ひとこと

  •  北朝鮮とアメリカの話し合いが決裂してしまったわけだけれど、これ、ある意味当然の話なんだよね。というのも、アメリカが求めている「北朝鮮の非核化」と北朝鮮が応えようとしている「朝鮮半島の非核化」は、全く違うものだからね。アメリカは北朝鮮から核兵器を取り上げようとして「北朝鮮の非核化」を求めているわけだけれど、北朝鮮(と韓国と中国)が言っている「朝鮮半島の非核化」と言うのは、韓国からの米軍撤退なんだよね。つまり、韓国から米軍を追い出し、その後、韓国を北朝鮮が飲み込み(統一…とか言うのだろうけれど)、その北朝鮮を中国が傀儡化するって話なんだから、そりゃあアメリカが飲むわけないよね。そうなると、中国と日本が直接国境を接する事になるわけだから、日本にとっても対岸の火事じゃない話なんだよね。
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2018年5月27日 (日)

我々の目から何を隠したいのだろうか?

 最近は忙しくて、ニュースなど、ちゃんとチェックできていない私です。ですから、テレビから漏れ流れてくる情報をただ受動的に受け取るだけで、本当にダメな状態なのですが、そんな私の耳に飛び込んでくる情報と言うと、その多くは、いわゆる“モリカケ問題”です。

 一体、いつまでやるつもりなんでしょうか? 未来永劫、モリカケるつもりなのでしょうか? 聞けば、モリカケ問題のせいで、国会が空転していたとか? 空転の是非については、その間の事情を私は知らないので、その部分については批判しないし、必要があって空転してしまったのなら、それはそれで仕方ないだろうと思ってます。

 まあ、政治は国会だけで動いているわけではないし、いくら国会が空転していたとしても、政府も内閣も各省庁および官僚の皆さんも動いているわけだし(実際、私も最近、文科省詣をしたし…ね)、中央地方問わず公共団体の皆さんも忙しく働いているわけです。その中には、我々国民が知らなきゃいけない事、注意しなければならない事、それこそ報道で知るべき事柄ってたくさんあると思うのです。それらを差し置いて、モリカケ問題ばかりが報道されているわけで、あんなどーでもいいモリカケに報道時間の多くを割くことで、一体、何を隠したいのか、何を報道したくないのかが、とても気になります。

 マスコミは、モリカケを報道することで、我々を何から目眩まししているのでしょうか?

 何か国内問題で、我々が知っては(マスコミ的、および、そのスポンサー的に)マズい事でもあるのでしょうか? あるいは、外交問題で、国民の目をそらしておいた方が良い事があるのでしょうか? なんであれ、我々の国益とか国民生活とかに影響ある事が隠されているのなら、とても由々しき問題だと思うわけです。

 昨今、北朝鮮に捕虜にされていたアメリカ人が解放されましたが、捕虜にされている日本人(拉致被害者とも言います)の解放は、一体どうなっているのでしょうか? アメリカと北朝鮮の戦争は、いつ始まるのでしょうか? 東シナ海もきな臭いですが、武力衝突などは起こらないのでしょうか? アメリカからふっかけられている関税問題はどうなっていくのでしょうか?

 いやいや、この手の問題は、時間は少なくとも、一応、報道されています。肝心なのは、ちっとも報道されていない事柄でしょう。

 例えば、赤○は、共○党支持者たちの皆さんが購読されるのは当然ですが、地方のお役所の皆さん方の一部は、別に○産党支持でもなんでもないのに、共○党の市議の皆さんのお勧めで、○旗を購入せざるを得ない状況に置かれている事なんて、あまり大きく報道されていないけれど、政治資金という観点で考えるならば、これも結構大きな問題だろうと思うのだけれど、報道されませんよね。

 テレビ新聞が、どーでもいい事を大声で騒ぎ立てている時って、何か大切な事が起こっているんじゃないかと、心配になって、仕方ありません。

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2018年5月26日 (土)

ドジョウが失踪している?

 3匹いるはずのドジョウなんですが、どうも最近、ドジョウが1匹しかいないようなのです。いるのは、たぶんミゾレ…だけ。

 毎朝のエサの時間にも姿を見せるのはミゾレだけだし、水替えの時に水槽の砂をザクザクやるんですが、そこで見かけるのもミゾレだけ。他の子達の姿を全くと言っていいほど見かけなくなりました。

 以前も、いるはずのクロがいつの間にか水槽から消えてしまったし、今回もまだ確証は持てないとは言え、オボロとヒョウが消えてしまった…ようなのです。

 水槽から消えてしまったと言っても、水槽から飛び出してしまったわけでもなさそうです。もしそうなら、水槽外に姿が見えるはずですからね。じゃあ水槽内にいるのか…と言えば、ううむ…という感じなのです。メダカサイズならば、金魚に食べられてしまったと言えますが、ドジョウは水槽の中では、一番大きいサイズの子ですから、仮に金魚が食べたとしても、必ず食べ残しがあるだろうし、何より水槽の水が極端に汚れるはずですが、そういう事はないのです。

 なので、失踪してしまった…という表現しか取れないのですが、果たしてオボロとヒョウはどこに言ってしまったのでしょうか?

