ひとこと

  •  湘南地方では紅葉が色づきました。木々の葉が紅色や黄色に染まってくると…ああ、秋だなあと感じます。紅葉を見ると、無性に焼き芋が食べたくなるのは…私だけ?
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2016年12月 3日 (土)

お尻はないけれど、尻を向けてます

 今回の記事は写真でお茶を濁します(笑)。

 先日、なかなか面白い写真が取れましたので、アップします。

201612030101

 なかなかプリチーでしょ? お尻は無いけれど、お尻を向けている写真です。ちなみに、左にいるのが“マダラちゃん”ことヤヨイで、右にいるのが“残念金魚”ことシズカです。

 後ろ向きの写真だけではなんなので、集合写真もアップします。これが現在の我が家の金魚たちです。

201612030201

 左上の子がシズカで、中央上の子がアセビです。アセビは正面よりも横からの姿の方が、実は特徴のある子です。右上の子がベルちゃん。左下の真っ黒なのがミドリで、右下がヤヨイです。全員、熟睡中の写真です。

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2016年12月 2日 (金)

残念なことに忘れてしまいました

 いやあ、実に久しぶりのフルートのレッスンに行ってきました。いやあ、久しぶり。あんまり久しぶり過ぎて、フルートの運指も忘れるほどでした(マジです)。

 とにかく、姉様も交えてのロングトーン練習なんて、超久しぶりぶりぶりでした。それにしても、なんか私の音が今2つぐらいで、気持ち悪かったです。

 エルステユーブンゲンは19番。先生からは「暗譜してきた?」と尋ねられましたが「残念なことに(1回暗譜したのだけれど)忘れてしまいました」と答えました。いやあ、だってね、この曲。一度はちゃんと覚えたんだよ。暗譜演奏できるようにしたんだよ。でもね、練習をサボりすぎたら、忘れちゃったんだよ。

 声楽のY先生がおっしゃる「声楽は階段だけれど、器楽は坂道だから…」という言葉が身にしみます。声楽は階段状に進歩していくから、多少練習をサボっても現状維持がせいぜいで簡単に下手になる事はないけれど、かなり努力を重ねて練習をしつづけても、なかなか簡単に上達せず、上達する時は一気にドーンと進歩していくわけです。でも、器楽は坂道だから、練習すればするほど確実に上達していくけれど、練習をサボるとあっという間に坂道を下ってしまうわけです。現状維持なんて、あり得ない世界で、毎日毎日ガツガツと練習していかないと、あっという間に下手くそになってしまうって事を…今、実感してます。

 そう言えば声楽は、しばらく練習サボってても、再開すると、案外以前できなかった事が出来るようになっていたりする不思議な事がちょくちょくありますが、フルートはサボったらサボった分だけ下手になりますね…ってか、下手になってます。実に馬鹿真面目というか、積み重ねが大切なのが楽器演奏なんでしょうね。そういうところは、声楽とは全然違います。

 と言うわけで、エルステユーブンゲンの19番は忘れた程度で済みましたが、20番は全然吹けなくなっていました。やべーなー、おい。

 プチエチュードは15番でしたが、先生曰く「デタラメ」だそうです。酷評だね。

 まあ、とにかくフレーズが長くて長くて、途中でカンニングブレスを入れているつもりですが、それか全然カンニングじゃないから駄目なんだよな。でも、ほんと、一つのフレーズが長くて長くて、最後まで絶対に吹けないわけで、ほんと、困った困った。

 さて、雑談は、フルートフェスティヴァルの話。あれこれオフレコ話を聞きました…例によって、ここには書けないのが残念だけれど、プロの皆さん、フルートの啓蒙活動にほんと熱心なんだなって、私、感服しました。あと、やっぱり、この世界はアマチュアが支えているわけで、プロがいて、アマチュアがいて、そのアマチュアが演奏と鑑賞の両方を支えているわけで、やっぱクラシック音楽の業界って、閉じた狭い世界なんだなあって思いました(悪い意味ではないです)。こういうニッチな世界なんだから、思いっきり尖った方が面白いのになあ…なって思ったりして(ああ、無責任)。

 来週もレッスンに行きたいものです。その前に、自宅練習しないとね。

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2016年12月 1日 (木)

20年後、音楽業界はどうなっているのでしょうか?

 先日、ある講演会に出掛け、そこでの話題の一つに『20年後には無くなっているはずの仕事』の話がありました。そういう仕事は、今は景気が良さそうでも、20年後は無くなっている可能性が大だから、若者をそういう業界に行かないように、しっかり進路指導しましょうって感じの話でした。

 就職先の会社が潰れても、業界自体がしっかりしていれば、同業他社に転職すればいいけれど、就職先の業界が壊滅してしまい、ある程度の年令になってから、別の業界へ転職するって…そりゃあ大変だもの。子どもはそういう事が分からないから、オトナがしっかり、そのあたりを見極めてアドヴァスしてあげないと、その子の人生が台無しになってしまいます。ほんと、業界の景気動向を見てあげることは、進路指導にとって、大切な事です。

 で、その話を聞きながら、私は音楽業界について考えてみました。まあ、私は音楽業界の人ではなく、完全に門外漢なので、そのあたりは結構無責任に言えちゃうし、たからこそ言っちゃおうかな…ってのが、今回の記事の主旨です。

 音楽業界は、基本的には芸能界の一つの分野であって、確実性はなく、安定性もなく、実力があっても通用するとは限らず、人脈がモノを言い、綺麗事が通用せず、ハイリスクな世界だけれど、ごくまれにハイリターンも狙える、賭博性の高い業界です。

 まあ、堅気のオトナなら、若者には薦めづらい業界です。実際、私も、息子君が音大に行きたいと言い出した時は、全力で阻止しました。どうしても音楽業界に行きたいなら、ごく普通に(音大ではない大学に進学して)大学を卒業してから、周辺業界への就職を考えろと言いました。音楽家ではなく、音楽家を支える仕事ね。そっちに行くなら頑張れよって事です。演奏家は…ダメだよね、親としては、そんなリスキーな選択は許せませんって。

 ただ、演奏家は…クラシックであれポピュラーであれ伝統音楽であれ、本人には才能と人脈があり、家庭には有り余る財産(あるいは、本人には貧乏に耐える根性)があって、普通の幸せを捨てる覚悟と、その上、運と出会いがなければ成功できないとは言え、演奏家という職業自体は、決して無くなることはないでしょう。昔から、ごく一部の人しか成功できなかった職業でしたが、今後もごく一部の人しか成功できない職業として残っていくと思います。

