ひとこと

  •  理解できない事。昨今の中国では「脚臭塩」と呼ばれる、足の臭いのする食塩が蔓延しているそうだ。分析してみると、亜硝酸塩という毒物さえ混入しているそうだ。また逆に健康に良いとされている短鎖脂肪酸が入っているケースもあったそうだ。どちらにせよ、食塩というものは、ほぼ純粋な“NaCl”じゃないの? 国際食品規格委員会で定められた食塩の品質に照らし合わせても、亜硝酸塩とか短鎖脂肪酸などが入り込む余地は無いんだけれどなあ。食塩というのは、人間が生きていく上で必要不可欠なものなのに、その食塩の品質すら危ういなんて、ああ理解できない。ちなみに、足の臭いのする食塩とか言うけれど、足の臭いって…どんなんだろ? 足って、そんなに臭いか?
2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合のハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

カテゴリー

メールについて

  • 記事の訂正および削除の依頼と、部外者に見られることなく、私(すとん)と連絡を取りたい方は、メールリンク(この下にある「メール送信」)をクリックしてメールでご連絡ください。その際、どの記事でもかまいませんから、コメントに「メールを送りました」と一報いただけると幸いです。私、メールを見る習慣がないので、黙っているといつまでもメールを放置してしまいますので、よろしくお願いします。メールを送ったことをお知らせいただいたコメントは、メール確認後、すみやかに削除させていただきますので、ご安心ください。

2017年5月27日 (土)

ヨッチャンがどうも具合が悪いらしい

 ウチには緋ドジョウが3本、いや、3匹います。それぞれ、ラズ、ヨッチャン、マッチという名前がついています。ラズはこの中では一番の古株。年を取ってきて、多少カラダがボコボコしてきましたが、体色も良く、いつも元気です。マッチは一番小柄ですが、どこもボコボコしていなくて、ラズ同様に体色も良くて、いつも元気です。

 問題はヨッチャンです。ヨッチャンは、ラズを一回り小さくした程度の大きさで、カラダのボコボコさはラズより顕著です。体色はほぼスノーホワイトで、いつも元気が無く、時折呼吸すらしていない形跡があります。たまに腹を上にして水底に沈んでいます。カラダも数か所、金魚たちに食べられた形跡があります。満身創痍なんです。

 食欲だけは強くて、他のドジョウたちがおっとり食事をしているのに対して、ヨッチャンは常に激しく、すごい勢いで金魚の中に混じってエサを食べています。これだけ体調が悪そうなのに、なんとか生きているのは、この強い食欲のおかげかもしれません。

 でも、元気なのはエサの時だけで、それ以外は、生きているんだか死んでしまったのか、よく分からないくらいに、動きません。気絶している事も多いみたいです、いや、仮死状態って言った方がよいのかな?

 とにかく、ヨッチャンの具合が悪いのです。

 何か病気を抱えているのかもしれないし、そうではなくて、単なる虚弱体質なのかもしれないし、よく分からないのだけれど、具合が悪いのは確かです。しかし、ドジョウという生き物は、これで結構タフで、具合が悪い悪いと見えても、なかなか星にはなりづらく、具合が悪いまま長生きしたりするんですよ。

 ヨッチャンも日々毎日具合が悪いのですが、具合が悪いまま、何とか生きているわけです。頑張れ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2017年5月26日 (金)

日本のホールはでかすぎる!?

 フルートのレッスンに行ってきました。なんと、3週連続でレッスンに通いました、我ながらよくやった(笑)。特に今回は、たった一回だけれど、時間的にたっぷりと練習してからレッスンに臨みました。…そう、時間的にたっぷり…ね。ただし、疲れていて集中力皆無な練習でしたので、あまり効果的な練習とは言えませんでした。

 練習は集中力に欠けたままダラダラとやるくらいなら、短時間であっても集中して練習した方が、絶対に効果的だと思いました。

 という訳で、エルステユーブンゲンは20番21番ともに、まだまだ合格からは遠い状態でした。

 プチエチュードの16番は、時折臨時記号を落としてしまうミスはありましたが、装飾音符以外は、まあまあ吹けました。もう、メトロノームがなくても、リズムを見失う事はありません…装飾音符が付いている音符以外は!

 そうなんで、まだまだ装飾音符の処理が下手くそなんです。おそらく、時間をかけて練習すれば、これも解決できる問題だと思うのですが、その練習時間が確保できないので、どうにもこうにもなのです。

 まあ、時とやる気があれば解決する問題なので、頑張りたいと思います。

 さて、今回の雑談は…日本のホールって、無闇に広いよねえ…という話でした。もちろん、ホールに大中小とありますが、今回は大ホール…と言うか、オーケストラがメインで使うホールの話。

 まあ、ホールが広い方がお客がたくさん入るわけだし、興行として考えるなら、ハコが大きい方が収益が高いわけだから、大きなホールには需要があるのが当たり前なんだけれど、先生的には、それはなんか違うんじゃないのって話です。

 日本のホールは基本的に舞台が狭くて、観客席が広いのが大半です。でも、あちら(先生の話ですからドイツやオーストリアです)のホールって、実はそんなに観客席は大きくないのだそうです。基本的に舞台と観客席って、同じような広さなんだそうです。特に馬蹄形ホールは、舞台上にオペラのセットが3つも4つも並べられる広さですから、半端ない広さなんだろうと思います。

 平土間って本当に小さくて、舞台に立つと(日本のホールなら2階とか3階なんだろうけれど、あちらは)すぐ目の前がボックス席なんだそうです。つまり、客席の奥行きがさほど広くないそうなのです。で、そのボックス席も奥行きは3列前後なんだそうです。だから、そんなに収容人数が多くないのです。で、ホールが大きくないから、無理に大きな音で演奏しなくていいので、音の美しさを追求できるんだそうです。

 「テレビで見ると大きく見えるけれど、ウィーンのホールなんて、本当に小さくて狭いんだよ」との事です。

 ちなみに、ボックス席ってのは、いわば個室が並んでいるような状態であり、それぞれの個室を管理するボーイさんがいて、彼らにチップを渡さないとボックス席に入ることすらできないそうなのです。そういう習慣は日本にはないので、面白いですね。相撲のマス席のように、お弁当とか食べながら音楽鑑賞できるのかと思ったら、食べられないわけでないようだけれど、結構皆さん、普通に真面目に音楽鑑賞をするんだそうです。ふーん、そうなんだ。

 てっきり私は、ワインとか飲んで、美女と語らいながら、舞台を鑑賞できるものとばかり思ってました。それはどうやら、私の脳内の妄想のようでした。

 ちょっと、残念。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2017年5月25日 (木)

合唱人が声楽を学んで得られる5つの利点

 日々、合唱を嗜んでらっしゃる方の中には、合唱だけでなく声楽も習っている方々が、少なからずいらっしゃると思います。もろろん、これらの方々の多くは、合唱人としての向上のために声楽を習っているわけです。