 まったく、ドジョウのやることは、全く分かりません。

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2018年5月25日 (金)

せめてパスタマシンをイメージしたい

 さて、本日も前回からの続きで、声楽のレッスンの話です。

 曲のレッスンをはじめました。まずはベッリーニ作曲の「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」です。

 私の声は、アタリが強くて、そこから徐々に減衰していくタイプの声なのだそうです。つまり、ギターやピアノのような撥弦楽器のような声なんだそうです。まあ、こういう声って、本来的にポピュラー音楽のスタイルであって、クラシック声楽のスタイルではありません。これをクラシック音楽のスタイルに、そろそろ直していきましょうと言われました。

 ちなみに、クラシック声楽では、声はフワッと出したら、そのままの強さをずっとキープして、スーッと終えるのが理想です。楽器に例えるなら、ヴァイオリンのような擦弦楽器のような声が良いわけです。あるいはフルートやパイプオルガンのような管楽器系の感じでも良いかもしれません。

 Y先生の言葉では「ところてんのような声」が理想なんだそうです。まあ、ところてんではあまりに安価なので、せめて「パスタマシンから出てくる打ちたての麺のような声」とか言って欲しい気もします。

 とにかく、一度出した声をなだらかに減衰させちゃいけないのです。私自身は減衰させているつもりはないのですが、それでも声が減衰してしまうのは、筋力が貧弱なために、無意識に減衰しているようなのです、情けない。

 私は基本的には、歌手や笛吹きではなく、ギタリストなので、あれこれとギター的な発想をしがちなのですが、楽器として音を出す…となると、無意識に美しいギターの音を意識して声を出そうとしているのかもしれません。どうせイメージにするなら、美しいチェロの音でも意識すればいいのにね。

 せめて音取りで使っているシンセ(笑)の音色をピアノじゃなくて、オルガンとかヴァイオリンとかに変更すると、だいぶイメージ変わるのになあ…とその時は思いましたが、私のシンセ、一度スイッチを切って、入れ直してしまうと、必ずピアノの音になってしまうわけで、ついつい喉元を過ぎてしまえば、すっかり忘れて、ピアノの音で音取りしています。ダメだな。

 とにかく、当面はつまらない声になってしまうかもしれないけれど、ヌボーとした声で歌う事を癖づけないといけないようなのです。それが身についたら、そこから声を磨けばいいわけなので、頑張ってパスタマシンのような声を目指していきたいと思ってます。

 次は同じくベッリーニの「Almen se non poss'io/もし私ができないなら」です。

 この曲は、細かい音符が多くて、比較的黒い楽譜なのですが、黒いが故に、しっかり声を支えて歌わないと、あっという間に音程がとっちらかってしまいます。声を息でしっかり支えていけば、そうそう音程を外さないモノなのです。

 細かい音程の箇所を細かく細かくチェックを入れて歌いました。あんまり細かくチェックを入れていったので、Y先生が「細かくてイヤになったら言ってください」と言ってましたが、私はM的気質があるのかもしれませんが、注意されるのって、あまりイヤだとは思わないのですよね。

 この曲の最後のフレーズは、まるでオペラアリアのバリエーション(イメージ的には、ドニゼッティの「愛の妙薬」の「人知れぬ涙」のバリエーション)のようなフレーズがあるのですが、これが歌ってみると、なんともつじつまが合わないのです。音符の数を正しく歌うと、ゴールが低くなり、ゴールの音程を意識すると、音符をあと一つ多く歌わないといけません。なぜそういう事が起こるのかと言えば、その部分はアカペラなのですが、私が歌う音程の幅が、少しずつ狭くて、それが積み重なってゴール付近になると、音符1個分音程が足りなくなっているって寸法なんです。ダメっすね。特に臨時記号の箇所あたりで大きくヘマっているような感じです。つまり、音程の幅の正確性が大いに欠け、いい加減に歌っているので、そうなってしまうのです。歌っている時は、そんなにアバウトに歌っているるつもりはないのだけれど、歌ってしまうと、不思議に足りないのですよ。

 これまた不思議な現象です(笑)。ま、音感が無いのが原因でしょうが…ねえ(汗)。

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2018年5月24日 (木)

少し前のレッスンの話でごめん

 声楽のレッスンに行ってきました…が、今回の記事は、LFJの記事をアップしていた都合もあって、なんとGW前のレッスンの記事です(笑)。なので、すでに一ヶ月ぐらい前の話になってしまいます。

 さて、ハミング練習からです。今回のハミング練習は、ひたすら軽い声で、鼻腔の上の方を意識して発声する事を念頭に置いて行いました。絶対に声を落としてはいけません。そしてノドの圧力は決して使わずに、ひたすら腹圧だけでハミングをするように言われました。