 むしろ、周辺業界の方が厳しくなっていくのかも…ねえ。

 すでに音楽販売業(街のレコード屋さんね)は壊滅状態です。街からレコード屋さんがバンバン消えています。大きな原因は、アマゾンを始めとするネット通販の躍進や、音楽のダウンロード販売のおかげですが、ほんと、次々と街のレコード屋さんが廃業しています。

 販売業だけでなく、製作業(レコード会社さんね)も、かなり厳しいと思います。CDが売れなくなってからは、販売の中心をダウンロード販売に移行して頑張っているのは分かりますが、いかんせん、若者を中心に“お金を支払って音楽を聴く”習慣がドンドン無くなっているから厳しいです。

 今や音楽は聞きたい時にネットで聞ける時代になりました。音源をダウンロードして購入することもできますが、YouTubeに行けば、たいていの曲は、新曲であっても、あります。だから「音楽を手元に所有したい」という人は別ですが、単に「音楽を聞きたい」だけの人は、音楽を購入する必要がないのです。つまり“録音された音楽には商品価値は無い”って時代がやってきているわけです。

 それに、音楽を製作するにしても、レコード会社を経由せずに製作して発表する事も可能だし、そこから成功する人だっています。最近の例でいえば“PPAP”がそうでしょ? 近所のスタジオで製作して、YouTubeにアップして、世界中の人々に視聴してもらって、ウハウハ…ってパターンです。そんな仕事の形が定着したら、レコード会社的には、たまったもんじゃないでしょうね。

 一方で廃れないのが、興行関係です。いわゆる、ライブで稼ぐってパターンね。演奏家がいて、客がいる限り、ライブなりコンサートなりってのは、無くなりはしません。これはとりあえず安泰でしょうね。そして今後は、録音された音源は、商品として販売されるのではなく、ライブの宣伝部材として活用されるようになるでしょう。

 ただ、ライブは廃れないとは言え、規模は小さくならざるを得ません。だって人口が減っているんだもの。仕方ないよね。

 音楽教育の現場は…と言えば、学校の先生は廃れませんが、子どもの数は経る一方ですから規模は小さくなります。小学校~高校は統廃合が進むでしょうし、音大は潰れていくと思います。

 私がよく耳にするのは、都会は中高の音楽の先生が余っているけれど、地方に行くと全然足りない…という話です。ですから、学校の音楽の先生(仮にも公務員です)志望の人は、地方の教員採用試験を受けてみると良いかもしれませんね。

 少子化の影響をモロに受けているのは、街のピアノの先生でしょうね。家庭の主婦が自宅で(経済的に)内職感覚で行うならともかく、この仕事だけで生活を支えていくのは、厳しくなっていくだろうと思われます。

 似たような仕事に、楽器店の音楽教室と、そこで働くインストラクターさんや臨時講師さんがいます。今は楽器店の教室も老人相手の講座でしのいでいますが、その老人世代の中心となっている団塊の世代も、あと20年生き残っている事は…まあ、ないでしょう。となると、老人相手の商売はダメになってきますし、だからと言って、子どもの数も減ったままです。楽器店の音楽教室の経営そのものは、海外進出して行って生き残る戦略はありますが、その場合、その教室で働くインストラクターさんや講師の方々は現地採用でしょうから、日本人講師の出番はありません。厳しいです。

 楽器店も学校同様に、少子化の影響を受けています。でも、学校に吹奏楽部がある限りは、大きくもうける事はなくても、きっとなんとかなるはずです。

 楽器製造会社は、日本のメーカーはどこも高い製造技術を持って、良い楽器を生産していますが、以前ほど国内での販売は期待できないでしょう。なにしろ、日本の人口が減っているんですから、内需にはあまり期待できません…やはり、海外進出をしていくしか生き残る道はないかな? それがダメなら、海外資本に買い取られての、生き残り…ですかね。

 音楽系出版社は…本当の本当に厳しくなると思います。教科書を発行しているところはともかく、そうでない会社は厳しいです。日本の人口は減っているし、人々から読書の習慣は薄れてきているし…、音楽系に限らず、書籍は売れなくなってきています。また、楽譜は輸入譜が簡単に入手できるようになったので、クラシック系の楽譜出版を中心に据えている会社は厳しいですね。

 このように書き連ねていくと、20年語の音楽業界は、あたかもお先真っ暗のような気がしますが、別に先が暗いのは音楽業界だけでなく、日本社会のお先そのものが真っ暗なだけです。日本社会のお先が暗いのは、何かヘマをしたからとかそういうわけではなく、単純に人口が減っているためです。

 日本の人口は、2010年では約1億3千万人だけれど、2035年には1億1千万人になると言われています。わずか25年(20年でなくてゴメン)で2千万人近くも減ります。人口5千万人にと言えば、割合で言えば、日本人口の1/3にあたります。25年で人口が15%も減ってしまうわけです。人数で考えても、2千万人と言えば…チリやオランダの人口よりも多いですよ。つまり、25年でチリひとつ分、オランダ一国分の人口が日本から消えてしまうのです。驚きだね。

 国にとって、人は力なのです。子どもが生まれなくなり、老人がバンバン死んで、人口が減ると、国力が下がります。つまりは、それだけの話なのです。音楽業界も、そこから逃れることはできないのです。

 人口が減り、国力が弱まっていく中で、音楽業界で生きていくために、どうするべきかと言えば、やはりリスクヘッジの事も考えると、企業レベルで考えると、やはり多角経営をしていくしかないかな? 例えば、音楽教室なら保育園事業と提携していくとか…ね。

 個人レベルならば、音楽だけでは食べていけないのですから、副業をしっかりしていく事に尽きると思います。例えば(すでにいるかもしれないけれど)平日は工場労働者として働き、休日はピアニストとして働くとか…。まあ、工場労働者じゃなくても市役所の職員でも、大工さんや料理人でもいいのです。とにかく、定時に始まり、定時に終わる商売ならなんでもいいんじゃないかな? あるいは、昔々のように、パトロンを見つけて、資金援助を受けながら音楽家として生きていくか…。

 そう考えると、一番現実的なのは、結婚して家庭に入って、旦那が働いている時間に、パートとして音楽業界で活動していく兼業主婦だったりして…。となると、近い将来、音楽業界で働く人々は、女性ばかりになってしまうかも…。

 事実、音大の女子大化は、だいぶ進行しているそうだし、私の推測も、あながちハズレではないと思うのです。

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2016年11月30日 (水)

手袋、買いました[2016年11月の落ち穂拾い]

