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2009年3月17日 (火)

何も加えない、何も変えない

 声楽のレッスンに行きました。早めにお教室に着いたのですが、前の人がお休みだったせいか、レッスンが早く始まって、たっぷり見てもらうことができました、ラッキー。

 声楽のレッスン。その実体は、発声練習と歌唱指導なわけです。で、まずは発声練習から。

 発声練習には、前回からの不安を持ったまま臨みました。先生は特に大きな注意をされなかったので、たぶんこのままの方向で正解なのでしょうね。隣にいた妻は「高いところの声が前回とはちょっと違った感じがした」と言ってましたので、まだまだ定着には、ほど遠い感じなのでしょう。

 あ、今回は録音機を忘れてしまったため、記録がありません(汗)。

 大きな注意はないものの、小さな注意はたくさんありました。

 まず『声は押さない』。押しているつもりも感覚もないのですが、私は声を押す癖があるそうです。これが実に良くないそうです。

 聞き苦しいもあるのですが、一番の問題は、せっかく声が音のポジションに当たっても、押してしまうためにポイントから外れてしまう傾向があるそうです。結果、高い音が上手に発声できないそうです。当てるだけなら、AsもAもBも当たっているそうですが、押してしまうために、当たった次の瞬間にズレてしまうそうなのです。ダメですね。

 もっとも、まだ単に“当たっている”だけなので、歌に使うにはまだまだだそうですけれど。ちなみにAs(アス)は五線の上のラ♭、A(アー)はラ、B(ベー)はシ♭ね。すでにこの辺、一般的な男声の高音の限界周辺です。私、頑張っているでしょ。とは言え、クラシック界ではもう少し上(全音一個分)のHi-C(ハイシー)までが必要なんですが…。

 先はまだまだ長いです。

 “声は押さない”と同じような注意ですが『大きい声を出さない』ようにとも言われました。これは別に「小さな声で歌え」という意味ではなく「無理に大声を張り上げる必要はないから、無理に頑張るな」という意味です。

 大声を張り上げているつもりはありませんが、自覚はあります(汗)。だって、やっぱりレッスンともなると、張り切っちゃうじゃないですか。張り切って、気合入れて、頑張ると…結果として大声になってしまうのです。大声を出しているのではなく、大声になってしまうのね。

 でも、大声はやはりどこかに無理があるので、良くないのです。私の場合は、声を押してしまい、結果として大声になっている傾向があります。だからこそ、大声にならないように気をつけないといけないです。それに、無理に大声を出さなくても、すでに声量は十分にあるから、そんなに頑張ることもないとも言われました。

 どちらかと言うと、軽く歌った方が良さそうです。別に軽く歌ったからと言って、極端に声量が落ちるわけではありません。単に気持ちの問題なのかもしれません。自分の声、特に音程に自信がないために、必要以上に声を押して、音程もずりあげていこうという無意識の気持ちがあるのかもしれません。

 大声禁止、力まない、自信を持って軽めに歌う。

 高いところに行くと、無意識の恐怖心が働くせいか、身体のどこかを変えてしまいがちです。これはノドで歌っていた頃の癖ですね。喉で高いところを歌うには、しっかり喉を締めて、そこに高圧力で息を吹きつけるわけですから、当然、低い方とは歌い方から何から何まで違うのですが、クラシック系の発声では、当然、そういうことはなく、どこも変えない、何も変えないようにして、低い声も高い声も出さないといけません。

 昔のログで見ると、私がチェンジのあたり苦労していた頃、松尾さんがよく私に「チェンジで変えるのではなく、変えないようにして歌うのだ」というニュアンスのアドバイスを散々くださいましたが、それを今頃、実践しています。チェンジがあろうがなかろうが、高い音だろうと低い音だろうと、何も変えずに同じように発声していかなければいけませんが…ついつい、どこかを変えてしまいがちな私です。ダメですね。

 さらに言うと、響きの問題があります。楽だから…という事もありますが、私はついつい声の響きを低くしてしまいがちです。胸に響かせすぎになってしまいますが、それはダメでして、声の響きは常に上。具体的には後頭部に響きを置いて歌い続ける。これが大切。高いところも低いところも、響きは常に後頭部。これがミソです。

 そして、最後の最後の極めつけは『スタミナ不足』です。ちょっと先生が発声練習で絞ると、私ヘトヘトになってしまいます。それではダメなわけですし、発表会の「O del mio amato ben」は5分近くある、初学者には長い曲です。少なくとも、この曲を歌いきるだけのスタミナは必要なわけで…自宅でたくさん歌を歌ってきなさいと言われました。まずは、たくさん歌を歌って、歌のスタミナをつけないといけないわけです。

