ひとこと

  •  お相撲さんは格闘家であり、その素手は強力な武器であるわけだから、土俵以外の場所では、たとえ素手であったとしても他人を殴ってはいけないわけだし、ましてやその手に器物を掴んで凶器を使用してしまったら、言い訳はできないし、そもそもやり過ぎだし、卑怯ですらあると、私は思う。今回の件は、日馬富士にも同情すべき点は多々あると思うし、魔が差したのかもしれないが、鉄拳制裁はアウトだと思う。武道や格闘技は、暴力とは違うわけだが、角界の範たる横綱が暴力を行使しちゃあ言い訳できないよなあ。
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2017年11月18日 (土)

たぶん、止まると死んじゃうんだろうなあ…

 緋ドジョウのヨッチャンの話です。

 以前から、ボロボロでよく仮死状態になっているという話を書いていましたが、最近のヨッチャンは、あまり仮死状態にならず、パッと見、いつも元気ハツラツで活発に泳いでいます。

 でもよく見ると…大丈夫かな?と心配になります。

 確かに仮死状態にならず、いつも泳いでいます。その泳ぎ方だって、どこか異常性を感じさせるような危機的な泳ぎではなく、あくまでも通常の落ち着いた泳ぎ方なのですが、問題は、その合間合間に見せるヨッチャンの姿です。

 いつもいつも泳いでいるとは言え、全くの休憩無しで泳いでいるわけではなく、少し泳いでは少し休憩を入れ、また少し泳いでは少し休憩を入れるって感じです。その休憩を入れている時…たぶん気が抜けているんだと思うのだけれど…休憩に入った途端に、ヨッチャンの動きが、なんかフワっとして、お腹を上にして浮かんでいきそうになるのです。

 完全にお腹が上になる前に、気合が入り、また普通に泳ぎだすので、ボケッと見ているとヨッチャンのヤバさに気づきません。

 たぶん、ヨッチャンは元気になって泳いでいるのではなく、泳いでいないと、転覆してしまうんじゃないかな? ドジョウが転覆してしまうと言うのは、今まで私は見たことないのですが、金魚が転覆病の症状を見せる直前に、ヨッチャンと似たような行動を取るんです。

 ただ違いは、金魚の場合は、せいぜい続いても丸1日が限界で、すぐに転覆状態で安定してしまうのですが、ヨッチャンは、なんだかんだ言って、もう4~5日も、こんな状態なのです。

 ヨッチャン的には「止まるとヤバイ! 止まると死んじゃう!」って感じで、追い立てられるように泳いでいるんだと思います。

 やっぱり、ドジョウってタフなのかもしれない。

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2017年11月17日 (金)

ホットワインを飲んでみたい

 フルートのレッスンに行ってきました。ちょうど姉様と入れ替わりでしたので、ロングトーン練習は先生と二人でしました。

 最近の私は、フルートを組み立てる際、ついつい頭部管を浅めに刺してしまうみたいで、いつも音が低すぎると注意を受けます。まあ、なんとなくなんだけれど、音は低めの方が好きみたいなんだよね、私。困った事です。

 二人でロングトーンなので、先生の音に合わせればいいだけなので、バッチグーで楽でした。これが姉様も加わると三人になるので、どちらに合わせるべきか悩んだりします。

 さて、エルステユーブンゲンは22番です。自宅練習も重ねましたが、暗譜演奏するには、まだ少し自信がなかったので、今回は暗譜でなく、がっつり譜面を見て演奏しました。次回までには、ちゃんと暗譜してこようっと。23番は、まだまだ初見に近い感じで、次に吹くべき音をソワソワしながら吹いてます。

 プチエチュードは19番だったんだけれど、いやあ、実にひどかった。練習してもしても、全然吹ける気がしなくて、実際、まだまだ音取り段階の状態で、そんなひどい状態でレッスンを受けちゃいました。自分史上、一番未完成な状態でのレッスンです。とにかく、ゆっくりゆっくり、一音一音確認しながらの演奏(ってか、単に音を置いているだけ?)だったので、えらく時間がかかってしまいました。まだまだ曲の形になってません。この曲は、仕上がるまで時間がかかりそうです。

 40リトルピーセズは5番からです。ひとまずヘンデルのメヌエットは合格をいただきましたが、別にちゃんと吹けたわけではなく、あっちこっちダメダメなんだけれど、終わりにしてもらいました。なんかね…。次の6番はシューマンなのでうまく吹ける…と思いきや、細かいところで指が絡まってしまい不合格になりました。次回、もう一回って感じです。次回は6番のシューマンのメヌエットに加え、7番のバッハのメヌエットです。

 本日の雑談は…ドイツの家庭料理は、ちょっとアレだけれど、レストランで食べる食事は安くて美味しいって話です。ちなみに、ドイツの家庭料理は、日本人が考える“料理”以前の料理で、いわゆる乾き物ばかりを食べるんだそうです。固くて黒いドイツパンにジャム塗って、おかずはチーズオンリーで、それに薄いビールで夕食を毎日します…って感じなんだそうです。とにかく、家庭料理には手間というものは掛けないんだそうです。

 その代わり、レストランの食事は安くて美味しいんだそうです。で、先生からあれこれ美味しいドイツ料理を教えてもらったけれど…全部、忘れた(笑)。いやあ、別にメモを取りながら雑談していたわけじゃないし、私の頭だとドイツ語は全然ひっかからなくてね。話を聞いているそばから、ポロポロ名詞が抜けていくのが実感できました。いやあ、ドイツ語出来ないって、単に話せないだけじゃなくて、記憶も出来ないって事だな。

 書けるほど覚えているのは、ドイツのホットワイン(これは英語の単語だから脳に残ったんだよ)の美味しさについて。ホットワインってのは、別にワインのお湯割りでもなけれど、ワインの熱澗でもなくて、ワインに様々な香辛料を加えて、それを温めて作った、ワインとは、かなり異なる飲料なんだそうです。その味付けもレストランごとに個性があって楽しいのだそうです。

 先生はホットワインが大好きで、ドイツではよく飲んだそうですが、日本だと、まずホットワインがないし、たまにレストランのメニューにあっても、ただのワインのお湯割りだったりするので、がっかりするんだそうです。

 …という感じで、本場ドイツのレストランで食べる料理と、日本にあるドイツ料理店で食べる料理の違いについて、あれこれ教えてもらいましたが、私なりの結論を書きますと…美味しい料理は現地に行かなきゃ食べられない。これは万国に通じる真理である…って事です。食べ物は、風土や気候と密接につながっているわけで、そこが異なれば、おのずと美味しさも数段下がってしまうわけです。

 本場が一番…ってのは、何もドイツ料理に限った話じゃないしね。

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2017年11月16日 (木)

じゃあ、フルート奏者ってどんな人間なの?

