ひとこと

  •  京アニ放火事件、ただただご冥福を祈るばかりです。優秀な日本の職人さんたちが、一人のキチガイによって殺されたのだと思うと、なんとも無念で言葉がありません。世の中は理不尽で不条理なのだなと、改めて思い知らされるばかりです。
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2019年7月22日 (月)

クラシックコンサートの曲を決めたよ

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはクラシックコンサートの曲を先生と決めました。結論から言えば、二重唱は、発表会と同じヴェルディ作曲「椿姫」の「Un di felice, eterea/思い出の日から」です。で、この二重唱曲は、短い曲なので、他にもあれこれ持ち時間の中で歌うことができるのですが、問題はこの曲自体が難しい曲なので、その他の曲があまり難しい曲だと大変なので、そこは考えないといけません。

 で、色々考えて、他に2曲歌う事にしました。ベッリーニ作曲の「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」と、ビゼー作曲「Agnus Dei/神の仔羊」です。これらの曲は新曲というわけではなく、レッスンでは歌っていた曲ですが、まだ人前では歌っていないので、今回のセットリストに入れてみたわけです。本音で言えば、十分な準備期間があれば、全くの新曲にしたかったのですが、それほどの準備期間があるわけではないし、かと言って発表会と同じ曲目で歌うのもどうかな?って感じになったので、今までレッスンでは歌った事はあるけれど、人前では歌っていない歌を取り上げる事にしたわけです。これらの曲ならば、すでに譜読みを終えていて、暗譜もだいたい済んでいるので、準備にもあまり時間がかからないだろうと踏んだわけです。

 「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」は、レッスンでは全音の中声版の楽譜で学びましたが、今回はRicordi社の原調版(高声版)を使用します。やっぱりテノールな人としては、人前で歌うならば、オリジナルで歌ってみたいのです。

 「Agnus Dei/神の仔羊」は割と最近レッスンで歌った曲ですが、この曲はきちんと仕上げて、人前で歌えるレパートリーにぜひしようと、かねがね思っていたので、今回がちょうど良いチャンスだと思ってます。「なんか歌って!」と言われた時に、この曲が歌えるといいなあと考えているのですよ。

 さて、レッスンです。ハミング練習から始めました。注意された事は「声を鳴らし過ぎ」「音程がちょっと低い」の2点です。これは同じ事が原因になっているわけで、ノドに力が入っているのがダメなんです。ノドを脱力して、声の鳴りを減らすと、自然に音程がちょっと高くなって、ジャストな感じになります。つまり、私の場合、音程がちょっと♭している時は、たいてい、ノドに力が入りすぎて、声が過剰に鳴っているってわけです。

 声が鳴り過ぎていても、音程がジャストな人って、たくさんいます。でも、私は、声が鳴りすぎている時は、たいてい音程が♭しちゃっているみたいです。つまり、私の声は、鳴り過ぎる傾向があるけれど、その鳴っている状態がデフォルトではなく、あくまでも私の声の基本は、あまり鳴らさない声だという事が、私の音程の取り方で分かるわけです。まあ、鳴らし過ぎな声は、やりすぎな声であって、私の場合、自然な声では無いって言えるわけです。

 でも、やっぱり、鳴らさない声で歌うのは、まだまだ難しいです。無意識だと、ついつい声を鳴らしたくなってしまうみたいです。ああ、ダメだな。やっぱり私は“お馬鹿なテノール”なんだな(涙)。

 続いて行った発声練習では、腹筋をしっかり使う事と、口腔をしっかり縦開きにする事の2点を注意深く行いました。

 毎回毎回、同じような事を注意されつづけているのだけれど、少しは上達しているのかしら…ねえ。

 

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2019年7月21日 (日)

やっぱり病院で死ぬんだろうなあ

 まあ、死ぬなら畳の上で…と常日頃から思ってますが、おそらく現実的には病院のベッドの上で私は死ぬんだろうなあ…とぼやっと考えてます。

 日本人の死に場所を統計にすると、2016年の統計で、病院で死ぬのが75.8%、自宅で死ぬのが13.0%、施設で死ぬのが9.2%となっているそうです。ちなみに施設というのは、老人ホーム等の施設です。なので、日本人の大半は病院で死ぬんだそうです。

 実際に病気であれ事故であれ、健康でなければ病院に搬送され入院して治療を受け、それでも死んでしまうのが、今の日本人の死ですから、おそらく私もそんな感じになるんだろうなあって思います。

 あるいは健康であっても、要介護者になって家族の手に余るようになれば、施設に入って、そこで死ぬことになるわけです。施設に入っても、十分な介護の元に暮らせれば、それはそれで良いのかもしれないけれど、できれば介護が必要になる前に死んでしまいたいという思いがないわけではありません。

 そういう意味でも、健康で元気でピンピンしているうちに、自宅で死にたいものだと願うわけです。

 で、日本人の死亡原因の統計を見ると、第1位が「がん」、第2位が「心疾患」、第3位が「脳血管疾患」、第4位が「肺炎」と続くわけで、いかにも病院で死にそうな原因が並んでいます。

 で、第5位に来るのが「不慮の事故」ってヤツで、その実態は入浴中の事故なんだそうです。実は入浴中に亡くなる人って、交通事故の5倍にもなるんだそうです。つまり、風呂場って道路よりも危険な場所なんですね。