 次は発声練習です。今回の発声練習では、ノドを鳴らさずに、響きだけで歌う練習をメインに行いました。

 と言うのも、普段からノドを鳴らして歌いがちな私ですが、この日は特にノドが鳴っていたのです。歌以前に、普通に話をしている状態でも、ノドがビリビリと鳴っていました。まるで、弁士のような演説声になっていたわけです。私にしては太くて低い声が、よく鳴っているわけで、歌でなければ、これはこれでアリなんでしょうが、この日の私は、歌には向かない声だったわけです。

 話し声の段階でバリトンよりも太い声だと言われてしまいました。

 まあ、そんな日もあるよね。たぶん、適度に声帯が腫れていたのかもしれません(もう、昔の話なので、なぜそうだったのか、よく覚えていません)。

 こんな“鳴り過ぎているノド”からノドの鳴りを取って、息の流れで声を出せるように整えていきます。

 ノドが鳴らないように、十分にノドを脱力し、ノドを脱力した分、腹圧を高めていきます。これが案外難しいのです。

 で、ノドを脱力していくと、脱力のやり方が悪いせいもあるのだけれど、声が浅くなってしまいます。声は奥から深めに出さなきゃダメです。だから声を奥へ奥へと引っ込めていくのだけれど、いくら引っ込めても、全然足りません。その上、一瞬でも気を抜くと、あっと言う間に声は前に出てしまいます。つまり、本日の私の声は、浅くて良く鳴る声って事になります。ああ、そういう声って、マイク乗りは良いらしいのだけれど、全くクラシック向けじゃない声だなあ…。

 いつも言われている事だけれど、高音への準備は早め早めに。準備とは、十分に腹圧を高め、ノドを開いていく事です。早め早めとは、時間にすると、約半拍程度早めに行います。また、腹圧は下方向に掛けると同時に、上方向にも掛けていきます。ただし、均衡を保つ必要はなく、徐々に上方向に強めに掛けていきます。

 毎度毎度同じような事を書いて記事にしているような気もしますが、実際、声楽のレッスンなんて、同じことの繰り返しなんだから仕方ないです(汗)。それにしても、よくも飽きずに毎度毎度丁寧にご指導くださるY先生に感謝です、ほんと。

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2018年5月23日 (水)

やっぱり、ピアノとオーケストラなんだろうな

 LFJの過去三年間のマスタークラスで開講された講座を、特別講座という名の講演会を除いて、楽器別にカウントしたら、以下のようになりました。

 21回 ピアノ
 7回  ヴァイオリン
 4回  チェロ
 3回  ヴィオラ
 1回  ヴィオラ・ダ・ガンバ,ギター,ハープ,クラリネット,ソプラノ

 全部で40講座ですから、なんと過半数がピアノのマスタークラスだったのです。また、ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロ,ヴィオラ・ダ・ガンバなどの弦楽器たちは、合わせると15クラスで4割弱。それら以外の楽器は、ギター、ハープ,クラリネット,ソプラノで、それぞれ各1回という状態でした。

 マスタークラスと言えども、LFJで行うわけであって、音楽大学等で行っているわけではありませんから、どの楽器を行うかを決める基準の一つに、客の入りがあります。つまり、多くのお客さんたちに来てもらえる楽器のマスタークラスを開催するわけで、そう考えると、LFJの客層的には、何と言ってもピアノが一番人気で、次がヴァイオリン,チェロなどのオーケストラの弦楽器たちという事になります。

 つまり、LFJのお客って、ピアノ好きとオーケストラ好き…と見られているわけです。

 ピアノは鑑賞好きはもちろん、自分で演奏する方も大勢いるでしょうから、分かります。オーケストラ好きは、演奏する人もいないではないでしょうが、専ら鑑賞好き、つまり“クラヲタさん”たちがターゲットだろうと思います。

 不思議に思ったのは、LFJの主催者側は、大勢いる吹奏楽関係の人たちを軽視しているらしいって事です。

 と言うのも、もし吹奏楽を普通に扱っていたら、トランペットとかサックスのマスタークラスが常設されると思うのですよ。でも無いでしょ? だいたい、それ以前に、そもそも吹奏楽というジャンルの音楽が、LFJ…特に東京では滅多に聞かれないでしょ? そこが、案外気になるのですよ。

 今はやっていない、地方のラフォルジュルネでは、吹奏楽って活躍してましたよね。たくさんの吹奏楽関係のプログラムがあったのに、ここ東京は、吹奏楽は冷飯食らいです。ほんと、カゲ薄いんです。

 それくらい 吹奏楽ファンはナメられているんだと思います。ほんと、扱い、軽すぎるよね。

 合唱や声楽に関しては、有料無料のコンサートは、毎年一定数行われているのに、マスタークラスは今回始めての登場でした。ここもちょっとおもしろい傾向だろうと思います。おそらく、合唱や声楽の場合、客の入りが不安視されているのではなく、マスタークラスを開催するためのハードルが高いために、なかなか行えなかったのかもしれません。

