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  •  今時、インターネットエクスプローラーを使っているヤツが悪いんだろうけれど、今日のインターネットエクスプローラーは動きが遅いし、挙動が不審だ。でも、インターネットエクスプローラーじゃないと困る事だってあるんだよね。最新ブラウザのエッジがすべての面で、旧式のインターネットエクスプローラーよりも優れているわけじゃないしね。ああ、困った困った。
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2009年11月29日 (日)

どうして人を殺してはいけないの?[2009年11月第5週・通算47週]

体重:104.6kg[+0.1kg:-1.2kg]
体脂肪率:31.8%[+-0.0%:-0.5%]
BMI:33.0[+-0.0:+0.1]
体脂肪質量:33.2kg[+-0.0kg:-0.7kg]
腹囲:103.3cm[+0.3cm:-2.9cm]
     [先週との差:2009年当初との差]

 そふくしダイエット第38週目です。実は、声楽のレッスンの時に、キング先生から「最近、太ったそうだけれど…」と尋ねられましたが、数字的にはこの通り、太ったわけではありません。ただ、太っているだけです。ちょっとの違いですが、私には大違いです。

 ああ、でも、やっぱり、太っている事は事実。なんとかしないといけません。

 さて、今週のエッセイです。

 どうして人を殺してはいけないの?…いきなり、エキセントリックなところから入ってしまってすいません。

 どうして人を殺してはいけないの?
 どうして人を傷つけてはいけないの?
 どうして嘘をついて、人をだましてはいけないの?
 どうして人の悪口や陰口を言ってはいけないの?
 どうして人をうらやんだり、ねたんだりしてはいけないの?
 どうして人のモノを欲しがってはいけないの?

 どうして…でしょうか?

 みなさんは、もし子どもや若い人に、こういう質問をされたら、どう答えますか?

 私が個人的に思うに、こういう質問に答えるのが苦手な人たちの一部に、学校の先生が属していると思います。試しにお子さんのいらっしゃる方は、学期末の個人面談の時にでも「先生、ウチの子が『どうして人を殺してはいけないの』って聞くんですが、学校ではどのように教えていらっしゃいますか?」と尋ねてください。あるいは「聞かれたらどうしましょう」でも良いと思います。おそらく先生、しどろもどろになるか、せいぜい個人的信条を述べるくらいしかできないと思います。

 せめて「日本の法律では、これらの事は違法とされているんです」くらいの答えはして欲しいと思いますが、それすらなかなか出てこない先生はたくさんいます。もっとも“殺し”や“傷害”なら法律を持ち出してもいいかもしれませんが、“嘘をつく”“悪口や陰口を言う”“うらみ・ねたみ”“他人のモノを欲しがる”などに対して、法律を持ち出すのも、ちょっと変かもしれません。

 それに、法律って…、法律には前提があって、それは『国家あっての法律』なので、日本国そのものの権威を認めない左翼系の人々は「日本の法律では…」という論旨で話をするのは、居心地悪く感じるようなんです。

 それもあって、どうやら、このあたりのところって、学校教育の中の“エア・ポケット”のようなんですね。特に公立学校で、組合が強いところの先生方は、自分たち自身が強い左翼系の思想信条を持っている方々が多くて、どうにも答えに窮する方々が多いと見受けられます。

 なんでもかんでも、学校で教わればいいと思いませんが、でも、学校できちんとこれらの事を教えてもらえなかった人たちが大人になっているのが、今の世の中、今の日本社会なんだと思います。そして、教わらなかった人たちが、また学校の先生になって…とまあ、そういう事になっていき、ドンドンそういう人たちが再生産されているような気がします。

 あ、学校の先生の悪口を言うのが、今回の主旨ではありませんので、誤解しないでください。

 先に書きましたが、「日本の法律では~」は確かに一つの答えですが、でもそれは、あまり美しくない答えだと思いますし、日常の生活感覚の中に『法律』という概念を持ち込むのは、あまりに野暮というものです。もっとスマートな答えはないのでしょうか?