 風呂場がかなり危険な場所であるというのは、知る人ぞ知るわけで、その一番の原因が“ヒートショック”だと言われてきました。ヒートショック…つまり寒暖差によるショックです。冷えたカラダで熱い湯船に入って血圧が上がって死んじゃう…ってわけです。怖いですね。

 ところが最新の研究で、人は簡単にヒートショックにはならないし、それが原因で入浴中に亡くなるわけではないという事が分かりました。では、何が原因で人は入浴中に死ぬのかと言えば…実はその大半が熱中症が原因なんだそうです。つまり、熱い湯に長い時間つかって体温が上がって、それで死んじゃうってわけです。実際、入浴中の事故死のうち、熱中症で亡くなる人が約85%程度、ヒートショックは約7%程度なんだそうです。熱中症、怖いねえ。

 年寄りって、熱い湯で長湯ってのが好きだから、熱中症になりやすいのかもしれません。ちなみに、湯温が41度だと33分、42度だと26分で体温が40度になるそうです。体温が40度になると、重度の熱中症の症状が出て、かなりヤバくなるようです。そのまま入浴を続けて体温が42.5度を越えると、突然死をする人も出てくるそうです。

 かなりの熱湯に長時間入っていないと、死なないので、それほど危惧する必要もないけれど、実際多くの人が入浴中に死んでいる事実を考えると、この程度の事って、案外普通なのかな?という気もします。年を取ると、感覚が鈍くなるそうだし、ちょうどよい湯温を求めていたら、43度とか44度とか45度とかになっちゃったりして…。で、いい湯だな…とか思って、そんな湯に10分とか15分とかつかっていたら、ヤバイことになるわけで…。

 私は江戸っ子モドキな人なので、熱い風呂が好きだし、基本、長湯だし、ちょっとヤバイのかもしれません(汗)。

 そう言えば以前、スーパー銭湯で倒れた事があります。あれもきっと熱中症だったんだろうなあ。意識が飛んじゃいました。なんかヤバイぞという予感がしたので、その状態ですでに意識は朦朧としていたのですが、なんとか湯船から出て(でないと溺れて死ぬじゃん)、脱衣所までたどり着き、全裸でびしょびしょのまま、ベンチに倒れ込んで…意識が無くなりました。

 どれくらい意識が無かったのかは分かりませんが、ふと我に返った時、周囲があまりに何事も無かったかのような感じだったのはビックリでした。だって、脱衣所でオッサンが全裸のまま倒れているのに、誰も気にかけない…きっとここなら入浴中にでも死ねる…と確信しました。

 とは言え、全裸で倒れて、全裸のまま介抱され、全裸のまま救急車で病院に連れられて、全裸のまま治療を受けて、全裸のまま入院? ちょっと全裸すぎて、恥ずかしいです。やはり風呂場で倒れたら恥ずかしいなあ。

 

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2019年7月20日 (土)

石巻貝は不味い

 ウチの子に限らず、案外、金魚って好き嫌いがあります。つまり、彼女らなりの味覚を持っているようです。例えば、エサ。実は金魚のエサって、美味しさに違いがあるんですよ。美味しいエサは金魚の食いつきが違います。始めて我が家にやってきて、始めてエサを食べると、どの子も明らかに態度が変わります。それくらい、ウチのエサは美味しいみたいです。その程度の味覚は持っているんです。

 美味しいモノは、喜んで食べますが、美味しくないものは、見向きもしません。なので、見ていると、この子達の食の好みが分かります。

 さて問題です。以下のモノを金魚たちの好きな順番に並べなさい。

 1)メダカ
 2)ドジョウ
 3)水草(ガボンバ)
 4)水草(アナカリス)
 5)水草(マツモ)
 6)タニシ
 7)石巻貝
 8)ヌマエビ
 9)毎日のエサ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さて、お分かりになりますでしょうか? 答えは以下の通りになります。

 9)毎日のエサ
 8)ヌマエビ
 1)メダカ & 2)ドジョウ
 6)タニシ
 5)水草(マツモ)
 3)水草(ガボンバ)
 4)水草(アナカリス)
 7)石巻貝

 エサは、やはり一番好きみたいですね。エサさえあれば、他は何もいらないみたいです。しかし、金魚という生き物は、満腹がない生き物なので、いくらエサを食べても、少しすると、すぐにお腹がすくみたいで、いつも何かしら食べています。

 で、エサの次に好きなのは…ヌマエビです。エビって、人間だって好きだものね。エビは金魚の大好物なので、水槽に入れると、あっという間に食べられてしまいます。なので、エビも必死で食べられないように、身を潜めて生活するわけですが…見つかると、すぐに食べられてしまいます。

 エビの次に金魚が好きなのは、メダカとドジョウです。やはり、動物性蛋白質って美味しいんでしょうね。ただ、メダカにせよドジョウにせよ、これらをハンティングするのは、金魚的には大変みたいで、食べるのに苦労しています。あと、メダカはいくら大きくなっても、たかがしれているので、食べちゃいますが、ドジョウはある程度大きくなると、金魚のクチには入らなくなり、食べることができなくなります。逆に金魚が弱ってくると、ドジョウに生きたままま食べられてしまう事もあります。いやあ、弱肉強食だよなあ…。