 百均で手袋買いました(笑)。ほぼ同じ色合いでほぼ同じ模様の毛糸の手袋を2組買いました。ただし、一つは指先まで覆われた手袋で、もう一つは指先が露出するタイプの手袋です。で、組み合わせを変えて、常に右手は露出、左手は覆われるようにしました。

 なぜ、そんな事をするのかと言うと…ポケモンGO対策です。ポケモンGOをするためには、やはり右手の指先は露出していないと、何かと不便ですが、だからと言って、左手はしっかり温めたいじゃないですか? 実際、右手は露出していても、いつもせわしなく動かしているので、ちっとも寒くないです。ただ、スマホを持っているだけの左手の方が、冷たくなってかじかんできたりするくらいです。

国家統合の話

 ドイツは統合しましたが、お隣の半島の統合は…まだまだ無理かもしれません。私たちは、経済力に勝る南が北を飲み込んで統合するかと思いがちですが、政治を見ていると、北が南を飲み込む事もアリかなって思います。

 ちなみに、かの半島は二分割ではなく、実は三分割されているんです。いわゆる中国の一部で、北と接している“延辺自治州”が、3つめの地域なのです。ここは無視されがちですが、ここも含めて、あの民族の人々は、2つの国と一つの地域に分かれて生活していたりします。

 なので、私は、もしも半島が統合する時が来るなら、南でも北でもなく、この3つめの地域が他の2つを飲み込むんじゃないかって思ってます。もっとも、その時は、半島の先っぽまで中国になっちゃうわけですから、日本的には由々しき問題となるのかもしれません。

ロングトーン練習の意味

 すべての練習には意味があります…ってか、意味のない事をしてはいけません(笑)。私の考えるロングトーンの練習の意味は

1)呼吸筋の筋トレ(バーベル持ち上げるのと同じ感覚で、呼吸筋を鍛えています)
2)音色作り(音色に注目しながら吹くから)
3)耳を作る(周囲の音を聞きながら、そこに音程を合わせる習慣を作ります)

 こんな感じかな?

地方の子たちの就職先と進学先について

 まず、都会と地方では、産業構造そのものが違います。地方に行くと…驚くほど職業選択の幅が狭まりますからね。

 まずは…家業を継ぐってパターンがあるわけで、農業や漁業などの1次産業従事か、町の商店や家族経営の企業を継ぐわけです。家業を継がなければ…地方公務員? 就職するとなると…土建業や観光業? 流通関係や交通関係もあるかな? 都会の大企業の工場が進出していれば、そこで働くというパターンもある。あと、地域に根ざして活躍している地方企業も若干あるかな?

 でも、いわゆる企業戦士っぽいリーマンってのは…地方には無いよね。だいたい地方にいる、その手のリーマンは、本社採用の子が地方に飛ばされてくるパターンだもの。地方採用のリーマンなんて…地方企業でもなければ、そうそういるもんじゃないです。

 つまり、地方にいたんじゃ、リーマンになるのは難しいわけで、リーマンになりたい子は都会に出てくるのが普通。で、学歴が一番必要なのは、リーマン志望だったりするわけだから、地方に定住している人って、リーマン志向が薄いわけで、リーマン志向が薄ければ、学歴もさほどはいらない…って事になるんじゃないかな? なんて、最近はチラホラ考えるようになりました。

 で、リーマンにならないなら、大学行かなくても十分だし、専門学校で専門技能を身に着けた方が、地方では生きやすいってのは、絶対あると思います。

 そう考えると、リーマンになりたきゃ、都会に出て大学受験もするだろうけれど、そうでなければ、大学受験は考えずに、ぼちぼちと生活していく…ってのが、地方の人のパターンじゃないかな…なんて、勝手に考えたりしています。

今月のお気に入り ソンバーユ

 これ、いわゆる馬油です。かなり良質な馬油だと思いますよ。なにしろ、無味無臭で無刺激なんです。だから、どこにだって塗れます。全然、馬臭くもないし、獣の感じもありません。ただのクリームです。

 皮膚に慢性的なトラブルを抱えている人には良いと思います。私も(デブなので)股擦れに悩んでいたのですが、こいつで悩みは解消しました。

 私が思うに、馬油は皮膚に潤いを与え、皮膚の再生を促し、皮膚そのものを強くするんじゃないかな?

 これをたっぷり塗ると、直後はたしかにベトベトになりますが、ほどなくベトベト感がなくなります。ベトベト感がなくなる感じは、市販のバンドクリームよりも早い感じがします。

 なので、私も冬は各種クリームが欠かせない人なのですが、最近はこれ一つですべてまかなっおります。問題は…高い事かな? すごぶる良い感じのクリームなのですが、他の製品と比べると、お値段が高いのが欠点です。

今月の金魚

 みんな元気です。

今月のひとこと

 ようやく涼しく…ってか、寒くなってきました。つい先日まで、暑くて暑くて残暑に苦しんでいたのに、わずか数日でこの寒さだよ、信じられないね。ポタポタ汗を垂らしながらポケモンGOをしていたのに、今じゃ指がかじかんで、うまくポケモンGOが出来ません。ああ、スマホゲームと手袋は相性が悪いのに、どうしたらいいんだよ!(2016年10月30日~11月5日)

 昨今の政治系のニュースは韓国の大統領があれこれ下手を打って支持率がタダ滑りだという話ばかりだけれど、なぜそんな“どーでもいい話題”ばかりを報道するんだろ? 我々の生活には何の関係も無いし、あそこの国ではアレが平常運転で、ある意味、いつものことなのに…。衆議院選挙が近々あるかもしれないと言うのに、選挙に向けて、国民の目を国政からそらしたい事でもなるのかしら? あるいは、これ以上騒がれては困る話題が日本政界にあるのかしら? そんな事を色々と勘ぐってしまう私でした。ホント、別に隣の大統領が占い師の言いなりだったとしても、私たちには全然関係ない事でしょ?(2016年11月5~11日)

 お隣の半島の南半分の大統領さんの支持率は、現在5%なんだそうです。これを19~29歳の若年層に限ってみると、なんと驚きの0%なんだそうです。いやあ、洋の東西問わず、色々な政治家さんの低い低い支持率ってのを見てきましたが、5%とか、0%とかってのは、始めて見ました。我が国の最低支持率は、ワースト1位が竹下総理の7%、2位が森総理の9%です。威張れた数字ではありませんが、いずれも政権末期で、その後に退任されて総理を交代しています。隣の大統領さんの場合、まだ任期満了まで1年以上もあるわけで、しばらくは交代もできないわけです。支持率5%の大統領なんて、民主主義的には存在し得ないわけですが…現実問題として、どうするんでしょうね。よそ事ながら「大変ですねえ…」と同情します。(2016年11月11~15日)

