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2010年10月17日 (日)

楽観主義のすすめ[2010年10月第3週・通算37週]

体重:96.8kg[+0.1kg:-12.1kg]
体脂肪率:28.6%[-0.5%:-4.2%]
BMI:30.5[+0.1:-4.0]
体脂肪質量:27.7kg[-0.3kg:-9.4kg]
腹囲:94.0cm[-0.2cm:-10.3cm]
     [先週との差:2010年当初との差]

 おたびダイエット19週目です。しっかし、見事にダイエットは停滞期突入ですね(汗)。こういう時にドタバタすると、ヘマをするので、今はただ、黙って耐え忍ぶ…そんな時期なんだろうと思いますが、ひもじい思いをしている割に、体重が減らないので、なんかイラッと来ますね、正直な話。

 さて、今週のエッセイです。

 フランスの哲学者であるアランさんは「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」と、その「幸福論」の中で述べました。いい言葉ですね。

 私は子どもの頃、悲観主義でした。「どうせダメだから」「やるだけムダ」「良い事をしても誰も見ていないし、頑張っても誰も誉めてくれないけれど、失敗したら怒られるし、ヘマをしたら叱られるだけ」とか、いつも思ってました。貧しい家に育ったし、家庭環境もかなり不幸な状況だったし、下層階級出身だし(笑)。だいたい、地域に住んでいる周りのオトナたちが、みんなイジケて、どんよりしていたので、そういう気分が子どもの私にも伝染ったんでしょうね。貧乏人が集まって生活している地域にも、色々なレベルの地域がありますが、私のところは、そんな感じで活気があまりありませんでしね。だから、私は年端もいかないうちから、筋金入りの悲観主義者になりました。

 そんな生い立ちだったから、自分に自信がなかったです。世の中を信用していませんでした。オトナをあてにしていませんでした。口を開けば、不平不満ばかりを言ってました。

 悲観主義。世の中に背を向け、世の中を恨み、いつでも「なんで自分だけが…」と不平不満を心にためて、いじけて生きる、そういうライフスタイルです。人生は失敗の連続だと思っていたし、この世に一つだって良いことなんて無いと思ってたし、自分たちばかりが不幸だと信じていました。だからと言って、何か新しいことを始めるでもなく、かと言って、現状に満足しているわけではなく、いつも他人をうらやみ、自分と家族と社会を呪ってました。

 ああ、今思えば、実に悲しい生き方ですね。中学生の頃までは、私も私の周辺のオトナたちも、地域ぐるみで、そんな感じでした。だから、貧しい人間はいつまでも貧しいんだと思います。

 そんな私の世界が変わり始めたのは、高校に入ってから。親は中卒で働けと強要していましたが、なんかそれがイヤで、親に逆らって、意地になって勉強して、高校に無理やり進学(当然、親のサポートは無し)したら、世界が変わりました。

 私が進学した先は、地元の進学校(とは言え、私の住んでいる地区とは全然別の山手方面)だったので、そこにいた学友たちは、私の中学校までの取り巻きとは全然違いました。実際、私の通っていた中学校から、その高校に入ったのは、私ともう一人だけでしたし(って、如何に私が勉強大嫌い中学校の出身か分かるものです:笑)。なんかもう、世界が違うんですよね。明らかに、私が進学した高校は、お金持ちや地元の名士の子弟たちが通う学校だったんですよ。

 いいトコの坊ちゃんたちは、違いましたね。何が違うって、何事も“屈託がない”し“自然体”なんだね。とにかく、人生に余裕があるって感じ。彼らは目つきが違う、とにかく優しい眼差しなんですよ。つまり、品がいいんだ。何事にも余裕があって、ガツガツしていない。

 そういう世界って、私にとっては始めてでしたね。ってか、そんな世界があるんだね~と驚きでした。まるで、外国に行っちゃった感じでした。ま、実際、地元のプチセレブの世界に留学していたようなものだったんだけどね。

 彼らに共通していたのが「とにかくやってみようか」「きっとどうにかなるよ」「心配ないよ」などの肯定的セリフでした。それまで否定的世界に住んでいた私にとって「何事も肯定する」「ひとまず現状を受け入れる」「未来に対して気楽に考える」というのは始めての経験でした。それは彼らだけでなく、学校全体がそんな雰囲気だったし、彼らの家に遊びに行くと、彼らのご両親や取り巻きの人たちも、そんな感じの人ばかりだった。あれが“幸せな生活”って奴だったんだと思う。