 おそらく、現代の日本には「どうして人を殺してはいけないの?」という問いかけに、国民すべてが納得する、明快な解答はないのかもしれません。誰かが何かを言えば、必ず別の誰かが反論をする…それが現代日本の姿であり、弱点であり、某国の占領政策が効いている証拠です。

 少し前なら「お天道様に恥ずかしい事をするんじゃないよ」のひと言で解決していたと思います。でも、今はそんな事は誰も言いません。教えません。伝えません。

 古来からあった、日本の倫理観の一つが途絶えてしまって久しくなってます。私はそう思ってます。

 みなさんは、お子さん方に「どうして人を殺してはいけないの?」という質問をされたら、なんて答えますか?

 私は単純明快に答えます「神様がダメって言ってるから、ダメ」

 理屈にも何にもなっていませんが、これで押し通します。小学生くらいまでなら、これで十分です。もう少し生意気な年代になってきて、文句を言ってきたら、聖書の十戒のページ(「出エジプト記20章」です)でも開いて「ほれ、こう書いてるだろ?」と示してやります。中学生くらいまでなら、これでOKです。別に聖書でなくても、仏教聖典でもコーランでも何でもいいでしょう、宗教の教典なら大抵OKです。

 では、もっと年齢が上になったら…もう私の手には負えません。きっと、私に質問する前に、人を殺してますね、もうすでに(涙)。

 私は『神様』という言葉を使いましたが、本来は『神様』という単語を使う必要はないでしょう。私は聖書を開きましたが、本来は聖書を開く必要もないと思います。ただ、これらから私は子どもたちに、自分たちよりも上位の存在がこの世にいらっしゃって、私たちは、これらの存在に対して、常に畏れをいだきつつ、生活を律しながら生きていくべきだ、と教えます。

 そうです。私は、今の人はあまりに『畏れる』事を知らなすぎると思ってます。『畏怖する対象』を持たずに生きていると思ってます。『畏怖する対象』を持たずに『畏れる』事なく生きている人間は、自分の行動を律する規範を持ちません。

 そこが問題だと、私は思ってます。

 自分の中に『畏れる対象』がないから、平気で人を殺します。
 自分の中に『畏れる対象』がないから、平気で傷つけます。
 自分の中に『畏れる対象』がないから、平気で嘘をついて、人をだまします。
 自分の中に『畏れる対象』がないから、平気で人の悪口や陰口を言います。
 自分の中に『畏れる対象』がないから、平気で人をうらやんだり、ねたんだりします。
 自分の中に『畏れる対象』がないから、平気で人のモノを欲しがります。

 学校教育に、道徳を組み込む事は、色々なところから批判があるようですし、現実的には現場サイドの判断で、学校で道徳が教えられる事は、まずありません。ならば、せめて、倫理観のある人に、道徳的観念のしっかりした人に、教師になってもらって、その背中を子どもたちに見せて欲しいです。

 少なくとも、嘘をついたり、人をだましたり、ねたんだり、そねんだりしちゃう人が教師をやっているのなら、辞める訳にもいかないでしょうから、即刻、その行動を改めて欲しいと思います、難しいでしょうが…。

 また、今の大人たちに対しても、社会教育の一貫として、最低限の倫理観や道徳観が身に付くような番組制作を、マスコミ関係の方々(特にテレビ関係者)には願いたいです。今のテレビ番組を見ていると、倫理観を身に付けるどころか、非倫理的な行動や反社会的な行動を推奨しているような番組が多いような気がします。

 もちろん、親たるものは、自分の子に対して、これらの倫理観をきちんとしつけるべきです。

 「水清くして魚住まず」とは確かに言いますが、だからと言って、汚れた水では魚は生きていけません。

 少なくとも「どうして人を殺してはいけないの?」という質問が思い浮かぶことがないほどに、道徳的にも倫理的に、一本筋の通った社会にしないと、私たちの日本は、どんどん衰退していってしまうと思います。