 我が国の宗主国であるアメリカの次期大統領がトランプ氏に決まり、皆さん、戦々恐々としていますし、おそらく日本とアメリカの関係も、今までとは変えざるを得ない部分もあるかもしれません。でも必要以上にトランプ氏の事を恐れる必要は無いんじゃないかな?って私は考えます。と言うのも、トランプ氏は有能なビジネスパーソンでしょ? 無能な人間はビジスネでは成功しないわけですから、利益にもならないような無茶な事は絶対にしません。たた、我々が見誤ってはいけないのは、トランプ氏は、旧来の政治家の論理ではなく、ビジネスマンの論理で政治をしてくるだろうって事です。その部分を見誤らなければ、トランプ氏と今後のアメリカとも、十分に良い関係を築いていける…って私は思ってます。(2016年11月15~18日)

 今朝の記事のアップの遅れは、単純に私のミスです。記事を書き上げたところで(なぜか)安心して、そのままにしてしまったので、いつもの時間にアップできなかったのでした。お楽しみにしていた方には申し訳ない事をしました。ごめんなさい。(2016年11月18日)

 あの『セウォル号沈没事故、空白の7時間』で、某大統領が何をしていたのか…当時は絶対に情報が漏れてこなかったのですが、どうやら、あの7時間で某大統領は、美容整形手術をしていた…ようなのです。デマやガセかもしれませんが、本当ならば、そりゃあ言えないよねえ。(2016年11月18~25日)

 雪が降りましたね。こちら湘南でも降りました。例年ならば、当地の初雪は1月15日頃ですから、二ヶ月はオーバーですが、約50日ほど早い初雪となりました。ああ、つい最近まで「暑い暑い」と言って残暑に悩んでいたのに、あっという間に冬将軍到来ですか! ほんと、秋はどこに行ってしまったのでしょうか?(2016年11月25~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2016年11月29日 (火)

歌声にも色々ある その2

 さて、ここまで、くどくどと書いて、何が言いたいのかというと、たとえ声域は同じでも声は異なる…って事です。

 私はテノールなので、以下はテノールを代表例として話を進めますと(ソプラノに関してはググると、嫌になるほど出てきますよ)、同じテノールと言っても、実はその中には声の異なるテノールが何種類もあるんだ…という話です。

 私がながながと説明するよりも、実際にその声種の代表的な声を持っていると思われる歌手の声を聞いた方が理解が早いと思われるので、さっそく聞いてみましょう。

 まずはレッジェーロです。何と言っても、ファン・ディエゴ・フローレスが代表でしょうね。ベッリーニ作曲の歌劇『清教徒』のテノールアリア「A te o cara/いとしい乙女よ、あなたに愛を」をお聞き下さい。

 さて、リリコに属する歌手は大勢いますので、中をさらに3つに分けて聞いてみたいと思います。以下の3つの違いは、案外微妙かもしれませんね…。

 まずもって、リリコレジェーロに該当する歌手は実にたくさんいます。私の好みで、ロベルト・アラーニャに代表してもらいましょう。『愛の妙薬』の「Una Furtiva Lagrima/人知れぬ涙」です。

 ど真ん中であるリリコには、さらに多くのテノール歌手が該当します。ここも私の好みで、フランシスコ・アライサに登場願います。。曲は『ラ・ボエーム』の「Che gelida manina/冷たい手を」です。

 リリコスピントは、上記2つの軽い声系のテノールと比べると、数は少々減りますが、それでもやっぱり多数います。それもスター歌手が多くいるのが、この声種の特徴です。今回は、マリア・カラスの音楽的な相棒として有名な、ジュゼッペ・ディ・ステファーノにしましょう。曲は…せっかくですから、カラスとのデュエットにしましょう。マスカーニ作曲の『カヴァレリア・ルスティカーナ』の二重唱です。

 スピントとなると、だいぶ数が絞られます。ここはやっぱり、プラシド・ドミンゴでしょうね。ジョルダーノ作曲の歌劇『アンドレア・シェニエ』の「Un di all'azzuro spazio guardai profondo/ある日青空を眺めて」です。

 ドラマティコは…ほんと希少種になります。そこで、我らがマリオ・デル・モナコの登場です。歌っているのは『オテロ』の「Niun mi tema/オテロの最後」です。

 ここまで聞いてお分かりのように、声にも色々あるものです。どの曲も使っている音域に大差はありません。歌っている歌手も、同じ音程を歌っていても、それぞれ聞いた感じがだいぶ違うでしょ? これが声種による違いって奴なのです。

 あと、同じ人でも、加齢によって声は変わります。一般的には軽い声が重くなっていくのが普通です。有名どころではパパヴァロッティがそうかな? 彼はデビューの頃はレッジェーロでしたが、年齢とともに声が変わっていき、晩年はレパートリー的にはスピントの役まで歌っていました。ほら、彼の最後のヒット曲(?)がトゥーランドットの「Nessun dorma/誰も寝てはならぬ」でしょ。声って変わるんですよ。

 ちなみに、私の声は、リリコ・レッジェーロなんだそうですが…そう名乗るためには、もっともっと軽やかに歌えないと行けないし、高音だって軽々と出せないといけないので、もっともっと勉強していかないといけないのです。なぜなら声種は、音域だけではなく、音色、つまり声のキャラクターで決まってくるのです。声域は努力と修練で拡げることが可能ですが、音色は天性のモノだからね。だから、声種は音色で決まると言っても過言ではありません。

 なので、クラシック系声楽を学ぶ上で危険なのは、他人のマネです。同じ声種の人のマネをするならば、得る所もあるかもしれませんが、異なる声域の人の歌声や、異なる音色の人の歌声を真似ることは、ノドを傷つけ、声を壊す事になります。キング先生は私に、有名歌手のモノマネ(それも声種の異なる歌手)を強いましたが、これは絶対にやってはいけない事です。やって良いのは“プロの歌声をイメージする”事までであり“プロの歌声をマネする”のはご法度です。大切なのは、自分自身の声で歌うことです。作り声で歌うと、特にクラシック声楽ではノドを酷使しますから、少しでも不自然なことをしてしまうと、あっという間にノドを壊し、声が潰れてしまいます。

 ポピュラー音楽ならば、潰れた声も「ハスキーですね」で済みますが、クラシック系の歌の場合は、潰れた声はガラクタでしかありませんので、細心の注意を払いながら歌を学ばないといけないのです。