 では、合唱人が声楽を学んで得られる利点…私がざっと考えるに5つの利点がありますが、それらについて考えてみましょう。

1)声楽を学ぶ事で、ちゃんとした発声が学べる

 いきなりこう書くと、カチンと来る方も大勢いらっしゃると思いますが、落ち着いてください。

 多くの合唱団で、毎回の練習の最初に“ヴォイトレ”と称して10~30分程度の発声練習をします。団によって、専門の先生にお願いしてヴォイトレをしている団もあると思いますし、その時に懇切丁寧な指導を受けている団もあると思います。

 でもね、でもね。合唱団でのヴォイトレは、あくまでも先生一人で団に所属している大勢の団員の方の発声をみているわけです。必ずしも、マンツーマンの指導が行われているわけではありません。

 実は発声と言うのは、天才ではない限り、個人的に矯正していかないと、どうにもならないものなのです。発声の先生が、一人ずつ声を聞いて、つきっきりで具体的な指導をしていかないと改善されないのが発声なのです。そういう意味では、発声ってのは、学びにくいものなのかもしれません。

 例えてみるならば、短距離走のようなものなのかもしれません。

 誰だって短距離ぐらい走れます。でも、普通に走っただけでは速くは走れません。速く走るために、合理的なフォームが必要となります。この合理的なフォームと言うのは、普通の人が走る姿からは程遠いものだったりしますし、一人ひとりのカラダが違うために、一人ひとりにとってのベストのフォームもまた違います。だから、短距離を志す人は、専門のコーチとつきっきりで速く走るためのフォームを探し出して身につけていきます。もちろん、天才にはコーチは不要です。天才は自分一人で最適なフォームを見つけて走ってしまうでしょう。でも、多くの凡才は、コーチと二人三脚で試行錯誤を重ねながら、そのランナーに最適なフォームを見つけていくのです。

 歌の発声も、誰でも声ぐらい出せるし歌も歌えるけれど、広い音域を美しく歌うためには、声楽コーチにマンツーマンで指導を受けないと、なかなか難しいようです。

 それに、実際の所、各合唱団でヴォイトレと称して行われているものの多くは、練習前の単なる準備体操だったりします。準備体操は準備体操として必要ですが、準備体操ばかりをしても、声はちっとも美しくならないのは自明の理です。

 だから、声楽を学んで、個人的に発声をみてもらう事で、発声が良くなるのです。

2)自分の声で歌う自信が付く(ソロが取れるようになる

 合唱で歌っていても、それは集団として歌っているわけで、決して一人ひとりが個人として歌っているわけではありません。また、求められている声も集団としての声であって、その中で、個人の声が突出していてはいけません。合唱では基本的に、個を集団に埋没させていかないといけません。集団の中で生きる声で歌わないといけません。

 そのため、極端な話、個人としてはきちんと歌えなくても全然OKです。高い音や低い声、あるいは声の変わり目などの声の出しづらい箇所は、パスして歌っても集団として成り立っているなら問題ありません。声的に問題なくても、上手く歌えない箇所とか暗譜が完了していない箇所も同様にパスしても、集団として成り立っていれば、これまたOKです。なにしろチームプレイで歌っているわけですから、個々の弱点は他のメンバーがカバーすれば、それで良いのが合唱なのです。

 しかし独唱はそういうわけにはいきません。いつ何時でも、きちんと歌うことが要求されるし、休む事も逃げる事も仲間に頼る事もできません。演奏の責任をきちんと自分一人で背負っていかなければいけません。

 それゆえに、歌う技量も上がるし、覚悟も定まります。他人に頼る事も少なくなり、勉強もきちんとしていかないといけません。つまり、自分の声で歌う自信を持てるようになるわけです。もし、団内でソリストを募った時などは、積極的にアピールできるようになるかもしれません。

3)歌が上手になる

 個人で歌を学んでいるのだから、そりゃあ上手にならないと困ります(笑)。

 合唱であっても、歌が下手では困るけれど、合唱では、自分が歌えない場所は歌わないという選択肢があるし、中途半端な出来で歌われても、周囲の人々に迷惑がかかるから、むしろ歌わない方が良いのだけれど、それを繰り返していては、いつまでたっても歌が上手にはなりません。

 独唱なら、失敗しても自分のせいですから、気にせずに失敗できるし、失敗を重ねていくことで上達していく事もできます。それに一人で歌っているわけだから、失敗をすれば、その事実と一人で立ち向かっていかなくてはいけません。そういう事を繰り返しているうちに、歌が上達していきます。

4)楽譜に強くなる

 また合唱なら、楽譜に弱くても周囲が歌っている声に合わせて歌うことで、なんとなく歌えているような気分になれます。また多くの団では音取り用の音源を制作して団員たちに配布しているところも多いと思います。そういう団では、楽譜が読めなくても、音取り音源を聞いて耳で覚え歌う事ができます。

 しかし、独唱ではそうはいきません。楽譜と向き合って自分なりの表現を考えて歌わないといけません。もちろん、独唱の場合、有名歌手たちの音源も豊富にあって、それらから音取りをする事はできるでしょう。音取りはしても、表現方法まで真似てしまっては、それは自分が歌ではなく、有名歌手のモノマネにしかなりません。コピーキャットでは歌手として終わりです。

 結果として、楽譜に強くならざるを得なくなります。なにしろ、周囲の人を頼れませんから(笑)。楽譜にも自然と強くなっていきます。

5)レパートリーが広がる

 もちろん、合唱をやっていれば合唱曲のレパートリーが増えます。しかし独唱をやると、合唱曲だけでなく独唱曲のレパートリーも増えます。特に、合唱曲の中にある独唱曲が歌えるようになるのがうれしいです。

 合唱団で合唱を始めて、最初の頃は合唱も面白いし、歌もぐんぐん上達していくと思います。数年して、伸び悩みの時期がやってきますが、そんな時は「ちょっと声楽を習ってみるか」と思い立つのも面白いことだと思います。

 もちろん、合唱人が声楽を学ぶ事で失うこともいくつかありますが、それはまた機会を改めて書きたいと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年5月24日 (水)

歌はテクニカルに歌いましょう

 声楽のレッスンの続きです。歌の練習に入りました。先生に『メリー・ウィドウ』の楽譜は渡しましたが、私はまだまだ自宅練習を開始していないため、今回は『メリー・ウィドウ』の曲はパスして、今までどおり、ティリンデッリ作曲の「O Primavera!.../春よ」と、ヴェルディの「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」を歌いました。ちなみに、妻はすでに「ヴィリアの歌」のレッスンを始めました。まあ、本番はまだまだ先なので、私はゆっくりと構えていくことにします。

 去年の『ラ・ボエーム』と比べたら、今年は歌う歌の難易度や暗譜をする分量もお話にならないくらいです。おそらく労力的には、昨年の1/10程度でしょ? 仕事も忙しいので、焦らずにボツボツと準備していきます。、

 で、ティリンデッリ作曲の「O Primavera!.../春よ」です。

 今回は、音程を上から取る練習をしました。キング先生に習っていた時からよく「音程は上から取りなさい」と言われ続けてきましたが、言われてできるくらいなら、習いに来ないわけです。

