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2008年4月24日 (木)

日本の伝統音楽とハモり

 私はそんなに日本の伝統音楽に詳しいわけではありませんが、それでも日本人なので、全く知らないわけではありません。

 私の知っている範囲の日本の伝統音楽では、リズムやメロディに特徴はありますが、ハーモニーに関しては印象が薄いです。特に声を使う音楽では、ハモリというものがないような気さえします。違いますか?

 なぜハモりが少ないのか? おそらく研究者たちも色々と考えているでしょうし、私の知らないところで、実は定説があるのかもしれませんが、そこはシロートの強み。全くの独断専行で論を進めてゆきますと、ずばり、昔の日本人って身体がちっちゃいから、ハモらなかったんだなあと思ってます。

 昔の人は、男も女も、みんなちっちゃい。江戸時代の建物なんか、私に言わせれば、小人ハウスだよね。でも、あの狭い空間で十分OKだったわけ。それくらい身体がちっちゃかったわけだ。

 身体が小さいと、歌っても高音しか出せない。ま、早い話、テノールとソプラノしかいないわけだ。テノールとソプラノをたくさん集めて、日本的な音階で日本的な発声方法でハモらせてみたところで、ある種の迫力はあるだろうけれど、ぶっちゃけ、たぶん不快。きっとうるさいだけだと思う。容易に想像つくでしょ。

 昔から日本人の体型が大きくて、声にバラエティがあれば、ハモりの音楽が発達したかもしれないけれど、現実問題として、テノールとソプラノしかいないんじゃ、どうにもならないよね。

 そんな伝統があるので、今になっても、多くの日本人はハモるのが苦手なんだろうと思います。それが証拠に、日本の流行り歌って、リズムとメロディーがメインで、ハモりというか、コーラスの美しさで聞かせる音楽って、少なくともカラオケレベルだと、かなり少ないでしょ。流行りのハモネプにしても、リード・ヴォーカルと、楽器の部分をクチでやってるバックバンドみたいな感じでしょう。合唱というよりも、楽器のモノマネ。ボイパなんて、まさにソレ。

 そんな風土だもん。各地で合唱団の高齢化が進んでいくのも当然だし、合唱が廃れていくのも仕方ないのかもしれない。と言うか、なぜ団塊とそれより少し上の人達は、あんなに合唱やっているの? むしろ、そっちの方が珍しい現象なのではないかな、と思う様にすらなりました。

 合唱って、本質的に、キリスト教とか、クラシック音楽とかに関連する音楽でしょ。団塊の人たちの合唱って、基本的に、キリスト教もクラシック音楽も関係ない。なのになんで合唱なの? どーして? どーして? ああ、不思議。

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音楽一般」カテゴリの記事

コメント

よくわかりませんが”歌声運動”とか関係ないですか?
私もそこらへん興味があります。(笑)

おはようございます。
Ceciliaさんと同じかもしれないけど・・昔なんていったらおこられるけど、カラオケなんてなくて、代わりに、歌声喫茶とかビアホール?(ライオンの様な)で、みんなで歌を歌っていたらしい。そのころの世代が団塊の世代とだぶるようです。
じつは、私も、25年前くらいに、合唱で知り合った歌好きの人と、確か、銀座のライオンに行って、ビールを飲みながら、ロシア民謡を歌った記憶が・・タイムスリップしているようで、楽しかったですよ。
それから、1年前にもひとりで、歌声喫茶に行ってきました。

うちの両親は団塊の世代よりも大分上だけど、いわゆるフォークソングの歌本なんかが何冊も本棚にあったりします。青春時代には皆で山歩きに行ったり、歌ったりしたっていう世代みたいです。

ドイツの教会コーラスも、小さな市町村だとどこも高齢者ばかりで、存続の危機を迎えてます。若い世代の教会離れが進んでいるせいでしょうけど。

私が住んでいる地域は、市民レベルでの音楽活動が盛んで、オケやコーラスなんかがビックリするくらいたくさんあります。若い世代が多いコーラスはやっぱり、ロック、ジャズ、ゴスペル、ポップスです。
ゴスペルは私も歌ってみたいです。

声の音域と体格の関係について、以前のすとんさんの記事を読んでから興味が湧きました。
いつも面白いなあと思うんですが、私が歌っているコーラスでは、ソプラノに大きな(170cmくらいの)女の子が何人も居ます。で、アルトの女の子は皆せいぜい私くらいか(160cm)、私よりも小さいんです。
アルトの子達って、本当は(体は)高音が出るのに、出したことがないだけなのかしら??

