか「G線上のアリア」とか「亡き王女のためのパヴァーヌ」とか吹いてます。

 以前、遊び吹きしていた時よりも、ずっと楽に吹けるので、楽しいですよ。「G線上のアリア」なんて、以前はかなり苦労しながら吹いていた気がしますが、今は楽々吹いてます。気がつかないうちに、フルートの腕も上達していたみたいです。

 たまには、立ち止まって、振り返ってみるのも悪くないですね。ジャズやポップスもキライじゃないけれど、やっぱり私は、クラシカルな曲が好きなんだなあ…って再確認しました。『自分で演奏するなら、クラシック曲に限る』って気持ちになってます。

 フルートへの愛が冷めたからと言って、音楽から遠ざかっているわけではありません。フルートの練習時間が激減した分、歌ってます。と言うか、私の中のフルート愛がドンドン歌手魂へと変換しているみたいで、今の私は“歌手魂”って奴が、メラメラと燃えているんですよ。なんか、毎日、歌い倒したい気分です。

 おかげさまで、アリアもだいぶ歌い込む事ができました。暗譜も順調に進んでいます。残った問題は、暗譜はできたけれど、まだきちんと歌えないって事ですね。ああ、ここがジレンマです。発表会まであと三カ月、なんとか仕上げたいものです。

 歌手魂がメラメラ…とは言え、さあ歌うぞーって気持ちでいると、やってくるのが“停電”って奴です(涙)。いやあ、停電になると、パソコンも電子キーボードも使えなくなるので、歌えなくなります(涙)。仕方がないので、そんな時は、しぶしぶフルートを出して吹いてます。停電の時は、なんか気分も盛り上がらないし、気も入らないので、あきらめてアルテの基礎練習をやってます。なので、今や「停電になったらアルテ」って感じかな? 頭に懐中電灯をつけてフルートを吹いている姿は、傍目で見ると、不気味だろうね(爆)。

2011年3月27日 (日)

サバイバル・ギルティという言葉はご存じですか[2011年3月第4週・通算11週]

体重:99.9kg[+0.2kg:-0.5kg]
体脂肪率:30.4%[-0.1%:+0.2%]
BMI:31.5[+-0.0:-0.2]
体脂肪質量:30.4kg[+-0.0kg:+-0.0kg]
腹囲:97.0cm[+-0.0cm:+0.5cm]
     [先週との差:2011年当初との差]

 99.9kgです。いよいよギリギリな感じになってきました。ちょっと焦ってます。でもねえ、ストレス太りは避けられないのよ(涙)。気がつくと、何かが口の中に入っている…んだよねえ。困った困った。

 先の大地震および津波や原発事故やその他の災害も含め、どうやら「東日本大震災」と呼ぶようになってきましたね。東日本…この言葉だけで、その被害地域の広さと事の深刻さが分かります。

 あれから約二週間、現地の様子を報道などで見る限りでは、まだまだ大変な状態のようですが、それでも皆さん、必死に立ち上がろうとしている姿は、思わず「頑張れ」と声をかけたくなるし、日本人の不屈な魂を見せられる思いです。それにしても現在進行形で大変なのが原発事故の方ですね。東電の人や消防士さんや自衛隊の兵士さんたちが、文字通り、命懸けで復旧作業に当たってます。ただただ感謝です。

 さて、被災していない地域や人、およびネットの世界の話をします。

 皆さんは“サバイバル・ギルティ”って言葉をご存じでしょうか? これは“生き残ってしまった事を罪悪”と感じる心の事だそうで、ノイローゼやら鬱やらPTSDやらの原因の一つなんだそうで、例の9.11以降使われるようになった言葉だそうです。

 この“サバイバル・ギルティ”ですが、直訳すると『生き残ったから有罪』って感じでしょうか? つまり「生きてて、ごめんなさい」「無事で申し訳ない」「被災しなかったので、居たたまれない」「普通に生活ができて、すみません」「元気で健康でいるのが、とても後ろめたい」って感情の、極端に強いバージョンです。この感情は決して馬鹿にできなくて、この感情のために、心が壊れてしまう人が大勢いるそうです。

 今の日本には、この“サバイバル・ギルティ”に心が食われてしまった人が、たくさんいるんじゃないかな?

 テレビであれだけ連日連夜、悲劇を強調した報道が垂れ流されていたわけで、あれをずっと見ていたら、そりゃあ「生きてて、ごめんなさい」って気持ちになるのが、ある意味、当たり前の反応だよね。

 “サバイバル・ギルティ”の根幹にある感情は“共感”なんだと思います。被災された方を思い、同情し、その境遇に涙し、悲しみを抱く気持ちは、人間として尊いものだと思います。問題は、その感情が行き過ぎてしまうことネ。

 例え、テレビの報道がヒドイ状況を伝えていたとしても、それはあくまでも、現地での出来事なわけだし、そこに映し出されているのは、現地の方々なんです。自分はあくまでテレビを見ているだけで、テレビの中の世界の人ではないんです。

 ちょっと冷たい言い方かもしれないけれど、所詮、自分は自分であるわけだし、彼らは彼らなのです。なのに、共感する心が強すぎると、我彼の区別があいまいになり、相手のつらさや悲しみが伝染し、彼らの悲しみでこちらの心が潰され、自分自身が被災された方と同じように、いや、それ以上に心がくじけてしまって「なぜ私は被災しなかったのだろうか」「私は無事なのに被災地では…」と思い始めて、やがて無事に生活できている自分と、その回りの人々を憎悪し始めるわけです。

 そうやって“サバイバル・ギルティ”に心が食われてしまうわけです。

 もちろん“共感する心”は大切だし尊いです。募金活動にせよ、ボランティア活動にせよ、これらの善行は「情けは人のためならず」という共感する心が原動力となって推進されるものです。

 しかし「あの日以来、とても音楽をやる気になりません」「ブログを書こうと思っても、なんの話題も浮かびません」「あれほど毎日熱心に練習していたのに、もう二週間も楽器に触っていません」 こんな人は、すでに“サバイバル・ギルティ”に心が浸食されています。

 これがひどくなってくると、自分の事だけでなく、周囲の事まで気にかかるようになるそうです。

 「地震があって、被災地では生きるだけでも精一杯なのに、あそこの家からピアノの音が聞こえる、なんて不謹慎な!」「あの家の娘、昼間っから、のんきにフルートなんか吹いていやがる。被災された方は、フルートが吹きたくても吹けないのに…ああ、気に入らない!」「あそこの奥さん、習い事に通っているそうよ、そんなお金があったら、募金でもすればいいのに!」「世間がこれだけ大変なのに、毎日毎日、どうでも良いことをブログに書いている奴がいる。さっさとブログなんか辞めちまえばいいのに!」 こういう発想が出てくるようだと、心が“サバイバル・ギルティ”に食われすぎて、すでにダークサイドに落ちてますネ。

 「被災した人が不幸なのだから、自分も不幸にならないといけない」と考えるのが“サバイバル・ギルティ”の症状ですが「被災した人が不幸なのだから、日本中が不幸にならなければいけない。少なくとも私の目の届く範囲に、普通の生活をしている奴がいたら、許さない」ってなると、かなり重症な“サバイバル・ギルティ”であると言えるでしょうね。

 “いじめ”と言うのは、元来、弱い心の持ち主がその自分の弱さをカモフラージュするために、自分よりも弱い人間を見つけては加害する事で、自分を強者に擬態するという、心の働き(と言うか、病)なんですが、この“いじめっ子”気質な人と言うのは、元々の心が弱いために“サバイバル・ギルティ”にも心が浸食されやすいようです。

 そういう人は、自分の心を安定させるために、周囲の人々に精神的な攻撃を加えますが、その具体的な行動として、例えば、ピアノを弾いている家に行って、わざわざ「ピアノを弾くな」と注意をしに行ったり、フルートを吹いていると、家の壁をドンドンドンドンと叩いて、イヤガラセ&脅しをかけたり、ブログに「何、呑気な事を書いているんだ、不謹慎だ、今すぐブログを辞めろ」というアラシ・コメントを残したりするわけです。

 心が弱い事は罪ではありませんが、その行いは迷惑千万だし、他人を傷つける事で自分を守るというのは、日本人のするべき行動ではありません。

 で、この重症な“サバイバル・ギルティ”の方、あるいは“サバイバル・ギルティ”を併発した“いじめっ子”な方は、さすがに私のリアルな周囲にはいませんが、ネットでは加害者・被害者とも、よく見聞きします。ネットは顔が見えない分、心がよく見えるんですよ。

 大切な事は、被災した人と悲しみを共有して落ち込む事ではなく、被災した人を助けるために、私たち自身が大地にしっかりと足を踏んばって、力強く立ち上がり、被災した人々に手を差しのべる事でしょ。具体的に言えば「悲しむ暇があったら、前を向いて歩きだせ」って事です。

 そのためには、まず“日常生活”を取り返しましょう。確かに停電もあるし、物流だって未だに滞っているし、燃料も不足しています。それでも、覚悟を決めて、力強く、日常を過ごしましょう。

 精査した情報を入手しパニックにならないようにしましょう。パニックは不安を呼び覚まし、不安は再び“サバイバル・ギルティ”を呼び寄せます。(マスコミ関係者は全くそんなつもりはないでしょうが)「マスコミは我々を不安に陥れるために、悪い情報ばかりを流しているんだ」と思っているくらいで、ちょうど良いのかもしれません。心の強さに自信がない人は、思い切ってテレビを消してしまうのも、一つの手かもしれません。

 そして、懸命に働きましょう。真剣に楽しみましょう。心の底から笑いましょう。そうやって、まず自分自身を律して、心もカラダも健康でありましょう。その上で余裕のある人は、募金なり献血なり労働奉仕なりをしていけば良いのだと思います。

 まずは、それぞれの人ができることをコツコツとやっていく事。そして、自分にはできない事や自分の手に余る事は、潔く専門家の手に委ねて祈りましょう。その代わりと言ってはなんですが、しっかりと日本の経済を回していきましょう。経済さえ回っていけば、被災地の援助だってできます。物流も回復するでしょうし、電力不足や燃料不足もやがて解消されます。復興作業もはかどると言うものです。

 まず必要な事は、日本経済の立て直しです。

 生き残った事に罪悪感など感じる必要は全くありません。生き残ったのなら、やるべき事があるはずです。悲しみにくれて、心を潰して、やるべき事をやらない方が、よっぽど罪深いと、私は思います。

 さあ、始めましょう。悲しみは横に置いて、立ち上がれる人から立ち上がっていきましょう。“サバイバル・ギルティ”を終えて、日本中で前に向かって歩きだしましょう。

2011年3月26日 (土)

停電で金魚が死にかけました

 そうなんですよ、停電になって、金魚が死にかけました(涙)。

 理由ですか? やっぱり酸欠ですかね?

 ウチは上部式の金魚フィルターを使用しているので、このフィルターのポンプが作動することで、水槽の中の水を動かし、糞尿を処理し、同時に金魚たちに酸素を供給しています。いわば、この装置が、金魚たちの生命維持装置であるわけです。

 当然、停電になると、この金魚フィルターのポンプが停止します。で、本来なら停電が終了し通電すると、ポンプも復帰するはずなんですが、たまにこいつが復帰しません。ポンプ内のモーターがちょっとばかりヘタッていて、たまに始動に失敗する事があるんです。

 普段は水替えの時にしか金魚フィルターの電源は落としません。水替えを終え、改めて金魚フィルターに通電して…まあ、たいていは問題なくポンプが始動するのですが、まれに始動しない時があります。そんな時は、人の指でちょっとばかりモーターを回してあげれば、すぐに問題なくポンプが始動します。

 最近の計画停電って、誰も人間が家にいない時にもやってくるんですよね。

 そんな時は、停電と同時に金魚フィルターの電源が落ち、通電と同時に…金魚フィルターに電源オンなはずですが、先日の停電の時は、通電しても、金魚フィルターのポンプが停止したままでした。その日は午前中の停電だったはずで、人間が帰宅したのは夕方ですから、たぶん半日ほど、金魚フィルターのポンプが停止していた事になります。

 一番最初に帰宅したのは、妻でしたが、その段階で、五匹の金魚が全部、腹を上にして水面に浮かんでいたそうです。「え? 金魚が全部死んだ?」と思ったそうです。すぐにフィルターのポンプが止まっている事に気づき、慌ててポンプを作動させたところ…チグとスズは、すぐに正気を取り戻したようです。ブニョがしばらくしてから活動開始。キッカは…随分前から転覆しているので、転覆のまま。そして、あれほど元気だったサクラは、だいぶダメージを受けたようで、この日を境に転覆金魚になってしまい、腹を上にしたまま浮かぶ生活を始めてしまいました。

 サクラは、以前は元気一杯で、よくスズネとつるんでいたのですが、転覆をするようになって以来、スズとは疎遠になったようで、最近はキッカやブニョと一緒にいる事が多くなりました。ちなみに、この子たちを最近では“てんぷく三姉妹”と呼んでます。

 たぶん、あの日、計画停電が行われなければ、あるいは誰か家に人間がいたなら、または金魚フィルターのポンプがヘタっていなければ、おそらく金魚たちは死にかける事はなく、サクラも転覆病にならずに済んだんだろうと思います。

 サクラの転覆病は、いわゆる通常の転覆病ではなく、弱って死にかけた金魚が腹を上にするアレなんだと思います。実際、あの日以来、サクラはほとんど泳がなくなりました。ただ、ちょっとだけ希望が持てるのは、サクラの場合、体調が良いと、転覆から復帰して、普通に泳いでいる事があるのです。でも、それは一日のうちのほんの数分間で、大半の時間は、動きを止めて、じっと転覆しています。

 たかが金魚ですが、原発事故の影響を受けて、死にかけちゃったわけです。でも、死にかけたのが、金魚でよかったです。これがもしも、金魚ではなく人間の身の上に起こり、、金魚フィルターでは無く、何らかの医療機器が停電のために作動しなくなり、停電のために死にかけたり、病気が重篤化したなら、大変な話ですからね。

 ちなみに、停電のために電気器具の電源を強制的にオンオフを繰り返すと、最近の家電は早く壊れるって聞きました。都市伝説かもしれないけれど、昨今の家電は常時電源オンを前提に作られているので、強制的に頻繁に電源のオンオフを繰り返すと、メモリ部分がイかれてしまうのだそうですが…これってやっぱり都市伝説かな?

2011年3月25日 (金)

歌うときの姿勢について[2011年3月現在]

 先生から歌う姿勢が悪いと注意された私は、色々な注意をいただきましたが、それらは注意されて、すぐに直るという類のものではなかったので、その多くをお土産として自宅に持ち帰り、あれこれ考えて試して今の自分に合ったものを、ちょっとばかり探してみました。で、だいたい「こんな感じかな?」と言うのが見つかったような気がするので、今回は、それを備忘録としてここに書いておきます。あくまで私の“備忘録”であって、万人向けと言うわけではないかもしれませんので、この記事を読んで参考にする方は、そのあたりをご注意ください。

 では、2011年3月現在の私が考える“まあまあ良い”歌う姿勢について説明します。

 まず、スクッと立ちます。首の付け根の後ろあたりにフックがあって、そのフックに紐がかかっていて、マリオネットみたいに上から吊るされた様な感覚で、やや上に背伸びしたような感じで立ちます。たぶん、この立ち方は、バレエやソシアルダンスの基本の立ち方と一緒だと思います。

 そうやって、立ったところで、まずかかとをしっかりと床につけます。ただし、重心は左右の足の親指のあたりに保ったままです。重心は親指に置いたまま、しっかりと足の裏で床の反発を感じられる様に立ちます。

 足が決まったら、脚を決めますが、膝は曲げませんし、絶対に緩めません。

 脚を決めたら、その上で臀部を引き絞めます。引き締める方向は後ろから前への方向。これで臀部と内腿をグイグイと絞めていきます。まるで乗馬の際に、鞍を股で締めつける、あの感覚に近いかな? もっと一般的な動作で言うなら、お尻の肉を肛門から中に入れ込んでいくような感じと言った方が汎用性がある表現かも。

 そうやって臀部を絞めていくと、ついつい腹部が前に突き出やすくなるので注意です。臀部を絞めながらも、前に出っ張ってしまった腹部は、しっかりと後ろに引くこと。その時に骨盤を後ろに倒す様にすると、背中とお腹の両立ができます。さらに、骨盤を後ろに倒すことで、背中をしっかりと使っていくスペースができるので、一石二鳥な感じです。

 一方、背中を含めた上半身は、腰の上にちょっこんと乗せた感覚で、その上に、背骨をまっすぐな棒のように上に伸ばしていきます。人間の背中は、楽をするとS字になりますが、そのS字をI字にする感じです。

 そして、腰を起点に、腰より下の下半身は下へ、上半身は基本的に上へ引っ張っていきます。ただし、背中は上と言うよりも、後ろへ引っ張ります。両肩は、しっかりと真下に引っ張ります。

 そこまでできたら、うつむき加減だった顔を正面にします。その際、アゴを突き出さずに自然な形で引いてみます。そして、アゴを脱力して、重力に任せます。少し口が開きますが、それがデフォルトの形です。そして、上アゴをヨイショっと上に持ち上げます。視線は正面向きです。これで姿勢的には完成です。

 この姿勢を作った上で、腹筋、背筋をしっかり使って歌うと、なかなか良い結果になります。

 問題はこの姿勢を作ったら、きちんとキープしていく事。歌っているうちにドンドン崩れてしまうのは…練習不足だからですね。良いと思った事は、しっかり身に付けていかないと、もったいないですね。

2011年3月24日 (木)

地震の影響で、歌劇団の活動もちょっぴりアタフタしました

 歌劇団の練習に行ってきました。いやあ「行って来れました」と言いたいくらいの気分です。

 実は、歌劇団の練習は、普段は公共の音楽施設を借りて活動しているのですが、今回の地震のために、市が夜間と停電時間中の公共施設の貸し出しを取りやめる事になってしまいました。なので、夜間の時間帯に練習している我が歌劇団は、いきなり練習場所が無くなってしまいました。そして市が公共施設の貸し出しを取りやめると私が知ったのが、なんと練習日の三日前です。いやあ、さすがに身動きが取れなくなり、今月の歌劇団の練習はお休みにするしかないか(汗)って、一瞬考えちゃいました。

 それでも色々と手ヅルなどを使って、パッパと動いて、代替の民間施設を借りる事ができました。ああ、良かった。しかし、あくまで今回のような動きは、緊急避難的な対処です。早く、計画停電が無くなって、夜間も公共施設が普通に使えるように、復興して欲しいものです。がんばれ、日本!