 音程を上から取るのは大切な事です。一つには音程のぶら下がりを予防できますし、音程の正確さも増します。そういう点では、声楽テクニックとしては大切なんですね。

 やり方は…もちろん、目標とする音の音程よりもちょっとだけ高い音程で声を発声してから目標の音程に合わせていくわけですが、それだけ教わってもできるわけないわけです。

 だいたい人間と言うのは気持ち悪い事は避けるわけで、歌の音程にしたって、基本的にはジャストな音程で歌いたがるわけです。だってそれが一番気持ち良い事なんですから。それをわざわざ、ほんの少しだけ上に外してから入れ直すという作業をするわけで、それは人間の本性に逆らう作業なわけですから、そんなに簡単にできるわけないのです。

 では、その気持ち悪い事を気持ち悪くなく自然に行うにはどうしたら良いのか? そこで声楽テクニックって奴を使うわけです。

 まず、音程を上から取るためには、背筋とか腰筋などを一度下に引っ張る必要があります。感覚としては“身をすくめる”感じかもしれません。これは準備動作ですね。それから上アゴを開いて高音を出します。もちろん、目標の音程よりも多少高めの音程を出すわけですから、息は思いっきり多めにして出します。このようにする事で、瞬間的に高めの音程を気持ち悪くなく出せるわけです。

 気持ち悪くなく高めの音程を出したところで、出てしまった音程はちょっと高めで不快なわけですから、すぐさま修正をして気持ちよくて正しい音程にしないといけません。そこで、声を出した直後に、声をかぶせていきます。声をかぶせて若干音程を下げて、声に深みを与えて、音楽的に正しい声にするわけです。

 ちなみに、声をかぶせるには、下アゴを若干落とし、上アゴを若干前に倒していくわけです。気分としては嘔吐ですわな(笑)。この一連の動作をスムーズに行うわけです。

 別に音程なんて、下からジャストに当てても正解と言えば正解なんだけれど、わざわざ一度高めに出して、それを調整してジャストにするのは、正確さだけが大切なのではなくて、その方が聞いていて心地よいわけで、より音楽的って事なんです。まあ、器楽でもフルートなどの管楽器にはない奏法なんだけれど、弦楽器では主に独奏者が似たような事をやります。メロディーの音程をフワッフワッと上から置いていくと音楽的に聞こえるってわけです。

 歌う側からすれば、音程なんて、高くても低くても気持ち悪いものですが、聞く側からすると、若干高めの音程って、気持ちが高揚するし、伴奏から浮き上がって聞こえるので、上から音程を取るのは良いことなんだそうです。

 「O Primavera!.../春よ」という曲は、歌うだけなら、さほど難しい歌ではありません。だからこそ、テクニカルに歌わないと、それなりには聞こえないわけです。つまり簡単だからこそ“歌って終わり”じゃないわけです。

 音程を上から取る事もそうだけれど、あれこれテクニカルに歌う事を要求されるわけです。声やら勢いやらだけで歌うのではなく、いかにテクニカルに安定的に歌えるかを考えて丁寧に歌っていく事が大切なのです。

 さて、次はヴェルディ作曲の「椿姫」のテノールアリアの「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。レッスンの残り時間が少なくなってしまったため、部分的にやりましょうって事になりました。

 前回は曲の前半分であるレチタティーヴォの部分をやったので、今回は後半のアリアの部分をやりましょうかと先生から提案されましたが、実は私、レチタティーヴォの部分の復習に専念して、アリアの方はあまり練習できてなかったので、今回もレチタティーヴォのレッスンをお願いしました。

 音程を間違えて覚えてきたところは何とか修正してきました。うまく歌えない“scordo ne'gaudi suoi”の部分を集中してレッスンしてもらいました。

 まずは「準備が早すぎる」と言われました。“scordo ne'gaudi suoi”でいつも失敗するのですが、とりわけ最後の“i”の部分のA♭はうまく歌えません。私は“scrdo”に入ったところで、あれこれ準備を始めるわけですが、それでは準備が早すぎて、肝心の“i”には届かなくなってしまうわけです。準備はあくまでも直前にするべきであって、それまでは平常心と平時の発音で乗り切らないといけないのです。

 “scordo ne'gaudi suoi”ならば“scordo ne'gaudi”までは、平常心の平時の発音…ってか、むしろこの後の事を考えるならば、平時の発音よりも少々狭い口腔で歌った方が良いくらいです。で、“suoi”の“suo-”で下も上も開いて腹圧を上げて“-i”を出していかないとA♭には届かないわけです。特に“i”という母音は、クチを閉じてしまう母音なので、他の母音なら届く音程も“i”だから届かないという事もあり、極めてテクニカルに歌わないとうまくいかないわけです。

 さらに言うなら、その後に続く“tutto”のGは、“suoi”のA♭を出したなら、そのままの体制でどこも緩めること無く持ち込まないと歌えないのです。

 これを歌うのに必要なテクニックと体力がまだ私には無いために、いつもいつも失敗してしまうわけなんだな。残念。

 歌ってものは、勢いで歌ってい喜んでいるうちは、上達しないわけです。やはり大切なのはテクニックであり、歌うためのカラダづくりなわけです。今の私は、その二つを手に入れるために頑張っているわけです。

 頑張っていきましょう。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年5月23日 (火)

テノールなんだから、バリトンっぽいやり方はダメです

 5月の上旬、GWが開けた直後に、声楽のレッスンに行ってきました。

 発表会の曲を『メリー・ウィドウ』に決めた私たちですが、実はまだ練習は始めていません。で、練習を始める前に…という事で、先生と確認をしました。それは“R”の発音をどうするか? ザックリ言えば、あまり巻かない英語(イギリス英語)にするか、巻き巻きの米語(アメリカ英語)にするか、どちらかに統一しましょうって事です。

 実は私と妻は、それぞれ英語を勉強した環境が違います。彼女はイギリスの知的な階級の方々にもまれながら英語を勉強してきたので、話す“英語”は英語です(って分かる?)。一方私は、FEN(現AFN)を聞いて育った人なので、ガチガチの米語なんですわ。私が米語で、彼女が英語なので、発音がアレコレ違うのですが、特に顕著に違うのが“R”の巻き方なのです。彼女はあまり巻きませんが、私はこれでもか!ってぐらいに巻きます。まあ、英語の発音と米語の発音は他にも色々と違うので、二重唱をするなら揃えましょうって事になりました。

 で、どうするか…って話ですが、そりゃあもう“英語”に統一ですわな(涙)。だって、お上品だもの。『メリー・ウィドウ』はお貴族様たちのお話だからね、それを米語で歌ったらヘンでしょ?って話です。そりゃまあそうだけれど…。

 私も頑張って英語で歌いたいと思います。

 さて、レッスンです。ハミング練習は、上アゴを開く、顔を開く、腹筋で支えるに集中して行いました。

 発声練習は、今回も筋トレ中心で行いました。毎度毎度言われている事なのですが、私の場合、声の重さに較べて内筋が弱いんだそうです。だから、やるべき事は、声の重さにふさわしいくらいに内筋を鍛えていくのか、内筋の強さに合わせて声を軽くしていくのか…なのです。可能なら、楽だし、将来性もあるのが、声を軽くして歌う方が望ましいのです。でも私、声を軽くして歌うのがなかなか苦手なんです。ついつい重めの声で歌ってしまう私なんです。そんな感じで重い声で歌い続けるのなら、筋肉を鍛えるしかないじゃないですか…って話になるわけです。

