ひとこと

  •  私が愛用していた龍角散の細粒が、どうやら随分前に販売中止になっていたようです。今飲んでいるヤツが無くなったら、もうお終いです。ああ、残念。次は、粉末の龍角散にしようか、それも龍角散ダイレクトにするか悩み中…。自宅では粉末を飲んでますが、細粒は主に職場で飲んでいます。職場だと、お手軽に飲めるのが大切だからなあ…。どっちにしようかな…。
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2018年6月24日 (日)

電池も買うのに一苦労

 金魚水槽の温度計の電池が切れました。いや別に、昔ながらの水銀温度計(って言っても、昨今のは水銀ではなく着色済み灯油なんだそうですが)を使えばいいのだろうけれど、私、目が老眼なので、あの手の温度系は読みづらいので、だいぶ前から電池式のモノに変えていました。

 以前使っていたのは、単三電池で動くやつで、本体は水槽の外に出しておいて、温度センサー部分を水槽の中に入れるタイプのものでしたが、本体とセンターをつなぐコードが劣化してしまったって廃棄してしまい、新しい水温計を先日購入したばかりでした。

 今度購入したのは、水槽のガラスにペタっと直接貼り付けるタイプで、ガラス越しに水温を計測するタイプのものです。便利でしょ? で、これが使用し始めて、一ヶ月もしないうちに電池が切れてしまいました。残念。

 で、電池を交換しようと思ったところ、使用されている電池は…なんとボタン電池でした。それも、本当に小さいタイプなのです。どれくらい小さいかと言うと、あまり小さすぎで、私の老化した指では水温計から取り外せないくらいに小さいのです。

 竹串を使って、ようやく妻が取り出し(結局、妻もオバアチャンなので、指では取り出せませんでした)電池の型番を確かめようとしましたが、電池が小さすぎて、よく分かりませんでした。

 そこで仕方なく、電気屋に行って、店員の兄ちゃんに「これと同じものをくれ」というオトナ台詞を言って、新品を購入しました。いやあ、結局、自分ひとりじゃ、ボタン電池一つ買えなかったわけです。

 だってね、私が若かった頃は、電池ってのは、単1か単2か単3のいずれかであって、たまに単3を2本合わせたくらいの大きさで出力が9Vの電池(名称なんて知らないよ)があったくらいだし、それなりの大きさだったので、素手で取り扱えないなんて事はなかったんだよ。

 それが最近は、ボタン電池ってやつになって、小さくて薄くなって、老人の素手では取り扱えない大きさになり、種類も増え、それぞれの型番の違いもよく分からなくなってしまいました。

 ほんと、老人には暮らしづらい世の中になりました。電池一つ自分ひとりじゃ買えないなんて、ほんと、情けないです。ああ…。

 ちなみに購入したのは、この電池。

 私はパナソニックの電池を購入したのだけれど、アマゾンで見ると、ソニー、安いなあ。お値段、1/6だよ。見知らぬメーカー品だと、10個入りで79円ってのもある。一個約8円なわけで、パナの1/38の価格…なんか、私、とんでもなく高級品の電池を掴まされたのかもしれない…。

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2018年6月23日 (土)

アセビがちょっと心配

 アセビがちょっと心配なのです…と言うのも、ここ数日、いつもいつも、水槽の中で、ずっと上を向いているからなのです。ごくごくたまに、普通の格好になっている時もあるのですが、見るとたいてい、上を向いて、胸ビレをひらひらさせているのです。

 おそらく…転覆しないように頑張っているのだろうと思います。

 そう、アセビが転覆病になりかけているみたいなのです(涙)。

 私の経験上、琉金はある程度の大きさになってくると、転覆病になりやすいようなのです。おそらくこれは体型的な問題があるかな…って思ってます。と言うのも、琉金以外の金魚って(少なくとも我が家の水槽では)転覆になりづらい…というか、琉金はたいてい転覆するからです。

 だから、常々妻と「シズカはこんなに大きな琉金なのに、よく転覆しないね。エラいねえ…」とよく言ってます。で、シズカは大丈夫みたいなのすが、もう一匹いる琉金の方が転覆しかかっているわけです。

 可愛そうだな…、。これから暑い夏がやってきます。我が家の金魚にとって、鬼門となる夏がやってきます。それなのに、転覆になりかけているとは…ほんと、アセビちゃんが可愛そうです。

 だからと言って、転覆病には決まった治療法があるわけでもなく、本魚の自然治癒力に頼るしかないわけで、飼い主はただ黙って見守る事しかできないわけで…。

 でも、頑張れ。アセビ、頑張れ。転覆なんか、しちゃダメだぞ。

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2018年6月22日 (金)

プラ管フルートと総銀フルートの違いについて

 私はフルートを3本持っていますが、そのうちの1本(中国製の不明な金属で作られて、不明なメッキが施されている、あれこれ不明で激安なフルート)はほとんど吹いていませんが、残りの2本は、まあまあ吹いています。その2本が、プラ管フルートであり、総銀フルートであるわけです。

 私が吹いているプラ管フルートは、こちらのヌーボ社の Student Flute という、数あるプラ管フルートの中でも比較的廉価なやつです。

 一方、総銀フルートは、アルタス社の1307なのですが、こちらはアマゾンでは扱っていないので、山野楽器のオンライン販売のページを貼っておきます。

 この両者、プラ管は約2万円、総銀は60万円なので、そのお値段差は、約30倍も違います。ほんと、すごく違いますね。しかし本当に、この両者には、30倍の違いがあるのでしょうか?って話です。