 これ、色々と考えてみました…が、実は類型化するのが、案外難しいかなって思いました。少なくとも『歌手=自己顕示欲の塊』というほど、類型化できそうもないなあって思いました。

 と言うのも、フルート奏者って、我が国の場合、圧倒的多数を占めているのが、中学校や高校あたりの吹奏楽部でフルート吹いている人たちで、この人たちって、自分でフルートを選択して吹いている子もいるだろうけれど、案外、先生とか先輩とかに指名されてフルートを吹いているような子も大勢いるわけで、それを考えると、フルート奏者に色々な性格の人がいても不思議じゃないわけです。

 なので、オトナになってからフルートを始めた、趣味のフルート奏者さんたちに話を絞って考えてみました。

 まず、大人になってからフルートを始めた人には、2パターンあると思います。一つは“リベンジ組”、もう一つは“なんとなく組”です。

 リベンジ組は、そもそも吹奏楽経験者で、本当はフルートを吹きたかったのに、フルート以外の楽器を担当する事になって、フルート愛をこじらせてしまったタイプの人です。こういう人って…情が深いんですよね。半ばあきらめ、半ば忘れてしまっていた、若い頃のフルートへの愛が、ひょんな事から燃え上がり、どうにもなくなってフルートを手にしてしまうわけで、そのタフな精神エネルギーに私は敬服いたします。

 もうひとつの、なんとなく組は…自分ではなんとなく始めたような気がしてますが、実はその大半が、フルートの“ピカピカ”に心を奪われた人たちです。

 楽器って、実はその大半が木製なんですよね。ヴァイオリンしかり、ギターしかり、フルート以外の管楽器しかり、まあ現代的な電子楽器だと、金属とか合成樹脂とかの楽器もありますが、それらもだいたい黒系に塗装されていて地味なのが普通です。フルート同様、光り物系の楽器だと、金管楽器がそうだけれど、金管楽器は、その名の通り、やっぱり金色です。そこへ行くと鏡のように光り輝くフルートは、そのピカピカ度においては、楽器界ピカイチなわけで(最近はシルバーメッキのトランペットがありますが、そこはちょっと横に置いて)あれこれ楽器はあるけれど、何と言っても、一番ピカピカなのは…フルートなんです。このフルートのピカピカに心を奪われて…で、なんとなく始めちゃったわけです。

 実は私だって、冷静に考えてみると…そうではないとは言い切れません。店頭に並んでいたピカピカのフルートに心を惑わされて、衝動買いしちゃって、それが今日まで続いているわけなんです。ああ、ピカピカに心奪われた事を否定できない…残念だ(涙)。

 そういうわけで、フルート奏者の一つのパターンとして『光り物好き』ってあります。

 ただ、単に光り物好きと言えば、フルートほどピカピカではないにせよ、金管楽器のゴールドの輝きだって捨てがたいです。でも、そこに行かずにフルートに行ったというのは、金管楽器のギラギラっとした押しの強い音が苦手なんだと思います。

 フルートの音って、なんかモヤっとしてませんか? そのモヤっとしている部分が、優しさとか癒やしとかのイメージにつながっているんだと思いますが、やっぱりフルートって、なんかモヤってしていると思います。類は友を呼ぶじゃないですが、フルート奏者さんって、なんかはっきりしない“モヤッ”とした雰囲気を持っている人が…私の観察では多いと思うし、そこがオトナから始めた人の特徴かなって思います。

 そこへ行くと、学生時代に吹奏楽部でもまれた人たちは、たとえフルート奏者と言えども、全然モヤっとしてません。むしろ、尖っている感じすらします。まあ、吹奏楽部って、人間関係にせよ、練習時間とか、とにかくあれこれあれこれがハードだからね、ブラックだからね、そこで生き残るくらいだから、よほど人間が強くないとやっていけないわけです。

 というわけで、私の独断ですが、オトナになってフルート始めた人は、なんともふんわりとしてモヤっとした癒し系の人で、情が深くて、光り物好きって感じかな? 一方、子供の頃からフルートやっている人には色々な性格の人がいるけれど、共通しているのは、タフであるって事でしょう。女社会である吹奏楽部をやりきったんだから、そりゃあタフだよね。うん、タフだタフだ。

 と、このように全く異なるタイプの人間がフルートという楽器をたしなんでいるわけで、そりゃあ簡単に類型化なんて出来ないよね。

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2017年11月15日 (水)

自己顕示欲の強い人間しか歌わない(?)

 よく楽器と性格の関係性って話題になります。例えば、ヴァイオリンは天才肌の努力家で常識人であり、トランペットは勇ましく、派手だけれど案外おとなしいという複雑な性格の持ち主が多いとか…まあ、見る人が見れば、また結果はおのずと変わるんでしょうが…。

 その点で行くと、歌う人、つまり歌手の性格と言うのは、押しが強く、自己顕示欲の塊である…と言えそうです。この場合の歌手と言うのは、クラシック声楽やオペラの歌手であり、ポピュラー音楽ならばヴォーカル担当の人間を指します。合唱とかバックコーラスを主に担当するような人は、ちょっと気質が違うような気がします。

 つまり、今回の記事は、ソロシンガーの気質について考えてみようって記事です。

 いや、実際、歌が好きなだけの人なら、カラオケで歌っていればいいんです。何も人前に出て、大声出さなくてもいいんです。他人に聞いてもらいたい…という気持ちがあっても、普通は合唱止まりです。なにもソロで歌わなくてもいいですし、スポットライトを独り占めにして歌う必要なんて全然無いのです。

 だいたい、バンドなんかも、成功したバンドが解散すると、彼らは第二の人生として…楽器の連中は裏方仕事で音楽を黙々と続ける人が多いけれど、ヴォーカル担当の人は、さんざんフロントマンをやって顔が売れていた事もあって、ソロシンガーとして独立した後、結局、歌の仕事ではなく、大体がタレントか俳優に転職して落ち着くでしょ?

