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  •  ああ、腰が痛い…。またまた、ぎっくり腰をやっちまいました。今回の原因は不明。先日、何となく腰が痛いなあ…と思って、整体に行ったら「ぎっくりですね」と言われちゃいました。ぎっくりと言われる前は何となく痛かった程度だったのに、ぎっくりと言われた途端にめっちゃ腰が痛くなりました。…言霊って、すごいなあ。
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2010年10月の記事

2010年10月31日 (日)

死ぬのって怖くない?[2010年10月第5週・通算39週]

体重:96.6kg[+-0.0kg:-12.3kg]
体脂肪率:28.8%[+0.4%:-4.0%]
BMI:30.5[+-0.0:-4.0]
体脂肪質量:27.8kg[+0.4kg:-9.3kg]
腹囲:95.0cm[+0.5cm:-9.3cm]
     [先週との差:2010年当初との差]

 本日は我が歌劇団のデビュー歌唱です。皆さんがこの記事を読んでいる頃、私は何をしているでしょうか? 今日の演奏の様子などは、水曜日頃にアップする予定ですので、しばらくお待ちください。

 さて、おたびダイエット21週目です。毎週言ってますが、完全に停滞期です。ああ、果たして、これで私は目標を達成できるのでしょうか? ちなみに、目標と言うのは、年内に95Kgを切ることです。それができないと、私は来年の声楽の発表会に出られないかもしれない(涙)。ま、そうなったら、そうなったで、あきらめるしかないけれどね。

 発表会なんてものは、出たくないのに無理やり丸め込まれて(笑)出る人も大勢いるのに、出たくて歌いたくて、でも出ちゃダメってのも、世の中の矛盾というか、まあ、世間なんてそんなもんだよね。

 しかし、あと二カ月で2Kgもやせるのか…。来年の声楽発表会はマジで無理かも。

 さてさて…今週のエッセイです。

 人は誰でも死にます。有史以来、死なずに済んだ人はいません。おそらく、これからも多くの人が死んでいくことでしょう。

 死は悲しいものです。とりわけ、残されたものにとっては、大きな喪失感を伴う悲しみです。ある人の死によって、人生が変わってしまう人もいるでしょう。“変わる”という表現が大袈裟であっても、人は多かれ少なかれ、身近な人の死に影響を受けないわけにはいきません。

 それゆえ、死というのは、残された者にとっても、社会的な意味においても、非常に大きな意味を持つ事件であり、それゆえに、人は死を恐れ、死を忌み嫌うわけです。

 実際、身近な人を失う悲しみは、何ものにも変えがたいほどの、強いストレスであり、避けられるものなら避け続けていたいものです。

 ところで皆さんは、死を迎える当人にとって“死ぬ”と言う事件が、どんなモノなのか、考えたことはありますか? つまり「身近な者の死」ではなく「自分が死ぬ」という事を想像した事はありますか? 死んでしまう、まさにその時の事を、考えた事はありますか?

 今回は「自分の死」について考えてみたいと思います。ただし、あくまで物理的&精神的な死について考えるに留めておきます。本来ならば、死というのは、宗教と結びつけて考えるべきだし、宗教の効用の一つが「死を受け入れる」事であるし、また死後の世界について思いを馳せるのも、宗教分野の話です。ただ、宗教分野の話は、科学的な再現が難しいですし、演繹的あるいは帰納的な思弁も難しく、結局“信じる/信じない”の世界の話になってしまい、それは“信じない”人にとっては、全くの無縁な世界、あるいは理解不能な世界になってしまいます。ですので、宗教分野の話は、稿を改めて書くことにし、今回は、死ぬその時までの話とし、死後の世界の話には踏み込まないことにします。

 さて、話は戻しますが、皆さんは、ご自分の“死”について考えた事はありますか? それとも、考えたことはありませんか? まさか「自分は死なない」なんて考えてますか? まさか??

 私はオッサンです。すでに、身内の人間も身近な友人たちも、何人も亡くしています。死を見送る立場にも何度かなりました。しかし、まだ、私自身は死んでいません。

 当たり前ですね。死んだ人間がブログを書いているわけないですから(笑)。

 でも、そんな私も遠からず、死にます。これは、人としての宿命です。その日が明日なのか、明後日なのか、一週間後なのか、一カ月後なのか、一年後なのか、十年後なのか、二十年後、三十年後、五十年後、百年後…? ま、少なくとも、百年後はないですね。その前に確実に死んでいます。おそらく五十年後だって生きてはいないでしょう。普通に考えて、そんなに長生きできるはずないですからね。

 私の死の原因が、いわゆる自然死であるなら、日本人の平均余命から考えて、残り時間は、せいぜい二十年前後ってところでしょう。良くて三十年ぐらいかな。死因が病死であるなら、ひとまず現在は健康なので、少なくとも一年程度の余命を考えても良いでしょう。死因が事故死ならば、それこそ「明日の命もしれぬ身」ですね。

 つまり、なんであれ、私は、それほど遠くない未来、確実に死にます。

 それを改めて確認した時に「死ぬって、どんな感じだろ」って思いました。事故などで大怪我を負って死ぬなら、怪我の痛みの中で死ぬのでしょう。病気で死ぬなら、病気の苦しみの中で死ぬのでしょう。一方、即死ならば、痛みを感じている時間すらないかもしれません。植物人間になっていたら、自分が死んでしまう事すら気付かないかもしれません。

 純粋に“死”の瞬間を考えてみるならば、それは単に“意識が無くなる事”です。そして、そこで失った意識は二度と戻る事はありません。いわば、精神の死です。人は精神の死を迎えたあと、しばらくの時間をおいて、やがて身体の活動を止めてしまいます。これが肉体の死です。この二つの時間がほとんど同時に起これば“即死”であり、医学的に切り離してしまうと“植物状態”って奴なんだろうと思います。

 私は、私という存在は“精神的な存在”だと思ってます。“私という精神”が“私の肉体”に宿っているのが、今の私だと思ってます。…これはSF的な発想ですが“私という精神”が別の肉体に宿ったとしても、それはきっと“私”だと思います。しかし“私の肉体”に“別の精神”が入り込んだならば、それは私の姿をしているけれど、おそらく“私”ではない、別の人間だろうと考えます。つまり、私の実存は、その肉体ではなく“精神”にあると思います。

 ならば“精神の死”が“私の死”であり、それは“意識を失い、二度と戻らない事”が“私の死”です。
 
 
 実は私、今までに数回、意識を失った事があります。

 私は若い時、熱心に柔道に取り組んでいました。ですから、試合で首を絞められて“落ちた”事など、何度もありますが、あの“落ちる”って、まさに意識を失う事、つまり“意識喪失”そのものですね。もちろん、首を絞められて意識喪失しても、介抱されて、数分後に意識を回復しましたが、もしもあのまま意識が回復しなかったなら、私は絞殺死を迎えていたわけです。

 私には喘息の持病があります。ここ、数年は発作も起こらずに元気一杯ですが、やはり発作が激しかった時期があります。その頃は、喘息の発作がひどくて咳き込むばかりで、息を吸う暇がなく、咳ばかりを連続的に繰り返して、酸欠になって、そのまま意識が遠のいてしまい、気絶してしまった事があります。これもまた意識喪失です。しかし、意識を失って、数分後に不思議と意識を取り戻せたわけですが、これも意識が戻らなければ、窒息死になっていたはずです。

 喘息って、意識があると発作で苦しいのですが、意識がなくなると、喘息発作も治まるんですね、不思議です。

 温泉に入っていた時に、急に気分が悪くなって、そのまま風呂場で倒れて、意識を失った事もあります。これはおそらく、一時的な脳貧血、あるいは軽度の脳梗塞、あるいは心臓マヒや不整脈だったのだと思いますが、血流が回復しなかったなら、そのまま脳に酸素が行き届かずに、酸欠状態となり死んでいた事でしょう。

 その他にも、部分麻酔で手術を受けていたはずなのに、心臓が止まってしまって意識を失ってしまった事がありますし、病院で点滴された薬が合わなくて、気分が悪くなって倒れて意識を失った事もあります。

 ざっと思い出すだけでも、私でも、これくらいの回数は、意識を失ってますね。これらのケースでは、どれも、しばらくしたら、意識が回復してますから、今、こうやって生きていられるわけですが、もしも、あの時に意識を失ったままだったなら、私はすでに死んでいるわけです。

 割と平凡な人生を送っている私ですから、この程度の回数の意識喪失があります。皆さんも、今までの人生の中で、数回程度の意識喪失なら、あるのではありませんか?

 これらの事件(?)を今思い返すと「ああ、私は数回、死の淵にまで行ったんだな。三途の川の手前まで行ったんだな。たまたま、戻ってこれただけで、戻ってこれなければ、死んでいたな」って思います。

 柔道で首を絞められたまま放置されていたら…死んでいます。

 喘息で倒れた時は…カラダにリセットがかかって再起動できたから良かったものの、再起動のスイッチが入らなかったら…死んでいます。

 温泉で倒れた時も、再起動のスイッチが入らなければ…やはり死んでいました。

 病院で倒れた時は…一体、何がどうなったんでしょうね。でも、倒れた場所が病院だったら命拾いしたと言えるかな?

 そう考えると、私って、それらの時に死んでいても、ちっとも不思議じゃないです。いや、私が今、生きて、こうしてブログを書いている事の方が不思議なくらいだし、本来なら、すでに私は“死んでいる人”であってもおかしくないです。

 たまたま“戻ってこられた”から生きているわけで、あのまま意識が戻らなかったら、私はあの時に死んでいました。

 もしも、あの意識喪失の瞬間が私の死の瞬間であったなら……死って、怖くないな……そう思います。だって、意識を失う瞬間って、全然怖くなかったもの。痛くもないし、苦しくもない。何を考える暇もなく、ただ単純に意識が薄れてフェードアウトしていくだけでした。もちろん、その直前までは、苦しかったり痛かったり不安だったりしたんだけれど、実際に意識がフェードアウトするその時は、実に安らかな気分で意識が闇の中に落ちていきました。

 「覚醒(=“精神的な私”がいる状態)」から「意識喪失(=“精神的な私”がそこにいない状態)」に移行するのが“死”なら、それは特に恐れるに足らないものだと、今の私はそう思います。
 
 
 自分が死ぬのは怖くない、むしろ他人が死ぬのを見送る方がよっぽどツライのです。
 
 
 自分が死ぬ事自体は、怖くないにしても、問題は、今回、触れなかった宗教分野の部分ですね。死後の世界の話。こっちの方には、恐れはあります。だから私は「死ぬことは怖くないけれど、死んだあとの事は、ちょっとコワイ」です。

 でも、それでも人はいつか死ぬんです。残された人の事を考えると、自分が死んだ後の事、死んでいく最中の事、しっかり考えて、言い残しておかないといけない事は、しっかりと遺言しておかないといけないなあって思います。

 それと、いずれ死んでしまうなら、今を大事に生きていきたいと思いました。今、出来ることを、常に精一杯やって、死の瞬間に、後悔少なくして死んでいきたいと思いました。

2010年10月30日 (土)

気をつけよう、暗い夜道とインターネット[2010年10月の落ち穂拾い]

 本当は土曜日は、金魚の日ですが、この「落ち穂拾い」をどうしてもウィークデーに入れる事ができませんでした。そこで仕方なしに、土曜日の今日、ここにアップします。金魚記事ファンの皆さん、ごめんなさい。金魚はみんな、元気ですよ。元気すぎて困っているくらいです。その話は、また来週しますね。
 
 
「未完成」は良い録音で聞きたいです

 私が最初に買ったクラシックレコードは、ブルーノ・ワルター指揮、ニューヨークフィルの「運命/未完成」のモノラル盤だったと思います。廉価盤でした。訳も分からずに何度も聞き返したものでした。

 そのワルターで親しんだ「未完成」でしたが、後年、シノーポリのデジタル録音で聞いた時は、びっくりしちゃいました。だって、全然違うんだもの。デジタル録音の「未完成」って、実にキラキラしているんだよ。

 「運命」の方はともかく「未完成」は録音の良いもので聞いた方が良いと思います。というのも「未完成交響曲」って、旋律もそうですが、サウンド自体の色彩が豊かなんですよね。この色彩感覚は良い録音でないと味わえない、もっと言っちゃうと、生演奏の方がもっと良いです。そういう意味では、最近の若い人は良い録音がたくさんありますから、本当に恵まれていると思います。


歌の伴奏って難しいんだと思う

 ピアニストさんって、基本的にソリストだと思います。一人で音楽を考えて、一人で演奏をして、一人で完結させちゃうわけで、そういう意味では、ひとり上手な方が揃っているわけです。だからこそ、アンサンブルの経験が少なかったり、連弾経験をしっかり積み重ねてこなかった人は、伴奏一般が苦手だと思います。

 伴奏なのに、歌とのバランスとか、ブレスの都合とか考えずに、バリバリ弾きまくるピアニストさんと出会った事があります。「もう少し、歌に合わせてよ~」とお願いしたら「私はきちんと楽譜どおりに弾いているんだから、あなたの方こそ、ちゃんと歌いなさい」と言われた事があります。聞く耳持たないって感じでした。

 ちなみに、それはクラシック系の音楽の話ね。あと、歌伴奏だと、ポピュラーソングの伴奏というものあって、これも結構やっかいみたいです。

 合わせモノの経験があっても、ポピュラーソングはクラシック系の音楽とは、ルールがだいぶ違いますから、苦労されているアマチュア・ピアニストさんは、たくさんいるみたいです。

 五線譜に翻訳された楽譜があれば、多少ニュアンスが変わることはあっても、まだなんとかなるみたい(でも、やっぱり歌いづらいです)ですが、「楽譜はありません」とか「メロディ譜しかありません」とか「コード進行表しかないけど…」なんて事になると、お手上げって方は多いです。

 電子オルガン(エレクトーンとかドリマトーンって奴ね)とか、ジャズピアノやロックバンドをやっていた人ならともかく、普通にクラシック系のピアノを勉強しただけでは、ポピュラーソングに太刀打ちするのは無理なんじゃないかな? そういう意味では、ヤマハの音楽教室って、クラシックにもポピュラーにも対応していて、すごいなあって思います。
 
 
C足部管付き? それともH足部管付き?

 フルートには、C足部管付きのものと、H足部管付きのものの、2タイプのものがあります。どちらが良いかは簡単に言えないと思います。

 吹奏楽やオーケストラをやるなら、低音のHは必要となる事もたまにあるので、H足部管付きの方がいいと思います。でも、そうでないなから不要とも言えます。

 H足部管付きだと、音域が半音広がりますから、ちょっと安心ですよね。管長がわずかに伸びるおかげで、音程もC足部管付きのものよりも安定度が増すそうです。音色も若干深い音になるそうです。

 しかし、楽器そのもののお値段が割高になりますし、右手小指の操作が難しくなります。楽器も若干重くなります。何と言っても、C足部管付きの方が軽くて華やかでフルートらしい音色です。

 結局は好みなんでしょうね。実際、プロの方も、C足部管付きの方もいらっしゃれば、H足部管付きの方もいらっしゃいます。もしもH足部管付きの方が楽器として優れているのなら、プロ奏者は全員H足部管付きになっているはずですが、必ずしもそうではありません。C足部管付きを使用しているプロ奏者が大勢いて、その方々がわざわざC足部管付きを選択しているには、それなりの理由や魅力があるんだと思います。

 ちなみに私がお薦めするなら…お財布に余裕があるなら、Eメカ&H足部管付きがいいと思います。これらの機能は後から付け足すことができません。こういうのって、無いと「あったら良かったのになあ…」と思うものですが、有ったからと言って「無い方が良かったなあ…」とは思わないものですから、後悔を避けるという意味で、財布次第ですが、Eメカ&H足部管付きがいいと思います。

 ちなみに、私個人のフルートは、EメカもH足部管もついてません。別に不足は感じてません。そんなもんです。…ただし、アルタスの田中会長のご好意で簡易Eメカ(裏Gisホール?にコルクを張って、ホールの形状を半月状に改造しました。いわゆるニューEメカと同じ)装着済みですけれど(汗)。
 
 
オメデタイ人なのかな? それとも確信犯?

 私が使っているココログに限らず、大抵のブロクでコメントをする際に、名前や、メールアドレス、ブログアドレス、パスワード、画像認証コードなどの入力を要求するものです。もちろん、それぞれのブログ会社の考え方とか、ブログオーナーの意向で、どこまでを必須項目に設定するかは、マチマチです。

 私に言わせれば、その中で、絶対に必須なのは「名前」欄ですね。名前がないと、お返事する時に困りますから(笑)。あと“必須”とまでは言いませんが、あっても良いかなってしぶしぶ認めるのが「画像認証コード」かな? これはうっとおしいので私は好きではありませんが、これがあるとかなりの数のスパムコメントが撃退できます。

 しかし、その他の項目は…迷惑コメント撃退という点では、何の意味もありません。悪意の人は、つまり「他人のブログに来て、あらぬ事を書き立てたり、風評被害を及ばしたり、罵詈雑言をまき散らしたり…」なんて人には、何の効果もありません。これらの入力項目を必須項目にすれば、迷惑コメントが防げる…なんて書いてあるブログを見ると、なんてオメデタイ方なのかしら? って私などは、せせら笑っちゃいます。

 実際、ウチの来ていたカワイソウなネット変質者の人は、毎回、ハンドルネームも違えば、その他の項目も嘘ばっかり入れてましたよ。ま、彼の場合は、ネットの匿名性というのを利用していた“つもり”だったんでしょうね。

 ちなみに、ネットには匿名性なんてありませんよ(笑)。ハンドルネームを取り替え、複数のパソコンを使い分け、アクセスポイントを変えても、すぐに個人が特定できちゃいます。その理由は……教えてあげない(それくらいの事、自力でできる人じゃないと、使えないワザだよってのが、ヒントかな)。

 そうそう、私は特に声を大にして言いたい事があります。これは“警告”です。

 “メールアドレスの入力が必須”のブログには注意した方が良いです。そこは、悪意のブログであるケースが、多いです。…あるいは無知な人のブログかも。…もっと言うと、無知な人を装った悪意のブログかも…。

 念のために書き添えておくと、ポイントは「必須」です。ウチみたいに「任意」のところは、必要がなければ入力しなければいいのですから、これは問題なし、悪質なのは「必須」にして、メールアドレスを入力しないと、コメントが入れられなくなっているブログです。

 それと“メールアドレスを入れる事を薦める人”にも注意。同罪です。同じ穴のムジナです。他人のブログであっても、メールアドレスって、抜く事が可能ですからね。

 さて、ちょっと説明しましょう。

 「名前」は社会に対して「こう呼んでください」という符牒であり、公開される情報だから、これは“公開”でいいんです。「ブログアドレス」は宣伝の意味合いがありますから、これも“公開”でいいんです。“公開”でも良い情報を入力必須にする事には、何の不都合もありません。

 しかし、問題は「メールアドレス」です。これは、本来、必要のある人にだけ伝えれば良い情報であって、本来的に“非公開”情報です。だからこそ、貴重なんでしょうね。

 実は、これ、今に始まった事ではありませんが、メールアドレスって、裏社会で売買の対象になっています。何をしたいのかは知りませんが、特に某国系の方々が熱心に日本人のメールアドレスを収集しているんですよ。「メールアドレス」を入力必須としているブログは、実は某国系の方が運営しているブログで、秘かにメールアドレスを売っぱらっている?可能性が大です。

 心せよ、皆の衆!


「第九」のどこが好きですか?

 ベートーヴェンの第九、皆さんはどの部分が好きですか? 私はやっぱり第四楽章、それもラスト20分間。つまり、バリトンが「ねぇ~、皆さん、そんなメロディーじゃイヤだよね~」って歌い始めるところから。歌の人は、大抵そうでしょ。

 一方、楽器の人は意見が違うことが多いです。「第四楽章もいいけれど、やっぱり第一楽章がいいよね」「第三楽章のあの美しさには、どんな音楽だって敵わないでしょ」「目立たない存在かもしれないけれど、第二楽章って何気にいいんだよね」くらいなら、まだいいです。「第九は三楽章まで。第四楽章は蛇足だね。あれがあるから、あの音楽はぶち壊しなんだよ」と言う人も少なからずいます。やれやれ。

 確かに、第一楽章から第三楽章までの音楽は素晴らしいと思う。思うけれど、でも、それらすべては、第四楽章に入って、ベートーヴェン自身に全部“否定”された音楽でしょ。「ダメダメ、こんなんじゃダメなんだ~」と第四楽章で、ことごとくチェロに否定されています。

 ま、簡単に否定するにはモッタイナイ音楽であることは確かです。特に第三楽章なんて絶品だと思うし、第四楽章で、第三楽章の主題が提示された時に、チェロも即座に否定できなかったくらいだし、ベートーヴェン自身も気に入ったメロディだったんだろうとは思うけれど、結局アレも否定されて、ファイナル・アンサーとして出てくるのが、いわゆる「喜びの歌」って言われる、声楽パートでしょ。

 つまり、第一楽章から第三楽章の部分って、声楽パートにつながる、長大なイントロと言うか、枕詞というか、そういう“前フリ”なんだと思う。決して、第四楽章の前半部までの器楽部分に“蛇足”として声楽パート付け足したものではない、と私は思ってます。

 だだ、楽器の人にそういう風に理解してもらえない部分がある事は、認めます。だって、分量的なバランスが悪いもの。器楽オンリーの部分が一時間弱もあるのに、それに対する声楽部分はたったの20分間。これじゃあ、声楽部分が継子扱いされても仕方がないです。

 でも、あれがたぶんベートーヴェンの限界でしょう。だって、あのたった20分間でベートーヴェンは十分に「やり切って」ますから。あれ以上は書けなかったんだと思う。

 第九は第三楽章まででも、十分に素晴らしい音楽だと思うけれど、第四楽章の声楽部分があるから、単なる素晴らしい作品から、天上へつながる至福の音楽になったのだと思います。

 ま、昔からこの件は「第九論争」の一つで、楽器の人と歌の人で、いつも揉める所です。ああ、こんな事を書いていたら、第九を聞きたくなりました。
 
 
今月のお気に入り

 今月の私のお気に入りは「魚肉ソーセージ」です。別にメーカーのこだわりとか製品へのこだわりとかはありません。ただ、妻がスーパーから買ってくるものを食べているだけですが、これがもう、私の心をワシづかみなんです。もちろん「魚肉ソーセージ」でなくても「お魚ソーセージ」でも「フィッシュ・ソーセージ」でも何でもいいんです。昔ながらの「魚肉ソーセージ」がお気に入りなんです。

 「魚肉ソーセージ」…はっきり言っちゃえば、あれは絶対に、ソーセージなわけありません。あれはソーセージのバッタモン、その正体はカマボコでしょう。塩コショウ味のカマボコ。その塩コショウ味のバッタモンがお気に入りなんです。

 食べ方ですか? それはもう、ビニール剥いて、直接ガブリです。これが実に美味い。カロリーについては分かんないけれど、今の私にとっては「キング・オブ・加工食品」です。ビバ!魚肉ソーセージ! です。

 魚肉ソーセージって、なんとなく、和食って感じがするんだよね。あれって、諸外国に似たようなものがあるのかしら? それとも、やっぱり日本オンリーのものなのかしらね。
 
 
今月の金魚

 大きな事件はありませんでした。
 
 
今月のひとこと

 ちょっと古めのサンマの刺身を食べたら、一時間後には、強烈な腹痛とご対面しました。いやあ、気持ちはボケーとしていても、カラダはキチンと機能しているって事ですね。(2010年9月29~30日)

 両手に荷物を持って階段を下りていた時に、つまずいて、前に向かって転びそうになった。死を覚悟した。(2010年9月30日~10月4日)

 愛用のiPOD(160GB)が死にました。ひとまず、以前使っていた、40GBの白いiPODを引っ張りだしてきてツナギとして使ってます。容量1/4なので、ほとんど曲が入りませんが、無いよりマシなので我慢しています。しかし、今やiPODがないと、音楽の勉強ができない事に気づき、愕然としました。(2010年10月4~7日)

 食後も、ひもじい私です。ああ、お腹一杯、ご飯を食べてみたい…。(2010年10月7~10日)

 ノーベル平和賞の事は、中国国内ではほとんど報道されていないようですね。で、その件について「中国って変でしょ」という論調で日本のマスコミが取り上げております。しかし、そういう日本のマスコミも、先日、渋谷で行われた、尖閣諸島問題に関するデモの件について、海外メディアは派手に取り上げたのに、日本のマスコミはそろってスルーしたわけですよ。そういう意味では、日本のマスコミも、中国共産党並の報道規制を掛けたわけです。つまり「自分たちに都合の悪い事は報道しない」姿勢について、日本のマスコミが中国の事を批判するなんて、おかしいと思います。あんたたち、同じアナのムジナでしょ。(2010年10月10~12日)