 自分の生活している地域から離れて、別の地域の高校に入って、いわば“異文化”の中に入れられて揉まれて成長しました。良い経験だった思います。そこで私は頑張って、次のステップである、大学に進学したら、そこはもっと優しい世界でした。なにしろ、私を取り囲むお坊ちゃんのランクが確実にグレードアップしてましたからね。金持ちに囲まれた苦学生という立場は、楽しくもあり、悔しくもありましたが、こればかりは仕方がないです。生まれた地域にしがみついて生活していたら、知ることのできなかった世界を垣間見れたおかげで、人生の幅が広がりましたね~。

 いやあ、日本にも、階級というのがあるんだなあと肌で感じたものです。

 それはともかく、友人の影響は強いと言うか、朱に交われば赤くなるというか…。そういうガツガツしていな人たちと付き合っているうちに、私も、いつの間にか、世の中に対する不平不満を、私は口にしなくなりました。世界を肯定的に見ることができるようになりました。彼らのようなに、現実を肯定し、未来を気楽に考えるやり方を身に付けていきました。世の中を、オトナを、家族を恨むのをやめました。社会に背を向けるのではなく、正面から見つめて、現実を受け入れて、その上で、自分は今、何ができるのかを考えるようになりました。いわば、悲観主義者から、楽観主義者へと、宗旨がえをしたわけです。

 そうすると、不思議な事に、世界が輝いて見えるようになりました。
 
 
 私の子ども時代は、実際、不幸だったんだと思います。私を取り巻く状況も不幸だったと思うけれど、何よりも私の心が不幸な状態だったと思います。

 でも、学生時代に、自分とはまるっきり違う世界で暮らす人々と接して、私も少しずつ色々と変わっていきました。学生生活を終える頃には、私は自分の人生がマズマズ幸せであると感じられるようになっていました。

 だからと言って、私の生活が劇的に変わったわけではないんです。ただ、私が私の人生を不幸と感じるか、それとも幸せと感じるか、その感じ方が変わっただけです。感じ方が変わっただけで、決して、金銭的に恵まれる事は、相変わらず、無かったし、誰かを打ち負かして勝ち得たもののおかげで幸せになれたというわけでもありません。冷徹な目で見れば、私の人生は、物質的には、そんなに大きく変わっていないと思います。

 でも“現状を否定しながら生きていく”の止め、“現状を受け入れて、未来を気軽に考えて生きていく”生き方に、自然と変わっていった事で、私は、私の人生を幸せであると感じられるようになったのだと思います。

 そしてオトナになって、アランの「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」と言う言葉と出会って、ああ、そうだったんだ。まさに、そうなんだ、と思い至ったのでした。

 私の経験から言えば、たぶん不幸って、現実を表現している言葉ではないんだと思います。不幸って“気持ちの問題”つまり“気分”って奴で「何となくそんな満たされていないような気がする事」なんだと思います。根拠のない欠如感、原因の分からない閉塞感、そんなはっきりしないマイナスの感情が溜まっていって不幸の雰囲気を作り出し、不幸の雰囲気が、いつしか人々の心を蝕み、本当の不幸に突き落とすのだと思います。

 その証拠に、端から見ていて、何不自由のない生活をしているような人でも、心が病んで、不幸の雰囲気を醸し出している人は、やがて生活も転落して、本当に不幸に身をやつすものですが…そんなケース、あまりにありすぎて、今や、ドラマのネタにもなりゃしないでしょ。

 そして、私が思うに、おそらく、幸せも“気分”の問題なのかもしれません。

 不幸も幸せも“気分”の問題なら、気分をちゃんと保って、みんなで幸せになっちゃえば、いいんじゃないの? ね、そう思いませんか?
 
 
 では、どうやって幸せになればいいのか、それはそんなに難しい事ではないと思います。それはおそらく…

 「恨む」「妬む」「ひがむ」「不平を言う」「あきらめる」などのマイナス方向の思考をやめ、「現状を受け入れる」「気軽に考える」「期待する」「前向きに考える」などのプラス方向の思考を積極的にしていく。

 これだけで、幸せになれるのだと、今の私は考えます。つまり、アランの「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」という言葉を実践することで、人生が楽観的になり、幸せになっていくのだと思います。
 
 
 今、多くの日本人たちは、自分たちを幸せだと感じているでしょうか? それとも不幸だと感じているでしょうか? 物質的には豊かな生活を送っている人が大半だと思いますが、その物質的な豊かさに相当するほどの、幸せを感じているのでしょうか?