>Ceciliaさん

 歌声運動ですか…、そう言えば、そんな単語をいつか聞いたことがあるような…。

 さっそく検索してみました。Wikipediaでヒットしました。「うたごえ運動」って…、うわあ、これは私の知らない世界の話だあ! 合唱を中心とする社会運動ですか? 民青ですか? 共産主義ですか? 政治的メッセージですか?

 うわあ、こりゃダメだ。体が受け付けない。

 もっと、頭をカラッぽにして、純粋に音楽を楽しみましょうよお~、みなさん。音楽を思想の道具にしちゃイヤだよお。お耽美に音楽を楽しみましょうって。

 ううむ、あのジイちゃん、バアちゃんたちには、こんな過去があったのか…。なんか、おっかねえ。

>ひと休みさん

 歌声喫茶という単語は知ってます。以前属していた合唱団のリーダー格の人たちが、昔、はまったらしく、歌声喫茶で使った歌本というのを見せてもらったことがあります。

 ソビエト民謡(赤軍歌?)が多いなあ…って印象でした。

 前掲のWikipediaにも、「芸術か、政治か」で対立したり分裂したそうなので、おそらく今、合唱をやっているジジババさんなどは、「芸術」組なんでしょうね。だって、あの人たち、バリバリの左翼には見えないんだけど…もしかしてバリバリ左翼?

>1年前にもひとりで、歌声喫茶に行ってきました。

 へえ、まだあるんだ。私は、歌声喫茶は、名曲喫茶や純喫茶とともに滅んだものだ(失礼)と思ってました。

 私も歌声喫茶に行ってみたいな…。もっと若かったら、「歌声喫茶オフ」なんて、さっそく企画して行動したけれど、今じゃ休日はゴロゴロして、ブログして、歌って、フルート吹いて、終わりだもん。性格も体もすっかり丸くなりました。

歌声喫茶、滅んでいませんよ。(笑)
お掃除のバイトをしていたところは閉店になったようですが、同じグループの歌声喫茶はまだありますもの。(思想的に合っていたからバイトをしたわけではありません。お客として行ったら誘われたんです~。)
しかもオペレッタとかもやっていて、以前”親子劇場”で見ましたが、結構おもしろかったです。

母が好きだったのですがロシア民謡がなぜ流行ったのかちょっと気になっていろいろ調べていました。
これもやっぱり関係あるみたい。
そのうち記事にしたいかも・・・。

やっている人たちは結構楽しそうですよ。

あと小学校でよく”うたごえ委員会”とあるのもその影響か・・・と思うことも・・・。

>もりさん

>青春時代には皆で山歩きに行ったり、歌ったりしたっていう世代みたいです。

 この話は知ってます。みんなで声を合わせてキャンプで歌って、そこから歌にめざめて合唱へ、というパターンなんでしょうね。なるほど。そういう人たちも少なからずいるでしょうね。

 若者の教会離れは世界中のどこも深刻ですね。それは現代のキリスト教会が、自分たちの魅力を若い世代にアピールできないのが原因だと思ってます。このままだと、確かにじり貧、消滅の危機っす。ま、それもありかもしれませんが…。

 現代はおそらく昔よりも人々が全般的に忙しくなっているのだろうと思います。若者が、ポピュラー音楽に行くのも、そこに原因があると思います。

 だって、ポピュラーは勉強せずとも楽しめますが、クラシックとなると、多少なりとも勉強のような事をしないと楽しめません。時間があれば、その勉強のようなことも、とても楽しいんですけれどね。

 声の高低は筋力と体格の二つの要素に影響を受けるそうです。筋力とは、歌うのに必要な筋力ってことですが、高音はどんな体格の人でも、きちんと鍛えて筋肉を作ってゆけば、歌えるようになるので、体が大きくても小さくても高い声は出るようになります。

 しかし体格、つまり持って生まれた声帯の大きさによって、低音の方は制限されますので、体の小さい人が低音を出すのは難しく(時には不可能)ですがら、体の大きな人は、むしろ楽に低音が出せます。