 テレビを見ていたら、今日(2010年10月12日)は、サッカーの日本チームが韓国チームとソウルで国際親善試合をやるんだそうな。「宿命の対決、楽しみですね…」とアナウンサーが言っておりました。そうか~? 韓国は数ある対戦国の一つであって、それ以上でもなければ、それ以下でもないんじゃないか? なんて、冷ややかな目で見ていたら、実はそうでもなかったです。いやあ、韓国系のサイトじゃ、今回の試合、すごく盛り上がっているじゃない。そうか、日本から見れば、数ある対戦国の一つでしかない韓国も、韓国側から見れば、日本は「宿命のライバル」であり「アジアの頂上対決」であり「とりあえず潰しておかないといけない国」なんだな~。よく分かりました。…って事は、私が朝、見たテレビは、韓国系メディアだったの? あれ? おっかしいなあ…。ウチのテレビは日本の電波しかキャッチできないはずだけど、いつのまにか韓国の電波がテレビで流れちゃっているみたい。そうそう、私はサッカーに関しては無知だけれど、現在のFIFAランキングでは日本30位、韓国44位なんだってね。へえー、サッカーは日本よりも韓国の方が強いとばかり思ってましたが、それは過去の話みたいだね。最新情報を常に入れておかないと、時代に取り残されちゃうね。【追記】結局、無得点の引き分けだったみたいだね。【追記2】日本の某テレビ局は、この試合を「韓日戦」と呼んだそうですね。お里が知れちゃったよ、おい。(2010年10月12~16日)

 中国各地で反日デモが行われているそうです。その事自体は、まあ、とやかく言うつもりはないし、それをマスコミが伝えるのも当然と言えば当然。しかし、日本各地で行われている反中国デモの報道がされないのは、なぜ。中国や韓国で反日デモが起これば、きちんと報道するのに、日本で行われる、反中国、反韓国、反北朝鮮のデモでも集会でもは、新聞やテレビが握りつぶして、無い事にされて、報道されないのは、なぜ。弱腰外交も問題だが、マスコミの反日姿勢に貫かれた報道にもかなり問題かあると私は思います。(2010年10月16~18日)

 中国で反日デモが盛んに行われているようですね。なんでも「日本で反中国デモが起こるので、それを阻止するための、その対抗策としてのデモ」という報道がされています。まあ、半分ぐらいは本当だろうけれど、半分は嘘でしょ。だって、あそこの国は情報管制が行われているんだから、日本で反中国デモが行われる事なんて、中国の地方都市(今回のデモはほとんど地方都市で発生してます)の若者なんかが知る事などできないでしょう。同じ日本人ですら「え? デモがあったの?」なんて状況なのに。それに、本当に反日デモなら、日本大使館のある北京とか、人出の多い上海万博会場近辺で行われるはずなのに、すべて辺境の地方都市でデモが行われているんでしょ。それも警官も一緒になって(笑)。さらに中国政府もデモを抑えると言うよりも「一部住民の怒りは理解できる」とか言って、デモを支持しているし…。官製デモ、つまり中国政府がやらせているデモなんだろうね。完全に日本、ナメられてるね。脅しをかけて日本のものを、何でもかんでも盗んでやろうという事なんでしょう。しかし、日本人の反中国デモは渋谷で抗議声明を連呼しつつ行進しただけでしょ。別に誰にも危害を加えていないし、損害だって与えていない。対する中国の反日デモは、日系商店を破壊し略奪し危害を加えるという、デモというよりも暴動だよね。デモのやり方一つ知らないなんて、ほんと、中国人って野蛮だし、無教育なんだと思う。ああいう、野蛮人が隣にいるってのが、日本の悲劇だね。(2010年10月18~19日)

 ミクシィニュースのピックアップに「弾けるとカッコ良く見える楽器9パターン」ってのが、掲載されておりました。それによると、ギター、ピアノ、ドラム、ヴァイオリン、チェロ、サックス、トランペット、和太鼓、ターンテーブルの9種類の楽器がカッコいいのだそうです。女子にモテたいなら、この九つのどれかをマスターするといいんでしょうね。…声楽やフルートは、どうやら、モテないらしい(悲)。(2010年10月19~21日)

 インフルエンザの予防接種をした。注射したところが腫れて痛いです(涙)。ちなみに、今年のワクチンはA・B・新型(いわゆる“豚インフル”ね)の全部入りだそうです。そりゃあ、強力だわ。(2010年10月21~24日)

 ヴァイオリンの予備弦(ヴィジョン)を買ったよ。必要なのは低い方の三本なんだけれど、お値段は約6000円。ところが同じ弦をセット(4本)で買うと約4500円。実に不思議な値付けでした。もちろん、セットで買いました(笑)。(2010年10月24~25日)

 胃にかなり強烈な疼痛が…。こ、これは、胃ガンか! 胃潰瘍か! はたまた未知の難病かと勘繰ったものの、おそらく、週末に腹痛を起こすほどに暴飲暴食をしたので、それに胃袋がビックリし、ダメージを受けたものと思えます。しかし、ダイエット中にも関わらず、週末は食べたし飲んだよぉ~。胃袋も痛いけれど、体重計に乗るのがコワイです。(2010年10月25~28日)

 我が歌劇団のデビュー演奏が迫ってきました。もうここまで来たら、焦っても仕方ないです。とにかく、今、心掛ける事は「最後の最後まで、暗譜を徹底する事」「練習を減らして、声を温存しておく事」の二点かな? できれば「睡眠不足を解消しておく事」というのも付け加えたいのだけれど、こっちは無理かな…。(2010年10月28~29日)
 
 
 と、言うわけで、来月もよろしくお願いします。バイなら~。

2010年10月29日 (金)

最近は出しっぱなしです

 …ヴァイオリンの話です。そうなんですよ、私、もう最近は、ヴァイオリンを片づけるをやめました。ミヤマちゃんとカヅノちゃんは、お出かけの時以外は、ずっと部屋に放置されています。まるで、野良楽器のような扱いです。いや、ポケモン的に言えば、ピカチュー的扱いというべきか? とにかく、ヴァイオリンを片づけるのを止めた私です。

 それはなぜか? 別に面倒くさいわけじゃないですし、片づける手間を惜しんでいるわけでもないです。いや、むしろ、本音ではヴァイオリンをきちんと片づけたいです。ちゃんとケースにしまいたいです。だって、いつ何どき、どんな事が起こるか分からないじゃないですか。楽器を部屋に放置していたら、壊れてしまう事だってあるじゃないですか?これから乾燥の季節を迎えますが、おそらく室内はケース内よりもずっと乾燥しているはずですし、危険がいっぱいです。

 カヅノは初心者が持つには高価な弓ですし、ミヤマは世界に一台しかない私が手作りした楽器なんですよ、壊れたら悲しいです。……でも、ヴァイオリン、出しっぱなし(笑)。

 その理由は…ヴァイオリンの練習時間を少しでも確保するためです。いやあ~、とにかく、ヴァイオリンの練習ができないのが悩みなんですよ。

 あっちこっちのヴァイオリンの初心者ブログを読んで分かった事。私はずばぬけて、ヴァイオリンの進歩が遅いという、悲しい現実。私と同じキャリアで、すでにオケでブイブイ言わせている人もいるのに、アタシはスケール練習すらロクにやれない(涙)。で、その原因はと考えてみると…単純に練習時間不足。だって、ブログをやっているような初心者は、皆さん、マジメ。実にいっぱい練習をします。はっきり書いちゃうと、ヴァイオリンの人って、フルートの人よりもストイックなのね。なので、我彼の違いは、練習時間にありと思ったわけなんです。で、練習時間を(ちょっとだけ)増やそうかなって企んだわけです。

 しかし、一応、私、これでもマトモな社会人なので、実は普通に忙しい生活を送ってます。普通に忙しい毎日の中から時間を工面して、月に9回のレッスンと1回のサークル活動と複数回の観劇(映画含む)を行ってます。その上、毎日、歌やフルートの練習時間を捻り出しているわけで、本当にヴァイオリンに時間を裂く暇がありません。

 私の音楽の練習に関しては、優先順位があって、一位が声楽、二位がフルート、三位が歌劇団(だって団長だもん)、四位がヴァイオリンとなっております。つまり、声楽は毎日かかさず、フルートもほぼ毎日、歌劇団はなるべく、ヴァイオリンは時間を見つけて…という感じで練習しています。

 そう、ヴァイオリンは「時間を見つけて」なんですね。なので、時間を見つけないと、練習できません。ぼけーっとしていると、練習しないままに、無為に日々が過ぎてしまうのです。だから、練習時間が少ないんです(涙)。

 ヴァイオリンは基本的に、就寝時刻を遅らせて、睡眠時間を削って練習してますが、やはりそれだと、1回の練習は30分がせいぜい(それも弱音器付き)で、とても十分とは言えません。そこで、たとえ断続的になっても、トータルの練習時間を増やせないものかと思い、空いた時間が5分あったら、その5分間だけでもヴァイオリンを弾いてみよう。そんな、ちょっとした練習でも積み重ねていけば、それなりになるんじゃないですか? その5分を活用するために、ヴァイオリンを出しっぱなしにする事にしました。つまり、ケースにしまってあると、ケースから出して、スタンバイをして、チューニングを確認して…なんてやっているうちに5~10分過ぎてしまいますが、出しっぱなしにすることで、その辺りをショートカットして、ヴァイオリンを手にしたら、いきなり練習しちゃうおうと決めたわけです。え? チューニングはどうするのか? …とりあえず忙しい時は、とりあえず“パス”って事で(笑:だって、毎日弾いていると、そんなに音って狂わないものよ)。

 ヴァイオリンを出しっぱなしにする事で、就寝前の時間は、まとまった時間として、基礎練習を、それ以外の時間(出勤前の5分間とか、帰宅後すぐの10分間とか、歌やフルートの練習の合間とか、ブログをしてて飽きた時とか)は、軽く曲練習をしてみようかと思ってます。

 それに、朝、出勤準備を整えて、ほんの5分だけ、ヴァイオリンを弾いてから出勤するって、これはこれでなかなか精神的にリッチな生活習慣じゃないかなって思えるようになりました。

 ああ、人生が充実しまくっているなあ(笑)。

 おまけ。私の中でのヴァイオリンの位置づけって「フルートの持ち替え楽器」なんです。普通、フルートの持ち替え楽器って、クラシック系だと“ピッコロ”、ジャズ系だと“サクソフォーン”って相場が決まっていますが、そこへヴァイオリンだよ。一体、何系なんだか(笑)。

2010年10月28日 (木)

2010秋・アルタスフルートフェアに行ってきたよ その2 音量豊かにフルートを演奏するためには… 

 アルタスフルートフェアに行った私は、楽器調整をしてくださった職人さんはもちろん、いつもの営業さんや田中会長と、色々なフルート談義をしてきました。今回の記事は、彼らとのおしゃべりの中から、おもしろそうな話のいくつかを私がダイジェストして、まとめたものです。なので、一応、文責は私すとんにあります(ここが肝心な点だよ)。内容的に、もしかするとアルタスの公式見解とは異なる事が書かれているかもしれませんが、そこはご勘弁をというわけで…始めます。


音色作りは狙った部分と偶然にそうなった部分があります

 アルタスフルートは日本製フルートとしては、ちょっと個性的な音色をしたフルートだと思います。で、そのアルタスサウンドとも言うべき、あの音色は狙って作ったのですかと尋ねたところ、狙って作っている部分と、結果として偶然そうなった部分がある…のだそうです。

 狙ったのは“豊かな高次倍音”だそうです。設計の段階で、より豊かな高次倍音が出るように考えて作られたので、それゆえに明るい音色の楽器となっています。しかし、狙ったのは高次倍音だけで、低次倍音については特に考慮しなかったそうです。ただ、豊かな高次倍音がよく出るよう設計したため、低次倍音もそれに伴って、よく出るようになったのではないでしょうか? また、少しでもいい楽器を作ろうと、現場で丁寧に製作しているために、結果として、上も下も豊かな倍音が出て、明るくて深みのある音色になったそうです。


フルートの音色はあくまで奏者次第という部分があります

 そうやって、豊かな倍音が出るように作られたアルタスフルートですが、それはあくまで「出るように作られた」だけであって「誰でも出せるのか」と言うと、そうでもないのが、アルタスフルートのおもしろいところです。

 他のメーカーの楽器だと、誰が吹いても、ある程度の音質・音量が保証されているフルートが(特に廉価モデルでは)大半ですが、アルタスフルートは、そのいずれもが最初から保証されていると、私は思いません。

 私がフルートの調整をしていただいた時間帯って、お店が混雑している時間帯でしたし、今回の調整は丁寧にやっていただき、かなり時間がかかったと言うこともあり(感謝です)、実に多くの人が入れ代わり立ち代わりフルートの試奏をしているのを、聞くともなく聞いてしまいました。

 いや、本当に、アルタスフルートって、演奏する人を選ぶと言うか、演奏する人によって、全然違う楽器になりますね。いやあ、驚いた。

 思わす、うっとり聞きほれてしまうような、それこそ、ヴェルヴェット・ヴォイスとしか言えないような、とろける様な音色で試奏する人もいれば、祭り囃子の和笛のような音の人もいたし、ガラス細工を思わせるような澄んだ音色の人もいたし、安っぽいトランペットのような音で鳴らす人もいたし、濁った響きの壊れた音で吹いている人もしました。実に奏者なりに鳴る楽器なんです。(壊れた大きな音で吹いていた人は、アルタスを絶賛していましたが、ああいう音が好みなんですね。ほんと、人それぞれです)。

 アルタスフルートって、惚れる人はゾッコンに惚れる一方、敬遠したり毛嫌いする人も少なからずいますが、その理由が分かったような気がします。

 ほんと、あれだけ人によって音色が違うなら、アルタスフルートを吹いても、イヤな音色でしか鳴らせない人もいるでしょう。そういう人は、当然ですが、アルタスフルートに対してダメを出すわけで、それくらい、人と楽器との間に、激しい相性があるみたいです。そういう意味では万人向けの楽器ってわけじゃないですし、だからこそ、試奏した方が良いフルートメーカーだと思います(ってか、試奏せずに買うのは危険なメーカーかもしれません)。

 売場では、いくらアルタス関係者が販促に立っていたとしても、相性が合わない人にはアルタスを薦める事はしないのだそうです。ある意味当たり前ですが、正直なモンです。

 でもね。ほんと、相性が合えば、天国のような音色で演奏できるんですよ。しかし、合わないと…ね、こりゃ大変だよ。だからこそ、最初のフルートとしてはどうかと思うものの、二本目のフルートとしては、ぜひトライしてみる価値のある楽器じゃないかなって思います。


音量豊かにフルートを演奏するためには…

 フルートは基本的に小音量楽器です。何をどうやってもラッパや太鼓に音量では勝てません。しかし、そんな小音量楽器であるフルートも、吹き方次第では、吹奏楽などのような大音量楽器に囲まれても、きちんと客席まで音を届かせる事できるわけです。そのためには…。

 1)管体を豊かに鳴らす事
 2)ニュアンスを込めて発音する事 …の二点が大切だそうです。

 大音量楽器の中にいて、しっかりとその音を観客席まで響かせるためには、物理的に大きな音量が必要だと思われがちだし、最終的には、やはり物理的に大きな音量が必要なのだけれど、実は大きな音量を求めるよりも先に、耳に残るような発音を心掛けることで、絶対的な音量は少なくとも、観客の耳に届きやすく、心にも残りやすい演奏になるのだそうです。分かりやすく言えばピッコロがいい例です。あれって物理的にはそれほど大きい音ではありませんが、音色&音域に特徴がありすぎる(笑)ので、人の耳によく届くわけです。人の耳に届きやすい音色で吹けば、結果として音量豊かに聞こえるわけです。

 先の二つのポイントは、物理的な音量を増やすというのではなく、人の耳に届きやすい音を出しましょうという、そんな観点からの注意です。

 「1)管体を豊かに鳴らす事」ですが、これはメトロポリタン歌劇場管弦楽団[世界の一流オーケストラの一つです]の首席フルート奏者のブリヤコフ氏の演奏を聞くと、よく分かるそうですよ。氏の演奏音は、決して大音量ではないそうですが、メトロポリタン歌劇場という、極めて大きな会場の中で、それもオペラ歌手や大合唱団と一緒に合奏しても、氏の演奏は客席によく届きます。それは、氏のフルートの管体がすごくよく鳴り響いているからであります。そして、いかにも“管体が鳴り響いている音”であるからこそ、より観客の耳をそばだてさせるのだそうです。

 そう言えば、どこかのコンクールで、ブリヤコフ氏の演奏を評して「管体を鳴らしすぎ。あれだけのパワーがあるのに、なぜゴールドフルートを使用しないのか」と言った審査員がいたそうですが、その事を思い出しました。しかし、日本人プロは大抵ゴールドを使いますが、あちらのプロ奏者って、案外シルバーを使い続ける人が大勢いらっしゃるんですよね。ブリヤコフ氏も、シルバーにこだわっているのかしら?

 さて閑話休題。あれだけ管体を豊かに鳴らすために、ブリヤコフ氏がたくさんの息を激しくフルートに入れているかと言うと、それは違うのだそうです。適量の息を適切なポイントから適当な速度で楽に入れてあげる事で、フルートはおもしろい具合に振動して鳴るのだそうです。決して、力付くで管体を鳴らしているわけではないそうです。

 いやむしろ、アルタスフルートの場合、息を入れすぎると逆に管体が鳴らなくなるだそうですよ。ですから、大きな音量が欲しい(=管体を豊かに鳴らしたい)時は、むしろ息を少なめに入れ、やさしく吹いてあげるのがコツのようです。力付くじゃあ、むしろ逆効果なんだそうですよ。

 このあたりは、声楽で声量豊かに歌うためのコツと通じるところがあります。声楽でも、大きな声量を求めて、息をたくさん使ったり、ノドをグイっと絞めたり、胸を張ったり、腹に力を入れてググっと歌ったところで、声量は増しません。むしろ、声が荒れて、怒鳴り声のようになるだけで、ちっとも美しくありません。適量な息を適切なポイントを通して歌うことで体内の共鳴腔を最大限に利用して、豊かな声量を確保します。

 フルートと声楽には、共通するテクニックがたくさんありますが、このあたりも同じような感じなんでしょうね。

 もちろん、このやり方がすべてのメーカーのフルートに通用するわけではありません。例えば、ベルリンフィルのパユ氏(ブランネンを使用していますね)は、巧みなブレスコントロールで、物理的に音量を増やす方向で演奏しているそうですが、あの吹き方は、アルタスのフルートだと適切とは言えないのだそうです。なぜなら、ブランネンとアルタスでは、フルートの目指す方向がちょっと違うため、おのずと楽器の特徴と、それを最大限に引き出すためのベストな奏法が違っているからだそうです。

 「2)ニュアンスを込めて発音する事」ですが、これは“棒吹き禁止”と同じ事です。ただ単にピーと吹いた棒吹きの音では、金管楽器の音に埋もれてかき消されてしまうそうです。だからと言って、物理的な音量で金管楽器に勝つことは、フルートでは無理です。そのために、発音、とりたてて、音の出だしの部分に神経を払い、この部分に魂を込めて、ほんの少しのニュアンス(具体的には、適切なタンギングと音程のゆらぎ)を加えてあげる事で、フルートの音が、すぅ~っと立ち上がり、観客の耳にフルートの演奏音がすんなりと届くようになります。これは楽器の性能と言うよりも、奏者の腕前に依存しますが、このほんのちょっとの演奏技術の向上で、フルートの音が観客席に届くなら、積極的に取り組むべき事柄です。

 豊かな音量が欲しければ、強い息を吐き出す練習をするよりも、アンブシュアのコントロールと、タンギングや音曲げの練習を毎日たっぷりやる事の方が大切なんだろうと思います。
 
 
音量と音色は両立しないものではない

 よく「音量と音質は両立しないもので、どちらかを求めると、もう一つは犠牲にならざるを得ないので、あきらめるしかない」という事を言う人がいますし、私もつい最近までは、その言葉を信用していましたが、これは間違いだそうです。単純に「音量と音質の両立は、奏者の腕次第で可能である」というのが正しい答えです。

 これは、上に書いた「管体を豊かに鳴らす事」は、もちろんだけれど、フルートの音を飽和させないギリギリまで息を追い込んで吹き込む事で、音色の良いフルートであっても、かなりの音量が出せます。これを簡単に「音量と音質は両立しない」と言い切っちゃう人は、私も含めて、単に腕前が未熟なだけなんです。

 それゆえに、楽器選びのポイントとして「大きな音が出る楽器」という基準はあまり意味がありません。どんな楽器でも、奏者の腕次第でかなりの音量が出せるからです。

 ここからは、すとんの私見ですが、フルートの中には「腕が悪くても音量が出るように設計された楽器」というのがあります。「音量の大きな楽器」と言うのは、えてしてこの手の楽器の事です。そういう楽器は、往々にして、音量優先で、音色には重きをおかれていませんので、一見「音量と音質は両立しない」と思われがちなのです。そういう事です。

 つまり、管体を豊かに鳴らせないレベルの奏者が、音量重視の楽器を使用すると「音量と音質が両立しない」結果になります。それを回避するためには、まずは奏者の側が変わるべきで、管体を豊かに鳴らせるようにテクニックを磨くことが大切でしょう。そうすれば、楽器を買い換える際には、その選択基準もおのずから変わってくるはです。

 フルート選びのポイントは「その楽器が持っている、素の音色はどんなものか」と「自分がそのフルートからどれだけ美しい音色が出せるのか」の二点に絞って、選ぶべきであって、音量の大きさで選ぶと後悔するかもしれませんよ。
 
 
 おまけ フルートフェア、楽しかったです。行けば、必ず、物心両面で多くのモノが得られます。だから、年中行事化しちゃうんだな。ところで、自分へのお土産として、ガーシュンウィンの歌本、田中千香士さんのご著書「五本の柱」、ヴァイオリンの予備弦(ヴィジョン)を楽器屋さんで買ったよ。これで約一万円。音楽関係のモノは何でも高価だからイケないね。ああ、これで今月の小遣いが、もう残りわずかだよ(涙)。

2010年10月27日 (水)

2010秋・アルタスフルートフェアに行ってきたよ その1 20周年限定モデルを試奏して、オーバーホールについて尋ねました

 今年の秋もアルタスフルートフェアに行ってきました。もはや年中行事だね(笑)。今回のお目当ては当然、20周年記念限定モデルである、LTD1307を試奏することです。

 この限定モデルと通常モデルの違いは、リップ&ライザーが14Kである事。大きさの異なる真鍮のウェイターがついた三種類のヘッドクラウンが付属している事。キーカップとヘッドクラウンに彫刻が施されている事、これらの三点ですね。これらのうち、ヘッドクラウンに関しては試せなかったので、ノーコメントです。彫刻も好き好きなのでノーコメント。なので、リップ&ライザーの14K化に関して書きます。

 私はよく、フルート関係の人に「せめてリップ&ライザーだけでもゴールドのフルートにしなよ」って言われます。私も興味があるのだけれど、これって簡単に試すわけにもいかず、リップ&ライザーをゴールド化した総銀フルートと普通の総銀フルートとゴールドフルートがどう違うのか、知りたくてウズウズしていましたが、この疑問をようやく解決することができました。

 結論を書いちゃうと、ノーマル総銀とリップ&ライザー14Kは、音的には、ほとんど同じ。特に低~中音あたりは、ほぼ一緒。ただし、高音域になると、多少、印象が変わってきます。

 リップ&ライザーをゴールドにしたからと言って、フルートの音色がゴールドになるかというと、そんな事はなく、やはりリップ&ライザーが14Kでも、総銀フルートは総銀フルートの音がします。ただし、高音域になると、あの印象的な銀の音色のリンリンという軽やかな音色が押さえられ、よく言うと“落ちついた音”(悪く言うと“地味な音”)になります。まあ「高音がうるさくない」のです。これは善し悪しではなく、好みの問題かな。

 あと、リップ&ライザーをゴールドにすると、息の入れられる上限が増えると言うか、少々、息を多めにいれても音が天井に届きづらくなります。なので、結果として(ほんのちょっとでしょうが)音量が増します。でも、これくらいかな、リップ&ライザーをゴールドにして得られる事って。

 私は、息を多めに入れたい人だし、シルバーの音色が大好きだし、高音が落ちついた感じになるものキライじゃないので、私的には、リップ&ライザーをゴールドにするというのは、大アリですね。次のフルートを購入する日が来たら、リップ&ライザーのゴールド化は、Eメカ同様に、忘れずにオプションに付け加える事にします。

 ちなみに、ノーマルを吹いた後に限定品を吹いて「おお、変わったな」という印象よりも、限定品を吹いた後に18Kフルートを吹いた方が「おおっ! 変わったな!」と思いました。音色の違いは、ノーマルと限定品の違いよりも、やっぱり、限定品とゴールドの違いの方が全然大きかったです。つまり、ゴールドの音色が欲しければ、リップ&ライザーをゴールド化するなんて小変更よりも、ババ~ンと全部をゴールドにしないと、その違いがよく分からないみたいですね。

 ヘッドクラウンについては試せませんでしたが、お話を聞いた感じでは、三種類のクラウンを差し替える事で、よく響く音域が変わるそうです

 その三種類のヘッドクラウンの違いは、ウェイターが長いものほど頭部管の振動をよく抑えるようになっているそうです。つまり、それだけ息を強く入れる必要があるわけで、強く入れればそれだけ音のエネルギーも強くなるわけで、結果として、音の力強さが変わってくるそうです。あ、ちなみに、この三つのヘッドクラウン、全部重さは同じなんだそうです。違うのは長さだけですって。ちなみに、ノーマルのヘッドクラウンとは質量と材質(ノーマルは全部銀製、限定品はノーマルの銀クラウンに真鍮のウェイターが付いてます)が違うそうですが、具体的にどう違うかを尋ねましたが、それ以上は教えてもらえませんでした。

