ひとこと

  •  ポケモンGOの仕様が大きく変わって戸惑ってます。たぶん改良されたのだろうと思うのだけれど、どう楽しめば良いのか、正直戸惑っています。年寄りは変化が苦手なんだよねえ。ああ、以前のゲームシステムが懐かしい…。
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2008年3月の記事

2008年3月31日 (月)

記事削除の依頼があったため、削除しました。

[2008年5月11日 記事削除の依頼があったため、削除しました。またそれに伴い、この記事にコメント下さった方々には申し訳ないのですが、記事自体の削除に伴い、コメント欄のコメントもすべて削除させていたただきました。コメントくださった方々には感謝を述べると同時に私の力量の不足のためにコメント削除に至ってしまった事について謝罪申し上げます。]

2008年3月30日 (日)

ふ、振り出しに…戻ってしまった(涙)[3月第5週・通算11週]

体重:102.0㎏[+0.8㎏:-1.4㎏]
体脂肪率:31.1%[+0.4%:+0.6%]
BMI:32.5[+0.2:-0.5]
体脂肪質量:31.7㎏[+0.6㎏:+0.2㎏]
腹囲:103.8㎝[+2.0㎝:-2.8㎝]

 ご覧のとおり、体脂肪質量が、スタート時よりも増えてしまいました。これでは、ダイエットとは言えません。痩せようとしているのに、結果、却って太ってしまった~。

 原因を言うと、世間様からやっかまれそうなんですが、実は私、今週一週間、お休みをいただきました。いわゆる春休みって奴です。

 ガッコのセンセはうらやましいなあ…とはおっしゃらないで! 同僚はみんな休みもせずに毎日出勤して働いております。ガッコのセンセは見えないところで一生懸命働いておりまして、実は結構忙しい職業なのです。

 で、はっきり言って、私だけお休み。なんで、私だけお休みかと言うと…やることないんだもん。出勤しても仕方無いじゃん、だったら溜まった年休を消化しないと…ネ。

 いえいえ、本当に、やるべき仕事はすべて年度内に終わらせ、引き継ぐ仕事はきちんと書類化してマニュアルにしたんです。本当に何もない。私はこの春、配置転換で職場を異動するので、仕事の道具は、みな異動先に送ってしまいました。だから、今の職場には、本当に何もない。

 配置転換とは言え、実は四月からの仕事の内容も所属先も肩書も、全然知りません。分かっているのは、誰が直属の上司かと言うことだけ。ああ、普通なら不安に思うのだろうけれど、どうせ四月になれば、知りたくなくても知ってしまうのだから、今は何も考えないことにしてます。

 次の職場には3月31日(明日じゃん!)に初出勤になっております。それまで何もない。始まると、きっと毎日忙しくなるはずだから、休める今のうちに休んじゃえ!ってところなんです。

 で、毎日、ぐーたらして過ごしておりました。思い出したように食事をし、小腹がすいたと言っては、コンビニでチープなお菓子を買って食べる。(花粉症なので)どこにも出かけず、運動もせず、ただただ毎日、本を読んで、歌うたって、ブログをやってネットサーファン(死語?)して、昼寝する。昼寝をしているのに、朝寝も夜寝もきちんとする。生産的な行動と言えば、NHKテレビで「とことん! 石ノ森章太郎」なんてオタクな番組やっているから、きっちり見る、え、ちょっと違うって? でも、30時間もアニメや特撮ばかり見るのも、これはこれで結構大変よ。

 そんな生活してれば、太っても仕方無いけど、きっと四月になれば、痩せると思う。以前、配置転換(高校のセンセから小学校のセンセ)した時は、最初の1年で10㎏、次の1年で30㎏痩せたもん、ダイエットしてないのに。だから、今度の配置転換でも、きっと痩せるサ、痩せるに決まってる、痩せなきゃ困るってばサ。

 はあ~。もうじき、春休み終わっちゃう~(涙)。

2008年3月29日 (土)

またイカリ君が大発生!

 タイトルのとおりです。イカリムシにやられていた緋ドジョウたちを、一カ月ほど隔離しました。緋ドジョウたちも元気になり、すっかり虫が見られなくなり、水槽の中の金魚たちにも虫が見られなくなったので、そろそろ潮時だろうと、緋ドジョウを水槽に戻しました。しばらくは水槽中も平和でした。

 そう、しばらく平和な状態が続きました。そして、サクラが星になり、チヅルが新加入して、水槽も少し風景が変わったなあ…と思っていた矢先、またまたイカリ君が大発生。毎日のように虫の駆除に追われています。

 一体何が原因なのだろう。やはり水槽にイカリ君が住み着いているのかな?

 チヅルにもイカリ君が付いていました。緋ドジョウたちは今のところ無事です。お姉さん金魚たちには当然のように悪い虫が付いてます。アカネに至っては、1ダースほど虫が付いていました。

 とにかく見つけ次第駆除! この方針でやってますし、金魚たちは大人しく虫を駆除させてくれるので、そんなに大変ではないのですが、こう毎日続くと、少し気が滅入ります。

 イカリ君は我が家のペットとしての数には、入っていないんだけどなあ…。

2008年3月28日 (金)

ベーゼンドルファーと喘息と私の声など[2008年3月]

 今月も色々と振り返ってみると、やはり様々なことがありました。

その後のベーゼンドルファー

 参照ページはこちら。ヤマハの発表によると、ベーゼンドルファーの販売およびメンテやその他諸々は、ヤマハブランドではなく、新しく子会社「株式会社ベーゼンドルファー・ジャパン」を設立して行う様子。

 ショールームなども別に作るみたいだし、表面的には「ヤマハとは別!」って感じで営業するのかな? でも、従業員数はたった5名だそうだし、どんなもんでしょ。楽器販売店って、その程度の規模でできるものなのかしら?

 どちらにせよ、伝統の灯は絶やしてはいけないわけで、ヤマハさん、頑張っておくれよ。

花粉症&喘息です

 花粉症は時期のものだから仕方がない。今年は例年よりも花粉がたくさん飛んでますよお~って宣伝していたけれど、私的には、例年よりも症状が軽いような気がします。あまり花粉で悩まされる(症状が全くないわけではない)ような感じではありません。

 むしろ、花粉で粘膜が痛めつけられ、そこからウィルスが侵入し、風邪をひいたことが反省材料かな? 気をつけていたのになあ…。花粉の症状と風邪の症状って、ほぼ同じだから、この症状は花粉に違いないと勝手に思い込んでいたのが、失敗の原因。実は花粉症はそれほど酷くなく、酷かったのは風邪だったのです。で、風邪をかなり重篤になるまで放置していたので、風邪から喘息を誘発してまいました。

 確かに私は喘息持ちだけれど、ここ数年は縁を切っていたはずなのに…。

 花粉症はだいぶ和らいできました。風邪は治療をしたので、すぐに良くなりました。しかし、喘息は一向に回復の気配無し。いや、むしろ悪くなっているような…。

 喘息って、どうしても咳をして、痰を切らないと、呼吸困難になるので、結構な回数の咳をしてしまいます。これがノドには極めて良くない。

 さらに喘息の薬の副作用で、声がかすれるというのがあります。それでも私はお医者様と相談して、喘息の治療薬としては効果が弱いけれど、比較的声のかすれづらい薬にしています。でも、やはり声にはダメージあるなあ…。これが標準的な薬だと、私の場合、声がかすれるどころか、ほとんど出なくなってしまうので、歌はおろか、仕事にも差し支えが出る(私はしゃべってナンボの商売です)ので、困ってしまいます。、

 今年の喘息、花粉症以外に理由がありそうだなあ…まさか、黄砂? 今年の黄砂はかなり酷いらしいからなあ…。とにかく早く健康体に戻りたいものです。

久しぶりに高音禁止令が出てます

 この話はすでに記事にしましたので、現状報告になります。

 チェンジをほぼ克服した私は、次なる高みを目指して頑張りすぎて、今まで獲得していた発声のフォームを見事に崩してしまいました。で、フォームの建て直しってわけで、キング先生に高音禁止令が発令されてしまいました。

 はい、大人しく先生の指示に従っております。喘息もひどいので、ノドに負担をかけないという理由としては、ちょうどいいかもしれません。

 高音を出さない代わりに、日々、脱力と美しい母音の響きに注意しています。あ、ノドの奥を開いたままの発音にも注意してますが、これまた筋肉痛の日々です。つまり今まで、きちんとノドの奥を開いていなかったということなんでしょうね。「急いては事をし損じる」という言葉を胸に刻みつけている真っ最中なのです。

 筋肉痛になるたびに「ああ、この部分の筋肉を今まで使っていなかったんだなあ、この筋肉痛が無くなる頃には、また一歩、歌う身体ができてくるんだなあ…」と思ってます。

私の声はどんな声?

 これはコメント欄に書いたことです。

 ところでみなさん、他の方のブログの記事は読んでも、そのコメント欄まで読みにいきますか? また、記事はアップされたら終わりだけれど、コメントは随時増えてゆくわけで、増えてゆくコメントまでフォローして読んでますか?

 私は、他の方のブログの記事は読んだ時、その時点で付けられているコメントは目を通しますが、そうそう何度も同じブログの同じ記事をチェックし続けるわけにもいきません。それでもコメントを付けたものに関しては、時間をおいて、お返事の確認はしますが、コメントを付けなかった記事のコメント欄を再びチェックすることは、まずありません。

 という自分の習癖を鑑みても、コメント欄に内容のあることを書いても、読まれないまま終わることもあるのだろうなあ…、もったいないなあ…、と思ったので、月末のまとめに、それらを小ネタのひとつとして、もう一回書いてみるのも悪くないかなあと思いましたので、さっそくやってみます[以上、言い訳でした]。

 さて、私の声はどんな声でしょう。

 ブログに歌声をMP3ファイルにしてアップロードすればいいのだろうけれど、まだ人前で歌うレベルには達していない私なので、それはまだまだダメです。文章で記述と言っても、自分の声は自分ではよくわかりません。キング先生には最近尋ねていないし…、というわけで、身近にいる妻に尋ねてみました。

「私の声って、どんな感じよ?」

「うーん、強くて太くて重い声。以前は硬くて尖った声だなあと思っていたけれど、声に響きが付く様になってからは、声の角が取れてきたかな。声は、まだまだ硬いけど、尖ってはいないよ。だいぶ丸い感じになってきた。だけど、その声だと、周囲に溶けることはないから、合唱向きではないと思う。合唱団に行って、その声で歌われたら迷惑かもしれない。合唱で求められる『周囲によく溶ける声』とは方向性の違う声だもの。どっちかと言うと、合唱団の中では、声が突き抜けてしまうと思う。そういう意味では、独唱向きの声だと思う」

「太くて重いって、バリトン・ボイスってこと?」

「いくら太いと言っても、バスやバリトンの声とは違うと思う。バリトンかテノールかと言われると、やっぱりテノールの声だと思うけど、合唱団にたくさんいる、声の細い、いかにもテノールっぽい声の人達とは、全然違うと思う。だいたい、身体の大きさが、あなたと合唱団の人たちとでは、全然違うのだから、出てくる声が全く違っても、仕方ないかな」

 ちなみに、私は巨漢です。デブでノッポで厚みがあります。イメージとしては、自販機に手足をつけて歩かせると、案外近いかも。

 さらに妻は続けて言いました。

「宗教曲って雰囲気の声じゃないよね。どっちかと言うと、オペラの合唱団にいそうな声かな」

「声量、つまり声の大きさ的には?」

「大きい方でしょ」

「あえて尋ねると、3大テノールに例えるなら、誰?」

「ドミンゴ! でもね、ドミンゴにそっくりと言うよりも、パバロッティやカレーラスとは、明らかに違うからね。消去法でドミンゴかな。だいたい、体型が小型ドミンゴって感じだから、声の感じも似たようなものになるんじゃないの?」

 なんだそうです。

発声技術の習得に関する感想?