 まず外見ですが、全然違います。プラ管フルートは、実に安っぽい外見をしています。一見して玩具ではないかと思われるほどのチープな姿です。なので、人前でのお披露目演奏には不向きであると言えますが、しかし楽器としては、十分すぎる能力を持っていますし、普通に練習用として使う分には、何の問題もないと思われます。実際私は、自宅練習では、専らこちらのプラ管フルートを使用しているくらいですから。

 吹き心地に関して言えば、どちらも大変です。他社メーカーの頭部管銀のフルートと比べると、かなりの難易度であるとは言えます。どちらも初心者向きの楽器であるとは言い難いです。

 まあ、総銀フルートが初心者の手に負えないのは当然として、プラ管フルートは、価格帯を考えると、初心者向けであって然るべきなのに、その実態は、中級~上級者向きであるのは、なんかちぐはぐな感じを受けます。

 プラ管フルートは、かなりブレスコントロールに長けていないと、その演奏は難しいと思います。ネットで、このフルートの悪口をよく見かけますが、そのほとんどは自分の演奏力の不足を棚に上げての文句だと思われます。実際、この楽器は、息をかなり多く飲んでしまうタイプの楽器です。それゆえ、ブレスコントロールがしっかりしていないと、あっという間に息切れをしてしまい、まともに吹くことができません。その息の飲み具合は、総銀フルート以上だと思われます。

 それゆえ、ブレスコントロールの鬼コーチであるとも言えますし、ほんと、このプラ管フルートを吹いていると、いやでもブレスコントロールが上達する事、間違いなしです。

 プラ管フルートは、カバードキーのオフセットモデルですが、総銀フルートの方は、リングキーのインラインモデルです。操作性がかなり違いそうな気がしますが、私は、そのあたり、全然気になりません。どちらも何も考えずに演奏できます。初心者はともかく、中級者以上なら、あまり大きな問題ではないだろうと思われます。

 プラ管フルートの良いところは、総銀フルートほど重くない事です。とは言え、決して軽い楽器の印象はありません。体感的には、木製フルートに近い感じがします。

 また、プラ製ですし、キーバッドもシリコン樹脂ですから、ほぼメンテナンスフリーです。実際私は、普段、書斎のフルートスタンドに挿しっぱなしにしています。必要な時にそこから取り出して演奏し、終わったら、すぐにスタンドに戻すだけです。磨きませんし、クロスで拭くことすらしません。楽器についた水分なんて、自然乾燥にまかせています。それで十分なのがうれしいです。

 で、30倍の価格差ですが、道具としての実用面から言えば、そこまでの差はないと思います。だいたい、どちらも普通にフルートとして使用できます。

 しかし、外見から受ける印象は全く違います。プラ管フルートの安っぽい外見は、かなりのマイナスイメージになると思いますが、それで30倍の差はあるかと言うと…そこまでは無いような気がします。なにしろ、外見だけでいえば、総銀フルートも洋銀フルートも外見はほぼ同じですから、総銀フルートはそこまで高価な楽器であるとは、外見からだけでは分かりません。これは、プラ管フルートと総銀フルートの差と言うよりも、洋銀フルートと総銀フルートの差に起因する問題だろうと思います。

 あとは所有欲などのマインドの問題があります。総銀フルートは、所持をしているだけで、それなりの満足が得られますが、プラ管フルートには、所有欲を刺激するような要素は、かなり少なめだろうと思います。

 この所有欲の満足まで考慮に入れた時に、ようやく30倍の価格差が納得できるかどうか…って話になってくるのだろうと思うのであります。

 道具としての完成度を考えると、プラ管フルートが約2万円であるというのは、破格に安いのだと思います。コストパフォーマンス良すぎます。ただ、安いのは良いのだけれど、この楽器のツンデレ具合を考慮すると、初心者には勧めがたいかなって思います。なにしろ、初心者には手強すぎる楽器だと思います。

 なので、プラ管フルートを“安価な初心者向けフルート”と考えてしまうのは間違いだと思います。これは“安価な木製フルートの代用品”と考えるのか適当かなと思います。そう考えると、初心者さんがこのフルートに手を出して痛い思いをする事が避けられるかなって思うわけなんですよ。

 初心者さんは、この廉価なプラ管フルートではなく、ヤマハなどのちゃんとしたフルートメーカーさんの、廉価なスチューデントモデル(洋銀フルートや頭部管銀のフルートあたり)で練習された方が良いと思います。

 老婆心ながら、お爺さんの忠告です(爆)。

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2018年6月21日 (木)

私には音感はないし、これからも身には付かないでしょう

 言いたいことは表題の通りで、私には音感と呼べるものは無いし、これからも身につく事はないと思われます。でも、これは絶望的な事ではなく、オトナになってから音楽を始めた人たちに共通する普遍的な事柄だろうと思われます。

 よく音楽系のブログ等を見ていると、音楽をやる人間には音感が身に付いているモノという前提で書かれている事が多いです。音感が問題になるのは、その人が持っている音感が、絶対音感なのか相対音感なのか、そのどちらですかとか、そのどちらが優れていますなどであって、よもや音感の無い人間の存在なんて、口の端にものぼりません。

 そりゃあそうですよね。絶対だー、相対だー、と声高に言っている中で「実は私には音感はありません」…なんて告白、恥ずかしくて言えませんわな。もしそんな事を言い出したら、白い目で見られ、人間扱いされなくなるかもしれないしね。それに音感を持っている人間にとっては、世の中に音感の無い人間がいるなんて、想像できない事なのかもしれませんし…ね。だから、音感の無い人間の事って、話題に上がらないのだと思います。