 そんなこんなで、練習日直前にバタバタしてしまった歌劇団でした。それにしても、いつまで停電が続くんだろ? それに我が団に限らず、勤め人が多く参加しているアマチュア団体は、必然的に活動するのが夜間になるのだけれど、そういう団体は皆、練習場所に困っていることでしょうね。

 と、まあ色々あったわけですが、無事に活動できました。

 欠席は、仕事の都合で事前に欠席連絡をしていた方と、発熱のため病欠をした方だけで、それ以外は全員揃いました。なんだかんだ言っても、みんな歌いたいんだね。

 練習は…今回は普段はやらない呼吸の練習から始めました。ロングブレスと“犬の呼吸”です。どちらも背中をしっかり使う事を意識して行います。これは二人一組になって、互いに注意しながらやりました。

 おなじみの筋トレは、スクワット30回×1セット。腹筋30回×1セット。背筋20回×1セットでした。数が少ないと思われるでしょうが、実は今回のカウントは先生が取りましたので、一つ一つがたっぷり長めにやったので、結構キマした。でも、筋トレはしっかりやらないといけないので、これはこれで良しです。筋トレは…息を止めないでやるのがコツですね。

 “演技付き発声”は『卒業式』がテーマでした。ステージ上で歌いながら演ずる卒業式なので、校長と担任がいる卒業式の舞台はもちろん、本来は舞台下にいるはずの卒業生たちが座っている場所も、ステージの上に設営して、やってみました。

 担任が一人一人の名を呼んで、呼ばれた生徒が一人一人舞台に上がって卒業証書を受け取る…というだけの演技なんですが、それぞれが個性ある卒業生を演じました。不良生徒やスケバンもいれば、優等生や普通の子もいるわけです。私は“緊張しいの学生”を演じてみました。当然、舞台に上がる時と下りる時は、コケてみました(笑)。ピアニストさんは、今回の“演技付き発声”に参加せずに、脇で見ていたのですが、皆さんの演技に大受けで大爆笑でした。

 先生からの注意は…自分の番で卒業証書を受け取りに行っている時は良いのだけれど、生徒の席に戻って座っている場面で、素に戻って観客になってしまっている人が幾人もいたのが残念です。座っている時もキャラクターになりきって、演技をやめないでいる事が大切ですとのこと。…確かに素に戻って、他の団員の演技を楽しんでしまいました(反省)。

 さて、次回の“演技付き発声”のテーマは「お花見」です。シチュエーションは、サクラの下で二つのグループが隣同士で花見をしているという設定す。二つのグループは、一つは“コンビニのバイトさんたち”のグループで、もう一つが“学校のセンセたち”のグループです。当然、店長と校長がそれぞれにいます。このちょっと違ったグループが同じサクラの下で花見をしているわけですが、そこで何かが起こるわけです。さて、何がおこるのでしょうか? 

 で、その配役ですが、事前に決めるのではなく、私(団長)が勝手に決めて、一週間前に団員たちにメールで通知する事になりました。はは、さあ、誰をどの役にしましょうか? 今からワクワクします。

 発声練習代わりの合唱版コンコーネは、8番と10番をやりました。これで二巡したので、次回からは先生の気分で歌う曲をその都度決めていくそうです。先生曰く「いつでも歌えるように準備しておく事」ですが、9曲もあると、結局何も準備しないまま練習日を迎えそうで怖いです。とりあえず私はヤマを張って自宅で練習して歌劇団の練習に臨みます。ヤマがハズレたら…それはそれで撃沈して終わりにするつもりです。とても、9曲全部を見ている余裕はないですもの。

 ここで休憩になりました。今回は、私と妻以外の二重唱のコンビがいなかったので、急遽、この時間にソロを披露し合うことになりました。トップバッターは私です。当然、他人様に披露できるほどの出来には達していませんから、見事に撃沈してきました(笑)。撃沈はしましたが、それでも今までで最高の歌唱ができたと自負しております。いやあ、やはりカデンツァは難しいですね。

 しかし、人前で歌うと、ククっと上達する私です。先生に「すとんさんは、半年に一回ぐらいずつ本番をするといいかもしれない」と言わせました(やったね)。人前で歌うたびに上達しちゃう私です。私以外に、数名の団員が歌声を披露しました。皆さん、まだまだなので、ちょっぴり安心しました。ここから本番まで、どれだけ上達してくるか、ほんと楽しみ(他人事ですみません)。

 「赤ずきんちゃん」は課題として出されていた三曲を、小グループで歌って披露をしてみました。「お母さんのアリア“朝の祈り”」と「狼のアリア“おれは森の王者”」は、まあ良しです。「郵便配達のアリア“おはよう皆さん”」はまだまだです。この曲は来月もう一回やる事にしたので、次回までに、もう一度しっかりと譜読みをしておきましょう。

 ところで、「狼のアリア」は歌部分はOKですが、中間部のインスト部分を…ピアノでなく、管楽器でやることになりました。何と言う事か! 私はフルートで、もう一人のテノールのYさんはリコーダーで、このインスト部分を吹けるように練習しておくことが命ぜられました。

 …が、はっきり言って、このインスト部分、私は吹けないよ(汗)。だって、このインスト部分、譜面が真っ黒で、私の演奏力を越えているもん。bが三つのハ短調の上に、臨時記号がビシビシ来るし、リズムも結構細かいです。符点十六分音符? 三十二分音符? なんですか、これは?

 歌う時って、調性によって難易度が違うという事はないので、音取りの時はちょっとイヤだけれど、その段階を過ぎてしまえば、どんな調の曲でも同じです。弦楽器も調性で難易度がさほど変わることはないと言うのは、分かります。しかし、管楽器は調性によって難易度が極端に変わってきます。この「狼のアリア」はハ短調なんですが、そんなハ短調なんて、フルートで吹きたくないです。だって難しいじゃん。私を誰だと心得ているんでしょ、私は立派なフルート初級者よ! まだ教則本の一冊だって、終えたことはないんだから!

 …しかし、フルートでハ短調は吹きたくないけれど、リコーダーでハ短調ってどうなの? フルート以上にイヤなんじゃないの? Yさん、軽くOKしていたけれど、大丈夫なのかな? それとも実はYさん、笛の名手だったりして…。

 と言うわけで、男性二人は、来月までに管楽器の練習をしてきます。女性は、その代わり「赤ずきんちゃんのアリア“みんなみんなおはよう”」を練習してくる事になりました。この「赤ずきんちゃんのアリア」は、コンコーネ25番第3曲という、かなり難しい曲のアリアです。ですから、一度に全部ではなく、最初の1ページ分だけを予習しておけば、今回は良いことになりましたが、それでもこのアリア…かなり難しいよ。がんばれ、女性陣。

 今回「乾杯の歌」は時間切れのために練習できませんでした。練習してもしなくても、この曲は六月の発表会では歌うわけですから、今回練習できなかった分は、各自、それぞれでしっかり練習しておいてください。

 次回の練習は、計画停電が予想されますので、練習時間場所などを変更するかもしれません。団員の皆さんは、心づもりをよろしくお願いします。

2011年3月23日 (水)

下手くそなヴァイオリン(失礼)も聞いてみたい

 たぶん、私はヴァイオリンが下手くそです。いや、おそらくは“たぶん”ではなくて“確実に”下手くそでしょう。でも、悲しいかな、私は、自分の下手くそさ加減がよく分かりません。つまりヴァイオリン界における自分の技術レベルというか、立ち位置がよく分からないのです。

 とは言え、プロの演奏は生で何度か聞いています。なので、プロの世界の状況と言うか、お上手な方の世界、つまり、いわゆる“てっぺん”の世界は、なんとなく想像がつきます。あそこは、ほんと、別世界だよねえ。

 とにかく、プロはすごいですね。テクニックもすごいけれど、生で聞くと、その音色が素晴らしい。実に美しいですよ。つい先日も、プロの卵である音大生の演奏を聞いたけれど、彼らの演奏を聞いて、私はヴァイオリンを辞めたくなりました(涙)。なんて言うかな…、音色が全然違う。あれはミヤマでは、絶対にたどり着けない“美の世界”だね。ああいう演奏を聞くたびに、自分がどれだけ努力をしても、たどり着けない世界があるんだなあって思いますし、無力感を感じます。ヴァイオリンを辞めたくなります(涙)。

 どんな世界にも、努力だけじゃ埋まらないものがあるんですね。

 とは言え、すぐに立ち直るのも私らしいんだけれど(爆)。ヴァイオリンを辞めたくなった、その直後に「まあ、いいか。アレはアレ。自分は自分」とか思い直すんだよね。なので「やっぱり、辞めるの止め~」って事になります(爆)。

 “てっぺん”の世界はともかく、問題は“ていへん”の方の世界、つまり、アマチュアの世界というか、レイトスターターの世界というか、そっちの世界を知りたいのです。特に老年にたどりついてからヴァイオリンを始めた方、ザックバランに言えば、私と同じような環境で頑張っている方々の世界を知りたいです。はっきり言って“私並に”下手くそな方の世界が知りたいです。物差しで言えば、限りなくゼロに近い私のような人間同士の、どんぐりの背比べというのをして(どんぐりの中だけど)自分の立ち位置を確認したいのです。確認して、自分の一歩前にいる方を直近の目標として頑張りたいんです。

 私は残念な事に、私の人生経験の中で、私ほど下手くそなヴァイオリニストは聞いたことはありません。その下手くそさ加減は孤高です。あまりに孤高すぎて比較できません。

 これがグループレッスンでも受けていると、同じレッスンの人との比較で自分の立ち位置が分かり「よし、頑張ろう」とか思えるのでしょうし、たとえ個人レッスンでも発表会に参加すると、また自分の位置というのが分かるのでしょうが、残念ながら、私は個人レッスンだし、ヴァイオリンの生徒さんは私一人なので、同門の人もいません。

 先日、聞きに行かせてもらったBEEさんの発表会で、何人かのヴァイオリンの方がいらっしゃいました。しかし、人数が少なすぎるのと、やっぱり私よりもキャリアも長く、テクニック的にも、かなり上級な方々ばかりだったので、あまり参考にはなりませんでした。

 近所でヴァイオリンの発表会があったら、ぜひ聞きにいきたいなあ。結構気をつけて探しているつもりだけど、ピアノの発表会は毎月のようにやっているのに、ヴァイオリンの発表会ってなかなか見つけられません。やっぱり、地方だとヴァイオリンの発表会って少ないのかな? ただ、お教室がないわけではないので、どこかで必ずやっているとは思うのですが、そういうチャンスと巡り合えません。まあ、気長に情報収集に励むしかないですね。

 始めたばかりの人から音大受験生まで、ズラズラズラ~とラインナップが揃っているようなお教室の発表会が聞けると、すごく良いと思うのです。

 ミクシィで、大人からヴァイオリンを始めた方のオフなどがたまに開かれているみたいだし、そういうのにも参加すると、すごく良いのだろうけれど、現実問題としては、それはなかなか難しいです。だって、どこも開催地が遠いんだもん。それに私、いわゆる休日に働いている事多いし(涙)、暇さえあれば演奏会に出かけていたりしているし、なんと言っても、休日はできるだけ家族で過ごしたいし。

 ああ、しずかちゃんやマスオさんのヴァイオリンを聞いてみたいです。でも、彼らも私よりは上手いんだろうなあ。

2011年3月22日 (火)

上手にお尻も使ってみよう

 声楽のレッスンに行ってきました。こんなご時世だから、気合を入れて歌ってきました。

 いつも通り、発声練習から始めます。まずは、ジラーレに注意をしましょう。そのためには、声を軽く軽く出すこと。声が軽く出せないと、うまくジラーレできません。なので、なるべく重い声は出さないように心掛けたいです。なにしろ、ジラーレがうまくいかないと、高音は出ないからね。そのためにも、重い声は厳禁です。

 巻き舌の練習もしないと…。私は巻き舌が出来ると言えば出来るのだけれど、音楽的なレベルで言うと、私程度の巻き舌ではちょいと不足なのです。だから、もっと練習をしましょうという事になりました。

 確かに私の巻き舌は、出来る/出来ない程度のもの。しかし、巻き舌にも色々あるわけで、固い巻き舌、柔らかい巻き舌と、その巻き方にも程度というのがあります。私の巻き舌は固い巻き舌なんだそうですが、アリアで歌うネモリーノ君は、その性格から考えて、巻き舌はかなり柔らかくしないといけないのです。だから、柔らかい巻き舌もできるように練習練習です。

 さらに、以前も注意されましたが、私の場合、巻き舌に音程が乗っていない(つまり、打楽器のようにいつも同じ音程の巻き舌になっている)ので、巻き舌部分にも、しっかりと音程を載せて歌いましょうと言われました。はい、すぐにはできないので、自宅で練習しておきます。

 ちなみに、巻き舌は関東人よりも関西人の方が数倍得意なんだとか? 理由は…関西弁のら行は“R”の要素が強いから…うむ、確かにその傾向はあるかも。

 さて、アリアの練習です。

 アリアの出来は…当然、まだまだです。それでも少しずつは前進しているのです。

 一度、通して歌ったところ、先生が大きな姿見を持ってきました。「それ見ながら歌ってごらん、すごく前屈しているよ」 …確かに私、まるでお辞儀をしているかのように前屈して歌っていました。なぜ前屈しているのか? それは背中を使っているからです。背中を思いっきり使おうとして、そのためについつい前屈してしまっていたのです。そして、背中しか使わずに歌っているから前屈しているのです(涙)。

 「そんなに前屈みになって歌っているオペラ歌手っている?」

 「…いません(涙)」

 私の場合、どうやら背中が使えているようだけれど、その他の部位、特に臀部が全く使えていないので、カラダが前屈みになってしまっているのだそうです。というわけで、今回は臀部の使い方の勉強をしました。

 臀部の使い方…簡単に言うと“尻を絞って歌う”わけです。よく「肛門をギュっと閉めて歌え!」って言うじゃないですか? あれです(笑)。

 正直、かなり難しいです。もちろん、臀部にだけ注意すればいいなら簡単ですが、当然、注意するべきは臀部だけはありません。しっかり背中も使わないといけません。腹筋も当然使います。息も声も支えていかないといけません。その上で軽く軽く歌っていかないといけません。それらを同時に行うのは、一朝一夕ではできないので、少し自宅で研究する必要があります。もちろん、具体的なカラダの使い方は、人それぞれですから、私は私のやり方も探さないといけないし、そのためにカラダも作っていかないといけません。…時間がかかります。しかし、ヒントだけでもつかまないとね。

 最近「テノールは命を削って歌うもの」という先生の言葉が少しずつ分かるようになりました。歌を一曲歌うと、リアルに体温がグイグイ上昇します。全身の筋肉を絞りに絞って歌っているからなんですが、体中の筋肉を使って、全身で発熱しながら歌うのがテノールです。そういう意味では“命を削って”いるんですよ。やはり、テノールが歌う高音域って、人間業じゃないんだなあって思いますもの。先生は“命を削る”と言いますが、私の感覚では、どちらかと言うと“命を燃やして”歌っていると思います。ま、どっちにしても、命を大量消費している(ような感覚)は同じですが…。

 とにかく、カラダが頑丈でないと、歌と言うのは歌えない…そんな気がします。まずは健康だよ、大切なのは。

 効率の良いカラダの使い方を早くマスターしないと、いつまで経っても高音が出ないだけでなく、私のカラダも壊れてしまうような気がします。老体には高音はかなりシンドイのよ。

2011年3月21日 (月)

停電の時に、何してる(音楽編)

 ここは音楽ブログ(笑)なので、音楽の話もしましょう。

 私の毎日の日課の一つに「音楽の練習」があります。もちろん、停電であってもなくてもやりますが、停電の時は、特に気合をいれてやります。だって、停電だとテレビも見れないし、パソコンもできないので、音楽の練習をするのが、一番の幸せでしょ。

 クラシック系の音楽は、基本、アコースティックだから、停電になっても平気だと思うでしょ。ところが、停電になると、歌の練習が難しくなります。

 なにしろ、停電になると、パソコンが使えない(当たり前)のですよ。おまけに電子キーボードも使えません。もう、これだけで、かなりのお手上げ状態になります。

 私の普段の歌の練習は、電子キーボードとパソコンを使ってやっているんです。発声練習とか譜読みとかは電子キーボードを使ってますし、カラオケマシンとしてパソコンを使ってます。一応、音叉を持っていますので、基準のAの音は取れますが、それだけではやはり不便なんです。電池をあらかじめ用意でぎれば、電子キーボードも使用可能なんですが、ついうっかり電池を用意しておくのを忘れてました(汗)ので、停電になるとキーボードは使用不可なんですよ。

 キング先生からは、停電の時は、iPhoneのキーボードアプリがいいよって薦められてますが、iPhone持ってません(涙)。ううむ、そのうち、機種変で手に入れてやる~。

 停電になると、歌の練習が難しいので、仕方ない(というわけではない)ので、フルートの練習をします。

 フルートそのものは電気を使用しませんし、練習の時に使う、チューナーもメトロノームも電池式なので、停電は関係ありません。音楽の練習は夜間に行う事が多いので、停電になってしまうと暗闇世界の住民になるので、楽譜を見るために電灯が必要になります。でも、これも愛用の頭部装着式の懐中電灯があるので、楽譜を煌々と照らしながらフルート練習ができちゃいます。なので、フルートは停電時でも、いつもと変わらぬ環境で練習できます。

 いやあ、停電の時はフルート練習に限ります(笑)。

 なんて、浮かれていると、やがてしっぺ返しがやってきます。と言うのは、停電になって、室温が下がると寒くてフルートが吹けなくなるのです。私、実は軽度の寒冷アレルギーなので、室内が寒いと息がしづらくなるんです(笑)。まさか呼吸器官を温めるためにマスクしながらフルートは吹けません。おまけに、冷えたフルートはこちらの体温を容赦なく奪っていきます。結構つらいです。

 その点、歌だと、寒くても歌っているうちにカラダが暖まって来るので案外なんとかなるものです。電子キーボードではなく、ピアノがあれば、停電でも問題なく、声楽の練習ができるのに…ううむ、この際だから、グランドピアノでもドドンと買っちまおうか…。

 実は案外、無問題なのはヴァイオリンです。ヴァイオリンは木製なので、こちらの体温は奪いませんし、息を使わないし、運動量も少ないので、息苦しい時でもそれなりに練習できます。特に、今の練習段階だと、ひたすらスケール練習だったりするので、楽譜を見ないでも練習ができます。真っ暗闇でも無問題だったりします。いや、暗闇の分だけ、聴覚が研ぎ澄まされますので、良い練習ができるかもしれません。

 とは言え、目下の急務は、六月に発表会を控えた声楽なので、なるべく声楽の練習がしたいのが本音です。なので、停電暗闇練習では、フルート練習がメインになりますが、フルートの練習に疲れると、おもむろに声楽の楽譜を取り出して、せっせと暗譜に励んでいます。二重唱はだいたい覚えましたが、まだアリアが一部不安だし、「乾杯の歌」もまだまだ不安定ですからね。声楽は暗譜が前提なので、とにかく暗譜、頑張ります。

 こんな感じでグズグズやっていくと、停電時間の3時間が過ぎます。ほんと、アっと言う間です。

 万が一、停電時間がもっと長くなって、練習に疲れたり飽きたりしたら…iPODで音楽を聞くかな? iPODも充電池式だから、停電関係ないんですよ。あと、ワンセグ携帯でテレビでも見るかな?