 生活のためとは言え、あんたは、音楽やりたいの? それとも目立ちたいの? って尋ねたくなります。

 そもそも歌なんて、イヤなら歌わなきゃいいわけで、それでも人前で歌っているのは、むしろ人前で歌うのが好きなわけで、スポットライトを浴びたいわけで、目立つことが好きなんです。チヤホヤされたい…んです。

 本人には自覚があるかどうから別として、歌手なんて人種は、歌が好きで歌が得意なのはもちろんとして、目立ちたがり屋の自己顕示欲の強い人間なんです。

 違う?

 特に高音歌手はそうですね。高音で歌うと音的に目立ちますからね。

 クラシック系で言えば、ソプラノやテノールには…目立ちたがり屋が多いですね。ポピュラー系もロックシンガーは高音歌手が多いせいか、やっぱり目立ちたがり屋が多いです。

 歌手は目立つのが好き、というよりも、目立つのが好きだから歌手を選択する…とも言えます。

 かく言う私も、きっと、自己顕示欲の塊ですね。少なくとも、ブログを10年やり続けられるわけだもん、そりゃあ、目立ちたがり屋だよな(汗)。

 明日はフルート奏者の気質について考えます。

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2017年11月14日 (火)

すべての音楽は騒音である

 音楽を学んでいると、騒音問題とは縁が切れません。特に私は、昭和の時代に起こった、『ピアノ騒音殺人事件』の地域に住んでいるので、騒音問題は決して他人事ではありません。

 なにしろ、アップライトピアノの音がうるさくて我慢ならずに殺しちゃうわけだからね。ピアノ程度の音で殺人事件が起こるわけです。ピアノよりも大きな音の楽器は、ほんと、気をつけないと危ないです。金管楽器はほぼアウトでしょう。実は声楽も、正しい発声で歌うと金管並の音量になりますから、これもアウトです。

 人間が「うるさい!」と感じる要素は、もちろん音量は大切な要素ですが、なにも音量だけに限ったわけではありません。音量がそこそこでも、不快に感じる音は、やっぱり騒音です。特に甲高い音は一般的に不快です。(下手くそな)ヴァイオリンの音が不快に感じられるのは、音が高いからであって、フルートも音量そのものは可愛いものですが、音が高いので、結構、癇に障るわけです。

 打楽器は、音量に関わらず、耳についた段階でまずアウトです。打撃音というのは、人の神経を逆なでするモノですからね。

 問題は楽器の音だけではありません。音楽の再生装置の音量も問題になります。いわゆるステレオの音が大きいのは、やはり騒音扱いになります。今や音楽の再生装置はステレオだけでなく、パソコンやテレビなども問題になります。最近のパソコンやテレビは、かつてのオーディオ機器にも劣らぬほどの高音質で鳴りますからね。低音も高音もよく響きます。

 私のパソコンの場合、付属のスピーカーではなく、音楽再生用のスピーカーを接続しているので、パソコンでもなかなか良い音で音楽が楽しめますが、そのために騒音度はかなり高いようです。特にウーハーを一緒に鳴らすと、一発でアウトのようです。

 家の中だけでなく、外出先でも、最近はスマホ+ヘッドフォンで音楽を聞く人が増えましたが、これもヘッドフォンから漏れ聞こえる音が結構問題になります。音量的には大したものではないのですが、一度耳につくと、なかなか離れないもので、気になると言ったら、気になるものです。人によっては殺意を覚えるほどだそうです(怖いですね)。

 道を歩いていても、カーステレオの音量をガンガンにして走っている車などが、信号待ちなんかをしていると、たまったもんではありません。私の友人で、走っている車の中で発声練習をしたり歌の練習をしたりしている人がいます(器用ですね)が、その人なんかも、信号待ちの時は、周囲に多大な迷惑をかけているんじゃないかと心配します。

 騒音に関しては趣味の問題も関係します。ランパルの神ががった演奏であっても、アンチクラシックの人(世界中の人々の大半がそうですね:汗)には、耳障りの騒音にしか感じられません。逆も真なりで、例えば、ロックの名曲「紫の炎」だって、クラオタが聞けば、ただの騒音だからね。いい曲なんだけれどね…「紫の炎」って。

 ちなみに「紫の炎」って曲はこんな曲です。ボリュームをアゲアゲで聞くのが、正しい楽しみ方ですよん(笑)。

 結局、どんな音楽であれ、音楽という音楽はすべて、聞く人によって音楽であったり、騒音であったりするわけで、興味のない人間にとっては、どんなに素晴らしい音楽であっても騒音でしかない…ってわけです。それゆえに我々音楽学習者は、自分たちが出す音に細心の注意を払っていかないといけないわけです。だって、ご近所から「うるさい!」ってクレームつけられたら、音楽を趣味には出来ませんからね。

 我が家の場合、家を建てる段階で、防音の事を考えて作っていますので、多少の音は問題にはなりませんが、それでも練習する時間を決めて、深夜(笑)は音を出さないようにしています。フルートやヴァイオリンはともかく、声楽は本当に大音量になりがちですからね、気をつけないと。

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2017年11月13日 (月)

高価なフルートは何のためにあるのか?