 でもね、音感の無い人って、たくさんいると思います。なぜ、私がそう断言できちゃうのかと言うと、音感って、別に特殊な才能でもなんでもないからです。

 実は音感ってのは、記憶力なんです。だから、音感の有無というのは、乱暴に言っちゃうと、記録力の有無であるわけです。

 絶対音感は、音の高さ(周波数で測定できるアレね)をイメージとして記憶しているだけであり、相対音感とは、音階をイメージとして記憶しているだけのことなのです。

 音の高さのイメージを記憶しているので、どんな音を聞いても、その音の高さがイメージできるわけであり、音階をイメージしていると、どんなメロディーを聞いて、そのメロディーの音階が分かるので、そのメロディーを音階唱できるというわけです。音感の有無と言うのは、音の高さなり、音階なりのイメージを記憶していて、その記憶のイメージと現実に聞いた音とのマッチングが即座にできるかどうかの話なのです。

 記憶と言うのは、子ども、それも年齢が幼いほど、圧倒的に有利です。一説には、人間の記憶力は、ローティーンの頃がピークで、後はドンドン能力が劣化していくと言われています。脳神経的には、ハイティーンの頃から、脳内のあまり使われていない脳細胞が、不可逆的にグリア細胞に置き換わってしまうので、記憶力が低下していくと…と言われています。

 ま、そんな難しい話はともかくとしても、オトナになると、子どもの頃よりも圧倒的に暗記が苦手になる事は、どなたも体験的にご理解いただけているでしょうし、そのオトナだって、まだ青年時代ならともかく、中年を越え、初老を越え、老人になってしまうと、本当に記憶力が活性化されなくなるわけです。

 そんな劣化しまくった記憶力しかない年頃から音楽を始めた人(私なんかは、ずばりそんな感じですよ)は、なかなか音の高さであったり、音階のイメージであったり…なんてものを暗記していくのは、そりゃあ無理ってもんなんです。

 なので、音楽歴はそこそこあっても、残念な事に音感なんて、全然身に付いていないんです。

 だいたい、いつも脳みそに霧がかかっていて、少し前の事を平気で忘れちゃうようなオツムの持ち主に、音のイメージを覚えられるのかと言えば、それは火を見るよりも明らかであり、無理難題なわけなんですよ。

 自分に音感が無いのは、残念だなあって思います。でも、育った家が貧しくて、子どもの頃に音楽的な環境が無かったんだから、それはしょうがないのです。

 音感を持っている人には、音感を持っていない人の世界って分からないだろうなあって思います。常に、持っている者は持たざる者の悲哀は分からないものです、どんな分野であれ…ね。

 音感を持っていなくて、音楽は楽しめますよ。音感がなくても、美しい音楽には感動しますよ。と言うのも、音感ってのは、音の高さや音階のイメージを暗記しているかどうかってだけの話であって、音感がなくても、音楽が聞こえないってわけじゃないからです。ただ、今鳴った音の音名が答えられなかったり、音階の中でどの音に相当するのかが分からないだけであって、音楽のツヤや色気は分かるんです。

 ざっくり言えば、音感が無いと音楽を全体的に、いわばグロスと言うか、固まりやサウンドとして鑑賞しているわけであり、音感があれば、その能力に応じて、音楽を固まりではなく、分析的に聞くことができるというわけです。なので、音感が無い人は、音楽を理性で知的に捉えるのは苦手であるとは言えると思います。音感が無いと、どうしても音楽を感覚的情熱的に捉えがちですが、それ自体は悪い事ではないので、別に恥じ入る必要はないと思います。

 ただ、音楽を分析的に理解できる方が、より深く音楽を味わうことでできるでしょうし、演奏という音楽の再現行為に関しては、音楽をきちんと分析的に聞ける事は、かなり大切な能力である事は言を待ちません。

 私は思うに、音感の有無って、九九の暗唱の有無に似ているのかなって思います。

 九九の暗唱ができる人は、7×8は、即座に56であると答えられるし、間違えないけれど、九九の暗唱ができていない人は、7×8という数式を見る度に、7を8回足していって答えを求めていくわけですから、即答はできないし、たまに間違えてしまう事もある…って感じだろうと思います。九九の暗唱ができれば、即座に正確な答えが得られるのに、九九の暗唱ができないばかりに、いつも手間のかかる遠回りなやり方をせざるをえないし、それが間違えることも多々あるわけで、能力不足のために、いつも不安定なやり方が強いられているわけです。

 ちなみに、楽器をやる人は、たとえオトナから始めたとしても、音感の有無って、あまり意識しないかもしれません。特に、楽器で曲の音取りをしちゃう人は、楽器自体に音程のイメージが標準装備されていますので、あまり意識せずに済むかもしれません。それに基準音だって、チューナーを使えば、暗記している必要ありませんからね。

 でも、一部の楽器…自分で音程を作っているようなヴァイオリン属の楽器とか、歌(合唱であれ声楽であれ)とかでは、音感の有無を強く意識せざるをえない場面が多々あると思います。

 音感を持っている人が、楽譜を見て、即座に理解し、歌唱できるメロディーも、音感のない人は…おそらく…メロディーそのものを丸暗記して歌うことになるでしょうから、歌えるようになるまで時間がかかるでしょうね。丸暗記って大変だもんね。特に劣化した記憶力しか持っていない人がする、メロディーの丸暗記って、そりゃあ困難だもの。おまけに、音感の無い人って、楽譜も読めなかったりするから、まずは鍵盤楽器などで音取りをしたり、あるいは音取り音源の演奏を楽譜と首っ引きで見比べながら丸暗記しないといけないから、ほんと大変なんだよ。でも、好きだから、頑張るんだよね。好きじゃなきゃ頑張れないし…ね。