 いや、やっぱり、寝ちゃうかもしれない。私は慢性寝不足人間なので、ちょっとの時間でも寝たい人なんです。なので、停電で音楽の練習に飽きたら、そのまま居眠りだね、きっと。

 昨日の記事が「停電になって、色々と考えた」であって、今日の記事はその続きなので「~色々考えた」という記事タイトルにしたかったのですが、書き始めてみたらご覧のとおり、ちっとも考えていない私がいました。…そう、音楽の練習はフィジカルな練習がまず前提なので、考えるよりも鍛練が必要です。停電であろうがなかろうが、音楽は日常的に鍛練訓練練習をしていかないと…。その上で、色々と考えることができるわけで、今の私は、考えるよりも練習が大切ですね。“Don't think, Practice!”って感じです。

蛇足  蛇足と言ってはアレですが、キング先生が2011年1月30日のリサイタルの音源を公開されました。この演奏を聞いて、ひとりでも多くの方の心が癒される事を願ってのことだそうです。被災地で頑張っている方も、日常生活で踏ん張っている方も、ぜひお聞きください。曲目は両方ともシューマンの曲で「女の愛と生涯」と「詩人の恋」です。とりわけ「女の愛と生涯」はテノール歌唱バージョンと言う、なかなか珍しいバージョンです。

2011年3月20日 (日)

停電になって、色々と考えた(日常生活編)[2011年3月第3週・通算10週]

体重:99.7kg[-0.1kg:-0.7kg]
体脂肪率:30.5%[+0.4%:+0.3%]
BMI:31.5[+-0.0:-0.2]
体脂肪質量:30.4kg[+0.4kg:+-0.0kg]
腹囲:97.0cm[+-0.0cm:+0.5cm]
     [先週との差:2011年当初との差]

 ストレス太りをする私にしては、この数値は立派なものだと思ってます。

 それにしても、地震以降、被災地でもない地域に住んでいる私ですが、それでも日常生活の様子が一変してしまいました。気を張って生活していないと、ついつい被災者気分になって、被害者モードになってしまいます。被害者モードになると、世間に文句を言ってみたくなったり、他人の生活を監視しイチャモンや難癖をつけたくなるし、ついつい自己保身行動に走って買い占めなどをしたくなりますが、そこらへんはグッと堪えてます。だって、そういう姿って“醜い”でしょ。そこらへんの美意識が日本人の美徳かなって思ってますので、たやすく“被害者モードな気分”にはなるまい、と思ってます。

 世間に文句を言う前に自分でできる事をしっかりやっていきたいと思います。他人の生活を監視して不平不満を貯めてる暇があったら、自分の心を癒す事を考えます。一人でいる時間を減らし、なるべく家族や職場の同僚や趣味の友人たちと、リアルに言葉を交わすようにしています。欲張らずに手元のもので満足するように心を働かせます。そして被災地ではないのですから、できるだけ地震前の生活と変わらぬ生活をするように心掛けています。

 それにしても、無くなってみて、始めて有り難みの分かる事って多いですね。まあ、それは我々の想像力って奴が貧弱なためであったり、平和ボケをしているボンクラ野郎だという事もあるけれど、ほんと、今回ほど“電気って有難いものだなあ”と言うか“電気が無いとまともに生活できないんじゃないの?”とか思いました。実際、私たちの生活のさまざまなところに電気が使われている事を思い知らされます。

 我が家や我が研究室も、計画停電地域に入っているので、一日に1~2度ほど停電しています。時間にすると3~6時間です。結構ありますよ(爆)。

 毎日の仕事の段取りや出勤退勤時間を、停電の時間と見比べて、毎日検討しています。計画停電ってのは、実施されることもあれば、回避される事もあります。“停電が起こるはず”と思って、出勤時間を遅くしたら、その日の停電が回避されて、実は朝から仕事が可能だったりすると、ちょっと力が抜けます。私の回りに、停電が回避されると怒る人がいます。「停電を決めたなら、何がなんでも停電してもらわないと困る」と言い張る人もいます。気持ちは分からないでもないけれど、やはり私は、停電は回避できるものなら、なるべく回避して欲しいと思います。だって、回避して電気がくれば、その分だけ世間が動けるでしょ。

 私の仕事はパソコン仕事なので、停電になると、全く仕事ができません。特に今の時期は、チマチマとサーバー(これが大きな冷蔵庫ほどもある巨大コンピューターなのね…)をいじらないといけない時期なんですが、これだけ停電が続くと、サーバー管理って仕事もワヤクチャになって全然できません。停電が二回もあると、ほとんど仕事になりません。…泣きたくなります。

 それでも私は、職住近接な徒歩通勤者なので「仕事ができない~」って叫んでいる程度で済んでますが、電車通勤の同僚は、停電のあおりを受けて、電車が間引き運転だったり、運休しちゃったりして、普段よりも多くの時間を費やして遠回りで通勤しています。通勤に余計な時間がかかると、とっても疲れますよね…。逆にマイカー通勤の人は「道がすいていて、普段より早く着く~」とか言ってます。…うらやましいぞ。

 計画停電に振り回されている地方在住な私です。

 一方、都心の方は停電にならないそうだけれど、都心の方々は、我々地方民の(大した事はないと言えば大した事はないんだけれど)苦労を分かってくれているかな? 私たちが計画停電で強制的に電力の供給をストップされているおかげで、都心で潤沢に電気が使えるんだよ。使えるからと言って、無駄に使って欲しくないなあ。できれば、一生懸命、節電に励んで欲しいです。都心での電気使用量が減れば、その分だけ、地方で計画停電が回避されたり、時間が短縮されたりするのだから…ぜひお願いします。

 そうそう、ネットを見ていると、計画停電の事を誤解している人がいるみたいなので、書いておくと、首都圏の計画停電は、別に被災地へ電力を送るために電力不足にしているわけではなく、単純に東京電力の原発で事故(2007年の柏崎刈羽と今回の福島第一、福島第二)が重なったため、首都圏に供給できる電力が、全体として約1250万KWほど不足したために起こった停電です。

 首都圏の人間のための発電所が、新潟や福島にある事に矛盾を感じるけれど、とりあえず原発事故のせいで、電力という名前のパイの大きさが小さくなったために、それぞれの食べる分を減らしましょうというのが、今回の停電の流れなんです。だから「手持ちの食料が減ったのだから、一食(or 二食)抜いてガマンしてください」というのが計画停電なわけで、私たちがガマンして抜いた食事が、都心に運ばれて、都心の人が食べているわけなんです。だから、都心の人が「私たちは必要な分だけ食べたので、余った分は地方で分けてください」って言うのが、節電ってわけなんですよ。ね、都心と地方と、互いに助け合っていきましょうね。

 しかし、停電ってのは、本当に不便です。

 交差点の信号機が消灯してしまい無能化するでしょ。車通りの多い場所などは、かなり危険な状態になりますし、実際、事故が起こっているという報道を見ます。

 停電中は、近隣の店が全部閉まってしまいます。だって、レジが動かないんだもん。冷蔵庫も止まっちゃうんだもん、自動ドアだって動かなくなるもん。そりゃあ、確かに閉店も止むなしでしょう。しかし、たった三時間だけど、街がシャッター通りになってしまうのですよ。これって、すごい光景だし、すごいインパクトだよ。

 停電中は、24時間営業のコンビニもスーパーもお休み。電気が来ている時間しか営業しません。なので、営業時間がすごく限られています。ウチの妻などは、時間を見計らってスーパーに出かけてますよ。まあ、専業主婦の家庭とか、ウチのようにパート従業員などの比較的自由に動ける人が主婦をやっているウチは、商店の営業時間に合わせて買い物ができるから、それでもまだいいのだけれど、家族全員がフルタイムで働いている家庭なんて、まともにお買い物すらできないんじゃないの? これって、結構深刻だよね。

 商店がお休みなのも参るけれど、町医者も停電だとお休みになってしまいます。私は基本的に電気が来ている時間は仕事をし、停電の間に移動(つまり通勤)をしています。なので、停電の時間に道を歩いているので、病院に行って、持病の喘息の薬をもらおうと思っていても…病院は停電中なのでやってません。当然、薬がもらえません。手元の薬が無くなったら…マジ、ヤバいです。ま、そうなりそうなら、そうなる前に、色々な手を打つのがオトナなので、本当に危機的な状況にはならないつもりですが…、不便は不便です。

 町医者だけでなく、いわゆく基幹病院も停電中は停電です(当たり前)。最低限の発電設備はあるそうだけれど、それはあくまで最低限であって、余分にあるわけじゃないです。それに発電機を動かしている燃料(ガソリンとか軽油とか)も不足している状況らしいです。

 信号機も消えていたりするので、停電中に事故にあうのが、怖いですね。事故にあっても、携帯がつながりにくい現状、119番で救急車呼ぶのも大変だよ。救急車が来てくれても、病院そのものが停電中なので、普段通りにはいかないだろうし、お医者さんたちも相当数が被災地に行っているので、手不足でしょ。そう思ったら、うかつに車と事故っちゃダメだなって思いました。

 そんな停電だけど、昼間はまだいいかな。なんとかなります。問題は、日が暮れてからよ。夜間の停電は、気持ち的にかなり凹みます。

 まず夜間の停電は暗いです。人間って不思議なもので、暗闇に置かれるだけで、心細くなるものです。だから、照明器具って大切だね。

 災害時(?)の照明器具と言うと、スタンダードなのが、ろうそくだけど、ろうそくって火を直接使うので、かなり危ない照明器具だと思います。実際、ろうそくを照明に使っていて火事を出したという報道がありますね。ろうそくの使用には、気をつけないといけません。そういう意味では、個人的には電池式のランタンの方がお薦めです。もっとも、薦める私自身が、それを持ち合わせていませんが(汗)。…地震の影響が収まったら、電池式のランタンの一つや二つ、用意しておこうかな。

 ろうそくの次に普及している照明器具は、懐中電灯だけど、あれって、光に方向性がある上に、手持ち使用が前提で、使用時に片手が塞がってしまうので、案外不便でしょう。回りを一様に照らすなら、懐中電灯よりもランタンの方が便利だけど、ピンスポット的に照らすなら、手持ち式ではなく、頭につけるタイプの方が両手が使えて便利だよ。私はその手の“頭部装着タイプの懐中電灯”を一つ持ってますが、これは便利便利です。

 あと、意外に便利なのが、ペンライトのような小型ライトです。軽量小型だし、使わない時はポケットにしまえるし、案外と重宝な代物です。

 それにしても、トイレには灯が必要だね。なにしろ、的を外すわけにはいかないでしょ(笑)。

 しかし、日が暮れると、一気に寒さがやって来る事がよく分かります。お日様は偉大だよ。そして、暖房は人類の友だね。ウチは冷暖房が電気なので、寒い日の停電には、ちょっと困ってます。私は軽度の寒冷アレルギーなので、寒くなると、呼吸が大変になるのよ(だから暖かい地域にしか住めません:涙)。だから言って、今更石油ストーブの世話にはなりたくないしねえ(火事が怖いですよ)。

 我が家は、幸いな事に、停電になっても、水道もガスも電話も使えるので、炊事もできれば水も飲めるしトイレにも行ける(風呂はガスを電気回路が制御しているのでダメ)ので、まだ良いですが、マンションなどは軒並み断水になってしまうそうです。断水になるとトイレにもいけませんね。さらに“オール電化”の家だと、火がないので、炊事もできなくなってしまいます。

 何でもそうですが、一つのものに頼りきる生活は良くないのでしょうね。そういう意味では、エネルギーのすべてを電気に頼るオール電化な家庭とか、熱源を電気にたよるIHなどは、便利さと同時に万が一の時のリスクも抱え込むわけですよ。…ウチは、オール電化にはしないでおこうっと(やっぱりガスは必要ですね)。

 さらに、停電になると、冷蔵庫が機能停止してしまうので、冷凍食品が軒並みダメになりそう(涙)。ひとまず冷蔵庫に保冷剤をたくさん入れた上で、停電中はフタを開けない様にしているけれど、やっぱり不便と言えば不便だね。常温保存の効く、レトルトとか缶詰とか瓶詰め食品は偉大だと思います。常温保存が可能って貴重だね。
 
 それと、私はパソコンは、デスクトップ派なので、停電になると、にっちもさっちも行かないけれど、ノートパソコン派とか、スマホ派の人は、停電中でもネットができて、ちょっとうらやましいです。

 日常生活に関しては、こんなところでしょうか? 停電中の音楽ライフについて考えた事は、明日アップします。

2011年3月19日 (土)

ペットとして、名前の有無は、かなり大切な問題

 実はこの記事、“死”をテーマにしています。なので、お蔵にしてしまおうかとも思ったのですが、事実は事実として、あくまで記録を残すという側面から、アップする事にしましたが、この時期に“死”をテーマにした文章など見たくもないと言う方は、今日はここでお引き取りください。まあ、明日は違うテーマの記事をアップしますので、明日またよろしく、という事でお願いします。
 
 
 
 
 
 時間は地震以前に逆上ります。

 我が家の水槽には病人というか、病魚というか、とにかく具合の悪いのが二匹おりました。一匹がキッカで、もう一匹が…名前のない緋ドジョウです。緋ドジョウは名前のついているチビとシッポナと、名前のついていないのが二匹がいましたが、具合が悪かったのは、名前のついていない二匹のうち、カラダが小さい方の子で、お正月以来、しばらく水面に漂っていた子です。で、その子が3月6日の日曜日に星になりました。

 この星になった子に、なぜ名前がないのかと言うと…緋ドジョウは、個体識別が難しいため、名前をつけるのを後回しにしているうちに、ついにつけそびれてしまったからです。どう個体識別が難しいかと言うと…緋ドジョウって、どれもこれも色も体型もほとんど同じなんですよ。おまけに我が家に来た時は、一緒にやってきた他の緋ドジョウと大きさもほぼ一緒。まるでクローンのような緋ドジョウがまとめてやってきたら…そりゃあ区別つかないでしょう。区別がつかなければ、当然見分けられないわけだし、それでついつい、命名のチャンスを逃してしまったわけです。

 そんなわけで、今回の子は、ついに名前をつけそびれたまま、星になってしまいました。

 名前のついている緋ドジョウは、チビとシッポナですが、この子たちは個体識別ができます。チビは、一匹だけで買ってきた緋ドジョウなんです。この子が来た時に、すでに他の緋ドジョウがいて、その子たち比べると、ひときわ小さかったのでチビと言う名を付けたのです。当然、その大きかった子たちは、だいぶ前に星になってしまい、今ではそのチビが水槽の最古参になり、一番の巨大緋ドジョウになって水槽にいるわけです(笑)。一方、シッポナの命名理由はとても簡単で、この子は尻尾(尾びれ)が食べられてしまって無いので、尻尾無(シッポナ)なんですね。しかし、残りの二匹には、特に特徴がなかったので、命名される事がなかったのです。

 つまり、緋ドジョウは、金魚と違って、基本的に皆、同じ容姿をしているから、カラダの大きさが極端に違うとか、怪我をしているとか、障害があるとかでないと、なかなか個体識別は難しいです。

 しかし、個体識別が難しいと、飼い主側から見ると、どうしてもペットとしての、愛情の入り方が違います。

 今回の子も、名前がないので、呼びづらく、結局、命名しないまま「浮いている子」「名無し」なんて呼んでいるうちに星になりました。

 この子が星になって、悲しいは悲しいですが、やはり名前のついている子が星になった時とは、正直、悲しさが違います。これって、人間側のエゴの問題であって、名前があろうがなかろうが、その生き物にとっては、等しく“死”であるはずなのに、名前の有無で、その死の感じ方が違うというのも、イヤラシイ話です。

 名前は大切です。名前とは関係性です。何の関わりもなければ名前など要りません。関わりがあるから命名され、他と区別され、心理的に特別な位置に置かれるのです。命名されること、名前で呼ばれること、そして名前を覚えてもらうこと。それはペットにとって、どれだけ飼い主から心を分けてもらえるかという事なのです。

 名前がなければ、思い出す事だって難しいです。名前をつけないまま、星にしてしまって、本当に申し訳ないと思ってます。

 …成仏してください。

 これで緋ドジョウは三匹になりました。名前のついている子が二匹と、無い子が一匹ですが、残った名前が無い子を、このまま“名無し”にして置くわけには行きません。それではかわいそうだし、すでにだいぶ前から個体識別が可能になっていますので、先日、何となく命名してみました。その名前は『カゲムシャ(影武者)ちゃん』です。これで緋ドジョウは、チビとカゲムシャとシッポナの三匹になったわけです。

 ちなみにカゲムシャの命名理由は…この子はとても大きな緋ドジョウでして、ちょっと見で、チビと間違えてしまう(並べるとやはり違うのだけれど)ので『チビの影武者』というわけでカゲムシャちゃんとなりました。

2011年3月18日 (金)

フルート音楽が、クラシックで……なら、ポピュラー音楽に行けばいいじゃん?