 罪が増えた社会は、暮らしづらくて仕方がないです。そんな社会を子どもたちに手渡さなければいけないのは、今の社会を形作っている大人として、恥ずかしい事だと思ってます。

 まずは、確固たる倫理観を日本人が全員で共有すること。ここを踏ん張らないと、日本がなくなってしまうような気がします。

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ダイエット&エッセイ」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。

 今回の話題全部には触れられませんが、「どうして他人のものを盗ってはけないのか」という点について書かせてください。なおこういう場合の「ひと」は「他人」と表記します。「ひとごと」は「他人事」と書きます。

 私が一応名前と顔を知っている人物であるところから製品を盗みそれをオークションに出品して売ってしまった人物がいます。オークションをウォッチしていて変に思ったので作っている人に連絡しましたところそれはおかしいという事になりました。まだ発売して間もないので売れた先は全部分かっているそうなのです。
 その人物はその人(製造者)のところに何度も来ている人物だったのです。その人物に入手先を問い合わせたところ「オークションで」という回答だったそうですが、なお「出品したのは誰か」と問いつめると「群馬県の人」などと言っていたそうですが、結局その製造者のところから盗んだ事を認めたそうです。

 その人物はもちろん子供ではありません。フルートメーカーの M者を退職したのだそうですが、もちろん定年までは相当時間があるはずの年齢層です。オークションに出品したときの商品説明に「○○○○フルート製作所にて30000本以上のフルート製作に携わりました」と書いていました(○○○○の部分は実際の会社名です)が、どうみても本当とは思えません。その説明を何度も使うので何度か質問してみましたが、全く回答しません。
 あるときやはり回答しないので「それは製品を実際より優良と誤認させる表現で問題である」旨の質問を書き込みましたところ「他と比べて優良とはどこにも書いていない」「吹いてみた事があるのか?」「ろくに吹けもしないくせに」という意味の回答を書きました。

 この人物はその後一度同じように頭部管を出品しましたが、現在出品している商品ではその説明は使わなくなりました。しかしいつまたそういう行為をするか分かりませんし、他にどういう事をしているのかも分かりません。

 盗んだ品物については弁償したので警察沙汰はなりませんでしたが、私だったら弁償させないで訴えます。こうした人物は罰を受けないといけないと思うのです。

 大学まで出て大手のメーカーに勤める事ができる人間がこんな事をするというのはなぜなのでしょうか?何が間違っているのでしょうか?
 フルートの腕は確かに私より上です。しかしこんな言動をする人物が演奏する音楽はたとえ技術的に優れているとしても「良い」音楽と言えるのでしょうか?

私の場合、不可知論者、正確に言うと
「万能な神は存在しない」論者なので、
すとんさんの、神や聖書からのアプローチはしません。

人、生きるものは意外とあっけなく死んでしまいますし、
そうでなくても、いずれは死に至ります。
しかし、ここに今存在しているという
奇跡ともいえる事実もあるわけですね。

死という一線を超えてしまったその向こうに何があるのか、
我々は知り得ません。バイブルやコーランにあるように、
信じればある条件で何らかの救済なるものがある、
のかもしれません。
ずっと生まれ変わりながら、最後は涅槃に入る、
のかもしれません。

分かっている事実は、人生って80年程度生きるとして、
日数にして3万日足らず。3分の1は寝ているとしたら、
2万日足らずしか、意思を持って活動できないんです。
死の向こうには何の約束もないのです。

周りに人を含めていろんな生き物がいます。
その生き物の存在を感じ、同じ時間、
空間を共有していることの奇跡。
生まれたことの理由(わけ)、結局は死んでしまう理由。
理由はわからないけれど、
せっかくこの世に生まれて何かを感じているのだから、
死ぬまでの時間、楽しんで、大事に生きて行こうよ、
それは周りの生きているものも同じで。