 さてさて、つまり結局、日本のクラシック音楽って、なんだかんだ言っても、ピアノとオーケストラなんだよね。もう少し突っ込んで言っちゃえば、日本のクラシック音楽の中心はピアノ音楽であり、そのカウンターパートとしてオーケストラ音楽がある…って感じなんだと思います。

 まあ、実際、そうなんだよね。

 声楽はともかく、吹奏楽と合唱がこんなに盛んなのは、日本の特徴かもしれないけれど、でも、その特徴をうまくすくい上げられなかった事が、地方のLFJ離れに繋がっていったのかもしれません。

 マルタンは、吹奏楽を好きではなさそうだしね。合唱は好きそうだけれど、あくまでも古楽の合唱が好きで、現代合唱曲(それも邦人作曲家の作品)は好みじゃないんだろうね。

 まあ、そんな感じ、そんな感じ。

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2018年5月22日 (火)

LFJ2018 その12 結局、歌は筋力なんですよ

 さて、声楽のマスタークラスのさらに続きです。

 ここで先生は面白い事をし始めました。それは何かと言うと…鉛筆をくわえたまま歌う…という練習方法の紹介です。本当に鉛筆(ペンでもなんでも細長い棒なら可)をくわえます。くわえ方は…サザエさんのマンガでネコがお魚をくわえる、あのくわえ方です(って、分かる?)。両方の犬歯のあたりで鉛筆をかみます。で、そのまま歌う練習をするのです。

 これは上アゴを上げっぱなしにするための練習なんだそうです。で、上アゴが上がりっぱなしになると、自動的にノドが下がるんだそうです(結局、目的はノドを下げる事のようです)。

 私的には、鉛筆をくわえてしまうと、クチが横開きになってしまうので、ちょっと無理かな?って気がします。クチを縦開きにしつつ鉛筆をくわえるには、かなり前方で鉛筆をくわえないといけないので、そんなクチの先端で鉛筆をくわえると…“鉛筆をくわえる”ではなく“鉛筆をかじる”って感じになります。なので、ちょっと無理かも。たぶん、私はクチビル周辺が小さいのかもしれません…。つまり、おちょぼ口なのかもなあ…。

 歌手は自分の声を内耳で聞いているので、自分の声や響きが分からないし、録音しても響きは録音されないから、結局自分では自分の声は分からないのです。とりわけ、響きに関しては、他人の耳を信用するしかないわけで、そこが歌を学ぶのに、独学が適さない理由であり、歌を学ぼうと思ったら、ちゃんとした先生について学ばないといけないのです。

 でも、良い先生の元で学べたとしても、先生のいない場所や時間の自習は大切なわけで、その時間を有効に使うためにも、自分の声を外耳でも聞けるようになると、本当はいいんでしょうね。そのためには、反響の良い部屋で、声と反響音に多少の時間差がある場所で練習できればいいのでしょうが、そんな練習環境のある人って…まずいないよね。

 歌う時に「さあ、歌うぞ」って感じで身構える人が大勢いるけれど、そんな事は決してしてはいけないのだそうです。と言うのも、身構えるって事は、カラダを硬くしてしまうだけであって、歌う時は、カラダを柔らかくしておかないといけないので、決して身構えてはいけないのです。フワっと歌い始めるのがベストなんだそうです。

 高音を歌う時は、狙って出そうとしたら、まず出ないのだそうです。と言うのも、狙うという行為も身構える行為の一種であって、狙った瞬間にカラダが硬くなってしまうからダメなんだそうです。高音を歌う時は“Wow!”ってイメージで出すんだそうです(ほとんどオカルトですね)。

 装飾音符は見せびらかしのために歌うんだと自覚し、しっかりたっぷり見せびらかして歌わないといけないのです。ピンポンダッシュのように、チャチャってやり過ごすのは絶対にダメなんだそうです。

 歌手は顔が命です。その人の顔色をうかがうだけで、その人が高音を出せるかどうか分かるんだそうです。真面目くさった真剣な顔つきの人は絶対に高音を出せません。高音は、キラキラの笑顔からでないと出ないんだそうです。

 で、歌で一番大切なのは、息であって、その息をしっかり鼻腔まで届かせ続ける事ができないと歌は歌えないのです。そのために、筋トレが大切なんだそうです。で、先生自身もスキマ時間に筋トレをし続けているんだそうです。なにしろ、ゴム製のエキスパンダーを常にカバンに持ち運んで、発声練習の度毎に筋トレしているんだそうです。

 このエキスパンダーを縦に持って、声帯を引っ張る感覚と連動させながら筋トレしているそうです。ちなみに、妻はさっそくその気になって、このマスタークラスの翌日に、近所のスーパーでゴムのエキスパンダーを買い込んでいました。