 その次はタニシです。タニシは貝類で動きも遅いので、金魚的には食べるのは簡単みたいです。よくタニシを突っついて身をほじくり返して食べてます。たまに、タニシの取合いをしているくらいですから、よっぽどタニシって美味しいんだと思います。

 その次に来るのは、食べるのがとても簡単な水草たちです。で、水草にも味の違いがあるみたいで、マツモ、ガボンバ、アナカリスの順に好きみたいです。今の子達は、この3つとも食べますが、以前いた子たちは、クチがおごっていたせいか、マツモしか食べませんでした。ガボンバやアナカリスを入れても、絶対に食べませんでした。

 ちなみに、今の子たちだって、ガボンバとアナカリスを入れておく(マツモは高価なので、今は水槽に入れてません)と、まずガボンバから食べます。ガボンバを食べ終わって、食べる水草が無くなると、仕方なしにアナカリスを食べるようです。

 で、その次に来るのが、石巻貝…というか、たぶん、石巻貝は金魚にとっては、美味しくない食材のようで、金魚たちはめったに石巻貝を食べることはありません。タニシは大好きで取合いをするくらいなのに、石巻貝は食べないのです。不思議ですね。

 あと、食べないと言うと、金魚は藻の類は食べません。藻は嫌いみたいです。で、その藻が大好きなのが貝類なので、水槽に貝類は必要なのです。ウチの水槽のタニシは、現在、絶滅状態なので、早く次のタニシを入れないと、水槽の中で藻がわがままに育っちゃうんだよなあ。

 

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2019年7月19日 (金)

まあ、いつもの感じで、前進は全く無しです

 フルートのレッスンに行ってきました。まあ、いつもの感じです。

 姉様はアンコールピースの練習をし、その後のロングトーン練習は、いつものようにバッチリでした。

 で、エルステユーブンゲンは、25番と26番ですが、例によって、全く暗譜できていないので、これまた次週に継続なのです。先生からも、しっかり吹けているから、あとは暗譜だけ…と言われてますが、その暗譜が出来ないんだから、仕方ないです。

 旋律的練習曲は2番です。まだ六連符の部分のリズムが甘いという事で、今回はそこを徹底的にさらいました。これを一週間でマスターしてくれば、次は合格?するかもしれませんが、好事魔多しです。世の中そんなに甘くないって。

 40リトルピーセズは、26番のシューベルトの「セレナーデ」です。あっちこっちで、ちょっとしたミスブローをしてしまいました。練習不足だね。あと、前回注意されたアーティキュレーションのミスも、気を抜くと、また繰り返してしまいます。ダメだなあ。なので、この曲もまた次週に持ち越しです。ふう。

 今回の雑談は、私のグチです。ちょうどレッスンの日に、いわゆる“野球応援”ってヤツに吹奏楽部の顧問として行ったわけで、そのグチを言ったわけです。つまらぬグチだし、ネットに書くほどでもないので、内容は割愛しますが“野球”+“野外演奏”+“大雨”+“コンクール間近”って、まあどこも似たような感じなんだろうけれど、実にあわわな組み合わせだと思います。まあ、今年は冷夏なだけ、まだ例年よりはマシだけれど、いやあ、グチりたくなるって。ああ、疲労困憊、ヘトヘトだよぉ。

 誰もが熱心で一生懸命なだけに、タチが悪いと言えます。

 

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2019年7月18日 (木)

なぜ高い声が出ないのか?

 昨今、高い声が出始めてきた私です。で、高い声が出るようになって、なぜ高い声が出るようになってきたのか、分かるようになってきました…ってか、高い声を出せるようになってから、なぜ今まで高い声が出なかったのかが分かってきた…って感じですね。

 で、そんな2019年現在の、私の感じている事を覚え書き程度に書き残しておこうと思いました。

1)脱力…ってか力まない
2)速い息を適量送り続ける
3)鼻の調子が良い
4)腹筋が“内→上”方向によく動く
5)クチの奥を縦によく伸ばす
6)インフルエンザにかかった

 1)脱力…ってか力まない。 どこが? ノドが…です。ノド以外は結構必死ですが、ノドはダランとしています。声って、ノド…ってか、声帯で鳴るわけです。だから、ここを力を込めて押さえつけちゃいけないんだろうと思います。それこそ鳴るモノも鳴らなくなるわけです。

 その代わり、一生懸命、喉仏を下げてみたり、うなじを上げたりはしてますよ。でも、ノドはだらしないくらいにダランとするようにしています。でも、緊張したりして、うっかりノドに力が入ると、途端に高音って出しづらくなるんだよね。だから、ノドを力まない事って、すっごく大切なんだと思います。

 2)速い息を適量送り続ける。 声は息に乗って出ます。だから、息を吐かないといけません。で、ゆっくりと息を吐くと、低い声は出やすくなりますが、高い音は出ません。出やすい声の高さと息の速度には一定の関連があるようです。だから、高い音を出したければ、息を速く吐き続ける必要があります。しかし、息をたくさん吐いてしまうと、息の勢いでノドが固くなってしまいます。だから、息は適量だけ吐かないといけません。