 一応、LTD1007とノーマル1007も比べてみました。その違いは頭部管の材質で、限定品はブリタニアンシルバーで、ノーマルはスターリングシルバーで作られています。音色がちょっと違いました。とは言え、全身ブリタニアンシルバーで作られている1307とは別物の音で、やはり材質の違いって、音色に与える影響が大きいけれど、ちょっとくらい変えても、よく分かんないなあと思いました。

 限定品は彫刻がキーカップとヘッドクラウンに入ってます。管体に彫刻を入れる事はできますか? と尋ねたら、注文してくれれば、どこにでも彫刻を入れますよって言われました。彫刻の入った工芸品のようなフルートって憧れなんだよなあ…。やっぱ、そういうのって注文品になるんだな。

 試奏を終えたら、アゲハの調整です。また、今回も丁寧にシビアに調整していただきました。感謝です。

 いつもの分解・パッド合わせ・お掃除・組立調整・オイル注入のみならず、今回はフェルトの交換をしていただきました。どこのフェルトを交換したかと言うと、足部管のレバーとキーをつなぐバーに付いている二つのフェルト。このフェルトが経年劣化したので、新品と交換です。

 豆知識。フルートで使われているフェルトには、圧縮フェルトと織りフェルトの二種類のフェルトが使われているそうです。このうち、柔らかい織りフェルトはパッドに、硬い圧縮フェルトはそれ以外の部分に使われているそうです。で、今回取り替えたのは、圧縮フェルトでした。これを交換したら、足部管のレバーをいじっても音がしなくなりました。以前はパカパカ言ってたんですが、これってフェルトが劣化して弾力がなくなってしまったために出る音だったそうです。

 そうそう、春に田中会長のお薦めでつけてもらった、コルク製の簡易Eメカの点検もしてもらいました。まだまだバッチリでした。このコルク製のEメカ(実態はキーホールの一部をコルクで塞いでいるだけ:笑)、なかなかスグレモノですよ。

 そろそろアゲハも3年目なので、オーバーホールは必要ですかと尋ねたところ、まだまだ大丈夫と言われました。

 豆知識2。オーバーホールとは何をやるのか? 本来的には、フルートを分解して、部品単位で隈なく磨き上げて、パッド(タンポ)を交換し、組み立て直す、という作業だそうで、ヨーロッパでは今でもこれが主流なんだそうです(バカンスの前に楽器店に出して、バカンス終了後にピカピカの楽器を受け取るのだそうです)。散々使って古びた楽器を新品状態に戻すのがオーバーホールってわけです。

 ところが日本では、ちょっと様子が違うそうなのです。どこが違うのかと言うと“磨き”の部分。実は日本では、フルートを磨き上げる作業は嫌われがちなのだそうです。ですから、職人さんたちは、必ずオーバーホール前に、フルートをピカピカに磨いて良いかと尋ねるそうです。ほとんどの人が「磨かないでください」って言うそうです。特に管内の黒サビには手を触れないで欲しいという方がほとんどなのだそうです。

 なので、日本ではオーバーホールと言っても、パッドの交換がメインで、後はせいぜい、管体やメカをアルコールやベンジンでお掃除して終わりというパターンが多いのだそうです。ま、私もそうなんだけれど、フルートのサビを育てているフルーティストって、日本には、かなりいるみたいですよ。なので、管体のサビをうっかり落とすと叱られちゃうのだそうです

 …って事は、いつもやっている調整に、パッド交換を加えたら、それでオーバーホール? へえ~、そういう事になるね。だったら、オーバーホールと言わずに「バッド交換」って言えばいいのに、慣習って根強いね。

 とは言え、全員が全員、パッド交換のみで満足するわけでもなく、日本国内で承るオーバーホールに関しては、かなりのオプション設定をして、その作業もきめ細かく、何をやって何をしちゃいけないのか、尋ねてから行うそうです。なので「オーバーホール、詳細については、おまかせで!」と言うのは、日本では、ありえないそうです。

 調整を終えたアゲハは、実にバッチリになりました。特に右手がすごく楽になりました。これで12月の発表会は、楽器のせいにできないぞっと。

 調整の後は、アルタス関係者の方々と色々な話をしましたので、それらについては、また明日アップします。

2010年10月26日 (火)

押しちゃいけない、そこは絶対に引かないと…

 声楽のレッスンに行ってきました。今回は、発声練習もコンコーネも無しで、いきなり「Addio!/さようなら」だけを歌いました。

 注意点は4つ。
 1)テンポ、遅すぎじゃない?
 2)歌詞の“Una Voce”の“Una”は「ウナ」ではなく「オナ」のつもりで発声。
 3)parlatoは「話すように」だけれど、声は前ではなく後ろから出してね。
 4)とにかくAsを出してみよう。

 テンポが遅い理由は、私が先生のピアノを聞いて歌っている上に、ちょっと遠慮している部分があるから、遅くなるんですね。音楽って不思議なもので、相方を聞くと、必ずテンポが遅くなるんです。あと、気持ち的に負けてても遅くなります。ピアノは、歌手に合わせて演奏しているんだから、歌手がピアノに遠慮せずにテンポを決めて、グイグイ歌わないといけないのです。

 なので、今後は遠慮せずに、自分のペースで行かせてもらいます(頑張るよ)。

 “Una”の「ウ」は、私は深い「ウ」じゃないかなって思って、ドイツ語のウムラウト付きの「ウ」のつもりで歌ってましたが、そうではなく、「オ」と「ウ」の中間音のつもりで歌いなさいって事です。ですから、「ウナ」なんだけれど「オナ」のつもりで「ウナ」歌うのが良いらしいです。

 parlatoの部分は、声を休ませるという意味もあって、ミュージカルの語りのような感じで、半分しゃべって歌ってみたのですが、私のやり方では、声が前に移動してしまいます。parlatoは「しゃべる」と言うよりも「言葉を大事にする」というニュアンスで歌った方が良いでしょうとの事だし、たとえしゃべるにしても、声は後ろに置いたままじゃないといけないので、次からは、素直に歌う事にします。

 で、問題はAsなんです(涙)。

 最初にこの曲を歌った時は、楽々と歌えたのに、練習を重ねていくにつれ、どんどん歌えなくなってきてます。普通、練習すると上達するのに、練習するたびにダメになっていくのはなぜ(涙々)!

 それは「ここは歌えなかった」という失敗経験が重なることで、カラダが硬くなり、ますますノドがこわばってくるようになったからです。つまり、失敗しすぎてトラウマになっているんですね。

 なので、今、大切な事は、トラウマを取り除くこと。自分はAsが出るんだと確信を持つこと。そのためには、ノドを脱力して、軽く声を当ててみる事から始めるのです。先生のような朗々とした声でAsを歌う事はまだ無理です。朗々と歌う前に、まずは軽く正しい音程で声を当ててみること。これを経由しないで、いきなり朗々とした声で歌おうとするから、失敗するわけだし、失敗ばかりしていると、いつまでたっても歌えないままだし

 とにかく、トラウマを払拭して、成功経験を積み重ねなければいけません。そのためには…

 A)絶対に声を押さないこと。声は必ず頭の後ろを廻して出すこと。
 B)立派な声を出そうと思わないこと。まずは非力な声でいいから音程重視で。
 C)Asの前までは、絶対に力まないこと。楽に楽に歌い続けて、Asまで体力を温存しておくこと。

 難しいです。とにかく、Asを非力な声でいいから、確実に当てられるようにすること。それが今の私の目標です。そのためには、絶対に声を押してはいけません。むしろ、引かないとダメです。「あ、イケそうだな!」と思っても「声は、絶対に押さずに引く事」が肝心なんだそうな。

 とにかく、たとえ弱々しくてフニャフニャであっても、確実性をもってAsを歌えるようにするのが、現段階での目標です。これが達成できれば、来年あたりから、Asの声に少しずつパワーをつけていく方向で練習をして、最終的にはオペラアリアにつなげていきたいというのが、先生の方針のようです。

 ううむ、こうやって書いてしまうと、簡単そうだけれど、実際はかなり難しいぞ。でも、ガンバルゾ。まずは、取っかかりとして、下を向いて歌う癖をつけないと…(下を向いた方が私の場合は高音が出やすいんです)。

 ところで、高い声を出すためには「声を後ろに回して歌う」とよく言います。少し前までは、この感覚が分かっていたつもりですが、なんか最近、この「声を後ろに回す」感覚が分からなくなりました。ちょうど、ポジションを意識しだした辺りからです。これは迷子になったのが、実は最初に感じていた「声を後ろに回す」感覚が間違っていたのか、そのどちらなのか分かりませんが、とにかく、声って、どうやって後ろに回すんだっけ? って感じです。

2010年10月25日 (月)

「君にはジャズはまだ早いね…」と言われたわけではありませんが…

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 フルートのレッスンに行きました。もちろん、内容は、発表会対策レッスンのポピュラー編です。今回は、「Fly me to the moon」(画像を参照してください。こんな感じの曲です)と「To love you more」の二曲をやる予定でしたが…私が“出来ない子ちゃん”だったため、「Fly me to the moon」の一曲で゜ほぼレッスンは終了になりました。いや、残念。現実はキビシイね。今回の発表会は、かなり厳しいことになりますね、断言できます(笑)。

 結論で言っちゃうと「私にはジャズ[4ビート]は無理」って事。ま、最初から分かっていた事なので、別にどうとも思わないし、無理なら無理で辞めればいいだけの話で、だからジャズを辞める事にしました。そんだけの話。

 なので「Fly me to the moon」をジャズとして演奏するのは、ヤメヤメ。だってね、一拍を三つに分けて、その三番目の音にビートを感じながら演奏するってのは、まだまだ無理なのね。一拍を二つに割って、その二番目の音にビートを感じる(いわゆる“裏”)ですら、ひーひー言っている現状なのに、三つに分けて、その三つ目の音にビートを感じる? そりゃあ、手に余るわけです。どうしても、私の大好物なオンビートになっちゃうわけです。

Photo_5   もちろん、オンビートを回避して、きれいにオフビートで演奏するために、先生と一緒になって、色々な手を使って練習をしてみたのですが、やはり無理なものは無理でございまして、どうひねり出そうとしてもできません。で、今回の断念につながりました。

 じゃあ、代わりに何をやるか…ですが、今更曲を変えるわけにもいかず、「Fly me to the moon」はそのまま変更せず、この曲のリズムを変更して演奏しましょうとなり、そこで、リズムをジャズ[4ビート]ではなく、ボサノヴァでやってみたらどうだろうかと、そういう感じの話をしたところで時間になりました。

 ボサノヴァなら、オンとオフが一曲の中に混ざっているので、私のように、ウラで行っているつもりがいつの間にかオモテになってました~という人でも(本当はダメなんだけれど)まだ許されそうって事で、苦肉の策として、採用です。

 もっとも、私自身は、ボサノヴァとジャズの違いもよく分かっていないので、そんな私にボサノヴァをやらせて、大丈夫なのか、自分事ながら心配だったりします(汗)。と言うか、ジャズで演奏しないと決めた段階で、ボサノヴァでお茶を濁すのではなく、潔く演奏そのものを辞めてもよかったんだけどな…。

Photo_3  とにかく、「Fly me to the moon」はジャズを辞めて、ボサノヴァで演奏する事になりました。ま、どちらにしても楽譜どおりに演奏しない音楽であります。楽譜どおりに演奏しないので、練習で一生懸命、楽譜をさらっても全く意味がないので、とりあえずフルートは横に置いて、ボサノヴァの曲をたくさん聞きましょうという事になりました。要するに「あと一カ月の間に、できるだけボサノヴァのリズムをカラダに入れてください」というのが、私の「Fly me to the moon」の練習となりました。

 それと、今回の発表会で歌い吹きを入れるかどうかで、ちょっと迷っていた私ですが、やるなら、この曲だろうと思っていました。そこで色々と考え、この曲のテーマの再現部で歌ってみるなら、アリだなって思い、先生に「テーマの再現部で歌うのって、どうでしょうか?」と相談しました。歌う前は先生も乗り気でしたが、試しに歌ってみたところ、即座に却下。歌い吹きそのものには、さほど乗り気でなかったので、歌わなくなった事には異存はありませんが、即座に却下という点がちょっと応えました。思いっきり、やる気が失せました(ああ、面倒くせ~奴!<自分)。

 とにかく「Fly me to the moon」をやります。この曲のソロの部分については「やはり書きリブにして、それなりに練習してきた方がいいでしょか?」と先生に相談しましたが、ソロはソロなんだから、自由にやった方が絶対にいいですという先生のアドヴァイスもあったので、ソロ用のフレーズを書き起こす事なく、当日の気分のままに吹くことにしました。つまり、いつもの「セッション乱入パターン(笑)」と同じです。なので、曲自体もソロも練習はしません(笑)。

 まあ、バッハも「To love you more」も、きっちり楽譜どおりに演奏するので、一曲くらい、楽譜から離れた演奏もいいんじゃないの?って事らしいです。

 あ、ソロの演奏に関して、先生から一つ注意を受けたので、忘れないように書いておきます。それは「すとんさん、フルート、吹きすぎ。音の数が多すぎ。もっと、音を減らして、もっと休符を入れて吹くこと。ソロは、ただ吹けばいいのではなく、物語を感じさせるように吹く事が肝心なので、そういう方向で行きましょう」って事です。へへへ。

 とにかく「Fly me to the moon」は、前回のセッションライブ乱入のリベンジのつもりで選曲したのですが、どうもリベンジからは、ほど遠い出来上がりになりそうで、ちょっと残念です。

 レッスンの最後の五分で「To love you more」をやりました。一度通した感じでは、私の書いた譜面に、やはり、いくつかコードがおかしいところがあるような(メロディでは7thが鳴っているのに、コードが7thじゃない、などね。ロック・ギタリスト上がりなので、3コード以外の面倒なコードはあまり使いたくないのよ:笑)ので、先生が次回の練習までに、音源と照らし合わせて、コードのチェックをしてくださる事になりました。ご迷惑をおかけします。

 次回のレッスンは「To love you more」をさらっとやったら、バッハです。このバッハが難物なんですよ。果たして私は発表会当日までに、この曲を止めずに吹けるようになるのでしょうか?[この文章は反語ですよ、念のため]。

 発表会まで、あと約一カ月だと言うのに、未だに止まらずに演奏できないクラシック曲に、楽譜のコードがミスだらけのポピュラーソング、ジャズに至って、明らかに無理なので、この期に及んでの方向転換。これじゃあ、明らかに間に合わないね。下手をすると、一曲も仕上がらなかったりして…。ああ、本来なら仕上げ段階に入っていなければいけない時期なのに、明らかに準備不足じゃん。準備不足のまま、発表会か。去年の二の舞だね。

 …発表会当日、バックレちゃおうかな(一瞬、マジで考えた)。

2010年10月24日 (日)

何事にも先達はあらまほしき事なり[2010年10月第4週・通算38週]

体重:96.6kg[-0.2kg:-12.3kg]
体脂肪率:28.4%[-0.2%:-4.4%]
BMI:30.5[+-0.0:-4.0]
体脂肪質量:27.4kg[-0.3kg:-9.7kg]
腹囲:94.5cm[+0.5cm:-9.8cm]
     [先週との差:2010年当初との差]

 おたびダイエット20週目でございます。カラダはすっかり、おたびに慣れて、体重はちっとも変動しません。実にしっかりと“安定期”に突入でございます。こんなところで安定しなくもいいのに、イジワル~って感じでごわす。

 さて、今日の話は、最初、音楽ネタとして書き始めたのですが、書き上がった段階で「これは音楽とはちょっと違う話になったなあ」と思ったので、こちらのエッセイとしてアップします。

 

 何事にも“きっかけ”というのは必要だと思うし、案内人(先達)というのも必要なのではないかと思います。もちろん、自分の嗅覚を頼りに、おもしろそうなモノを見つけては、ドンドン自力で深めていくタイプの人もいるでしょうが、残念ながら、私は決して、そういうタイプの人間ではなく、案内人の方に丁寧に導かれて、名所旧跡の類の解説をされ、熱弁をふるってもらって、やっと「ああ、そんなに素晴らしいものなのか~」と心が動き、それから自分で動き出せるタイプの人間です。

 ザックリ言っちゃうと「アンテナが低く、それゆえに、他人に影響されやすい」人なのかもしれませんが、でも、そうとばかり言えない側面も持ち合わせています。

 私の場合、周囲に熱心に薦める人がいて、その人から多くの影響を受け、色々と試してみたものの、結局、ハマらなかったモノって、いくつかあります。

 例えば「釣り」「切手」「カメラ」「パチンコ」「鉄道」「車」「酒」「タバコ」「野球」「プロレス」などね。これらは、本当に熱心な人がいて、どれも一時は、その人に付き合って、熱心に取り組んだものの、結局、おもしろさが分からなくて止めちゃいました。これって、ひとまず、なんでも一度は自分の中に入れてみるけれど、入れて咀嚼をしているウチに、飲み込んでいいのもかどうかの判断を無意識にしているのでしょう。つまり、他人に影響されやすいばかりの人じゃないって事でしょ(笑)。

 で、今回は、そういう事を言いたいのではなく、身近に熱心に薦めてくれる人、つまり案内人(先達)って、いかに大切な存在で、私はそういう存在がなければ、何事にも取り組む事ができず、にっちもさっちもいかないって話をしたいと思います。
 
 
 私はたぶん、多趣味な人です。趣味に生きている部分があります。昔風に言うと“道楽者”なのかもしれません。まあ、身は持ち崩してはいませんが(笑)。人生、遊びながら楽しく生きていく人です。

 多趣味とは言え、実は、自分で積極的に飛び込んでいったものって、ほとんどなく、多くは周囲の人間関係の中で、影響され、そこから始めてみて、それで深みにはまったものばかりです。つまり、私の趣味のほとんどは、誰かの影響を受けて始めたものばかりで、そういう意味では、私に趣味の手ほどきをしてくれる人、つまり“案内をする人”がいなければ、趣味にならなかったモノばかりです。

 例えば、私は音楽が趣味ですが、これなんかは、まさにそうです。

 私が子ども時代に過ごしていた家庭には、音楽というものがほとんど存在していませんでした。実は、それは今でもそうです。私は音楽に無関心な家庭に育ちました。なので、中学生くらいまでは、私の音楽のすべては、テレビから流れてくる音楽、つまり「演歌」と「ムード歌謡」と「アイドル・ソング」と「和製フォークソング」だけでした。でも、それでも、結構楽しんでいましたよ。沢田研二とかアグネス・チャンとかが好きな、普通の子でした。

 今では、日本のその手の音楽よりも、圧倒的に洋楽が好きな私ですが、これは中学に入って知り合った友人が洋楽オタクで、特にビートルズオタク(レノン命)だったので、毎日、ポール・マッカートニーの悪口を聞かされているうちに、ビートルズを入り口として、洋楽全般に詳しくなっていったからです。特に、その友人が反面教師となり、その友人が毛嫌いしていたカーペンターズとかアバとかオリビア・ニュートンジョンなどの、スウィートなポップスにハマったものです(当時、私も中学生でしたから、へそ曲がりというか、厨房だったんですね)。あ、もちろん、その友人が薦める、ビートルズとかツェッペリンとかも大好きよん。ま、その友人がいなければ、私はきっと今頃、スナックで演歌を唸るオヤジになっていたと思います。

 中学高校と洋楽漬けになった私ですが、大学に入ると、友人の質もガラっと変わり「音楽と言えば、ロックではなくクラシック」という人々と付き合うようになりました。特に、学生時代に私にしつこく付きまとい、ウザがられながらも「必聴交響曲40選」なんてリストを勝手に作って、私に押しつけ、なおかつ、「あれ(リストの曲)を聞いたか!」としつこく迫ってきた友人のおかげで、私のクラオタとしての基礎は作られたと思ってます。もし、彼が私にクラシック音楽を強力に布教しなければ、きっと私はクラシック音楽とは無縁な人間になっていたと思います。

 就職してまもなく、私のデスクの隣のお姉さんが、いわゆるペラキチ(オペラの熱狂的なファン)で、来る日も来る日もプラシド・ドミンゴ情報(プラシド・ドミンゴは、20世紀のトップテノールの一人です)を教えてくれるし、いかにマリア・カラスは偉大な歌手だったかと熱く語るし、カラスとテバルディとの確執はスゴかったと教えてくれるし、それ以外にも当時のオペラ界の色々なゴシップ話を教えてくれるし、生で聞いたデル・モナコは鳥肌モノだった事とか言うし…そんな一人語りを勝手にしてくれた上に、休日ごとに私を自宅に拉致して、朝から晩まで、何本もオペラのLD(当時はLDが時代の最先端でした)を見せつけてくれました。私の意見も聞かずに(大笑)。

 気がつけば、一緒にオペラを見に行くくらい、私もオペラにハマっちゃいました。そのお姉さんは数年前に天国に行かれましたが、おそらく今は、あっちでパヴァロッティのコンサートに出かけていることでしょう。この人がいなければ、私は、オペラやクラシック声楽の魅力に一生気付かぬまま、年をとって死んでしまった事でしょう。

 私は金魚が好きですが、実は鳥も好きです。これでも、近所の野鳥には、ちょっとだけ詳しいです。これも、嫌がる私を無理やりにバードウォッチに駆り出して、あっちこっちと連れ廻してくれた友人のおかげです。野鳥のことが少し分かると、空を見上げる回数が増えるものです。

 土いじりも好きですよ。農家の友人ができて、自由に使える畑があった頃は、色々な野菜を作ったものです。野菜って、植えれば育つというほど簡単なものじゃなく、色々と面倒くさい部分があるのですが、農家の友人に色々と教えてもらって、色々と実践をしながら学んだものです。春菊の花って、黄色いんですよ。

 いかに案内人が大切かと言うと、これらの洋楽にせよ、クラシック音楽にせよ、オペラにせよ、バードウォッチングにせよ、土いじりにせよ、私はそれまで、それらの世界と無縁に生きてきたわけだし、最初はいい印象を持っていなかったモノだってあったし、大抵が無理やりに巻き込まれて始めたものばかりでしたが、そうやってムリムリに始めたものの、その世界の素晴らしさを味わい、気がつけば、すっかりその世界が好きになっていました。これも、最初に私を案内してくれた人の熱意があってこその話です。

 逆に、私自身に熱意はあったにも関わらず、案内人がいなかったために、ハマれなかったものが、いくつかあります。それは「ハーモニカ」「クラシックギター」「ウクレレ」「油絵」「陶芸」「お琴」「演劇」「自主映画」などです。今でも、これらはやりたくて仕方ないです。実際、一度は始めたものばかりですが、素人の独学だったので、いずれも壁にぶつかり、停滞し、やめざるをえなくなったものばかりです。おそらく、これらだって始めた当初に、熱心な案内人が私のそばにいてくれたら、中断せずに,今頃は私の趣味の一つになっていたのだと思うと、とても残念です。
 
 
 さて、今、その岐路にたたされているのが「ジャズ」です。
 
 
 私は、この年になるまで、ジャズとは無縁に生きてきました。むしろ、ロックから洋楽に入った身としては、若い頃は「ジャズはジジイの音楽」とか言って馬鹿にして、近寄らなかったくらいです。ですから、私の体内にはジャズ要素はかけらもありません。

 私は若い時、音楽趣味の人間は、年を取ると「ジャズ」か「演歌」のどちらかに収斂していくものだと思っていました。そして、私は確かに洋楽好きだけれど、それでも、私は将来、ジャズではなく演歌に行んだろうなあという、おぼろげな予感するくらい、ジャズとは無縁でした。

 ところが、この年になり、ふと気がつくと、演歌からはほど遠いところに立っており、目の前には「ジャズ」と書かれた扉があります。問題は、ここからどうやって、扉の中に入るかが問題なんです。
 
 
 案内人がいないんだよなあ…今回も。

 

 若い時なら、案内人がいなくても、エイヤーと扉を開けて中に入って、つまづいて転んで泣きながら扉から飛び出てきたんです。年を取った今は、色々と学習したので、泣きながら飛び出すくらいなら、いきなり扉の中には入らないで、案内人がやってくるまで待っていようと思うくらいの知恵はあります。

 扉の内側の世界に興味シンシンなんで、案内人がやってくるのが待ちきれないです。

 ジャズと言えば笛先生です。なので、以前、先生に「ジャズって何ですか?」って感じで、ちょっと相談した事があります。その時は「ジャズは理屈じゃないから、聞いているウチに分かるようになります」ってアドヴァイスをいただきました。

 確かにそれって真理であり、真実なんだろうけれど、私にはどうにも当てはまらない答えなんだよね。と言うのも「聞いているウチに…」とおっしゃるのだけれど、私、聞いても分からないから困っているのよね。聞いても楽しくないから悩んでいるのよね。