 一般的に、声って加齢に伴って重くなるんですね。私もいい年ですから、軽い声で歌えないのは仕方ないのかもしれませんが、この歳で筋トレってのも結構厳しいです。

 さらに言えば、筋トレ筋トレと言っても、インナーマッスル(呼吸筋)の筋トレだから、なかなか難しいのです。いわゆる筋トレってのは、カラダの外側の筋肉(アウターマッスル)を鍛えるわけです。ダンベルやバーベル、通常の腹筋運動などで鍛える事のできる筋肉は、アウターマッスルです。しかし、声楽で必要なのはインナーマッスルですから、これらのやり方では鍛える事はできません。

 じゃあどうするか? 私が必要としている腹筋は、インナーマッスルの腹筋であり、いわゆる呼吸筋ですから、呼吸をすることで鍛えるわけですが、日常生活の中での呼吸をいくらしても鍛えられないわけですから、日常生活以上の負荷をかけた呼吸を行うことで腹筋を鍛えるわけです。

 まあ、意図的に深くて速い呼吸をする事で呼吸筋を鍛えるわけです…って、マジに呼吸をすると、過呼吸になりますから、そこは呼吸運動だけを行って、ガス交換としての呼吸はそこそこにしないと倒れてしまうわけです。結構危ないのですよ。だから、レッスンで行うわけだけれど、本当は自宅でもやった方が上達も速いんだよねえ…。

 それに加え、音程の上昇のテクニックがバリトン的だと注意されました。まあ、先生(バリトン)を無意識に真似てしまったようで、そこはテノール的に音程を上げていかないとダメですよって事です。

 音程を上昇させるテクニックとは、声帯をひっぱって行うわけですが、その引っ張り方が、テノール(高音歌手)とバリトン(低音歌手)では違うわけです。それは、それぞれの声(音色)が違うためです。バリトンはノドを広げていく感じで声帯をひっぱるのに対し、テノールは口蓋垂を引っ張り上げる感じで声帯を広げていくのです。もちろん、テノールにせよバリトンにせよ、どちらか一方だけ行えばいいってわけではないし、とりわけテノールが限界ギリギリの高音を出す際は、口蓋垂を引っ張りつつ、ノドを拡張していかないとダメなのですが、主にする動きが口蓋垂なのかノドなのかは音色の関係もあるので、大切なんだそうです。

 今の私にとって、口蓋垂を持ち上げるよりもノドを広げる方が楽なので、ついつい楽な方向に流れてしまったわけですが、自分の声の特徴を考えるならば、あえて面倒な方をメインにやらないといけないってわけです。

 面倒面倒と避けてばかりいたら、いつまでも出来るようにはならないわけです。そこはあえて、困難な道に進んで苦手克服をするところなのだと思います。頑張りましょう。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年5月22日 (月)

なんか、とってもうらましかった

 時間は少々さかのぼります。先日…と言っても、GWよりも前なのですが、久しぶりに趣味の“見知らぬ人たちの発表会”を見てきました。

 場所は、横浜のフィリアホールでした。実はここ、一度は今年の門下の発表会の候補会場になったところでした…が、その時はメンバーがあまり乗り気ではなくて流れてしまった会場なのです。実施されていれば、今年の1月あたりにそこで歌っていたはずの場所でした。ですから、どんな場所なのか、興味津々でしたが、実に良いホールでした。問題は…500名程度の中ホールだったって事ぐらいかな? 私は大きなホールで歌うのが好きなので、中ホールであろうと大ホールであろうとかまわない人です。まあ、発表会程度の話なので、500席もあれば、当然客席はガラガラになりますが、それもいいんじゃないの?って思うわけですが、みんながみんな、そう考えるわけではなく、とにかく広いホールはイヤって人たちも大勢いるわけです。そう考える人たちには、フィリアホールは確かに大きいホールで乗り気がしなかったのでしょうね。良いホールなのに残念です。

 それはともかく、発表会を見に行きました。発表会は第一部と第二部に分かれ、第一部は通常の発表会形式で、第二部はオペラ上演(!)でした。

 第一部の通常形式の発表会から見たのですが、まず、ここの門下の人たちはすごいなあと思いました。今まで素人の声楽発表会はたくさん見てきたつもりですが、ここはほんと、異色というか、ずば抜けていました。何がずば抜けていたのかと言えば、みんなすごい声で歌ってました。あ、もちろん、誉め言葉です。

 まずは声量が半端ないです。プロも顔負けって声量の人ばかりでした。さらに言うと、どなたも高音がピヤーと出ていて、なんかもう、私なんてタジタジになってしまいました。声量があって、高音が得意で…なんともうらやましい限りです。「ここの先生に習うと、こうなるのか…」と先生の声楽コーチとしての腕前に感心してしまいました。

 無論、アマチュアさんたちですから、満点ではありません。あれこれ欠点が無いわけではありません。共通して苦手とする点も多々ありましたが…別にヨソの門下をディスつもりはないので、欠点に関しては書かないでおきます。とにかく、豊かな声量&伸びる高音には、私、感服しました。

 さらに…ここの門下は生徒さんを募集しているみたいなんですよね…習いに行っちゃおうかしら…なんて、思ったりしちゃました(実際問題としては、時間がないので、無理なんだけれどね)

 で、第一部だけでも、一人一人が大きな曲を2~3曲歌います。一人の持ち時間って、どれくらいなんだろ? 10分以上はありそうな感じがします。

 さらに、第二部のオペラ上演が加わります。演目は…やったね!…『メリー・ウィドウ』でした。

 『メリー・ウィドウ』自体はハイライト上演って事で、数曲をカットしてましたし、ストーリーも単純にして枝葉の部分をカットして、自分たち用に脚色していましたが、歌だけでなく、しっかり演技もダンスをしていて、普通に1編のオペラとして鑑賞できました。

 歌だけならともかく、芝居をして、ダンスをして…すごいなあって思ったわけです。プロの助演も多数あったりし、そもそも門下生にも専門教育を受けた人(音大卒は当然として、元宝塚の人もいるし、女優さんもいるし…って感じ)が何人もいたりして、通常のアマチュア声楽愛好家たちの発表会とは、そもそも色々違うわけですが、それでもすごいなあって思いました。カミーユ(テノール役)の人は(純粋)アマチュアさんでしたが、すごくいい声でした。ああ、あれこれうらやましい。

 歌は…日本語と原語(ドイツ語)がチャンポンでした。まあ、私は『メリー・ウィドウ』を熟知していますので、全然気になりませんでした。

 あんまり、ヨソの門下の発表会を見ても、うらやましいと思うことは、まず無い私なのですが、ここの門下の発表会は、ほんと、うらやましいかったです。それにしても、皆さん、お上手だよなあ。私の実力では、ここの門下に加わっても、お話にならないだろうなあ…。

