ひとこと

  •  放送業界&家電業界では、4K、8Kのテレビ放送で盛り上がっているみたいです。皆さん、4Kのテレビって欲しいですか? 私は廉価ならば欲しいですが、高価ならばパスです。だって、ウチのテレビって42型だもの、そんなに大きくないもの。DVDとBlue-rayの画質の違いだって分からないくらいだもの、4Kや8Kの画面を見ても、たぶん、その美しさは分からないんじゃないかな? いや、それ以前に、アニメとかバラエティとかドラマとかを、そんなに美しすぎる画面で私は見たいのか…って話です。もちろん、廉価なら見たいですが、たぶん最初のうちは高価だよね。100万円以上もするようなテレビは、よう買わんですよ、私。私に買って欲しければ、まずは10万円程度にしてください。話はそれからです。

お知らせ

  • ●2018年秋の本番のお知らせです。●門下の発表会は、次の通りです。●2018年11月18日(日) 横浜市神奈川区民文化センター かなっくホール 13時開場 13時30分開演です。●こちらは一番下手っぴなのが私なので、最初から聞いても面白いと思います。全体で2時間程度の発表会です。私の出番は二回に分けてますが、最初の出番は14時前後になる予定です。●レスピーギ作曲「Invito alla danza/舞踏への誘い」●ドナウディ作曲「Amor s'apprende/ 愛は取り付いてしまう」●ヴェルディ作曲「椿姫」より「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」●そういうわけで、一つよろしくお願いします。
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2018年11月15日 (木)

科学の発達と日本の音楽家の将来

 科学が発達すると、私達の生活は少しずつだったり、大きくだったり、とにかく変わっていきます。それはどの分野においてもそうなのです。で、生活が変わると、時代に合わせて新しい商売が生まれて繁盛する一方で、今までブイブイ言わせていた職業がダメになり、失業者や廃業者が出てくるわけです。

 社会的な新陳代謝が生じるわけです。

 例えば、プラスチックの普及で竹細工が壊滅したり、給湯器の普及で銭湯が壊滅したり、アマゾン等の通販が繁盛する一方で、街の書店が潰れていったり…とまあ、我々が生きてきた時代の中でも、そういった新陳代謝が行われていったわけです。

 プラスチックの普及で竹細工は壊滅したけれど、プラスチック加工業という産業が出てきて、今や大繁盛しているし、銭湯は無くなったけれど、給湯器会社は、それこそ給湯器は一家に一台の時代ですから良い商売だし、街の書店は潰れたけれど、運送業を圧迫するほどに通信販売は大盛況だったりするわけです。

 それが進歩と調和って奴だな。

 で、翻って、我らが趣味であるクラシック音楽業界を見るならば、この音楽は“クラシック”と名乗っている事から分かる通り、古典的で古い様式で古い形態の音楽なわけです。昔々は、みんながみんな、ロッシーニだとか、ワーグナーだとかに熱狂していたわけで、そんな良い時代があったものです。

 けれど、今の時代、みんながみんな、ロッシーニに熱狂したり、ワーグナーに熱狂したりするわけ? しないよね。むしろ大衆たちはクラシック音楽にそっぽを向き、このジャンルの音楽は、もはや好事家たちが細々と悦に入って楽しんでいるに過ぎない音楽であって、そういう意味では市場としては極めて縮小してしまったわけだ。

 ただ、以前は西欧だけで楽しまれていた、単なるローカル音楽だったクラシック音楽も、今は全世界的に楽しまれるようになり、そういう意味では市場は拡大しているわけよ。広がっているわけよ。

 一方では小さくなり、一方では大きくなる。そのバランスの中で、クラシック音楽は何とか命脈を保っていたのだろうと思うけれど、私が思うに、今やクラシック音楽は、広く薄く深く楽しまれている…って感じかなって思います(笑)。広い地域で、少数の人たちが、オタク的に楽しんでいるのが、今の時代のクラシック音楽の普及具合って感じです。

 で、そうやって、広く薄く深く楽しまれているクラシック音楽界だけれど、そこに科学の進歩って奴が襲いかかっているわけです。

 最初に襲いかかってきたのは、録音技術って奴だと思います。録音技術が普及しはじめたのは、20世紀初頭です。それまでの音楽と言うのは、生演奏が基本であって、音楽を聞きたければ、音楽家に演奏してもらわないといけなかったわけです。でも、録音技術が発達し、その再生装置が普及してくると、わざわざ音楽家に演奏してもらわなくても、レコードをかければ音楽が楽しめるようになったのです。それも、一流の演奏家の演奏が…ですよ。それもノーギャラで!