 学生や子どもは自分では楽器を買いません。親なり学校なりが与えた楽器をただひたすら吹くだけです。ですから、大抵の場合、高価なフルートとは無縁です。

 オトナの初学者の場合、最初こそは廉価なスチューデントモデルの楽器を吹いていますが、そこから始めて、フルートにはまり、ドンドン楽器を買い替えていく人もいます。また、複数の楽器を所持する人もいます。なにしろ、オトナには財力がありますからね。大人買いだってしちゃいます。

 本来、高価なフルートは、プロ奏者のためにあります。つまり、これらの楽器は、プロ仕様の楽器ってわけです。

 だからと言って、アマチュアが入手してはいけない理由はないし、アマチュアが購入してくれなければ、高価なフルートはさらに高価にならざるをえなくなるでしょうから、アマチュア奏者が高価なフルートを入手する事は、購入者本人のためのみならず、多くのプロ奏者の助けにもなるし、フルートメーカーにとっても良い事なので、決して間違いではありません。

 しかし…「なんか、低音が鳴ったり鳴らなかったりするので、フルートを買い替えてみるか」とか「高音ミが出ないから、フルート買い替えてみるか」とかの理由で高価なフルートに買い換えても、たぶん満足いかないと思います。

 と言うのも、低音が鳴ったり鳴らなかったりするのも、高音ミが出ないのも、楽器のせいではなく、奏者の力量不足が原因だからです。だから、楽器の買い替えでなく、練習時間倍増が幸せになる道だったりします。

 あ、もっとも、高音ミに関しては、Eメカの無い楽器を使っている人がEメカ搭載楽器に変えれば、多少の効果は認められます…が、高音EはEメカ無くても出せるようになりますから、それだけの理由で楽器の買い替えは、ちょっとばかりコストパフォーマンスがよろしくないかもしれません。

 「先生が買い替えを薦めたから…」と言うのなら、買い換える理由が(たぶん)あるんだと思うし、買い換えることで幸せになれるかもしれません。ただし、楽器店に雇われている先生の場合は、その楽器店の方針で(本当は必要ないのに)楽器の買い替えを薦められるかもしれません。まあ、その時は、先生への恩義もあるでしょうから、自分のお財布と相談して決めてください。

 高価な楽器に買い換えることで得られるもの…それは音量です。フルートの場合は、必ずしも物理的な音量とは限らないかもしれません。ただ一般的に高価な楽器ほど“遠鳴り”するものと考えても大きく間違っていません。

 高価になれば、フルートの材質が変わったり、管厚が変わったりしますが、これらもすべて音量を増大する方向に作用します。

 遠鳴りがする楽器って大切だよね。特にプロの場合は、大きな会場で演奏する機会もあるでしょうから、ぜひ必要なんだと思います。

 「高価なフルートは良い音色がするのでは?」

 フルートの音色は、確かに楽器によって多少の違いはあるし、高価な楽器の方が一般的には良い音がしますが、フルートの場合、その音色は楽器が左右する要素よりも、奏者による違いの方が、影響大きそうです。つまり、音色に不満があるならば、楽器を買い換えるよりも、音色作りに励んだ方が効果大なのです。

 「高価なフルートの方が操作性が良いのでは?」

 これは調整の問題の方が大きいと思います。思いっきり廉価な楽器はともかくとして、スチューデントモデル以上ならば、フルートの値段よりも、どれだけきちんと調整されているかの方が、操作性に大きな影響を与えると思います。最近、フルートが吹きづらくなったなあ…と思ったら、フルートを買い換える前に、今のフルートを調整に出すのが良いですよ。第一、高価なフルートは重量級の楽器であることも多いので、操作性だけを考えたら、楽器は軽い方が絶対に操作性は良いって(笑)。

 「金ピカのフルートの方がカッコイイじゃん!」

 これは否定しません。実際、プラチナの楽器(メッキじゃないよ)と金メッキの楽器、お値段的には、プラチナの楽器の方が比較にならないくらいに高価ですが、ぱっと見は、金メッキの楽器の方がお高く見えます。ですから、高価そうに見える…という理由で楽器を買い換えることは…アリですね。だいたい、自由経済社会においては、高価な買い物をし市場経済をうるおす事は、むしろ正しい事なので「金ピカはかっこいい!」という理由でフルートを買い替えても良しです。

 と言うわけで『高価なフルートは何のためにあるのか?』と問われれば、それはプロが使用するために存在するわけで、高価なフルートを入手する事で、より大きな会場で演奏することが可能になり、見た目にもゴージャスな感じにもなります…って事が言えると思います。

 アマチュアの場合は…社会に経済的な活気を与えると言う意味で、フルート買い替えは、音量優先でも見た目重視でも構いませんが、アリです。ただし、フルートを買い換えれば、今の不満はすべて解決する…という夢は見ない方がよいですね。フルートを買い替えたからと言って、解決しない事はたくさんありますからね。

 まあ、楽器に不平不満があっても、フルートを買い換える前に、自分の技量を確認し、練習積み上げた方が幸せになれる可能性は高いですよ…とだけは老婆心ながら申し上げておきます。

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2017年11月12日 (日)

なぜ時代劇が廃れてしまったのか考えてみた

 前回、新作の水戸黄門を熱心に見ている事を告白した私です。

 それにしても不思議に思うのは、私が子どもの頃は、毎週のようにテレビでやっていた時代劇が、現在では、地上波ではほとんど見られなくなってしまった事です。似たようなモノとしては、NHKの大河ドラマがあるけれど、あれは時代劇と言うよりも歴史劇だからね。似てはいるけれど、ちょっと違う。大河ドラマは時代劇じゃあ、ありません。

 時代劇は、別名“まげもの”と呼ばれているけれど、基本的に“ちょんまげ”を付けた人々が活躍する芝居です。時代背景は…おおよそ江戸時代っぽいけれど、必ずしも江戸時代とは限りません。基本的に、時代考証なんてありません。そこんとこは自由みたいです。とりあえず登場人物たちが“ちょんまげ”していれば、後は何をしても良いのが時代劇です。