 そういう意味では、歌の世界では、体は小さいよりも大きい方が、なんでもできて良い、と言えるかもしれれせん。

 体の小さなアルトの人って、私はやはり、本当は高い声が出るはずなのに出せない人なんだと思いますが、なぜ出せないのかは、人それぞれに理由があると思います。

 例えば(若い子に多い例ですが)ポピュラー発声(胸声というか地声というか、そちらばかりで歌う)をしているので、高い声の出し方を知らないとか…。

 あるいは(年配者に多い例ですが)歌声に限らず、あらゆる筋力が衰えて、その結果高い声が出せなくなったとか…。

 または、単純に訓練不足だったり、きちんとした指導を受けたことがなかったりで、歌えないだけとか…。

 うがった見方をすると、高い声を出すと疲れるからイヤとか、高い声で歌うと目立つので恥ずかしいからイヤとか、メロディを歌うと、失敗すると一発でバレるので、そんなプレッシャーのかかるパートはイヤとか、ソプラノの人たちの性格についていけないからイヤとか…、なんていう周辺事情の理由でアルトをやっていたりして…。

 あと、仲のよいお友だちがみんなアルトだから、私もアルトをやるわ、って人はたくさんいそう…。

 なんでこの人がアルト?(またはソプラノ?)なんていうのは、その人の数だけ理由がありそうですね。

私が行ったのは、元祖の歌声喫茶ではなく、最近月に2回のペースで2時間歌声喫茶になるライブハウス的な音楽発信の役割をはたしている飲食店です。
それから、娘が、小学校で歌声委員をしていました。

>再度、Ceciliaさん

 やはり歌声喫茶は健在ですか。もはやすべての喫茶店は、メイド喫茶やマンガ喫茶とネットカフェになってしまったものとばかり思ってました(笑)。

 しかし、お客として行ったらバイトにリクルートなんて、なんかスゴいな。私にはそんな経験はない(って、当たり前か。だいたい男だし、容姿もそんなに良くないし…)。

 小学校の「うたごえ運動」って、私は関わったことありませんが、聞いたことはありますし、そんなものがあっても不思議ではないですね。基本的に公立の先生たちって左翼だから。日教組みればよく分かる。というよりも、社会主義者の最後の砦が組合と学校なんだよね。

 ま、左翼がいけないとは思わないけど、本来、教育って、中庸でノンポリな線を狙っていくべきものだと思うのだけれど、違う? 違うのかな…。

>も一回、ひと休みさん

 ライブハウスっぽいお店が歌声喫茶っぽい事をやっているのですね。了解。それなら十分に理解できます。

 もっとも、Ceciliaさんの情報だと、まだ純然たる歌声喫茶もあるそうです。

>娘が、小学校で歌声委員をしていました。

 以前書いたと思いますが、ウチの息子君は昨年音楽委員というのをやってました。ま、歌声委員と同じだと思います。「今月の歌」というのを(先生が)決めて、帰りの会でみんなで歌うので、それをリードするという役目だそうです。

 結局、誰も歌わない(笑)ので、毎日、彼のリサイタルが開かれていたそうです。

 そんな息子君ですが、今年の担任の先生から「今年、入りたいクラブ」というアンケートが来たので、迷わず「声楽部」と書いたそうです。もちろん、即、却下(笑)されました。「じゃあ、合唱部でいい」と生意気な事を言ったそうですが、これも却下。結構大きな学校なのですが、音楽が専門の教師が一人もいないので、音楽系のクラブはやれないというのが、その理由だそうで。それって、何か、間違ってないかい?