 まあ、『メリー・ウィドウ』に関しては、私も自分ところの発表会で歌うつもりですが、やはり発表会の中の1曲として歌うのと、こうして(ハイライト上演とは言え)オペラとして歌うのでは、大違いです。それに…「女・女・女のマーチ」は是非歌いたいですよ…男性6重唱なので、オペラでないと歌えないのですが、ああ歌いたい歌いたい。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年5月21日 (日)

LFJ その8 ピアノと手品

 新東京ビルのロビーでカウンターテナーを聞いた後は、ふたたびTOKIAに戻って、ピアノコンサートを聞きました。

ピアノのコンサート

 実は会場入りしたのが、本番30分前で、まだ会場はスカスカで人もロクにいなかったので、整理券をもらおうとしたら、すでに整理券は無くなっていました。これまでTOKIAのコンサートでは、30分前に来れば余裕で整理券が入手できたのに、これはいかに!とビックリしてしまいました。

 まあ、整理券が無いものは仕方ないです。今更別のコンサートに行くのもなんなので、立ち見を覚悟でキャンセル待ちの列に並びました。実際、その会場の座席数は約100席で、私の前に12人も並んでいたので、いくらなんでも、そんなにキャンセルが出るわけもないだろうと、ほぼ諦めて並んでいたわけです。

 私が並んでいるうち、ボチボチと整理券を手にした客たちが戻ってきました。開演時間近くになると、座席のかなりの部分が埋まってしまいました(当然だね)。やがて係員が前の方から空席を確認しては、キャンセル待ちの人たちを呼び始めました。ちなみに、開演5分前になっても来なければ、自動的にキャンセル扱いになるようです。

 私は13番目だったので、諦めていたのですが、ドンドンキャンセル待ちの人が座っていき、なんと私も、後ろから2番目の列だったのだけれど、座ってコンサートを聞くことが出来ました。ラッキー。ダメ元でもキャンセル待ちをしていてよかったです。ってか、キャンセル多過ぎ! 無料公演だからって、気軽にキャンセルする人が多かったんだろうなあって思いました。

 菅原望(ピアノ)、喜多宏丞(ピアノ)

 1)ショパン:マズルカ第5番 変ロ長調
 2)ショパン:マズルカ第13番 イ短調
 3)セブラック:「休暇の日々」から第1楽章より「ロマンチックなワルツ」
 4)チャイコフスキー:「四季」より、5月「白夜」
 5)ハイドン:ソナタ 変ホ長調 第1~2楽章
 6)ブラームス:ワルツより、第1番、第2番、第3番、第4番、第15番
 7)シューベルト:軍隊行進曲

 1)と2)のショパンは明るい曲と陰りのある曲です。ピアノのコンサートでショパンが聞けるというのは、ベタと言えばベタですが、ほっとする瞬間です。別に他の作曲家が嫌いなわけではないのですが、やはりショパンとピアノの組み合わせは別格です。いかにも「クラシック音楽を聞いているんだなあ…」という気分にさせられます。演奏は、普通に良かったです。

 3)は癒し系の現代曲のようでした。曲のところどころに難解な和音が入っているけれど、それがかえってスパイスのような味わいとなり、曲をシメているような気がしました。

 4)は舞曲ではありませんでした(笑)。季節にちなんだ曲って事で選曲されたようです。チャイコフスキーはもちろんクラシックの作曲家ですが、こうして聞いてみると、かなり世俗的と言うか、ポピュラーっぽい響きの音楽を作る人なんだなあって思いました。特にこの曲は、何かドラマの劇伴として使えそうだなって思いました。

 5)のハイドンだけれど、ハイドンって、やっぱりモーツァルトベートーヴェンの間の時代の人だなって思いました。さらに言えば“芸術家”と言うよりも“音楽職人”って感じのなのかなって思いました。良い作品なんだけれど、作品にハイドンの顔が見えない…ってか、見えづらいんだよなあ…って思ったわけです。作家性が薄いのかな…。

 ちなみに第2楽章では、ピアノの手前で(演奏をしている人とは別の)ピアニストさんが手品をしていました。どんな感じなのかと言うと…まさにこの動画そのものでした。と言うか、この動画はロングバージョンで、LFJではショートバージョンを披露していたわけです。

 クラシックの方々も、集客のために、あれこれ頑張っているんだなあって思いました…が、正直、音楽鑑賞に手品は…面白かったけれど、邪魔かな?って思いました。

 6)は連弾でした。ブラームスって、肖像画から見ると、ほぼクマオヤジなわけですが、音楽はほぼ乙女でお耽美なんですよね。そのギャップがたまらない人にはたまらないのかなって思いました。まあ、世の音楽ファンはすべからず“ブラームス派”か“ワーグナー派”のどちらかに分かれるんだそうです(都市伝説ですよぉ~)が、私は“ワーグナー派”なので、あえてブラームスの音楽には触れない事にしておきます(笑)。

 7)はアンコールでした。行進曲って元気が沸き立つ音楽ですよね。鑑賞疲れでヘロヘロになっている時のマーチは…効きますね。

今年のまとめ

 というわけで、以上で今年の私のLFJは終了しました。最終日は夕方で終えて、その日の夜は、東劇に移動して、メトのライブビューイングで『イドメネオ』を見ました。(すでに記事はブログにアップ済みです)。

 私がLFJに初参加したのは、2007年の「民族のハーモニー」からです。世は“のだめブーム”で多くの人がクラシック音楽を聞いていて、LFJもすごくすごく盛況でした。やがて“のだめブーム”も終わり客が減り、東日本大震災が起こり、原発事故があって、有名ミュージャンの多くが日本に来たがらなくなり、LFJに出演してくれる音楽家が一気に小粒化してしまいました。やがて共催してくれた企業の多くも撤退してしまいました。今は往時の面影も無いほどに、小粒な音楽祭になってしまいました。

 最初から小規模精鋭でやっているなら問題はないけれど、縮小しレベルダウンして今に至っているわけで、全盛期を知っている者としては、寂しい限りだし、LFJ自身、以前ほど面白い音楽祭では無くなってきた事も事実です。LFJは、東京以外の地方でもやっていますが、すでに金沢と鳥栖は開催をしていません。今でもやっているのは、東京,新潟,びわ湖の三ヶ所です。客離れも激しく、だいぶ規模縮小を余儀なくさせられているわけです。

 事実、私も相当熱が冷めてしまいました。

 来年もLFJは開催されるだろうけれど、私はどうしようかな? 演目次第だし、良い演目があれば、惰性で行ってしまうだろうけれど、せっかくのGWで良い季節なんだし、もっと別のレジャーに身を投じてもいいよなあ…って思わないでもないです。

 GWの頃って季節もいいし、箱根や鎌倉、江ノ島に行ってもいいよね。そんな事すら考えるようになりました。

 なんか、閉塞感があるんだよね、昨今のLFJって。正直、ワクワクしなくなってきました。祝祭感を感じられなくなった?