 そういう意味では、時代劇は一種のコスチュームプレイであり、ファンタジーなのです。ちょんまげさえしていれば、歴史ものをやろうが、現代的なテーマでやろうが、いっそSFをやったっていいんです。“歴史に忠実”をモットーとする歴史劇とは、そこが違います。

 その何でもありの自由さが、今の時代に合わないのかもね。今の人たちは、学歴も上がり、知的な人が増えてきたので、ある意味、ハチャメチャな時代劇ではなく、シリアス風味の歴史劇を好むようになったのかもしれません。

 また、時代劇と言えば、勧善懲悪です。勧善懲悪は分かりやすくていいのですが、これも今の人たちには受けないのかもしれません。今の時代は、正義が見えづらい世の中です。正義が正しいばかりでもなく、悪者にも悪者なりの事情があったりするわけで、とにかく複雑なのが現代社会です。勧善懲悪で割り切れるほど、現代社会は、単純な世の中ではないのです。

 あと、時代劇と言えば、派手な立ち回りが付き物です。いわゆる“殺陣”ですね。正義のヒーローが悪人たちをバッタバッタと斬り殺していくのですが…ヒーローが堂々と人殺しをしちゃ…ダメだよね。それに残酷だし…。そういう部分も今の人には受け入れられずらいかもねえ…。

 さらに言えば、時代劇と言えば、武士たちの主従の関係が描かれたり、町人とお武家様の対立が描かれたり、お家の存続が問題になったりしますが、そういう家父長的な感覚って、今っぽくないよね。今は個人主義の時代だけれど、時代劇と個人主義は…相性悪いよね。

 そう考えると、確かに時代劇って、色々と今の時代とは合わないねえ。

 で、今の時代と合わないと言えば、似たようなものに特撮モノがあります。特撮モノは、基本的にSFだから、あれこれ現実世界とは違った価値観で物語が進行していきます。しかし、時代劇が廃れてしまったにも関わらず、特撮モノは…仮面ライダーにせよウルトラマンにせよ、今でも元気に毎週毎週新作が作り続けられています。それはなぜでしょう。

 と言う訳で、時代劇と特撮モノを比べてみました。

 まず、似たような点です。

 時代劇も特撮モノも、まず物語の本質がファンタジーであり、現実離れをした物語が展開されます。現実離れをしている分、例えば、衣装代(特撮ならばきぐるみ代)がかかりますし、小道具も特注品となり費用がかさみます。スタジオ撮影ならば、いちいちセットを組まないといけないので、やはり制作費がかかります。その代わり、ある一定のお約束を守れば、後は何をやっても自由です。“ある一定のお約束”ってのは、水戸黄門なら印籠を見せるとか、当山の金さんなら背中の桜吹雪を見せるとか、ウルトラマンや仮面ライダーなら変身して戦うとか…ですね。そこさえ押さえておけば、後は何をやってもOKなのが、ファンタジーである時代劇や特撮モノの特徴です。

 一方、時代劇と特撮モノでは違いがあります。その違いが、特撮は元気だけれど、時代劇が廃れてしまった原因になると思います。

 まず、時代劇と特撮モノでは、メインターゲットとなる視聴者が異なります。時代劇の対象は…普通にオトナです。それも年寄りが多いかな? ですから、一度ファンになると、ずっと見続けます。いわば固定ファンが付くわけです。

 一方、特撮モノのメインターゲットは子どもたちです。大きなお友だちも特撮モノを見ないわけではありませんが、それでもやはりメインターゲットは子どもたちです。それもだいたい幼稚園ぐらいから…せいぜい小学校低学年ぐらいまでです。つまり、視聴者の年齢の幅は、せいぜい5年ぐらいでしょうか? いわば5年経つと視聴者がまるまる入れ替わるってわけです。

 ですから、極端な話、特撮モノは同じ話を5年ごとに繰り返しても、全然平気なのです。視聴者は常に入れ替わっているので、同じ話であって、その時見ている受け手にとっては新鮮なわけで、いわば過去の物語の焼き直しの繰り返しでも全くOKなのです。常に古くて新鮮な物語が提供できるのが特撮モノなのです。

 一方、時代劇は…ずっと同じ人が見てますので、同じ話を繰り返すわけにはいきません。しかし、物語の消費度が激しく、毎度毎度新規な物語を提供していくのは、当然無理なので、やがて物語が定型化していき(そうしないと物語の量産化は難しいのです)、それが物語のワンパターン化を生み出し、結果として、同じようで、でも少しずつ違った物語を作り続けていきます。類型化された物語の大量生産、つまりマンネリが発生します。

 お年寄りには物語がマンネリでもいいのです。いやむしろ、マンネリの方が安心してみられるので、むしろ歓迎ですが、若い人間は変化を求めます。いつもいつもマンネリした物語をみせつけられていては、せっかく若い人間が時代劇に興味を持ったとしても、長続きせず、やがて離れてしまい、ますます時代劇ファンの固定化が進んでしまうわけです。

 で、その固定ファンが未来永劫に存在しつづけるなら、それはそれで良いのでしょうが、人間は年齢を重ねると、やがて死んでしまいます。かつてはたくさんいた時代劇の固定ファンも少しずつその数を減らし、今ではだいぶ少なくなってしまいました。これが時代劇の衰退の一つの原因でしょう。

 また、制作側の都合もあります。

 スタジオ撮影は、時代劇であれ、特撮モノであれ、手間暇お金がかかります。そこで、可能であれば、なるべくロケで撮影したいのが制作者側の本音でしょう。スタジオ撮影と較べると、ロケの撮影の方が、あれこれ安価で済むからです。

 実際、特撮モノはロケでの撮影が多いですよ。屋外のシーンだけでなく、屋内のシーンですら、外部の建物を借りて撮影して、制作費を浮かせて、その分の費用を特撮部分の撮影にぶち込むわけです。