 とりあえず第三希望まで書きなさいというので、卓球・パソコン・陸上の三つを書いたそうですが、どこになるのでしょうね。

またしても、こんばんは。
先程は、後がつかえていて(娘がパソコンを使いたがっていた)話の途中で、ぶっきらぼうに終わってしまい、失礼しました。
そうなんですよ。まだ、歌声喫茶は、あるのです。たしか、「ともしび」だったかな?昨年あたりに元祖は閉店になって(閉店になる前に一度行こうと思っていたが、行けなかった)、名前をひきついだかなんだかすこしはなれたところに、あるとか・・・?
それと、今、あちらこちらで、公民館やら、小さなホールで1日歌声喫茶が企画、実施されているのです。
あの歌声喫茶「ともしび」をもう一度・・とかなんとかいうキャッチコピーで。
すみません、今度は、息子が使うそうで、それではまた。

>ひと休みさん

 歌声喫茶「ともしび」ですか…検索かけたら、ホームページありますね。ホームページからは、左翼臭がプンプンとしてますが、リクエストベストを見ると、普通の曲が大半ですね(一部、私の知らない曲もある…汗)

 経営とかお店の面倒をみている人たちは、元左翼の人(現役左翼の人?)なのかもしれないけれど、お客さんはそうとは限らないのかもしれません。左翼左翼とレッテルを貼るのは、ちょっと待った方がいいかな?

 まあ、ノンポリの私としては、政治的な主張の強い人は苦手なんだな。

 で、「ともしび」ありました! どころか、その中のページに「全国歌声喫茶紹介」なんてページがありました。へえ、日本にはまだこれだけの歌声喫茶があるんですね。アドレスをこの下に貼っておきます。

http://www.tomoshibi.co.jp/utagoe/zenkoku_utagoe_syokai.htm

私が参加しているコーラスはどこも自己申告制ですから、本人が「高音は出ません」とアルトに入るって感じです。出したことがないだけなのかな。
どこでも意外とアルトの方が若い人が多かったりするんですよね。不思議。

そう言えば、今市民大学の「声」に関する講座に通っているんですが、そこの先生が、発声や呼吸の練習をしながら、声の質というか響き方を聴いて、あなたはソプラノとかアルトとか教えてくれるんです。

すとんさんが以前アップされた記事では、チェンジの場所でパートを決めると言うことでしたよね。

ちなみに、私はこの先生に、あなたは絶対にソプラノ、と言われました。
でも日本の小・中学校の音楽の時間には有無を言わせずアルトに入れられてたんですよね。
これも、日本には本来ソプラノが多いから?

戦後日本の賜だとも言える、歌声喫茶。自由に物が言えることになって、ロシアから抑留されていた人たちが帰ってきて、ロシアが第二次世界大戦後に社会主義国になったりして・・・いろんな思いがないまぜになって・・・
日本人は好きだと思いますよ,
ロシア民謡のもの悲しい雰囲気は。日本のわびさびにも似たような感じ。
前にも書きましたが、まあ、みんなで歌う、心が一つになるかも・・・・・・・・
すとんさんも書いていたじゃないですか。みんなで声を合わせて歌う・・・クラスの心を合わせる手段に使うって。

>もりさん

 若い人にアルトが多い理由は分かりませんが、最近の子どもたちの声が低くなってきているのと関係ないですかねえ…。若い人って、最近まで子どもだったりするし(笑)。

 学校で無理やりアルトにいれられる子は、二つの理由が考えられます。一つは「今現在、高い声が出ない子」、もう一つが「歌がきちんと歌える子」でしょう。

 「今現在、高い声が出ない子」というのは、学校の音楽の時間は『今できることを今やらせる』という方針(つまり練習がかなり必要なことはやらせない)のところが多いでしょうから、ボイトレをすれば高い声が出るとしても、ポイトレをしている暇もないので、低い声のままアルトへ…というパターンだと思います。

 ま、学校を責める事は簡単ですが、学校は学校であって、習い事と同列に並べる事はできませんので、勘弁してやらんとなあ…と私は個人的に思います。

 もう一つの「歌がきちんと歌える子」というのは、メロディって、たいていソプラノじゃないですか? メロディでない旋律を歌うのって、子どもには難しいんですよ。特に隣でメロディを歌われたら、ついつい釣られるのが普通の子。歌唱力を買われて、アルトへ、というパターンはかなり多いです。

 ですから、日本人にはソプラノが多いからアルトへ。と言うよりも、日本人は歌が苦手(特にハモり系)なので、ちょっと歌える子はアルトへ。なんでしょうね。

>chikoさん

>すとんさんも書いていたじゃないですか。みんなで声を合わせて歌う・・・クラスの心を合わせる手段に使うって。

 そうでした。それをうまく利用(?)している例なのでしょうね。

>戦後日本の賜だとも言える、歌声喫茶。

 確かに時代背景というものを考えないといけない事ですね。時代の空気というものが今とは確かに全然違いますものね。

 あの頃は(文献で読む限りでは)左翼はむしろ肯定される立場というか、敗戦で弱気になっていた人達の中で元気だった存在というもの。特に若いインテリさんたちは、多かれ少なかれ左翼思想に親しんでいたわけで、学生運動なんて、その例ですね。

 その中からうたごえ運動やうたごえ喫茶も生まれてきたと…。そんな理解かな?