 舌根がかたくなる人は、基本的に支えが弱いのだそうです。支えが弱いからと言って、横隔膜を硬くしてはダメで、支えが弱い人は、ひたすらインナーマッスルを鍛えないといけないのです。

 とまあ、声楽のマスタークラスはこんな感じでした。他にも「いい男を見つけた時の顔で歌う」ってのも何度も言ってましたが、私には理解できないので、うまく書けなかったし、その他にも色々たくさんの事をおっしゃっていましたが、私が理解できなかった事は書けていません。残念です。それでも、声楽のマスタークラスで、私は多くの事を学べました。あとは、学んだことをいかに実践できるか…ですね。

 あと、マスタークラスの客層的には、ソロで歌っている人よりも、合唱で歌っている人の方が多い感じでしたが…天羽先生の教えは、その多くは、あくまでもソリスト向けの話ばかりで、これをそのまま合唱でやったら、たぶん、合唱をぶち壊してしまうような気がします。だって「いかに声を飛ばすか、いかに大きな声を出すか、いかに高い音を出すか」って内容のレッスンだったからね。高い音はともかく、合唱で声を飛ばしたり、大声だしたら…怒られちゃうよね。

 LFJのマスタークラスって、音楽ファンとかアマチュア音楽家を対象にしているわけで、結局、そういうアマチュアさんの中には、歌を志す人は少ない上に、かろうじている歌う人も、そのほとんどが合唱なわけで、そういう中で声楽のマスタークラスをやるってのは、運営側の英断であって、私はそれを支持しますが、来年も(先生は変わっていいので)声楽のマスタークラスをやってくれないかな…なんて期待していたりします。

 声楽のマスタークラスも良いけれど、合唱、あるいは声楽アンサンブルのマスタークラスをやると、たぶん、大入り満員になるんじゃないかしら…って、ちょこっと妄想しました。

 さて、これで私の今年のLFJは終わりです。声楽のマスタークラスに大満足で、帰りはすごくいい気分になったので、銀座に出て、牛タン食べました。贅沢だね(笑)。

 どんどん規模が縮小していくLFJですが、来年はあるのかな? 私的には、なんだかんだ言っても、今年も楽しめたので、来年も期待しているんだけれど…さあ、どうなんだろうなあ。

 継続希望! LFJ!

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2018年5月21日 (月)

メトのライブビューイングで「ルイザ・ミラー」を見てきました

 LFJの連載もそろそろ終わりなのですが、今回はそれをお休みして、こちらの記事をアップしたいと思います。

 まあ、標題の通りです。出かけてきました。本当は、忙しいし、疲れているし、パスしようかと一瞬頭をかすめましたが、頑張って行ってきました。

 結論を言うと、頑張って見てきてよかったです。これはとてもお薦めの上演でした。

 指揮:ベルトラン・ド・ビリー
 演出:エライジャ・モシンスキー

 ルイザ:ソニア・ヨンチェヴァ(ソプラノ)
 ロドルフォ:ピョートル・ベチャワ(テノール)
 ミラー:プラシド・ドミンゴ(バリトン)
 ヴルム:ディミトリ・ベロセルスキー(バス)
 ヴァルター伯爵:アレクサンダー・ヴィノグラドフ(バス)

 まず「ルイザ・ミラー」というオペラ。ヴェルディの作品であるけれど、あまり有名な作品ではありません。ソプラノとテノールに有名なアリアがあるので、アリア集などの楽譜集には掲載される事はありますが、全曲演奏のCDやDVDも少なく、上演機会も多くありません。私も今回見るのが始めてだったのですが、捨て曲が無い音楽的に優れたオペラでした。まあ、ストーリー的には、オペラにはよくある陳腐な話(バカなテノールが事態を悪化させて悲劇に向かう)なので、ストーリー重視の方には呆れられるかもしれませんが、音楽はなかなかのものでした。「マクベス」と「リゴレット」の間の時期のオペラ…と言うと分かるかもしれませんが、彼が爆発的な人気を得る直前の、いわゆる初期~中期頃のオペラで、後のヴェルディを彷彿させるような音楽があっちこっちにたくさんあって、ほんと楽しめました。これはもっと有名になっても良いオペラだなあと思いました。

 で、作品自体もよかったのですが、それを演じる歌手たちが素晴らしかったです。

 ルイザを演じたヨンチェヴァは、トスカの時にも感じましたが、彼女は若い小娘を演じるのが上手いのかもしれません。彼女の歌も演技も、しっかりとルイザの若さ(小娘感)が出ていて、よかったです。ルイザという役は、かなり歌唱が難しそうですが、それを感じさせないほどに巧みに歌っていました。これは初役だそうですが、なかなかハマっていたと思います。

 もう一人の主役である、文字通りの王子様役であるロドルフォを演じたベチャワは、この役の愚かさを十分に演じきっていたと思います。ほんと、見ていて、イライラするほどの若さとバカさをうまく表現していたと思います。もちろん、歌唱も合格点。第三幕の重々しい箇所の歌唱も私的には満足です。