 ジャズに限らず、音楽の楽しみって、先生がおっしゃるように、聞いているウチに分かるようになるのかもしれないけれど、私の場合、洋楽もクラシックもオペラも、聞いて好きになったわけじゃないんです。その道のオタクたちに導かれて、彼らに熱く布教されて、それで取り込まれて好きになったものばかり。つまり、ちゃんと勉強をして、知識から入っていった人であって、勝手にCDを聞いて、好きになったわけじゃないんです。

 ちなみに、今、私にとって、ジャズって、そんなにおもしろいものではありません。CDだと、まともに1枚聞けません。退屈しちゃうのね(ライブだと逃げられないので、もうちょっと聞きます:笑)。「聞いているうちに好きになる」ものなのかもしれませんが、まずは、その「聞く事ができない」という時点で悩んでいるわけです。「楽しくないから聞けない」「聞けないから分からない」「分からないから楽しくない」「楽しくないから聞けない」。これの繰り返し、負のスパイラルだね。

 案内人が現れないかな。先達が欲しいなあ。どなたかジャズオタクの方に、ジャズの素晴らしさを、語ってもらえないかしら。熱く強く激しくジャズを布教してもらいたいです。

 とにかく、どれくらい聞けないかと言うと、コルトレーンもマイルスもエバンスも、そういう、私でも名前を知っているジャズの巨匠たちの演奏ですら、今の私はロクに聞けません。だって、私の耳には、これらの方々の演奏は、ただ騒がしいだけのモノでしかないもの。なんか調子っぱずれだし、リズムも変だし、何より長くて退屈だし。正直聞いててシンドイです。

 でも、これらが無価値なモノだとは思ってません。分からないながらも、なんか凄そうとは感じます。でも、私には、その楽しさも素晴らしさも、全然分かりません。

 今、私は人生のチャンスなんだと思います。あれほど縁がないだろうと思っていた「ジャズ」という世界につながる扉の前に、今、立っているんですよ。だからこそ、せっかく扉の前に立っているのだから、中に入ってみたい気がするんです。

 だってさー、ジャズをやっている人たちって、みんな、楽しい顔をして演奏している人が多いでしょ(ここがクラシックとは根本的に違う)。聞いている人だって、すごくいい顔をして聞いているでしょ(ここもクラシックとは違うな)。きっとジャズって、演奏するのも鑑賞するのも、楽しいんだろうなあって思います。だから私も、あっちの世界に行きたい気はするんだけれど、なんか行けないんだな。橋が架かっていないんです。

 実はジャズ・フルートも同じ。色々CDを聞いてみたけれど、正直“よく分かんない”。分かんないから楽しくなくて、段々聞かなくなるわけよ。で、聞かなくなると「これは、ヤバい」って感じがして、無理やり、手元にある奴を我慢して聞いてみるんだけれど、どうにもしっくり来ないんだよ。唯一、よく分かって、楽しいのは、イアン・アンダーソンだけど、あれはジャズ・フルートじゃなくてロック・フルートだしね(笑)。

 せっかく、ジャズ・フルートの教室でフルートを習っているわけだし、なんとかジャズ・フルートというものを自分の楽しみにしたいのだけれど、どうにもこうにも馴染めなくて困っています。ジャズ・フルートですから、こんな感じなので、ジャズ・ヴァイオリンに至っては、CDなんて、ほとんど持ってませんし、聞いてません。

 時折、やけになって「何事もお勉強から入るタイプの私にとって、ジャズとは根本的に相容れないのかもしれない」なんて思う事もあります。せっかく、ジャズの扉の前まで来たけれど、勇気ある撤退をして、やっぱり演歌の扉を開けてみようかしらと、思ってしまう時もあります。
 
 
 10年くらい前に、なぜか「サーフィン」がやりたくなった事があります。ほら、我が家から自転車に乗って5分もいけば、海があって、そこでは毎日、誰かしらがサーフィンをやっているんですよ。だから、私も「サーフィンしてみたいなあ、おもしろそうだな、波乗りしたいな…」って思ったわけです。

 でも、この時も案内人がいなくて、立ち止まっていたうちに、なんか情熱が無くなっちゃいました。今は「サーフィンなんて、どうでもいいや」と正直思ってます。「クラシックギター」や「ウクレレ」のように、泣きながら扉から出てきたものは、やめたにもかかわらず、まだその情熱はくすぶっているものですが、扉に入らなかった「サーフィン」はその情熱すら冷めてしまいました。

 果たして、私と「ジャズ」の関係は、どうなるのでしょうか? 「オペラ」との蜜月のようになるか、「ウクレレ」のように投げ出してしまうのか、それとも「サーフィン」のように情熱が冷めてしまうのか。

 ほんと「何事にも先達はあらまほしき事」だね。ほんと、そう思います。どうすれば、ジャズを心の底から楽しめるようになれるのか…いやはやなんとも。

2010年10月23日 (土)

シッポナとブニョ、どっちが早いか

 早いか?と書いてあっても、競争しているわけではありません。どちらが、早く星になってしまいそうか?って事です。

 金魚というか、動物と言うのは、一般的に、死ぬまで元気なものです。ですから、大抵は、コロッと死にます。たぶん、それが幸せなんだろうと思います。転覆病や尾腐れ病で長い間苦しんで死ぬ子は、実にかわいそうだと思います。

 ひとまず、シッポナ(尾びれのない緋ドジョウ)とブニョは元気です。でも、時折、弱ったところを見せるようになりました。

 シッポナは、時折、水面に浮かんでいます。たまに体色が真っ白になっている事もあります。ポンプに吸われている時もあります。無論、大半の時間は普通にしてますので、大きな心配はいらないのかもしれませんが、それでもたまに良くない状況になるようです。心配です。

 ブニョは、時折、引っくり返っています。引っくり返っても、すぐに戻れば問題なのですが、ごくたまに引っくり返ったまま動きません。どうやら、転覆したまま寝ているようなのですが、いい傾向ではないと思います。

 ブニョはエサを食べようと、アタマを真下にして逆立ちをすると、そのまま転覆してしまうようになりました。カラダのバランスがかなり悪いのだろうと思います。意識がしっかりしている時は、正常姿勢を保っていられるようですが、気を緩めて寝ている時は、ダメな事もあるみたいです。

 と言うわけで、この二匹が心配でたまりません。夏の間は、どの子も元気だっただけに、調子の悪い子が出てくると、本当に心配です。

2010年10月22日 (金)

キレの良いリズムを心掛けましょう

 ヴァイオリンのレッスンに行ってきました。

 レッスンの始まりは、基礎練習の確認からです。いやあ、しかし、実に私は進歩が遅いのです。なかなか、基礎の基本が身につきませんね。私と同じ頃にヴァイオリンを始めた方々のブログを拝見する事が多いのですが、年令の差と才能の差を差っ引いても、皆さん、格段に私なんかよりも、進度は早いですね。

 私はギターを弾くので、ヴァイオリンをナメているつもりはありませんが、同じ弦楽器だし、もう少し何とかなるんじゃないかと思っていましたが、そりゃあ実に甘い考えだと今頃気付かされました。いやあ、大変よ。ヴァイオリンって、結構、ムズいわ。

 相変わらず基本の基本である、ボウイングが悪い私でした。今回、教わった対処方法(練習方法?)は「右手の行き先を見ましょう」です。ついつい、弦に対して直角に弓が当たっているかどうかを心配して、目線を駒付近に落としがちですが、それはあまり意味がないそうです。そのあたりの角度って微妙なので、修正のしようがないんです。ですから、右手の行き先を決めるわけです。

 具体的に言えば、ヴァイオリンを構えて、弦に対して直角に弓を弾いたなら、最終的に右手はどの位置になるかを調べて、そこにちょうどいい目標(部屋の柱などで十分)を用意して、練習の時は、その目標に向かって、常に右手が動いていくように心掛けると、ボウイングが弦に対して直角で直線的になって、きれいになるそうです。もちろん、同時に耳も開いて、きれいな音が鳴るように気をつけることも大切です。

 私が普段練習している書斎には柱がないので、本棚の角を柱に見立てて、そこを目標にしてボウイングをする事にしました。

 それ以外にも、「ギャーと言う音を出さない(これは弓を弦の上で滑らせると出ます)」「肩をたっぷり動かす」「派手に大きな動きで演奏する」「音程練習をする時は、全弓を一気に使って、ギュンギュンって感じでやる」などの注意を受けました。

 今回は、新曲の練習は無し。その代わりに、九種類のリズム(「なんちゃってジャズピアノ講座」で教わった奴)を[50くらいのテンポで]メトロノームを使ってやりました。

 このリズムの演奏ですが、ピアノでも難しかったですが、ヴァイオリンでは、さらに難しいです。ピアノって、何だかんだ言っても、やはり打楽器ですよ。歯切れいいです。そこに行くと、ヴァイオリンは弦楽器。ただ単にリズムを譜面どおりに演奏したからと言っても、それじゃあリズムにはなりません。

 いや、それ以前に、楽譜どおりにリズム演奏ができませんが(汗)。

 とにかく、鋭いリズムを奏でる事。そのためには、ヴァイオリンをベターと鳴らすのではなく、歯切れよく弾く事。そのためには「リズムの裏をきちんと感じて、それを表現していく事」「弓の動作的には、初速を極端につける事」です。ブログに書くとわずか1~2行の事ですが、実際にやると、かなり大変でした(汗)。

 あと、音階練習にクロマチック練習を入れるように言われました。その際、指はスライドして移動するように言われました。

 弓の張り方もチェックしてもらいました。私はちょっと、弓の張り方が強め(「これはいわゆる“包丁”だよ」って言われました:汗)なのだそうです。もう少し緩くても良いらしいです。特にジャズ・ヴァイオリニストさんは、クラシックの人と比べて、弓を緩く張る習慣があるそうですから、そっちの方向で行きましょうと言われました。

 前回、宿題に出された「Bye Bye Blackbird」と「When You Wish Upon A Stars」の確認をしました。この二曲がある程度できるようになるまでは、新曲はお預けだそうです。頑張って、復習っていきましょう。ポイントは「正しい音程」と「美しい音色」です。

 とにかく、音程が悪い私なので、四小節ごとに先行して演奏してくださる先生の後について弾いていきます。先生の音を聞いて、音程の感覚を確認しながら、演奏しましょうっわけです。

 しかし、この二曲とも、曲の開始が開放弦から始まるので、最初から弾くならいいのですが、曲の途中から弾き直す時など、開放弦から始まるというわけでもないので、最初の音程がなかなか決まらないです(汗)。やはり、絶対音感っぽい音感がヴァイオリンでは必要なのかな…(なんか、そんな気がしてます)。

 長い音符はできるだけ開放弦ではなく4の指で演奏すること。これは将来ビブラートの練習をする時に必要となるので、今から気をつけること。それと「When You Wish Upon A Stars」に出てくる低いC#は3の指を伸ばして演奏できるけれど、今回は4の指を縮めて演奏すること。これは『C#(4の指を縮めて置く) -> D(開放) -> A(4の指を伸ばして置く)』の練習になるからです。

 Coというコードを習いました。「これは見たことないですが、何ですか?」と尋ねたら、Cdimの事のようです。あまりギター音楽では出てきませんが、内容的には「C、Eb、Gb」です。Cコードの三度と五度が半音ずつ下がるわけですね。別な書き方をすれば、Cm-5って事です。根音から短三度ずつ重ねていくという、どう考えても“不協和音”って奴です。クラシックではまず使わないコードです。でも「When You Wish Upon A Stars」には出てくる(汗)。「ギターではこんなの出ませんよ」と言ったら、このコードは伴奏用のコードではなく、アドリブ用のコードなんだそうです。つまり、伴奏するためなら、このコードではなく別のコード(それこそCm7とかね)を使えばいいのだけれど、カッコいいアドリブを作りたいなら、こういうコードも使えないと…って事なんです。やっかいですね。

 とにかく、毎日ロングトーンをやって、音程感覚を身に付けること。耳を作る事、指の感覚を身に付ける事、まだ私は、この辺りのところで立ち止まっています。しかし、他人と学習速度を比較しても仕方がない事です。私は私、ただ、黙々と前に進むだけなのです。たとえ、その一歩がとても小さな一歩でも、ひとまず前へ進むんです。

2010年10月21日 (木)

あの雲を目指して坂を登っていこう、まだまだウンと先だけど

 歌劇団の練習に行ってきました。今回は…筋トレから。いやあ「合唱の集い」も近いので、今回も筋トレは無しだろうと思っていたのですが、それは甘い考えでした。

 スクワットは、20回を1セット、30回を1セット。腹筋は、20回を3セット。背筋はゆっくりと20回やった直後に、速い速度の奴を10回やりました。「我々オトナの集団にはこれらの運動はキツいので、無理せずにやりましょう」と団員の皆さんには言いましたが、私は団長なので、全部やりました(団長はキツいね)。おかげさまで、その後、数日、筋肉痛で歩行に困難が生じました(ちょっと、だらしない)。

 いつもの“演技しながらの発声練習”の今回のテーマは「仮面舞踏会」でした。影のテーマは「浮気がバレたら、人はどういう行動をする?」って奴です。男役は私を含め2名。一人は既婚者(私)、もう一人は独身(かな?)という設定。仮面舞踏会には、お互い内緒で、私の妻(当然、役なので、リアルな妻ではなく、団員さんです)も参加し、舞踏会でばったり出会ってしまうという設定。もちろん、全編、アドリブです。基本的には、私が女性貴族たちに次々と声をかけてダンスを踊り、最後に妻と知らずに、妻を誘い、妻と踊り、踊っている最中に相手が妻だと気づく、という芝居をしました。

 一回目は、妻と気づいた時に、これはヤバイと離れ、ドギマギしながら、舞踏会場を逃げ出し、残された妻は呆気に取られたまま「もしや、あれはウチのダンナだったのかしら?」と疑心暗鬼で終わるという芝居になりました。

 先生から、女性の誘い方とか、ダンスについてなどのダメ出しがあって「基本的に同じでいいから」と二回目をやりました。

 二回目は、妻と気づいた時に「あなたはもしかして、お前か?」という芝居をし、妻はドギマギとして、私は浮気の現場を押さえたぞと詰め寄ると、妻は取るものもとりあえずに、会場から逃げ出し、私はそれを追いかけて退場するという芝居になりました。

 つまり、この夫婦、両方とも浮気をしているのですが、一回目は男の方に負い目があったけれど、二回目の方は、女に負い目があるという芝居になりました。アドリブでしたが、なかなかおもしろかったです。

 来月は「白雪姫」です。白雪姫と、王子様と、魔女の役などの主要キャストは決まりました。私は…七人のコビトの一人です。コビトと言っても、七人それぞれにキャラがありますので、来月はどんなキャラのコビトをやろうか、ちょっと考えておきます。

 再来月は「ラ・ボエーム」の二幕をやります。やると言っても歌うわけではありません。あの芝居をやるだけです。私は何もやるのかな? ロドルフォ? マルチェッロ? 案外おもしろいのは、ムゼッタを連れてきた金持ちの年寄の役(アルチンドロって言うらしい)かな? 靴を買わされた上に、連中の飲み代を支払ってやるという、損な役回りだけど、芝居的にはおもしろいです。とにかく、再来月は「ラ・ボエーム」なので、それまでに団員の皆さんは「ラ・ボエーム」を見ておくように。

 その後は、真面目に普通の発声練習をして、最初の休憩です。今回は、コンコーネ(合唱版)の練習はありませんでした。なので、来月のコンコーネは、8番と10番って事になります。

 休憩中に、本番当日の動きの説明などをしました。

 休憩後は、ずっと「木綿のハンカチーフ」の練習です。本番まで、もう練習の回数がありません。今回の練習の後は、前日の最終練習があって、その後はもう本番ですからね。いやが上にも気合が入ると言うものです。

 私は今回の練習から楽譜を外してみましたが…いやあ、一瞬でも気が抜けると、落ちます(汗)。ソロなので、落ちたり、トんだりすると、目立ちます。うわー、あと数日しかありませんが、気合を入れて、歌詞も音もきちんとカラダに入れておかないと…。

 私もそうなので、あまり言えないのですが、団全体としては、とにかく、もうじき本番だと言うのに、まだまだダメ出しされちゃう所がたくさんあります。大変です、団員各自に強い自覚が必要かな?

 とにかく、今言える事/できる事は『先生の指揮をしっかり見て歌う』ことです。そのためには、合唱を担当する団員の皆さんは、もちろん楽譜を持って舞台に上がっても良い(もちろん、ソリストである私は不可)のだけれど、先生の指揮をしっかり見るために、音楽そのものは、暗譜をした方が良いかもしれません。楽譜を持っているのだからと言って、暗譜をしないで舞台に上がってしまうと、結局、本番は楽譜にかじりつく事になり、先生の指揮など全然見れません。先生の指揮を見るためにも、完璧でなくても良いので、暗譜を心掛けましょう。特に、合唱経験の少ない団員の方は、指揮を見る事に慣れていませんから、なおさら音楽は暗譜して、集中して指揮を見た方が良いと思います。

 先生の指揮はかなり分かりやすいですし、何と言っても、指揮をしながら、色々と助けてくれます。この先生の援助の手をシカトしちゃうのは、もったいないです。

 お互い、がんばって行きましょう。今回、合唱を担当する方だって、普段は暗譜でソロを歌っているんだから、暗譜なんてチョロイチョロイ…でしょ?

 あと「木綿のハンカチーフ」はポピュラーソングなので、しっかりビートを感じて歌いましょう。団員の皆さんは、普段は、クラシック音楽しか歌わないので、ビート音楽って難しいと思いますが、そこは頑張って、ノリノリで歌っていきましょう。ノリノリで歌えば、アウフタクトだって怖くないです(ノリノリで歌えれば、指揮は見なくてもいいかも[…先生には内緒だよ])。

 もう本番まで、あまり日がありません。あとはもう、歌い込むだけです。団員の皆さんは、アップされた、リハーサルテイクの音源を利用して、ドンドン歌い込んでください。練習は裏切らない…と私は信じてます。

 ご指導いただいているキング先生に、ぜひ“おいしいお酒”を飲んでいただけるように、皆で頑張ろうではありませんか!

 このブログを読んでくださる皆様方へ。 上記にあるように「木綿のハンカチーフ」のリハーサルテイクがアップされています。ネットにアップされてますので、一般の方も、お聴きいただけます(って、隠すのは無理だよね:笑)。こちらにアップされていますが、この音源は鑑賞用でありませんし、これから本番に備えるための反省&練習用の音源です。コメントをお付けくださるのはうれしいのですが、ぜひ、団員の皆さんが「よし、頑張ろう」という気持ちになれるような、前向きなコメントでお願いします。まだ結団して一年にも満たない弱小団体です。メンバーのほとんどは合唱経験がありません。練習は月に1度です。甘えるわけではありませんが、そういう条件の中で作り上げているものである事を、ぜひご理解くださいますようにお願いします。

 なお、男声に関しては、歌っているのは私なので、辛辣なコメントでも歓迎します、ってか、ドンドン、ダメ出しして、凹ませてください。私は凹んだところから、立派に立ち上がってみせます。

 団員の皆さんへ。 ぜひ本番では、この音源以上の素晴らしい演奏をして、ネットの人たちの鼻をあかせてやりましょう。

 それにしても、未完成品の音源をアップするのって、ほんと、心臓に悪いです。絶対に、この音源の演奏よりも、もっと、ちゃんとした演奏を、当日はしてあげるんだから、みんなして、頑張っていきまっしょい!

2010年10月20日 (水)

消音器があるのも、善し悪しですよ

 何の話かと言うと、ヴァイオリンの消音器の事です。

 私は常日頃から「フルートには消音器がなくて残念だ」と書いてきました。だって、消音器があって、音量がすごく小さくなるなら、夜中でも自由に音出し練習ができるじゃないですか! 練習時間に制限がある社会人にとっては、夜中に練習できるかどうかって、結構大切なポイントですからね。

 その点、ヴァイオリンには消音器があります。それもかなり優秀でして、こいつを付けると、普通の住環境なら、本当に深夜であっても、ヴァイオリン弾き放題になります。

 この消音器のおかげで、私は、日々忙しい中、少しずつですが、なんとかヴァイオリンの練習を続けられます。ほら、ちゃんと音を出して良い時間は、声楽やフルートの練習をしないといけませんし、だからこそ、ヴァイオリンと声楽&フルートの練習時間がかぶらなくて、両立できるというものなのです。

 しかし、消音器があるために、夜中に練習するって事は、必然的に“睡眠時間が削られる”事を意味します(涙)。 一回や二回ならば、ともかく、恒常的に睡眠時間を削ると、結構、キますよ…。おまけに、仕事が忙しい時期などは、ヴァイオリンのケースを開ける前に睡魔に襲われたりします。でも、これは最初から分かっていた事なので、仕方ない事ですし、そんな生活であっても、ヴァイオリンが弾ける事を感謝しないといけません。

 問題は、消音器を使っていると、音色の感覚がちょっと??になる事です。

 ミヤマの音色は、私好みで大好きですが、消音器を使うと、とても残念な音色になります。まるで首を絞めてヒーヒー言わせたような悲しい音色になるんですよ。

 消音器を使うと、確かに音量は減らせます。だから、夜中でも練習できます。しかし、音色がとても悲しい事になります。で、そんな悲しい音色の楽器を弾いていると、こっちの心まで悲しくなります。だから、消音器を外しミヤマを弾きたくなりますが、それを夜中にやってはいけません。

 となると、無理して、昼間の時間にヴァイオリンを弾こうとするわけですが、それはやっぱり、どうやってもムリなんですよ。昼間は歌いたいし、笛吹きたい…。ああ、悲しいですね。音色を変化させずに、音量だけを少なくできる、そんな消音器が理想なんですが、少なくともヴァイオリンの消音器には、そういうタイプのものではありません。

 やっぱり、その辺がアコースティックな楽器の限界かな? これが電子楽器なら、ヘッドフォンをつけて演奏すればいいだけの話だから、だいぶ違うよね。さしずめ、ヴァイオリンなら、サイレント・ヴァイオリンを使った練習をすればいいのだろうか? でもギターの経験で言えば、アコースティクとエレキは別物、別楽器なんだよね。楽器の反応速度が全然違うんだよ。だから、エレキギターで練習したからと言って、アコースティックギターが上手になるかって言うと、ちょっと違うと思います。

 なので、サイレント・ヴァイオリンって、アコースティックのヴァイオリンの代用品になるのかって言う点で、私はあまり信用していません。とは言え、テクノロジーって奴は日々進歩しているから、そんな私の心配はすでに過去の物であって、杞憂にしか過ぎないのかも…。

 でも、そのサイレントシリーズシリーズであっても、フルートはラインナップされていない(笑)。やっぱり、フルートは防音室練習しか手がないんだな。かなり残念。

 消音器を使用するかどうかってのは、「音量と音質と、犠牲にするなら、どっち?」って事なんだね。音量の小ささを優先して音質を犠牲にするなら、消音器使用だし、音質の美しさを優先して、音量に関してはあきらめちゃうなら、消音器不使用って事になります。ああ、悩ましい。

2010年10月19日 (火)

高い声で歌うコツを教わりました

 声楽のレッスンに行ってきました。今回のレッスンは「高い声はどうやって出すか、分かりますか」という質問で始まりました。

 それそれそれ~、それが私は知りたいんですよ。で、先生がおっしゃるには「何もしない事が、高い声を出す秘訣なんです」なんだそうです。

 ???ですよね。分かりづらいので、解説します。

 人間、高い声を出そうとすると、カラダの空間がドンドン閉じて狭くなっていくのだそうです。まあ、これは“悲鳴”を想像してみれば分かります。高い声になるほど、カラダの中が狭くなって閉じていくのが、人間の本能なんです。で、カラダが閉じてしまえば、声は当然出なくなる。なので、カラダの本能に逆らって、カラダを閉じないで(つまり、開きっぱなしにすれば)高い声も低い声も自由に出るようになる。それだけの話なんです。

 実に理屈としては、簡単明瞭でございます。問題は、黙っているとカラダは閉じてしまうので「カラダを開く」という感覚で、あっちこっち開いていって、やっと“閉じないでいる”状態を作り出せる…のだそうです。

 だから、高い声を出すには、何もしない(カラダをどこも閉じない)事が大切なんですね。

 という事で、今回はその「高い声をちゃんと出す」練習からです。

 まずは普通に発声練習。当然、高いところに来ると、私の声が変わります。何かを変えてしまうから声が変わるわけです。だから、変わった所をチェックして、そこが変わらないようにして、再チャレンジです。一つを直しても、もう一度やると、今度は別のところが変わります。ですから、それも直して、またチャレンジすると…の繰り返しです。

 いくら直しても「奥が閉じた~」「声を押した~」「鼻腔に響きが入ってな~い」「はい、ノドが閉まった!」「舌が動いたーっ」「口が横に開いた」「声が浅~い」などなど、いやあ、これでもかってくらい、色々と変わるものですね。でも、そうやって、声が変わる要因を一つ一つ丁寧につぶしながら、少しずつ上の音程に登っていくと…今回の練習ではAまで歌えました。今の私は、ちゃんとやれば、Aまで歌えるのだそうです。うーん、うれしいですね。Aが出るというのは、テノールとしての最低条件ですから、その最低条件に手が届き始めたわけで、それは本当にうれしいです。ああ、上達しているなあ…。

 問題は、レッスンなら、先生の指導付きですから、ここまで来れるけれど、自宅では(つまり一人では)ここまでなかなかたどり着かないって事ですね(汗)。

 さらに、今回、このように、細かく発声をチェックしたところ、私の癖の一つが分かりました。それは私の場合“F~F#”の音が鬼門って事です。ここの発声に失敗すると、そこより高い音は全部失敗し、そこがうまく歌えると、そこより上も大丈夫って事です。だから、どんなに高い音があっても“F~F#”に注意していけば、なんとかなるようです。

 …“F~F#”って、チェンジの箇所じゃないの? つまり、チェンジのところで、チェンジしないように歌えば○で、チェンジしちゃうと×なんですね。ああ、なんて分かりやすいんだ。

 さて、コンコーネです。今回は11番。最初に、同じ音程の音が続くところは、歌い直す必要はないので、タイにして歌ってくださいと言われました。ああ、よかった。歌い直すのって、なんか気が乗らなかったんですよね。

 27小節にあるG(この曲の最高音)の注意を受けました。それは「Gは出せばいいってモンじゃない! しっかり鳴らせー!」です。 いやあ、私も進歩しましたよ。ちょっと前まで、Gは出るか出ないかバクチの音だったんですよ。だからどんな声であれ、Gが出ればOKだったのに、それが今では「出せばいいってモンじゃない」って注意なんですよ。同じ注意でも、その内容が全然違う。いやあ、進歩した進歩した。

 で、Gの鳴らし方なんだけれど、結局、その前のF#をしっかり鳴らせば、Gも鳴るので、Gの前のF#をしっかり歌う事が解決方法です。…って、結局、チェンジかい!