 それでも今年で言えば、『こうもり』とか、カウンターテナーの演奏は良かったし、(厳密に言えば、LFJとは違うけれど)モーツァルトのヴァイオリンを使ったコンサートも良かった。でも、たまたまかもしれないけれど、心惹かれるフルートの演奏には出会わなかったし、もっと歌を聞きたかったし、もっとピアノやヴァイオリンを聞きたかったです。

 今年のLFJはこんな感じです。明日からは通常運転に戻ります。

蛇足 パソナがLFJから撤退したのが、個人的には一番キツかったです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2017年5月20日 (土)

LFJ その7 カウンターテナー

 さて、レモネードはどこで飲んだのか言うと、丸の内仲通りです。『ダヴィデ王』を見る前に、ヴァイオリンの路上ライブを見たわけですが、その会場近くの屋台でレモネードを売っていたのを見ていたので、そこで買い、道路に置かれているテーブルに座って、レモネードを飲んでいたわけです。

 ああ、乾いたノドには、レモネードって…美味しいんだよね。

 なぜ、そんな所にいたのか…と言うと、実は次のコンサートがここで行われるらしいのです。

カウンターテナー

 次のコンサートは、カウンターテナーの彌勒忠史氏のコンサートで、その会場は、ネットにもオフィシャルパンフレットにも“丸の内仲通り・新東京ビル前”とあり、さっき見たNaorchestraさんと同じ場所なのです。Naorchestraさんは路上ライブで、P.A.を入れてコンサートをしていたけれど、カウンターテナーもマイクを使うのかな? まさか? でも反響板も天井もない道路で生歌はちょっとつらすぎるだろうなあ…などと心配しつつ、休憩を兼ねて、レモネードを飲んでいたわけです。

 やがて妻が、演奏会場はここじゃないんじゃないか、間違っているんじゃないかって言い出しました。確かに時間が迫ってきたのに、周囲には何の動きもないわけです。客すら集まっていないのです。オフィシャルプログラムにはここでやると記載されているけれど、実は変更になっていて、知らないのは私たちだけなのかもしれない…もしかするとそんな事があるのかもしれない…と、そんな考えが私の頭をよぎりました。でもね…。

 ここじゃないかもしれない、別の場所かもしれない…と、妻が私のそばで散々言うんだけれど、私はレモネードを飲んでいるわけです。まさに至福のひととき。もしも不安や不審点があるなら、もういい年したオトナなんだから、私に頼らずに、自分で解決すればいいのに…と思っていたけれど、そばでずっと文句を言われ続けていると、そうも言ってられません。

 やがて、ゆっくりレモネードも飲んでいられない気分になり、やむをえず、私が一人で周囲の様子を確認に行ったわけです。で、ほんの数歩歩いたところで、すぐにそばの新東京ビルに到着したわけです(そりゃあそうです、このビルの前が会場だと告知されていたのですから)。そのビル内の様子が何やら慌ただしいので、そばにいた係員らしき人に尋ねたら、このビルのエントランスで、カウンターテナーのコンサートをすると言うじゃありませんか。ありゃ、会場変更だよ。

 そこで、すぐ目と鼻の先の距離だったけれど、だけど大声を出すわけにもいかないので、さっそく妻に電話をして呼び出したわけです。

 なんかなー、やれやれって感じです。

 彌勒忠史(カウンターテナー),佐藤亜紀子(リュート)

 1)作者未詳:恋する人(バンドナード)
 2)フレスコバルディ:そよ風が吹けば(フィリア)
 3)モンテヴェルディ:ニンファの嘆き(パッサカリア)
 4)リュートソロ(カナリオ)
 5)メールラ:愛のチェトラにのせて(チャコーナ)
 6)サンチェス:簒奪者にして暴君(パッサカリア)
 7)作者未詳:恋する人(バンドナード)

 カウンターテナーの生歌をじっくり聴くのは、久しぶり。カウンターテナーってのは、なかなか出会えない、珍獣のようなものですね。

 今回の曲はすべて舞曲で、当時の大ヒットナンバーだったそうです。その“当時”と言うのは、日本の歴史で言うと、安土桃山時代に相当するそうです。いやあ、古い楽曲ですね。

 カウンターテナーの歌声は、男性による裏声歌唱なんだけれど、単なる裏声歌唱とはだいぶ違います。発声的には裏声なんだろうけれど、かなり力強い声で、これはこれで特別な声だと思いました。音域的にはメゾソプラノぐらいだろうけれど、女性のメゾよりも明るい声で、メゾよりも力強い声です。こう書くと、メゾの人が気を悪くするだろうけれど、メゾの上位互換のような声です。

 バロックオペラと呼ばれる音楽ジャンルがあります。読んで字のごとく、バロックと呼ばれる時代に盛んに上演されたオペラです。それらのオペラで主役を演じていたのは、今はもう存在しない、カストラートと呼ばれる歌手たちでした。カストラートとは、去勢手術を施した男性歌手で、少年の声帯を持った成人男性の歌手です。

 今は人道的な問題もあって、カストラートは公には存在しない事になっています。(マイケル・ジャクソンが少年期にホルモン治療を受けて、疑似カストラートになったという都市伝説がありますが…今となっては真偽の程は確かめられません)

 カストラートが存在しないので、現在ではこれらのバロックオペラを上演する際、かつてカストラートが歌っていた役(当然、男性の役です)を、いわゆる“ズボン役”と呼ばれる女性歌手が演じる事が多いのだけれど、音域は正しくても、やはりどうしても声質は女声的にならざるをえないし、外見だって男性に見えることはまずありません。宝塚歌劇のように、出演者がすべて女性ならば、男性のメイクをして男装すれば、男性に見えない事もないわけではありませんが、バロックオペラには、普通に男性歌手も登場するので、いくら頑張っても、ズボン役の女性歌手は、やはり女性にしか見えないのです。

 たまに、カストラートの役をカウンターテナーが演じる事があります。音域的には正しくても、やはり本物のカストラートとは発声法が違うわけですから声は違います。それでも女性歌手とは比べれば、声も容姿も男性的なわけであり、カストラートの役を彼らカウンターテナーが演じれば、演技的にも声的にもだいぶ違うなあと思いました。

 バロックオペラの、元々はカストラートのために書かれた役は、やはり女性であるメゾが歌うよりも、多少声が違っても、男性であるカウンターテナーが歌った方が演劇的には良いかなって思いました。もちろん、本当はカストラートが歌ってくれるのが一番なんですが…カストラートは現存しないのですから仕方ありません。声も容姿も異なる女性歌手よりは、声は異なっていても容姿がOKな男性歌手(カウンターテナー)の方が(言葉は悪いのですが)まだマシかなって思います。

 ただ、メゾソプラノのズボン役と呼ばれる人たちは、それこそ履いて捨てるほどたくさんいるわけだし、それだけたくさんいれば、上手な歌手もたくさんいます。一方、カウンターテナーは珍獣なわけで、めったにいませんし、オペラを歌えるほどの技量の持ち主となると、さらに少なくなるわけで、バロックオペラのカストラート役をすべてカウンターテナーでカバーする事は、おそらく無理だから、メゾがズボン役として活躍しているのでしょう。

 まあ、そう考えると、カストラート役をズボン役が歌っても、仕方ないかなって思います。

 さて、コンサートの話に戻ります。

 伴奏をしていたリュートの音は、ほぼクラシックギターと同じでした。奏法もリュートとギターでは、かなり共通しているようです。ただ、楽器の構造や見かけは若干違います。音量も相当少なめで…そりゃあリュートは滅んでギターに取って代わられてしまったのも仕方ないなあって思いました。