 これもコメントで書いた事です。

 今はまだ修行中で、習得中だから、ハミングにしろ、発声にしろ、発音にしても、声に関することの一つ一つに苦労してますが、実はそれらのことって、簡単で単純な事なんだろうなあと思ってます。

 でなければ、歌手のみなさんが、オペラのような長くて難しい曲を歌うことって無理でしょう。オペラのように長い曲を全部暗譜して、舞台ならば演技して、他の歌手とのアンサンブルにも気をつけて歌っているわけです。なるべく余計なことに気を使いたくないでしょう。歌と演技に神経を集中しているはずで、その状況下で、いちいち声に気をつかっていられる暇などないはずです。

 声に関することは 一度きちんと習得して、自分のものにしてしまえば、後は案外、無意識のうちにいい連携の中で行えてしまえるだろうと思ってます。また、そうならなければ嘘です。

 私などの学習者は、まだきちんと習得していないために、無意識には何もできず、色々と考え、悩み、そして道に迷うのだと思います。迷いに迷った挙句、わけの分からない場所に行ってしまうのだと思います。

 なぜそう思うのかというと、スポーツからの経験です。私は柔道をやりますが、受け身について全く悩みません。しかし柔道初心者たちは、この受け身の習得で、痛い思いをしながら、時には悩み、時には壁にぶつかりながら、何とか習得してゆきます。私がきちんと受け身が取れるようなるまで、毎日練習して三カ月ほどかかりました。無意識で受け身が取れるようになったのは、さらにもう少しの年月が必要でした。しかし、今では、すっかり私の基本動作の一つとして無意識で受け身ができます。そして、余程の事がない限り、大怪我をすることがなくなりました。

 おそらく声に関しても、同様なのだろうと推測しています。

プロ意識について

 この話はCeciliaさんのブログのコメント欄に書いたことを、補足した上で再掲します。

 私は時折、主催者なるものの片棒を担ぐことがあります。いや、主催者なんて立派なものじゃないですね、いわゆる「呼び屋」さんですな。「イベント屋」と言ってもそう遠くはないです。

 ある日のこと、そんな主催者のまねごとをして、とあるパーティーに、あるベテランの(ちょっと落ち目の)流行歌手の方をお招きして、ミニコンサートを開いてもらった事があります。今は落ち目とは言え、全盛期はかなりの歌手(具体的に書けませ~ん、ごめんなさい)だった方なので、私を始めみなさん、当然「お目当ての曲」を待っていました。もちろん、その方は歌ってくれました。それも、コンサートの中盤と、アンコールとの、二回も。ありがたいことです。

 でもね、そのお目当ての曲を、彼はレコードとはちょっと違った風に歌う(つまり崩して歌う)ので、コンサートが終わって、スタッフ同士の茶話会(ミニ打ち上げ?)の時に、大胆にも、なぜレコード通りに歌わないのですかと尋ねたことがあります。

 その方は色々と言ってましたが、結論としては「飽きてしまった」ので、その日の時々の気分に合わせて歌い方を変えるのだと言ってました。そして、それができる自分は、とても上手な歌手なのだとも言ってました。

 気持ちは分からないでもないのですが、その方がシンガーソングライター(つまり自分自身が作曲家)で、その曲が自作の曲ならば、それもアリかな?とも思いますが、残念ながら、その方はシンガーソングライターでも何でもない、ただの歌手です。

 私は、演奏家とは再現のプロなのであって、作品の再現を通して自己表現をする表現者だと思ってます。作品に何かを付け加えたり改変するのは再現ではなく、再創作であって、それは演奏家のすることではないと私は思います。

 なので、そんな事をしては、作曲家に失礼なのではないかと思いました(本人には言いませんでしたが)。

 ちなみに、こんな考え方をしていますので、森進一と川内康範の「おふくろさん問題」に関しては、完全に川内康範の味方な私です。

 話は飛びますが、カーペンターズのリーダーであるリチャードは、バンドメンバーがライブの時に、演奏を崩してアドリブなどを入れると、烈火のごとく怒ったそうです。

 自分たちは何度も演奏をして飽きてしまったのかもしれないし、ミュージシャンとしてアドリブの一つも入れたくなる気持ちは分かる。しかし、今日来たお客さんは、自分たちのレコードを買ってくれて、気に入ってくれて、それでライブに来た方々だ。その中には、初めて自分たちのライブを聴く人もいるかもしれない。そのお客さんが、自分たちがレコードとは違う演奏をしたら、とてもがっかりするじゃないか。ライブであっても、レコードと同じように聞こえる演奏(全く同じ演奏は物理的に無理なんだそうです)を、同じ質で再現するのが、プロの仕事だという趣旨の話をしていたのを、どっかのドキュメンタリーで見ました。

 プロ根性って、こういうのを言うのかな? って思いました。 まずは「客ありき」だよね。

 今月はこんなところでしょうか?

2008年3月27日 (木)

声楽の効用 その2 呼吸器を鍛える

 前回、シャレで「声楽の効用」という記事を書きましたが、考えてみたら、シャレでなく、実際に色々と効用があるのではないかと思い、小さな話が多くなってしまいますが、色々と書いてみてもいいかなあという気分になりました。

 で、さっそくシリーズ化。なので、第一回目がすでに「その2」なのです。

 声楽の効用…呼吸器を鍛える! これ、呼吸器が強い人には分かりづらいと思いますが、呼吸器が弱い人には切実な問題ですよ、はい。

 呼吸器が弱いと言っても、色々なタイプがあり、またそれぞれが重なったりしているから事情が複雑だけれど、大きく分けると以下のようになるかな?

 1)風邪をひきやすい、また一度ひくとなかなか治らない。
 2)痰が多く、空咳が多くて、なんとなく息苦しい[つまり喘息持ち]
 3)スタミナがない、顔色が常に悪い、なんとなく病弱[運動が苦手で線が細い]

 私も実は呼吸器、強くないです。タイプ的には1&2ですな。

 一般にこのような「呼吸器が弱い」タイプの人には「体が弱いから呼吸器が弱いんだ!」という、一見正しそうな考えから、運動が薦められることが多いと思います。医者も病弱な子どもに「戸外で思いっきり遊ばせてみたらいかが」なんて、やんわりと運動を薦めます。

 運動をして体力をつけるのが良いことくらいは言われなくても分かるし、可能ならそうしたい。でも…

 タイプ2の人は無理。だって運動したら喘息出るもん。ラクラク運動ができるくらいなら、喘息で苦しんでいないって!

 喘息持ちは、運動を十分する前に息苦しくなってしまうから、なかなか大変なんじゃないの。そこを無理すると喘息発作が出るしネ。運動をしようと思っても、ナカナカねえ…。

 タイプ3の人には運動が良さそうだけれど、この手の人って、大抵呼吸が浅いんです。だから、常日頃から酸欠なんです。常日頃から酸欠なので、ちょっと動くと、あっと言う間に酸欠で倒れたりします。このタイプにも運動はちょっとねえ…。

 運動が効果を表しやすいのは、やはりタイプ1の人でしょう。

 まあ、運動もきちんと計画的に管理的に行えば、かなり効果はあると思う。事実、一流のスポーツ選手の中にも、実は呼吸器が弱い人っていますが、これらの人なんかは、いい例ですね。スポーツをして体力をつけ、人並み以上の体力を保持できるようになったわけだ。

 でも案外、体力は人並み以上でも、呼吸器は弱いまんまだったりします。大気汚染が怖いので北京は辞退しますって人は、このタイプ。運動は直接、呼吸器を強くしないのです。

 だからね、言いたいのは…

 ではなぜ、呼吸器が弱いなら、直接呼吸器を鍛えない? あるいは
 ではなぜ、呼吸器が弱いなら、弱い呼吸器を正しくきちんと使えるように訓練しないの? ってこと。

 体力増強を図る一方で、呼吸器そのものを鍛えるとか、より効率的でより正しい呼吸法をなぜ身につけさせようとしないのか? ここだよね、ポイントは。

 正しい呼吸法を身につけるには、声楽や演劇はとても良いと思いますよ。なにしろ、正しい呼吸ができなければ、正しい発声はできないわけで、歌や芝居の練習しながら、正しい呼吸法が身につくなら、いいよね。まあ、私は芝居をやらない人なので、声楽を強くお薦めするわけですが…。

 声楽を始めて、正しい呼吸方法を身につけてゆけば、おのずと呼吸器そのものも鍛えられます。実際に呼吸器の弱い私は、まじめに歌っている時期は風邪もひきにくく、なかなか調子が良いのですが、歌わなくなると、とたんに体が弱くなり、風邪もひきやすくなります。

 歌も上達して、なおかつ、健康も手に入れられるなんて、声楽の効用って、すごいよね。実際、私も今、しばらくぶりに喘息で苦しんでいますが、楽に苦しんでいます。というのも、発作が出て、多少息苦しくても、キング先生に習った呼吸法で、これが楽に乗り切れるのよ、いやホント。以前なら、ぜーぜー胸を鳴らして、死にそうな思いをしていたのに、今はぜーぜー胸が鳴り始めると、落ち着いて腹式呼吸。少なくとも死にそうな感じにはなりません。ああ、喘息が出てるなあ…。少し動きをセーブしないとなあ…と頭の片隅で考えるほどの余裕もあります。

 呼吸器の弱い人、声楽はバッチ、グーだぜ。

 というわけで「声楽の効用」シリーズは続きます。

2008年3月26日 (水)

グレン・グールドと私 その2

 では、昨日の話の続きです。

 割と最近の話です。職場の同僚で音楽ファンの人たちがいて、その人たちがグールドの話で盛り上がっていました。私はグールドを評価していなかったので、冷やかな気持ちでその話を聞くともなく聞いていました。

 あるピアノ弾きの人が「私はグールドのような演奏はしたくないけれど、でも彼の演奏は好き」と言いました。『演奏はしたくないけれど好き?…ありえないでしょ、普通。アーチストのことが好きなら、その人のように演奏したくなるものじゃない? 演奏したくないなんて、それは嫌いという意味じゃないの?』 なんか心にひっかかりました。

 そこで家に帰ってから、昔買ったゴールトベルグを取り出して聞いてみました。本当に久しぶりでした。やっぱり…嫌いでした。相変わらず、変な音色だし、鼻唄歌ってるし、音楽はブツブツしてて流れてないし…。

 でも、私も昔と違い、オジサンになりました。オジサンは若者と違って、簡単に結論を出さない。そこでゴールトベルグのグールドは嫌いだけれど、他の曲なら評価が変わるかもしれないと思いました。

 さっそく図書館に行ってグールドのCDを借りてきました。お金を出して失敗したら嫌なので、まずは保険代わりに図書館のCDでリスニングです。

 さあ、借りてきたぞ! さあ、聴くぞ! 気合を入れて、しっかり聴きました。しっかり聴けば聴くほど、嫌になってきました。ああ、もっと美しくピアノを鳴らして欲しい。もっとロマンチックにフレーズを奏でて欲しい。鼻唄、ウザい! なんか聴けば聴くほど、気持ちが萎えてしまいます。