 で、役的には単なる脇役にすぎない、ドミンゴ演じるミラー(ルイザの父)はすごかった。何しろ、彼が舞台にいる時は、ほぼ彼が主役になってしまうのだから(笑)。そのカリスマ性は理屈じゃないです。共演しているソプラノやテノール(本来の主役たち)はやりづらくないのかしら? あと、いつもながらの事ですが、ミラー役はバリトンの役なのですが、ドミンゴはバリトン役をテノール声で演じています。実際、メトの(日本語版)ホームページにも、劇場で配られレジュメにもドミンゴはテノールと記載されています。彼はバリトンに転向したはずですが…今回はテノールとして開き直って歌っているのかしら? それはともかく、本来バリトン役であるミラーをテノール声で演じる事の是非はあるとは思うものの、それを横に置いても、ドミンゴの歌唱と演技は素晴らしかったと思います。ミラーという役が、そもそもテノールを念頭に置いて書かれたんじゃないかしら?と錯覚してしまうほどです(そんなはずは無い!)。

 今回の「ルイザ・ミラー」は、ドミンゴを見るため上演である…と言い切っても良いかもしれません。少なくとも、彼が座長だよなあ(笑)。

 ヴルムとヴァルター伯爵(ロドルフォ父)のバス二人も水準以上だったと思います。まあ、二役とも、もっと重鎮な歌手が歌っても良い役ですが、これはこれでアリだと思いますし、バス同士による二重唱も、なかなか良かったですよ。

 指揮は、本来はレヴァインの予定でしたが、変更してド・ビリーになりました。私はこの指揮者については何も知りませんが、特に問題はありませんでした…ってか、レヴァインがいれば、音楽作りは彼に任せるのだろうけれど、彼がいなくても、今回は指揮者も普通にやっている“生ける伝説”のドミンゴが座長だから、当然と言うか、彼の意見が反映されているのだろうから、問題がないのは、当然と言えば当然でしょう。

 それにしても、公演のキャンセルがあったり、来年からはいよいよ音楽監督も交代だし、レヴァイン、大丈夫なのかな? もっとも、彼の場合、健康問題もさりながら、セクハラ問題もあるわけで…昨今のアメリカのエンタメ界はセクハラにウルサイからね…。レヴァインは、このまま引退…って事になるのかな? レヴァインは大指揮者だけれど、晩節を汚しちゃったねえ…。

 演出は…時代設定をオリジナル設定よりもだいぶこちら側に引き寄せた、いわゆる現代演出なわけだけれど、見ていて全然違和感ありませんでした。いやむしろ、そもそもの設定どおりに男性たちがチョーチンブルマを履いて出てくる方が、今や違和感が生じるでしょうから、これはこれでアリでしょうね。

 という訳で、メトの「ルイザ・ミラー」は、かなりお薦めだと、私は思います。

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2018年5月20日 (日)

LFJ2018 その11 歌は楽に歌わないといけない

 声楽マスタークラスの続きです。

 声の響きは鼻腔で作るものです。だから、息は前に出さずに鼻腔に届かせます。あくまでも“届かせる”のであって“入れて”はいけないのです。なぜなら、声を鼻腔に入れてしまうと鼻声になってしまうからです。じゃあ“届かせる”というのは、どういう感覚なのかと言えば、鼻の頭に付いているホコリをフッと吹き飛ばすような感覚で、息を鼻まで届かせるって感覚なんだそうです。

 クレッシェンドは、単に音が大きくなるだけでなく、アッチェレランドも一緒にかけていくのが、ベルクのやり方なんだそうです。つまり、音楽記号って、作曲家ごとに、癖のある使い方をするケースもあり、そういう作曲家の作品を演奏する時は注意しないといけないって事です。

 息は積極的に使っていきましょう。息の使い方が分かりづらければ、それを可視化すると良いのです。例えば、腕を平泳ぎのように動かして、息と腕の動きを連動させて歌うと、息の使い方がうまく可視化できるわけです。で、その可視化された息を意識化させるわけです。

 目は常に見開いて、鼻も常に開いて歌うのです。また息は、勢いよく出すのではなく、常に温かい息として吐くように心がけます。

 二重母音の発音に関しては、後の母音は曖昧母音で全然OKな代わりに、音程的には前の母音よりも高めに歌うのがコツなんだそうです。

 ポジションが下がりやすい人は息が弱い事が多いので、常にポジション高く歌うためには、息をいつでも鼻腔まで届かせるように、勢いよく(ただし温かい息で)出していく事が肝心です。

 結局、ベルクの「夜」に関しては、曲の解釈や歌い方ではなく、終始、発声発音のレッスンとなりました。で、残り時間がだいぶ少なくなってきたので、ここでコルンゴルトに曲を変え、生徒さんが一度通して歌いました。