 結論。子どもの頃に音楽の専門教育を受けるチャンスのあった人たちにとって、音感は当然身に付いているモノであろうが、オトナになってから音楽を始めたモノたちには、音感という名の記憶のイメージは無い事が多い。音感が無いからと言っても、音楽鑑賞には困ることはない。また、多くの器楽演奏に関しては、音感が無くても、そう大きな問題とはならないが、一部の器楽と声楽では大きなハンデと成りうる。たとえハンデがあったとしても、音楽が好きなら、音感の無さを情熱を持って越えていこうとしていくので、音感を持っている方々は、ぜひ、そういう人たちを温かく見守って欲しい。

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2018年6月20日 (水)

誰でも陥るスランプについて考えてみた

 スランプとは…大辞泉によると、次のように定義されています。

>心身の調子が一時的に不振になっている状態。また、実力が発揮できず、成績などが一時的に落ち込んでいる状態。

 音楽の演奏などで言えば「ついこの前まで、これくらいの曲は簡単にミスなく弾けたのに、なぜか最近はあっちこっちでミスってばかりいて、全然弾けない。ああ、スランプだー」って感じなんでしょうね。

 そういう経験、私にも無いわけじゃないです。でもまあ、最近は、そんな感覚とは、トンとご無沙汰ですがね(笑)。

 と言うのも、スランプに陥る人って、真面目なんですよ、真面目。真面目だからスランプに陥るんです。

 私も基本的には真面目人間です。だから、以前は、音楽の練習だって、毎日毎日数時間もやっていたし、毎日毎日少しずつ上達もしていました。その頃は、たまにスランプに陥っておりました。

 でも、最近は、人間は真面目なんだけれど、仕事等が忙しくて、ほとんど音楽の練習ができていないので、上達なんてするわけないし、いやそれどころか、下手になる一方で、前回できていた事が今回できないなんて、日常茶飯事なので、スランプなんて陥るはずがないのです。今の私が陥っているのは、単純に「練習不足」なのですから。

 閑話休題。で、真面目な人が陥りやすい思考パターンに「私はこれだけ努力しているんだから、日々上達して当たり前だろう」というのがあります。ま、努力は報われるはずだ…という強い信念ですね。私にも、そういう思考パターンはもちろんあります…が、オジサンなので、そればかりとも限らないという事実は人生で学びましたので、スランプからの回復は比較的早かったと思います(それでも、やっぱり何度かはスランプに陥りました)。

 まずスランプの原因ですが、案外多いのが、疲労です。そう、疲れちゃっているのね。真面目な人って、疲れていても練習するんですよ。頑張って練習するんですよ。確かに、筋肉筋力の維持という面で考えれば、疲れていても練習する必要はあるかもしれません。でもね、神経的…と言うか、学習的には、疲れていて集中力に欠けている時に練習しても、全然身につきません。疲れている時は前進できません。せいぜい立ち止まるので精一杯。いやむしろ、疲れから無意識に悪い癖が生じて、かえって後退してしまう事だってあります。そうやって、疲れから来る集中力の無さとそこから生じた悪い癖によって、今までできた事ができなくなって…ああ、スランプだ!となるわけです。

 もちろん、ここで言う疲労には、肉体的な疲労はもちろんだけれど、精神的な疲労ってのも入ります。肉体的な疲労と言うのは自覚しやすいのだけれど、メンタル的な疲労って、案外自分じゃ分からなかったりするんだよね。

 なので、疲労が原因のスランプ脱出の方法としては、とにかく休む。肉体的に休む事は当然として、メンタル面でも休む。でも、真面目な人って、休めないんですよね。だから、どんどんスランプ沼の深みにズブズブと入っていってしまうわけです。

 根が真面目だから、スランプから脱出できないんだね。

 「私、疲れてませんよ。いつでも心身ともに元気いっぱいです。でもスランプなんです…」と言う人もいますよね。そういう人って、私に言わせると、ちょっぴり傲慢なんですよ。その傲慢さがスランプの原因となっています。

 努力は報われる…と真面目な人ほど信じていますし、そうでないと、世の中不公平ですし、実際、長い目で見れば、確かにその通りなんです。でもね、短い期間で見ると、必ずしもそうとも限らないのです。

 音楽に限らず、なんでもそうなんですが、学習と言うのは、常に1次関数的に、努力と結果が比例関係にあるわけじゃありません。ある時は、グングン上達するけれど、ある時は長らく上達しないのです。これは多くの場合、努力と結果の関係が階段状になるケースが多いからです。

 つまり、普通の学習と言うのは、毎日毎日努力をし続け、その努力がある一定以上なされた時に、一気にブレイクスルーがやってきて、ドンと上達するけれど、一度上達すると、またしばらくはその状態をキープし続けるので、次のブレイクスルーに向けて、努力を積み重ねていかないといけないのです。ポケモンGOのレベル上げと一緒です。

 なのに、努力は報われると信じて疑わない人は、努力した分だけ上達しないと気持ち悪いし、努力しているのに上達しない自分にイラついているわけですね。

 でもね、努力は必要なんだけれど、短期的に見れば、努力は必ずしも報われるものではないのです。上達しなくても、努力を積み重ねていかなければならない時だってあるんです、次のブレイクスルーに向けて努力を貯めていかないといけないのです。