 この曲の最低音はDなんだけれど、この音は私にとって、とても歌いづらいので「Dが歌いづらいです」と直訴したところ、今の段階では、この音は歌いづらかったら、歌わなくてもOKって言われました。いや、いずれはこの音もきちんと歌えるようにならないと行けないのだけれど、今の私は、音域の上の方の音を完成させるために頑張っているのだから、低い音はむしろ積極的に捨てていった方が良いというのです。

 つまり「今はハイポジションの練習をしているんだから、ローポジションの声は捨てる」って事です。

 次回は、11番と12番です。

 「Addio!/さようなら」も、色々と指導を受けました。まず、1番と2番は単純な繰り返しではなく、よく似ているけれど、細かく見ると、リズムも音程もかなり違う(気がつかなかった!)ので、その違いを正確に把握しないとダメと言われました。つまり、2番は1番の繰り返しじゃないよって事です。

 この曲は、私は「自然と対話」している曲だと解釈してましたが、どうやら間違いだったようです。この曲は「女に振られた男のふがいない心象風景」って奴のようです。おぉ、こりゃあ、曲の解釈を全面的に切り換えないといけません。うおぅっ、うおぅっ。

 gridareは「叫ぶ」と言うよりも「声を押し殺す」なんだそうです。

 それぞれの節の終わりのAddioの部分は、ゆったりとたっぷりと歌うのですが、それではどうしても声が持ちません。ではどうするかと言うと「無理やり声と息を絞り出してでも持たせる」のだそうです。そのために、声は腹筋をしっかり引っ張って絞り出し、息は背筋を思いっきり引っ張って絞り出すのです。つまり、腹筋と背筋の両方を絞れるだけ絞れ~って話です。

 これ、難しいよ。だって、カラダをちゃんとした良い姿勢にして、しっかり背骨で支えていかないと、腰が砕けてしまい、倒れてしまいますよ。いや、実際に、ちょっとでもバランスを崩したら、腰が抜けて、その場に倒れ込んでしまいそうになりました。背筋と腹筋の両方を限界まで絞って歌うのは、結構、難易度高い技です。

 最高音のAsはその手前のEbの発声を失敗すると、出せません。私はついついEbの時に口を横に開いて失敗してしまいます。ここでは、しっかりと耐えて、Asは声が引っくり返ってもいいという覚悟で、奥を思いっきり開いて歌うのです。うわあ、難しいです。

 これから、感情表現に取りかかっていくわけだけれど、その前に徹底的に発声にこだわって練習するように言われました。とにかく、一にも二にも発声に注意すること。感情表現はその次に来るものだそうです。特に2番は、考え無しに歌ってしまうと、今の私では、最後までたどり着かない恐れもあります。それくらい、レベルが高い歌です。

 それにしても「Addio!/さようなら」って曲、今まで歌ってきた曲とは、桁違いに難しいような気がします…。先生に「この曲、難しいです」と直訴したら「私は一度もこの曲を“簡単だ”なんて言った覚えはないよ」と言われました。道理で手ごわいはずです。

2010年10月18日 (月)

とりあえず、スラー!

 フルートのレッスンに行ってきました。今回は、発表会に向けて、バッハの「シチリアーノ」を見てもらいました。現在の進捗状況は…標準的な速度での演奏は、まだまだ無理。かなり速度を落として、それでも時折、落ちる…ってところです。

 色々と欠点はあるのだけれど、とりあえず「スラーをつけましょう」と言われました。いえ、先生、これでも目一杯スラーを付けているんですけれど…(汗)。

 どうやら、私のスラーは、先生の耳にはスラーには聞こえないようです。ああ…。先生が模範演奏をしてくださいます。で、私はその通りにやっているつもりなんですが…そうには聞こえないそうです。つまり、私の頭の中にある音楽と、私が実際に奏でる音楽が違う、とまあ、そういうわけなんですね。

 オトナのスロースターターには、よくあることだね。理想と現実のギャップってわけです。あるいは、思いだけが先走って技術が追いつかないってか?

 私はちゃんとやっているつもりだけれど、どうもそうではないらしいです。曰く、スラーをやっているつもりでも、無意識にスラーがスラーでなくなっているのだそうです。細かく指摘を受けて、チェックしてみると…確かにスラーに聞こえない部分は、ほとんど無意識に近いのですが、私は発音を立て直していますね…。つまり、スラーをしながら、ところどころフルートの発音を立て直し、そのため、その立て直した瞬間に音がちょいと区切れ、それがあたかもタンギングのように聞こえ、スラーが崩壊する…というわけでした。

 無意識でやっている事を意識下に置いて、なおかつ、それを修正しないといけないとは…結構、ハードル高いじゃん(涙)。でも、そういう事なんです。

 とりあえず、スラー! スラー! スラー! です。スラーの最中は音の立て直しをしないこと。絶対に、アンブシュアもアパチュアも口腔内の広さも高さも絶対に変えずに、息だけを流し続けて、エイヤーと一気に吹くんでゴワス。それが出来なきゃ、クラシック・フルートにはならないのだそうです。

 ああ、やっぱ、クラシックはムズいね。でも、いい勉強だ。この年になって、自分が出来ない事を見つめて、そこをグイグイやるのも、なかなかに自虐っぽくて良いね。

 さて、スラーはじっくり家庭学習をする事にして、その他にも、当然ですが、注意受けましたよ。

 まず「なるべく早く標準的な速度で演奏できるようにしましょう」 とにかく、今の私のテンポはかなり遅いです。私的にはこの遅い速度が大変気に入ってますが、こんな遅いバッハは…ないだろうね(汗)。それと、発表会ではピアノ伴奏が付くんだけれど、あんまり遅いとピアニストさんにご迷惑をかけちゃうでしょ(ピアノって基本的に、速い曲や楽譜が黒い曲は良いけれど、遅い曲や白い曲って大変なんだよね)。そんなこんなで、もう少し速い速度で吹けるように…標準的な速度でOKなので…頑張ります。ただ、あまり速度にこだわると、音色が壊れるので、私の場合は要注意なんです。

 もっとも、速くても遅くても、指が回らない事実に変わりはないのだけれど(大汗)。

 それと「フルートを下げないこと」と言われました。フレーズの最後に、気を抜くせいか、フレーズが終わると、フルートの足部管の方がスーッと下がる癖があるようですが、フルートの足部管を下げると、フルートの音程が下がってしまうので、フレーズの最後の最後まで、しっかりフルートを持って、絶対に下げないようにしましょうとの事です。

 とりあえず、今回は、そんなところでしょうか? とにかく、スラーですね、スラー。

 次回はバッハはお休みで、「To love you more」と「Fly me to the moon」をやります。先日作った「To love you more」の譜面は先生に渡しましたので、次回のレッスンの時に楽譜のチェックをしていただきます。「Fly me to the moon」はちょっと趣向を凝らすかもしれませんので、その準備をしておかないと。

 しかし、もう10月も半ばだよ。発表会は12月の頭なんだけれど、あたしゃ、間に合うんかい? 自信ないよ。

蛇足。ああ、今年は地元の第九に出演しない事にして正解でした。と言うのも、今年は地元の第九演奏会の日と、フルートの発表会がモロかぶりなんですよ。第九に出演する事に決めてたら、フルートの発表会に出られませんでした。そりゃあ、残念ですよ。コーラスボーイの一人として第九に参加するよりも、発表会で、ソロを三曲やる方が楽しいもの。ああ、よかった、第九を歌わない事にして(ほっ…)。

蛇足2。フルート吹いてもムセる。フルートもムセ期に入ったか! 良い音を出そうとすると、ムセるんだから、こりゃあ仕方ないね。

2010年10月17日 (日)

楽観主義のすすめ[2010年10月第3週・通算37週]

体重:96.8kg[+0.1kg:-12.1kg]
体脂肪率:28.6%[-0.5%:-4.2%]
BMI:30.5[+0.1:-4.0]
体脂肪質量:27.7kg[-0.3kg:-9.4kg]
腹囲:94.0cm[-0.2cm:-10.3cm]
     [先週との差:2010年当初との差]

 おたびダイエット19週目です。しっかし、見事にダイエットは停滞期突入ですね(汗)。こういう時にドタバタすると、ヘマをするので、今はただ、黙って耐え忍ぶ…そんな時期なんだろうと思いますが、ひもじい思いをしている割に、体重が減らないので、なんかイラッと来ますね、正直な話。

 さて、今週のエッセイです。

 フランスの哲学者であるアランさんは「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」と、その「幸福論」の中で述べました。いい言葉ですね。

 私は子どもの頃、悲観主義でした。「どうせダメだから」「やるだけムダ」「良い事をしても誰も見ていないし、頑張っても誰も誉めてくれないけれど、失敗したら怒られるし、ヘマをしたら叱られるだけ」とか、いつも思ってました。貧しい家に育ったし、家庭環境もかなり不幸な状況だったし、下層階級出身だし(笑)。だいたい、地域に住んでいる周りのオトナたちが、みんなイジケて、どんよりしていたので、そういう気分が子どもの私にも伝染ったんでしょうね。貧乏人が集まって生活している地域にも、色々なレベルの地域がありますが、私のところは、そんな感じで活気があまりありませんでしね。だから、私は年端もいかないうちから、筋金入りの悲観主義者になりました。

 そんな生い立ちだったから、自分に自信がなかったです。世の中を信用していませんでした。オトナをあてにしていませんでした。口を開けば、不平不満ばかりを言ってました。

 悲観主義。世の中に背を向け、世の中を恨み、いつでも「なんで自分だけが…」と不平不満を心にためて、いじけて生きる、そういうライフスタイルです。人生は失敗の連続だと思っていたし、この世に一つだって良いことなんて無いと思ってたし、自分たちばかりが不幸だと信じていました。だからと言って、何か新しいことを始めるでもなく、かと言って、現状に満足しているわけではなく、いつも他人をうらやみ、自分と家族と社会を呪ってました。

 ああ、今思えば、実に悲しい生き方ですね。中学生の頃までは、私も私の周辺のオトナたちも、地域ぐるみで、そんな感じでした。だから、貧しい人間はいつまでも貧しいんだと思います。

 そんな私の世界が変わり始めたのは、高校に入ってから。親は中卒で働けと強要していましたが、なんかそれがイヤで、親に逆らって、意地になって勉強して、高校に無理やり進学(当然、親のサポートは無し)したら、世界が変わりました。

 私が進学した先は、地元の進学校(とは言え、私の住んでいる地区とは全然別の山手方面)だったので、そこにいた学友たちは、私の中学校までの取り巻きとは全然違いました。実際、私の通っていた中学校から、その高校に入ったのは、私ともう一人だけでしたし(って、如何に私が勉強大嫌い中学校の出身か分かるものです:笑)。なんかもう、世界が違うんですよね。明らかに、私が進学した高校は、お金持ちや地元の名士の子弟たちが通う学校だったんですよ。

 いいトコの坊ちゃんたちは、違いましたね。何が違うって、何事も“屈託がない”し“自然体”なんだね。とにかく、人生に余裕があるって感じ。彼らは目つきが違う、とにかく優しい眼差しなんですよ。つまり、品がいいんだ。何事にも余裕があって、ガツガツしていない。

 そういう世界って、私にとっては始めてでしたね。ってか、そんな世界があるんだね~と驚きでした。まるで、外国に行っちゃった感じでした。ま、実際、地元のプチセレブの世界に留学していたようなものだったんだけどね。

 彼らに共通していたのが「とにかくやってみようか」「きっとどうにかなるよ」「心配ないよ」などの肯定的セリフでした。それまで否定的世界に住んでいた私にとって「何事も肯定する」「ひとまず現状を受け入れる」「未来に対して気楽に考える」というのは始めての経験でした。それは彼らだけでなく、学校全体がそんな雰囲気だったし、彼らの家に遊びに行くと、彼らのご両親や取り巻きの人たちも、そんな感じの人ばかりだった。あれが“幸せな生活”って奴だったんだと思う。

 自分の生活している地域から離れて、別の地域の高校に入って、いわば“異文化”の中に入れられて揉まれて成長しました。良い経験だった思います。そこで私は頑張って、次のステップである、大学に進学したら、そこはもっと優しい世界でした。なにしろ、私を取り囲むお坊ちゃんのランクが確実にグレードアップしてましたからね。金持ちに囲まれた苦学生という立場は、楽しくもあり、悔しくもありましたが、こればかりは仕方がないです。生まれた地域にしがみついて生活していたら、知ることのできなかった世界を垣間見れたおかげで、人生の幅が広がりましたね~。

 いやあ、日本にも、階級というのがあるんだなあと肌で感じたものです。

 それはともかく、友人の影響は強いと言うか、朱に交われば赤くなるというか…。そういうガツガツしていな人たちと付き合っているうちに、私も、いつの間にか、世の中に対する不平不満を、私は口にしなくなりました。世界を肯定的に見ることができるようになりました。彼らのようなに、現実を肯定し、未来を気楽に考えるやり方を身に付けていきました。世の中を、オトナを、家族を恨むのをやめました。社会に背を向けるのではなく、正面から見つめて、現実を受け入れて、その上で、自分は今、何ができるのかを考えるようになりました。いわば、悲観主義者から、楽観主義者へと、宗旨がえをしたわけです。

 そうすると、不思議な事に、世界が輝いて見えるようになりました。
 
 
 私の子ども時代は、実際、不幸だったんだと思います。私を取り巻く状況も不幸だったと思うけれど、何よりも私の心が不幸な状態だったと思います。

 でも、学生時代に、自分とはまるっきり違う世界で暮らす人々と接して、私も少しずつ色々と変わっていきました。学生生活を終える頃には、私は自分の人生がマズマズ幸せであると感じられるようになっていました。

 だからと言って、私の生活が劇的に変わったわけではないんです。ただ、私が私の人生を不幸と感じるか、それとも幸せと感じるか、その感じ方が変わっただけです。感じ方が変わっただけで、決して、金銭的に恵まれる事は、相変わらず、無かったし、誰かを打ち負かして勝ち得たもののおかげで幸せになれたというわけでもありません。冷徹な目で見れば、私の人生は、物質的には、そんなに大きく変わっていないと思います。

 でも“現状を否定しながら生きていく”の止め、“現状を受け入れて、未来を気軽に考えて生きていく”生き方に、自然と変わっていった事で、私は、私の人生を幸せであると感じられるようになったのだと思います。

 そしてオトナになって、アランの「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」と言う言葉と出会って、ああ、そうだったんだ。まさに、そうなんだ、と思い至ったのでした。

 私の経験から言えば、たぶん不幸って、現実を表現している言葉ではないんだと思います。不幸って“気持ちの問題”つまり“気分”って奴で「何となくそんな満たされていないような気がする事」なんだと思います。根拠のない欠如感、原因の分からない閉塞感、そんなはっきりしないマイナスの感情が溜まっていって不幸の雰囲気を作り出し、不幸の雰囲気が、いつしか人々の心を蝕み、本当の不幸に突き落とすのだと思います。

 その証拠に、端から見ていて、何不自由のない生活をしているような人でも、心が病んで、不幸の雰囲気を醸し出している人は、やがて生活も転落して、本当に不幸に身をやつすものですが…そんなケース、あまりにありすぎて、今や、ドラマのネタにもなりゃしないでしょ。

 そして、私が思うに、おそらく、幸せも“気分”の問題なのかもしれません。

 不幸も幸せも“気分”の問題なら、気分をちゃんと保って、みんなで幸せになっちゃえば、いいんじゃないの? ね、そう思いませんか?
 
 
 では、どうやって幸せになればいいのか、それはそんなに難しい事ではないと思います。それはおそらく…

 「恨む」「妬む」「ひがむ」「不平を言う」「あきらめる」などのマイナス方向の思考をやめ、「現状を受け入れる」「気軽に考える」「期待する」「前向きに考える」などのプラス方向の思考を積極的にしていく。

 これだけで、幸せになれるのだと、今の私は考えます。つまり、アランの「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」という言葉を実践することで、人生が楽観的になり、幸せになっていくのだと思います。
 
 
 今、多くの日本人たちは、自分たちを幸せだと感じているでしょうか? それとも不幸だと感じているでしょうか? 物質的には豊かな生活を送っている人が大半だと思いますが、その物質的な豊かさに相当するほどの、幸せを感じているのでしょうか?

 もしも、そうでないなら、それは何かが足りないからだと思いますが、私は「楽観主義」が足りないのではないかと思います。

 今、日本に住んでいる大半の人にとって「明日はどうにかなる」ものでしょ。衣食住の心配など夢にもしていない人ばかりでしょ。例え、困難が待ち受けていても、それで殺されてしまうような状況って、まずないでしょ。「待てば海路の日よりあり」じゃないけれど、毎日の生活なんて「きっとどうにかなる」ものです。だから、いちいち心配しても仕方ないじゃないですか。

 毎日を明るい気分で生活しましょう。歌いましょう。踊りましょう。親しい友人とお茶を飲みながら馬鹿話をしましょう。明るい散歩道を歩きましょう。大きな声でお腹の底から笑ってみましょう。熱中できるナニカを見つけて、一心不乱に取り組んでみましょう。

 私たちはもっと楽観的に生きられるはずです。それができれば、私たちは、幸せになります。そしてそれは、そんなに難しい事ではないはずです。

 今の日本を覆い尽くしている不況って、気分から生まれたものではないかと私は思ってます。気分から生まれ、それがやがて実体化したもの、それが今の不況。つまり、この不況と言うのは、悲観主義の産物…じゃないでしょうか?

 だからこそ、一人一人が楽観的になる事で、このヒドイ状況がきっと克服できると思います。個人の幸せが、家族の幸せや社会の幸せ、国家の幸せ、ひいては世界の幸せにつながっていくと思います。

 楽観主義で行きましょう。ぜひ、行きましょう。

2010年10月16日 (土)

生意気なトート

 前回、スジエビのトートがエサをねだる話をアップしましたが、そのトートの活動が、ますます目に余るようになってきました。それはどういう事かと言うと、「スジエビのくせに生意気」って感じなんです。

 私は金魚を飼いながら、常に同時に水生小動物も飼ってきました。具体的に言えば、貝類やドジョウやエビたちです。今までだって、何匹もエビは飼ってきました。もちろん、スジエビだって、何匹も飼ってきました。

 その経験で言えば、エビ類と言うのは、実にペットとしての自覚のない奴らです。彼らは人間とは基本的に不干渉な関係にあります。こちらだって、彼らにはペットとしての仕事は期待せず、水槽の掃除屋さんとしての働きくらいしか期待してません。そういう、お互いの不干渉が、この世のルールだったはずです。

 ところがトートは違うんですよ。トートは人間と関わろうとするんですよ、生意気でしょ。

 人が水槽をのぞき込むと、最近では、真っ先にやってくるのがトートです。下手くそな泳ぎでスーっとやってきて、何やら不思議な、トートダンスを披露してくれます。それから、金魚たち(サクラ・スズネ・チグサの若い三匹ですが)がやってきて「エサくれ、エサくれ」ってやるんですね。

 普通、エビって、人の目を気にして、人の目を避けるように生活するものなんですよ。人の前で、ダンスを披露するエビって何?

 エサを水槽に入れると、誰よりも先にエサ場にやってくるのもトートです。そして、暴力的な金魚たちの中に混じって、しっかりエサをゲットしていきます。絶対に、あの態度は、金魚たちを歯牙にもかけていないというか、馬鹿にしていますね。なにしろ、平気で金魚たちの口の真ん前を素通りしますからね。普通のエビなら、食べられることを恐れて、絶対に金魚の口の前なんか通りません。トートは「オレ様を食べれるものなら、食べてみやがれ! 逆にこっちが、お前さんを食べちまうぞ!」って感じです。

 食事の時間以外でも、最近のトートの指定席は、エサ場付近なんです。いつでもエサ入れカモーン状態なんですよ。全然、人目も避けなければ、金魚も恐れていません。

 水槽の真中で、堂々と脱皮をして、ガンガン大きくなっていきます。ほんと、まるで怪獣ですよ、この子。

 エビなんて、水槽の掃除屋さんで、苔類を食べてもらうために水槽にいるんですが、トートがその手のものを食べている姿を見たことありません。彼が食するものは、金魚やドジョウそのものと、金魚のエサだけ。、

 ちなみに、トートの好物は、エビのすり身です。エビのすり身で作ったエサを入れると、狂ったように喜んで食べますもの…共食いって蜜の味なのかしら?

2010年10月15日 (金)

アマチュア演奏家の皆さんは注意しましょう

 芸術の秋と言うことで、アマチュア音楽家の方の演奏会とか発表会とかに、フラ~と行くことが多いです。ま、自分の事はさておき、観客として、アマチュアの方々の演奏を見た時に感じた事を書いてみたいと思います。もちろん、自戒の念を込めて書きますが、同時に自分のことは棚上げしておりますので「お前はどうなんだ!」という突っ込みは、一応、NGワードって事で、よ・ろ・し・く(汗)。

 まず、観客は、たとえアマチュア音楽家の演奏会だと分かっていても、上手な方が出てくると安心し、そうでない方が出てくると不安を感じるものです。この演奏者の上手い下手って、観客は実に簡単に見抜いています。つまり「上手な演奏家はすぐに分かる」というわけです。逆に言うなら、演奏家の方は、そういう観客の心理や視点を理解し、観客に安心を与え、音楽に集中できるように、自分を上手い演奏家に見せることが大切だと思います。

 上手い演奏家と言っても、色々なレベルがあるし、アマチュアの場合は、プロとは違いますから、腕前以外の部分で「上手い演奏家だ~」と感じさせ、観客を安心させる事も必要かもしれません。では、そのためには、どんな方法があるでしょうか?