 そのおかげで、街の飲食店などで演奏していた音楽家たちは失業してしまったでしょうね。だって、彼らにギャラを支払って音楽を演奏してもらわなくても、一流の演奏がいつでも無料で(もちろんレコード購入という初期投資は必要だけれど)聞けるようになってしまったのですからね。

 さらに言えば、我々極東の地の果てに棲んでいるような人間にも、レコードを通して、本場の一流の演奏家の演奏を楽しむ事ができるようになったわけで、録音技術万々歳です。

 次に襲いかかってきたのは、航空機サービスです。つまり、気軽に飛行機に乗れるようになり、海外へもラクラク出かけられるようになったわけです。これは戦後の昭和の時代に実現しました。

 それまでは、録音は軽々と海を越えて広がっていきましたが、実際の演奏家たちは、それぞれのホームグランドでの活躍がメインで、なかなか演奏旅行には行けませんでした。だって、当時の演奏旅行は遠路は船旅だもの。近いところは鉄道が使えますから、なんとでもなりましたが、遠く海外の国へは船でしかいけなかったわけです。船旅って、何ヶ月も時間がかかるんだよね。そうなると、音楽家たちもおいそれとは演奏旅行にはいけないわけで、それぞれの地域に、それぞれブイブイ言わせていたローカルな演奏家たちが頑張っていたのです。

 でも、航空機が発達して、今や一流の演奏家たちは、ジェット機を住処として、毎日、世界中を飛び回っています。おかげで、我々は極東の地に棲みながらも、世界一流の演奏家たちの生演奏を聞くことができるようになりましたが、その代わり、ローカルな演奏家たちの権威は貶められ、多くの方々が稼げなくなり、廃業せざるをえないはめになりました。

 だって、ローカルな人のつまらない演奏を10回聞くならば、超一流の素晴らしい演奏を1回でも聞ければ、うれしいと思うわけじゃない?

 次にやってきたのが、放送です。昨今の高解像度カメラによる映像やらインターネット配信なども、広い意味ではここに入ってくるかなって思います。

 それまでは、世界一流の演奏とは言え、その演奏家だけがやってくるのが普通でした。例えば、オペラで言えば、主演歌手は世界の一流だけれど、オーケストラや脇役歌手、合唱や裏方のスタッフは現地調達が原則でした。だって、全部を全部連れてくるのは無理だし、費用もかかりすぎるしね。

 でも放送ならば、現地の演奏をそのまま全世界に配給できちゃうんですよ。昔はテレビ放送で、やがてビデオ販売になり、今やインターネット配信も可能です。例えば自宅で、ベルリン・フィルの最新公演を楽しめちゃうわけです。すげーな。私がよく楽しんでいる、メトのライブビューイングなんか、歌手のアップは見れるし、楽屋話は聞けるし、字幕は付くし…生の演奏よりも楽しめたりするでしょ?

 放送が普及して、今まで起きてきた事が繰り返されます。世界の一流の演奏を気楽に楽しめるようになれば、邦人演奏家たちによるローカルでそこそこな演奏は自然と見に行かなくなります。

 こうして、世界の一流どころの演奏が世界に蔓延し、彼らはウハウハと儲かりますが、彼ら以外の音楽家たちの需要は減っていきます。仕方ないね。やむをえないので、そういう音楽家たちは、よりニッチで無名な音楽ジャンルに活路を見出すか、それも難しければ音楽家を廃業していくしかありません。

 だからどーしたと言われても困りますが、それが世の中の流れです。

 知り合いの娘さんが音大をヴァイオリンで卒業されたのだけれど、卒業後、全然演奏する場が与えられず、本人はもちろん、親もその事態を悲しんでいて、娘にどうにか演奏の場を与えられないかと、プロの音楽家として生計を立ててほしいと、あれこれ画策&暗躍している姿は実に涙ぐましいのですが、そんな事態になるのは、彼女が音大に進学する以前から分かっていた事なのに、何をいまさら…と他人の私は思うわけです。今の時代、中途半端な実力の音楽家は生き残ることはできないのです。

 大学さえ出れば何とかなる…と親子ともども思っていたようですが、世の中、そんなに甘くありません。音大も商売だから仕方ないとは言え、音大は音楽の専門家を過剰に輩出しすぎだと思います。音大なんて、卒業生を今の1/100にしても、それでもまだ卒業生多過ぎ…って感じじゃないかって思わないでもないです。

 ああ、なんともまとまらない事を、ウダウダと書き連ねてしまった。そういう日もあるって事で、ご勘弁。今日は本当に、まとまってないね。

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2018年11月14日 (水)

声は減るけれど、楽器は減らない

 私が音楽の練習をする時に、いつも頭の片隅で考えているのは「声は減るけれど、楽器は減らない」って事です。

 声って減るんですよ。無論、減ったままではなく、回復だってするんだけれど、声の減っていく速度と比べると、声が回復していく速度って、本当に遅くって「一晩寝れば回復する」ぐらいな感じなので、いつも“声の減り”についてばかり考えています。

 歌の練習をするにしても、いかに声を使わない練習をしていくか…を積極的に考えています。だって、声を使うと減っちゃうからね。

 例えば、歌詞を暗記する時は、まず歌いません。そんな事で声を使ったら、もったいないじゃない? ブツブツブツブツ言いながら、歌詞を暗記します。リズム練習の時も声は使わない。手を叩いたり、しゃべり声でラップのような感じでリズムの練習をします。メロディー練習の時は…やむなく歌いますが、全体のメロディーを覚える時などは、1オクターブ下げたり、そこまで下げなくても、何度か音程を下げて、なるべく声が減らないように工夫しています。

 バッチリ歌うのは、一日最大1時間程度に抑えています。それも休み休みね。

 そこへいくと、楽器って減らないんですよね。自宅で練習している時も、時間があればあるだけ、ずっとフルート吹いてます。最近はめっきり練習時間が減ってしまったので、なるべくフルートを吹くようにしています。フルートを吹く事で、呼吸筋や指の筋トレをしているようなつもりになっています。