 くれぐれも声は大切に…ね。

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2016年11月28日 (月)

歌声にも色々ある その1

 歌声にも色々あります。ポピュラー音楽の場合は、個性が重んじられる音楽という事もあって、楽曲は歌手に合わせて作られて、歌手たちも自分たちの個性を活かして歌っていくわけですから、歌手の数だけ歌声があると言えます。

 一方、クラシック系音楽の場合は、音楽ファーストなわけですから、それぞれの曲ごとに求められる声があり、歌手たちはその求めに応じて歌います。ですから、歌手自身の個性はありつつも、その曲が求めている歌声で歌えることが必要となるわけで、そのため、クラシック系音楽の場合は、ある程度の歌声の類型化は必要となります。

 つまり、歌手たちの声を種類別に分けて、それぞれに声に応じた曲を歌うことが求められるのです。

 一番ポピュラーな歌声の分け方が、合唱のパート分けですね。

 合唱では、人の歌声を、まず女声と男声に分け、それぞれを高音と低音に分けます。つまり、ソプラノ(女声高音)、アルト(女声低音)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)と4種類の声に分けていきます。

 元々、人の歌声を4つに分けて使うのは、教会音楽の特徴の一つであって、昔々、まだ女声が教会で歌わなかった頃は、ソプラノ(カストラート高音)、アルト(カストラート低音)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)って感じだったそうです。現在では、カストラートは絶滅しているので、伝統を守っている教会では、ソプラノ(少年高音)、アルト(男声ファルセット歌唱)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)で歌っているようです。

 え?「カストラートって何ですか!」…ですか?

 カストラートと言うのは、少年期に去勢手術を行って、強制的に声変わりを回避してオトナになった歌手の事を言います。ヨーロッパでは、18世紀までは、割りと普通にいたそうですし、20世紀の初頭までは、その存在が確認されました。実際にカストラートによる録音も残されていますしね。

 また、大規模な曲では、歌声を4つではなく、さらに細かく分ける事もありました。その場合は、女声男声の歌声を、高音、中音、低音の3つに分けるようで、つまり、ソプラノ(女声高音)、メゾソプラノ(女声中音)、アルト(女声低音)、テノール(男声高音),バリトン(男声中音)、バス(男声低音)と分けたわけです。

 このように、歌声を4つまたは6つに分ける教会式の分け方は、日本では学校教育でも取り入れられている分け方ですから…まあ、一般常識と言えるでしょう。

 さて、同じクラシック系の音楽であっても、劇場音楽ではもう少し細かく分けていきました。

 劇場音楽ってのは…まあオペラの事です。オペラでは、音楽でお芝居をしていくのですから、その役柄に応じて求められる声が違っていたので、同じ音域であっても、役柄の個性に応じた声が必要とされ、自然と求められる声の種類が増えていきました。

 歌手の歌声を(教会同様の音程による)声域で分けるのは当然として、演じる役の性格を上手に表現するために、歌声の音色に注目して分けました。つまり、かっこいい役にふさわしい声色とか、ひょうきんな役を歌うと似合う音色…とかね。

 歌声を音色で分ける方法には、いくつかありますが、基本的には大きく4つに分ける事が多いと思います。

 それは歌声を、レッジェーロ(軽やかな声)、リリコ(美しい声)、スピント(力強い声)、ドラマティコ(劇的に強い声)の4種類の歌声に分けます。さらにこれらは声域と組み合わされて表現されましたので、例えばソプラノならば、ソプラノ・レッジェーロ(軽やかな女声)、ソプラノ・リリコ(美しい女声)、ソプラノ・スピント(力強い女声)、ソプラノ・ドラマティコ(劇的に強い女声)って分けたわけです。で、これらを声種と呼びます。

 実際には、リリコをさらに、リリコレッジェーロ、リリコ、リリコスピントとさらに3つに細分しますので、人の声は音色によって6種類ずつに分けられると言えます。

 大体、軽やかな声は、若者とか身分の軽い人を演じる声として用いられ、力強い声は年配者とか社会的な地位の高い人を演じる声として用いられます。

 また、この方法以外にも、声楽技法とか演劇技法によって、コロラトゥーラとか、ブッフォとか、ヘルデンとか、歌声をさらに様々に分ける事が可能ですが、それらはひとまず横に置いて、今回は、レッジェーロ、リリコ3種、スピント、ドラマティコまでの分け方までで話を留めておきましょう。

 と言うわけで、学校では、人の声は、せいぜい6種類に分かれると学びますが、劇場では、それらを音色でも分けますので、6☓6種類で36種類に分けて考えます。

 36種類とは…多いですね。

 まあ、ここまでの分け方は、一般常識を越えているので、声楽に詳しくない方なら、知らなくても当然ですから、別に気後れする必要はありません。

 話が長くなってきたので、明日に続きます。

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2016年11月27日 (日)

老人に座席を譲るべきか?

 なんでも、優先席をめぐって、老人と優先席に座っている男性とで口論があって、その様子が動画としてアップされていてるそうです。それが今、話題になっているとか…。

 その動画でのやり取りは、以下のとおりです。

老人「日本語通じないのか」

男性「もう1回言ってみろよ」

老人「日本語通じないのか」

男性「もう1回言えよ!」

老人「日本語通じない?」

男性「もう1回言えっつってんだよ!」

老人「だから、日本語通じないのか」

男性「だから、もう1回言えよ。コラッ」

老人「なんでだよ」

男性「だから、もう1回言ってみろよ」

老人「だから、代わってくれって言ってるんだよ。席を」

男性「なんでだよ」

老人「優先席だから」

男性「なんでだよ」

老人「『なんで』ってよ」

男性「悪ぃけど、そういう人に…、譲りたくないわ(笑いながら)」

老人「あなた日本人か」

男性「悪いけどそういう人に譲りたくないわ…残念だったな」

老人「で、なに。そこ優先席だって分かんないんだ」

男性「わかんないですね」

老人「ああ、そっか。じゃ、日本人じゃないんだ。残念だな」

 実際の動画(ホンモノは見つけられなかったので、誰かがコピーして拡散した奴です。一次資料じゃなくてごめんなさい)は、こんな感じです。

 しかし、なんとも、色々な意味で残念ですね。老人も老人だし、男性も男性です。ほんと、絵に描いたようなディスコミニュケーションな場面です。

 しかし、これはたまたま動画にアップされただけで、日常的には案外、似たような事は、日本のあちこちで頻発しているのではないでしょうか?