 1)~6)の音楽そのものは、いかにもバロックな感じで、親しみはないですが、面白かったです。

 実は、最後の7)はアンコール曲で、1)と同じ曲です。1)が歌手が一人で歌ったのに対して、7)は歌の一部(お囃子的な部分)を観客が歌うという形式でした。さすがに、声楽のコンサートを聞きに来ている人たちって、結構歌える人が多くて、この観客参加型の曲が、実にばっちり決まっていたのには、ちょっと驚いた私でした。

 続きはまた明日

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年5月19日 (金)

LFJ その6 レモネードが飲みたくなりました

 帝国劇場の向かいのビルでコンサートを聞いたので、昼食はそのまま帝国劇場の地下街にあるインド料理店に入りました。私、ここのカレー、大好きなんです。

 で、食べ終わって、エッチラオッチラと東京国際フォーラムに向かって歩いていったところ、路上ライブに出くわしました。

路上ライブ

 路上ライブと言っても、これもまたLFJ関連のコンサートでした。今年から、丸の内仲通りという道の一部を歩行者天国にして、そこでコンサートを開いていたわけです。私のコンサート鑑賞予定には無かったのだけれど、たまたまそこを通りがかったわけです。

 Naorchestra(ヴァイオリン)

 1)残酷な天使のテーゼ
 2)チャールダッシュ
 3)ジュピター

 というわけで、コンサートの途中から聞きました。道路の真ん中で、何の反響板もない場所での演奏だったので、ヴァイオリンにマイクを付け、P.A.で拡声するというスタイルでの演奏でした。伴奏も、いわゆる電子キーボードでシンセサイザー的な使用法をしていました。そういう点では、演奏スタイルは純粋クラシックと言うよりも、ポピュラー・ヴァイオリンのスタイルだと思います。LFJは本格クラシックが多いから、この手のライトな音楽が挟まると、ちょっと心が休まる感じがします。気分が楽になります。それに私、こういう、ポピュラー系と言うか、軽音楽系のヴァイオリンって、実は好きなんです。

 なんか、ヴァイオリンを弾きたくなってしまいました。

ダヴィデ王

 さて、カレーを食べて満腹になったところで、本日の有料公演である『ダヴィデ王』を見に行きました。

 シンフォニア・ヴァルソヴィア,ダニエル・ロイス(指揮)
 ローザンヌ声楽アンサンブル
 クリストフ・バリサ(語り),ロランス・アミー(巫女)
 リュシー・シャルタン(ソプラノ)
 マリアンヌ・ベアーテ・キーランド(メゾソプラノ)
 エンドリク・ウクスヴァラフ(テノール)

 オネゲル:オラトリオ『ダヴィデ王』

 この曲は、そもそもが作者オネゲルが、4時間超えの超大作オペラとして構想を練っていた作品なんだそうです。超大作オペラとして構想を練っていて、売り込みもしていたようだけれど、時代はすでに20世紀なわけで、映画とミュージカルの時代に、ワーグナーばりの超大作オペラなんて発注してくれる人もなく、結局、小編成オケと数人の声楽アンサンブルによる、オラトリオとして制作発表してしまったという作品です。

 ちなみに、初演はそんなミニサイズで演奏したけれど、再演の時は、夢が諦められなかったのか、オーケストラを普通サイズにして音楽の響きを豊かにし、歌わない役者を二人(語りと巫女)追加して、ストーリーを分かりやすくしたそうです。つまり、初演の演奏形態は作者の意図とは違うって事だし、当然、作者的には、この再演版が決定稿…って感じだったんでしょうが、今回の演奏もそうだし、数少ない音源でもそうですが、この曲を演奏する際は、初演のオーケストラ編成と声楽アンサンブルに、再演の語りと巫女を付けたカタチでの演奏が定着してしまったようです。

 この曲、きちんとオペラになっていたら、それはそれで面白かったと思うけれど、完成されなかったオペラの事をグチグチ言っても仕方ないので、やめにしておきます。

 とりあえず、本日の編成では、オケは全員で17人。それにピアノにオルガン、歌手3人、役者2人の小編成でした。

 会場は…ホールCでした。ほんと、ここは客の動線が悪いんですよね。何か事故や災害があっても逃げることはできない構造になっています。まあ、万が一の時は、ここに閉じ込められてしまうわけで、ここに入るのには勇気がいるんです。どうにかならないものかな?

 ちなみに、今回の上演では字幕サービスが付いたよ。うれしいな。

 さて、音楽面の話をすると、オケはほぼブラスバンドでした…ってか、1管編成のブラスバンドですよ。弦楽器はコントラバスだけ。まあ、弦パートはオルガンで演奏するんでしょうね。音楽的には現代音楽のハズですが、曲自体はとてもメロディアスで聞きやすい音楽でした。まあ、オケが管楽器中心ってところが現代音楽的とも言えます。

 演奏はハイレベルでした。オケはすごく上手。特にトランペットの響きは特筆モノでした。合唱は大所帯でしたが、荒らさなんて全く無くて精密に歌っていました。ソリストは、伴奏が小編成って事もあるけれど、音量よりも美の響きの美しさを大切にして歌っていたようです(だからと言って、決して小さな声ってわけじゃないんですよ)。

 ストーリー展開も速くて、オラトリオで説明付きだから、1時間程度の演奏時間で何とかなるけれど、これがオペラになって、説明する人がいなくて、すべてをレチタティーヴォで説明するとなると、果たして4時間超えで済むのかなって思いました。これだけのストーリーは、オラトリオだからコンパクトに収まったわけで、オペラじゃあ入りきれないだろうなあって思いました。だって、ダヴィデ王のほぼ一生のエピソードを音楽化したわけだしね。これは、オペラにするなら、ほんと大変だと思います。

 オラトリオだから、役なんてなくて、声種で歌手を分けているだけなんだけれど、これに役を付けだしたら、かなりの人数が必要になるだろうね。ほんと、そんな妄想を膨らませていると面白くなってきます。

 そうそう、ちょっと気になったのは、演奏中にソリストも合唱の人も、ペットボトルの水を飲んでいた事かな? 舞台って乾燥しやすいし、ポピュラー音楽の人は、水を飲みながら歌う事も珍しくないけれど、クラシックの人で、舞台で給水する人って…たぶん日本じゃ珍しいよね。国民性の違いかな? 別に嫌な感じはしなかったけれど、珍しい光景だったので、へーって思いました。

 なんか、つられてノドが乾いたような気がしたので、音楽が終わって外に出たら、無性にレモネードが飲みたくなってしまいました。

 続きはまた明日。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2017年5月18日 (木)

LFJ その5 4Kとモーツァルトのヴァイオリン

 本日最後のマスター・クラスを見終えた私たちは、その足で、すぐそばで行われる4K上映の会場に行きました。

4K上映での『ローエングリン』

 昨年もやっていた、クラシカジャパンによるオペラの4K上演を見ました。今年の演目はワーグナー作曲の『ローエングリン』の第三幕の前半でした。ローエングリンはベチャワで、エルザはネトレプコでした。