 この適量ってヤツが難しくて、私の感覚的には、かなり少量なのです。分量としては少しだけれど、速い息を通し続ける。これ、大切です。

 3)鼻の調子が良い。 2)との関連ですが、速い息をどこに送るか…ですが、行き先は、感覚的に言えば、目です。目頭です。息を目頭から吐き出すつもりで息を送ってます。もちろん、息は目頭からは出ません。実際の息は、ほとんどがクチから出ます。でも気分は目頭から息を吐き出します。だから、この感覚は全くのオカルトです(笑)。

 目頭から息を吐き出すために、息が鼻を経由して目に到達しないといけません。つまり、息が鼻に入らないといけないのです。

 実は私、アレルギー性鼻炎なんですよ。アレルギー体質なので、花粉症の時期は苦しんでいますが、そうでない時期もアレルギーにやられています。今も、特に意味もなく、いつも泣いています。いやあ、アレルギーで涙が止まらないんですよ、困ったもんです。

 実は、割と最近まで、いつも鼻がグズグズ言ってましたし、たいてい詰まっていました。これもアレルギーのせいなのですが、ある時から、鼻がアレルギー症状を出さなくなりました。ま、その分、目のアレルギー症状が激しくなったような気がしますが…。なんであれ、鼻の調子がいいんです。で、鼻の調子が良くなってきたのと、高音が出始めてきたのが、ほぼ同じ時期でした。

 よく分かりませんが、高音と鼻の調子は、関係がありそうです。

 4)腹筋が“内→上”方向によく動く。 これは前々からY先生の指導を受けて言われ続けてきた事ですが、なかなかうまくできませんでした。言われたからと言って、すぐにできるようになるわけではなく、何度もトライしているうちに、神経がつながってきて、筋肉が覚醒してくるのです。そこに至るまでには時間が掛かるんですね。

 それが最近、ようやく、割と動くようになりました。まだまだ筋力そのものは弱く、すぐに疲れてしまうし、そんなにすばやく動かす事はできませんが、それでも自分の意思道理に動かすことができるようになりました。それと高音が出せるようになったのは同じ時期でした。ちなみに、腹筋をこのように動かすのは高音発声の時だけです。中音発声の時は“前→後”だし、低音発声の時は(腹筋ではなく背筋を)“上→下”に動かすと、楽に発声できます。

 5)クチの奥を縦によく伸ばす。 逆に言えば、中音程度では、クチの奥は縦開きにこそすれ伸ばさない。ここ一発って時にグインと伸ばすと高音が出るみたいです。中音程度の時に、うっかりこのあたりを伸ばしてしまうと、もうそれ以上の高音は出ませんので、ここを伸ばすのは、最後の最後まで我慢しないといけません。高いFあたりで伸ばしちゃうと、その後がキツイんだな。

 6)インフルエンザにかかった。 インフルエンザそのものが大切なのではなく、インフルエンザにかかって、約一ヶ月ほど、全然歌えなかった事が良かったのだろうと思います。一ヶ月も歌わなかった事で、それまでにあった、歌う時の変な癖が抜けていました。変な癖を、カラダが忘れてしまったんですね。で、その忘れてしまったところに、今学んでいる正しい発声法が入ったわけで、それもあって、高音が出せるようになったのだろうと思ってます。つまり、テクニックの立て直しというか、入れ替えが行われた…って事です。

 学ぶ事と忘れる事のバランスが、なんであれ、上達のためには必要です。学ばなければ、どんどん忘れていってしまいます。しかし、学ぶばかりで忘れなければ、間違った学習が定着して、上達できません。第一義的には、日々しっかりと練習をする事が大切ですが、たまにドカンと休んで、自分のテクニックの棚卸しをする必要があるんじゃないかと思います。

 ま、今考える事は、こんな事です。しかし、これだけではまだまだ不足がありますね。一番不足と感じるのが、筋力です。もっともっと筋力が必要だろうと思いますが、どの部位のどの方向への筋力が不足しているのかが分かりません。まだまだ課題の多い私です。

 

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2019年7月17日 (水)

耳を大切にしたい

 現在、某ガッコの吹奏楽部の顧問ってヤツをやってます。これで三度目だよ(爆)。前回の顧問から4~5年ぶりなので、あれこれ新鮮なのはいいのですが、感じる事は「老いたなあ…」って事です。

 たまに連中の練習に付き合うのですが、練習の最中から練習後しばらくは、耳がボーっと鳴っていて、その後、明らかに難聴になっています。老人性難聴がそもそも始まっているだろう上に、物理的に耳が痛くなったりもします。大きな音に耳のハードウェアが耐えられなくなってきているようで、連中の練習に付き合うのも、カラダに負担がかかるようになりました。

 冷静に考えてみても、吹奏楽の演奏音って、爆音だよね。どれくらい爆音かと言えば、普段は補聴器をして生活をしている難聴の方で吹奏楽をやっている人が私の知り合いにいるくらいですから、吹奏楽って(程度にもよるけれど)難聴者でもできる音楽ってわけです。ちなみに、ロックバンドをやっている知り合いもいますよ、ロックも爆音だからね…。

 もっとも、彼らは音楽の練習中は、補聴器をしているのかな? それとも練習中は補聴器を外すのかな?(今度会ったら、尋ねてみようっと)

 閑話休題。演奏している人はもちろん、指揮者とか指導者とか、耳は大丈夫なのかしら? 日常的に爆音に接していると、耳って早くダメになるのは事実なんだけれど、何か耳を守る手段とか習慣とかあるのかしら?