 クラシック音楽という観点で見た場合、フルート音楽が……ってのは了解しました。しかし、音楽というのは、クラシック音楽しかないわけじゃありません。クラシックで……なら、ポピュラー音楽に活路を見いだせばいいじゃん。

 …って簡単に言えませんよね。実は、ポピュラーの世界に行っても、フルートって、なかなか主役にはなれない楽器なんです。

 ポピュラー音楽の主役は、圧倒的に歌、つまり歌手です。これは“ポピュラー音楽=歌”と言い切ってもいいくらいの勢いです。まだクラシック音楽の方が楽器の出番があるくらいです。

 なので、とりあえず歌手は別格として考えて、歌の間奏とかインストナンバーで活躍する楽器という観点で考えても、ポピュラーの場合…ロックならギターが主役だし、今どきのダンスミュージックならシンセやコンピューターが主役でしょ。ジャズは…ピアノやサックス、トランペットあたりが主役。俗に言う映画音楽はオーケストラ音楽だし…。実はポピュラー音楽の世界でも、フルートの活躍する場面って、あまりありません。

 私が大好きなロックバンドのジェスロ・タルだとフルート大活躍だけど、フルートを吹いている人でもジェスロ・タルの事、知らなかったりするでしょ?(実は私も最近まで知りませんでした:汗) ジャズ畑だと、ハービー・マンとかフランク・ウェス、ヒューバート・ローズ、ジェレミー・スタイグなどが有名だけれど、これらの人も、はっきり言っちゃえば“知る人ぞ知る”という存在であることは否めません。

 翻って、日本ではポピュラー系インスト音楽って言うと、吹奏楽が圧倒的に幅を聞かせています。確かにフルートは吹奏楽の主要な構成楽器の一つだけど…ここでもやっぱり主役じゃないんだよね。吹奏楽の主役は、クラリネットであり、サックスであり、トランペットなわけじゃん。吹奏楽でのフルートの役割は「トランペットの倍音を補うため」と明言していた某吹奏楽指導者を知ってます。…それって、トランペットが下手くそだから、その下手くそなトランペットをカバーするためにフルートがいるって明言しているわけでしょ。トランペットが普通に演奏できる人が楽団にいるなら、フルートは不要ってわけじゃん。なんか割り切れない…。

 もっとも、それ以前に、吹奏楽でフルートの音を聞く事自体が至難の技だけど。…“姿は見えるけれど音は聞こえない”ってパターン、多いですね。たまに、フルートソロとかが聞こえてくると、ビックリして、手に持った荷物を落としてしまいかねないほどの驚愕ですよ。

 フルートがかろうじて主役的な役割を果たすポピュラー音楽と言うと…ブラジル系の音楽、ボサノヴァとかショーロでしょ。ちょっとジャンル的にマイナーだよねえ。だいたい、地球の裏側の音楽だし…。

 ま、私はそんなマイナー・ジャンルの曲の良さも段々分かってきたけれど、一般の人には、ブラジル音楽って、なかなかにマイナーな音楽です。「イパネマの娘」や「黒いオルフェ」以外のボサノヴァやショーロの曲を知っている音楽ファンって、一体どれだけいるんだろ?

 と言うわけで、フルートって、ポピュラー音楽に来ても……な楽器だなあと思います。ああ、なんか残念です。

 民主党の蓮舫議員じゃないけれど「どうして主役じゃなければいけないんですか? 脇役でも十分じゃないですか?」って声が聞こえそうだけれど、やっぱ主役じゃないとダメでしょう。もちろん、たまに脇に回ってもいいけれど、基本、フロントマンじゃないとダメでしょう。少なくとも私はそう思います。やるなら絶対主役!と思っちゃいます。

 これからポピュラー音楽の世界でブイブイ言わせていこうと思っている若者がいたら、私からのアドヴァイスとして「フルートを吹け!」と言いたいです。歌ってフルートが吹けたら、絶対にウケるよ。だって、フルートでポピュラー音楽をやっている人って、ごくごく少数だから、すっごい目立てるぜい。あの世界は目立ってナンボだからね。その上、フルートだったら、それを支えるファンやアマチュアの数は半端なく大勢いるから、フルートで一山当てたら、でかいぞー。

 何がフルートの主役化を阻んでいるんだろ? 音域的に十分、主役クラスの楽器だと思うんだよねえ…。乏しい音量? キレイすぎる音色? 非エレキ楽器? 強すぎるクラシックイメージ? それとも奏者の気質? 考えれば考えるほど、分からなくなります。

2011年3月17日 (木)

フルート音楽の……なところ

 町の電気屋に行くと、乾電池が軒並み売り切れなんですが、なぜかそんな中、単四の乾電池ばかりが売れ残っています。私が使用している懐中電灯は、いずれも単四を使用するタイプのものなので、電池切れの心配がありません。こういう所が、長いものに巻かれない性質の人間が得するところなんでしょうね。良いんだか悪いんだか(苦笑)。

 さて、声楽、とりわけオペラ関係は、作曲家の書いたスコアをそのまま使って歌います。だから私のようなアマチュアテノールでも、パパロッティやドミンゴが使った“リコルディ社”のスコアで「愛の妙薬」を歌ったりします。

 声楽でも歌曲ともなると、声の種類に応じて移調された楽譜を使うこともありますが、それであっても、伴奏のピアノごと、丸々上下に移調されており、調性以外は作曲家が指定したそのままで歌います。だから、声の種類が同じなら、プロもアマも同じ楽譜で歌います。

 オーケストラも作曲家の書いたスコアをそのまま使って演奏しますから、アマオケもウィーンフィルも同じ楽譜で演奏します。

 そこに行くと、フルートアンサンブルは、高名な作曲家がフルートアンサンブル用の曲というのを、ほとんど書いていないので、演奏する際は、どうしてもアレンジものが中心となります。

 同じアンサンブルでも、弦楽合奏とか、合唱とかなら、素人でも知っているようなオリジナル名曲も掃いて捨てるほどあるのに、フルートアンサンブルとなると、オリジナル名曲はほとんどありません。

 いや、フルートアンサンブルだけではありません。フルートソロの曲だって、素人でも知っているようなフルートオリジナルの名曲って、どれだけあるんだい?と、愚痴りたくなります。ドレミの「フルート名曲31選」に載っている様なフルートの代表曲であっても、実はその半分以上は他楽器からの転用、つまりアレンジものです。

 フルートを吹いている以上、フルートのために書かれた曲ばかりを吹いているわけにはいかず、アレンジものに手を出さざるを得ないという現状があるわけです。

 別にアレンジものがイケないと言いたいのではありません。ムソルグスキーの「展覧会の絵」のように、オリジナルのピアノ独奏曲よりも、ラヴェルがアレンジしたオーケストラ版の方が、数倍優れているケースだってあります。ただ、オーケストラ版の「展覧会の絵」はムソルグスキーの作品と言うよりも、ラヴェルの作品と言うべき内容になってしまっています。

 ここが問題なのです。アレンジものは、当然ですが、オリジナルではありません。いわば二次創作です。多くの場合、オリジナルの作曲家は、アレンジには関与しません。

 施されたアレンジも、作曲家の書いたものを、無骨に右から左に写したような『もしも作曲家自身がフルート用にアレンジを施したなら、きっとこうしたに違いない』と言うようなクリソツ系のアレンジもあるけれど、そういう良心的なアレンジばかりではありません。アレンジをするに当たり、その曲を演奏する演奏家たちの特性(?)に合わせて、アレンジするのが普通だし、アレンジャーだって人の子だもの、自分の個性を満載したアレンジをしたがるものです。

 演奏者たちの特性に合わせるというのが、厄介な事で、はっきり言っちゃえば“奏者の腕前に合わせて”細かいリズムを端折り、複雑な和声を単純化し、楽器の使用音域も移動した、いわば“簡単演奏用アレンジ”をでっち上げちゃうわけです。それが必ずしもイケないとは言いませんが、それをやったら、その曲は、オリジナルの作曲家の意図した音楽とは似て非なるものになってしまいます。同様に、アレンジャーの個性をてんこ盛りにした場合も、作曲家の意図した音楽から離れてしまいます。

 私には、心のどこかで「フルート音楽はクラシック音楽だ」と思っているフシがあります。なので、アレンジものに対する“言い難い拒否感”というものがあります。

 私はクラシック音楽とは、作曲家中心の作家性の強い音楽だと思ってます。だから、アレンジしてはいけない種類の音楽だと考えています。個人的には、声楽曲にみられる[声に合わせた]移調と、バロック音楽にみられる[楽譜を書き換えることなく]楽器の転用まではOKだけれど、リズムや和音に手を加えるようなアレンジは、作曲家の作家性を踏みにじる行為であって、断じてそのような音楽をクラシック音楽として認めるわけにはいきません。

 クラシック名曲のメロディだけを生かして、アレンジしたような、いわゆる“ホームクラシック曲”をクラシックに入れたくない…そんな、クラオタ原理主義者な私です。

 ですから、フルート音楽にオリジナル名曲が少なく、アレンジものが多いことを残念に思ってます。

 だってね、ヴァイオリンや声楽曲のオリジナル名曲の多さには、ちょっと嫉妬するよね。ヴァイオリンや歌なら、別の楽器用に作曲されたものをアレンジしてまで演奏する必要はないし、一生、オリジナル名曲だけを演奏していても、演奏しきれるものではありません。なのに、フルートは……ってところです。

 と言うわけで、フルート音楽って……な音楽だなあと思ってます。ああ、なんか残念です。

 実はこの話、明日に続きます(笑)。

2011年3月16日 (水)

フルートのレッスンに行けなかったので、色々と考えました

 先日、笛先生から連絡が入りました。…計画停電のため、電車の運行状況が不安なため、フルートのレッスンの延期をしたいと言う申し出です。もちろん、快く引き受けました。状況が状況だから、当然です。

 レッスンがお休みになって、色々な事を考えました。笛先生は演奏家ですから、今回の地震で、予定されていた多くのライブが中止になったのではないかな? 私のレッスンに限らず、他の方のレッスンも延期/中止なさったのでしょう。

 笛先生に限らず、職業音楽家の多くは“個人事業主”って奴です。ザックバランに言えば「日銭を稼いで暮らしている」人々です。そういう意味では、職業音楽家さんは“零細企業の社長さん”と同じです。ロクに働かなくても月給がもらえるような人間(私?)とは、訳が違います。

 職業音楽家のうち、演奏家さんたちは、各種演奏会等で演奏をする事によって生活を成り立たせているわけですが、地震以降、日本各地で、数多くの演奏会や音楽演奏を含んだイベントが中止になっています。

 その理由はさまざまで、道路が遮断されていたり、交通機関がマヒ状態のため、演奏家その人が会場に行かれずに中止しているケース(特に大編成の曲は演奏家が揃わないのですよ)もあれば、お客さんの安全や交通の便を鑑みて中止しているところもあります。また「こんなご時世だから…」という主催者判断で演奏会等を中止にしたところあれば、「こんなご時世だからこそ、人々を勇気づけたい」と言う主催者判断で、チャリティ・コンサートにスイッチ(つまりノーギャラまたは格安ギャラに変更)して公演を決行するところもあります。またその一方、払い戻しなどができないので、たとえ客が集まらなくても、演奏会を決行せざるをえないのだ…というキビシイ懐具合の演奏会もあるそうです。色々ですね。なんであれ、演奏家さんたちにはキビシイ状況になってしまいました。

 職業音楽家のうち、指導者として生活している方は…学校の音楽の先生はまあ良いとして…自宅で生徒さんを迎えてレッスンをしている方の場合は、生徒さんが教室まで来てくれれば通常通りのレッスンができますが、生徒さん側に心の余裕がなかったり、教室にたどり着くための足がなくなってしまったら…レッスンはお休みになってしまいます。また、夜の時間帯のレッスンが計画停電の時間とぶつかったら…やっぱりレッスンは中止にせざるをえないですよね。レッスンを中止にしたら、当然、先生側としては、レッスン代をいただくわけにはいかないでしょう。

 出張レッスンや 企業主催の音楽教室などでレッスンを行っている方は、基本的には、我々のような通常の勤め人と、ほぼ同じ状況でしょうね。

 まずは、先生方や生徒さんのたちの都合などは横に置いて、とにかくレッスンは開講されるので、大変な思いをして、教室まで通勤される先生方もいらっしゃるでしょう(頑張れ)。仕事ってキビシイものですから、これ自体は仕方がないのですが、そこまで大変な思いをして教室に辿り着いても、生徒さんたちがゾクゾクと欠席されたら…気持ち、萎えるよね。それに実は、彼らは、我々勤め人とは違って、その多くは歩合制でしょうから、生徒さんが欠席されると、ダイレクトに収入が減ってしまう方もいます。大変な思いをして、勤務先にたどり着いても、その日は誰もレッスンに来なくて、交通費だけがかかったけれど、収入はゼロ…という方も、当然、いらっしゃるでしょう。

 生きるために必要なものの優先順位って事で考えていけば、確かに“音楽”は上位には来ないでしょう。いや、それどころか、音楽は“遊興扱い”でも仕方ないと思います。

 『音楽を聞いている暇があったら、支援活動をしよう!』『音楽の練習なんて呑気な事をするくらいなら、ボランティア活動でもしろ!』『習い事に使うお金があったら募金に回せ!』…確かに正論だね。私もそう思わないでもないです。

 でも、こんな状態が長引いたら、職業音楽家たちは干上がるよ。

 それを思えば、演奏会にも行ってあげないといけないかなあって思うし、レッスンも頑張って行かないとダメかなって思います。被災した遠くの人を心配する事も大切だけれど、生活が一変してしまった身近な人を思いやる事も大切でしょ。

 別にこの事は、職業音楽家さんたちだけではなく、演劇関係者や舞踏関係者もそうだろうし、プロスポーツ選手もそうだし、映画やイベント関係者もそう。東京ディズニーリゾートなんて、遊園地のみならずホテルやレストラン、モノレールまで、さっさと休業しちゃったでしょ。それはそれで経営陣の判断としては的確だけれど、そこで働いている人、とりわけバイトや個人契約で働いている人の生活はどうなってしまうのでしょうか? 同様の事例は、他にもたくさんあるんじゃないかな?

 …地震があって困っている人がいるんだ、遊んでいる場合じゃない…まあ、たしかにそのとおりです。でも、エンタメ系の仕事をしている人は、我々が遊ばないと生活していけないのも事実です。それに被災者の方々は、我々が遊びをガマンしていると喜んでくれるのかな? 難しいねえ。

 私などは、ほとんど地震の被害を受けなかった部類の人です。別に家もつぶれていないし、家族から怪我人が出たわけでもない。被災地域には(友人は少々いるけれど)親族はいません。

 でも、街はなんとなく落ち着かないし、職場も平常運転をしているとは言えません。テレビからは(悪意は無いのは重々承知しているけれど)不安をあおるような放送ばかりが垂れ流しされています。それらの影響を知らず知らずに受けて、無意識のうちに、私の心も疲れたり、ストレスを貯めたりします。少しずつ、心がササくれだっていくのがわかります。

 だから、フルートを吹くと、心が癒されますね、元気が出てきます。さらに、歌を歌うと、身体的にも元気になります。地震以来、気持ちが萎縮しがちでしたが、音楽の効用というのを肌で感じているところです。自分自身に良い音楽を与える事って大切かもしれません。

 とにかく、音楽を奏でる事で、私自身の心が落ち着く事が分かります。

 私自身が落ち着いて、心の平静さを取り戻してみると、世の中がちょっとアタフタしている事も分かります。まず、落ち着くことが必要ですね。誰も彼も、カラダは大変だけれど、せめて、心だけでも平静さを取り戻すことが大切でしょう。

 こういう非常事態だから、支援活動もボランティア活動も募金活動も、みな大切な事だし、状況が許されるなら、ドンドンするべきでしょう。しかし、みんながみんな、いつまでも非常事態モードで、災害復興モードのままじゃ、ダメじゃないかな? 心身ともに疲れて共倒れだよ。

 こういう時は、直接、支援活動をする人も大切だけれど、銃後の守りと言うか、その背景で、きちんと平常心をもって社会を支える人も必要でしょう。つまり、非常事態モードで頑張る人も必要だけれど、平常運転モードで社会そのものを支える人も必要って事です。

 私は思います。東北&北関東に救援物資や救援活動をする人を送るためには、まず、首都圏の人間がしっかりしていないとダメです。首都圏という地域が平常に活動していないと、ダメでしょう。だって、首都圏は災害地への大切なハブ地域だからです。諸外国から運ばれてくる人も物資も、西日本からやってくるモノも、それらは皆、首都圏を通って被災地に運ばれていくんだよ。だから、首都圏の人々が、強い平常心をもって、日常業務をこなしていく事が、実はとても大切なんだと思うよ。

 つまり、一刻も早く首都圏は平常運転モードに切り替わらないと大変なんだよ。

 首都圏に住む人は、とにかく、いつものように通勤して会社で働こう。
 いつものように、日常生活を淡々と過ごしていこう。
 学生はきちんと勉強に励もう。
 むやみに不安にかられないように、心をしっかり保とう。
 いつまでもパニくったままではいない事、自分を取り戻す事。
 他人の事を思いやる余裕を持とう。
 物資が不足気味の今は、日々の買い物は控え目する事、買い占めなんて論外だよ。
 不足気味の物資はみんなで分け合う。
 ダイエットついでに食事は少なめにしよう。
 早寝早起きをして、疲れを翌日に持ち越さないようにしよう。
 きちんと入浴をして衛生に努めましょう。
 デマに踊らされない事。
 募金詐欺に注意する事。
 そして、親族友人を亡くされた人を優しく見守っていきましょう。

 とにかく、冷静になろうよ。自分が確実にできる事をしていこうよ。祈りを積み重ねていこうよ。

 音楽の話から、最後は、ずいぶんと話題がそれちゃったけど、まあいいか。

2011年3月15日 (火)

息の通り道をしっかり意識しよう

 非日常的な日常生活が続いています。こんな時だからこそ、直接被災していないところや、被害が軽微だったところは、覚悟を決めて、日常生活をしていかないといけないと私は思います。私たちが日常生活を送り、普段通りの経済活動を営む事で、金銭や物資が動き、それが被災地への援助に繋がっていくと思います。被災地ではないところまで、日々の活動を萎縮してしまったら、日本全体が沈んでしまいます。だから、覚悟を決めて、日常生活を送っていきましょう。

 しかし、計画停電で、電車を止めたりスーパー&コンビニを休業させるより先に、遊興施設などの営業をやめてもらい、電力確保をする方が先だったんじゃないのかな?…ボソボソボソボソ 柏崎刈羽発電所の2~4号機が運転再開すれば不足した電力も補えるはずなのに、この緊急時になぜGOサインを出さないのだろう…ボソボソボソボソ

 というわけ(どういうわけ?)で、声楽のレッスンに行ってきた話をします。これもまだ、震災前の話です。

 とりあえず、いつもどおりの発声をやって、さっそくコンコーネをやりました。まずは15番です。

 一度、通しで歌ったところで、息はカラダのどこを通って来るのかという話になりました。答えはもちろん「気道(気管)」です。では、息が気道を通る時に、どういう感覚で息を通したら良いのかという話になりました。単純に言っちゃえば「気道ってどこにあるの?」って事です。気道のある場所をカラダの前面と感じ取って、息もカラダの前面を伝わって登って来ると感じた方が良いか、気道をカラダの背面にあるものと感じ取って、息がカラダの背面を伝わって登って来ると感じた方が良いか…という話です。

 ちなみに、私は、カラダのどこをどういう風に伝わって息が登って来るかなんて、考えた事もありませんでした。ですから、質問されて、慌ててしまいました。

 皆さんはどちらで感じてますか?