 まずは良い楽器(高価な楽器と言い換えても、この場合のみOK)を持つことが一番手っとり早い方法でしょう。

 不思議なもので、観客は演奏家の持っている楽器で安心する部分があります。フルートで言うなら、ゴールドフルートを持って舞台に上がった演奏家に、あまり不安を感じないものです。どっちかと言うと「ほぉ~、なんかスゴそう…」と思うものです。「高い楽器を使っているから上手とは限らないだろう」と演奏家の立場では言いたいでしょうが、観客って、案外そういう、音楽の腕前以外のところを見ていたりします。

 それと、良い楽器を持っていることの効用ですが、アマチュアの場合、楽器にどれだけお金をかけるか、と言う事は同時に、音楽にどれだけの費用と時間と労力を注ぎ込んでいるかという事でもあります。やはり、ゴールドフルートを所持している方は、一般的に言って、覚悟の決まった、ある程度の技量の持ち主、つまり上手い演奏家なんだろうとも言えます(だから頑張って、いい楽器を買いましょう!)。

 また、その演奏家の最初の1音を聞いただけで、観客というのは、これから聞ける音楽が期待できるものなのか、それともショッパイ演奏なのか、瞬時に判断します。ある意味、最初の音というのは、大切なツカミなわけです。

 これは理屈ではなく、直感なんです。だからこそ、あまり判断を間違えません。

 ならば、演奏家は、最低限のマナーとして、出だしの音に、ありったけの魂を込めて演奏するべきです。「私はスロースターターですから…」「私はエンジンのかかりが遅いんですよ…」と言うのは、長いステージを務めるプロならともかく、1曲ないしはごく短時間の演奏時間しか与えられないアマチュア演奏家の場合はありえません。「最初から最後まで、クライマックスだぜ~!」という気持ちでいかないと…ネ。

 そして出だしの音がしっかりしている演奏家は、その後の演奏においても、だいたい、音の一つ一つがはっきりしているものです。何となくで音を出していないもので、常に自覚的に、音楽を演奏しているものです。音色が磨かれているから、聞いていても美しい音で演奏するものです。特に声楽では、その傾向は顕著です。最初の一声は、とてもとても重要です。。

 「楽譜が見えるような演奏」という言葉があります。この表現は、プロ奏者の演奏に対しては、失礼な文言かもしれないけれど、アマチュアの場合はむしろ誉め言葉ではないかと、私は思いますし、そういう演奏を目指すべきではないかなって思います。。

 と言うのも、アマチュアの場合は、技量の不足もあり、楽譜が簡単には思い浮かべられない演奏をする方が大勢いますから、楽譜が思い浮かべられるような演奏をしている人と言うのは、ある意味、端整な演奏をしているという事になりますし、聞いていて好感を持ちます。ですから、奇を衒うことなく「楽譜が見えるような演奏」を心掛けるが肝心です。もちろん、「楽譜が見えるような演奏」とは、機械的な演奏という意味ではありませんよ、念のため。

 歌手の中には、日本語の歌だとなかなか良いのに、外国語の歌だと、ちょっと聞くのがつらい方が、アマチュアだと、実はかなりいます。

 歌手の側から言えば、日本語の歌は言葉が分かるので、感情を込めやすいのでしょう。そして外国語の場合は、言葉もよく分からないし、訳詩を読んでも、なんかピンと来ないし…という事で「日本語の歌はいいけれど、外国語の歌はちょっと…」って事になるのだろうと思います。特に歌の場合、イタリア語・ドイツ語・フランス語・ラテン語・スペイン語など、あまり日本人にはなじみのない言葉を使うことが多いですから、気持ちとしては分からないではありません…が、しかし、…

 つまりこれって、外国語の歌の勉強が不足しているって事でしょ。

 たとえ外国語であっても、きちんと歌詞を訳し、何を歌っているのかを、きちんと把握しておけば「外国語だから感情を込めるのが難しい」とは言えないと思います。その程度の勉強もさぼって、人前で歌っちゃダメでしょう、って私は言いたいです(この部分は、特に自分を棚上げしてま~す)。むしろ、外国語の歌は、観客は何を言っているかが分からないのだから、日本語の歌を歌っている時よりも、もっともっと、歌手は歌詞の勉強をして、より深い感情表現を伴って、観客に歌を届けないといけないと思います。

 さらにいきます。演奏家は演奏する音楽も大切ですが、演奏する姿や態度も大切です。特に独唱/独奏の方は気をつけないといけないと思います。

 まず、舞台に現れた瞬間から、その頭のてっぺんから足の先まで、観客は演奏者を見ています。この事を演奏家は忘れてはいけません。

 たとえ緊張していても、その緊張が表に現れていたら、観客まで緊張してしまい、いらぬ心配をしてしまいます。

 たとえ演奏に自信がなくても、自信なげな姿で登場すると、観客にまで自信の無さが伝染し、心がソワソワして演奏を聞く事に集中できずに「ミスをしないだろうか?」と心配して、かえってミスを見つけやすくなり、演奏者がちょっとしたミスをすると「ああ~」と、とても残念な気分になるものです。

 姿勢が悪い演奏家の演奏する音楽は、その姿勢同様に、音楽の姿まで悪く聞こえるものです。

 たとえアマチュアであっても演奏家と言うものは、舞台に出たら、姿勢は良く、笑顔を絶やさずに、カラダの芯はしっかりと保って、堂々と演奏するべきです。それで始めて、観客は安心して、演奏者ではなく、音楽そのものに集中できます。

 笑い話っぽくなりますが、舞台に出るのは、準備が整ってからにしましょう。緊張とアセリのあまり、前の曲が鳴り終わっていないのに舞台に出ちゃうアマチュア演奏家がたまにいますが、それは絶対にいけません。また、暗転中に舞台に出て、ゴソゴソと準備をするのも見苦しいです。きちんと舞台が明るくなってから、堂々と舞台に出て行きましょう(って、普通はステマネさんがそう指示してくれるはずですが、準備中の舞台に出ちゃう人って、ステマネさんの言うことを聞いていないのでしょうね)。

 個別な話になります。ピアニストさんはあまり太らない方が良いと思います。

 太ったピアニストさんの座るピアノイスって、結構大きな音でギシギシ言っているのに気づいてますか? そして音楽の演奏中にイスがギシギシ言うのって、演奏者は気にならないかもしれませんが、観客はすご~~~く気になるものです。これも気づいていましたか? もうイスがギシギシ言い出したら、観客は「イス、大丈夫かな?」と、そればかりが気になって、演奏なんて聞いてません。そんなもんです。

 とにかく、ヘビー級なピアニストさんはぜひダイエットを! 太っていてもいい音楽家は、声楽家だけです。そこんとこ、お忘れなく。

 それと、アマチュアの演奏家と言うのは、往々にして、勉強中であったり上達中である人が多く、現時点では、あまり上手ではない方も大勢います。

 下手な人は人前で演奏すべきではない! …なんて、私は思いません。いや、下手な人こそ、チャンスがあったら、ドンドン人前で演奏し、鍛えられる必要があると思います。ただし、どんなに技術的に劣った演奏であっても、観客をがっかりさせるような演奏は慎まないといけません。そのために、気をつけなきゃいけない事は…。

 まず、舞台姿が堂々としている事です。これは最低限のマナーですね。謙虚であることと、イジケているのは違います。ステージ姿がイジケている演奏家は、見ていて、本当にガッカリするものです。

 たとえ、技量で劣っていても、その演奏には、ありったけの気持ちを込めるべきです。演奏に気持ちが入っていると、観客は知らず知らずのうちに、音楽に引き込まれるものです。そして、心が音楽につかまれてしまうと、多少のミスなど全然気にならなくなるものです。

 逆に絶対にやってはいけない事。それは…。

 演奏する事[演奏行為]そのものに夢中になって、観客が見えていない事。これは初級者にありがちですが、ほんと、残念ですし、客はシラけるものです。舞台は練習室ではないんです。

 あと、一度始めた演奏は、絶対に止めてはいけません。ミスをしたからと言って、弾き直しは厳禁です。ミスしても、顔に表してはいけません。ましてや、演奏を最初からやり直したり、演奏直後に舞台で言い訳をするなど、言語道断です。(そういう人が実際にいるんですよ…)

 最後に、観客って、カボチャじゃないです。結構、真剣に舞台を見ているんですよ。演奏者の方々は、そこんところを忘れてはいけないと思います。

2010年10月14日 (木)

果たしてヴァイオリンでコード演奏は可能であろうか?

 いつの日か、自分の事を“ヴァイオリニスト”と呼んでみたいという野望で心がいっぱいな、今日この頃な私です。もっとも、それ以前に、フルーティストとかテノール歌手と名乗ってみたいです。あ、今気づいた。フルーティストって呼び方、なんかジューシーで美味しそうですね(笑)。

 ただいま、ヴァイオリンを勉強モドキ中です。色々と知らないことがたくさんあるので、結構楽しいです。

 色々と本を読んでみたり、楽器屋さんで話を聞いてみたり、ウェブを読んでみたりと、学んでいますが、そんな中、知ったこと。“ヴァイオリンの弦のチューニング間隔は、完全5度である”と言うこと。

 ははは、今更ですが、本当に今更、気づきました(汗)。ダメじゃん。

 さて、どういう事かと、具体的に書くと、4弦(一番太い弦)の開放がG、3弦がそこから完全5度上のD、2弦がさらに完全5度上でA、1弦がEとなります。各弦の開放の音程の間隔が完全五度というのは、調が変わっても音程の関係は同じという事になります。これスゴイよね。

 例えば、ド-ソの関係。ト長調なら、4弦の開放と3弦の開放(当たり前)。イ長調なら、4弦の1の指と3弦の1の指のポジション。ギターならセーハーしちゃうところだけれど、ヴァイオリンにはセーハーというテクニックはあるのかな? あれば楽だし、なければ4弦は1の指で、3弦は2の指でイケる(イっちゃって良いのかは不明:笑)。分散和音限定なら、1の指を活躍させて4弦も3弦も1の指に担当させる。やっぱり、こっちの方が現実的か? これでイ長調がイケそうなら、変ロ長調は、イ長調の指使いのまま、ボディ側に半音分ズラスだけでOK。

 ド-ミの関係なら、三度音程はちょっと無理だけれど、十度音程でも良ければ、ト長調なら、4弦の開放と2弦の1の指のポジション。イ長調なら、4弦の1の指のポジションと2弦の2の指のポジション。変ロ長調なら、イ長調の指使いのまま、ボディ側に半音分ズラスだけでOK。

 となると、メジャーコード、つまりドミソの和音をドソミの展開形で使うなら、ト長調のドソミ[G]は、4弦の開放と3弦の開放と2弦の1の指のポジション。イ長調のドソミ[A]は、4弦と3弦が1の指のポジションで2弦の2の指のポジション。変ロ長調[Bb]のドソミなら、イ長調の指使いのまま、ボディ側に半音分ズラスだけでOK。

 それどころか、汎用性を考えると、開放弦を使わない方が良いだろうから、常にルート音を4弦の1の指で押さえる事にして、3弦も同じ1の指のポジション、2弦は2指のポジションにすればOK。それどころか、弦の関係が完全5度なんだから、ルート音がDよりも高い和音は、3弦でルート音を押さえて、3~1弦でコードを作る事ができる。完全5度を二回繰り返せば1オクターブを越えるわけだから、原理的には、このやり方ですべてのメジャーコードが演奏できる。もちろん、4弦の開放弦を使うト長調のドソミは、3弦の3の指のポジションをルート音にすれば開放弦を使わなくても、このフォームでイケます。

 同様な手段で、3弦を2の指で押さえていたところを半音分ヘッドよりに押さえてフラットかけると、マイナーコードの演奏も可能になります。メジャーコードとマイナーコードが押さえられれば、どんな曲でも、最低限の演奏ができることになります。

 ドソミはイヤで、どうしてもドミソにこだわりたければ、ドは1の指で、ミは同じ弦の三度上のポジションを3の指で演奏し、ソは隣の弦を1の指で押さえる。こっちの方がヴァイオリンっぽい感じになるかな? もちろん、重音での演奏ではなく、分散和音での演奏が前提で考えてます。

 どちらにせよ、これってどうよ? 可能なの? 不可能なの? もしこれが可能なら、ヴァイオリンがギター感覚で演奏できるし、リード譜だけでフルートよりも簡単に伴奏ができるよ。それとも、そもそも単音楽器であるヴァイオリンでコード演奏をしようと考える事自体が、素人くさい非現実な発想なのかな? ううむ、どうなんだろ?

 ちなみに、このアイデアは、机上の空論なので、私はちっともできません。ハハハ。

2010年10月13日 (水)

声のポジションとヴァイオリンのポジションの関連性について

 最近、歌の練習していて、ふと思った事があります。それは、声のポジションって、ヴァイオリン(弦楽器一般でも同様ですね)の左手のポジションと同じようなものなのかもしれないなあ…って事です。

 弦楽器の左手のポジション、いわゆるローポジションとか第1ポジションとか言うのが、まずは基本だと思います。ヴァイオリンでもギターでも、このローポジションだけで2オクターブほどの音域があり、たいていの曲のメロディはこの範囲で弾けます。しかし、曲によって、もっと広い音域を必要としたり、もっと高い音を要求しますので、そういう時は、左手全体をボディ側に移動して演奏するわけです。これがハイポジションであり、第2~ポジションだと思います。ある程度、楽器が扱えるようになると、必須のテクニックです。

 ローポジションとハイポジションでは、単に扱える音高が違うだけでなく、少しずつですが、音の音色が変わってきます。解放弦の使用の有無というのもあるでしょうし、同じ音高でも、太めの弦で鳴らした音と短めの弦で鳴らした音は自ずと違います。あと、弦は太さによって材質が変わるのですが、ポジションを変える事で、欲しい音を鳴らすために違う弦を使用することだってありますが、そうなれば、当然音色が変わります。

 もちろん、ハイポジションはローポジションよりも、色々とテクニック面で難しいです。

 そんな事が、実は声楽の声のポジションと似ているなあと思いました。

 人の声の音域って、本来、そんなに広くないと思います。普通は1オクターブからせいぜい10度くらいでしょうか? それは、小学校の音楽の時間で取り上げる歌が、五線の下のドから上のミの10度にだいたい収まっている事からも想像できます。この音域なら、まあ、歌うにしても、それほどつらいものではありません。しかし、この音域が外れてくると、発声するのに、努力と忍耐と訓練が必要になってきます。

 私はテノールなので、上の音域について考えますが、ミよりも上の音は、それ以下の発声と基本的なフォームは同じものの(むしろ変えてはいけない)、声そのものの出し方と言うか、声の通り道は変わってきます。これを、キング先生は“ポジションを変える”と言うのですが、最初はこれがよく分かりませんでした。

 ポジションを変える事が具体的にどんなものなのか、よく分からず、色々と試行錯誤をする中で、ダメやヨシをもらいながら、少しずつ「こういう事を言うのかな…」と推測できるようになってきました。そうして、なんとなく分かってきた事は「声のポジションを変えるって、弦のポジションを変えるのと同じ感覚かな」って思うようになってきました。

 ポジションを変えないと高い音が出ないのは、その高い音がポジションの守備範囲ではないからです。なのに、ポジションを変えずに高い音を出そうとするのは、無理やりに指を伸ばすの等しく、それには無理もあるし、当然不安定になったり、音程がぶらさがったりします。だから、高い音を安定して出すためには、弦楽器ならば、左手のポジションをスウっと変えることで、高い音が出やすくなります。それと同じ事が声にも言えるのではないかな? ただ、声の場合は、弦楽器と違って、そのやり方が目に見えないのがやっかいな点でしょう。

 ポジションを変えていくと、高い音が出しやすくなる一方、今度は低い音が出にくくなります。これはその低い音かポジションから外れてしまうからです。ですから、外れてしまった音を無理やり歌おうとすると、ポジションそのものが元の低いポジションに戻ってしまいます。

 また、ポジションが変わると、同じ音程の音でも(若干)音色が変わってきます。だから同じ音程の音を聞いても、どのあたりのポジションで歌っているかは、すぐに分かります。

 そんなふうに考えて行くと、高い音を出そうとして、力付くで変な声になるのは、弦を押さえるのがうまくいかなかったり、弓を押しつけすぎていたりするのと通じるかなって思うし、声が引っくり返るってのは、思わず触っちゃいけない弦に弓が触れて音が出てしまった感じなのかなって思ったりします。

 頭声とか胸声とか、チェストヴォイスとかミックスヴォイスってのも、このポジションの違いのことなのかな? って時々思います。

 この考え方が、正解かどうか分かりません。単なる私の誤解かもしれませんが、私は今、こんなふうに考えていますって事なんです。

 しかし、弦楽器なら左手を移動する事でポジション移動が可能ですが、声の場合は、ポジションを移動するために、どこをどういう風に動かせばいいんだろ? これが実に分かりません。“声の当てる場所を変える”とか“声を後ろに廻して出す”とか“アタマの奥をドンドン開けていく”とかは、そういう事なのかな? いや、違うのかな? 肝心な事が、全然分かりません。

 おそらく、その辺りの感覚って、極めてパーソナルなもので、それぞれが自分で探って捜していかないといけないのだろうという予感がします。

2010年10月12日 (火)

モテ期ならぬムセ期に突入しました(爆)

 声楽のレッスンに行ってきました。

 発声は一歩後退したかな? 前回はいい感じの響きで歌えた私ですが、今回はついつい息の勢いで歌ってしまいました。息の勢いで歌うと、どうしてもノドに力が入るんだよねえ。以前と比べれば、それでもだいぶ力が抜けてきたけれど、まだまだ脱力が足りないです。やっぱり息の勢いではなく、響きを増量して音量を確保するようにしないといけません。

 そんな私に先生は、首の付け根から鎖骨付近を鏡で注視しながら歌ってみると良いですとアドヴァイスくださいました。さっそく鏡でみると…ノドに力が入ると、その辺りが凹んだり動いたりします。こりゃ分かりやすい(笑)。なので、その辺りが微動だにしないように脱力しながら歌う事が大切かな? なにしろノドに力が入っても、なかなか自覚しづらいですからね、目で見て力の入り具合が分かるというのは、大切なことです。

 そうそう、歌っている途中にゲホゲホとムセてしまいました。先生曰く「ようやく、ムセるようになりましたか」ですって。

 歌っていてムセるのって、つらいよね。できれば、ムセたくないです。

 実は歌っていてムセるようになってきたと言うのは、ノドが開いてきた証拠なので、ムセる事自体は良くないけれど、ノドが閉まっている人は絶対にムセないので、歌っている時にムセるようになってきたというのは、良い方向に向かって上達している証しなので、ムセることを恐れずに、ムセながら、しばらくは歌っていきましょうと言われました。つまり、私はいわば“ムセ期”に入ったと言うことです。

 ムセ期もやがて終わるので、それまでしばらくの間は我慢なんだそうです。

 さて、発声が終わったら、コンコーネです。コンコーネは10番からです。

 やっぱりどうしても十六分音符が甘い(汗)。どうやら、私はエイトビートの人みたいで、十六分音符を八分音符に翻訳して歌う癖がついているようです。おお、癖なら早めに矯正しないと、エラいこっちゃ。

 それと、10番にはアクセント記号があり、いままではスルーしてましたが、試しにアクセントをつけてみましょうか?と言うわけで、アクセントの付け方を教えていただきました。

 アクセントなんですから、「さあ、しっかりアクセントをつけていくぞー」という気持ちで歌っちゃいがちですが、それをやっちゃうと、やりすぎの下品になってしまうそうです。なので、アクセントはアクセントではなく、むしろ、その音をしっかりハギレ良く歌うつもりでやるとよいでしょうとの事です。それでも気をつけないと、やりすぎな感じになってしまいます。色々と試行錯誤した結果、OKをもらいましたが、確かにかなり物足りない感じで、ちょうど良いと言われました。

 10番の次は11番です。11番を歌っている時に、目線は楽譜のどこにあるかと尋ねられました。私は歌っている“まさにその箇所”を見ていると言ったら、では、常に一小節前を見て歌うようにしなさいと言われました。つまり、楽譜は常に、自分が歌っているところの一小節先を見るように癖をつけなさい、ということです。最初は誰でもできないのだから、当面、間違えてもいいから、一小節前を見て歌うように心掛けることが大切だと言われました。

 さて「Addio!/さようなら」は、この一週間で、しっかりリズム読みと音取りをきちんとやって、とにかく音符を追っかけて、音を外さない程度まで歌えるようにしてきました。

 しかし、前回はあんなにサラと出たAsだけれど、自宅練習ではかなり苦労し、今回は撃沈しました。それは、私はついつい大きな声で歌おうして息を使いすぎて、響きを忘れていたための結果です。高い音ほど、優しく歌わないといけないのに、ついつい乱暴に力付くにしがちな私です。それでは、ノドにフタがされちゃうってアタマでは分かっているのですが、ついつい力付くのごり押しになってしまいます。そんな事をしたら、ノドがふさがってしまうばかりなのにね…。息を軽く当てるように歌い、音量は響きで補うようにすれば、Asは楽に出るので、常に響きを忘れないようにしましょう。

 それと、Asがうまく出せない理由として、力みの問題以外にも、Asの準備が遅いのも気になるそうです。前の小節のmioのoの時には、すでに高いポジションになっていないとAsは歌えないのですに…Asの直前までなかなか手を打たない私です、ダメですね。

 Asの後に出てくるFがキツイと言ったら、Fって音は、そういうものだから、気合を入れて頑張るように、と言われました。テノールにとって、Fは、実はGやAsよりも大変な音なんだそうです。だからこそ、よくよく注意しないとFは失敗しがちなんです。この曲では、Fの前に一度音がCに下がるので、ついついCのポジションで、下から音を取って、Fを出そうとしがちだけれど、それはかなり大変。Asを歌った時に、ポジションを落とさないで、そのままのポジションを保っていれば、Fが比較的楽に歌えるはずなんです。

 「Addio!/さようなら」は来週までに暗譜(!)。ただし、まだ完璧でなく、チラ見程度はOK、という言葉を確認しましたよ。

 レッスンが毎週になって、結構、大変だったりします。

2010年10月11日 (月)

フルート発表会に向けて頑張ってます

 歌劇団の本番も近々ありますが、それが終わると、12月にフルートの発表会があります。12月と言うと、もうすぐなので、歌劇団の本番練習(「木綿のハンカチーフ」のソロパート)と並行して、ぼちぼちとフルート発表会に向けての準備も始めました。せっかくの発表会ですから、それぞれの曲に練習目標を設定して練習に励んでみようと思ってます。なにしろ、発表会ですからね。いつもの“セッションに参入!”ってのとは違うわけで、準備の過程が大切じゃないですか。

 フルート発表会に向けて、用意しているのは三曲です。まず一曲目である「バッハのシチリアーノ」はクラシック曲なので、イヤになるくらい楽譜どおりに演奏する事を目標にしました。つまり『クラシックのお作法できちんと演奏してみせる』と決めました。そのためには、さらってさらってさらいまくります。ま、いつものアルテに取り組むのと同じ姿勢で取り組むわけです。

 問題は「さらってさらってさらいまくる」つもりでも、2~3回繰り返すと飽きちゃうって事です。いやあ、根気が足りない私です(涙)。

 二曲目である「To love you more」はポピュラーソングです。ポピュラーソングを勉強する喜びは「自分の好きな曲を好きなように演奏できる楽しみ」って奴でしょうか? 元の曲はロックであろうが、J-POPであろうが、童謡唱歌であろうが、いやいっそ、クラシック曲のメロディを持ってきて、それを自分流に演奏しても良いのですよ。ビバ、ポピュラーソング!っす。もっとも、楽譜は自分で用意(場合によっては自分で書く:笑)しないといけませんが…。

 って、わけで、まずは自分用の楽譜を用意するところから、練習/準備が始まります。私が使用する楽譜は、いわゆる歌本の楽譜を参考にして作成します。だから言って、この楽譜をこのまま演奏するわけではありません。と言うのも、歌本の楽譜は、オリジナルどおりってわけじゃなく、大抵は歌本の編集者の好みが入っていて、部分的にアレンジされているからです。別にそれがイヤだと言うわけではありませんが、せっかくの発表会ですから、楽譜の作成から、ちょっとこだわってみたいじゃないですか(笑)。

 とりあえず、この歌本の楽譜を素材の一つにしながら、音源(セリーヌ・ディオンのバージョンと、クライズラー&カンパニーのバージョンの二つを聞きました)の好きな部分を反映させながら、インターネットに転がっている各種様々なスコアも参考にして、自分用の楽譜を作ります。

 まず最初に考えたのは、曲の長さ。とにかく、原曲は長い(5分以上あります)ので、これをカットをして短くしてみました。セリーヌは歌手だから、メロディに歌詞があるので、繰り返しが多少多くても平気ですし、クライズラー&カンパニーの方は、巧みなアレンジがしてあるので、長くても飽きずに聞かせられますが、私の場合は、フルート演奏なので歌詞はないし、そこまで緻密なアレンジなんてできるはずもないし、かなりの部分をバンドの皆さんのアドリブに頼る事になるので、原曲どおりの長さにすると、ダレる恐れがあるので、潔くスパッとカットして、曲を短くした方がいいだろうと考えました。で、カットしたのですが、結局、それでも4分はあるんですよ。いやあ、長いですね。

 キーはAmajorに決定。実は当初、Gmajorに移調して楽をしようと思ったのだけれど、試し吹きをした結果、ちょっと運指的には難しいのだけれど、Amajorって、ヴァイオリンには容易な調性だし、何と言っても、フルートのGisやFisのあの音色がいい感じに曲想と合うと思うので、あえて難しいAmajorで行きます。

 コードもしっかり見直しましたよ。基本的なコード進行は、どの楽譜も一緒だけれど、ポイントとなる部分は、楽譜によってコード進行が全然違うんですね。まあ、それほど、複雑な和音進行をしている曲だというわけです。

 歌本の楽譜が一番参考になったけれど、でもやはり、この楽譜のままでは、どうにもしっくり来ないと言うか、私の好みとは違う箇所が数カ所あったので、そこは別のコードに差し換えて、私好みにしました。

 あと、やっぱり、曲調を考えると、セリーヌ・ディオンのライブバージョン同様に、ヴァイオリンソロは必要だよね~…というわけで、歌本の楽譜にはない、ソロ演奏のための8小節を書き加えてみました(ピースっ!)。

 なにしろ、ほら、間奏がないと、長い曲なのにフルート吹きっぱなしになってしまい、私が疲れてヘトヘトになっちゃうので、これは避けたいなあという思いと、やっぱり「To love you more」と言うと、華麗なるヴァイオリンソロの曲でしょ。この曲がフルートだけで終わったら残念至極でしょ。やっぱり、ヴァイオリンソロが聞きたいじゃないですか。なのに、最初から最後までフルートだったら、聞いている人もガッカリするじゃないですか。

 というわけで、お客さんの期待に答えるためにも、ヴァイオリンソロパートは、どうしても必要なので書き加えてみました。ちなみに、ヴァイオリンソロは、ヒイロ先生にお願いする事になると思ってます。

 そんなこんなで、なんとかバンドの皆さんに渡す楽譜を作り、自分用にカラオケを作成して、そのカラオケ伴奏で練習です。

 「To love you more」の練習目標は…フルートで歌う事です。いや、私が女性だったら、この曲はぜひ自分の声で歌いたいのですよ。でも生憎と私は男性なので、この曲は歌えません。歌えないなら、女声音域のフルートで吹いてやる~って感じです。ま、つまり、フルートって、私にとっては、人工女声って感じなんです。自分に歌えない女性の歌を歌うための道具なんですね。だから、フルートで歌います。

 歌うと言っても、もちろんポピュラーソングなので(自分で書き直したという事もあるし)楽譜を尊重した演奏をしていきたいと思いますが、やはり、すべての要素を楽譜に書き表せたわけではありません。なので、細かいニュアンスなどは、これから練習を重ねながら、色々と考えていきたいと思います。

 例えば、どこのリズムを丸めておくとか、どこの箇所をシンコペーションで喰ってみるとか、どこでコブシを廻した方が良いかとか、音程を多少うわずり気味にするところ(そうすると、メロディが伴奏が浮いて聞こえるんですよ)はどこにするとか、どこは基本のメロディから外れて、アドリブっぽく演奏するのかとか。それと、せっかくのフルート演奏なので、特殊奏法の一つや二つは隠し味的に入れたいのだけれど、それをどこにいれるかとか…とにかく色々と考えないといけません。その上で、しっかりとフルートで歌うのが目標です。

 三曲目の「Fly me to the moon」はジャズなので、どれだけ楽譜から離れて演奏できるかが、今回の目標です。この曲の演奏では、譜面はさほど重要ではないので、アリアリのものを使います。実際の演奏も、一緒にやってくださるバンドの皆さんとセッション感覚でやる事になると思います。そういう意味では、事前の練習って、一体、何ができるんだろ? しかし、いつもセッションでは、初見でやっているテーマにしてもソロにしても、せっかくの発表会ですから、きちんと準備しておかないとダメかなって思う一方で、それじゃあジャズじゃないよなあとか思って、迷ってます。どうしましょ?