 老人が若者に席を譲れと強要しているばかりでなく、老人が集まっている中、優先席に堂々と若者が悪びれることなく座っていたり、多少は気後れをしているのか優先席で寝ていたり(狸寝入りの可能性は大ですね)…なんて言う風景は割りと見ます。
また逆に、混雑した車内なのに、優先席だけぽっかりと空いていて、誰も座らずに、もったいない空間になっている事もしばしばあります。

 優先席とは、電車バスなどで、老人や妊婦、病人、障害者が優先的に座れると運営会社によって決められている席の事ですが、このシステムって、1970年代に当時の国鉄が「シルバーシート」という名称で始めたものが起源となっています。つまり、優先席というシステムそのものが、世界標準のマナーでもなければ、日本古来の伝統風習でもなく、割と最近に始まった日本独自の新習慣なのです。

 そもそも優先席というシステムそのものは、親切心と敬老精神にあふれた国鉄職員の方が考えられたモノなのだろうと思うのだけれど、なにやら色々と問題がある制度だなあ…って思ってます。動画のようなトラブルもそうだし、そこまででなくも、優先席関係で不快な思いをしている人って、大勢いらっしゃると思います。

 優先席の問題は色々ありますが、根本的な問題は、この制度の前提が間違っているという点かな? この制度には3つの前提があって…、

 1)人々はみな善人である
 2)老人は、誰が見ても老人とはっきり分かる存在である
 3)老人はみな弱くて守らねばならない存在である

 この3つの前提があってこその優先席のシステムだと思うし、当初は対象が老人限定で始まったものの、その後、その枠に妊婦や病人、障害者まで加わっているのが現在の優先席であって、それがさらに問題をややこしくしていると思います。

 まず、1)の「人々はみな善人である」という前提は、明らかに間違ってます。ほんと、この制度を考えた人って、アタマがお花畑な方なんだなって思います。他人の善意を無条件に信じ過ぎだって(笑)。

 もし、人々がみな善人ならば、警察もいらなければ、福祉も不要だし、宗教家なんてとっくの昔に食えなくなっているわけだけれど、私達が生活している現実世界では、警察は人手不足だし、福祉も足りなく、宗教はよい商売なわけで、むしろ世間の一般的な人々なんて“ずるい奴らの集団”って考えた方が、よっぽどすっきり世の中が回っていくと思います。

 でしょ? 性善説じゃ世の中は成り立たないのよ。

 そもそも、多くの人は、たいてい自分が可愛いわけで、それがために利己的な行動をするものですし、それは生き物としては当然の行いなのですから、人々が利己的な行動を取りがちなのは、生き物としては正しい行動だったりするわけです。

 まあ、それだけじゃあ、世の中は殺伐としてしまうので、教育とか進行とかマナーとかがあって、人々の本能的な行動を抑制し、世間を円滑に回しているわけです。

 つまり、優先席に関する前提って、理想論であって、現実には即していないわけで、はっきり言っちゃえば、そもそも間違っているわけです。

 2)の「老人は、誰が見ても老人とはっきり分かる存在である」という前提だって間違っているでしょ? だいたい、その人が老人であるかどうかなんて、ほぼ自己申告でしょ? もちろん年齢による区切りってのはあるし、年齢ぐらいは見かけから推測できるけれど、お年を召しているからといって、その人を老人として扱ってよいかとなると大間違いで、相当な人生の先輩であっても、当人的には若者だと思っていたり、実年齢はさほどでなくても、自分は老人であると思っていたりする人もいて、ほんと難しいです。目の前にいらっしゃる年配者を、老人扱いをするべきかどうかなんて、見ただけじゃ分からないよ。

 さらに言えば、障害者は、ほぼ見た目で分かる事が多いけれど、妊婦や病人は、なかなか見た目じゃ分からないよね。妊婦も臨月になれば分かるけれど、つわりの激しい時期なんて、一般人との区別はつかないでしょ? でも本人はとてもつらいわけです。また病人も見かけじゃ分かりません。内科系の病人が分からないのも当然だけれど、外科系の病人だって包帯ぐるぐる巻きにしてたり、松葉杖でもギブスでガチガチにしていなきゃ分からないって。

 ほんとにつらい妊婦や病人が優先席に座っても、外見では分かりづらいので、彼らが元気な老人に座席を譲らなければいけない現状は、何とも不条理だなあって思うわけです。

 3)の「老人はみな弱くて守らねばならない存在である」は、老人に失礼だよね。お年は召していても元気でお達者な方も大勢いるわけで、座席を譲ると怒り出すご老人も多々いるのは、この前提が間違っているからです。

 ほんと、優先席って、面倒くさい制度です。無くなってしまえばいい…とまでは言いませんが、無用なトラブルを避けるためにも、システムに関しては、色々と考えないといけないだろうと思います。

 私個人の話をすると…優先席にはなるべく座らないようにしています。だって面倒くさいもの。でも私は喘息持ちで、発作時は死の淵をマジでさまよう人なのですが、そんな死の淵をさまよっている時に電車バスに乗らなきゃいけない事もたまにあって、そんな時は、四の五の言わずに席に座ります。その席が優先席なのかどうなのかなんて考えている余裕すらありません。で、うっかり優先席に座ってしまうと、たとえ顔面蒼白で苦しんでいても、私の前に、老人は遠慮なく現れて、無言で「おら、席譲れよ」と圧力をかけてくるわけです。私は童顔で若く見られがちだけれど、実際は老人なのに…おまけに死にかけている病人なのに…と心の中でつぶやきながらも、気が弱いので、黙って席を立つしかありません。

 優先席さえなければ、こんな思いをしなくて済むのに…などという理不尽な事すら考えます。

 まあ、優先席について、つべこべ書きましたが、そうは言っても、優先席があって助かったという人も大勢いるとは思います。だから、無意味とは思いません。思いませんが…いやあ、ほんと。優先席って悩ましいシステムだよね。

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2016年11月26日 (土)

私の好みの金魚

 ウチの金魚も数年から数ヶ月単位で次々と入れ替わり、今までかなりの数の金魚たちを、私は飼育してきました。まあ、金魚の寿命ってやつは、軽く10年を越えるので、私は金魚を飼うのが下手…なのかもしれません。

 その反省は、ちょっと横に置いておいて、今までそれなりの数の金魚たちを飼育してきて、私には私なりの“好みの金魚”がいるのだなあ…と思ったので、今回はそれを記事にしてみたいと思います。

 金魚とひとことで言っても、実は色々な違いがあります。

 まずはカタチが違います。金魚の体型には、大きく分けると4種類あります。普通の魚のカタチをした和金系の金魚と、ひし形体型で“金魚”というと、よくイメージされる琉金系の子と、和金系の体型を丸く円柱形にした感じのオランダ系の子と、そら豆形のらんちゅう系の子です。