 そんな人の立場を認める事にやぶさかではないけれど、右翼であれ、左翼であれ、政治的な人って、私は苦手。だって、彼らは暴力的なんだもん。右翼と左翼がそれぞれで勝手に対立するのはかまわないけれど、両方が手を組んで攻撃するのは、私のようなノンポリ人間だから、たまったもんじゃない。

 私はただ、きれいなものとか、おいしいものとかが好きで、面倒くさい事が嫌いという、まあ、だらしない人間と言えばそういう人間なわけで、そんなところが、政治的な人に嫌がられる部分なんだろうと思う。

 あんまりいじめられて来たので、政治的な人みると、裸足で逃げ出す癖がつきました(笑)。

 ロシア民謡、確かに心ひかれます。「ロシア民謡なんて暗いから嫌い、やっぱり音楽はイタリアものよ!」と書きたかったんだけれど、でもやはりどこかで、あのもの悲しいメロディにシンパシーを感じます。

コメント欄が熱いですね~!(笑)

学生運動で就職の道を閉ざされた左翼のインテリが予備校の講師になっている・・・というのが多いようですが、長女の予備校もそんな感じです。(もちろんそういう人たちは最年長くらいですが。)

長女が読書会でお世話になる講師が”左”のすごい人らしいのですが、同じ系列の別なところでは”右”のすごい人(この人も講師)と一緒に読書会などをやっているそうです。(・・・でかなり仲良しらしい!)
”右”でも”左”でも真に極めた人たち(?)は平和に対話ができるのかもしれません。

>あと、仲のよいお友だちがみんなアルトだから、私もアルトをやるわ、って人はたくさんいそう…。

いますいます!!
私が中学の頃、部活が消滅しちゃったので(だって1年生が誰も入ってくれなかったんだもん)有志でやってた合唱活動(笑)でも、「○ちゃんと同じパートがいい!!」という子がたくさんいました。

我が道を行く私(って、多分もうすとんさんはわかっていらっしゃると思いますが)は、ソプラノでした。
ま、さすがに大学ではね~、なんせ、声楽科のセミプロの皆さんと一緒に授業取ってましたから、メゾでしたが。人数あわせのためにアルトに行ったこともあります。

私の個人的な考えでは、ハモリがないのは、「人と同じ」ことに意義を見出すところからきてるのかな~と思います。みんなで同じメロディーを歌ってると、とりあえず安心という。でもこの考え、あんまり吟味してないので突っ込まれると困っちゃうんですが(笑)

そうそう。戦後だけじゃなくて、60年代70年代の学生運動の頃ですね。代表的なのは、岡林信康さんの「友よ」でしょうか。あんなのも、ハモりませんね。

こんにちは。
昨晩は、娘や息子に追い立てられ、まだ、話足りなかったので・・。
御子息は、「声楽部」を希望されていたと・・。
将来、有望ですね。すとんさんの歌に対する想いがつたわっているようですね。親子リサイタルも間近かも!!・・・実際、変声前の声で、親子で何か残されておいたほうがいいですよ。
うちは、公文童謡コンクールに家族、娘、息子、私で応募した(テープ審査で落選)時の録音が、いい記念になっています。
ところで、私は、転勤族の父だったので、小学校4校、中学校2校とわたりあるきましたが、音楽にしても、国語、理科、体育・・・その学校によって、力を入れている=楽しく学べ、伸ばせる教科が、あるんだな~と思いました。
音楽について印象的だった変なこと・・小1~2の担任が音楽の県or市の研究授業だったため、そろいの制服のようなものをつくらせられ、唇のはじっこを両手の親指と人差し指でつまみながら歌い、ラッパのような口の形で歌う・・・というのを、大真面目に、県の中心部の小学校までクラス全員で行って、出張研究授業をした・・小6の時の学校は合唱部ではなく、声楽部だった!!・・私は転校生なので入れなかったけど、声がたしかに地声は皆無だったが、無理のある頭声発声で、空気がすかすかしたような歌声で、鼻腔共鳴ができていないのに、頭部に通らせようとしていたような感じだった・・
じつは、私は、OLになりましたが、児童教育専攻で、幼稚園と小学校に教育実習にも行ったのです。
そして、大人(先生)が子どものまえで歌うときの歌声はどういうのがいいのかつねに、自分の中で課題でした。また、児童発声についても考えさせられていました。
・・・それで、今も日本語の歌を歌いたい・・どうしよう?・・なんて言っているのです。・・・結果、その歌にあった歌い方かな、なんて思っています。
長くなりました。おつきあいいただきありがとうございます。