 私の場合は、顧問であってコーチではないので、練習には毎日付き合うわけではないし、付き合うにしても短時間なので、その時間だけ我慢すればいいと言えば、そうなんだけれど、日常的に吹奏楽と付き合う人はどうしているのでしょうね?

 慣れれば平気? まさか…ね? 学生時代しか吹奏楽をやらない(つまり人生の短い期間だけしか吹奏楽をやらないから)別に気にする必要はない…と言うのかな? まあ、生徒はそうであっても、指導者は長期間指導するのが普通だから、やはり耳を守るなんらかの対策をしていてもいいよね。

 市民吹奏楽団など、大人の団体さんは、それなりに長い期間吹奏楽をやるわけで、耳の保護とか、どうしているんでしょうね?

 この記事は愚痴と言うよりも、みなさんどうしているの? 私はちょびっと困ってますって話なのですよん。

 

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2019年7月16日 (火)

なぜアマチュアの歌は下手くそに聞こえるのか?

 ここでなぜ“歌”と限定したのかと言えば、器楽の場合、別にアマチュア・プロの差はなく、上手い演奏は上手に、下手な演奏は下手に聞こえるからです。ここで言う、上手い下手は、主に技巧的な話になります。つまり、練習をたくさんして、楽譜の指示通りに、スキのない演奏をすれば、たとえ演者がアマチュアであっても、それなりに上手な演奏に聞こえるというわけです。

 まあ、そんな上手な演奏でも、やはりプロの演奏とは違って、越えられない谷間が存在はするのですが、アマチュア演奏家と言えども、そんなに下手くそな演奏って、案外、できないのです。おそらく、楽器に助けられている部分があるからだろうと思います。

 そこへ行くと、歌は楽器の助けがありませんから、器楽と違って、下手くその穴も多く、そこにうっかりハマってしまう事もあり、なかなかアマチュアの歌が上手に聞こえる事って、難しいし、稀なんです。

 これが素人さんの発表会にたくさん足を運んだ私の感覚です。だって、たまにいる発表会でやたらと上手な人って、ゲストのプロだったり、音大卒業生(つまりセミプロだな)だったして、純粋アマチュアの人って、なかなか上手に歌ってくれないんだよ(涙)。

 門下によっては、みんな目を覆わんばかりに下手…なんてところも(ブログには書かないけれど)たくさんあります。

 閑話休題。さて、本題である“なぜアマチュアの歌は下手くそに聞こえるのか?”について考えてみたいと思います。まず話の前提として、本当に“下手な歌”は除外です(笑)。少なくとも、ソルフェージュ的には正しい歌なのに、下手くそに聞こえる…こういうアマチュア歌手にありがちな問題について、ここでは考えてみたいと思います。

 1)声が揺れる…多くのアマチュア歌手の歌声は、たいてい揺れています。これがヴィブラートなら問題ないのですが、ヴィブラートと呼べるほどに規則正しくもなければ美しくもなく、ただただ音程が揺れるばかりで、それが不快に感じられ「下手くそ」と思われてしまうのです。特に音程が揺れながら下がっていく人が多く、そうなるとますます「下手くそ」って思われてしまうのです。

 音程が下がる…と言っても、チューナーで測れば、かろうじて、その音程の中にいるのに…それでもダメなんですよ。人間の耳って、チューナーよりも敏感だからね。

 2)声がブチブチ切れながら歌う…私もやりがちなんですが、他人の歌でこれをやられると、ほんと残念に思います。本人は無意識なのが残念です。

 ある種の人たちは、歌をマルカートで歌う癖があるみたいです。マルカートとは、音を粒立てて歌う事で、歌の場合、歌詞を滑舌良く歌う事を目指して行われる事が多いのですが、これをずっとやっていると、声がブチブチ切れちゃうんです。それでもポピュラー音楽とか合唱では、マルカート唱法(?)って、結構推奨されるんですよね。でも、クラシック声楽の基本はレガート。もちろん、レガートで歌うのと滑舌良く歌うのを両立させるのは難しいですよ。で、マルカートで歌っちゃうと…残念にしか聞こえないのです。

 3)話し声で歌う…さすがに100%話し声で歌っている人は、クラシック声楽の発表会では見かけませんが、それでもかなり話し声に近い声で歌っている人は大勢います。特に、男性(困)。話し声って話声であって、歌声じゃありません。少なくとも、ベルカント(美しい歌)ではないわな。

 4)声が小さい…アマチュア歌手の最大の特徴が“声が小さい”です。よく聞けば、上手に歌われているような歌であっても、声が小さくて、よく聞こえなければ、良い印象は与えられません。ボサノヴァ歌手の囁くような歌声はマイク使用が前提であって、クラシック声楽はノーマイクが原則ですから、会場に響き渡るような朗々とした歌声でなければいけません。それが最低条件ですよ、でも、その最低条件をクリアできないわけですから、低評価になってしまうのも甘んじて受け入れなければいけません。