 私が発表会で演奏する三曲の練習目標は以上の通りです。

 それらの練習目標に合わせて、バッハを演奏するためにも、フルートの音色を壊さないように、しっかりとロングトーンもやって、良い音色をキープしておかないといけません。なにしろ、私は、夢中になると、フルートの音色を壊しちゃう人だから、気をつけないと。

 目下の課題は、それぞれの曲の調性がバラバラであるので、続けて演奏すると、指が混乱しちゃう事かな。なにしろ「Fly me to the moon」はAm(つまりC系)でナチュラルな調性だけれど「バッハのシチリアーノ」はB-durでフラット系の曲だし「To love you more」は一応Amajorでシャープ系の曲だけれど、曲の中で激しく転調を繰り返すタイプの曲んなんだよね。それが結構やっかいです。

 それと、今回の発表会では…今のところ、フルート演奏onlyで行こうかなって思ってます。前回は「デスペラード」を歌ったのだけれど、今回は去年よりもフルートが上達しているし、せっかくフルートの発表会なので、フルート演奏onlyで行くのもいいかな…って思ってます。ってか、フルートをたっぷり吹きたいんですよ。

 その点を先生ときっちり話したわけでないのだけれど、先生はもしかすると、一曲くらい歌ってほしいとお考えなのかもしれない…と薄々とは感じてます。別に私も歌うことはやぶさかではないので、これからの相談次第では、歌い吹きをやるかもしれませんが、どうでしょうね。

 ちなみに、今回は私以外の方で歌い吹きをする予定の方がいらっしゃるとか。なら、私は無理に歌うこともないかなって思う一方、サッチモじゃないけれど、歌い吹きってカッコいいよねって思ってます。ちょっと憧れます。

 やっぱり、歌い吹きをしようかな…。

2010年10月10日 (日)

鈴木章博士、根岸英一博士、ノーベル化学賞受賞、おめでとうございます[2010年10月第2週・通算36週]

体重:96.7kg[-1.4kg:-12.2kg]
体脂肪率:29.1%[-0.2%:-3.7%]
BMI:30.4[-0.6:-4.1]
体脂肪質量:28.0kg[-2.4kg:-10.1kg]
腹囲:94.2cm[-2.4cm:-10.1cm]
     [先週との差:2010年当初との差]

 おたびダイエット18週目です。前回、増やしてしまった体重を多少は戻してみました。いやあ、太るのは簡単だけれど、痩身は大変だね。一週間で太ったカラダを戻すには、一週間では足りません。ああ、こんなにひもじい思いをしているのに、なぜヤセない(涙)。とにかく、今、気持ちに火がついてます。こんなんじゃあ、ダメだ、もっときちんとヤセないとダメだ~、という気持ちでいっぱいです。

 もっと、パワフルに体重を落とさないと。食欲の秋だから、体重をババーンと減らさないと! 頑張らないと、カラ元気を出さないと、なんか、ダイエットの気持ちが折れそうな私です。

 だって、巷には、美味しい物がゴチャンとあるんだもん。

 さて、今年のノーベル化学賞は、鈴木章博士(北海道大名誉教授)と根岸英一博士(パデュー大特別教授)、リチャード・ヘック博士(デラウェア大名誉教授)の三名に決まったそうです。おめでとうございます。特に、この中の二名が日本国籍を有する日本人であることに、同じ日本人として誇らしい気持ちでいっぱいです。

 ノーベル賞って、とても格の高い自然科学分野の賞だと認識してますが、最近、日本人の受賞者が多くありませんか?

 ちょっと調べてみました。

1949年(昭和24年)  湯川秀樹[物理学賞]
1965年(昭和40年)  朝永振一郎[物理学賞]
1968年(昭和43年)  川端康成[文学賞]
1973年(昭和48年)  江崎玲於奈[物理学賞]
1974年(昭和49年)  佐藤栄作[平和賞]
1981年(昭和56年)  福井謙一[化学賞]
1987年(昭和62年)  利根川進[生理学・医学賞]
1994年(平成6年)  大江健三郎[文学賞]
2000年(平成12年)  白川英樹[化学賞]
2001年(平成13年)  野依良治[化学賞]
2002年(平成14年)  小柴昌俊[物理学賞]
2002年(平成14年)  田中耕一[化学賞]
2008年(平成20年)  小林誠[物理学賞]
2008年(平成20年)  益川敏英[物理学賞]
2008年(平成20年)  下村脩[化学賞]
2008年(平成20年)  南部陽一郎[物理学賞]※
2010年(平成22年)  鈴木章[化学賞]
2010年(平成22年)  根岸英一[化学賞]

 南部陽一郎氏はアメリカ国籍の人なので厳密には日本人ではありませんが、日本民族の方だし、日本で教育を受け、日本で研究をし、日本での研究成果でノーベル賞を受賞された方なので、どさくさ紛れにリストに入れちゃいました(笑)。ちなみに、日本人でノーベル経済学賞を受賞された方はいらっしゃらないそうです。

 総勢18名です。すごいですね。平和賞が一人混ざってますが、良しとしましょう(笑)。

 …「良しとしましょう」と言うのは、私は個人的に、ノーベル賞に、各国の政治的な思惑が入り込みやすい“平和賞”が入っている事に???だからです。もっとも ???であっても、それを否定したりはしませんけれどネ。

 それにしても日本の21世紀に入ってからの受賞者数がすごいですね。何かあったのでしょうか? 私が子どもの頃は「ノーベル賞=湯川秀樹博士」という図式があり、子どもたち、特に勉強系の男の子たちは、湯川博士に憧れていたものですが、今ではその湯川博士も、数多くいるノーベル賞受賞者の一人にすぎない気がするくらいです。

 アジア太平洋圏の他の国の受賞状況というのも、おまけに調べてみました。

オーストラリア 8名
イスラエル 7名
ニュージーランド 2名
東ティモール 2名※
イラン 1名※
韓国 1名※
中国 1名※
パキスタン 1名※
パレスチナ 1名※
バングラデッシュ 1名※
ベトナム 1名※
ミャンマー 1名※

 東ティモール以下の※のついた国は、平和賞だけしか受賞していませんので、自然科学分野でノーベル賞をいただいているアジア太平洋圏の国は、日本を入れて四カ国しかないわけです。日本以外の三カ国は白人系の国ですから、やっぱり日本はすごいね。

 さらに世界全体で考えた場合、ノーベル賞の本丸とも言える自然科学部門での受賞者数では、日本は、世界第7位なんだそうです。日本の上には、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スイス、スウェーデンが鎮座ましましているわけです。つまり、有色人種の国としてはトップの国という事ですし、アジアではダントツのようです。威張るつもりはありませんが、誇らしいですね。

 武田信玄のセリフに「人は城、人は石垣、人は堀」というのがあります。人材というのが、いかに大切かを述べた言葉です。

 ノーベル賞は氷山の一角に過ぎません。しかし、これだけ多くの科学者がノーベル賞をいただいていると言うことは、その下に、実に多くの有能な科学者が日本人にいるという事なんだと思います。まさに「人は城」です。資源もなければ、政治もオンチで、有能な指導者に恵まれない日本ですが、それでも先進国の一つとして頑張っていられる理由の一つが、素晴らしい人材に恵まれている国であるという事なんだと思います。

 やっぱ、日本人ってすごいや。単純にそう思います。これだけスゴければ、他国に妬まれても仕方ないかな?
 
 
蛇足…しかし、長らくノーベル賞とは縁のなかった中国が、今年ようやくノーベル賞をもらう事ができました。おめでとうございます。しかし、その受賞が平和賞で、その理由が「中国共産党の一党独裁を批判したから」ってのは、中国政府的にはどうなんでしょうね?

2010年10月 9日 (土)

エサをねだるエビと、繁殖中のタニシ

 標題の通りです(笑)。エサをねだるのは金魚の仕事! とばかり思っていましたが、実は最近、スジエビのトートがエサをねだるんですよ。それがまた、一生懸命にねだるんですね。エビは魚ではないので、実は泳ぎがあまり得意ではありません。なにしろ、あれだけのカラダなのに、尾についているゴミみたいな小さな足だけを使って一生懸命に泳ぐのですが、どうにも推進力は足りないし、浮力もたいしてないので、すぐに失速してしまいます。それはそれは健気なモンです。

 お腹がすくと、トートはエサ場にやってきて、一生懸命、人間にアピールします「エサ、入れてくれよ~。食べるものがないんだよ~。エサを入れてくれよ~」って感じで下手くそな泳ぎでアピールをするんです。

 結構、ラブリーですよん。

 ま、以前は弱った金魚を食べていたトートですが、今いる五匹はどれもこれも元気でトート君のエサになってくれなくて、どうにもこうにも空腹みたいで、ついフラっと金魚のエサを食べてみたら「こりゃ驚いたよ、美味じゃん」って感じです。

 なので、エサを入れると、金魚に混じって、ヘコヘコとトートがやってきます。ブニョなどは、エサをごっそりとクチに入れますが、トートはたった一粒を握ったら、それで満足みたいで、その一粒を大切そうに抱えて、少し離れたところに移動して、ゆっくりと食べてます。

 死に神トートですが、かわいい側面もあるんですね。金魚のエサを食べて、やたらと脱皮を繰り返しているので、なんかドンドン大きくなってきました。エビって大きくなると…結構グロテスクです(汗)。最近は、ほとんど怪獣みたいになってます。

 それにしもスジエビは水温28度以上は厳禁だったはずだし、実際、他のスジエビは死滅しちゃいましたが、トートだけは30度オーバーの水槽を耐え抜きました。この子は、スジエビ界のタフガイなのかもしれません。

 一方、今、我が家の水槽はベビーブームでございます。やたらとたくさんのベビーなタニシがいます。本当に砂粒のように小さな奴らなんですが、ゴチャっといてかわいいです。もっとも、そんなにたくさんタニシの子がいても、なぜか全体数は増えるどころか減っちゃうのがタニシの不思議なところです。

 きっとベビータニシは、金魚のエサなんですよ。だって、おいしそうだもん。

2010年10月 8日 (金)

すとんさんには、ドイツ歌曲はムリ

 …って、キング先生に言われました(笑)。まあ、ドイツ歌曲(つまりリートね)には、あまり触手が動かないので「まあ、いいか」って思っちゃいましたが(大笑)。

 事の発端は、まだヴェルディの「Il Poveretto」を勉強してい頃、先生がヴェルディの歌曲集の譜面の代わりに、シューマンの歌曲集を持ってきちゃったんですよ。で、シューマンの歌曲集を見ながら「シューマンなら、すとんさんでも、なんとか歌えるかな~」って言うのです。

 「でもシューマンは地味ですからね」と私は答えたと思います。「そう思う人だから、すとんさんはドイツ歌曲には向かない思うんだよね」と、先生が苦笑しながら答えました。

 ドイツ歌曲。それは心のうちに情熱を秘め、それを静かに淡々と燃やして歌うものなのだそうです。

 そういう地味な曲は……私には無理だねえ。私は、心のうちの情熱は、大声で叫びたい人だもん。叫びまくって、エネルギーを発散して、なおかつ、世界中の人の注目を浴びたい人だもん。燃やすなら「心のうちに淡々と…」ではなく「お山に火をつけて大文字焼き!」の方が絶対に好き。情熱を心の中に秘めたままだと、きっと情熱が炉心融解を起こして焼け死んでしまいそう…。

 そういう気質の人は、イタリアものを歌っているのが良いのだそうです。決して、リートに近寄ってはいけないのだそうです。…私もそう思います(笑)。

 いいよねえ、イタリアもの。特にオペラアリアは、歌うには、とても難しいけれど、歌い甲斐がありそうだし、歌曲だって、今やっているトスティなんて大好きだし、ベッリーニやドニゼッティだって捨てがたいわけよ。

 だってサ、イタリアものって、最後の最後は、高い声で叫べば、拍手万雷だよ。いいよね~。いかにも「歌い切りましたー!」って感じがいいじゃない。

 そりゃあ、ドイツ歌曲にも名曲はウジャウジャあるけれど、私の人生の残り時間を考えると、イタリアものと格闘しているうちに終焉を迎えそうだし。だから、あまり気を散らさずに、イタリア命! でいけばいいかなって思います。

 先生から「それでも、ドイツものを歌うとしたら、何がいい?」って尋ねられたので「うう~ん、ワーグナーかな? マーラーもいいかもねえ…」と言ったら、妙に納得されました。「だから、シューマンはいいかなって思うんだよね」とポツリ。どうやら私がどうしてもドイツ系の歌を歌わないといけないのならば、ワーグナーとかマーラーとかシューマンとかの、ちょっと“アッチの世界”っぽい人の方がいいみたいです。

 「シューベルトの超有名曲も歌いたい!」って言ったら、即時、却下でした(汗)。「え? なぜ??」と聞いたら「すとんさんにはシューベルトは無理。ノド壊すから止めた方がいい」って言われちゃいました。確かに、シューベルトって、アッチじゃなくてコッチの人だもんなあ。

 無理って言われると、悔しいけれど、別にそんなに歌いたいわけじゃないから「まあいいか」と納得しました。そういう話です。

 しかし、ドイツものが無理なんだから、フランスものは、もっと無理なような気がします。

2010年10月 7日 (木)

いつの間にか、ピアノも習い始めていたみたいです(汗)

 どうやら、気がつけば「ピアノ学習者」になっていたみたいです…。何の話かと言うと「なんちゃってジャズピアノ講座」に参加しているんですが、それがなかなかに楽しくて、またピアノ講座そのものも軌道に乗ったようで、どうやら、これからもコンスタントに月一回のペースで行われるジャズピアノ講座に参加して、ジャズピアノを“なんちゃってレベル”ですが、習う事になりそうだからです。

 ま、一種のグループレッスンのようなものなのですが、……いやあ、本当に、いつの間にか、ピアノも習い始めていたみたいですよ。

 さて、そんな私ですが、今月は何を学んだかと言うと『九種類のリズム』という奴です。『九種類のリズム』というのは何かと言うと、以下のリズムです。

Photo_2  これです。これを実際にアタマからガンガン弾いて、マスターしちゃいましょうという話でした。

 で、どうやったかと言うと、二人一組になって、まずは低音部の人はひたすら四分音符で基準のテンポ(速度はだいだい60前後)を作り、高音部の人はこれに合わせて『九種類のリズム』をやってみる、という感じです。

 これね、一つのリズムを一小節(四拍)ずつ繰り返して、次のリズムに移行するなら、簡単なんだけれど、一拍やったら、すぐに次のリズムに移行するとなると、ちょっと難しいです。途中で訳分かんなくなって、ボロボロになりました。はい、私のリズム感なんて、そんなもんです。

 で、これが誤魔化しながらも形になってきたら、次はリズムの輪唱で、低音部の人が『九種類のリズム』を始めたら、一拍遅れで高音部の人が『九種類のリズム』を始めます。つまり、低音部の人が1のリズムの時は、高音部の人は休み、一拍後に、低音部の人が2のリズムに移ったら、高音部の人は1のリズムを行い、次の一拍で、低音部の人が3のリズムを、高音部の人は2のリズムを…という感じで、9のリズムまで行ったら、また1のリズムに戻って…というのを延々やりました。隣に基準のリズムがいても、ちょっと???になってしまうわけなので、このリズムの輪唱は、想像を絶する難しさでした…私には。

 その難しさのポイントは、リズムそのものの難しさもそうですが、二人でやっているわけだから、相手のリズムも聞いて、そこに互いに合わせていくという、アンサンブルの難しさもあるわけなんです。

 私はヘロヘロのボロボロになりましたが、私とペアを組んだ方は、この課題を乗り越えていましたので、先生から「今度は各リズムの頭と終わりをそれぞれタイで結んだ形でやりましょう」と言われていました。つまり『九種類のリズム』をすべてシンコペーションにして、前に喰って行うという奴です。これは、半端なく難しいですが…こういうのを、ほぼ初見でサラっとできないと、ジャズは演奏できないんですよね…。なにしろ、ジャズでは、リズム&即興が命ですから。

 いやあ、リズムって、難しい難しい。こんな単純で簡単な事一つできないというのは、これから先、多くの学ぶべきことを抱えているというわけで、楽しみやら不安やらって感じです。

 ちなみに、私は「タイでつないで…」と言うのはできないので、メトロノームを入れて、裏拍でこの『九種類のリズム』にチャレンジしました。難しいですが、私レベルには、このくらいの難易度が学習レベルとしてはちょうど良さそうです。

 しかし、前回の記事でも書いたかもしれないけれど、こういうリズムものをやると感じるのは、ピアノという楽器の持つ“遅延性”です。これに慣れるのが案外やっかいです。

 ピアノの遅延性と言うのは、キーを叩いてから音が鳴るまでのタイムラグの事です。ほんの百分の一秒程度の遅れなんですが、これがすごく気持ち悪いんです。だから、周りのリズムに合わせて、オンタイミングでピアノを弾くと、音が出てくるのが、微妙に遅れて気持ち悪いんですよ。気持ちよいリズムをはじき出すには、周りよりほんの少し早めにピアノを叩くわけですが、そのタイミングがうまく分からずに、なかなかオンタイミングでピアノを鳴らせません。ここが難しい。単純に慣れで克服するしかないのですが、私のように、自宅にピアノのがない人は、この練習ができませんので、いつまでたっても慣れないので、これを克服できません(笑)。あ、もっとも、その前に、家でピアノの練習しないけれど(笑)。…ってか[アコースティック]ピアノ持ってませんから(涙)。

 さらにこの遅延性というので感じたのは、ベースです。私はエレキベースを(あまり上手くないですが)演奏します。実は今回、会場となったジャズバーには、会場備え付けのウッドベース(コントラバスの事をジャズ用語ではウッドベースと呼びます。ちなみに、同じ楽器を吹奏楽では弦ベースと呼ぶそうです)があったので、これを遊びで弾いた私ですが、これ、タイミングが早いんですよ。エレキベースよりもウッドベースの方が音の出るタイミングが早いので、リズムがタイトになってかっこいいんですよ。

 いやあ、これなら、たしかに、ジャズでウッドベースを弾いている人が、会場の都合でエレキベースの方が便利だからと言われても、エレキベースを弾かずにウッドベースにこだわる人がいる理由が分かりました。普段ウッドベースを弾いている人がいきなりエレキベースを弾いたら、その遅れが気持ち悪いだろうし、リズムもキレが悪くなると思いました。逆に普段エレキベースを弾いている人がウッドベースを弾くと、何もしなくても、リズムのキレとグルーブが生まれるので、エレキの人はウッドベースを併用するんだと思いました。

 おそらく、ピアノの場合は、キーを叩いてから音が出るまでのメカの動作部分のために遅延性が生まれるのだろうし、エレキベースの場合は、弦を爪弾いてから音が出るまでの間の電気信号の増幅とスピーカーの駆動のために遅延が生まれるのだろうと思いました。

 そう言えば、ベースほどじゃないけれど、たしかにエレキギターも、アコースティクギターと比べると、ちょっと音が遅れるから、エレキギターでリズムバッキングをすると、ちょっと…になるのも、そういう理由なのかもしれない。エレキヴァイオリン(ヤマハ流に言うと、サイレントバイオリン)も、もしかすると音が遅延するのかな? 今度機会があったら、試してみようっと。

 さて『九種類のリズム』の後は、前回までの復習ってわけで「ブルース」「マイナースウィング」「サマータイム」のセッションを、みんなで華々しくやった後(この時の私はフルートを吹きました)、後半は新曲「南国の夜」にトライです。

 「南国の夜」…はい、ジャズではなく、いわゆる懐メロ?でしょうね、昭和歌謡の一つで、昔、大はやりした国産ハワイアンソングだそうです。…だそうです、と言うのは、私、この曲を全然知らなかったのですね。で、全然知らない曲でも演奏しちゃうんです。

 今回は譜面すらないので、ヒイロ助手(なんちゃってジャズ講座では、先生は笛先生、ヒイロ先生は助手になってます)が口頭でコードを言いますので、みんなはそれを適当な紙にメモします(汗)。で、このメモをそれぞれが見て演奏するわけです。

 ちなみに私がメモったところでは、以下のとおり。

南国の夜

Am/Am/Dm/Dm//E7/E7/Am/Am//A7/A7/Dm/Dm//Am/B7/E7/E7//
Am/Am/Dm/Dm//E7/E7/Am/Am//A7/A7/Dm/Dm//Am/E7/Am/Am//

 コードそのものは、そんなに難しくないです。今回の新顔はB7なので、このコードの時だけ、ちょっと気をつければOKなんですが、どうも私はB系のコードが苦手(無意識でBb系と手が混乱しちゃうんです)なので、やっかいです。

 「リズムはビギンのリズムです」と宣言されたので、このコードの書かれたメモをビギンのリズムで演奏すれば、ピアノのパートは演奏できる…という寸法です。ちなみに、ビギンのリズムというのは、以下のような感じですね。これも他の人が弾いているのを耳で聞いて、リズムをカラダに入れて演奏します。この譜面は私がこのブログのために(エッヘン!)採譜しました。

Photo_2  今回はジャズではなく、ハワイアンの曲をやりましたが、それはたとえ曲がジャズであっても、ハワイアンであっても、イントロやソロの作り方とかエンディングの演奏の仕方などは共通するので、色々な曲を勉強することが大切なんだそうです。…だって、ジャズピアノと言っても、私がやっているのは、歌の伴奏のジャズピアノですからね。歌に合わせて、なんでも弾けないといけないのよ。

 この曲はひとまずAm(つまりC系)で行いましたが、これを色々と移調して演奏すると良いでしょうと言われました。…たぶん、それって、宿題なんだろうけれど、私はやらない(笑)。いやあ、ジャズピアノまで家で練習しだしたら、私、きっと、死にます(大笑)。ちなみに、やるなら、12の調をすべてやるのが理想だけれど、CとFとBbの三つくらいはやっておくといいですよというお薦めでした。

 しかし、なし崩しに、ジャズピアノを始めてしまった私です。でも、ピアノで歌の伴奏ができて、ピアノでセッションに加われると、これはこれで楽しいです。

 「なんちゃってジャズピアノ講座」、レギュラー化が決定しました。おめでとうございます。さっそく次回は…あ、私、その日はすでに別件の用事が入っているから、参加できないや(汗)。レギュラー化初回からお休みじゃん、へへへ(汗)。

【追記】楽譜にミスが見つかったので、正しいものをアップしなおしました(2010/10/7)

【追記 2】レギュラー化したと同時に「なんちゃってジャズピアノ講座」は終了してしまいました。この記事の次の回が最終回となりましたが、私は記事に書いてるとおり、所用のため参加できませんでした。残念。(2010/11/8)

2010年10月 6日 (水)

日課練習が増えました

 ヴァイオリンのレッスンに行ってきました。前回のレッスンは、練習スペシャルだったわけですが、今回のレッスンは、それを踏まえて、もう少し、日課練習を充実させましょうという事で、今後の日課練習として、次のような事をやるように教えていただきました。

1)ヴァイオリン体操

 まずはカラダ作りと言うわけで、カラダを柔らかくほぐしてから練習をしましょうって事です。やる部位は、右手首、右腕、左指、左腕です。

 右手首はイヤイヤをするみたいにブンブンとリズムに合わせて振ります。その時、右足で拍を刻みながら、右手首を四分音符、八分音符、三連符のリズムで振ります。案外、三連符は難しいです。右手は弓を弾く時のように、手が一直線上に動くように、手前と手元の間を何往復もします。