 でも、貯めていくという感覚が分からず、努力した分だけすぐに上達するべきだと信じているので“スランプ”を感じるのです。つまり、世界は自分の考えどおりにならないと許せないわけで、努力は常に上達に結びついていないとイヤなのです…つまり、傲慢なんですよ。

 と言うわけで、スランプの原因は、疲労か傲慢か、そのいずれか、その両方だったりするのです。

 だいたい、音楽をやっている人って、たいてい真面目だからね。努力は報われると信じているわけです。だから、一生懸命に努力をしていくわけです。その真面目さがスランプを生むわけです。

 でもね、真面目な人に「もっといい加減にやんなよ」なんていうアドヴァイスは無力ですからね。だから、スランプに陥った人は、みんな苦しむわけです。苦しんで苦しんで、疲労回復をするか、次のブレイクスルーがやってくるまで、苦しみぬくわけです。

 ま、昔の私もそんな感じでしたが…全くご苦労な事です。

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2018年6月19日 (火)

なぜアウフタクトは難しいのか!

 ごく一般的な日本人が音楽をやると、あれこれ苦手なことがたくさんあるわけです。まあ、これはある意味、仕方ないのです。と言うのも、今の音楽って、基本的に西洋音楽であって、我々日本人のDNAの中には無い音楽ですから、あれこれ大変なのは仕方ないのです。

 まあ、それでも若い世代は生まれた時から、どっぷり西洋音楽に浸かって育ってきたので、苦手と言っても、さほど深刻な問題ではありませんが、オジサンオバサン世代だと、まだまだ日本的な伝統音楽の世界の中で生まれ育っていますので、なかなか西洋音楽は大変だったりするのです。

 例えば私などは、子どもの頃のダンスミュージックと言えば、まずは夏祭りの盆踊りだったし、今では教科書で学ぶようなわらべ唄を実際に歌って手遊びなどをしていたし、テレビやラジオから流れる音楽のほとんど、民謡や演歌が多く、西洋っぽい音楽と言えば、せいぜい歌謡曲ぐらいでしたが…その歌謡曲だって、どっぷり日本の音楽だったわけです。ジャズやラテンは、一部の酔狂者の好む音楽であって、全く一般的ではなかったし、まだJ-POPと呼べる音楽はなく、ロックもまだまだテレビからは流れてきませんでした。ようやく、フォークが異端的な音楽として、オトナたちにやっかまれながらテレビから聞こえてきたくらいです。学校の音楽の時間では、まだまだ普通に文部省唱歌が歌われていました。

 歴史的な視座から考えて見るならば、時期的には、昔々の純粋邦楽から、今の西洋音楽中心への移行期間だったようで、まだまだ色濃く、伝統的な日本の音楽の中で育ちました。

 子どもの頃、同世代の若い女の子たちの多くはピアノを習っていたけれど、お姉さんたちの世代は、三味線とかお琴を習っていて、それらが得意な人がまだまだ多かったです。実際、私も、ピアノよりも先に、お琴に親しんじゃったし、今でも簡単な箏曲なら弾けないわけでもないです。

 つまり、オジサンオバサンたち世代が育った頃の音楽環境は、今の子どもたちのそれとは、全然違っていたわけです。なので、我々オジサンオバサン世代は、今の若い人から見ると、信じられないような事が苦手だったりします。

 例えば、裏拍が取れないとか、3拍子のリズムが取れないとか、6/8拍子とかだと迷ってしまうとか、どうしても三連符では歌えないとか、三連符と8分音符が混ざるとお手上げだとか…。

 だって、そんなわけの分からないリズムは、日本の伝統音楽には無いからね。日本の音楽って、そんなに複雑なリズムは使っていないんだよね。だから、この手のモノは苦手でも仕方ないのです。

 以上の話題については、いずれ記事にしていくかもしれませんが、今回は別の話をします。

 今回取り上げるのは、アウフタクト。オジサンオバサンは、本当に死ぬほどアウフタクトが苦手だったりします。

 アウフタクトと言うのは、弱起とも言いますが、フレーズの開始が強拍ではない…と言うか、強拍の一歩手前の弱拍(ま、たいてい裏拍ですが)からフレーズが始まる事、それがアウフタクトです。

 若い世代の人でも、このアウフタクトが苦手という人はたくさんいるそうですから、もう、オジサンオバサンの手に余るのはしょーがないのです。

 試してみましょうか?

 お誕生日の歌“Happy Birthday”という英語の歌があるじゃないですか? とても有名な曲で、大抵の日本人は知っているでしょうし、歌った事があるんじゃないですか? 歌詞は以下のとおりです。

Happy Birthday to you.
Happy Birthday to you.
Happy Birthday, dear ******.
Happy Birthday to you.

 こんな感じです。さあ、手を叩きながらこの歌を歌ってみましょう(さすがにこれは誰でもできると思います。)

 では次に、手を叩きながら、拍子を取ってみましょう。この曲は3拍子なので「1,2,3,1…」と数えてもいいし、強く・弱く・弱く・強く・弱く・弱く…と手を叩く強さを変えてもいいと思います。そうやって、拍子を取りながら、この歌を歌ってみるのです。

 さあ、やってみましょう。

 …で、「1」の拍は、どの単語になりましたか? “Happy” ですか、それとも “Birthday” ですか?