 もしも、そうでないなら、それは何かが足りないからだと思いますが、私は「楽観主義」が足りないのではないかと思います。

 今、日本に住んでいる大半の人にとって「明日はどうにかなる」ものでしょ。衣食住の心配など夢にもしていない人ばかりでしょ。例え、困難が待ち受けていても、それで殺されてしまうような状況って、まずないでしょ。「待てば海路の日よりあり」じゃないけれど、毎日の生活なんて「きっとどうにかなる」ものです。だから、いちいち心配しても仕方ないじゃないですか。

 毎日を明るい気分で生活しましょう。歌いましょう。踊りましょう。親しい友人とお茶を飲みながら馬鹿話をしましょう。明るい散歩道を歩きましょう。大きな声でお腹の底から笑ってみましょう。熱中できるナニカを見つけて、一心不乱に取り組んでみましょう。

 私たちはもっと楽観的に生きられるはずです。それができれば、私たちは、幸せになります。そしてそれは、そんなに難しい事ではないはずです。

 今の日本を覆い尽くしている不況って、気分から生まれたものではないかと私は思ってます。気分から生まれ、それがやがて実体化したもの、それが今の不況。つまり、この不況と言うのは、悲観主義の産物…じゃないでしょうか?

 だからこそ、一人一人が楽観的になる事で、このヒドイ状況がきっと克服できると思います。個人の幸せが、家族の幸せや社会の幸せ、国家の幸せ、ひいては世界の幸せにつながっていくと思います。

 楽観主義で行きましょう。ぜひ、行きましょう。

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コメント

この記事、激しくうなずいてしまいました。
育ちの良い人というのは本当にがつがつしてないと思います。
私は育ちが良いというわけではないですが、自分の取り得は”のんき”なことだと思っています。
あ、あとどんなに悩んでも食べて眠れることもでしょうか。(笑)
私、本当に親や夫にもあきれられるくらい”のんき”な人間なのですが、それで切り抜けてきたことも多いような気がします。
プラス思考というほど積極的でもないし、いまだに”のんき”の範疇であってもそれなりに人生経験を積んでいますので”頑張りズム”(こんな言葉ないですね。)とも違いますが。

ちょっと♪しあわせならてをたたこう♪が頭をよぎっていたこともあって、いろいろ考えてしまいました。

  ↑
文章に説明が足りませんが、「頑張ればできるようになる」と思うほど甘い考えを持っているわけでもないということです。
現状を肯定するというのも簡単にできているわけでもないですが、上を見たらキリがないけれど現状の中でも楽しめてしまう自分というのもいます。
だけど今よりもちょっと良い状況にしたいという欲はあります。

>Ceciliaさん

 人生、何事も頑張らなければ出来ません。でも、頑張ったからと言って、必ずできるようになるわけでもありません。最初から諦めてやらないのはイケませんが、努力至上主義も効率が悪いです。こういう言葉は誤解を招きやすいという自覚の元に、あえて書きますが、努力は才能のある人間が行ってこそ意味のあるもので、才能のない人間の努力は、単なる徒労に終わることが多いのです。人生は有限だからこそ、自分の人生のエネルギーをどの部分に注ぎ、どの部分から撤退するべきか、あるいはどこまでの達成で良しとするか、そこの見極めって、とても大切だと思います。

 生きるって、難しいですね。そして、己を知る事は、もっと難しいですね。

>あとどんなに悩んでも食べて眠れることもでしょうか。(笑)

 これはうらやましいです。私は、食べる方は大丈夫ですが、眠る方はちょっとキビシイかも…。いったん悩み始めると、脳がフル活動をしちゃって、結局、興奮冷めやらず、寝るタイミングを逸してしまうというタイプなんですね。で、その睡眠不足を栄養補給で補うので、ますます太る…と(悩)。なので、私は“ストレス太り”をするタイプなんです。

 のんき。良い言葉だな。“楽観主義”と言うと、言葉が硬くていけませんね、“のんき主義”って言った方が、のほほんとして良いかも(笑)。

 あと「分をわきまえる」という事も、楽観主義の隣にある考え方でしょうか? 現状を受け入れるけれど、現状で諦めない。上を目指すけれど、ガツガツしない。要は、精神の安定を優先し、人生のエネルギーバランスをよくよく考えて行動する、って事なんだと思います。

 上昇志向の人には「小市民の幸せ」って揶揄されそうだけど、私は小市民でいいや。いつも何かに欠乏していて飢餓感に悩まされているよりも、精神的に満ち足りていて幸せな生活の方がいいもん。