でも、生きるためには他者の死のおかげで
生命を維持できる謎のシステムではあるのだけど。
生き物を食してエネルギーに変換するけれど、
その効率はそんに良くないから。

でも、この説明は子供には難しいかな。

なかなか体重が減らないですね。

食べたものを記録するのはどうでしょう?
効き目があるときいたことがあります。

あとさっき雑誌でみたんですが、背中の上の真ん中あたり(よく滝にうたれるときにちょうど水がかかるところ)を冷やすと、褐色脂肪細胞(?)が活性化されてやせやすくなるそうです。

体が少し軽くなると、運動も楽しくなると思います。

私も筋トレやストレッチをしたいですが、一度なまった体はなかなか動かす気になれないですね。
だめです。

もうコメントはしないつもりでしたが、内容があまりにも…なので、敢えてコメントさせて頂きます。

「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いに対する、すとんさんの答えが「神様がダメって言っているから」というのは、あまりにも幼稚な理屈ですね。幼稚園児でも納得しないでしょう。

教育関係者の方を暗に批判していらっしゃいますが、その根拠になる理屈が、これでは呆れてしまうだけです。

頑なすとんさんのことだから、何が何でもこれで押し通すのでしょう。

この文章を読んだ人が「すとん教」にかぶれないことを祈るだけです。

>センニンさん

 なぜ、そういう人がいるんでしょうね。おそらくそういう人に「神様が…」なんて言っても無駄でしょうね。刑務所に入れて罰っせられても懲りないかもしれません。

 こういう人は、普通に接している限りは普通の人であり、おそらく親しい人たちには優しい側面を見せているんでしょう。でも、同じような事をくり返しているなら、出来心というわけでもないみたいですね。

 「根っからの悪人」と言っては言い過ぎかもしれませんが、盗癖というものがあるのでしょうね。いい年した大人が何やっているんだかという気もします。もし私がセンニンや盗まれた製造者の立場だったら、どうしただろうかとか考えてしまいました。

>ひょっとこさん

>せっかくこの世に生まれて何かを感じているのだから、死ぬまでの時間、楽しんで、大事に生きて行こうよ、それは周りの生きているものも同じで。

 ここはよく分かりました。でも全般を貫くものは、子どもでなくとも、私でも難しいです。

 神とか宗教とかの存在理由の一つに“難しい事を簡単に棚上げできる方便”というのがあると思います。乱暴に言っちゃえば「全部神様のせいにしちゃえばいい」って事です。

 人は弱いから神に頼る。そこはおそらく真実だと思います。それゆえ、神に頼らずに生きていこうとすると、とても大変なんだと思います。それでも、しっかり生きていける人はいいのですが、全員が全員そういうわけでなく、自分を律する事ができずに、欲望のままに、他人のことを思いやることもなく、生きてしまうのだと思います。

 私なんかは、ある意味、なんでも神様神様って言って神様頼りの人間なんで、そういう厳しいところを逃げて生きているのかもしれませんがね。

 みんながみんな、自分と他人の関係がきちんとした距離感で生活できるなら、犯罪も何も起こらないのだと思います。

>夜希さん

 そう、体重が落ちません。まあ、ユルユルとやっているからだろうとは思ってます。きちんと食事を管理して運動をしていけば、やせていくのは経験上よく分かっていますが、それをするには、色々と諦めなければいけない事が多すぎて(笑)。少なくとも、音楽を辞めないと、やせないと思ってます。

 今までトレーニングしていた時間を音楽の練習に充てているのが現状でして、音楽を辞めて、トレーニングを復活すれば、さほど遠くない将来に20~30Kgはやせるんです。でも、まだ、音楽をやりたいんです。そこが問題なんだと思ってます。