 フルート合宿に行ったりすると、ほんと、朝から晩まで、結構長時間、フルートを吹いてます。歌じゃ考えられない事やってます。

 昔、合唱団に所属してした時は、よく歌っていましたね。合唱団の通常の練習って、1
回約3時間でしょ? 夏合宿とかに行くと、朝練、昼練、夜練を合わせると、1日10時間程度の練習時間じゃない? ほんと、よく歌っていました。

 「合唱団でそんなに歌っていたなら、声が減って練習になるはずないじゃん、声が減るって、嘘だろ!」

 いえいえ、声が減るのは嘘ではありません。歌うと行っても、個人で声楽の練習をしている時は、練習中、結構みっちり歌っています。だから、休み休みを心がけないと、ついつい歌いすぎてしまうくらいです。なので、1時間歌えば、もう限界です。

 合唱の練習って、歌っていると言いながら、練習中は、実は圧倒的に歌っていない時間の方が長いんですよ。3時間の練習と言いながらも、それぞれ個人に注目すると、実際には1時間も歌っていません。やはり合唱となると、他のパートの練習の時は、お休みだし、曲を歌っている時だって、案外、曲中にお休みの時間があって、案外歌っていないのです。と言う訳で、声楽と合唱では、練習時間中の歌う量が、そもそも全然違うので、合唱では、声ってあんまり減らないんだよね。

 とは言え、私の場合、合唱団の3時間の練習中の前半の90分で、声を使い切っていて、後半の練習では声が無くなることなんて、しょっちゅうだったけれどね(爆)。練習で(良い意味で)手を抜く事を知らなくて、いつもいつも全力で歌っていたから、あっという間に声が無くなっちゃったわけです。上手な合唱歌手たちは、そこのあたりの使い分けが上手なんだよなあ…。

 まあ、このように声は減ってしまうので、いかにして声を使わない練習をするかで頭を悩ましますが、楽器は減らないので、考える暇があったら、ガンガン練習するべきなんだよね。暇さえあれば、楽器に触っていて、音出していて、常に練習している…が理想なんだと思います。

 もっとも、楽器の練習は楽器がないと出来ません。道を歩きながらとか、昼食食べながらとかの練習は、まず無理です。でも歌だと、道を歩きながらでも鼻歌歌って練習できるし、昼食食べながらでも、歌詞の暗記をしたりとかはできるわけで、スキマ時間を使って練習できるのが、歌の練習だったりします。

 なので、トータルで考えると、私の場合、フルートよりも声楽の方に多くの時間を割いているような気がします。なにしろ、出勤時は、ポケGOやりながら、レコ勉しているもんなあ。ちょっと空いた時間は発声の事を考えたり、歌詞の反復練習していたり…そういうスキマ時間に行う練習だけでも、フルートと比べると、圧倒的な練習時間の違いになるわけです。

 楽器は減らないけれど、楽器が無いと練習できないし、音を出しちゃダメな時間や場所では練習できません。そういう意味では、声楽よりも器楽の方が練習しづらいモノなのかもしれません。

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2018年11月13日 (火)

お気に入りのペンが見つからない(涙)

 私はめったにモノを無くさないのですが、今回ばかりは、本格的に無くしてしまったようなのです(涙)。

 何を無くしたのかと言うと…ペンです。シャーペンとボールペンを1本ずつです。両方とも比較的高価なもので、シャーペンは、当時母が勤めていた会社から子女が入学すると入学祝いがいただけて、それでもらったシャーペンです。私の名前が刻印されたずっしりした金属製の高価なパーカーのシャーペンです。ボールペンの方は、当時勤めていた社長さんからクリスマスプレゼントとしていただいたシャネルのボールペンで、こちらも高価なペンです。2本とも良い品物で、使えば使うほど手になじんでくるもので、なんだかんが言って、三十年以上愛用していました。

 普段は背広の内ポケットに入れて、日用に使用していました。背広を着ない夏場は、ペンケースに入れていました。そうやって三十年以上の時間過ごしてきたわけです。

 で、今年も衣替えの時期が来て、背広を着る季節になりました。そこで、これらのペンを内ポケットに入れようとしたところ、見つかりません。てっきりペンケースに入れてあるものと思いましたが、入っていません。身の回りをあれこれ探したのですが、どこにもありません。

 おっかしいなー…。

 別にペンなら、売るほどたくさん持っています。特にアメニティグッズとしていただくプラ製のボールペンやシャーペンなら、腐るほどたくさん持っています。現に今も、代用品として、某省庁でいただいたボールペンとシャーペン(普通にいただくモノより、良い品なんですよ。さすがは某省庁)を胸に刺してますが、いくら某省庁のネームが入っているとは言え、プラ製なんですね。いい年したオッサンが人前で日用に使うには、ちょっと恥ずかしいレベルです。

 筆記具は値段じゃないですし、あくまでも値段よりも使い勝手を優先するべきなのですが、それでもオッサンはオッサンなわけで、オッサンが持ち歩くのにふさわしいモノってのがあるわけです。オッサンがプラ製のペンを持ち歩くのって…ダメでしょう。