 歌い終わって、開口一発、先生が興味深い事を言いました。それは「ペットボトルを慈しむように歌ってください」です。分かります? 実際に先生が、ペットボトルを手に持ち、それを慈しむような動作をしながら歌った時に、私は天羽先生の真意が分かりました。これって、Y先生が常々「歌は粘っこく、粘るように歌う」と言っているのと同義だなと思ったわけです。

 どうも、このマスタークラスで天羽先生がおっしゃっている事と、私が普段のレッスンでY先生から言われている事は、その表現方法は違っていても、その内容はほぼ一緒だと思いました。そして、私とマスタークラスの生徒さんでは、全然歌のレベルは違いますが、それでも注意されることは一緒って事は、それだけ歌の発声ってのは、難しくて、同じことを毎度毎度注意されながら、一歩ずつ前進していく事なんだなって思いました。

 母音の話がありました。ア母音を歌う時はオを、イ母音を歌う時はウを、エ母音を歌う時はアを、それぞれ感じながら歌わないといけないのだそうです。特に音程が上がっていく事は、これが大切で、そうしないと、声が前に飛び出してしまうのだそうです、桑原桑原…。

 上行跳躍音型では、準備は早めにしないといけません。で、その準備とは、クチから突っ込んだ腕が腹の中にまで届くほどに、そこまでカラダ全部を開けっ放しにした上で、事前に息を鼻腔まで届かせておく事です(あくまでも比喩表現です)。それくらいに、あっちこっち開けておき、腹圧を高めて、鼻の頭のホコリを吹き飛ばすくらいやって、準備完了ってわけです。こりゃあ大変だ。

 息は声が音程に届いたからと言って、そこで止めず、常に流し続けます。その流し方も、ただ単に流すのではなく、息を回しながら流していきます。その回す回転速度は、一拍で一回転ぐらいのようです。大切なのは、息のヴァイブレーションなんだそうです。(分かります?)

 で、なぜここまで何度も何度も“開ける”という事を言っているのか…それは、カラダに負担をかけないためなんだそうです。別にカラダが閉じていても、声は出ないわけではありません。ただ、閉じたカラダから声を出すには、かなりの負担をカラダにかけていかないといけないわけで、それでは歌っていてシンドイし、聞いているお客さんもシンドイし、何よりも長い時間歌い続けられません。だから、楽に歌うために、カラダは開けっ放しにし、息は送りっぱなしにして歌うのだそうです。

 さて、今回も長くなってきたので、ここらでお終いにします、続きはまた明日。

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2018年5月19日 (土)

疲れました…

 疲れました…いや、ほんと、疲れた。さすがに仕事が忙しすぎて、精神的に疲れてしまいました。ブログを書く気力すらない…すいません。

 という訳で、今日もお休み。一週間のうちに2回もお休みするなんて、自分でもどうかと思うけれど、でもブログを書く気力がないんだよ。

 ネタなら、まだまだあるんだけどね…ごめんね。

↓という訳で、クリックして励ましてくれると、感謝です。
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2018年5月18日 (金)

LFJ2018 その10 (おそらく)LFJ初の声楽のマスタークラス聴講してきました

 バリトン氏のコンサートの後は、標題通り、声楽のマスタークラスを聴講してきました。

 それにしても、声楽って…人気ないなあ。マスタークラスは整理券方式で、開講の90分前から整理券を配布し、大抵の場合、その整理券はすぐに無くなり、もらえなかった人は、キャンセル待ち(整理券は会場5分前で効力を失います)の列を作って並ぶ…というのが、最近のマスタークラスの常套です。

 実は私たち、整理券配布の時間は、バリトン氏のコンサート開始時刻と重なってしまい、整理券をもらうことを諦めていたのです。で、バリトン氏のコンサートが終わってからでは、すぐに開講時間になってしまうので、キャンセル待ちにしても、かなり後ろの列になってしまい…おそらく会場に入る事はできないだろうけれど、まあダメ元で列に並んでみよう…と思って、コンサートが終わってから、ぼつぼつとマスタークラスの会場に向かったのです。

 そうしたら、会場には人があまりいないんですよ。列はありましたが、短いのが1列? 普通は、会場入りを待っている整理券を持っている人の列(座席は自由なので、良い席をゲットするために並ぶんです)と、キャンセル待ちの列の2列があるんですが、ふと見たら、列は1列しかないんですよ。

 あれあれ? もしかしたら…と思って受付に行ったら、まだ整理券が残っていました。はい、もちろん、整理券をいただきました。開講まで、そんなに時間もなかったので、そのまま入場の列に並んだのですが、思いっきり前の方でした。開場して座席をゲットしたら、前方中央部の良い席が確保できました。ううむ、ラッキー…だよね。

声楽マスタークラス

 ソプラノ:天羽明恵

 生徒の方は…大学院生じゃないかな? 用意していた曲目は、コルンゴルトのオペラ「死の都」のアリア「私に残された幸せ(マリエッタの唄)」と、ベルグの「7つの初期の歌曲」から「夜」と「夜のうぐいす」の3曲でした…が、結局歌ったのは、ベルグの「夜」とコルンゴルトの2曲だけでしたが…。