 ある日、グールドの演奏するベートーヴェンの「エロイカ変奏曲」を風呂場で(笑)、リラックスした気分で聞いていました。その時、ふと「いい演奏だなあ…」と思いました。「なんかジャズを聞いているみたいだなあ…」とも思いました。ベートーヴェンが…とか、クラシック音楽が…とか、グレン・グールドが…とか、そういう雑念を忘れて、単なる音楽として聞いた時、なんか上質なジャズピアノを聞いているような気分になり、いい曲だなあ…と心の底から思いました。

 その時私は、クラシック(つまり古典)音楽として聴くと、グールドの演奏は嫌いだけれど、クラシックを素材とした現代のサロン曲として聴くなら、グールドの演奏もありかもしれないと思いました。

 ダメを出したゴールトベルグをクラシック音楽という枠を外して聞いてみました。脱力系のジャズピアノ曲として聴くと、これ、案外おもしろい。他の曲も聞きました。彼の演奏スタイルが持つヘナヘナ感が、なんか癒し系音楽のように感じられました。

 ファンとか信者の方には怒られるだろうと承知の上で書きます。

 私はグレン・グールドに「癒し系ジャズピアニスト」というラベルを貼ることにしました。もちろん検索タグは「ヘナヘナ」と「乾いた閉塞感」です。用途は「疲れ切っていて元気な曲を聴きたくない時に聴く」「おへそが曲がってしまって、自分ではどうにもこうにもならない時に聴く」。用量用法は「リラックスした環境及び気分で、小一時間程度」です。

 これでやっと、私の心の中の音楽室のレコード棚に「グレン・グールド」という箱が入りました。

 と言うわけで、ただ今、グレン・グールド、再評価中であります。ほんとのホント、心が弱っている時に聴くグールドのバッハは、やんわりと心に沁みます。ベートーヴェンやバッハのみならず、モーツァルトにしても、数々の現代曲にしても、ヘナヘナ系のジャズ音楽、またはオシャレなBGMとしてなら、お薦めでっせ。

2008年3月25日 (火)

グレン・グールドと私 その1

 10代の頃の私は、バンドをバリバリやるポピュラー系の人でしたが、大学生になって、ロック以外の音楽にも興味を持つようになりました。その頃、親しくしていた友人にいわゆるクラキチ(クラシック系音楽の鑑賞を専らとするオタク)がいました。彼を仮にA君と呼びましょう。そのA君の影響もあり、私は少しずつクラシック音楽に興味関心を持つようになりました。

 A君はクラシック初心者である私に、まずどんなディスクを聞けば良いのか、など懇切丁寧に指導してくれました。A君は本当に親切だったし、彼から得たものは多かったけれど、彼に惑わされてしまった面も多かった。今日はそんな話。

 クラシック初心者としては、まず、バッハって気になるじゃないですか。名前は有名だけれど、ベートーヴェンやモーツァルトほどには初心者の耳には入ってこない。でも興味はアリアリ。そこである日、A君に「バッハを聞くなら、まず何を聞いたらいいの?」と尋ねました。

 ちなみにあなたなら、どう答えますか? 現在の私なら「トッカータとフーガ」や「小フーガ、ト短調」などが入ったオルガンの名曲集を薦めますね。もし質問者がもう少し歯ごたえのある曲でも平気なら「マタイ受難曲」の抜粋盤をお薦めしますよ。

 でもA君は違った。彼の持論は「クラシック音楽は、最高の名曲を最高の演奏で聴かなければいけない」でした。

 そこで彼が出してきたのが、グレン・グールド演奏の「ゴールトベルグ変奏曲(新盤)」でした。A君にとって「ゴールトベルグ変奏曲」は最高の名曲であり、グレン・グールドは最高の演奏家だったのです。だからそのように即答してきました。

 ええ、素直にレコード屋に行って買ってきましたよ、私。そして聞きました。そして…最悪な気分になりました。

 だって、変なんだもん、この演奏!(試聴するならこちら

 ピアノの音はブツブツ切れて、下手丸出し。ピアニストは鼻唄歌ってて、耳障りったら、ありゃしない。録音だって、変にこもってて安い管球アンプみたいな音だし。なんか、同じようなフレーズを何度もくり返してバッカじゃないの! なんか、聴いてて眠くなる~。サイテー。

 当時は真剣にそう思いましたよ。まるでお金をドブに捨ててしまったような気持ちになり、とてもとても悲しかったです。そして、私はバッハを大嫌いになりました。

 たぶん10年くらい「バッハ大嫌い病」でした。バッハと言うだけで、避けて通ってました。古くさくてつまらない曲を作る、名前だけ有名な、昔々の作曲家であると、レッテルを貼っていました。

 そのうち「G線上のアリア」とか「トッカータとフーガ」などの通俗名曲がバッハ作であると、私の頭の中で整理されてくるようになると、「バッハの曲の中にもいい曲があるかもしれない」と思うようになり「マタイ受難曲」を聴くに及び、ついにバッハを見直しました。

 それから、狂ったようにバッハにはまり、色々な演奏者で色々な曲を聴きました。そして思ったことは「バッハは器楽曲にも声楽曲にも素晴らしい作品の多い、偉大な作曲家である」こと。そして「私が嫌いなのは、バッハではなく、グールドであること」が分かりました。だって別の演奏で聴いた「ゴールトベルグ変奏曲」は、溜め息が出るほど美しい曲だったんだもの。

 演奏次第で、どんな名曲も駄作にしてしまう。なんて演奏家って罪深いのだと、これまた真剣にそう思いました。そして、なぜこんな演奏家のレコードが今だに売られているのだろうとすら思いました。

 そして、グレン・グールドとは完全に縁を切りました。切りました…切ったつもりでいました、つい最近まで。

 長くなったので、続きはまた明日。

2008年3月24日 (月)

ソ♯とラ♭、さて、どっちが高い音でしょうか?

 さあ、みなさんはどちらだと思いますか?

 実はこの質問は、以前レッスンの時に、キング先生が、私たち生徒さんたちにした、質問です。もっとも「ソ♯とラ♭」ではなく「Gis(ギス)とAs(アス)」という表現をしましたが…。それはともかく、固定ドなら「ソ♯とラ♭」です。

 一緒に習っているお姉様は「ソ♯とラ♭は同じ音です」と答えて、ブッブーでした。「ピアノならそうでしょうが、今は声楽の話です」と言われてました。

 私は平均律とか純正律とかいう言葉を知っていたので、この二つはおそらく、ちみっと違う音だろうなあとは察していました。しかし、実際に、どちらが高いかまでは分からなかったので、山勘で「ラ♭」と答えました。だってソとラは元々、ラの方が高いわけだから、低い方(ソ)を多少高くしても(ソ♯)、元々高い方(ラ)を少々低くしたもの(ラ♭)にはかなわないだろうと思って、そう答えました。

 私もブッブーでした。

 答えは「ソ♯」です。ソを半音あげたものの方が、ラを半音下げたものよりも高くなるそうです。

 わざわざ♯で半音あげるわけだから、きちんと広めに半音あげて、ここは音程が半音上がりましたよ!って、観客にアピールしながら演奏しなければ、本当の♯の効果が得られないというわけです。同様に♭なら、きちんと広めに半音を下げて、観客にアピールしないといけません。

 へえーと思いました。それが臨時記号の意味と効果なのね…、と改めて納得。

 そして、この事は、弦楽器のように、自分で音程を作っていく楽器の世界では常識なんだそうです。そう言えば、キング先生、歌をやる前はチェロをやっていたんだよなあ…。そりゃあ、弦楽器の世界にも詳しいわな。

 なんでこんな話になったのかと言うと、今やっている「オンブラ・マイ・フ」にも臨時記号が若干出てきます。その臨時記号の箇所を、私たちがピアノ的に歌ってしまうので、つまらないと、キング先生がおっしゃるわけなのです。きちんと声楽的に音程取って歌ってください、というわけです。

 ♯や♭のみならず、ナチュラル(ネットだと記号がうまく出ません)でも同様ですし、音程だけでなく、音量に関する、pやfについても、やはり同様なのだそうです。つまり、音楽の世界の記号には、絶対値があるわけではなく、常にすべからく、相対的な値があるから、その場にふさわしい相対的な値で処理しなければ、美しくないよ、ということなのです。

 結局、美とは感覚に依存せざるをえないものだという点を忘れてはならないということなのでしょう。

2008年3月23日 (日)

お医者様に叱られました[3月第4週・通算10週]

体重:101.2㎏[+1.1㎏:-2.2㎏]
体脂肪率:30.7%[-0.4%:+0.2%]
BMI:32.3[+0.3:-0.7]
体脂肪質量:31.1㎏[+-0.0㎏:-0.4㎏]
腹囲:101.8㎝[+0.3㎝:-4.8㎝]

 今週の数字は以上のとおりです。ダイエットどころか、体重増加です。うむ、停滞期かな?

 実は今週、タイトルのとおり、かかりつけのM先生(内科)に叱られました。もちろん「太りすぎ」ですってサ。

 最近の私は血圧が高くって、ついに血圧を下げる薬とやらを処方されてしまいました。M先生は「体重さえ減れば、こんなもの(血圧を下げる薬のこと)に頼らなくても済むんだから、サッサと痩せなさい」だってサ。そりゃあ、そうでしょう、ごもっともです。

 私も体重を減らそうとは思っているものの、なかなか減らなくてねえ…今回は。

 コレステロール値ですか? 私の場合、これは痩せている時でも常に高い人なので、それに加え、腹囲がたっぷりあって、血圧も高いんだから、誰が何と言おうと、私は立派なメタボ星人ですな。これで血糖値さえ高くなれば、パーフェクトだな…ってふざけている場合じゃないぞお。マジ、ヤバイって。

 ホント、痩せて、少しでも血圧下げないとね。冗談言ってる場合じゃないよね、もはや。

2008年3月22日 (土)

チヅルさんが泳ぎだしました

 先週の記事では、チヅルは泳げない、障碍魚かもしれないと書きましたが、あれから数日後、なんと泳ぎだしました。

 ちなみに泳ぎはまだ下手です。思ったところにうまく行けなかったり、水槽の水流に流されたり、スピードコントロールがうまく行かなかったり、とてもお姉さんたちのように優雅には泳げませんが、それでもなんとか泳いでいます。

 我が家に来て、十日前後ですが、体はかなり大きくなりました。倍は言い過ぎですが、長さにして1.5倍になったと言うのが正確なところでしょう。我が家に始めてきた時は、おおげさでなく、メダカ程度の金魚でしたが、あれからメキメキ巨大化し、かなり大きめの飴玉程度になりました。

 どうやら障碍魚ではなく、べーべちゃんだったようです。

 人間なら、赤ん坊かどうかすぐに分かるけれど、金魚じゃ、赤ちゃんなのか、単に体が小さいだけなのかの判断はつきづらいよね。

 少し泳げるようになったら、食べる食べる、食べまくってます、チヅルちゃん。水草はもちろん、タニシに頭つっこんでグワングワン食べますし、この前はアオイの頭のコブを食べようとして、アオイが逃げ回ってました。

 まるで鉄の固まりを食べまくるガッちゃんのようです。

 そう言えば、我が家に来たばかりのカスミが、こんな感じで食べまくってました。で、巨大魚サクラのいなくなった今、我が家で一番体が大きいのは、カスミですから、チヅルもカスミのように、大きく成長するのかな?