 ブランドのペンは、まだ持っていますが、どれもこれもベテランの古いものばかりなので、これを機に最新の筆記具を持ち歩くことにしました。時代に追いつかないとね。

 で、選んだのが、このペンです。

 値段は…全然安いです。実は私、高価なペンを無くしたのは今回が始めてではないのです。以前にも高価な万年筆を2本同時に無くした事があって、あの時も、凹んだなあ…。とにかく、筆記具って手に馴染むだけあって、無くすと凹むんですよ。なので、それ以来、購入する筆記具は、無くしても凹まないモノ…と決めましたので、こんな感じにしました。

 無くしても凹まない…けれど、オッサンが持っていてもおかしくない。という線でのモノ選びです。

 機能的にも、シャーペンと黒赤のボールペンが一つにまとまっていて便利だし、書き心地も最近の製品だけあって悪くないです。デザインに渋さがありませんが、それは値段を考えれば仕方がないです。まあ、私が持つのですから、これでも上等でしょう。

 それにしてもオッサンは、日々のモノがあまり安く上がらないのが困りモノです。若い時は、平気で安物を使い倒していたんだけれど、年を取ると、もうそういうわけにはいかないんだな、とほほ。

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2018年11月12日 (月)

そこまで鼻に声を入れて良いのだ!

 私はよくコンサート等、生演奏を聞きにいきます。プロの演奏も聞けば、アマチュアの発表会にも行きます。プロのコンサートは、自分のは耳を幸せにするため、楽しみのために聞き、アマチュアは勉強のために行きます。

 プロの方々の演奏は、みな完成されていて、すごいな、素晴らしいなとは思うものの、あまりの完成度に、学ぶべき点というのは、あまりありません。

 例えば先日聞きに行ったプロ歌手のコンサートで、レスピーギの「舞踏への誘い」を歌っていました。ちょうど、私もこの歌を練習していたので、興味深く聞き、ああ、こんなふうに歌うと良いのだなと思い、ぜひ真似してみようと思ったものの、いざ真似しようとしたところで、全然近づけませんでした。真似どころの騒ぎじゃありません。いくら真似しようと思っても、私が歌うと、全然別物なんですね。

 で、その話を声楽のY先生にしたところ「一流の歌手の真似が出来る人は、その人自身も一流の歌手なんだよ」との返事が返ってきました。まあ、そうだよね。ものまねが簡単にできて、それで通用するなら、誰も真面目に声楽なんて学ばないって。

 そのようにプロの演奏は、聞いて楽しむものであって、学ぶ事はあまりないのですが、それでも最近は多々思う事もあります。

 “レコ勉”という勉強の仕方があります。レコード…つまりプロの音源を聞いて勉強をするというやり方です。私もよくレコ勉をしますが、レコ勉では録音の限界というのを感じます。

 多くのプロ歌手の場合、音源の声と生のコンサートの声って、実はかなり違います。これは歌手自身が発声を変えている…わけではなく、単純に歌手の声には、録音される部分と録音されない部分があるって事だと思います。

 例えば、声にまとわりついた、ビリビリした感じとかフワッとした感じとか、そういうのって、録音されないんですよね。なので、録音で聞き慣れた人のコンサートに行くと、その声に違和感を感じたりしますが…コンサートでの声の方が本物なんです。

 で、最近、私が気になり始めたのは、鼻腔で響く感じなのです。

 以前は、私の耳がちゃんと聞けなかったのでしょう、プロ歌手の声を聞いても、それほど感じなかったのですが、最近の私は、この鼻腔で響く感じをすごくよく聞こえるようになりました。音源では、ほとんど感じない、鼻腔で響く感じですが、生のコンサートに行くと、たいていのプロ歌手の方が、ビンビンに響かせているわけです。

 逆に言えば、あれくらい鼻腔に響かせて歌わないといけないのだなとすら思います。

 翻って私は…と言えば、あまり鼻腔に響いた声では歌っていないなあ…と思います。だからと言って、私が今の状態で鼻腔に響いた声で歌おうとすると、きっとやりすぎて、鼻声になったり、声が前に出過ぎたりするんだろうと思います。

 プロの演奏は素晴らしいのですが、それを真似る事は至難の業です。せいぜいよく言っても、ヒントになる程度…ですね。とにかく、プロの演奏を聞けば聞くほど、我彼の差を強く感じる私なのでした。

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2018年11月11日 (日)

年金問題は悩ましいね

 ちょっと前の報道だけれど、こんなニュースがありました。

 ざっくり言っちゃえば、年金ってのは、60歳まで働いて、65歳からもらい始める(これが標準モデル)よりも、70歳まで働いて70歳からもらい始めると、月額にして約10万円ほど多く年金もらえるよ…という報道です。つまり「なるべく高齢まで働いてね、で、年金はなるべく遅くもらってね」という国からのメッセージだろうと私は思うわけです。

 この報道が正しいという前提に立って考えるならば、65歳の年金支給額が月額で約22万円、70歳からの支給だと月額約32万円で、そりゃあ確かに数字だけ見れば、70歳からもらった方がお得っぽいですね。