 時代劇の場合は…ロケでの撮影が年々難しくなっているんだそうです。と言うのも、時代劇のロケの場合、少しでも現代的な要素がある場所では撮影が不可能だからです。

 ビル街での撮影が不可なのは当然として、普通の田舎道でも、電信柱があればアウトだし、道路が舗装されていてもダメです。自販機なんて論外だし、田んぼはOKでも畑は…栽培している作物(例えばトマトなどの西洋野菜の畑はダメだし、ビニールハウスは論外)によってはアウトです。そういうふうに条件を絞って撮影可能な場所を探していくと…時代劇に適した場所はなかなか無いので、ロケのバリエーションが広がらず、風景が一本調子になりやすいし、結局はスタジオ撮影や太秦などの時代劇専用撮影所での撮影ばかりになってしまうわけです。で、制作費が高額になり、なかなか制作されにくくなり、放送もしずらくなってきた…ってわけです。

 制作費の問題をあげれば、スポンサーの問題にも関わってきます。

 特撮モノは、子供向けの商品を扱っている会社(おもちゃとか食品とか衣料品とか)がスポンサーになりやすいです。でも時代劇だと、今時の会社はスポンサーになりづらいです。

 例えば、自動車メーカーとかパソコン会社、家電メーカーに携帯会社、ゲーム会社にアパレル会社等々は、時代劇のスポンサーにはまずなりません。だって、スポンサーをやるメリットがないもの。自社の製品と時代劇とは、どうやっても結びつかないでしょ? 時代劇のスポンサーができる会社と言えば、製薬会社と保険会社ぐらいかな? 高齢者向けの商品を扱っている会社ぐらいです。

 演じる役者側の都合もあるでしょう。

 特撮モノはSFものですが、芝居の基本ベースは現代劇です。セリフ回しはもちろん、衣装も所作も現代劇と同じですから、それほど演技のキャリアがないような新人でも、なんとか演じる事ができますし、実際、特撮モノは新人俳優たちの登竜門的な役割もあります。

 一方、時代劇は、時代劇特有のお約束事に満ちあふれています。セリフも時代劇特有の言葉が多いですし、セリフ回しも現代劇とは異なります。衣装も違うし、所作も違うし、そもそもちょんまげを付けなきゃいけませんが、ちょんまげをしてしまうと顔が変わってしまうので、それを嫌う役者も多いようです。実際、大河ドラマなんか、歴史モノなのに、登場人物たちがみんな総髪(ちょんまげではなく、今風の髪型)だったりします。空想上の人物が総髪でも、それはありかもしれませんが、歴史上の人物の場合、その人がちょんまげの人なら、やっぱりちょんまげにしないとダメなんじゃないかな? 例えば、織田信長の総髪なんて、ありえないでしょ!

 セリフや台本の問題は、演じる役者だけの問題ではありません。そもそも脚本家や監督などのスタッフですから、ちゃんと分かっているのか不安になるようなケースも、最近の歴史モノでは多々見かけます。歴史モノですらちゃんとできないのに、時代劇で時代劇っぽい時代言葉を使って芝居を制作するって…そりゃあ難しいよね。それに、見ている視聴者たちも時代劇を見慣れなくなったので、若い世代を中心に時代劇の言葉が分からなくなってきているし、そこをいい加減にしてしまうと、今度は固定ファンであるお年寄りたちが文句を言い出すし…。だって、そこらへんをいい加減にしてしまうと、時代劇特有の雰囲気が時代劇から失われ、それが時代劇の輝きを曇らせるようになってしまうわけです。つまりは、時代劇が持っていた、あの特有な“非現実感”が薄れてくるわけで…そこがダメになったら、そりゃあ時代劇も面白くなくなってしまうよね。

 結局、色々と細かい理由はあるけれど、時代劇の衰退は、ある意味、時代の流れに流されただけであり、昔ながらの時代劇なら消えていくしかないわけです。

 時代劇はテレビ番組の1ジャンルにしか過ぎないわけで、その役目を終えて消えて無くなるなら、それはそれで仕方ないし、時代劇は日本文化の一つであるというのならば、今の時代に即したモノに変革していかないと、今の視聴者たちには受け入れられないよね。制作者たちも、そこは分かっているんだと思う。だから、BSなどで時代劇のリブートをしているんだと思う。そうやって、試行錯誤をしながら、今の時代の時代劇を模索しているんだと思います。

 だって、新作の水戸黄門は、昔ながらのテイストを保ちながらも、新しい部分もあって、面白いよ。

蛇足 スターウォーズって、時代劇をリスペクトして作られた作品だったって知ってましたか? ジェダイってのは、時代劇の“時代”が鈍った言葉です。ライトセーバーは日本刀のオマージュだし、ダースベーダーやストームトルーパーのデザインは日本の鎧がモチーフだし…ね。初期シリーズの重要キャラクターのオビ=ワン・ケノービの“オビ”は黒帯の“おび”なんだそうだし、そもそもあのキャラクターは三船敏郎がやる予定だったとかなんとか…。

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2017年11月11日 (土)

ウルシが我が家に来ました

 ミドリ(二代目)が星になり、こりゃをウカウカしていられねえぜって訳で、さっそく新しい子を迎えに行きました。

 金魚というのは、スペースの有無とエサの量で大きく育ってしまう生き物なのです。幸い、今はエサを少し抑えめにしていますので、かつてのような巨大魚は存在しませんが、それでも水槽内にスペースが生じると、その分だけ大きく育ってしまいます。大きく育ってしまうと、水槽内の金魚の定数が減ってしまいます。ですから、ミドリが星になったからと言って、すぐに新しい子を補充しないままだと、残った子たちが育ってしまい、金魚の定数が減ってしまい、次に新しい子を入れても、じきに誰かが星になる…って事になってしまうので、今の金魚定数(5匹)を死守するためにも、ミドリの後釜をすぐに入れないといけないのです。

 で、さっそく総合ペットショップに行ってきました。

 以前は、徒歩約5分のところに金魚専門店があったのですが、そこはだいぶ前に廃業してしまい、今、我が家から比較的近いと思われる金魚専門店は2軒とも、電車で30分以上かかりますので、なかなか行けません。そこでやむなく、総合ペットショップ(はっきり言っちゃえば、イヌネコ屋さんが片手間で金魚も売ってます…って感じの店)に行ってきました。ここなら、我が家からバスで一本なので、肉離れな私にも優しい感じなのです。