 そうそう、サクラが星になって、水槽の「女王様の席」には、どうやらカスミが定着しそうです。本来ならアオイが座るべきなのでしょうか、なんかアオイって立場弱いんだよねえ。体も一番大きいので、カスミが座ることになったのでしょう。パフたちの中で一番小柄だったカスミが今では一番大きいなんて、分からないもんだねえ…。

 ま、そんなこんなの水槽の話でした

2008年3月21日 (金)

高音禁止令が出ました または 先生ってありがたい

 実は最近、高音の練習が楽しくて仕方がありませんでした。と言うのも、F#が楽に出せるようになったからです。

 どうやってF#が出せるようになったかは、実は自分でもよく分かりません。とにかく毎日の練習で「頭の中開いて、骨盤倒して、背中をつぶさないように」を注意して、音の高さには気を留めずにやってきました。で、ある日ふと手元の鍵盤を見ると、(五線の上の)Aのあたりで戦っていることに気づいたのです。

 あれだけ苦労したF#だったのに…今では無意識に越えている(感激)! でした。

 で、F#が出せるようになると、その後は、案外際限のないもので、体調やら疲労やらの具合で、Gで止まってしまう時もあれば、C#まで行けちゃう時もあったりします。本当にどこまで行けるかは、やってみないと分からない状態になりました。

 やってみないと分からないとなると、やりたくなりますよね(笑)。不安定なものは、練習をしてきちんと獲得したくなりますよね(大笑)。

 で、チェンジを越えたらアクートだ! とばかりに、気を入れて、高音中心に発声練習ばかりをしていました。もちろん「オンブラ・マイ・フ(高声用)」も気合を入れて…撃沈する事の方が多かったのですが…練習に励んでおりました。

 そんな日々を過ごしながら、前回のレッスンを迎えたわけです

 で、前回、先生の前で声を出したところ「ひさしぶりに禁止令を出します。高音を歌ってはいけません、少なくとも二週間は!」と言い渡されました。ひやぁ~、一年ぶりの禁止令だ!。

 先生がおっしゃるには「肩に力が入り過ぎ。肩は脱力」「背中の使う位置が違う。もっと下の方に意識を集めて」「ア以外の発音が下手すぎる。ノドの奥を開けたままで発音するように」とのこと。

 従って、中低音を中心にこれらの点(特に脱力)に留意しながら練習するようにとのこと。高い音(五線の中のC以上の音)は発声練習では、くれぐれも出さないようにとのこと。オンブラ・マイ・フは中声用を母音の発音に気をつけながら丁寧に歌うこと。以上のような注意(宿題?)が出されました。

 先生には、F#が楽に出せるようになったこととか、もっと上の音にチャレンジしていることなどは、まだ(時間がなかったので)話していなかったのですが、おそらくバレてますね。練習が高音ばかりに偏ってしまい、発声の基本的なところが崩れてしまったのでしょう。

 もちろん、練習後、高音が出るようになった話はしました。先生は「気持ちは分かるけれど、焦らないこと」と教えてくださいました。「美しい高音は充実した中低音から導かれるものだから、中低音をしっかり出せるようにしないといけません」とも教えてくださいました。

 最初にレッスンで高音を出した時には、おそらく何も考えずに出せたはずです。それを自宅の練習で「どうやって出したのだろう」と考え始めて、あれこれ色々と手を尽くし、悩んで道に迷って迷宮に入ってしまったのだろうという趣旨の話もしてくれました。

 高音の基礎は中低音。まずは中低音をしっかりと固めましょうってことです。

 それにしても、先生というのは、ありがたい存在です。これが独学ならば、F#が出せて高音練習が楽しくなった時点で、止めどなく高音練習をし続けてしまい、どこか間違った場所に行ってしまったことでしょう。間違った場所に行きそうになった私を先生が、そっちはちょっと違う、と行って引き戻してくれたわけです。いや、ありがたい。もっとも先生がいなければ、未だにF#も出せなかったろうし、それどころか響きの薄い間違った発声のまま歌っていることでしょう。

 声楽は、器楽と違い、自分が出している音を客観的に把握できないので、自分で練習方向を軌道修正することが難しいものです。だから、客観的に聴き、正しい方向に導いてくれる先生の存在がとても大切なのです。

 私にはキング先生がいますので、本当にありがたいことです、感謝です。今現在、独学で歌の練習をしている人は、ぜひ良い先生(この定義も実は難しい)を見つけて、レッスンを受けることを強くお薦めしますし、残念なことに先生の見つからない人は、声の分かる友人に聴いてもらうとか、録音録画を活用してセルフコントロールをするなどの方法を取り入れて勉強することをお薦めします。

 それにしても、高音禁止令か…。一年前に戻った気分だ。

2008年3月20日 (木)

ハミングに関する訂正

 2008年3月17日 (月)の記事の中の以下の部分l

>最近は、ハミングの練習の時、時折、手をうなじの背骨(首骨?)のあたりにおいて、うなじの振動を確認するようにしてます。正しくハミングをすると、そのあたりに振動が伝わります。私の場合「ああ振るえてるなあ…」程度です。もっと、バシっとハミング決まると、ブルンブルン振るえるようになるのだろうけど、まだその程度。

 引用部分は誤りを含んでいます。この記事を参考にした方、申し訳ないです。で、今日はその訂正記事を書きます。

 ハミングは何の為にやるのか? それは頭の中を開くのはもちろんだけれど、脱力も大切な目的の一つ。

 次に、体に振動が響くとはどういうことか。それはその部分に力が入っていて、うまく脱力しきれていないから振動するわけです。

 つまり、ハミングをすると、うなじの部分が振動するかもしれないけれど、この振動を「正しいハミング」の確認方法としては、採用してはいけないのです。うなじが振動するというのは、うなじに力が入っていることの証でしかないからです。

 正しく脱力してハミングすると、顔全体とか頭全体が、響くような響かないような感じ(結局は頭部全体に響きますが…)になるはずなのです。

 というわけで、2008年3月17日の記事は、上で引用した部分は参考にしないでくださいね。

 私も声楽初心者。自分で理解したことをブログに書いていますが、その理解が時々間違っている(申し訳ない)こともあります。今回のハミングの件はまさにその典型例です。今後も、できるだけ間違いのないように、自分の理解した範囲で記事を書きますが、結果として間違っていたら、ごめんなさい。また、間違いに気づいた人は何人であれ、今後も優しく教えてくださいネ。きちんと訂正記事を書きますから。

 というわけで、今回は申し訳ないってことで、勘弁してください(ペコリ)。

2008年3月19日 (水)

花粉症の効用(大笑)

 今日の話は、最初、左上の「ひとこと」ネタとして書き始めましたが、実に長くなってしまったので、いっそ、きちんと書いて記事にしちゃえ! 的なノリですので、ちょっとグダグダです、すいません。

 ええと、私は、正々堂々と花粉症です。それはそれは見事なくらいな花粉症です。

 もちろん、投薬をしておりますし、マスク着用はもちろん、メガネも帽子もきちんとしております。

 それでも、今年のように花粉がたくさん飛散した日には、もう日々負けっぱなしです。花粉症から風邪が誘発され、風邪から喘息が誘発され、散々な目に遭ってます。

 抗生物質のおかげで、風邪の方はだいぶ治まりましたが、喘息と花粉症は相変わらずです。

 昨日も、昼間、3時間ばかり話しっぱなしでした。いつもなら、これくらい平気の平左なのですが、昨日はさすがに、花粉症でノドが腫れ上がっていたので、声が枯れてしまい、全くしゃべれなくなりました。

 ま、しばらく休んで回復しましたが…。でも、本当にひさしぶりです、声が枯れたのは!

 私は、話をして声が枯れたことは、たぶんありません。そういう意味では、ノドが強い人です。

 でも、歌を歌って声が枯れたのは、以前はしょっちゅうでした。なにしろ『アペルトな声』でしたから(笑)、開きっぱなしのノドでどんな高さの歌も歌ってましたから、小一時間も歌えば、テキメン声枯れです。以前は、声が枯れて、声が疲れて、やっと、何と言うか「ああ、歌ったんだなあ」という満足感や充実感を得てました。

 今思うと、ダメな人です。

 キング先生に発声を習いだしてから、間もなくして、長いこと歌っても、全く声が枯れなくなりました。不思議なものです。

 いつのまにか話が脱線した(だからグダグダね)ので、戻します。

 最近は毎日、花粉症でノドが腫れてますので、普段の練習は、以前のようにはもちろん歌えません。かと言って花粉症が治まるまで歌わない!…なんてわけには行かないので、ノドが腫れたまま、歌の練習をしてます。

 ではノドの腫れは、歌に大きな支障があるかと言うと、実はあまりありません。むしろいい傾向かな…と思えることがあります。

 まず、吐く息の量をセーブしがちです。なぜって、少しでも息が多めだと、声にノイズが載るんですよ、ノドが腫れている時って! これって結果オーライなんですよ。

 日頃、少し息が多めな私は(時々キング先生に注意されます)、このおかげで、息少なめで歌う練習につながっていきます。そして、息が少なくても、声の音量や響きにはほとんど影響ないことに気づきました。おもしろいです、いや、ほんと。だったら、これからも息少なめで歌っちゃおうと思うくらい、音量や響きに影響ありません。もちろんノド腫れてますから、話し声は、ウルトラスーパー低音ヴォイスなのですが、歌声はいつもと同じ声なのも、おもしろいです。

 それと、月曜日にも書きましたが、ノドが痛いので、ハミングや呼吸の練習もやっちゃいます。これもいいことですね。

 花粉症は本当にやっかいなのですが、文句ばかり言っても、現実は変わらないので、この不利な状況を自分なりに無駄にせずに、却って有効利用する方向でがんばりたい毎日です。

 あ、やっぱりグダグダな話になっちゃったよ。ダメじゃん。

2008年3月18日 (火)

「伴奏者の発言」を読みました

 「伴奏者の発言」という本を読みました。著者のジェラルド・ムーアは、フィッシャー=ディースカウを始めとして、大物リート歌手の伴奏者として有名なピアニストです。

 『“ピアノを勉強する人達が、なぜもっと伴奏を自分達の専門としないのか”というこちについて、私はしばしば考えさせられる』という一文からこの本は始まります。ここから分かる通り、この本はムーアが若いピアニストたちに向けて書いた『ピアニストはもっと伴奏をするべきだ』『もっと伴奏という分野に優秀なピアニストを』『伴奏っておもしろくて、やりがいがあるぞ』というメッセージを強い願いに添えて書かれた本です。

 本の要旨を乱暴にまとめてしまうと「伴奏は地味で大変な仕事だが、とてもやりがいのある仕事だから、もっと注目されるべきだし、若いピアニストたちは、ドンドンこの分野に参入して欲しい」となります。

 目次のタイトルを羅列して書いてゆきます。
 共同者の関係/準備/日常の練習/演奏前の練習/演奏者の控室/演奏/悪い癖/初見と移調/オーケストラの伴奏/民謡の伴奏/ピアノとヴァンオリンのソナタ/弦楽器の伴奏/結論

 薄くて(ほんの100ページです)、古い本(原書の初版は1944年です)ですが、なかなか満腹感のある書です。最初はそれほど期待していなかったのですが、読んでみたら、結構おもしろかったです、いやホント。