 ウチで飼ってきた子は、たいてい琉金系の子か、オランダ系の子です。和金系の子と、らんちゅう系の子は飼っていません。和金系は私の好みではなく(和金系は熱帯魚のエサにしか見えないのですよ、私)らんちゅう系は妻の好みではないからです。個人的には、らんちゅう系はとても好きなので、ぜひ飼ってみたいのですが、なかなか妻の同意が得られません。妻にはらんちゅう系の可愛らしさが分からないようなのです。

 現在の水槽で言えば、ヤヨイとシズカとアセビが琉金系で、ベルちゃんがオランダ系です。ミドリは出目金なので、どちらでもありませんが、あえて言うと、オランダ系のボディをしています。

 次は色ですね。金魚というと、やはり朱色というか、赤みがかった黄色っぽい色をしているイメージがあります。実際、シズカはそんな感じですが、ウチの水槽では赤系の子は、常に少数派です。また、濃い色の金魚(黒や茶やフナ)も必ずいますが、やはり常に少数派です。たくさんいるのは、やはり白色をベースにした白系の子かな? きっと私は白系金魚が好きなのかもしれません。

 現在の水槽で言えば、シズカが赤系で、ミドリが濃色系で、ヤヨイとアセビとベルが白系です。

 ヒレのカタチとか長さも金魚の個性の一つです。私は原則的にヒレの長いタイプである“尾長”が好きなので、今は、尾ビレが普通に長い子(ヤヨイ、ミドリ)と、尾びれがとても長い子(アセビ、ベル)がいます。シズカは、本来は尾ビレが長いタイプなのですが、実は尾ビレの一部が欠損しています。まあ、キズモノと言えばキズモノなのですが、品評会に出すわけではないので、これはこれでアリです。

 こう考えてみると、私の金魚の好みは『オランダ体型の色白で尾ビレの長い子』って事になります。現在の水槽だと、ベルちゃんが該当するかな…?

 でも、歴代の金魚たちを思い浮かべてみると、一番気に入っていたのは、やはりカエデ君かな? 2007年の夏~2010年の夏の3年の間我が家にいた、チョコレートオランダのカエデ君が、一番可愛い子だったかもしれない。

 カエデ君は、オランダ系特有の可愛らしい顔つきをしていたし、尾ビレに限らず、どのヒレもすごく長かったし、チョコレートオランダの名の通り、濃色系の体色だったけれど、光の加減では深みのある黄金色に輝いていたし…ね。あと、何と言っても、この子はアタマが良かったんですよ。金魚にしては、若干の知性を感じられる子だったのですよ。もしも、この子がクチがキケたら、楽しかったかもしれません。カエデ君は、ずいぶん前に星になってしまったにもかかわらず、今でもしっかり私の心の中に住んでいます。本当に可愛い子だったんですよ。

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2016年11月25日 (金)

フルート演奏における成長や加齢の影響や状況について考えてみた

 子ども、青年、中年、老人へと加齢を重ねる事で、フルート演奏がどう変わっていくのか、考えてみました。

 まず、子ども…と言っても、フルートの場合は、ピアノとかヴァイオリンのような英才教育は難しいですね。U字管の頭部管を使っても、せいぜいが小学校中学年くらいからでないとフルートは難しいでしょう。それは楽器を保持する体力と、息を吹き続ける体力、および楽器演奏に必要な腕の長さ等が不足しているからです。まあ、一般的に、フルートは中学生あたりから始める人が多いと思います。

 中学生でフルートを始めた人は、指導者次第でしょうが、ぐんぐん上達します。多少の才能不足も成長って奴で、案外カバーできたりします。3年間も吹けば、もう一人前で、趣味で吹くのには不足ないほどまで上達できるでしょう。少なくとも、指はとてもよく動くので「黒い楽譜も何のその!」って感じです。元気の良い演奏ができるでしょう。

 多くの人は、この段階で一旦フルートを辞めてしまうと思いますが、それでも高校に入って、もう3年間フルートを吹く人もいるでしょう。6年間若者がフルートを吹き続けているのですから、かなり上達をします。本人の才能と指導者次第では、フルートの難曲もバリバリ吹きこなせるようになるでしょう。

 ここで残りのメンバーの大半もフルートを辞めてしまうでしょう。プロ志望の子が音大に入って、プロ奏者になるための勉強を始め、アマでもフルートを極めていこうとする子は、何らかのカタチでフルートを吹き続け、いわゆるセミプロになっていきます。

 大学を卒業し、就職をして、プロの演奏家になれた人やセミプロとしての活動を継続できた人たちを除いて、ここでほとんどの人が、一旦、フルートからは足を洗うことになります。社会人として、家庭人としての生活が優先されるからです。

 無事にプロあるいはセミプロの演奏家になれた方にとって、20代から50代までは安定期です。高い演奏技術と音楽解釈によって、素晴らしい演奏が可能となります。自覚するかどうかは別として、さすがに60代に入ってくると、指が動きづらくなったり、息が持たなくなったりという話を聞きます。もちろん、人によって程度は違うでしょうし、指が動きづらいと言っても、それはその人の全盛期と比較した時の話であって、一般人から見れば、まだまだ神業のような演奏技量を保っていたりはするのでしょうが。

 指が動きづらくなるのと、息が続かなくなるのと、どちらが先かは、人よって違うようですが、演奏家になった方々は、上手にレパートリーを入れ替えて、自分の衰えを他者に悟らせるような事はしません。

 むしろ影響があるのは、目と耳の衰えの方かもしれません。目は…老眼ですね。早い人は30代から、遅くても40代には老眼が始まり、楽譜が見づらくなってきます。老眼に関しては、50代で安定するようですから、現役バリバリの頃に目のトラブルと戦っていく事になります。まあ、暗譜してしまえば、老眼は関係ないのですから、皆さん、暗譜をしていくようですが、オケ奏者の方とか、スタジオミュージシャンの方など、初見演奏の多い方々は、人知れぬ苦労がありそうですね。

 耳の衰えは…難聴ですね。50代から顕著になってくるようです。耳鳴りは難聴の入り口だと言っている人もいますが…そう言えば、私、最近、たまに耳鳴りがするんだよね。順調に老人性難聴の道を歩いているようです。

 老人性難聴は高い音から聞こえづらくなってくるようで、いきなり全体の音が聞こえなくなるわけではないし、高い音と言っても、いわゆる“高周波”から聞こえなくなってくるようですから、楽音が聞こえなくなってくるというのは、かなり先の話になりそうで、その頃は、指やらなんやらが衰えだす頃ですから、そういうのと、合わせて色々と考えてゆくことになるのでしょうね。