 ちなみに、このニュースにはありませんが、60歳まで働いて、60歳から年金を支給してもらうと、年金支給額は月額で約15万円ほどになってしまいます。だいぶ減ってしまいますね。少ない感じがしますが、それでも生活保護よりは高額に設定されています。

 年金と言うのは、死ぬまでいただけるものだから、長生きすればするほどたくさんもらえるわけだし、すぐに死んじゃえば、たいしてもらえないものです。いくら70歳から年金をいただけば、32万円もらえると言われても、70歳前に死んじゃえば、いくらももらえないわけです。

 年金は生きて生活するためにいただくものですから、死んでしまえばもらえないのは当然だし、生きていても生活するのに不足を感じるようでは、ちょっと実力不足なわけです。まずはいつまでも元気に働いて、年金の支給額よりも多めの給料をもらい続ければ、年金は不要なんですが、年を取ると、なかなかたくさん働けないし、そうなると収入も少なくなるわけで、なかなか難しいです。体力的な問題とか健康上の理由とかで働けなくなる事もあります。人それぞれ事情もあるわけだし、どのみち、人はいずれ働けなくなるものだしね。年金は必要です。

 仮に、平均余命まで生きられたとして、どのパターンが一番お得かという話だけれど、それはやっぱり“70歳まで働いて70歳から年金受給”ってパターンです。

 ちなみに、平均余命は、60歳の人は82歳、65歳の人は84歳、70歳の人は85歳なんですね。だから、その年まで生きているという前提が考えるのが妥当でしょうね。ならば、70歳でもらうのが一番お得って話になるのです。

 年金受給は、たとえ金額が少なくとも、早くからいただいていれば、それなりの額にはなります。もっとも、後からいただいた方が多くもらえるので、やがて先にもらっていた人の年金受給総額を越してしまいます。

 平均的な65歳受給からの視点で考えると、70歳32万円の人に年金受給総額が越されるのは81歳の時です。平均余命(84歳)まで生きる人なら、70歳からもらった方がお得になります。でもそんなに長生きする自信がなければ、65歳からの受給の方が良いかもしれません。

 また、65歳22万円受給の人が、60歳15万円を越すのは76歳頃です。平均余命よりもだいぶ手前で追い越しちゃうので、60歳15万円よりも65歳22万円の方がお得と言えますが、これも76歳まで生きていたらという前提付きです。

 76歳まで生きる自信のない人は、60歳から受給した方が良さそうだけれど、76歳よりも長生きするつもりの人は65歳まで、バイトでもなんでもして食いつないで、65歳から年金をいただいた方がいいです。まあ、これは60歳になった時の自分の様々な状況を考慮して考えればいい事だと思いますし、平均余命平均余命と言っても、あくまでも“平均”であって、約半数の人はそこまで生きられないという意味でもあるので、自分の健康と体調によく相談するべきでしょう。

 問題は、70歳受給の方です。国の出したモデルでは、70歳まで普通にお給料をもらっているという前提があります。60歳で引退して、後はバイトで食いつなぐ…というパターンではなく、70歳まで現役でバリバリ働くというケースなんです。月額32万円は魅力だけれど、たぶんおそらくほとんどの人は70歳までバリバリ働くわけにはいかないでしょうから、こんな月額にはならないんじゃないかな? そもそも、70歳まで現役で働けるサラリーマンなんて、天下り天下りで渡っていく公務員でもなければ、難しいでしょう。

 国のモデルって、最初っから無理めな話なんです。

 そもそも、現役引退が60歳なのに、年金支給開始の標準モデルが65歳というのが、ひどいと思います。その5年間「バイトしろ」「貯金を切り崩せ」って話でしょ? 国は年金の支給開始年齢を65歳から70歳に、ゆくゆくは引き上げたいのだろうけれど、70歳までの10年間バイト生活をして、年金は70歳からもらってね…って、滅私奉公して身も心もボロボロになった、普通のサラリーマンの最後の10年間の生き方としては…かなり酷な話です。

 ですから、年金に関しては、本来的には、そこをきちんと見直すべきだと思うのです。年金支給開始年齢は遅くするのではなく、むしろ早めるべきです。早めた中で、どうやって年金を維持していくか、その方法を考えるべきでしょう。世の中には、まだまだ60歳退職って職場は多いんですからね。

 現実の庶民の生活をよく見た上で、年金制度をよりよく運用してもらいたいものです。

 まあ、現実問題としては、年金を何歳からもらったら得か?…なんて考えるのではなく、いつまで元気に働けるのか?…って話なんだろうと思います。

 で、今の年金モデルでは、定職であれバイトであれ、65歳まで働く前提なんですよ。なので、現在のシステムの中では、まずは健康第一。で、65歳まではちゃんと働いて収入を得る。その後は自分の健康と体力と職場の事情を鑑みて、引退する時期を考えればいいんじゃないかなって思います。

 ちなみに私の職場は60歳で退職なので、残り5年間はバイトで食いつないでいくしかないんだよね。デブで、体力不足で、健康にも不安があって、手に職なんて特にない、パっとしない60歳の爺さんを雇ってくれるバイトって、どんなんだろ? 今から、ちょっぴり不安です。

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2018年11月10日 (土)

忙しくて水替えしていない(涙)

 さて、本日はクラシックコンサートの本番です。頑張ってきますので、心の中で応援していてください。記事の方は、少し落ち着いてから書きますので、しばらく待っていてください。