 伴奏とありますが、その大半は歌の伴奏についてです。技術的なことよりも心構え的なことが多く書かれています。

 この本を読むと、伴奏者は単に伴奏をつける人なのではなく、まさに歌手と一緒に音楽を作り上げる共同演奏者なのだと思いました。

 この本を読むまでは、私も目が開かれていませんでした。伴奏なんて、所詮、独奏者の背景にすぎない、適当な分散和音で作られた添え物的な旋律を鳴らしているにすぎない、とすら思ってました。独奏ピアノと違って、伴奏ピアノなんて、チョチョイと弾ける軽いものとも思ってました。ホント今思うと、伴奏ピアニストの方々に申し訳ない気持ちがします。

 独奏者に知らないところで、独奏者に分からないように、独奏者を助け、励まし、演奏を成功に導いてくれる、陰の大物が伴奏者なのです。独奏者とともに一つの音楽を作り上げ、時には独奏者を導いて、ミューズの元に誘う先達が伴奏者なのです。

 見くびっちゃいけないよ、伴奏者の事は。勉強熱心で、本当に上手で、センスのあるピアニストでなければ、きちんとした伴奏はできないのです。

 蛇足 1

 以前、地元の合唱祭の実行委員会でこんな事が話されました。それまでは合唱祭のプログラムに『伴奏者』と記載されていた方々を、今後は『ピアニスト』と記載することにしましょう。合わせて『伴奏者』と呼ぶのも止めて『ピアニスト』とお呼びすることにしましょうとのこと。なんでそうなのですかとの質問に、ある伴奏ピアニストの方からの提案でそうなったとの事。

 その話を聞いた時の私の正直な気持ちは「そんな小さなことにこだわるのかい? 合唱祭のお客さんは皆、合唱を聞きに来ているのであって、誰もピアノなんか聞いてないって」と思いました。

 ああ、なんて浅はかな考えの持ち主だったのか。確かにお客は合唱を聞きに来るけれど、その合唱を生かすも殺すも、それは伴奏ピアニストの演奏次第なのに…。そんな事も分からなかった私でした。

 おそらく分からなかったのは私一人ではなかったのでしょう。その提案したピアニストの先生は、その分からんちん共に喝を入れるため「私は伴奏者ではなくピアニスト」ですと宣言したのでしょう。もちろんピアニストと名乗っても伴奏をするのですが、単なる背景としての伴奏をする人なのではなく、一人のピアニストとして伴奏をするのです、という気概がその提案に込められていたのだと思います。

 皆さん、もっと伴奏ピアニストの先生方を大切に扱いましょう。

 蛇足 2

 この「伴奏者の発言」の奥付の部分、通常なら作者の紹介や略歴を紹介する部分に、翻訳者の紹介が掲載されています、それも顔写真付きで!

 おそらく今の時代なら、裏方である翻訳者が表立って出てくることは無いでしょう。載せても簡単な略歴程度で、写真はまずないでしょうね。しかし、なにせ原著も古いが訳書も古い(1959年初版)ので、当時的には、翻訳者は著作者と同様な扱いなのでしょう。こんなところにも時代を感じます。

 ちなみに著者であるムーアの写真は、口絵(これも今の本だと珍しい)にバーンと立派な写真が載ってますし、略歴も本文に入る前に2ページも使って紹介されているので、決して著者を軽視しているわけではなさそうです。たぶん、単に誇らしかったのでしょうね。あるいは、当時の出版慣行かな? いやいや、20世紀を感じました。

2008年3月17日 (月)

頭の中を開く練習(?)

 尾てい骨を引っ張る感覚というか、骨盤を倒す感覚というか、まだまだ十分ではありませんが、けっこうサマになってきたような気がします。少しは体が覚えてきたかな? そうは言っても、まだ完璧には程遠いので、何とかきちんと身につけようと孤軍奮闘の最中です。

 しかしその一方、頭の中を開く感覚がイマイチです。と言うか、すぐに筋肉痛になってしまう(悩)。

 色々と試行錯誤をくり返していますが、そんな試行錯誤の中、ハミングの練習が頭の中を開く基礎訓練になっているような気が、最近しています。もちろんハミングだけでは、頭の中がパカーンって開く感じにはならないのですが、喉と鼻腔の間を開くには良い練習のような気がしますし、実際、じっくりハミングしてから歌った方が、そうでない時よりも、頭の中の開き方が違うような気がします。

 呼吸とかハミングとかって、ついつい手を抜きがちです。やっぱり声を出して歌いたいですよね。

 自宅練習でも、すぐにも声を出して練習したいのですが、花粉症だと言うこともあり、今は少し声を出す練習は減らし気味にして、呼吸やハミングをたくさんしようと心がけています。

 最近は、ハミングの練習の時、時折、手をうなじの背骨(首骨?)のあたりにおいて、うなじの振動を確認するようにしてます。正しくハミングをすると、そのあたりに振動が伝わります。私の場合「ああ振るえてるなあ…」程度です。もっと、バシっとハミング決まると、ブルンブルン振るえるようになるのだろうけど、まだその程度。  [追記 この部分は内容に誤りを含んでいます。訂正内容については2008年3月20日の記事(トラックバックしてあります)を参照してください]

 あと、呼吸やハミングの練習は大きな音が出ませんから、夜遅くや朝早くでもできるし、ちょっとした時間にも(一人きりになれればすぐに)時と場所を選ばずにできます。となると、呼吸やハミングの練習ができないというのは、言い訳にはなりませんね。

 がんばりますか、今日もまた。

2008年3月16日 (日)

やせない、でも食べ続けるぞ[3月第3週・通算9週]

体重:100.1㎏[-0.2㎏:-3.3㎏]
体脂肪率:31.1%[+0.9%:+0.6%]
BMI:32.0[+-0.0:-1.0]
体脂肪質量:31.1㎏[+0.8㎏:-0.4㎏]
腹囲:101.5㎝[+0.5㎝:-5.1㎝]

 養命酒を飲み始めたからといって、すぐにやせるわけではない。ダイエットというものに即効性を求めることが、そもそもの間違い…だけれど、これはちょっとマズイね。体重はともかく、体脂肪質量(体に付いているリアルなぜい肉の分量)が増えているということは、霜降り肉にドンドンなってきていると言うわけで、ヤバイ。

 昨日も、オジイちゃん先生にお腹をさすられながら「すとんさんの体重はどれくらい? 私は最近10㎏やせたんだよねえ」と自慢されました。私だって、歌を再開する前は、今より20㎏もやせていたんだい!

 さて、有酸素運動がダイエットの友であるのは常識だが、最近の私は、歌の練習とブログにばかり時間が取られるので、すっかり運動不足である。もっとも、花粉症の時期に有酸素運動なんてやったら、死んでしまう(マジっす)ので、できないのだけれど…。

 となると、体重を減らすためには、食べる量を減らすべきだろうが、それではダイエットとはちょっと方向が違う気がする。

 よく「やせたければ、食べなければいい」という暴論を吐く人がたまにいるけれど、私が思うに、食べたいものを我慢するなんて、それはマゾ行為であって、ダイエットじゃない! ダイエットがうまく進むと、自然と体が食事を望まなくなり、その結果、自然と少食になるだけの話。やせたデブが大抵の場合、少食になるのは、少食になったからやせたのではなく、やせたから少食になっただけの話だ。そこんとこの因果関係を間違えると、健康を損ね、リバウンドを繰り返すだけの、習慣性デブになるだけだ。

 今現在、食べたいばかりのデブが、食べるのをやめるなんて、百害あって一利もないから、絶対にダメ。でも、では、どうやって、やせる?

 そこだよ、問題は。

 声楽の練習でやせたらいいのだけれど、それは古今東西の声楽家の体型を見るだけで、即、無理と分かります。ううむ、声楽とデブは切っても切れない関係なのか! なんか残念だ。

2008年3月15日 (土)

チヅルさんが我が家に来ました

 サクラが星になって、3日ほど喪に服した後、さっそく近所の金魚屋に行って、更紗琉金(紅白二色の金魚)を買ってきました。それがチヅルです。

 チヅルは小さい子です。チヅルは全身であっても、今いる子たちの頭より小さいとおもいます。体長も3㎝もないよなあ…。サクラが20㎝を軽く越えていましたから、たぶん体積比だと1/100程度かな。なにしろ小さい金魚です。サイズ的には金魚すくいにいる子たちとほぼ同じが、むしろ小さい。ちなみに小さいけれど値段は立派なもので、1280円しました、たかが琉金なのに。

 水槽に入れて数日は片隅にじっとして隠れていました。別にチヅルに危害を加える奴などいないのですが、本人的には安心できなかったのでしょうね。じっと、じっと、静かにしていました。

 じっと、じっと、静かにしていました。たまに食事の時だけ泳ぎますが…全く浮きません。いつも水底にいます。一生懸命泳いで水面まで行って、エサを食べると、スーッと沈んでゆきます。最初は地面に生えている水草の蔭に一生懸命隠れているのかなあ…と思っていましたが、どうやら違うかも? もしかするとこの子、泳げないの? まいったあ…。

 近所の金魚屋で買ってきたのですが、ここは水槽ではなく、魚屋で魚が入ってる、あの発泡スチロールが店先に並んでいて、そこに金魚が入ってます。つまり金魚を上から見て選ぶシステムね。ま、本来、金魚は上から見て楽しむものだから、それはそれで良いのですが、やはり魚を選ぶ時は色々と選びづらい。

 お店にいたチヅルはちゃんと泳いでいたと思うんだけれど、すでにあの時から浮かない子だったのかなあ…? そうかもしれないなあ…。何しろ上から見るシステムだと、水面近くを泳いでいても、底の方をイザっていても、上から見たら区別つかないもんなあ、だいたい、あの発泡スチロールは浅いし…。

 どっちにしても、チヅルは障碍魚であることには間違いないわな。ま、とにかく何かの縁でウチに来た子だから、その寿命を全うするまで、我が家で暮らしてもらいますか?

 でも何時まで元気でいられることやら…。いつも呼吸が荒いし、ウチに来てから、エラの色も悪くなっている。ううむ、そんな障碍魚なのに、1280円って、やっぱり高いよなあ…。

2008年3月14日 (金)

パバロッティと私は、伯祖父と甥孫の関係?

 誰でも自分の出自というか、ルーツには興味を持つもので…。

 芸の世界でも、師匠と弟子という、いわば疑似親子関係がありまして、自分と先生を同じくする人を「兄弟子」とか「弟弟子」とか呼び、師匠を同じする集団を、家族ならぬ「門下」と読んだりします。その他にも「孫弟子」とか「本家」とか「分家」などのような言葉もあります。

 私の師匠は、もちろんキング先生です。で、キング先生の師匠は誰?と、ふと思いました。そこである日、キング先生に「先生のお師匠様は、どなたですか?」と尋ねてみました。

 「私の師匠は、A先生です」とサラっと教えてくれました。

 閑話休題。ええと、ここでA先生と仮名で呼んでいるのは、キング先生がネットでは自分の師匠について公言していないので、ひとまず仮名にしておきます。許可をもらえたら、追記して実名を書くかもしれませんが…。

 話を戻します。このA先生というのは、実は、主役をバリバリ歌う、結構有名な現役のテノール歌手です。うひゃーです。

 さらに、うひゃーなのは、このA先生のお師匠さんが、アリゴ・ポーラ先生なのです。
 アリゴ・ポーラって誰?って思った人、あんた、トーシローだね。

 アリゴ・ポーラと言えば、現役時代はバリバリ主役を歌ったテノール歌手だし、現役引退をして声楽教師になってからは、本人以上に有名になった(失礼)お弟子さんがたくさんいる、一流の声楽教師でしょうが!