 左指は握って伸ばしてという運動を繰り返します。もちろん、各指ごとにです。左手はネックをスライドさせるような動きを繰り返します。

 つまり、エアヴァイオリンの動きを分割して行っているわけですね。これを行う事で、カラダのそれぞの部位を柔らかくし、かつ、筋肉をつけていきましょうって事です。この練習はヴァイオリンが無くてもできるので、時間を見つけて、毎日少しずつ行っていきたいです。

2)開放弦で弓の練習

 ここから先は、ヴァイオリンを使った練習です。まずは、全弓を使ってのロングトーンを始め、弓の動きの練習を丁寧に行います。しかし、これが非常に難しい。

 最近は鏡を見ながら、自分のボウイングを確認してますが…いやあ~、涙で前が見えなくなるほどヘタッピ。ほんと、どうしましょ。こりゃあ、普通に練習重ねても上達しねーぞー。何か、手をうたないとダメだろうなあ…。

3)第一ポジションでの左指の練習(各指練習)

 開放弦と各指の練習。指中心で練習をするのがポイントで、たとえば、1指の場合は、開放弦と1指を交互に弾くのを、4~1弦で繰り返して行う。1指を一通りやったら、2指を行うというように、指中心で行う。これは今までも散々やった練習です。これをやっていると、少しずつですが、ヴァイオリンの音程が当たるようになります。

4)第一ポジションでの左指の練習(指のポジション練習)

 開放弦をドと見立てた時の、ドレミファソの練習。今度は弦中心で、4弦で一通りやったら、3弦、2弦、1弦と順番に行う。各弦ごとに行う練習は、以下の4つのパターンを順番に行うこと。

 4-1)開放弦をドと見立てた時の、ド・レ・ミ・ファ・ソ
 4-2)開放弦をドと見立てた時の、ド・レ・bミ・ファ・ソ
 4-3)開放弦をドと見立てた時の、ド・bレ・bミ・ファ・ソ
 4-4)開放弦をドと見立てた時の、ド・bレ・bミ・ファ・bソ

 これを行う時は、まずはピアノでその音を覚えて、歌ってカラダに入れます。そしたら、これらの音を音名(と五線譜での位置)を頭に浮かべながら、実際にヴァイオリンで弾いてみる。最初のうちは、音を(耳と指で)覚えることを主眼に行い、だいたいカラダに入ったら、メトロノームを加えて練習してみること。

 この練習は、まだまだ慣れないので、大変です。

 とにかく、やるべき日課練習が山盛りですわ(汗)。
 
 
 さて、本日の練習曲は「Bye Bye Blackbird」という曲でした。良く知らない曲ですが、ジャズのスタンダードナンバーだそうです。難しい事は抜きにして、この曲のメロディを弾いてみようという練習です。まあ、基本的には楽譜どおりでいいのですが、多少は崩して、ジャズっぽくしてみましょうです。

 簡単な曲ですが、やはり初見は通りません。この程度の譜面なら読めますし、歌えますが、ヴァイオリンでの演奏はムリです。まだまだ、色々と初歩の段階の基本的な技術が足りないんです。ま、焦っても仕方がないので、ゆっくりと上達していきます。

 どこも難しいのですけれど、特に、同じ指で弦を変えていく場所が数カ所あるのですが、そこは特に下手です。なので、その部分を取り出して練習してみました。先生の前で一通り通したので、後は宿題になりました。

 この曲の練習用に、先生がその場で、メトロノームに合わせて、ヴァイオリンで、この曲のカラオケを作ってくれました。このカラオケに合わせて、自宅で練習です。

 そして、今回は時間の都合でできなかったのですが、先生は実はもう一曲用意されていたので、その曲「When You Wish Upon A Star」もカラオケを作ってくださり、後は家で練習という事になりました。

 日課練習も増え、曲も二曲いただきましたので、これで(時間さえあれば)毎日ヴァイオリンの練習ができる、という寸法になりました。ああ、メデタイ。後は本当に、どうやって時間をひねり出すかって事です。ヴァイオリンの練習は、就寝直前の時間帯(だいた深夜の1時頃)にやっているのですが、どうしても眠気に負けちゃうんですよ…。

2010年10月 5日 (火)

体調は悪いけれど、声の調子はいいみたい(汗)[音源付き]

 声楽のレッスンに行ってきました。最近はもう、色々と忙しいので、レッスンに行く前から、ヘトヘトな私です。ですから、今回も発声は、一見、無気力に見えるほどに力の入らない声で歌ってきました。一応、脱力した声で歌っていたつもり(言い訳!)でしたが、途中で先生に「響き!」と注意されました。力みのない声と小さくて貧弱な声は違うのです。なかなかに難しいですね。

 でも、声って、力一杯歌っても、力を抜いて歌っても、結果があんまり変わらないなら、力を抜いて歌った方が、なんぼも“お得”というものです。最近の私は、そんな境地です。力を抜きすぎてヘナヘナにならないように気をつけることさえ忘れなければ、OKなんだろうと思います。

 で、コンコーネです。今回は10番でした。注意点は二つ。一つは、十六分音符をもっと鋭く歌うこと。とにかく十六分音符が甘すぎて、箇所によっては、ほとんど八分音符に聞こえるそうなので、もっと鋭い十六分音符で歌うことが大切です。

 二つ目、18小節目の「F-(ブレス)-D」というところのDの音がちゃんと取れていなくて、その後の音がガタガタになってました。ここは音取りのやり直しです。

 この二カ所だけに注意して、次回もう一度です。それと、次回は11番もやります。きちんと譜読みしておかないと。

 「Il poveretto/哀れな男」は、なんと本日仕上げだったそうです。「ええ! そんな話は聞いてないよ~」と言うのは、私の言い分ですが、先生は「だって、次の曲、上げたでしょう」と言うことです。…ディスコミュニケーションって奴だな…。

 とにかく、仕上げのつもりはなかったので、まだこの曲、80パーセントの出来ですぜ(涙)。

 とにかく、暗譜で歌って録音してみましょう(ゲゲッ!)と言うわけで、ひとまず歌ってみました。アップした未完成バージョンをtake1とするなら、こっちはtake2という奴です。とにかく、歌詞がまだ完全にはカラダに入っていない自覚があるので、歌詞を飛ばさないように必死な思いで歌いました。自分としては、なんとか歌詞を飛ばさずに歌えたし、それなりに感情も入れて歌えたので、歌い終わった時には「結構イケルじゃん」って感じでしたが…先生は「take3を取ろうね…」というお言葉だし、妻は「声が抜けていないよねえ…」と、なんか不評でした。

 120パーセントの力で、頑張ったんだけどねえ…。

 先生がおっしゃるには、まだpとfの差があまりない感じなので、もっとpを語るように歌えと言われます。そのためには、ジェスチャーを付けて歌うのもいいだろうと言うことで、さっそくpの部分では両手の掌を下にむけたまま前に出すというジェスチャー(押さえて押さえて…とか、お静かに~…というジェスチャーですね)をつけることになり、しばらく自主練。

 私が自主練をしている間に、先生は「Addio!」のピアノ練習。「Addio!」を聞きながら「Il Poveretto」を暗譜しなおして、フリまで暗記するのって、結構難行でした(汗)。

 しばらくしたところで、またまた録音。今度はtake3という奴です。

 …自分的には、かなり不満足な歌唱でした。と言うのも、ジェスチャーに気を取られて、気が散って、なんか感情がうまく歌に入らないし、歌詞は数カ所飛ぶし(発音がゴニョゴニョしている部分は、歌詞が飛んでます)、色々と不満な出来でした。あれあれあれ~って感じで歌っているので、最後の頃は、自暴自棄というか「こりゃ、ダメだ」という気持ちになっていました。そういう気持ちがあったせいか、最後で、またまた声の処理に失敗しております。ふう(涙)。

 しかし……先生や妻のウケはよかったです。アレレ?って感じです。歌っている本人は不満足な歌唱なのですが、他人受けはなかなか良かったみたいです。つまりは、自己評価と他人評価が違うわけで、録音を聞いてみたら、確かにtake2よりもtake3の方が出来がいいんです。なぜでしょうね?

 歌手は、自分の感覚で歌の出来を判断をしちゃいけませんね。と言うわけで、今回はこのtake3を最後にアップしておきますので、よかったら聞いてみてください。

 「Il poveretto/哀れな男」は、これで仕上げなので、次は新曲の「Addio!/さようなら」です。

 一週間前に曲が決まって、それから楽譜を練習用にコピーして(ちゃんと楽譜は購入してあるけれど、そっちに書き込みたくないので、コピーをして、そっちに色々と書き込んでます)、音楽用語を調べ、歌詞を訳し、譜読みをして音取りをして…一週間で間に合うわけがないじゃん! おまけに私、風邪をひいて、レッスンの時には言わなかったけれど、時間を見つけては寝込んでいたわけだし…。

 ま、とりあえず、歌ってみましたが、ボロボロ。それはそれは、見事なくらいにダメでした。さすがに先生もアップしろとは言いませんでした。はい、次のレッスンまでには、もう少し歌えるようにしておきます。

 特に後半の、まるでポピュラー音楽のようにリズムが難しくなる箇所は、形にすらなっていませんでした。リズム読みを丁寧に、決して崩さずに、きちんと譜面どおりに練習してくるように言われました。頑張ります。

 それにしても、前回のレッスンから、発声が変わった私ですが、なんかいい感じです。声が楽に出るし、よく響きます。「Addio!/さようなら」の最高音のAsもスラっと出てしまったし…。先生がおっしゃるとおり、たぶん、私、今が発声のターニングポイントにいるんだろうと思います。ちょうど、階段をグンと登っている最中なんだと思う。

 その発声関係で、先生からアドヴァイスがありました。それは「なるべく、ブレスはしないでね」という事です。歌うときに、なるべくブレスを減らす。回数を減らすのはもちろんだけれど、一回のブレスで吸う息の量もなるべく減らす。息はとにかく(気持ちの上では)なるべく吸わずに吐くだけにする。

 そんな事を言われても、不安ですよね。歌っていて息が足りなくなるでしょ。高音を出す時にも息をたっぷり使いたいでしょ。だから、ブレスの時は、短時間で多量の息を思いっきり吸いたいですよね。でも、これは、全部禁止。息はなるべく吸わない。ちょっとだけ吸って、後は歌うだけにする。

 やってみましたよ。そしたら…案外歌えるんですね。それどころか、ブレスしない方が楽に歌えました。

 そう言えば、レーシングカーって、燃料を満タンにはしないんですよね。次のピットインまで走れるだけの必要最低限の燃料しか入れないでレースに臨むそうです。そして、レース中のピットインの回数もできるだけ少なくしておきたい。それと通じるところがあるのでしょうか?

 レーシングカーは分かりませんが、歌に関して言える事は、私はカラダが大きいです(笑)。タッパもありますが、胸がぶ厚い。ほぼゴリラくらいあります(大笑)。つまり、何もしなくても、体内に多量の空気が常にあります。だから、歌うときは、この普通に体内にある空気を使って歌えばいいだけで、深呼吸をして、無理やり空気を取り込む必要はないのだそうです。空気をたくさん吸えば、逆に空気が吐ききれなくなって苦しくなって、空気には溺れるし、かえって息は短くなるし、カラダが肺でパンパンになって、体内の共鳴腔も狭くなるので、響きや音量的にも不利になります。だから、無理せず、体内にはなるべく空気を入れないで、あるだけの空気で歌い、余裕ができたカラダの共鳴腔を目一杯広げて歌えばいいのです。

 これは、誰にでもできる事ではなく、ガタイの大きなテノールに許された特権だそうです。ですから、使わなきゃソンソンってところです。

 しかし、ノドの力を抜いて、息も吸わずに歌えたら、ほんと、歌うのが楽になって、いいよねえ。

 さて、では「Il poveretto/哀れな男」のtake3をアップしますが、今回は、歌詞と訳詩も付けます。訳はもちろん、すとん訳です。では、よろしくね。

Il poveretto/哀れな男
 
 
Passegger, che al dolce aspetto
優しそうな、道行く御方

Par che serbi un gentil cor,
親切な心を持っていらっしゃる、そこのあなた、

Porgi un soldo al poveretto
哀れな乞食にお恵みを

che da man digiuno e ancor, digiuno e ancor.
ずっと何も食べていないのです。ハラペコなんです。
 
 
Fin da quando era figliuolo sono atato militar.
私は、若い時は兵士でした。

E pugnando pel mio suolo ho trascorso e terra e mar;
我が祖国を守るため、陸でも海でも戦ってきました。
 
 
Ma or che il tempo su me pesa,
しかし時間は私に重くのしかかり

Or che forza piu non ho,
今では何の力も持っていません。

Fin la terra che ho difesa,
国は私を守ってくれません。

La mia patria m'oblio.
愛する我が祖国は私を忘れてしまったのです。
 
 
Passegger, che al dolce aspetto
優しそうな、道行く御方

Par che serbi un gentil cor,
親切な心を持っていらっしゃる、そこのあなた、

Porgi un soldo al poveretto
哀れな乞食にお恵みを

che da man digiuno e ancor, digiuno e ancor.
ずっと何も食べていないのです。ハラペコなんです。

un soldo, un soldo.
お金を、お金を恵んでください。

 音源は、こちらです。なるべく、寛容な心で聞いてください。

2010年10月 4日 (月)

バッハはバッハらしく…ね

 フルートのレッスンに行ってきました。はい、レッスンは発表会モードでございます。今回はバッハの「シチリアーノ」と格闘してきました。

 まずは譜読みの確認から。先生の前で、通しで演奏して、譜を読み間違えている箇所はないかをチェックしてもらいました。…つまり、この日までに、とりあえず止まらずに演奏できるようにしておいたわけですが…いや~、大変でしたよ。

 とにかく、止まらない事だけを目標に練習してきて、ようやくレッスン前日に通せるようになったくらいですから、あっちこっちボロボロなわけで…。

 まず、二カ所、明らかな譜読みミスがありました。一つ目は19小節目の二度目に出て来るCisをCと勘違いしていた事。いやあ、臨時記号って、その小節内はずっと有効なんですよね、それをうっかり失念しておりました。二つ目は、最後から4小節逆上った「senza rall.」の箇所の4~6拍目のリズム。ここは、senza rall.[ゆっくりにしちゃダメ、緊張したままで]なので、誤魔化しちゃいけません(笑)。

 この二カ所以外は、いつもどおりに、スラーの区切り無視とか、フレーズの区切り無視とかを注意されました。いやあ、フレーズの区切りを意識するよりも、順番に正しく指を動かす方を優先しておりましたので…。

 間違いは、即座に対応して、直しましたよ。

 いいかげんにしているところは、次回の練習までにきっちりとしてくる事。特にスラーはしっかりスラーをかけ、タンギングをするところはしっかりとタンギングをし、スラーをしながらタンギングをするところは、しっかりとスラーをしながらタンギングをする事。これらの吹き分けを明確にしていく事。こういうのが、単純だけど難しいところです。

 それと、アクセントとかテヌートとかの処理について教わりました。そういう奏法記号があるところの音は、本来メロディが二声になった時の、下のパートの音なんだそうです。つまり、この曲は、楽譜上は、一本のメロディに見えるけれど、実は、同時に二本のメロディ(鍵盤楽器風に言えば、上のメロディと下のメロディ)が同時に書かれていているので、演奏する際は、この音はどちらのメロディの音なのかに注意して演奏するべきで、それがバッハの音楽の特徴なんだそうです。だから、そこをしっかりと把握して、自覚して演奏することが大切って事です。ま、本当はその自覚した演奏がお客にもきちんと伝わるように演奏できるのが理想ですが…。

 ひとまず、アクセントとかテヌートとかが付いている箇所は、下のメロディの音なので、それらの音は、周辺にしっかりと響かせてから、次の音を吹くようにするべきなんだそうです。

 …バッハらしさ、難しいですね。

 あと、音価について、ちょっとアバウトな私でした。特にフレーズの最後は、気持ちよく伸ばしてしまいがちですが、これもしっかり、譜面に書かれている長さだけを伸ばすように心掛けます。特にアンサンブルの場合、なぜ、その音符はその音価なのか…意味があるんですよね。

 宿題…次のレッスンまでに、きちんと(細部に至るまで)譜面どおりに吹けるようにしてくること。まずは、それがスタートラインに立つ為の最低条件って奴で、それができてないとレッスンのしようがないって事です。

 譜面どおりに演奏か…それが一番難しいね(汗)。

2010年10月 3日 (日)

運動会シーズンですね[2010年10月第1週・通算35週]

体重:98.1kg[+1.8kg:-10.8kg]
体脂肪率:28.9%[+0.6%:-3.5%]
BMI:31.0[+0.6:-3.5]
体脂肪質量:28.4kg[+1.1kg:-7.4kg]
腹囲:96.6cm[+3.6cm:-8.7cm]
     [先週との差:2010年当初との差]

 おたびダイエット17週目のはずですが、やっぱり太りました(涙)。今週は一週間、ずっと風邪気味で、体調が生ぬるい感じで具合悪かったです。そういう時って、とにかく食べちゃうんだよね。だって、食べて元気出さないと、歌のレッスンにいけないし、フルートのレッスンにいけないし、ヴァイオリンのレッスンにいけないし、ピアノのお稽古にもいけないし、何と言っても、仕事ができない! あ、ピアノはお稽古してなかったっけ(笑)。

 とにかく、今週はたくさん食べちゃいました。で、太りました。そんなダメな今週の私でした。ああ、頭イテー…。

 さて、運動会シーズンになりました。おかげさまで、あっちこっちの運動会をチョボチョボと見させてもらっています。色々な運動会があり、色々な感想がありますが、今回は、この前、ふと思ったことがあったので、それを書きます。でも、それはもしかすると、地域特有の問題かもしれませんので、あえて普遍化はしません。ひとまず「湘南地方では…」と言う、狭い限定された範囲の話にしておきます。

 運動会でダンス種目というのがあるじゃないですか? あのダンスって、なぜ、フォークダンス系のものなんだろう? それも、どっかのイスラエル系のとか、どっかのロシア系のとか、なんか昔東欧って呼ばれていたっぽい国系のとか、そういう系統の国のダンスでしょ。

 ダンスそのものに恨みも怨念もないので、それらを学んで、運動会で披露することはやぶさかではないのですが、よく知らない外国の民族ダンスを学ぶのなら、なぜ、日本の盆踊りを学習しないのかが、実に不思議。順序として、まずは母国の民衆のダンスから学び始めて、外国のフォークダンスを学ぶというのが順序だと思いますが、いかがですか?

 だってね、私は、マイムマイムは踊れるけれど、盆踊りってまともに踊れないよ。変でしょ。こんなオトナは、私で終わりでいいじゃん。子どもたちには、日本のダンスを教えてやって欲しいのよ。運動会では、みんなでやぐらを取り囲んで踊ってみれば、もりあがっていいじゃん。

 …って私は思うんだよね。

 それとも、フォークダンスはかっこ良くて教育的な踊りだから良いのだけれど、盆踊りはかっこ悪いし低俗だから教育の場にふさわしくないって事なのかしら? まさか…ね。

 少なくとも、音楽の時間に、ほんのちょっとだけれど、邦楽(雅楽とか三味線音楽とか文部省唱歌とか日本歌曲とかね)も教えるでしょ。あの程度には、日本の民衆のダンスを体育の時間で取り上げて欲しいなあ…って思うわけよ。

 今は昔と違って、地縁もかなり薄くなってきた時代でしょ。学校で教えて上げないと、その手のものって、次世代に、きちんと伝わらないと思うんだよね。取り返しがつかなくなる前に、手をうって欲しいのよ。

2010年10月 2日 (土)

金魚のダンスって、見た事ある?

 私はこの年になるまで、見たことありませんでした。

 踊っているのは、スズネとサクラです。何を踊っているのかというと、だいたいチークダンスですが、たまにクイックステップを踊っています。かわいいですよ。

 もっとも、当人たちは踊っているという意識はなく、単純にエサの奪い合いだったり、求愛行動(どうやら、スズネは男の子らしいです。で、水槽中の女の子たちをナンパしまくっているんですが、一番気にかかる女の子がサクラのようなんです)だったりするんですが…。

 金魚のチークダンスは、頬を寄せ合い、人に向かって、水槽の壁面を上下左右に同じ動きをして踊ります。クイックステップは、交互に先頭を入れ代わりながら、つかず離れずに猛スピードで水槽の中で円運動をしています。実になかなか、優美でかわいいものです。

 これでワルツでも踊れるなら、楽しいのだけれど、ワルツはなかなか金魚には難しいみたいです。

2010年10月 1日 (金)

ヴァイオリンの選び方なんて分からないよ

 先日、フルートの選び方について提案させていただきましたが、もう一つの私の楽器であるヴァイオリンについても、類似の記事を書こうと思いましたが…断念いたしました(笑)。

 …と言うのも、私、まだヴァイオリンをきちんと選んだ事、なかったんですね。もちろん、試奏は何度もやってますし、初級者のくせに、楽器の違いとか色々と感じる部分はあるのだけれど、やはり「自分だけの1梃」を選んでないわけで…。

 いやあ、自分で自分の楽器を選んでいないのに、エラそうに他人様に選び方なんて書けないじゃないですか? それに、私の場合は、ヴァイオリンを選んだんじゃなくて、作ったわけだしね。

 だからと言って「ヴァイオリン、自作の勧め」は、さすがに無いですね。やっぱり、ヴァイオリンは楽器ですから、本当に良いものが欲しければ、自作ではなく、きちんとした職人さんの作品の方がいいと思います。

 ま、それはともかく(笑)、話は前後しますが、何の因果か、私は、ヴァイオリンに関しては完成品を選んで購入せず、未完成のホワイトヴァイオリンを入手して、自分好みに仕上げて調整して使ってます。

 さて、これって…と思ったところ、あれあれ、もしかすると、私がやっている事は、光源氏君と一緒かな? って気がしました。

 つまり、光源氏って人は、女性として未完成である幼女の若紫を入手して、自分好みの女にに仕上げてカスタマイズして調整して愛したわけでしょう。もしかすると「…あれと一緒じゃない?」って思いました。違うのは、あちらは素材の段階で、お気に入りの素材(若紫)を入手できたのだけれど、私の場合の素材は、あまり上等ではなかったという違いはありますけれどね。

 しかしまあ、やっている事は、光源氏と一緒、なんて思うと、ちょっぴり嬉しいですね。

 とは言え、はっきり言っちゃうと、ミヤマは大した楽器じゃないです。たぶん、これが楽器屋に並んでいたら、選ぶかどうか、微妙です。

 音色とかは、さすがに私の好みのど真ん中ですが、音量が不足していたり、楽器としての反応は早くないし(たまに音抜けしてます)、見た目が黒っぽい(私は明るい色の方が好きかも…)とか、有名メーカー品じゃないし(笑)、作者が無名だし(爆)、ラベルがないし(劇笑)…。プロ奏者が使う楽器…どころのレベルじゃなく、おそらくアマチュア奏者であっても、それなりの腕前の方だと、きっと不足を感じるレベルだと思います。

 そういう意味では、フルートのアゲハとは、かなり違います。あっちは、プロ奏者も使う楽器ですし、実際、使っているプロ奏者の方も世界中にいるし…。でも、ミヤマは、と言うか、この手のキットヴァイオリンを使うプロやアマ奏者は…いるはずないですね。

 でも、私、ミヤマが好きです。この子が来てから、急に“ヴァイオリン欲しい病”が収まっちゃいました。もちろん、理性では、この子の力不足は分かっていますから、いずれは、もっとちゃんとした楽器が欲しいと思うものの、感情では「これでいいや、この子がいいよ」と思ってます。

 つまり、ミヤマで満足してます。

 なぜ、欠点も多々あるのに、ミヤマで満足しているのか…確かに音色が私の好みだし、使いやすいし、弾きやすいけれど、一番の理由は…愛着かな? そう、私はミヤマに愛着を感じています。この楽器を、楽器そのものを、愛しているんだと思います。

 やっぱり、私の手で仕上げた楽器だからね。他人が作った完成品を入手するのとは訳が違います。不出来な子だけれど、いや、不出来な子だからこそ、かわいい。デコボコしている表面も、塗料やニスの塗りムラも、かわいいんですね。楽器がかわいい、それも冷静でいられないくらい、かわいい。この感覚はちょっと新鮮かもしれない。

 そう言えば、バイクファンには二種類のタイプがいるそうですね。性能を追求して、よりパワフルでより快適な走りをするバイクに乗り換えていくタイプの人と、自分でエンジンをバラして、チューンアップして、世界に一台のオレだけマシンに仕立て上げて愛用していくタイプと。私はバイクには乗りませんが、きっとバイク乗りになったら、後者のタイプの人になるんじゃないかな…って気がします。つまり、ミヤマに愛着を感じるってのは、そういう事でしょ。

 だから、良い楽器の入手手段としての自作は薦めませんが、かわいい楽器の入手手段としての自作は…リスクがありますが…悪くはないですよ。それに、腕さえあれば、もしかすると、極上の一台を入手することだって、不可能ではないですからね。

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