 難聴と言うのは、騒音にさらされ続けていると早く発症するんだそうです。クラシック音楽の騒音レベルなんて、たかがしれてますからいいのだけれど、ポピュラー音楽に携わる人たちは、ほんと、耳を大切にしてほしいなあって思います。特に、ライブやツアーを中心に活動している人は、大きな音の中で仕事をし続けているわけで、ほんと、大切にしてください。

 まあ、このように、プロやセミプロの方々は、成長とともに技術が向上し、老化とともにあれこれ不自由を感じるようになるわけです。

 さて、世の中には、私のような趣味人がおります。私はオトナになって、ゼロからフルートを始めた部類です。私のようなオトナスタートの組も、フルートの世界は少なからずいるでしょうが、やはり多いのは、中学生や高校生の頃にフルートを吹いていて、オトナになって辞めちゃった人たちが、ひょんなきっかけで再びフルートを始めるパターンで、いわゆる再開組ですね。

 再開組の人たちは、若い時の貯金がありますから、再開をしたところで、ある程度演奏できると思います。でもやはり、若い時と同様な演奏は…まあ無理ですよね。それは何と言っても、カラダが違うからです。人格は継続していても、カラダは細胞レベルで入れ替わっているわけで、中学生の自分と中年の自分は、同じ自分と言っても、ほんと、カラダが違うのです。そこは加齢の事実を受け入れないといけません。

 ある程度の演奏ができるわけですから、衰え方は…プロやセミプロの方々同様、年齢に応じた衰え方をするのでしょうね。

 オトナスタート組の方々は、老化の前に、成長とか上達とかをしないといけません。

 どんな事であれ、何歳からであれ、人は順序よく学び、適切な努力を積み上げる事で、成長とか上達をしていきます…が、オトナはオトナです。若者のような急ペースでの成長は、もはや期待できません。『三百六十五歩のマーチ』ではありませんが「三歩進んで二歩下がる」の世界です。なかなか上達していきません。昨日できるようになった事も、今日はできなくなっていた…なんて珍しくもない事です。ほんと、上達しないですよね。

 子どものように短期間では上達はしませんが、それでも時間さえかければ、オトナでも上達はします。上達はしますが、頂上は…再開組の方々と比べてしまうと…低めとなります。しょうがないよね、貯金がないんだもの。

 技術の定着もあやしいものですから、すぐに忘れたり、できなくなったりするわけです。ああ、オトナって、悲しいね。成長と老化のせめぎ合いだもの…ね。だから、本当にフルートが好きでないと続きません。

 好きこそものの上手なれ…とも言います。オトナスタート組の人たちは、私も含め、古人が好きだという気持ちを忘れずに、日々、努力と向上をしてゆきませう。

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2016年11月24日 (木)

なかなか呪縛から解き放たれません

 言葉には言霊というのがあって、言葉を他人に投げつけることで、その人の行動を長期に渡って支配する事が可能です。これを良い方向に使うのが“祝福”であり、悪用したのが“呪い”です。で、この呪いによって行動が支配された状態を“呪縛”と言います。

 誰もが“意識している/していない”に関わらず“誰か/何か”に支配されて、呪縛を受けているものです。呪った人が、親であれ教師であれ友人であれ、人が人として生きているならば、それまでに関わった幾人もの人たちに受けた言葉に支配されているものです。そうでない人がいるならば、それはよほどの、唯我独尊タイプの人と言えるでしょう。

 さて、私もたくさんの呪縛を受けています。その多くは、私自身が気づかないままに私を今も支配しているのだと思いますが、幾つかの呪いに関して、私自身が呪いに気づきながらも、なかなかその呪縛から自由になれずに困っていたりします。

 歌に関する未解決の呪縛もいくつか自覚しています。

 分かっちゃいるけれど、そこから逃れらない呪いは幾つもありますが、ほんと最近気になるのが「歌の出だしは、もっとはっきり歌いなさい」という呪いの言葉です。

 この呪いをかけた人は、私の小学3年の時の担任の先生(仮にT先生とします)です。

 小学校の音楽の時間の時に、斉唱をするじゃないですか? 先生がピアノを弾いて、それに合わせてクラスのみんなで歌うのですが、ある時の授業で斉唱をした時に、歌の歌い出しが、なんともフワッとした感じだったんでしょうね。そこに業を煮やした先生が「歌の出だしは、もっとはっきり歌いなさい」と、ちょっと怒りモードで徹底的に指導したわけです。

 当時小学3年生だった私は、実に素直にその指導を受けました。

 歌の出だしをはっきり歌うために、何をしたと思います?

 実に簡単な事ですよ。

 1)息をノドにぶつける
 2)ノドを絞って力を込めて歌う

 …です。いわゆるノド声で近鳴りの声で歌う事でした。いやあ、そういう声で歌えば、先生はご満悦なんだから、小学校教師なんてチョロいもんです。ちなみに、私の通った小学校には、音楽の専科の先生なんていませんからね。T先生も音楽が専門ではない方でした。

 おそらく、クラスの子たちがフワっと歌っていたのは、一つには歌に対する自信が無くて、ちょっと周囲を見回しておずおずと歌っていた事実はあるだろうけれど、息に乗せて柔らかく歌っていたから、フワッとした感じになっていたとも言えます。

 つまり、良い歌い方をしていた小学生を、ご自身の無知による間違った指導で、間違った歌い方に矯正ってか、悪い方向に導いてしまったわけです。

 まあ、歌い方なんて間違っていても問題ないです。別に命が取られるわけでもないのですからね。

 でも、この先生がかけてくださった呪いに、何十年も悩まされてきたのが私です。ほんと、私のノド声は、この先生の呪いによって作られたと言っても過言じゃないですからね。で、未だにその呪縛から解き放たれてはいないのです。いやあ、罪深い先生です。

 さすがに半世紀にも渡ってかかり続けてきた呪いは、そうは簡単に解けないのですよ。困った困った。

P.S. 算数が得意だった私が、いきなり算数嫌いになったのも、T先生の何を言っているのかよく分からなかった授業のおかげです。大学出たての若いお嬢さん先生でしたが、ほんと、この先生にはたくさんの呪いをかけられました。困ったものです。幸いな事は、この先生、すぐにご結婚をなされて、先生を辞められた事かな? 被害が広がらなくて、よかったよかった。今思うに、先生になるには、力不足だった方なんだと思います。

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