 音楽をやっている以上、ダイエットはユルユルとしかできず、それでも太っていくよりはマシかなって感じでやってます。

 なんか論旨がグルグル回ってますね。こういうのを『下手な言い訳』って言うんだろうな(笑)。

>はじめさん

 どうも私の事が気になって気になって仕方がないみたいですね。そんなに私の事が好きですか? 愛してますか? 目を離す事、できませんか? 寝ても冷めても私の事ばかり考えていますか? そんなに好きなのに、イケずなコメントばかりして、まるで、スカートめくりをして、女の子の気をひく、昔タイプの小学生みたいですね。

 かわいいね、はじめさん。

>もうコメントはしないつもりでしたが、

 じゃあ、しなければいいのに(大笑)。相変わらず、言葉、軽いですね。守れないなら、最初から「これで失礼します」なんて、見栄をはらなきゃ良かったのに。軽い言葉ばかり吐いていると、ますます信頼をなくしますよ。

>幼稚園児でも納得しないでしょう。

 はじめさんの“脳内の”幼稚園児は納得しないでしょうね。でも、リアルな幼稚園児や小学生、中学生くらいまでは、これで案外納得するんですね。記事の中にも書きましたが(どうもはじめさんは、日本語読解能力が大いに劣っているようなので、くり返しますね)「理屈にも何にもなっていませんが」、これでイケちゃうんだからイクんです。つまり、理屈じゃないんですよ。だから、理屈になってなくて、いいんです。

 お分かりですか? さらに

>もう少し生意気な年代になってきて、文句を言ってきたら、聖書の十戒のページ(「出エジプト記20章」です)でも開いて「ほれ、こう書いてるだろ?」と示してやります。中学生くらいまでなら、これでOKです。

 “生意気”というのは“理屈っぽくなってきた”程度の意味ですが、それでもこんなものです。これはリアルな話ですよ。別に空論でも何でもなく、私、この手法で今まで何百人の子たちを納得させてきました。そういう経験からモノを言っています。

 はじめさんには、そういう実践経験はおありですか? 実践を踏まえた上で、お話されていますか? ただの思いつきや推測だけで話されているのなら、単なる“難癖”でしかないですよ。

 …たちが悪いですね。

 そこまでして、私の気をひきたいのですか? まるでストーカーですね(笑)。

>教育関係者の方を暗に批判していらっしゃいますが、その根拠になる理屈が、これでは呆れてしまうだけです

 本当に読解力が足りないようですね。何か、はじめさんの、琴線に触れたのでしょうか? 心が傷みましたか? 痛かったなら、ごめんなさいね。でもね、私はそういう人のいることも想定して、

>あ、学校の先生の悪口を言うのが、今回の主旨ではありませんので、誤解しないでください。

 とわざわざ書いているのに、そう勝手に読み込んで、勝手に傷ついてしまうとは…かわいそうな人です。

 あなたがしばしば、話をすり替えてしまうのも、日本語の読み書きが不自由だから、そうやってしまうのでしょうね。同情します。

>この文章を読んだ人が「すとん教」にかぶれないことを祈るだけです。

 「すとん教」というのは、はじめさんの脳内にしか存在しませんから、ご安心ください。ちなみに、すとん教の信者さんは、はじめさん、ただ一人ですよ(大笑)。でも、信者さんなら、もう少し、教祖様である私の事を、うやまってくださいな(爆)。

 そうそう、私ははじめさんに感謝の気持ちを伝えますね。

 はじめさんが、ここのブログに来て、そうやって、難癖つけて、暴れてくれると、その様子がとてもおもしろいらしくって、すぐにウォッチャーさんたちがやってきて、大笑いをしてくれて、ここのアクセスが増えるんですよ。中には「おもしろいものを見せてくれてありがとう」とわざわざメールをくださる方もいらっしゃいます(たぶん、イヤミのつもりなんでしょうね…)。まるで、漫才を見ているようだとおっしゃる方もいらっしゃいます(これもイヤミでしょうね…)。