 答えは…どうやら、息は背面を伝わってくると感じた方が、結果オーライのようです。

 この感覚は必ずしも解剖学の結果とは一致していませんが、だいたい、歌とか発声と言うものは“結果オーライ”な部分があるわけなので、細かい部分が事実と食い違っても気にしちゃいけません(笑)。

 [私の場合]息はカラダの背面、ザックリ言えば、背中を通ってやってきます。気持ち的には背骨の中を通って来る感覚。いっそ、声帯もカラダの背面にあると感じるくらいの方が、私の場合は良いみたいです(解剖学的事実とは明らかに違いますが…)。

 ですから、頭が上を向くと、うなじがつぶれて、同時にノドがつぶれるわけです。声を後ろにまわすために顔を下向きにして、うなじを伸ばせば、うなじと一緒になって、ノドが伸びて自由になるわけです。だから「息は背骨を通って来る」と思っているくらいでちょうど良いのです(重ねて書きますが、解剖学的には間違ってます)。

 実際に私の場合、息は背骨の中を通ってくる…と意識するだけで、声がガラッと変わります。なので、その感覚を大切にして、背中を通ってきた息を、素直に上に伸ばして上げれば、それで息は頭の後ろに出て来るわけだから、それで高音が出るようになるはずなんだそうです。頑張りましょう。

 しかし、15番の最後の二小節がうまく歌えません。どうやら原因は、最後の最後にある高音Gの音程がちゃんと取れていないからです。ここがうまくはまっていないと、その後に続く音符たちの音程がグチャグチャ。逆にしっかり取れれば、きちんと歌えます。つまり、しっかりとGを出せば歌えるんです。やっと合格しました。

 次は16番。ざっと歌ってみて、譜読みが甘すぎる事を指摘されました。勢いで歌ってはいけません。コンコーネはテクニックを学ぶための教本なのだから、勢いではなく、きちんと丁寧に楽譜どおりに歌うこと。スタッカート、アクセント、スラーなどは明確にしましょう。不合格、次回また頑張りましょう。

 二重唱です。通しでザックリ歌った後に言われたのは「作曲された年代を考えて歌ってください」という事です。

 「愛の妙薬」はドニゼッティの作品です。ドニゼッティはシューマンやショパンの時代の人。つまり前期ロマン派ってやつだね。後期ロマン派[オペラ的にはヴェリズモ]のヴェルディよりも前の時代の人。これは器楽でも一緒だけれど、音楽はロマン派と言っても、前期ロマン派は歌曲や室内楽が全盛で、まだまだ音楽の規模が小さかった時代です。ヨーロッパには、すでに歌劇場もたくさんあったけれど、まだ当時の歌劇場は小規模のものが多かったのです。ロマン派も後期になって来ると、音楽が大衆化して、大規模歌劇場やコンサートホールでの演奏というのが増えてきて、音楽の規模も大きくなり、オペラ的には、ヴェリズモが現れ、劇的な表現や大音量が求められるようになってきたわけです。

 つまりドニゼッティは、ヴェリズモオペラ以前の作曲家であって、彼の時代の歌劇場はみな小さかった。だから彼のオペラには、劇的な表現とか大音声というのは、全然似つかわしくないわけです。むしろ、軽い声でリズムも軽やかに歌う事。こっちの方が、彼のスタイルに沿っているわけです。だ・か・ら、絶対に歌いすぎない事。

 特に発表会会場は、客席も100席程度の小ホールだから、絶対に大きな声では歌わない事を重ねて注意されました。気をつけます。

 それと、今までは細かい装飾音符は無視して歌ってましたが、そろそろ、その手の装飾音符、特にターン(ド[ターン]レ、なら、ド[レミレド]レ、と歌う)をつけて歌えるようにしましょう。

 二重唱は、暗譜が完了したのは良いけれど、一度暗譜したためか、歌い方が、特に細かいところが、ややいい加減になっているようなので注意すること。今一度丁寧に暗譜しなおしてくること。

 オペラなので、登場人物の気持ちを考えて歌うこと。落胆したり、無邪気な気分のところは、それらしく表現して歌うこと。

 あと、せっかくの二重唱なんだから、二人で合わせるところは、しっかり合わせる事。掛け合いながら歌うところは、しっかり掛け合うこと。自分勝手に歌ったりしてはいけない、急いで歌う必要も全くない。相手の歌を聞きながら、時には相手を待ってあげるくらいの余裕が必要。そのためにも、きちんとアイコンタクトを取りながら歌うことが大切。

 最後はアリア。アリアは…とりあえず一歩前進? しかし、まだまだゴールは遠いです。

 先生曰く「たとえ、本番までに曲が仕上がらないようでも、絶対に曲は変えないから、そのつもりで。もしも万が一、曲が仕上がらなければ、ステージで撃沈して来い!」だそうです。ラジャー。

 もっとも、微々たるとは言え、上達している事は確か。まだ本番までは数カ月あるわけだし、今のペースで上達していれば、発表会までには歌えるようになっているはずだから、しっかりと練習して来いとも言われました。「すとんさんは、人前で歌うたびに上達するタイプの人だから、ピアノ合わせで、みんなの前で歌うと、きっとガラッと変わると思うから、そこに期待してます」なんだそうです。私は“100回の練習よりも1回の本番”ってタイプの人間なのかもしれませんなあ。

 とにかく、アリアでは苦しんでいます。このアリアは、さほど難易度が高い曲ではないけれど、ビギナーなテノールが必ず取り組む曲で、たいていのテノールがやはり苦しむ曲なんだそうです。いわばテノールの“最初の壁”とも言える曲なんだそうです。だから、ここを避けて通るわけにはいかないのです。頑張って、苦労して、乗り越えなきゃいけないのだそうです。

 頑張るよ。

2011年3月14日 (月)

“攻めの演奏”でレッスンしてもらった

 まだまだ被災地は救援が必要な状況ではありますし、私たちも協力すべきことは協力し、援助できることは援助し、祈りを重ねていかなければいけませんが、それはそれとして、私たち自身の日常生活も、可能な限りルーチンな生活に戻していかないといけません。と言うわけで、このブログも本日からは、平常運転に戻します。

 今回の話は、フルートのレッスンの話です。時間は地震発生以前に戻ります。

 レッスンでは、最初は、いつも通り“音出し”をしたわけですが、今回の音出しは、いつもの“先生のピアノに合わせて音出し”ではなく、“120の速さでリズムを刻むメトロノームを聞きながら、その裏拍で音出しをする”でした。最初にサラと言われた時は「ひゃー、それ、絶対に無理…」と間髪入れずに即答しました(!) …だって、どう考えても今の私では無理でしょ。

 と、弱音を吐いたら“先生が、120の速さでリズムを刻むメトロノームの裏拍で音出しをするので、その音を聞きながら、私も一緒に先生の笛に合わせて音出しをする”に変更になりました。おぉ、ぐっと難易度が下がりましたね。これならOKです。…いやあ、先生と一緒なら、120の裏でもなんとかなりましたが、一人で、この速さで、裏拍なんて…やっぱり取れるはずないです。実際、先生と一緒でも、一度、裏でなく表になっちゃいましたから。

 裏拍、弱点だな…。

 先生曰く「速い速度で裏の練習をすると、フルートの音の立ち上がりが良くなんですよ」だそうです。確かにそうだけど、やっぱり裏拍は難しいです。

 さて、肝心のアルテですが、今回は15課1章1番とミニヨン・エチュード1番を見てもらったわけですが、結果を言えば、両方とも不合格でした。

 15課1章1番は「音階準備練習」という名のスケール練習なんですが、これってやっているうちに、頭の中がワヤクチャになって、わけ分かんなくなって、ついつい間違えちゃうんですね。集中力の喪失が一番の問題ですが、本当は集中力がなくなり、上の空になっていても、間違えないくらい“指が勝手にやっちゃうよぉ”レベルまで練習しておかないといけないんですね。つまり、まだまだ練習が足りないわけです。

 練習不足のために指を間違えてしまい、その結果、音楽が止まってしまうのは、良いことではありませんが、やむをえません。しかし問題は、一度止まると、再び始動するのが大変な事です。なんかねー、途中から始めるのが難義なの。もちろん、そんなんじゃダメなので、もっと練習しないと…。とにかく、たかが音階練習ですが、私にはまだまだ難しく、課題満載なんですね。大変だけど、乗り越えて行かねば…。

 次はミニヨン・エチュードです。1番は、前回よりは吹けたと思いますが、やっぱり指がまだまだなので、時折ミスブローをしたり、音楽が止まってしまいます。

 さらに、一通り吹き終えた後“それじゃあ音楽的につまらない”と言われました。“ただ、指が動いて、楽譜を吹いてますって感じに聞こえるだけで、ちっとも音楽じゃない”とも言われました。

 …こういう種類のダメ出しは…始めてかも(喜)。

 これって、今までとは注意されるレベルがちょっと違うんじゃない? たとえわずかにせよ、注意レベルが上がったんじゃない? だってね、今までは、とにかく、音楽の内容的な事はあまり注意されず、指の間違いとか、演奏速度の事とか、アーティキュレーションの事とか、そういう注意を受けてましたが、音楽としての表現が足りないよ、という指摘は今回が始めて。やったね(感涙)。

 今までは、フルートをちゃんと扱う事だったり、楽譜的なミスが無いように演奏するので精一杯だったし、先生の注意も専らそっち方面の注意ばかりでしたから、私のレッスンでの演奏スタイルだって、なるべくミスを減らして、きちんと演奏するのを優先する“守りの演奏”をしてきたわけですが、今回の注意は、それではダメで、とにかく、曲を演奏するのだから、音楽表現をしなさいって事なんです。

 ならば“攻めの演奏”をしてみましょう。指やら、アーティキュレーションやら、なんやらかんやらは全部捨てて、音楽表現のみに集中して、気を入れてやってみました。

 当然の事ですが、あっちこっちミスブローしましたよ。音もたくさん落としたし、三回止まりました。テンポも思いっきり揺らしまくりました。しかし、それでいいと言われました。(社交辞令半分でしょうが)なかなかよかったそうです。もちろん、レッスンですから、ミスブローは無くさないといけないのですが…。とにかく優先順位の問題で、正確な演奏よりも、表現豊かな演奏を目指しなさいって事です。で、表現豊かで、なおかつ、正確な演奏になれば、合格なんだそうです。

 …結局、最後は正確な演奏なんだな…そこが一番難しいんだけど(笑)。

 とにかく、吹けない所やミスをするところは、部分部分で取り出して練習をし、全体を通す時は、細かいところは捨てて、音楽表現に集中するように言われました。

 1番はそんな感じで不合格でしたが、まだちょっとだけ時間があったので、譜読みを軽くしてあった2番の確認をしてもらいました。もちろん、あっちこっち止まるし落ちましたが、まあ譜読み的にはOKのようです。2番は、短調の曲なので、長調の1番以上に気持ちを入れて練習してきてくださいとの事です。よーし、やったるぞ。

2011年3月13日 (日)

「人生」という字は…[2011年3月第2週・通算9週]

体重:99.8kg[-0.2kg:-0.6kg]
体脂肪率:30.1%[-0.1%:-0.1%]
BMI:31.5[+-0.0:-0.2]
体脂肪質量:30.0kg[-0.2kg:-0.4kg]
腹囲:97.0cm[+-0.0cm:+0.5cm]
     [先週との差:2011年当初との差]

 テレビでは地震による死者行方不明者の数がとんでもない事になっています。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

 災害は、私たちに“死”を意識させます。“死”を意識させると同時に“生”の意味も突きつけるものです。

 私は、以前に聞いた、ある方の話を思い出しました。正確に言うと、話そのものではなく、その方が話の中で引用されていた言葉を思い出しました。その引用された言葉が、妙に私の心に残っているのです。

 その引用された言葉は、後でググってみたところ、どうやら、元東北楽天ゴールデンイーグルスの監督の野村克也氏の言葉で、その著書の中で野村監督が書かれた言葉のようです。いい言葉だと思いましたので、今日はその言葉について、メモ的に書いてみたいと思います。

 で、その言葉なのですが…

「人生」という字は
    「人として生まれる」
   「人として生きる」
   「人を生かす」
   「人を生む」  と読むことができます。

 と言う言葉でした。人が生きるというのは、深い意味と目的があるものなんだなあと思いました。この四つの読みを充足して初めて、人生のフルコースを生きる事になるのかもしれない、とも思いました。

 果たして、自分は、この四つの人生の意味を、きちんと生きてきたでしょうか?

 「人として生まれる」は、人生のスタートです。イヌでもネコでもなく、人として生まれてきました。ここは生物学的にはクリアしてます。しかし…、

 …「人として生きる」というのは、実は難しいですね。この場合の「人」は生物学的な意味ではなく、哲学的な意味での「人」でしょう。私は「人」というものは「神に息を吹き込まれたモノ」だと理解しています。神に恥じない生き方ができたか…俗っぽい言い方に翻訳するなら「お天道様に顔向けのできない生き方は、してねーだろーなー」って事です。

 「人を生かす」は、仲間や後輩たちとの接し方であったり、社会における役割だったりするのでしょう。私は他人を生かしてきたかな? 他人を見下したり馬鹿にしたりはしてこなかったつもりだけど、積極的に他の人の能力を生かすような関わり合い方ができたかな? そして、世のため他人のために、なすべき事をきちんとやってこれたかな? 人々が笑顔で暮らせるような事に協力する事ができただろうか? 他人のために労苦を惜しまずに働いてこれたかな?

 「人を生む」は文字通り生物学的に子孫を残す事です。種を絶やさないためにも、子孫を生み育てる事はとても大切な事です。そして、生物学的な子孫を増やす事も大切ですが、職業的な子孫、つまり“弟子を育てる”というのも、人を生む行為だと私は思ってます。私が関わってきた若い世代のうち、幾人が一人立ちをしてきたか? その数は少なくなかったか? 私は十分に若い世代を育ててきただろうか、足りなきゃ、今からでもガンガン生み育ててやる~って感じです。

 「人生」という字は、「人として生まれる」「人として生きる」「人を生かす」「人を生む」と読むことができます。

 …さすがに、プロ野球という道を極めた人の言葉には、実に深みがあります。おそらく、一つの道を極めた人には、その極地でなければ見えない“何か”が見えるのでしょう。我々凡人は、その極地にはたどり着けない代わりに、極地に立った人の言葉を介して、その極地を想像する事ができます。…できます、と言うか、想像しかできないのだけど…ね。

 息をして、メシ喰って、寝て、遊んで、働いて…でも生きている事には間違いないけれど、「私の“人生”」という括りで考えるならば、生きている証として、ナニモノかを残したいものです。いや、残さずに死ねるものか!…という思いです。

 合掌。

2011年3月12日 (土)

今日は一日、喪に服しましょう

 昨日(2011年3月11日)、我が国の観測史上最大の、マグネチュード9.0の大地震が宮城県沖で発生しました。最大震度は7でした。“東北地方太平洋沖地震”と命名されたそうです。

 宮城県、福島県、岩手県、茨城県を始め、多くの地方で被害が発生し、少なからぬ数の方が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。また、怪我をされた方、家や財産を失った方も大勢いらっしゃいます。涙を禁じ得ません。

 幸い、私の地域では地震や津波による大きな被害もなく、家族から怪我人も出さずに、まことに有難いことでした。しかし、今回の地震で、家族や大切な人を失った方もいらっしゃるでしょう。そんな方々のために、私は、たった一日ですが、喪に服し、魂の安らかなる導きを祈りたいと思います。

 古来より、我が国では“天変地異は、徳のない為政者の誤った政に対する、天の怒りである”と信じられていますし、私もそう思います。先の阪神大震災も、まさにそのような例であったと思います。今回の地震は、我が国の観測史上最大のみならず、世界の歴史に残る大震災の中でも、史上五番目の規模だそうです。天の怒りも、まさに極まれりというところなのでしょう。

 王の器にあらざる者が国を統治しようとしたから起こった天災は、ある意味、人災であると言えるでしょう。

2011年3月11日 (金)

画竜点睛を欠く演奏

 私は割とコンサートに行くタイプの人だと思います。

 コンサートって、結構ミズモノで、すごく感激感動するものもあれば、「はあ?」って感じの時もあります。別にこれは奏者の有名無名は関係なく、無名な奏者でも感動してコンサートを満喫して帰る時もあれば、高いお金を出して行った有名奏者で「はあ?」って時もあります。

 感動であれ「はあ?」であれ、奏者はプロですから、そこはアマチュアと違って、いわゆる“ミス”というものは、ほとんどありません。みな、楽譜的に正しく、よく訓練されていてテクニック的にも全く不足のない演奏を聞かせてくれるのですが、それでも感動と「はあ?」があるわけです。

 この差って、どこから来るんでしょうね?

 ツラツラと考えてみたところ、とっても失礼なんだけれど、そういう「はあ?」な演奏って、ピアノ発表会に出演するお子さんたちの演奏に似た後味がある事に気づきました(ごめんなさい)。いや、お子さんたちと言っても、すべてのお子さんではなく、割と類型的に大勢いるお子さんたちのタイプね。どういうタイプなのかと言うと『ミスなく最初から最後まで、上手に弾けたお子さん』の演奏のような後味なんです。

 もちろん、ピアノ発表会では、いたいけな幼い子が、一生懸命お稽古して、その成果をミスなく演奏する…もう、これって最高でしょう。ああ、お上手お上手(パチパチパチ…)って感じでグッなんだけれど、私がコンサートに行って「はあ?」って思っちゃう演奏って、これと後味が一緒なんですよ。つまり「うわあ、すっごい上手。超絶技巧もバンバンこなして、いやあ、指が回るねえ~、テクニシャンだねえ~、すごいねえ~……で? はあ?」なんですね。

 プロなんだから、上手なのは当たり前。そこは子どものピアノ発表会とは違います。子どもは上手に演奏すれば褒められますが、プロは(大変な事ですが)上手に演奏できて当たり前で、いわばそこが最低ライン。お金をいただいて演奏しているわけですから、上手なだけの演奏で終わるのではなく、そこからどれだけ観客を感動の渦に巻き込んでいけるのか…が勝負なんだけれど、上手なだけで終わっちゃうと「はあ?」って感じになるんですね。「はあ? で、そこから先は?」って感じね

 厳しい事を書くと、その奏者がどれだけ客の事を考えて演奏しているか…って事と表裏一体な話なのかもしれない。だって、どんなプロだって、プロである以上、演奏技術はあるわけだし“伝えるべきもの”だって持っているでしょ。問題はその“伝えるべきもの”を、どれだけ分かりやすく観客に提示できるか(あるいは、提示する気持ちがあるか)…そこがプロの腕の見せ所ってものじゃないかな?