 すごく簡単に言っちゃえば、パバロッティとフレーニの先生です。

 つまり、A先生はパバロッティと兄弟弟子(年齢を考えると、パバロッティが兄弟子で、A先生が弟弟子になるのでしょう)で、つまりポーラ門下の人。そのA先生から見ると、私は孫弟子にあたるわけ。

 と言うことは、パバロッティはいわばポーラ門下の本家のオジちゃんで、私は分家の末裔で、甥の子どもくらいの関係? 門下筋的には、私とパバロッティは(もちろん、フレーニを始め、数多のポーラ門下の有名どころのオペラ歌手と)親戚になるわけだ。

 こいつは、愉快じゃありませんか。

 まあ、趣味で声楽やっている人間(私のことね)を、弟子だ孫弟子だと言うのは、おこがましいとは十分承知しているけれど、そこはそれ、素人の戯言だと思って、勘弁してくださいな。

 「アリゴ・ポーラの弟子なんて、日本には掃いて捨てるほどいるから、珍しくも何ともないし、自慢にもならない」と思った方。まさにその通り。でも問題は、珍しいか珍しくないかではなく、私がその門下の片隅の隅っこの方にいるってこと。それが自慢ではなく、単純にうれしいのです。

 はあ…、同じ門下筋だと思うと、なんか今まで以上に、パバロッティのことが、親しく感じられるような気がし始めました。

 きっと、私がキング先生から習っている事は、キング先生はA先生から習い、A先生はポーラ先生から習ったんだよね。で、そのポーラ先生はパバロッティやフレーニにも同じように教えたんだよね。うわーい。

 今日から、パパロッティの事を伯父貴、フレーニのことを姐御と呼ぼうかしら?

 それにしても、ポーラ先生、A先生、キング先生、私、とテノール4代、数珠つなぎだね。うひゃひゃ。

2008年3月13日 (木)

陽気なイタリア声が失われました または ステファーノを偲んで

 ジョゼッペ・ディ・ステファーノが亡くなられて、10日ほどになります。

 元々は、2004年にケニアの別荘(ケニアってところが凄いね)で、強盗に襲撃されて、意識不明のままイタリアに運ばれて入院。その後、3年以上の年月を、昏睡状態のままで過ごし、事件以来、一度も目覚めることなく、2008年3月3日に自宅でお亡くなりになられたそうです。86歳でした。

 ジェゼッペ・ディ・ステファーノと言えば、三大テノールの一世代前のテノールですね。デル・モナコやベルゴンツィ、クラウスなどの時代の歌手です。しかし、クラオタには「マリア・カラスの相棒」と言った方が通りが良いでしょうか? 実際、マリア・カラスのスタジオ録音の相方は、レコード会社との契約の関係でしょうが、大抵ステファーノでしたからね。

 ステファーノと言えば、ダメな発声の歌手としても有名でした。元々は民謡歌手だったこともあり、どれだけきちんと声楽を学んだのでしょう。私には、それを聞き分けるほどの耳がないので、よく分かりませんが、ステファーノの声は典型的なアペルトな声だと言われます。

 アペルトな声とは、いわゆる「開きっぱなしの声」と言うやつで、アマチュア・テノールに比較的多く見られる発声です。大抵の場合、素人くさい声と言われて、バッサリ切り捨てられます。何しろ、チェンジを克服せずに、ファルセットにも逃げずに、気合と根性だけで高音を発声するという、まあ、ノン・テクニカルな発声です。

 そう言う私も、キング先生と出会う前は「よく開きっぱなしで、そこ(五線の上のラ)まで出せるなあ」と、色々な団の指導者の方々に感心されたっけ。以前の私もアペルトな声だったんだろうなあ。で、まだそのアペルトな感覚が残っているから、ステファーノの声のどこがヘンだか、よく分からないのだと思います。

 ただ、今言えることは、アペルトな発声だと、高音が不安定だし、消耗も激しいから、若い時はともかく、年いったら止めた方がいいねえ。

 でもね、ステファーノの場合、いくらアペルトだろうが、あれだけの美声なら、すべて帳消しだと思う。

 ステファーノの曇りも陰りもない、澄みきった声が私は好きだったなあ。ストーリーを背負うには、あまりに能天気で、特にカラスとの共演だと、二人の声楽的な方向性がだいぶ違うこと(カラスは演劇的、ステファーノは美声主義)が目立っていたけれど、ステファーノにはステファーノの良さというか、いかにもテノールって声が素敵でした。

 ステファーノはパバロッティのアイドルだったと話を聞いたことがあります。真偽のほどは分かりませんが、なんか納得できる話です。

 「声が良ければ、それでいいじゃん」そんなテノールがステファーノでした。

 さて、ステファーノのCDを紹介しようと思いましたが、彼のアリア集などの日本盤はことごとく廃盤のようです。まあ、カラスのCDを買えば、自動的にステファーノの歌唱も付いて来るのですが…。

 以前、イタリア民謡(ナポリ民謡)については記事にし、お薦めもしましたので、今回は輸入盤だけれど、オペラアリア集をご紹介します。幸い輸入盤なので試聴もできます。ステファーノと言ってイメージのわかない方はぜひ「試聴する」をクリックしてお聴きください。ちょっと年いってからのアリア集なので、少し声が太めで以前のような輝きも少し陰ってきてますが、それでもステファーノの美声が楽しめます。

2008年3月12日 (水)

声楽の効用(笑)

 花粉症の季節ですね…みなさん、マスクは着用してますか?

 私はマスクが嫌いですが、やむなく着用しています。なぜマスクが嫌いかというと、鼻や口を覆われるのが我慢ならないのです。

 まあ、これに関しては、最近は立体マスクというのがあって、鼻や口を覆うことには間違いないけれど、直接ベターっとくっついて覆うのではなく、鼻や口とマスクの間に若干の空間を残して覆うのでは、不快感がだいぶ違います。なので、ここ数年は、立体マスクを使うようにしています。快適とは言いませんが、だいぶ不快さが違います。

 それでも、まだまだマスクには我慢なりませぬ。

 だって、マスクって、ズレてきません? 無論、何もしなけれはズレませんが、少しでも、しゃべったりするとドンドン、ズレてくるでしょ。これはしゃべる時に、アゴやくちびるが動くために、少しずつマスクが動いてしまうからです。

 このマスクのズレも、私には我慢なりません。マスクがズレてくると、イライラします。ただでさえ、花粉のおかげでイライラしているのに、マスクまでブレるなんて! だから、マスクは嫌いなんです。

 ところが、ふと気づいたのです。今年はマスクがほとんどずれない。あれあれと思って、自分を観察してみました。

 生活のパターンは去年までとほぼ同様。マスクをしている時は、極力しゃべらないようにしているものの、無言を押し通せるわけではないので、やむなくしゃべります、怒鳴ります、叫びます。でも、マスクはズレない…。Why?

 そこで気づいたのです。今年の私は、去年までの私とは、一味違う!

 なぜなら、今年の私は、マスクをしてしゃべる時、ほとんどアゴやくちびるを動かしていないのです。

 だからと言って、小声になったりとか、発音が不明瞭になったりなどはありません。口を少しだけ開いて、あとは口の中だけで、舌や喉の動きだけで、言葉を処理して、しゃべっているのです。まるで、場末の腹話術士がやっているような事を、無意識で行っていただけなのです。

 これって、発声練習のたびに「口は開きすぎな~い」とか「口の中を大きく開いて~」とか「アもエもイも、口(くち)の形を変えずに発音して~」とかの注意が生きてきたのでしょう。また「レロレロレロレロ~」とか「ノニノニノニノニ~」とか意味不明音列によるスケール練習で舌が鍛えられたこともあるでしょう。

 何にせよ、声に響きをつけるための発声練習が、口の中だけで言葉をしゃべれるような訓練へとつながり、結果、ほとんどアゴやくちびるを動かさずに、ほぼ日常会話に不自由なくしゃべれるわけで、マスクが動かず、不快感消失へとつながっていったのだと思います。

 うーむ、なんかスゴいぞ。声楽が花粉症に役立つなんて。

 でもでも、やはり「マ行」だけは、アゴを動かさずにはしゃべれない、まだまだ修行不足なんだな、これは。腹話術の人は、唇を動かさずに、どうやってマ行を発音しているのだろうか? 知りたいなあ…。

2008年3月11日 (火)

記事削除の依頼があったため、削除しました

[2008年5月11日 記事削除の依頼があったため、削除しました]

2008年3月10日 (月)

記事削除の依頼があったため、削除しました。

[2008年5月11日 記事削除の依頼があったため、削除しました。またそれに伴い、この記事にコメント下さった方々には申し訳ないのですが、記事自体の削除に伴い、コメント欄のコメントもすべて削除させていたただきました。コメントくださった方々には感謝を述べると同時に私の力量の不足のためにコメント削除に至ってしまった事について謝罪申し上げます。]

2008年3月 9日 (日)

養命酒投入決定![3月第2週・通算8週]

体重:100.3㎏[+0.3㎏:-3.1㎏]
体脂肪率:30.2%[-0.1%:-0.3%]
BMI:32.0[+0.1:-1.0]
体脂肪質量:30.3㎏[+-0.0㎏:-1.2㎏]
腹囲:101.0㎝[-1.0㎝:-5.6㎝]

 デブが止まりません。別にダイエットを止めたわけではなく、もちろん続行中なのですが、各数値はなぜか絶好調です。

 まいった、まいった。

 ついに妻が英断を下しました。それは「養命酒投入です」

 実は以前、ダイエットをしていたわけではないけれど、健康のためと言って、養命酒を飲み始めたところ、少しずつだけれど、確実に痩せてゆき、もう少しで標準体重(キラリ)というところまで痩せた事があります。その時は経済的事情のために、養命酒を止めてまい、そこからグダグダに今の体重まで増えてしまったというわけです。

 デブ退治は体質改善から! そのためには、過去の実績から考えても、養命酒がベスト! そういう判断が下されました。

 問題は、養命酒には即効性はなく、その効果は年単位で見てみないと、何も言えないというところが悲しいね。ま、がんばって養命酒飲みます。たとえデブが痩せなくても、健康のために良いことは、確実だから、飲んで損はないわけだしさ。

 えっと、もちろんだけれど、私は養命酒の関係者ではありませんよ。単なるファンです。

2008年3月 8日 (土)

サクラが星になりました

サクラが星になりました

 今週の水曜(2008年3月5日)朝早く、サクラが星になりました。

 今週に入ってから、体色が急に薄く透明っぽくなり、呼吸もかなり激しくなりました。

 それでも食欲はいつもどおりだったので、ちょっと調子が悪いのかな…って思ってましたが、火曜日の夜には、お腹を上にして水面に浮いてしまいました。地面のエサを食べようと必死になりすぎ、以前から時々ひっくり返ってしまうドジなところもあり、その日もうっかり、ひっくり返ってしまったのだと思って、治してあげても「いいの、私は、もう…」みたいな感じで、自分からゆっくりとひっくり返ってゆきました。

 私はその時に、サクラとの別れを覚悟しました。

 体が大きくて、丈夫で健康がサクラの特徴でした。病気もほとんどせず、昨年の猛暑もくぐり抜け、いつも元気で、大きな体をノシノシと揺らしながら泳ぐ姿がかわいい金魚でした。

 今まで我が家で暮らした金魚のうち、一番大きく育ったのがサクラでした。

 今年のお正月に写したサクラの写真をアップします。写真をクリックすると、もう少し大きな写真になります。

P1220729_4

2008年3月 7日 (金)

「ボイトレ」という言葉の違いについて

 昨日の続きではありませんが、関連話題が続きます。

 ボイトレ…もちろん、ボイストレーニングのことです。ここのブログのカテゴリーにもありますが、漢字で表現すると、発声練習または発声訓練? 私が言いたいのは、このボイトレの辞書的な意味ではなく、この言葉の使われている状況の違いによる認識の違いって奴です。

 もう少し具体的に言うと「私、最近ボイトレ始めたよ~」とか「練習前のボイトレ、さぼっちゃおうかな~」とか「ボイトレしすぎて、喉痛い~」とかのセリフに出てくる、ボイトレ。同じ意味かどうか微妙だよねえ…と言う話です。むろん、言葉の意味はその話者の置かれている状況によって違うはずなんだけれど、その状況を無視して言葉の一人歩きがネットなどでは見受けられるから、少し整理しようねという事です。

 まずは、ボイトレと聞いて、どんな事を頭に思い浮かべますか?