 ちなみに、この店は、ミドリはもちろん、ヤヨイやアセビを購入したお店なのでした。最近は、この店で金魚を購入することが多いんですね。

 で、総合ペットショップに行ったわけです。

 今いる子たちは、皆、白っぽい子か赤っぽい子ばかりなので、ミドリ同様、濃い色の金魚が欲しかったのです。まあ、出目金でなくてもOKなのはもちろん、黒でなくても、茶色やフナ色でもよかったのです…が、そこは金魚専門店ではない悲しさ、取り扱っている金魚の種類もごく少なくて、濃い色の金魚と言えば、黒出目金一択でした。

 本当は、星になったばかりの子と同じ種類の子は、その直後に飼うのは、ちょっとためらいを感じる私ですが、そこは仕方がありません。それにしても、黒出目金を見ると、やっぱりミドリのことを思い出します。

 数匹泳いでいる中、一番、ミドリに似た感じの子を選びました。つまり、目がはっきりと飛び出ていて、背びれがピンとしていて、尾ビレも腹ビレも長くて、体色は漆黒+黄金の黒出目金です。

 価格は400円でした。安い…、さすがB級金魚です。名前は、漆黒の“漆”からウルシと名付けました。お店で見た時は「新しい子にしては、大きいかな…」と思いましたが、水槽に入れてみたら、さほど大きくはなく、大きさ的にはやっぱりチビでした…ってか、ベルちゃんやアセビと比べても、二回りぐらいは小型です。いやあ、小さくて小さくて、まるで金魚のミニチュアのようです。ううむ、実にカワイイ…。

 で、この子を水槽に入れたところ、他の子たちの態度が全然変化なく、普段通りだった事にビックリしました。ウチの金魚たちは、これで案外、ビビリで、新しい子を入れると、入れた子も、元いた子も、互いにビビってしまうのですが、今回、ビビっているのは、新入りのウルシだけで、他の子たちは、全然平気な顔をしていました。

 「もしかしたら、ミドリが水槽に戻ってきた…って思ってないか?」

 案外、ミドリとウルシの区別が付いていないのかもしれません。まあ、大きさは全然違いますが、カタチはほぼ同じのそっくりさんですからね。金魚たちの可愛い脳みそでは、区別つかないのかもしれない…という容疑が濃厚な我が家の水槽でした。

 金魚って、やっぱり可愛いおバカちゃんなのかもしれない。

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2017年11月10日 (金)

改めて…椅子の座り方を習いました

 フルートのレッスンに行ってきました。

 「先週は立ったままでレッスンしちゃって、ごめんね」といきなり謝られました。もちろん、私が肉離れで足が痛かったのだけれど、座って吹くよりも立って吹いた方がいいんじゃないかと…自分の意思で、ちょっと頑張って、前回は立ってレッスンを受けたのです。

 もちろん、普段は立ってレッスンを受けますが、肉離れになって以降は、座ってレッスンを受けていた私です。で、肉離れだって、少しずつ良くはなっているわけで、それで立ったわけです。

 私、なんとなくレッスンは立って受けるものだと思ってますし、座って吹くよりも、立って吹いた方が自由に腹筋は使えるし、立った方が良いと思ってました。

 …もちろん、自宅でダラっと練習している時は、椅子に座ってフルート吹いてますが(汗)。あ、歌う時は座ったまま歌うなんて、足を怪我していてもしてないよ。

 で、先生曰く「フルートは座ったままでも、ちゃんと吹けないとダメだよ」ってわけで、椅子への座り方をレクチャーしていただきました。考えてみれば、オケでフルートを吹く人は座っているし、室内楽の人も座って演奏する事多いよね。よくよく考えてみると、フルートを立って吹くのは…ソリストだけかも(!)。って事は、フルートは立って吹くよりも、座って吹く機会の方が多いかも…。おお、スゴイことに、今、気づいたぞ。

 ってわけで、今回は、先生から教わったとおりに、椅子に腰掛けてフルートを吹きました。とは言っても、そんなに難しいことを教わったわけではなく、単に、椅子には浅く掛け、背もたれは使用せず、腰を縦に伸ばして、背筋をピンとして、頭を空高く伸ばして、まるでバレリーナにでもなった気分でフルートを吹く…ってだけの話です。その姿勢なら、座っていても、しっかり息がお腹に入ってくるって寸法なわけです。

 その姿勢で、ロングトーン練習です。まあ、良しです。

 エルステユーブンゲンの21番は…たっぷり自宅練習をしてきて、自信満々でしたが、やっぱり中間部でチョロチョロ、ミスっちゃいました。先生「うーん」と唸っていましたが、とりあえず合格にしてくれました。…ほっとしたよ。

 22番は…なんか難しい。前回、吹けなかったところは、猛練習してきたけれど、まだまだダメだな。なんか悪い螺旋に入ってしまったようで…ううむ、なんとかこの壁を乗り越えないと。次回からは、この22番を暗譜し、23番に取り組まなくっちゃね。

 プチエチュードの18番は…合格です。ノーミスってわけには行きませんでしたが、ひとまず、甘々でしょうが、合格をいただきました。ミスっているのも、練習不足が原因ではなく、かすみ目(笑)が原因で、演奏中に楽譜が見えなくなって、それでミスちゃうわけで、暗譜をすればいいんだけれど、そこまで練習を積んでいるわけでもなく…ってわけで、かすみ目ミスは大目に見てもらっての合格です。やれやれ。

 次回は19番ですが、この曲は、私史上、一番黒々とした楽譜です。いやあ、ほぼ真っ黒、漆黒じゃないですか? なんか吹ける気がしません。先生曰く「まずはゆっくりゆっくり吹いてらっしゃい」との事。そりゃあこんな曲、いきなり指定速度では吹けませんって…。

 40リトルピーセズは、5番のヘンデルのメヌエットですが…いやあ、練習をしてもしても、なんかつかめなくて…ちゃんと吹けません(涙)。譜面的には簡単なのに、ジェンジェン無理っす…。なので、不合格でした。