 ちなみに「夜のうぐいす」の“うぐいす”はナイチンゲールの事らしいです。そりゃあそうだ、うぐいすって日本にしかいない鳥って事で有名だからね。それにしても、うぐいすとナイチンゲールは全然違う鳥だし、鳴き声も全然違うのに、ナイチンゲールをうぐいすと訳してしまった先人の方は…ちょっと乱暴だよなあって思います。

 では、レッスンの内容に入ります。生徒さんはまず、ベルグの「夜」を歌いました。歌い終えたところで、先生は楽譜を閉じさせて質問します。この曲は、何拍子の曲で、何調で書かれていますか?と。

 なぜそういう質問をしたのかと、先生から解説が入りました。歌手の中には、自分の歌うメロディーと歌詞しか見ない人がいるけれど、それではダメで、少なくとも、この歌は何拍子で何調なのかぐらいは意識して歌って欲しいから…だそうです。確かに、この質問、私がされたら、まず答えられない(汗)。

 次に歌詞に関する質問をしていました。どんな内容の歌詞なのか、どこで歌われているのか、どんな情景なのか、季節はいつで、時刻は何時頃なのか? 最後は歌詞の逐語訳を求めていました。歌う前に歌詞の内容をしっかり把握しておけって事で、これは私もダメだなあ。

 さて、いよいよ歌の注意に入りました。

 まず歌い出しは大切だから、そこは気をつけて歌うようにと言っていました。これは単純に、フレーズの出だしを大切に歌えという話だけではなく、ドイツ語やイタリア語では、最初の語を言った途端に、文章全体が決まってしまうので、文章の最後まで見通してから歌いださないといけないのだそうです。ちなみに日本語は、言い終わるまで文章は決まらないという言語で、話しながらいくらでも結末を変更できるという、超フレキシブルな言語なんだけれど、そういう柔軟性は西欧の言葉にはないわけで、だから歌い出す前に、しっかりと結論を見据えて歌わないといけないんだそうです。言われてみれば、その通りかもしれません。

 歌はレガートで歌うこと。これは私が毎回Y先生に注意される事と一緒です。天羽先生は、これを「歌を草書体で歌う」という言い方をします。子音を入れる度に母音がブツブツ切れるのではなく、すべてが一筆書きのようにつながった草書体のイメージで歌うのだそうです。具体的には、息を切ることなく、息をつなげて歌うわけです。もちろん、草書体では字に大小があるように、歌の中ではそれぞれの音に強弱を付けていくわけですが、それでも息は切らない…これがレガートだと言うわけです。なるほどね。

 子音をたっぷり時間をかけて歌う事、子音を楽しんで歌うとも言ってました。その際、これはソプラノ特有のやり方なんだそうだけれど、子音を前に出すのではなく、上に流すようにして発音すると結果が良いのだそうです。

 また子音の音程は、母音よりも高くしておく事と注意されていました。これが逆に、子音の音程の方が母音の音程よりも低いと、音程が合っていても、何だからぶら下がった感じの音に聞こえるので、常に子音は高めの音程で歌うわけです。子音の音程が大切だとは、私もY先生に毎回のように注意されています。

 “りんご ごりら らっぱ” 常にフレーズの開始音は、直前に歌い終えたフレーズの声で始める事。そうでないと、レガートにはならないわけです。フレーズごとに声を変えて歌ってはいけないわけです。つまり、最終的には1曲まるまる同じ声で歌うわけです。生徒さんは言われてすぐにできるようになりましたが、我々アマチュアだと、これは難しいかもね。特に音域で声が違う人って、結構いるものね。私の場合、低い音域だと声が胸に落ちてしまうし、高い音域だと、ノドの奥が閉じてしまいます。で、Y先生に注意されるわけです。だって、これって音程を優先して、声を二の次にしてしまうため、声が変わってしまうからダメなんだよね。そこまで極端に変わらなくても、普通の高さの音でも、ちょっとした意識の違いで声が変わってしまう事って、結構あります。常に、同じ声をキープしたまま歌えるようにしないといけません。

 横隔膜の使い方にも言及していました。天羽先生のやり方は、横隔膜は常に下向けに張っていたいそうです。そうする事で、ノドが常に下がった状態をキープできるんだそうです。ちなみに、横隔膜の使い方に関しては、天羽先生とY先生が教えてくださるやり方は、ちょっと違っています。Y先生は「テノール特有の使い方だよ」と言って教えてくださっているのは、最初は天羽先生と同じなんだけれど、それだけでは不足で、横隔膜の中央部に関しては、上に引っ張り上げるのです。横隔膜は最初は下に、しかし中央部だけは上に、やがて全部を上に思いっきり引っ張りあげる…というのをやっています。

 声楽のマスタークラスはまだまだ続きますが、記事が長くなってきたので、今回はここまで。続きはまた明日。

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