1)ボイトレと呼ばれる歌の基礎練習

 ポップス系の音楽教室でのボイトレと呼ばれているのが、たぶんこれ。ちょっとした発声やって、スケール練習やって、ある程度声が出るようになったら卒業。ポップス系はマイク使用が前提だから、本来的な意味でのボイスのトレーニングは必要ない、とのことなのでしょうね。担当する先生も、声のこと、どれだけ分かっているのか疑問な、ギター系やキーボード系の人が多いですね。

 ところで、ポップス系のボーカリスト用のちゃんとしたメソッドって、日本にあるのでしょうか?日本のポップス系のボーカリストたちって、才能だけの人ばかりなのは、教育メソッドに問題があるのではと思います。

 つまり、ポップスの世界では、最初から歌の上手な人だけしか歌手になれない? 何かそんな臭いがプンプンする世界ですね。ならば、今はまだうまくないけど…という人は、勉強したところで、せいぜいがカラオケ歌手どまりなわけです。

 ポップスでも、昔の歌謡曲とか演歌の世界は、歌手もきちんと作曲家の先生のところへ弟子入りをして、基礎から歌の勉強をしていたはずなのですが、最近はそういうのもないみたいで、才能オンリーみたいな感じですわな。

2)歌の準備体操としてのボイトレ

 合唱団の練習や、学校の音楽の授業の最初にやっているアレのことです。運動する前の準備運動みたいな位置づけだと思います。体をほぐし、喉の筋肉や発声諸器官をほぐすために行われます。歌うための最低限の準備でしょうね。でも、これすら行わない合唱団も結構ありますが…大抵、そういう団は、歌唱力の向上よりも親睦を深める方に傾いている団なので、私は何も言わないことにしています。

3)声を育てる、または作り上げるためのボイトレ

 狭義のボイトレがこれです。基本的に個人指導で行われます。合唱団では、上記の集団での準備体操としてのボイトレをするだけのところが多いのですが、歌唱力の向上を目指している団では、それ以外にも、個人をピックアップして練習したり、ほんの短時間でも個人レッスンをするところがありますね。ポップス系の学校でも[数少ない]良心的なところは、熱心に声を育てることに近いことをやっているようです。

 また「声楽を勉強する」と言った場合は、その初期段階で、この種のボイトレをやります。

 本格的に「声を育てる」ためのボイトレを始めたら、どれだけの期間が必要なのでしょうね。もちろん個人差はあります。しかし、実際問題として、かなりの時間が必要なのではないかと思います。

 歌はバレエと同じで、体を使って美を表現するものです。バレリーナが踊る体を作るために、何年もの節制と訓練を重ねるのと同じように、本来、歌手も歌うための体を作るために、何年もの節制と訓練が必要なはずです。私たちは、そこのところを忘れて、お手軽に歌が上手になれる、または上手になる方法があると勘違いしてしまうのです。

 私もそうですが、趣味で歌の勉強している人に、プロの歌手と同じことを要求するのは、酷だと思いますが、だからと言って、最初からこの程度でいいやと思っていたら、たとえ趣味であってもつまらなくありませんか? 趣味だからこそ、自分の才能や将来などを考えずに、打ち込めるのではないでしょうか?

 趣味だからこそ、じっくりと腰を据えて、声を育てていって良いのではないか思います。趣味だからこそ、焦る必要は全くないと思ってます。

 私もキング先生について勉強を始めて、やっと1年たったところです。自分では、かなり成長したつもりですが、まだまだ一定の結果が出るところまでは行ってません。先生からも「まだ人前で歌うのは無理です」と言われてます。1年やっても、そんなレベルです。私は特別、成長が遅いのかもしれませんが、たとえそうであっても、やはり声を育てるボイトレには、時間がかかると思います。

 このように「ボイトレ」という言葉には、3つの側面があります。それらをゴッチャにせずに「今はこの『ボイトレ』の意味で使っているなあ…」くらいの認識は、歌の話をする際には必要でしょうね。

 ちゃんちゃん。

2008年3月 6日 (木)

声楽と器楽とは、当たり前だが、かなり違う

 器楽はお店で楽器を買ってきて、その楽器で練習する。
 声楽は自分自身を楽器に作り変えた上で、その楽器で練習する。

 ポイントは、楽器をお店で買ってくるか、自分自身を楽器に作り変えるかの違い。この違いが、かな~り大きい。

 器楽なら、最初はそこそこの値段の楽器を購入し、潰れるほど練習をし、上達するに従って、より高価なものにドンドン切り換えてゆく。良い音を出したければ良い楽器(高価な楽器?)を使えばよい。

 またどんな楽器を選ぶかという問題にしても、例えば弦楽なら、ヴァイオリンをやりたければヴァイオリンを購入すればよいし、チェロをやりたければチェロを購入すればよい。

 しかるに…

 声楽なら、自分の身体が楽器だから買えない。親からもらった、その身体を使うしかない。
 潰れるほど練習をしたら、本当に潰れてしまう。
 上達しようがしなかろうが、人生の途中で楽器の交換はできない。
 良い音を出したくても、たまたま自分が良い楽器だったなら幸運だが、そうでなければ、その程度の音で一生我慢しなければならない。
 壊れても、修理もできなければ、買換えも不可能。
 女性は男声になれず、男性は女声になれない。それどころか、女声内や男声内であっても、高音歌手はは低音歌手にはなれないし、低音歌手が高音歌手のマネをすれば聞き苦しいだけだ。

 かくも、同じ音楽とは言え、声楽と器楽は、その入り口でこんなにも違うものだ。

 さらに言えば、器楽は人の手で作られた楽器を使うが、声楽は神の手でつくられた声を使う。ここは無視できない違いだ。もしかしたら、ここが、器楽と声楽の本質的な差なのかもしれない。

2008年3月 5日 (水)

記事削除の依頼があったため、削除しました。

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2008年3月 4日 (火)

敵は「オンブラ・マイ・フ(高声用)」にあり!

 今現在、キング先生から課題曲としていただいているのが、ヘンデル作曲の「オンブラ・マイ・フ」です。イタリア古典歌曲というジャンルの曲です。この曲は先日の門下生勉強会でソプラノのM先生が、とてもお美しく歌った曲です。

 普段はこの曲を、中声用の楽譜で歌ってます。あ、中声用というのは、楽譜の種類の話です。

 イタリア古典歌曲などの声楽の練習でよく用いられる曲は、学習者の声の種類に応じて「高声用」「中声用」「低声用」の三種類、用意されることが多いです。字面を眺めるとお分かりになるように、中声用を標準として、同じ曲でも少し高い調に移調してあるのが高声用、逆に低い調に移調してあるのが低音用です。当然、多くの学習者は中声用の楽譜を使用します。

 オンブラ・マイ・フ、そろそろレッスンでは仕上げの時期で、私は暗譜はバッチリ、後はどう表現していこうかと思案しつつ、自分なりの歌が歌えるように練習してます。

 前回のレッスンの時、一緒に習っているお姉様方のうち、数名が中声用では厳しそうなので、先生から高声用の楽譜を使いますか?という打診がありました。そのお姉様方は高声用の譜面を使うのでしょうか? ま、私は中声用でいいかなあと思ってますけど。

 でも、高声用にも興味があるので、先日、高声用楽譜でカラオケを作りました(カラオケ作成は妻がやりました)。で、そのカラオケで試しに歌ってみたところ、驚いた!

 中声用は変ホ長調、高声用はト長調。その差はわずか3度。カラオケ的表現をするなら+4です。たしかにちょっと高くなるとは言え、そう無茶苦茶高くなるわけではない。だから、試しに歌ってみると、どうなるかな…なんて軽い気持ちで歌ってみました。

 自分で分かるくらい、声の音色が変わります。中声用がリラックスした自然な音色ならば、高声用はカツーンと突き抜けるテナーな声。自分でも、その第一声で驚きました。歌い続けていると、実に楽に声が響いて行きます。服に例えると、中声用がダブダブって感じなら、高声はボディコン(表現が古いのは勘弁っす)て、ところかな? それくらいピタッってキマル~って感じ。

 いやあ、高声用、いいっス。カツーンと突き抜けた声で歌えて気持ちいいっス。なんて歌っていると、いきなりトラブル発生。なんと、いきなりヘナヘナ声になってしまいました。あれあれと思って譜面で確認すると、五線譜の上のソのところ。あちゃ、ここはチェンジの箇所ではないか。まだ音を当てるだけが精一杯のところじゃん。この音をロングトーンで? そりゃ、ヘナヘナ声のファルセットになるわな。

 でもね、この高いソ以外は、本当に気持ちよく歌えるのよ、この曲。

 決めた! とりあえず、レッスンの仕上げは中声用の楽譜でやるけれど、それが終わり次第、個人的に高声用のオンブラ・マイ・フに取りかかる。もちろん、チェンジの練習はきちんとやる。そして、なんとか高声用の譜面でオンブラ・マイ・フを歌えるようにする。頑張るんだから!

 キング先生が、ある時「(五線の上の)ラまで歌えるようになったら、テノールと言ってもいいです。ド(つまりHi-C)まで歌えるようになったら、人前で歌ってもいいです」と言いました。オンブラ・マイ・フ[高声]はラどころか、そのすぐ下のソどまりの曲。テノールなら歌えて当たり前の曲じゃん。

 現在の私が無理なく歌えるのは(五線の上の)ファまで。その上のファ♯とかソは、まだ無理が必要。でも無理も通せば道理になるわけで、なんとかソを攻略して、真のテノールに、一歩でも近づこうではないか。

 ブログで公言したんだから、本当に頑張るぞっと。

2008年3月 3日 (月)

門下生勉強会がありました または 実演を見よう!