 …って感じで、ザッと考えるだけでも、アマチュア歌手の歌が下手くそに聞こえる理由は4つもありました。ううむ、実に残念です。

 で、この4つのうち、最初の1)と2)は歌唱テクニックの問題、3)と4)は発声テクニックの問題です。

 1)は純粋に筋力の問題だと私は考えます。我々アマチュア歌手は、ただでさえ年配者が多く、体力的に不利な状況にある人が多い上に、歌の練習はしても、筋肉を鍛える方向の練習はしないモノね。歌はカラダを楽器として使うわけだから、運動選手並でなくても、ある程度はカラダを鍛え、筋トレをしていく必要があるわけだけれど、そこが不足している以上は、なかなかこの問題は解決しないよね。

 2)は純粋に歌唱テクニックの話ですから、きちんとした指導者について学ぶ事で解決できると思いますが、問題はきちんとした指導者が、必ずしもきちんと指導してくれるわけじゃないってところに問題があります。「アマチュアなんだから、この程度でいいや」とか「基礎トレーニングをすると、生徒が辞めてしまうから、必要だとは思うけれど、なかなか教えられないなあ…」とか、指導者側の思惑もあるけれど、趣味で学んでいるアマチュアに対して、きちんとした指導をしてくれる指導者そのものが多くはないわけで、そこは“縁”なんだよね。ご縁に恵まれないと、なかなかこのあたりは解決できません。

 3)と4)は発声テクニックの問題だけれど、2)の問題と状況&解決方法はほぼ一緒。きちんとした指導者からちゃんとした指導を受ければ、おそらく解決しますが、そこまでの指導をアマチュアが受けるチャンスが少ないのが悩みです。

 要するに、歌の場合、歌声という楽器を自分で作るところから始めないといけないのだけれど、この歌声という楽器を上手に作れない/作ってもらえないために、アマチュア歌手の歌は下手くそに聞こえがちなんです。

 そこが器楽との一番の違いですね。楽器って、ある程度完成されていますから、その楽器を用いて、楽譜通りに演奏すれば、それなりに聞こえますが、歌の場合、いくら楽譜通りに歌唱しても、未完成な歌声で歌うなら、それなりどころか、下手くそにしか聞こえないわけです。

 そう言ったわけで、声楽って器楽よりも困難なのかもしれません。しかし、逆を言えば、声楽の歌声は、個人差があります。才能に恵まれ、声に恵まれた人もいるわけで、そういう人の歌声は、簡単に楽器の限界を越えてしまうでしょう。ごくごくたまにいる、妙に上手なアマチュア歌手さんって、そういう恵まれた人たちなんじゃないのかな…って、ちょっぴりうらやましく思う私でした。

 

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2019年7月15日 (月)

そう言えば、ドイツ唱法って、なんじゃらほい?

 最近、声楽のレッスンでドイツリートを学び始めた私です。まあ、昨今は発表会準備で、ちょっとばかりお休みしていますが、それが終われば、またまた着手予定です。

 まだ合格した曲も1曲きりという、ほんと初学で、稚拙で、ヨロヨロやっておりますが(笑)。

 で、ふと思った事があります。そう言えば、ドイツ唱法ってのがあったなあ…ってね。ドイツリートを歌っているんだから、ドイツ唱法で歌わないといけないのでは?…ってね。でも、ドイツ唱法って何ですか? 美味しいんですか?

 というわけで、ググって見ました(笑)。

 まあ、身も蓋もない事が書かれているサイトですが、まあ、真実はこんなところにあるのかもしれません。

>歌唱時に腹壁を外側へ張る方法(ベリーアウト)と腹壁を内側へ凹ませる方法(ベリーイン)の両者が存在し

 で、そのベリーアウトがドイツ唱法ってヤツで、ベリーインがベルカント唱法ってヤツになります。すごく納得です。

 確かに、昔々、合唱団でボイトレと称して散々やらされたのが、腹式呼吸で息を深く吸い込んで、息をお腹に溜め込んだら、なるべくそれをキープしたまま歌うってやり方で、それってドイツ唱法だったんだなあ…。あと、笛先生にフルートを習っていた時、息を吸い込んだら、腹筋の前面を固めて息をキープしていくんだよ…とも教えてもらいましたが、あれもドイツ唱法の流れだったんだなあ…って思います。

 なあんだ、ドイツ唱法って、私が昔習ったやり方じゃん。

 とすると、今、Y先生から習っている発声法とは、相いれないなあ。だって、今習っているのは、ベリーインのやり方、つまりベルカント唱法ってヤツだもの。

 この両者、カラダの使い方が、ほぼ真逆なんだよね。いや、結果はほぼ同じ(伸展した声帯に、よく支えられた息で歌う)なんだけれど、そこに至るやり方が全然違うのです。私が器用ならともかく、残念な事に不器用なんだよね。なので、真逆のやり方を2つマスターして使いこなすなんて、無理だな。となると、私の場合、歌うのがイタリアオペラであっても、ドイツリートであっても、今学んでいるベリーインのやり方を貫いて歌った方が良いって事になります。