 「1」が “Happy” なら、小節的には“/Happy Birthday / to you./”になり、強拍は“Happy”と“to”が当たります。

 一方「1」が“Birthday”になった人は、小節的には“Happy / Birthday to / you.”となり、強拍には“Birthday”と“you”になりますか。

 どちらが正しいかは…後者ですよね。お誕生日の歌なのですから、強拍に来るのは“Birthday”と“you”じゃないとね。“Happy”と“to”が強調されても「だから何?」って感じになります。

 いかがでしたか? “Happy”を「1」にして歌っちゃった人、たくさんいるんじゃないかしら? 私の子供の頃は、みんなみんな“Happy”を「1」にして歌ってました(笑)。それくらい、オジサンオバサン世代の人って、アウフタクトが苦手なんです。

 さて、なぜアウフタクトがこんなに苦手なのかと言うと、まあ裏拍が苦手と言うのもあるけれど「メロディーを強拍から始めないと気持ち悪い」という感覚があるからだろうと思います。逆に言えば、なぜ西洋人たちはメロディーを強拍から始めなくても平気なの?って疑問にもつながります。

 さっきの Happy birthday じゃないけれど、日本語って、大切な事を“いの一番”に言っちゃいたい言語であるのに対して、あっちの言葉って、大切な言葉が文頭に来ないことって結構あります。

 「美味しい」を“Yummy”と言うのは、まあ分かります。言いたい事が文頭(ってか一語文だけどネ)に来てるものね。でも「寒い」を“It's cold”って言われちゃうと、言いたい事が、日本語だと文頭なのに対して英語だと2語目に来るわけです。さらに言うと、英語の1語目の“It's”なんて、形式的な言葉で、意味なんてほとんどないし、聞こえなくてもいいや程度の言葉じゃない。そんなどーでもいいような語が文頭に来ちゃうわけです。我々からすれば、斜め上の言葉ですわな。で、これをメロディーに載せようとしたら、強拍に置くのは…“It's”じゃなくて“cold”の方だよね。つまり小節的には“It's / cold”じゃないと困るわけで、最初の“It's”はメロディー的には、自然とアウフタクトにならざるを得ないわけです。

 かくのごとく、英語を始めとする西洋語だと、形式主語とか前置詞とか冠詞とかのおかげで、アウフタクトが自然と成り立つのに対して、そういうモノが一切ない日本語では、メロディーは強拍から始めないと気持ち悪いという感覚が育ってしまうわけです。

 実際、西洋語の歌詞だと、アウフタクトがあっても、そんなに歌いにくくないけれど、その手の歌を日本語の訳詞で歌おうとすると、なんか違和感を感じて気持ちわるいなあって思うのは、やはり西洋語と日本語の違いから来るところが大きいと思うわけです。

 つまるところ「なぜアウフタクトが難しいのか」と言えば、答えは「我々の母語が日本語だからである」ってところでしょうね。

 日本語にはアウフタクトは似合わない…ってところなんだと思います。

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2018年6月18日 (月)

音楽家ってのは曲芸師なのか?

 歌でも演奏でも、上手い下手というのは、当然あって、プロは上手で、アマチュアは上手くないというのは…まあ一部の例外を除けば、当然であるわけです。で、プロの中でも、とっても上手なプロと、そこそこ上手なプロと、まあ上手な人がいるわけです。

 世間的に評価の高いプロと言うのは、みんなとっても上手なプロなのかと言うと…まあ、だいたいそうだったりします。それどころか、客である素人は、上手なプロ同士を比較して、そこそこ上手なプロよりもとっても上手なプロに好意を寄せることが多いわけです…これまた、一部の例外を除いてね。

 じゃあ、とっても上手だったり、そこそこ上手だったり、まあ上手だったり…の“上手”ランキングの評価判断基準って何よ?って考えたことありますか?

 私、そのあたりについて色々考えてみました。

 例えば、情感豊かな演奏をする人は上手なのか? 確かに上手と言われるプロはたいがい情感豊かな演奏をしますが、だからと言って、情感豊かな演奏をする人はみんな上手と思われるのかと言うと、そうではありません。「あの人の演奏は、少しクサイんだよね」とか「心を込めるのはいいけれど、ミスも目立つんだよね」とか言われる事もあるわけで、情感豊かな演奏ができる事は大切な事だけれど、上手の基準とはちょっと違うような気がします。

 ミスのない正確無比な演奏をする人は上手なのか? 確かに上手だと思いますし、それに対して異論を唱える人は、たぶん、いないだろうと思われます。でもね、聞き手がピアニストとか指揮者とかの音楽業界人ならともかく、ただのクラヲタあたりだと、細かなミスなんて分からないから、ミスのない正確無比な演奏をしている人と、小さなミスはあっても堂々と演奏しちゃってる人がいたら、その両者の違いって、なかなか分からないよね。それに私なんて、演奏家のミスが分かっても、ミスをしたからダメとか思わないんですよ。演奏の良し悪しはトータルなモノと思っているので、多少のミスは減点対象(?)にしないので、ミスのない正確無比な演奏は理想だし、そうであるべきだけれど、それが上手がどうかの基準にはしないと思います。むしろ、プロである以上、ミスはなるべく少なくあって欲しいし、ミスが無い上に、演奏にプラスアルファがあって、初めて上手って思えるんだろうなあって考えます。

 では、そこに加わるプラスアルファって何…?って考えると…ハッタリ…かな? って思わないでもないです。ハッタリと言う言葉が悪ければ、アクロバティックな演奏? 聞いていて、爽快感を感じる演奏、カタルシスが解消されるような演奏。大向うをうならせる演奏、人々の気持ちをアゲアゲにしてしまう演奏、これらができる人ほど、上手のランクが上がっていくのではないかと思うのです。

 ある意味、こういうアクロバティックな演奏って、音楽の本質とはまるで関係ない事かもしれません。だいたい、なんでもかんでもアクロバティックにすりゃあいいってもんじゃないしね。でも、アクロバティックな演奏って、分かりやすいんですよ。