 で、金魚の話です。とにかく、日々、忙しいです。で、最近、金魚の水替えをサボっています。

 以前は…だいたい週1ぐらいで水槽の水替えをしていましたが、昨今は、それが月1ぐらいにまで頻度が落ちています。いつぐらいからかと言えば、ヤヨイ体制ができてからぐらいでしょうか? つまり、今の子たちにとって、水槽の水替えは月に1度のイベントって感じなのですが…実は先月は水替えをしていません。

 今まで、4週間おきに水替えしていたのが、すでに水を替えなくなって、もう6週間。さすがにやばいんじゃないかと思ってますが…なかなか週末、時間が取れません。

 金魚の水替えって、思い立ったからと言って、すぐには出来ないのが、水替えの頻度を下げる原因なんですよね。

 水替え作業の前に、浄水器で金魚用の水を作るのですが、量がたくさんと言うこともあって、この過程でだいたい半日使います。で、水は水替え作業の直前に作るのが良いので、そのタイミングも難しいです。で、水替え作業自体は、一緒に水槽の掃除もするので、2時間弱って感じかな? 平日はもちろん、そんな時間は取れません。休日の昼間、まるまる空いていると水替えができるのですが、なかなか時間を確保できません。

 一応、優先順位的には、金魚の水換えよりも、人間たちの生活が優先ですから、人生に余裕のある暮らしができれば、金魚にも時間を割くことができますが、人間たちがキツキツの生活をしていると、なかなか時間を確保できないのです。

 というわけで、金魚たち、ごめん。また今週も水替えは難しそうだ。

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2018年11月 9日 (金)

練習サボると、耳が退化します

 フルートのレッスンに行ってきました。例によってロングトーン練習からですが、今回は、ちっともバッチリではありませんでした。なんか、あっちこっち微妙に気持ち悪いんだよね。それはたぶん、楽器のせいではなく、私の感覚のせいだろうと思います。実は最近、ぜんぜんフルートに触っていなかったんですよ、おそらくはそれが原因で、フルート耳が退化しちゃったかな…なんて思ってます。

 練習をばっちりすれば、すぐに戻るんだろうけれど…。

 と言うわけで、エルステユーブンゲンは、25番と26番だけれど、あまりに最近吹いていないので、楽譜を見ても、どんな音楽だったから見当がつきませんでした。結局、先生に歌ってもらって「はは、なるほど、そんな曲だったかも…」って調子でした、ダメっすね。

 今回から旋律的練習曲に入りました。当然、1番からですが、全然吹けた気がしません。別に大きなミスをするわけでもなく、音楽がバタっと止まることもなくて、なんとなくメロディが流れていくんだけれど、なんか、違うんだよね。でも、先生がおっしゃるには「そんな感じで吹けばいいんだよ」って言われました。どうも、本人の感覚と、曲の仕上がりは違うみたいです。本人的には「もっと吹き込んでおきたい!」なんだと思います。吹き込みが全然足りないのにレッスンに持っていって、それで先生からいい反応がいただけるってのは、やっぱり感覚的に納得いかないんだよね。

 40リトルピーセズは、18番のヘンデルのガボットは合格しました。次は19番のベートーヴェンのソネットです。エルステユーブンゲンも旋律的練習曲も難しくて、なかなか進まない私ですが、この40リトルピーセズは、割と快調に進みます。まあ、エチュードよりも曲集の方が簡単だし楽しいからなんだろうと思います。ま、何も進まないよりは、全然いいと思ってます。

 で、今回の雑談は、山中湖はいいよね…って話です。最近のH先生は、オフの時は、ご自宅にいる時間よりも、山中湖のホテルにいる時間の方が長いんだそうです。おそらくご自宅にいる時は、ご自宅のスタジオでレッスンをする時くらい…なのかもしれませんね。全くのオフの時は、山中湖のホテルで暮らし、音楽の練習も山中湖にスタジオを確保されたそうで、そこでバッチリ練習しているんだそうです。

 なんかもう悠々自適な生活だよね。

 私は、仕事で身も心もすり減らして生きていくのに疲れました。今はただ、早く隠居して、悠々自適…って感じにはならないかもしれませんが、小遣い稼ぎをしながら年金生活をしたいと思ってます。ああ、憧れのご隠居生活…。

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2018年11月 8日 (木)

世俗曲と芸術歌曲のワケメとは?

 私はよくトスティの歌曲を歌います。私の中ではトスティの歌曲は、クラシック声楽曲であり、芸術歌曲の扱いですし、たぶんそれに異を唱える人は少ないだろうと思います。しかし実はつい最近まで、トスティは世俗曲(サロンで歌われる流行歌、当時のポピュラーソング)扱いされ、芸術歌曲としては認められていなかったという事実はご存知でしょうか? 音楽大学などで取り上げられなかったそうですが…もちろん今はそうではありません。

 考えてみれば、シューベルトの歌曲(典型的な芸術歌曲ですよね)だって、発表当時はサロンで歌われていた娯楽のための曲だったわけだし、おそらくどんな歌も、発表当時は、たいてい世俗曲であり、その中から名歌だけが時の流れの中で生き残り、芸術歌曲へと昇華するんじゃないかなって思います。