 「私の演奏は、一見の素人さんじゃあ、とても理解できないね」なんてお高く止まっている人は、選ばれた評論家の方々だけを集めて、小さなサロンででも演奏していればいいと思います。少なくとも、生業として音楽を演奏し、多くの人に自分の演奏を聞いてもらおうと思っているなら、そういうサービス精神は必要だし、そうでなくっちゃ、大勢収容できるホール等で演奏しちゃダメでしょう。だってホール演奏ともなれば、一見のお客だってたくさん来るわけだからね。そういう人を最初から切り捨てた演奏なんて「お前、何様だと思っているんだい?」って言いたくなります。

 観客の事を考えろ…と言っても、別に『客に媚びれ』というわけじゃないです。真摯に自分の芸に向き合って、それを真心込めて行えば、芸って伝わるものでしょ。私はそう思います。

 ここまで書いて、思いついたのは、美空ひばりの素晴らしさです。ひばりなんて、もうずっと昔の歌手ですね。私が子どもの頃に現役でブイブイ言わせていた歌手です。しかし、今でも時折VTRなどがテレビで流されますが、それを見ると私は、たいてい胸が熱くなります。何か色々なものが彼女から伝わってきます。

 美空ひばりは、歌のジャンル的には演歌であって、私は演歌ってキライ(笑)なんですが、そのキライな演歌を通しても、彼女の伝えたいもの(せつない気持ちであるとか、悩ましい恋心であるとか)がきちんと伝わってきます。

 別にクラシックの演奏家に“演歌歌手になれ”とは言いませんが、演歌歌手ですらやっている事を、幼少時より修行して、きちんと高等教育も受けて、海外でも研鑚を積んできたりご活躍されているような方が、それが全然できていないって、ちょっと音楽ナメてませんか? 目の前にいる今日の客を馬鹿にしていませんか? って言いたくなるんです。

 ひばりは常にステージでは全身全霊を尽くしてお客に向き合っていたそうです。芸人ですから当然のことですが、クラシック演奏家の皆々様には、そういうお気持ちに欠ける方が時折見られるのが残念です。先生、先生、と呼ばれているうちにテング様になっちゃったとか? それともまさか、自分のことで精一杯で、お客のことなんかかまってられないとか?

 まあ、どれほど高名な演奏家であっても、お高くとまって、客を見下したような演奏家のリサイタルなんて「はあ?」ってもんだね、ってことが言いたいわけです。

 画竜点睛を欠く演奏…ってわけですが、その“睛点”こそが、芸の命なんじゃないのかな?

 あ、別に今回の記事は、特定の演奏家さんを念頭に置いて書いたわけじゃないですよ。あくまで一般論です、念のため。

2011年3月10日 (木)

初めてのダメ出しをいただきました

 ヴァイオリンのレッスンに行ってきました。月二回のレッスンなので、だいたいは隔週か、あるいは二週おきでレッスンが組まれますが、今回は諸事情のため、前回からわずか(笑)一週間でレッスンの日がやってきました。毎日10分しか練習できないヴァイオリンのレッスンが一週間の間隔でやってくるって…すごく恐ろしいことだよ。準備不足とは言いたくないけれど、準備が十分だったかと言われると赤面ものです。

 さては、いつもどおり重音の練習から。今回の重音練習は、カラオケをバック(カラオケをリズム&ハーモニー・キーパーとして利用)に、先生が重音で弾くリズムをまねするのをやりました。つまり“コール&レスポンス”をしたわけです。最初に先生が2小節弾いたら、すぐに私がそれをまねて同じリズムで演奏するんです。楽しく重音の練習ができました。

 篠崎のレッスンです。

 52番「毎日の練習」 裏拍に注意(いつも言われてます)。合格。

 53番「前奏曲」 曲想を考えて弾きましょう。なるべく柔らかい音で弾く。ただし、音色は柔らかくても、音の立ち上がりは素早くする。よく「柔らかく」と言うと、立ち上がりの悪くてフワッと始まる音で弾き始める人がいる(って、それをやりました:汗)けれど、そうではなく、常に立ち上がりは素早く、しかし柔らかい音色の音で弾く事が大切。そして、常にインテンポを心掛け、リズムは軽く軽く演奏すること。白玉音符を端折らない事(二分音符をしっかり伸ばす事)。合格。

 54番「モデラート」 弓のアップダウンは楽譜の指示に忠実にやりましょう。フレーズの弾き始めは、常にダウンボウで始めるのを忘れずに。合格。

 55番「毎日の練習」 不合格。6度音程が微妙すぎます。また、移弦で手間取ってます。指がもたついてます。とにかく、3度音程や5度音程はともかく、4度音程や6度音程は、なんか微妙で、カッコ悪い…んだけれど、4度音程とか6度音程って、なんかバシッとしないんだよね。

 だってさ、6度音程と言っても、最初のミ~ドは短6度だけど、その後のファ~レやソ~ミは長6度で同じ6度と言っても、実は音程の幅が違うのに、これを同じ「6度」ってくくりで練習するんだもん、ちょっとこんがらがるでしょ。で、6度の練習のお尻にソ~ドの(完全)4度を付け足してくれるわけで…実にありがたいです。やはりヴァイオリンも、歌同様、きちんと音取りをしてから練習をした方が良いかも…。

 あと、ミドの6度音程は指も1&2だから良いけれど、ファレの6度音程は指が2&3になります。そうなると、私はちょっぴりブキッチョのブッキーさんなので、どうにもここで手こずります。むしろ、ソミの指3&4の方がスムーズだったりします(爆)。

 56番「小舞曲」 これも不合格。とにかく移弦が下手すぎ。移弦の時にタイムラグが発生するので、なるべく時間を空けないようにすること。

 と言うわけで、今回は55番と56番が不合格になりました。これらは宿題です。音程がダメなのと、移弦が下手なので、そこを重点的に練習してきましょうって事です。しかし、57番からはスラーが入ってきます。ううむ、なんか段々難しくなってきています(汗)。負けるな、自分。

 さて、レッスンの後半はジャズの練習です。

 G、D、Cの三つのスケール練習をしました。カラオケに合わせながら、これらのスケールを色々なリズムで弾きました。しかし、私のリズムが重いです。右手首が固いので、演奏がなんか乱暴に聞こえるそうです。そこで右手の体操をやってみました。

 もっとも、体操と言っても、手首をユラユラさせるだけ(笑)。しかし、このユラユラが難しいです。手首が固いとユラユラがカクカクになっちゃうわけで(爆)。ユラユラめざして頑張ったわけですよ。

 一通り体操をやったら、次はCブルースをやりました。ちなみに、今回やったブルースのコード進行は以下のとおり。

 C7/F7/C7/Gm7C7//F7/F#dim7/C7/Em7-5A7//Dm7/G7/CA7/Dm7G7// [2011年3月11日、誤りを訂正しました]

 とにかくカラオケに合わせて、根音を拾っていきました。これを何度もやったわけです。意外と大変でした。今回は、根音を拾うので精一杯でしたが、次回までにはメロディも弾けるように練習しておく(メロディーは先生作曲のものがあるんです)ように言われています。

 ジャズも宿題が出ました。GDCFの各スケールを(カラオケに合わせて)やってくる事。それに、Cブルースの根音をきちんと拾えるようにしてくる事と、メロディを弾けるようにしてくる事です。宿題がちょっと重なってしまいました。ううむ、ちょっと宿題が多くて、毎朝の10分練習でやり切れないかもしれません。さあ、どうしましょう。

 どうしましょうと言い出しても…やるしかないですね。

2011年3月 9日 (水)

あなたは「自分大好き人間」ですか?

 先日、ある人から面と向かって「すとんさんって、自分の事が大好きでしょう?」と言われました。「はい、もちろん」と即答したら、呆れられたような顔して「この…ナルシーが!」と言われました。

 自分が大好きじゃ、いけないの?

 私は自分の事が大好きですよ。だから、音楽をやっているという部分があります。

 私が歌うのは、もちろん歌が好きだから。 他人が歌っているのを聞いているだけじゃ満足できなくて、自分でも歌ってみたいから。

 自分で自分に歌を歌ってみせて、自分自身に聞かせるのは、もちろん楽しい。だけど、それだけじゃ、なんか、もったいない! せっかく私が歌うんだから、私一人で満足しちゃダメ。他の人たちも、私と同様に楽しくなってもらいたいじゃない、なら、私の歌を聞いてもらわなきゃ。私が歌うと私がうれしいように、他の人たちも、私の歌を聞いて、気分よくなってもらいたい。つまり“幸せのおすそ分け”だ!

 そうでなきゃ、歌う意味がないでしょ。

 もちろん、前提条件として、それなりにちゃんとした歌を、きちん歌わないといけないという事はあります。だから、毎日練習しているわけだし、毎週レッスンに通っているわけよ。お恥ずかしい歌やみっともない歌は、披露できませんし、しちゃいけないと思ってます。

 しかし、だからこそ、ちゃんと仕上げた歌は、人前でぜひ披露したい。そう思います。

 たぶん、歌う人って、みんなそうなんじゃないかな? 少なくとも、独唱を志す人は、プロアマ問わず、こういうタイプの人間じゃないと、やっていけないんじゃないかな? 自分が大好きで、自分に自信があって、世間の人たちの注目を集めたい…ってタイプじゃないと、舞台で一人で歌うのって、厳しいでしょ。

 この話は、歌が楽器に置き換わっても、たぶん、同じ事だと思う。

 もっとも、クラシック系の声楽の場合、声は生でしょ。楽器やマイクでカバーしてもらえるわけでなく、何の隠し立てもできないわけです。歌声に、人柄も生活も人生も出しっぱなしで歌うわけです。何も隠さずに全部さらけ出して歌うわけで、楽器やポピュラーヴォーカルの人よりも、もっともっと、自分が好きじゃないと、やれないかもしれない……。

 そう考えると……やっぱり、ナルシストなのかな?

 でもね、たとえナルシストであっても、「自分嫌い」で「劣等感の固まり」で「自尊心のカケラもない人間」で、いつもいつも「他人をうらやんでばかり」いて「妬んでばかりいて」「心の中がちっとも穏やかでなく」「イライラ」して「毎日がつらくて悲しくて」その上「退屈」で「良い事なんか一つもない」…そんな人よりは、一万倍も幸せだと思う。

 だいたい、そんな人は、誰からも愛されないと思うし、誰からも相手にされないと思う。あげくの果てに、誰も相手にしてくれないものだから、あっちでチョッカイ出しては嫌われ、そっちでイラナイ事を言っては眉をひそめられ…おお、イヤだ。そんな人にはなりたくないなあ…だったら…やっぱ…

 ナルシー、サイコー!

 少なくとも、私の場合、人前で歌うと『恥ずかしい』という気持ちよりも『喜ばしい』気持ちの方が強く、歌い終わると『喜ばしい』気持ちで心の中が一杯になります。この『喜ばしい』という気持ちが、自分へのご褒美になって、また歌いたいという気持ちにつながっていきます。

 もちろん、反省することだってあるし、自分へのダメ出しもするけれど、でもやはり、基本的に、人前で歌うと『喜ばしい』です。

 歌に限らず、何事であれ、人前で何かを表現するって、たぶん、本来的には『恥ずかしい』事なのかもしれない。でも『恥ずかしい』という気持ちよりも『喜ばしい』という気持ちが上回るから、人は表現者を目指すんだと思う。

 表現者って、やっぱり、自分が大好きじゃないとダメなんじゃないかな? だって、もしも、自分の事が大嫌いだとしたら、そんな嫌いな自分を人前にさらす事なんて、考えられないでしょう。ましてや、自分の事が恥ずかしいなんて思ってたら、なおさらでしょ。表現する事って、自分を他人にさらすことだから、そのためには、まず、自分が大好きでないとね。「こんなステキな私を見てください/聞いてください」って気持ちがないと、人前で表現できないよね。

 歌も楽器も、芝居やダンスもそうだし、作品つくって展示する人も、その展示品に自分の魂込めるんだから、やっぱり一緒だね。「こんなステキな私を見てください」という気持ちで表現しているんだと思う。

 うん、やっぱり、私は自分が大好きだ。そして、幸せだ。心に色々なものが満ちあふれているんだ。

 だから、人前で歌えるんだし、演奏できるんだ。うん、きっと、そうだ。そうにちがいない。

 私の幸せを、みなさんに、お分けしたいです。

2011年3月 8日 (火)

なぜアリアが歌えない(涙)

 六月の声楽発表会に向けて、日夜、歌の練習に励んでいる私です。抱えている曲は三曲。「人知れぬ涙(アリア)」と「ひと言だけでもアディーナ(二重唱)」と「乾杯の歌(ガラコンサート形式)」の三曲。ドニゼッティの「愛の妙薬」から2曲と、ヴェルディの「椿姫」から1曲です。

 まあ、まだまだどの曲も完成にはほど遠いのですが、中でも一番悲観的にならざるをえないのがアリアこと「人知れぬ涙」です。実にまだまだ、海のものとも山のものともなっておりません。そろそろ、残り時間はあと三カ月。最初のピアノ合わせまで約一カ月という、この時期なのに、いまだ完成の片鱗すら見せておりませぬ。

 大丈夫だろうか?

 他の2曲は、何となく完成姿が見えつつあります。

 「乾杯の歌」は、本来は二重唱+合唱という形で歌う曲ですが、今度の発表会では、我が歌劇団で束になって(笑)歌うので、よくテレビなどで見かける“ガラコンサート形式”で歌います。なので、私が歌うのは、独唱と重唱と合わせても、全体のほんの一部、46小節くらいかな? あ、結構あるね。でも、やっぱり丸々一曲と比べれば量的には少ないし、だいたい曲自体も簡単なので、油断さえしなければ、なんとかなるでしょう。

 二重唱の方は、実はかなりの難物なんですが、それを見越して、早めに準備に着手したおかげもあって、あと三カ月といった現時点で、とにかく形になってきました。あとは、これを緻密に仕上げていくのみです。

 で、問題はアリアです。これが何とも…です。レッスン記録の方を見ていただければ、私がいかにこの曲と格闘しているかが、お分かりになると思います。

 では、なぜアリアが歌えないのか、ちょっと考えてみました。

 実はアリアと二重唱、同じ作曲家の同じ作品からの曲という事もあって、節回しとか歌詞のつけ方とか、色々と似ていますし、同じテノール向けの曲という事もあって、最高音だってわずか半音しか違わない曲なので、本当は曲としての難易度に大きな差はなく、二重唱が歌えて、アリアが歌えない…なんて事はないはずなんですが…二重唱はどうにかなりそうだけれど、アリアはからっきしダメというのが現状です。

 この差はどこから?

 …そうそう、思い出しました。二重唱だって、ついこの前までは、全然歌えず、箸にも棒にもかからなかったんだっけ?

 …どこで歌えるようになったんだっけかな?

 と記憶をたどっていけば……前回の歌劇団の練習の休憩時間の時に、団員のみなさん方の前でこの曲を歌った時から、何となく歌えるようになったんだっけ。

 では、なぜ、歌劇団で歌って以来、歌えるようになったのか? …それは、その“歌えた時の色々な感覚”をまだ覚えて、それを自宅練習でもうまく再現できているから。

 ではなぜ歌劇団で歌えたのか? …それは自宅練習とは異なる条件が色々と重なり、それがよい影響を私に与えてくれて歌えたのだと思う。

 自宅練習とは異なる条件…まず、会場の広さ。歌劇団は、演技の練習もしますので、学校の教室よりも広い部屋で練習します。一方、自宅の書斎は(たしか)6畳間です[変形6畳間なので結構横長]。歌って、どうしたって“部屋なり”に歌うものです。6畳間では6畳間なりの歌い方、広い部屋なら広い部屋なりの歌い方をします。広い部屋で歌う時は、それなりに声量も稼がないといけません。普通にボソボソと歌うわけにはいきません。

 それに歌劇団では、団員のみなさんの目があります。みなさんの見ている前で歌うわけだから、あまり無様な姿は見せられません。ですから、気合を入れて、ガッツリ歌っていきました。

 あと、歌劇団の時は、暗譜で楽譜を見ないで歌った事も大きいかもしれません。自宅では、いくら暗譜をしているとは言え、楽譜を開いてチラチラと眺めるわけだけれど、歌劇団では楽譜は見ないで歌ったわけで、ある意味、全身を歌のために使えたわけです。

 この三つの要因のおかげで、結果的に、普段以上に思い切って歌い、それが功を成し、それまでダメだった二重唱が、なにとか歌えるようになったわけです。

 そして、この歌劇団で歌った時の感覚を、まだ何となく覚えているのです。だから、あれから二重唱を練習する時は、歌劇団で歌った時の感覚を思い出しながら歌っています。

 ところがアリアは、まだ自宅練習とレッスンのみで、人前で歌った事はありません。

 先日も、自宅でアリアの練習をして「ああ、今日も今一つだなあ…」と思いつつ、次に二重唱の練習に取りかかった時、歌っている最中に、背骨がボキボキ言うのを感じました。頭蓋骨もボコボコと音を立てて開いていきます。ああ、この感覚は、二重唱を歌っている時はあるけれど、アリアを歌っている時は無いなあ…そう思いました。

 もしかしたら、アリアの時は、二重唱ほどに、カラダを使って歌えていないのかな? だから、歌えないのかもしれません。

 しかし、この二曲は、歌のシチュエーションが全く違います。二重唱の方は、口論している場面なので、結構思い切りよくパンパンパンと歌えますが、アリアの方はしっとりと内省的に歌う曲なので、気合入れて歌い飛ばせるような曲ではありません。穏やかに歌わないといけない曲で、カラダを使うと言っても、おのずとその使い方も違ってくるはずです。そこが難しいです。

 その他にも、アリアと二重唱で、色々と違いを感じています。

 アリアはとにかく、一にも二にも、発声で苦しんでおります。発声が難しいんです。最高音はA(テノールのアリアの中では低い方。ただし二重唱より半音高い)だし、全般的に音が高いし、休憩もロクにないし…。

 …とは言え…

 実は、アリアも二重唱も、その出だしの音は同じ音程(F)なんです。二重唱では歌いだしの音は、ごく普通の高さの音として感じているし、普通に歌いだしている私ですが、アリアでは、なんか高い音だなあって思ってます。もちろん、歌う時は、ちょっと身構えて歌いだします。同じ音程の音なのに、考えてみると、ちょっと変な反応ですよね。

 またアリアの最高音は確かにAだけれど、これはカデンツァの中に一回だけ、それも一瞬出るだけで、それ以外の最高音はAsなので、実は二重唱とそんなに変わりません。そして、そのAsも、たしかに高音だけれど、二重唱だとヒョイって感じで出せますが、アリアでは苦労してますし、壁にぶつかって、うまく歌えません。

 この感覚の差はどこから来るのでしょうか? ううむ、困ってます。案外、音の高い低いなんて、気分の問題でどうにでもなるのかもしれません。

 それと、アリアを歌っている時は、やや棒立ち気味に立っている自分を見つけました。当然、背中はほとんど使えていません。それどころか、アゴを前に突き出して、腰を後ろにそらして、上向いて歌っている始末です。特に高音になるほど、上を向いちゃいます。