 それにヴィルトゥオーソと言う言葉もあるしね。派手な演奏って、高く評価されるし、素人な聞き手にも分かりやすいし、大衆的な人気も集めやすいしね。

 もちろん「あの人の演奏は、派手で技巧的なんだけれど、中身空っぽなんだよね」という批評もあったりなかったりするけれど、それって負け惜しみっぽく聞こえちゃうんですよ。と言うのも、たとえ中身が空っぽでも、派手で技巧的な演奏である事は認めているわけだし、派手で技巧的ならば、魅力的な演奏であるって言外で言っちゃっているわけだしね。魅力的だけれど中身空っぽ…いわゆる白痴美人(差別用語じゃないよね…大丈夫だよね…?)って事なんでしょうが、白痴であろうがなかろうが、美人は美人だよね。

 そう考えると、アクロバティックな演奏を得意とすればするほど、上手のランクの高い音楽家であると…ひとまず…言えるんでしょうね。

 …って事は、音楽家ってのは、つまるところ、曲芸師なんでしょうか…ね?

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2018年6月17日 (日)

大学経営も楽ではないそうです

 大学経営と言うのは、昔(20世紀の話です)は左うちわだったそうで、まあ経営が大変って事はなく、むしろ大学経営は儲かる商売だったようです。

 それが昨今、子ども人口の減少、つまり受験生の減少に伴って、まず短大経営が危なくなりました。今では多くの短大が廃校か、四年制大学の1学部として存続しています。そして短大の衰退に伴って、4年制の女子大も徐々に経営が厳しくなってきたそうです。

 じゃあ共学の大学は大丈夫かは言えば、決してそうではなく、特に地方の大学とか、偏差値がリーズナブルな大学は生徒がうまく集まらずに経営難に陥っているのだそうです。

 ある調査では、昨今の受験生は、都会の有名ブランド大学にたくさんの受験生が殺到し、その結果、非ブランド大学や地方の大学は受験生不足が起こっているのだそうです。

 今や、4年制の大学のうち4割の大学が定員割れを起こしているんだそうです。つまり、大学は(都会のブランド大学を除けば)誰でも入れる時代になったわけです。大学全入時代の到来なのです。

 受験生の数よりも、大学定員の方が多いため、各大学では、足りない定員を補うため、それぞれ特色のある教育を打ち出し、目新しい学部学科を新設して、懸命に学生募集に頑張っているわけです。

 バブルの頃は、地方に分散させていたキャンバスを徐々に都会に集約する動きが多くの大学であるけれど、それもキャンパスが地方にあったままでは学生が集まらないからであって、キャンパスを都会に集約した方が(あれこれ不便はあっても)学生募集に有利だからそうするわけで、そんなこんなであらゆる手を大学も打っているのだけれど、それでも学生の数が足りなきゃ、海外(ってか中国)から留学生を大量に迎え入れる学校すらあります。

 とにかく、学生がいなきゃ、授業料はもちろん、国からの補助金ももらえないからね。各大学とも、それこそ死に物狂いで学生募集をするわけです。

 ほんと、大変なんだよ。

 もちろん、そんな現状を、国や文科省もただ手をこまねいて見ているわけではなく、黙っていても学生が集まる、都会にある一部(有名ブランド)大学での定員増を認めずに、新入生の数に規制をかけたり、学生個人が履修できる授業数に制限を掛けたりして、学生数を抑え込んでいます。そして、都会のブランド大学から溢れてしまった学生を、地方の定員割れをしてしまった大学に振り分けようとしているわけです。

 先日などは、経団連が私立大学救済のために、国立大学の学校数や学生定員数を減らして、なるべく多くの学生を私立大学に振り分けてもらえるように提案していました。

 それくらいの荒療治をしないとダメなくらい、今や大学経営は(一部のブランド大学を除いて)大変なのです。

 「学生が集まらないのは、その大学が、世間から必要とされていないのだから、そんな大学は潰れてしまえばいいじゃないか!」という意見もあります(まっとうな意見だと個人的には思います)が、そんな感じで大学がドンドン潰れてしまうと、大学教員はもちろん、大学事務員やその関連会社の社員の皆さん方も職を失い、露頭に迷うことになります。大学って、学生も多いけれど、教職員もたくさんいます。そんな多くの(おそらくは)優秀な人材を露頭に迷わせてしまっていいのか…という事もあり、大学って、そんなに簡単には潰せないのです。

 それに、事務職員はともかく、大学教員って、研究ぐらいしかできないから、ほんと、ツブシが効かないんだよねえ(汗)。おまけに、学歴の逆差別もあるから、高学歴者の一般業種への転職も難しいしね…。そんなこんなで、多くの大学の延命(?)をせざるを得ないんだろうと思うのです。

 移民法を整備して、合法的に移民を受けいれるなどの積極的な政策を取らない限り、日本は人口が増えていかないし、人口が増えないと、教育産業はどんどんダメになってしまうと思うんだよね。杞憂かもしれないけれど…。

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2018年6月16日 (土)

モヒカンな金魚

 最近、ルデンの姿が大きく変わっています。姿というよりも、体色とか模様とかの変化なのですが…。

 おそらくルデンは、らんちゅうの出来損ないだと思います。体型の印象はらんちゅうっぽいのですが、かなり多くの琉金的な要素もあり、体型的には、なんとも中途半端な感じがしています。