 どこの門下でも門下会というものがあります。大抵は年1回程度、発表会をやるところが多いですね。まあ、飲み会や親睦会をメインにやるところもあるのかな? で、ウチの門下会は、昨年は発表会をやった(この時は入門したばかりだったので、客席で見てました)のですが、今年は勉強会でした。

 えっと、門下というのは、門下生、つまりお弟子さんとか生徒さんの意味で、私が「ウチの門下」と言ったら、キング先生を師と仰いでいる人の集まりを指します。門下会とは、門下生たちが集まって何かをやることを言います、って言葉の説明でした。

 で、今年は門下生勉強会でした。あっちこっちに散らばっている門下生たちが一カ所に集まって、キング先生(テノール)と先生の歌手仲間のM先生(ソプラノ)のお二人の歌をじっくりと聴くという会です。

 歌ってくださった曲は、いま門下生たちが勉強している曲が中心です。ただ漫然と聴くのではなく、勉強会と銘打っているので、楽譜を見ながらチェックを入れて、じっくりと聴きます。

 内容は勉強会、つまり先生方の演奏会なのですが、門下会(基本的にクローズドな会)なので、お客様も、門下な皆様と、そのご家族とかご友人とかを2~3人連れて来る程度の、ごくごく少数の身内な演奏会でした。ちなみに私は、妻と息子君を連れて行きました。

 このごくごく少数の身内な演奏会ってのが良いのです。と言うのも、相撲で言えば「砂かぶり」状態? 会場も某公民館のリハーサル室という、小さい部屋で行いましたので、本当にすぐそば、リアルに手を伸ばせば触れてしまうような近距離で、歌手が歌うのが見れる。これは本当に良い勉強会です。

 ウチの門下に限らず、歌う人の中には、音楽自体が好きで、歌うのも聴くのも好きって人もいるけれど(私がそう)、歌うことは好きだけれど、他人の演奏にはあんまり興味ないって人も少なからずいます。また音楽は好きだけれど、CDで聴く程度で、わざわざ歌手のコンサートに出かけてまでは見ません、という人もいる。

 ま、人それぞれってことだけれど、自分でコンサート等に出かけない人にとって、この勉強会は歌手の実演を見る、いい機会でした。また、私のように、ほんのたまだけれど、コンサートに出かけますって人でも、こんなに間近から演奏姿を見ることは、まずないので、これはこれで良い経験でした。

 当日のプログラムを掲載します。数字の後のアルファベットは、Kがキング先生の歌唱、MがM先生の歌唱という意味です。

   1-M)Ombra mai fu(オンブラ・マイ・フ) 私が練習している曲
   2-K)Nina(ニーナ)
   3-K)Le violette(すみれ)
   4-M)Se Florindo e fedele(フロリンドが誠実なら)
   5-M)L'alba separa dalla luce ed ombra(暁は光から:トスティ歌曲)
   6-K)Pieta Singnore(教会のアリア)
        以上、5)以外はイタリア古典歌曲
   7-M)Ah, non credea mirarti(おお花よ)~オペラ「夢遊病の娘」より
   8-K)Dalla sua pace(彼女の心の安らぎこそ僕の願いです)~オペラ「ドン・ジョヴァンニ」より
   9-M)E Strano(不思議だわ~花から花へ)~オペラ「椿姫」より
   10-K)Lunge da lei(あの人のそばを離れては~我が心の若い熱気を)~オペラ「椿姫」より
   11-KM)Parigi o cara(パリを離れて:オペラ「椿姫」の二重唱)
   12-KM)Una Parora(オペラ「愛の妙薬」の二重唱)

 なにしろウチの門下生は、一番長い人でも、まだ声楽4年生ですから、勉強会の曲目としては、こんな感じです。

 椿姫以降のプログラムは、「歌う」ためというよりも、「聴く」勉強のための曲目です。いつかはこれくらいの曲が歌えるようになれるといいですね…と言うか、M先生はヴィオレッタを得意とするソプラノさんだから、一番得意な演目を聞かせていただけたと言うべきかな? いやあ、いい耳の保養になりました。

 日頃のレッスンでも、キング先生はちょっとは歌ってくださいますが、たっぷりと歌ってくださるわけではありません(当たり前か)。それに女性の方々は、レッスンでは女性歌手のお手本が見れるわけではありませんから(これも当たり前か)、この勉強会は大切です。

 せっかく楽譜もいただいたのですが、私は楽譜は軽く見る程度で、後は、歌っている先生方をガン見してました。曲目は事前に分かっていたので、軽く予習をして曲の流れをだいたい体に入れておきました。ですから実際に、このフレーズやあのフレーズで、先生方はどんなふうに体を使って歌われるのかに注目してました。極端な話、音を聴きながらの楽譜チェックなら、CDを使ってもできます。しかし実演でなければ、体の使い方はチェックできません。

 あとは、キング先生のチェンジやアクートの声の確認かな。自宅で練習していて、この声の出し方でいいのだろうか、いや、こんな感じかな? と、最近は迷いながらの練習だったのですが、昨日の勉強会で、また一つ光が見えました。ああ、あっちの方向で声を出してゆくのねって感じです。

 いやあ、勉強になりました。実際に見てみないと、体の使い方は分かりませんもの。もっとも、見て分かったからと言って、自分はそのとおりにできるかというのは、また別問題。だけど、正解を知らずにやみくもに問題を解いても遠回りするだけで、正解を知った上で、そこに一歩でも近づく練習をした方が、より効率的なわけで、そんな感じで良い勉強会でした。

 それに声に圧倒されました。キング先生も日頃とは違って、かなりリキ入れて歌ってくださいましたし、何と言ってもM先生の美声! 本当にソプラノらしいソプラノで、とりわけ椿姫のアリアは、鳥肌が立つほど素晴らしかったです。

 それにやはり生のステージはいいです。CDやDVDで世界の一流歌手の歌は聞けるけれど、やはり機械で再生された歌声と、生の目の前で歌っている歌手のイキの良さは全く違います。科学の進歩はすごいと思うけれど、まだまだ録音は生演奏には敵いませんな。

 てなわけで、歌を学んでいるご同輩諸君! できるだけ声楽コンサート等に出かけ、実演に接しよう。不幸にも座席が後ろになってしまったら、遠慮なくオペラグラス(つまり双眼鏡)でも出して、歌っている歌手の姿を見よう。勉強になるぞ。

 時間に制約があったり、地理的および家庭の事情等で外出がかなわない人も、絶望してはいけない。次善であるが、文明の利器を使用しよう。音楽ビデオ(もちろんDVDならより良い)の鑑賞は、CDなどの耳だけ演奏よりも、ずっと勉強になる。もちろん芝居がかったオペラもいいが、ガラコンサートやリートのコンサートなど、純粋に歌に集中できるビデオの方が、より歌い方が観察できてよろしい。その際、自分と同じ声種の歌手だと、とても良いだろう。

 百聞は一見にしかず…声楽学習でも、まさにそのとおり。それを実感した、門下生学習会でした。

 企画してくださった、キング先生&幹事の皆様、ありがとうございました。

蛇足 近くのホールで、(カラオケ系の)ボーカル教室の発表会をやっていたので、勉強会の前の、ほんの少しの時間だけ見させてもらった。もちろん、勉強中の生徒さんたちの発表会なのだから、上手下手を問うてもいけないのだが、それにしても、基礎的な練習をきちんとやってもらっているのだろうか?という歌声が多かったなあ…。土台のないところに建物を立てても、嵐が来ると流されてしまうよ…と聴きながら思いました。どんなジャンルであれ、基礎基本は大切よ。

2008年3月 2日 (日)

停滞期どころか増量期?[3月第1週・通算7週]

体重:100.0㎏[+0.3㎏:-3.4㎏]
体脂肪率:30.3%[-0.2%:-0.2%]
BMI:31.9[+0.1:-1.1]
体脂肪質量:30.3㎏[-0.1㎏:-1.2㎏]
腹囲:102.0㎝[+-0.0㎝:-4.6㎝]

 いやあ、タイトル通り、増量しています。3週間前を底として、順調に右肩あがりな感じで、ついに大台突破です。何かお祝いしないといけないかしら。

 自分でも今週は増えそうだとは思ってました。と言うのも、連日、肉・肉・肉…で肉ばかりを食べていました。でもこれは仕方がない、体の要求で肉が食べたかったのだから、きっと何かが欠乏していたのだと思う。さすがに連日、肉が続いたので、もう肉に対する欲求はだいぶ納まったけれど…。

 でも、肉料理って、どうしても脂肪分が増えるから、結果、太るんだよねえ…。

 まあ、停滞期に突入したということにします。体重は無理に減らすのではなく、維持の方向で、体に必要なものを入れるようにします。これでしばらくしたら、また減少期に入るはずなので、そこまでの辛抱です

2008年3月 1日 (土)

金魚には手がありません

 実は先日来、水槽のタニシがボツボツと死に始めています。と言うか、1㎝前後の空の貝をよく見るようになりました。

 5㎜以下の稚貝は、よく金魚たちがバリバリと殻ごと食べています。2㎝以上の大きめな貝は、ドジョウたちが首を突っこんで食べています。しかし1㎝前後のタニシは、今まで食べる奴がいなかったので、比較的安定して生活していました。

 それが見てしまったのです。茶金のカエデさんが1㎝程度のタニシを食べるところを。どうやらカエデさんはタニシがお気に入りのようで、最近よく見かけるタニシの空の貝は、どうやらカエデさんの食べ散らかしだったようです。

 で、どうやって食べるかですが…

 さすがにこのサイズになると、殻ごとバリバリというわけにはいきません。そこで一度口の中に入れて、入れたまま、身だけを歯でかじり取って食べるのです。

 金魚の歯は、我々人間や一般の魚類とは違って、人でいうところの声帯付近にあります。そこからマジックハンド状態でグイっと前に伸びて、人でいうところの喉仏のあたりでアムアムかじります。おもしろいでしょ。

 だから、まず貝を口の中に入れて、貝の開口部に向かって歯が伸びてきて、アムアムかじって食べます。言わば、口というか、唇が、まるで人間の手のように食べ物を掴んだりする働きをします。

 だから金魚には手がありません。手がなくても、不自由なく食生活がおくれる…はずだったのですが…。

 先日もカエデさんが美味しそうにタニシを食べていました。ただいつもと違うのは、口からタニシがはみ出していたことです。ははあ、いつもより大きめの奴を食ってるなあ、食欲旺盛なやつだ…と見てたのです。

 1時間ほどして再び水槽を見ると、まだカエデさんの口の中にタニシがいます。ゆっくりと水槽の底に沈んだままでしたので、よほどタニシが大きくて食べきれないのかなあと思いました。

 さらに1時間ほどして見ると、まだカエデの口にタニシがいました。さすがにちょっと変だなあと思いました。じっと見てると、ヨロヨロとカエデがこちらにやってきて、何かを訴えています。それを見ていた妻が「もしかしたら、タニシが取れなくなっちゃったんじゃないの?」って言います。だって、自分で口に入れて食べているんだよ。自然界でそんな間抜けなことあったら、死んじゃうでしょう。そう思って静観していました。

 カエデは必死になって、何かを私にアピールしています。じっとカエデを見ている私。その時、ピンと来たのです。

 私は妻の言葉に従いました。

 まず、水槽のふたを開けて、カエデをつかみました。カエデは大人しく捕まってます。タニシを指で取ろうとしたところ、やはり口の中にしっかり入ってます。おそらく口よりもタニシの方が大きい? これはヤバいかも、と思い、ピンセットでタニシをつかみました。そのまま外へ取り出そうとすると、カエデの唇がムニョーーンと伸びて、ポンと外れました。タニシが取れました。

 取れたタニシは1㎝強でいつものやつより、ちょっと大きめ。やはり口に入れて食べたはいいけれど、吐き出せなくなっていたわけですね。

 もし金魚に手があれば、自分でタニシをつかんで吐き出せたろうに、手がないばかりに、ヤバいところだったのです。

 でも、たしかに、あの瞬間、カエデから何かを感じたのです。金魚と飼い主の間にも、愛は存在するのですか? まさかね。

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