 ところが、二重唱の時は、自然に“C”の字のように背中を丸めて、背中をボッコリと膨らませて歌えています。音が高くなればなるほど、下を向くし、肩を下げていきます。

 これほど、立ち姿が違えば、おのずと結果が違って当然だね。それだけ分かっているなら出来るよね~って感じですが、それができれば苦労はないのです。なんかうまくいかないのですねえ。いつの間にか、アリアでは上向いて歌っている私です(涙)。とりあえず、姿勢、大切なのにね…。理屈で何となく分かっても、それを実行できないってのが、私の抱えている壁って奴ですね。。

 道はまだまだ長くて険しいな。なんか、まとまらなくて、申し訳ないです。

2011年3月 7日 (月)

練習は、目的に沿った練習をしましょう

 声楽のレッスンに行ってきました。レッスンの最初に言われた事は「心臓の調子が悪い時は、きちんと言ってね。レッスン中に万が一の事があったら、大変だから…」 そうですね(汗)。それが普通ですよね。

 とりあえず、レッスンの最初に、心臓の調子を尋ねられる私でした。

 さて、今回もレッスンは発声のチェックからです。

 私は、高い音になるほど声が開いていく癖があるので、そこに注意。どっちかと言うと、高くなるにつれ、声を閉じていく/かぶせていく感じの方がむしろ良いのです。

 また、音が高くなるにつれ、声が前へ前へと出てくる癖もあるけれど、これも、むしろ後ろへ後ろへ引いていく感じで声を出していく方が良いのです。

 ざっと、発声をみていただいたら、今回もアリアです。

 高い音が「イ」の母音の時が難しい、と訴えたら「なら全部「ア」で歌ってしまおう」というアドヴァイスをいただきました。もちろん、最終的には、きちんと「イ」は「イ」にしないといけないけれど、変な声で「イ」と歌われるくらいなら、例え母音が違っていても、ちゃんとした「ア」で歌った方がマシなので、とりあえず今は「ア」で歌っちゃえ~って事です。

 …ってわけで、試しにアリアを全部「ア」で歌ってみました。「アッアッアッア~アッ、アアア~」って感じになります。

 前半の“短調”の部分は、ひとまず「ア」で通して歌えましたが、転調した後がボロボロ。まあ、疲れているという事もあるし、うまく転調の流れに乗れていないという事もあるけれど、やっぱりまだ音がきちんと取れていない箇所が数カ所あり、そういうところから歌が破綻しているようです。

 つまり…“音取りがちゃんとできてないので、歌えない”という結論です。

 そこで、私の自宅での音取り練習のやり方にメスが入りました。

 「音取りの練習の時、しっかりと歌っている?」

 「はい」

 「それはダメ。音取りの時は、歌う事よりも、音を取ることを、まず優先しよう」

 「??」

 「音取りの時はきちんと歌う必要はないよ。ファルセットでもいいから、とにかく、正しい音程でしっかり音を取る事。そうやって、正しい音をカラダに入れる事が大切」

 「!?」

 「その上で、高い音を出す練習は別にやらないとダメ。たぶん、すとんさんは、音取りと高い音を出す練習を一度にやろうとして、失敗して、その失敗をカラダが覚えてしまっているだと思う」

 …お見通しだね。

 なので、まずは徹底的に“音取りに特化した音取り練習(日本語が変ですが気にしないでください)”をやってみました。音取りに特化した練習なので、絶対に声を押さない。フェルセット上等。声量は欲張らない。ちょっとでも音が違ったら、やり直し。これの繰り返し。音は一度取れても、寝ると忘れるので、きちんと定着するまでは毎日やるんです。

 とにかく、短調の部分はなんとか歌えているわけだし、その短調の部分に、すでにAsが出てきて、これは歌えているのだから、長調に出てくるAも歌えるはず。それが歌えないのは、Aをカラダが間違って覚えていて、変なことをしでかして、歌えなくなっているだけ。だから、しっかりと音取りからやり直そう、と励まされました。

 音取りで音がきちんと取れたら、ファルセットの使用を止めて、軽く「ア」で歌ってみる。それから、少しずつ言葉を付けていって、言葉が着いてきたら、少しずつ声をしっかりと出すようにする。フルヴォイスで歌うのは、段階をきちんと踏んだ、最後の最後の練習までお預けにしないと、ダメです。今までの私は、最初から最後までフルヴォイスで練習してましたが…それは厳禁です。

 今回のレッスンは以上。言葉で書くと、ほんのちょっとだし、時間的にもやや短めだったけれど、実際はかなりの体力勝負のレッスンでした。ヘトヘトになったよ。高いところを歌い続けるって、体力をみるみると消耗するね。

 最後に「すとんさんは、すでに十分テノールだけれど、このアリアがしっかり歌えるようになったら、どこへ行っても、胸を張って『僕はテノールです』って言えるようになれるから、頑張りましょう」と言われました。確かに、この曲を歌えないテノールっていないし、この曲を歌わないテノールもいない。ある意味、料理でいうところの“卵料理”のようなアリアなのかもしれません。「この曲は、高い声を一発出せばOKというタイプの曲ではないので、実はそれなりに難しいのです」とも言われました。うん、頑張ろう。

2011年3月 6日 (日)

クラナド、じゃなくて、クラウド化、進んでます[2011年3月第1週・通算8週]

体重100.0:kg[-0.2kg:-0.4kg]
体脂肪率:30.2%[+-0.0%:+-0.0%]
BMI:31.5[-0.2:-0.2]
体脂肪質量:30.2kg[-0.1kg:-0.2kg]
腹囲:97.0cm[-0.5cm:+0.5cm]
     [先週との差:2011年当初との差]

 胃バイパス手術とか、ラップバンド手術って、憧れます。楽してやせたいなあ…。

 さて、実は私、色々と思うことがあって、ローカルなパソコンというものを、あまり信用しないようにしています。

 と言うのも、パソコンって、よく壊れるでしょ(笑)。その度に、色々と格闘するわけで、なんかもう、そういうのが面倒くさいなあ…と思う年頃になりました。

 面倒くさいなあ…と思った瞬間から、使用するアプリケーションの数が減りました。おまけにバージョンアップもしなくなりました。似たようなサービスがネットで提供されていたら、あっさりとネットサービスに乗り換えるようになりました。

 そんな私のような人が増えてきたのでしょうか? 最近は「クラウド」という言葉を耳にするようになりました。ああ、これって、私がめざしている方向と一緒だなあと思ったら、そいつに便乗してみたくなりました。

 “クラウドって何?”って人は…説明するのが面倒なので、ウィキのこちらの説明を読んでおいてください(笑)。

 さて、そんなわけで、クラウドのまねごとのような事を始めてみました。

 使用アプリを、なるべくネットの向こうのサービスに切り換えるだけでなく、データもなるべくクラウドの雲に放り込むようにしました。アプリとデータがクラウドにあると、手元のパソコンなんて、本当にスカスカでもいいんですよ。

 つまり、これって“端末に支配されない世界の到来”って奴だよ。なんか、サイバネティックな感じがして、かっちょいいね。だって、極端な話、いままでのように、パソコンが壊れても苦戦する必要が全くなくなるって事だよね。だって、パソコンが壊れたり調子が悪くなっても、がんばって修理をする必要はなく、チャッチャと新しいものに買い換えれは済むし、あの面倒くさいパソコンの設定というのだって、最小限だけして、後はクラウド世界にコネクトできたら、それで十分でしょ。クラウド化、ばんざーいだね。

 パソコンの主要部分を、自分の知らないどこかに置いて、そことつながりながら、それを使うって感覚が、新しくもあり、どこか見たよう風景(LANと言うか、サーバーとクライアントの関係を世界的に押し広めたような感じ?)でもあって、それがクラウドなんだ…と言うのが、今現在の私の理解です。

 と言うわけで、個人的に、クラウドのようなモノに、チマチマと移行している最中なわけです。

 色々とやってみて、便利だなーって思うのは、多くのみなさんもすでに実行されていると思われますが、メールソフトのクラウド化と、お気に入りのクラウド化。あと、手元でよく使うデータもクラウド化しちゃいます。すでにHPとかブログ、ツィッターなんてのはクラウドそのものですから、こういう組み合わせでパソコンライフを始めちゃうと、無意識のままクラウド三昧な生活になっちゃいます。もはや、手元のパソコンなんて、なんでも良くなっちゃいます。いつでも、どこでも、どんな端末を利用していても、いつもの環境で遊べるわけよ。すごいね。

 クラウド化が進んでいっても、デスクトップ・パソコンは一定の需要がありつづけるだろうけれど、ノートパソコンはクラウド化が進んでいくと、ちょっとヤバいかもね。だって、現在のような、高機能ハイスペック大画面パソコンなんて不要になっちゃうでしょ。通信機能さえあればいいのだから、それこそ、iPADで十分? いや、iPhoneやアンドロイド携帯でも間に合っちゃうかも…。ノートパソコンが廃れて、そういう携帯端末が普及するのが、実は、ユビキタス・コンピューティング時代の真の幕開けって奴かもしれないね。

 で、そのクラウド化の話と、ちょっとだけ関係するけれど、実は先日、老犬ブログの「お気に入りのブログ」の表示を止めました。相互リンクをしていた方々、ごめんね。

 なんて言うかな~、実はだいぶ以前から、あの「お気に入りのブログ」を私が個人的に使う事がなくなっていました。と言うのも、私個人のお気に入りは、クラウドの方で使用しているポータルページで管理するようになったからです。なので、個人的な事情で言えば、クラウド化が進んだため、ブログに自分の「お気に入り」を貼り付けておく必要性がなくなったわけです。

 個人的に利用しなくなっていたものの、まだサイト的に必要かなっと思って、今まで表示し続けていたわけです。しかし、ネット社会もそれなりに成熟してきて、今や、必要なサイトには検索一発で飛んで行けるし、「ブログ村」のようなブログポータルサイト[ここも一種のクラウドサービスですね]も充実してきたので、わざわざ私セレクトのブログをご紹介する必要性も???の時代になってきたかなって思います。

 さらに言うと、自分で言うのは口幅ったい事なんですが、この老犬ブログも、規模は小さく範囲も狭くニッチな存在ですが、ある限られた層における人気ブログの端くれに入れてもらえるようになってきたようです(歯切れが悪い表現でゴメン)。フルートをはじめ声楽やヴァイオリンの学習者の方々に、広くご愛読いただいているようなんです。

 そうなってくると、運営する側にも、個人の趣味趣向だけで書き散らすのではなく、それなりの自覚というか目配りが必要かなって思うんです。…って、別に大袈裟な事を考えているわけではありません。なにしろ、どうやったって“個人ブログ”である事に間違いはありませんからね。

 ただ、このブログとリンクすることで、相手方のブログに一時的なアクセス増を招いてしまい、ご迷惑をおかけしまう事もチラホラ起こるようになりました。それって、ひっそりブログをやりたい人には迷惑な話ですね。またここの「お気に入り」のリンクを悪用する人の話も、ごくたまにですが、耳にします。

 そんなわけで、先日来、「お気に入りブログ」を非表示扱いにしています。今まで、相互リンクをしてくださった方々には厚く御礼申し上げるとともに、リンクを非表示にさせていただく事をお詫びいたします。

 「お気に入りブログ」が表示されなくなっても、別に私自身がネットサーフィン(死語だね)をやめる訳ではありません。これからもおもしろいサイトを見つけたら、クラウド化されているお気に入りにドンドン追加していきます。なので、いつかみなさんのところに私が遊びに行ったら、歓迎よろしくお願いします。

 話、戻します。

 と言うわけで、チマチマ、クラウド化している私ですが、実は、まだまだ多くのアプリケーションがネットから提供されているわけじゃないので、クラウドへの完全移行は、当分先の話かなって思ってます。

 ああ、早く、各種アプリもネット提供をしてもらえないかな。特に、OFFICEがクラウドにならないかな。そうすると、確実に世界は変わると思うんだよ。違う? あと、フォトショとイラレもクラウドになって安価で提供してもらえると、すっごくうれしいんだけどな。さらに言うと、iPODのデータもクラウド化できると、超うれしいのだけれど…これはネットの音楽ビジネスとの関係もあるだろうから、そう簡単にはいかないかな?

 こうやって、世の中って、いつも少しずつ動いているんだけれど、この手の流れにいつまでついていけるかなあ…。やがては、ついていけなくなり、置いてけぼりを喰らうようになるんだろうけれど、できるだけ、それは先送りな私でいたいものです。

2011年3月 5日 (土)

チグちゃん、かわいい~

 紅白の更紗琉金であるチグサは、なかなかに美形な金魚です。

 妻が水槽を見ながら、よく「チグちゃん、かわいい~」と声をかけるのですが、そうすると、それまで水槽の人間側にいたチグサはビックリしたように、あわてて水槽の奥に引っ込んじゃいます。

 こいつ、自分の名前が分かるのかしら? そして、名前を呼ばれると、襲われるとでも勘違いしているんじゃないかしら?

 そして、チグがスーッと奥に逃げ込むの入れ代わりに、サクラとスズとブニョがやってきて「ねえねえ、アタシを誉めて」「ボクってイケメンでしょ」「アタシが一番のナイスバディよ」とアピールに来ます。…別にお前たちを呼んだ覚えはないってえの。

 こいつらは、人間が大好きなようです…って、そりゃあ、それがペットの本分、ペットの職業だもんな。…って事は、チグは、ペットとしての自覚が足りない金魚?って事になるのかな?

 たかが、金魚ですが、毎日観察していると、その個性の違いも分かって、おもしろくて、かわいいですよ。

2011年3月 4日 (金)

スケール練習はバッチリやりましょう

 ヴァイオリンのレッスンに行ってきました。

 まず最初は、いつものように、重音の練習から。今回の注意点は『手首が固い』と言う事。私のヴァイオリンの音が、汚かったりガリガリ言うのは、手首が固くて、きちんとショックアブソーバーの役割を果たしていないからだそうです。手首を柔らかくして、ショックを吸収しながら弾けるように、早くなれるといいですね。頑張ろうっと。

 次は、各弦の音程練習です。前回は先生のピアノに合わせて練習しましたが、今回は、前回のレッスンでいただいたCDの使い方の確認の意味もこめて、そのCDに合わせて練習してみました。Gから始まる循環コードのトラックを使えばG弦の練習が、Dから始まるトラックでD弦の練習ができます。イントロをよく聞いて、音程やリズムに気をつけて練習することが大切です。

 さて、篠崎教本は、42番から51番までをやりました。

 42番&43番「移弦の練習」 弓をしっかりと真っ直ぐに引く事。私は弓を弾きながら、弓が上下にプルプルと動くそうです。その様子は、まるで移弦をしているみたいなんだそうです。なので、演奏しながら、隣弦が鳴ってしまうのは、それが原因。ですから、きちんと弓を真っ直ぐに引くことが大切です。それと、ダウンの弓の弾き始めの位置は、まあまあ良しだそうですが、弾き終わった位置がいつもマズイ。弓は弾きながら少しずつ方向性を変えることで、結果として直線的に引かれるわけだから、そのあたりをちゃんと考慮して弓を使うことです。。…やっぱり弓使いは難しいです。合格。

 44番「賛美歌」 この曲は「賛美歌」なんだから、優しい音で弾く事。ガリガリした音で弾かないように。裏拍を感じながら演奏する事が肝心。聞いている人間に、裏を感じさせない演奏は、情報量の少ない演奏(つまり“下手な演奏”)だと心得ること。自分でも裏拍を感じ、客にもそれを感じさせられるような演奏を心掛けよう。合格。

 45番「毎日の練習」 これも裏に注意。合格。

 46番「子守歌」 常にリズムを倍の密度(四分音符を見たら、八分音符二つがタイでつながっていると感じるような事?)で感じて演奏する事。そうやって音楽の情報量を増やして、緻密な演奏をするようにする事。合格。

 47番「アレグロ」 アレグロは“速度”だけでなく“気分”も表現しているので“アレグロ”な気分で演奏する事。合格。

 48番「ちょうちょ」 …「この曲は何調?」「たぶん…G?」「そう、Cで書かれているように見えるけれど、これはGの曲。なので、きちんとGの曲だと思って演奏する事」 合格。

 49番「むすんでひらいて」 二拍子と四拍子の弾き分けに注意する事。その違いは、二分音符を基準とするか、四分音符を基準とするかなのだが、それを自分も感じて、なおかつ、演奏でもきちんと表現する事。合格。

 50番「ルーマニヤ舞曲」 最初に何気なく弾いたら「それじゃあ二拍子だよ。きちんと四拍子で弾く事」とダメ出しをいただきました。次に意識的に四拍子で弾いてみたら「それじゃあ踊れないよ」ともう一度ダメをいただきました。舞曲はリズムを粒立たせて弾く事が肝心。決してベターと弾いてはいけません。合格。

 51番「ロング・ロング・アゴー」 八分音符の重みに注意。四分音符と八分音符を同じ重みで弾いてはいけないのです。きちんと八分音符二個で四分音符一個と同じ重みになるように弾く事。重みとは時間的な長さや音量という意味ではありません。音としての“押しの強さ”のようなもの。当然、十六分音符は四分音符の1/4の重みで弾かないといけません。

 今回の篠崎でのレッスンは、これまで。残りの時間は、ジャズの練習をしました。

 今回のジャズの基礎トレーニングは、C、G、D、Fの各スケール練習でした。それぞれのスケールを、コードを感じながら、1)耳で覚える。2)指の位置で覚える。を目標にやってみました。とにかく、ジャズのレッスンは“覚える事”が何よりも大切です。

 CDの循環コードのトラックを使って、各調のスケール練習をしました。最初はロングトーンで、次はリズムバリエーションを加えながら、最後は、カラオケをよく聞きながら、スケール内の音をランダムに選んで弾くという練習です。これを各調でやってみました。言葉にするとこれだけですが、実際は、すごく内容が濃いレッスンでした。

 今回のレッスンでは、メジャースケールだけやってみましたが、同じCDに入っている、マイナーの循環コードを使えば、マイナースケールの練習もできるので、C、G、D、Fだけでなく、Am、Em、Bm、Dmの練習もしてこよう。この八つのキーを基本のキーとして、まず最初に習得しましょう。

 実にお腹いっぱいになるレッスンでした。一回のレッスンが90~120分もあるので、ほんと、毎回、盛りだくさんです。ヒイロ先生に感謝です。

2011年3月 3日 (木)

またまた余所の発表会を見に行きました

 余所の発表会、と言っても、BEEさんの発表会に行ってきたんです。

 感想はご本人に直接伝えたので、ここでは簡単に…。BEEさんの歌は、なかなかよかったです。ジーンときました。それに声が立派です。あのホールにちょうど良い大きさで、うまくホールの響きを捕らえて歌ってました。ドイツ歌曲とイタリアオペラアリアを一曲ずつ歌うなんて、準備が大変だったと思います。それと、ドレスが素敵でした。ゴールドの服に青い薄物といういい感じのドレスでした(ファッションに関しては、極端にボギャブラリーが少なくてスンマセン)。