 で、その中途半端な体型そのものは、取り立てて変化ありません。

 ルデンの特徴は、その体色です。私はこの体色が気に入って、ルデンを我が家に招入れたのです。

 当初のルデンの体色は、基本的に光り輝く金色(本当に金色)です。ただし、背面部は薄墨のような色をしていました。つまり金色の金魚なルデンなのですが、上から見ると、灰色な金魚だったわけです。

 それが最近、この薄墨色の部分が剥がれる…と言うか、削られる…と言うか、そんな感じで、どんどん少なくなっているのです。で、かつて薄墨色だった部分の多くが、光り輝く金色になりました。ザッと見た印象では、以前は全体の60%程度が金色だったのに、最近では、85%ほどが金色になってしまいました。また、以前は金色と薄墨色の境はなだらかな感じでごく自然だったのですが、最近はギザギザな感じでいきなり変わっているのです。おまけに、薄墨が剥がれたような感じで、ポツポツと金色の部分もあります。

 はっきり言って、ちょっと汚い印象です。

 特に顔の部分は、薄墨色の方が多い感じで、落ち着いた顔色だったのですが、最近は頭頂部とクチと目の周りにちょっとだけ墨が残り、他は光り輝いています。

 まるで、髭面のモヒカンみたいな顔になってしまいました。

 なんかなー、どーなのかなー。

 金魚の場合、まだ成長期にある子は体色の変化があるものらしいのです。つまり、ルデンはまだまだ稚魚であって、薄墨色が抜けて金色に変わっていく最中なのかもしれません。確かに、金魚の稚魚って、たいてい真っ黒だもんね。実はこの子、図体はデカイけど、本当はまだまだベイビーなのかもしれません。実際、日々の行動を見ていると、本当に子供っぽいしね。

 とにかく、今現在、ルデンはモヒカン野郎なのです。

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2018年6月15日 (金)

お酒をお酒で割って飲むのは、平気ですか?

 フルートのレッスンに行ってきました。声楽のレッスンから、そう日は離れていなかったので、当然、風邪ひきさんな私でした。まあ、フルートの場合、風邪をひいていても、歌ほど大きな影響はなく、咳き込まなければ大丈夫…ってのと、いつもよりだいぶ肺活量が落ちている…って事の2点を気をつけていれば、まあなんとかなるって感じでした。

 それよりも、全く練習していないでレッスンに行っちゃっている事の方が大問題だよなあ。

 練習をしていないので、レッスンの内容は、毎度毎度な感じにしかなりません。

 エルステユーブンゲンは、いつもの23番と24番ですが、暗譜なんて出来ているはずはないので、当然合格なんて、どこ吹く風です。

 プチエチュードは19番ですが、とにかくつまらないミスブロー多発です。ま、吹込みが全然足りてないのです。ダメっすね。

 40リトルピーセズだって、13番と14番ですが、13番はつまらないミスブロー多発だし、14番に至っては、全然指が回っていません。「顔を洗って出直して来な!」レベルの演奏になりました。だってねー。

 合宿の向けてのソロ曲、ラフマニノフのヴォカリーズは、ムラマツの“40フルート小品集”の楽譜で吹くことにしました…ってか、私がそれでしかヴォカリーズの譜面を持っていないためです。一応、H先生がチェックをして、楽譜にミスがない(輸入譜だと、結構ミスがあるんですよ)事を確認してくれました。これで安心して練習できるってもんです。

 先生から、一度に全部を練習しようとは思わない事。少しずつ少しずつきちんと吹くことを優先して練習してきなさいと言われました。この曲のキモは、アーティキュレーションとフレージング。この2つに気をつけて練習するように…と言われました。

 ちなみに、普通はこの曲を演奏するなら、一番に気をつけないといけないのは、音色なんだそうです。音色命の曲なので、いかにフルートらしい美しい音色で演奏できるかが課題になるそうだけれど、私の場合は、私が…と言うよりも、使用している楽器が美音系の楽器なので、そこはクリアしているようなのです。音色は合格なので、アーティキュレーションやフレージングに注意を払うわけです。

 頑張っていきますよ。

 さて、今回の雑談は…美味しい梅酒の飲み方についてです。H先生は飲ん兵衛の上に、梅酒を毎年たくさん作るんだそうですが、この美味しい梅酒の飲み方を某友人から教えてもらい、さっそく実践したところ、梅酒が止まらなくなって、困っているんだそうです。それくらい、美味しくて、クイクイ行っちゃうんだそうです。

 ちなみに、その美味しい梅酒の飲み方と言うのは…「梅酒と焼酎を1:1で割って飲む事」。ただのそれだけ。それだけなのに、とても美味しいんだそうです。

 しかし、酒を酒で割るって、どうなの? 梅酒だって、ベースは焼酎なわけだから、焼酎を焼酎で割って飲んでいるわけで…想像するに、とても飲みやすくなっているんだろうなあと思うものの、酒を酒で割るというのは、なかなか心理的な壁は高いような気がします。

 私の中のゴーストが「そんな事はしちゃダメだ」と囁いているんですよ。

 ちなみに、先生は35度の焼酎で梅酒をつくり、その梅酒を25度の焼酎で割っているんだそうです。なので、梅酒をストレートで飲むよりも、焼酎で割った方が、若干お酒が薄くなるんだけれど、だったら水で割っても良くない?って、私なんかは思うんですよ。

 水で薄めてしまうと、酒が薄くなりすぎるか、酒の薄まりを避けると今度は梅が濃いままか、どっちかになってしまうのだろうね。だから、焼酎で割るんだろうけれど…やっぱり、お酒をお酒で割るって、心理的ハードル、高いよ。

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