 私がそう考えるきっかけになった曲は、李香蘭の「蘇州夜曲」です。この曲は、西条八十と服部良一のコンビで、1940年と言うから戦前の映画の劇中歌として発表された歌で、それ以降も多くの歌手たちに取り上げられてきた、名曲中の名曲、いまやりっぱなスタンダードナンバーです。

 こちらは李香蘭が歌う、オリジナルの「蘇州夜曲」です。

 元々が歌謡曲ですが、やがてポピュラー系の歌手やジャズシンガーたちも取り上げるようになり、今ではクラシック歌手が歌うことも少なくありません。で、クラシック歌手の方々が歌われる「蘇州夜曲」を聞くと、私などは日本歌曲の一つとして受け取ってしまいます。もちろん、ご年配の方々は、そうではなく、自分たちや自分たちの少し上の世代の流行歌…つまり世俗曲として受け取っているようだし、かつてこの曲は中国では禁曲扱いされた時代もあったそうだけれど、それも今では開放され、普通の曲扱いされているそうです。曲の受け取り方も、時代や地域によって異なるのです。で、私にとって、この曲はすでに時の流れに生き残った芸術歌曲として聞こえてしまうのです。

 歌っているのは、ソプラノの下垣真希さんです。私は寡聞にも彼女の事を知らないのですが、良いソプラノさんだなあと思います(上から目線に感じたら、ごめんなさい)。

 で、結局、芸術歌曲ってのは、時の流れに生き残ってきた、スタンダード・ナンバーとか、古典歌曲の事を言うのではないかなって思うのです。

 最初から芸術歌曲として作曲された曲もあるでしょうし、流行歌として作曲された曲もあるでしょうが、数年数世代を経て生き残った曲は、みな芸術歌曲であると私は思うようになりました。

 流行歌のほとんどは時代とともに古びて消えて消費されてしまいます。流行歌はそういうものですから、それはそれで仕方ありません。また、芸術歌曲として作曲された歌の大半は、実は再演されずに時の流れの中に消えてしまうものです。人の手によって生み出された歌のほとんどは、時代とともに消えてしまうものなのです。

 だから、何世代にも渡って愛される芸術歌曲の条件としては、芸術歌曲として作曲されたかどうかは問題ではないのです。時の流れの中でも消えることなく、人々に愛された事が大切なんじゃないかって思うわけです。

 けたたましいロックなビートルズの音楽だって、すでにスタンダードナンバーとしての地位を固めていますし、やがて時が経つにつれ、イギリス民謡の扱いになっていくでしょう。そうなれば、やがて芸術歌曲の扱いを受けるようになると思います。音楽大学で、ビートルズの歌を学んで、オペラ歌手たちがステージで歌う時代が来るかもしれません…もっとも、そんな状況は、今の私には全然想像できませんが、でもおそらくそんな時代がやってくると思います。

 日本でも、昭和や平成の時代に流行った流行歌のうち、何曲かは時代の流れの中で生き残り、やがて日本歌曲になっていくんだろうと思います。そして、そうやって残っていく歌は、どんな歌なんでしょうね。私にはうかがい知ることもできませんが、どんな曲が残っていくのか、なんか楽しみです。

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2018年11月 7日 (水)

やっぱスーパーの品物は廉価だけれど、それなりだね

 スーツの話です。以前、タキシードはHANABISHIで、普段遣いのスーツは大型スーパーで作りましたという話をしました。今回は、その話の続きね。

 まず、HANABISHIさんで作ってもらったタキシードですが、メッチャ良いです。カラダにピッタリだし、デザイン的にカッコいいし、その上動きやすくて機能的です。お値段はそれなりにしましたが、お値段以上の仕上がりです。良いですね。おまけに接客も素晴らしくて、ほんと、ケチがつけられません。次はモーニングを作るかもしれませんので、その時はぜひ、またHANABISHIさんにお願いしたいものです。

 問題は、普段遣いのスーツの方です。今回は某大型スーパーの特売を利用しました。とにかく、安いんですよ。普通のお店でオーダースーツを1着作る値段で2着つくっていただけるのです。実質半額だよね。問題は仕上がり…と言うか、品質的な話です。

 結論から言えば、品質は値段なりです。オーダースーツとは言え、着心地は吊るしみたいです。いや、それは言い過ぎか。やはり全体的な仕上がりは吊るしよりは良いです。使っている生地も吊るしよりはだいぶ良いし…。でもね、なんか、微妙にカラダに合っていないし、動きづらくて、着ていて疲れるんです。まあ、値段的には吊るし2着程度の値段でスーツを2着作ったのですから、本当に、値段なりなんです。オーダースーツだと思わなければ、まあアリです。

 まあ、生地は中国製、裁縫も中国、いわゆるメイド・イン・チャイナなスーツです。でも、そうでなきゃ、この値段では売れないよね。だから、その部分は納得しています。

 問題…は、微妙にカラダに合っていない点だね。他の店なら、当然“お直し”の対象になって、微調整をして、より良い仕上がりになるわけだけれど、こちらのスーパーでは“お直し”は無しなんです。公には「お直し承ります」なんだけれど、担当の店員さんと話しをして、いくらクレームを入れても、軽く受け流してくれるんですよ。