 はあ~、たかが発声ですが、たくさん注意点がありました。

 長くなったので、歌唱については、また明日書きます。じゃあね。

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コメント

【何も加えない、何も変えない】シンプルですがとても難しい事ですよね。子供ならまだしも、大人になると無意識にやってしまうことが多々ありますから。
体力は音楽をやる上でとても必要ですよね。私も先生に言われます。音楽ってやること山積みで大変ですよね。

>橘さん

 大人の習い事は、習い始める前の“前史”というものがあり、それが往々にして、マイナスのキャリアになることがあるようです。

 私で言うならば、キング先生に習い始める前に、若干の合唱経験があります。この経験が、良い学習であったと同時に、悪い癖を身につけさせています。“良い学習”は強みとなりますが、“悪い癖”はこれを取り除くのが大変で、まずは悪い癖の除去作業(笑)から始めざるを得ません。前史があるために、かえって、ずぶの素人さんが習い始めるよりも、大変で上達も遅いです。

 フルートで言うならば、人によっては、学生時代の吹奏楽経験がそれに当たると思います。きちんとしたフルートの指導者が、必ずしもいるとは限らないのが、学校の吹奏楽ですからね。

 だから音楽は、子どもの頃からきちんと学ぶことが大切なのだろうと思います。

 私は、声楽での苦労が身に沁みていましたので、フルートに関しては、早々に独学を諦めて、先生に師事する事にしたのは、そんなわけです。

>体力は音楽をやる上でとても必要ですよね。

 はい、それもいわゆるインナーマッスルという奴を鍛える事が多いので、格闘系の身体を持つ私ですが、それなりに苦労してます。使う筋肉が違うんだよね…。

自分の最近の録音を聴いて、案外高音が続いても楽に出せているのに安心しましたが、出したい音より高めだということに気づきました。
昔から音を伸ばすところでピッチが変わってしまうのが悩みでしたが、こんなことなら声楽をやっていない人のように自然に出すほうがよっぽど良いのでは・・・という気もします。
押していないつもりなのに押してしまっているのだろうな・・・とも思いますし、豊かで幅のある声にしようとしているようです。
聴いてみるとむしろ抑え気味に歌ったほうが良いのでは・・・と感じました。
もう録音を聴くとがっくりくることが多いですね~。

>Ceciliaさん

 録音は、残酷ですね。でも、この音が他人が聞いている音なのだと思うと、空恐ろしくなりますし、いやになります。特に歌は、楽器と違って、決して演奏中の自分自身の歌声を聞くことができませんから、聞き慣れない分、怖いです。

 そういう意味では、練習とかレッスンとかの様子は、積極的に録音して聞きまくり、現実の自分の姿を常に受け入れておくのが良いのでしょうが…なかなかできませんね。

 私がヘタッピな笛の録音はアップできても、ヘタッピな歌の録音のアップができないのも、同じ理由なのかもしれません。やっぱり、録音はがっくりきますね。

何事も、最初から良い指導者に恵まれるのが上達の秘訣ですよね。

私、少しだけ声楽をかじったことがあります。頭(中身でなく)が声を出すには重要なことなども教わりました。

まあ、中身も音楽をやるには重要ですが…。

その時に教わったことは、管楽器にも応用できると思います。

すとんさんがおっしゃるように、指導者に恵まれずに吹奏楽をやっている生徒も多いのが現状です。

悪いくせがしみついてしまっている生徒を目の前にすると、何とかして…と思います。

>たかさん

>すとんさんがおっしゃるように、指導者に恵まれずに吹奏楽をやっている生徒も多いのが現状です。

 かわいそうな話ですね。学校の部活動には色々な問題があると思います。もちろん、良い面もたくさんあるので、一概に部活動そのものを否定する気は全くありませんが、どうにもならない問題もあります。指導者不足や不適任な指導者の件などは、まさにその“どうにもならない”問題だと思います。

 吹奏楽部に話を限ってみると、同じだけのやる気と才能を持った子がいたとして、その子が指導者に恵まれたコンクール常連校に進学すれば、3年間の充実した日々と上達した腕前が得られますが、指導者がいないとか、いても力不足な指導者の学校に進学すれば、腕前はあがらず、やる気はそがれ、場合によって音楽そのものを辞めてしまうかもしれない。

 この場合は、その子に責任があるとは言えないですね。ただ、進学した先の指導者に恵まれたか恵まれなかっただけで、運が良いか、悪いか、それだけの話になってしまいます。

 本当にかわいそうな話です。才能の豊かな子にとって、これが、その子の人生の決定的な岐路だったりする事すらあるわけで…。たかが、部活動ですが、あだやおろそかにはできないと思います。

>悪いくせがしみついてしまっている生徒を目の前にすると、何とかして…と思います。
 そこの指導者は、言葉はキツいですが、教育者としては、はなはだ不適切な存在だと思いますよ。でも、そんな人がたくさんいるのが、日本の教育現場なんでしょうね(嘆)。

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