>Ceciliaさん

>学生運動で就職の道を閉ざされた左翼のインテリが予備校の講師になっている

 これは事実でしょうね。私などは、これらの先輩たちの姿を見ていましたから「政治問題に首突っ込むと就職できなくなる」と散々言われていましたから…。

 左でも右でも、政局を論ずる時は対立しても、それ以外では仲良しというのが、大人として正しいあり方だと思います。私もそういう人とは友だちになりたいと思います。ただ、私の身の回りには、そういう大人が少ないだけなんでしょうね。

 でもね、読書会って、リーダーの資質が会の運営に大きく影響を与えるものですが、右や左の方々の読書会って…大丈夫、というか、すごくおもしろそう(!)

>ことなりままっちさん

>ハモリがないのは、「人と同じ」ことに意義を見出すところからきてるのかな~と思います。

 これ、案外、正解かもしれない。隣の人の歌っている旋律と違う旋律を歌うのって、勇気いるもの。

 この説でいくと、合唱は斉唱よりも困難レベルは上がるけれど、同じパートで固まれば、隣の人と同じものを歌うわけだから、安心安心。だけど、独唱は一人っきりだから、イヤ。ましてや、重唱となったら、絶対イヤってなるわけだ。

 物事は単純に考えた方が、案外正解に近いのかもしれませんな。

>chikoさん

>岡林信康さんの「友よ」でしょうか。あんなのも、ハモりませんね。

 これが意外にハモってるんですよ。私のiPODに入ってる「友よ」は岡林信康をリードヴォーカルにして、高石友也とフォーク・キャンパーズという方々がハモっているのです。私は聴音が苦手(というよりできない)なので、正しいところは分かりませんが、メロディの上と下にハモリパートがついて、部分的に男声3部合唱になっているような気がします。

 学生運動の頃のフォークソングって、ハモってない印象があるのですが、レコード(笑)を聞くと、結構多くの曲にハモりパートがあったりします。まあ、ライブ(含むテレビ)とレコードが違っていて当たり前の時代のですからね。

 左翼ソングでしょうが、ジローズの「戦争を知らない子供たち」は名曲だと思うし、今聴いてもグッとキマす。

>ひと休みさん

>大人(先生)が子どものまえで歌うときの歌声はどういうのがいいのかつねに、自分の中で課題でした。

 私は幸運にも、音楽の授業をやったことがないのですが、一応(ピアノは弾けませんが、小学校の音楽の)免許は持ってますので、私もそんなことを時々考えました。

 難しいですよね。大人が大人の声のままで、範唱してしまうと、音色も含めて、子供はそのままをマネしてしまいますからね。特に教師が男性の場合、子供は教師の音域に合わせて、本来よりも1オクターブ下を歌おうとすることもあるそうです(伝聞ですから、正しい情報かは自信がありませんが)。

 知り合いの音楽教師は、男性ですが、自分の歌声を1オクターブ上げて歌ってましたが、音域は正しくても、音色がねえ…。子供たちが変にマネて、美しくなかったような気がします。

 別の音楽教師は、(本当は歌える人なのだけれど)子供の前では一切歌わないで、ピアノだけで音を取らせて指導する人もいました。子どもによっては、かなりキツそうだと聞きました。

 人それぞれですが、現役のプロ教師たちも、その指導には苦労している難しい問題です。ああ、音楽を教えずに済んでラッキー!

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