 とにかく、あなたのトンチンカンなコメントは、いい物笑いのタネでして、効果的な宣伝になってます。ひとまず、感謝しておきます。ありがとう、はじめさん。

 自分がされて嫌だと思うことは、他人にしないこと。と言いますが、そんなこと考えなくても大抵の人は普通、法律にふれるようなことはしないんですよね。どうしていけないの?とか考えたことなかったです。考えたら頭が痛くなってきそうです。(゚ー゚;

お金とか盗む人って、過去2人いましたが、怒られてもなかなか治らず同じことをしてましたよ。家庭環境、共によくなかったみたいですが、それだけが理由ではないのかもしれません。

故意でなくうっかりの言葉で、相手を傷つけたかなと思うことはあります。後になってあの時ごめんねとか言いにくく、本当に傷つけたかも確認できないのでつらいです。もっと言葉を大切に発する人になれたらと思います。

>有さん

 センニンさんのコメントを読んでも思いましたし、有さんのコメントでも同様な事を感じました。私は、今回の問題について、教育の問題で解決できるような気がしていましたし、確かに教育でどうにかなる部分もあるでしょうが、すでに教育でどうこうできる問題ではないモノもあるみたいですね。

 いくら諭されても、罰せられても、改まらない人がいる事は容易に想像がつきます。そういう意味では、今回の私の記事の考え方は、少々甘かったのかなって思ってます。でも、こうやって、自分の考えが甘い事が分かるというのも、ブログの醍醐味の一つでして、これでまた、私もほんの少しだけ、人間が大きくなったかな?って気がします。

>故意でなくうっかりの言葉で、相手を傷つけたかなと思うことはあります。

 謝るのも勇気がいる事ですね。私は基本的に意気地なしですが、謝る事と非を認める事には躊躇せずできる人になりたいと思ってます。なぜなら、人生に失敗は付き物ですが、それを素早く認め、できるだけ早く次の手を打つ事が、被害を最小限度に留める唯一の方法だと、経験から学んだからです。

うちの娘達からこの手の質問をされたことはないのですが、我が家でなら十戒を持ち出せるけれど、公立の学校だと十戒(他の宗教でも良いですが)を持ち出すわけにもいかないので難しいかもしれませんね。
(何を隠そう公立学校の道徳教育はちょっと気になってしまう私なのです。もちろんおっしゃるとおり現場の判断で道徳教育は深入りしなかったりが一般的ですよね。)
自分を省みて嫉妬心や恨みがまったくないとも言い切れず、この辺の感情はあって当たり前だとも思っています。
そういった感情から事(盗みや殺人などの犯罪)を起こすか起こさないかですよね。

一昔前なら少女マンガや宝塚などの世界でも”気高い”と言う言葉が当たり前に使われていたような気がします。
貧乏でも誇り高く気高く生きたい・・・そういう気持ちにさせてくれる本を子供たちに読んでもらいたいし、そういう気持ちを忘れたくないですね~。

 >謝る事と非を認める事には躊躇せずできる人になりたいと思ってます
 私も思います。
私はすぐ謝れず、ついいい言い訳ないかなと考えてしまいます。
 
 大きい失言はあまりないと思ってるのですが、小さいのを言ってしまうことがあります。
 擦り傷程度の言葉でも何回かあると大きな傷になるかもしれないと思います。

>Ceciliaさん

 “気高い”…大切な事ですね。そう言えば、少し前に「品格」という言葉が流行ってました。あれも似たようなものです。

>貧乏でも誇り高く気高く生きたい・・

 私は最近“清廉”という言葉について考えることが多くなりました。それと同時に“貧すれば鈍する”という言葉についても考えます。

 ふと思った事。人は幸せなら悪事など働かないのではないかと。つまり、悪事を働く人間が多くいるということは、それだけ不幸せな人がたくさんいるという事ではないのかと。世相がすさんできたなあ…と最近とみに思うことが多いのですが、それはつまり、不幸せな人が増えてきたという事なのかなって思いました。