 それにまあ、昨今の流行りはベリーインのようなので、私はそれで行きます。

 ちなみに、どちらが正しいとか間違っているとかは、ないんじゃないかと思います。

 大昔の名テノールであるカルーソーは、発声練習(のデモンストレーション?)の時にグランドピアノを腹につけて、息を吸って腹筋だけでピアノを動かしたという伝説が残っています。もしもそれが事実なら、カルーソーはベリーアウトだったと言えます。また、ちょっと前の名テノールであるパヴァロッティは、高音を出す際の感覚として「クチの中から心臓が飛び出てしまうような感覚」と言ってますので、これは明らかにベリーインです。カルーソーもパヴァロッティも、どちらも歴史的な名テノールですから、ベリーアウトであれ、ベリーインであれ、極めれば世界を取れるわけで、そうなると、どちらが正しくて、どちらが間違っているとは言えないでしょう。ただ、昨今の流行りはベリーインなので、私はそっちに行きますよって話です。

 

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2019年7月14日 (日)

ヤヨイはパパ派、シズカはママ派

 ペットの、それも金魚相手に、パパだママだと気色悪い事を書いている自覚はあります。ご勘弁ください。でもまあ、そんな感じなんですよ。

 金魚は人間に懐くかと言われれば、答えはNOなんだけれど、でもね、懐いているように見えるんだよね。

 もちろん、ルデンやアセビ、ベルと言った連中は、特に人間に懐いている素振りは見られません。しかし、ヤヨイとシズカは懐いている…と言うか、人間と関係を持とうとしているような素振りが見られます。

 で、ヤヨイはパパ派(つまり私が好き)で、シズカはママは(妻が好き)って感じなんですよ。

 ヤヨイは、私が部屋にいる時は、たいてい私を見ています。私はいつもヤヨイの熱い視線を感じざるを得ないのです。で、時折、視線をくれてやると、全身でフルフルします。たぶん、ヤヨイを見たので、うれしい…のかもしれません。ちなみに、金魚って、すごく視力がいいんですよ。

 シズカは妻が、明らかに好きです。なにしろ、時折、二人で遊んでいますから。何をしているのかと言えば、妻が水槽に指を付けるとそこにシズカがクチをつけるのです。で、妻が指を動かすとシズカも移動する…と言った、他愛もない遊びなんですが、これを時折やっているのです。この遊びに乗ってくるのはシズカだけなんです。他の子は「???」って感じで、妻の遊びに乗ってきません。

 というわけで、ヤヨイはパパ派で、シズカはママ派なんです。

 

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蛇足 本来は金魚の記事が土曜日で、エッセイが日曜なんですが、今週はうっかりしていて、土曜にエッセイをアップしてしまったので、金魚の記事は日曜にしました。ごめんなさい。

 

2019年7月13日 (土)

JASRACは隠密を雇っていたようだ…

 話題的にちょっと古くなるのですが(やっぱりアレコレ考えちゃうよね)やはり書くことにします。

 実はJASRACとヤマハは現在、著作権法関連で法廷対決をしています。

 現行の著作権法では、音楽を演奏してお客さんに聞かせる権利を「演奏権」とし、これは作詞家&作曲家の権利であると定めています。なので、演奏家が音楽を演奏した際に、定められた著作権料を作詞家&作曲家に支払わなければなりません。

 コンサートとかリサイタルとかライブとかなら、当然の話です。

 で、多くの作詞家&作曲家から著作権料の徴収を代行しているJASRACが、これをコンサートやリサイタルやライブばかりでなく、ヤマハを始めとする音楽教室でのレッスンでの模範演奏からも著作権料を徴収すると決め、それを音楽教室に求めているのに対して、ヤマハ等は、音楽教室でのレッスンでの模範演奏は、コンサートとかリサイタルとかライブとは別モノであって、その演奏から著作権料を求めるのはオカシイので支払うつもりはない…と言っている次第なのです。

 で、現在の争点は、演奏活動であるならば、そこにはお客さんがいるはずなので、レッスンを受けている生徒さんは、演奏を聞きに来ているお客さんなのか、そうではないのか…という点になっているのだそうです。これを難しく言うと、生徒への模範演奏は「公衆への演奏」に当たるのか否かという話です。

 JASRACが言うには、そこで音楽が演奏され、それを聞く人がいるんだから、そこに「公衆への演奏」が成り立つというわけだし、ヤマハ側は「教室での演奏は、音楽を聞かせる事が目的ではないので、そこに「公衆への演奏」は成り立たないので、著作権料の支払い義務は生じない」というわけです。で、裁判沙汰になっているわけです。

 そういう状況下において、JASRACが自社の職員をヤマハ銀座店の音楽教室に潜入させて、あれこれ情報を入手した上で、その職員が近々行われる裁判に証人として出廷する予定がある…って話なのです。どう思いますか? ちなみに報道された記事はこちらです。つまり、JASRACが裁判を自分たちに有利に進めるために、ヤマハに対して隠密調査をしたって話だね。

 で、その隠密さん、女性のようで、音楽教室に入会するにあたり、自分の職業を“JASRAC職員”ではなく“主婦”として登録したそうです。まあ、既婚女性はすべからく主婦かもしれないけれど、JASRACに勤めている人は、普通は“主婦”ではなく“会社員”って登録するべきだよな。なんかズルい気がします。