 私は『ローエングリン』をちゃんと見たことはないのだけれど、一瞥して思った事は「エルザって嫌な女だな」って事です。この理解は正しい理解なのかな? それともネトレプコが演じているから嫌な女に見えるのかな? さあ、どっちだろう。

 去年も書いたと思うけれど、4Kは実に素晴らしいけれど、やっぱりオーバースペックだと思います。自宅のテレビには4Kはいらないね。少なくとも、DVDとBlu-rayの差が分からない私には、4Kのシステムを自宅に入れても意味ないなあ。4Kは大スクリーンで威力を発揮するシステムだと思います。だから、自宅ではなく、映画館とかのへ導入だよね。

 最近は、映画館もデジタル化していて、かつてはフィルムで搬入されていた映画が、昨今はBlu-rayで搬入されるという話も聞きます。って事は、映画館でも、Blu-rayのシステムで、あれだけの鮮明な画面で見れるってわけで、そうなると、ますます4Kってオーバースペックなんだなあって思います。

 とは言え、技術は常に高めておいたほうが良いわけだから、普及はしなくても、4Kシステムは4Kシステムとして頑張って欲しいと思いました。それに4Kを否定しちゃったら、8Kなんて論外だしね(笑)。

 『ローエングリン』の歌に関して言うと、ベチャワもネトレプコも、旧来のワーグナー歌いと呼ばれる歌手の皆さんとは、ちょっと違いますね。旧来の皆さんと比べると、パワー不足と言うか、線の細い声なんだけれど、より精密に歌っているのが分かります。これって、20世紀末にカラヤンが求めていたワーグナー演奏なんじゃないの?って思いました。あの頃は、今と比べると歌手のレベルが(正直)低かったと思います(ごめん)。精密に歌えない代わりに、迫力でごまかしていたような気もします。あるいは、迫力を出すために、精密さを捨てていた…というべきかな 

 細かい所は目をつぶって、迫力で押し通す歌唱も私個人はキライじゃないですが、カラヤンが目指していたワーグナーは、そういうモノではなかったわけで、あの頃、カラヤンのワーグナーって、玄人筋にはウケが悪かったのは、カラヤンが時代の先を見ていたからであって、同時代を見ていなかったからかもしれません。カラヤンの足元に群がる人たちからすれば「遠くばかり見てないで、少しはこっち見ろよ」って気分だったのかもしれません。

 そういう意味では、世の中がようやくカラヤンの理想に近づいてきたのかもしれません。

 で、4K上演を見終えたら、ホールEで踊られている阿波踊りを横目で眺めながら、この日は帰宅をした私でした。

 で、その翌日は、一日丸々休息に充て、最終日にもう一度LFJに出動したわけです。

ロビーコンサート

 さて、LFJ最終日の話を始めましょう。

 我々は、東京国際フォーラム…ではなく、日比谷の帝国劇場の向かいにある、第一生命保険日比谷本社に向かいました。その会場では、国際モーツァルテウム財団による、コレクション展とコンサートが開かれていたのです。

 コレクション展の方は『ナンネルとヴォルフガング』というタイトルの展示で、ナンネルの人生を通して見たモーツァルトの人生って感じのまとめ方の展示会が行われていました。レプリカかもしれないけれど、モーツァルト一家の肖像画とか、モーツァルト直筆の楽譜とかが展示されていました。

 でも肝心なのはコンサートの方で、こちらは『今蘇る、モーツァルトの響き』というタイトルで、モーツァルトが実際にザルツブルグ時代に愛用していたヴァイオリン(実物が現存しているわけです)によるモーツァルト作品の演奏ってわけです。

 フランク・シュタートラー(ヴァイオリン),菅野潤(ピアノ)

 1)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ イ長調 KV305
 2)モーツァルト:クラヴィーアソナタ ハ長調 KV330
 3)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ ハ長調 KV296

 ピアノはモーツァルトの愛用品。伴奏の鍵盤楽器は、モーツァルトが使ったかどうかはの説明は無かったけれど、モーツァルト時代に普及した、フォルテピアノでした。今のピアノの原型となる楽器で、実際、モーツァルトのピアノソナタって、このフォルテピアノを念頭において作曲されているんだよね。

 まずは、モーツァルトのヴァイオリンだけれど、見た目も音も、ごく普通のヴァイオリンでした(当たり前)。聞きようによっては、古い楽器の音がするような気がします…が、それは21世紀の現代の話であって、モーツァルトの時代には、このヴァイオリンもまだまだ新品だったわけで、新しい楽器の音がしていたのだと思います。それが年月の経過と共に、音も丸く馴染んでくるようになったのだと思います。そういう意味では、ヴァイオリンは確かにモーツァルトのモノかもしれないけれど、我々が聞いている音は、モーツァルトが聞いていた音とは、だいぶ違っているかもしれません。

 会場となった第一生命日比谷本社の一階ロビーは、すごい良い場所でした。石造りで、見上げるほどに天井が高くて、まるでヨーロッパの教会堂のような造りになっていました。ほんと、ここ最高ですよ。

 私は舞台からかなり遠くに座ったのですが、それでも音量的に不足は感じませんでした…ヴァイオリンに関しては。この会場、ヴァイオリンはよく聞こえたのですが、フォルテピアノは今ひとつでした。フォルテピアノは現代ピアノほど、音量が出るわけでもなく、まだ完成途上のフォルテピアノより、当時すでに楽器として完成されていたヴァイオリンの方がよく聞こえるのも、当然といえば当然なのかもしれません。

 私はモーツァルトのヴァイオリンソナタには馴染みがないのだけれど、1)はまるでピアノとヴァイオリンがそれぞれ歌手で、その歌手たちの二重唱を聞いているような感覚になりました。あるいは、ヴァイオリンとピアノの会話を聞いているような感覚に襲われたと書いてもいいかもしれませんね。

 2)は、あまり聞こえなかったので、楽しめませんでした。まあ、楽器の特性や性能も関係しているので、多くは語りません。

 3)は派手で華やかな曲でした。本当に二重唱のような曲でした。モーツァルトの楽曲は、器楽曲にも歌があふれている…って事でいいですよね。

 それにしても、モーツァルトはこのヴァイオリンで、ザルツブルグの宮廷楽団でコンサートマスターをしていたそうです。もちろん、モーツァルトは子どもの頃からピアノの神童として有名だったわけだし、我々がよく知る、天才作曲家でもあったわけで、モーツァルトって人は、音楽に関しては(改めて思ったけれど)超人なんだなあ。いやあ、尊敬しちゃいますよ。

 続きはまた明日。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

«LFJ その4 マスタークラスもそろそろ潮時かな…

フォト

↓参加しています

アマゾンでどうぞ

アマゾンで検索

トラックバックについて

  • 2011年12月1日以降の記事において、トラックバックの受付を止める事にしました。それ以前の記事に関しましては、トラックバックの受付自体は継続いたしますが、承認公開制にさせていただく事にしました。また今までトップページに表示していました「最近のトラックバック」という項目の表示も止めました。よろしくお願いいたします。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

このブログは2007年8月14日から始めました

  • Copyright(C) 2007-2014 すとん