 でも、幸せ不幸せって、貧富とは本来関係ないもののはずなんだけれどな。

>有さん

 失言…私もなるべくしないようにしてますが(って、当たり前か)、心がすさんでいる時に、ついついしがちです。言ってしまってから「あちゃっ!」って思う事が時々あります。

 なので、なるべく、日々、心がすさまないようにしています。そのためには「いつでも満腹でいる事」かな? 私はちょっとでもお腹がすくと、すぐにイライラします(笑)。お腹が減るに従って、ドンドン心がすさんでいきます。分かりやすいですね。

 だから、やせないんだな。

こんにちは、Kazmamaです。

>でも、幸せ不幸せって、貧富とは本来関係ないもののはずなんだけれどな。

私もそう思います。幸せは自分の心の中にあるのだって。

だけど、世の中がお金で動いている以上、ある程度(人によって違うと思いますが)のお金は必要だし、今は不況で安定した職につけずに苦しんでいる人も沢山いるでしょうから次第に心がすさんでいって悪い事をしてしまう人もいるかもしれませんよね。

逆にどんなにお金があっても精神的に満たされていなければ幸せとは言えないし、心の平安と将来への安心が重要なのかもしれません。

子供たちに道徳観を教えるのって学校でも必要でしょうけど、まずは家庭の中で、日々の生活の中で身につけていくべきかなと思います。それと、地域とのコミュニケーションも大事ですよね。色んな人と接する事で、人はみんなに支えられて生きているんだという事がわかれば自分勝手な行動も抑えられるのではないかなと思います。

…それは…

「天網恢恢疎にして漏らさず」(老子)だからっす〜。
なので
「神様(天にまします父なる神も、内なる神も)がダメっていうから」で合ってると思うっす〜。
(誰かの言いマネ、ぷ…)

では、あまりにもヒドイので、池田晶子さんの『14歳からの哲学』より引用…
(受け売りってことで…汗)
以下、

《天の網は広くて粗い(池田さんは、この“ソ”を使用)ようだけれども、
悪事は必ず露見する、悪人には必ず天罰が下るという意味だ。
むろん、天罰を下すのは天じゃない。
自分の内なる善悪だ。
自分が為した悪事の罪を、自分のために罰するんだ。
因果応報、罪の罰は必ず自分に帰ってくる。
なんのためかって、自分のためだ。
それより自分が悪くならないように学ぶためだ。
悪を為さずに善を為し、
よりよくなろうと学ぶこと

中略

天は、この宇宙は、なんて公正にして平等なんだろう!》           

「天網恢恢」は検索してる人も驚いてますが、
一発変換で出てきます。

あと「〈天網〉って〈ネット〉みたいだよね」とか。

恐るべし、老子。

私的には、訳もなくぶたれたら痛いからぶちたくないし、殺人にいたっては、むべなるかな…です。

 私もお腹がすくととってもイライラします。
確かに心がすさむとマイナスのことばかり考えがちにもなります。自分で頑張っても思うようにならない時が、特に嫌です。
 
 あの~、調子にのって話しすぎた時って、小さい失言しませんか??最近思い当たるのは、30代の独身の人に結婚の話をふってしまったり、子育て頑張って大変だと言ってる人に頑張りすぎなんだよと言ってみたりとか。
あとで思い返して、気づくんですよね。

話したあと、元気をくれる人いますよね。
そういう人になりたいです。
 

>kazmamaさん

 道徳観を家庭で教えるべきだと言うのは、私ももちろんの事だと思いますし、おそらく今でも、きちんとした家庭では行われていると思います。地域とのコミュニケーションだって、まだそれが存在している地域なら、しっかり行われていると思います。

 問題は、すべての家庭で子どもにきちんと(道徳観を含めた)教育がなされているわけではないと言うことと、すべての地域に昔ながらのコミュニケーションが残っているわけではないということです。