「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである」

なるほど。真実ですね。
ほっておくと悲観になってしまうところ、自分の意志で前向きになろうとするための
生きる知恵なのかもしれませんね。
いやなことがあったとき、あえて楽観主義にもっていこう・・・とか。
私も実践してみます。
アランの「幸福論」はやはりいいのですね。
ヒルティの「幸福論」とともに、気になっています。
読んでみます。

>かさん

 アランにしても、ヒルティにしても、昔の人(って言い方は失礼かな?)は、良い事を言ってます。いや、良い事を言った人の言葉だけが、時代を超えて残っていくってところでしょうか? それが“古典”って奴です。

 私は、だから、人間は勉強していかないといけないって思うんです。勉強をするとは、知識を蓄えていく事です。知識がなければ、正しい判断はできないと私は思ってます。歴史を学び、先人たちの知恵の言葉(古典)を知り、科学と芸術に親しむ事がなければ、人として正しい道を歩む事はできないと思います。

 そういう事を、本当は若い時に、学校できちんと教えるべきだと思うんです。なぜ、勉強しないといけないのか、どうやって知識を活用していくのか、とかね。でも、現実の学校は、受験指導で手一杯なんですよね。私は受験指導を否定しませんが、せっかく学力と言う武器を身に付けさせるなら、その武器の正しい使い方を教えないのは片手落ちだと思ってます。

 だから「学校で教わった事なんか、社会じゃあ通用しないよ」なんて言うオトナが出ちゃうんだと思う。「社会じゃ通用しない」んじゃなくて、あなたがその使い方を知らないだけでしょ、って、私は思うだけですけれどね。

こんにちわ。
ある意味、一番の勝者はすとんさんの御両親のような気がしますが・・・・。

我が家も、上が中3、受験で‥‥私は、中学の間は義務教育(扶養家族)なので、物欲、やりたい事を我慢する事は必要だと思うのですが、なかなか・・・日々バトルです。
私も言うんですよ「そんなんなら、中卒で働いて、自分の好きなもの買え!」って。
今の女子中学生は、休日に化粧とかしますから(うちはさせないですよ)
大人が良くないと思うのですが・・・あ、すみません、話ずれました。
しかし、不景気な話が多い世の中ですが、「日本に生まれた幸運をみんな喜ぼうよ、60?億分の1の幸運だよ」と思います。
最近教えていただいたのですが、
「たかきやに のぼりてみれば けむりたつ たみのかまどはにぎわいにけり  仁徳天皇 御歌 」
‥‥また、今上天皇が、このような気持ちになる世にしていかなくてはなりませんねぇ。

>YOSHIEさん

>ある意味、一番の勝者はすとんさんの御両親のような気がしますが・・・・。

 あら、意外な切り口。まあ、ウチの両親は、確かに「人生負け組」ってわけじゃないです。もちろん「勝ち組」かと言われれば、即座にNo!ですが(笑)。それなりに、のほほんと、こじんまりに暮らしているみたいです。

 あの人たちも、いつのまにか、下層階級を脱して、平々凡々な日本国民として平均的な生活ができるようになりました。私が子どもの頃のご近所さんたちは、未だにあの土地で、相変わらずの生活をしている方も大勢いらっしゃいますから、成功した部類に入るのかもしれません。…それにしても規模が小さくて地味な成功だなあ…。

>私は、中学の間は義務教育(扶養家族)なので、物欲、やりたい事を我慢する事は必要だと思うのですが

 私は中学はおろか、親と同居してい間は“部屋住み”なので、当然、親による干渉制限抑圧はあって当然だと思うし[親の]家庭というのは、思春期の子どもにとって、ある程度は居心地が悪いものでなければいけないと思ってます。でなければ自分で、独立しよう、自分の家庭を持とう、とは思わないものです。現代日本の、ニート問題とか晩婚社会などは、親の家庭が子にとって居心地が良過ぎる事から生まれている問題の一つだと思ってます。

 もし、息子君がわがまま放題を言い出したら「やりたい事があるなら、自分で稼いで、家賃と食費を収めてから言え!」と言うつもりですが、彼は今のところ、羊のように従順な子どもなので、逆な意味で心配です。

>日本に生まれた幸運をみんな喜ぼうよ

 ほんと、そうですよ。だから私は、日本に生まれて、日本人としの恩恵を十二分に受けているのに、反日で凝り固まっている人って、オカシイと思います。まるで、親の庇護の元で贅沢な暮らしをしながら、親に反抗している中学二年生のようです。半人前の子どもならともかく、いい年したオトナが反日だなんて…オカシイよね。

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