 私が「上着がきつい」と言えば「そんな事はない、肩はこんなに余っているじゃないですか(いや、肩じゃなくて、胸がきついんだよ)」と言うし、「キツキツで腕が上がらない」と言えば「上着のボタンは必ず外して着てください(たしかにそれなら腕は上がるけれど、私は前は閉めたい人なんだよ)」だし、ズボンは尻のあたりがちょっとキツめなんだけれど「縫い目が引っ張られていませんよ(だから大丈夫)」って言って取り合ってくれないし…。店員さんから“絶対に直しません”という強い意思を感じます。

 まあ、安物だし、直しを入れちゃうと儲けが飛んじゃうのかもしれません。私も勤め人ですから、そういう事情はなんとなく察してしまいます。

 オーダーでスーツを作ったはずだけれど、オーダー特有のなんとも気持ちのよい着心地というのがなく、なんか窮屈で疲れるんです。肩が凝りやすくなるので、暇を見てはスーツを脱いで肩甲骨をぐるぐる回すようにしています。と言う訳で、値段なりと言えば値段なりの品質なのです。

 これでこのスーパーを見限るのも一つの手だけれど、店には今回のデータが残っているから、次は事前に胸や尻をさらに大きめに作らせて、お付き合いを続けると言うのも手です。なにしろ、安いからね。安さは正義だからね。もちろん、別のお店にトライしてみるのも、また別の手です。

 まあ、スーパーのスーツと専門店のスーツを比べちゃいけないわけで、安いものは安いなりに理由があっての安さなんだから、そこは納得しないといけませんね。で、その安いなりの品質で受け入れられるかというだけの話です。ま、今回、着心地は吊るしのスーツよりはマシ程度だけれど、普通には着れるし、お値段なりの仕上がりなので、自分的には受け入れていくつもりです。実際、かなり安価だったわけだし、全体的にはお得なんだと思います。まあ、色々あったけれど、すべて授業料ってわけです。

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2018年11月 6日 (火)

息をしっかり圧縮して歌わないとダメですよ

 声楽のレッスンの続きです。今回のレッスンは、クラシックコンサート直前の最後のレッスンになります。まずは、レスピーギ作曲の「Invito alla danza/舞踏への誘い」です。

 声を圧縮してから歌いましょう…と言われました。せっかく腹圧を高めて息を上にあげても、上が開けっ放しだと息が抜けてしまうので、必ず一度息を圧縮して、さらに息圧を高めてから、その息を上に送って声にしないといけないのです。息を上へ抜いてみたり、圧縮してみたりと、色々と忙しいのですが、きちんとやるべき事をやらないといけません。

 腹圧を高める一方で、ノドをしっかり下げる事で声は圧縮されます。圧縮された声で歌う事が、声を息で支えるという事なのです。

 毎度言われていますが、子音の処理をしっかりして歌いましょう。フレーズ冒頭の子音は特にしっかり長めに歌うことが大切です。特に“V”と“L”はしっかり長く歌うべきなのです。子音がなくて、いきなり母音で始まるフレーズの時は、子音の代わりにハミングを入れて歌うのが吉なのです。この点について、最近自覚的にやっているつもりなのですが、まだまだ不足しているようなのです。

 低音は下に掘りすぎない事。同じ音程が続く時は、後ろの音ほど音程を高めにとって歌います。最後のフレーズである“v'invi to”は男らしくきっぱり歌い上げて歌いましょう。

 さて、ヴェルディ作曲「椿姫」のテノールアリアの「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。なんか、本番が近づくにつれ、よりビビるようになったせいか、以前よりも歌えなくなっているような気がしています(情けないです)。

 とにかく声を上に抜かずに、しっかり圧縮して歌うこと。高い音ばかり意識しているからビビるわけで、高い音の事など考えずに歌いましょう(それができたら苦労してません)。

 高い音の時に、声のポジションを高くすることばかり考えていると、ノドが絞まってしまいます。高い音は、ノドを上下にしっかり引っ張ることを考えるべきで、そのためには、高音の直前に一度ノドを下に思いっきり引っ張る事が肝心であって、それをせずにポジションを高くあげて歌おうとしているから、ノドが絞まってしまう…という事が起こっているようなのです。ううむ、ううむ。

 前半のアリアの“suoi”のE♭-A♭の上行音程は、E♭で一度下へ思いっきり引っ張ってから、引っ張ったままA♭を行くことを忘れずに行う事。後半のアリアは、最後の方は、ずっと高音が続くわけだけれど、そこはしっかり声を圧縮して息の速度をしっかり上げて歌うことを忘れずに行う事です。また、ずっと頑張り続けるのは人間無理だから、休符ごとに、しっかりと休み(残った息を全部吐き出す-深く息を吸う-息を落ち着かせる-腹圧を高める-息を圧縮する-歌い出す)を取る事。時間はいくらかかっても良いのだから、たっぷりゆっくりと休符の時間を活用する事。

 最後は二重唱です。フレーズの最後になると、決まって音程がダメダメになるんだそうです。フレーズの終わり近くになって、しっかり息をしっかり吐くことを自覚しないといけません。息さえしっかり吐けていれば、音程は下がらないそうです。頑張りましょう。
 と言う訳で、いよいよ本番です。頑張っていきましょう。

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