 子どもの教育を放棄した家庭の多いこと…。昔なら、そんな両親であっても、祖父母なり伯父伯母なりが、両親に代わって教育しただろうし、両親だって、それらの人々の手前、襟を正していなければいけなかったでしょうが、今の家庭は大人である両親の思いのままの場であって、機能不全を起こしている家庭も山のようにあるのが実情です。

 しっかりした家の子は、今も昔も、ひとまずいいんです。問題は、機能不全を起こしている家庭の子であって、これらの子にとって、公教育は最後の砦なんです。その公教育が…となるわけなんです。

 地域のコミュニケーションもやはり同様の問題を抱えていると思います。それだけに、学校の役割というのは、以前にも増して、大きくなっていると思うのですが、現状は…なんです。現場に行けば、頑張っている先生方もたくさんいらっしゃるのは分かりますが、いかんせん、システムとか慣習とか学校文化って奴が、強敵ですね。ま、それでも、日本の教育は世界レベルで考えると、かなり良い方だとは思ってます。だから「学校はダメだ」と腐すつもりはないんです。でも、より良い方向になって欲しいなあとは思ってます。

>YOSHIEさん

 …「天網恢恢疎にして漏らさず」ですか。老子の言葉が沁みますねえ…。また池田さんの解説(でしょ?)も分かりやすい。神のいない世界での倫理観って感じがするけれど、こちらの方がスッと心に入る人もいるので、これはこれで良いですね。

 “天網”がネットみたいだねっというのも、そうかもって思います。一応、ネットは“電網”というそうだけれど、今や世界中を覆っているから“天網”でも良いような気がします。

 「疎にして漏らさず」にしてもらさずは、天網だけでなく、人としても、そうでありたいですね。「一見大雑把に見えるけれど、締めるところはきちんと締めてるよ」って事でしょう。ああ、そうでありたい私です。

>有さん

>あの~、調子にのって話しすぎた時って、小さい失言しませんか??

 小さな失言と言うか、余計な事を言っちゃいますね。で、後で、後悔したり赤面したり…ね。ほんと、人間って、仕方ない存在ですわ。私は(ブログで分かるとおり)基本的におしゃべりな人間なので、そういう失敗は数知れずです。なので、最近は、できるだけ「無口モード」で生活しようと心掛けています。

>話したあと、元気をくれる人いますよね。

 ワタシモソウイフヒトニナリタイ。

アメニモマケズカゼニモマケズは、好きです。
双子達がひらがなを読めるようになった頃、大きく書き出して、覚えさせていました。もう、覚えてないだろうなあ・・・
さすがに、稲の束を負ったり、おろおろ歩いたりは出来ないけれど、そういう気持ちはなくしたくないなあと思います。

>chikoさん

 さすがですね、よく「雨にも負けず」のパロディと見抜きましたね。ちなみに原文は「サウイフモノニ/ワタシハ/ナリタイ」となります。

 この「雨にも負けず」って詩は、遺品である手帖に書き残されたメモだったそうです。つまり、一人前の作品として完成されたものではないというのが、驚きですね。未完成品だからこその力強さというのを感じます。

 とは言え、賢治の作品って、その大半が未完成品の未発表作品なんですよね。

「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いに対する、すとんさんの答えが「神様がダメって言っているから」というのでは、あまりにも幼稚な理屈ですね。これでは幼稚園児でも納得しないでしょう。

教育関係者の方を暗に批判していらっしゃいますが、その根拠になる理屈が、これではもう呆れてしまうだけです。

頑迷きわまるすとんさんのことですから、何が何でも、これからもこれで押し通すのでしょう。


以上の簡潔明快なる文章に私も全く同感です。
ここの管理者の欠点ともいえるであろうことは、常にご自分のもつひとつの誤り、勘違いに対して、自己の非を認めず、敢えて無理な論理を重ねて行くところに、その特徴があるようですね。
まあご自分でも化石親父とか書いておられるぐらいですから、これではどんな議論や論法もこれでは成り立たないということが今回はよ~くわかりました。

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