 「一週間で1曲ずつ仕上げてもらうからね!」と言うわけで、不合格の5番は来週まで持ち越しですが、それはそれとして、6番のシューマンのメロディが宿題に加わりました。ああ、シューマンだ。これなら吹けそう…。

 で、シューマンは吹けるけれど、バッハとかヘンデルとかは、なんともならないです…と愚痴ったところ、バッハとかヘンデルのメロディは器楽的だけれど、シューマンなどのロマン派のメロディーはメロディアスだからね…との事でした。

 まあ、私はメロディアスなメロディは吹けるけれど、器楽的なメロディを苦手としているってわけですね。しかし、フルートは器楽なのに、器楽的なメロディーが苦手って…私も相当変わり種だね。

 で、今回の雑談は…「実は明日、ウチの息子の結婚式なんだよ!」ってわけで、息子さんの結婚式までのアレコレのお話をうかがいました。おめでとうございます。さすがに、そんなプライベートな事をネットに書くわけにはいかないので、今回の雑談は勘弁してください。

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2017年11月 9日 (木)

声をチェンジさせて歌っちゃいけない

 まだまだ声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。

 最初は、今回で終了である、武満徹作曲の「○と△の歌」です。まずは声の色の確認からです。とにかく、歌詞のイメージと声の色をつなげていくのです。丸い声、赤い声、広い声、尖った声…これらをどう発声していくか。そのためには、まずしっかりと声のイメージをして、そのイメージを表現するのにふさわしい声を出していくわけです。そのためには、声のポジションを変えなければいけないだろうし、クチのカタチ、息の速さだって変えていかなければいけないし、変えた先は必ずしも理想的な状態ではないかもしれない。しかし、悪声と言えども声は声という割り切り方だって必要かもしれません。

 とにかく、色々な色を持った声で歌わないといけません。きれいな歌い方だけが良いわけではありません。演劇的な要素も大切なのです。音楽的な美しさと演劇的な表現の折り合いをどうつけていくか、その折り合いの付け方こそが歌の美しさにつながるわけです。

 これらは一朝一夕で出来るわけではありません。これからも頑張っていかなければいけませんが、まずは出来る範囲でやっていきます。

 次はドナウディ作曲の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。

 前回のレッスンでは、最初にある1オクターブの跳躍がうまくできずに、跳んだ先の音がフラットしてしまうという醜態をさらした私でしたが、今回はきれいに1オクターブ跳んだは跳んだのですが…先生曰く、それではダメなんだそうです。

 どうダメなのかと言えば、音が跳んでいる最中に声がチェンジしてしまっているのです。これはダメなんですね。たとえどんなに音が離れていても、その間は細かなポルタメントでつないで歌わないといけないのです。デジタル式でピョンと跳んでしまってはいけません。ましてや、跳んでいる最中にポジションが変わる(声の発声法が変わる)のは、ダメ中のダメなのです。

 とは言え、この曲での冒頭の1オクターブの跳躍は、テノールにとっては難しい跳躍なのです。と言うのも、この跳躍は、五線下のCから五線中のCへの跳躍だからです(つまり、低音のドから中音のドへの跳躍です)。テノールだと、低いCの少し上に低音のチェンジがあるわけです(私の場合は、Dのあたりにチェンジ箇所があります)。なので、普通に歌うと、最初の低いCと次の中音のCでは声をチェンジしますので、当然あれこれ発声方法が変わってしまうのだけれど、それではダメよって話なんです。

 特に私の場合は、中音のCはまあまあだけれど、低音のCは、明らかに掘った声になっているそうなのです。それじゃあダメだね

 ちなみに、バリトンだと低いCから中音のCへの跳躍はチェンジがないので、とても簡単なようなのですが…。

 では、テノールである私(というか、テノールの声帯を持つ私の場合は…と言った方が正しい言い方でしょうね)は、この箇所をどう歌うべきかという話になりますが、やっちゃいけないのが、低いCをいきなり出すこと。これをやっちゃうと次の中音のCに行く時に必ず声がチェンジしてしまうのです。それを回避するためにやるべき事は、最初に中音のCを出してしまうこと(!)。

 つまり、楽譜上は“低いC -> 中音C”と書かれていますが、それを“中音C -> 低いC -> 中音C”と歌ってしまうってわけです。もちろん、最初の中音Cは一瞬だけ出して、発声するや否やそれをポルタメントでググっと1オクターブ下まで下げて歌って、すぐにそれを元の音程まで戻して次の中音Cを歌ってしまえという、ある意味テクニカルでトリッキーな歌い方をしましょうってわけです。

 感覚的には、中音Cにヒモを引っ掛けたら、そのヒモをグイっと下に引っ張って低音Cを出し、出し終えたら、ヒモから手を離して、元の中音Cに戻す…という感覚です。ですから、そんなに低音で頑張ってはいけないわけだし、そのために音量的に不足していても、響き的に貧弱であっても、それそれで良しと割り切らないといけません。

 この曲の曲想を考えると、フレーズの開始(ってか曲の開始だけれど)を安定的に歌うよりも、若干の不安要素を内包しながら歌った方が結果的に正しい…と言うか、作曲家はそこまで考えて“低いC -> 中音C”の跳躍を書いたのではないかと思われます。つまり、この曲は、楽にバリトンやメゾソプラノが歌うのではなく、何ともならないところを何とかしてテノールやソプラノが歌うことを念頭に置いているのはないと、私は思うわけです。

 また曲中に何度も出てくる、いきなり高い音から下降音型で始まるメロディーも、いきなり高音をストレートに発声するのではなく、まずその高い音程のハミングで鼻を鳴らしてから声を出すのが良いのです。つまり「準備は早め早めに」って感じです。

 細かい音符が動く箇所は、その音の動きをノドで動かすのではなく、ブランデーをグラスの中で揺らすようなイメージに、同じポジションで動かして歌うのが吉です。

 と言う訳で、今回のレッスンは終了です。

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