 隠密さんが入会したコースは“ヴァイオリン上級者向けコース”だったそうです。ヤマハでは、レッスンを初級者・中級者・上級者と分けるようなので、一番上のコースとなりますが、ヤマハはグループレッスンだし、上級者向けコースとは言っても、それはお月謝のランクであり、テキストの進み具合の話であって、一般に想像される“上級者”とはだいぶ違うとは思います。とは言え、実際、隠密さんのヴァイオリンの腕前がどれくらいなのかは分からないけれど、ひとまず、素人さんではないようです。

 そもそもJASRACという音楽関係の団体に就職しているわけだから、隠密さんは音楽関係者の可能性もあります。少なくとも、ヴァイオリンの基礎基本はマスターしているから上級者向けコースだったわけだし、もしかすると音大ぐらい卒業している可能性だってあります(音大卒業だからと言って、専攻楽器が上手とは限らないんだよね)。

 で、隠密さんは、月に数回ずつ2年間もレッスンに通い、発表会にも参加したそうです。真面目にヴァイオリン学んでんじゃん。教えてくださる先生とも、人間として親密になった事でしょう。

 いくら親しくなったからと言って、隠密さんは隠密だから、自分の雇い主に役立つ情報を見つけて持っていくわけです。曰く「先生の演奏は(ヤマハが用意した伴奏音源と一緒に演奏したので)とても豪華に聞こえ、まるで演奏会の会場にいるような雰囲気を体感した…うんぬん」とか、曰く「生徒は全身を耳にして講師の説明や模範演奏を聞いている…うんぬん」とか、ね。そういう言い方で、レッスンの場でも「公衆への演奏」が行われたと言いたいわけなんだよね、JASRACは。

 でもさ、実際のクラシック系の有料コンサートで、演奏者がカラオケと一緒に演奏したら、お客さんはブーイングするんじゃないかな? カラオケ伴奏って段階で、すでにコンサートとは別物でしょう。また、レッスンの場で、生徒が全身を耳にして講師の演奏を聞くのは、講師の説明を真剣に聞くのと同じレベルの話であって、学ぶ者として当然の姿勢じゃないの?

 そう考えると、レッスンにいるのは生徒であって、公衆なんていないし、公衆への演奏も行われていないと考えられるわけです。まあ、少なくとも私はそう考えますよ。

 それらは横に置いたとしても、隠密さんは隠密だから、そういうモノなんだけれど、せっかく親密になった先生や、学ぶ場所と機会を与えてくれたヤマハに対して、後ろ足で砂をかけるような事をしたわけです。心は傷まないのかな…って、私は心配しますが、そんな事にいちいち心を傷めていたら隠密活動なんてできないか(笑)。でもね、おそらく一生懸命に教えてくださった先生は、今頃激しくショックを受けていると思うよ、だってある意味、裏切られたんだもの。人間不信になっても仕方ないレベルの仕打ちだと思います。私は、隠密さんを教えていた先生に同情しますよ。

 さて、そうは言っても、私は個人的には音楽教室は作詞家&作曲家に著作権料を支払うべきだと思ってます。ただし、それは演奏料として支払うのではなく、教材使用料として支払うべきです。で、それはすでに教材に楽譜が印刷された段階で、著作権者に楽譜(=教材)使用料として支払われているわけだから、もうそれで十分ではないかと思います。

 それをJASRACは、楽譜使用料の他に、演奏料としての著作権料の支払いを求めているわけで、そこに無理があるのです。だって、二重取りだもの。

 だいたい、レッスンでは、先生の模範演奏は必須ではないし、なければ無いでもレッスンは成り立ちます。実際、模範演奏しない先生だっていないわけじゃないです。また演奏しても、部分しか演奏しない事もたびたびです(これはレッスン時間の関係から)。それなのにレッスンから演奏料の支払いを求めるのは行き過ぎだと思います。

 仮に先生による模範演奏があったとしても、生徒はその演奏を楽しむために聞くのではなく、先生の演奏法に注意して聞いているわけで、音楽を聞いているのではなく、演奏そのものを聞いているわけで、乱暴な言い方すれば、曲は何でも良いわけで、大切なのは先生の演奏技法なわけです。そんな姿勢で演奏を聞いている生徒は、コンサートに来るお客さんとは別物であり、レッスンでの演奏は「公衆への演奏」とは明らかに違うと私は思います。

 とは言え、現実的な問題として、すでにカルチャースクールはJASRACに対して、著作権料を支払っている事実があります。カルチャースクールは支払っていて、音楽教室は支払わないのはオカシイと言われれば、まあ言い返せないわな。音楽教室なんて、カルチャースクールのようなものと言うか、音楽専科のカルチャースクールだものね。JASRACの言い分としては「カルチャースクールが支払っているんだから、音楽教室も支払え」って気分なんでしょうね。

 ああ、難しい。でも、今回の隠密調査は、法的にはアリっちゃあアリだけれど、かなり汚い手口だなって私は思います。それに隠密さんの人間性を疑っちゃうよね。いくら仕事とは言え、やって良い事といけない事ってあるわけで、今回のような潜入調査は、人として許されないと、私は心情的にそう思いますよ。

 先生から破門されたり、捨てられたのなら、話は別ですが、そうでない限り、先生はあくまでも先生であって、常に尊敬を持って敬わなきゃいけないと、私は思っているし、そう行っているつもりです。だから、今回の隠密さんの潜入捜査って、心情的に許せないなあ、ほんと、許せない。

 

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