 で、今日の記事のテーマは、そんなBEEさんの話ではなく(失礼)、例によって、余所の発表会を見せていただくと“他山の石”ではありませんが、色々と学ぶ事や考えさせられることがあるので、そういう点を、ブログにメモっておきたいなあと思い、書いてみました。

 ちなみに、BEEさんの発表会は、声楽だけでなく、色々な楽器の方も出演するタイプの発表会でしたので、声楽以外にも、フルートとヴァイオリン(とピアノ)の方々の発表をたっぷり見せていただきました。すごく楽しかったです。特に、ヴァイオリンの発表会を見るのは始めてだったので、もうワクワクでした。

 しかし、素人の音楽の習い事って言うと、1位ピアノ、2位ヴァイオリン、3位声楽、4位フルートって事になるのでしょうか? やはり、この4つの出演者がダントツに多かったですよ。

 そうそう、会場のホールは、すごく良いホールでした。百席程度の小さなホールでしたが、天井は5~6階程度はあって、容積が半端じゃなかったです。あんな、いいホールで歌えるBEEさんが、すっご~くうらやましかったです。

 さて、それじゃあ、いきます。

 音楽は既定の速度を守って演奏しよう 私自身がよくやってしまうのですが、指がまわらないからと言って、曲本来の既定速度よりも、ゆっくり演奏すると、音楽はその表情を大きく変え、全くの別物になってしまう事もあります。やはり演奏と言うものは、一般的な演奏速度というものに準拠すべきだし、速い曲はその速さに対応できるように、練習に励まないとマズいなあって思いました。

 譜面立ての高さや位置に気をつけよう レッスンの時は、自分の好みの位置に譜面立てを置いてもOKですが、ステージでは譜面立ては遠慮気味に置き、きちんとお客さんに演奏している姿を見せるべきだと思いました。譜面立てを、あまり演奏者の側に寄せて譜面を見やすい位置に置くと、演奏者が譜面立ての陰になって、客席から演奏者の顔や楽器が見えなくなります。それじゃあ本末転倒でしょう。もちろん、そのためには、当日の譜面はチラ見程度で済むように練習をして、可能なら暗譜をしておかないといけないでしょうね。

 リズムのキレは大切 発表会だから、演奏の上手い下手はあって当然なので、それに関しては言わないけれど、同じように演奏していても、上手いねえ…と思えるのと、ううむ…と思うものの違いって、案外、リズムの切れにあるかもしれないなあって思いました。同じように演奏していても、野暮ったくモッタリしたリズムで演奏しているとカッコ悪いです。それをほんのちょっとだけでもキレよく演奏できれば、だいぶ印象が変わります、そう思いました。リズムって大切なんだよねえ。

 下手なら下手なりに堂々と演奏しよう 発表会って色々な方が出てくるわけで、当然、学習途上のまだまだな初心者さんたちもたくさん出演します。その中には、超絶句技巧を披露してくださる方も大勢いらっしゃいますが、その演奏者が堂々としていると、ミスも微笑ましく見えるものですし、こちらもなぜか優しい気持ちになります。対して、演奏者が自信なさげだと、ミスが痛々しく見えるし、こちらはとっても悲しい気持ちになります。お客さんを不安がらしちゃダメだよね。下手は下手でいいから、堂々と演奏しましょう。

 自信を持って演奏しよう 上の話とも通じますが「あちゃ~」と思うような、超絶句技巧を披露してくださる方の演奏も、よくよく見ていると、私ができないような中級テクニックをサラッとやっていたりします。おそらく、あの方々の平素の演奏は、私なんかよりもずっと上手なんだと思います。あれだけのテクニックが使えるんだから、もっと自信たっぷりで演奏できれば、印象がかなり違うと思います。いわば、ハッタリですが、そのハッタリを上手にかませられると、いい感じで演奏できると思います。ハッタリかますには、まず自信が必要です。自信を持って演奏することって、すごく大切なんだなって思いました。

 緊張も味方にしよう 発表会を見に行って、いつも心配になってハラハラドキドキに思うのが、すごく緊張するタイプの方々の演奏。うわ~、あの人、緊張している…と思うと、客席にいるこっちまで血圧が上がってしまうような気がします。

 緊張の仕方も人によって色々だけれど、緊張の余り、声が出なくなっちゃったり、ガクガクふるえながらヴァイオリン弾いていたり(弓まで震えるので、とても聞き苦しいです)、青ざめた顔でピアノ弾いていたり…、それって緊張のしすぎだし、緊張を敵にまわしてしまっているのだと思います。ステージでは、やらなきゃいけないことが満載なのに、さらに緊張まで敵に廻したら、そりゃあ、撃沈しちゃうよね。緊張はいい感じで味方にしないとね。元気玉じゃないけれど「みんなの元気をオラに分けてくれ~」って気持ちでいかないと、大変な事になると思います…って、それができれば、緊張しないんだよね。

 無駄に動かない 手が不必要にたくさん動く歌手さんは、歌よりも手の動きが気になります。やっぱり、歌っている時の動作は無意味な動きを極力減らさないと…。逆に動きが少ない人は、聞いていて歌に集中できて好感持てます。かく言う私は…無駄に動くタイプです。ああ、反省だあ~。

 ヴァイオリンの弓は不用意に弦の上で止めちゃダメ 弦の上で弓が止まった瞬間に音楽に急ブレーキがかかるものですね。たとえ休符であっても、弓を弦の上で止めてはダメだと思いました。止めるのではなく、弓を弦から離さないと…。
 
 
 メモ的な感想は以上です。

 しかし、フルートで演奏する「リベルタンゴ」って絶品だな。私も演奏してみたいですよ。

 それと、BEEさんのところの発表会の特徴として、声楽というくくりでも、クラシック声楽の人と、ミュージカルの人が混在していた事が興味深いです。そして若い人は、やはりミュージカルをやっている人が多かったです。やはり、若者はオペラよりもミュージカルなのかな?

 オペラとミュージカルって、似ている部分もあるけれど、違う部分も多々あって、特に発声に関しては、マイク使用の有無で、歌い方のテクニックがだいぶ変わってくると思います。本格的なミュージカル発声の人は、滑舌も良くリズムも音程も素晴らしいです。しかし、それらを優先するために、音量はどうしても犠牲になってしまいます。ミュージカルの子たちに、生歌はやっぱりキビシイね。彼女たちにはマイクを使わせてあげたかったですよ。

 でも、さすがは都会ですね。ミュージカル発声をきちんと学べる場があるというのは、素晴らしいなあと思いました。ウチの地元だと、クラシック声楽とカラオケ用のヴォイトレは学べますが、ミュージカルのちゃんとしたレッスンはなかなか難しいです。やはり芸事を学ぶなら、都会に限るんだろうね、特に若い人はドンドン都会で勉強すべきなんだと思います。

 あと、一人で複数の楽器の演奏を披露していた人がいておもしろかったです。私がここの生徒さんだったら、一回の発表会で、歌とフルートとヴァイオリンを同時に披露するわけで…そりゃあ、すっげえ、大変じゃん。

 ああ、ほんと、見ていて楽しい発表会でした。また、チャンスがあったら、見に行っちゃおうっと。

2011年3月 2日 (水)

ハートアタック!

 声楽のレッスンに行ってきましたが…実はちょっとばかり大変でした。

 最近の私は、やれ仕事が忙しいとか、ストレス溜まりまくり~とかグチってましたね。ついに、その手のツケがまわってきたみたいです。

 今回のレッスンは妻と一緒だったので、二人でトボトボと道を歩いておりましたら、なんか急に胸が苦しくなってきました。まさか、恋? 今更、妻に惚れ直して、ドキドキ? …なわけはなく、冷静に自己分析をした結果、これは、たぶん、いわゆる“ハートアタック”ですね。だって、胸が苦しくなるのと同時に、頭痛がし始め、気分も悪くなってきましたからね。恋をして気分が悪くなる…は無いもんなあ(笑)。

 いやあ、実にひさしぶりの“ハートアタック”です。人生、長く生きていると、色々あるものですねえ~。前回は10年くらい前だったかな? あん時は、心臓がバクバクして倒れてしまいました。不整脈って奴だね。今ならAEDのお世話になるところだけれど、当時はそんなモンはなかったので…“奇跡の生還”って奴でしたよ(笑)。

 さて、そういう経験があるためか、今回のハートアタックでは、妙に冷静に対処している自分を、まずは褒めて上げたいです。

 胸が痛み始めた時に思ったこと。それは「とにかく、パニックにならない事」「状況を冷静に判断すること」の二点です。

 ひとまず、無理はせず、道端に避け、電信柱に軽く寄り掛かりながら、自分の状態を確認してみました。…胸は苦しいけれど、手足のしびれはないし、視界も狭くなっていないし、耳もきちんと聞こえる。胸の苦しみも増してくる様子はない。不整脈のような、変な心臓のドキドキもない。妻はすぐそばにいるし、彼女は電話を持っているから、万が一の時は頼りになるな……等々を瞬時に判断して、脳内を高速サーチてしみた結果、どうやら、これは一過性のごく軽度の心筋梗塞になったようだと判断しました。そして、梗塞しちゃった箇所も、梗塞したままではなく、どうやら開通したらしく、痛みもすぐにピークが過ぎ、どうやら回復に向かっているようだと。

 なので、ほんのちょっとだけ、道で休んでいたら、案の定、回復しはじめてきた(よかった、よかった)ので、歩けるようになったところで、再びレッスン会場に向かいました。

 いやあ~、これはきっと、ストレスで血液がドロドロになって、プラークちゃんを作って、それがたまたま心臓の血管内で立ち止まっちゃったんだよなあ…。とりあえず、今回は大事に至らなくって良かった。しかし、仕事に殺される前に、仕事の手を抜かないとなあ…。こんな事でぶっ倒れて、よしんば回復したとしても、マヒでも残ったら大変大変。もう音楽で遊べないじゃん。それは勘弁だな。

 ま、それはともかく、軽い心筋梗塞とか、脳梗塞程度なら、人間、長く生きていれば、誰にでもあることだから、これは仕方のない事です。ま、それをうまくやり過ごすことも、老人力って奴です。

 なんて、ちょっとした事件があったので、レッスン会場についても、軽い痛みやしびれは残っていたので、念のために、いつものような体操やらの準備運動はせずに、大人しく椅子に座って自分の順番を待っていました。

 さて、レッスン開始です。

 軽く発声をしたところで、先生に「コンコーネとアリアとどっちやる? 声的に両方は無理だから、片方だけにしよう」と言われたので、アリアを選びました。だって、やっぱり、アリアをやんないとダメでしょう。

 とりあえず歌ってみましたが、撃沈です。元々、このアリアはまだちゃんと歌えませんが、それにしても、今日はひどすぎる。どれくらいヒドイかと言うと、Asどころか、五線の上端のEsが苦しい(涙)。まるで、本当の初心者に戻ってしまったような感じです。おまけに、一曲歌ったら、頭痛が激しくなってきました。自分で思っているほどには、体調は回復していなかったみたいです。

 あんまりヒドイ出来だったので、体調不良の事は、先生に言えませんでした。だって、言い訳っぽく聞こえるじゃない。そういうところは、ええカッコしいの私です。

 撃沈に関して、先生の見立ては「腹筋が全く動いていない」だそうです。あと「準備運動が足りない」です。はい、両方とも大正解です。

 とりあえず、準備運動として腹筋をやっちゃいました。もちろん、無理のない範囲で。100回くらいやりたかったけれど、たぶん60回くらいで止めました。さすがに体調不良で腹筋やったので、ヘロヘロになりました。ああ、もしかして、私ってマゾ?

 なぜ腹筋運動をやったのか? それは腹筋に血液を集めるためです。腹筋というのは、なかなか動いてくれない筋肉なので、過剰と思えるくらいに準備運動をきちんとして血流をよくしておくことは大切なんです。

 ヘロヘロになったけれど、十分に準備できたので、アリアに再挑戦です。…さっきよりはちょっとマシに歌えたようですが、やっぱり撃沈(汗)。

 今回は、実にダメです。体調が悪いのは事実ですが、よくよく自分のカラダを観察してみると…どうも脱力がうまく出来ていません。悪い意味で“ノドで”歌ってます。その上、かなり無理して声出してます。脱力するべきところが全然脱力できず、力を入れて支えるべきところには力が入らず、ノドを締めつけて歌う…そりゃあ全然ダメですよ。

 体調が悪い時は、悪いなりに自分のカラダを観察する事が大切です。その結果、見えてくるものがありますから。

 力を抜くところは抜き、支えるところはきちん支えないと、全く声なんか出ないって事が、よ~く分かりましたよ。たまには、ハートもアタックされてみるもんですね(嘘)。

 特に五線より上の音は、しっかりお腹で声を支えないと、どうにもなりません。Asはもちろんですが、EsだってFだって同じことです。脱力はしつつも、きちんとお腹で支えないと、本当に声って出ません。もちろん、過剰に力を入れてはいけませんが…。

 つい、先日の歌劇団の練習の時は、しっかり歌えたのに…。体調が悪くて、カラダがちゃんと使えないと、こうまで違うとは!

 さらに言うと、今回はダメなのは、体調の悪さもありますが、すぐに気が抜けちゃうのもあります。やはり、体調が悪いと、集中力が持続しません。ちょっとしか、頑張れません(涙)。

 オペラアリアはなぜ難しいのでしょうか? それは「一瞬足りとも気を抜く箇所がないから」です。なのに、集中力がダメダメなら、歌えるはずはありません。

 私の場合、気を抜いた瞬間に、カラダが“休め!状態”になってしまいます。そうなると、声の支え、息の支えがなくなります。それなのに、無理に声を出そうとすると…声が開いてしてしまいます。声が開いてしまっても、更にムリムリに歌おうとすると……ドンドン姿勢が崩れていきます。特に肩が上がったり、アゴが突き出たり、腰がひん曲がったりします。つまり、気道が曲がりくねってしまいます。声帯もユルユルになってしまいます。

 気道は真っ直ぐでないとね。声帯にも適度の緊張が必要だね。もちろん、声はきちんとカバードして、カラダのスキマはあっちこっち開いておかないとね。その上で、きちんとポジションを守って歌わないと。

 今回のレッスンでは、適切に脱力する事、正しい姿勢を保つ事の大切さを思い知らされました。

 さて蛇足です。テノールのアリアはなぜ難しいか? 実はテノールの曲は、音域もさほど広くないし、技巧的にもフレーズ的にも、他の声種のアリアと比べて、それほど難しいモノではありません。実は、テノールのアリアの難しさは、一にも二にも“発声”の難しいにあります。テノールのアリアには(大袈裟でなく)命ギリギリで声を出していかなければいけない箇所が数カ所かあります。その音が出せるかどうかがテノールアリアの醍醐味です。そういう意味では、テノールのアリアは、スポーツ選手の美技にも相当するものでしょう。もちろん、他の声種のアリアも難しいでしょうが、テノールのアリアの難しさは、そういう意味ではかなり質の違うものかもしれません。

 あ、そうそう。今の私は元気ですよ。相変わらず口内炎には苦しんでますが、心臓の方はもう、平常運転をしていますので、ご心配ご無用でございます。

2011年3月 1日 (火)

昨日の自分に今日は勝つ

 フルートの練習に行ってきました。いやあ、忙しい忙しい。仕事からレッスンへと綱渡りでした。いやあ、間に合ってよかったけれど、事前の指慣らしも何も無しでレッスンに行っちゃいました。

 まずは音出しですね。前回はピッチの事を注意されたので、今回はすご~くピッチに気をつけてみました。最初にフルートを組み立てる時からすでに、少し多めに頭部管を抜いておきました。また演奏スタイルも、アルタスの田中会長の「下手くそなフルート吹きは下を向いて演奏する」という言葉を思い出して、上を見上げながら、耳を開いて吹いてみました。上を見上げながらフルートを吹くと、音曲げの可変領域が増えるような気がします。

 おかげさまで、今回は、ピッチはOKだそうです。その代わり、普段、下を向いて吹いている下手ッピ笛吹きの私は、慣れない吹き方をしたので……音色が総崩れとなりました。いやあ、ピッチを取れば音色がたたず…です、いやあ、下手ッピだなあ(笑)。私は合奏のフルートではなく、独奏のフルートをやっているんだから、音色がボロボロじゃあ、話にならないのに…。

 さて、アルテは15課1章1番「音階準備練習」の(1)だけ合格、後は全滅でした。いやあ、単純に練習が足りないのですよ。

 自宅練習で、音階練習をするじゃないですか。(1)から(4)までの四つのパターンで音階を上下していると、なんか、それだけで満足しちゃって、音階準備練習が終わると「なんか、もういいや、今日のフルートは、ヤメ~!」って気分になっちゃうんですよ。なので、その先のアルペジオ練習もイ短調の練習もミニヨンエチュードも全部、うわのそら…。おまけに、それだけ気合入れている音階準備練習だって、やっているうちに疲れちゃうわ、集中力が欠けて来るわ…。色々と前途多難です。

 そんなわけで、先生はドンドン前に進みたいようですが、私の技量が追いつきません。

 いくら焦っても、できないものはできないんです。できないんだから練習をするんです。練習をすれば、した分だけ、時間がかかるかもしれないけれど、できるようになるんです。できるようになったら、それからようやっと、次に進む。これしかないです。

 アルテ1巻など、さっさと終えてしまう人もいるし、そんな人と比べると、私などは、それこそ亀の歩みのようにトロトロしか前進しません。でも、いいんです。亀な私は、そんなウサキさんたちとは競争していませんから。私が勝負を挑んでいるのは、昨日の自分です。昨日の自分よりも上達していれば、それでOKです。つまり「昨日の自分に今日は勝つ」ですよ。この気持ち一つで、亀は前進するんです!

 と言うわけで、ミニヨンエチュードの1番も、当然、不合格。まだ、十分に指が動いていません。まだまだです。1番は合格していませんが、次の2番の譜読みを始めるように言われました、ラジャーです。

 それにしても、口内炎、痛すぎ(涙)。ちょうど、リッププレートが当たるところが傷になっているのですが、もう、傷口にフルートが貼り付いて、痛い痛い。あんまりクチビルが痛いものだから、歯まで痛くなってきました。で、歯が痛くなると、頭痛までするんですね。たかが、口内炎なのに、なんで頭も歯もクチビルも痛くなるのかと思うと悲しいです。

 口内炎が痛すぎて、第三オクターブなんて、鳴らしたくないですよ(涙)。

 この口内炎、仕事のストレスが原因なんですよ~、いや、ほんと、私、なぜかすごく忙しいんですわ(涙)。仕事が一段落しないと、口内炎も直らないんだろうなあ。ああ、頭痛が首筋にまで広がってきたような気がする(涙)。

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